それさえも有意義な日々

捲った新聞の小さな記事に、幼げな雰囲気を残したその青年は目を留めて、手にしていたコーヒーカップをテーブルへ戻した。
 小さな古民家風のカフェは、雑多に置かれた家具類と、統一性のまるでないバラバラの椅子とテーブルが却って居心地良い空間を作りだしていた。卓同士の間には、これもまたアンティークだろうか、矢張り雑多な間仕切りが置かれているので他人の視線はさほど気にならない。だから彼――「フェイト」と名乗ることの多い青年は、新聞に意識を没入させた。それは東京近郊で起きた不可解な交通事故についての内容だ。人を轢いてしまったと通報があり、駆けつけてみたら何も無い。一件ならば悪戯で済むだろうが、最近同様の通報が増えている――。
 論調はすぐに昨今の社会の風潮を嘆き、心無い通報者を嘆き、という具合に展開していくが、フェイトは眉根を寄せた。
(…あったな、似たような事件…)
 彼の所属している組織、IO2内でのことだ。組織の調査員が事件の気配を察知し、エージェントを手配し、到着してみたら何も起きていない。そんな奇妙な出来事が、二度、三度、彼の身の回りで起きていた。勿論、夏休みの時期だし悪戯が増えたのかな、くらいの認識で、それ以上のことは彼とて考えもしなかったのだが、新聞の記事を見て改めて眉根を寄せる。ひとつひとつは小さなことでも、重なって見えるとどうにも気にかかる。
「…あれ、何してんだお前」
 そこで不意に声をかけられて、フェイトの思考は霧散する。目を上げれば、ここの所何度か仕事で縁を持つことの増えた青年が立っていた。左眼の眼帯が特徴的な、肩までの伸ばしっぱなしの髪の毛を無造作にひとつに纏めた長身の男性だ。30を超えるか超えないかといった年頃に見える。右目はじっと、フェイトの手にした新聞に落ちていた。
「こんなとこでお仕事か」
「いえ、今日は非番で」
「なら猶更、仕事熱心なこって」
 ここ空いてるか、と問われたので頷いて返し、対面に座る男性を改めて見遣った。
 藤代鈴生、という名前の人物は、IO2で要注意人物として名前を挙げられる程度には厄介な背景を持っている「魔導錬金術師」だった。ここのところ何度か仕事で同行することがあり、フェイト、改め、勇太にとっては知らない仲ではない。ただ、いささかこの人物、勇太にとっては扱いにくい部分があり、今もニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべて頬杖をついている。何を言われるやらと身構えていれば、
「お前さ、休みの日に特にやることなくて困って何もせずに休日終わるタイプだろ。または仕事して終わるタイプ」
 そんな評を下され、勇太は眉根を寄せた。
「そんなことありません。俺だって休みの日の過ごし方のひとつやふたつ」
「ほほう。具体的には」
「具体的には…こ、ここで珈琲を飲んだりしてます」
「…はー。人生腐らせてねぇなぁ、詰まらねぇ男だ。そんなんじゃモテねーぞ。ちなみに頼まれもせずにお教えしておくがメイは本日カノジョとデートだ。どうだ羨ましいだろう」
「何で藤代さんが自慢げなんですか!」
「あ、店員さーん、俺ワインの赤。デキャンタで。グラス2つで。あとピクルスの盛り合わせと、キッシュ、それに――あ、今月のチーズいいもん入ってるね。これ頼みます」
 勇太の正論は一切合財無視されて、彼は呑気に店員にそんな注文を飛ばしていた。まだ昼日中だと言うのに何という自堕落な、と勇太は眉根を寄せて、それから注文内容を反芻して顔を上げる。
「グラス2つって、俺、飲みませんよこんな時間から!」
「お前な。休みの日に昼間っから酒飲まないで何すんだよ」
「もっと建設的な過ごし方があると思います」
「じゃあ言ってみろよ。カノジョとデートでもするのか?」
 いいから付き合え、と半ば強引に言われて、彼は嘆息した。酒はあまり好む方では無かった。
「…デートの予定はありません。そちらこそ」
 と言いかけて、勇太は言葉を噤む。――藤代の「デート相手」なんて、彼が薬指につけている結婚指輪を確認するまでも無く彼の妻が相手に相違なく、そしてその妻と来たら現在絶賛、家出中なのである。悪いことを聞いてしまったと俯く彼を見た藤代は、しかしくく、と声を立てて笑った。
「お前のそういう馬鹿真面目なところは好きだぜ。何なら俺とデートするか?」
「…浮気ですか」
「俺の嫁は理解があるからな」
 いずれ言いつけてやろう、と心に誓う。

