エージェント体験!

「んーんっんっー♪」

 ご機嫌混じりに鼻歌を鳴らし、何やら地面に置いて押し当てているような素振りを見せる白いチンチラ。
 耳用の穴が空いた赤系色のニット帽と同系色のマフラー。それに、前足を通した同じく赤系統の上着を羽織っている。

「でーきたぁっ!」

 満足気な声をあげて、短い前足でひょこっと持ち上げた一枚の応募用紙。
 そのチンチラこと〈大福〉ちゃんは、その裏面に貼られたお菓子のシールを見てきらきらとつぶらな瞳を輝かせた。

『お菓子のシールを集めて、キミもエージェントに☆ IO2で、ボクと握手!』

 いかにもなキャッチフレーズに魅せられ、そこに写真が載っている熊のぬいぐるみのようなマスコットキャラクター、『テツオ』に惹かれ、大福ちゃんは早速その応募資格をゲットすると、怒濤の勢いで応募に向かうのであった。

「んーんっんっーんんっー♪」

 どこで聞いたのかも定かではない懐かしいメロディーを口ずさみながら、ぴょこんぴょこんと身体を跳ねさせた大福。
 そのつぶらな真ん丸の瞳はキラキラと輝き、憧れの『テツオ』に会える日を祈っているのであった。

 投函したポストを見つめ、頭をゆっくりと左右に傾げて振る大福。耳が追いかけるようにへにゃりと曲がると、また逆側へ。
 目の前のポストの中に投げた手紙を、いつ『テツオ』が取りに来るのかとワクワクしていた大福ちゃんは、空腹になるまでずっとポストを見つめていたそうだ。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 ――俺の名はブラッディベアー。
 ニヒルな笑みとタバコの香りが似合う、ダンディーな男さ。

 BGMにはそうだな、スローテンポなジャズなんかが似合っちまう、そんな一匹狼さ。
 黒いスーツを颯爽と着こなす俺。当然、この鋭い眼光を隠す為の黒いサングラスは欠かせねぇ。素人には少々、俺の眼光は刺激が強すぎる……。

 今日はIO2の仕事で写真撮影なんてされている。
 ジャケット撮影をしたいなんて言い出すから、渋々ながら付き合ってやっているのさ。
 さっきからカメラのストロボが眩く俺の姿を照らしやがる。

 まったく、俺は裏の人間だ。
 そういうのはお断りだって言ったんだが、どうしても俺にしか似合うヤツがいねぇって言われちまってな。

 ……そこまで言われて引き下がるなんざ、男のすることじゃねぇのさ。

「はーい、哲夫さん、オッケーでーす」

「おいやめろ。俺はブラッディ――」

「――哲夫さんお疲れっしたぁ。いやー、良い感じッスよ、ジャケット」

「だから俺はブラッディ――」

「――哲夫、お疲れ。……おい、どうした? 何プルプル震えてんだ? 身体の中の綿と間違えてジェル状の何かと詰め間違えたのか?」

 ……俺の名は確かに『田中哲夫』だった。その名を恥じたこたぁねぇさ。
 だが今の俺はIO2のエージェント、ブラッディベアーだ。
 それ以上でもそれ以下でもねぇ。

 昔の名前に縋って生きるなんざ、俺の性に合わねぇのさ……。

「お、これ良いじゃん。ちょっとサングラスの下のつぶらな瞳も映ってるし」

「いいや、躍動感がねぇなぁ。そういう点じゃこっちの方が子供受けするんじゃないか?」

「まぁ子供向けのキャンペーンだしな、おたくらプロに任せるさ」

 俺の写真を見て何やら話し込んでいるみてぇだが、何を話しているのかまでは解らねぇ。

 表の世界に出ちまって良いものか、迷ったもんだ。だがああして笑顔でいる奴らの顔を見てると、それも悪くはなかったのかもしれねぇって、そう思えてきやがった。

「あ、哲夫。そういえばこのキャンペーン、お前担当だから」

「……フッ、与えられた任務は完璧にこなす。それが俺だぜ?」

「そうか、嫌がると思ったんだが……。いやぁ、良かった良かった」

 ――そう。
 俺はこの時、知らなかったのさ。
 まさか俺に与えられた任務が、あんな屈辱的なモンだなんて、な……。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 「……クソッ、何で俺が……っ!」

 その日、ブラッディベアーこと田中哲夫は悪態をつきながら歩いていた。
 理由は簡単だ。今日のキャンペーンに無理やり参加を決められ、あまつさえそれを引き受けた瞬間をしっかり録音されたからである。

『お菓子のシールを集めて、キミもエージェントに☆ IO2で、ボクと握手!』

 ビタン、とビラを投げつけて、哲夫はぜぇぜぇと言いながら肩を上下させる。

(……俺はどこぞの遊園地の着ぐるみヒーローじゃねぇんだぞ……ッ! クソッ、あの野郎! 何がIO2のイメージアップだ、バーカバーカ! 握手なんて冗談じゃねぇッ!)

 ブラッディベアーこと田中哲夫は、決して先程のようなニヒルな性格はしていない。
 簡単に言うならば、あれはブラッディベアーである自分に酔い痴れるあまりに演じていた、いわゆる思春期特有の二大病の一つだ。
 恋じゃない方の、黒い思い出になりやすいアレである。

 よりにもよって自分の名前――『テツオ』と名付けられたマスコットキャラクターとして使われ、ジャケットの撮影がまさかのヒーロー役だなんて。
 そんな哲夫の葛藤を他所に周囲の人々は「熊さんが歩いてる!」だの何だのと騒いでいるのだが、とうの本人である哲夫の苦悩を前にそんな声は届いていない。

「テツオー! テツオーー!」

「あん? なん――へぶッ!」

 約束の場所に姿を現したのは大福だ。
 支給品という名目によって渡された、黒いスーツにサングラス。
 体当たりしてきた小さな何者かに目を向けた哲夫は、サングラス越しのつぶらな瞳を瞠目しつつ見開き――は出来なかったが、丸くした。

(……おいおい、こんなファンシーな見た目にスーツとサングラスじゃ泣いちまうぜ)

 自分のことをすっかりと棚に上げた哲夫は、およそ体高1メートルにも満たないその身体で受け止めた大福ちゃんに向かってそんな印象を抱いていた。

(……か、可愛いじゃねぇか、オイ)

 久しぶりに見た自分よりも小さな存在に、かつての弟の姿を思い出しながら哲夫が心の中で呟いた。

「テツオー、もふもふー」

「参加者の大福……ちゃんだね? 良いかい? 俺の名はブラッディ――」

「――テツオー、テッツオー♪」

「……んんっ、良いかい大福ちゃーー」

「――んーんっんっーテッツォー♪」

(……ダ、ダメだ、コイツ……ッ! 話を聞かないとかそういう次元じゃねぇ……ッ! っていうか最期の鼻歌と俺の名前の融合、何!? イタリアンな感じで人の名前改名しやがって……ッ)

 ――田中哲夫と大福ちゃんの邂逅は、こうして混乱を伴って訪れたのであった。

「さて、大福ちゃん。今日はキミに、IO2のエージェントとして振る舞ってもらう。
 そもそも我々IO2とは、人々の干渉出来ない範囲で起こる怪異を討ち滅ぼしたり、またはそういった怪異にならぬように霊体に対して何かを協力したりと様々だ。そもそも――」

「テツオー、話長いー」

「……まずはビラ配りすっか」

「はーい♪」

 二人――二匹。いや、正確に言えば一匹と一体であるのだが、この際便宜上は二人で良いだろう。
 二人は今、大手のショッピングモールへとやって来ていた。

「マッチはいらんかえー?」

「……おいおい大福ちゃん大福ちゃん、それマッチとは違ぇなぁ」

「……? 赤ずきん被ってマッチを手渡す?」

「入り乱れた絵本の世界からカムバックだぞ、大福ちゃん」

 絵本を教材に様々な事柄を学ぶ大福ちゃん――1歳。ビラ配りと言われて一番最初に思い出したのがマッチ売りの少女であった。
 対するブラッディベア(自称)の哲夫は、先程から子供に取り付かれ、自由に身動きも出来ずにいた。
 それでも、そんな二人の見た目にくすくすと笑った大人達がビラを受け取ってくれるおかげか、大福ちゃんが配っていたビラは気が付けば残りもわずかになりつつある。

 その頑張りが功を奏したのは、そんな矢先であった。

「あぁ、アンタ達かい!? IO2のエージェントは!」

 慌ててやって来たのは一人の壮年の女性だ。
 惣菜売り場で働いている女性はエプロン姿だ。頭に頭巾をつけたまま何やら慌てた様子で大福ちゃんと子供に囲まれた哲夫のもとへとやって来た。

「ちょっと、助けとくれよ。惣菜売り場で子供の幽霊が出て来てねぇ。勝手に食べ物食い散らかしちまってるのさ!」

「なにッ、事件だなッ! 大福ちゃん、俺がIO2エージェントとしてのカッコ良さを……――おいやめろお! 誰だ、俺の尻尾掴んでんの! そこ縫い目が弱ぇんだぞッ!」

 子供に囲まれたブラッディベア(哀愁)の叫び声が響き渡る。
 そんな哲夫を放ったまま、大福ちゃんはすっかり乗り気な様子で女性について惣菜コーナーへと向かって行くのであった。

 惣菜コーナーには人集りが生まれ、文字通りに混乱していた。
 半幽体の餓死した少年が惣菜のパックを開けて食べ物を一心不乱に食べている。

 霊体というのは念の強さによってその強さが変わる。
 とりわけ、餓死というのは三大欲求に直接通じるせいか、その思念が強い。近付いて制止しようものなら、次々に人々が吹き飛ばされてしまい、文字通りに手も足も出ないのであった。

「すんすんすん……匂いがするね」

 まるで歌うような口調で、大福ちゃんが姿を現した。
 その言葉に餓死した少年の霊が大福ちゃんへと振り返り、固まった。

「すんすんすん……でもちょっと、いやなニオい」

 鼻先をヒクヒクと動かしながら、大福ちゃんが再び口を開いた。

「……あんまり美味しくない臭が、するね……?」

 ――ぞわり、とその場にいた誰もの身の毛をよだつ。
 可愛らしい見た目から感じられた、明らかに異質な気配。血を抜かれたかのようにサァッと身体からは熱が失われ、勘の良い数名はその場に腰を抜かして座り込んだ。

 前世の残根とでも言うべきか。
 大福ちゃんの放ったその空気は餓死した少年の身体すら強張らせ、少年は逃げるように消え去ってしまうのであった。

 その姿を子供達にもふもふされながら見つめていた哲夫は、大福ちゃんが何者なのかとサングラス越しに目を光らせる。
 そして近くの子供にサングラスを取られ、つぶらな瞳を顕にしたのであった。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

「ん……、今の夢……?」

 ぱちり、と瞼を押し上げた大福が目を覚ます。
 なんだかとても楽しい夢を見たような、そんな気がした。

「んーんっんっー♪ テッツォはつっぶらっなおっめっめー♪」

 夢の中で見かけたあの熊のぬいぐるみ然とした、テツオという存在。
 そんな彼と、またどこかで会えたら良いな。
 そんなことを思いながら、大福は鼻歌に歌詞をつけて歌っていた。

 ――――一方、哲夫はと言えば。

「……フッ、そりゃあ夢に決まってらぁ。俺みてぇなニヒルな男が、チャイルドな連中に好かれるはずがねぇ……」

 夢から目覚めたブラッディベア(強調)は呟いた。
 しかしそんな言葉を口にしながらも、「イタリアンなテッツォってのは嫌いじゃねぇな」などとまんざらではない様子で夢の感想を口にしていたのであった。

 ――彼らの物語が交錯するのは、そう遠い未来ではないのかもしれない。

 FIN

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

ご依頼有難うございます、白神です。

今回はギャグ要素を込めた夢オチっぽい流れだったので、
ブラッディベアさんにはハッスルして頂きました(?)

大福、ちゃん。
やはり地の文でも「ちゃん付け」は必須かな、と思い、
夢の部分でのみ「ちゃん付け」という形にさせて頂きました。

お楽しみ頂ければ幸いです。

それでは、今後とも宜しくお願いいたします。

白神 怜司

カテゴリー: 02フェイト, 番外編(白神WR), 白神怜司WR(フェイト編) |

テロリストの休暇の潰し方

何か、物凄く意外な事があったような顔をした少々人目を引く風体の少女が、月刊アトラス編集部室の前でドアの枠に右手を掛けて――そちらに体重を掛けるようにしてゆらりと立っていた。
 歳の頃は中学程度、黒髪はショートで、金と白のオッドアイに、トライバル系の文様が左頬と右腿辺りに見える。タンクトップにホットパンツの上にサイズが大きめな派手な色のレインパーカー。ドア枠に手を掛け佇むやや崩れた感じの仕草。…一見して、少し何かが不自然な――引っ掛かりを覚えた気がした。直後、袖に包まれている筈の少女のその左腕が丸々無いらしいと気付く。そしてオッドアイと言う訳ではなく左目が白いのは失明している為だと言う事にもやや遅れて気付いた。…左の瞳が全く動いていない。
 あまりにも堂々としているので却って気付くのに遅れる。
 と、部屋の中の者――偶然入口近くの休憩用スペースに居たアジア系の美丈夫にして実は仙人だったりする鬼・湖藍灰とその弟子にしてアトラスで書いてるライターでもあったりする空五倍子唯継――が気付いたのに気付いたか、少女の方でもドア枠から手を離してそちらを向いていた。
「…まさか俺みたいなのがこんなに簡単に入って来れるもんだとァ思わなかったんだがね?」
 今現在、少女が居るのは既に白王社ビル内、月刊アトラス編集部室前。
 わざと中の者に聞かせるようにしてぼやきつつ、少女――速水凛はそこに居た。
 凛の姿を認めるなり、湖藍灰は、げ、と声を上げつつ、手近にあったB4の封筒で顔を隠すような――でも目から上だけは隠さずに凛の様子を確認しているようなわざとらしい仕草を見せている。…知り合いらしい。
「…なんで俺ここに居るの凛ちゃんにまでバレてんの?」
「あー…つか居たんだな、湖の旦那。いや、別に旦那探しに来た訳じゃないから気にしない気にしない」
「そなの? …んじゃ凛ちゃん何でここ来たの??」
「やー、最近の『ウチ』の状況は旦那ならよく知ってるよね。ひょっとするとそっちの兄さんも気付いてんじゃないかな」
 と、凛は湖藍灰に空五倍子を続けて見る。
 いきなり振られた空五倍子は目を瞬かせた。
「俺?」
「そう。察するに兄さん旦那の弟子か何かだろ? で、旦那…湖藍灰さ、最近あんたんトコよく居るんじゃねぇ? つー事はだ、今の俺たち結構暇なんだよ、要するに」
「…て、つまりどういう?」
「最近虚無の境界動いてないと思わない?」
「…はい?」
「特に血の気の多い実働部隊は相当腐ってる感じでさァ…エヴァ姐さんなんかそろそろ限界かなぁって感じなんだよね?」
「…ひょっとして…アナタ虚無の境界の方?」
「ん、おう、一応な」
 あっさり凛は受け答え。
 と、湖藍灰がおーい、と呑気な制止の声を上げている。
「…いやあのそーゆー話ここでするの止めない? アトラスの愉快な仲間たちが取材に殺到しちゃうよ?」
「望むところだ。…つーかな、来た理由それなんだよ。エヴァ姐さんに頼まれちゃってさあ。最近仕事無くて暴れ足りないからいっちょ思いっきり戦り合いたいとか何とかで、ここだったら付き合ってくれる奴居ないかなぁって来ただけなんだけど」
「…それでよりにもよってここに来るってどーなのかなー…」
 月刊アトラス編集部と虚無の境界とは基本的にあまり宜しい関係ではない。と言うか有態に言って敵対と言った方が近い。…湖藍灰個人についてはあくまでプライベート、空五倍子と言う養子のような弟子のような相手がここでライターをしている事も多いので何となく居付いているような…あくまで特殊な例外になる。
 …そんなところに来て、ここだったら付き合ってくれる奴居ないかな、と言うのはどうなんだ。
 アトラス側の誰からともなく暗黙の内にそう思っていると、察したように凛はにやりと笑って見せている。
「…あー、つまりな? 軽い手合わせっつーか模擬戦、なんて野暮な事は言わねぇさ。直球で殺し合いで良いってよ。…どうせ自分が負ける訳はないからってね。エヴァ姐さん曰く「本気でわたしを殺したい奴」が来てくれても全然構わないってさ。ただ、思いっきり戦りたいんだってよ」
 それだけ。
 俺はただのメッセンジャー。
 文句があるなら行った先で直接本人に言ってくれ。…つか、誰か来るよな? 場所も別にそっちで指定してくれていいし。その方がそっちでもまず安心だろ? …ああ、もしそれで罠掛けてIO2に通報、とかそういう手を使われても多分こっちは全然へーきだから。…今エヴァ姐さんそーとー溜まってる感じだからな、そんな事されたら単に死体が増えるだけになると思うぜ。
「…まぁ、そんな訳なんだけどな。我こそはって奴が居たらいつでも俺に言ってくれ。ちゃあんと責任持って伝えるからよ?」

■ここってアトラスの――怪奇雑誌の編集部だった筈だよね。

 そして、碇麗香女王様もとい編集長は心当たりの関連各調査機関――念の為IO2除く――にあちこち連絡をしてみていたのだが。
 気が付いた時には、そんな麗香のデスクのすぐ前に、金髪青瞳の王子様――もとい、王子様気質のイタリア人が赤い薔薇一輪を何故か麗香に向けて捧げるようにして持っていた。更には薔薇を持たない方の手を感極まったように胸に当て、ああ、と感嘆の声を漏らしている。

 麗香、何事かと電話の受話器を耳に当てたまま一時停止。

 それでも突然その場に居た王子様(仮)は止まらない。
「…ああ、なんて美しいひとなのだろう。あなたの仕事をしている姿は凛々しく美しい。ただ美しいとしか言えないボクの語彙の無さが恨めしい! 美しいあなたのその邪魔をしてしまう事になるのはとても不本意なのだけれど…ボクはそれでもあなたの名を知りたい! そう、あなたの美しさに見惚れるしかない憐れなこのボクの名はバルトロメオ・バルセロナ! どうか寛大なる慈悲を以ってこのボクにあなたの名を聞かせてはくれないだろうか?」
 と、そこまで唐突かつ情熱的に畳み込まれて、麗香は受話機を耳に当てたまま無言で下方に――二人の間にあるデスクの天板上、バルトロメオのすぐ前に当たる場所を取り敢えず指差す。
 そこには名札が置かれていた。『月刊アトラス編集長・碇 麗香』…。
 バルトロメオは、おお、とばかりに大袈裟に驚いてみせ、これは気付かなかった、と改めてその名札を見直す。

