再会・吸血鬼の国で

迷信深い、と言ってしまえば、それまでである。
 吸血鬼というものの存在を信じる人々が、日本と比べて格段に多いのは事実だった。
「頼む、頼むよ! 早く、うちの娘を助けてくれよう!」
 この男もまた、自分の娘が吸血鬼にさらわれたのだと信じて疑おうともしない。
「早く! 早く、助けてくれねえと……娘も、吸血鬼になっちまう……」
「落ち着いて。一刻を争う事態であるのは、私も承知しています」
 泣きじゃくる男の肩に、ヴィルヘルム・ハスロは片手を置いた。
 東欧某国の、とある村。
 ここでは最近、若い女性の失踪事件が相次いでいた。
 それを疑いもせず「吸血鬼の仕業」と信じ騒ぎ立ててしまうのが、この国の人々なのである。
「ああ……だからニンニクと十字架を持ち歩けと、あれほど言ったのに……」
 行方不明となった少女の母親が、泣き崩れる。
 吸血鬼がニンニクを恐れるなどというのは、それこそ迷信の最たるものだ。
 十字架とて、正しい信仰心を持った者が、しかるべき儀式の手順を踏んで用いなければ効果はない。
 ヴィルヘルムはつい、そう言ってしまいそうになった。
 本当に吸血鬼の仕業であるかどうかはともかく、単なる誘拐事件とも思えぬ部分があるのは間違いなさそうであった。
 ヴィルヘルムの勤める会社に、依頼が来たのである。
 民主警察では手に負えぬ事件を、専門に扱う会社だ。
 社命を帯びて現地に赴いたヴィルヘルムが、まず最初に試みたのは、聞き込みによる情報収集である。
 ただ、やはり住民の噂話では、大した事はわからない。
 吸血鬼が、娘をさらった。口々にそれだけを言う村人たちから、辛抱強く話を聞き続けた結果、その吸血鬼は村はずれの廃屋に棲み付いているらしい、という情報を入手する事が出来た。
「情報と呼べるほど、確たる話ではないが……うん?」
 もともと教会であったという、その廃屋へと向かいつつ、ヴィルヘルムはふと足を止めた。
 頼りない日本語と、怒気に満ちたセルビア語が、同時に聞こえて来たからである。
「お、俺は怪しい者じゃないです! 不審者じゃないです! いやまあ、信じてもらえないかも知れませんけど……」
「真っ黒な服なんぞ着やがって、てめえ吸血鬼だな? 昼間っから出て来やがるたぁ、ふてえ野郎だ」
 日本語とセルビア語である。当然、会話にはなっていない。
「な、何言ってんのかわかんないけど落ち着きましょう、とにかく。俺、ただの観光客ですから。ほらパスポートもあるし」
 日本語を発しているのは、マフィアかSPのような格好をした、1人の若者だった。黒のスーツが、そこそこ様になってはいるのか。
 黒髪に、彫りの浅い顔立ち。紛れもなく日本人である。いささか童顔気味で、下手をすると少年にも見えてしまう。
 そんな若者を、複数の村人が取り囲んでいた。撲殺の構えで、農具を振りかざしながら。
「俺の姪っ子をどこに隠しやがった? 言わねえと、どたまカチ割ってニンニク詰め込むぞ、おう!」
「わしの孫娘はどこにおる! 正直に言わんのなら、心臓に杭を打ち込むぞ!」
「俺の妹!」
「娘!」
「ご、ごめん嘘つきました。俺、観光客じゃありません。本当は仕事で来ました! あのですね、皆さんにちょっと、お訊きしたい事が」
 日本人の若者が、悲鳴じみた声を発した。やはり言葉は通じていない。
 彼が何者なのかは不明だが、少なくとも吸血鬼などではない事は明らかだ。人間である。
 単なる人間にしては、しかし何か妙なものが感じられなくはない。何かが、ヴィルヘルムの感覚に触れてくる。
「普通の人間ではないのは、私も同じか……それにしても」
 怒り狂った村人たちに迫られ、途方に暮れている若者を、ヴィルヘルムはすぐには助けず、じっと観察した。
 自分と同じ、緑色の瞳。
 どこかで会った事がある、ような気がする。この少年のような若者が、本当に少年であった頃に。
「まさか……勇太さん?」

「どうも、本当に……助かりました」
 どうやら日本語が通じるらしい欧米人の青年に、フェイトは頭を下げた。
 この青年が、村人たちをなだめ、穏やかに退散させてくれたのだ。
「ありがとうございました」
「悪い時に来てしまいましたね、勇太さん。今、この村の人たちは気が立っている。厄介な事件が、起こっている最中なんですよ」
 フェイトは思わず顔を上げ、欧米人の青年をまじまじと見つめた。
 彼は今、間違いなく、自分を勇太と呼んだのだ。
 青年と言っても、見たところフェイトよりずっと年上である。20代後半、もしかしたら30に達しているのかも知れない。
 茶色の髪に、ハリウッド俳優を思わせる端正な顔立ち。仕立ての良いスーツに包まれた身体は、細く見えて、実は無駄なく戦闘的に鍛え込まれているのがフェイトにはわかる。
 そして、自分と同じ緑色の瞳。
「こんな所へ、仕事で来たと言っていましたね。一体どんな仕事をしてるんですか?」
「……ヴィルさん? もしかして。うわあ久しぶり!」
 フェイトは、思わず叫んでいた。
「まさか、こんな所で会うなんて……あっ俺、今IO2って所で働いてるんだけど」
「ほう。つまり私の商売敵?」
「そういう事に、なっちゃうのかなあ」
 ヴィルヘルム・ハスロ。
 フェイトが工藤勇太という一介の高校生であった頃からの、知り合いである。IO2と似たような業務を行う民間軍事会社に勤め、様々なものと戦うために世界中を飛び回っている男だ。
「俺から見れば商売敵って言うより、先輩の同業者だよ……ヴィルさんも、例の吸血鬼事件でここに? まあ、まだ吸血鬼の仕業って決まったわけじゃないけど」
「そうですね。誰の仕業なのかはともかく、大勢の女性が危険な目に遭っているのは事実……」
 緑色の瞳が、緑色の瞳を、じっと見つめてくる。
 見られている、とフェイトは感じた。自分がアメリカに渡り、ヴィルと会わなくなってからの数年間を今、じっと観察されている。
「……力を貸してくれますか? 勇太さん」
「俺……ヴィルさんに比べたら全然ひよっ子で、思いっきり足引っ張るかも知れないよ?」
「IO2という組織は、ひよこちゃんを単独で派遣するような事はしないはずです。まあ、もう少し現地語を習得させておくべきとは思いますけどね」
 ヴィルが微笑む。フェイトは、頭を掻くしかなかった。
「……あれから、いろいろあったようですね。勇太さん」
「まあね……」
 とだけ、フェイトは応えた。
 いろいろあったにせよ、得意気に語るような事など1つもない。

 荒廃した教会の中に、ヴィルとフェイトが足を踏み入れた瞬間、光が灯った。いくつもの燭台が、端から順に燃え上がってゆく。
 吸血鬼の模倣、なのであろうか。黒い衣装に身を包んだ男たちが、葬列の如くずらりと居並んでいた。
 その中心人物と思われる1人が、言った。
「よくぞ来た、と歓迎して差し上げたいところだが……男には、用がないのだよ」
 吸血鬼でも何でもない、ただの人間である。
 フェイトは気付いた。壁に、無数の十字架が飾られている。
 それら十字架に拘束されているのは、茨を冠った聖人の像ではなく、生身の若い女たちだった。年頃の少女もいる。幼い女の子もいる。
 行方不明であった娘たち。全員、恐らくは薬によって意識を失っている。生きてはいるようだ。
 フェイトは、とりあえず訊いてみた。
「これは……どういう趣味なのかな」
「今宵、偉大なる御方がお目覚めになられる。この乙女たちの清らかなる血が、大いなる目覚めの活力となるのだ」
 黒衣の中心人物が、得意気に語る。
「吸血鬼信仰……か」
 ヴィルが、ぞっとするほど重い呻きを漏らした。
「この娘たちは、生贄というわけだな」
「その通りだが、男どもの汚れた血は要らぬ。ただ死ね。貴様たちの汚らわしい屍を片付けた後、生贄の儀式を執り行う」
 中心人物……吸血鬼信仰の教祖が、告げる。
 その言葉に合わせて、男たちが一斉に動いた。彼らの黒い衣装が、破けて散った。
 現れたのは人間の男ではなく、犬であった。
 コウモリのような皮膜の翼を生やした、獰猛な大型犬。それらが数十匹、触れただけで狂犬病に罹りそうな牙を剥き、あらゆる方向からヴィルとフェイトを襲う。
 遺伝子工学だけではなく、魔術妖術の類も混ざっているであろう。とにかく、人工的に作り出された生物である事は間違いない。
 もしかしたら、虚無の境界あたりから技術が流れ出しているのかも知れなかった。
 フェイトは左右2丁、拳銃を構えて引き金を引いた。
 嵐のような銃声が、聖堂内に轟いた。
 翼を生やした狂犬が5、6匹、フルオートの銃撃を受けてズタズタに吹っ飛んだ。
 壁一面に、村の娘たちが捕えられている。流れ弾が、彼女たちを襲う。
 フェイトは念じた。
 念動力の渦が生じ、吹き荒れた。
 流れ弾が全て、それに巻き込まれて勢いを失い、娘たちに当たる事なく落ちてゆく。
「お見事です、勇太さん」
 言いつつヴィルが、拳銃を構えた。フェイトでは両手で保持するのも難しそうな、大型の拳銃だ。
「禍々しい力と正面から向き合い、自分のものにしている……本当に、うらやましい」
 それを、ヴィルは左手だけで軽やかに操り、引き金を引いた。
 轟音が、響き渡った。
 翼を生やした狂犬が10匹近く、一瞬にして原形を失った。
 肉片と体液の混ざり物がビチャビチャッと飛び散る中、ヴィルが舞うように身を翻し、銃口の向きを変える。そして引き金を引く。
 嵐のようなフルオート射撃が、狂犬の群れを薙ぎ払い、不味そうな挽肉に変えてゆく。
 大型拳銃を軽やかに振り回し、銃撃の嵐を正確に叩き込む。傭兵として戦場で鍛え上げてきた、腕力と技量。
 超能力頼りの自分とは下地の強さが違い過ぎる、と感じながらフェイトは、念動力の放出に専念した。
 いかに正確な射撃でも、流れ弾というものは、どこに飛んで行くかわからない。
 念動力の気流が、捕われの娘たちを防護する形に吹きすさび、跳弾や流れ弾を叩き落としてゆく。
「馬鹿な……」
 教祖が、絶望の呻きを発した。血走った両眼が、ヴィルに向けられている。
「馬鹿な……まさか、貴方は……」
「それ以上は言わずにいてもらおう」
 翼を生やした狂犬たちを1匹残らず粉砕した大型拳銃が、ヴィルの左手の中でくるりと回転した。
「馬鹿げた夢は、ここまでだ……お前の言う『偉大なる御方』など、この世にはいないのだよ」
「貴方は……貴方こそが、偉大なる御方の……」
「黙れ……!」
 大型拳銃を、ヴィルは教祖に向けた。
「何度も同じ事を言わせるな。吸血鬼など、この世には存在しない」
「それは、どうかな……」
 教祖が、銃口を恐れた様子もなく笑った。
「この世で最も気高く邪悪なるもの……その末裔たる御方が、確かにここにおられる。今は、人間の味方の真似事をしておられようが……その血は、いずれ」
 言葉と共に息を詰まらせ、真紅の飛沫を吐き出し、教祖は倒れた。
 舌を、噛み切っていた。
 その屍を見つめながら、ヴィルが言う。
「独り立ちしたIO2エージェントには、コードネームが与えられると聞いてます……勇太さんは、どんな名前を?」
「フェイト」
 いささか気恥ずかしさを感じながら、フェイトは答えた。
「名前負けしないよう、努力はしてるつもりだよ」
「運命と、あるいは破滅と……正面から、向き合おうとしているんですね」
 ヴィルは天井を見上げた。天井ではない、どこか遠くを見つめている。
「私も貴方みたいになれるんでしょうか、勇太さん……いえ、フェイトさん」
 なれるよ、という言葉をフェイトは呑み込んだ。無責任な返事が許される問いかけ、ではなかった。
 今はとにかく、十字架に捕われたまま意識を失っている娘たちを、解き放ってやらなければならない。
 村人たちに、手伝ってもらう必要がありそうだった。

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翡翠の瞳は闇を射貫く

「殺人事件……ですか?」
 若きビジネスマン黒崎は、少なくとも表のビジネスではあまり用いられない単語を口にしていた。
『被害者は独り暮らしの老婆。犯人は、食い詰め者の強盗だ』
 スマートフォンの向こう側で、黒崎の上司が淡々と語る。
『その老婆の所有物で、最も高価な品物が奪われた。翡翠の細工物だ。老婆は、それを奪われまいとして強盗に殺されたらしい』
「大切な物だったのでしょうねえ。痛ましいお話です。が……それは警察の仕事ではないのですか?」
『警察の出る幕は、すでに終わっている。何しろ犯人はもう死んでいるのだからな』
 街中である。黒いスーツに細身を包んだ若い男が、スマートフォン相手に会話をしている様は、若手のビジネスマンそのものであった。
 眼鏡で知的に彩られた顔立ちは、ほっそりと秀麗で、いかにも切れ者といった感じである。
『問題は犯人ではなく、奪われた翡翠細工の方なのだよ』
「曰く付きの品、というわけですか」
『怪物と化した。老婆の怨念と言うか、翡翠への執着心によってな……当然、奪った強盗本人が第1の犠牲者となった』
「第2第3の犠牲者が?」
『すでに10人近くが殺されている。その被害者たちの共通点は、翡翠の色……煌めくような緑色の品物を全員、何かしら身に付けていた』
「翡翠の色に執着する怪物、ですか……」
『緑系統の宝石の、例えば指輪をしていた者は腕をちぎり取られている。イヤリングを付けていた者は、首を刎ねられている。そんな具合だ』
「その怪物の外見は、判明しているのでしょうか」
『黒衣をまとう人間の姿をしている。その両眼に翡翠の輝きを残した、人型の魔物だ』
「討伐対象の外見的特徴は、黒衣に翡翠色の瞳……ですね」
『健闘を祈る』
 もちろん、健闘だけで許される仕事ではない。
 黒崎は、軽く眼鏡を弄った。その下で、切れ長の両眼がキラリと緑色に輝く。
 黒崎が、黒鷺に戻る時が来た。

