different morning

カチ、と時計の針が動く音を耳に捕らえたフェイトは、重い瞼をゆっくりと開いた。
「……あれ?」
 見覚えのない空間に、ベッドの感触。自分の知らない場所で眠っていたのかと思いながら視線を動かせば、隣にいるのはクレイグの姿だった。
「は……えぇっ!?」
 思わずの声が漏れた。
 驚きの表情のまま勢い良く飛び起きたのだが、その反動で上半身がベッドの外に傾きそうになった。
 フェイトは慌てて両腕を宙に出してバランスを取ろうとしたが、動揺もあってうまく出来ない。
 その直後、彼の腕を掴んだのはクレイグであった。
「……何してる、ユウタ」
「な、何って……うわ……っ」
 クレイグは静かな声音でそう言って、フェイトを自分へと引き寄せる。彼も眠っていたので、寝ぼけているのかもしれない。
 フェイトはクレイグの腕の中に戻された形となり、また慌てて彼の体に手をついて顔を上げた。
「えっと、クレイ……? ここ、どこ? なんでこんなことに?」
「……憶えてねぇのか。ここは俺の部屋。バーでお前が酔潰れちまったからさ、連れてきたんだよ。お前の家も知らなかったし」
「そ、そうだったのか……でも、なんで、その……クレイのベッドに?」
「そりゃお前、ベッドは一つしかねぇだろ。俺がソファでも良かったんだが、今のやつ小さくてなぁ……こっちのほうがサイズもあって余裕もあるしってことで、倒れこんで寝てた」
 ふぁぁ、とクレイグは欠伸をしながらそう言った。
 それを聞いて、フェイトは肩を落として「迷惑かけてごめん」と呟く。
 ゆっくりと記憶をたどると、酒の力に任せてクレイグに何か言っていたような気がする。それは醜態にも近いような気がして、頬も染まった。
「まぁ、たまにはいいだろ。さて……まだ夜明けまでにはかなり時間もある。寝直そうぜ」
「あ、うん……」
 くしゃり、とフェイトの頭を撫でたクレイグは、そう言って先にごろりと横たわった。彼の言うとおり、まだ辺りは真っ暗だ。時計に目をやれば時刻は二十六時を過ぎた所だった。
 静かな空間だった。
 明かりは落とされているが大きな窓のカーテンは開かれたままで、そこから青白い光が差し込んでいる。月夜なのかもしれない。
 チャリ、という小さな金属音を耳にしたフェイトは、静かに視線を落とした。
 自分の手元、傍で横になっているクレイグのシャツの襟元から見えた銀のペンダントから聞こえたものだった。
 プレートが二枚。手前にあるものには角に小さな緑の石が嵌めこまれている。
「……ユウタ?」
「あ、ごめん……」
 いつまで経っても横になろうとしないフェイトに、クレイグが促しを掛けてくる。
 フェイトはそれに釣られるようにして、遠慮がちに横になった。
 そして、クレイグの首元に目が行く。
 以前の島の依頼で彼を手当した時にも見かけたなと思いながら、思わず手がプレートへと動いてしまう。
「どうした」
「うん……これ……」
「ああ、ペンダントか? これは親父の形見だよ。母さんと一緒に名前が彫ってあるんだ」
「………………」
 包み隠すこと無くクレイグがそう打ち明けた。
 形見ということは彼の両親はすでに亡くなっているということだ。聞いてしまってもいいのかと思いながらも、フェイトは知りたいと思ってしまう。
「俺が学生の頃にな、IO2絡みの事象に巻き込まれちまって……まぁ、そん時に二人とも俺を置いて先に天国に行っちまった。絶望感でいっぱいだった。恨んだよ、色んなものを。俺がエージェントになった理由も、ここにある」
「……そう、なんだ……」
「んな顔すんなって。お前にそんな顔させたくて打ち明けたわけじゃない。結果としてお前に……ユウタに会えたんだ。俺は不幸じゃない」
「クレイ……」
 クレイグの声がじわりと耳に染み込んだ。
 彼の抱く過去は決して幸福ではなかったはずだ。それでもクレイグは、自分に会えたことで不幸じゃないと言い切った。彼の持ち前の明るさがそうさせたのかもしれないが、フェイトは素直に嬉しいと感じた。
 心の奥底にある寂しさ。それを少しでも自分が拭えていたのなら、やはりそれは喜びに繋がっていくものだ。
 クレイグがフェイトの髪を撫でてきた。
 それを受け止めてから、フェイトもゆっくりと腕を伸ばして彼を抱きしめる。
「ユウタ……?」
「……えっと、ほら……俺がいるから、寂しくないよっていうか……」
 クレイグが瞠目した。
 フェイトの行動も言葉も、予想もしていなかったためだ。
 そして彼は、深く長いため息を吐き零す。
「ほんとにお前ってやつは、俺が必死に堪えてるもんを簡単に崩しにかかるんだから困るよなぁ……」
「?」
 フェイトはクレイグの言葉の意味をあまり深く考えることはしなかった。
 衣服越しではあるが触れている体温が温かくて、それによりじわりと押し寄せてくる再びの眠気が思考を鈍らせていく。
 そして彼は、ゆっくりと瞼を閉じて眠ってしまった。
「……はぁ」
 フェイトの寝顔を確認してから、クレイグがまた溜息を零した。
 冷静さを保ってはいたが、この距離でそれを続けるには相当の努力がいる。
 実は彼は、フェイトを部屋に連れてきてから眠ってはいなかったのだ。
「俺のこの努力は、いつ報われてくれるのかね……」
 そう言いながら、彼はフェイトの黒髪に指を通した。柔らかい感触に目眩がする。
 これ以上触れていては自分の心がもたないと感じたクレイグは、ゆっくりと身を起こした。首元のペンダントが再び小さな音を立てるので、彼はそれを無言でシャツの内側へと仕舞いこむ。
 そして彼は静かにベッドを降りて、カーテンを閉めていない窓へと足を運び、ベランダへと出た。その手には煙草が収まっている。
 眠っているフェイトを気遣い、外で吸うようだ。
「…………」
 素早く火を灯して、それを口に咥える。
 そして手すりに体を預けて、遠くのネオンを眺めた。宝石箱のような光をその目に捕らえながらも、彼はそれに視線を合わせること無く、静かに瞳を閉じる。
 ずっと独りだと思っていた。
 親の仇を取るためにとIO2の道に進んだが、そこでも彼は孤独を感じていた。
 ――フェイトと言う名のエージェントに出会うまでは。
「名前の通り、お前は俺の運命だよ『フェイト』……」
 紫煙を燻らせながら口にする響きは、当然フェイトには届かない。
 今は、まだ。
 足元から舞い上がってくる夜風に体を震わせたクレイグは、自嘲気味な笑みを浮かべつつ室内に戻ってきた。そしてテーブルの上にある灰皿に煙草を押し付けて、ベッドを振り返る。
 長身の体に合わせて購入したベッドは、広く大きい。
 その中で眠るフェイトは、とても無防備だった。
 静かに歩み寄って、また彼の隣に腰を下ろした。そしてギシ、とベッドを軋ませて身を寄せる。
 あどけない寝顔を覗きこんで、クレイグは表情を綻ばせた。
「……これくらいは許されるよな」
 そんな独り言を漏らして、体を傾ける。
 窓から入り込む淡い光に浮かぶ影は、僅かな間だけ重なって見えるのだった。

「ちょっと、クレイ!!」
「おう、おはようユウタ」
 翌朝。
 フェイトの怒号とも取れる言葉が台所に立つクレイグに飛んできた。
 朝食を作っていた彼はそれを苦笑しつつ受け止めて、肩越しに振り返る。
 フェイトは顔を真赤にしてクレイグを睨みつけていた。
「ユウタお前、トーストとベーグルどっちがいい?」
「……え、あ……トースト……じゃなくて、なんで俺、こんな格好してるんだよ!? 下履いてたよな!?」
「皺になると思って脱がせたんだよ。ソファに置いてあるだろ」
 目が冷めて自分が下を履いていないことに大層驚いたフェイトは、その格好のままでクレイグに苦情を言いに来た。
 そしてあっさりとそう返された彼はそこで改めて自分の格好に頬を染め上げて、シャツの裾を引っ張りながら俯く。
「何もしてないさ。安心しろよ」
「いや、それは……うん……」
 クレイグはスクランブルエッグを皿に移しつつそう言った。その際、ちらりとフェイトを見やったが彼は俯いたままでいる。
 自分を疑っているわけではないのだろうが、動揺した結果そのような展開になっていることに、後悔しているのかもしれない。
 それを感じたクレイグは唇に小さな笑みを作った後、動けなくなっているフェイトを促してやるためにまた口を開いた。
「ほら、さっさと履いてこいよ。コーヒー淹れたら飯だぞ」
「あ、うん」
 その言葉を受けて、フェイトはようやくその場から離れてソファへと向かった。
 ぎこちない動きに笑い声を噛み殺しつつ、クレイグはコーヒーメーカーに手を伸ばす。
 そこで彼はふああ、と盛大に欠伸をした。
 どうやら寝不足のようだ。おそらくはあれからほとんど眠っていないのだろう。それをフェイトに悟られないように努めつつ、肩を竦めた。
「……まったく、こんなのが続いたらさすがの俺も身が持たねぇわ」
 そんな独り言を漏らしながら、彼は来客用のカップにコーヒーを注ぐ。
 カタ、と小さな物音を聞いて、顔を上げればそこにはなんとも言いがたい顔のフェイトの姿があった。
「ほら、座れよ」
「……うん」
 手招きでテーブルへとフェイトを誘う。
 遠慮がちにしながらも、フェイトはテーブルの傍に歩み寄って椅子へと収まった。
「飯食ったら大通りまで送ってやるよ。このまま居てくれても良いけどな?」
「……さすがにそれは、クレイにもまた迷惑かけるから、帰るよ」
「そっか。じゃあコレ持って帰れ。出入り自由だぜ?」
「えっと、その……ありがとう」
 クレイグが何の躊躇いもなくカップの前に差し出して来たものは、この部屋の合鍵らしきものだった。
 それが何の意味を為しているのかフェイトはいまいち分かってはいないようだったが、それでも素直に頷いて受け取る。
 いつもと違う夜を過ごした二人に差し込む朝の光。それはそれぞれに鮮明な記憶となって、脳内に刻まれたのだった。

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drunk with you.

クレイグ・ジョンソン。二十三歳。
 IO2ニューヨーク本部に所属するエージェントの一人である。夜目が利くと言う理由から、エージェントネームは『ナイトウォーカー』と名乗っている。金の髪に青い瞳、見目も麗しい長身の青年だ。
 生粋のアメリカ人であり、明るく前向きで自身の容姿にもそれなりの自信を持っているので立ち姿にも拘りがある。エージェント用の黒いスーツも簡単に着こなし、シャツのボタンは二つまで開ける。そこから見え隠れするシルバーのドックタグペンダントには、過去に失った彼の両親の名前が刻まれている。
 ネクタイはその日の気分で付けるか付けないかが決まり、サングラスはラフに掛ける。煙草は赤い箱のものを好んで吸い、任務中でも器用に咥えたままでいることが多い。
 そんな外見からか街を歩けば当然女性は振り向くし、そんな彼女たちに軽いウィンクを飛ばすことも自然にこなしてしまう男だった。

「ユウタ、こっちだ」
 クレイグは前方で辺りを見回している青年を見つけて、右腕を上げた。
 彼の同僚であるフェイトの姿があり、彼はクレイグを目に留めた途端、小走りで掛けてくる。
「……可愛いなぁ、相変わらず」
 そんな仕草を見て、クレイグは軽い溜息を吐き零して独り言を空気に載せた。
 相手には苦労しないはずのクレイグは、現在このフェイトにご執心であった。綺麗で好みに嵌る女性ならいくらでもいたが、それでも彼はフェイトが欲しかった。
 二ヶ月ほど前、任務で彼は大きな怪我をして入院してた。
 安静の時間が与えられ、折れた骨がようやく繋がり、つい先日退院したばかりだった。
「ごめん、待った?」
「いや、俺もついさっき着いたばかりだ。少し、迷ったか? 駅を待ち合わせにしたほうが良かったな」
「病み上がりが何言ってるの。大丈夫だよ」
 側によってきたフェイトの頬に、クレイグの手のひらがするりと滑り込んだ。
 フェイトはそれをくすぐったそうに受け入れて、ふぅ、と溜息を零す。クレイグの言うとおりで彼は待ち合わせ場所にたどり着くまでに少しだけ迷っていたようだ。フェイトはその直後、クレイグの瞳を見つめ続けることが出来ずについ、と僅かに視線をそらす。
 それを見逃さなかったクレイグは僅かに眉根をよせたあと、頬に置いていた手をそのまま彼の肩に回して左手で行く手を示した。
「じゃあ行くか。この先だ」
「ああ、うん。……俺、本格的なバーって初めてだ」
「構えなくても大丈夫さ。普通に座ってグラスを傾けてりゃ、それなりに見える」
「クレイグはそうかもしれないけどさ……」
 ポンポン、と背中を叩かれる。
 フェイトはそれに眉根をよせて軽い反論をしたが、クレイグはマイペースだった。
 そして二人は一つのバーに入る。
 クレイグの行きつけらしいこのバーに誘ったのは、当然クレイグ本人であった。フェイトが退院祝いに何かしたいと言ってきたので、じゃあ飲もうぜと言ってこの場を選んだのだ。
 静かな雰囲気の室内。
 そのカウンターの上にはハーフロックのウイスキーとバレンシアが並ぶ。
「改めて、退院おめでとう」
「ん、ありがとう」
 カチンと、グラスが軽くぶつかり合う音がした。
 クレイグが持つウイスキーグラスは彼に素直に従うようにして収まっていて、それを隣で見たフェイトは益々肩を竦ませる。
「……ユウタ、とりあえずそれ飲め。リラックスだ」
「うん」
 クレイグは苦笑しながらそう言った。
 そしてフェイトは自分の目の前にあるオレンジ色のカクテルグラスを手に、静かにそれに口をつける。次の瞬間、甘い口当たりに驚いて顔を上げた。
「美味しい」
「だろ?」
 素直にこくりと頷くフェイトに、クレイグの表情も綻んだ。
 そして改めて、彼はフェイトの仕草に目を見張る。
 ほんの僅かであるが、何かを避けているような――自分を避けているかのようなそれを思わせる空気を持ち続けるフェイトに、クレイグは違和感を感じていた。待ち合わせ場所で視線を逸らした事も、そうだ。
 それを何とか聞き出したくて、クレイグはフェイトを飲みに誘ったのだ。
「そう言えば、お前の持ってきてくれた本。あれ面白かったぜ」
「いい時間潰しにはなったでしょ。あの本、日本でも置いてあるんだよ」
「へぇ、そうなのか」
 何気ない会話は普通であった。
 ただ、やはりフェイトは無意識にクレイグと視線を重ねることを避けている。
 フェイトがこんな態度を取るようになったのはいつからだったのか。と、記憶を巡らせると別の同僚との依頼から帰ってきた辺りからであった。
 甘い味が気に入ったのか、フェイトの手にしたカクテルの減りが早い。
 それを見て、クレイグはチャンスだと思った。
「モスコー・ミュールを」
 片手を上げてカウンターの奥にいるマスターへと次の酒を注文する。
 酒にあまり強くないことを知っているクレイグは、フェイトを酔わせて口を割ろうと思いついたのだ。
「入院中にお前に世話になった礼だ。今日は好きなだけ飲め」
「あんまり飲めないよ」
「大丈夫だって」
 そう言っている間に、新しいカクテルが差し出される。
 タンブラーグラスではなく銅のマグカップに注がれたそれは、飲みやすいが後にラバに蹴られたような効きがやってくるという意味のあるものだ。
 もちろんフェイトがそれを知るはずもなく、彼はクレイグが薦めるままに酒を飲んでいた。