 …。

 …読めない。
 日本人の名前は難しい。
「…ああ、もう最終日だと言うのに、ボクはまだ日本での研修が足りていないようだね! でもそれも都合が良かったのかもしれない。あなたの口から直にその名を教えて貰う機会が得られるんだから!」
 何やらキラキラとしたお花を背景に背負って、バルトロメオは再び麗香を見て目を輝かせている。
 麗香の方はと言うと――何やら勢いに圧倒されてどう反応したものやら良くわからなくなってしまっている。

 いや、褒めちぎられてる――口説かれているらしいのはわからなくもないのだが、何にしてもいきなりの事だったので。

 バルトロメオ・バルセロナ。何者かと思えば、歴史を辿ればイタリア貴族の流れを汲むと言うバルセロナ家の子息であり――誇り高きイタリアIO2のエージェントだとか何とか当然のように名乗られた。曰く、日本には研修として訪れていて、今日はその最終日なのだと言う。…それでこの東京の怪奇系関連各所を巡っているのだとか何とか。
 が、本人の様子を見る限りはいったい何を研修していたのやらわかったものではない。…女の子の口説き方だろうか。そんな事ならここ日本より彼自身の祖国の方が余程心得ていそうだが――まぁ、そのくらい日本での研修とやらから脱線しており、彼はそれでも許されていた――と言う事だろう。
 許されていた理由は「特権で」か「諦められていて」か。どちらの理由かによってこのバルトロメオと言うIO2エージェントの『格』も違って来るのだろうが――どうやらそもそも彼の所属するイタリアIO2自体が本部のアメリカやら大きな支部のある日本と比べると、派出所的な扱いになってしまっている小さな小さな支部、と言う事になるらしい。その時点でどっちでもいいやと名目だけの研修をさせられていた可能性は否定出来ない――とは言えバルトロメオ本人はそんな事を気にしたりはしない。むしろ美しい女性を口説ける時間が持てる時点で好都合と前向きに考えられるくらい。…何と言うか、大らかで開放的な国民性だからそれで済んでいる、と言う事もあるのかもしれない。
 が、それでも目下イギリスIO2にだけは負けたくない! とか何とか、聞いてもいないのに一人語り続けているバルトロメオ。…どういう訳かイギリスIO2に対してだけは、何か、余程の屈託があるらしい。

 と。

 そんな話が一段落着いたところで――バルトロメオ以外のその場に居合わせていたアトラスの面子は誰からともなく顔を見合わせた。…IO2。それは今日の場合、何となく連絡を避けていた組織、でもある。
 何と言っても事の相手が虚無の境界なので――虚無構成員もメッセンジャーとして直に来てるので。しかも話を持って来たメッセンジャーとアトラスのライター…とその師匠こと湖藍灰(一応虚無関係者らしい)とのグダグダなやり取りも一同としては目の当たりにしていたところである。そして何より――今回の話は虚無の境界の本道であるテロ活動とはどうも関係無さそうな気配しかしない。
 …そんなこんなでアトラス側の面子では正直どう扱ったらいいのか反応に困っていたのだが――ここでIO2など出て来てはその名前だけでも話の流れが物騒な方向で完全に固まってしまいそうではないか? と、そんな懸念も浮かんでしまう。

 が。

 バルトロメオと言うこの人物個人を見る限りは――むしろグダグダやってるメッセンジャーらと同様、微妙に扱いに困るような――同時に、余程の下手を打たない限りは物騒な方向で話が固まる事も無さそうな人物像でもあり。
 まぁ、あくまで第一印象での話だが――その印象通りと見て然程間違っている気がしない。

 なら、むしろちょうどいいか、と編集長は結構あっさり頷いた。

「? どうしたんだいレイカ? 何かボクがあなたにしてあげられる事でも?」
「ええ。実はね――」

 ――虚無の境界製・最新型霊鬼兵であるエヴァ・ペルマネントからの、暇潰し――憂さ晴らしの為の戦闘依頼。

 今、アトラスにそんな話が舞い込んでいる事を聞かされたバルトロメオは、それはそれは、と目を丸くして大袈裟に驚いて見せる。
「…どうかしら?」
 日本での研修の最後の仕上げに、エヴァと手合わせして来るのも悪くないと思うんだけど。
 麗香のそんな話を受け、バルトロメオは暫し思案。やがて――そうだね、イイ土産話になるかもしれないね? と麗香に片目を瞑って見せた。
「了解した。このバルトロメオがその依頼にお付き合いする事にしよう」
 美しいあなたの為だ――何を厭う事があるだろう! バルトロメオはまたもや情熱的に言い切り、麗香に特上の笑顔を向ける。

 と。

 麗香とバルトロメオのその間の空間、横合いから首を突っ込んでそのキラキラした笑顔をまじまじと覗き込んでいた別の人物がいきなり居た。民族系の服を纏った、何処か中性的な印象の人物。…先程、唐突にバルトロメオの方が編集長を口説き倒していた時――に匹敵する唐突さでその人物はそこに居る。こちらは金髪青瞳では無く黒髪緑瞳で、恐らくはバルトロメオより五歳前後若いだろう年頃。…但し、性別や人種がいまいちはっきりしないので、歳の頃もはっきりは言い切れない。
 そんな人物が――何やらバルトロメオの様子を興味津々で覗き込んでいる。

「…これが伊達男とか言う奴か。中々見ないぞ特に怪奇雑誌の編集部などではな。…いやこういった存在が居る事自体が日本ではある意味怪奇とも言えるのか。日本では確かにここまでわかりやすく思い切ったイイ笑顔の伊達男は中々見掛けんしな…さすがイタリアIO2と言ったところか。イタリアのIO2では女を口説くのが仕事なのか。…それは確かに女は魔物だとも言うな。ともすればIO2の管轄でもあるのかもしれん。うん」
「おや。そういうあなたも女の子だとお見受けするけど? なら、ボクの管轄だと思っていいのかな?」
「…ふむ。私はあなたでは無くラン・ファーと言う。世界に数多居るだろう面白いモノどもとの良き出会いを求める為に今日は久々に月刊アトラス編集部を訪れてみたのだが…一目で私の性別を女と見分けるとはさすがだな伊達男。だが私は伊達男の管轄では無い。私は人様の管轄に含まれる程小さな存在では無いのだ! 寧ろ私が管轄を設定する方だ! 私の管轄は私が決める。私の管轄は面白い人物に出会える状況全てだ。…いや、ならばこの伊達男こそが私の管轄下の存在か」
「おや。断られてしまったかと思ったのに、良き出会いを求めるなんて…逆にボクを口説いて来るのかい、ラン? 積極的なお嬢さんだね、そんなあなたもまた素敵だ。ボクの思いも付かない事をたくさんしてくれる!」
「? 私がいつ何を断った。…「私が伊達男の管轄では無い。伊達男が私の管轄だ」と訂正を入れただけだろう。私はただ良き出会いを求めているだけだぞ? 口説くも何もあるまい。どんな功徳が積めると言うのだ。仏教徒かイタリアIO2の伊達男。それは随分イメージと違う気がするぞ?」
「…。…ああ、やはりボクはまだ日本での研修が足りていないよ! あなたはきっとボクの事を褒めちぎっているのだろうけれど、残念な事にその言葉の意味がわからない! どうか教えておくれお嬢さん。知的なあなたのその声をもっともっと聞かせておくれよ!」
「…なんだ、私の声がもっと聞きたいのか。ならばもっと聞かせてやろう。さて何を聞かせるか――ひとまず歌うのは雑草蔓延る今の時期色々面倒になりかねん気がするから止めておこう。知的と言うのは全くその通りだが…仏教徒とは伊達男にとっては褒め言葉になるのか。寡聞にして知らなかった。覚えておこう」

 …。

 どういう訳か初対面でいきなりそこまで会話が弾む(?)。このラン・ファーと名乗った人物とバルトロメオ、ベクトルが違えどある意味では似た者同士と言う奴かもしれない。…他人の話を聞かないいや聞き入れないだけで聞く事は聞いており、自分の都合の良いようにうどんどん解釈して好き放題発展させていく、と言うところが。
 そして、ツッコミ不在のまま二人の噛み合っていない謎の会話がひたすら続いていたかと思ったら――。

「――…ところで仏教徒な伊達男は何やら日本での研修が足りていないとの事だが。…それでエヴァ・ペルマネントとやらの憂さ晴らしに付き合って戦闘か」

 唐突にずばり核心を衝いて来るラン。かと思うと、ランはちらりと編集部室の入り口近く――休憩スペースに視線を向ける。そこには空五倍子やら凛やらと元々複数の人物が居はしたのだが、ひとまずランが目を止めたのは超絶美形のアジア系こと鬼・湖藍灰。
 何故なら、ランにしてみればこの男、虚無の境界の名と繋がる件で少々見覚えがあったので。
「…虚無の境界と言う事は話を持って来たのはそこのやたらと美形なアジア系か? 私の記憶が確かなら虚無の構成員だった気がしているんだが――の割にはこの場に物凄く馴染んでいる気もするがアトラスは虚無の境界と和解したのか? いやその割には編集長は陽気な伊達男のイタリアIO2とも普通に仲が良いな。ここは中立地帯か? それともそっちの超絶美形は虚無は辞めたのか? 辞めた方が賢明だぞあんな根暗な組織」
 視線を向けた先こと明らかに湖藍灰に向け、当然のようにそこまで続けるラン。その時点で――だああちょっと待ったあっ!! と目に見えて慌てる超絶美形こと湖藍灰。
 テーブルの天板を叩くようにして慌てて立ち上がり、取り敢えず「話を持って来た」事は否認。
「俺じゃない俺じゃない俺じゃないって! 今日の話持って来たの凛ちゃんだからっ!」
「…つーか虚無虚無言われるのはどうでもいいのな、湖の旦那」
「…いや、それ以前にそこの御二人さん――バルトロメオさんにランさんですか?――の噛み合ってない会話に突っ込みどころが多過ぎる気がするんですが編集長ですらガン無視ですか…」
「あぁ、こういうのは色々キリがないから放っといた方が良いのよ。貴方も湖藍灰で慣れてるでしょうに」
「…。…それもそうですね」
 言われ、空五倍子はあっさり納得。したところで――ランが湖藍灰に振った事で一同の視線が向いたからか、バルトロメオもまた休憩スペースに意識を向けていた。
 …と言うか、バルトロメオの方でも休憩スペース付近に居た「少女」――凛の存在に今更ながら気付いたらしい。…この凛、結構目立つ人物である筈なのだが。
 そしていつの間に移動していたのか、編集長とランの前に居た筈のバルトロメオは――今度は凛の前へ。
「ああ、このボクの不覚を許して欲しい! こんなに魅力的なお嬢さんが居たのに見逃して素通りしてしまったとは…ここアトラスにはどれだけ麗しい花が多いのか! ここ東京の怪奇に明るい民間機関は素晴らしい!」
「…。…その前に。てめぇイタリアIO2、っつって無かったか?」
 よりにもよってIO2が虚無の境界のメッセンジャー口説きに掛かるってどうなんだ。え?
「…ああ、ああ! その通りだ! 何と言う運命だろう! ならばボクはあなたをこの手で捕まえる事に尽力すべきなのだろうか! ああ、なんて悲しい事か――」
「…いや、もうどうでもいいや」
 律儀にも一応まともに突っ込んでみた凛は――ある意味予想通りの意味不明な返答にうんざりと天井を仰ぐ。バルトロメオのお花畑な口説き文句にまともに付き合っていたら日が暮れる。と言うかそもそも自分に会った程度でこれならエヴァに会ったらどうなる事やら、と言う気もしたが、その辺まで自分が考えておく義理も無いか、とあっさり投げる事にした。
 と。
 その休憩スペースのすぐ側、編集部室の入口に新たな影が差すのに凛は気付く。神聖都学園の制服を着た小柄な女子学生。姫カットの長い黒髪をそのまま靡かせ、小さな金の蛇の首飾りを下げている――アンティークショップ・ラン経由で話を聞いてここに来た石神アリス。
 凛と目が合い、その時点でアリスは今回の関係者かと卒無く会釈――は、したのだが。

「…」

 その後にアリスが目の当たりにした現在のアトラス編集部内の状況。典型的、と言うかイメージ先行ステレオタイプなイタリア人伊達男にしか見えない陽気な謎の青年と、その伊達男に迫られているようだがほぼ無視でこちらの存在に気付いていた左腕の無い――その割に何だかオーラが派手なネコ科の獣めいた、滴り落ちそうな闇色を纏っている、たった今自分が会釈をした相手。そのすぐ側、編集部室の休憩スペースに陣取っているのはやけに美形なアジア系の青年に、ライターであるらしく原稿を前にしている青年の二人。それから、何やら話に来ていたと思しき様子でそれらの状況の側に居るアトラス編集長・碇麗香。

 そして――ラン・ファー。

 …アリスにしてみれば、なんか何処かで見た顔が、とそれだけで微妙にぐったりと疲れてしまう相手である。そんなランの顔まで、何故かちゃっかりと当然のようにそこにあった。

「…何だか模擬戦闘でも何でも無くなりそうな気が」
 下調べして来た場所についても無駄に…。

 アトラスに着いて早々、アリスは俄かに途方に暮れる。…ランが居る時点で色々と予定は狂うのが目に見えている。その上に――何だろうこの伊達男。何と言うか、今見た時点でもう――アリスの知るランに匹敵するエアブレイカー振りを発揮していそうな気が。
 頭痛を堪えるようにしてアリスは思わずこめかみを揉む。と、なんや落ち込んどるんかー、と聞き覚えのある声がアリスの背後から聞こえて来た。かと思うと、ぽむ、と宥めるようにして肩に手が置かれる。続いてひょっこりその肩口から顔を覗かせて来たのは、ふんわりした金髪に赤いカチューシャ、白衣を羽織り、眼鏡を掛けた少女――ぱっと見アリスと同年代に見えるが、公称二十一歳のセレシュ・ウィーラー。
「…ああ、セレシュさん」
「おー。アリスさんも多分うちと同じ件で来たんやね。宜しゅうなー」
 と、にっこり笑ってアリスを見、セレシュは改めて編集部室内を見る。
「にしても何や賑やかになっとるなぁ」
「…そうですね。セレシュさんは…どう思います?」
 アレを見て。
「んー、楽しそでえぇんやないの? …あんま深刻にならへん方がうちとしても都合ええし」
「そうなんですか?」
「ああ、そや。憂さ晴らしの暇潰し――て話やろ。フツーに戦うちゅうより、うち、ちぃと提案あってなぁ」
 と。
 セレシュがそうアリスに返したところで――二人の前に不意に背の高い影が差す。差したかと思うとその影はまた、ああ、と大袈裟に感嘆。それから二人と目線を合わせるように上体を屈めて、片目を瞑って見せる。
 初めましてシニョリーネ! ボクはバルトロメオ・バルセロナ! ああ、レイカやランに彼女のみならず、こんな可愛らしい方たちとも同席出来るなんて今日のボクはなんて幸運なんだろう――…

 …――何と言うか、女性と見れば手当たり次第なバルトロメオのこの行動は、本当にキリがない。

■状況調整。

「…へぇ。悪くないんじゃねぇの」

 アリス同様アンティークショップ・レンから話が回ってここに来たセレシュの提案。警備用ゴーレム試作品の実戦データを取りたいから、それと戦ってはくれないか、との話。エヴァだけでも良いし他のメンバーが参加してくれても構わない。戦うゴーレム自体は壊しても構わない――この、壊しても構わない、と言う辺りが八つ当たりには向きじゃないか、と凛は判断したらしい。
「つっても、エヴァ姐さんがどう思うかってのもあるがな――あんまり弱ぇと駄目かも」
「いやいやいや、セレシュと言ったな、中々面白そうな提案だと思うぞ? 要はそのゴーレムとやらでモグラ叩きをすれば良いのだろう。…そう、暴れ足りないのなら何も物騒な事を言い出さずとも健康的にスポーツをすればよい! それでも力が有り余っているのなら解体予定のビルを美しく解体し、それを利用して新しく建てるのもいいだろう。何なら私の別荘にしてやってもいいぞ!」
 びし、と材質不明の扇子を何処へとも無く指し示しつつ、ランは意気揚々と言ってのける。
 と、でしたらこちらはどうでしょう、とすかさずアリスが一枚の紙を指し出した。地図。幾つか印が付けられているその中の一点を指し示し、自分の携帯電話からもその場所の情報を呼び出し提示する。…最早ランの軌道が読めない発言には動じていない。…と言うか、ラン相手の場合はいちいち下手に突っ込まない方が話を進めるに当たって楽であると認識している。…そろそろ慣れた、と言うか諦めもついた。
「解体予定のビル、となるとこことここに最適と思われる物件がありますが」
「おお、用意が良いな石神アリス」
「…エヴァさんと戦う場所も選定しておいた方が良い、と思って下調べをしておいただけですよ」
「うむ。それでもさすがと言うものだ」
「ちゅうか何で廃材で別荘やねん。どんな前衛芸術作る気なん」
「…面白そうだとは思わんか?」
「んー、否定はせえへんけど色々難しそうやない? 権利関係とか」
「そういう事ならボクに任せてよ! 別荘の一つや二つの権利くらい、あなたたちの為ならどうにでもして見せよう!」
「本当か! それは素晴らしい。では場所は…見たところこちらのビルの方が壊し甲斐がありそうだな。うむ、ここが良いだろう!」
「…バルトロメオさんに任せてそれでホンマにどうにかなるもんなんやろか。…まぁ細かい事はどうでもええか。じゃあ、うちはゴーレムの用意して来るわ。…直接現地行った方がええやろ?」
 …うちのゴーレムぎょうさんここ連れて来てもアレやろし。とセレシュ。肩を竦めてそう残すと、言葉通りにアトラス編集部室から出て行く――出て行こうとする。