 洋館と言うほど大層な造りではないが、なかなかに立派な洋式住宅。住人が生きていた頃は、そうだったのだろう。
 今は、荒れ放題の廃屋である。
 その中に、黒い人影がフワリと踏み入った。
 細い身体を包むスーツは黒。髪も黒。サングラスも黒。
 それら黒色と鮮烈な対比を成す、白く端正な顔が、廃屋の内部を油断なく見回している。
「黒衣に、緑色の瞳……ね」
 討伐対象の外見的特徴に関しては、そのように聞いている。
 IO2の任務として彼……フェイトは今、ここにいた。
 緑色に執着する怪物がこの廃屋に潜んでいて、時折、外に出ては殺人を繰り返しているらしい。
 IO2が掴んだ情報によると、その怪物を生み出した原因は、この洋式住宅で独り暮らしをしていた老婆が犠牲者となった、数ヶ月前の強盗殺人事件であるという。
「まったく人間の怨念ってのは、悪魔や妖怪の類よりもタチ悪いよな……」
 呟きながらフェイトは、廃屋内の埃っぽい暗闇のあちこちに拳銃を向けた。
 人間ではないものの気配は、確かにある。敵がどこから襲いかかって来ても、おかしくはない。
 その気配が突然、強まった。
 ばさっ……と、羽ばたきの音が聞こえたような気がした。
 フェイトは振り向き、銃口をそちらへ向けた。
 窓が、開け放たれている。最初から開いていたのかどうか、フェイトは記憶が定かではなかった。
 とにかく、やけに明るい月光が、荒廃した屋内に降り注いで来ている。
 その月明かりの中を、何枚もの黒い羽が、ふわふわと舞っている。
「……動くな」
 拳銃を構えたまま、フェイトは声をかけた。月光を浴びて窓辺に佇む、黒い人影にだ。
 細くしなやかな長身。艶やかに黒光りするロングコートに、同じく黒色のレザーパンツ。闇そのもののような黒髪。
 死神。フェイトはまず、そう感じた。
 だが黒髪に囲まれた顔は、剥き出しの頭蓋骨ではなく、細面の秀麗な美貌である。
 知的な眼鏡の下で、両眼が炯々と緑色に輝いている。翡翠の色だった。
「動くな……と、おっしゃいますか」
 翡翠の瞳の死神が、冷笑した。
「動かずにいれば、撃たずに済ませていただけるのでしょうか?」
「……ごめん、それはない」
 フェイトは答え、サングラス越しに死神を見据えた。
 見ただけでわかる。この男、人間ではない。そして黒衣。緑色の眼光。
「俺は、あんたを撃たなきゃならない。動くなとか言う前に撃っとけって話だよなっ」
 躊躇なく、フェイトは引き金を引いた。
 対霊用の処理を施されたマグナム弾が、銃口から立て続けにぶっ放される。
 死神の周囲で、火花が散った。
 目に見えぬ防壁のようなものが、銃弾を跳ね返している。
 全く目に見えないわけではなかった。フェイトの動体視力ならば、辛うじて視認出来る。
 蛇のようなものが死神を取り巻き、超高速で螺旋状にうねり、宙を泳ぎ、フェイトの銃撃をことごとく弾き返しているのだ。
 鞭であった。
 死神の右手が、まるで生きた毒蛇の如く、鞭を操っている。
 その鞭が、防御から攻撃へと動きを変化させた。
 目視出来る攻撃ではない。肌で感じられるものに従って、フェイトはとっさに身を反らせた。
 眼前で、衝撃が弾けた。
 サングラスが、砕け散っていた。
「…………ッ!」
 フェイトは白い歯を食いしばり、うっすらと目を開いた。砕けたのはサングラスだけで、眼球に傷を負ったわけではない。
 無傷の両眼が、緑色の瞳が、死神を睨む。
 その眼光を眼鏡越しに受け止めつつ、死神は言った。
「翡翠の色の瞳……間違いはないようですね」
「安物のサングラスだったけど……けっこう気に入ってたんだな、これがっ」
 会話をしつつ、フェイトは引き金を引いた。
 対霊銃弾が、死神に向かってフルオートでぶっ放される。
 そして火花となった。
 1本の鞭が、まるで何匹もの蛇の如く、死神の周囲で縦横無尽に空気を裂き、銃弾を叩き落としている。
 そんな鞭の乱舞に合わせ、死神は長身を翻した。ロングコートの裾が、ふわりと弧を描く。
 光が飛んだ。
 とっさに、フェイトは身体を揺らした。光が眼前を通過し、後ろの壁に突き刺さった。
 投擲用の、短剣だった。
 右手で鞭を操りながら、死神は左手を振るっている。
 いくつもの光が飛んだ。銃撃の返礼とばかりに、何本もの短剣が投擲されていた。
「くっ……」
 念動力を使う暇もなくフェイトは、それら短剣に銃撃で対応するしかなかった。迫り来る光たちに銃口を向け、立て続けに引き金を引く。
 両者の間の空間いたる所で、銃弾と短剣がぶつかり合い、焦げ臭い火花を飛び散らせる。
 フェイトが短剣を撃ち落としている間、防御の役割から解放された鞭が、攻撃へと転じた。超高速で宙を裂き、毒蛇の如くフェイトを襲う。
 埃の積もった床に、フェイトは転がり込んだ。スーツの汚れを気にしている場合ではなかった。
 直前までフェイトが立っていた辺りで床が砕け、木屑と埃が一緒くたに舞い上がる。
 鞭と短剣による、攻防一体の戦闘技術。
 長きに渡る過酷な訓練と実戦経験でしか、身に付かないものだ。
 この死神のような男の、激烈な攻撃と完璧な防御に、フェイトは血の滲むような訓練を感じ取った。死と隣り合わせの実戦の積み重ねを、感じ取った。
(俺と……同じ?)
 床を砕く鞭をかわして2度、3度と転がった後、フェイトは片膝をついて身を起こし、拳銃を突き付けた。死神の懐に、達していた。
 黒いロングコートをまとう長身。その鳩尾の辺りに、銃口が押し当てられている。
 射殺される寸前の死神が、冷静な声を発した。
「……何故、引き金を引かないのですか?」
「……あんたが、とりあえず思いとどまってくれたみたいだからな」
 死神の左手に握られた短剣が、フェイトの首筋にピタリと当てられている。
 戦いを続けていたら、フェイトの銃が死神の鳩尾を撃ち抜いていたか。あるいは死神の短剣が、フェイトの頸動脈を切断していたか。
 どちらの事態も起こらぬまま、2人の会話は続いた。
「お互い、間抜けな勘違いをしてた……って事かな」
「貴方の動き……生まれつきの能力のみで暴れる、魔物のそれではありませんね。訓練と実戦で身に付けたものです」
 フェイトと同じ事を、この死神も感じていたようである。
(生まれつきの、化け物みたいな力……一応ある事はあるんだけどな)
 心の中で呟きつつフェイトは、死神の鳩尾から銃口を離した。そして問う。
「俺はフェイト……死神さん、あんたの名前は?」
「死神、ですか。一応、福の神なのですがね……黒鷺と申します」
 少し傷付いたような口調で名乗りながらも黒鷺は、フェイトの首筋から短剣を遠ざけてくれた。
 福の神というのは何かのコードネームか。フェイトはそう思ったが、口に出したら、この黒鷺という男をさらに傷付けてしまうような気もした。
 そんな事よりも、人影が1つ、そこに出現していた。
 スーツかコートか、あるいはマントやローブの類か、とにかく黒衣に身を包んでいる。
 顔は、よくわからない。暗黒の中で、両目だけが爛々と緑色に輝いている。翡翠の色だった。
「続けなさい……戦いを、続けなさい……」
 それが声を発した。老婆の声だった。
「戦っている、貴方たちの瞳……どんな翡翠よりも綺麗な緑色に輝いて、とても素敵よ……私に、ちょうだぁああああああい」
 黒衣の袖から、緑色の光が伸びて、カギ爪の形を成した。
 その光の爪が、凄まじい速度で斬り掛かって来る。銃を構える暇さえ与えてくれない高速度である。
 フェイトは、後方に跳んでかわした。緑色に輝く斬撃が、眼前を激しく通過する。
 それを見据えながら、フェイトは着地した。着地した足が、よろめいた。
 勘違いの戦闘で、体力を消耗し過ぎた。
 よろめくフェイトを、緑色のカギ爪が立て続けに襲う。
 いや。その襲撃の動きが突然、止まった。
 黒衣の怪物の全身に、幾重にも鞭が絡み付いている。
 動きを封じられた怪物に、フェイトは落ち着いて銃口の狙いを定め、引き金を引いた。
 残り少なくなっていた対霊マグナム弾の全てが、緑眼の怪物を撃ち抜いた。
 微かな悲鳴が聞こえた、ような気がした。
 鞭が、黒鷺の手元にシュッと戻ってゆく。
 黒衣・緑眼の怪物の姿は、消えていた。
 床に、小さな翡翠の天使像が転がっているだけだ。
 フェイトは息をつき、それを拾い上げた。黒鷺が声をかけてくる。
「……それを、どうするのです?」
「知り合いに、アンティーク・ショップやってる人がいるんでね。預かってもらおうと思う」
「災いの根源となった品物は破壊すべきと思っていたのですが……まあ、とどめを刺したのは貴方です。お譲りしましょう」
「助かったよ、福の神さん。いつか借りを返したいな」
「私はただ、共闘という手段が最も効率的であると判断しただけです」
 冷然と言い放ちながら黒鷺は、フェイトの傍らをすたすたと通過して、窓辺へと向かった。
 翡翠色の瞳が、ちらりとだけ振り向いてくる。
「安物のサングラス……弁償いたしましょうか?」
「……いいよ。経費で落とすから」
「ほう、落ちるのですか」
「落としてみせるさ」
 片手でくるりと拳銃を回しながら、フェイトは振り返った。
 黒鷺の姿は、すでになかった。
 月光の中、何枚かの黒い羽が、ふわふわと舞っているだけである。

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Ambush

一台の車が高速道路を走っていた。
 ハンドルを握るのはクレイグである。そして、助手席に座っているのはフェイトだ。
 二人とも私服姿だったが、急いでいる様子だ。フェイトは手に資料を持っている。
 要するには、任務らしい。
「……なぁ、俺たち今、休暇中だよな?」
 クレイグがそう言いながら眉根を寄せた。彼の表情は不満でいっぱいである。
「文句言いたくなる気持ちも解るけど……仕方ないよ、現場に近いの俺たちだけだったんだし」
「お前って結構、仕事熱心だよなぁ」
 咥えていた煙草を手に取り、ドリンクホルダーの中に入れてある筒状の灰皿に押し付けてその中に入れた後、クレイグはため息を吐きこぼした。
 フェイトはどちらかと言えば、任務に忠実である。
 対するクレイグは、想定外に舞い込んでくる仕事などには否定的であった。今のように休暇を潰されることに関しては、尚更である。
「クレイ、次の出口で一般道だって」
「へいへい」
 フェイトは淡々と手にした資料の中にあった地図を見つつ、クレイグに行き先の指示を出した。
 その資料は何処からと言えば、上司から送られてきた通信データをコピー屋で受信してプリントアウト、それがフェイトの手に収まっているという流れである。
 車はゆっくりと出口の方角へと向かった。ゆるいカーブを曲がり切り、一般道を示す矢印の先へと移動する。
「ところで、今回は何だって?」
「うーん……獣系の殺人事件らしいけど、現場でもうちょっと情報集めしなくちゃいけないみたいだ」
「またクリプティッドかよ」
 クレイグの口から、何度目家のため息が吐かれた。
 クリプティッドとは未確認生物――つまりはUMAの事である。こちらではそう言い填めるのが正しいらしく、UMAとは呼ばれてはいないのだ。
「取り敢えずは、現場着いてからだな」
「そうだね」
 左折を示すターンランプが点滅している。
 赤信号で停止していた車は、信号の色がきちんと変わってからゆっくりと左折をして角を曲がり、拠点とするホテルへと目指し進んでいった。

「ねぇクレイ、これ似合うかな?」
 ひらり、と目の前で舞ったものがあった。
 本来ならこの場にはあり得ない『布』が存在しているのだ。
 それは洋服であったが、女物である。
「…………」
 一人用のソファに深く腰掛けつつ足を組んでいたクレイグは、くるくると舞うスカートの裾に眉根を寄せていた。
「可愛くない?」
「……ユウタ、お前ね」
 はぁ、と大きなため息が漏れる。
 可愛くないはずはないのだ。小花を散らした丈の短いワンピースに、レースのカーディガン。肩を過ぎるくらいの栗色のウィッグはゆるふわで愛らしい。
 だが、問題があり過ぎる。
「俺はまだイエスとは言ってねぇぞ」
「だって、やっぱり囮作戦で行くしか無いと思うよ? クレイが女装するわけにもいかないんだし」
「だからって、なんでお前が女装するんだよ?」
 トントン、と肘掛けに置かれた右手の人差し指がソファカバーに叩きつけられる音が小さく響いた。クレイグは納得がいっていないらしい。
 ホテルに着いた彼らは軽い情報集めをした後、部屋に戻って作戦を練った。
 若い女性ばかりが夜遅くに襲われる事件。被害者の写真を見せてもらったが、どれも喉元を噛み千切られていた。無残な殺され方であった。どう見ても人の手では行えない犯行である。
 地元の警察も怯えて、これはチュパカブラの仕業だと言い出す者もいた。山羊の血を吸う化け物とされ、広く知られているクリプティッドである。
 資料を見てある事に気づいたのはクレイグだった。
 どの事件も満月の夜にしか起こってはいない。そこから思案すると、思い当たる事があったのだ。
 確信を得ているわけではないので、フェイトにはまだ伝えてはいない。
 そうこうしているうちに、囮で犯人をおびき出そうという話になった。クレイグがそれに同意しかねる言葉を幾度か掛けたが、フェイトは半ば強引に決定してしまった。
 そして、現在の女装に至っているのである。
「……クレイ、さっきからずっと面白く無さそうな顔。しわ寄っちゃうよ?」
 とん、と人差し指を額に押し付けてきたのは、何処からどう見ても女性にしか見えないフェイトであった。
 改めてその姿を視界に入れてから、クレイグは両手を差し出し立ち上がり、フェイトを軽々と抱き上げる。
「え、何……?」
 予想もしてなかったのか、フェイトが瞠目しながらそう言った。
 彼の身体は宙に浮いたまま隣に移動し、次の瞬間には大きなベッドに沈まされた。
「お前さぁ、どこまで自覚できてんだよ?」
「な、何の……?」
 クレイグは当たり前のように、寝かせたフェイトの身体の上に乗ってくる。
 腕を顔の横に沈ませて、上体を屈めた。
「……良く似合ってるよ」
「今更、そんなこと……ちょっ、クレイ!」
 膝上に手を置かれた。
 感触に驚き足を曲げると、スカートの裾が腰へと落ちそうになり、フェイトは慌てて手をやる。
「ほらな? 簡単にこうなっちまう。……短すぎだし、可愛すぎ。犯人誘き出す前に別のやつが引っかかるっての」
「そんなこと、あるわけ……っ」
「そう思ってんのはお前だけだ」
 空いている手がフェイトの頬に滑りこむ。
 作り物の長い髪を親指で払ってやりながら、クレイグは彼を黙らせた。己の唇でフェイトの口を塞ぐ――文字通りの口封じである。
 突然の行動に、フェイトは拳で彼の胸辺りを叩いた。
 だが、クレイグには何の効果も見られない。
「……クレ、……ちょっ、と……っ」
 頬にあった手のひらがいつの間にか肩口におりていて、指先がガーディガンの襟口を滑らせる。
 さすがに焦りを感じたフェイトは、腕に力を込めて彼を思い切り押した。
 唇が離れて、吐息がぶつかり合う。
 また繰り返されるかと思ったが、クレイグはあっさりと身体を離して起き上がった。
「まぁ、こんな展開が起こってもおかしくねぇって話だ。もうちょい、その辺の自覚してくれ」
 クレイグはそう言って、ベッドを降りた。そしてフェイトに背を向けたまま彼は煙草を手にしてバルコニーに出る。風に当たりながら一本を取り出して咥え、徐ろに火を灯す。そして深く息を吸った後、重い溜息とともに紫煙を吐き出し、かっくりと頭を垂れた。
 窓越しに見えるそんな彼の背中を、フェイトはゆっくりと身を起こしつつ見て、小さく苦笑しながら自身もベッドを降りた。
 そして、クレイグのいるバルコニーへと足を運ぶ。
「……クレイ?」
「もうちょいそこで待ってろ」
 呼びかけると、クレイグは背を向けたままでそう返してきた。
 そんな背中に、フェイトはゆっくりと手を伸ばす。
「怒ってる?」
「そうじゃねぇ。……むしろ今怒るべきなのは、お前のほうだろ」
「珍しいね。そんなに心配だった?」
 拒絶されなかったので、フェイトはそのままクレイグの背中から腕を回して彼に抱きついた。
 クレイグはその温もりを感じながら風向きを読んで、少し上向きで煙を吐き出している。
 彼は、己の理性に負けてフェイトにしてしまいかけた行動を悔いているようだ。そのために距離を取ったのだが、温かい背中の存在に、またあっさりと気持ちも揺らぐ。
「お前はほんとに、俺をダメにさせるのが上手いよな……」
 そう言いながらクレイグはゆっくりと振り向いた。煙草は右手に収まっていて、手すりの上にある。
 フェイトの腕は彼に巻かれたままだ。
 空いている左手が、自然と頬に滑り込む。自分を見上げる緑の目。女性の格好のままなので、男女のカップルが普通に身を寄せているだけの光景に見える。
「どう? 可愛い?」
 フェイトが小首を傾げつつ、再びの問いかけをしてきた。
 小悪魔だ、とクレイグは思う。元からあざとさは感じ取ってはいたが、ここまでとは思ってはいなかった。
「最高に可愛いよ」
 顎を引いて、答えてやる。
 近づいてくる唇を、フェイトは拒まない。
 ベランダで重なる自然に見える影は、暫くそのままであった。

 少し歴史を感じるような道を、男は歩いていた。
 街並みの空気を肌で感じ、とびきりのお洒落をして歩く女性などをゆらりと見やり、「美しい!」と称賛しながら歩を進めていると、角の向こうからの気配を感じて足を止めた。
「……来る」
 綺麗な金髪をさらっと指で払いつつ、そう言う。
 青い目が真剣さを物語っていたが、一体何を捕らえたのだろうか。
「ボクには解る……あと七歩……三歩……さぁ、登場だ!」
「――え……っ!?」
 大袈裟に前に振られた腕。その指先に居たのは、角を曲がったばかりだった少女――否、フェイトだった。
 何故か眼前がキラキラと輝いている。太陽の反射だろうかと思いつつも実際そんな現状あるわけ無いだろ、と冷静なツッコミを心で入れるのはフェイト自身だ。
 少し長めの金髪、スラリと高い背に、フリルを惜しむこと無く施されたシャツは無駄に前を開けすぎだとも思う。
 とにかくフェイトには、何が起こっているのか解らなかった。
 傍にクレイグが居ない所を見ると、手分けしての調査途中なのだろう。ただし、女装の姿のままであったが。
「突然申し訳ない、美しいお嬢さん。ボクには解ってしまったのだよ、キミの可憐な足音が」
「は、はぁ……」
 目の前の男に手を取られて、そんなことを言われた。
 圧倒的な存在感に押されて、フェイトはろくな返事も出来ずにいる。
「……おっと、これは……。なるほどなるほど。いや、名乗りもせずに失礼。ボクはバルトロメオ・バルセロナ。キミと出会うために生まれた男さ。さぁ、この情熱の薔薇をどうぞ」
「えーと……」
「いいんだよ、言わずとも解る。その不安に揺れる緑の目。まさに宝石だ。……そう、キミは今、戸惑いの最中にいる。突然ボクが現れたんだ、無理もない。だけどこれは運命……そう、まさに運命の分岐点に立ってしまったのだよ!」
 どこから取り出したのかは解らなかったが、バルトロメオと名乗った男は一輪の薔薇の花をフェイトに差し出しながら言葉を続けた。ちなみに右手は彼の左手に握られたままである。
 フェイトが返答に困りつつも言葉を作ろうとすると、彼はさらにそれを制して良く分からない言葉を並べ立てる。うっかり受け取ってしまった薔薇を左手に、フェイトは完全に呆けてしまっていた。
「――じゃあ、お前さんの道はそっちな」
「!」
 背後から聞こえてきた声に、はっと我に返る。
 フェイトの背中越しに腕が伸びて、握られたままだった手を解く。そして持たされたままでもあった薔薇も目の前の男に差し返して、身体が後ろに持って行かれた。
「無粋だな、キミは」
「悪ぃな、こいつの連れだ。既に俺のモンだし、そっちに分かれるルートも存在しねぇから、他所をあたってくれ」
「……クレイ」
 フェイトを後ろ抱きにしながらそう言うのは、クレイグだ。
 嫌な予感が巡り早めに合流しにきて、行き当たったらしい。
 ピッタリと密着する二人を目の当たりにしつつ、バルトロメオは額に手を当ててフッと笑った。
「こんなに可愛らしいお嬢さんにキミという組み合わせは、実に釣り合わない」
「突然出てきて、昼間から女を口説くお前のほうがよっぽど不審者だぞ」
「美を賞賛するのは至極当たり前の行いだ。目の前に美しい人がいるのに声を掛けないということ自体、ボクには考えられない」
「……イタリア人か」
 クレイグは、はぁ、とため息を零しつつそう言った。
 過度に対象を褒める言葉遣いからのものだったが、どうやら当たりらしい。
「その通り、ボクはただのイタリアからの旅行者だ。キミのような無骨者に名乗る名など無いがね」
「まぁ俺も知りてぇとは思ってねぇしな。……ただの旅行者、ねぇ」
 変わらず腕の中にフェイトを収めたまま、クレイグはそう答える。最後の言葉には何かの含みもあり、耳元で聞いたフェイトが顔を上げた。
「クレイ?」
「ん、お前は黙っとけ」
 フェイトの左手を取り腕を上げさせ、指に唇を寄せつつ彼はそう言った。それだけではなく、吸い付く音まで聞こえる。
 明らかに性的なその行動に、フェイトの頬が染まった。
「こいつにこう言う顔させられんのは俺だけだし、身体の癖を知ってんのも俺だけだ。この先もずっとな」
「ちょ、ちょっと……」
 抱き込まれたままなので、クレイグの声が背中からも伝わって、フェイトは変に意識してしまった。
 腕を回されクレイグの手のひらが腰のあたりにあるのだが、それを避けようともピクリともしない。
 端から見れば、昼間の街中で愛を確かめ合うカップルのようだった。
「やれやれ、惚気なら他所でやってもらいたいものだ」
 バルトロメオがため息混じりにそう言う。
 そして彼は肩を竦めつつ諦めたかのように歩みだした。数歩進んで、二人を交わしてすれ違う瞬間。
「――また会えるだろう。キミが望まずともね」
「え……」
 そんなことをフェイトに言い残して、彼は建物の角を曲がり、姿を消した。
 クレイグが体を離し踵を返したが、角の向こうにはバルトロメオの影すら無い。
 予めそれを想像しつつの行動だったが、思わずの舌打ちが漏れる。
「クレイ、あの人に何か?」
「……まぁ、な。っていうかお前、やっぱり俺が離れた途端にナンパされたじゃねぇか」
 フェイトの問いかけに、クレイグはそう答えると同時にそれ以上を敢えて続けずに話題を変えた。
 するとフェイトはうまい具合に乗せられ、頬を膨らませる。
「べ、別に、あんなの……単なる偶然だよ」
「こんな可愛いユウタをスルーする奴なんていねぇよ。取り敢えず一旦ホテルに戻るぞ。どうせ夜までその格好なんだろ?」
「もちろんだよ、囮作戦なんだからね。……って、さらっと何言ってるのさ」
 クレイグの手がフェイトの手を包み込む。
 彼は背を向けたままでその手を引き、歩き出す。
 自然と繋がれる手と手。
 いつもであれば、昼間でこんな往来で、と考えてしまうが今はそういう気持ちが湧いてこない。
 自分の姿が違うからなのだろうかと考えつつ、フェイトはクレイグの後について歩みを進めた。

