破滅の歌

 あれは、とても音楽などと呼べるものではなかった。
 獣の咆哮にも似た、無秩序で凶暴な音。
 苦しみの音であり、憎しみの音であった。
 それを、あの緑眼の青年は、信じ難いほど強い自制心で抑え込んでいた。
 抑え込まれていたものが『音』となって溢れ出し、自分を圧倒してくる。
 八瀬葵は、思い出さずにはいられなかった。
 苦しみを、憎しみを、あの青年は経験してきたのだ。そして恐らくは、克服した。
 自分にも何か、克服すべきものがあるのではないか。
 葵は、そう思う。
 だが、どう克服すれば良いと言うのか。
 親友が1人、死んだ。
 誰よりも幸せになって欲しい、と願っていた女性が、歩く事も喋る事も出来ない身体となってしまった。
 これを克服するというのは要するに、自分のしでかした事に対し、図々しく無反省に開き直る、という意味ではないのか。
 凄いよ、あんたの歌。
 緑眼の青年は、そう言ってくれた。が、歌を誉めてくれたわけではない。
 彼が誉めてくれたのは、葵が歌うとどうしても流れ出してしまう、得体の知れぬ力の方だ。
 人は誰しも、何かしら『音』を発している。
 自分のそれに得体の知れぬ力が宿っている、と葵が気付いたのは、幼稚園に通っていた頃であろうか。
 その幼稚園では月に1度、その月に誕生日がある園児たちのために、お誕生会のようなイベントが行われていた。園児に職員それに保護者が集まり『ハッピーバースデー・トゥーユー』を合唱するだけの、他愛ない行事である。
 年長期の10月。1人の男の子が、誕生日を迎えた。
 いつも葵を執拗にからかったり、軽い暴力を振るって虐めたりしていた園児である。
 そんな乱暴者が、お誕生会では先生たちにちやほやされ、大事に扱われている。
 許せない。
 その思いを込めて、葵は皆と一緒に『ハッピーバースデー』を歌った。
 帰り道で、その男の子は交通事故に遭った。
 命に別状はなかったものの長期入院を強いられ、結果その男の子は、小学校への入学が1年遅れてしまった。
 葵が何か思いを込めて歌を歌うと、聞いていた誰かが不幸な目に遭う。そんな事がその後、幾度も起こった。
 自分の歌が、わけのわからぬ力を秘めている。
 容易く信じられる事ではなかったが、信じざるを得なくなったのは、小学校4年生の時である。
 家の近くの公園で、野良猫が1匹、ひどい怪我で死にかけていた。
 葵はその猫を抱き上げ、音楽の時間に習った『エーデルワイス』を歌った。
 自分が歌うと、誰かが酷い目に遭う。
 逆に、人助けは出来ないものか。人は無理でも、猫くらいは。
 そう思いながら、葵は歌った。
 猫の傷が、癒えた。
 その時の葵は、今までの人生20年のうちで最も幸せだった。
 自分の『音』には、やはり力がある。
 使い方が悪ければ、誰かを傷付けてしまう力。
 うまい感じに歌と融合させる事が出来れば、こうして癒しの効果をもたらす事も出来る力。
 この力で自分は、これから大勢の人を助け、癒してゆく。
 そんな救世主のような気分に、葵は浸っていた。
 数日後、その猫が保健所で殺処分された。
 人間でも動物でも、とにかく誰かを助ける事など自分には出来ないのだ、と葵は思った。
「おい、聞いてるのか」
 店長が、苛立たしげに声をかけてくる。
 都内の、とあるコンビニエンスストアである。
 働き始めてから1週間で、葵は見切りをつけられていた。
「……明日から、来なくていいと……そういう事ですよね」
「お前、いい奴だけど接客には向いてないからなあ」
 店長が、溜め息をついた。
「まだ20歳なんだし、色々やってみれば向いてる仕事も見つかるよ」
「……はい……」
 一方的な解雇処分に抗える法律が、もしかしたらあるかも知れない。が、そこまでしようという気が葵にはなかった。この1週間、自分がどれだけこの店に迷惑をかけてきたのかは、思い知っているつもりだ。
 頭を下げて、店を出た。
 アルバイトを、始めては使い物にならず辞めてゆく。音大を中退してから、ずっとそんな調子である。
 金に困っているわけではない。両親が、仕送りを続けてくれている。
 息子を、厄介者として扱ってきた。その後ろめたさを、経済的負担でごまかしている。あの両親には、そういうところがあった。
 それで生活が助かっている自分に、何か言う資格はない、と葵は思っている。
(……厄介者だったのは事実……だし、な)
 何にせよ、次のアルバイトを見つけなければならない。
 あてが全くない、わけではなかった。
 とある店から、誘いの電話をもらったのだ。
 怪しげな壺やら水晶球やらを売りつけたり、占いやサイコセラピーで客を騙したりと、そういった類の店であるらしいが、葵は詳しい事を知らない。
 電話をくれたのは、若い女性だった。
 綺麗な声の中に、しかし葵は、おぞましく禍々しい『音』を確かに聞き取った。
 虚無の境界とか名乗っていた、あの男たちも、同じような音を発していたものだ。
「……虚無の境界……か」
 葵を売り出してくれる、と言っていた彼らが、まだそれを諦めていないという事か。
 その『虚無の境界』と敵対しているらしい、あの緑眼の青年の事を、葵はどうしても思い出してしまう。
 もう1度、会ってみたい。
 そんな事を思いながら葵は、ふっ……と己を嘲笑した。
「……会って、どうするんだよ」
 殴られ、刺されてまで、自分を助けてくれた。その礼を、まだ言っていない。
 会いたい理由を探すとしたら、そんなところであろうか。

「不適材不適所……って奴だろう、これは」
 マスクの内側で、フェイトはぼやいた。
 頭にニット帽、顔にはサングラスとマスク、身体にはロングコート。
 どこからどう見ても不審人物である。
 変装と言われて思いつく格好が、フェイトには、これしかなかったのだ。
 IO2エージェントという身分を隠しつつ、八瀬葵を護衛する。その任務は、まだ続いている。
 変装の得意な知り合いが、1人いる。こういう任務は本来、あの男に回すべきなのだ。
 雑誌を立ち読みしつつフェイトは、ちらりと視線を動かした。
 バックルームの方から、八瀬葵が出て来たところである。
 レジの店員に軽く頭を下げ、とぼとぼと店を出てゆく彼を、フェイトはサングラス越しに見送った。
 どうやら、解雇を告げられたようである。
(俺もまあ、人の事言えたもんじゃないけど……)
 客と対話をしなければならないような仕事は、彼には向いていないだろう、とフェイトは思う。
 思いながら、店を出る。
 葵の後ろ姿を見失わぬよう、追い付いてしまわぬよう、歩き出す。
(バイト探しもいいけど……歌、歌うべきだと思うよ。あんたは)
 葵の背中に、フェイトは心の中から語りかけた。
 削除されてしまった歌が、脳裏に甦って来る。
 健気な祝福の言葉で、悲しい未練を包み隠した歌。
 その未練が、フェイトの心を打った。
 打たれ過ぎて、心が壊れてしまった男女もいる。男は死に、女は廃人となった。
 力を秘めた、歌なのだ。
 魔力や超能力の類とは似て非なる、歌そのものの力。
 その力を、八瀬葵本人は忌み嫌っている。実際に犠牲者が出てしまったのだから、当然ではある。
 立ち直って歌え、などと軽々しく言える事ではなかった。
(だけど、あんたは……自分の歌と向き合わなきゃいけない、と俺は思う)
 思いながら、フェイトは苦笑した。
 同じような事を、アメリカでは大いに言い聞かされたものだ。
 尾行者に気付かぬまま、葵は立ち止まっていた。店舗と思われる、建物の前でだ。
 アンティークショップを経営している女性が、フェイトの知り合いにいる。あの店と、雰囲気は似ている。
 禍々しさは、こちらの方が上だ。
 フェイトも思わず、立ち止まっていた。
 店名を確認しつつ、葵が店の中へ入って行く。
 アルバイトの面接、であろうか。
 接客の仕事なら、また長続きしないだろう、とフェイトは思った。

「ようこそ。貴方を待っていたのよ、八瀬葵さん」
 店長、と呼ぶには若過ぎる女性である。高校生くらいの女の子にしか見えない。
 凹凸の控え目な身体で、喪服のような黒い女性用スーツをきっちり着こなした美少女。
 その美貌の中で、左右の瞳が、赤く炯々と輝いている。
 誰かに似ている、と葵はまず思った。
「お誘いを受けていただけたもの、と解釈するわよ……私たち『虚無の境界』によるプロデュースを、受けていただけると」
「……やっぱり、あんた方か」
 真紅に輝く瞳を、葵はぼんやりと見つめ返した。
 この赤色を緑色に変えれば、あの青年の顔になるのではないか。
「……プロデュースって言うけど俺、歌なんて歌えないよ。心を壊したり、傷を治したり……そんなの、歌とは言わない」
 葵の言葉に、少女は応えなかった。ただ一言、呟いただけだ。
 人名、である。
 葵が、決して忘れてはならない名前であった。
「……何で……」
 かすれた悲鳴のような声を、葵は発していた。
「……あんたたちが、何で……あいつの名前を……」
「彼は今、刑務所にいるわ」
 冷然と、少女は告げた。
「小学校への入学が1年、遅れてしまった……そのせいで彼は、小学校でも中学校でも周囲に馴染めず、あらゆる事が上手くゆかず、高校へも行けぬまま犯罪に手を染めた……貴方の歌が、1人の犯罪者を生み出したのよ」
「……俺の……歌が……」
 心を打ちのめす衝撃。
 いっそ彼女のように心が壊れてしまえば楽になれる、と葵は思った。
「わかったでしょう八瀬葵。貴方の歌は、破滅をもたらすもの……逃げても無駄よ、受け入れなさい」
 真紅の瞳に映る己の顔を、葵は呆然と見つめた。
 まるで、血の海に沈みかけているかのようである。
「滅びのアーティストとして、デビューしなさい。貴方が歩むべき道は、それしかないのだから」
「それを決めるのは、あんた方じゃあないんだよ」
 声がした。
 緑眼の青年が、店内に踏み込んで来たところである。堂々たる不法侵入だ。
「自分の道を決めるのは葵さん、あんた自身だ。こんな連中の言葉に耳を貸す事はない。さ、帰ろう」
 緑眼の青年が、葵の腕を掴んだ。
 強い力だった。
 体格はさほど違わないように見えるが、音大中退者などとは、明らかに鍛え方が違う。
「……お久しぶりね、フェイト」
 少女が、親しげに微笑む。
「アメリカでの御活躍、楽しませてもらったわよ……また会えて嬉しいわ」
「別にあんたに会いに来たわけじゃないが、まあ来たのが俺で良かったな」
 フェイトというのは無論、本名ではないだろう。とにかく、そう呼ばれた青年が言った。
「もし彼女だったら、あんた問答無用で叩き斬られているところだぞ」
「あの子とも、それに貴方とも、殺し合うつもりはないわ。今はまだ、ね」
 真紅とエメラルドグリーン、2色の眼光が静かにぶつかり合う。
「八瀬葵、私は貴方を無理矢理に引き込むような事はしないわ。そんな必要もなく貴方はいずれ、己の意思で終末のアーティストとなる……それが、貴方の決める自分の道よ」

「虚無の境界関係の店だって、知ってたんだろ? 何で自分から捕まりに行くような事を」
 フェイトは言った。いささか説教じみた口調になってしまう。
「……あんたに、もう1度……会ってみたかったから……」
 俯いたまま、葵は答えた。
「……俺、どうすればいいのかな……なんて、あんたに訊く事じゃないとは思うけど……」
 自分の歌から逃げるな、向き合え。
 その言葉を、フェイトは飲み込んだ。
 自分の力と正面から向き合う。それが出来ているのかどうか、フェイト自身では判断が出来ないからだ。
(他の人に押し付ける……しか、ないのかな)
 頭を掻きながら、フェイトは言った。
「……バイト、探してるんだろ? 紹介するよ。俺の知り合いで、新しく喫茶店開く人がいるんだけど」
「……何でもいい、やってみるよ。どうせ、すぐクビになるだろうけど……」
「言っとくけど、めちゃくちゃ厳しいからな。その人」
 葵の弱々しい言葉を、フェイトは遮った。
「どんなに辛くたって……クビになんか、してくれないぞ」