 運ばれてきた赤いワインに、小皿に乗ったチーズはほんのごく少量。それをひとかけ満足げに口に運ぶ藤代の表情に、勇太は些かならず心を動かされた。元々、料理は好んでいたから味覚はそれなり程度には鍛えられている方だ。
「そんなに美味しいんですか」
「グリュイエールっつったらスイスの『チーズの女王』だがな。その中でも『アルパージュ』って言って、ま、ちょっとした『特別製』だ。喰ってみるか?」
 勧められるままに一口。ハードチーズに特有のくどさが無く、鼻の奥で、どこか爽やかな草原を想わせる薫りが広がる。目を瞠る彼を見て、藤代が楽しげに笑った。
「旨いだろ。…ウチの嫁さんのお気に入りの店なんだぜ、ここ」
 嫁、と無造作に話題に出されて、勇太は珈琲に咽そうになった。彼は案外にあっさりと、「家出中」で「行方不明」の彼女のことを口にする。心配していないのか、と思えばそんなことは無いようで、勇太が彼女の情報をIO2の伝手で集めて来るとにこにこと嬉しそうに耳を傾けているし、何かと勇太への配慮までしてくれるから、彼女に心を砕いていない訳ではないのだろう。
 第三者には計り知れない信頼があるのだろうなぁ、と。
 ぼんやり勇太はそう思っていたのだが。
(…この間、変なこと言ってたよな)
 思い出すのはいつぞや、彼が巻き込まれた事件の事だった。響名が出て行った理由を思い切って尋ねた勇太に、苦い笑みを浮かべて藤代はこう応じたのだった。
 ――あいつは俺の、残った眼が欲しいんだよ。
 藤代の左の眼は、眼帯に覆われている。IO2の資料にもこれは記されているから、彼も内密にはしていない情報なのだろう。勇太もその資料に目を通したから、彼の「左眼」の事情は知っている。
 彼の左眼は――悪魔に奪われた、のだと言う。
「…最近はあんまり響名さんの話は、聞かないですよ」
 一先ずはそう告げておく。藤代は顔を上げてから、嘆息した。
「バレてねーだけだよ。お前さんも今見てただろ」
 とん、と指を置かれた先、勇太が置きっぱなしにした新聞が畳まれている。彼が指差した記事は、先に勇太も目を留めていた三面の小さな小さな交通事故の――通報の悪戯を疑われている事件の記事だった。眉根を寄せる勇太の様子を見て、藤代が頬をかく。
「…何だ。その様子だとIO2はまだ把握してねーんだな、ウチの嫁さんの作ろうとしてるモノのこと」
 余計なことを言ったな、と彼が嘆息してグラスの赤ワインを一息に呷る。その様子の気まずそうなのを見るに、本当にうっかり口を滑らせたのだろう。さて、と、勇太は苦笑した。
「――俺は今日、非番ですから。プライベートに知人に会って、知人の身の上話を聞いたからって、それを上司に報告する必要はないですよ」
 彼なりに気を回した積りの発言だ。藤代はその言葉に一度瞬いて、それからふ、と力の抜けた笑みを浮かべる。
「知人?」
「…不服ですか」
「愛人ってのもアリだと思ってるぜ」
「本気で響名さんに言いつけますよ」
「フラれた。残念無念。じゃあ友人で」
「分かりました、そこで手を打ちましょう。…冗談はここまでにして、ですね」
「おっと」
 いつも藤代と、彼の相棒である名鳴にやられている――響名に遭遇した時は響名にも同じ方法でからかわれた――ことへの意趣返しの積りで告げれば、可笑しそうに藤代はグラスを片手に声をたてて笑った。
「で、…何を作ろうとしてるんですか、響名さんは。…そういえば、彼女が藤代さんの『眼』を欲しがってるのは」
「作ろうとしてるもの、の材料として必要だからだな。って言うか、俺の眼が最後のパーツの筈だぜ」
「…」
 彼は笑って言うが、さすがに感情は読めなかったし、幾らなんでも不躾だから己の力で読む気にもなれない。ただ、嘘をついていないことだけは、何となく肌触りだけで察することが出来た。
「彼女の作ろうとしてるものって、何なんですか。旦那さんの眼を…欲しがってまで」
 響名が、藤代を想っていない訳がない。
 むしろ彼女は、藤代を想うが故に、眼球を奪いたいという錬金術師としての自分と、彼を愛する人間として、彼の身を案じる自分との間で揺れ動くが為に傍に居られなかったのではないか。
 思い至って勇太は眉をぐっと寄せた。第三者の勝手な想像だ。それ以上にも以下にも、ならない。
 赤ワインを飲んで、うーん、と味わう様に間をおいて、藤代は少しの間右目を伏せた。