 夜の空気はまだ少しだけ冷たかった。
 紺色の空にはまん丸の月がくっきりと形を成して姿を見せている。
 昼間に歩いていた通りとは別区画の、被害が最も多かった路地でフェイトが一人きりで佇み天を仰いでいた。
 囮作戦の決行中である。もちろん、昼間と同じ女性の格好のままだ。

 耳元に聞こえてくるクレイグの声は、電子を通したものだった。彼は距離を取り身を隠しているらしい。
「解ってる」
 フェイトは小さく答えながら、一歩を進んだ。
 連続で事件が起きているためか、人気が極端に少ない。
 夜遅くまでやっているカフェなどもあったはずだが、今日は明かりも灯らずにひっそりとしている。
 ヒール低めの編み上げサンダルを履き、フェイトはひたすら前を歩いていた。
「アオォォォーン……」
「!」
 遠吠えが、広く長く響く。
 どこかの犬が無駄吠えをしているのだろうとは思うが、フェイトの肩はその声に反応して震えていた。
 その、直後。
 間近で引き金を引く音がした。
 瞠目しつつ振り返ると、その先にいた者は。
「キミは一体、何者なんだい?」
「……え……」
 一度聴けば、忘れもしない声音と言葉遣い。
 見た目のゴージャス感もあり、強烈な印象があり過ぎるその声の主が、フェイトに向かって銃を突きつけつつにこやかに微笑んでいる。
 バルトロメオであった。
「……悩ましいほど可憐に、そんな格好までして、キミの目的は何なのだろう? ボクは今それがとても気になっている。答えてもらえるかな?」
「え、じゃあ、俺が男だって……」
「解っていたさ、最初に出会った時からね」
 バルトロメオは笑みを崩さずにそう続ける。対するフェイトは、明らかに狼狽えていた。全くの予想外であったからだ。
「俺から見りゃ、お前も十分怪しいぜ? バルトロメオ・バルセロナ」
「おっと」
 そんな声と共に、バルトロメオの後頭部に突き付けられた物があった。
 クレイグの銃である。
 まるでこのタイミングを待っていたかのような行動だ。
 そしてバルトロメオもそれを予測していたのか、余裕の笑みをやはり崩さない。
「最初から嫌な感じはしてた。お前、普通の人間じゃねぇだろ」
「やれやれ、キミにそこまで見破られているとは、誤算だったな。そう言うキミ達だって、只者ではないんだろう? コンビを組んで犯罪かな?」
 バルトロメオの銃が、フェイトからクレイグへと向きを変えた。
 フェイトが顔色を変えるが、クレイグは大丈夫だと視線だけで告げて、後ろへ下がれと合図する。
 静まり返った満月の元、クレイグとバルトロメオの銃が向き合う。
 二人は互いを知らない。だから、突き止めなくてはならない。目の前の男の正体を。
 張り詰めた空気の中、どちらも譲らない青い瞳がぶつかり合い、静かな火花を散らしていた。

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壁の奥のミステリー

カリフォルニア州の某所に、幽霊屋敷と呼ばれ今や観光施設と化している豪邸がある。
 世界中のミステリー好きにも広く知られているスポットだ。
 その昔、この屋敷の主人である女性が胡散臭い霊媒師の言葉を鵜呑みにし信じきってしまったことで、奇特な行動を起こした彼女は、死ぬまで財産を使い続けて『それ』を行っていたとされる。
 豪邸の増改築であった。
 屋敷は悪霊に呪われている。宥めるためには屋敷を増築しろと霊媒師に言われたとおり、彼女は自分の住居を増築させ続けた。24時間365日休まずにである。
 彼女の奇行こそが呪いだと言う者すらいた。
 自室から始まり、何処にも繋がらない扉に廊下。床が抜けたフロアや先のない階段など、様々に異様な増改築が繰り広げられ、数十年。女性が誰も辿りつけなくなってしまった部屋でひっそりと亡くなった時、建設を担当していた業者などは解放感からか持ち場で歓喜したという。
 その後、数年に渡り放置され、間に地震に遭い建物の一部が崩れたこともあり、取り壊しが決まった。
 だが、その解体作業が難ありであった。
 作業員が行方不明になったのだ。
 その彼らを探しに来た警察や軍の部隊なども、屋敷に入る度に誰も戻ってくることはなかった。
 屋敷周辺でも行方不明者が続発し、これ以上の作業を続けられないと業者も逃げ帰り、今に至る。
「俺の同級生が何人か、夏に肝試しに此処来てたな」
 ふーっ、と唇から紫煙を吐き零しつつそう言うのは、クレイグであった。
「まさか、その人達も行方不明?」
 隣に立つフェイトが資料に目を落としつつ、問い返す。
 IO2から支給されている真っ黒な車を背後に、彼らは件の豪邸前を訪れていた。
 観光名所とされているので豪華な看板があり、『ミステリーハウス』と名されている。
「入場料取るだろ、ここ。しかも安くない。それで冷めちまって入らなかったってさ。まぁ、俺の学生の頃の話だけどな」
「なんか、現実的な展開だったんだね」
「そうだなぁ。さて、行くか」
 苦笑交じりのフェイトの言葉に、同じように苦笑を浮かべつつクレイグが背を預けていた車から距離をとった。
 そして内ポケットに仕舞ってあったサングラスを掛けて、受付へと歩み寄せる。
「ハロー、マダム。ちょっと入りてぇんだが、いいよな?」
「……なんだいアンタら。ここに入るには金を払いな。別け隔てなくそういう決まり事だよ」
「そうだよなぁ。ところでマダム、ちょいとこれを見てくれないか」
 クレイグは受付台に肘を付きつつ、窓口の女性にそう言って右手を小さく上げた。
 その手のひらの中には記憶操作の為の術具が収まっている。
「……っ」
 一瞬だけ、赤い光がパッと散った。
 それをまともに見た女性は、数秒体の動きを止めてしまう。
「――美しいマダム、俺達は貴女の要請を受け捜査のために此処に来た、そうだっただろ?」
 クレイグが少し湿った声音でそう囁く。サングラスをゆっくりと外し、青い目が女性を射抜いていた。
 彼の得意分野の一つであるが、それを彼の背で聞いていたフェイトにとっては、あまりよろしい事ではなさそうだ。
 甘い囁きを受けた女性はとろんとした表情で「そうだったね、お入りよ」とあっさり彼らを通してくれた。
「……クレイの浮気者」
「馬鹿言うなよユウタ。俺はいつでもお前だけだ」
 ポンポン、と頭を撫でられる。
 いつも通りの大きな手のひら。
 そんな事だけでは誤魔化されない、とは思うが、フェイトの心はすっかり穏やかになっている。
 時間を重ねる度に自分がクレイグに絆されている、と言う自覚があったが、それは自分の中で受けとめて馴染ませていくしか方法が見当たらなかった。
「……やっぱり、何か居るなぁ」
「霊圧が凄いね」
 扉の前に立ち、改めての気配を読む。
 門を潜る前から感じ取ってはいたが、薄暗いマイナスなオーラが屋敷中を纏っていて、どんよりとしていた。能力者じゃなくとも、多少の霊感があるものなら気づくかもしれない、と言うレベルである。
「霊波も凄い……奥までの気配は探れないや」
「あんま無理するなよ。取り敢えず通信機は使えるようにしておかねぇとな」
 フェイトがテレパシーを使って周囲のサーチをしてみたが、弾かれるようにして遮られる。
 何かが奥で意図的に妨害を行っているようだ。
 クレイグの言葉を合図に二人は耳の傍に手を当てて、通信機を起動させた。
 そして扉を開けて、侵入を始める。
「うわ……最初からコレなんだ……」
 思わずの声が漏れた。
 扉の奥にはエントランスホールと見取り図にはあったが、実際には近距離にまた扉があった。それを開けると今度は階段があったが、登っても先がない。
「こっちのはフェイクだな」
 コツコツ、とクレイグが壁を叩きながらそう言った。
 次の扉に見せかけたそれは壁に描かれた絵である。
「完全な迷路だね……あ、ナイト、こっちに繋がった道があるみたいだ」
 フェイトもクレイグから少し離れた位置で、壁に手を当てつつ言う。
 するとクレイグは壁の一つに何かを貼り付けて、その場をフェイトの傍に寄った。
「えっと、あれ何だっけ」
「まぁ、目印みたいなもんだな。まだ試作品らしいんだけどな、使うべき場所に来ちまったし、どんだけ役に立つか試してみようぜ」
 小さな黒い箱のようなものだった。側面に接着部分があり、貼り付けた瞬間から角に小さく緑色の光が点滅し始める。数十個持たされていたクレイグは、その半分をフェイトに手渡して、次のポイントを指差した。
「取り敢えず、明かりで辿れるだろ。後は通信機にシグナルが鳴るようになってる」
「便利アイテムだね。活用していこう」
 フェイトも頷きながらそう答えて、次の扉を開けた。
 少し開けた部屋があったが、窓がない。そして先に繋がる道も、想像にはないものであった。
「これ、どうやって向こう側に行くの?」
「……屈んで、跨ぐしかねぇだろ。ったく、なんつーセンスだよ」
 空間の角にあるそれは、真横に設置されていた。しかも足元の高さではなく、腰辺りの位置である。
 方向感覚が狂いそうだと素直に思った。
「迷路は右手の法則だっていうけど……これは、当てはまらないのかな……あれっ!?」
「ユウタ!」
 進む前に、とその空間内を調べていたフェイトだったが、右手を壁に置いた瞬間に壁が回転して、あっという間に向こう側へと追いやられてしまう。忍者屋敷を思わせる仕組みに、思考が追いつかない。
 クレイグが慌てて腕を伸ばしたが、わずかに距離もあったがために、その場に取り残されてしまった。
 回転した壁を両手で思い切り押すが、ビクともしない。一度回転してしまうと動かないようだ。
「おい、無事か!?」
 ドン、と壁を叩きつつ、語気を強めて問いかける。
「……だ、大丈夫。少しバランス崩して転がっただけ。……そっちには、戻れないみたいだ」
「じゃあ俺は別ルートからそこに行く、動くなよ」
 そう言いながら、クレイグは先程の真横に設置された出入口を跨いで潜り抜けて、先を進んだ。
 壁を一つ一つ探り、気配を探る。
 登って下がって戻ってくるだけの階段や、床に天窓があったりと、常識とかけ離れすぎている現状にさすがのクレイグも表情を歪めた。
「自分に悪霊を近づけさせないため……だったか。狂ってやがる」
『――でも、貴方は辿りつけたわ』
「!?」
 白黒のギンガムチェックのみの廊下を走りぬけ、ドアノブのない扉を目にしつつ独り言を漏らした直後、冷たい空気が周囲に巡りクレイグの耳元に声を降らせた。
 しっとりとした声音――紛れも無く女のそれである。
『若くていい男……ねぇ貴方……私と一緒に居てくれる?』
「悪いが、それは出来ねぇ相談だな」
『じゃあ、私が閉じ込めてあげる……』
「!」
 肩越しに振り向きつつ右手をスーツの内側に滑らせたところで、クレイグの動きが止まった。
 動けないのだ。
 視界に映るのは黒衣の女性。金の巻き毛に帽子から垂れる黒のベールが顔を隠してはいるが、美しい容貌ではあると確認出来た。だが、半身がない。
 つまりは彼女は『亡霊』だ。
 そこまで思考を巡らせて、この屋敷の主人であるのだろうと悟った。
 がくん、と膝が折れる。ろくな受け身も取れないまま、クレイグは後ろに倒れこんだ。
 黒衣の亡霊がクスクスと笑いながら、寄り添ってくる。
 レースで出来た黒手袋に包まれた指が、クレイグの身体をそっと撫でる。
『素敵な夢を見せてあげる……』
「……あいにく、今の俺には必要無くてな」
『あら、少しの刺激は必要なものよ? いつの時代もね……』
 目眩がする。
 女の笑い声が脳内で響き渡り、そこからじわじわと意識が奪われていくような気がした。
 クレイグは、はぁ、とため息を吐きこぼして、それでも余裕な表情を崩さずにいた。

 カツ、と靴に何かが当たった。
 フェイトはペンライトを取り出して、その場を照らした。
 窓も扉もない、密室だ。
「うわ……これ、人骨……?」
 自分の靴に当たったものを光で目にして、フェイトは眉根を寄せつつそんな言葉を漏らした。
 すると。
「――誰か、い、居るのか?」
「!!」
 奥からか細い声が飛んできた。
 フェイトはそちらに顔を向けて、ライトを向ける。
 照らし出されたものは、人であった。3人ほどであろうか、身を寄せ合っている。
「大丈夫ですか!?」
 慌てて駆け寄り、状態を調べる。ヘルメットが足元にあり、作業服を着た男たちだった。姿を消した解体業者の関係だろうか。
「……あ、あんたも、こっちに送られたのか……一瞬、助けかと思ったが……。女を見たか?」
「女? ここの主人の事ですか?」
「そ、そうだ……ずっと黒衣で、ばぁさんって聞いてたのに物凄い美人でな……気に入ったヤツだけ、連れて行っちまうんだ……」
 震えながらそう言う男は、体力がかなり落ちているようで危険な状態であった。
 他の二人も似たような状態だ。
 話の内容を纏めつつ、フェイトはこの室内から早く脱出しなくてはならないと悟る。
 ――しかし、美人の女。
 気に入った存在とは、美男子なのだろう。例えばクレイグのような。
 そう思考を繋げたところで、フェイトの表情が歪んだ。
「あ、あんた……大丈夫か?」
 男が恐る恐る問いかけてくる。
 フェイトはその場ですっと立ち上がり、右手を目の前にかざした。
「右手の法則? 出口なんて、作ればいいんだよ!」
 彼はそう言って、己の能力を発動させた。
 サイコキネシスをフル活動させ、一気に壁を壊してしまう。
 ガラガラ、と音を立てて崩れ落ちるそこから光りが差し、奥の男たちは歓喜の声を上げた。
 舞い上がる埃を掻き分け、フェイトはその先に足を進めた。
『な、何よ貴方!?』
「!」
 聞いたことのない声が飛びかかってくる。
 それが女性のものだと判別した彼は、眉根を寄せた。
「――よぉ、ユウタ」
「クレイ……なんで乗っかられてるの」
「いや、動けねぇんだよ。このマダムの力が思いのほか凄くてな」
 床で倒れこんだままのクレイグの姿を見て、フェイトの緑の瞳がゆらりと光った。
 彼の身体の上に女が乗りかかっていたからだ。
 自分でも凄いと思いつつ、真っ黒なオーラが漂っているのが解る。
 そして銃を取り出したフェイトは、躊躇いもなく銃口を女へと向けた。
「あのね? 早く旦那さんのところへ行ったほうがいいよ?」
『そんなモノで私をどうにか出来るとでも、……っ!?』
 ドン、と音が響いた。
 撃たれた物は対霊弾だ。亡霊である女には何よりの効力を発揮する。
 そしてそれは、女に断末魔の叫びすら与える間もなく、ヒットした。
 数秒後、亡霊は形を崩して天へと登っていった。
 それと同時にクレイグの身体の拘束が解けて、彼は苦笑しつつも素早く身を起こして顔を上げた。
「ユウタ、お前。すげぇ怒ってんな?」
「別に、……っ……」
 クレイグが一歩を踏み込んだ直後、目の前のフェイトが体制を崩した。
 予めそれを読んでいたクレイグは、腕を伸ばして抱きとめてやる。抵抗もなく、かくりと首を落とした所を見ると、相当力を使ってしまったのだろう。
 そこには、もう怒りの感情は感じられなかった。
「なぁ、嫉妬したんだろ?」
「……し、してないよ! 別に、クレイが女性とくっついてたって……」
「嫌だろ」
「う……解ってるなら、いちいち確認しないでよ」
 フェイトは目線を合わせてはくれなかった。
 だが、頬は真っ赤に染まっている。
 それを確認したクレイグは、嬉しそうに笑みを湛えて身を屈めた。
「お前だけだって」
 彼はそれを言い切った直後に、フェイトにキスをした。
 触れるだけだったが、フェイトは瞠目して言葉を作れずにいる。
「……っ、も、もう……クレイはいつもそうやって、俺を……」
「そうだな。これからもずっと、溺れてくれてていいんだぜ?」
 相変わらず、凄いセリフを何の躊躇いもなくあっさりと、音にしてしまう。
 フェイトはそれを見上げて、さらに顔を赤に染めた。
 振り回されてるとも思うが、それ以上に自分は、この男に溺れている。
 そんな事を思って、フェイトは顔を逸らして悪態をついた。
「クレイのバカ」
「……なんだよ、俺はいつでもお前しか見てないだろ」
 クレイグは困ったように笑いながら、そう返してくる。
 こういう時は、その実は大して困っては居ないのだと思いつつも、何も告げられない。
「取り敢えず今は、少しでも休んどけ。応援呼んであるし、さっきのアレの光辿って来てくれるだろ。その後の始末も、俺がやっておくからさ」
「……うん」
 感情とともに、体の疲れが交差する。
 それを自覚すると強制的に重くなる瞼に抵抗すること無く、フェイトは頬をクレイグのシャツに擦りつけつつ、身を預けたのだった。