カテゴリー: 02フェイト, その他(コラボ・小湊WR), 八瀬・葵, 小湊拓也WR(フェイト編) |

アムドゥキアス

何かを作り出して顕示したい、という欲求は、人間誰もが多かれ少なかれ秘めているものだ。
 八瀬葵は、そう思っている。
 それが人によって、文章であったり絵画であったり、小説であったり漫画であったりする。
 葵の場合は、音楽であった。歌であった。
 音大での成績は、可もなく不可もなくといったところだった。葵の音楽を、講師や教授たちはあまり高く評価してはくれなかった。
 評価してくれたのは、ある同級生の女の子である。
 君の歌は凄いよ、何て言うか魂が震える。彼女は、そう言ってくれた。
 誉めてくれたから、というわけでもないが、彼女とは親しくなれた。
 葵自身は、そう思っていたのだが。
「……舞い上がってた、だけだよな……俺」
 アッシュグレイの髪。女性的な白い肌に、ほっそりとした身体。
 そんな青年が、こうして陸橋の上に佇み、手すりに両肘を乗せている様は、これから自殺をしようとしている人間に見えなくもない。
 オレンジ色に近い茶色の瞳を、葵は眼下の車道に向けた。自動車の行き交う様を、じっと見下ろした。
 あの中に飛び込めば、ほぼ間違いなく死ねるだろう。
 彼女は葵の、音楽は高く評価してくれた。だが男としては、あまり良い点数をくれなかったようである。
 彼女の心を射止めたのは、葵の唯一と言っていい親友である男子学生だった。
 学内公認のカップルとなって幸せそうに、本当に幸せそうにしている2人を見ているうちに、葵は曲を書かずにはいられなくなった。歌詞を書かずにはいられなくなった。
 込み上げるものを吐き出すように完成させた、その歌を、歌わずにはいられなかった。
 ここが表現者という人種の、救い難いところである。
 人に聞かせるようなものではない、と頭ではわかっていた。自分1人の思いなど、自分1人の心の内に封じ留めておくべきなのだとも。
 わかっていながら葵は、自慰行為にも等しいその歌を、動画共有サイトに投稿してしまったのである。
 再生回数が思いのほか伸びた、とは言え十把一絡げな自己満足的創作物の1つとして埋もれてゆくしかないであろう……
 と思われたその歌を、今日も彼女は口ずさんでいた。
 病院の庭で車椅子に乗り、ぼんやりと遠くを見つめながら。
 あの歌を、口ずさむ。それ以外、彼女は言葉を発する事が出来なくなってしまったのだ。
 曲を投稿したなどと葵は当然、誰にも話してはいない。
 どうにか知り得て、面白半分に視聴してみたのか。あるいは偶然、耳にしたのか。
 それは定かではないが、とにかく彼女は、あの歌を聴いた。恋人である男子学生と一緒に。
 そして2人は、ビルの屋上から飛び降りた。
 葵の親友でもあった男子学生は、即死。
 彼女の方は、奇跡的に一命を取り留めたものの半ば植物人間で、目は開いていても意識は無いに等しく、ただ車椅子に乗ったまま、あの歌を口ずさむだけの日々を過ごす事となった。
 自分の歌が、2人の心を壊した。何もかもを、壊してしまったのだ。
 葵は、ちらりと周囲を見回した。
 いつの間にか、取り囲まれている。
 黒い服を来た男が5人。陸橋の上で、葵を手すりに追い詰める形に立っていた。
 1人が、スマートフォンを掲げている。
 葵がとうの昔に削除したはずの楽曲が、再生されていた。
「ネットの海から完全に消し去る事など、出来はしませんよ……まして、人の心に響いてしまった曲です。人の心から消し去る事も、出来ません」
 男が言った。
「音大は、中退なさったのですね。おかげで貴方を捜すのは一苦労でしたよ、八瀬葵さん」
「……そう、一苦労したんだ。俺なんかを捜すのに」
 自分の歌声を聴かされながら、葵は言った。
「……じゃあ、話くらいは聞くべきなのかな」
「我々は、貴方をプロデュースしたい」
 プロデュース。その言葉に、かつては大いに憧れていたものだ。
 自分の音楽を、誰かに売り出してもらえる。見果てぬ夢であった。
「貴方の音楽は素晴らしい。人の心を、魂を揺さぶる……人々が貴方の曲にお金を払う。その環境を、我々は整える事が出来る」
「……簡単に言うね。まず見てもらえない、読んでもらえない、聴いてもらえない。創作物を発表するってのは、そういう事」
 葵は言った。
「……俺だって、そのくらいは知ってる。まして、人が金を払うなんて」
「売り出しさえすれば、大いに売れる。貴方の音楽には、手間と費用をかけて売り出すだけの価値がある」
 男の口調が、熱を帯びる。
 少し前の自分であれば、大いに喜び舞い上がっていただろう、と葵は思った。この男たちに、自分の全てを委ねてしまっていたに違いない。彼らに自分を騙す意図があったとしてもだ。
「ち、ちょっと待ったあ!」
 声をかけられた。いくらか上擦った、若い男の声。
「焦っちゃ駄目だ、騙されちゃ駄目だ! あんたなら、こんな奴らに頼らなくたって、もっとちゃんとした芸能プロでデビュー出来る!」
 黒いスーツに身を包んだ、見たところ葵を取り囲む5名に劣らず怪しげな青年である。
 特に怪しいのは、その両眼だ。
 カラーコンタクトの類では有り得ない自然な輝きを放つ、緑色の瞳。
 エメラルドグリーンの眼光が、じっと葵に向けられている。
「さあ、早く逃げるんだ。こんな奴らと関わり合っちゃ駄目だよ」
「……誰?」
 葵は、まず問いかけた。
「……俺を、ええと助けてくれようとしてるのかな? 何で?」
「俺、あんたの……ええと、ファンだから」
「ファン、っつうかストーカーだろテメエこら」
 黒服の男の1人が、青年の腹に膝を叩き込んだ。
 緑眼の若者が、苦しげに身を折り、悲鳴を吐く。
 そこへ他の男たちが、容赦なく蹴りや拳を降らせてゆく。
「いきなり出て来て、勝手な事ぬかしてんじゃねえぞ!」
「ちゃんとした芸能プロなんてのが、この世にあるワケねーだろぉがああ!? どこも枕営業しかしてねえんだからよォー」
「俺たちゃ奴らとは違う! 本物のアーティストを売り出そうとしてんだよ! クソったれな人類を霊的進化に導く、終末のアーティストをなあ!」
「邪魔すんとテメーから滅ぼすぞ? 大いなる滅びの前祝いによぉお」
(……頭おかしい奴ってのは、俺だけだと思ってたけど)
 大いなる滅びだの終末のアーティストだの霊的進化だのといった単語を平然と口にしながら、暴力を振るう男たち。
 葵は、笑うしかなかった。
(……俺の音楽を認めてくれるのは、こんな連中だけ……か)
「な、何してる! 早く逃げろったら!」
 緑眼の若者が、叫ぶ。
 叫ぶ口元に、男の1人が蹴りを入れる。
 鼻血か、それとも唇を切ったのか、とにかく赤い飛沫が痛々しく飛び散った。
「……やめろよ」
 自分が何をしようとしているのか、よくわからぬまま葵は言った。
「……あんた方と、一緒に行く。だから俺のファンに暴力振るうのは、やめてもらおうか」
 自分はもしや、人助けをしようとしているのか。自分のファンを名乗る、この珍妙な若者を、助けてやろうとしているのか。
 葵は、俯き加減に苦笑した。
(……俺のファン、なわけないだろ? まったく……)
「何……言ってんだよ……早く、逃げろったら……」
 男たちに蹴り転がされ、顔面を踏み付けられながら、緑眼の若者は呻いた。
「こいつらは、あんたの歌を……あんたの、力を……利用しようとしてる、だけなんだぞ……」
「……力ね。俺の歌ってのは、なるほど力なわけだ」
 聴いた者の、心を壊す歌。確かに、禍々しい力としか思えない。
「……それはともかく、あんたもやめろよ……自分を犠牲にして他人に逃げろとか、好きじゃないんだよ俺そういうの」
「別に……好かれたい、わけじゃないんだけどなっ」
 緑眼の青年が、立ち上がった。
 暴力を振るっていた男たちが1人、2人と倒れてゆく。まるで青年の周囲に見えない壁があって、そこに激突しているかのように。
 壁、ではなかった。
 緑眼の若者の、拳、手刀、蹴り。
 それら攻撃が、葵の動体視力では追えない速度で、男たちを叩きのめしているのだ。
「……何だ、強いんじゃないか」
 葵は、とりあえず感心した。
「……あんた、いくつも嘘ついてるな。弱いふりしてボコられてたのもそうだし、俺のファンってのも嘘だろ」
「世の中には、どうも2種類の人間がいる」
 倒れ、動かなくなった男5人を見回しながら、緑眼の若者は鼻血を拭った。
「逃げろと言われて逃げる奴と、逃げない奴だ……あんたが前者なら、話は早かったんだけど」

 都内で、一組の男女が飛び降り自殺を決行した。心中である。
 男は死に、女は一命を取り留めたが、肉体も精神も破壊された状態だ。
 精神の方は、飛び降りる前からすでに破壊されていた。それがIO2の見解である。
 心中の直前、2人は、とある動画を視聴していたようだ。
 何者かが動画共有サイトに投稿した、歌。
 思いを寄せていた女の子が、自分以外の男と結ばれた。それを祝福する内容の歌詞だった。
 所々に、未練を捨てきれない自分が登場する。
 初めて聴いた時、これは祝福ではなく未練を歌ったものなのだとフェイトは思った。
 哀切なほどの未練を宿した、歌声。
 そこにフェイトは、得体の知れぬ力を感じた。
 その力に、虚無の境界が目をつけたのだ。
「……ごめん。確かに、あんたのファンってのは嘘だ」
 この歌の歌い手を、虚無の境界から護衛する。
 それが今回、IO2から与えられた、フェイトの任務である。
「ひどい嘘、ついたと思ってる……本当に、ごめん」
「……歌1つ投稿しただけで、ファンが付くわけないもんな」
 八瀬葵が、微笑んだ。
「……何で、弱いふりを?」
「素性を隠して、あんたを護衛するつもりだった」
 彼の歌を初めて聴いた時、フェイトがまず感じたのが、危うさだった。
 虚無の境界と同調しかねない、危うさ。
「事情を明らかにしたら、あんた自分の意思で虚無の境界に行っちゃうかも知れないと思ったから……まあ事情を話さなくても、そうなっちゃうとこだったけど」
「……虚無の境界、って言うのか。こいつら」
 倒れている男たちを、葵が見下ろす。黒服を着た、4人の男。
 いや、5人いたはずだ。
 フェイトがそう思った時には、すでに遅い。
「くっ……!」
 脇腹の辺りに熱い痛みを感じながら、フェイトは跳び退った。
 そして陸橋の手すりに激突し、ずり落ちるように膝を折る。
 黒いスーツが、血でぐっしょりと重くなっていた。
「IO2の犬が……てめえらに邪魔はさせねえ!」
 男の1人が立ち上がり、ナイフを構えている。
 フェイトの血で汚れた刃が、そのまま葵に向けられた。
「心配すんな、ちゃんとデビューさせてやっから……虚無と滅びのアイドルとしてなぁああ」
「黙れ……!」
 立ち上がれぬまま、フェイトは男を睨み据えた。
 エメラルドグリーンの眼光が、迸った。
 目に見えぬ鈍器にでも殴られたかのように、男がその場に倒れ、今度こそ動かなくなった。
 フェイトも、動けなかった。
 出血が激しい。念動力を、無理に絞り出したせいであろうか。
 痛みは、あまり感じない。もしかして自分は死にかけているのか、とフェイトは思った。
 ……いや違う。傷が、抉られた肉の内部から、塞がりつつあった。
 塞がりゆく傷口から、痛みそのものが搾り出されてゆく感じだ。
 歌が、聞こえた。
 葵の形良い唇から紡ぎ出され、微風のように漂う歌声。
 その歌が、フェイトの身体を癒してゆく。
「あんた……!」
 思わず礼を言うのも忘れて、フェイトは立ち上がっていた。
 傷など、最初から負わなかったかのように消え失せている。
「凄い……! 凄いよ、あんたの歌……!」
「……歌じゃないよ、こんなのは」
 葵は背を向け、すでに歩き出していた。
「……人の心を壊したり、傷を治したり……そんなの、歌とは言わないだろ」
 同じだ、とフェイトは思った。
 この八瀬葵という若者は、自分と同じだ。望まぬ力を持ち、それに翻弄されている。
「……俺はただ、歌を歌いたかった……だけなんだけどなぁ……」
 葵の背中を、フェイトは無言で見送った。
 同じとは言え、軽々しくアドバイスしてやれる事など何もなかった。

カテゴリー: 02フェイト, その他(コラボ・小湊WR), 八瀬・葵, 小湊拓也WR(フェイト編) |

イケメンハンター、破滅との出会い

「君、ちょっと」
 声をかけられた。
 ナンパ、ではない。そこに立っていたのは、厳つい2人組の警官である。
「さっきから何やってるのかな。この辺、路上勧誘は禁止って事になってるんだけど」
「えっ……と、ただのビラ配りなんですけどぉ、駄目?」
 とりあえずビラを手渡しながらレイチェルは、上目遣いの眼差しを作って見せた。
 容姿には、いささか自信がある。少なくとも外見は、10代後半の美少女だ。
 こうして哀願の目で見つめると、大抵の男は思い通りに動いてくれる。
 だが、日本の警察官は謹厳であった。
「レイチェル・ナイトの……お手軽お気楽懺悔サービス? おい風俗じゃないのか、これは」
「君、年齢は? 高校生くらいに見えるんだけど、学校はどうしたの」
 警官が、レイチェルの格好をじろりと観察する。
 禁欲的な修道服に、ぴったりと瑞々しく浮かんだボディライン。
 ベールから溢れ出し、しなやかな背中を撫でるように伸びた髪は、きらきらと艶やかな黄金色だ。
 修道服の裾には際どいスリットが入り、形良く膨らみ締まった太股がチラリと露出している。
 確かに、風俗業関係者に見えない事もない。
「あ、あたしJKでも風俗嬢でもありませんから! こう見えても本職のシスターなんですよう。年齢は」
 レイチェルはとっさに、283年ほど鯖を読んだ。
「……17歳です。べっ別に17歳教に入ってるわけじゃないですよ!? こちとらバリバリのカトリック教徒ですから、ええ」
「17歳だろうが何歳だろうが、こんな白昼堂々、いかがわしい客引きをやられちゃ困るんだけどね」
 警官が、受け取ったビラを睨みながら言う。
「この懺悔サービスってのは何。どういう事やってるわけ?」
「んっふふふふ、よくぞ訊いて下さいました」
 レイチェルは、警察を相手に営業を始めた。
「レイチェル・ナイトのお手軽お気楽懺悔サービス! 罪に苦しむ貴方の心、優しく優しくお救い申し上げまぁす。救われない心に潜む魔物退治に悪霊討伐その他、聖なるお仕事いくらでも承っておりまぁす♪ 金縛りレベルの霊障から魔王クラスの悪魔払いまで! あと聖痕が出ちゃったり、首が180度回転しちゃったり、何か自動書記が止まんなくなっちゃったり、コックリさんやエンジェル様が帰ってくれなくなっちゃったりでお困りの方! まずは、こちらの電話番号かメールアドレスまで御連絡を。あ、ちなみにこの連絡先はお仕事用。プライベートのアドレスはヒ・ミ・ツ♪」
「……まあ何でもいいけど、適当に切り上げて早めに家へ帰りなさい」
 警官たちはレイチェルを、頭のかわいそうな娘だと思ってしまったのかも知れない。
「この辺は最近、危ないんだから。聞いた事くらいあるだろう? 君くらいの女の子が……何人も、行方不明になってるんだ」
「そうそう。あんまり親御さんに心配かけるんじゃないよ」
(心配してくれる親なんて……もう、いないんだけどなぁ)
 生みの両親など、顔も名前も覚えてはいない。
 レイチェルの親であり先生であり、そういった言葉では表せないほど、かけがえのない存在であった人物……それは、1人の神父である。
 声に出して、語る事ではなかった。
「……悪魔払い、やってるんだって?」
 警官2人が立ち去るのを見計らったかのように、男が1人、話しかけてきた。
 臭い、とレイチェルは思った。人間ではないものの臭いだ。
「じゃあ、あんたにお願いするしかねえのかな……バケモノが出た、なぁんて言ってもよ、誰も信じてくんねぇし」
「バケモノ退治の御用ですかぁ? はい、承っておりますよぉ」
 仕事である。とは言え、この男から金を取る事は出来ないだろう、とレイチェルは思った。
 この男から取れるのは、命だけだ。