 しばしの沈黙の切れ目。それは随分と昔の話だ、と、藤代は他人事のように前置いた。
「――俺の左眼は悪魔に獲られた、ってのは、俺も公言してるし、知ってるよな」
 勇太は無言で頷き話を促す。
「随分と昔の話だよ。…俺がガキの頃の話。俺の両親はある悪魔を召喚しようとして、中途半端に成功しちまった。――尤も悪魔が呼び出された瞬間に、俺の親父とお袋は弾け飛んでたがな」
 はは、と乾いた笑いと共に彼は赤ワインのグラスを揺らす。血の様な、と呼ぶには、昼日中の灯りの中で見るそれは軽薄な赤。
「両親の命を代償にして、悪魔は現れた。儀式の生贄としてそこに居た俺は『死にたくない』と願い、代償に片目を奪われた。その後、1年だったかな。…俺はその悪魔と一緒に暮らしていたんだ」
「悪魔と、ですか」
 藤代鈴生が、己の「左眼の事情」を隠さないのは、彼がその眼球を奪った悪魔を探していたからだ。そのことは、IO2ですら把握しているレベルの情報である。てっきり勇太はそれを復讐心や、喪った眼を取り戻すためのものだと思っていた。もっと負の感情が絡むものと捉えていたのだが、
「まーな。俺の魔導錬金術の知識の基本は、その悪魔に教わったんだよ。俺の最初の師匠だな」
「え…」
「だから探してる、って部分もあるな。俺にとっちゃ、育ての親みたいなもんだ」
 俺の両親は息子を、悪魔を召喚する生贄にしようなんてロクデナシだったからなぁ。
「……意外と…何て言うか」
 奪われた眼球への執着、だけではなかったのか。そこに絡む感情の複雑さに、勇太はかける言葉をもたない。が、淡々と、ワインを口に運んで少し口が軽くなったのもあるだろう。藤代は話を続けてくれた。
「その悪魔の名前は、『ルンペルシュテルツキン』。…聞いたことあるか? ある童話に登場する、どんな願いも叶える悪魔の名だ。代償は『今、ここには無いもの』。物語の場合は、願いをかけた女が、未来に産む赤ん坊の命だった。尤も、女が悪魔の名前を言い当てて、悪魔は子供の命を奪わずに退散する訳だが」
「童話、の」
「――俺の奥さんの、特技は知ってるよなァ」
 知っていた。勇太は眉根を寄せる。不気味な一致だった。
 彼の奥方である藤代響名の特性は、「童話」。物語に登場するアイテムを再現する能力に長けた、魔導錬金術師である。
「…あの…でも」
 咄嗟に勇太が思い浮かべたのは時系列が噛みあわない、と言うことだ。藤代が眼球を奪われ、悪魔と共に過ごしたのは、恐らく彼が子供の頃の話――20年は前のことだろう。
 歯切れの悪い勇太の物言いに、藤代は彼の浮かべたアイディアを察したのかもしれなかった。苦笑を落としてグラスをテーブルに置く。すっかり冷めたキッシュを切り分けながら、

「御伽噺のルンペルシュテルツキンは『今ここに無いもの』を代償として要求する訳なんだが、あいつの作ったモノはそこを極端に曲解してあってな。――『今ここでは無い時間軸での出来事』を『奪って無かったことにする』ことが出来る力を持つ」