カテゴリー: 02フェイト, season3(紗生WR), 紗生WR(フェイト編) |

Stray snow

ピピピ、と起床を報せる音が鳴り響いた。ベッドの脇にあるスマートフォンからの音である。
 数回繰り返したあと、ベッドからのそりと伸びた腕がそれを止めた。
「…………」
 スマートフォンの上に置かれた手は、言葉なくまた上掛けの中にするすると戻っていく。
「……おい、ユウタ」
 すぐ傍で、クレイグがフェイトの名を呼んだ。
 すると、頭から上掛けを被ったままのフェイトが小さく声を絞り出す。
「だって、寒い」
 目覚めてはいるのだ。
 だが、朝の寒気に触れるのが嫌なのか、彼はベッドから出たがらなかった。
 クレイグの隣で体をすくめて、彼に抱きついたままの状態である。
「ヒーターの温度上げてやるからさ」
「……待ってクレイ、もうちょっと」
 クレイグがもぞりと動いてフェイトから離れようとすると、彼はすぐさま腕の力を強めてそんな事を言った。
 状況から見れば大変美味しいものでもあったが、彼らはこれから出勤しなくてはならない。
 実はかれこれもう二十分ほど前から、こんな状態が続いている。
 目覚まし用に設定してあるアラームはスヌーズ機能が働いているのか、5分置きに鳴り響くがその度に止めるのはフェイトであった。
 それほど、寒がりであるという記憶は無かったがと思いつつ、クレイグは視線を壁掛け時計の方へと向けた。
 朝食を作って食べ、身なりを整え家を出るまでの時間を逆算すると、そろそろ限界である。
「ユウタ、取り敢えず顔だけでも出せ」
「寒いからヤだ」
「なんでこういう時だけ子供っぽい我儘言うんだ、お前は……」
 クレイグはそう言いながら、片腕だけでフェイトの体を上へと動かし顔を自分へと向けさせた。
 視線がゆっくりと巡る。
 フェイトはクレイグの行動の意味を理解しきれずに、完全に反応が遅れた。
「!?」
 自分の唇に触れる体温。
 ベッドに寝たままの状態であるので、ろくな抵抗すら出来ない。
「……、……っ」
 腕を曲げてぐい、とクレイグの肩を押すも、あまり効果は見られなかった。
 その手はあっという間に引き剥がされ、次の瞬間には手の甲がベッドに沈み込む。
 自分より大きな手は、いつも器用にフェイトの抵抗を交わして、宥めるようにゆっくりと体温を伝えてくる。
 数回繰り返されたそれは、次のアラーム音が鳴り始める数秒前に終わりを告げ、クレイグはフェイトを開放した。
「一番、体が手っ取り早く温まる方法だよ」
「……だからって、こんな、いきなり……」
「一時間遅れますって本部に連絡入れたいのか?」
 ニヤリとした言葉の後に視線を逸らしてそう言えば、とんでもない言葉が更に降り掛かってくる。
 耳元に降りてくてきたそれにぞくりと背中を震わせたあと、フェイトはちらりと視線を戻した。その先には満足そうに笑うクレイグの表情がある。
 彼はくしゃりとフェイトの頭を撫でてから、あっさりとベッドを降りた。
「早めに顔洗えよ。すぐ朝飯にするからな」
 肩越しに振り返りつつそう言い残し、台所へと姿を消す。
 ぽつんと残されたフェイトは、ゆっくりと体を起こしてから上掛けを手繰り寄せて俯いた。
「……、クレイの、ばか……っ」
 小さな呟きは布の中に染みこむだけだ。
 体の火照りは、それから数分収まることがなかった。

「絶対、おかしいよ!」
 そう言うのはフェイトだ。
 冬物のコートに長いマフラーをぐるぐる巻で、震えながら歩いている。
 3月も半ばだというのに、ニューヨークの街中では雪が降っていた。否、吹雪いている。猛吹雪だ。目の前は真っ白である。
 今年の寒波は単発的に長く続いてはいたが、そろそろ春の気配があっても良い頃でもあるために、フェイトが上げた叫び声は誰にでも当てはまる事柄でもあった。
 隣を歩くクレイグも同様であったが、彼は寒がっているというよりは何かに不満を抱いているかのような顔をしている。
「……くそっ、またクリーニングかよ。先週出したばっかりだっただろ」
 黒いダブルのトレンチコートは、仕事用としてスーツに合わせて購入したクレイグなりの拘りがあった。それと一緒に革手袋も先週クリーニングに出したばかりで、またそれを着用しなくてはならない事に納得が行かないようだ。
 ビョオ、と目の前を横風が吹き付ける。
 二人とも同時に足を止めて、ぶるりと体を震わせた。それなりの防寒をしているはずなのに、この肌を突き刺すような寒風は確かに異常だ。
「ユウター、生きてるかー」
 クレイグがそう言った。
「な、なんとか……」
 フェイトは巻いたマフラーに頬まで顔を突っ込んだ状態で、もごもご、としながらの返事をする。
 この状態を長く続けるのはよく無さそうだ。
 そんな事を思ったクレイグはそろりと自分の腕を上げて、フェイトの肩を引き寄せた。
「ちょ、クレイ」
「誰も見てねぇって。ほら、歩くぞ。もう少しで着く」
「……うん」
 フェイトも照れより先に寒さが勝ったのか、それ以上を言わずにクレイグに少しだけ体重を預けて小さく頷く。
 そして二人は歩みを再開させて本部へと急いだ。
 路面はすでに雪で埋まり、踏み込む度に、ぎゅ、ぎゅ、という音がした。この時期ではあまり聞かない音だ。
 それを不思議そうに耳に留めつつ、前を進む。
 悪天候のためか人もまばらで交通量も大幅に少ない通りを抜けて、彼らは漸く職場であるIO2本部へと到着した。
 寒風に晒されすぎたのか、毛先に僅かな結晶が出来、凍りかけている。
「おう、お疲れ~お二人さん。よく辿りつけたなぁ、何人か出勤拒否してるってのに」
 それぞれに雪を払っていると、そんな声が背中に飛んできた。
 彼らの同僚である男だった。
「区画的に無理な所もあるだろ。俺んトコだってギリギリだったぞ。メトロも止まってたしさ」
「だよなぁ、俺のほうもダメでさ~。タクシー捕まえようとしたら乗車拒否られたんだぜ?」
「それは……災難だったね」
 同僚の男は散々だったというのを全身で表しつつ、二人に温かい珈琲を差し出してくれた。わりと距離は近いようだ。
「まぁ取り敢えず、温まっとけ」
「お前コレ、後で『こないだの分』とか言ってくるんじゃねぇの」
「おいおい、人の好意は素直に受け止めろよ、ナイト。っても、そのうち奢ってもらうけどな」
 フェイトの目の前で、クレイグと同僚の会話が弾んでいた。ここでの付き合いが長いのだろう。
 上目遣いで彼らの会話を聞きながら、手渡された珈琲で暖を取る。紙のカップから伝わる温度は手のひらからじわりと全身に行き渡るような気がして、フェイトはほぅとため息を零した。
「あれ、フェイト?」
「え?」
 同僚がふいにフェイトへと言葉を向けてきた。
 疑問形だったそれに、視線のみが動く。ちょうど、珈琲が入ったカップを口につけたところだったからだ。
「ん~?」
「……えーと、何?」
 同僚の男は、何故か上体をフェイトへと近づけてきた。
 予想もしない行動だった為に、フェイトは若干引き気味になって改めて問い返す。
 彼は、すん、と鼻を鳴らしていた。
 クレイグは直後、彼の額に徐ろに自分の手のひらを当てて、ぐい、と後ろに下がらせる。
「不必要に距離縮めんなよ。女にだって失礼な行為だぞ」
「お~、悪ぃ、ついうっかりな。フェイトから煙草の匂いがしたからさ」
「!」
 びく、と小さくフェイトの肩が揺れる。
 男の言葉に動揺したのだ。
 そして彼は一瞬だけチラリとクレイグを見てから、また視線を下げてカップを傾ける。
「煙草吸ってなかったよな? 喫煙スペースでも見かけたことねぇもんな」
「……あ、いや……その……」
 さらに問いかけてくる男に、フェイトはまともな答えを返せずにいた。
 同僚にとっては単なる純粋な興味。
 だが、フェイトにとっては簡単に言い逃れできる状態ではなかった。
 指摘された煙草の匂いの元が、クレイグだったからだ。
「あー、それ、俺のせい」
 そう言ったのは、クレイグである。
 当然、同僚は「え、なんで?」と食いついてきた。
 フェイトはその隙に一、二歩ほど距離を取り、表情を隠す。
「こいつの服の傍で煙草吸っちまったんだよ。今、ルームシェアしてるからさ」
「え、あー、そうなの? そういや、こないだの連続爆破事件に巻き込まれたって言ってたな」
「そうそう、それの一環だよ。大変だったんだぜ、色々と」
 クレイグがフェイトにだけ見える角度で、手のひらを二度動かした。ここは任せて先にロッカールームに行け、と合図をくれたのだ。
 フェイトはそれに甘えて、小さく頷いた後その場をそそくさと離れた。
 あれ以上絡まれると、誤魔化しきれないと思ったからだ。
「……はぁ」
 数メートル離れて、そんなため息を漏らす。脱いだコートを腕にかけたままの状態であった為に、正直解放されて助かった。クレイグは程なくこちらに来るだろう。話上手な彼はこういったやりとりでの交わし方が上手いので、その辺の心配はしてはいない。
 ロッカールームに辿り着き、手早くコートをハンガーに掛けて自分のロッカー仕舞いこんでいる所で、通信機が鳴った。召集の合図であった。
 フェイトは表情を変えて素早くその場を後にする。
 その際、クレイグとすれ違い「上着置いたらすぐ追いつく」と言葉が降りかかってきた。それを受けとめてから、彼は歩みを進める。
 向かう先は一つのブリーフィングルームだ。
 フェイトとクレイグの他に数人、呼び集められているようであった。先ほどの同僚もいる。
 一通り揃った所で、任務内容が上司から告げられた。
「君たちも身を持って体験してきた所だろうが、この異常気象を調べてもらいたい」
 マジかよ、とボヤいたのは隣に立つクレイグだった。気持ちは解らなくもない。フェイトも右に同じという顔つきをしている。
「この異常な寒気が広がっているのはニューヨークのみだ。故に、人為的なものと考える」
 上司は部下たちの不満そうな表情をよそに、そう続けた。
「市内の何処かに、寒気を発するもの……もしくは人物がいるはずだ。手分けして取り掛かってくれ。寒いからといって途中で任務放棄などしないように。避難したものは減給だぞ」
「ブラックかよウチは」
 若干、横暴だと感じる流れにすかさずの言葉が漏れる。
 言ったのはクレイグだったが、上司が睨んだ先が隣にいたフェイトにも及び、彼は慌てて「迅速に行動開始します」とフォローを入れた。
 それが合図になり、彼らはそれぞれに散り始めた。
 クレイグとフェイトは最後に部屋を出て、先ほど行ったばかりのロッカールームへと足を向けるのだった。

 街中に響くのは吹雪の音だけであった。
 出勤中は麻痺気味であった交通網もすっかり蔓延し、車のテールランプすら見えない。
 体を丸めつつ道を歩いていた人々も、早々に家の中に収まり、人気は殆ど無い状態だ。
「なんか、ゴーストタウンみたいだね」
「そうだなぁ」
 フェイトもクレイグも目を細めつつ道を歩いていた。雪と風でまともに進めもしない。
「さっさと元凶見つけねぇと、俺らが凍死しちまう」
 そう言うクレイグが、自然とフェイトの手を取る。
 フェイトが驚いて顔を上げるが、クレイグは一歩先に進んでいたので顔を伺うことは出来なかった。
 問い詰めたところで、答えは想像がつく。
 互いに革手袋を嵌めていたが、重なっている部分から相手の体温が伝わってくる気がして、頬が緩んだ。
「――フェイト」
「あ、うん」
 数メートル進んだ先で、クレイグの声音が変わる。
 それを受けて、フェイトも表情を引き締めて前を見た。
 道路の真ん中に小さな人影が見える。
 風に紛れて聞こえてくるのは泣き声らしかった。
「女の子? この吹雪で迷子か?」
「取り敢えず保護しよう」
 近づくに連れ、人影が少女らしいということが判明し、二人は慌てて彼女に駆け寄り歩道まで誘導した。
「大丈夫?」
 フェイトが少女の前で膝を折りそう問いかけると、彼女は泣きながら帰りたいけど帰れない、と声を漏らす。
 白い肌にプラチナブロンドの髪をふんわりと三つ編みにした少女は、どこか浮世離れしているかのような雰囲気を持ち合わせていた。
「どこから来たか解る?」
 大きな瞳からこぼれ落ちる涙を親指で拭ってやりつつ、再びの問いかけをする。
「……あのね、追いかけてくるから、逃げてきたの。そうしたら、道がわからなくなって……」
「追いかけてくる?」
 少女は小さな手を上げて、人差し指を向けた。
 フェイトのクレイグもその方向へと視線をやる。相変わらず辺りはホワイトアウトの状態が続いていて、前方はよく解らなかった。
 ――だが。
「何かいるな」
「うん。……大きいね、何だろう」
 ずしん、ずしん、と明らかにありえない足音が聞こえてくる。
 その足音を耳にした少女が身をすくめて、フェイトにしがみついて来た。彼女が言う追いかけてくる存在が、近づいてきているらしい。
 クレイグが目を細めた。スライドの応用で相手を見極めようとしているようだ。
 そして捕らえた視界に、一瞬目を疑った。
「……なぁ、フェイト。イエティの存在って信じるか」
「この状況で何言って……って、まさか」
 ゴゥ、と尚強い雪風が吹き荒ぶ。
 徐々にそれが自分たちに近づいてくると感じて、二人はこの異常気象の正体をそこで悟った。
 2メートルほどの大きさだろうか。二足歩行をしてはいるが、シルエットは猿人のようだ。全身を体毛に包まれ、色は生成りに近いように思える。
 雪男――或いはクレイグが言ったイエティと言うUMAらしきモノが、そこにいた。
 フェイトもクレイグも同様に、自分のスーツの中の武器を取る。だが、指先が悴んでいて上手くグリップを握り込めない。
 相手は少女を見つけたのか、両の目を赤く光らせてその場で唸り声を上げた。
 やはり彼女を追ってきたのだ。
 大きく開いた口からは、唸り声の後に雪混じりの風を吐いている。この吹雪はあそこから起こっているのだろう。
「クレイ」
 フェイトが思わずの名を呼ぶ。
 するとクレイグも焦りの表情を浮かべつつ、「こりゃあ、よろしくねぇな」と苦笑した。寒さが彼らの体力をどんどん奪っていき、思うように行動を起こせないのだ。
 少女は彼らの傍で、二人を交互に見やった。
 自分を守ってくれている存在が、困っている。
 そう感じ取った彼女は、言葉なく小さく息を吐いた後、大きく目を見開く。
「お兄ちゃんたち、がんばって!!」
 少女はそう言いながら双眸を光らせ、淡いオーラを放った。
 直後、その場の吹雪が止んで、体の自由が生まれる。
 それを好機と悟ったフェイトとクレイグは、同時に銃を雪男に向け、頭に向かって引き金を引いた。
 ドン、という音が重なって、二発は綺麗に目標へと飛び込び、雪男は後ろへと倒れていく。
 地響きと共に地面へと沈んだそれは、それきり動かずに数秒後には霧となって消えていった。
「……やった、のか?」
「そう、みたい……だね」
 予め周囲を見回しつつ、そんな言葉を交わす。
 すると辺りがじわりじわりと視界がハッキリとしていき、風も弱まり始めた。
「ありがとう、お兄ちゃんたち。これでわたし、帰れるよ!」
 ずっとフェイトの服を握りしめていた少女が、その手を離してポンと地を蹴った。
 ふわり、とスカートの裾が揺れる。
 ワンピースの上にダッフルコートと言う普通の衣服であったはずの少女のそれは、水色のドレスのような物に一瞬で変わった。
「え……」
 くるり、と少女の体が回る。すると次に変わったものは、彼女の頭身だ。
「助けてくれて、本当にありがとう」
 小さな笑みと共に、彼女はそんな言葉を残して姿を消した。
 最後に二人が見た姿は、小さな女の子のそれから大人になりかけている肢体となっていたが、彼女が『何』であるかは謎のままであった。
「……なんか、どこかのメディアで似た感じのを見たような気もするけど」
「まぁ、イエティがいたんだから、それっぽいのが実際にいてもおかしくはねぇよなぁ」
 そんな会話をしている間にも、あれほど荒れていた景色は穏やかになり、雪の姿は見えなくなっていった。
 だが、冷えきった体がそれに順応するかといえば、そうでもないらしい。
 ぶるり、と体が素直に震えた。
「吹雪は収まったけど、やっぱり室内で温まりたいね」
「そうだな。さっさと戻るか」
 二人揃って小さく笑い、彼らは歩き出す。
 冷えきったコンクリートの上には、残された雪の結晶がキラリと輝きを放っていた。

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Troublesome flower

カタカタカタ、とキーボードが叩かれる音が部屋に響いた。
 クレイグがノートパソコンの前に向かって、真剣な表情で何かを打ち込んでいるのだ。
「クレイ、後どれくらい?」
「ん、あと少し。すぐ終わる」
 フェイトが手に何かを持ちながらそう問いかけ、彼の隣りに座った。
 手にしていたのは小さめの皿で、その上には切ったばかりと思われるオレンジが乗っている。
 それを一つ掴んで、フェイトはクレイグの口元に持っていった。
「はい、あーん」
「……ユウタ、お前ね」
 そうは言いつつも、彼はぱかりと口を開けた。
 甘いオレンジの匂いが鼻孔をくすぐり、次の瞬間には果汁が舌に触れる。
「美味しい?」
「ああ、美味い。お前も食べていいんだぞ」
「うん」
 再び、キーボードを叩く音。
 フェイトはそれを聞きながら、自分の口の中にもオレンジを放り込んでもぐもぐと噛みこんだ。甘酸っぱい味に目を細めつつ、彼はクレイグの腕をくぐり抜けて膝の上に割り込んでくる。
「…………」
 クレイグの表情が微妙なものになってきた。
 嫌がっているわけでは無く、フェイトの行動に困惑しているのだ。なぜなら彼は現在デスクワークの真っ最中だからだ。
「クレイ、ここ間違ってるよ」
「……あー、そうだな」
 フェイトがパソコン画面を覗きこんで指をさした。
 入力ミスを見つけてくれたようだ。
 それは有難いのだが。
「ユウタ」
「なに?」
 名前を呼んでも、フェイトはその場を動こうとはしなかった。首を少し動かした程度だ。クレイグに甘えたいのだろうか。
 完全に無意識からくるこの行動に、クレイグは己の理性のコントロールに苦戦しているようだ。
 そんな彼の静かな苦悩を知ってか知らずか、フェイトはクレイグを見上げて顔をまじまじと見つめてくる。
「……どうした」
 努めて普通に、そう言う。
「ねぇクレイ、その眼鏡って前から掛けてるの?」
「デスクワークん時と、家の中だけな。結構前から使ってる」
 左手で頭を撫でてやりつつ、右手はキーボードへ。バックスペースキーをポンポンと叩いてフェイトが言った文字を修正しながら、言葉を繋げた。
 フェイトはまだ彼を見上げたままだ。
「なんか、おかしいのか?」
「ううん、そうじゃない。かっこいいから」
「……、……っ」
 タン、と一つの文字の上に指が乗った。だがそれは弾くこと無く、押しっぱなしになっている。
 当然、画面の向こうでは同じ文字の羅列が続いていた。
 このままでは作業は続けられそうもないと判断したクレイグは、羅列した文字を消した後に保存を掛けパタリとパソコンを閉じて、黙ったままフェイトの身体を起こす。
「クレイ?」
 ちょこん、と隣に座らされた状態のフェイトは少しだけ不安な表情を浮かべた。
 怒られるとでも思ったのだろうか。
「ユウタ、お前ほんとにさ……俺の理性を崩すの上手すぎるわ」
 クレイグはそう言いながら右手を彼の頬に滑らせる。指の外側でゆっくりと撫でた後、指をそのまま顎に掛けて身を寄せた。
 フェイトは拒絶の姿勢を見せない。
 むしろ『それ』を待っていたかのように、ゆっくりと瞳を閉じた。