 話が纏まったと見たところで、凛は何やら器用に右手だけで携帯電話を取り出し何処ぞヘ連絡を入れていた。恐らくはエヴァの元――どうやら程無く繋がったようで、何やら話している。
 暫くそうしていたかと思うと、凛は携帯電話を耳に当てたままアトラスの――エヴァの依頼に乗る事を前提として話していた面子をそれとなく見渡した。
 そのままで、送話口を押さえる事も無く――その場の皆に向けて話し出す。
「…エヴァ姐さん、何かもう始めちゃってるんだと」
 つー訳で、こっちで纏まった話も姐さんの方に伝えとくが――その場所まで行くのちぃっと遅れるかもしれねぇとか何とか。
 あと、姐さんらが今現在居る場所も一応こっちに教えとくとさ。

 …あー、なんか、工事途中で放置されてるっぽいショッピングモールって話で――ってうわ今凄え音したけど? いやまぁ姐さんがどうこうなったとは思わねぇけど――は? へいへい。切りますよ。…いっくら飛ばしのったってケータイ壊されちゃ後が面倒だ。じゃ、後は御当地で。
 切。

 通話を終えるなり、凛は小さく肩を竦める。

「聞こえたな? まぁこっちは場所も手段も纏まった話通りにして良いっつー事らしいが、何か向こうも向こうで先に始めちまってるらしいから、その辺覚悟して合流してくれや」
 ちぃっと予定は狂っちまうだろうが、まぁ、細かい事は気にすんな。大した問題じゃねぇ。

 宜しく頼むぜ、皆さんよ。

■調整完了、戦闘開始。

 石神アリスが提案し、ラン・ファーが独断で選んで決めた戦闘場所こと解体予定のビル。

 エヴァ・ペルマネントの憂さ晴らし。…その依頼を引き受けてアトラスに居た面子がそこに来た時には――どうやら既にしてエヴァと何者か――黒毛の狼男こと道元ガンジ――は戦っているようだった。ビルの階下に入っただけで、階上からと思しき凄まじい破壊音や吼える声が時々聞こえる。殆ど吹き抜けに近い形になっているところから、それらしい姿が見える時まである。…そして考えてみれば――ここに到着する途中の道で、何やら妙に緊急車両のサイレンが喧しかったところもある。
 先程、速水凛が電話で話していた内容と合わせて考えるに、どうやら彼ら二人が元居た場所――工事途中で放棄されたと思しきショッピングモールからここまで、何だかんだで戦いながら移動して来たと言う事になるらしい。

「…あぁ、それでその辺緊急車両とか出てたんやな…」
 うちのゴーレムがその辺の一般人に見付かったんかと思てちょっと焦ったわ。
 はぁ、と安堵の溜息を吐くセレシュ・ウィーラー。…いや、安堵している場合でもないのだが。そもそもそれで既にこの場所が警察だの消防だのと言った治安絡みの公共機関に目を付けられていたら色々問題が。
「…ひとまずその心配はなさそうですが…」
 携帯を弄りつつぽつりとアリス。…一応、今のところは近隣の緊急車両の出動はそれぞれ個別の案件――建物が突然壊れただの車の横転事故で火が出ただので騒いでいるだけ、のようであると裏表両面の伝手から調べは付いた。…原因がエヴァとガンジであっても、ひとまずその原因までが表沙汰になっているようでは無い。ついでに、この解体予定のビルについては――それら公共機関の方ではまだ触れられてもいない。…ただの幸運か、こう見えてエヴァとガンジも考えて行動していたのかは不明だが。
「ならええんやけど」
「にしても。何処から手を出したら良いのでしょう、これ」
「んー、確かにあれに割って入るのは至難やろなぁ…ここからゴーレム仕掛けたるか」
「それもアリだろうが先程メッセンジャーがしていたように普通に電話で呼んで貰えばいいのではないか? こちらが指定した場所に来てくれたと言う事はああ見えても聞く耳はあるんだろうに」
 それとも――。
 と、ランはそこで切ったかと思うと暫し上方の異音を窺う。エヴァとガンジが戦っていると思しき地点。時折見える姿の位置からも鑑み――おもむろにその下方に向かうと、結構重要な支柱と思しき辺りをとりゃっとばかりに勢い付けてブッ叩く。…いつも所持している材質不明でやたらと重くて頑丈な扇子で。
 叩いた途端、その支柱からめきりと不吉な音が。したかと思ったら――見る見る内にその支柱が折れた。続いてどしゃーんと凄まじい轟音が鳴り響き、数秒と持たずにビルの一角がその場に崩れ落ちる――。

 ついでに、エヴァとガンジも落ちて来た。

「…ランさんランさん、ちぃと無茶過ぎへんこれ?」
「うう…咄嗟に守って頂き有難う御座いましたセレシュさん…と言うか、あの瓦礫に巻き込まれて何で平然と無事なんですか、ランさん」
「ん? 加減はしたぞ。ビル全部が壊れそうにないちょうど良さそうな、けれどある程度は崩れそうな支柱を選んで折ってみただけだ。それにあの仏教徒な伊達男もエヴァ・ペルマネントらしき娘も黒狼もどうやら無事では無いか。アリスもメッセンジャーも無事のようだし、大した事はあるまい」
「いや、充分大した事だと思うんですが…」

 と。

 アリスがぐったりと言ったところで。
 何なのよ。と心底不機嫌そうなエヴァが瓦礫の中からむっくり起き上がって来た。唐突なビルの崩落。苛立ったように声を上げつつ、辺りを見回す――と、今の崩落の元凶であるラン、咄嗟に防御魔法で瓦礫から身を守っていたセレシュとそんなセレシュに庇われたアリス、邪妖精で作った防御壁らしきもので身を守っていた凛の姿を見付け――そして何やらこの状況にも拘らず場違いなくらいにキラキラと輝く瞳で自分を見つめているバルトロメオと目が合った。
「――――――ッ、モルト カリーナ!!!」
「…!?」
 エヴァ、何事かと反射的に身を引く。…ちなみに『モルト カリーナ』とはイタリア語で『とても可愛い』と言う意味になる。バルトロメオの口から思わず零れてしまったのだろう母国語――感極まったその科白。残念ながらエヴァには通じていないのだが、バルトロメオは気にしていない――と言うより気付いていないのかもしれない。ああ、こんな可愛らしい方と戦えるのならこのバルト風に舞う花びらの如く散り去っても本望! と陶然と続け、バルトロメオはエヴァへと手を差し伸べつつとっておきの微笑みを見せ付ける。

 数瞬、間。

「…何?」
 コイツ。
 殆ど反射的にエヴァは凛に目で問う。…連れて来た以上、そいつが何者であるのか承知している筈の彼女に。問われた凛はと言うとどう言ったものか暫し言葉に迷っていたが――結局、当人についての説明は諦めた。
「あー、さっき電話で言った…」
 その中の一人。
「…。…そう。じゃあこいつも倒して良い相手って事ね。…わたしが楽しめるだけの力量を持ってればいいけど――?」
「おやおや、せっかちだね。まだ舞台も整っていないと言うのにもう始めようと言うのかい? …いいだろう、ボクの力を見せてあげるよ!」
 嬉々としてそう言ったかと思うと、バルトロメオは、フッ、とばかりにウェーブがかった柔らかな髪を気障な仕草で手で払う。途端、バルトロメオのその身がめりめりと膨らむように大きく、形まで変化し始めた。鼻や口先の辺りがイヌ科の獣のように尖って張り出し、元の身体より一回り大きくなっている――絞られた筋肉で覆われたその身は白金に近い毛並みで包まれている。まるで人狼。…とは言え、黒狼――ガンジよりはずっとスマートな姿。このバルトロメオ、人狼と化しても、何処か毛並みの良さが見出せる。
 その姿を見、あら、とエヴァは艶やかな――それでいて何処か凶暴な笑みを浮かべる。人狼。それは由来は違って来るのかもしれないが、先程まで戦っていたガンジも似たようなもの。即ち、それなりに楽しめる手応えのある相手。エヴァとしてはそう見た訳で――。
 相手にとって不足無し。
 エヴァはバルトロメオが白金の人狼に変化し終えるや否や、嬉々としてその白狼に突っ込んで行く。怨霊をその細腕に纏わせて手甲にし、直接弾丸のように撃ち抜こうと迷いなく地を蹴っている。

 が。

 そこでむっくり起き上がったのが黒狼こと道元ガンジ。そこに至るまで瓦礫に埋まり倒れたままでいたのだが、別に落下時点で目を回していたりした訳では無く――エヴァの隙を待っていた。そして今。バルトロメオを狙った時点でエヴァはガンジに背中を見せている――ガンジとバルトロメオではガンジの方が居る位置が近い――俺が先だあッ!! とガンジはエヴァの後方から牙を剥く。
 そのままガンジの牙はエヴァの背中に到達――したかと思うと、同時にぞっとする程の怨霊の想念がガンジの身に絡み付いて来た。当然のように用意されていたカウンター。…エヴァは背中を見せてもそれだけやってのける。物理攻撃ではなく精神攻撃――と言うより、魔障を狙った攻撃か。
 但し、その時点でエヴァは微妙に顔を顰める――どうやら想定していたより使役した怨霊の効果が弱いと思ったらしい。そしてそのせいでか、ガンジの牙もガンジの狙い通りエヴァの身にそのまま食い込んでいる。飛沫く赤。悔しげなエヴァの舌打ち。そのままガンジとエヴァで俄かに取っ組み合いになる――叩き付けられる爪に更に赤が飛沫く。と、俄かに置いて行かれた形になったバルトロメオの方が、何をしているんだい!? と血相変えてそこに割って入って来た。そしてエヴァを庇いガンジから引き離す形――いや多分これは「女の子が襲われてる」と見てしまっての殆ど反射の領域の行動なのだろうが――にし、大丈夫かい!? と慌てたようにエヴァを気遣う。
 そんなバルトロメオの間近で、ユー、やっぱり莫迦なの? とエヴァの呆れた声が響く。次の瞬間、バルトロメオに至近からエヴァの拳が撃ち込まれていた。…先程の手甲装備のままの弾丸めいた拳。無防備なところに直撃したなら人狼と言えど無事では済みそうにない拳だったが――バルトロメオはすかさずその拳をがっちりと止めていた。
「散り去っても本望とは言ったけど。…でも痛いのは嫌なので抗わせて貰うよ?」
「あら、良かったわ。ただの莫迦じゃなさそうね――」
「勿論さ可愛いひと。そうだ、ボクが勝ったらデートしてくれるかい?」
「…」
 やっぱりただの莫迦な気がして来た。
 エヴァのそんな内心も知らず、バルトロメオは――さぁボクの胸に飛び込んでおいで! とか何とか、戦闘なんだか口説いているんだかよくわからない態度でエヴァと対峙している。そんなバルトロメオを躊躇い無く盾にしたり踏み台にしたりしつつ、一人まとも(…)にエヴァを襲っているガンジの姿。当然、エヴァもそう簡単にやられる様子は無く、傍で見ていると本気なのかふざけているのかいまいち判断し難い三つ巴がひたすら繰り広げられている。

 そんな様子を見、ああもう何や収拾付かんなぁ、と嘆くセレシュ。…なお、先程エヴァがカウンターで使役した怨霊の効果が想定より弱かったのは恐らくこのセレシュの持つ『魔除け』の性質が関係していると思われるが――セレシュ当人以外は多分誰も気付いていない。
 実戦データを取らして貰えるて打ち合わせの話は何処行ったんやろ。と三つ巴を見ながらセレシュは溜息。が、まぁええわ、と結構あっさり立ち直り、ぱんぱんと膝や白衣に付いた埃を払う。それから、みんなこっち来ぃやー、と何処へとも無く呼び掛けた。
 と、何やらのそのそわらわらとガーゴイルや狛犬、獅子、シーサーのような――各地の賽の神的な外観のモノが瓦礫を乗り越えセレシュに近付いて来る。それを見て、おお、とランが感嘆。良かったみんな無事やなー、とセレシュもほっとする。…いや、実戦データ取る前にビルの崩落に巻き込まれて壊れていたとしたらただ勿体無いだけなので。…いやいや、それでも強度のデータくらいは取れるかもしれないか。どちらにしろ無事だったのだからいいけれど。
「…中々愛嬌のある連中じゃないか。これがモグラ叩き用のモグラか。勿体無い」
「モグラ叩き用ちゃうて。警備用ゴーレムの試作品や」
 それぞれの個体でステータスの振り分けも色々パターン変えてみてあるんやけど…。
「取り敢えず…ランさんこの子らと戦う気あらへん?」
「私か? 私はモグラ叩きならやる気満々だったのだが」
「…。…ならモグラ叩きでええわ。取り敢えずみんなをその辺にバラけさせるから、見付けて叩ければランさんの点数になる、て事でどうやろ」
 ビルの支柱を叩き折る打撃の持ち主相手なら、それで充分耐久データは取れるやろし。…一応、あの三つ巴にも仕掛けるつもりやけど、あっちはどの程度打ち合わせの件を頭に置いといてくれとるんかようわからんし――ちゃんとデータ取るには保険掛けとかんとな。

「ふむ…それなら承知した。中々面白そうな提案だ」
 ならば見せてやるぞこのラン・ファーの華麗なる扇子捌きを! 覚悟しろモグラども!

 …いや、だからモグラじゃなくて警備用ゴーレム試作品。

 狛犬が瓦礫の隙間から顔を出し、ガンジを狙って力強い動きで躍り掛かっている。かと思えば上方からガーゴイルがエヴァを狙い鋭い軌道で急襲しており、やけに頑強なシーサーが足元にぬっと現れた事でバルトロメオが躓き掛ける。そのシーサーを狙って、ランが扇子の一撃を入れるが――入れようとしたが、派手に外して床を突き砕いてしまった。ちなみにそのシーサーのステータス振り分けは耐久値が最大で敏捷値は最小。…何故攻撃が外れたのかわからない。
 そんな動きが鈍い筈のシーサー相手に、くっ、素早い奴め! と歯噛みするラン。と、その後頭部に獅子が飛び付いて来、今度こそとばかりにランはそちらを叩こうとする――が、叩いた時には己の後頭部を足場に獅子はガンジの方へ突進しており――それを目で追っていたランは、当然の流れでその獅子を叩くべく扇子を振るう。
 が、また外れて――外れた結果、あろう事がガンジの背中に扇子が命中。ガンジは全く予期していなかった攻撃に、ぐはっと血反吐を吐いて膝を突かされている。そんなガンジを見、おお、済まんな黒狼、とあっさり謝るラン――ああん? とガンジはそんなランに思い切り威嚇して見せるが、その時にはランの視線は最早ガンジから移動している。…そして今の攻撃をした筈のランからは殺気も攻撃の意思も何も感じられない。ガンジとしては怒るに怒り切れず、何だか反応に困る。
 ランは次には近場に見付けた狛犬を狙ってまた扇子をフルスイング――それは今度はちょうどエヴァに当たってしまいそうな軌道の動きだったのだが、エヴァの方はすかさず避ける事が出来ていた。そして、今の攻撃――と言うか扇子のフルスイング――がランの手によるものと認めると、エヴァは剣呑に目を眇めてランを見る。
「…あら。ユーもわたしと遊びたいの?」
「ん? モグラ叩きなら付き合うぞ。どちらの点数が上か勝負しないか?」
「は?」
「だからモグラ叩きだ。遊ぶなら今モグラ叩きをやっている真っ最中なのでな、付き合わんか?」
 ほらそっちに行ったぞ! とランはまた扇子を振り回す――振り回した先からはガーゴイルが逃走している――今のランに狙われていたのだと見てわかる。そして、狙われていないのに――戦いを挑まれている訳でもないのに、そんな相手からの攻撃(?)でエヴァもガンジもバルトロメオも何やら普通に危ない。ランと警備用ゴーレム試作品が少し噛んだだけで、本気(?)の三つ巴組の方まで色々と混迷の度を深めて行く。

 いったい何やってるんでしょうね…とその様子を見て深々と溜息を吐くアリス。…ある意味で予想通りの眼前の状況。ランが絡んだら訳がわからなくなるのがいつもの事。それはやっぱり今日も同じだった。
 が、今日の場合は――アリスにとっては少々好都合かもしれない。魔眼を使うにはこのくらい状況から離れられている場合の方が上手く行き易い。あわよくばエヴァの石像を拝めるかもしれない――そんな思惑もあり、アリスはこっそりとエヴァを狙って魔眼を使い始めた。
 瓦礫とも壁とも付かない位置に隠れ、視界ギリギリの距離から催眠効果を狙ってエヴァを見つめる――ふ、と不意にエヴァの身体が傾いでよろめいた。成功。そこに気付いたバルトロメオとガーゴイルがそれぞれの方法でエヴァを強襲――いや、むしろバルトロメオの方はよろめいたエヴァを介抱でもしようとしていたのかもしれないが――エヴァはそんな二人の肉迫にも慌てる事無く、すぐさま怨霊を手足の延長、撓る鞭のように用いて打ち付ける。…それで二人を吹っ飛ばしている。
 エヴァはそのまま、何かしらの不調を感じたように頭を押さえる――それから辺りをゆっくりと見渡している。視線。催眠。魔眼――アリスのそれに気付き、今度はエヴァの方がアリスの視線を感じた方向へと問答無用で周囲の怨霊を嗾ける。気付いた時点でアリスは密かに移動。まだ自分の姿がはっきりエヴァに視認はされていない――自分の居る位置は気付かれていないと見て、今度は石化の魔眼をエヴァに向ける――向けようとする。

