製薬会社とは妙に縁がある、とフェイトは思う。
かつて自分が関わった、とある製薬会社は、人目に触れぬところで『虚無の境界』と繋がっていたものだ。
ここは違う。その会社とも、虚無の境界とも、無関係だ。
そう聞かされている。
「……本当に、そうか?」
問いかけてみても答えはない。今、ここにいる人間は自分1人だ。
立ち込める霧の中、微かに吹く冷たい風が、黒のロングコートを揺らめかせている。
その下にまとうス一ツも黒、サングラスも黒。
そんな装いでは、ごまかしきれない童顔。
二十歳をいくつか超えているのに、高校生と間違えられる時がある。それなりに過酷な任務をいくつもこなしてきたが、歴戦の勇士の風格がなかなか身に付いてくれない。
そんな顔を、フェイトはちらりと周囲に向けた。
某県の山奥、であるが平原にも見える。それほど開けた場所である。
霧の中、いくつもの寂れた建物が墓石の如く佇んでいる。
とある製薬会社の研究施設、であるらしい。音信不通となって数ヶ月が経つという。
その数ヶ月の間、本社の人々や警察関係者がこの施設を訪れ、ことごとく消息を絶った。
皆、生きてはいないだろうとフェイトは思う。生きた人間の気配が、全く感じられない。
「最初からIO2に任せてくれれば……ってわけにも、いかないか」
溜め息をつきながら、フェイトは歩を進めた。
IO2のエージェントとして、この場で起こった異変をまず調査しなければならない。
「調べて終わり、ってわけには……いかないよな多分」
フェイトの呟きに応えるが如く、その時。視界の隅で、人影が動いた。
墓石のような建物の中から、その人影はよろりと歩み出し、こちらに近付いて来る。
汚れた白衣に身を包んだ、恐らくはこの施設の研究員であろう1人の男。
よたよたと歩み寄って来る、その動きを見て、フェイトは確信した。
生きた人間の動きではない、と。
腐敗しつつ硬直した筋肉を、無理矢理に動かしている。
それは、死せる人間の歩き方だった。
表情筋の固まった顔面からも、瞳孔の散大しきった両眼からも、意思や感情は読み取れない。
心も死んでいる。脳も機能していない、という事だ。
脳も、神経も筋肉も死んでいる、はずの人間たちが、歩いている。
1人ではなかった。
霧の中から。建物の中から、陰から。死せる人々がぞろぞろと現れ、死後硬直に逆らってバキバキと音を鳴らす。
おぞましい音が、フェイトを取り囲んだ。
「……まあ、こういう事になるよな」
ロングコートの内側で、フェイトは拳銃を引き抜いた。左右2丁。2つの銃口が、死せる人々に向けられる。
脳まで腐り果てた者たちには、恐怖心も存在しない。皆、銃を恐れる事もなく、腐敗した頬を引きちぎって牙を剥く。露出した指先の骨を、鉤爪として振るう。
そして、あらゆる方向からフェイトを襲う。
その襲撃の包囲の真っただ中で、フェイトは引き金を引いた。
銃声が、雷鳴の如く轟いた。
マズルフラッシュが稲妻のように閃いて、濃霧を切り裂いた。
腐敗した肉体の破片が、大量に飛び散った。
血の流れも止まった肉体の群れが、もはや血液とも呼べぬ黒っぽい飛沫をぶちまけながら砕け散る。
生きた人間ならば、身体のどこかに銃弾が当たれば動けなくなる。死にはしないまでも、戦闘行為はほぼ不可能となる。
死せる者たちが相手では、そうはいかない。
死んでも動き続ける肉体を、粉砕しなければならない。
現在フェイトがぶっ放しているのは、だから爆薬弾である。
頭部に命中すれば、頭蓋骨に穴が空く、程度では済まない。首から上が消えてなくなる。
牙を剥いてフェイトに食らいつこうとした屍の1体が、激しく揺らぎながら、そのような様を晒した。顔面に爆薬弾頭を撃ち込まれ、頭部が完全に吹っ飛んで消滅し、だが残った胴体が何事もなく動いてフェイトを襲う。
鉤爪のような指の骨が、掴みかかって来る。
それをかわしながら、フェイトは蹴りを叩き込んだ。
長い脚が、念動力を宿しながら跳ね上がり、首なしの屍をへし曲げて吹っ飛ばす。硬直した肉体が、曲がったまま倒れ込む。
そこへフェイトは銃口を向け、引き金を引いた。
へし曲がった屍が、ちぎれて飛んだ。硬直した手足が、バラバラに飛び散りながら虫の如く這い蠢く。
蠢くだけだ。
逃げる人間を追って襲って殺傷する事は出来なくなった、と見て良いだろう。
ここまでやらなければ、死して動く者たちを無力化させる事は出来ないのである。
「ああ、本当に……死んだ人間と戦うってのは……」
生きた人間ならば、四肢のどれかに弾を当てるだけで戦闘不能になってくれる。上手く頭を撃ちぬく事が出来れば、苦しみもなく死んで動かなくなってくれる。
そんな事を思いながら、フェイトは引き金を引き続けた。
黒のロングコートがふわりと舞い、それに合わせて左右2つの銃口が火を噴きながら弧を描く。
銃撃の炎が、動く屍の群れを薙ぎ払った。
「生きた人間と戦う、よりもさ……ずっと……」
白衣を着た者たち、だけではない。スーツ姿の男、あるいは制服に身を包んだ警察関係者。
男だけではなく、女性もいる。
性別は辛うじてわかる程度に腐敗損傷した、死体の群れ。
死体であるはずの者たちが、動き、歩いてフェイトを襲う。
そうしながら、砕け散ってゆく。
硬直した四肢が、表情のない生首が、腐乱した臓物が、爆炎に灼かれながら散らばり転がり、のたのたと蠢き続ける。
殺戮ではない。死体を破壊するだけの作業だ。
歩き、引き金を引きながら、フェイトは表情を歪めた。微笑んでみたつもりだが、果たして上手くいったのか。
「こういう連中と戦うのってさ、供養とか弔いの意味もあるって……俺、新米の頃に教わったんだけどな」
供養などであるはずもない、単なる死体損壊を繰り広げながら、フェイトはゆったりと歩を進めた。
この研究施設で一体どのような研究そして実験が行われ、それがどのように失敗して、この事態に至ったのか。
それを調査するのが今回の任務なのだが、調べるまでもないのではないか、とフェイトは思った。
「もしかしたら……成功した結果が、これなのかも知れないけどな」
呟きながら、フェイトは引き金を引いた。
生きていた頃は警官だったのであろう男が、爆薬弾頭に撃ち砕かれて飛散した。飛び散ったものが、蠢いている。
この男に、家族はいるのか。祖父母や両親、妻や子供、あるいは恋人。
この蠢くものを、そういった人々に送り届けなければならないのか。
フェイトは思う。
生きた人間を撃ち殺した事は、ある。
念動力を拳足に宿しての格闘戦で、殺人を行った事もある。
すでに生きてはいない人々を爆砕するなど、容易い事であるはずだった。
「生きた人間を……殺す方が、まし……なんて考える始めてるようじゃ末期症状かな、俺も」
呟くフェイトの周囲で、銃撃と爆砕の嵐は吹き荒れ続けた。
虚無の境界とは本当に無関係であるのか、それだけでも調べておくべきか、とフェイトは思った。
登場人物一覧
【8636/フェイト/男/22歳/IO2エージェント】