 つまり。

「過去の改変が可能な魔道具、ってことだ」

 場に沈黙が落ちた。折角の特上チーズを齧る気にもなれない。切り分けられたキッシュを差し出されたが、勇太はフォークを手に取ることも出来ず、ただ、あまり好まないアルコールを一口だけ啜った。味は分からなかった。このところ続いた不審な通報と、IO2でも度重なった、悪戯と片付けるには件数の多い、「何かがあったのに駆けつければ無かったことになっている」という、あの事象はまさか、と内心が冷える。
 誰も認識できない場所で、何かが起きている。
 ――彼女の作ろうとしているルンペルシュテルツキンが、動いている。
「動作テストにしちゃ件数が多い。…暴走してんじゃねーのかなぁ、って懸念はあるなァ」
 俺の奥さんの話がIO2で出てこないのはそのせいだろう、と彼は断じた。つまり、誤作動していると推測される「ルンペルシュテルツキン」を抑え込むのに忙しくて、それ以外のトラブルを起こせないのではないか、と。
「やっぱ、完成させちまうのが手っ取り早いのかね」
 他人事のような語り口が却って、勇太を動揺させた。
「完成させるのに必要なのは、さっきも言ってましたけど」
「俺の眼球。…元々あの『ルンペルシュテルツキン』は、過去において生贄にされた俺の右眼を奪ってる訳だからな。『現在の俺の左眼』が完成に必要、ってのは、まぁ納得はできる話だ」
「…あの、今、未完成のその悪魔…というか、魔道具、ですか。それの右眼、って」
「ああ、俺のだよ。過去の、ガキの頃のな。一度過去まで行って奪って、現代に戻ってきたんだろうさ。ご苦労なこって」
「響名さんがそんなことを、したんですか」
 声が少しだけ震えてささくれたのが分かる。――顔を合わせる勇気が無い。苦笑してそう告げた響名の姿も覚えているし、愛してるわ、と笑いながら冗談めかして告げた、夜の帳の中の彼女の声だって知っているのに。何故、と彼は眉根を寄せた。その様子に、藤代はまた、笑う。今度は本当に愉快そうに。
「お前、その調子だとカノジョは当分出来そうにねぇなー」
「なん」
 今、そんなふざけた話をしている場合なのか。
 反発しかけた彼の機先を制するように、ぐいとグラスの中身を乾して、
「男女の機微ってのはな、簡単じゃねーんだよ」
 笑みが蕩けるような、恍惚としたものを浮かべたのは果たしてアルコールの力によるところだったろうか。

「――俺はそういう愛弟子だから、惚れて嫁にまでしたんだからな」

 惚気と呼ぶには、些か苛烈な告白。
 果たして自分にかつてそれだけの想いを寄せる相手は居ただろうか。感情に呑まれた勇太は言葉を選べないまま、アルコールを口に含んだ。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【 8636 / フェイト・- 】

カテゴリー: 02フェイト, 夜狐WR(フェイト編) |

不実者は誰か

大規模連続人体発火事件。それが今回、”フェイト”の追う事件を表す単語である。まぁ読んで字の如くそのままの事件だ。一度目はとある一家が「焼失」。――僅かに残った炭化した欠片からかろうじて分かったのは、染みのようになってしまった「それ」が元は人体であったらしい、ということだけだ。不思議なことに、家屋には家具や壁、カーテンにすら火の痕跡は残されていなかった。
 二件目は学校。中学のクラスがひとつまるごと「焼失」。
 三件目は商店街。目撃者が多くなり、隠蔽が難しくなったことでIO2は事件対応の優先度を跳ね上げた。即刻犯人を補足、必要に応じて捕縛もしくは――。