 オン、オフのスイッチは解りやすい所にあるのが良い。
 そんな事をぼんやりと思いながら煙草を吹かすのはクレイグだ。
 仕事用のスーツを着用して、コートを上から着る。バレンタインが間近に迫っている2月初旬後半、何度目かの寒波到来真っ只中でもあるので、外はとても寒かった。
「なんだってこんな時期に、変な植物なんか量産したんだ?」
「……こんな時期だから、だろ。嫉妬ってのは女より男のほうが深いんだぜ」
 郊外にある一軒家。その庭先で、ありえない光景が広がっている。
 フェイトとクレイグはそれの処理のために、向かいにある空き家の壁から様子を窺っている所であった。要するには任務中である。
 その庭はかつては美しい薔薇が咲く事で有名であったらしい。
 資料の写真で見る限りは、人の良さそうな人相の家主だと感じた。但し、美形かと言えばそうではなく、地味な部類に入る外見であった。
「……で、女性にモテないからって自慢の薔薇を化け物に? そういえば、こっちじゃ男性から女性に花とか贈るんだっけ」
「綺麗なままの薔薇を素直に相手に届けてりゃ、気持ちも通じるってモンだけどな」
 うぞうぞ、と庭で蠢く何か。かつては薔薇であったらしい植物が、今では化け物だ。茎も葉も通常の3倍以上の大きさに育ち、大輪の花からは何故かギザギザの歯が見える。腹いせで植物の改造を試みたまでは良かったが、自分でも手に負えないほどになってしまったそれに困り、IO2に依頼が舞い込んできたという流れであった。
「まぁ取り敢えず、厄介なことになる前に終わらせちゃおう」
「……そうだな」
 現場を仕切るようにしてそう言うフェイトの横顔は、なかなかに凛々しいものであった。
 任務中の時は大抵、『フェイト』はクールでいる事が多い。
 昨日、寝る直前まで自分の傍から離れたがらずにいた『ユウタ』の気配は今はどこにもない。
「ちょっとくらいあの時の可愛らしさがあってもいいとは思うけどな……」
 ぼそり、と思わずの本音が口から漏れる。
 小さな響きであったがフェイトの耳はその音を捉えて、チラリとクレイグを見た。
「あー、なんでもねぇよ。ほらほら、片付けに行こうぜ」
 ふぅ、と苦笑混じりのため息。
 携帯灰皿に煙草を押し付け吸い殻ごとそれを閉じたクレイグは、ポンとフェイトの肩を叩いて問題の庭へと歩みを寄せる。
 フェイトは若干不満そうな表情を見せていたが、それでも遅れを取らずに駈け出した。
 ちなみに、庭の主はすでにこの場には居なかった。
 数分前、事情を伺っている最中に熱くなってしまった彼は、クレイグを指さして大声を上げた。
 あんたも、他の皆も、あの薔薇を贈ってフラれちまえばいいんだぁ! と、叫び、直後に失神してしまったのだ。
 クレイグ本人は、それについては何のコメントも告げなかった。呆れていたのか、表情すら変えずに他の同僚に連絡を入れて彼を運ぶ手配を済ませ、今に至るというわけだ。
「左右グルっと回って向こうで合流な」
「うん、了解」
 二人は庭の前に立ち、そう言って左右に別れた。
 眼前には蠢く薔薇の化け物。
 人間の気配に反応して棘付きの蔓が伸びてくる。
 動きは妙だが草の音がするだけまだマシかと思いつつ、フェイトは手に収めていた銃を向けて数発撃った。向かい側でクレイグも同じように蔓と葉に銃を撃ちこんでいる。同じタイミングで進めていけばほぼ同じくらいに片付けられるだろう。さほど強い相手ではない。
 そんな事を思った直後。
「……えっ」
 がくん、と視界が揺れた。
 自分の足が何かに捕らわれてる。そう感じた時には遅かった。
「フェイト!」
 化け物薔薇の向こうから、クレイグの声を聴いた。
 まずい、とは自分でも思う。
「っ、ちょっ……、何だよ、これ……!」
 一本の蔓がフェイトの足に絡みついて、這ってくる。ゆっくりと足のラインを伝って上に昇って来ているのだ。
 その感触に、背筋辺りで嫌な音がした。
 ずる、と別の方向からも蔓が伸びてくる響きを耳にして、フェイトは慌てて銃を足元近くで撃った。
 最初に伸びていたそれが飛び散ったが、次のが既にふくらはぎを這い始めている。急にスピードを増したかのような動きに、冷や汗が出た。
「う、わ……、やめ……っ」
 喉を突いて出てくる自分の声に、フェイトは顔色を変えた。思わず左手で口元を押さえてしまう。
 どんどん伸びてくる蔓は、一本がスーツの裏側を這っていて、肌に伝わる感触が何とも言いがたい。
 フェイトの体の自由を半分奪った状態の薔薇は、庭の中心からさらに大輪の花を覗かせる。鮫の口を思わせる歯が光り、嫌な吐息が宙に舞い上がった。
「……っ」
 喰われるという恐怖より先に、体を這う蔦をどうにかしたくて、フェイトはもがいた。
 だが既に右手の銃も弾かれてしまった状態で、抵抗はほとんど出来ない。何故かシャツのボタンが一つ飛び、万事休すと目をきつく閉じた所で、引き金を引く音が耳に届いた。
「――良い度胸してるじゃねぇか、植物のくせに」
 そんな言葉とともに、ドン、と銃声が響く。フェイトはそれに反応して再び瞼を開いて、上を見た。
 真っ赤な花びらが綺麗に散っている。これが普通の花であれば、情熱的にでも見えたかもしれない。
「厄介な成長しやがって。……さっさと、くたばれっ!」
 その声には、かなりの怒気が含まれているような気がした。
 彼にしては珍しい、とさえ思う。
 続けて三発ほどの銃声が続くと、叫び声のような音が聴こえた。先ほどの大きな薔薇から発せられたように思えた。
 その数秒後、フェイトの体を覆っていた蔓はじわじわと枯れ色になり、静かに形を崩して地に還って行く。
 クレイグが大元の花を大人しくさせたことで、その場の雰囲気は一気に一変した。
「……大丈夫か、ユウタ」
 すぐ傍で彼の声がする。だがフェイトは顔をあげられずにその場に座り込んで、自分を抱き込んだ。
「だ、大丈夫……」
 それだけを言って、押し黙る。
 フェイトの着ていた衣服は、随分とボロボロだ。蔓に巻きつかれた時に、刺に繊維を持って行かれて破れてしまったようだ。
 恥ずかしさと、クレイグが怒っていることを悟っていたので、何よりそれが気になって身が竦んでしまうらしい。
「――ユウタ、そんなに怯えんなって。俺はお前に怒ってるんじゃねぇよ」
 その言葉とともに、クレイグが膝を折る気配を感じた。直後、肩に温かい重みを感じて顔を上げる。
 彼は自分の着ていたコートを脱ぎ、それをフェイトの肩に掛けてくれた。
「クレイ……」
「怪我はしてねぇな? ……怖かっただろ、フォローに入るの遅くてごめんな」
 そんなクレイグの言葉がやけに心に沁みた。
「ねぇ、クレイ……触って……気持ち悪い」
 視界が揺れたのを隠すための咄嗟の言葉が、本音と交じり合う。
 クレイグの腕に縋りつくようにして体を預けて、胸元に顔を埋めた。
「感触が未だに残ってる気がして……」
「……なぁ、ユウタ、そういう台詞は投げやりで言うもんじゃねぇよ」
「え……?」
 フェイトの体を抱き込んで、クレイグは言った。
 所々、破けて肌まで見える姿に、彼は何も感じてないわけではない。むしろ今も、必死に己の感情を押し殺している最中でもあった。
「普通に触るだけなら、いつでもそうしてやる。お前が望まなくたって、上書きだってしてやる。……さっきまで俺が怒ってた理由は、子供っぽい欲から来るもんじゃねぇ。あいつがユウタの嫌な記憶に触れようとしたことだ」
「クレイ……知って……?」
「何となく、な。だから言わなくていい」
 クレイグはフェイトの額に唇寄せつつ言葉を続けた。
 優しく触れるだけ。
 それを受けとめて、フェイトは瞳を閉じる。
 クレイグがこうして自分を抱きしめて、キスをくれること。髪を梳いてくれる指先の温かさ。それ以外、受け入れられない。彼以外に触られたくない、とさえ思えてしまう。
 薔薇の化け物に絡みつかれた時は、ひたすらの気持ち悪さが全身に広がった。遠くに押しやっていた記憶が呼び起こされる気がして、吐き気すらした。
 それを綺麗に拭い去ってくれるのは、目の前の彼しかいないのかもしれない。
 そんな思考が巡って、フェイトはクレイグの背中に手を回して、ぎゅ、と服を強く握りしめた。スーツに染み込んだ煙草の匂いも、嗜みとして使っている香水の匂いも、知るのは彼だけのでいい。
「……ユウタ、立てるか? このままじゃ冷えるぞ。報告済ませて帰ろうぜ」
「うん……」
 クレイグがそう言って、フェイトをゆっくりと立たせてくれた。
 改めて感じる大きな手の体温が腕を通じて全身を満たしていく気がして、小さく微笑む。
「どうした?」
「ううん、何でも……ただ俺は、クレイに愛されてるなーって」
 足元の土埃を自分で払いつつ、フェイトはクレイグの質問に答えた。
 その姿勢でチラリとクレイグの表情を覗えば、彼は予想もしない答えを貰い少し照れているかのような顔をしている。
 フェイトはそれが嬉しかったのか、また小さく笑って、クレイグの手を取った。いつもは外で手を繋ぐことなど自分からはしないが、今はどうしてもクレイグと手を繋いでいたかった。
 そして二人は現場を後にして、帰路へと歩みを開始させる。間に本部に任務完了の旨を連絡し、直帰することを伝えた彼等は、通りに面した花屋を通り過ぎた後に顔を見合わせた。
「……お前には花以外の物を贈るよ」
「うん、しばらく植物はいいかな」
 そんな言葉を交わして、苦笑する。
「俺ね、クレイと一緒に暮らすことが、嬉しいんだよ」
「うん?」
「……今までずっと、一人暮らしだったから……毎日が凄く楽しい」
「そうか。じゃあこれからも、楽しい時間過ごしていこうな、二人で」
 繋いでいた手が、いつの間にか『恋人繋ぎ』になる。そして互いに体を寄せあって、頬が微かに触れた。当然、クレイグが少し身を屈めてくれての事である。
 白い息がぶつかり、舞い上がった先で交じり合う。
 それを二人で見上げながら、クレイグとフェイトはゆっくりとアパートまでの道のりを歩いていた。

 後日。
 バレンタインデーの朝。
 テーブルの上には緑色のリボンを首に巻いたテディベアがちょこんと座り、隣には銀のチェーンに通された指輪が入った小箱が静かに置かれているのだった。

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restart

潮風が頬を擽った。
 マサチューセッツ州、ケープコッド。
 玄関口の港町からは少し離れた距離に位置する、海を一望できる小高い丘の上に、その墓地があった。
 綺麗に整理された芝生を足元に、その地を訪れたのはクレイグだ。
 片手に白い花束を持ち、奥を進む。
 妙に晴れやかな気持ちで、彼はこの地にいた。
 あの爆弾事件から一夜明けての事である。
「……父さん、母さん、久しぶり。終わったよ、やっと」
 一つの墓石の前に花束を置いた後、クレイグは静かにそう告げた。
 彼の両親が眠っている場所であった。
 自分の中での、決着。
 時間を掛けてしまったが、ようやく片付けることが出来た事件を報告するために彼は此処に来たのだ。
 そして彼は墓石の前でゆっくりと膝を折り、浅く笑った。
「遅くなってごめん。……俺はこの通り、元気でやってる。最初は辛かったけど、もう大丈夫だからさ」
 クレイグの声音は穏やかであった。
 毎年、両親の命日には必ず訪れてはいたが、今の気持ちのようには立てていなかったように思う。
 今まではただひたすらに、静かな復讐心を心の奥に住まわせていた。
 それが終わってしまえば、自分はただの抜け殻になるだろう。そんな事を漠然とイメージもしていたが、現実は違った。
「あのさ、俺な。今、すげぇ大事な奴がいるんだ。俺の一生をかけても守りたいって思ってる。そいつの存在が、俺の生きる証なんだ。……って言っても、二人にはもうバレてるかな。見てくれてただろ、天に昇った後も」
 クレイグは言葉を続けた。
 傍から見れば独り言だが、彼は両親に向かって話しかけているのだ。
 そして彼の目には、息子の報告を嬉しそうに聞いてくれている両親の姿が見えている。
「俺はこれからも、あいつの為に生きていくよ」
 彼はそれを決意の言葉を締めとして、また微笑った。そして静かに立ち上がって「また来る」と言い残して踵を返す。
 少年の背中から大人のそれへ。
 逞しく育った息子の姿を笑顔で見送るのは、やはりクレイグの両親であった。

「……はぁ」
 フェイトの口から重々しいため息が漏れた。
 手元にあるのは黒のバッグである。開かれたファスナーの向こうには数着の衣服と小物があり、彼はその場で整理をしているようであった。
 現在地は病院で、フェイトは個室内にいる。
 事件の間、数日間ここで世話になっていた。タイムジャンプを行っていた為に動くことが出来ず、三日間寝たきりであったのだ。
 意識が戻って直後、彼は現場に戻ってクレイグの補佐をした。消耗しきっていた身体のままで新たな能力を使ったために、疲労感が抜けきらずに大事を取って、もう一泊をここで過ごしたのである。
 これから病院を出る。クレイグが迎えにきてくれると約束しているので彼を待っている状態なのだが、フェイトの表情は浮かないままであった。
 コン、と短いノックが響く。
 それにゆっくりと振り返れば、入り口に立つのはクレイグだ。
「どうした、まだ具合悪いか?」
 彼はそう言いながら一歩を進んできた。
 フェイトはそれを黙って受け入れて、ゆるく首を振る。
「俺が居ない間に何かあったか?」
「……そうじゃなくてさ……これからどうしようって。ほら、昨日の爆発……俺の住むエリアだっただろ」
「あれ、もしかしてアパート巻き込まれたのか?」
 クレイグからの改めての質問に、フェイトはこくりと頷いてみせた。彼の住んでいたアパートメントは例の連続爆破事件に偶然にも巻き込まれてしまい、焼失してしまったらしい。
 幸い、大切なものはIO2本部に預けてあったのでその辺の問題は無いのだが、やはり居住スペースが失われるというのは大きなダメージであり、肩を落とすのも無理も無いことであった。
「新しい部屋は本部から斡旋してもらえるらしいんだけどさ……」
「――だったら、同棲するか?」
「は!?」
 頭上で聞こえたそんな言葉に、フェイトは瞠目しながら顔を上げた。
 目の前のクレイグはいつもどおりの表情で、当たり前のことを提案したと言わんばかりだ。
「表向きな言葉が必要なら、『ルームシェア』でもいいけどな」
「クレイ、本気で言ってるの?」
 尚も続くクレイグの言葉に、フェイトはそう問い返した。
 返事は聞かなくても想像は出来たが、それでも確認はしたかったようだ。
「困ってるんだろ。……いいからここは頷いておけよ」
 クレイグは目を細めつつ、フェイトの頬に指を置いてそう言った。
 冗談の類ではないようである。
「……まぁ、ありがたいけど……その、あくまでも、『同居』だからね?」
「そうだな」
 フェイトの言葉に、クレイグは小さく笑いながら短い返事をして、額に唇を寄せてきた。
 前髪越しではあったが、久しぶりの触れ合いに心が跳ねる。いつものクレイグのスキンシップに変わりはないが、やけに意識してしまうのは何故だろうか。
「…………」
 フェイトは黙ったままでクレイグを見上げた。
 その頬はやはり少しだけ赤い。
 クレイグは間近でそんな彼の様子を目にして、また浅く笑った。
「何にも変わらねぇよ。俺も何もしないから」
「……うん」
 そんな言葉を交わして、数秒後。
 クレイグはフェイトを抱き寄せて体温を確かめてくる。
 彼の『何もしない』の言葉は、こうした触れ合いには該当しない。フェイトもそれを分かっているので、拒絶はしなかった。
 フェイトは彼の腕の中に素直に収まりつつ、考える。
 ――クレイグの部屋に身を寄せる。生活を共にする。つまりは『同居』であり『同棲』でもあるのだと心で改めて呟くと、動悸が早くなっていくのを感じて、彼はぎゅっと目を閉じた。
 