 様々な話をした。
 クレイグは話し上手でもあるので彼の話を聞いては頷いたり感心したりを繰り返していくうちに、フェイトの脳内がふわりとしたものになっていく。
「……クレイグ」
「なんだ?」
「言わなくちゃいけないことが……あるんだ」
「やれやれ、やっとかよ」
 ハーフロックから水割りに変えていたクレイグのグラスの氷がカラン、と音を立てた。
 ようやく真相を語りだしたフェイトに、クレイグは苦笑を交えてそう言った。そして、続きを待つ。
「……前の任務の時に、その……約束しただろ?」
「うん?」
「ほら……誰にも触れさせるなって」
「ああ、そうだな」
 そこで嫌な予感がした。
 言葉の流れから言ってもその約束を違えたことだと瞬時に分かる。だからフェイトはひた隠しにしてきたのかと心で呟き、クレイグは素直に眉根をよせた。
「そういや、あの時に同行相手って誰だったんだ?」
「……レッドグランパだよ」
「へ? あの爺さんかよ!?」
 そのエージェントネームは本部で知らないものなどいないと言われるほどの響きだった。
 おそらくニューヨーク本部では一番の古参である年配のエージェントだ。
 外見の『優しい老人』の風貌に騙されると、足を掬われるという意味でそのエージェントネームが通っていると言われている凄腕健在の大ベテランである。
「怖い人かと思ってたんだけど、なんか俺のこと気に入ってくれて……孫みたいだって言われてさ。その……頭を撫でられたんだ」
「……なんだよ、そういう事か」
「そういう事、じゃないだろっ? 俺はずっと、クレイグに与えられた『任務』が失敗したなんて言えなくて、ずっと悩んでたのに~……」
 酒が程よく回っているせいか、フェイトは泣きそうな顔をしながらそう訴えてくる。
 瞳も潤んでいて頬もピンクに染まっている彼の顔を隣で見ていたクレイグにとっては、蠱惑的な魅力と言っても過言ではない衝撃であった。
 一度くらり、と軽い目眩を感じた後、ふるふると首を振ってはぁーと長い息を漏らす。
「まぁ、あの人なら問題ないだろ?」
「本当?」
「ああ、ノーカウントってやつだ」
「……よ、良かった……」
 フェイトの上体がくたりとなった。クレイグに叱責されるとでも思い込んでいたのか、それが無かったことに心から安堵したのだろう。
 大きな溜息を吐いてから、目の端をこすってまた顔を上げる。
 そしてフェイトは、クレイグが一番弱い最大の武器をそこで自然に作り上げて、こう言った。
「ありがとう、クレイ」
「…………っ」
 それは、ある意味誰にでも爆弾だと思える、フェイトの笑顔だった。
 クレイグはまたしてもその笑顔に面食らい、片手で顔を覆い天を仰いだ。どうしようもない感情がふつふつと湧いてくるような気がして、彼は必死に自制を掛ける。
 深呼吸を数回。
 自分を落ち着かせることに集中していると、自分の体に何かが寄りかかるのを感じ取って、視線を戻した。
「……ユウタ?」
「ん……」
 手を外し視線を移したその先にあったのは、フェイトの黒髪だった。
 それに驚き僅かに体を引けば、間近にあったその黒髪も一緒に同じ方向についてくる。
 フェイトは自身の体をクレイグに預けているのだ。そしてよく見れば、彼は眠ってしまっている。酒のせいなのだろう。
「人の気も知らないで……ったく……」
 はぁ、と脱力のための溜息が漏れた。
 するとフェイトの上体がぐらりと揺れたので、クレイグは慌てて腕を差し出す。
 すっぽりとクレイグの腕の中に収まる形となったフェイトだが、それには気づかす気持ちよさそうに眠ったままだった。
「おーい、ユウタ」
「……う……ん……」
 名前を読んでも、むにゃ、と緩い返事があるのみ。
 その仕草もたまらなく可愛くて、クレイグは思わずその場で唇を寄せたくなってしまった。
「……いやいや」
 自分を止めるための言葉が漏れる。
 だが、彼ももう随分とこの我慢を繰り返してきた。
 抱きしめることも頬にキスをすることも、取り敢えず抵抗はない。拒絶される空気も感じたことはない。
 フェイトも少なからずは自分を好いてくれていると、自負している。
 ――だったら。
「お持ち帰りしちまってもいいのかね、こりゃ……」
 そんな言葉がぽつり、と零れた。
 そして彼は残りのグラスを一気に煽って、席を立つ。
「……そうそう、俺、こいつの家知らねぇわ」
 あー、と今思い出したかのように後付した言葉は誰に向けたものなのだろうか。
 未だに眠るフェイトを軽々と抱き上げたクレイグは、そのまま手早く会計を済ませてバーを出る。
 そしてメイン通りまで歩いた後、タクシーを止めてそれに乗り込み、運転手に自分のアパートの住所を告げる。
 腕の中にはフェイトの姿。
 彼の寝顔を見ながら、クレイグは困ったような笑みを浮かべて「どうしようかね」と小さく呟いたのだった。

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Kiss of puzzlement

フェイトがアメリカに配属されて何より困っていたのが、挨拶でのキスだった。互いの頬に親愛の意味を込めて軽く触れる程度なのだが、それでも日本人であるフェイトには恥ずかしいと感じてしまう。
 上司の女性にそれをされた時、彼は頬を真っ赤にして後ずさっていた。
 その反応が可愛い物だったので上司の女性はそのあと彼の頬にキスの嵐を降らせていたことは未だに記憶に新しい。
 遠くでそれを見ていた同僚は、「やれやれ、彼女の年下好きにも困ったもんだ」と言いつつも、心の奥で何かが燻ぶるようなものを感じて静かに首を傾げていた。
 煙草でそんな感情を誤魔化して、数日。
 淡々と任務をこなす普段のフェイトの姿を、同僚はいつの間にか目で追うようになっていた。
 綺麗な姿勢で銃を構える姿、目標を見据える視線。その後に極稀に見せてくれる笑顔。フェイトという男は常に新鮮さとギャップとを持ち合わせる人物だった。
 だから同僚は、そんな彼の色んな面を見てみたいと思ってしまうのだ。
「フェイト」
「なに?」
 同僚の右手人差し指が、ちょいちょい、とフェイトの前で動いた。
 こちらに来いという合図だった。
 フェイトはそれに何の疑問も持たずに歩み寄り、彼を見上げる。
 すると同僚の男はフェイトの肩に手を置いて、おもむろに挨拶のキスをしてきた。
「……!?」
 フェイトは当然、その事に酷く驚いて顔を真赤にした。そして唇が触れられた場所を隠すように頬に手を当てて、二、三歩後ずさる。
 その反応が面白くて、同僚はその場でクックッと笑った。
「か、からかっているのか?」
 フェイトの表情がキツイものになった。
 同僚の態度に機嫌を損ねたのかもしれない。
「なんだよ、これが普通だぜ?」
「で、でも同性同士じゃあんまりやらないって聞いたぞ……」
「わかっちゃいねぇなぁ、フェイト。親愛ってのは触れ合ってこそ得られるものなんだぞ」
 はぁ~ぁ、とわざとらしくため息を吐いて、同僚はそう言った。もっともらしい言葉の並びだったが、半分以上は真実ではない。
 だが。
「……そうなのか」
 とアッサリ信じこんでしまったのはフェイトだった。
 同僚はそれを目の前で確認して、身を震わせる。
 可愛い、なんとも言いがたくも可愛い。
 そんな彼の変化を、自分だけが見ていたいとさえ思えるほどに――。

 ――ああ、そんな事もあったなぁ……。

 とぼんやりする意識の中、同僚は過去を思い出していた。
 窓から差し込む光がベッドを包み込むように暖かくて、体を横にしていた彼はいつの間にか眠ってしまったらしい。
 コチ、と側にあるはずの置き時計の長針が動く音を耳にしてから、彼はうっすらと瞳を開いた。
「――――」
 直後、室内に気配を感じて彼は慌てて視線を動かした。体に染み付いた感覚というのは考えるよりに先に動くものなんだなと心で余裕を見せつつ、ベッドの隙間に仕舞いこんでいる銃に手をかける。
「俺だよ」
「……脅かすなよ」
 同僚の動作に気がついた気配は、いつものように彼に声をかけた。
 任務から戻ったフェイトだった。
 その姿を目で確認した後、同僚は体の緊張を解いて溜息を吐きながらベッドに沈み込む。
「そんなに物騒に感じた?」
 コツ、と歩みを進めるフェイトの表情は任務時に見せるものだった。
 先の任務で何か会ったのかと訝しむ同僚であったが、次の瞬間にはその思考が一気に吹き飛ぶ。
 ベッドの端に腰掛けたフェイトは、そのまま身を屈めて同僚の頬に唇を落としてきたのだ。
「…………!」
 さすがの同僚も、驚きの表情だった。
 瞠目してフェイトを見やるが、彼はにこりと笑うのみだった。
「だって、挨拶だろ? ただいまって意味だよ」
「あー……」
 フェイトのそんな言葉を聞いて、同僚は左手で目を隠してそんな言葉を漏らす。
 目の前の彼は決して冗談などで今のキスをしてきたわけではなく、ただ純粋に以前同僚が言った「普通」を貫いただけなのだ。
 それがまたいじらしくもあるし、可愛くもある。そこが同僚のツボをついたのか、返答に困っているようだ。
「……どうした? 戻ってこいって言ったの、アンタだろ」
「まぁな、確かにそうだよ」
「わっ……」
 フェイトの腕が思いきり引かれた。
 それの予想がまったく出来ていなかった彼は、見事に上体を崩して同僚の胸の上に乗る。
 勢いがあったせいか、直後に同僚がわずかに呻く声があった。折れている骨に響いたのだろう。
 フェイトは顔上げて「何やってるの」と言おうとしたが、瞳に飛び込んできた青い瞳に言葉が止まる。
 いつもと違う空気に、動揺した。
「……、……」
 彼の名を呼ぼうと、唇を開く。
 すると同僚の腕の力が篭って、フェイトの体がより一層彼の顔に近づいた。
 そこまで距離を詰められてようやく、もしかしたらキスをされるのだろうか、とそんな考えが過った。
 挨拶のキス以上の行動は、さすがにフェイトも当惑する。
 どうすれば、と思っていたところで自分の体は同僚に抱き寄せられていた。彼の唇がフェイトの耳に近づき、大きく溜息を吐いたのが分かる。
「はぁ~……ユウタ、お前ってホント……罪なやつだよな」
「なんだよ、それ……」
 フェイトがむっとした表情で返事をしようとしたが、同僚はそれを聞かずに自分の鼻孔をくすぐった香りに顔を寄せた。
 必然的にフェイトの首元に忍び込んだことになるのだが、彼はそれを止めようとはしない。
「ちょっと、苦しいんだけど……」
「――石鹸の匂いがする。シャワー浴びてきたのか」
「あ、うん……硝煙の臭い残したままじゃ、病院にはこられないだろ?」
 耳元で囁かれるようにして落とされる言葉に、フェイトは言いようのない気持ちになりつつも返事をした。
 同僚はその言葉を聞いて困ったようにして笑い、また溜息を吐く。
「最近、溜息増えたね」
「お前のせいだぞ」
 同僚にそう言われて、フェイトは小首を傾げた。いまいち納得が出来ないようだが、そうなのかもしれないとも思えて複雑である。
「……そういや、言ってなかったな」
「?」
 同僚はフェイトを抱きしめたままだった。
 寝た状態でそうされているので同僚の体の上に乗っていることになるのだが、彼の腕がフェイトを離さないのでどうにも出来ない。
 そして彼は、言葉を続けた。
「おかえり」
「あ、うん……ただいま……」
 その響きに若干の驚きを見せた後、フェイトは少し照れくさそうにしながら返事をした。
 今は同僚に表情を見られない。だからどんな顔をしていても構えることもないだろう。
 そんなことを思いながら、じわじわと熱を帯びる自分の頬をどうやって冷まそうかと彼は思っていた。