 が。

 その時にはエヴァを囲むようにしてどす黒い怨霊が荒れ狂い、エヴァ自体をまともに視る事すら出来ない状態で。…何処。と冷ややかな声音で今の催眠を掛けた者を――即ちアリスをエヴァは探している。が、大人しく探させて貰える訳でもない。エヴァの使役する怨霊渦巻く中でも警備用ゴーレム試作品は果敢にエヴァへと飛び掛かっている――その飛びかかっているゴーレムを叩こうとランもまた飛び掛かっている。ガンジもまた同様エヴァを噛み砕こうと狙っていて――つれない素振りも魅力的だね、とか何とかバルトロメオもまた、エヴァへと新たなアプローチ(?)を懲りずに続けている。…そして当然のようにそのアプローチは物理的に拒否され続けている。
 やっぱり再び大混戦。手の出しどころに困りつつ、それでもアリスはエヴァに魔眼を使える隙が出来ないか窺い続ける。対象を見つめられなければどうしようもない――思い、暫くの間意識を尖らせてはいたが、やがて、はぁ、と溜息を吐いて、アリスは軽く諦めた。
「ここまでですかね…」
 むしろ、軽くだけ催眠が効いた時点で、一気にガードを固められてしまった節がある。こうなってしまったら仕方が無い。そう思っていたところで――大丈夫かー? とセレシュがひょこりと顔を覗かせた。
「…セレシュさん」
「今エヴァさんが警戒バリバリになっとる魔眼てアリスさんのやろ」
「ええまぁ。わたくしにはこのくらいの事しか出来ませんので」
「ホンマはそうでもないんやないの?」
 もっと前に出て戦っても行けそうちゃうん?
「さぁ。どうでしょうね。…私はとことん搦め手を使うタイプですので」
 返しつつ、アリスは再び大混戦なエヴァ周辺を見遣る――自分一人が退いたとしても、やっぱり状況、変化無し。むしろ少し間を置けば、また魔眼で狙える隙が出来るんじゃないかと思えるくらい。

 何だか本当に、どうやっても収拾が付きそうにない。

■たくさん動けば腹も減る。

 そして、収拾が付かない戦闘なんだかゲームなんだか恋のさや当てなんだかよくわからない、時々破壊された警備用ゴーレム試作品まで飛び交う大混戦のそんな中。

 ――――――ぐーきゅるるるるう~、と派手に誰かの腹が鳴る音がした。

 その時点で、大混戦だった状況が俄かに止まる。
 音の源。誰のものかと思えば、ガンジの腹。そんな腹の虫が鳴き終わったところで――ちっ、とガンジは派手に舌打ち。
「クソ、こんな時に――」
 …正直、気が遠くなる程腹が減って来た。エネルギーが足りていない――何だかんだでやられ過ぎたか。幾ら回復するとは言え、回復させるには大量のエネルギーが要る。そういう身体に造られている。…だから腹が減る。今日エヴァの八つ当たりに付き合おうと思ったそもそもの目的もメシの為。…そう、メシの為なのだ。
「くあー、ハラ減ったぁあああ!」
「おお! 奇遇だな黒狼! 私もだ!」
「…あン?」
「餡では無いランだ! 私も些か腹が減った! いやあいい汗もかいたしな、暴れるのはここまでとして、ここは皆でぱーっと食事にでも行かんか? きっと美味いぞ楽しいぞ!」
「ああ、それはいい考えだね! エヴァのような可愛いコとなら拳で語り合うのも悪くないけれど、一緒に食卓を囲む方がより素敵な時間を過ごせるに決まってる! エヴァだけじゃない、ランに、アリスに、セレシュに、凛…こんなに魅力的なお嬢さんたちに囲まれての食事なんて、夢のようだよ!」
「…なんか、わたくしたちも勝手に員数に数えられてしまっていますが」
 バルトロメオさんに。
「…まぁええんやないの? つまり奢ってくれるちゅう事やろし」
「奢りだと!? マジか? 好きなだけ食っていいのか!?」
「ああ。黒狼も存分に食うが良い! 全て仏教徒な伊達男の奢りだ! 奢ってくれると言うのだから集ってやると言うのが筋と言うものだろう!」
「そうかそうかそうかよ! くうぅ! 来た甲斐があったぜ! メシメシメシ!」
「…って、何かユーたち話が噛み合ってないわよ…?」
 バルトロメオは女性陣については言われなくとも全員含めているが、一番飯を食いたがってると思しき男についてはむしろ眼中にないような。
「フッ、細かい事は気にするなエヴァ・ペルマネント! この私が黒狼も来いと言っているのだ! 反対などさせん! お前も是非に来い! 憂さ晴らしには美味いものを食うのも悪くないぞ!」
「…そんなものかしらね?」
「そんなものだ。なぁ仏教徒な伊達男?」
「ああその通りだ。美味しいものは人を幸せにする! ぜひあなたにもこの喜びを味わってほしい!」
「…ところで。どうでもいいっちゃいいんだが、そこの伊達男はいつまで仏教徒扱いなんだ?」
「違ったのか? 本人が否定してないぞ?」
 むしろ褒め言葉と受け取っているくらいだ!
「いや、多分それって意味を理解してないからなだけじゃないですか…?」
「…あー、帰国前に訂正しといてあげた方がええんちゃう?」
「? 何か訂正が必要な事なのかい? ランはボクへの褒め言葉だと言ってくれたのだけれど?」
「…って完璧にランさんのせいやないか。ちゅうか何がどうなってそないなったん」
「それはな。功徳を積むのは仏教徒だろうと思ってな――…」

 と。

 何処に向かって行くのかわからない会話をひたすら重ね、気が付けば済し崩し。
 エヴァの憂さ晴らしの為に集められた筈の一同は、この後、何故かイタリア貴族の末裔の奢りで腹一杯食事をする事になる。結果としてIO2と虚無の境界の構成員が仲良く同席している事にもなったのだが――それでも特に問題は起こらず、奇跡的に和やかで奇妙な食事の時間は過ぎていく。

 たまには、こんな日があってもいいのかもしれない。
 …まぁ、本来の目的は何処に行ったのか、と言う気もしないでもないのだが。

【了】

×××××××××××××××××××××××××××
    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
×××××××××××××××××××××××××××

 ■整理番号/PC名
 性別/年齢/職業

 ■6224/ラン・ファー
 女/18歳/斡旋業

 ■8756/道元・ガンジ(どうげん・-)
 男/25歳/警備員

 ■7348/石神・アリス(いしがみ・-)
 女/15歳/学生(裏社会の商人)

 ■8752/バルトロメオ・バルセロナ
 男/24歳/IO2エージェント

 ■8538/セレシュ・ウィーラー
 女/21歳/鍼灸マッサージ師

 ※表記は発注の順番になってます

×××××××××××××××××××××××××××

 …以下、登場NPC(□→公式/■→手前)

 □エヴァ・ペルマネント/今回の依頼人(暇人)

 ■速水・凛/今回の依頼代理人。オープニングより登場(未登録NPC)

 ■鬼・湖藍灰(湖藍灰)/オープニングより登場(登録NPC)
 ■空五倍子・唯継/オープニングより登場(登録NPC)

 □碇・麗香/アトラス編集長

×××××××××××××××××××××××××××
          ライター通信
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 道元ガンジ様、バルトロメオ・バルセロナ様には初めまして。
 セレシュ・ウィーラー様には再びの発注を頂けまして。
 そしてラン・ファー様と石神アリス様にはいつもお世話になっております。大変御無沙汰しております。もっとこまめに依頼出さなければと思いつつ実行出来ておらず…それでも今回もお付き合い頂けまして本当に感謝です。

 皆様、今回は発注有難う御座いました。
 そしてやっぱりと言うかいつも通りと言うか(汗)、大変お待たせしております。
 特に初めに発注頂いたラン様の方は日数上乗せの上に(ライター側の納期が)一日程過ぎてしまっていたり、道元様に至っては初めましてなのにぎりぎりもしくは少し過ぎるかと言ったところで…本当にいつもいつもお待たせしておりまして…!
 こんな輩ですが、初めましての方もどうぞお見知りおき下さいまし。

 内容ですが、何故か最後に食事で終わりました。そこに至るまでの本題ことエヴァとの戦闘(?)では色々あって大混戦です。皆様のプレイングはだいたい反映出来ているとは思うのですが…同時にプレイング外だらけの発展に発展を重ねた長文になってしまってもおりまして(汗)。いつもの事と言えばいつもの事なんですが。
 プレイング外のところは当方的に皆様のキャラクター性からしてやりそうか、と思えた事をやらせて頂いております。イメージから逸れてなければいいのですが、如何だったでしょうか。

 あと、他の皆様もそうですが、特に初めましてになる道元ガンジ様とバルトロメオ・バルセロナ様、それとシチュエーションノベルでのみお世話になった事のあるセレシュ・ウィーラー様。
 PC様の性格・口調・行動・人称等で違和感やこれは有り得ない等の引っ掛かりがあるようでしたら、出来る限り善処しますのでお気軽にリテイクお声掛け下さい。…他にも何かありましたら。些細な点でも御遠慮無く。

 それから、今回は前半部分に個別・少数描写が幾分ありますので、一応その件も書き記しておきます。

 如何だったでしょうか。
 少なくとも対価分は満足して頂ければ幸いなのですが。
 では、また機会がありましたらその時は。

 深海残月 拝

カテゴリー: 02フェイト, 深海残月WR |

人間嫌いの追憶

典型的なモンスター・ペイシェントであった。
「ここって刑務所かよ! 飯は不味いし看護婦は愛想ねえし!」
 ベッド上で喚いているのは、20代半ばと思われる女性患者だ。
 医師やナースが辟易しながらなだめているが、この手の患者は少し厳しくしなければ調子に乗るだけだ、と工藤弦也は思う。
「わかってんのかよ、こっちは患者だぞ!? 金払ってんだからよォ、てめえら食わしてやってんだからよぉお!」
「……保険料なんて払ってなかったよね、姉貴は」
 医師を押しのけるようにして弦也は、その女患者を見下ろし、睨んだ。
「ゴミ部屋で最低の暮らしをしてたあんたが、ちゃんとした病院で、そんなふうにのんびり寝ていられる。飯の心配もしなくていい、殴られる事もない……なあ姉貴、誰のおかげだと思ってる?」
「あ……あんたたちが、お金払ってくれたんだろ」
 女性患者が、いくらか大人しくなった。
「感謝してるよ……だけど家族なら当たり前の事じゃんか! あたしが今までどんな酷い目に遭ってきたか、弦だって知ってるだろ!?」
「酷い目に遭ってきた、って自覚はあるんだよな」
 本当の事を、弦也はぶちまけてしまいたかった。
 今回、工藤家からは1円も出てはいない。
 この女のために何かしてやろうなどと考える者は、弦也本人も含めて、工藤家にはもはや1人もいないのだ。
 ただ1人……彼女の、幼い息子を除いて。
 その子が、とある組織に身を売って、母親の入院費用を稼ぎ出した。
 喉の辺りまで込み上げてきたその真実を、弦也は無理矢理に飲み込んだ。
「だったら、自分を酷い目に遭わせた男の事なんて忘れちゃえよ。あれが単なる人間のクズだって事、よぉくわかっただろ」
「弦……そんな事、言わないでよ……あんたの、お義兄さんなんだよ……」
 姉が、ぽろぽろと泣き出した。
「あの人は、ちょっと心が弱いだけなんだよぅ……あたしが、ついててあげないと駄目なんだよ……だから」
「そんな調子で、ろくでもない男に引っかかっちゃあ捨てられる。昔っからそうだよな姉貴は」
 姉の胸ぐらを、弦也は思わず掴んでしまいそうになっていた。
「捨てられるだけなら、まだましさ。だけどあの男、これからもしつこく姉貴に付きまとって来るよ。今は怪我してるみたいだけど」
「助けてあげてよ、弦……」
 昔なら、この姉にこんなふうに頼まれたら、何でもしてやろうという気になれたものだ。
「あの人にも、お金……出してあげてよう……」
「1つだけ言っておくよ、姉貴」
 泣きじゃくる姉に、弦也は微笑みかけた。
「あの男、もし怪我が治って、あんたの周りをうろつくようなら……僕が殺す。殺人事件にならない殺し方なんて、いくらでもあるんだからな」
「弦……な、何言ってんの……」
「殺す、と言ってるんだ。あの男を」
 はっきりと、弦也は言った。
「姉貴や……それに、あいつの周りをうろつくようならね」
「やめて……やめて! やめてえええええ!」
 姉が、泣き叫んだ。
「あいつの話なんかしないで! あのクソガキ! あのバケモノ! 弦あんた、何かバケモノ退治の仕事してんだろ!? とっととアイツを殺しちゃってよおおおおおお!」
「その仕事なら辞めてきたよ。ちょっと上司をぶん殴っちゃってさ」
 手足に、まだ感触が残っている。
 あの時と同じ目で弦也は、姉を見据えていた。
 姉が青ざめ、息が詰まったように黙り込む。
 弦也は、微笑みを保つ事が出来なくなった。
「無職になっちゃったけど、貯えはあるからさ。あいつの面倒を見てやる事くらいは出来るよ……あんたに、あいつの母親をする気がないってのは、よぉくわかったからね」
 弦也は姉に背を向け、傍らの医師に話しかけた。
「この患者、甘やかしちゃいけませんよ。うるさいようなら閉鎖病棟にでも放り込んで下さい。大丈夫。この女を心配して騒ぐような人間、工藤家には1人もいませんから」
 青ざめ、怯え固まっている姉に、弦也は一言だけ声を投げた。
「なあ姉貴……あんたを見てると、結婚なんてするもんじゃないってのが本当よくわかるよ」

 病室を出た瞬間、睨まれた。緑色の瞳でだ。
 上目遣いに睨みつける。この子は、そんなふうにしか人を見る事が出来ないのだ。
 弦也は身を屈め、その幼い男の子と目の高さを合わせた。
「……聞こえていたよな? まあ、そういう事だ。お前にはもう、母親なんていない」
「…………」
 男の子は、何も答えない。
 弦也の甥である。叔父と甥らしい会話など、しかし1度も出来ていない。
「会わせてやろうと思ったけど、あれじゃ駄目だな。姉貴の奴、お前の顔を見た瞬間にショック死しかねない」
 甥は、やはり何も言わない。
「親戚としての体面で、お前を引き取りはしたけど……何しろ子供を育てた事なんてないからな。お前をどう扱えばいいのか、わからないんだ。とりあえず衣食住の心配はしなくていい。念のため言っておくけど、感謝なんかしてくれる必要ないからな」
 衣食住だの感謝だのといった言葉を知っているかどうかも怪しい年齢の男の子である。叔父の話も、果たして聞いているのかどうか。
 構わず、弦也は言った。
「お前はこの先、散々問題を起こして僕に迷惑をかけるんだろうな。だけど、それを責める資格が僕にはない。お前に厳しくする資格なんて、僕にはないんだよ……姉貴に、こんな接し方しか出来ない人間なんだからな」

「……僕が? そんな事を言ったのかい」
 夏と言っても、それほど暑い日ではない。
 とある公園である。
 甥と一緒に、公園を歩く。こんな日が来るとは、弦也は思ってもいなかった。
「覚えてないなぁ」
「俺も5歳かそこらだったから、よくは覚えてないけどね。面倒見てやるけど感謝はしなくていい、とは言われたよ」
 この甥も、今は17歳。ろくに口もきいてくれなかった男の子が、こんな事を言うようになった。
「俺は勝手に、感謝してる……ありがとう、叔父さん」
 こんな事を言われると、何と応えて良いかわからなくなる。だから感謝など、されたくないのだ。
「叔父さんの言った通りになったね。俺……いろいろ問題起こして、迷惑ばっかりかけてさ」
「僕の中学・高校の時より全然ましだよ。お前は」
 学校で喧嘩をして、つい能力を使ってしまった。結果いくらか怪我人も出た。
 この甥が引き起こした問題など、その程度である。
 弦也がIO2エージェントとして手掛けた様々な事件と比べれば、問題と呼べるほどのものでもない。
 何しろ、人は1人も死んでいないのだから。
 この少年が初めてその手の騒ぎを起こしたのは、小学校何年生の時であったろうか。
 緑色の目をしている、という理由だけで、同学年の悪童数名が因縁をつけてきた。
 甥は、正当な反撃を行った。結果その悪童たちが、ちょっとした怪我をした。
 自分ならば怪我程度では済まさなかったであろう、と弦也は思う。
 そんな、問題とも言えぬ問題を積み重ねながら、甥はやがて中学生になった。
 中学生。男の子が最も凶暴になる年頃である。
 甥の通う学校にも、それは凶暴な少年たちがいた。
 そんな少年たちが攻撃を仕掛けて来たので、甥は正当な反撃をした。
 結果、怪我人の山が出来た。自分なら1人2人は殺していたかも知れないと弦也は思う。
 そんな学校生活を送りながらも甥はしかし、この頃になると、憎まれ口とは言え、弦也と口をきいてくれるようになった。友達も増えた。人間ではない友達ばかりではあったが。
「今回……少し、大変な目に遭ったみたいじゃないか?」
 墨田区の某電波塔近辺で、局地的な大雨が降った。洪水とも呼べる状況であったらしい。
 甥は、その場に居合わせたようである。
「何とか大丈夫だったよ。こいつらのおかげで、ね」
 仔犬が2匹、とてとてと足元にまとわりついて来る。弦也が手にしている洋菓子の包みに、鼻面を向けながらだ。
「わーい、チョコケーキ! プリンパフェ、シュークリーム!」
「早く早く、我らにお供えすると良いのだぞ」
「ごりやくが、あるのだぞ」
 2匹とも日本語を喋っているようだが、弦也は深く考えない事にした。
 甥には、このような友達が本当に多い。
 高校生になってからは、人間の友達も増えてきたようである。
 自分とは大違いだ、と思いながら弦也は身を屈め、仔犬2匹を抱き上げた。
「お前、僕に感謝してると言ったよな……この子たち、もらってもいいかな?」
「俺のペットってわけじゃないよ」
 甥が、苦笑をしている。
「叔父さん、犬派?」
「派閥は決めていないよ。犬は可愛いし猫も可愛いし、鳥や爬虫類だって可愛いし、虫も可愛い。可愛くないのは人間だけさ」
「叔父さん……もしかして、人間嫌い?」
「何だ。今頃、気付いたのか」
 仔犬たちの感触を堪能しながら、弦也は言った。
「僕は、人間と仲良く出来ない男だったからな……お前は、僕みたいにはなるなよ」