 今現在、彼は深夜の埠頭、倉庫のひとつで息を潜めているところである。薄闇に人の気配は殆ど無かった。「亡くなった」と表現すべきかもしれない。さっきまではあちらこちらに蠢いていた人々の気配は、先程、炎の音の後で悲鳴も無く消えてそれきりだ。
(…どうする)
 埠頭にはたった独り。髑髏を抱えた少女がぼんやりと、歩いているばかりである。
 未だ桜の蕾も硬い春先の夜更けだ。IO2支給のスーツを纏っても肌寒い空気の中、潮風に吹かれる女は薄手のワンピースしか着ておらず、足元も裸足であった。彼女を囲む様に時折ぽっ、と鬼火が灯されては堕ちる様も含め、幽鬼のような佇まいである。その手にしているものが髑髏であれば尚のこと。
『一度退くぞ、勇太』
 歯噛みする彼の傍で、通信機から、そんな指示が飛んだのは、”フェイト”が逡巡に沈んでいたその合間であった。その声は鋭く、そしてあっさりと、”フェイト”というコードネームではなく、彼の本名を呼ぶ。
「だけど、藤代さん」
 思わず反駁し、”フェイト”――改め、本名工藤勇太はマイクに口を寄せた。
「彼女を、このままにはしておけないです」
 勇太は知っていた。潮風に煽られた長い髪で今は見えないが、IO2で渡された資料が確かであれば、彼女はただただ、あの魔道具を手にしてしまったが為に緩やかに狂った被害者のはずだ。極普通の、反抗期らしく家族に対して僅かな反感や苛立ちを抱いていただけの、至極普通の女子高生だったはずなのだ。
 しかし、その魔道具は彼女のほんの些細なその反感をくべられて燃え上がり、彼女の家族を焼いた。次にクラスメイトを。恐らくその時点で彼女の精神はまっとうな状態ではなくなっていたのだろう。商店街で起きた「事件」も、恐らくほんの些細なことが契機になったのだろうことは想像に難くなかった。
 感情をくべられて燃え上がり、無尽蔵にその対象を焼く。
 それが、あの少女の持つ魔道具の力。
『さっき言っただろうが。あの魔道具は、一度火を熾したら最後だ。以後、いかなる感情であろうとも”燃料”になるからな。あの娘が感情を動かされる限り、火は消えない――』
 だから、と”フェイト”の顔になって、その声を聞きながら勇太は内心だけで反駁する。自分にはどうにか出来るかもしれない。精神への干渉も、彼の力なら可能な筈だった。

 そもそもこの場所に”フェイト”と、そして今、現場の流れで協力者となってくれている人物、藤代鈴生が遭遇したのはほんの偶然からだった。
 「焼失」事件を追うにも手がかりは少なく、異能者の仕業なのか、あるいは別箇の何かの仕業なのかすら判然としない状況で、”フェイト”の下にこの埠頭で何やら大がかりな取引があるらしい、という情報が飛び込んできた。藁をも縋る気持ちで駆け付けた訳だが、そこは既に惨事の現場と化してしまっていた。
 燃え上がる男達の真ん中で、少女はぼんやりと空を見ていた。彼女の視界に入らない内に物陰に隠れられたのは幸運と言う他にない。と言うよりも、勇太よりも先に事態に気が付いて、彼を物陰に引っ張り込んだ人物の功績である。
 その功労者は、勇太の隣で蹲っていたのだが。
 ――幼く見られがちな勇太と比してもすらりと華奢な長身、女と見紛う美貌の持ち主である彼は、その正体を「人喰い鬼の末裔」。名を、東雲名鳴、と言う。藤代鈴生の商売の協力者、という立ち位置の人物だ。今は埠頭から離れた位置で車の中に待機している鈴生に代わって現場に駆けつけていた、いわば実働担当、といったところか。
「…名鳴君、大丈夫?」
「おう…悪いな…」
「いや、俺も助かったからお礼言わないと」
 鬼の末裔の中でも先祖がえりを起こしている名鳴は、殆ど「鬼」に近い体質を持つ。人より遥かに鋭い五感でもって異常を早々に察知し、勇太を庇ってこの倉庫に彼を引っ張り込むことも出来た訳だが、その鋭敏さ故に、余計なものを感知しやすい。
 ――ひとのこげるにおいがする。
 そう呻いて彼が蹲ってしまってからは、かなり時間が経過していた。
「…流石にもう、大丈夫だ」
 眉を顰めて名鳴はそう宣言し、顔を上げた。勇太の表情を見遣り、溜息をつく。
「スズ。勇太は頑固だぞ。ここであの女、どうにか仕留める方法無いか」
「仕留めちゃ駄目だよ。彼女も被害者だ」
「はいはい。勇太は馬鹿真面目だよな」
 彼は嘆息し、眉を寄せた。「生き残ったって、きっと辛いだけだよ」と呟いたのが勇太にも聞こえた。確かに――生き延びたとて、果たして彼女に救いがあろうか。
 それでも、と思ってしまうのは、エゴなのかもしれない。
 一方、名鳴の持っている通信機の向うからは酷く渋る声が聞こえた。
『…さっきも言ったが、あの持ち主の感情が動く限りは際限なく燃えるぞ。撤退しろ』
「でも、やっと見つけたんです。どこかの組織に利用されない内に何とか…」
『それをIO2のエージェントが言うのは皮肉だと思うがね俺はよ』
 斜に構えた物言いはいつもの鈴生のそれと大差ないが、勇太はただ苦笑するだけでその言葉にコメントは差し控えることにした。そんな余裕がなくなった、ともいえる。
 最初に名鳴が顔を上げて、勇太を強引に引っ張りながら飛びずさる。次いで勇太にも分かった。引っ張られているので肩越しに振り返った先、――女と、目が、合った。
 彼女の唇が微かに動く。
 ――たすけて。
「…!!」
 咄嗟の反応で、思わず、勇太は名鳴の手を振り払って足を止めた。目を覗く様に視線を逸らさず、彼は己の異能を駆使する。一時的にでも彼女の精神に干渉し、その感情を止めてしまうことが出来れば。
 だが、間に合わない。彼女の心が揺れるのが、見える。見えてしまう。
 助けて――
 悲鳴のようなそれは火にくべられて、燃え上がる。
「…しま、」
 思った以上の感情の奔流に触れてしまい、飲まれる、と思った一瞬。目の前を炎が過り、勇太は強烈な熱と衝撃に見舞われた。あの魔道具がこちらに向けて炎の手を伸ばしたのだと悟り、とにかく、繋がってしまったこの感情の激流を止めなければとテレパシーの糸を伸ばす。熱と、強い感情が脳内に渦巻き、勇太は気付けば、己の意識を手放してしまっていた。