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以前の任務から数日後。戦闘中に肋骨を折った同僚は暫くの間、安静休暇を取ることになった。
 折れた骨を治さないことには戦場には立てないため、本部近くの病院に入院している。
「野郎相手にピンクの花持ってくるか?」
「だって……お見舞いって言ったら花が定番じゃないか……」
 病院内の個室のベッドの上、半身を起こしながら苦笑いする同僚に、フェイトは視線を逸らしながらそう返事をした。
 文字通り同僚のお見舞いに来たのだが、ガーベラを中心としたアレンジブーケと同僚が読みそうな本、果物などを差し入れた。
 花は綺麗だったからという理由でそれを選んだのだが、同僚には少しだけ不釣合いだったようだ。
「できれば煙草も欲しかったなぁ」
「入院中はそのくらい我慢したら?」
 ベッドの傍においてある丸椅子に腰を下ろしながら、フェイトがそう言った。
 やれやれと肩をすくめた同僚であったが、その動きが仇となり「痛っ」と表情を引き攣らせて悶えている。
「何やってんの……」
 呆れ顔でそう言いつつも、フェイトは腰を上げて同僚を労るように右手を差し出した。
 そして肩にそっと手を置いて、彼の体制を直すための助力をしてやる。
 その温かい手に視線をやりながら、同僚は昔を懐かしむようにして浅く笑った。
「……何?」
「いや、出会った頃のこと思い出してな。俺もお前もこんな風に距離を詰める間柄でも無かっただろ」
 同僚が元の姿勢に戻れたことを確認したフェイトは、先ほどの丸椅子に再び腰を下ろして彼の話を聞く。
 そして自分の記憶を呼び起こして、当時の映像を脳内に描いた。
「そりゃそうだよ、俺は配属されたばかりで緊張してたしさ……」
「あの頃のお前なぁ……おいおい、チェリーボーイかよって思ったぜ最初」
「……それは聞き捨てならないよ」
 同僚の軽い口調に、フェイトは素直に眉根を寄せた。
 そんな反応が同僚には楽しいものに写ったらしく、クスクスと笑っている。
「まぁしょうがねぇだろ? 俺から見れば東洋人はみんな幼く見えるんだからさ」
「そうだけど……あんたは出会った頃からあんまり変わってないしね」
 ぱっと見幼く見えてしまう容姿に、アメリカ人に比べれば背もかなり低い。
 こればかりは国と生まれの違いからくるものなので仕方が無いのだが、フェイトにとっては少しだけ腑に落ちないのかもしれない。
「変わってないだって? あの頃より一層、男らしさに磨きが掛かってるだろ?」
「おっさんらしくはなってるけどね」
「お前、一つしか違わないのにそれは酷くねぇか?」
 そこまでを言い合って、二人は笑った。
 思い浮かぶものは目の前に現れた時のフェイトの姿。日本からの新人など、どうせ大したこと無いだろうと同僚は思いながら出迎えた。
 そして実際の見た目の頼りなさ気な面差しに、本気で「大丈夫かよ」と思うほどだった。
 だが。
 彼が着任した直後、緊急の任務が舞い込んできて急遽二人で現場に向かう事となった。
 銃を構える姿はそれなりに様になる。眼力もあるし見極めも判断も、早撃ちの能力もすば抜けている。
 本物だ、と思った。
 それから、もう一つ同僚が驚いたことがある。
 無念に散っていった霊達への敬意を忘れない姿勢と、決して驕らない態度。
 そして、任務の後に見せる穏やかな笑顔。
「……そういやあの頃から、色々やられてるんだよなぁ……」
「何の話?」
 過去を思い出ししみじみと独り言を零した同僚に、リンゴの皮を向いていたフェイトがそう聞いてきた。
「いや、あの頃が懐かしいなっていう話だよ」
「懐かしむのはいいけど、早く体治して現場復帰してくれよ」
「俺がいなくて寂しいか?」
「……馬鹿言ってないでさ。はい、どうぞ」
 そんな会話を交わしている最中にも、フェイトは器用にリンゴをサクサクと切り分け、同僚に差し出してくる。
 皮を少し残してウサギに見立てたそれを見て、同僚はヒュゥと口笛を吹いた。
「相変わらず器用だなぁ、ユウタは」
 同僚はそう言いながらウサギのリンゴを一つとってむしゃりと食べた。
 それを見てからフェイトも一つを小さなフォークで刺して口に運ぶ。
 甘酢っぱい果汁が口いっぱいに広がった。
「うまいな」
「そうだね」
 シャクシャクとリンゴを齧る二人はまたそこで笑顔になった。
 フェイトの鉄壁の可愛い笑顔には何度目かの衝撃を同僚に与えているのだが、本人は無自覚であるので手に負えない。
「……っと、そろそろ行かないと」
 フェイトが腕時計に目を落としてそう言った。
 同僚もそれに釣られるようにサイドボードにある時計を見やって、眉根を寄せた。
「任務か?」
「うん。他の同僚の任務に同行することになってるんだ」
「…………」
 あからさまに、機嫌を損ねたかのような表情を見せた。
 さすがのフェイトもそれに気がついて、小首を傾げる。
「どうかした?」
「……いや、心配でな。色々と」
 心配、と言う割には別の色を浮かべている同僚に、フェイトは困ったような表情を見せた。
「その心配って、どういう意味?」
「ハッキリ言わないと気づかねぇのか、ユウタ」
 同僚の声音が低いものになった。
 フェイトは一度腰を上げて、それから彼のベッドの上にぽすんと腰掛ける。
「死なないよ」
「……お前はそういうヘマはしないし、俺が死なせない」
 肩越しにゆっくりと振り返りながらフェイトがそう言えば、同僚も真面目に答えを返してくる。
 その響きに心が揺さぶられ、フェイトは内心でドキリと音がしたのを感じた。
「……なぁ、少しの間だけ俺の好きにさせろ」
「一分だけだよ」
「キツいこと言うなって」
 同僚がゆるりと右腕を伸ばした。
 そしてフェイトの頬からするりと指を滑らせて、頭を抱き込むようにして自分へと引き寄せる。
 フェイトは嫌がりもせずに、その行動を受け入れて瞳を閉じた。
「ユウタ、任務終わったらまた俺のところに来い。……それから、誰にも触れさせるなよ」
「俺はあんたの所有物じゃないんだけどね。でも、まぁ……了解だよ」
 この密着した現状で、同僚の意図を測るのは簡単なことであった。
 だがフェイトはそれを追わずに、ただ彼の言葉にこくりと頷くのみだ。
 彼の腕は力強く、そして温かだった。この温もりは何度か経験しているし、フェイトが彼の同僚である限りは続いていくものだろう。彼の側にいることは、フェイトにとっても自然であり安心もする。
 だからこそ、その場所を守りたいとも思う。
「――さて、そろそろ一分だよ。俺、行かないと」
「ユウタ」
 フェイトは簡単に同僚の腕をすり抜けて、ぽんとベッドと降りた。
 そしてくるり、と振り向いて彼に笑顔を向ける。
 同僚だけに見せる、彼がいつも何でも許せてしまう最強の笑顔だった。
「……行って来い」
 同僚は苦笑しながら、フェイトを見送る。
 そして彼の姿が部屋から完全に見えなくなってから、深い溜息を吐いた。
「参ったね、こりゃ。俺のほうが完璧に執着してるわ……」
 そんなことを言いながら、頭をガシガシと掻く。
 直後、上げた腕が骨に響いたのか同僚はまた「痛っ」と言いつつ、ベッドの中で悶えているのだった。
 

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warmth

「この数をたった二人で、かよ」
 手にした銃の弾を対霊弾に入れ替えつつ、同僚が深い溜息を吐いた。
 フェイトがその向かいで同じようにして弾の詰替えを行っている。
 ノースブラザーアイランド。
 伝染病患者の隔離島として有名な場所だ。後に沖合で遊覧船が挫傷して多くの犠牲者を出したり、薬物患者のリハビリセンターになったりと様々な変化を遂げたが、現在は完全に閉鎖されていて無人島となり、主に鳥達の聖域となっている。
 その場にフェイトと同僚が二人きりで配置された。
 興味本位で島に入り込んだ若者が謎の死を遂げるという事件が続いているために、その調査と掃討が今回の任務だ。
 下調べで軽く島を巡っては見たが、無人島は現在怨霊の巣窟となっている。伝染病で亡くなった患者たちが霊となり地に留まっているのだ。
「さすがに骨が折れそうな相手だね。……どう動く?」
「そうだな。とりあえず左右でぐるっと回るか。数も多いし、今回はオートマチックのみ使用だな」
 ガシャ、と銃の底を叩きながら同僚はそう言った。
 彼の準備は整ったようだ。
 フェイトも同じく準備は整ったようで、顔を上げる。
「通信機の調子は?」
「いつもどおりだ。お前の声がクリアに聞こえて心地いい」
「……それは余計だよ」
 互いに耳に手を当て、支給された無線の調子を確認する。
 同僚が小さく笑ってフェイトをからかうような一言を添えてきたので、彼はわずかに視線を逸らして毒づいた。
「俺は右から行く」
「じゃあ俺は左だ。――おっと、フェイト」
「何?」
 スタート地点から、一歩。互いに背を向けて、同僚が口を開いた。
「死ぬなよ」
「そういうアンタもね」
 そうして二人は同時に地を蹴り、掃討作戦を開始した。

 悪霊たちはフェイトの姿を目に止めるなり襲いかかってきた。
 以外にも動きが早いものが多く、銃を向ける回数もそれに合わせ無くてはならない。
 卓越した銃捌きを見せるフェイトは、一体ずつ確実に敵を仕留めていった。
『――フェイト、そっちはどうだ』
 同僚からの通信が入る。
「順調だよ、大丈夫。スタート地点からもう三時の方向に入った」
 そう受け答えしながらも、また一体。
 そこで建物の影に一旦体を潜めて、弾を入れ替える。素早い行動だった。
 どこを見やっても、崩れた廃墟とそれに絡みつく草と根が蔓延っている。空気は悪くなかったが、進む上で足元に若干の不安がある。
「そっちはどうなの。まさか苦戦してる?」
『いや、順調だ。ただこの先に怪しい廃病院があってな。今そっちにホログラム送る』
「了解」
 ピ、と電子音が手首の上で鳴った。
 同僚から送信されてきた立体地図と現在の映像だ。確かに怪しい佇まいだった。
「合流早めた方がいい?」
『いや、予定通りで大丈夫だ』
 ドン、と通信機の向こうで銃声が聞こえる。
 同僚は今も戦闘中だ。
 そして、フェイトも眼前に迫る的に銃をすらりと向ける。
『――ユウタ』
「任務中だよ」
 突然、同僚がフェイトの本名を呼んだ。
 フェイトは僅かに眉根を寄せつつ、静かにそう言う。通信は既に終わっているものと思っていただけに、内心の驚きも大きかった。
『いいじゃねぇか。たまには甘えさせてくれ』
「何いってんの、凄腕ガンナーのくせに。……信頼してるよ」
 溜息とともに、フェイトがそう言った。
 すると電子の向こうの同僚が小さく笑った気配を感じる。
『……おっと、浸ってる場合じゃないな。合流したらまた、充電させてくれ』
 同僚はそう言い、フェイトの返事を待たずに通信を終えた。
 フェイトは開きかけた口を数秒そのままにしてから、また溜息を吐いた。
 最近、同僚との距離が近い。
 それについては何も問題が無いのだが、同僚の一言一言にしてやられることが多くなっている気がして、フェイトは腑に落ちないのだ。
 この気持は、なんだろう。
 心で問いかけてみても、答えはない。
 フェイトはそこで自分の銃を握り直して、また前を見る。
 仕事に私情は持ち込まない。それが基本だ。
 早撃ちで目の前の霊を沈ませたフェイトは前に進みながら先ほどの地図を呼び出した。同僚が既に病院に向かって移動中だ。
「ん?」
 病院の中心で、ポツポツと目標を示す光が増えていく。
 赤いそれはゆっくりと集合して、ひとつの光になっていった。
 直感で、マズイと感じたフェイトは、耳に手をやり無線を繋ぐ。
「こちらフェイト。そっち大丈夫か!?」
『――……』
 同僚からの返事が無かった。
 代わりに遠くで彼の放つ銃声と、酷いノイズが響いているのがわかる。
 何らかの衝撃で、無線機を落としてしまったのかもしれない。
 フェイトの顔色が変わった。
 自分のそばにいる敵を仕留めつつも、彼の足は病院へと向かう。
 そちらに体が向かうたびに、全身に嫌な空気がまとわりついてくるのがわかった。霊気が濃くなっているのだ。
「……っ……」
 思わず、舌打ちのようなものが唇から漏れた。
 そこでフェイトは自分が焦っていることに気がついて、一度瞠目する。
 ピリピリと頬を切るような空気。
 能力がある者以外には感じ取れないだろうが、病院の中心部分には黒い靄のようなものが掛かっている。
 そして同僚は、先にそこに向かっているはずだ。
 彼にはスライドという能力があり、目標に手のひらを向けて素早く横にスライドすると、相手の能力値や弱点を図る事ができる。その他にも細々とした能力を持っているようだが、それだけで保つ相手ではないかもしれない。
 今はとにかく、彼に合流することだけを考えた。
『……フェイト。今どこにいる』
「そっちに向かってる、もうすぐ合流できるよ」
『ああ、そっか。……悪いな。冗談抜きで骨が折れちまった』
 冷たい階段を駆け上っているところで、フェイトの耳元に同僚の声が届いた。
 彼の声に抑揚が無いことに気が付き、フェイトの足が早まる。
「さっき地図で見たけど、霊が集合してたね」
『そうらしいな。何か、大元がそういう能力持ってるんだろ。それさえ叩いちまえば終わるはずだ』
「わかった。一緒に叩こう」
 テレポートを使えば同僚の元へは瞬時に移動できる。
 だが、その分始末しきれない霊が残る。そういった理由でフェイトは一つ一つの目標を打ち消しつつ進んでいた。
 そして、長い廊下を進んだ先の大きな手術室らしき突き当りの部屋に飛び込んだところで、どす黒い影を見た。その中にある赤い目にフェイトは見つかり、影の一部が飛んできた。
「フェイト!」
 同僚の声が奥から聞こえてくる。
 その声とほぼ同時に彼は回転移動しながら影に銃口を向けて、ためらいなくそれを撃ちぬいた。集合体の一部分が吹き飛ぶ。
「……大丈夫か?」
 フェイトは数歩掛けて座り込んでいる同僚の元へとたどり着いた。
 彼は本当に骨を痛めているらしく、動けない状態だ。
「あいつの腕みたいなのに横から殴られちまってな。当たりどころも悪くて、このザマだ」
「とりあえず固定だけしておこう。撃てるだろ?」
「ああ。弾切れになる前に終わらせてくれ」
 フェイトは同僚のシャツのボタンを手早く外した。そして顕になった肌にさわり、骨折の箇所を確かめる。指先で肋骨が傷ついていると判断して、彼はポケットの中から固定のための絆創膏を取り出した。
「息、吐いて」
「難しいこと言うなよ」
「いいから、早く」
 絆創膏の端を口で咥えて、力任せにビーッと解く。そして今も引き金を引き続ける同僚に無理やり息を吐かせて、手早くその絆創膏を巻きつけた。
「……任務じゃなければ、最高に美味しいのになぁ」
 そういうのは同僚だ。痛みの表情は浮かべて入るが、まだまだ余裕はありそうだ。
「馬鹿なこと言ってないで、仕留めるよ」
「そうだな」
 同僚のひとりごとをきちんと耳にしていたフェイトは呆れ顔でそう言って、銃を構えた。
 すると同僚が苦笑しつつ左手を敵の目の前に持って行き、手のひらを横にすべらせる。スライドの能力だ。
「――見えるか」
「うん、あの紫の玉が弱点っぽいね。同時に撃ちこんで壊そう」
 怨霊の温床。壊れた魂が寄り集まって一つの形となり、また呼び寄せてと言った繰り返しの行動で形成されているような玉であった。
 フェイトも同僚も、そこで弾の詰替えを行った。火力を上げるための特別製――まさに一発勝負と言える弾に替えたのだ。
「準備は大丈夫?」
「いつでも行けるぜ」
 二人は揃って銃を構える。互いの肩を合わせてフェイトは右腕、同僚は左腕を。
 すう、と息を吸った。
 そして。
「3、2、1。――撃てッ」
 同僚の声と共に、銃口が震えた。
 同時に放たれる弾。
 それが同じスピード、同じ火力を保ち目標へと真っ直ぐに進んで、紫色の玉に撃ち込まれていく。
「…………」
 フェイトが結果をしっかりと見据えた。
 数秒後、閃光を放って目標が爆発する。
 室内から病院全体に光がぶわりと広がり、その眩しすぎる光に耐え切れない悪霊たちは押されつつ消滅していった。
「…………」
「…………」
 あたりに静寂が訪れる。
 フェイトも同僚も、同じようにして溜息を吐いた。
 そして互いを見やって、小さく笑う。
 任務は完了した。
「お疲れさん。すまなかったな、手間取らせて」
「いや、俺は大丈夫だよ。それより俺がもっと早くに合流するべきだった。ごめん」
 互いに位置を保ったままでそんな言葉が交わされた。
 同僚の方が体重を預けている形となっているが、手負いのために力が入らないのだろう。
「……なぁユウタ」
「ん?」
「充電させてくれ」
「ちょ、ちょっと……」
 同僚がフェイトの肩口に頭を寄せてきた。
 そしてフェイトの返事を無視して、彼はフェイトを抱きしめる。
 フェイトは焦りを見せたが、怪我を負っている同僚を跳ね除けることは出来ずに困ったような表情を浮かべるのみだった。
「……優しいな、お前は」
「仕方ないだろ」
「そんなんだから、俺みたいなやつに浸け込まれるんだぞ」
「!」
 耳元に低い声を落として、同僚はフェイトの体を引き寄せた。
 そして彼は、フェイトの頬に唇を寄せてそのまま頬釣りをする。
 挨拶のたぐいとは明らかに違う空気を感じながらも、フェイトは彼を拒絶しなかった。はぁ、と溜息を零して彼の腕に自分の手を置き、目を閉じる。
「ほんとに、甘いねぇ」
「そんな俺に甘えたかったんだろ? 迎えのヘリが来るまでだったら、甘えさせてやるから」
 フェイトがそう言うと、同僚が苦笑交じりに「そうさせてもらう」と言って顔をうずめた。
 同僚という位置。特別な相棒。
 失えない存在。
 じわりじわりと侵食していく感情は、何なのだろう。
 名前や意味を考えていると、頭上からヘリが近づいてくる音がした。
 それが完全に距離を詰めて救護班が降りてくるまで、彼らはその距離を保ったままでいるのだった。