 男に連れられるまま、路地裏まで来てしまった。
「あのぉ……そろそろ、教えていただけません?」
 レイチェルが声をかけると、男は立ち止まった。
「バケモノが、どこにいるのか……って事かい?」
「バケモノなら、もう見つけちゃいました」
 ころころと笑いながら、レイチェルは男を睨んだ。
「あたしが知りたいのはねぇ……アンタが今まで、何人殺してきたのかって事」
「……おめぇで5人目だよコスプレシスターちゃん。ちょうどジャック・ザ・リパーと同じ数だぜぇー」
 男が、笑いながら振り返る。
 人間の笑顔、ではなかった。
 迫り出した顔面は、大きく口を裂いて牙を剥き、細長い舌を嫌らしくうねらせている。爬虫類……蛇の、顔面であった。
「1人目の女ぁ不味かったなァー。見た目はそこそこ可愛いのに薬キメてやがってよぉ。血もハラワタも臭えの何のって」
 男の全身で、服が破けた。露わになった皮膚は、もはや人間のそれではなく、ぬるりとした爬虫類の外皮である。
 そんな全身あちこちから、何匹もの蛇が、人体を食い破った寄生虫の如く生え伸びている。
「2人目はそこそこ美味かった。ドラッグにも男にも縁のねえ、いわゆる処女の生き血ってぇ奴を堪能させてもらったぜぇえ。ただ惜しむらくはブサイク! なるほど、こりゃあ男と縁ねえわってぇツラがよォー、白目剥いてゲエゲエ血ィ吐いて泣き喚いてるザマはよぉおおお、ちょっとしたギャグだったぜええ」
「……八岐大蛇の、末裔? 眷属? みたいなものね」
 レイチェルは分析した。
 女を生贄として喰らう怪物。その女好きの性分を特に色濃く受け継いでしまった男が、全身から蛇を生やし、レイチェルに向かってうねらせている。
「3人目はネットで探してみた。出会い系とかにホイホイ引っかかりやがってよぉ、ムカついたから会って即ブチ殺してやった。こーゆう場合ってよォ、女の方が悪いよなあ? なあ? なあ?」
 レイチェルは答えなかった。
 男は、さらに喚き立てる。
「4人目は、ちょいと趣向を変えて子連れの人妻よ。ガキ1匹産んだカラダだけどよォ、これが一番美味かったなァー。柔らかくて、しっとり程良く脂っこくて……ガキの方には逃げられちまった。これがまた美味そうなJYでなあ。おっ母さんが自分を犠牲にして逃がしたのよ。泣かせんだろ? 俺ぁその立派なママンを、誠意と敬意を込めて喰っちまったぁ美味かったァーげへへへ。いずれ嬢ちゃんの方も親子丼でいただくとして」
 男の全身から生えた蛇たちが、一斉に伸びてレイチェルを襲う。
「とりあえずオメエだよコスプレシスターちゃん! 綺麗な肌ぁしてんなああ、血もハラワタも美味ぇえんだろーなああああああ!」
「そう……コスプレ風俗、って思われてるわけね。あたしってば」
 形良く修道服を膨らませた胸元に、レイチェルは片手を当てた。そして、ロザリオを握り込む。
 その時、銃声が轟いた。
 レイチェルを狙い、空中あちこちで牙を剥いていた蛇たちが、片っ端から砕けちぎれる。
「ぎゃ……あ……ッが……っっ!」
 八岐大蛇の系譜に連なる怪物が、悲鳴を漏らし、よろめいて尻餅をつく。
 レイチェルは、まだ何もしていない。
 何者かが、横合いから拳銃をぶっ放してきたのだ。
「ちょっと……邪魔しないでよ!」
 ロザリオを握り締めたまま、レイチェルは怒鳴った。
「そりゃあ確かに、お金取れる仕事じゃないけど。でも、あたしの獲物なのは間違いないわけで!」
「悪いけど横取りさせてもらう。そいつは、俺の獲物でもあるんだ」
 黒い人影が、そこに立っていた。
 髪は黒、身にまとうスーツも黒。
 黒色の中で、エメラルドグリーンの眼光が点る。
「依頼を受けたんだ……お母さんの仇を討って、とね」
 若い男だった。20歳を少し過ぎた辺り、であろうか。
 それにしては顔つきが、いくらか幼い。童顔と言ってもいいだろう。
(っと……可愛い系のイケメン……)
 レイチェルは思わず、そんな声を出してしまうところだった。
 可愛らしい、とさえ言える容貌の中で、しかし両眼が炯々と光を燃やしている。
 緑色に輝く瞳。
 そのエメラルドグリーンは、闘志の色であり、怒りの色であった。
 間違いない、とレイチェルは思った。この若者は今、激怒している。
 女性を餌食とする輩が、許せないのだろう。それが怪物であろうと、人間の犯罪者であろうと。
「その子は、自分を責めている……自分1人、逃げてしまった。お母さんを見殺しにした。そんなふうにね」
 怪物に拳銃を向けたまま、緑眼の青年は言った。
「慰めてあげる事なんて、俺には出来ない……出来る事があるとすれば、これだけだ」
「ぐぅ……て……てめえ……」
 怪物が、呻きを漏らす。
「いいと思ってんのか……日本の街中で、拳銃なんざぁ」
「……そうだな、ここは日本だ。最近あんまり、銃刀法が仕事してないみたいだけど」
 言いながら青年が、スーツの内側に拳銃をしまい込む。
「じゃあ、日本流のやり方でいこうか」
「なめた口きいてんじゃねええ! 男はただブチ殺す!」
 怪物が、緑眼の青年に襲いかかる。
 人型の爬虫類と化した、その肉体が、へし曲がった。
 腹部に、青年の片膝がめり込んでいる。
「俺、仕事でインドに行った事あるんだけど」
 淡々と語りながら青年が、怪物の後頭部に肘を叩き込んだ。
「そこに、お前みたいな奴がいてさ。俺、こんなふうに叩きのめしてやったんだ。殺すつもりじゃなかったけど、そいつ死んじゃったよ」
 悲鳴を上げる怪物に、青年の拳が、肘打ちや手刀が、蹴りが、淡々と打ち込まれてゆく。
 本格的な戦闘訓練を受けた者の動きである。いや、それだけではない。
 青年の拳に、蹴りに、恐らくは念動力の類が宿っている。それをレイチェルは感じ取った。
「お前みたいな奴を見ると、俺……本当に、止まらなくなっちゃうんだ。良くないところだとは思ってる」
 大柄ではない、むしろ細身の青年である。
 その黒いスーツの下では、しかし無駄なくスリムに鍛え込まれた筋肉が、今は戦闘的に荒々しく躍動しているに違いない。
「レイチェルが命ずる……」
 握り締めたロザリオに、レイチェルはそっと唇を寄せた。
「汝……悪を討つ、剣となれ……」
 ロザリオが光を発した。
 聖なる白い光の中で、十字架部分が鋭く巨大化し、剣と化す。細身のレイピアである。
 それをレイチェルは、緑眼の青年に向かって構えた。
「大丈夫……服、切り刻んであげるだけだからぁ……綺麗で細マッチョな、イケメンの裸……って何やってんの! あたしはぁああああああッッ!」
 レイチェルは、ビルの外壁にガンガンと頭突きをした。
 そんな事をしている場合ではなかった。
「調子こいてんじゃねええええええええ!」
 怪物の肉体が、怒号に合わせて膨れ上がった。辛うじて保たれていた人型が、失われた。
 大蛇が、そこに出現していた。
 八岐大蛇の眷属たる者の、真の姿。牛馬をも一飲みしてしまえるであろう大口が、緑眼の青年に迫る。
 半ば跳躍に近い形に、レイチェルは踏み込んでいた。修道服の裾が割れ、美しく鍛え込まれた太股がムッチリと暴れ出す。
 それと同時に、無数の閃光が走った。
 聖なるレイピアが、縦横無尽に閃いていた。
「散滅しなさい、あたしの煩悩……っと、いけないいけない。カトリックなのに仏教用語とか使っちゃった」
 切り刻まれた大蛇の肉片が、飛び散りながら干涸び、崩れてゆく。
 緑眼の青年が、小さく息をついた。
「ただ者じゃあない、とは最初から思ってたよ……獲物の横取り、出来なかったな」
「2人で力合わせて戦った、って事でいいんじゃない? ねえイケメン君」
 レイチェルは、青年に擦り寄って行った。
「あたしは懺悔請負人のレイチェル・ナイト。通りすがりイケメンヒーロー君、あなたのお名前は?」
「IO2関係者、とだけ言っておく。懺悔請負人……あんたの力、大したものだよ」
 擦り寄るレイチェルを、青年はさりげなくかわした。
「あんたが何かやらかしたら、IO2が動かなきゃいけなくなるかも……それだけは、気をつけて欲しいな」
「あたしが何かやらかしたら……じゃあ、もう1度あなたに会えるかも知れないって事?」
 青年は何も答えず、歩み去った。
 聞こえなかったのか、聞こえないふりをしているのかは、わからなかった。

カテゴリー: 02フェイト, レイチェル・ナイト, 小湊拓也WR(フェイト編) |

イケメンハンター・聖剣の舞い

この年まで生きて、ようやく知った事がある。
 人間の肉が意外に美味い、という事だ。少なくともゴキブリや野良猫よりは、ずっとマシだ。
「脂ばっかり出てきやがる……ぶくぶく肥りやがって、いいもん食ってやがんなああ。わしが飢え死にしかけてるってのによぉおお」
 このような一軒家に住んでいる、というだけで生活保護は不要と判断され、打ち切られた。
 再び申請したところ、区役所の人間が来て、横柄な口をきいた。
 だから、食い殺してやったのだ。
「いいさ……もう金なんざぁ要らねえ……」
 脂まみれの肉を咀嚼しながら、老人はニタリと牙を剥いた。
「わしゃあ人間を喰らった……人間よりも、上の生きもんに成ったって事よ……虫ケラみてえな人間どもぉ餌にして、あと百年でも千年でも生きてやっからよぉおお」

「レイチェル・ナイトのお手軽お気楽懺悔サービス! 罪に苦しむ貴方の心、優しく優しくお救い申し上げまぁす。救われない心に潜む魔物退治に悪霊討伐その他、聖なるお仕事いくらでも承っておりまぁす♪ よろしくどうぞー」
 凹凸の見事な身体に、ぴったりとフィットした修道服。ベールから艶やかに溢れ出して背中を撫でる金髪。
 愛らしい美貌は、真紅の瞳をにっこりと細めて微笑み、通行人に愛想を振りまいている。
 そんな美少女が、口上とほぼ同じ内容のビラを配っているのだ。
 男たちが寄って来るのは、当然であった。
「おっお姉さんよぉ、俺も懺悔してえよ。俺のこの、いけない下半身をよォ。優しく優しくお救い申し上げてくれよおお」
「俺の下半身に棲んでる邪悪なバケモノをよぉ、優しく退治してくれよシスター」
「あっはははは、だから風俗じゃないっつぅううの」
 修道服の裾が割れ、すらりと形良い脚が跳ね上がって、様々な蹴りの形に躍動した。回し蹴り、踵落とし、膝蹴りに喧嘩キック。
 蹴り倒され、鼻血を噴いて悶絶している男たちの身体を、レイチェルはげしげしと踏みにじった。
「ったく……寄って来る男は、こんなのばっかし。漫画みたいなイケメンなんて、いないもんよねえ。あいつら嘘ばっか描いてるよねええ」
「あの」
 声がした。
 小さな男の子が1人、そこに立っていた。6歳か7歳、くらいであろうか。
「お姉さん、バケモノ退治してくれるの……?」
 可愛い事は可愛い。だが男の子という生き物は、成長すればあっという間に可愛げを失ってしまう。20歳を過ぎても可愛さを保っていられる男は稀である。
 この子がどうであるかは、わからない。
 明らかなのは、ビラに記載されている依頼料を、こんな幼い少年に払えるわけがないという事である。家が金持ちではないのも、見ればわかる。
「ぼ、僕の友達が……」
「はい、また10年後にいらっしゃいな」
 レイチェルは身を屈め、目の高さを合わせながら、男の子の頭を撫でた。
「君がね、可愛いイケメン君に育ってたら、お話聞いてあげるから……はいレイチェルのお気楽お手軽懺悔サービス、歳末特別割引実施中でぇす」
「僕の友達が、殺されちゃう!」
 歩み去ろうとするレイチェルを、少年の必死の叫びが呼び止める。
「お願いです……助けて、ください……」

 男の子のたどたどしい説明を、どうにか要約してみた。
 ゴミ屋敷として有名な廃屋同然の建物があり、彼はそこに友達と2人で探検に入ったのだという。
 廃屋と思われていたゴミ屋敷に、しかし人が住んでいた。いや、それは人ではなかった。
 怪物としか思えないものに友達は捕われ、自分は1人で逃げ出してしまった。
 そう泣きじゃくる少年をなだめながら、レイチェルは結局、こんな所まで来てしまった。道路にまで溢れ出した様々なゴミを踏破し、廃屋の中へと踏み込んだところである。
「こういう所、つい探検したくなっちゃうのが男の子って生き物なのかしらねえ」
「ご、ごめんなさい……」
 うっかり転んでゴミに埋もれてしまった男の子が、泣きながらじたばたと暴れている。
 助けてやろうとしながら、レイチェルは発見してしまった。先に助けてやらなければならないものを。
 繭、のように見える。大量の糸で、棺桶の形に包み込まれた何か。
 どう見ても中身は人間、としか思えないそれらが5つ、部屋の隅に固められている。
「誰じゃあい……わしの家に無断で入り込んで来る奴はよおぉ……」
 声がした。禍々しい気配のようなものを、レイチェルは先程から感じてはいた。
 その気配の主が、天井に貼り付いている。
 巨大なイモムシ、である。その全身で、無数の人面が蠢き、様々なおぞましい表情を浮かべている。
 老人のものと思われる醜悪な顔面が無数、寄り集まって融合し、巨大な蟲の形を成しているのだ。
 それが、全身の口から言葉を発した。
「ここに入って来たって事ぁ、喰われてもイイッて事だよなぁあ。美味そうなお嬢ちゃんよォ」
「……たまぁーに、いるのよねえ。人生行き詰まってトチ狂った挙げ句、人間やめちゃう奴が」
 言いつつレイチェルは、胸元のロザリオを手に取った。
「でもね、わかってる? 人間を殺したら人殺しになるけど……人間やめた奴を殺したって、バケモノ退治にしかならないって事」
 真紅の瞳が天井を見上げ、巨大な人面蟲を睨み据える。
「バケモノとして退治される……その覚悟があって人間やめてるんでしょうね? ブサメンのお爺ちゃん」
「退治する? お嬢ちゃんが、わしを? ゲッへへへへやってもらおーじゃねぇえええかあ!」
 人面の群れが、言葉と共に何かを吐いた。
 無数の、糸。
 降り注ぎ、生命あるものの如くうねって襲い来るそれらの真っただ中で、レイチェルは呟いた。
「レイチェルが命じる……汝、悪を討つ剣となれ」
 可憐な唇が、言葉を紡ぎながらロザリオに触れる。
 十字架にキスをする少女の姿が、粘着質の糸の豪雨に呑み込まれる。
 光が、一閃した。
 幕を成す大量の糸が、ズタズタに切り裂かれて舞い散った。
「イケメンの吸血鬼とかだったらねえ……じっくりたっぷり可愛がってあげるとこだけど」
 先程までロザリオだったものを片手で揺らめかせながら、レイチェルは微笑んだ。
 揺らめく刀身を有する、それは細身の剣だった。レイピア、と分類される武器である。
「ブサメンの化け物は、とっとと切り刻んで始末するだけ……さ。かかってらっしゃい、お爺ちゃん。レイチェルのお手軽お気楽介護サービスで、死ぬほど気持ちよくさせてあげるわ」
「きっキモチ良くしてやろーじゃねえかお嬢ちゃんよォオオオオオオ!」
 人面蟲の巨体が、落下して来た。レイチェルは跳び退った。
 部屋が、ゴミ屋敷全体が、ズシィン……と揺れた。大量の埃が舞い上がる。
 それを蹴散らすように、人面の群れが襲いかかって来た。
 元々は1人の老人だったのであろう蟲の巨体から、いくつもの人面が、長い脊柱を引きずりながら伸びて来たのである。レイチェル1人に向かって牙を剥き、舌をうねらせ、絶叫しながら。
「しっしししししゃぶり尽くしてやるぜぇえ、その胸からケツからフトモモから何から何までよォー!」
「……おかしな感じに若返っちゃってるわねえ、お爺ちゃん」
 レイチェルは踏み込み、身を翻した。
 しなやかなボディラインが柔軟にねじれ、修道服の裾が割れて太股が瑞々しく躍動し、老人の牙や舌をかわしてゆく。
 格好良く丸みを保つ胸の膨らみが、嫌らしく群がる人面をかわしながら横殴りに揺れる。
 それと同時に、光の筋が無数、空間を奔った。
 聖なるレイピアが、縦横無尽に閃いていた。
「あたしの『血』を使うまでもなし……雑魚だったわね」
 呟くレイチェルの眼前で、揺れていた細身の刃がピタリと静止する。
 少女の周囲で、牙を剥いていた人面の群れが、縦に、横に、斜めに、裂けていった。あるいは眉間や口内に穴を穿たれ、そこから体液を噴きながら絶息してゆく。
 人面は全て、両断または貫通された頭蓋骨に変わり、崩れて消えた。
 蟲の巨体も消え失せ、そこには痩せ衰えた老人の屍が1つ残されていた。
 5つの繭のようなものたちも切り裂かれ、中身が姿を現しながら倒れ伏した。
 人間だった。男性が2人、女性が2人、そして子供が1人。依頼人である男の子の、友達であろう。
 全員、意識を失っているが、命に別状はない。
 ゴミに埋もれていた男の子が、ようやく這い出して来た。
「あ……ありがとう、お姉さん……でも僕、お金が……」
「言ったでしょ? 10年後にいらっしゃいって」
 ふわりと少年に背を向けながら、レイチェルは言った。
「可愛いイケメン君になって、あたしに貢ぎなさいな♪」
 半ばミイラ化した老人の屍が、残っている。この場にいたら、殺人犯にされてしまうかも知れない。
 早めに立ち去った方が、良さそうであった。