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夜の鼓動

残暑も後半を過ぎた辺り。
朝夕は冷え込むようになってきたが、昼間の日差しはまだまだ厳しいと感じる青空の下、外回りの営業をあらかた終えた弦也が一息つくために公園内のベンチに腰を下ろした。
「ふぅ……」
思わずのため息を漏らす。
遠くの木々で鳴く蝉の鳴き声を聞きながら、額に滲んだ汗を拭うためにとカバンに入っているハンカチを手にしたところで、彼の頬にヒヤリとした感触が生まれた。
「……やぁ、穂積君。君はいつも神出鬼没だね」
弦也の頬に当てられたものは缶コーヒーであった。そしてそれを手にしているのは、穂積忍である。
冷たさと突然の彼の存在に僅かに瞠目はしたが、大きなリアクションを返さなかった弦也をちらりと見やりつつ、忍は缶コーヒーをぐい、と彼にさらに押し付けた。
「ありがとう」
「……どうだ、最近は」
苦笑しながら缶コーヒーを受け取る弦也に、忍がそう言う。
彼の手には『しるこ』と書かれた小さな缶があったが、それを飲むのかと思いつつ、缶コーヒーのリングプルを軽く引いて弦也は再び口を開く。
「相変わらずだよ。外営業だから、走りっぱなしだ。……穂積君こそ、今、任務中なんじゃないの?」
「お前の甥っ子も、ここ最近は楽しそうに学校へ通ってるぞ」
弦也の問いに忍は敢えて答えなかった。
その代わりにと帰ってきた言葉に、弦也はまた苦笑する。頼んでもいない報告だったが、少しホッとしたような面持ちにもなり、彼はそのままコーヒーを口に含んだ。
「――お前、帰りもここを通るな」
「ああ、うん。近道にもなるしね」
「近々この公園で大規模な『清掃』がある。夜は近づくな」
ざぁ、と木々がざわめいた。
少し離れた場で数羽の雀がちょんちょんと地面を跳ねていたが、風の音に驚いたのか同時に地上へと飛び去り、その姿を隠してしまう。
弦也はその光景を見た後に自分の隣へと視線を移す。
そこにはもう、忍の姿は無かった。それに驚くこともせずに、彼はまた小さく苦笑して「穂積君らしいなぁ」と呟き、残りのコーヒーをぐいっと飲み干して立ち上がる。
ゴミ箱があるところへと足を運んで、自分が手にしていた空になった缶を放る。
カン、と金属がぶつかり合う音が響いてそれに目をやれば、忍が先ほど手にしていたしるこ缶がそこにはあり、弦也はまた小さく微笑んだ。

森林公園となっているその場所には、一般人が普段から立ち入ることが出来ない区画があった。
池の向こうに見える小さな森のような景観となだらかな小丘。樹木の剪定や芝の維持の為に設けられている空間であるが、最近になってこの地下に戦時中に使われていたらしい危険な薬物を扱う実験施設が存在していたと判明した。
それを調査していたのが忍が率いるIO2のNINJA部隊であった。
現在、この地下には薬物汚染を受けたネズミが大量発生している。汚染から強固な姿を作り出し独自に進化を遂げたそれらが地上に出てこようという兆しが見られたので、この場での掃討作戦が下されたのだ。
日が落ち、辺りが完全に暗くなった頃に音もなく動く影。複数の影が公園周囲を封鎖し、一般人を完全に入り込めない状態にしたところで、忍が苦無を四方に飛ばす。その先には『封』と書かれた紙があり、先端で突き刺した状態のまま、木々に縫い止められる。公園内を取り囲むようにして五ヶ所にそれを確認した後、彼は素早く印を組んだ後、パン、と手のひらを叩いた。
木々に打ち込まれた苦無を線として、音もなく広がるのは膜のようなもの。わかりやすく言えば『結界』だ。一般人とは別の、ある程度の能力を持つ『部外者』を入れないための二重の施しであった。
そして彼は黙ったままで右手を静かに上げる。
すると周囲で待機していた忍の部下たちがそれぞれに散り、地下への潜入を開始した。
忍のNINJA部隊には独自の伝達方法が存在しているので、電子機器などは一切使われることはなく、言葉も殆ど発せられない。まさに『隠密行動』である。
チチッ、と暗闇から鳴き声が聞こえた。小さなもの――ネズミのそれであったが、数が無数だと感じ取る。
直後、冷たいコンクリート情を走る音が響いてきた。そして、赤く光る二つの灯りがセットになってこちらに向かってくる。
部下それぞれが、暗器を飛ばして灯りの元を食い止める。それはネズミの瞳であった。
忍の苦無でも数匹仕留めるが、その上を覆うようにネズミたちは走り回る。
限られた空間内での行動には限界がある。だが、このネズミたちを地上に出すわけにも行かない。彼はそこで部下に新たな命を下した。
一人が片手に紙――符を持った。
『火』と書かれたそれを素早く壁一面に張り巡らせ、ネズミのスピードを上回る。
それを追うようにしてもう一人が印を組んだ。
仕上げは忍で、彼はまた先ほどと同じようにしてパンと手のひらを叩く。
同時に起こったのは小さな爆発であった。なるべく地上には響かない程度のものを、奥から徐々に移動させて行く。紙を踏んで走る形となっていたネズミは、その罠に嵌まり次から次へと地面に沈んだ。それで数は、半分ほど減らせただろうか。
「――穂積さん」
部下の一人が忍の名を呼んだ。
彼はその響きと同時に、煙の向こうを見る。
数匹、もしくは残り半分の数をその場から逃した。そう感じた。
独自の進化を遂げているネズミは、彼らが思っていたより動きが俊敏であったのだ。爆発を受けても平気な個体もいるようであった。貼り付けた符を食べている個体すらいる。
「…………」
厄介だ、と忍は正直に心で毒づいた。
追え、と忍は示し、自分も駆け出す。
水路にもなっている空間であるが、誰一人足音や水音など生じさせずにネズミを追った。
数メートル走った先は、地上に繋がる道のみだった。
さすがの忍も眉根を寄せて、次の行動を思案する。
その、直後だ。
金属が風を切る音と、小さな断末魔の叫びがあった。
足元にバシャリと落ちてくるのはネズミの死骸だ。背中に小型のナイフが刺さっている。
「――、工藤か」
手練れで相手の気配を読んだ忍が、名前を呼んだ。
入り口から現れたのは弦也である。
「やぁ、また会ったね」
彼はスーツ姿のままであった。持ち前の柔らかな笑顔とそんな言葉に、忍の寄ったままの眉根が緩やかなものになった。
「近寄るなと言ったはずだがな」
「営業マンは夜も遅いんだよ」
ネズミの身体から引き抜いたナイフの血を払い、弦也へと投げつけつつ、そう言う。
すると弦也それを軽く受け止めてながらの返事をした。
ちなみに忍の部下はすでにその場から散っている後であった。
「残り、何匹かな。随分と早く動くネズミだね。おまけにちょっと固い」
「その目で全部確認しているクセに、何言ってる」
弦也はそんなことを言いつつ忍の隣へと移動した。忍は僅かに口角を上げつつ言葉を返す。
肩と肩が触れ合って、数秒。
二人の視線が逃げたネズミへと向いた。
忍は元よりだが、優しい口調からは想像もできない弦也の鋭いそれは、『現役時代』を彷彿とさせる。
「お前さん、やっぱりこっちに戻らないか?」
「――穂積君は僕を過大評価し過ぎだよ」
忍の言う『こっち』とは、IO2のことであった。
元エージェントという肩書きを持つ弦也は、未だにその体には高い戦闘能力を秘めたままだ。
それを惜しいと思っている忍だが、弦也には戻る意思は無いらしい。
「じゃあ、何のためだ?」
「うん……そうだね。今は、君のため、とでも言っておこうかな」
一匹、また一匹とネズミが地面に落ちる。
会話を続けている間にも彼らは確実に仕留めていった。
忍の移動スピードにも遅れることなく付いてくる弦也に、彼はやはり惜しいと言う感情を抱きつつまた移動した。
「あれで最後だね」
「そうだな」
普通のネズミより一回り大きな個体が逃げ回っている。
忍と弦也がそれぞれに武器を構えたところで、目標が淡く光った。
地上の空気が作用したのか分からないが、ネズミが猫ほどの大きさになる。
「穂積君」
「……ああ、マズいな。放っておいたらもっとデカくなるぞ」
大きくなっていく分移動スピードが落ちるかと思ったネズミは、その速度を保ちつつ逃げていた。そして、忍たちとの距離を少しずつ広げているようにも感じる。
「スピードが上がってる」
本当に厄介だ、と忍はまた内心で毒づいた。
弦也はその間にネズミとの距離を詰めるために飛び込んでいき、「無茶するな」と思わずの言葉が忍の口から漏れた。
キン、と何かが弾かれる音がする。
低木で出来た茂みの向こうに消えた弦也。それを追う形で忍が宙を舞う。枝を押しのけて進んだ先で、弦也の使用していたナイフが地面に落ちているのを目撃する。
「う、わ……っ」
ネズミはクマほどの大きさになっていた。そして逃げるのをやめて、弦也に前足を振り下ろしている。
彼は身軽なので難なく交わして後ろに飛んだが、さすがに驚いているようでそんな声が漏れていた。
「無茶するなと言っただろう。『営業マンが夜の公園で変死』で明日の新聞を飾るとか、笑えないぞ」
「いやぁ、進化って怖いね……。と言っても、僕は死ぬつもりもないけど」
忍の言葉に、弦也はハハと軽く笑いながらそう返事をした。
取り敢えず、猶予があまりない。
二人はそれ以上の言葉をやめて、巨大化したネズミと対峙した。
合図は視線だった。
忍が弦也を見て、それを受けた弦也が瞬きを一つ。
お互いを信頼しているからこその行動だ。
パン、と馴染みの音が響いた。
するとネズミの動きを止める為の焔が浮かび上がる。それは一瞬でネズミの周りを取り囲み、個体自身も驚いているようであった。
「――君も災難だったね」
そう言ったのは弦也。彼は一瞬で間合いを詰めてネズミの喉元へとナイフを突き刺した。
「相手が悪かったんだよ。おやすみ」
柔らかな口調のままで、紡がれる言葉。
直後、ネズミは叫び声を上げる時間すら与えられずに、地面へと沈んだ。
「つくづく、敵に回したくない存在だよ、工藤」
「それは褒め言葉かい、穂積君」
肉を引き裂いた感覚を右手に残しつつ、弦也は苦笑した。
近接していたので頬に返り血が付いていたが、それを黙って拭ったのは忍であった。
そんな行動に驚いたのか、弦也は忍を不思議そうに見上げた。
僅かな面影が重なる。
それは弦也の甥の存在だ。
ぼんやりとそんな事を思いつつ、忍は口を開いた。
「……今のお前には似合わない」
「ありがとう。だけど、君にもあんまり似合わないと思うよ」
「素直に礼だけにしておけよ、こういう時は」
そんな言葉を交わして、二人は、ふ、と笑った。
少ししてから散っていた忍の部下が戻って来て、現状を告げる。
どうやら全てのネズミを片付けたようであった。
「さて、じゃあ僕は今度こそ帰るよ」
「工藤」
パンパン土埃を払いながらそう言う弦也に、忍は再び声をかける。
既に背を向けていた弦也は、肩越しに振り返って忍を見た。
「――今日は助かった」
「穂積君からそんな言葉が聞けるとはね。おやすみ」
弦也はくすぐったそうに笑いながら、忍の言葉を受け入れた。
そして彼はヒラヒラ、と手を振りながらその場から離れていく。
その背を見送った忍は、完全に彼の気配がなくなってから「どっちが毒されてるのか、分からんなぁ」と独り言を漏らして、任務の後片付けに移るのだった。

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お花見延期警報中

1.
 春なのに桜が咲かない。そんな事がこの街で起こっていた。
 宴会好きの誰かが言った。
『こんなおかしなことが起こるのは、きっと妖k‥‥オカルトに違いない』
 オカルトと言えば草間興信所。そうして草間興信所に集められたメンバー。
『どうにかしてこの原因を追究して、桜を咲かせて欲しい』というのが所長である草間からの頼みだった。
「桜が咲かない‥‥それは問題だね‥‥。龍兄はどう思う?」
 八瀬葵(やせ・あおい)は無表情のまま、そう言った。
「さぁな、歌えばいいんじゃないのか」
 八瀬に話題を振られ龍臣(たつおみ)・ロートシルトは面倒臭そうに答えた。実際に面倒くさい。
「!? そう言えば、今年は桜がまだ咲いていないなぁ‥‥」
 今通ってきたであろう道を窓から見下ろして千影(ちかげ)は納得顔である。
「時期も時期やからね。早いとこ咲いてもらわんと困るな」
 セレシュ・ウィーラーは頷いてそう言った。
「俺、タイミングのいい時に来ちゃったな‥‥まぁ、俺でよければ力貸すよ」
 たまたま草間興信所に立ち寄ったフェイトとそのフェイトを追っかけてきたルージュ・紅蓮(ぐれん)。
「困りごと? 困ってる人は助けてあげる。お礼はスイーツでいいわよ」
「無事桜が咲いたら‥‥報酬は、わかってんな?」とニヤリと草間。
「お弁当作って待ってますね」とニコリとその妹・草間零が微笑む。
 藤堂皐(とうどう・さつき)はバーから持ってきた品を零に差し出しながら言った。
「試作品のおつまみですが、よければその時にでも一緒に食べましょうか」
 そうして、各自が桜のために動き出す‥‥!

2.
 外に出て、四方に散っていくメンバーたち。フェイトはルージュと共に行動を始めた。
「これってきっと‥‥失せもの系よね」
「え? 失せもの?」
「そう。選択肢1、意地悪で隠された。選択肢2、遊んでいるうちに失くしちゃった。選択肢3、ついうっかり。はい、どれでしょう?」
「いや、そう言われても‥‥」
 ルージュの意味不明な問題にフェイトは困り顔である。しかし、ルージュはニコリと笑っていうのだ。
「それじゃ、行きましょうか」
「え? どこに?」
 ルージュは何も言わず、フェイトを導く。
 それは桜の名所のとある広場。そこに小さな女の子が泣いていた。
「! こ、これはもしかして‥‥」
「‥‥お兄ちゃん、肩車して?」
 ルージュはフェイトにそう言う。フェイトはよし! と力強くルージュを肩車した。
 ルージュの指示のまま、桜の木の枝の間をヨタヨタと歩く。
「よし、取れたわ!」
「ホント!?」
 ルージュは何かを取ったようだ。フェイトがその上を見ると‥‥風船に見える‥‥けど‥‥風船じゃないんだろうか?
「お兄ちゃん、下ろしてくれる?」
「あ、うん。わかった‥‥」
 風船を持ったルージュを下ろしたフェイトが見たものは‥‥風船を女の子に渡し「ありがとう!」とタッタカ去っていく女の子‥‥。
「え? あれ? 今の‥‥え?」
「ん? 風船が飛んで行っちゃって困っていたのよ。困ってる人は助けないとね?」
 ‥‥どうやらさっきの女の子は普通に人間の女の子だったようだ。遠くに親らしき人まで頭を下げてこちらを見ている。
「失くしものがどうのって‥‥ルーちゃん?」
 フェイトがそう訊ねると、ルージュはやっぱり笑う。
「そうねぇ。桜の木の根元を掘りましょ。フェイトお兄ちゃんも男の子だもの、大丈夫よね?」
 肩車の次はここ掘れワンワン‥‥!?
 しかし、にっこりと微笑むルージュに逆らう気はないフェイトなのだった‥‥。

3.
「こ、ここでもない?」
「ん~‥‥あ、また違った☆(テヘペロ」
 ルージュの指示により桜の木の根元を掘るフェイトだったが、いくら何でもハズレが多い。ていうか、これは故意? 故意なの!?
 あっちこっち掘り返し、土まみれになったフェイトはいったん休憩を入れた。
「ルーちゃん、頼むよ‥‥」
「ん~‥‥ルージュ、わかんない♪」
「‥‥‥‥」
 悪魔の微笑みだ。俺、こんな小さな子に振り回されてるよ。
 ちょっとだけ泣きたい気分のフェイト。そんなフェイトとルージュに声を掛けた者がいた。
「ルージュさんとフェイトさん? 何しとんの?」
「セレシュお姉ちゃんと皐お兄ちゃん!」
 セレシュと藤堂を見つけて、ルージュは喜びの声をあげる。
「あ、いえ。ルージュちゃんがこの辺りに失くしものがあるっていうんで掘ってたんですけど‥‥」
 最後まで言葉を続けず、フェイトははぁっとため息をつく。すると、藤堂が1本の木の根元を指差した。
「その根元だと思います」
「え?」
 唯一、掘っていなかった木の根元。フェイトがルージュを見ると‥‥やっぱり笑っている。
「うちも手伝うわ」
 セレシュも手伝い、フェイトは再び根元を掘り起こす。
 すると、何やら丸い宝石のような光を帯びた玉が土の中から顔を出した。
「これは‥‥」
 掘りだして改めて調べようとした時、不意に声を掛けられた。
「うわっ、ビックリした!」
 そこには小さな女の子を連れた千影と八瀬、龍臣と草間が立っていた。‥‥さっきの風船の女の子??
「なんやの? その女の子」
 セレシュがそう言って女の子を見た時、セレシュの持っていた物が強烈な光を放った。
『見つけた‥‥!』
 女の子の姿と光が消えていき、目を瞑らずにはいられないほどの光にあふれる。サングラスをしていてもまだ激しい光だ。
『ありがとう!』
 そう言って消えた女の子の代わりに、桜の花がやっとその身を開かせたのだった。
 なんだかよくわからないけど‥‥解決したみたいだった。

4.
 桜の花は各地であっという間に満開になった。
 夜桜の下、草間零はお弁当を持って草間たちと合流した。
「ししゃも~♪ し・しゃ・も~♪」
 ししゃもの焼ける良い匂いにうずうずと待ちきれない千影。
「お酒やら足りてる? ジュース飲む人は言うてね。あ、お酌するわ」
 セレシュが零の手伝いをしながら色々と気を配りながら用意を進める。
「ルージュはこう見えて小学生だから、ジュースなのよ。あ、乾き物は用意してあるから遠慮せずに食べてね」
 各種取り揃えたおつまみやらをどこから出したのか広げるルージュ。
「小学生だった君とお酒を飲む時が来るなんて思いませんでしたよ」
 フェイトにお酒を注ぎながら藤堂は少し懐かしそうに笑う。と、フェイトが一口お酒を飲んだところで慌てる。
「お、俺こう見えて小学生じゃないですからね! ちゃんと成人してますから!」
 真っ赤になって否定するフェイトに、草間やルージュ、藤堂が笑う。
「‥‥フェイトさんは相変わらず暇人なの?」
 八瀬の言葉にフェイトは頭を横に振りすぎてクラクラしている。どうやら程よく酒がまわっているようだ。
「お前は少し言葉を選ぶことを覚えろ」
 龍臣は八瀬を軽く小突いてそれを窘める。しかし、八瀬は何故窘められたのかわかっていない。