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time off

「フェイトお前、トランペット吹くんだって?」
 同僚である男がフェイトにそう言った。
「……趣味の範囲だけどね。どこから聞いたの?」
「まぁその辺はいいだろ。お互い、必要以上には踏み込まない約束だぜ」
 くすんだ金髪に青鈍色の瞳を持つその男は、口の端だけで笑みを象り小さく笑った。
 最初に聞いてきたのはそっちだろ、と内心で思いつつフェイトはため息を零してまた唇を開く。
「聴きたいなら、次の休暇にでもどうぞ」
「お、いいね。明後日どうだ? うまいカップケーキ屋連れていってやるよ」
 カップケーキ、の響きにフェイトは表情を一瞬だけ変えた。
 いつもの沈着冷静な顔に、僅かな幼さが見え隠れしたかのような変化だった。
 同僚の男はそれを見逃さずに、静かに目に留めた後「かわいい所あるじゃないか」と低い声で呟いた。
 銃の整備をしていたフェイトには届かなかったようだが、男は変わらず口の端だけの笑みを浮かべて楽しそうにしていた。

 フェイトがニューヨーク本部に所属していた頃の一部、彼の素顔を垣間見る話である。

 休日の午後。
 同僚の男と待ち合わせたフェイトの片手に収まっているのはいつもの拳銃ではなく、黒のトランペットケースだった。
 普段は闇色のスーツのイメージが強いが、今の彼はラフな格好でどちらかというと可愛らしい。
「おっと、待たせたか?」
 約束の時間ピッタリに姿を見せた同僚も、いつものイメージとは違う姿だった。黒のVネックTシャツにプレートタイプ銀のネックレスが良く映えている。
「…………」
 フェイトはそんな彼の姿に瞠目していた。元々顔立ちの良い青年であったので、見惚れてしまったのかもしれない。
「どうした、ユウタ」
「!」
 ビク、と肩が震えた。
 フェイトではなくユウタ。
 エージェントネームで呼ばれることが多い彼にとっては、やはり少しだけ不思議な感覚であった。ユウタとは彼の本名である。
「あ、いや……ごめん。なんでもないよ」
「んじゃ、行くか」
 遠くに見える青い空の下。
 二人はセントラルパークに向けて歩みを始める。
 摩天楼に囲まれた広大なオアシスは、ニューヨークでは名所のひとつだ。
 フェイトたちのように休暇を楽しむ人、観光で訪れた人、仕事の合間のひと時を過ごす人。そこに集う人たちの理由は様々である。
「夜のキラキラした光景も良いが、こういうのも悪くないだろ?」
「うん、そうだね」
 フェイトより数センチ背の高い同僚は、馴染みのあるらしい風景を歩きつつフェイトにそう声をかけた。
 彼を見上げる形でフェイトは小さく返事をして、にこりと笑顔を浮かべる。
 それを傍で見た男は「これで天然なんだから手に負えねぇよなぁ……」と肩をすくめて苦笑した。
 何を言っているのかフェイトには解らず、小首を傾げるのみだ。
「そういやお前、ちゃんと飯食ってるか?」
「……いきなり、何? 普通に食べてるけど」
「いや、俺から見ればかなり細いからなぁ。やっぱり気になるだろ?」
「ど、どこ触ってるんだ!!」
 同僚が突然フェイトの腰を撫でた。
 体格の良い彼からしてみればやはり細身であるフェイトの体のラインが気になるのだろうが、あまりにも突飛な行動に思わず声が裏返る。
 そんな反応すらも、男にとっては楽しいと思えるものだったらしい。
 ハハ、と笑いながらも謝ってくれたが、中身が無いように思えた。
「怒るなって。ほら、もうすぐ例の店だぜ。ここのカップケーキは最高に旨いし、今日は俺の奢りだ」
「……まぁ、いいけどさ……」
 男が親指を向けた先には目的のひとつであるカップケーキの店があった。オープン席なども用意されていて、いかにもといった風情だった。
 ケーキの甘いにおいが風に乗ってフェイトの鼻をくすぐる。
 それに絆されたわけではないのだろうが、あっさりと表情を変えてそう言うフェイトに、男は目を細めて笑った。

 見た目も鮮やかなケーキたちは、フェイトがどれを選ぶか本気で悩むほどの数があった。
 女の子が好きそうなカラーリングだなと思いつつも、自分の心も楽しんでしまっているのに気がつき、少し頬が赤くなる。
 向かいに座る同僚はプレーンタイプを旨いと言いながら被りつき、ブラックコーヒーをお供にやはり楽しんでいるようだった。
「どうだユウタ、旨いだろ?」
「うん、美味しい。こんなの初めてだよ、教えてくれてありがとう」
 フェイトはヨーグルトクリームが乗ったものを選んで食べていたが、その食感と味は同僚の言うとおりに最高で、表情がほころんだ。本当に幸せそうに微笑んで、同僚に例を言う彼は周囲にいる人物でさえ見とれてしまうほど『可愛い』。受け止めた側の同僚も同じようにその可愛さにやられていて、肩を震わせながら「反則だろ……」と漏らしつつ何かに耐えていた。
 甘い空間で広げられる展開は、ある意味同僚の狙い通りではあったが追い討ちのギャップに見事に撃ち抜かれた形ともなり、男の思考をどこまでも掻き乱す結果となった。
 現況ともいえるフェイト自身は、ケーキを食べきるまで始終幸せそうな笑顔を浮かべて、同僚が震えていることにすら気がつくことなく時間が過ぎて行った。

 綺麗に整備された芝生の上。
 澄んだ空気と暖かな日差しの中、緩やかに風に乗るのはトランペットの音色だった。
 『アメイジンググ・グレイス』
 奏者であるフェイトの傍に腰掛けてその音を耳にしている同僚は、ゆっくりと瞳を閉じて唇を動かした。
 ――なんと甘美な響きよ。
 冒頭の歌詞の一部だ。
 この地では誰もが愛す曲であるそれは、道行く人々の歩みをも止めた。
 どこからともなく、歌声が聞こえてくる。
 それを耳に留めたフェイトは、心がくすぐったくなりながらもトランペットを吹き続けた。
 たった一つの音で共感できるものがある。
 そういった関連性、可能性を肌で感じることは良いことだ。
 フェイトもまた、そう思いながら演奏した。
 約三分間のその音は、同僚から「ブラボー」と言われ拍手までもらえるほどのものであった。
 散歩中の老夫婦。ランニング中だった青年。
 そういった人々からもパラパラと拍手をもらえたフェイトは少し照れたように軽い会釈をした手を上げて答えていた。
「いやぁ、本気で聞き惚れたよ。素晴らしかった」
「あ、ありがとう。そんなに褒められるとなんか恥ずかしくなるよ」
 同僚が座っている隣に腰を下ろしながら、フェイトはそう言った。素直な心の吐露だった。
 そんな彼を見やりながら、同僚はフェイトの頭をくしゃりと撫でる。
 大きな手のひらが彼の黒髪の隙間を縫い、指に絡まってはサラリとまた滑り落ちていく感覚に男はまた心が揺れ動くが、何とか理性を保ち、ニッと笑った。
「たまにはこういう時間も悪くない。お前さえ良かったらまた聞かせてくれ」
「うん、いつでも誘ってよ。曲のレパートリーも増やすからさ」
 そして二人は互いに見合って笑顔を向けた。
 不思議な空気があったが、フェイトにとっても良い休暇だと思えたその日は一つの思い出として刻まれる。

 ――ピルルルル。

 それは、任務用に支給されている携帯電話の呼び出し音。
 フェイトと同僚が同時に表情を変えて携帯に目をやった。任務を知らせるためのものだった。
「やれやれ、俺たちの休暇もこれでお開きか」
 同僚がそう言いながらゆらりと立ち上がる。
 フェイトもトランペットをケースに素早く仕舞い込んで立ち上がり、摩天楼の向こうを見やった。
 彼らの手に握られるものは馴染んだ拳銃。
 任務に向かうために歩みを始めた二人の姿はすっかりエージェントそのものに切り替わり、静かに喧騒の中に影を潜ませそして消えていくのだった。

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白の吐息

クリスマスも間近に迫る頃。
 一色に染められた街中に、一人の存在があった。
「……こうしてこっちに戻ってくるのも、久しぶりだな……」
 ぽそりと紡ぐ声音が若干幼い。
 栄神・万輝がそこにいるのだが、彼は見た目も声もすっかり変わっていた。
 成長という言葉が真逆に当たる、幼さが見えるのだ。
 年で言えば八歳前後だろうか。
 かつては有名モデルでもあった彼だが、いつの間にか姿を消し今ではどこにいるかも定かではない。夢か幻でも見ていたかのような感覚をこの世界に残し、万輝は現し世から消えた。
 何故そのような事になったのかは今の時点では解らない。
 だが今の彼は、一つの電脳世界を仕切る神としての過程を踏んでいる最中であった。
 クリスマスが近い。
 それは万輝にとっては自分の誕生日が近いという事も表している。
 そして、自分の分身である『彼女』の誕生日も。
 彼はその彼女にプレゼントを渡すために、『こちら』に戻ってきているのだった。
「ここ数年は花とか洋服ばっかりだったな……今年は少し変わり種でもいいかもしれない」
 イルミネーションが瞬く街の中、光が反射するウィンドウの中を覗き込みながら、彼はそう呟いた。
 口調には変わりはないようだ。
 彼女に何が欲しいかと聞いても、好物であるシシャモを迷いなく言うのを解りきっているので、敢えて聞かなかった。
 可愛らしい服。アンティークな小物。輝きを放つアクセサリー。
 一番似合うものをと考えつつ、万輝は街中を歩き続けていた。

 ――降りてきた。
 ヒトでもなく、神そのものでもない。不安定な存在。
 取り込めばさぞ美味しいだろう。甘美であろう。

 そんな言葉が宙で舞った。
 一般人には聞き取れない声音は、幾重にも重なって、街中のクリスマスソングと交じり合って流れていく。
「物騒な連中だな……」
 そう漏らすのはフェイトであった。
 声の主を、任務で追っている。
 間違いなく、霊的な存在が引き起こしている問題を解決するまでが彼の仕事だ。