カテゴリー: 02フェイト, レイチェル・ナイト, 小湊拓也WR(フェイト編) |

だいふくころりん

「ふう……やれやれ」
 雨が降ってきたので、コンビニの軒下に避難したところである。
 ちらり、と店内を覗いてみる。天気のせいか客はおらず、店員も暇そうだ。
 暇なのは、フェイトも同じだった。
 出勤したはいいが任務もなく、戦闘訓練を一通り済ませた後、こうして街の中を見回っているところである。出歩いていると案外、IO2管轄と思われる厄介事に巡り会うものだ。
 お前はそういう体質だ、と上司に言われた事がある。
 それはともかく、傘くらいは買うべきか。あるいは店内で、少し雨宿りをさせてもらうか。
 微かな気配が、足元で動いた。
 フェイトが見下ろすと、大きな葉っぱが歩いていた。
 風で飛ばされているわけではない。歩いているのだ。
 白い、小さな生き物が、葉っぱを傘にしながら、フェイトの足元をとてとてと横断している。
 ネズミ、いやハムスターであろうか。それが小さな前足で葉っぱの傘を担ぎ、尻尾を立てて二足歩行をしているのだ。
「これは……ネズミは意外と頭がいいって話、たまに聞くけど」
「キミの目は、ふしあなかね」
 そんな事を言いながら白ネズミが、ちらりと傘を持ち上げてフェイトを見上げる。睨みつける。
「ぼくはネズミではなくハムスターでもなくチンチラなのだ。それよりキミ、てつだってくれたまえ。ヒマなんだろう? ものすごいヒマじんおーらがでているぞ」
「まあ……確かに忙しくはないけど」
 上司の言う事は正しいのかも知れない、とフェイトは思った。

 鼠浄土、という話がある。
 いわゆる「おむすびころりん」で、様々なバリエーションがあるものの「地の底のユートピアに住む鼠たちが、善人に福を、悪人には禍をもたらす」という基本的な筋立てに変化はない。
 ネガティブなイメージの強い生き物ではあるが、日本の神話や民間伝承においては、神の使いとして扱われる場合が多いのだ。
 ネズミは「根住み」、根の国すなわち異世界に住まう生き物である、という語源説もある。
 ここが神の住む異世界で、このネズミたちが神の使いであるのかどうか。それは、フェイトにはわからない。
「お願いでございます、大福様……白無垢を、娘の白無垢を、どうか取り返して下さいませ……」
 とにかくネズミたちが、後肢で立って和服をまとい、日本語を話している。
 白無垢を盗まれた花嫁、であるらしい小さな牝ネズミが、両親にすがりついて泣きじゃくっている。
 フェイトは見回した。
 ネズミの村、としか表現しようのない場所である。
 リリパット国に迷い込んだレミュエル・ガリヴァーのような気分のまま、フェイトは村の広場に、窮屈そうに座り込んでいた。立って動き回ると、うっかりネズミたちを踏み潰してしまいかねない。
 コンビニ前から、どのように歩いてこんな場所に至ったのか、全く記憶にない。
 深く考えるべき事ではないのだろう、とフェイトは思う事にした。
「ぼくに、まかせておきたまえ」
 大福様、などと呼ばれた白チンチラが、小さな前足で偉そうに胸を叩いている。
 この生き物に案内されるまま歩いているうちに、いつの間にか、ここにいた。
「みるといい、ニンゲンをつれてきた。いろいろいわれてるけど、うまくりようすれば、こんなにやくにたついきものはいないぞ」
「まあ、利用してくれるのは別にいいけど」
 村の仔ネズミたちが、ちょこまかと全身を駆け上って来る。
 うかつに立ち上がることも出来ぬまま、フェイトは言った。
「俺、捜し物はそんなに得意じゃないぞ。念動力はそこそこ使えるけど、ESPの類は今一つなんだ」
 婚礼を数日後に控えたネズミの花嫁の、白無垢が何者かに盗まれたという。
 そのような問題の解決を頼まれるほどの存在であるらしい。この大福という白チンチラは、ネズミたちにとって。
 顔役、のようなものであろうか。
「しんぱいごむよう。はんにんには、こころあたりがある」
 前足で腕組みをしながら、大福は鼻息を荒くした。
「こんなことをするのは、アイツらしかいないのだ。さあ、とりかえしにゆくぞフェイトくんとやら」
「狐に、じゃなくてネズミにつままれた気分だよ。まったく……」
 仔ネズミたちを掌に乗せながら、フェイトはぼやいた。

「なるほど、ネズミの敵と言えば猫か」
 そんな事を、フェイトはとりあえず呟いてみた。
 村の近くの山中。洞窟の中に、その猫は棲んでいた。
 可愛い盛りはとうの昔に過ぎ去り、今やでっぷりと巨大に肥えた老猫である。
「ふん……人間を連れて来やがったのかい、ちょこざいな白ネズミが」
 どうやら牝であるらしい、その猫が、牙を剥いて人語を発し、両眼を禍々しく輝かせてフェイトを睨む。
「うっ……」
 風のようなものに圧され、フェイトはよろめいた。
 風ではない。物理的な圧力を有する眼光……念動力である。
 化け猫、と言っていいだろう。
「それも……IO2管轄の事案にしてもいいくらいの化け物だ。まさか、こんなのがいるなんて……」
「きいてない、とはいわせないぞ。ぼくはちゃんと、ばけねこだっていったからな」
 フェイトの頭の上で大福が、偉そうな口をきいている。
「まったくネコというのはほんとうに、あさましいいきものだなあ。それがしょうこに、どろぼうネコということばはあっても、どろぼうチンチラなんてことばはない。すこしは、ぼくたちをみならいたまえ」
「おい、あんまり挑発するなよ」
 フェイトは言ったが、すでに遅い。化け猫は怒り狂っている。
「こぉんのクソガキども……人間もネズミも、まとめてハラワタぶちまいてやるぅぁあああああ!」
 砂時計のような両眼が、真紅に輝く。その眼光が迸り、フェイトを襲う。
「くぅっ……!」
 大福を頭に乗せたまま、フェイトは念じた。左右の瞳が、エメラルドグリーンの光を燃やす。
 目に見えぬ、念動力の防壁が、そこに出現していた。そして砕け散った。
 化け猫とフェイト、両者の念動力がぶつかり合い、激しい相殺を起こしていた。
「これは……動物愛護精神を持ったまま、勝てる相手じゃあないな……」
 戦って勝つには、殺さなければならなくなる。
 だが、この化け猫が果たして、死をもって償うほどの罪を犯したのかと言うと。
「どろぼうネコは、にんげんからおさかなでもぬすんでいればいいのに……いったいぜんたい、そんなものぬすんで、どうするつもりなのかねキミは」
 大福が言いながら、化け猫の後方に、ちらりと視線を投げる。
 小さな白無垢が、そこにあった。人形型の着物掛けに、きちんと着せられたままだ。
「そのからだで、きられるわけでもあるまい」
「くそネズミが! 真っ二つに食いちぎられたいかああッッ!」
「しょうじきにいいたまえよ。キミ、うらやましかったんだろう? けっこんに、あこがれているんだろう」
 大福の言葉が、どうやら核心に近いところを直撃したようである。
 老いた化け猫の肥えた巨体が、ぶるぶると震えている。
「だから、そのしろむくを大事にとってある。よごしたり、やぶいたりなんて、キミにはできないよ」
「あたしは……お嫁にも行けなかった……誰も、お婿に来てくれなかった……」
 化け猫の両眼が、憎しみの炎を燃やしながら、涙で潤む。
「なのにネズミどもが、幸せな結婚するなんて……許せるわけないだろう!? あたしが……結婚……出来なかったのに……」
「わかったぞ。あんたは結婚に憧れてるんじゃあない。結婚式に憧れてるだけだ。白無垢やウェディングドレスに、憧れてるだけだ」
 言うべき言葉を頭で組み立てる前に、フェイトは言い放っていた。
「そんな気持ちで本当に結婚なんてしてみろ。まともな母親に、なれるわけがない……たちの悪い男に引っかかって、ろくでもない子供が生まれて、結局いろいろと苦しむだけだ」
 姉貴は本当に、夢見がちな女だったからな。かつて叔父が、そんな事を言っていた。
 結婚さえすれば、あの屑のような男が良き夫・良き父親として生まれ変わってくれると、姉貴は本当に信じていたんだ。結婚式を、おとぎ話のような魔法の儀式だと本気で思い込んでいた。白無垢も、ウェディングドレスも、キラキラとした幸せの魔法をもたらすものだと信じていたのさ。お前の母親は。
 結婚さえすれば、男も女も幸せになれる。姉貴は、本気でそう思っていた。
 本当に幸せになれたかどうかは……まあ、お前も知っての通りさ。
 そんな事を語る叔父の顔には、実の姉への侮蔑と、義兄である男への憎悪が、渦巻きながら浮かび上がっていた。陰惨で、どこか子供じみた寂しさを隠しきれていない表情。叔父のその顔が、フェイトは大嫌いだった。
 今の自分は、しかし同じ顔をしているのかも知れない。
 そう思いつつ、フェイトは言った。
「結婚なんて……そんなに、いいものじゃあない。子供なんていう、要らないお荷物が増えるだけだ。そのせいで生活が苦しくなって、喧嘩も絶えなくなる。男も女も子供も、幸せになんてなれない」
「違う! 違う違うちがぁう! ふざけた事ぬかすな人間のくそガキ!」
 化け猫が、怒り狂いながら泣きわめく。
「結婚は幸せなんだよ! 夢なんだよ! 男も女もキラキラしてて、子供も生まれて幸せになるんだよ! 結婚して幸せになれないのは、お前ら人間だけだ! あたしは幸せな結婚をするんだ! 幸せな結婚……したかったんだよぉ……」
「まずは、しろむくをかえしたまえ」
 フェイトの頭上で大福が、相変わらず偉そうな事を言っている。
「しあわせなけっこんを1つ、まもろうよ……ね?」

 化け猫の方から、ネズミたちに頭を下げてくれた。
 白無垢は無事に返され、婚礼はつつがなく執り行われた。
 フェイトは恩人として、上座に近いところに席を用意されたが、上座も何もなく結婚式そのものをガリヴァーの如く見下ろす形になってしまう。
 白無垢姿の新婦と、紋付羽織に身を包んだ新郎。その親族。皆、幸せそうにしている。
 玩具のような結婚式を見下ろしながら、フェイトはふと思った。
 幸せな結婚をした男女もいる。
 今は喫茶店を経営している元傭兵のルーマニア人男性と、魔女としての仕事をしていた日本人女性。子供が生まれた今もなお、いささか正視し難いほどに幸せな夫婦である。
 自分には、あんな結婚は出来ないだろう、とフェイトは思う。何しろ、あの両親の息子である。
(ま……俺は結婚なんて、しないだろうけど……)
 そんな事を思いながら、フェイトは気付いた。
 相変わらず、雨が降っている。店内では、やはり相変わらず店員が暇そうにしている。
 コンビニの、軒下であった。
「何だ……俺、立ったまま夢でも見てたのか……」
 そうではない証拠を、フェイトは携えていた。
 酔っ払いの寿司折りの如く、片手からぶら下がっている。
 寿司折りではなく、菓子折りだった。
「これ……って、もしかして引き出物? いやまさか」
 恐る恐る、フェイトは開けてみた。
 善いお爺さんは、ネズミたちの国から財宝を持ち帰ったという。
 特に善い心を持っているわけでもない緑眼の若造は、あのわけのわからない場所から、何かを持ち帰って来たのだろうか。
「やあ、ごちそうさま。おいしかったよ」
 菓子折り箱から、白い小さなものが、ひょこっと顔を出した。大福だった。
 フェイトは、小さく溜め息をついた。
「……あんたをIO2に連れてって調べてもらうべきかどうか、俺ちょっと真剣に迷ってるんだけど」
「あいおー2? ぼくを日本におくりとどけてくれた人も、そんなこといってたな。またスコーンとジャムをくれるなら、あいおー2にいってもいいぞ」
「スコーン……ね」
 スコーンとジャムなら自分も、とある知り合いに振舞ってもらった事がある、とだけフェイトは思った。

カテゴリー: 02フェイト, その他(コラボ・小湊WR), 小湊拓也WR(フェイト編) |

破滅を視る少年

忍耐は美徳である、とされている。
嫌な事があっても、じっと耐えろ。先生方は、そう言っている。
何故なのか、と工藤勇太は考えてみた。
考えるまでもない事だと、すぐに気付いた。
何か嫌な事が起こった場合。多くの人間は、耐える、以外の選択肢を持ち得ないからである。
耐える、以外の選択肢を、持っていたとしたら。
嫌な事に対し、何かをやり返す手段が、力が、あったとしたらどうか。
耐える必要など、ないのではないか。
ぼんやりと、そんな事を考えながら、勇太は見下ろしていた。階段の上から、踊り場を。
3階と2階の間の踊り場で、男子児童3名が倒れている。
1人は鼻血にまみれて泣きじゃくり、1人は片腕を押さえて弱々しくのたうち回り、1人は頭から血を流して動かない。
3人とも、勇太のクラスメイトだ。
ある時。1人が、勇太の給食にゴキブリの死骸を入れた。
1人が、勇太の机に悪口を彫り込んだ。
1人が図画の時間、勇太の描いた絵に、絵の具をぶちまけた。
教師たちは3人に口頭注意すらせず、勇太に対しては、嫌な事があっても耐えるのが人の道だと綺麗事を語るだけだった。
耐える、以外の選択肢が何もなければ、勇太とて耐えていただろう。
耐える、以外の何かをする力がなければ、耐える事も出来ただろう。
「おい、何をしている!」
教師が数名、ばたばたと駆け寄って来た。
「工藤、お前……!」
「……俺、何にもしてないよ」
教師たちが階段を駆け下り、踊り場に倒れている3人を介抱せんとして右往左往する、その様を見下ろしながら勇太は言った。
嘘はついていない。勇太が3人を突き落とした、わけではない。
勇太はただ、思っただけだ。念じただけだ。
そうしたら3人が、勝手に階段から転げ落ちたのである。
そんな事を言っても、しかし信じてもらえるわけがなかった。