 ほろ酔いのフェイトは気分がよかった。けれど、プリンを買っていたことを思い出した。ルージュと食べようと思っていた物だ。
「ルーちゃん! 飲んでる? ‥‥あー、そっか。ルーちゃん小学生だったや。ごめんね。俺さ、ルーちゃんにスイーツ買っておいたんだ。一緒に食べよう」
 上機嫌のフェイトにルージュはにっこりと笑う。
「‥‥ありがとうなのよ、お兄ちゃん」
 それぞれスプーン1さじ分をそれぞれ口に含む。と、フェイトは先ほどまでの酔いが一気にさめる勢いで目を白黒させた。
「ぷ、プリン‥‥カツオ出汁効いて‥‥! これプリン!? ‥‥いや、これって‥‥茶碗蒸しっていわない!?」
「とぉっても美味しいプリンなのよ、フェイトお兄ちゃん」
 そう言って微笑むルージュ。
 俺‥‥いつ茶碗蒸しを買ったんだっけ? これ買った時、酔ってたっけ?
 ぐるぐる回る頭の中、茶碗蒸しとプリンって紙一重だけど大違いだな‥‥と思った。

 一通り食べ、飲んで話に花を咲かせた。
「日本の桜は綺麗だな」
 龍臣は静かにそう言って酒を傾ける。
「‥‥賑やかな花見になったな」
 桜の木に背を預け、セレシュも桜を見上げる。
 ライトアップされた夜の桜は圧倒的な美しさでありながら、儚さも持ち合わせている。こんな夜も悪くない。

 桜の花の時は短い。
 その短い時をたくさんの人と過ごせた夜に‥‥。

『ありがとう』

------

■□   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  □■

【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

 8757 / 八瀬・葵(やせ・あおい) / 男性 / 20歳 / フリーター

 8774 / 龍臣・ロートシルト(たつおみ・ろーとしると) / 男性 / 26歳 / 護衛/スナイパー

 3689 / 千影・ー(ちかげ・ー) / 女性 / 14歳 / Zodiac Beast

 8636 / フェイト・-(フェイト・ー) / 男性 / 22歳 /IO2エージェント

 8538 / セレシュ・ウィーラー(セレシュ・ウィーラー) / 女性 / 21歳 / 鍼灸マッサージ師

 8700 / ルージュ・紅蓮(るーじゅ・ぐれん) / 女性 / 500歳 / 魔女っ子小学生

 8577 / 藤堂・皐(とうどう・さつき) / 男性 / 24歳 / 観測者

■□     ライター通信      □■
 フェイト 様

 こんにちは、三咲都李です。
 この度は【お花見企画】のご依頼ありがとうございました。
 大変遅くなりましたことをお詫び申し上げます。
 桜の咲く季節からだいぶ遅くなってしまいましたが少しでもお楽しみいただけたら幸いです。

カテゴリー: 02フェイト, 三咲都季WR(フェイト編) |

クリスマスをもう一度

1.
 冬の空気は冷たく澄んでいる。空を見上げれば今にも雪が降りそうな雲が厚く空を覆っている。
 寒っ。
 コートにかじかむ手を突っ込んで、街を歩き出した。
 通りは赤と緑にデコレーションされて、どこからともなくクリスマスソングが聞こえる。
 そんな季節か。
 クリスマスソングに耳を傾けると、どことなく聞き覚えのある声だ。どうやら街頭の大型ビジョンに映し出されているコンサートの映像からのようだ。
『SHIZUKU・12月24日スペシャルライブ 追加チケット発売決定!』
 あぁ、そうか。SHIZUKUの声だったのか。どうりで聞き覚えがあると思った。
 舞台を所狭しと跳ね回るSHIZUKUの姿に足を止め、コンサートの様子を見つめる。懐かしい気持ちが心によぎった。
「お兄ちゃん!」
 どんっ! と唐突に背後に誰かがぶつかってきた。
「!?」
 思わず身構えて振り返ったが、視界には誰も‥‥あ、いた。
 小さな背丈のおさげ少女、ランドセルを背負いながらもなぜか袴姿の‥‥って!?
「ルーちゃん?!」
「お久しぶりなのよ♪ ゆう‥‥今はフェイトお兄ちゃんだったかしら?」
 ふふっと笑う少女の名はルージュ・紅蓮(ぐれん)。小学生である。
「ちょ、ちょっと待って。なんで今の名前を?」
「‥‥ルージュ、何のことだかわかんなぁい♪」
 いやいやいやいや、今思いっきり俺の名前言ったよね? 『フェイト』って。
「それよりも、あのお姉ちゃんとお知り合いなの?」
 ルージュが指差すのは先ほどまでフェイトが見ていた大型ビジョンに映し出されたSHIZUKUの姿。
「あー‥‥まぁ、高校の時の友達‥‥かな」
 言葉を濁すフェイトに、ルージュがにやりとした。
「友達? 恋人じゃないの? なんだか『遠距離恋愛で別れちゃったけど、まだ未練があるんだよね』って顔してたのよ」
「なっ!? な、なにっ! なにをっ!?」
 動揺のあまり声が震えて上手く文章にならないフェイトに、ルージュはいたずらっぽく笑う。
「ルージュ、恋愛のことはよくわかんないのよ♪ それよりも、この間の約束がまだなのよ? いつ約束を果たしてくれるのかしら?」
 この間の‥‥?
 少し考えて、まだ日本からアメリカへ飛び立つ前に交わした約束を思い出す。
「もしかしてスウィーツ食べに行くってヤツ?」
 こくんと頷くルージュに、フェイトは時間を確認してから「じゃあ、今行こうか」と切り出した。就業時間中だが、休憩ぐらいはいいだろう。
 フェイトが快諾したときのルージュの顔が、パァッと明るくなったのが実に印象的だった。

2.
 『この間の約束』とルージュは言ったが、その約束は5年前のものだ。
 そもそも、ルージュは5年前のフェイトの記憶そのままで‥‥5年もあれば普通は小学生でも中学生になってたりするはずなんだが‥‥どうなっているんだろう?
「ここよ! この間からチェックしてたのよ♪」
 ルージュに連れられてきたのは、ちょっと表通りから一本入った小洒落たカフェだった。
 クリスマスカラーに彩られ、何よりも女の子の長蛇の列ができている。
「ここ? ‥‥いっぱい並んでるけど‥‥」
「大丈夫なのよ♪ 予約しておいたから」
 いつ? どこで? 誰が?
 フェイトの頭の中を『?』が大量に飛び交うが、そんなことは気にせずにルージュはずんずんと列を追い越して店に入ってしまう。慌ててその後を追うと既にルージュが店員と会話していた。
「予約した『工藤』なのよ♪」
「お待ちしておりました、ご予約2名様の工藤様ですね。こちらへどうぞ」
 ‥‥!?
「今『工藤』って!?」
「偽名なのよ。‥‥偶然よ? 偶然なのよ?」
 だって今2名様って言ったじゃん? 工藤様って言ったじゃん? ていうか、俺の本当の名前知ってるよね?
「ぐ・う・ぜ・ん♪」
 楽しそうに笑いながらルージュなご機嫌で店員の後について席に着く。更なる『?』の渦に巻き込まれながら、フェイトも席に着く。
 ビュッフェスタイルのケーキ屋さん。定額制ではあったが、スペシャルメニューは別料金と書いてある。
 外の行列も女の子ばかりだったが、店内はさらに女の子ばかりだった。
「お、俺‥‥場違いじゃない?」
 黒ずくめのスーツ姿のフェイトをやたらと女の子たちは振り返る。フェイトを見ると同時に、ルージュの姿を確認すると怪訝な顔をするのだ。
「そんなことないのよ? スウィーツを男の子が好きでも悪くなんか全然ないわ」
「いや、でも、なんかあらぬ疑いまでかけられているような気が‥‥」
 そう言い終わる前に、ルージュはひときわ感極まって嬉しそうに満面の笑顔で大声で言った。
「お兄ちゃん! このお店、すっごく来たかったの! お兄ちゃんありがとう!」
 えっ? えっ!?
 と思って慌てて周りを見ると、納得顔の女の子たちがフェイトと目が合った瞬間バツが悪そうに顔を背けた。
「こんな感じで大丈夫だと思うのよ♪ さ、ケーキ食べましょう♪」
 にっこりと笑ってケーキ皿を手にウキウキと席を立ったルージュを見ながら、フェイトは思う。
 ‥‥やっぱりよくわからない子だ‥‥と。
 

3.
 皿いっぱいのケーキをいともあっさり平らげて、ルージュは2杯、3杯とおかわりをする。
 フェイトのおごりだから‥‥なのか、それとも普段からこうなのか。恐ろしいほどに遠慮なく食べる。もちろんスペシャルメニューも。
 5年越しの約束をようやく果たせたことにホッとしつつも、思わぬ大ダメージを受けそうな財布の中身が気になる。
 ‥‥決めた。自分の分のスペシャルケーキは諦めよう。
 コーヒーを飲みつつ、ビュッフェからとってきたケーキを食べる。甘くて美味しい。なんだか久しぶりにまったりとした気分だ。
「もしかして‥‥SHIZUKUお姉ちゃんと来たいなぁ‥‥なんてこと考えてたりするのかしら?」
「ぶふっ!?」
 突拍子もないルージュからの質問に、思わずむせてしまった。
「な、何言ってんだよ! ベ、べべ別にそんなこと考えてないって!」
 どもってますが、何か?
 ニヤニヤと笑うルージュにフェイトはおしぼりでちょっとだけ飛び散ったコーヒーを拭きとった。
「フェイトお兄ちゃんは相変わらず顔に出やすいのね。あ、悪いって言ってるんじゃないのよ? いいことだと思うのよ」
 ‥‥こ、こんな小さな子にまで悟られてどうするんだ、俺‥‥。
 フェイトは努めて冷静になるように、再びコーヒーを口に運ぶ。
 だが‥‥。
「で、再会して何か進展はあったのかしら? まさか、告白すらしてないなんて言わないわよね?」
「ぶふーーーっ!!」
 吹いた。2回目は盛大に吹いた。
「大丈夫? お兄ちゃん」
 ルージュが手元にあったおしぼりを渡してくれた。それを受け取ると、フェイトは顔にかかったコーヒーをしっかりと拭いた。
「あ、あのね? 俺とSHIZUKUはそんなんじゃないんだって。こ、告白とかそういうんじゃないんだって。友達なんだ。俺とSHIZUKUは友達なんだよ」
 詰まりながらもそう言うと、今度はコーヒーではなく水を口にした。
 3回目の予想外のツッコミがあるかもしれない。
 しかしフェイトの予想は外れ、ルージュは黙ってしまった。
 フェイトも大人げなく言い返してしまったことに、少し気まずさを感じて黙ってしまう。

 ‥‥実際、SHIZUKUとは旧知の仲、古くからの友人という意識でいる。そう、あくまでも『意識してそう思っている』のだ。
 無自覚ではない。恋とか愛とか、そういうものだと薄々わかっている。
 けれど、それを認めてしまうのはダメだと思った。自分の今の立場やSHIZUKUの今の立場を考えれば表に出すべきではないのだと。
 俺の為。SHIZUKUの為。それが一番なのだと。

4.
「‥‥ルージュ、よくわかんないけど。フェイトお兄ちゃんは人間なんだから、時間は有限なのよ」
 ルージュがリンゴジュースを飲みながら、そう呟いた。
「え?」
 今‥‥変な発言しなかった?
 聞き返す前に、ルージュはさらに言葉を続ける。
「ルージュの好きなゲームは、リセットすれば最初からできるし、間違えば戻ってやり直すこともできるけど‥‥お兄ちゃんはそうじゃないのよ。2人の時間はどんどん過ぎていくし、リセットはできないのよ」
 最後のケーキの欠片をぽいっと口に放り込んで、ルージュはジュースでそれを流し込む。
「言いたいことはわかるよ。だけどね、大人になるとさ色んなしがらみが‥‥」
 フェイトがそう言うと、ルージュはつかつかとフェイトの皿を持って大きなスペシャルケーキをひとつフェイトの前に差し出した。
 そして‥‥。
「考えに考えた末、結論が出てるのにまだ考えるの? 結論に納得してないんでしょ。ならとっとと行動するべきじゃないの? ゲームオーバーになってからじゃ遅いのよ。‥‥まぁ、ルージュにはよくわかんないけど♪」
 ルージュはフェイトの口にケーキを無理やり突っ込んで、そう一笑に伏す。
 目を白黒させながら、口に入れられてしまったケーキを何とか水と気合で胃に落とす。
 ケーキに殺されるかと思った。
 けれど、それ以上に納得してしまった。
 自分で出した答えなのに、俺はまだ別の答えを探していた。
「ルーちゃん」
 そうフェイトが顔をあげると‥‥そこにルージュの姿はなかった。
 かわりに1杯のエスプレッソコーヒー。ラテアートで『ごちそうさま』と書かれていた。
「‥‥エスプレッソは苦いな」
 苦笑しながら、フェイトはそれをゆっくりと飲んだ。

 外に出ると、冬の風が室内で温かくなったフェイトの体から体温を奪った。
 フェイトはスマホを取り出す。
 指先がアドレス帳を開いて、SHIZUKUの名を探し出す。
 ‥‥もう一度だけ、メールをしてみようか。
 あのクリスマスのように、もう一度だけ勇気を出して。

『クリスマス、なんか予定ある?』

カテゴリー: 02フェイト, 三咲都季WR(フェイト編) |

夢見るアイドル

1.
 春うらら。桜の花びらが雨のように舞う。
 久しぶりのオフの日。フェイトはテレビをつけて、窓の外を見た。
 暖かな春の日差しが少しだけ残っていた眠けを優しく溶かしていく。
 今日1日、何をして過ごそうか? 夜中まで仕事で帰ってから倒れ込むように寝てしまったため、今日の予定など全く考えていなかった。
 折角桜の花が咲いているし、公園にでも行って過ごそうか。
 …そうだ! 久しぶりに弁当でも作ってみようか。
 花見と言えば弁当だよな。とりあえず冷蔵庫の中に材料があるか確認してみるか。
 冷蔵庫を漁りながら、弁当の材料になりそうなものを探す。ここの所忙しかったので、あいにく弁当の材料になりそうなものはほとんどない。
 しょうがねぇな。買い物に行くか。
 出かける準備をもそもそとしていると、先ほどつけたテレビから聞き覚えのある名前を聞いた気がした。
「ん?」
 思わず目をやると、見慣れた笑顔が大きな見出しと共に映し出されていた。
『オカルト系アイドル・SHIZUKUさん、過労でダウンのようですね』
『過密なスケジュールの影響だと事務所の見解ですが…どう思われます?』
『そうですねぇ。オカルト系と言われてますし、案外何かに憑かれていたりするのかもしれませんねぇ…ははっ。あ、今の【疲れる】と【憑かれる】を掛けたんですよ。笑うところですよ。…どちらにしろ、早く復帰してほしいものですね』
 軽いおやじギャグをかましながら、コメンテーターたちは勝手なことを言う。
 先日放映された心霊番組で、SHIZUKUはいつものようなキラキラした好奇心あふれる笑顔で心霊スポット探索を行っていた。
 …気にかかった。
 買い物に出かける。ただし、花見の予定はやめた。

 行先は、SHIZUKUの自宅だ。

2.
「び…っくりしたぁ…」
 赤い顔をしたSHIZUKUはそう言いながら笑ってフェイトを迎え入れた。
「ていうか、何で家知ってるの? あたし、教えたっけ?? あ! もしやあたしのファンでストーk…」
「ばっ…!? 前の時にSHIZUKUのマネージャーに教えられたんだよ! 念のためにって!」
「あー…そっか。なるほど」
 SHIZUKUの部屋は女の子らしく…ないシンプルな部屋だった。
 しいて何か特徴をあげるとすれば、パソコンスペースの周りに異常なまでのオカルト本が置いてあることだろうか。
「飯、食えそうか?」
「お腹減ったぁ…て、え? 作れるの?」
 持参した袋には途中購入してきた食材とエプロン。それらを置いたフェイトを意外そうな顔で見つめるSHIZUKUはベッドの上に座った。
 仕事用のスーツではなく、ジーンズに春らしい明るい色のシャツの上からエプロンを着用したフェイトはやや不服そうに答える。
「それぐらい作れるよ。何のために来たと思ったんだよ?」
「う~ん…可愛いあたしを襲いに?」
「……寝てろ」
 ぶーぶー文句を垂れるSHIZKUを無視しつつ、手際よくフェイトはおかゆや消化に良い料理を作っていく。
 過去、弁当男子をしていた身としてはこれくらいは朝飯前になっていた。
 …つくづく、なんでもやっておくべきものだなと思う。
「フェイトくん、いいお嫁さんになれるね~」
 SHIZUKUが感心したようにそう言った。フェイトは苦笑いして振り向く。
「俺は男だから。お・と・こ!」
「知ってるよーだ! なによぉ、褒めたのにぃ…」
 全然褒められた気がしないのはなんだろう?
 でも、拗ねたSHIZUKUを見ると本気で褒めてくれていたようだ。少しだけ顔がゆるんだ。
 その気持ちだけは受け取っておこう。
「ほら、できたぞ」
「うわーい!」
 熱々のおかゆと炒り卵、練り梅、ふろふき大根とほうれん草のおひたし。それから豆乳プリンのデザート付。
「すごいすごーい! フェイトくん、今からでもコックさんになりなよ!」
「そこまでのもんじゃ…いいから食べろよ。あっついから火傷するなよ」
 面と向かって褒められて、フェイトはポーカーフェイスを保つのに必死だった。
「いっただっきまーす!」
 食事を食べだしたSHIZUKUの傍らに座り、フェイトはSHIZUKUをじっと観察した。
「…な、なに?」
 その視線に気が付いたSHIZUKUが困ったように聞いた。
「いや、よく食べるなぁと思って」
「! だ、だってお腹空いたんだもん! アイドルだってお腹空くの!」
 エプロンを脱いだフェイトはその言葉に笑ったが、真顔に戻り気になっていたことを訊いた。