 買い物カートに、冷凍グリーンピースの袋とジャガイモ、玉ねぎ、鶏肉などがポイポイと入れられる。
 後は大きな瓶に入ったジャムとシリアルの箱が数個。
 黙ってそれを見ながらカートを押す係となっていたフェイトは、どんどん埋まっていくスペースに少し驚きながら、隣のクレイグを見上げた。
「お、そうだ。お前エビ好きだったよな」
「あ、うん……」
 クレイグは思いついたようにして鮮魚コーナーに足を運んでエビと白身魚、イカなどを見繕い始めた。
「俺、生じゃ食べられないけど……」
「フライ用だよ、俺も生は苦手だ」
 彼はそう言いながらカートの端を掴んで、自分へと寄せてまたその中に選んだパックを入れていく。
「随分買うんだね」
「まぁ、三日戻ってねぇしな。帰ったら冷蔵庫の中入れ替えるし、明日の朝食の分もあるだろ」
「三日……」
 クレイグの言葉に、フェイトは弾かれたようにして瞠目した。
 自分が時空を渡り過去に行っていた間、彼は自分の部屋に戻ってはいなかったのだと気づいたのだ。
「……そう言えば、ずっとそばに居てくれたんだってね」
「当たり前だろ」
 自分の手のひらに視線を落としながら、フェイトはそう言った。
 するとクレイグは缶詰を手にしつつ遅れずの返事をくれる。
 何となくだが、手を握られていた感覚が残っている気がした。彼の優しさは、時間がどれだけ過ぎようと変わりはない。
 そうこうしているうちに、カートの半分ほどが食品で埋まった。
 日持ちのする缶詰、スパムなどはこちらではよく見かける食品の一つだ。スパイシーや燻製タイプなど、様々な種類がある。クレイグはそれらの中から減塩タイプを手にしていて、バランスなど計算しているのだろうと思った。
「後はパンとヨーグルトだな」
 彼はそう言ってこの場での買い物を終えた。
 パンとヨーグルトには拘りがあるらしく、購入する店も別のようだ。
 それから彼はアパートに帰るまでの道のりの案内を、フェイトに詳しく教えてくれた。パン屋、乳製品とチーズの店、花屋から雑貨、向かいのコーヒーショップまでと、行く先々で声をかけられ相変わらず彼は顔が広い。
「どこでも人気者なんだね、クレイ」
「特に意識してるわけじゃねぇんだけどな。話す相手が笑顔だったら、嬉しいだろ」
「……そっか、そうだね」
 クレイグのその返事を聞いて、フェイトは自分の心まで暖かくなっていくような気がした。
 最初の言葉には少しの嫉妬もあったが、それすらも掻き消されている。
 そしてやはり彼は凄いと思った。
 別け隔てなく人に優しくするという行為は、決して楽なことでも簡単なことでもない。
 それでもクレイグという人間は、自然体でそれを成し遂げている。
 自分には全部は真似できないことだが、少しでも手本に出来たらとフェイトは心の奥でひっそりと思った。
「ユウタ。お前は俺だけに優しくしてくれ」
「……っ、なに、言ってんの」
 クレイグが身を寄せてボソリとそんな事を言ってきた。
 心を読まれたのかと焦りつつ頬を染めて返事をすれば、彼は悪戯っぽく笑みを作ってぺろりと舌まで見せている。
 彼はどこまで対人を『視て』いるのだろう。そんな考えすら過ってしまう。
 きっと、何故かと問いかければ彼は――。
「お前限定だよ」
 フェイトにだけ聞こえる声を耳元に、当たり前のように降ろしてくるクレイグ。
 そんな彼のシャツを軽く引っ張り、フェイトは己のつま先に僅かの力を入れて触れるだけのキスをした。
 フェイトなりの照れ隠しであった。

「どうした、入れよ」
「う、うん……」
 フェイトがクレイグの部屋の入口で、足を止めた。
 これが初めてではないと言うのに、何故か緊張する。
 自分も今日からここの住人だと改めて感じたことに対してなのか、それともクレイグの言った『同棲』という言葉が根強く心に残っているせいなのか。
 今のフェイトには判断がつかなかった。
「今日からお前の家でもあるんだぞ。前に渡した鍵も使っていいし、出入りは自由だからな?」
「……うん」
 クレイグが紙袋を置いてから戻ってきて、フェイトの背中をぽんと押す。
 それを合図にして、フェイトは一歩を踏み出した。思わず「お邪魔します」と言いそうになり、ぐ、と抑えつつの入室であった。
 クレイグはそんなフェイトの行動を見ながら小さく、そして満足気に笑いつつドアを閉めた。
「そのまま座ってろよ。すぐ飯作るから」
「あ、手伝うよ」
「じゃあ、頼むかな。ついでにキッチン内に置いてるモンとかそう言うの、教えとくな」
「うん」
 それから二人は並んでキッチンに立ち、夕食の準備に取り掛かった。
 クレイグは得意の腕を振るって少し豪華な料理を作り、フェイトはその手並みを感心しつつテーブルに皿を並べたり、サラダを盛り付けたりという役目を担った。
 それから調味料の置き場所や、戸棚の中の食器の確認などを一通りして、二人は向い合って座り食事を採った。
 何気ない会話をいくつかして揃って笑い合い、フェイトは自然とリラックスしていく。
 食後はいつものソファに座り、テレビを見たりして数時間を過ごし、就寝の時間を迎えた。
「……やっぱり一緒に寝るんだよね」
「何、今更なこと言ってんだ。ほら、寝るぞー」
 大きなベッドを前にして、フェイトがまたもや踏み止まってしまった。
 クレイグは苦笑しつつそう言って、彼を促してやる。
 生活に必要な衣服などは明日以降に買いに行こうという話しになっているので、今日はクレイグのルームウェアを着て、フェイトはのそりとベッドに乗った。
「やっぱ少しデカいか」
「う、うん、そうだね」
 少しどころか全体的に大きなクレイグの服。
 袖口も折らないと手が出ない状態で、クレイグの目から見ればとてもかわいい姿になっているのだが、敢えてそれは言葉にせずに自分の記憶に留めておこうと彼はこっそり思った。
 そして、フェイトが完全にベッドに体をあずけるのを確認してから、彼はサイドテーブルの上の電気の紐を引っ張り、灯りを落とした。
「…………」
 フェイトはそんな彼の仕草を見て、タイムジャンプで猫になったことをふと思い出した。
 あの時もクレイグの隣にいて、完全に自分の体が収まるまで待ってくれてから灯りを消す彼がいた。
 そう言えばあの時の黒猫は、今はどうしているのだろう。
 そこまで考えが行き着いたが、さすがにクレイグに聞くことは出来ずに口ごもる。
「……そう言えばさ、俺、昔猫飼ってたんだよ、黒猫」
「!」
 フェイトの肩が軽く震えた。
 ゆっくりと顔を上げると、僅かにだがクレイグの顔の輪郭が視界に入り、思わず手が伸びる。
 するとクレイグはフェイトの手を静かにとって、唇を寄せた。
「その猫な、お前と同じ目の色だったんだよ。すげぇ綺麗な碧色。ある日突然、俺の目の前に現れてさ、野良で真っ黒な猫ってだけでも珍しいだろ。だから連れて帰ったんだ」
「……そう、なんだ」
 フェイトはそんなおかしな返事しか出来なかった。
 クレイグが話をしている猫は、他の誰でもない自分であるために余計に緊張のような心境なのかもしれない。
 別段、真実が知られても問題は無いはずなのだが、それでも自分からは言い出せずにいる。
「――俺が一番辛かった時に、そばに居てくれたな」
 湿ったような声音で、そう言われた。
 その響きでフェイトは、その時の黒猫が自分であったことはクレイグは知っているのだと確信して、唇を開く。
「俺は、少しはクレイの心を救えてた?」
「十分過ぎるくらい、救われてたぜ。……ありがとうな」
「良かった」
 キシリとベッドが軋む音がした。
 クレイグがフェイトへと身体を少しだけ傾けてきたのだ。
 そして彼は手を握ったままのフェイトを更に引き寄せて、キスをする。
 優しく重ねるだけのそれをフェイトも素直に受け止め、うっすらと瞳を閉じた。
 すると、呼応するように睡魔がゆるゆると訪れ、思考が緩慢となっていく。
「クレイ、……猫は……?」
「IO2に入る前に友達に預けたっきりだ。元気でいるらしいぜ。今度一緒に会いに行くか」
「うん……」
 そこまでの会話をすると、クレイグが「もう休んどけ」と耳元で優しく告げてくれた。
 フェイトはそれに甘えるようにして、睡魔に身を任せる。
 それから数分も立たないうちに、彼は穏やかな寝息を立て始めた。
 クレイグはそんなフェイトの呼吸をきちんと確かめてから、口元に笑みを浮かべつつ自分も瞳を閉じるのだった。

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goes back 4

「ナイトウォーカー、君、昨日寝てないんだろう? 少し休んだらどうだい」
「……まだ大丈夫だ」
 クレイグは現在、一つの個室内にいた。IO2本部の隣に併設されている病院である。最近新設されたもので医療機器も最先端のものが揃えられており、室内も綺麗なものであった。
 その真新しいベッドに横たわっているのは、フェイトだ。
 クレイグと一緒に爆発に巻き込まれたものの外見的な傷は負わなかったのだが、意識が落ちたままなのだ。
 脈や呼吸も正常で、状態から言えば眠っているだけだが、脳波が活発な事から何らかの能力を施行し続けているらしいと診断されて、今に至る。
 あの爆発から、すでに三日を過ぎている状態であった。
 クレイグはずっとフェイトの傍を離れなかった。
 本部内の医務室勤務であった医師がこちらに移動になり、今もこの場にいるのだが、彼が心配しているのは担当をしているフェイトより、彼の傍を離れようとしないクレイグのほうであった。
 殆ど眠っていないことを、知っているからだ。
「気持ちはわかるけど、例の爆弾魔の任務、また片付いていないんだろう? 休める時に休んでおかないと後に響くよ」
「解ってる」
 こうして医師が語りかけても、クレイグはフェイトを見つめたままだった。眠り続けるフェイトの右手首を軽く握りしめては、体温や脈の動きを確かめている。
「……君の弱点がフェイトだったとはね」
「え?」
 次の医師の言葉で、クレイグはようやく反応らしい反応を見せた。その表情は驚きの色そのものだった。
 自覚はなかったのかい、と続けつつ、医師は苦笑する。
「まぁこれは、僕だけの秘密ということにしておいてあげるよ。――ああ、そうだ。この一連の流れで一つ、気になったことを伝えておくよ、ナイトウォーカー」
「何だ?」
「タイムジャンプって聞いたことあるかい」
「ああ……精神だけ別の次元とか時空枠に飛んで行くアレだろ」
 医師は言葉を続けながら、その場で珈琲を入れてカップをクレイグに差し出した。
 クレイグはそれを迷いもせずに受け取り、ほわりと立ち込める温かな湯気に目を細めつつ一口を含み喉を潤した。
「フェイトはサイキッカーだ。だから多分、この能力も持ち合わせている。そして今も、実行していると思う。そこまではまぁ、いいんだ」
「……何が言いたいんだ」
「僕は現場の人間じゃないから上手く言えないんだけど、どうにも気になるんだよ。世間を騒がせてる、君たちが追い続けてる爆弾魔のことがね。後から分かったことなんだけど、一般病院で意識不明だった一人の男が消えていてね」
「…………」
 医師の言葉が、妙に脳内に響いてくるような気がした。
 それに違和感を抱きつつクレイグは手元のカップに視線を落とす。
 霊的エネルギーを爆弾に変化させる犯人。
 自分の過去にも、そんな存在が居た。あの時はとある少女が彼を吹き飛ばし……。
「そういやあの後、どうしたんだったかな……」
 思わずの独り言が漏れた。
 医師の言葉から繋がった記憶と思考が、混濁している。
 ――否、どんどん不透明になっていく。
 ゆら、とカップの中の珈琲が揺れた。
「ナイトウォーカー」
 名前を呼ばれる。
 だがクレイグは、それに返事は出来なかった。
 フェイトが眠り続けているベッドの端に上半身を預ける形で、彼は倒れこむ。
 手にしていたカップが指から滑り落ちかけたが、それを受け取ったのは医師であった。
「……時間が来たら起こしてあげるよナイトウォーカー。僕の前で無茶はしないことだね」
「…………」
 コトリとカップがテーブルの上に置かれる音がした。
 それをクレイグが耳にすることはなく、彼はその場で急激に訪れた睡魔に身を委ねて眠ってしまう。
 医師が入れた珈琲には微量ではあるが即効性のある睡眠薬が入れられていた。
 クレイグは彼が珈琲を入れる姿を見ていたはずだったが、その行動を目に止めることは出来なかったようだ。
 静まり返った室内で、眠ったクレイグの肩にブランケットを掛けてやった医師は、言葉なくその場を出て行った。

 どこまでを把握していたのか、正直なところその辺りの記憶は曖昧のままだ。
 美しい少女と出会った。綺麗な目をした黒猫も傍に居た。
 目的と支えがあった。だが彼にはそれ以上に悲しみも大きかった。
 教会の爆発事件の後、クレイグはIO2に保護された。それまでそんな『組織』が存在すること自体、知らずに過ごしてきた彼であったが、保護がきっかけとなり自然の流れでエージェントへの道を選択した。
 欲したものは揺るぎのない強さ。
 精神的にも肉体的にも共通するそれ。
 クレイグはそれから血の滲むような日々を過ごした。厳しい訓練と能力開発。元から持ち合わせていた霊感と夜目が利く力を最大限まで引き出した。応用で透視能力も見出すことが出来た。
 物理的な実践訓練では銃の扱いを選択し、そこそこの腕を身につけた。
 がむしゃらに走り続けて、数年。
 自分の教官であったエージェントに改めて訊ねたことがあった。
 あの爆弾魔はどうなったのか、と。
 少女に吹き飛ばされ壁に激突して地に沈んで以降の記憶が無い。死んだとは聞いてはいなかった。だからといって捕縛されたとも聞いてはいなかった。
「奴は爆弾を起こす以外に時空を超える能力を兼ね備えていてな。つまりは、『あの時』に逃げられた」
「……マジかよ」
 新たな衝撃がそこにはあった。
 自分では想像も出来ない事でもあった。
 だが彼は、そこで大きく感情を乱すことは無かった。訓練の賜物であったのか、達観していたのかは分かりかねる。
 ただ一言、それだけを告げた後は教官に問いを繰り返すことはしなかったのだ。
「お前には、問われるまで伝えるなと上から言われていてな」
「まぁ、普通はそうなるだろ。アンタの判断は間違ってなかったと思うぜ」
「それ以前にお前は目上に対する言葉遣いに気をつけろ」
「イエス・サー」
 教官に嗜められると、クレイグは薄く笑いながらそう答えた。気さくに会話が出来る相手でもあったので、こうした返事であっても笑って許しえて貰えた。そうした態度が有難かった。
 IO2に入ってから覚えたものの中に、煙草があった。教官が喫煙者ばかりであったために、これも自然と手が伸びてしまった部類の一つに入る。
 夜、一人きりになった時や休憩時間に、急に溢れてくる悲しみに心が痛んだ。
 誰にも明かさずその姿すら見せたことは無かったが、失った両親の存在はやはり大きかった。居を移したのをきっかけに傍にいた猫とも別れているので、寂しいと感じる時間が苦痛でならなかった。
 そんな彼が唯一の『逃げ』として選んだものが煙草だったのだ。
 気がつけばそれは完全な嗜好品となり、切らすことが出来ないものの一つになってしまっている。
「時空を超える……か」
 ぽかり、と口から吐いた紫煙を宙に浮かべつつ、そう呟く。
 教官に『吸い過ぎるなよ』と言い残されて数十分経ってからの響きだった。

「ナイトウォーカー!」
「!」
 ビクリ、と肩が震えた。
 弾かれるように瞳を開く。頬にはシーツの感触があり、そこで自分は眠っていたのかと自覚して上体を起こした。
 フェイトはまだ、眠ったままだ。
「寝起きで悪いけど、任務を遂行せよって連絡が来たよ。あの爆弾魔が姿を見せたらしい。そして、また爆発も起こしたみたいだ」
「……派手好きの目立ちたがり屋が……」
 クレイグは医師の言葉にそんな響きを吐いた。
 独り言の一環であったのかもしれない。
 そして彼は、ゆっくりと立ち上がる。
 フェイトの手に再び自分の手を重ねて『行ってくる』と小さく告げた後、踵を返した。
「アンタ、医者にしておくの勿体無いぜ。エージェントとしてもやっていけるんじゃねぇの?」
「嬉しい言葉だと思うけど、あいにく僕にはフィールドワークは向いてなくてね」
 医師を横切る際、クレイグは笑みを浮かべてそう言った。眠りに落ちる前の彼の言葉を忘れているわけでは無さそうだ。
 すると医師は肩を竦めつつの返事をするのみで、クレイグを送り出した。
 直後、眠ったままであったフェイトの右手がピクリと小さく動いたが、医師はそれに気づいてはいないようであった。