 ――降りてきた。
 彼を亡き者に。
 そして、甘美な肉体を味わおう。

 危険な囁きは歌となって移動している。
 それは、邪霊達が寄り集まって発している言葉であった。
 この世界に『何か』が出現した。声達は『彼』と言っていた。
 その『何か』が『誰』まではフェイトは把握していない。だが、明らかに狙われている対象でもあるので、警戒しているのだ。
 上空を漂う不穏な声を追い続けて、数キロ。
 狙う者達も標的の居場所を完全に把握していないらしく、フラフラとしている。
 だが、彼等には明確な目的地は存在していた。
 一体では不安定な存在である為に、ある場所を拠点とし力を集積するという算段であるらしい。
「そろそろ、か?」
 フェイトが再びの独り言を漏らした。
 数メートル先に一つの古いビルがある。一階の怪しげな煙草屋以外は空きテナントとなっている廃墟同然のそのビル内に、数年前に閉店となったネットカフェがあった。建具や機材なども放置され、散々たる空間である。
 周囲の軽く見回した後、フェイトはそのビル内に足を踏み入れた。
 エレベーターは動かない。
 となると上に登る手段は当然階段で、彼は横手のコンクリート製のそれに歩を進めて駆け上がり始めた。
 幸い、元ネットカフェは二階にある。
 人の気配は無い。
 ――はずであったが。
「え、あれ……この気配?」
 フェイトが壁に背を預けて、一旦足を止めた。
 もう少しで二階フロアにたどり着くというところであった。
 こちらに近づくてくる気配に気づいて彼は慎重に視線を巡らせる。感じたことのあるそれに、フェイトも僅かに首を傾げた。
「よっ……と。なんだよここ、廃墟じゃん。フロアごとぶっ飛ばしても問題ねぇんじゃねぇの?」
 そんな声が聞こえた。
 踊り場から降りてきたらしいその存在は、誰かと会話をしているようであった。
 フェイトは壁越しにそちらへと視線を向けてみる。
「……っ、ナギさん!?」
「おあ。あー、槻史、あとで繋ぎ直すわ」
 声の主はフェイトの言葉に一瞬肩を震わせた直後、ちらりと振り返って耳に手をやった。通信を行っていたようで、耳元に切り替えスイッチでもあるのだろう。そして彼は改めてフェイトを見て、歩み寄ってくる。
 銀髪に赤い瞳と外見にさほどの変化は見られない。
「部外者……じゃなさそうだな。ん、あれ、お前どっかで……もしかして、勇太か?」
「憶えててくれたんだ。そうだよ」
「うわ、マジか。久しぶりだな~……しばらく見かけねぇなと思ってたけど、そうか、お前も大人の階段登ったわけね……」
「その言い回しはどうかと思うんだけど……」
 相変わらずの口調に、フェイトは苦笑しつつ答える。
 目の前の彼――ナギは5年の歳月など感じさせないほど、いつもどおりであった。
 唯一違うところがあるとすれば、彼の身体の刺青の範囲が広がっているくらいか。
「……ナギさん」
「あー……やっぱお前も気になるか。どんどん隠しづらくなっちまうなぁ」
 彼はそう言って軽く笑うだけだった。
 衣服で隠してはいるが、右の袖口から影が見え隠れしている。フェイトが想像するに、狼の影はナギの右半身を覆っているようであった。
「ま、俺は今のところ大丈夫だし、コレの話はまたの機会にな」
「う、うん。……っていうか、ナギさんも調査でここへ?」
「まぁ、そんなトコだな。厄介な話は俺に回すなって言ってあるんだけどなぁ……と、集まりきったか?」
 会話を交わしているところで、フェイトが追っていた声……思念体のようなものが数体、割られたネットカフェの自動ドアの隙間を縫うようにして入っていった。
 ナギの言葉でフェイトもそちらに視線を移し、表情を厳しいものにする。
「なぁ、お前はアレ、なんだと思う?」
「……俺は、立場上、邪霊っていう認識だけど」
「なるほどな。ヒトでもなく生きてる感じがしねぇモンは、そういう感じだよな」
 二人はそんな会話をしつつ、自然に二手に分かれて入口の側へと近づいた。
 自動ドアの右と左に立ち、肩越しに中を伺う。
 薄暗く荒らされた店内。
 天井につきそうな高さの本棚の列の向こうに、モニタ画面などが割れているパソコンが数台放置されている。
「夜逃げ同然だなー……」
「ビル自体の管理も悪いよね」
 店内にゆらゆらと浮遊しているのは先程の邪霊たちであった。
 それを目に留めつつ、廃れたネットカフェの現状を見てため息を吐き零す二人。
「ん? ……一台、まだ生きてんな」
「あ、本当だ……邪霊もそれに集まってる」
 壊れたパソコンが置かれた更に奥のほうで、モニタが青白く光った。
 それを合図にするかのように、浮遊していた邪霊は一点に集中し始める。
 同時に、空気が重くなっていくような感覚を二人共同時に感じて、顔を見合わせた。
「うわ、なんかすげぇ頭重い……マズいな」
「集合体になることで力を発揮出来る……。きっと、あの生きてるパソコンのネット情報が餌になってるんだ。ここで止めないと……!」
 彼等はそう言い合った後、一歩を踏み込んだ。
 だが、直後に広がりを見せた風圧のようなものに阻まれ、ナギもフェイトもそれ以上を進めることが出来なかった。
「くっ」
 よそ者は排除するとばかりに向けられる『気』が肌にビリビリと伝わってくる。
 二人共表情を歪めて、歯を食いしばりながら前方を見た。
 集まった邪霊達は今にも『破裂』しそうな勢いであった。
 だが。
「……全く、好き勝手やってくれたね」
 別の声が二人の背後から聞こえた。
 立つのがやっとのフェイトとナギの後ろに立っていたのは、万輝であった。
 そして彼は二人を軽々と追い抜いて、店内へと足を進める。
「……おい、万輝!」
「うるさいよ、黙ってそこで見てて」
「え……あれって万輝さん……!?」
 見るからに小さくなっている外見を見て驚いたのはフェイトだった。
 だが、態度や言葉遣いには変化が見られない。むしろそれすら研ぎ澄まされたかのような、冷たいオーラが彼の周囲をゆらりと包んでいる。

 ――来た。
 ――彼だ。そのものだ。
 神の候補者。
 まだ完全ではない。
 喰らうなら今だ。

 邪霊たちがそこで声を上げた。
 ざわざわと空気が揺れる。
 耳にしただけで気分が悪くなるような音と気配だ。
 フェイトはそこで、不穏な声の狙いが万輝であったのだと悟った。
「万輝さんを一人で行かせて大丈夫なの?」
 フェイトがナギに向かってそう問いかけた。
 するとナギは肩を竦めつつ「あいつは止めても聞かねぇし、大丈夫だ」と言うだけだった。
 ふぅ、とわざとらしいため息が漏れる。
 幼い姿の万輝は、今の現状を恐れるどころか心底面倒くさくて鬱陶しいという表情をしていた。
 心配など無用らしい。
「僕がこっちに来るのを狙ってたみたいだけど、詰めが甘いよね。僕が何の予想もせず出てくると思った?」
 彼はそう言いながら傍にあったパソコンの電源を呼び起こした。
 放置されて壊れているはずのモノが動く。不思議な出来事が万輝の前では当たり前のように起こる。
「……例えこの子たちが動かないとしても、スマホやタブレットだってある。電子はどこにでも流れてる。意味わかるかな?」
 子どもとは思えない笑みを浮かべて、万輝は続けた。
 それを後ろから聞いていたフェイトとナギが少し困り顔で冷や汗をかく。
「つまり……万輝さんは無敵ってこと?」
「ある意味、そうなんだろうな。体力使うこと以外であいつに出来なかったことなんてねぇぞ」
 そんな会話を小さく交わして二人は乾いた笑いを漏らした。
「二人とも、僕の専門は電脳関係のみだからね。それ以外の『邪霊』だかは、そっちで始末してよ」
「!」
 ちら、と肩越しに視線が送られてきたと同時に、そんなことを伝えられた。
 二人は少しだけ驚いた表情になった後、各自で返事をして体勢を整える。
 フェイトは手にしていた銃のグリップを握り直し、ナギは風の能力をいつでも発動出来るように構えた。
「さぁ、お遊びは終わり。次からはもっとお利口な手段を使うことだね」
 次があればね、と付け足しながら万輝は片腕を上げた。
 彼が起動させたパソコンの画面に浮かぶものは、箱のようなものだった。
 その蓋がゆっくりと開いて、邪霊たちの力の源を吸い込んでいく。
 次の瞬間には、集合体であったものがあっさりと元の個体に戻り、空間に散った。
「よし、今だ」
「じゃあ俺は左側から!」
 拠り所をなくした邪霊達はおぞましい声を上げつつ次の依代を求めて彷徨い始めた。
 その隙を突いて、ナギとフェイトが行動に移る。何もない空間から風が生まれ、邪霊たちがそれに飲まれていく。フェイトは隣で対霊弾を打ち込み、確実にその場で漂う霊達を消していった。
「…………」
 そんな彼等の姿を、万輝は黙って見ていた。
 無表情であったが、碧色の瞳は輝いているようにも見えた。
 そして彼は、静かに電脳空間の箱の蓋を閉じ、消滅させる。
「無理をさせて悪かったね。もう、眠るといいよ」
 小さなそんな呟きは、パソコンに向かってであった。
 彼の言葉を受けとめたかのようにパソコンが小さいノイズを放った後、電源を落とす。
 幼い少年の細やかな行動は、静かで少しだけ優しさを含んだものであった。

「25日が何の日かは解ってるよね」
「う、それを言うなって……」
 一件を片付けた後、ビルを後にした三人は大通りに出た。
 クリスマスイルミネーションが美しく輝く並木道の下で、そんな会話が始まる。
 万輝がナギに放った言葉には、刺があるように思えた。
「言っとくけど、忘れてたわけじゃねぇよ。ただ、何にするか迷ってただけだ」
「毎年、僕のお眼鏡に叶うモノ出してこないよね、キミは。いい加減、学びの成果を見せたら?」
「だーから、お前がそうやってダメ出しばっかするから困ってるんだろ」
「…………」
 万輝とナギを交互に見やって、数秒後。
 何やらの会話内容に、フェイトは自分は混ざれないと悟り少し距離を取った。
 そして彼は、おもむろにスマートフォンを取り出し耳に当てる。
「――ああ、俺。こっちの任務は完了したよ。うん、お疲れ様」
 フェイトはその場で任務完了の連絡を入れているようだが、相手は仕事先では無いようだ。
「懐かしい人たちに、会ったんだ。……うん、戻ったら話すよ」
 そんな言葉を繋げるフェイトの表情は、柔らかなものだった。
 頭上で光る灯りをふと見上げて、目を細める。
「勇太!」
 ナギが声をかけてきた。
 それに反応して、彼はスマートフォンの通話を終える。
 ゆっくりと振り向くと、ナギと万輝が肩を並べてこちらへと歩み寄ってきていた。
 つい先ほどまでは言い合いのようになっていたはずなのだが。
「……全くの偶然だったけどさ、会えて良かったよ。お前、さっきのアレって仕事の一環だったんだろ? どこで働いてるんだ?」
「IO2だよ。エージェントネームがあって、『フェイト』って呼ばれてる」
「あー、なるほどな。噂では聞いてたけど、こんな身近にいるとは思わなかったぜ」
 ナギが感慨深そうにそう言った。
「……噂って言えば、風の噂を小耳に挟んだけど、ナギさんは『彼女』と良い感じなんだって?」
「あー、あー! ……それは、うん。また別の機会にな!」
 フェイトが思い出した様にそう言うと、一気にその場が寒くなった。
 ナギが慌てて誤魔化しの格好になり、高いトーンで返事をしてくる。
 隣にいた万輝は、冷めた目でナギを見つめていた。
「そういえば、万輝さんは……その、前より幼くなってるけど……」
「僕は今、現し世にはいないからね。普段は電脳世界で時間を過ごしてるんだ。この外見も、そのせいだよ」
「そ、そうなんだ……? ごめん、俺にはちょっと良く解らないんだけど……。でも、また会えて嬉しかったよ、二人とも」
 若干の困り顔になりつつも、そう言ってくるフェイトに対し、万輝は彼をゆっくりと見上げたあと、また視線を落としてから「それは、どうも」と答えた。
 嬉しかったのかもしれない。
「さて、ここらで解散するか。また会えた時にでも、積もる話を聞かせてくれよ」
「そうだね、俺もこれから報告に戻らないと行けないし」
「僕はプレゼントを選び終えたらまた、あっちに戻るよ。……その前に、ナギサンには色々付き合ってもらうけど」
 あわよくばこのまま解放されて……と思っていたナギであったが、万輝がすかさず釘を刺す。
 ナギはかくりと肩を落としつつ「分かった。分かりました、万輝サマ」と漏らした。
 そんな二人を見て、フェイトは小さな笑みを作った。
 偶然が生み出した再会の喜びを静かに噛み締めながら、彼は万輝たちとそこで別れる。
「勇太、メリークリスマス! まだ、イブだけどな!」
 踵を返して数歩進んだあと、フェイトの背中にそんな言葉が投げかけられた。
 心が暖かくなり、彼はまた微笑んでから、くるりとその場で二人を振り返り、腕を振った。
「ナギさんも万輝さんも、メリークリスマス!」
 フェイトの言葉を、万輝もナギも笑顔で受けとめてくれている。
 そして彼等は、数秒後にはその場を後にして喧騒に姿を消していった。
 はぁ、と白い息が唇から漏れる。
 フェイトはそれをゆっくりと見上げてから、また歩みを再開させるのであった。

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ワインレッドと金色の記憶

ウィーンの街並みはクリスマス一色に染められ、賑わっていた。
 市庁舎の前やシェーンブルン宮殿前、マリア・テレジア広場……様々な場所でクリスマスマーケットが開かれ、毎日多くの人が行き交っている。
 夜にはイルミネーションが輝き、とても美しいと評判だ。
 ハンドメイドの小物を扱う露店で数点の買い物をしていたのは、黒髪の青年だった。
 流暢なドイツ語を話し目の色は青いが、顔つきは東洋人である。
「毎年有難うね」
「……憶えててくれているのか」
「そりゃそうさ。あんたみたいな若い子がこんな古い小物屋に足を運んでくれるんだ、忘れられるはずもない。その黒髪のインパクトも大きいしね」
 若い子と言えども自分は26歳なのだがと思いつつ、白髪と皺の多い露店の店主からしてみればまだまだ若造なのだろうと思考が行き着き、青年は紙袋を受け取った。
「ありがとう。また来る」
「いつでも待ってるよ」
 温かい笑顔が印象的な老店主に頭を下げつつ、彼はその場から離れて人混みの中に足を踏むこむ。
 龍臣・ロートシルト。
 街外れの古い洋館に住む彼には、仕える主が存在した。
 その主のために彼はクリスマスのこの時期は必ずマーケットに足を運び、様々なものを買う。
 『あの人』が喜んでくれるといい、と思いながら。
「……、……」
 龍臣の足がふと止まった。
 視線の先に見つけた人影に違和感を覚える。
 自分と同じ黒髪が前方50メートルほどの先で露店を覗き見ている。
 その横顔と気配を確かめて、違和感ではなく既視感だと思いながら、記憶を辿った。
 ただの東洋人か、と片付けてしまえる相手ではなかった。気配が『観光客』では無かったからだ。
「……あの時の」
 龍臣はそこで一月ほど前の事を思い出した。
 主の歌のコンサートのためにアメリカに数日滞在した。
 能力の漏洩をなるべく控えるためにと現地で雇ったIO2というエージェント。怪異などに精通している組織らしく、主の能力にも肯定的であった。
 主はそのエージェントの一人と偶然に知り合い、数時間を過ごした。カップケーキを食べて小さな動物園を巡るという流れであったが龍臣はその行動すべてを影で見守っていたので、今でも鮮明に光景を思い出すことが出来る。
 ――名は確か、フェイトと言ったか。
 その『彼』が何故かこのウィーンの地にいる。
 IO2という組織は世界規模であるらしく、それ故にどこに存在が居てもおかしくはないのだが、彼等は職業上、身を潜める行動を取っている――と、龍臣は思っている。
 かつて自分が居た組織と似たようなものだろう、という認識だ。
「…………」
 龍臣はそこで何かを思いついたような表情を見せた。
 そして人混みから外れて壁の影に身を潜めて、また前方へと視線をやる。
 直後、目線を鋭くして『彼』に殺気を向けた。
「!」
 ビク、と肩を揺らしたのはフェイトだ。
 自分に向けられる異常とも言える気配に瞬時に気がついたのだ。
 彼は上司の出張に同行するという任務でこの地を訪れていたのだが、今は自由行動を許され街を散策しているところであった。
 背中に突き刺さるような鋭い気。
 理由はわからなかったが、自分が狙われていると悟ったフェイトは、ゆっくりと顔を上げて振り返った。
 碧色の瞳が鋭いものになる。気配を放つものは視界では捕らえられない。
 だが、自分だけを見ていると感じて彼は移動を開始した。
 すると、気配の元も動き出す。
 近づいてくるかと思ったが、その行動は意に反して後退した。
「……なんだ?」
 フェイトは思わずの独り言を漏らす。
 だが、殺気そのものが消え去ったわけではない。
 相変わらず自分に向けられたままの独特の気配。
 何故か知っているかのような感覚に陥りつつも、フェイトは移動を続けた。
 相手は距離を保ちつつフェイトの動きに合わせて移動している。
 龍臣とフェイト。
 彼等はウィーンの街の一角でそんな奇妙な『鬼ごっこ』を開始した。