 冷たい夜風に目を覚ますと同時に跳ね起きる。当たりを見渡すと薄暗い埠頭の片隅、コンテナの影のようだった。勇太は”フェイト”として思考を一気に巡らせ、己の現状を確認しようとする。時間はそれほど、経過していないようだ。
(あ、通信機)
 連絡を取ろうにも、懐にあった通信機は壊れている。ついでに身体に触れる自分自身の指先が負った火傷に顔を顰める羽目になった。とはいえ致命傷には至っていないようだ。咽喉がひりつくのは何かの拍子に熱を帯びた空気を吸い込んだためか。呼吸困難になる程ではなくて幸いだったと思うべきなのだろう。
 そこまで考えて視線を上げる。コンテナとコンテナの間に彼は転がっていたのだが、彼のもたれるコンテナの向かい側に、女が一人頬杖をついて体育座りをしていた。その顔に見覚えがあり、彼は知らず「工藤勇太」の表情で呟いていた。
「…藤代響名さん」
「ん、今度は間違えなかったわね。よろしい」
 にやり、と口を歪めるように笑って、呼ばれた女は立ち上がる。
 藤代、という苗字が示す通り、彼女は先程まで勇太が連絡を取り合っていたあの魔道具の作成者、錬金術師である「藤代鈴生」の、戸籍上の妻、その人であった。勇太と年齢は左程変わらないくらいのはずだ。明るい色の瞳と、肩までで切り揃えた茶色がかった髪の毛が活発そうな印象を見る者に与える。
 ついでに言えば、彼女は東雲名鳴の双子の片割れでもある。が、彼とはあまり似ていない。
 だがそんなことよりも、勇太には言うべきことがあった。痛む咽喉を抑えながら呻く。
「何で、ここに…?」
 ――彼女は現在、「行方不明」という扱いである。その彼女が何故この場所、この現場に。勇太は、藤代鈴生が待機していると言っていた駐車場の場所を思い描く。通信機を失くしているのが痛恨であった。今すぐにでも彼に連絡を取れれば。
 焦る彼の内心など知ったことではない様子で、彼女は肩を竦める。
「せんせーには内緒にしてよ。こっそり見守る積りがあんたが危なっかしいから飛び出しちゃっただけ」
「あ、俺の事、助けてくれたんだ。…ありがとう」
「どーいたしまして。まだ咽喉痛む?」
「ん…いや、気になるほどじゃ」
「無理しないの。気管をヤラれてたら洒落になんないわ。これでも飲んで」
 勇太は受け取った小瓶の中身を見遣った。ただの水、に見える。匂いを嗅いでも、矢張りただの水のようだ。が、不審そうな勇太の様子に気付いたのだろう、響名が補足して曰く。
「”命の水”ってやつね。って言っても、あたしの作った中途半端な贋作だけど…多少の傷ならそれ飲めば治るわ」
「ふぅん。じゃあ、有難く」
 瓶の中身を一気に煽る。舌に触れてもそれは矢張り、ただの水のようだった。だが確かに飲んですぐに、指先や皮膚のあちこちに感じていた痛みが軽減していくのを感じる。目を瞠って目の前の女を見遣れば、彼女は自慢げに腰に手を当てて胸を張っていた。
「んふふ。凄いでしょ」
「うん、凄いね。ありがとう」
 素直な勇太の称賛の言葉に、しかし彼女は目をぱちりと瞬いて、それからまじまじと勇太を見直した。
「…そういえばどっかで会った?」
 今更だなぁ、と勇太は苦笑した。飲み干した小瓶を彼女に返しながら、
「随分前だけどね。すれ違ったことがあるよ。――神様の夢の、入り口で」
 非現実的なその言葉に、響名は思案気に一度視線を彷徨わせ、それから「ああ」と思い出した様子で手を打った。