「なぁ。調子悪いの、いつからだ?」

3.
 SHIZUKUはおかゆを冷ましながら、少し考えていたがカレンダーに目をやって答えた。
「先月の終わりくらいかなぁ。ロケに行ったんだけど…その後だったかな。熱が下がらなくなっちゃったんだ」
「熱以外は?」
「特になにもないんだよね。お医者さんも『過労でしょう』って言ってたし…」
 SHIZUKUの額にそっと手を当てて見る。確かに熱が高い。
「…? あれ? 熱が急に上がったか?」
 ふとフェイトがSHIZUKUの顔を見ると、SHIZUKUの顔が真っ赤である。
「うわっ!? 熱が上がったのか! 飯食って、早く横になって休めよ」
 アワアワして食事を下げたり、布団を直したりと世話を焼くフェイトにSHIZUKUは「誰のせいだと思ってるのよ…」とぼそりと呟いたが、その言葉はフェイトには聞こえなかったようだ。

 ご飯を食べて少し経つと、SHIZUKUはいつの間にか寝息を立てていた。
 苦しそうな様子はなく、むしろ安心したような寝顔だった。
「すぐに楽にしてやるから」
 フェイトはそう言うと、SHIZUKUの自宅を後にした。
 どうしても向かわなければならない場所があった。
 それは、先日SHIZUKUが心霊番組でロケに行ったという都内の心霊スポット。聞くところによると自殺の名所だという。
 …実はIO2の情報網にこの場所は何度か報告が上がっていた。
 ただ、目撃談のみで害があるという報告はなかったため、IO2で取り扱うことはなかった。
 フェイトは都内の心霊スポットということで印象に残っていたので、SHIZUKUの件で違和感を覚えたのだ。
 心霊スポットについたのは午後3時頃。
 しかしその場所はどことなく薄暗く、まだ冬のような寒気を覚えた。
「あんたか? あいつに悪戯してるのは」
 何もない場所にフェイトは話しかける。ごく一般の者には見えない影がそこにはいた。
 影は何も言わない。フェイトはそれでも話しかける。
「SHIZUKUを覚えてるだろ?」
 『SHIZUKU』の名を出した途端、影は爆発するように黒い瘴気を放ちだす。
「ちっ!」
 飛びのくと同時に影にサイコハックを仕掛ける。何か手がかりがあるかもしれない。

 それは…黒い記憶だった。
 東京に飛び出した少女。夢を見ていた。いつかキラキラとした芸能界に自分も飛び立つのだと。
 その為に一生懸命、働いた。自分を磨くために色々なことをした。
 そうしてとある芸能事務所からスカウトが来た。
 少女は喜んで契約を交わした。契約金として大金が必要だったが、東京に出てきて働いたお金があったから全てをつぎ込んだ。
 初めて手にした芸能界への扉の鍵を離すまいと、少女は必死だった。
 しかし、少女が掴んだのは華やかな世界の鍵ではなく、絶望の淵をのぞくための台だった。
 芸能事務所は、どこにも存在しなかった。詐欺だった。
 少女は全てをなくした。東京に出てきてからの時間、お金、夢、希望…そして、命。

『死…ねシねしネし…ね…シね…死ネ…』
 どす黒い瘴気がすべてを拒む。フェイトの話すら聞けぬほど、影は嫉妬に狂っている。
 そしてそれらの全てをフェイトへぶつける。いや、フェイトにだけぶつけているわけではない。
 それはあの日ロケに来たSHIZUKUへもぶつけられていた。
 少女の欲しかったものすべてを手に入れていたSHIZUKUは、明るくて眩しくて…そして妬ましかった。
『シ…ね…死ネ…しネ…』
「話は…通じないか…」
 あいにく今日はオフの日。フェイトの愛用の銃は残念ながらここにはない。
 それでも、友人を救うためにこの悪霊と化した少女を消滅させる必要があった…。

4.
「悪いな」
 そうフェイトは呟くと、辺りに散らばっていたBB弾に目をつけた。
 怖いもの知らずな子供がここでサバイバルゲームの真似事でもしたのだろう。
 だが、それがフェイトの有効な武器になる。
 絶え間なく発せられる少女の怨念は、今もフェイトに、そしてSHIZUKUに浴びせられる。
 BB弾がフェイトの力によってふわりと空に舞い上がる。そして、次の瞬間その弾は雨のように影へと攻撃を仕掛けた。
『ギャッ!』
 小さな悲鳴が聞こえたが、フェイトはそれでも容赦しなかった。
 降り注ぐBB弾の雨に混じって、次第に消えていく影。
 その影が完全に消えると、辺りは嘘のように春の木漏れ日に包まれる場所になった。
「手荒な真似はしたくなかったんだけどな…」
 自嘲気味にそう言ったフェイトは、影のいた場所を一瞥するとその場を立ち去った。

 SHIZUKUの状態が気にかかった。早く戻らないと…。
 夕闇迫る街を人ごみを縫うように走る。大丈夫だとは思う。けれど万が一があったら…。
 焦る心が足を動かす。SHIZUKUの自宅前に着くとフェイトは足を止めた。
 中で人が動く気配がする。

「うわぁ! フェイトくんてば豆乳プリンいっぱい作ってってくれたんだぁ~♪」

 嬉しそうな黄色い声。元気が出たらしいSHIZUKUの声。どうやらフェイトが作って冷蔵庫に入れておいた料理の数々を品定めしているようだ。
「おかずもいっぱい~♪ 当分ご飯に困らないなぁ、うふふ♪」
 …SHIZUKUのヤツ、元気になったらこれかよ…。
 ちょっと気が抜けた。まぁ、でも元気になったみたいだし、いいか。
 フェイトは踵を返して、SHIZUKUの部屋から遠ざかる。すっかり日が落ちてしまった。
 折角のオフの日が終わってしまった。
 けど、友人を助けられたのだから悪いオフではなかった。
「家に帰って飯の用意しようかな」
 食材を買って家に帰ろう。料理の腕が落ちないように、たまには自炊しておかなければ。
 だが、家に帰る途中でふとフェイトは立ち止まった。
「あ…エプロン…」
 SHIZUKUの家に置いてきてしまったようだ。
 一陣の風が吹く。桜の花びらをのせて、フェイトの周りを駆け巡る。

『ありがとう』
 風に紛れてそんな声が聞こえた気がした。空耳だったかもしれない。
 けれど、SHIZUKUの声だったような気がした。
 
 また気が向いたら作りに行ってやるか…。
 少し微笑んで、フェイトはまた歩き出した。

■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■

【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

 8636 / フェイト・- / 男性 / 22歳 / IO2エージェント

 NPC / SHIZUKU (しずく) / 女性 / 17歳 / 女子高校生兼オカルト系アイドル

■         ライター通信          ■
 フェイト 様

 こんにちは、三咲都李です。
 ご依頼いただきましてありがとうございます。
 オフの1日、SHIZUKUの看病お疲れ様です。
 久しぶりに色々お料理などしていただきましたが…弁当男子からどれくらいの腕前になっているのか、ワクテカな私です。
 少しでもお楽しみいただければ幸いです。

カテゴリー: 02フェイト, 三咲都季WR(フェイト編) |

おにいちゃんといっしょ☆

1.
「今日の仕事は終了っと」
 フェイトは携帯端末から報告を済ませると、東京の街を歩きだした。
 予定よりも早く終わった仕事。アメリカ研修の成果がすでに表れているのだろうか?
 日本に戻ってきたばかりのフェイトは空を見上げる。太陽はまだ高い。
 …そうだ。近くにハスロさんの家があったっけ。折角だし、顔出していこうか。
 そう思い立って、フェイトは黒スーツの仕事着のまま、ハスロ家へと足を向けた。

「フェイト君!?」
「こんにちは」
 ハスロ夫妻は少し驚いた様子で、フェイトを迎えた。なにやらソワソワしているように見えた。
「あ、お兄ちゃん!」
「晶(あきら)君、こんにちは」
 走り寄ってきたのは当時5歳の晶・ハスロ。ハスロ家の長男である。父によく似た柔らかそうな髪と母によく似た可愛らしい少年だ。
「お兄ちゃん、遊びに来たの? 遊びに来たの!?」
 キラキラした瞳で好奇心旺盛なお年頃の晶に、フェイトは微笑む。
「うん。仕事終わって近くまで来たから元気かなって、顔見に来たんだよ」
 すると、ハスロ夫妻が今度はキラキラとした眼差しでフェイトを見た。
「今…仕事が終わったって言ったかい?」
「え? …言いましたけど…」
 すると、夫妻はフェイトに手を合わせて、頼み込んだ。
「お願い! 急用ができちゃって…ちょっとでいいの。晶を頼めないかしら!?」
「え!?」
 思わず晶を見ると…変わらずキラキラとした真っ直ぐな瞳でフェイトを見ている。
「お願いできませんか。とても大事な用事なのです」
 特にこの後の用事はない。断る理由もない。フェイトは覚悟を決めた。

「わかりました。が、頑張ってみます!」

 フェイトの言葉に、ハスロ家の全員が喜んだ。

2.
 夫妻を見送ると、フェイトは晶に訊いてみた。
「さて…晶君、何してあそぼっか?」
 5歳の子供のやることと言えば…なんだろう? テレビゲームとかやるのかな? 公園…とか?
 子守は初めての経験なのでどーしたものかと悩んでいると、晶は1枚の紙を持ってきてフェイトに差し出した。
「なに? 遊園地??」
「これ、これ!」
 晶は下の方に太い枠線で強調された部分を指差した。
「あのね、これに行きたい!」
「ひー…ろー…ヒーローショー?」
 赤、青、黄のマスクをかぶった人物がかっこよくポーズを決めているそのチラシは、ここからさほど遠くない場所にある。
「あのね、お父さんと約束してたの。すっごくカッコいいんだよ!」
 晶はそう言うと踊るようにくるくるとその場で回りだす。おそらくはそのヒーローの変身ポーズか何かなのだろう。
「そっか…じゃあ、行こうか!」
「うん!」
 満面の笑顔に思わずフェイトも笑顔になってしまう。なんだか楽しくなりそうだ。
 晶に帽子をかぶせ、バス停まで歩きそこからバスに乗る。2区間ほどの短い距離だ…ったのだが…
「お兄ちゃん…トイレ、行きたい…」
「え!?」
 モジモジとする晶にフェイトはアワアワ。もちろんバスにトイレなんてついていない。
「もうちょっとだから! 我慢できる?」
「が、我慢する~…」
 わずか2区間がこれほど長い旅になるとは思いもよらなかったが、無事に遊園地前に到着しトイレへと駆け込んだ。危ないところであった。
 遊園地は、大勢の親子連れでにぎわっていた。…恋人連れも大勢混じっていたが。
 そんな中、フェイトと晶は手をつないでお目当てのヒーローショーの会場へと向かう。
 …のだが、晶は色々なところに目移りして時々フェイトと手を放してははしゃぎまわっている。
「お兄ちゃん! 怪獣! 怪獣!」
「いや、それは多分ウサギのぬいぐるみ…」
 自由奔放な晶にフェイトは子供がよく迷子になる理屈が少しだけわかった気がした。
 寄り道を繰り返し、何とかヒーローショーの会場に着くとステージにほど近い通路側が丁度2席空いていたのでそこに座った。
『さぁ、みんなのヒーローが来てくれましたよ! みんなで元気よく呼んでね! せーの!』

『*×●◎□~!!』

 会場の子供たちの声が大きすぎてヒーローの名はフェイトには聞き取れなかったが、とにかくその圧倒的な支持だけは感じ取れた。
 耳がキンキンした…。

3.
『くそっ! こうなったら…会場の子供たちを誘拐してやる!』
 ヒーローショーにはつきものである会場の子供たちを巻き込んでのステージショー。物語は劣勢になった怪人がステージから降りて会場の子供たちの周りをウロウロとし始めたところである。
 フェイトは初めて見るそれに(大変そうだなぁ)なんて、感心してみていた。
 隣の晶はというと…「負けるなー! がんばれー!」と、必死にヒーローを声高に応援している。
 その声が怪人に届いたのか、怪人は晶の方へと向かってくる。
 ん? とフェイトは眉をひそめた。

『よぉし、この元気な子供を誘拐することにするぞ!』
 
 怪人は晶の手を取り、立ち上がらせた。ワーッという歓声と晶の嬉しそうな顔。
 それとは逆に、フェイトは慌てた。
 誘拐!? こんな白昼堂々!?
 思わず立ち上がって、晶の手をガッと掴んだ。
「ま、待て待て待て待て! 晶を誘拐しようなんて俺が許さないぞ!」
 そう叫んだフェイトに、怪人は「へ?」と間抜けな声を出した。
『えっと…お父さーん、お芝居ですから。安心してくださいね~』
 ステージの上の司会役のお姉さんが微笑みながら、マイクでそう言うと会場内はどっと笑いに包まれた。
「え…」
「行ってくるね!」
 晶はにこにこと怪人に連れられて、ステージの上へと上がっていった。
 フェイトは席に崩れ落ちるように座り、顔を伏せた。死ぬほど恥ずかしかった。
 なにやってんの? 俺…。
 ひとしきりフェイトが落ち込んでいるうちに、ショーはどうやら無事に終了したようだ。
 一陣の風が吹き、会場から去っていく人の流れに気が付くとフェイトも晶を連れて会場を後にしようとした。
「晶君? あきらくーん??」
 返事はない。…返事がない!?
「ま、迷子!? やべっ…!」
 どうする? 俺に似たやつについて行っちゃったのか? それとも誰かに連れて行かれた!?
 とにかく冷静になれと、深呼吸をした。そして精神を集中させ、晶へのサイコハックを試みる。

『取れるかなぁ? 高いけど…でも無くしたらお母さんに怒られるし…』

 晶の記憶とフェイトの見る風景とが重なる。フェイトは振り返った。
「見つけた! …って、わぁ!? あんな所に!」
 会場の後ろに立つ少し高めの鉄塔に帽子が引っ掛かっており、その鉄塔に晶が一生懸命上っている姿が見えた。5歳の晶が上っていい場所ではない。ましてや、上ったところで帽子に手が届くとは到底思えない。
「晶君! 早く降り…!?」
 フェイトがそう言いかけた時、晶はフェイトに気が付いて掴んでいた手を放してしまった。
 げ!? 落ちた!
 咄嗟にフェイトが力を使おうと手を差し出す…よりも早く、それは起こった。

 ふんわりとした風が晶の体を包んで、まるでスローモーションのように晶は地面の上に降り立ち、その手には帽子が握られていた。

「お兄ちゃん。帽子、取れたよ!」
 無邪気に笑う晶にフェイトはぐったりとため息をついた。何が起こったのかはさっぱりわからなかったが、とりあえず、晶が無事であることに安堵した。
「さ、流石夫妻の子だね…でも、あんまり無茶しないでくれよな」
「? うん!」
 わかっているのか、いないのか。晶は元気良く頷いたのだった。

4.
「お腹空いたー! お兄ちゃん、回るお寿司食べたい!」
 帰りのバスの中、晶はフェイトにそう言った。
 回るお寿司…あぁ、回転寿司のことか。でも、俺生ものは…。
 ちらりと横を見ると晶はキラキラ&ニコニコと屈託のない瞳でフェイトを見つめている。
 …負けである。どんな敵よりも断然に強い。
 フェイトと晶は回転寿司に隣り合わせに座った。くるくる回ってくるお寿司に晶はとても嬉しそうだ。
「ハンバーグ~♪ マヨツナ~♪ それから、玉子~♪」
 お子様定番の寿司を次々と取っては並べ満足げに微笑んだ晶は、ふとフェイトの手元を見た。
「…? お兄ちゃん、エビフライ軍艦ばっかり??」
「!? す、好きなんだ。エビフライ…」
 ギクッとしてフェイトが晶を見ると、晶はハスロ家の母そっくりの口調でこう言った。
「お野菜も食べなきゃだめー」
 丁度流れてきた『なすの浅漬け寿司』を取ると、フェイトの方へぐっと差し出した。
「さぁ、召し上がれ♪」
「…あ、ありがとう…」
 5歳の子供に見守られ、フェイトは美味しくなすの浅漬け寿司を頂いた。

「ただいまー! ごめんね、遅くなって」
 夫妻が帰宅すると、玄関にフェイトと晶の靴はあったが返事は帰ってこなかった。
「どうしたんだろう?」
 夫妻が家の中へと入ると、電気をこうこうとつけたままソファーの上で眠るフェイトと晶の姿があった。
 2人はぐっすり眠りこんでおり、ちょっとやそっとでは起きそうになかった。
「…いっぱい遊んでもらったのね、きっと」
「楽しかったんだろうね。晶が笑っているよ」
 夫妻は幸せそうに眠る2人にタオルケットをかけた。
「起きたらもっと楽しくて、嬉しいことが待ってるわ」

 晶の頭を撫でながら、母は自らのお腹をそっと優しく撫でた。

カテゴリー: 02フェイト, 三咲都季WR(フェイト編) |

アイドルとストーカーと俺

1.
 5年経っても変わらないものがいくつもある。
 その中のひとつに、昔来た覚えのあるネットカフェがある。
 扉をくぐると…そんなに変わらない店内。ほぼあの頃のままの姿だ。
「さて、依頼人は…ここにいるはずなんだけどな」
 サングラスをしたフェイトは、ぐるりと店内を見回した。
 IO2にアイドル護衛の依頼が入り、それがフェイトに回ってきた。
 …なんだかどこかの探偵のような依頼だが、IO2に依頼するってことは相当の大物アイドルに違いなかった。
 少なくとも、フェイトはそう思っていた。
 だが…店内のどこを見てもそのような感じのする人影は見当たらない。
「おっかしーなー?? アイドル…アイドル…??」
 首をひねるフェイトに、後ろからトントンと不意に肩を叩かれた。
「キミ、IO2の人?」
 振り向くと…どこかで見たようなサングラスの女性が立っていた。
「…どっかでみたことあるような…」
「当たり前だよ。だってあたし、アイドルだもの」
 女性はサングラスをちらりとずらして、可愛い目で悪戯っぽく笑った。
「げ! 護衛するアイドルってお前だったのかよ!」
「…ちょ! 誰!? あたしを『お前』呼びとか!」
 SHIZUKUは顔色を変え慌ててカップルシートへとフェイトを連れ込む。
「サングラス取ってよ! あたしの知り合いなの!?」
「イエイエ、全然知リ合イジャナイデス」
 フェイトは拒む。全力で拒む。
 冗談じゃない。なんでよりによってコイツなんだ…?!
「いいから取ってったら!!」
 SHIZUKUが力づくでフェイトのサングラスをひったくった。
「うわっ!?」
「…キミ…ゆ…」
 記憶の底のその名を呼ぼうとしたSHIZUKUをフェイトは慌てて止める。
「それ以上言うな! 俺仕事なの! 仕事中だからフェイトで! わかった!?」
「あ、そっか…ふ~ん。そうなんだ…フェイトね。そっかそっか」
 SHIZUKUはニヤニヤとしている。
「あー…くそっ!!」
 簡単な任務だと思って、内容を詳しく読んでなかったことがこんなに悔やまれたのは初めてだ。
 フェイトはひとつ咳払いをすると、SHIZUKUに改めて依頼内容を確認した。