 

 

1人は頭を何針か縫い、1人は腕を骨折し、1人は鼻に針金を入れて治療する羽目になった。
3人とも、勇太が突き落とした。
学校の誰もがそう思っているのは間違いないが、見た者がいるわけではない。
証拠不充分という事で、勇太はお咎め無しである。
3人の両親たち……計6名の父母が、それを不服として、勇太の家まで抗議に来た。
叔父が、にこやかに対応をした。
訴訟も辞さぬという剣幕だった父母6名が全員、怯え、青ざめ、逃げ帰って行った。
にこやかに穏やかに、叔父がどういう話をしていたのか、勇太は傍で聞いていたわけではない。
とにかく、この叔父には、昔からこういう得体の知れないところがあった。
何かしら、他人に語れないような事をしていた過去があるのだろう。勇太はそう思う。
まっとうな人間ではないのは、間違いない。
そんな男に引き取られ育てられている、自分は何か。
「……バケモノ、だよな」
勇太は呟いた。
車道と歩道が2本ずつ、そのまま橋になっている。かなり大きな橋である。
勇太は歩道のフェンスにもたれかかり、川を見下ろしていた。
授業は、とうの昔に始まっている。今日はこのまま、学校をさぼる事になりそうだ。
学校へ行けば、どうせまた何か嫌な事がある。
嫌な事に対し、やり返してしまえる力が、自分にはある。
だから、嫌な事に耐えられない。耐える、以外の選択肢が常にあるからだ。
「俺……くそっ、何で……こんな力……!」
勇太は歯を食いしばり、己の言葉を噛み殺した。
自分には何故、こんな力があるのか。
おぞましい力の素質と言うべきものは元々、確かにあった。
それを、こんなふうに自在に使えるようになってしまったのは、あの研究施設で様々な開発・調整を受けたからである。
施設の者たちは、有無を言わさず勇太を拉致したわけではない。
勇太が、己の意思で、彼らのもとに身を投じたのだ。
母のために、大金が必要だったからだ。
自分に何故、こんな力が。こんな力は要らない。
その言葉は、そのまま母に対する恨み言になってしまう。
だから勇太は、噛み殺した。
そんな言葉を発する資格が、自分にはない。全て、己の意思によるものであるからだ。
「……そうだよ、俺は自分からバケモノになったんだ……!」
「いいじゃないの、バケモノだって」
声をかけられた。
わけのわからない生き物が1匹、ぺたぺたと歩道を歩いている。
「バケモノになって、人間おどかしてみなあ。楽しいよう」
「ひっ……!」
勇太は思わず悲鳴を漏らし、フェンスにしがみついた。
そんな勇太の眼前を、その生き物は悠然と通過し、去って行く。
短い手足の生えた肉塊。無理矢理にでも言葉で表現すれば、そうなる。
肉の弛みが複雑な皺を生み、それが目鼻口に見えない事もない。
「なっ……何だよ……何なんだ……」
ぺたぺたと歩み去って行く怪物の後ろ姿を、勇太は呆然と見送った。
自分は、幻覚を見ている。勇太はまず、そう思った。
あの研究施設では本当に、色々な事をされた。その後遺症が今も時折、こうして出て来てしまう。
怪物を睨む勇太の両眼が、緑色に燃え上がった。
「くそ……ふざけるなよ……ッ!」
「ふざけてはいない。彼らはいつも、あんな感じさ」
細身の人影が1つ。いつの間にか傍らで、フェンスにもたれている。
制服姿の少年。中学生か、高校生か。
一筋も染められていない、真面目そうな黒髪。穏やかな感じに整った顔立ち。
誰かに似ている、と勇太は思った。
そう思われた少年が、微笑んでいる。
「こうやって人間をおどかしながら歩き回るのは、妖怪の本能みたいなものでね。おどかすだけさ。ぬっぺらぼうは無害な妖怪だよ」
「……誰だよ、あんた。いきなり、ちょっと馴れ馴れしいんじゃないのか」
勇太は嫌な気分になった。誰に似ているか、思い出したのだ。
叔父に、似ている。
あの叔父も、表面上はこんなふうに穏やかで物腰柔らかく、だが内面にドス黒い正体を隠し持っている。
「俺は藤堂皐。少しでも気になった相手には、いくらか馴れ馴れしくとも関わり合うようにしている……君、放っとくと何かやらかしそうだからね」
「……遅いよ。俺もう、何回もやらかしてるから」
言いつつ勇太は、小さくなってゆく「ぬっぺらぼう」の後ろ姿を見送った。
「あれ、妖怪なんだ……お兄さんにも見えてる、って事は、幻覚なんかじゃないって事かな」
「ああいう無害な妖怪なら別にいいけど、そうじゃない……もっと厄介なものが、色々と見えちゃう体質でね」
藤堂皐と名乗った少年が、じっと勇太を見つめてくる。
「君の力も、見える……厄介なもの、背負っちゃったんだな」
「……俺が、自分で選んだ事だから」
勇太は目を逸らせた。同情は、されたくない。
それならば、こんな得体の知れない少年は無視して早急にこの場を立ち去れば良い。
なのにそれをしない自分が、勇太は腹立たしかった。
「選んだ事、後悔してる?」
そんな事を訊いてくる藤堂皐に、勇太は燃え盛る緑色の眼光を向けた。
「あんた、人の話聞いてたのかよ!? 自分で選んだ事だって言ってんだろ! 後悔するくらいなら最初っから選ばない! 選んでから後悔する奴はバカなんだよ!」
「どういう道を選んでも、結局どっかで何かしら後悔する事になる」
皐は言った。
「君より何年か長く生きてるだけの俺だけど……世の中そういうもんじゃないのかなって事、わかってきたよ。俺だって、後悔だらけさ」
「俺は……」
勇太は俯き、川を見下ろした。
この道を、選んでいなかったとしたら。大金は入らず、母を入院させる事も出来なかった。
だとしたら今頃、母はどうなっていたか。首でも吊って、すでにこの世にいないかも知れない。
「後悔しながらでも、前に進んで行くしかない……なぁんてのは、ちょっと綺麗事が過ぎるかな」
皐が微笑んだ。
笑おうという気にもなれないまま、勇太は訊いてみた。
「後悔だらけって言ったよな……あんたのは、どんな後悔?」
「クソゲー買っちゃってさあ」
皐が突然、わけのわからない話を始めた。
「いや前評判はすっごく良かったんだよ。PV見たら音楽は凄く良かったし、キャラデザも俺の好きな人だったし。で1万円払って限定版をゲットしたわけなんだけど……これがまた、生半可な愛じゃカバーしきれない代物でさ。操作性は最悪、アニメーションの枚数は少ないし、シナリオは電波でギャグは寒いし、口パクと台詞は合ってないしで、本当もう音楽と声優くらいしか褒める所が見つからない作品だったわけだけど。それも、買ってプレイしなきゃわからない事でね。買わなかったら、それはそれで後悔してたと思うんだよ」
「あんた……!」
ふざけるな、と勇太は怒鳴りかけた。その怒声を、飲み込んだ。
同じようなものかも知れない、と思ったからだ。
自分の母親の事など、他人から見れば、買う買わないの後悔と大して違いはしないだろう。
「妖怪っていうのは時々、人間に、前向きに歩く道みたいなものを見せてくれる事があってね」
ぬっぺらぼうが、遥か遠くでくるりと振り向き、短い手を振っている。
右手を振り返しながら、皐は語った。
「バケモノになって、人間おどかして楽しみなさい……とは言わないけど。君のその力、消し去る事なんて出来ないんだろう? それなら、むしろ積極的に使ってみる事を考えてもいいんじゃないかな」
「世のため人のため? 正義のヒーローでも、やれって言うのかよ……」
「正義のヒーロー。いいじゃないか。俺、憧れちゃうなあ」
「あんた……俺より年上のくせに、ガキっぽい事しか言わないのな」
フェイトは呆れ返った。
「俺が、この力……積極的に使ったりしたらさ、きっと悪い事しか起こらないよ」
「力って、そういうものさ。だけど使わなきゃいけない……そういう時って、あると思うよ」
歩み去って行く妖怪とは逆の方向から、誰かが近付いて来た。
皐よりいくつか年上の少女が、自転車を引いている。
「皐、お待たせー」
そんな事を言いながら、手を振っている。
勇太は、緑色の目を見開いた。
「あの人……」
「俺の姉さんだよ」
皐と似ている、のかどうかは、よくわからない。
美しい少女ではある。が、それ以上に。
「あんたも……それに、あの人も……?」
「そういう事さ」
皐は勇太に背を向け、顔だけを振り向かせ、言った。
「難儀な力を持ってるのは、君だけじゃあない……なんて、ちょっと説教臭いかな」

 

 

「ナグルファルがあれば……な」
呻きながらフェイトは、倒れたまま動けずにいた。
黒いスーツはあちこちが裂け、打撲の腫れと細かな裂傷が剥き出しである。
拳銃は空だ。予備の弾倉も撃ち尽くした。
弾薬のみならず、気力も体力も消耗しきっている。
恐ろしい敵であった。その巨大な屍が、半ば海に浸かっている。
とある港湾施設。
巨大な牛鬼が出現し、大勢の人を食い殺していた。
妖怪には、無害なものも多い一方、このような危険極まる怪物も確かにいる。
死ぬ思いでようやく仕留めた牛鬼の屍を、フェイトはじっと観察した。
屍の頭部に、黒い、矢のようなものが突き刺さっている。
いや、細身の剣であろうか。暗黒そのもので組成されたかのような、時計の秒針にも似た剣。
戦闘の最中、これが飛んで来て、牛鬼の頭に刺さったのだ。
何者かによる援護。それがなかったらフェイトは、牛鬼に踏み潰されていただろう。
援護者の姿は見えない。見つけて礼を言う前に、フェイトは気を失ってしまいそうであった。IO2の救護班を、待つしかない。
視界が暗転する直前。誰かと、目が合った。
赤い瞳。銀色の髪。
倉庫の陰に、細身の人影が立っている。
(誰……いや、どこかで……?)
難儀な力を持ってるのは、君だけじゃあない……なんて、ちょっと説教臭いかな。
昔、そんな事を誰かに言われたような気がする。
赤い瞳をした、銀髪の青年。
その姿は、すぐに見えなくなった。
立ち去ったのか、それとも幻覚であったのか。
わからぬまま、フェイトは意識を失っていった。