「あたしが作って暴走した『夢魔』の件か! あの時の人!?」
「うん。思い出してくれた?」
「そっかそっか、あの時の人かー。何か雰囲気変わったねぇ」
 そんあ和やかなやり取りは一瞬だった。コンテナの向う側からひたひたと足音が近づいてくるのだ。それと察したのは、勇太の方が先だ。人差し指を口に当て、「静かに」とジェスチュアで示す。
 まだつながったままになっていたテレパシーのチャンネルから、じりじりと、封じ込められた感情が今にも揺れそうな均衡を保っているのが分かってしまう。
「あの子を助けたいの?」
「…うん」
「ホント、とんだお人好しの大馬鹿野郎ね。気に入ったわ。――古代魔導書”レシピ”の契約者、藤代響名が手を貸しましょう」
 ところで気に入った、と言いながら人を「馬鹿」と呼ぶのは彼女の夫、あるいは双子の兄弟も含め、習慣か何かなのだろうか。
 複雑な表情になりつつ、勇太は頷いた。今は助力が素直に有難いのは、事実だ。
「とにかく彼女に攻撃をされずに近付きたいんだけど。出来るかな」
 近くまで行って、とにかく集中して彼女と精神を繋ぎ、あとは一時的にでも彼女の感情の揺れを抑え込むこと。それなら何とか、勇太のテレパス能力でも可能だろう。
「お安い御用」
 勇太の言葉に応じて、響名が何かを取り出した。肩掛けの鞄からごそりと出て来たのは――残念ながら勇太には何も見えなかった。
 そういえば、と勇太はその様子を見て思いだす。
 先日彼女と出会った時、確か彼女は、他人の気配に人一倍鋭敏な勇太にすら殆ど気配を悟らせない程、完全に気配を隠しきっていた。その時にも、同じように何か、透明な布を抱えていたような。
「これ被って」
 案の定、彼女は「それ」を勇太に差し出す。恐る恐る手を伸ばせば、確かにそこに布の感触があった。手探りにここが端かな、と思う位置を手に取り、頭から被ってみる。そうして己の身体を見下ろしてみて彼はぎょっとした。自分の姿が、見えない。予想はしていたが、実際にそうなってみると心許ない。
「ところで、どうやってあの子を止める積り?」
「…感情が動くことがトリガーになるなら、一時的に感情を止めて、それで魔道具を引きはがそうかなと」
「魔道具引きはがすだけだと、多分、駄目ね。せんせーの道具はその辺が厄介。あの髑髏を壊しちゃうのが一番いいんだけど、勇太はそういうの出来る?」
「そういうの、って?」
「要するに、魔術的な結界ぶっ壊したりとか、そういう事が出来るかどうかってこと」
「…対霊用の術をかけてもらってる銃弾ならあるよ」
 多少の霊的・術的存在に対しては有用なはずだ。が、響名はふふん、と、何故か自慢げな表情になった。
「IO2の御用達の奴? 駄目駄目、そんなのでせんせーの防壁なんて突破できる訳ないじゃない。あの人を誰だと思ってんの、私の旦那様よ」
「うわ」
 惚気なのだろうか今のは。
「まぁいいわ。はいこれ、追加サービス」
 次いで響名は、鞄からナイフを取り出した。
「これは?」
「防壁破壊用のナイフ。効果は保証するわ」
 いってらっしゃい、と響名はあっさりとそう言って手を振る。少し逡巡したものの、近付いてくる足音に猶予の無さを察して、勇太は――響名には見えていないだろうが――こくりと頷いた。ただ、コンテナの影から飛び出す寸前、釘を刺しておくのは忘れない。
「しばらくそこに居てね!」
 できれば、せめて名鳴くらいは連れて来たい。余計なお節介だと彼女には怒られるかもしれなかったが。