 小走りに移動を続けて十分ほど。
 フェイトが的確に自分へと近づいてくるのを感じながら、龍臣は薄く笑った。
 以前の時は顔と存在を確かめるのみで、実力そのものを測るタイミングが無かった。だが今はこうして彼を試している。
 フェイトは自分を見失わずに追ってくる。
 その現実が、彼は嬉しいようであった。
 ――否、これは嬉しいのか。少し違うような気がした。
 嬉しいと言うよりは、心が刺激されているような感覚であった。
 ギリギリまで張り詰められた神経と、感覚。
 殺伐とした空気。
 そういう環境下に置かれることに、龍臣は慣れきっていた。
 今の状態を言えば、自らその選択を導いたとも言える。
「……は……俺も、大概……」
 口元に浮かべる笑みが若干歪んだ。
 立場にもそして主にも、当然不満があるわけではない。
 それなのに、今の現状はなんだ、と自嘲しているのだ。
 そして彼は、懐に仕舞いこんでいた銃を手に取った。
 この間にも歩みは止まらずに、自分を追ってくるフェイトの影をしっかりとマーキングして距離を図る。龍臣は一度標的を特定すると、座標を外すことはないのだ。
 フェイトが近づいてくる。
 龍臣は人気を避けて彼を路地に誘い込み、短く息を吸い込んだ。
 その直後、彼は躊躇いなく右手を伸ばしその先に忍ばせた銃を相手に突きつける。
 ほぼ同時に、自分の眉間の前に影が出来た。
 銃口であった。
「…………」
「……え、あれ?」
 声を上げたのはフェイトのほうであった。
 銃を向けた相手を視界で確かめて、驚きの表情を浮かべたが姿勢は崩さずのままだ。。
「えーと……こないだの、コンサートで見た」
「この状態でも慌てず、か……見事だ」
 互いの眉間には互いの銃が突きつけられたまま。
 龍臣は浅く笑ってそう言い、静かに腕を下ろした。
 するとフェイトも同じように腕を下し、銃を懐に仕舞う。
「悪い、あんたをマーケットで見かけて、どうしても試したかった」
「……あ、ああ……そういうことか……」
 龍臣がフェイトに向けた殺気の理由をアッサリと告げた。
 フェイトはそれを半ば気の抜けた状態で受け止め、かくりと肩を落とす。
「…………」
 龍臣はそんなフェイトの姿を見て、僅かに焦ったような表情を浮かべた。
 フェイトは俯いた状態であったのでその表情を見ることはなかったが、空気が変わったのを感じ取って顔を上げる。
 アイスブルーの瞳が視線を逸らす。
「……その、悪かった。近くにカフェがあるから、そこで珈琲でも奢らせてくれ」
「じゃあ、お言葉に甘えるよ」
 冷たい印象しかなかった男の以外な表情を見てしまったフェイトは、小さく笑って頷いてみせた。
 そして自分がまだ名乗っていないことに気がついて、口を開こうとする。
「あんたの名前は知っている。フェイト……いや、工藤勇太か」
「うわ、なんで俺の本名まで?」
「……まぁ、今のところは俺と主しか知らないがな。ああ、俺は龍臣・ロートシルトだ」
 彼の主は有名な銀行家である。
 要するには何かしらの伝があり、フェイトの事も殆ど知れているようなのだが、何となく龍臣の主の独特の能力で知られてしまったのではないかと思ってしまった。
 以前の任務で護衛をする前に、数時間を『彼』と過ごしたことがある。少年らしくない物腰と雰囲気に、未だに不思議な違和感を拭えないままでいた。
 龍臣の後ろをついて歩いて、数分後。
 こじんまりとした古いカフェに辿り着いた彼等は、木製の扉を押し開けて中へと入った。
「いらっしゃい、連れがいるとは珍しいな」
 人の良さそうな壮年のマスターが声をかけてきた。
 龍臣の行きつけの場所なのかもしれない。
「……メランジュ二つ」
 龍臣はマスターをちらりと見た後、控えめな声音で勝手にコーヒーを二つ注文して、奥のテーブル席に座った。
 仕草や動作から見ても、彼の特等席なのだろう。
 フェイトはその向かいに座り、小さなため息を漏らす。
「ああ、悪い。勝手に注文した」
 龍臣が僅かに表情を歪ませてそんなことを言ってくる。
 それを見たフェイトは、思わず笑ってしまった。
「……なんだ、勇太」
「あ、いや……その、龍臣さんってそういう顔もするんだって思ってさ……」
「『さん』はいらない」
 笑われたことに対してなのか、敬称を付けられたことに対してなのかは良く解らなかったが、次に龍臣が見せた反応はまたもや新鮮であった。
 照れている、のだろうか。
 一番最初に出会ったあの凍りつくほどの視線と全体的な冷ややかに感じたイメージが一気に崩れていく。
「……だって龍臣さん、俺より年上だろ? まだ出会ったばかりだし、こうして会話するのだって初めてだしさ」
「勇太はいくつだ?」
「22だよ」
「……そうか」
 そんな会話をしていた所に、龍臣が注文していたコーヒーが二つ置かれた。
 日本でいうところの『ウィンナーコーヒー』である。ホイップクリームは乗らずに泡立てミルクが混ざったものだ。
「こっちの珈琲はクリームやミルクに加糖が殆ど無い。甘さが欲しければ角砂糖で調整してくれ」
「ありがとう。頂きます」
 可愛らしい紙に包まれた砂糖がソーサーの上に一つ置かれている。
 フェイトはそれを開けて自分のカップの中にそっと落とした。
 龍臣を見れば彼は無糖派らしく、そのまますでにカップに口を付けている。
 仕草が大人っぽい。
 伏し目がちにゆっくりとカップを傾けるそれが、フェイトの目から見ても少し艶の含まれた物に見えて、思わず視線を下げた。
「ウィーンには、仕事でか?」
「あ、うん……っていっても、今は自由時間。上司の出張に同行してきたんだ。夜の便で帰るよ」
「こんな時期に出張か。大変そうな職場だ」
「今更だけど、龍臣さんはIO2の事は把握済み?」
 フェイトがそう問えば、龍臣は静かに「まぁ、それなりに」と答えてきた。だがそれ以上は望めず、彼はまたゆっくりと珈琲を口にしていた。
 その彼の隣に置かれたものに、フェイトは目が行った。紙袋だ。
 会話を途切れさせるのもおかしい気がして、彼は思わず「中身を聞いてもいい?」と再びの問いかけをした。
 すると彼は普通に「ああ」と返事をして、紙袋の中身をあっさりと見せてくれた。
 手作り風のクリスマスオーナメントであった。銀色の鳩らしい鳥とワイン色の楕円形の飾りが数個。それぞれに金色の装飾が入っていて、綺麗なものであった。
「馴染みの小物屋が毎年、マーケットにも出店しててな。そこで小物を揃えている」
「……彼のため?」
「そうなるな」
 『彼』を『誰』とは龍臣は聞き返しては来なかった。
 丸い飾りを一つ手に取り、親指で撫でる仕草を見せた後、彼はまた唇を開いた。
「あの人が今年はワイン色が良いと言った。だから、その通りにしている。俺にはあの人の言葉だけが形になる」
「…………」
「……俺は孤児だった。だから本当の自分の年も実は知らない。あの人と会った時にそれくらいだろうという流れから、今は26だと聞かれたら答えるが。もう何年も前の話になるが、俺はとある組織の暗殺者でもあってな」
 手元のカップの隣、テーブルの木目を数えているかのような視線で、龍臣は自分のことをそう語った。
 フェイトは聞いてしまってもいいのかと思いつつも、彼に対する興味が全くないわけではなかったのでそのまま聞くことにした。
「クリスマスなんて、バカバカしいただのイベントの一つだと思っていた。少なくても、俺にとってはそうだった。……物心ついた時には『人殺し』だった俺には、まさに夢かおとぎ話でしか無かった」
 優しいキスをくれるママも、プレゼントを買ってくれるパパも存在しない。
 凍える冷たい冬は、龍臣には色の無い世界そのものであった。雪でさえ灰色の空から白い粉が降っている、くらいの認識でしかなかった。
 人の温もりなど、乱暴な大人からしか感じ取ることが出来ない、過去の記憶。
 唯一温かいと感じたのは、標的を仕留めた時に浴びた相手の血くらいだ。

 ――そこは寂しいだろう、一緒においで。

 銃を向けた相手にそう言われたのは初めてだった。
 龍臣は何を言われているのか解らなかった。理解する気もなく、早く仕留めなければという感情しか無かった。
 だが『あの人』は、今の主は、そんな龍臣をただひたすらの微笑みのみで手招きした。
「……確か、10歳くらいだったか。あの人に引き取られた俺は生まれて初めてクリスマスツリーを見上げた。とにかく大きくて……その時は、金色がメインの飾り付けだったな。天使と鳩が沢山飾ってあった。どれでも好きなものを選びなさいと言われて見たプレゼントの山には……正直、どうしたらいいか解らなかった」
 フェイトはその言葉を聞いて、何となくその光景が想像できたような気がした。
 龍臣の主を少なからず知っているからだ。
 無邪気で可愛らしくて、それでいて達観している。
「そう言えば、あの人はずっとあの姿のまま……?」
「ああ、あれでも70歳だ」
「え……っ、そ、そんなに……!?」
 実際の年齢を聞いて、フェイトは珈琲を吹き出しそうになった。
 能力者であるために年齢を重ねることが出来ないと把握はしていたが、そこまでの年配者だとも思わなかったのだ。
 だがしかし、それを聞いてなおさらに、龍臣が初めて体験したクリスマスの光景を、脳内で想像することが出来た。そして、小さく笑う。
「……なんだ?」
 フェイトが見せた笑みに僅かに首を傾げつつ、龍臣はそう言った。
「あ、ごめん……その、あの人らしいんだろうなって思って」
「ああ……そうだな。きっと、勇太が思い描いた通りなんだろうな」
 目の前の彼は主を知っている。数時間過ごしただけだが、それでもフェイトならば主を理解するにはさほど時間を要さないであろうとも思った。
 主が信頼した相手だからか、龍臣はフェイトに対しては友好的でもあるようであった。
「そう言えば、また会いたいと言っていた」
「俺も、また会って話がしたいよ。今日は時間がないから無理だけど……」
「そのうちまた、こちらからでも連絡を入れる。アメリカや日本に行く機会はこれからも増えそうだからな」
 ボーン、とカフェ内の古い柱時計が時を告げた。
 それに思わず視線をやり、フェイトは「そろそろ行かないと」と言って立ち上がる。
 龍臣も同じようにして立ち上がり、マスターにコーヒー代を自然に差し出して、フェイトを振り返った。
「今日は付き合わせて悪かったな。でも……お前は不思議だ。楽しかった」
「俺も楽しかったよ。それから、珈琲も美味しかった。奢ってくれてありがとう」
 店の前、向き合っての会話をして、どちらからともなく笑みが浮かぶ。
 そして二人はその場で別れ、踵を返した。
 数歩、歩いたところで足を止めたのは龍臣だった。
「――勇太」
「え、……わっ」
 名前を呼ばれるままに振り向けば、視界に飛び込んできたものがあり、フェイトは慌ててそれを両手で受け止めて視線を落とした。
 手に収まっていたのは、先ほど見た球状の飾りだ。
「龍臣さ……」
 慌てて顔を上げるが、彼はすでに視線の先にはいなかった。
 言葉では残されなかったが、それを土産にしろということなのだろう。
 フェイトは嬉しそうに笑いながらそれをきゅ、と握りしめてコートのポケットに仕舞い、また歩み出す。
 寒風が頬をくすぐった。
 僅かに天を向いてそれを受け止めたフェイトは、また『彼ら』に会えることを願って、帰るべき場所への道を進むのだった。
 