カテゴリー: 02フェイト, その他(コラボ・小湊WR), 小湊拓也WR(フェイト編), 藤堂皐 |

ガラスのダンス・マカブル

「靴繋がり、なぁんて形になっちまったけど、1つよろしく頼むよ」
 あのアンティーク・ショップの女主人が、そんな事を言いながら押し付けてきた仕事である。
 どういう仕事であるのかは、しかし詳しく聞かせてもらえなかった。
 ただ、招待券を手渡されただけだ。
 あんたなら、行けばわかるよ。そんな事も言われた。
「で……久々におめかしして来たわけやけど」
 くるりと身を翻しながらセレシュ・ウィーラーは、着飾った己の身体を見下ろした。
 青いパーティードレスである。大きく開いた背中を、長い金髪がサラリと撫でている。
 こうして回ると、長いスカート部分がふんわりと広がりうねる。それが良い感じではあった。
 こんなものを着るとしかし、胸の膨らみが、普段にも増して心もとなく思えてしまう。
「まあ……そんな事よりも、や」
 さりげなく、セレシュは見回した。
 同じように着飾った紳士淑女が、会場のあちこちで和やかに穏やかに談笑していた。
 芸能人がいる。有名企業の社長など、経済界の大人物もいる。政治関係者も、いるかも知れない。
 そういった人々にのみ、招待券が贈られたようである。
 そんなものを、一介のアンティーク・ショップ経営者が、いかにして入手したのかは不明だ。
 東京湾に停泊中の、豪華客船の内部である。
「セレブなパーティーの真っ最中なんはええけど……問題は、あれやな」
 会場各所に品良く配置された、等身大のガラス像。
 きらびやかな芸能人や大富豪などよりも、セレシュは、それらの方が気になった。
 全て、女性像である。まるで生きているかのような、若く美しいガラス細工の娘たち。
 彼女たちの悲鳴が聞こえた、ようにセレシュは感じた。
 無論、気のせいであろう。実際に聞こえているのは、優雅な音楽だ。プロの楽団による生演奏。
 着飾った紳士淑女が、その音楽に合わせてペアを組み、踊っている。ダンスタイムである。
 ガラスの女性像を、もう少し調べてみたいところではある。だが今、そんな事をしたら怪しまれる。
 とりあえず自分も、適当な男を探して踊るべきか、とセレシュは思った。
「え……っと。女の方からダンス誘うのってNGやったかな」
「あ、あの」
 声をかけられた。若い、男の声。
「踊って、いただけませんでしょうか」
 今一つ、この場にそぐわない青年だった。
 黒いタキシードが、そこそこは様になっている。顔も悪くない。
 それでも場違いなのだ。
 金持ちの集まりに縁のある若者、とは思えない。
「って、まあ……うちも似たようなもんやけどな。それはそれとして、や」
 片手で眼鏡の位置を微調整しながらセレシュは、その若者をまじまじと見つめた。
「生まれて初めてナンパにチャレンジする男子中学生、みたくドギマギしながら話しかけてきたんは……フェイトさんやないか」
「せ……セレシュさん……!?」
 フェイトが青ざめ、息を呑んだ。
「何で、こんな所に……」
「それは、こっちの台詞なんやけどなあ」
 苦笑しつつセレシュは、フェイトの片手を取った。
「踊りながら話そか……どうせ、お仕事で来とるんやろ?」
「ま、まあね」
 固い動きでフェイトは、セレシュのエスコートに応じた。
「あんまり潜入任務の類は向いてないんちゃう? 派手にカチ込んでドンパチやる系のお仕事の方が、フェイトさん向きやと思うわ」
「……IO2も人手不足でね。仕事、選んでられないんだよ」
 小声で会話をしつつ、音楽に合わせて身体を揺らしながら、2人でさりげなくガラス像の1体に近付いて行く。
 まるで生きているかのような、ガラスの女性像。
 全身がガラス細工である。当然、両足も……左右の靴も、ガラス製だ。
「やっぱりフェイトさんも、コレが気になっとる?」
「微弱だけどね、何だかよくわからない力が感じられる……魔力の類、だと思うんだけど」
 フェイトは囁いた。
「お金持ちのパーティー……の皮を被った、人身売買」
 セレシュに引き回される感じに、踊りながらだ。
「そっ、そんなものが、この船の中で行われると。IO2に、そういう情報が入って来たんだ」
「なるほど」
 まるで今の自分たちの如く踊りながら、ガラス細工に変えられてしまったかのように、躍動感溢れる女性像たち。
 皆、ガラスと化して静止したまま踊っている。踊らされている。そして、無言の悲鳴を発している。
 セレシュは、そう感じた。
「人身売買なら、商品のお披露目があるはずやな……黒幕ちゃんも、一緒に出て来ると思うで。それまで、もう少し踊ってよか」
「踊ってる場合なのかなあ……」
 心配そうな声を出すフェイトを、セレシュはまたしても振り回した。
「ダンスパーティーやで。踊らな怪しまれるやろ」
「し、社交ダンスなんか、やった事なくて……セレシュさんは、慣れてる感じだね」
「まあ、一通りの事は出来るで」
 長生きしとるさかいな、という言葉を、セレシュは飲み込んだ。
 突然、凍り付くような寒気を感じたのだ。
 しなやかに露出した背中が、ゾクッと震える。
「……セレシュさん、どうかした?」
「見られとる……」
 としか表現し得ない感覚である。
「うち、見られとるわ……」
「え……まさか黒幕!?」
 フェイトが、いくらか童顔気味の顔を緊迫させ、周囲を見回す。
 セレシュを、まるで庇うように抱き寄せながらだ。
 寒気が、強くなった。
 とてつもなく冷たい眼光を、セレシュは感じていた。
「ちょう変な事訊くけど……フェイトさん、アメリカで何か拾って来はった?」
「え…………」
 フェイトが息を呑む。
 説明し難い感覚を、セレシュは無理矢理に説明した。
「何かが、フェイトさんの中から、うちの事じぃーっと見つめとる……そんな感じするんよ。わわわわ、あかんあかん。ごっついメンチ切っとる」
 澄んだ、冷たいほどに澄みきった、アイスブルーの瞳。
 そんなものをセレシュは、フェイトの内部に感じ取っていた。
「かっ堪忍や、ちょう踊っとるだけやんか。別に、フェイトさんを寝取ろうっちゅうんやないさかい……な?」
 この場にいない何者かに向かって、セレシュは必死に弁明をした。
 突然、音楽が変わった。
「はい。これより本日メインのダンスショーを始めさせていただきまぁす。レディースアンジェントルメン、さあご注目」
 燕尾服で男装した1人の女性が、マイク片手にそんなアナウンスをしながら軽やかに身を翻し、片手を掲げる。
 導かれるように会場の中央へと躍り出て来たのは、華やかに着飾った、若い女性の一団である。
 女子高生や女子大生、20代のOL。皆、美しく可愛らしいが、芸能人の類ではない。一般人の娘たちである。
 そんな彼女たちが、プロのダンサー顔負けの見事な踊りを披露していた。
 セレシュは、声を潜めた。
「始まったで……商品の、お披露目や」
「……そうみたいだね」
 フェイトの両眼が、淡いエメラルドグリーンの輝きを孕む。
 その眼光は、踊り続ける娘たちの足元に注がれている。
 彼女たちは全員、シンデレラさながらの、ガラスの靴を履いていた。
 踊りの素人を、プロ顔負けに美しく踊らせる、魔法の靴。
 そんなものを履かされ、有頂天になって踊り続ける娘たち。
 踊り狂った結果どのような事になるのかは、会場のあちこちに置かれたガラス像たちが、無言で明らかにしている。
「履いた人間を、ガラスの像に変える靴……」
「無抵抗のガラス細工に変えてから、オークションにでもかけるつもりやろ」
「本当……そういう事する奴らって、いなくならないよなっ。日本でもアメリカでも……!」
 フェイトの両眼が、緑色に燃え上がる。
 正義感が強い……と言うよりも、女性が被害者となるような事件を許せない少年だった。高校生・工藤勇太であった頃から、彼はそうだ。
 父親が母親に、日常的に暴力を振るう。そんな家庭環境によって作られた性格なのだろう。
「どうどう……割と切れやすい所は、あんまり変わってへんみたいやね。けど、もうちょっと我慢やで」
「べ、別に切れてないよ」
「どこぞのプロレスラーみたいな事言うとらんと、ほら敵はしっかり見極めなあかんで。あの男役気取りが多分、黒幕ちゃんや。ドス黒い魔力が、溢れ出しとるでえ」
 燕尾服姿の男装女性を、セレシュは眼鏡越しに見据えた。
 相手も、こちらを見据えている。目が合ってしまった。
「はい。お客様の中に、ネズミちゃんがいらっしゃいまぁあす……薄汚い、ドブネズミがねえ」
 男装の女が、そんな事を言いながら指を鳴らす。
 屈強な、とても堅気には見えないウェイターが2名、何かを引きずって来た。
 ぐるぐる巻きに縛り上げられた、1人の男。
 セレシュも、顔と名前は知っている。経済誌などで時折、偉そうな高説を垂れ流している、経営コンサルタントだ。
 このようなパーティーに招かれたとしても、まあ不思議ではない人物である。
 そう思いつつ、セレシュは気付いた。
「フェイトさんは……ここ、どうやって入ったん? 招待券は?」
「……持ってるよ。俺のじゃないけど」
 当て身か何かで気絶させ、縛り上げ、懐から奪い取った。そういう事であろう。
「やけに貧乏臭い奴が紛れ込んでるから、おっかしーなぁとは思ってたのよ」
 男装の女が、嘲笑いながら怒り狂う。
「貧乏人に招待券あげた覚えはなし……よくもまあ下ッ手くそなダンスで、私のパーティーに貧乏臭さ振りまいてくれたわねえええ」
 招待客たちが、悲鳴を上げた。
 芸能人が、企業経営者が、逃げ惑っている。
 何か凶暴なものたちが、彼らを追い立てるように会場を駆け回っていた。
 何匹もの四足獣、のようである。狼、いや猛犬か。
 ドーベルマン、シェパード、マスティフ……特に戦闘的な種の、犬たちであった。
 生身の犬ではない。ガラスで出来た、猛犬たち。
 鋭利なガラスの牙を剥いて駆け回り、跳躍し、そして襲いかかって来る。
「振りまくなら鮮血! 臓物! あんたたちみたいな貧乏人はねえぇ、派手にブチ殺されて私たちセレブを楽しませる! そこにしか存在意義がないのよッ!」
「……俺の知り合いにも1人、お金持ちがいる」
 フェイトの両手に、いつのまにか拳銃が握られている。
「一癖も二癖もある奴だけど、あんたみたいなのよりはマシな人間なのかな……おい逃げるんじゃない、全員そこを動くな!」
 グリップ部分ではなく銃身を、フェイトは握っていた。
 そして2丁の拳銃を、まるで手斧か棍棒のように振り回している。
「じきにIO2が来る! 人身売買とわかってて、こんなパーティーに参加したのなら……覚悟しておけよ」
 2丁拳銃のグリップが、ハンマーの如く、ガラスの猛犬たちを粉砕してゆく。
 凛々しく躍動するタキシード姿の周囲で、キラキラとガラスの破片が舞い散った。
「芸能人だろうが金持ちだろうが、まともな裁判なんか受けさせてもらえると思うなよ!」
「くっ……IO2が、こんなに早く動くとは……」
 男装の女が、逃げる体勢に入っている。
 その背後に、セレシュはすでに回り込んでいた。
「ああ、うちはIO2とちゃうで。ただの鍼灸医や」
「お前……!」
 男装の女が、振り向いた。
 燕尾服をまとう身体から、邪悪な魔力がセレシュに向かって溢れ出す……寸前で、止まった。
 男装の女の、何もかもが止まっていた。
 その細い首筋に、鍼が1本、突き刺さっている。
「安心せえ、死ぬ経穴とちゃう……そのドス黒い魔力、封じただけや」
 倒れ、痙攣している男装の魔女に、セレシュは微笑みかけた。
 会場のあちこちで、ガラス像が倒れていた。倒れながら、生身の女性に戻ってゆく。
 全員、意識は失っているが、命に別状はないようだ。
「さすがだねセレシュさん……俺、いらなかったかな」
「フェイトさんが雑魚のお掃除してくれはったおかげや」
 1対1なら、こんな2流の魔女に不覚を取ったりはしない。
 ちらり、とセレシュはフェイトの方を見た。
 彼は今、1流の魔女、などという表現すら生温い何かに、取り憑かれている。
 アイスブルーの瞳が相変わらず、フェイトの中からセレシュをじっと見つめていた。

カテゴリー: 02フェイト, その他(コラボ・小湊WR), 小湊拓也WR(フェイト編) |

赤いダンス・マカブル

 浦島太郎は老人になってしまう。かぐや姫は月へ帰ってしまう。人魚姫も、王子様とは結ばれない。
 童話というものは意外に、ハッピーエンドにはならないのだ。
 血生臭い終わり方をするものもある。
「うちのお気には『白雪姫』やな」
 とあるアンティーク・ショップで、セレシュ・ウィーラーは語りに入っていた。
「あの子なあ、最後の最後で王妃様にきっちりリベンジかましとるんやで。真っ赤っかに灼けた鉄のお靴を履かして、死ぬまで踊らせるっちゅう……7人の小人さんも王子様も、まあドン引きやね」
「赤い靴を履いて死ぬまで踊る話なら、もう1つあるんだけど知ってるかい」
 店の女主人が言った。
「白雪姫なんかと比べて、ちょいと知名度は下がっちまうけど」
「俺が小さい頃に読んだのは……おばあさんが死んだ後、女の子が改心して普通に靴が脱げちゃうお話だったな」
 思い起こしながらフェイトは応えた。
 あの母親にも、子供に童話を読んで聞かせてくれていた時期が、ないわけではないのだ。
「原典に近いバージョンだと、赤い靴は絶対に脱げなくて……女の子は結局、首切り役人に足首を切り落としてもらう事になっちゃったんだっけ」
「で、その子はまあ改心したんはええけど、一生まともに歩けへん身体になってもうて。そないな目に遭わなあかんほど、悪い子やないと思うねんけどなあ」
「ハンス・クリスチャン・アンデルセン大先生は、そうは思わなかったみたいだね……問題はその後。赤い靴は、どこへ行っちまったんだろう?」
 少女の切り落とされた両足首は、赤い靴を履いて踊りながら、どこかへ去ってしまった。
 あの童話では、そう語られているだけだ。どこへ去ったのかは、記されていない。
 セレシュが、店内を見回した。この店ならば、何が置いてあってもおかしくはない。
「まさか……ここにあったり、せんやろな」
「ぜひ欲しいとこだけどねえ」
 女主人が笑った。その笑顔が、すぐに引き締まった。
「いや本当……冗談抜きでね、回収してもらいたいんだよ」
「……赤い靴、を?」
 フェイトは確認した。
「どこかで、見つかったのかな?」
「本物かどうかは、わからないけどね」
 女主人が語った。
「都内に、廃墟マニアの間でだけ有名なお化け屋敷があるんだけど。そこで最近、見つかったのさ。床下に、これでもかってくらい厳重に厳重に封印された……一揃いの、赤い靴がね」
「封印を解いたアホがおるっちゅうわけやな」
「どっかの大学の廃屋愛好会、だったかな確か。そいつらが、屋敷の床下から赤い靴を……解き放っちまった、と。そういうわけさ。解き放たれた赤い靴が、逃げ回りながら色々とやらかしてる。人死にも出てるんでね、何とかしないと」
「……さすがだね。もう情報、来てるんだ」
 フェイトは軽く、溜め息をついた。
 IO2日本支部が入手している、程度の情報は、すでに出回っているという事だ。

 赤い靴が封印されていたという廃屋は、とある大富豪の邸宅であった。
 その大富豪は何十年も前に失踪し、邸宅は売りに出されたまま買い手もつかず、そのまま荒れ放題の廃屋となった。
 失踪の原因に、その赤い靴が関わっているのかどうか、今となっては不明である。
 とにかく大富豪は、赤い靴を床下に封印した後、姿を消した。
 封印を解いてしまった大学生たちの話によると、赤い靴は「逃げ出した」らしい。
 逃げ出した靴が凶行を繰り広げている、のかどうか確証はまだ掴めていない。
 とにかく都内では、奇怪な死亡事故が多発していた。
 被害者は全員10代の少女で、ある者はビルの屋上から転落し、ある者は車道にいきなり躍り出て車に撥ねられた。1人の例外もなく、直接の死因そのものは純然たる事故である。
 そして、これもまた1人の例外もなく、左右の足首が失われていた。まるで、あの童話の主人公のように。
 警察や救急車が現場に駆け付けた時には、すでに死体の両足首が消失しているのだ。左右の足に滑らかな断面が残っており、かなり鋭利な刃物で切断されたのだろうという事が推測されるだけであった。
「若い女の足首をコレクションしとる人外サイコパス、っちゅう線も有りやな」
 セレシュが言った。
「童話に見立てた人殺し、やとしたら魔族の類やのうて人間の能力者とちゃうんかな」
「まあ、それはともかく……俺、セレシュさんと組むわけ?」
 いささか遠慮がちに、フェイトは戸惑いを露わにした。
「あんまり民間の業者さんに助けてもらうってのは……IO2エージェントとしては、どうなのかなあ」
「そんなん言わはるのフェイトさんくらいや。IO2の連中、うちにガンガンお仕事丸投げしてきよるでえ」
 IO2ジャパンは精鋭揃い、とアメリカでは思われているようだが、フェイトに言わせれば少し違う。
 例えばこのセレシュ・ウィーラーのように、民間で妖怪退治や怪奇現象対応の仕事をしている業者が、アメリカとは比べ物にならないほど日本には多い。由緒ある退魔士の一族などもいる。
 そういった業者たちと、IO2日本支部は、まあ良好な関係を保っているのだ。
「お仕事やからな、ボランティアはせえへん……ま、安心しいや。フェイトさんから銭取ろうっちゅうんやないさかい」
「それは助かる……って事にしとくか」
 フェイトは苦笑した。
 ここは協力し合うのが、自然な成り行きというものではある。
「で、とにかく犯人を見つけなきゃいけないわけだけど」
「あかんて。フェイトさん、テレパスか何かで手当り次第に探そうとしとるやろ?」
 セレシュが言った。
「この東京っちゅう場所には、いろんな国……魔界とか異世界からも、サイコな連中がぎょうさん集まって来とるんやで。1人だけ探し当てるなんて、フェイトさんでも絶対無理や。ここは、うちに任しとき」
「……何か、いい手が?」
「童話に見立てた人殺し、なら童話と同じ事すればええんや」