 街の一角が赤く染まっていた。
 燃えているのである。
「遅いぞ、ナイトウォーカー」
 現場に辿り着いたクレイグにそう言ったのは、いつもの老エージェントであった。
 彼を目に留めた後、その奥に映る光景を見て眉根を寄せる。
「……状況は」
「見ての通りだが、近隣住民は既に避難済みだ。犯人はこの先で奇行を続けている」
「奇行ねぇ……」
 老エージェントの言葉に、クレイグはため息混じりの返事をした。
 そして地面を軽く蹴る仕草をわざとしてから、再び口を開く。
「俺に銃を教えてくれたのは、アンタだったな」
「こんな時に、何の話だ」
「……あの爆弾魔、『あいつ』なんだろ?」
「!」
 クレイグは前を見据えつつそう言った。
 彼の言葉に僅かにだったが肩を震わせたベテランが、同じ方向を見やる。
 そして、少しの沈黙が訪れた。それが何よりの肯定だと、クレイグは思った。
「これが警察だったら、真っ先に俺は今回の任務からは除外されてたんだろうな」
 IO2ってのは、ある意味残酷な組織だよな、と後付して、クレイグは歩みを始める。
「ナイトウォーカー」
 老エージェントが名を呼んだ。
 クレイグはそれを背中で受け止めて、振り返ること無く駆け出す。
「まぁ、じーさんはそこで見ててくれ。今度こそ仕留めるからさ」
 彼はそう言い残してその場を離れた。
 向かう先は当然、犯人がいると思われるポイントだ。
 耳元に落ちてくるのは炎が巻き上がる音。
 遠くにサイレンが鳴り響いているが、消火が追いついていないようだ。
「燃えろ、燃えろ!」
 男の声が聞こえた。
 クレイグはそれを耳にして、過去を思い出す。
 外見が別人のために声質は違うが、喋り方は同じだ。
「……ようやく俺の中で繋がったぜ。なんで年取ってねぇどころか若返ってんだ、とかな」
 時空を自由に行き来できる。
 それがどんなものかは彼自身には理解が出来なかった。だがそれでも、そういった能力が確かに存在する。
 だからこそ、あの男は罪を犯し続けているのだ。
「手強いっつーか、面倒くさい相手だな」
 そんな独り言を漏らしつつ、上着の内側に右手を差し込む。装着しているホルスターから銃を引き抜いて、男を視界に捉えられる位置まで近づいた。
 クレイグの存在に気づいていない男は、笑いながら炎を眺めている。
 だが、このまま銃を向けて物理的に攻撃をしても捕まえることが出来ないだろう。
 体は沈めることが出来ても、精神で逃げられる。
 あの男は、今までそうして窮地を逃れてきたのだ。
「おい、そこに誰か居るだろ。またIO2か?」
 クレイグが背を預けていた壁に、男の声が投げかけられた。思考の間に気配を読まれてしまったのだろうか。
 彼は軽い溜息を吐いた後、壁から体を話して一歩を出る。
「よぅ、また会ったな」
「お前……こないだの若造か。あの時は残念だったなぁ、あと一歩で俺を捕縛出来たんだろ?」
「まぁ、そうだな」
 男は余裕の笑みを浮かべてそう言った。
 クレイグは男の言葉に少しも動ずることもなく、返事をする。
 すると男が、眉根を寄せた。
「……ん? お前、どこかで見たな。その青い目と金髪……」
「そりゃそうだろ。アンタは昔、とある教会を爆破させた。俺はその時の当事者だ」
「へぇ、なるほど。あの時のガキか。お前にとっちゃ昔のことだが、俺にとっちゃぁ、三日前の話だな」
 その言葉で、男が時空移動を行ったと確信した。
 すでに確かめるほどでも無かったが、本人の口から言質を取るという意味では良かったと言える。
 周囲には多くのエージェントがそれぞれに配置された状態だ。すでに証拠として残されているだろう。
「最初に言っておく。俺はアンタを捕縛する気はねぇ」
「ほぅ、なら俺を殺すか? 今すぐその銃で撃ってみろ。それでも俺は死なない」
「中身だけで逃げるんだろ」
 よほど自身の能力を自負しているのか、男の言葉には少しの揺らぎもない。
 クレイグは右手に収めたままの銃のグリップを軽く握り直して、男にそれを向けた。
 勝算はない。だがそれでも、対峙している以上は行動に示さなくてはならない。
 不思議と気持ちは凪いでいて、怒りの感情すら浮かんではこなかった。自分の中では既に昇華されているのだろうかと思いつつ、クレイグは男を見据える。
「さぁ、撃て!!」
「…………」
 一発目で命中したとして、同時に男は精神のみで逃れるだろう。その瞬間を捕らえられればいいのだが、クレイグにはその手の能力はない。
 どうしたものか、とゆっくりと思案する。
 その、数秒後。
「――捕まえたよ」
「!」
 クレイグの背後からそんな声が聞こえてきた。
 彼が誰よりも知る声音だった。
「……フェイ、」
 名を呼びかけたが、制止の手が伸びる。
 声の主、フェイトが駆け寄ってきたが、彼は随分と消耗しているようだった。それを横目で確認したクレイグは、自分の体に寄り掛かれるようにとフェイトを抱き寄せて、男へと視線を戻す。
「な、なんだ、この感触……っ、お前、何しがやった!?」
 男は動揺していた。
 つい先程まで余裕の色を保っていた表情は歪み、明らかな焦りが見える。
 クレイグは再びフェイトを見た。顔色があまり良いとはいえない。
「……フェイト、お前だな?」
 そう問われるフェイトは抵抗なくクレイグの身体にもたれ掛かり、こくりと頷いた。
 サイキッカーとしての能力の一つ、サイコネクションを男に対して使っているのだ。相手の精神と同調し、支配や幻覚を見せる効果がある。現在は前者なのだろう。
 眠り続けていた時間が長かった事もあり、身体が覚醒しきっていないのかもしれない。
 それでなくても彼は眠っている間も能力を使い続けていた。その分の負担も大きいのだろう。
「凄い抵抗力だ……制御が長く続きそうもない。ナイト、あいつの弱点、見れる?」
「任せとけ」
 クレイグはフェイトの問いに答えるのと同時に、男に向かって手のひらを向けてそれを横に引いた。
 相手の弱点をそれで探れるのだ。何も無い空間にモニタのような画面が浮かび上がり、対象の身体のラインとともに弱点が赤く光る。
 クレイグとフェイトがそれを同時に確認して、短く呼吸をした。
「そうだ、これはグランパからの伝言。捕縛しなくていいから確実に仕留めろって。だから、一緒に倒そう」
「……ああ、そうだな」
 フェイトの言葉にクレイグが苦笑した。
 そして彼は銃を再び男へと向ける。するとその手にフェイトの左手が重なり、温もりとともに伝わってきたのは彼の能力だった。
「ちくしょう、離せこのやろう……!」
 男が叫んだ。
 フェイトの精神的の拘束から逃れようと、必死である。
「もう終わりにしようぜ、オッサン。償いとかそんなもん、今更いらねぇからさ」
「や、やめろ……ッ」
「――じゃあな」
 クレイグがゆったりとした言葉を放った後、狙いを定めて引き金を引いた。
 放たれた弾には念が込められ青白く光り、男に向かって飛んで行く。彼は器である身体から抜けかけた状態だった。その精神体に見事に命中し、男は悲鳴すら上げることが出来ずにその場で砕け散る。
 その生命の炎は、やせ細り輝きの見られないものであった。
 クレイグは黙ってそれを見つめていた。
 かつては恨みの対象であった存在。
 だが今では、その感情すら抱けない。心根にあるのは、ひたすらの空虚感。
 悲しいのか寂しいのかは、解らない。
「やっと、終わったね」
 フェイトが静かにそう言った。
 やっと、という響きが妙に心に突き刺さった気がして、クレイグは視線を落とす。
 視界が一瞬で歪んでいくのがわかった。
「……クレイ」
 クレイグはフェイトをそのまま抱きしめた。
 顔を見られたくなかったのかもしれない。
 フェイトはそんな彼を素直に受け止めて、そっと背に手のひらを置く。
「お疲れ様」
 じわりと染みこむ声。
 クレイグはそれを耳にして、僅かに頷いた。フェイトの頭の後ろに手のひらを滑りこませて、黒髪を指に絡ませる。
 改めての感触に、口元が緩んだ。
「おかえり、ユウタ」
 フェイトの耳元にそっとそんな言葉を落とす。
 重なった影はそのまましばらく離れることはなかった。

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goes back 3

 ピリ、と空気が張り詰めたような感じがした。
 強烈な気配で思わずクレイグの鞄の中に身体を引っ込めてしまったフェイトであったが、直後に猫ヒゲが反応してまた上を向く。鞄の蓋が閉じたままなので視覚での確認は出来なかったが、強烈な違和感を全身で感じ同時に戦慄した。
(何だ、この感じ……)
 全身の毛が逆立つという感覚を初めて味わった気がする。
 嫌な感じはしないのだが、それ以上に強烈な『何か』がある。
 それは、鞄の持ち主でもあるクレイグも同様に感じ取っている事でもあった。
「…………」
 言葉にならない。
 動揺もあるが、威圧される空気の中にある『魅力』。
 視線が重なった直後から、それが少しも離れない。離れることが出来ない。
 闇に浮かんだ存在――黒髪の少女にクレイグは一瞬にして魅せられたのだ。
 良い夜ね、と声をかけられた。見るからに国が違うと思える外見の存在であったが、発せられた言葉はこちらのものであった。
「あなた、チカが見えるのね」
「……え?」
 次に少女はそんなことを言った。
 予想もしなかった言葉に、クレイグが反応する。
 チカと名乗った少女は小さく笑みを作った後、ポン、と軽く跳ねてクレイグとの距離を詰めてきた。
 緑の瞳が宝石のように煌めいて、心が跳ねる。
 ――と同時に、鞄の中にいる『ミント』と同じだと感じて、クレイグは瞬きをした。
「あんた……何なんだ?」
「チカはチカだよ。チカゲって言うの。あなたのお名前は?」
「ク、クレイグ……」
 初めての邂逅であったにも関わらず、チカゲという少女はクレイグに人懐っこい口調でそう問いかけてきた。
 クレイグは彼女の問いに戸惑いつつも、すんなりと自分の名を告げてまた数回の瞬きをする。
 綺麗で大きな瞳。その中の猫のような細い瞳孔を視界で確認して、彼女はやはり『普通』ではないと感じる。
 何故こんな場所にいるのか、どうして出会ってしまったのか。そんな思考が巡るが、やはりクレイグは何も問うことは出来なかった。
「……あなた、この先に行きたいの? とても嫌な匂いがするの。だから……行かないほうがいいよ」
「なに、言って……」
 チカゲは、つい、と人差し指を向けた。その先にはクレイグが向かっていた教会がある。
 それを確認して、彼は眉根を寄せた。
「なぁアンタ、一体何を知ってるんだ?」
「チカはここは初めての場所だけど……嫌な感じがするの。それを確かめに空から降りてきたのよ」
「嫌な感じ……って、空から?」
 クレイグがさらなる疑問を問いかけた直後、空気が歪む気配がした。
 それを一番先に感じ取っていたのは鞄の中にいるフェイトであり、「ニャー」と鳴いて鞄の内部を掻きつつクレイグに訴えたがほぼ同時に響いてきた爆音に掻き消されてしまう。
「!!」
 ビクリ、とクレイグの身体が震えた。
 チカゲ――千影――もその爆音に僅かに眉根を寄せて振り返る。
 彼女が先ほど指をさした方向であった。すなわちそれは、教会へと繋がる道だ。
(……今の、爆発音だった。まさか……)
 視界での確認はできなかったが、音のみでそう判断したフェイトは、再び鞄から顔を出そうと前足を掛けた。だがその先は、急に走りだしたクレイグによって遮られてしまう。
「クレイグちゃん……!」
 彼の名を呼んだのは少女の声だった。
 クレイグは千影の忠告を無視する形で、音がした方向へと駆け出したようなのだ。フェイトはその場で体勢を崩してコロンと転がってしまい、そこからまた整える事に時間を要した。
(クレイ、今すごくマイナスな気持ちが溢れてる。俺にまで伝わってくる。さっきの嫌な予感が、当たっちゃったのか……?)
 フェイトはそんな事を思わずにはいられなかった。
 杞憂であればいいと感じたことが、現実になろうとしている。それを感じて、更なるもどかしさを抱いていた。
「……っ、んだよ、何で……ッ!」
 クレイグは走りながら言葉を零した。焦燥感でいっぱいの声音だった。
 少女が行かない方がいいと言った先、クレイグが向かっていた場所。
 彼の両親が祈りのために訪れていた教会。――そこが今、真っ赤な炎に包み込まれている。
 先ほどの爆音はその教会から生まれたものだった。つまりは、爆発したのだ。
「父さん、母さん!!」
 地面に散らばっているのはガラス片だった。原型であった頃には美しい光を放っていたステンドグラスが砕けているのだ。その中に混じっているのは壁だったものと、木製の扉の一部。
 先ほどまで教会であったその場所は、見るも無残な姿になっていた。
 周囲がひどくざわついている。
 警察と消防を呼べと叫んでいる男性や携帯電話で救急車を呼んでいるらしき女性。
 その端々に倒れている人々が視界に飛び込んできた。
 爆発に巻き込まれたのだろう。吹き飛ばされて数メートル先で倒れている影もある。
「母さん……父さん……」
 クレイグの言葉に抑揚が無くなった。
 彼はふらりとした足取りになりながら、両親を探し始める。
 痛い痛い、と呻く声がどこからか聞こえた。改めて聴けば、周囲は啜り泣く声が呻き声が充満している。
 クレイグは瓦礫となった教会の中を、半壊した扉から覗き込んだ。
 父と母はいつも決まった場所に座っている。前から三番目の一番左端。
「…………」
 椅子と思わしき残骸の先、前から三番目らしき場所は未だに炎に包まれている。
 ゆらゆらと蠢く炎。その中で見える黒焦げの誰かの腕――人と人が重なりあった影。
「……っ」
「クレイグちゃん、これ以上近づいちゃダメ!」
「!」
 湧き上がる感情を吐き出そうとしたその時、背後からそんな声が飛んできた。それと同時に腕を強く引かれて、彼はよろりと後ろへ数歩下がる。
 直後、彼は掴まれた腕を振り解こうとしたが、出来なかった。
 声の主は先ほどであったばかりの少女のそれであった。だから、容易に拘束は解けると思って疑わなかった。
 だが実際は、その少女、千影の腕をつかむ力のほうが強かったのだ。
「……アンタの、せいかよ?」
 ずるずる、と千影によって教会から引き離されるクレイグが最初に零した言葉がそれであった。
 行かないほうがいいと忠告してきた。彼女はこうなることを予測できていたことになる。
 ならば、犯人であってもおかしくはないと考えが繋がっても無理はなかった。
 だが。
「――ははっ、呆気ねぇなぁ」
 耳の端に捕えた枯れた声。
 酒と煙草をやりすぎているというのが見なくても解る声音だった。
 クレイグがその声に視線を動かす。薄汚れた服を着た四十代後半くらいを思わせるくたびれた男が、燃え盛る教会を見ながらニヤニヤとしていた。
 ――彼女じゃない、あいつだ。
 クレイグは瞬時にそれを悟り、彼を睨みつけた。
「チカゲ、だっけ? あいつだろ、嫌な匂いしてる奴」
「……うん、そう。だけど、クレイグちゃんは近づいちゃダメ」
 千影はクレイグの腕を掴んだままだった。
 クレイグは今度こそその拘束を開いている手で取り払って、向き直る。
「おい、オッサン。ここ数日の爆弾騒ぎ、全部アンタの仕業かよ」
「……だったらどうする、ガキが」
「…………」
 男は汚い表情をしていた。
 顎を突き出しこちらを見据えている。その瞳は淀んだ色ながらも鋭くギラついていた。頬をひきつらせながら作る笑みが見るものを一層苛つかせるようで、クレイグも例に漏れずであった。
「なんでこんなことをする?」
「思い知らせてやるためだ。……この世は不公平に満ちてやがる。加えて無慈悲だ。失敗者をカスだクソだとゴミ扱いまでしやがる。許せねぇよなぁ」
「てめぇ……」
 顎にある無精髭を撫でながら男は言った。ボロボロの衣服は何日も着替えてもいないような印象がある。失敗者と言っていた。おそらくは失業者なのだろう。
 そして自分以外の成功しているものを恨んでいるかのような口ぶりであった。
「俺には無敵の力がある。『これ』に目覚めたのはつい最近だ。……いや、きっと俺には生まれ持ったものだったんだ」
 男はそう言いながらゆらりと右腕を差し出した。
 そして墓場の墓石を一つ爆発してみせる。何の仕掛けも無しに、だ。
「アンタ……霊を爆発させたな?」
「おっと、お前には霊が見えるのか。ん? 後ろの嬢ちゃんとお前の鞄の中にも使えそうなのいるじゃねぇか。一緒に爆発させてやろうか?」
「!!」
 一気に背筋がざわついた自覚があった。
 ギリ、と歯ぎしりの音が脳まで響き、その瞬間に目眩すら引き起こす。
「ニャー!」
(クレイ、ダメだ!)
 鞄の中に居続けていたフェイトが声を上げた。
 だがそれはクレイグには届かず、一瞬鞄が宙に浮く。
「クレイグちゃん!」
 千影の声が背中にぶつけられた。
 クレイグはその場のどんな声にすらも反応することは無く、大きな一歩を踏み出し男に向かって拳を振りかざす。
「のっ……野郎っ!!」
 男の顔面に向かい思い切り――打ち込んだと、その時は思った。
「……ッ!」
 次に訪れたものは右手の痛み。
 殴られるはずであった男はニヤリと笑みを湛えるままで、スローでクレイグの横を通り過ぎて行くのが見えた。
「ニャー、ニャー!!」
 どさり、と鞄が地面についた音がして、フェイトは慌てて蓋を頭で押してようやく表に出た。
 そして周囲を見回して、真後ろで蹲っているクレイグの姿を目にして慌てて駆け寄る。
「ニャー!」
 ぽたり、とクレイグの膝に何か落ちる。
 それを目の前で見た形となったフェイトは、目を丸くした。
 血であった。彼を覗きこめば右手から血が滴り落ちてきている。男に殴りかかった時に、返り討ちにあってしまったようだ。
「ニャ、ニャァ!」
「……ミント、ごめんな。閉じ込めたままで。怪我してねぇよな?」
「ニャー……」
 クレイグは静かにそう言った。
 声が震えている。
 こんな時ですら彼は目の前の猫を気遣い、笑おうとしていた。
(……クレイ……っ)
 フェイトはクレイグの腕によじ登って彼の右手の傷の具合を確かめた。
 切れてはいるが、指などには重症は見られない。
 感覚でのみでの推測だが、男はごくごく小さな爆発を起こしてクレイグの拳を跳ね除けたのだろうと思った。
 スピードも動きも正確であったはずなのに、それでも彼はやはり『ただの高校生』でしかなかった。
「ちくしょう……っ」
 悔しさを吐露するクレイグ。
 フェイトはそれを彼の傍近くで聞いた。
 ゆっくりと顔を上げれば、彼は歯を食いしばりながら目に涙を浮かべている。
(クレイ……)
 じわじわと目の端に溜まっていく雫。
 次の瞬間にはそれが彼の瞳を離れて、ぽたっとフェイトの額に落ちてくる。雫が目の前で弾ける光景が、とてもやるせない気持ちにさせられて、フェイトは鳴くことすら出来なかった。
 一人の男の身勝手で変わってしまったクレイグの世界。
 一瞬でおもちゃのように壊れた教会。失われた多くの命。その中に居合わせてしまった彼の両親。おそらくはもう、助からないだろう。
 千影がクレイグを引き離した時に彼は、折り重なった影を見ていた。それは、父が母を庇い抱きしめている姿だった。
「父さん、母さん……俺を、置いて行かないで……」
 フェイトはその声音に目を見開いた。
 どこかで聞いたような響きだと思ったからだ。