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甘いお菓子とオレンジ色

街は月末に迫るハロウィンの装飾で彩られていた。
 今年はハロウィン当日に大きなコンサートなどもあるらしく、宣伝のためのポスターもあちらこちらに貼られている。
 片腕に茶色の紙袋を抱えて道を歩くのは、休暇を利用し買い出しへと出ていたフェイトだった。
 様々な形のジャック・オ・ランタン。ランプや置物など様々なものが並んでいる。蜘蛛やコウモリのシルエットアート。仮装のための衣服などがずらりと通りに並ぶ。
 本格的に家自体を飾る家庭も多く、庭先に墓があったり、その年に流行った映画のキャラクターなどが置いてあったりと賑やかでもある。
「はぁ……」
 そんな空間の中でフェイトの口からぽろりと漏れたのは、溜息であった。
 鮮やかな装飾に素直に感動出来れば憂いることもないのだろうが、フェイトには視えてしまうのだ。
 この時期になると鮮明に映し出される『この世のものではないモノ』が。
 行き交う人にゆらりと寄り添う浮遊霊。前を歩く男性の足にまとわり付いているのは動物霊だろうか。
 魔除けのために飾られている装飾は現在はその意味を殆どなさずにいることが多い。
 次にフェイトの目に入り込んできた光景は、ショーウィンドウを覗きこむ一人の少年の姿だった。
 その彼の頭上に浮かぶのは形の崩れた霊であった。
 基本は放っておいてもさほど害もないのだが、フェイトはそれを無視することは出来なかった。壁側に歩みを寄せて少年から数メートル離れたところで立ち止まる。
 霊が少年の髪に手を伸ばす。
 それをギリギリのラインで制止させたのは、フェイトだった。言葉も発せず行動にも映さず、精神のみでの能力で霊を追い払ったのだ。
「…………」
 ガラスに手を置き店内を興味深そうに覗きこんでいた少年が、直後にゆっくりと視線をこちらへと向けてきた。
 オレンジのような色が交じる瞳の色と、銀色の髪。
 フェイトは一瞬気づかれたかと焦るが、少年はにこっと笑顔を向けてくる。偶然、フェイトの視線に気が付き、こちらを見たといった具合であった。
「japaner?」
 少年がそう問いかけてくる。ドイツ語だった。
 フェイトはその響きに「あー……」と言い淀む。少年はそんな彼を見て「英語でも日本語でも大丈夫だよ」と言って、首だけ動かしていた身体をフェイトへと向きなおしてペコリと会釈をしてきた。
「こんにちは、僕はニコだよ。良い日和だね」
「あ、俺はフェイト……。君、一人なの?」
「うん、今はね。ちょっと用があってオーストリアから来たんだ」
 少年の割には随分と落ち着いた口調だと思った。
 ニコと名乗った彼は、初対面であるのに大きな目を逸しもせずに興味深げにフェイトを見上げてくる。
 日本人が珍しい……という空気ではなく、どちらかと言えば何かしらの縁を含んでいる目線だと感じて、フェイト彼に歩みを寄せる。
「お兄さんは、ここで暮らしてるんだよね?」
「ああ、うん。そうだけど」
「僕、アメリカは初めてじゃないんだけど、こうして街中をゆっくり歩いたことがなくて……」
 ニコは先程まで覗きこんでいたウィンドウをチラリと見ながら言葉を繋げた。
 窓の向こうには色とりどりのカップケーキが並んでいる。この辺りでは有名なケーキ店の支店であった。
「今なら待ち時間もあんまり無さそうだし、一緒にケーキ食べようか?」
「……いいの?」
「俺もちょうど甘いもの食べたいって思ってたんだ。ついでにこの辺を案内してあげるよ」
「ありがとう、お兄さん!」
 フェイトの言葉に素直に喜びを見せた少年の笑顔は、子供らしいそれであった。
 可愛らしい表情に、思わずフェイトも顔が緩む。
 そして彼らは目の前にしている店に入り、窓側の席に向い合って座った。
「アメリカのケーキは色が鮮やかだね、キラキラしてて面白い」
 テーブルに並べられた様々な色のケーキを見て、ニコは楽しそうにしながらそう言う。
「ニコは……えーと」
「あ、ウィーンだよ。どっちかというと地味な色合いが多いかな、あっちのは。ザッハトルテとか、ああいうの」
「なるほど……」
 自分がオーストリアのどこから来たかまでを言っていなかったと気付き、ニコはフェイトの言葉にそう答えた。
 すると運ばれてきた紅茶を笑顔で受け取り、ほぅ、とため息をこぼす。
 ちなみにフェイトの目の前にはカフェオレが置かれていた。
「お兄さん、いい人だね」
 砂糖も入れずに紅茶を一口含んだニコが、静かにそう言った。
 フェイトも丁度カップを手にして一口を含んでいたところであり、彼の言葉を受けて目を丸くする。
 返事に困り、何も返せないでいると、目の前のニコはクスクスと笑った。
「…………」
 不思議だ、とフェイトは思った。
 不思議というよりは、違和感があるのだ。ニコという少年は。
 13、4歳と言うところの外見と、少し低いと思われる身長。
 どこからどう見ても『子供』なのだが、時折見せる仕草と言葉の運び方が『らしく』ない。
 質の良い衣服を着ているのでそこそこの家の出なのだろうとは思うが、そこから醸し出ている雰囲気が子供のそれではないと感じられるのだ。
「……ニコは、日本人と何か、関わりがあるの?」
「あ、うん。『家族』にね、何人かいるんだ。だから、お兄さんを見た時に親近感というか……そう言うのもあって、聞いちゃったんだよね」
「家族……」
 妙な言い回しだと、またもや思った。
 ニコはフェイトが自分の言葉を反復するのを確認して、困ったような笑みを作る。
「お兄さん……フェイトは僕に聞きたいことが色々あるみたいだね。かくいう僕も……いつもの『僕』を演じきれなくて困ってるんだけどね」
「え……?」
「フェイトの『音』は、とても複雑だ。恐れ、不安、警戒、葛藤、迷い……そして喜びが混じってる」
 ニコはそう言葉を続けた後、カップケーキを一口食べた。口いっぱいに広がった甘い食感に彼は頬を綻ばせて「lecker!」と言う。ドイツ語で美味しいと言う意味であった。
 フェイトもそんな彼を見つつ、カップケーキを口にする。幾度か口にしたことのある甘い味。その甘さに瞳を細めると、ニコも同じようにして笑った。
「lieblich」
「なに?」
「お兄さんは可愛いってことだよ。その味を教えてくれた人を思い出してるでしょう。喜びの音が溢れてくる」
「な、なんでそんなことが解るの? その、さっきも言ってたけど……」
 フェイトの問いに、ニコが微笑みしか返さなかった。柔からかで子供らしい笑顔。
 思わず目の前のフェイトも釣られてしまう、そんな表情だった。
 傍から見れば可愛い二人が微笑み合っているようにしか見えなかった。窓の外を通る人々や店内のスタッフが、それに見とれてほぅ、とため息を零している。
「ねぇ、フェイトお兄さん。これからどこに連れて行ってくれるの?」
 子供が訪ねてくるような、普通の声音の普通の言葉。
 フェイトはそれを目と耳で受け止めてから、ふぅ、と一つの吐息を漏らした後口を開く。
「ここからならセントラル・パークが近いよ。動物園でも行く?」
「うん、行ってみたい!」
 動物園と言うと、ニコの表情が一層明るいものになった。
 本心からくる喜びの表情に、フェイトは小さく笑って、「じゃあこれを飲んだら、出ようか」と言って自分のカップを手にし、残りのカフェオレをゆっくりと飲み干した。

 セントラル・パーク内にある動物園は、小規模ながらも子供には人気のスポットであった。
 ハロウィンが近いこともあり軽い仮装スペースなどもあり、観光客がマントをつけたり悪魔の角を見立てたカチューシャをしてみたりと賑わっていた。
「そこのお二人さん、記念に写真でもどう?」
 ニコの手を取り並んで歩いているところで、仮装したスタッフに声をかけられた。彼はクラシックなカメラを持っており、どうやら観光客をターゲットにした写真を撮っているらしい。
「どうする、ニコ?」
「うん、お兄さんとの出会いの思い出に、撮ってもらいたい」
 そんな会話を交わして、二人はその場で写真を撮ってもらうことにした。ニコの希望でフェイトには黒猫の耳が付いているカチューシャを渡され、彼は仕方無くといった表情でそれを装着して、ニコの隣に膝を折る。
「……フェイト、ありがとう。貴方にまたどこかで会えたらいいと思ってるよ」
「ニコ」
 カメラマンの前で構えている僅かの間。
 ニコはフェイトに小さくそう言った。
 直後、「はい、笑ってね」というカメラマンの合図に二人は笑顔を作り、シャッターが切られた。
 カメラはインスタントで、その場で写真が手渡される。
 フェイトはそれをニコに渡して、自分はスマートフォンを取り出した。
「僕が貰ってもいいの?」
「記念、だろ? 俺はこっちにデータをシェアしてもらうから大丈夫だよ……っと、ごめん」
 フェイトのスマートフォンが震えた。それに慌てて彼は立ち上がり、ニコにそう言ってから少しの距離を取り、耳に当てる。
「――ごめん、連絡忘れてた。うん……うん、ちょっと寄り道してる」
 誰かからの電話に謝っているフェイトを見上げつつ、ニコは小さく笑った。
 そして、一度目を閉じた後に視線を移して、遠くの木へと目をやる。
「…………」
 彼は目を細めてまた笑った。その表情はとても少年とは思えぬような笑みであった。そして彼は黙ったまま右腕を僅かに上げて、ひらり、と横に一度だけそれを振る。
 木の幹の向こう、僅かに動く影があった。それはニコの行動を受け止めたかのようにして、直後にそこから消えてしまう。
「……全く、頭の固いやつだ」
 小さく、誰にも届かないようにしてニコはそう呟いて口元を隠す。
 そのすぐ後にフェイトも通話を終えて、ニコのほうへと戻ってきた。
「ニコ、ごめんな。待った?」
「ううん、大丈夫。フェイトお兄さんこそ、平気なの?」
「大丈夫、動物見て回るくらいの時間はあるよ。この先に珍しい色の鳥がいるから、行こう」
「うん」
 フェイトは再びニコの手を自然に取った。
 その温もりがニコの指先にじわりと伝わり、彼は嬉しそうに笑う。
 温かくて、優しい。
 フェイトと言う人物の『音』を全身で感じながら、ニコは動物園を満喫するのだった。

 時間にしては一時間ほど経ったくらいだろうか。動物園を出てから、ニコはフェイトに「戻らなくちゃ」と言い、軽い足取りで一歩を下がる。
「通りに戻らなくても大丈夫か?」
「うん、そろそろ迎えがくるから、平気だよ。フェイトももう、待ってる人の所に戻ってあげて」
「ニ、ニコ……」
 この少年は、どこまでを知ってるんだろう。
 フェイトはそう思わずにいられなかった。
「――あ、そうだ。さっきは『追い払って』くれてありがとう」
「!」
 ニコの言葉に、肩が震える。
 フェイトが追い払ったといえば、出会ったばかりに見た霊の存在だろうと思う。ニコと言う少年は、それに気づいていたのだと今改めて悟った。
「じゃあ、またね、お兄さん!」
「あ。うん……」
 ニコは元気よくそう言った後、踵を返した。そして右腕を上げて、フェイトを肩越しに振り返りつつ手を振って駆け出す。
 フェイトは呆気にとられつつも、それにひらりと手を振り返してやり、彼を見送った。
 何とも不思議な邂逅であったと思いつつ、ニコの姿が完全に見えなくなるのを感じてから、フェイトも踵を返すのだった。

 一週間後。
 一件の護衛依頼がIO2に舞い込んできた。一人の歌手とコンサート会場周辺を警護する為に数人のエージェントが配置され、その中にフェイトの姿もあった。
「あれ?」
 会場内、彼らに与えられた控室内で、フェイトはそんな声を上げた。
 傍にいた同僚が「どうした」と聞いてくる。
「……俺、この子知ってるよ。前に街で会った子だ」
「え、お前、あの『神童』に会ってたのかよ?」
 フェイトは今回の護衛のための資料を読み返していた。ハロウィンコンサートと言えば、宣伝のためのポスターが街中に貼られていたと思い出して、この事だったのとかと思いつつ、資料内にある一人の少年の写真をまじまじと見る。
 ニコラウス・ロートシルト。
 世界的に有名なソプラノ歌手であり、その歌声は天使のようだとも言われている。
 多くを魅了し、多くのファンを持つ。
 同僚の言う『神童』は彼の二つ名でもあり、同時に『アムドゥキアス』とも呼ばれていた。
 一週間前、フェイトが街で出会い、カップケーキを食べて動物園を案内したあの少年と同じ顔である。
「そんなに有名なの?」
「お前……こないだのテレビでも特集組まれてただろ? 『奇跡の歌声、神童アムドゥキアスに迫る』ってさ」
「……そういえば、そんなようなのやってた気がする。っていうか、そんなに有名なら俺と歩いてた時だって、騒がれるはずじゃ……」
「意外と溶け込めてるもんだぜ。傍から見ると似てるな~くらいでさ。まさか本人がここにいるはずもないって誰もが思うから、やり過ごせるんだよ」
 そういう同僚の言葉を聞いて、そういうものなのかと思いながら、フェイトは少年についての詳細に目を通した。
「あー、やっぱり能力者か。そうじゃなきゃ俺達に護衛なんて頼んでこねぇよな」
「歌で生命を……そうか、音に関係する能力を持ってるのか。ある程度コントロールは出来るみたいだけど」
「二つ名はこの辺から来てるっぽいなぁ。ここまで有名になっちまうと、立ち回りも大変だろうな」
 同僚がフェイトの見ている資料を覗き見しながらそう言った。
 フェイトはそれを少し遠くで受け止め、彼と会っていた時のことを思い出す。
 『ニコ』はフェイトに音がすると言っていた。
 彼は歌う以外にもきっとそう言った能力があるのだろう。
 どれほどのものかまでは解らないが、それは安らかなものではないはずだと感じて、フェイトは深い溜息を零す。
「――あんま深く考えるなよ、フェイト」
「うん……」
 ポン、と同僚の手のひらがフェイトの頭の上に乗った。
 彼はフェイトの心情を読んだのか、そう伝えてから髪を撫でる。
「俺達は俺達の出来ることをやるだけだ」
「うん、そうだね」
 そんな会話を交わした直後、コンコンと控えめなノック音がした。開演時間まではまだあるはずだがと同僚が扉を開ければ、その先には一人の男が立っていた。
「ロートシルトの者です。主から皆さんへと言付かって参りました」
 男はその場で頭を下げてそう言い、一つの籠を差し出してきた。その中には数本の酒のボトルらしいものと焼き菓子が入っていた。
「うぉ……っ、これってドンペリじゃねぇか」
「ブリニャックまであるぞ」
 室内がざわつく。
 籠の中の酒はすべて高級シャンパンであった。菓子にはそれぞれハロウィンらしいラッピングが施されており、『Hope your Halloween is a Treat!』と綴られたメッセージカードが添えられていた。
「では、本日はよろしくお願い致します」
 籠を運んできた男は静かにまた頭を下げて、その場を離れていった。
 黒髪で黒のスーツを着こんだ、隙のない存在であった。
「…………」
 フェイトはその男を思わず目で追ってしまう。
 すると彼は僅かに振り向き、フェイトを一瞬見た。冷たいアイスブルーの瞳が印象的であった。
「フェイト、これはお前用みたいだぞ」
「え?」
 同僚がそう言葉を投げかけてくる。
 それに反応して視線を戻せば、『フェイトお兄さんへ』と書かれたカードと共に高級トリュフの箱と写真がプリントされたポストカードが添えられていた。動物園で撮ったあの写真であった。撮った後にフェイトに電話があったために結局あの後、データは受け取ってなかったのだ。
 リボンに差し込まれたポストカードを手にとって裏を返してみれば『今日はお疲れさま。公演が終わったら恋人と一緒に楽しい時間を過ごしてね』と書かれていて、彼は思わずそれをまたひっくり返そうとした。だが、傍にいた同僚にそれを遮られ、カード自体を取られてしまう。
「ちょ、ちょっと……」
「ふーん、えらく気の利いたお子様だな、フェイト?」
「……そういう子、なんだよ。言っただろ、不思議な子だったって……」
 同僚はニヤリと笑いつつそう言った。
 フェイトはそんな彼をまともに見ることが出来ずに、うっすら頬を染めて視線を逸らして言葉を繋ぐ。
「まぁ、お言葉に甘えるためにも、任務頑張ろうぜ」
「う、うん……そうだね」
 同僚がどさくさに紛れてフェイトに腕を回してくる。
 一気に距離も近くなったが、フェイトは敢えて抵抗を見せずに小さくそう答えた。
 ――いつかまた、どこかで会って話が出来るだろうか。
 そんな事を思って、数分後。
 それぞれの通信機に任務開始を知らせるメッセージが届く。
 フェイトも隣にいた同僚もそれを確認して、体勢を整えた。
「任務を開始しよう」
「了解」
 部屋の奥でシャンパンボトルに沸いていた他の同僚たちにも声をかけて、彼らは部屋を出る。
 そしてフェイトは与えられた任務を完璧にこなすための行動を、静かに開始するのだった。
 