 犠牲者である少女たち全員がそうであるかどうかは、わからない。
 ただ目撃情報によると、転落死した少女は、ビルの屋上でダンスをしていたという。車に轢かれた少女は、踊りながら路上に飛び出して来たらしい。
 呪われた赤い靴の仕業であるにせよ、猟奇殺人犯による凶行であるにせよ、犯人があの童話と同じ状況に固執しているのは間違いないようであった。
 だからセレシュは、公園で踊っていた。
 大音量で音楽を流しながら、前に歩いている。ように見えて、後ろに進んでいる。
「せ、セレシュさん、それは……」
「練習したんやでえ、一生懸命」
 この女性は一体、何歳なのだろう、とフェイトは思わない事もなかった。恐ろしく長生きをしている、という噂を聞いた事はあるのだが。
「それはともかくっ♪ そろそろ来るでぇフェイトさん、スタンバっときぃや♪」
 セレシュが歌い踊りながら、公園の一角を指差している。
 そちらから、足音が聞こえて来ていた。干涸びた感じの足音。
 だが近付いて来る人影など見えない。人影は、だ。
 フェイトは、黒いスーツの内側から拳銃を引き抜いた。
 左右一揃いの、女性用の赤い靴。
 まるで透明人間が履いているかのように、歩み寄って来る。
 踊っているセレシュの、足元を狙っている。それがフェイトにはわかった。
 歩み寄って来た靴が、止まった。透明人間が、フェイトの拳銃に気付いて立ちすくんでいる。そんな感じだ。
 赤い靴が、逃げ出した。いや、逃げようとして硬直した。蜘蛛の巣に絡まった、羽虫のように。
 蜘蛛の巣に似たものが、いつの間にか公園の地面に出現していた。
 様々な文字や数字、12宮のシンボルと思われる記号。それらを内包した、光り輝く円形。
 魔法陣、の類であろう。セレシュが仕掛けておいた、魔力の罠だ。
 光の円陣に捕えられ、動けずにいる赤い靴に、フェイトは拳銃を向けた。攻撃を念じ、引き金を引く……否。念動力を銃身に流し込んでいる最中に、攻撃が来た。
 今度は、人影が見えた。筋骨たくましい、大柄な人型。赤い靴を守るかの如く、横合いからフェイトを襲う。
「何だ……!」
 巨大な得物がブンッ! と振り回され叩き付けられて来る。フェイトは横に跳び、かわした。凄まじく重い風が、横面をかすめて奔る。
 大型の、斧であった。
 それを両手で握り構えているのは、筋骨隆々たる巨漢である。首から上は布の覆面で覆われ、鬼火のような眼光だけが露出している。
 そんな巨漢が、大斧を振るう。暴風のような斬撃を、セレシュが踊りながら軽やかに回避する。
「……自分、あれやな。あのお話の、最後に出て来て決着つける役」
「そうか……女の子の足を切り落とした、首切り役人!」
 フェイトは拳銃をぶっ放した。
「お前の仕業か! 何で、こんな事をする!?」
『それを……私が、知りたいのだ……』
 首切り役人が、呻きながら大斧を振るい、フェイトの銃撃を全て弾き返す。
『あの娘の両足を、切り落とした時から……私には、役割が出来てしまった……この靴は、少女たちをひたすら踊り狂わせる……私は、その少女たちの両足を切断する……それが、役割だ……』
 銃弾を跳ね返した大斧が、猛回転して跳ね上がり、フェイトに向かって振り下ろされる。
『役割には、誰も逆らえない……そうだろう? 生きた人間よ……』
「せやな。それはそれとして……その赤いお靴、綺麗やけど要らんわ。そない高い踵やと、バックスライド出来へんし」
 セレシュが歌い、踊り、そして右手の指を鳴らした。
 高らかに鳴り響くスナップ。それに合わせ、魔法陣に変化が生じた。
 光で描かれていた円形が、文字が、12宮の記号が、全て光に戻り、首切り役人と赤い靴を包み込む。
 すでに動きを封じられていた赤い靴に加え、首切り役人の巨体も、光に絡め取られて動けなくなった。
 振り下ろされた大斧が、フェイトの頭を叩き割る寸前で止まり、痙攣する。
 その刃を睨み据えながら、フェイトは拳銃をもう1丁、懐から引き抜いた。
 右の拳銃を眼前の首切り役人に、左の拳銃を赤い靴に、それぞれ向ける。そうしながら、攻撃を念ずる。
「解放してやる……なぁんて言い方、ちょっと上から目線が過ぎるかなっ!」
 エメラルドグリーンの光を両眼で燃え上がらせながら、フェイトは引き金を引いた。
 左右の銃口から、爆炎が迸った。
 念動力を注入された爆薬弾頭弾の、フルオート射撃。
 赤い靴が左右両方、爆炎に灼かれ吹っ飛んだ。
 首切り役人の巨体が、砕け散りながら焦げ崩れ、遺灰と化し、さらさらと風に舞った。
「……役割、か」
 フェイトは、1つ息をついた。
 赤い靴と首切り役人に、誰が何のために与えた役割であるのか、それは明らかには出来なかった。
 役割を与える力を持った何者かが、この世には存在する。それがわかっただけである。
「おとぎ話っちゅうんは、ほんま……ハッピーエンドで終わらんもんやなあ」
 吹っ飛んだ赤い靴を両手で拾い上げながら、セレシュが呟く。
 爆炎に灼かれながら、無傷の靴。だがそれは、もはや単なる赤色の靴だ。
「ま、バッドエンドでも終わりは終わりや。お見事やったで、フェイトさん」
「……俺は、引き金を引いただけだよ。仕事をしたのは8割型、セレシュさんだから」
 犠牲となった少女たち、それに役割からようやく解放された首切り役人のために、フェイトは祈ろうとした。
 だが、両手には拳銃を握ったままである。
 こんな手で合掌されても、死者は安らいでくれないだろう。

カテゴリー: 02フェイト, その他(コラボ・小湊WR), 小湊拓也WR(フェイト編) |

脱出者たち(3)

気が付いたら、わけのわからない場所にいた。
 そういう目に遭うのは初めてではない。
 その度に、辛うじて脱出し続けてきた。
「今回は……脱出だけで済ませる、わけにはいかないな」
 呟きながらフェイトは、周囲を見回した。
 壁や柱に彫り込まれた、天使や聖人たちの像。荘厳な、大聖堂の屋内風景である。
 あの時と同じだった。迷い込んだ、と言うより引き込まれた。この大聖堂の奥に潜む、何者かによって。
 その何者かと、今回は決着をつけなければならない。
 フェイトは立ち止まった。
 目の前に、祭壇がある。何かを置いて下さい、と言わんばかりの祭壇だ。
 黒いスーツの懐からフェイトは、ここへ来る途中で拾ったものを取り出した。
 掌大の、聖母像。こういう思わせぶりなものが、あちこちに落ちている大聖堂なのだ。
 祭壇に、聖母像を置いてみる。
 案の定だった。
 祭壇の一部が開き、微かな光が現れたのである。フェイトの瞳と同じ、エメラルドグリーンの光。
 緑色に輝く球体が、そこにはあった。テニスボールよりも若干、小さめの玉。
「ゲームの、つもりかよ……!」
 怒りの呻きを漏らしながら、フェイトはその玉を祭壇内部から拾い上げた。
 あの時と、同じである。
 自分たちをゲームのキャラクターのようなものに仕立て上げ、楽しんでいる何者かの存在を、フェイトは今、確かに感じていた。
「いいさ、せいぜい楽しんでるといい」
 黒いスーツの懐に、フェイトは緑色の玉をしまい込んだ。
 左右のポケットに、同じような球体が、もう1つずつ入っている。エメラルドグリーンではなく、鮮やかなオレンジ色に輝く玉と、輝きのない暗黒色の玉。この祭壇と同じような仕掛けを解いて、入手したものである。
 他にもいくつかの玉があって、全てを集める事で先へ進めるようになっているのだろう。
 フェイトは、左右2丁の拳銃を抜いた。
 天使像が、聖人の像が、視界内あちこちで動き始めている。そして剣を抜き、カギ爪をかざし、杖を振り立て、様々な方向から襲い来る。
 両手で引き金を引きながら、フェイトは叫んだ。
「とりあえずクリアはしてやる! その後で、中古屋に売る代わりにぶっ壊す! こんなクソゲーはっ!」

 綺麗な五指が、くるりと煙管を回転させる。
 天達・枢。18歳。未成年なので、煙管に入っているのは無害な香草である。火を点けると良い匂いがする、ただそれだけの品だ。
 当然、20歳になったら刻みタバコを入れてみるつもりでいる。
「嫌煙運動なんてのは、ただの差別さ。そうは思わないかい?」
 話しかけてみても、怪物たちは応えてくれない。
 怪物たち、と呼ぶべきであろう。何体もの天使像・聖人像が、いきなり動き出して剣や杖を構え、枢を取り囲んでいる。斬殺・撲殺の構えである。穏やかに話し合おう、という雰囲気ではなかった。
「あらら……まいったね、こりゃ」
 のんびりと呟きながら、枢は煙管をくわえ、ゆらりと細身を翻した。
 天使たちの剣が、カギ爪が、聖人たちの杖が、様々な方向から襲いかかって来てビュッ、ブゥンッ! と空を切る。凶暴な風が巻き起こり、それに煽られる感じに、枢の細い肢体がのらりくらりと揺れながら歩く。
「荒事は苦手なんだけどねぇ」
 怪物たちの襲撃を、まるで通行人でも避けるかのように回避しながら、枢は周囲を観察した。
 どこかの教会、であろうか。大聖堂とも言える荘厳さである。
 気が付いたら、こんな所にいた。
 夢ではない事は、壁や柱の質感を見れば明らかである。
「わけのわかんないパーティーに、お呼ばれしちゃったと。そうゆう解釈でいいのかな?」
 返答の代わりに、銃声が起こった。
 天使が、聖人が、穴だらけになりながら吹っ飛んで行く。暴風のような銃撃が、怪物たちを薙ぎ払っていた。
「おおい、そこの人! 無事か!?」
 声をかけられた。聞いただけで凛々しく整った面構えが想像出来る、若い男の声。
 想像よりもずっと若い男が、左右それぞれの手で拳銃をぶっ放していた。
 SPのような黒いスーツをまとう若者。枢と同じエメラルドグリーンの瞳が、油断なく残敵を探している。
 天使像・聖人像であった怪物たちは、見える範囲では1体残らず銃撃に砕かれ、生物の屍か、石像の残骸か、判然としない様を晒していた。
「やあ、助かったよイケメン君」
 枢は微笑み、手を振った。
「ところで、ちょっと訊きたいんだけど。ここって日本だよね?」
「……だと思いたいけどな」
「日本国内で、ばんばか拳銃を撃ちまくってるキミ。少なくとも、堅気の人じゃあないと見た」
「まあ……ちょっとヤクザな所で働いてるのは確かだけど」
 若者が苦笑する。
 童顔で、少年にも見えてしまうが、恐らくは自分よりも少し年上であろう青年の容貌を、枢はちらりと観察した。
 特に印象的なのは、自分と同じ、エメラルドグリーンの瞳である。
(こりゃあ相当……身体、いじられちゃってるねぇ)
 枢は思ったが、口に出せる事ではなかった。

 さらりとした金髪に、フェイトと同じ緑色の瞳。
 その不思議な少女は、天達枢と名乗った。
(あの時も女の子と一緒だったな、そう言えば)
 思いつつフェイトは、拳銃を振り回した。
 銃身を握り、グリップ部分を敵に叩き付ける戦法である。
 2丁の拳銃が、フェイトの左右それぞれの手で鈍器の形に振るわれ、天使たちを殴り倒す。聖人たちを、叩きのめす。
 元々石像であった怪物たちが、ひび割れながら揺らぎ、倒れてゆく。
 残弾数が、そろそろ心もとない。こうして拳銃本来の使用法と異なる戦い方を、しなければならない状況だ。
「やあ強いねえフェイト君。イケメンなお兄さんが戦ってるのって、眼福だねえ」
 のんびりと煙管を吹かしながら、枢がそんな事を言っている。
 彼女がいかなる能力の持ち主であるのか明らかではないが、同行者に荒事を押し付けて自身の安全を確保する事に関しては、どうやら天才であると言わざるを得ない。怪物たちはほとんど、フェイト1人に向かって来ている。
 剣をかわし、カギ爪をかわし、杖をかわしながら、フェイトはひたすら左右2丁の拳銃を振り回した。
 鈍器代わりのグリップが重々しく唸り、聖人の顔面を叩き割る。天使の脳天を、粉砕する。
 粉砕された天使が、こちらに向かって、よろりと倒れて来る。
 しがみつくようなその動きを、フェイトは完全にかわす事は出来なかった。
 死に際のカギ爪が、黒いスーツを引き裂いていた。
 ちぎれたスーツから、4つの球体が転げ落ちる。緑色、オレンジ色、黒、そしてあれから新たに入手した青、合計4色の玉。
「おや」
 枢が、興味深げな声を発した。
「何だ、キミが持ってたのか。思った通りネツァク、ホド、ビナー、それにケセド……これで10個のセフィラが揃ったねえ」
 謎めいた事を言いながら枢が、右手を掲げている。
 優美な五指が、3つの球体を転がしていた。紫、黄色、灰色、3色の玉。見事なコンタクト・ジャグリングである。
 フェイトは息を呑んだ。
「それは……」
「この大聖堂のあっちこっちで、あたしが拾い集めたものさ」
 言いつつ枢が、左手でもコンタクト・ジャグリングを披露している。こちらは白と赤、それに複数の色が混ざり合った、虹のような色彩の玉である。
「3つ目の玉をゲットしたあたりで、ピンと来たよ。これは絶対、セフィロトの樹だってね……ほら思った通り。そこに、思わせぶりなものがあるじゃないか」
 枢の眼差しが、大聖堂の壁の一角に向けられる。
 奇妙な壁画が、そこに描かれていた。
 10個の果実を生らせた樹木、のようなもの。それら果実の部分は全て、球形に凹んでいる。
 枢が、ゆらりと身を翻し、左右の細腕を振るった。舞うような、投擲の動き。
 6つの玉が、6色の光となって飛んだ。
 そして壁画の凹んだ部分に命中、そのまま収まってしまう。
 6つの光の果実を生らせた樹木が、輝きを強めた。
 床に転がっていた4つの玉が、その輝きに引き寄せられて浮揚・飛翔し、残る4つの凹みに吸い込まれて行く。
 セフィロトの樹が、完成した。
 その瞬間、風景が変わった。
 礼拝堂、と思われる場所に今、フェイトと枢はいる。
 司祭らしき聖職者たちが、尊大な言葉で2人を迎えた。
「よくぞ、ここまで辿り着いた。神の裁きを、報酬として受け取るが良い」
「緑眼の少年よ、そなたには楽しませてもらったぞ……ようやく会えたな」
 そんな言葉を、フェイトはしかし聞いてはいない。
 見覚えのある、禍々しいものが、礼拝堂の奥からこちらを見下ろしているからだ。
 十字架に拘束された、聖者の骸骨。
 その周囲を、光か炎か判然としないものたちが飛び回っていた。
 何であるのか、フェイトはおぼろげに理解した。
 おぞましいほど濃密な、負の思念が感じられたからだ。
 憎しみ、怒り、悲しみ、痛み、苦しみ……それらが目に見える光あるいは炎と化し、聖者の骸骨に群がっている。救いを、求めるかのように。
「何だよ、それは……」
 フェイトは呻いた。
「あんたら一体……何を、している?」
「あれはな、そなたたちとは違う。この聖堂迷宮において、無様に命を落とした者どもよ」
 フェイトが思った通りの答えを、司祭たちは口にした。
「そやつらの魂が、救世主の肉体を成す……見届けよ! 腐りきった世に裁きを下す、聖なる断罪者の現臨を!」
 光か炎か判然としないものたちが、聖者の骸骨にまとわりつきながら実体化してゆく。
 怪物の、肉体としてだ。
 フェイトは、左右の拳銃をぶっ放した。
 命中はした。
 嵐のような銃弾を全て、構成中の肉体の内部に飲み込みながら、怪物は完成に近付いてゆく。
 あの時と同じである。この聖者の骸骨には、フェイトの能力が全く通用しないのだ。
 そんな怪物が、あの時は骨格だけであったが、今は肉体を獲得しつつある。
 倒せるわけが、なかった。
「落ち着きたまえ、フェイト君」
 枢が言った。
「この化け物は、言ってみれば実体化しつつあるセフィロトの樹だ。10個のセフィラを、正しい順番で撃ち砕く。倒す手段は、それしかない」
「正しい、順番……」
「まずはマルクト、続いてイェソド!」
 枢の言葉に従い、フェイトは引き金を引いた。
 怪物の、人間で言うと金的と臍の辺りに、まずは銃痕が穿たれた。
「ホド、ネツァク、ティフェレト! ゲブラーからケセド、ビナーからコクマーへ! そしてケテル! まだ! まだ終わりではないよ」
 銃声が10回、響き渡る。
 怪物の身体に、計10個の弾痕が生じていた。
 異形の聖者。その構成中の肉体に、銃創によるセフィロトの樹が描かれている。
「ダアト……隠された、11個目のセフィラ。キミになら見抜けるはずだよ、フェイト君」
「ああ……そこだっ!」
 引き金を引きながら、フェイトは念じた。
 攻撃の念を宿した銃弾が、怪物の、胸板の中央を貫通する。
 異形の聖者は、硬直し、ひび割れ、十字架もろとも崩壊した。
「動くな!」
 慌てふためき逃げ惑う司祭たちに、フェイトは拳銃を向けた。
「IO2だ! お前たちを、捕縛する……まともな裁判なんか受けられると思うなよ」
「おーこわ。IO2の人だったんだね、フェイト君って」
 枢が、おどけている。
「あたしも何かやらかして、キミらにしょっぴかれないようにしないとね」
「……助かったよ、ありがとう」
 フェイトは、礼を言った。
 周囲では、礼拝堂内部の風景が、幻影の如く揺らぎ始めている。
「ラスボスを倒してゲームクリア、ってとこかな」
「さて……どうだろうね、それは」
 怯える司祭たちを見据え、枢は言った。
「この聖堂迷宮は多分、ずっと昔から存在していたものだよ。こいつらは、そこに住み着いて悪さをしていただけ。迷宮そのものは、またどこかでポッカリ口を開けて……あたしやキミみたいなのを、呑み込んじゃうかもね」