2.
 5年の間、SHIZUKUはオカルトアイドルとしての地位を不動のものとしていた。
 その人気は天井知らずで、オカルト番組=SHIZUKUの名は欠かせぬ存在とまでなっていた。
 そんな人気者であるがゆえに、必ず出るのがストーカーの存在である。
 しかしそこはオカルトアイドルSHIZUKU。並みのストーカーはつかない。
 『幽霊ストーカー』である。
 衣装の着替え中に鏡に映るが後ろを振り向いても誰もいない。未開封のDMに『好きです』の血文字が大量に書かれたり、番組の収録中ずっと後ろに張り付いているのを視聴者に指摘されたり。
 …とにかくうざいことこの上なくなったのだが、警察ではさすがに対処してくれない。
 そこで、敬虔なお寺からお札を頂き『悪霊退散!』と唱えたのだが…これがいけなかった。
『俺は…悪霊じゃないいいいいいい!!!』
 と、本格的に悪霊と化し、SHIZUKUに本格的に危害を加えるようになったのだという。

「…自業自得じゃねぇの?」
 フェイトはそう言うと、持ってきた飲み物を飲んだ。
「うっ…で、でもあたしに危害加えるのはいけないと思うんだよね」
「中途半端なやり方で、しかも悪霊じゃない奴に『悪霊退散!』って…おまえホントにオカルトアイドルなのか? 大体さ、なんで肩書きがまだ『女子高生』なんだよ。5年前に確か…」
「ちょ! 永遠の17歳! 永遠の女子高生なんだから…そ、その辺はスルーしてよ!」
 ぷんぷんとSHIZUKUは頬を膨らませて、怒っている。
 こいつも昔と変わらない。
 フェイトは声を出さずに笑った。
「と、とにかく! フェイトの仕事はあたしを守ること! いい? 国民的アイドルなんだからね」
「はいはい、国民的『オカルト』アイドル様。任務はしっかりやりますよ」
 フェイトがそう言うと、SHIZUKUはふぅっと息を吐いた。
「ホントに大丈夫? あいつ…結構力強いよ? あたしがヤバいと思うくらいだもん」
 真面目な…少し心配そうな顔をして、SHIZUKUはフェイトを見つめた。
 フェイトはそんなSHIZUKUの不安を感じ取って、にやりと笑った。
「心配するなって。俺、IO2のエージェントだぜ? エキスパートなんだぜ?」
 フェイトの自信満々な言葉に、SHIZUKUはぽかんとした。
「キミ…昔から一言多いっていうか…むしろそれが不安になるっていうのに…」
「な、なんだと!?」
 思わず噛みついたフェイトに、SHIZUKUはあははっと声を上げて笑った。

「嘘、嘘! 信じてるよ。守ってね、あたしのこと」

 SHIZUKUの笑顔から、不安が消えていた。

3.
 それから、SHIZUKUの警護をするにあたり付き人としてSHIZUKUの傍にいるようにした。
 確かに、SHIZUKUの周辺では怪奇な現象が度々起こった。
 スタジオの天井から落ちてきた照明器具。点検はきちんとしたとスタッフに確認した。
 それから、セットに配置された壁がSHIZUKUめがけて倒れてたのをフェイトが危機一髪で救った。
 これもまた念入りに組まれていたと、スタッフの証言が取れた。
 ただ、ひとつ気にかかることがあった。
 それは、フェイトがSHIZUKUの傍についてから、そのストーカーとやらを見ていないのである。
 SHIZUKUにそれを訊くと、SHIZUKUもあれ?という顔をした。
「そういえば、あのお札の時以来姿は見てない…かも」
「………」
 なにか、何かが気にかかった。それがなんなのか、フェイトにもわからなかったが。
「その時のお札は? 今どこ?」
「ん~? んーっとね…あれ? どうしたんだろ? 捨てた覚えはないんだけど…」
 SHIZUKU自身、お札の行方については全く覚えがないようだ。
 引っかかる。お札はいったいどこに行った?
「…気になるなら、その時のスタッフさんに訊いてみようか? 持ってる人がいるかもしれないし」
 SHIZUKUがそう言ったので、フェイトはこくりと頷いた。
 その時、鋭い視線を感じた。刺すように鋭く、激しい憎悪の塊のような…悪意ある視線。
「予感…的中かもな」
「え? な、なにが??」
 SHIZUKUの質問には答えられなかった。いや、答える暇がなかった。
 天井につりさげられた照明の破裂する音。降り注ぐガラスの雨。
「逃げるぞ!」
「ひゃあ!?」
 SHIZUKUを軽々と抱きかかえて、フェイトはガラスの雨をよけながらスタジオを出た。
「使ってないスタジオ、わかるか?」
「えっと…確か、今なら第4スタジオが空きのはず…」
 フェイトはそのまま第4スタジオを目指して走り出す。
 後ろからパーン! パーン! という何かの破裂音がフェイトたちを追いかけるように聞こえる。
 後ろは振り向かず、フェイトはそのまま第4スタジオに入るとSHIZUKUを下ろして隅に避難するように指示した。
「なにが始まるの?」
 SHIZUKUが問うと、フェイトは淡々と答えた。

「終わり…だ」

4.
 閉めた筈の第4スタジオの扉が勢いよく開いた。
 突風がフェイトに向かってくる。何も見えない。だけどわかる。悪意の塊だ。
 それがフェイトに直撃する手前で、フェイトは微動だにせず2丁のマグナムを懐から取り出して撃つ。
 普通のマグナムじゃない。対霊用に作られた特別仕様だ。
 1発目は悪意の真ん中に。そしてもう1発は、1発目と全く同じところを打ち抜く。
 すると、1発目が道を作り、2発目がその核にあった何かを打ち抜いた。
 核が飛び散った。
 と、同時に悪意の塊は霧散し、小さな半透明の人型だけが残った。
「あ、こいつ…例のストーカー…!」
 SHIZUKUが驚いたようにフェイトに駆け寄る。
「なにが…どうなってるの?」
「原因はこれだ」
 フェイトはバラバラになって小さな紙切れを拾った。それはフェイトが2発目に打ち抜いた核だった。
「これ、お前がこいつに『悪霊退散!』ってやったお札じゃないか?」
 SHIZUKUはフェイトの手元を覗き込んだ。小さく細切れになっていたが、赤い縁とよくわからない文様のような文字が見てとれた。
「そう、これ…。でも、なんで?」
 不思議そうなSHIZUKUにフェイトは淡々と答える。
「中途半端な術と、こいつの負の感情がその辺にいた悪い奴らを呼び寄せて塊になったんだ。…お札を憑代にして」
 その憑代となるべきお札はもうない。残ったのは小さな霊だけだった。
「あいつも直に消えるよ」
 力を吸い取られ、悪霊になり、そして今それすらもなくなった霊はもう消えるしかない。
 フェイトがそう言うと、SHIZUKUは小さな霊に駆け寄った。
「あのね…あたしのこと、好きになってくれてありがとう。ごめんね」
 SHIZUKUの最後の言葉は、届いたのだろうか?
 その姿は音もなく消えていた。

「仕事終了だな」
 立ち去ろうとしたフェイトに、SHIZUKUが「待って!」と声をかけた。
「また…会えるかな?」
 少し考えてから、フェイトはサングラスを外してにかっと笑った。

「俺は高いぜ? なんてたってIO2のエージェントだからな」

□■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■□

【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

 8636 / フェイト・- / 男性 / 22歳 / IO2エージェント

 NPC / SHIZUKU (しずく) / 女性 / 17歳 / 女子高校生兼オカルト系アイドル

□■         ライター通信          ■□
 フェイト 様

 こんにちは、三咲都李です。
 このたびはご依頼いただきましてありがとうございました。
 クールなフェイト様とフレンドリーな素のフェイト様。
 …大人になりましたねぇ…(しみじみ
 少しでもお楽しみいただければ幸いです。

カテゴリー: 02フェイト, 三咲都季WR(フェイト編) |

Five Years After

1.
 東京は今も昔も変わらない。
 混雑する車の長い列と、無言で歩く人の群れ。
 ごみごみとしていて、殺伐としていて…それでいてなぜか人恋しくなる。
 東京を離れ、日本からも離れて別の名で呼ばれることにも慣れた。
 だけど、数か月前に戻ってきたこの東京で、俺はまたあの頃と同じようにこの道を歩いている…。

「草間さーーん!! 鍋しようよ!」
 突如バーンと開け放たれた扉に、草間興信所所長である草間武彦(くさま・たけひこ)は読んでいた週刊誌から目を離すとカクリと頭を傾けた。
「おまえ…5年経ってまだそのノリなのか?」
「あら、ゆ…あ、今はフェイトさんでしたね。いらっしゃいませ」
 奥から出てきた草間零(くさま・れい)の姿は5年前と変わりなく、また、草間もあの頃から何も変わっていないように見えた。
「零さん、こんにちは! それより、鍋! 鍋パーティーしようよ!!」
 無邪気にそういうフェイトに草間は週刊誌を置いた。
「おまえ、仕事は? 忙しいんだろ?」
「非番です。非番。俺だって休みぐらいあるんですよ。だから遊びに来たんですよ」
 ふふんと威張ったフェイトに、草間は少し不服そうだ。
「おまえ…俺んとこがいつも暇だと思ってないか?」
「実際いつも暇じゃないんですか?」
 その一言が余計だ! と言わんばかりに、草間は無言でフェイトのこめかみをグリグリと両手で挟み込む。
「ちょ! 痛い痛い!!」
「お兄さん、それぐらいにしてください。ゆ…フェイトさんが困ってます」
 止めに入った零により、フェイトは草間から解放された。
 まったく、5年前と何も変わってない。
「今日のご用は…鍋…パーティーでしたか? ゆ…フェイトさん」
 まだフェイトの名を呼びなれぬ零がそう訊くと、フェイトはきらーんと目を輝かせた。
「そう、冬だし、あったまるし、日本だし、何より独り暮らしだし!」
「やりゃいいじゃねぇか、1人で鍋パーティー」
 草間の言葉をフェイトは情熱をもって応戦する。
「だって独りじゃ出来ないじゃん! 1人で鍋は囲めないんだよ! 寂しいじゃないですか!」
「だからってうちを巻き込むのか…」
 草間がため息とともに、半ばあきらめた様子を見せる。
 今がチャンスだ!
「よし、決まり! 鍋パーティーってことで零さん、よろしくお願いします!」
「はい! わかりました!」
 フェイトの気迫に零は敬礼をした。

2.
 零は鍋の支度に取り掛かり、その間に草間とフェイトで鍋の材料を買いに行くことにした。
 街は小学校が終わったらしき子供たちが息せき切って走り回っている。寒い冬の風が通りを渡っていく。
「おまえ、背高くなったか?」
 隣を歩く草間がそう言った。
「? 伸びた…かな??」
 自分ではよくわからない。でも言われて気が付いた。
 少しだけ草間との視線の位置が変わっている。
「…草間さん、背が縮んだ?」
「んなわけあるか!」
 そんな他愛もない会話も変わらない。
 ふざけながら、肩を並べて歩く2人の前方から悲鳴が聞こえた。
「ひったくりよ!!」
 見ると、前方から猛スピードで駆けてくる怪しげなマスクの男。
「どけぇ!!!」
 低い威嚇の声に思わず避ける人々。
 草間とフェイトはそっと両側にどいて…2人して真ん中に足を出した。
 まさか、そんなものが出されているとは思わなかったマスクの男は全速力でそこを突っ切ろうとして顔面から地面に突っ伏した。
「ま、悪いことなんかしないに限るよ」
「そうそう、悪銭身につかずって言うだろ?」
 フェイトと草間はそう言いながら、気絶した男の腕を男のベルトで縛り上げ、ひったくられたと思われる白い鞄を拾い上げた。
「今のは俺の手柄だな」
 草間がそういうと、驚いたようにフェイトが言う。
「え!? 俺でしょ!? ちゃんと足が引っ掛かった感触あったもん」
「おまえ…こういう時は年長者に譲るのが筋だろ?」
「いやいや、そういうの関係ないじゃん? 草間さん」
 ぐだぐだと言い合っていると、ひったくりに遭った比較的美人なお姉さんがいつの間にか二人の前に立っていた。
「あ、あの…ありがとうございました」
 お姉さんがそういうと、カバンを渡しそれぞれ手を振った。
「気にしないで、当然のことしただけだし」
「あ、ちゃんと警察には届けた方がいいぞ。じゃあな」
 お礼を言うお姉さんに後を任せて買い物に急ぐ。
「おい、フェイト。今の…美人だったな」
「そうかなぁ? 零さんの方が美人だと思うけど…?」
 そう言ったフェイトに、草間はぼそっと呟いた。
「妹は簡単にやらんぞ」
「!? そんな意味で言ったわけじゃないし!」

 男2人の買い物道中。大丈夫なのか?

3.
 銀行の前を通って近くのスーパーに入る。
「鍋の具材…鍋の具材…」
 カートを押しながら、零がメモってくれた具材の一覧表を片手に草間は一生懸命に具材探しをする。
 一方、フェイトはふと目の端をよぎった銀行の様子が少しおかしいことに気が付いた。
 客がまだ帰りきっていないのにシャッターを下ろしたのだ。
「…ちょっと行ってくる」
「は? どこに?」
 草間が答えを聞く前にフェイトは既にいなくなっていた。

 物陰に入ると持っていたサングラスをかけ、ぐいっと黒の手袋をはめる。
 テレポートの場所は…あの銀行の中。
 意識を集中させると、あっという間に周りの景色がスーパーから銀行に変わった。
「なっ!? えぇ!?!?」
 お決まりの目出し帽の男。ちゃちな武器。
 相手の心はテレパシーで読むまでもなく動揺にあふれている。
 金に困っての銀行強盗か。初犯…とはいえ見過ごすことはできないな。
 まぁ、でも素人相手に銃を使うのは申し訳ないな。
「てめぇ、どこから湧いて出やがった!!」
 武器を振り回してくる男に、フェイトはぐっと体重を下に預け、その反動をすべて男の鳩尾にぶち込んだ。
 あっという間の出来事で、誰もが何が起きたのかを理解できなかった。
 ただ、銀行に立てこもろうとした男はその場に白目をむいて昏倒していた。
「呆気ないな…悪いけど、後は任せるから」
 そう言うとフェイトは一瞬で掻き消えた。

「で? どこ行ってたんだ?」
 ねぎを片手に草間がそういう。
 ほどなくして外からパトカーの音が聞こえてきた。
「まぁ、掃除…かな?」
「掃除…ねぇ」
 草間は何かニヤニヤしていたが「さて、具材はそろった」とスーパーを後にした。
 外では銀行から助け出された人々が口々に、サングラスの若い青年があっという間に来てあっという間にいなくなったと証言していた。
「そう、ちょうどあんな服着てたと思います!」
 突然に通りがかりのフェイトを指差して、証言者たちは興奮気味に話す。
「おい?」
「ははは…ヒーローも最近は私服で出動するんですね~…」
 草間の目が何かを言いたげだったが、フェイトはそれを誤魔化した。

4.
 帰り道。通りの脇の小さな公園の木に引っ掛かった風船を見上げて少女が泣いている。
 ひょいっと飛び上がるとフェイトは風船を取った。
「はい。手を離したらダメだよ?」
「お兄ちゃん、ありがとう! お兄ちゃんって天使なの? なんかフワッて飛んだよ??」
 その言葉にフェイトは少女にニコリと笑うとこそっと囁く。
「そう、俺天使なんだよ。だからみんなには内緒ね?」
「! わかった!!」
 キラキラとした瞳で少女は納得すると、バイバイと手を振って走っていった。
「おまえ、そんなに力使って大丈夫か?」
「大丈夫ですよ。…昔とは違うから」
 少しさびしそうな、でもはっきりした自信を持った笑顔に、草間は「そうか」と微笑んだ。
「さ、鍋♪ 鍋♪ 零さんが待ってるから早く帰りましょう!」
 そう言ったフェイトの顔はあの頃と変わらずで…。
「まったく…おまえは変わらないよ。でも大人になったな」
 くしゃっとフェイトの頭を撫でると、草間はにやりと笑った。

「興信所まで競争だ!」

 走り出した草間に、フェイトは呆気にとられた。
「変わってないのは草間さんの方じゃん…。相変わらず大人げねぇな!」
 そう言ってフェイトも走り出す。
 夕暮れの街は今日も明日も変わらない。
 それでもどこかが変わっていく。
「俺の勝ち~!」
「おまえ、力使っただろ!?」
「そんなズルしなくても、草間さんくらいなら楽勝で勝てるよ」
「おかえりなさい! 外寒かったでしょう」
 零の出迎えにフェイトは元気に答える。

「ただいま!!」

■□   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  □■

【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

 8636 / フェイト・- (フェイト・ー) / 男性 / 22歳 / IO2エージェント

 NPC / 草間・武彦(くさま・たけひこ)/ 男性 / 30歳 / 草間興信所所長、探偵

 NPC / 草間・零(くさま・れい)/ 女性 / 不明 / 草間興信所の探偵見習い
 
■□         ライター通信          □■
 フェイト 様

 こんにちは、三咲都李です。
 この度はご依頼ありがとうございました。
 …ご、5年後!? なんて素敵設定!!(ムハーッ
 今後のご活躍を期待しております!
 少しでもお楽しみいただければ幸いです。

カテゴリー: 02フェイト, 三咲都季WR(フェイト編) |