 ――俺を置いて行かないでくれ。

 いつ聞いたのだろう。間違いなくクレイグの声で記憶している。
 だが、今は思い出せない。
「!」
 どうしようもない気持ちに苛立ちを感じているところで、ビクリ、とフェイトの体が震えた。
 クレイグの背後に感じた気配に反応したのだ。
 あの男が迫ってくる。
 そうは思っても、猫のままでは何も出来ない。
「ニャァ!!」
 フェイトは慌ててクレイグへと向かって鳴いた。
 だがクレイグはそれには応えることはせずに、フェイトの体を抱きしめてさらに背中を丸めるのみだった。
「ニャ、ニャー!」
(クレイ、立って!!)
 フェイトは必死にそう訴えた。何とかして彼に危険を報せたかった。
 ここで彼を失う訳にはいかない。未来でクレイグは自分と出会って、一緒に任務をこなして、好きだと言うのだから。一緒の時間を過ごすのだから。
「ニャァ、……っ、クレイッ!!」
「――待ちなさい!」
 フェイトが精一杯の声を貼り上げたそれと、千影の声が重なった。
 今まさにクレイグの背中を吹き飛ばそうとしていた男が、怪訝そうにして彼女に振り向いた。
 そして数秒遅れて、クレイグもゆっくりとそれに振り向いてみせた。
「なんだぁ、さっきの嬢ちゃんじゃねぇか。オッチャンに用事かよ?」
「あなた、とても悪い子ね。こんなにいっぱい、色んな人を巻き込んで……心は傷まないの?」
「別に、感じねぇなぁ。俺はそれよりもっと辛い思いをしてきた。嬢ちゃん、ネズミ食ったことあるかよ? そこらに這ってる虫は? これって屈辱だろ?」
「それでも、あなたは間違ってる。ヒトである以上、例えどんなすごい力を持っていたって、ルールから外れちゃ駄目なの」
 男は千影の言葉を虚ろな瞳で左から右へと聞き流していた。
 「ガキの説教かよ」と毒づき、最初から聞く耳など持たないでいるようであった。
「……お仕置き、だね」
「へっ……そんなちっせぇ身体で何が出来――」
 千影は小さくため息を吐き零した後、すらりと腕を横に伸ばしてみせた。直後、大きな気配が風のようにぶわりと広がり、男もクレイグも目を見開く。
 どこまでも冷たいそれは、氷のようだとも思えた。彼女の伸ばした右腕の先、その手の内には黒い杖が収まっていて、千影は表情に怪しさを讃えてぺろりと舌なめずりをしてみせる。
 可憐な少女が一変にして豹変したかのような、そんな気持ちにもなる。
 だがそれが、千影という少女の本当の姿だ。
「本当は知らない場所で能力(ちから)を使っちゃダメなんだけど……チカももう、ちょっと我慢の限界。食べちゃったりはしないけど、覚悟はしてね?」
「お、お前……何だ、それ……!!」
 男はさすがに焦りを見せた。
 大きく迫り来る気配。それがひたすらの恐怖でしかない事を理解して、後ろにへたりこむ。
「お、おい、待て……待ってくれ……っ謝る、謝るよ……!」
「ウソはダメ。いっぱいヒトを傷つけて、天へと昇らなくちゃいけない魂まで犠牲にして……クレイグちゃんを傷つけて……許さないから」
「や、やめろおぉぉ!!」
「!」
 フェイトはその一連の流れをクレイグの腕の中から垣間見ていた。
 少女が杖を男に向けた瞬間、時空が動く気配がした。
 そして男は、その時空の歪みに精神だけを滑りこませていく。おそらく、無意識に今の現状から逃げたい一心での行動だったのだろう。
 直後、男の体が宙に浮いた。
 杖から放たれた突風に吹き飛ばされて、数メートル先の壁に背中を打ち付け、そのまま地面へと沈んでいく。
「……逃げた……」
 結果をきちんと見つめていた千影が小さくそう言ったが、それはクレイグには届かなかった。
 それ故に、クレイグは千影が男を倒したのだと思い込む。実際、吹き飛ばされた男は地面に沈んだまま動かない。死んではいないだろうが、気を失うほどの威力だったのだろうと純粋に感じて、彼は改めて千影を見上げる。
「……クレイグちゃん、手は大丈夫?」
「あ、ああ……」
「ごめんね、チカがもっと早くにあなたに言えばこんな事にはならなかったかもしれないのに」
「…………」
 千影はクレイグとは距離少し取った場所でそう言った。
 少なからずの責任のようなものを感じ取っているようでもあった。
「チカ、もう行かなくちゃ。……クレイグちゃん、早くお医者さんに診てもらってね。それから、自分を責めたりしないで。心を強く、ね」
「チカゲ……」
 チリン、と鈴の音が聞こえた。
 直後、千影はその場で地面をポンと蹴る。ゆっくり宙返りをしたかと思えば、彼女はそのまま身体を上昇させて夜空に溶けて消えていった。
「……ナイトウォーカーだ」
 人智を超える存在だと思った。
 そして唇からこぼれ落ちた自分の言葉に、クレイグは数回の瞬きをする。
 圧倒的な力。自分には無いもの。
 残された感情は虚しく悲しく――そして一つの希望にも繋がった。
「俺も、あんな風に強くなりたい……」
「ニャー……」
 クレイグの腕の中に収まったままだった黒猫が、小さく鳴いた。
 それを耳にした彼は静かに猫の体を持ち上げて、頬を擦りつけてくる。
「お前が無事でよかった」
(クレイ……)
 囁くようにそう言われた呟きに、フェイトは同じようにして額を擦り付けるしか出来なかった。
 彼は暫くは深い悲しみを抱えて悩むだろう。
 だが、不思議な少女が残したものがクレイグをこれからも導いていく。
 そんな事を思いながら、フェイトはそっと瞳を閉じるのだった。

カテゴリー: 02フェイト, season2(紗生WR), 紗生WR(フェイト編) |

goes back 2

「クレイグ、ミントちゃん、朝よ。起きて」
 優しい声がフェイトの頭上に降り注いだ。眠っていたのかと自覚して、うっすらと瞳を開ける。
 直後、視界がおかしいと思った。
 目線が自分の知るものではない。
「ニャー」
 あれ、と自分では言ったつもりだった。だがそれは、先ほどの声のみでそれ以上がない。
(ああ、そっか……俺、今は猫だった……)
 そう自覚して、黒猫フェイトは大きく伸びをした。
 その際、前足に感じた温かさに視線を戻せば、クレイグの寝姿が視界に飛び込んできた。
「ニャッ!?」
 フェイトは猫の体をビクリと震わせて、飛び退いた。
 自分の足の下にあったのはクレイグの胸。どうやら自分は彼の身体の上で眠っていたらしい。
 そう言えば、と、眠る前のことをぼんやりと思い出した。
 クレイグの家へとそのまま連れて来られたフェイトは、彼の両親にも歓迎され母親に『ミント』と名付けられた。黒猫の姿からは想像もし難い響きであるが、どうやら瞳の色に由来しているようだ。
 そして彼は家族の会話をクレイグの膝の上で丸くなって聞き、時間を過ごした。
 クレイグは父と母に色んな話をする。学校でのことや、クラスメイトのこと、放課後にあったこと。
 両親はそんな彼の言葉を笑顔で受け止め、相槌を打った。
 ――良い家族だと思った。少し羨ましいと感じながら。
 そして就寝時間を迎えて、フェイトは当たり前のようにクレイグの部屋のベッドに抱きかかえられたまま入り、眠ったのだ。
「ん~……」
「!」
 未だに眠ったままであるクレイグが、もぞりと動いた。
 そして左手をパタパタとさせて、何かを探る仕草を見せる。
「…………」
 フェイトは僅かに首を傾げた。
 その間にも、クレイグは無意識に何かを探している。
 ――つまりは、そこにあったはずの温もりを得られずに不安に似たものを感じているらしい。
「ニャー」
 小さく、ひと鳴きした。
 するとクレイグのフェイトのほうへと左手が伸びてくる。瞼も閉じたままだというのに、何故解るのだろうと思いつつ、フェイトはその彼の手のひらに頭を擦り付けた。
 優しい手。
 いつも自分が撫でてもらっていたそれと同じ温もりを感じて、瞳を閉じる。
 直後。
「クレイグ、起きなさい!」
「!!」
 バタン、と扉が開かれる音ともに飛び込んできた声に、フェイトはびくりと体を震わせて全身の毛を逆立てた。
 先ほど耳にした優しい声音が、今は少しだけ怒気を孕んでいる。
 クレイグの母が発したもので、どうやら起床時間を過ぎているようだ。
「ニャー、ニャー!」
「あ~、解ったって……」
 フェイトがクレイグの頬を押しながら鳴くと、彼はようやく目を覚ました。
 前日、友人に頼まれて日が暮れるまでバスケットボールをしていたせいもあり、彼は疲れていたようでもあった。
「おはよう、クレイグ。早く顔洗ってきなさい。バスの時間に遅れるわよ」
「おはよう母さん……あ~……まだ眠い」
 母親の声に答えるようにして彼はベッドから降りた。眠そうな顔を足元から見上げていたフェイトは、彼の意外な一面を覗き見た気がして、少しだけ嬉しいと感じていた。
「ミントも、おはような」
「ニャッ!?」
 言葉とともに抱き上げられたと思った矢先、クレイグは猫のフェイトに軽いキスをしてきた。
 もちろん挨拶としての行動であるが、フェイトは思わずの声が漏れて、たしっと前足をクレイグの顎に置いた。驚いた所為か猫目も丸くなっている。
(……こ、こう言う所も、昔からなんだな……)
 フェイトの抵抗はクレイグにとっては取るに足らない行動のか、抵抗とすら受け取らなかったのか、彼は片腕に猫を抱きながら自室を出た。
 『ミント』を殊のほか気に入っているらしく、クレイグはフェイトをずっと傍においての行動をしていた。顔を洗う時も食事を摂る時も必ず自分の隣に座らせる。本来の猫であれば気まぐれにどこかに行ってしまうだろうが、精神がフェイトであるために、彼はずっとクレイグを隣で見ていた。
(元の世界に戻れるまでは、傍にいさせてもらおう……)
 目の前に差し出された温かいミルクを舐めながら、フェイトは心でそう呟く。
 時空を渡ってしまう能力――タイムジャンプは自分の意志ではどうにもならない。だから戻れる時まで、こうして待たなくてはならないのだ。クレイグの傍で。

「クレイグ、昨日の爆弾事件のニュース見たか?」
「あぁ……あいつの家の近くだろ」
 そんな会話が聞こえた。
 今はクレイグの鞄の中にフェイトは身を潜めている。彼はいつものバスに飛び乗った後、クラスメイトに声をかけられ軽い挨拶を交わし、彼の隣に腰を下ろした。
 爆弾事件のニュースは、クレイグの家のテレビでフェイトも見ていた。規模こそ小さいものだったが、ここ数日で連続して起こっているらしい。彼の母が『最近、多いわね』と不安そうに口にしていたことを思い出し、思考が巡る。
(爆発……そう言えば、こっちに飛ばされる前も爆弾魔を追っていたな)

 ――あれ、お前さん若いな。俺の記憶じゃオッサンだったはずだが。

「…………」
 クレイグの言葉が脳裏に蘇る。
 霊的エネルギーを爆弾に変える能力者。クレイグはその存在を知っているようであった。
 もし、この時代での事だったら? と思い至り、フェイトは首を振った。
(そう繋げちゃうのは無理やり過ぎるかな……でも、辻褄は合う)
 昨夜のニュースでも、謎の多い事件だとアンカーマンが言っていた。
 火気もない場所で突然の爆発が起こる。公園のゴミ箱から始まり、ベンチ、公衆のトイレ、小さな空き家、古い倉庫。
「なんか……規模大きくなってないか?」
 友人と会話を続けていたクレイグがそう言った。
「怖いよなぁ」
 友人がそう応えていたが、彼はまだ危機感が薄い声音であった。ゴシップ感覚での会話なのだろう。
 それに反して、クレイグのそれは少し緊張しているかのようなものだった。
(クレイは異変にちゃんと本能で気づいている……まさか、本当にこの時代から……?)
 フェイトは鞄の内側からカリカリとそれを掻いた。
 何とかして、クレイグに意思を伝えたかった。小さく『ニャー』とも鳴いてみる。
「……どうした、ミント。苦しかったか?」
「ニャァ」
 クレイグはフェイトの訴えに気づき、鞄の被せ蓋を開けて小さな言葉を掛けてきた。フェイトはそこからこっそりと顔を覗かせて、クレイグを見上げる。
 彼は右手を鞄の中に入れて、フェイトの顎を指で撫でた。それが気持ちよくてついうっかりフェイトはゴロゴロと喉を鳴らしてしまうのだが、次の瞬間にハッと現実に戻り、前足でクレイグの手を押さえつけた。
「ニャー、ニャー」
「こらミント。しー、だ」
 クレイグが左手の人差し指を自分の口に当ててそう言った。
 揺れの大きいバスの中、エンジン音が煩いのもあってフェイトの声は掻き消されてはいたが、さすがに何度も鳴かれてはクレイグも困るようで彼はそれを告げた後、被せ蓋を元に戻してしまった。
(……ああ、もう。何で俺、猫なんだ)
 鞄を通してクレイグが背を撫でてくれている。
 それは嬉しいと思うのだが、伝えたいことを伝えられずにいるこの現状に、フェイトは若干の苛つきを感じて内心でそう呟いた。
(なんか……嫌な予感がするのに……)
 杞憂であれば良いとは思う。
 だが、心の端からじわじわと押し寄せてくるのはひたすらの不安だ。
 相変わらず、クレイグの手のひらは温かい。鞄を通していても、それが解る。その手のひらにぐい、と頭を押し付けてフェイトはどうにもならない感情をモヤモヤと心のなかに抱いていた。

 学校内でも、爆弾事件の話題で持ちきりであった。
 クラスメイトの一人が空き家の爆発現場の近所に住んでいることもあり、不安と興味とが綯い交ぜになった会話があちこちで飛び交っている。
「…………」
 クレイグは友人の机に身体を預ける形で、一人思案を続けていた。
 爆発の場所に、思い当たる節がある。
 彼は霊感が強い。その為に浮遊霊なども茶飯事的に見ることが出来るのだが、今回の事件の現場がその霊を見てきた場所と一致するのだ。
「なぁクレイグ、帰りに倉庫見に行かねぇ?」
 友人がそう言ってくる。
 クレイグはそれに「そうだなぁ」と曖昧な返事をするのみで、それ以上を告げずにまた思考の海に潜ろうとする。
 だが。
「おーい、クレイグ!」
 別のクラスの友人が大きな声でクレイグを読んだ。体躯の大きい少年であった。
「今日の約束、忘れてねぇよな?」
「ああ、夕方にいつものところで試合だろ?」
「そうそう。今日のやつ、お前抜きだと厳しいんだよ。コートの権利権賭けてるからさ。マジで頼むな」
「解ってる」
 友人とクレイグは互いに拳を軽くぶつけ合って、そんな言葉を交わした。
 彼は広く各所でこうした信頼を集めている。約束は違えず、きちんとした結果も残すので重宝されているのだ。一週間のうち、クレイグに誘いの声がかからない日など無いほどであった。
 クレイグは元気よく手を振りながら教室を出て行く友人に片手のみで応えて見送り、自分の体を預けている机の持ち主である友人へと視線を向けて「ま、そういう事だから、野次馬はまた今度な」と言って、自分の席へと戻っていった。
(一日中、忙しそうだな……声かからない休み時間、無いもんな)
 鞄の中で様子を窺っていたフェイトが、傍にクレイグが戻ってきたことに気づきつつ、内心でそう言った。
 するとポンポン、と鞄が叩かれる。それに応えるために小さく短く鳴くと、「窮屈でごめんな」と小声が聞こえた。
 どんなに忙しそうにしてても、クレイグは鞄の中の猫を気にかけない時はなかった。
 これが彼の優しさそのものなのだ。
 そんなことを思いつつ、フェイトはその場で丸くなる。学校が終わるまでは大人しくやり過ごさなくてはならない。そう思いながら目を閉じると、自然と眠気が訪れて彼はそのまま眠りについた。

「うわ、ヤバイ。今日金曜だったか!」
「ニャー?」
 夜の帳が見えかけている夕暮れの中、クレイグは焦りを含みながら走り続けていた。
 昼間の友人との約束であったバスケットボールの試合を終えて、今は帰路を進んでいるはずなのだが、昨日見た道筋と違うので、フェイトも首を傾げる。彼は鞄の蓋を押しのけ端から顔を出して、クレイグを見上げていた。
「今日、ミサの日なんだよ。父さんも母さんも熱心だからさ、サボると怒られるんだって」
「ニャー」
(そういえば今朝、お母さんそんなこと言ってたよな……クレイ、眠そうにしてたから聞いてなかったのかな)
『クレイグ、今日はまっすぐ教会に行ってね』
 そんなようなことを、クレイグの母が言っていたなと思い出す。クレイグもそれに対して返事をしてはいたが、空返事だったのかもしれない。
「俺さー、あんまり神サマ信じてねぇんだよ」
 走りながら、クレイグがそう言った。
「あ~、ほら、お前に解るかな。俺って霊見えるじゃん。だからか解かんねぇんだけど、天国とかそういうのがなぁ、イマイチ遠いっつーか……」
「ニャァ」
「全てに等しく神サマが慈悲を与えるなら、霊にだってそれが与えられるべきだろ?」
(クレイらしいなぁ)
 『見える』からこそ思う矛盾。彼はずっとそれをひたすらに飲み込んできた。
「……別に、父さん母さんを否定してるワケじゃねぇけど。やっぱ親だし、愛してることには変わらねぇからな」
 大切に思うからこそ、おそらく霊感のことも両親には告げたこともないのだろう。明るく笑顔で接していたところを実際見ているので、不安や悩みなどを吐露して逆に両親を心配させたくないという気持ちが優っているのかもしれないとフェイトは思った。
(普通の人には見えないとなると……余計に言いづらいよな)
「あー、そうだ。俺さ、暗い所も平気で走れるんだよ。……っと、ここ通ったら近道だな」
 クレイグはそんな言葉を繋げた後、一度足を止めた。そして森林公園のメインではない通路へと足を運び、また駆け出す。そこは街灯の明かりが殆ど届かない暗い空間であったが、彼は言葉通り平気で走り抜けるてみせる。
(そうか、ナイトビジョン……元々備わってるものだったんだ)
 現在のクレイグが能力として使っているものの原型はここにあったのだとフェイトは思った。
「ナイトウォーカーっていう夜に出歩く化け物みたいだろ?」
「!」
 次の言葉に、フェイトは目を丸くして耳を立てた。
 クレイグのエージェントネームでもあったために、由来なのだろうかと思ったのだ。
 『ナイトウォーカー』とは、夜行性動物から転じてファンタジーでは吸血鬼や獣人などがそれに属するものの総称である。
 一直線に暗い空間を走るクレイグだったが、前方に何かを見つけてまた足を止めた。
「ニャ?」
 フェイトも釣られるようにして前を見る。
 ――ヒトではない何かが、いるような気がした。
 暗闇に溶けるかのような存在。リン、と遠くで鈴の音を耳にして、自分と同じ猫かと思ったが、どうやらそうではないようだ。
「……何だ?」
 クレイグは首を傾げつつも、前方を見つめ続ける。
 また霊の類かもしれないと思いつつも、いつもは感じない空気と気配を読み取り緊張感が走った。
 高次元な、何か――『誰』か。
「――こんばんは、良い夜ね」
 そんな声が聞こえた。可憐な少女の声だ。
 夜の闇が生み出したかのようなそれは、黒髪の美しい少女の姿であった。

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