カテゴリー: 02フェイト, その他(コラボ・小湊WR), 小湊拓也WR(フェイト編) |

あなたのおうちは、どこですか

「回収騒ぎ、っちゅう事やね」
「後から回収するなら最初から売るな……って話にしかならないのは、わかってるよ」
 アンティークショップの女主人が、苦笑する。
 セレシュ・ウィーラーは、腕組みをした。
「バジリスクの瞳……ここ2、300年くらい行方知れずっちゅう話やったけど」
 バジリスクの瞳。睨んだ相手を石像に変える魔獣の名を冠した、左右一対の宝石。
 この店に置いてあったのは、左側だけであったらしい。
 それが先日、売れた。
 買って行ったのは、東京郊外に豪邸を持つ大富豪で、普通に紳士と表現出来るような人物であったという。
 その翌日あたりから、であろうか。
 東京郊外のとある区域で、行方不明者が続出し始めた。例の紳士の豪邸を中心とした区域である。
 この店の女主人が、独自の情報網を駆使して調べ上げた結果、ある事が判明した。
 海外の権威あるオークションに、とある曰く付きの宝石が出品された事。それを、日本人の富豪が落札した事。
 その富豪が、先日の紳士と同一人物である事。
 落札されたのが、バジリスクの瞳の右側であったのか。あの紳士が、左右一対を揃えてしまったのか。そこまでは、わからない。
 ただ、彼の邸宅の周辺で、行方不明者が続出している。
「……なるほど。それは調べなあかんね」
「尻拭いみたいな事させて、申し訳ないとは思ってるよ」
 女主人は言った。
「バジリスクの瞳を、少なくとも倍の金額で買い戻す用意がある。それを、まず伝えて欲しいんだ。どうも、こっちからは連絡がつかなくなっちまっててね」
「お話が通じない状態になっとるかも知れへんと、そうゆう事やな」
 買い戻す事が出来ないならば、奪い返す。それが、この女主人からの、今回の頼まれ事である。
「本当に、悪いね……」
「構へんよ」
 頼まれて行くのではない、とセレシュは思った。
「ほんまにバジリスクの瞳なら……うちにとっても、他人事とちゃうしな」

 バジリスクの瞳。
 その名の通り、人間を石像に変える魔力を秘めている。が、それは左右一対が揃わなければ発揮されない。
 2つが揃わなければ、単なる美しい宝石に過ぎないのだ。
 揃った瞬間、石化の魔力が溢れ出し、見る者全てを石像に変えてしまう。名に恥じぬ災禍をもたらす魔宝で、IO2でも、その所在を探っていたところである。
 左側の行方は、相変わらず掴めない。だが右側の方は先日、とあるオークションに出品されたらしい。
 落札したのは、日本人の富豪であるという。
 その富豪の邸宅敷地内に今、フェイトはいる。
 日本の邸宅とは思えないほど、広い庭園であった。
 迷路の如く樹木が植えられている、だけでなく、あちこちに石像が立っていた。美しい婦人像の数々。どれも、薄気味悪いほど精巧な出来である。
 まるで何人もの美女・美少女が、この迷路に迷い込んだまま石化してしまったかのようだ。
「大当たり……って事かな」
 油断なく拳銃を握りながら、フェイトは木陰から庭園を見渡してみた。
 気のせい、ではない。どの石像からも、微かな生命の気配が漂い出している。悲鳴にも似た思念が、感じられる。
 石像たちが助けを求めている、とフェイトは感じた。
「やっぱり、バジリスクの瞳……」
 その独り言に、何者かが応じた。
「お目の高い泥棒さんやね。この家で一番やばいお宝に目ぇつけとる」
 フェイトは振り返り、銃口を突き付けた。いつの間にか背後に立っていた、1人の女性に。
 白衣のようなロングコートを細身にまとった、理系と思われる若い娘。
 フェイトは息を呑んだ。気配を、全く感じなかったのだ。
 エージェントネームを許されて以来、これほど容易く背後に立たれたのは初めてである。
「おっと、物騒なもん持っとるわ。こそ泥やのうて、押し込み強盗かいな」
 銃口に怯んだ様子もなく、その娘は微笑んだ。
「このお家はやめとき。たぶんな、おハジキ1丁でどうにかなる相手とちゃうでえ」
 一癖ありそうな美貌が、にこりと歪んだ。
 眼鏡の奥で、青い瞳が不敵な輝きを孕む。金色の髪は、風もないのに揺らめいているように見える。
 この笑顔を自分は知っている、とフェイトは思い出した。
「セレシュさん……?」
「ん~……どっかで会うたかな」
 かけ直す感じに眼鏡を弄りながら、彼女はフェイトの顔を覗き込んだ。
「……昔うちの近所に、迷子の仔猫ちゃんみたいな男の子がおってなあ。よう似とるわ、自分」
「こ、仔猫って何……誰の事かな、それは」
「隠さんでええて。心に仔猫ちゃん飼うてるのは、相変わらずみたいやね」
 にこにこ笑いながらセレシュ・ウィーラーは、フェイトの肩をぽんと叩いた。
「久しぶりやなあ、勇太さん。最初わからへんかったけど、よう見るとあんま変わっとらんわ」
「変わってない……かな」
「昔より落ち着いた感じやね。いろいろ難儀な目に遭うてきたのは、わかるわ……けど勇太さんは、勇太さんやで」
「セレシュさんも、変わってないね」
「ごってり若作りしとる、とか思うとるんやろ?」
 フェイトは、笑ってごまかした。
 この女性が、もしかしたら人間ではないのではないか、とは昔から感じていた事である。
 今はそんな事よりも、まず確認しなければならない事があった。
「ええと、ここ……セレシュさんの家? ってわけじゃないよね」
「うちも相変わらず、儲かっとらん鍼灸院や。こんなお屋敷、建てられへんて」
「じゃあ2人して、不法侵入ってわけだ」
 昔から、鍼灸院を経営しつつ、何かしら厄介事の始末なども請け負っていたようである。
「うちもな、実は押し込み強盗みたいな用事で来とるんや」
「俺も今……下手すると、強盗よりタチの悪い所で働いてる。そこの仕事で来てるんだけど」
「IO2?」
「……わかるの?」
「力、持て余しとったやろ勇太さん。あの力を活かせる職場なんて、そうそうないで」
 セレシュの目が、ちらりと邸宅の方を向いた。
「あんなん相手の、お仕事やろ?」
 男が1人、歩み寄って来たところである。
「ようこそ我が家へ……我がコレクションの展示場へ」
 身なりの良い、紳士風の男。この邸宅の主……例の宝石を落札した人物であろう。
 サングラスをかけている。が、そんなものでは隠しきれない妄執の眼差しが、セレシュに向けられている。
「招かれざる客人とは言え、貴女のような美しい方は大歓迎だ」
「男に用はない、ってわけか」
 言いつつフェイトは、庭じゅうの石像たちにぐるりと片腕を向けた。
「だけどこっちは、あんたに用があるんでね……まずは、この人たちを元に戻してもらおうか」
「この人たち、とは? 元に戻すとは?」
 男が、ニヤニヤと不快な笑みを浮かべる。
「ピュグマリオンの神話でもあるまいし、石像を人に変える事など出来はせんよ……その逆ならば可能だがな!」
 男が、顔から引きちぎるようにサングラスを取り去った。
 露わになった眼球が、禍々しく輝いた。
 否、眼球ではない。
 宝石が、2つ。左右の目蓋の下に、両の眼窩の中に、埋め込まれている。
 左右一対の、バジリスクの瞳。
 それを体内に埋め込む事で、男は人間ではなくなっていた。
 服が破け、その下から鱗ある巨体が盛り上がって来る。
 そこから新たに4本の腕が生え、カギ爪を振り立てる。
 直立した大型爬虫類のような怪物が、そこに出現していた。腕は6本、脚は一対、計8本の手足。伝説の魔獣バジリスクと、同じである。
「男など石像にしたところで何の趣もなし、よって死ね!」
 バジリスクに似た巨体が、襲いかかって来る。
「あちゃあ……倍の金額で買い戻すっちゅう話も出とんのに、もうあかんなあ」
「セレシュさん、下がって!」
 襲い来る怪物に向かって、フェイトは引き金を引いた。
 怪物の全身で火花が散った。強固な外皮が、フルオートの銃撃を弾き返していた。
「ふっはははは、これが! 世の腐れ汚れしか見えぬ眼球と引き換えに得た、我が新たなる力よ!」
 カギ爪のある6本の手が、様々な方向からフェイトを引き裂きにかかる。
 風を受けた柳の如く身を揺らしながら、フェイトはその全てをかわした。
「私は、妻を愛している……」
 怪物の言葉に合わせ、暴風にも似た空振りが全身あちこちをかすめて奔る。
 それを感じながらフェイトは、ゆらりと踏み込んで行った。
「妻には、永遠に美しくあって欲しかった……この腐りきった世の中にあって、永遠に朽ちる事なき美を! 私は妻だけでなく、この世の美しき女性全てにプレゼントしているのだよ!」
「……じゃ、俺からのプレゼントも受け取ってもらおうかっ」
 怪物の懐に、フェイトは達していた。
 銃弾を跳ね返す胸板に、拳銃を思いきり押し付ける。
 そして攻撃を念じながら、引き金を引く。
 零距離射撃。爆発のような銃声が轟いた。
「が……ッッ!」
 悲鳴を吐きながら、怪物は吹っ飛んでいた。
 分厚い胸板に、白い光の塊がメキメキッ! とめり込んでゆく。
 攻撃の念が、物理的な力として発現しながら銃弾を包んでいる。光の弾丸が、怪物の胸筋を凹ませ、肋骨をへし折り、心臓を圧迫している。
 地響きを立てて倒れ込んだ怪物が、悲鳴を垂れ流し、のたうち回りながらも、フェイトに向かって両眼を禍々しく輝かせた。
 左右の眼窩に埋め込まれた、バジリスクの瞳。それが、光を発していた。
 石化の光。
 かわそうとしながら、フェイトは気付いた。自分の背後にはセレシュがいる。石化能力を有する彼女ではあるが、それは自身が石化しないという確たる保証となり得るのか。
 躊躇している一瞬の間に、回避の機会は失われていた。

「先に言うとくんやったなあ……うち、石に変わる系の攻撃は全然平気やて」
 セレシュは頭を掻いた。
 目の前では工藤勇太が、自分を庇う姿勢のまま石像と化している。
「うぐぅ……や、やはり男の石像など美しくなぁい……」
 怪物の巨体が、よろよろと起き上がりながら、苦痛と憎悪の呻きを発する。
「この庭園を汚すもの……打ち砕いてくれる!」
「させんて」
 セレシュは進み出た。動けぬ勇太を、背後に庇う格好となった。
「せっかく痛い思いして埋め込んだ、その新しい目ん玉……回収させてもらうで」
「ほう、私と戦おうと言うのかね。お嬢さん」
 バジリスクの瞳が、セレシュに向かってギラリと輝いた。
「その美しく勇敢なる姿を、永遠にとどめてくれる……!」
 石化の光。それがセレシュにぶつかり、飛び散った。微かな衝撃だけを、セレシュは感じた。
「……まがいもんやな、自分」
 ゆっくりと、セレシュは眼鏡を外した。
 紛い物のバジリスク、とも言うべき怪物が、恐怖に青ざめ、硬直している。
 その姿を、セレシュは見据えた。
「バジリスクっちゅうんは、うちの親類みたいな連中や。うちらと違て、頭悪うてブッサイクやけど……魔獣族の名誉は、守ったらな」
 硬直した怪物が、石像と化しながら砕け崩れた。
 ぶちまけられた、大量の石の破片。その中からセレシュは、バジリスクの瞳を片方だけ拾い上げた。
 左右一対、揃っていた魔宝石が、離れ離れになった。
「……っと」
 勇太が、尻餅をついた。
 他の石像たちも、生身の美女・美少女に戻りながら、倒れたり座り込んだりしている。意識を失っている者もいるが、命に別状はない。
 その光景を見回しながら、勇太が頭を掻く。
「よくわかんないけど……セレシュさんに、助けてもらっちゃったみたいだな。俺、何にも出来なかった」
「そんな事あらへんて。勇太さん、強うなったんやね」
 下手をすると、今のバジリスクもどきなど問題にならぬほどの怪物となってしまいかねない少年だった。
 この5年間、IO2で己を鍛え上げていたのは間違いない。
「IO2で一人前になると、源氏名みたいなもん貰えるそうやんか。勇太さんも何か名乗っとるん?」
「エージェントネームだよ。俺は……フェイト。そう名乗ってる」
 運命。一生かけて立ち向かう相手を、彼はしっかりと見定めたようである。
「もう迷子の仔猫ちゃんやないと……そういう事やね、フェイトさん」

カテゴリー: 02フェイト, その他(コラボ・小湊WR), 小湊拓也WR(フェイト編) |