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Jewel box

夜の帳が完全に落ち、街の灯がキラキラと輝き始める頃。
 とある通りの一画で二つの影が移動を続けていた。前方は逃げる者、後方はそれを追う者だ。
 IO2エージェントが一人の異能力犯罪者を追い詰めているところであった。
「……っ、このままじゃ逃げられる……」
 追う側のエージェントが足を止めた。そして懐に手を入れて彼の武器を取り出し、素早く前方へとそれを向ける。
「――――」
 その狙いは、一点の揺らぎも迷いもなく。予め装着されたサイレンサーに音は殆ど吸収された形になったが、放たれた弾は前方の足元に落ちて、逃走を食い止めた。足を撃ちぬいたのではなく、特殊な加工を施された弾が地面で弾けて進む足を止めたのだ。
「――こちらフェイト。目標を確保した」
〈了解、すぐにそっちに向かう。フェイト、そいつは厄介な能力の持ち主だ。気をつけろよ〉
「分かってる。早めに合流してよ」
 ハンズフリーの無線で離れた地点にいる同僚に連絡を入れつつ、彼――フェイトは地面に転がっている影の主の腕を掴み後ろ手に両手首を拘束するために手錠のようなものを取り出した。
 装着自体は簡単なものであった。
 だが。
「……畜生っ!」
「おい、大人しくしろ!」
 捕まえられた男が悪あがきとばかりに能力を発動させた。電磁波のような衝撃が手元に走り、バチン、と音と立てて弾ける。
 フェイトもそれを予想していなかった為に若干反応が遅れてしまう。
 ビリ、と指先が痺れる感覚が広がった。それに気を取られていると、男がフェイトの首元に回し蹴りを打ち込んできた。
「!!」
 見事にそれがヒットしてしまったフェイトは、そのままふらりと後ろによろめいた後、側にあった草むらに倒れこんでしまう。
〈どうした、フェイト?〉
「…………」
 無線の向こうで同僚の声がした。
 フェイトはそれに応えることが出来ずに、そこでふつりと意識を手放した。捕えた男はすでにそこには居らず、地面の上には使われるはずであった拘束具が僅かな電磁波を発しながら転がっていた。

 チリン、と小さな鈴の音が夜空に溶ける。
 眼下に広がるいつもと変わらない『世界』。輝く宝石箱を眺めつつ飛行を続ける千影の視界に、不自然に走る男の影が写り込んだ。必死に走っているが、よたよたとしていて落ち着きが無い。
「ん~、酔っぱらいさんかな?」
 上空にいる千影には当然気づくこと無く、その男は通りを抜けて走り去っていく。
 千影は妙にその行動が気になり、男が辿った道を遡ってみた。そして、数メートル進んだ場所で、草むらで倒れこんでいる人物を目に留める。フェイトであった。
「…………」
 千影は迷わずその場に降りた。地面に寝転んでいる人物はさほど珍しい光景では無かったが、彼の身なりからそういう類の人となりではないと判断したためだった。
「……ねぇ、だいじょうぶ?」
 膝を折りそう問いかけてみても、フェイトは応えない。すでに気を失っている為だ。
「え?」
 千影がそろりと手を伸ばして彼に触れようとした所で、フェイトの体が震えた。そして次の瞬間には変容が現れ、千影も目を丸くする。
 目の前のフェイトが、大人の体から小さな子どもの姿になってしまったからだ。しかも、猫耳と尻尾まで生えている。
「うにゃん? チカと同じ眷属の人?」
 千影はその変化に、瞠目した直後はさして驚いた様子も見せなかった。
 この世界は『不思議』に満ちている。彼女は毎夜、その不思議に出会うために散歩を続けている。だから、この出会いも恐らくは偶然ではないのだろう。
 取り敢えずは、と彼女はフェイトを膝の上に乗せてやった。見た限りでは大きな怪我などはしていない。それを確認して、数回頭を撫でてやると、意識が浮上したらしいフェイトがもぞりと身じろいだ。
「……ん、にゃ?」
 頬が暖かい、と感じながらフェイトがゆっくりと瞼を持ち上げる。
 するとそこには見慣れぬ少女の姿があり、自分の体はその彼女の膝の上であった。
「気がついた?」
 少女はそう問いかけてくる。可憐な声音であった。
 緑色の瞳と黒い髪。自分と似た色を持つ少女を見上げて、フェイトはふにゃ、と笑った。
「あたしはチカ。あなたは?」
「えっと……あれ……?」
 千影に問われたとおりに答えを音にしようとした所で、フェイトの表情が歪んだ。自分の名前が喉の奥から出てこないのだ。そこから考えてみても、何も出てこない。
「わかんにゃいにゃ……自分のなまえ……」
 へた、とフェイトの猫耳が下へと向いた。感情が表に現れたのだ。
 追っていた男に蹴られた時の衝撃なのか、それとも猫化の影響なのかは分かりかねるが、フェイトの記憶は閉ざされていた。
 今の彼には自分が何者であるかすら分からないようだ。『フェイト』であることも、『勇太』であることすらも。
「うーん、記憶喪失っていうやつかな? チカはそっちのことは詳しくないし……誰かと一緒だったりしなかった?」
「覚えてないにゃ……でもなにか、大事なことをしてた気がするのにゃ……」
 うう、とフェイトは頭を抱えた。倒れる以前の記憶は全く無いようで、困り顔にもなる。
 千影はそれを見てフェイトの頭を優しく撫でた。そして膝の上からゆっくりと彼を下ろし、手を引いて立ち上がる。
「じゃあ、この辺を少し歩いてみよう? 何か思い出すかもしれないよ」
「う、うん……」
 チリン、と音がした。
 それに釣られてフェイトが顔を上げると、千影の身につけている衣服の裾に小さな鈴が飾られているのに気がつく。
 耳にすんなりと滑りこんでくる鈴音に、不安でいっぱいの心がゆっくりと溶かされていくような気がして、フェイトは千影の手をやんわりと握り返した。
「名前が無いと困るね。えーっと……クロちゃんでいいかな?」
「うん、チカおねえちゃん!」
 フェイトが身につけている衣服からイメージした便宜上の名前だが、彼自身は嬉しそうに頷いて見せた。
 最初に見た時には確かに大人の気配、そしてその姿であったヒト。
 だが今は、小さくて可愛らしい幼子だ。千影は足元でそわそわとしているフェイトを見ながら、まるで自分に『弟』ができたような感覚がして、心の奥がくすぐったい気持ちになっていた。
「あれ、これなんだろ?」
「にゃ?」
 草むらからアスファルトの部分へと足を向けた所で、千影が何かに気がついた。
 フェイトもそれに続くようにして彼女の視線の先へと顔を動かし、そこでビクリと肩を震わせる。
 そこにあったものは先ほど落としたあの拘束具だった。一般的に見かける手錠とは形状が異るので、パッと見はそれが何であるか分からないだろう。
「クロちゃん、何か知ってるの?」
「……ううん、わかんにゃい。でも、大事なものな気がするにゃ」
 視界が呼びかける記憶の欠片。
 だがそれだけでは今のフェイトには届かない。
 俯くフェイトを見やりつつ、千影はそっとその拘束具を拾い上げて、草むらのほうへと置いた。その際、僅かに触れた指先に伝わる電気のほうな痺れに首を傾げたが、それ以上の思考は巡らなかった。
「じゃあ、ぐるっと歩こう」
「うん」
 二人は手を繋いだまま歩き出した。
 並木道となっているその通りをゆっくりと歩み、周囲を見回す。遠目に見えるショーウィンドウからは陳列された商品を照らすためのライトが煌々と光を放ち、キラキラと輝いて見える。
「キレイだにゃー」
「キラキラしてるね」
 いつも目にしているはずの光景だったが、見る角度が違えば新鮮さも違う。
 眠ることを知らぬかのような夜の街の灯りに少しのワクワクを抱きながら、千影もフェイトも歩みを進める。
 途中、チラシ配りのアルバイトに広告入りのティッシュを手渡された。その人物に「似てるね、姉弟? かわいいね」と声をかけられて、お互いを改めて見やる。
 髪も目の色も服の色も同じであった二人は、他人からはそう見えるのかと感じて小さく笑った。
「あ、そうだ。上からも見てみようか」
「にゃ?」
「えーっと、ここじゃ目立っちゃうから……あ、あそこからにしよう」
 千影はそう言いつつ、目についた細い路地へとフェイトを招いた。
 頭に「?」を浮かべたままでとてとてと歩くフェイトが路地に完全に見を滑らせるの待ってから、千影は彼を後ろから抱きかかえてふわりと宙に浮いた。
「にゃ、……にゃ!?」
 突然の行動に、フェイトがそんな声を上げる。
 見る間に地面から離れていく自分の体。それがどういうことか理解するのに少しの時間がかかる。
「チカおねえちゃん、お空飛べるのにゃ?」
「うん、そうだよ」
「凄いにゃ……凄いにゃー!!」
 フェイトが目を輝かせながらそう言った。そうしているうちにも、千影はどんどん上昇して高いビル群をするりと抜けていく。
「わぁ……キレイにゃ……!」
 眼下に広がる色とりどりの灯り。
 建物から吹き上げてくる風に頬をくすぐられながら、フェイトはとても楽しそうであった。
 腕の中ではしゃぐそんなフェイトを見やりつつ、千影は得意げな笑みを浮かべる。
 その、直後。
「!」
 ビクッ、と大きくフェイトの体が震えた。
「どうしたの?」
「おねえちゃん、ちょっとだけ下に行って欲しいにゃ」
「うん、わかったよ」
 フェイトは一点を見つめたまま、少し厳しい顔をしていた。
 そして千影に僅かな降下をお願いした後も、『それ』をずっと見ている。
「あれ? あの人……」
 そう言ったのは、千影だった。
 足元を歩く一人の男。それに見覚えがある。
「あ、さっきフラフラしながら走ってた人だ」
「にゃ……! あいつ、あいつを捕まえなくちゃいけない気がするにゃ……!!」
 フェイトはそう言いながら手足をバタつかせた。
 千影はそんな彼を落とさないようにしっかりと抱き込みつつ、眼下を歩く男をゆっくりと上空から追っていく。
「クロちゃん、どうする? あの人、悪い人なの?」
「わかんにゃいけど、けど……おれはあいつを捕まえなくちゃダメなのにゃ! チカおねえちゃん、おれをあいつの上で降ろして欲しいにゃ!」
「わかった。だけど、大丈夫?」
 男はよく見るとガラの悪そうな外見であった。
 チラ、チラ、と周囲を見やりつつ歩くその姿は、何か怪しい。そんな男にこの小さな子が適うのだろうかと、千影は素直に心配になったのだ。
「顔に飛び掛かってやるのにゃ! そしたらあいつもきっと降参するのにゃ!」
 フェイトは意気込みつつそう言った。
 千影はそんな様子の彼を見つつ、「無理しちゃダメだよ?」と繋げてから彼の体を宙に放ってやった。彼の言うとおりに、男の顔に飛びかかれるようにしてやったのだ。
「にゃー!!」
「……うわっ!?」
 フェイトは両腕を大きく広げながらそう叫んで男の頭に飛び込んでいく。
 頭上から現れたその影に男は大きく驚きながらも、次の瞬間には追手だと判断したのか手のひらに電気を走らせた。
「!」
 宙で様子をうかがっていた千影が、顔色を変える。
 先ほど感じた指先の痺れ。あれはあの男の能力によるものだったのかと判断して、彼女も降下する。
「クロちゃん!」
「にゃ、にゃーー!!」
 バチバチッと電磁波が弾ける音がした。
 あっさりと頭から引き剥がされたフェイトは、男の能力をまともに食らい、地面へと転がる。
 千影が小走りで腕を差し出しフェイトを抱きとめて、キッと男を睨みつけた。
「あなた、悪い子ね?」
「なんだぁ、あそこはガキも扱うのかよ!?」
 男は乱れた髪を片手で直しつつそう言った。千影の問いには答える気もないらしい。
「悪い子はおしおき、だよ?」
「なんだお嬢ちゃん、俺様と遊んで欲しいのかよ? バチバチって痺れるぜ?」
 ニヤニヤと汚い笑みを浮かべる男に、千影はわずか程も怯まなかった。それどころか睨みつける視線を強くさせる。
「チカ、主様とお友達を傷つける子は許さない」
 彼女はそう言って、右手に何かを持った。黒い杖だ。どこから出したのかは不明だが、彼女のアイテムであり、その杖は生命すら宿す存在である。
「な、なんだよコイツ……?」
 千影の様子に逆に怯んだのは男のほうであった。怪しく光る杖を見ながら、逃げ腰になる。
 その杖からどんな恐ろしい力が発せられるのだろうか。
 ――と、思考が及んだ先に。

 ゴンッ。

 そんな鈍い音が大きく響いた。
 言葉すら発する機会すら与えられず、男はその場に崩れ落ちる。
 どうやら千影のその杖が、男の頭部にクリーンヒットしたらしい。
 そもそも杖とは――とも思うが、今はその思考を巡らせる人物もおらず、答えもない。
「う……」
 左腕に抱え込んだままのフェイトが身動ぎをした。その後、体がビクリと震えたので、千影は黙って彼を足元に下ろす。そしてビルの壁を背にして座らせた後、彼は元の体に戻るための変容を始めていた。
「今日はここまで、かな。……またね、クロちゃん」
 千影は小さくそう呟いて、その場でポンと地を蹴った。
「――フェイト!」
 彼を呼ぶ声がする。
 その声に千影が肩越しに振り向いてみれば、フェイトと同じような服装をした一人の男性が駆けてくるのが見えた。
 彼はその場に倒れこんでいる能力者の男を確保した後、側で気を失っているフェイトへと駆け寄り、状態を確かめる。
 フェイトは数回の呼びかけのあと、意識を取り戻した。もうすっかり、元の姿に戻った状態であった。
「……あれ、俺……?」
「大丈夫か、フェイト」
 ふるり、と頭を振る。軽いめまいを感じながらも、フェイトは顔を上げて同僚に「大丈夫」と伝えた。
「え、あれ……あいつ、確保されてる……?」
「なんだよ、お前が捕まえたんだろ? 俺が来た時にはもう伸びてたぜ?」
「そう、なのか……ごめん、ちょっと記憶に無くて。誰かに会ってた気もするんだけど、夢だったのかな」
 自分が座り込むすぐ側に、あの男が拘束されて気を失っていた。頭に大きな腫れがあるようだが、フェイトには一切の記憶が無い。思考を巡らせても、自分の首元に蹴りを入れられた辺りの記憶しか思い出せずにいる。
 だが、微かに瞼の裏に残っている面影があった。それが誰なのかは全く解らなかったが、優しくしてもらった事だけはうっすらと憶えているような気がする。
「また、会える……かな」
 ぽつり、とそんな言葉が漏れた。
「フェイト、撤収するぞ」
「ああ、うん」
 同僚が促しの言葉を投げかけてくる。
 フェイトはそれに遅れること無く立ち上がり、衣服についた土埃を軽く払った。その際、ポケットの中に何かの違和感を得て、彼は黙って中を探った。
 取り出されたものは広告付きのティッシュだ。
「?」
 受け取った記憶のないものだったので、思わず首を傾げる。

 ――チリン。

 頭上で小さな鈴の音がした。
 フェイトは咄嗟に音の方向へと視線をやるが、そこには何もなく、ただネオンと喧騒が交じり合うだけ。
「…………」
 言葉なくそのポケットティッシュを同じ場所に仕舞いこんだフェイトは、仕事に戻るために歩みを再開させる。
 同僚と肩を並べて二言三言の会話を交わしつつ、彼はキラキラの宝石箱の中に姿を消した。

 ビルの屋上からそれを見ていた千影もまた、小さく笑って夜空に姿を消したのだった。

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