 薄闇を、茫洋とした様子で少女が歩く。両手で抱いた髑髏が時折鬼火を吐き出しているのを見ながら、”フェイト”は足音を殺して背後に忍んだ。先程彼女に合わせたテレパシーのチャンネルが、焦げ付いたように、彼女の感情を伝えてきた。努めて己の精神を冷たく保ち、影を駆け抜ける。5年前の自分であれば、呑まれる程の強い感情の奔流だった。
 逆にその奔流を手繰り寄せ、”フェイト”は強いイメージを送り込む。別段、彼女の精神を支配してしまう必要はない。ただ氷のように、巌のように、彼女の心の「揺れ」を全て封じ込める。
 手応えがあって、”フェイト”は内心だけで快哉をあげた。うまくいくかもしれない。だが、そう思った矢先、彼女の胸中で大きな「揺れ」が起きた。それまでの流れからすると不自然なそれはもしかすると、彼女の手にしている魔道具からの干渉であったのかもしれない。
(っ!!)
 まだ、”フェイト”の姿を彼女は認識していない筈だ。だが、少女の唇が微かに戦慄くのと同時、それまで時折零れ落ちる程度だった鬼火が明らかに勢いと頻度を増した。恐らく、「対象が見えない」為に無差別に焔が放たれているのだ。身を引こうにも、意識はまだ、彼女の感情を抑え込む方向に過度の集中を傾けており、咄嗟には反応が出来ない。硬直している間に、彼を隠している「布」にも火がついたのが分かった。端の方から自らの輪郭が見え始める――。
 火が燃え広がるまでの一瞬の間に、目まぐるしく思考が駆ける。その視界の端に、映りこむ影があった。近場にあったコンテナの上から飛び込んできたのだろう、薄闇の夜空を背景に跳ぶ華奢な影。
 判断までは1秒も無かったはずだ。
「名鳴君!」
 勇太は叫んだ。己の姿が露わになるのを厭わず被った布を振り捨てて、懐にあった、響名に渡されたナイフを投げる。念動力も加えて放たれた金属は過たず真っ直ぐに、地面へ飛び降りようとしている名鳴の手の中へ吸い込まれた。彼は危なげなくそれを掴むと、意図を察したのだろう。
 掠める鬼火に頬や髪先を焼かれながら、名鳴は地面に降りると同時に、少女の懐に入り込んでいた。逆手に構えたナイフで彼女が抱き締めている髑髏を殴る様に叩く。少女の手の中で髑髏が、まるで幾重にも束ねた鈴を鳴らすような――そうとしか言いようのない音を立てて。
 砕けた。

 糸が切れたように倒れ伏す少女の額を撫で、勇太は改めて、背後を見遣った。コンテナの影から出てきた響名と、コンテナから飛び降りてきた名鳴。似ていない双子は、互いに目も合わせずにそこに立っている。勇太は口を開きかけ、結局、無難な言葉に留めた。
「…響名さん。助かったよ」
「どーいたしまして」
 それきり、しばし、沈黙が落ちる。遠くで汽笛が聞こえた。
(き、気まずい…!)
 勇太が立ち去るべきかどうするか、と思案し始めた頃だった。
「…ヒビ。腹は決まったのか」
 ぽつりと、名鳴がそんなことを言う。
「まだ、かな。…せんせー、あたしに幻滅してない?」
「直接訊け」
 名鳴は手にした通信機を指してそんなことを言う。響名は通信機をひと睨みしてから、大きな声でこう言った。
「愛してるわよ、旦那様」
 それだけ言って、彼女は地面を蹴る。――殆ど血が発現していないとはいえ、彼女も一応は鬼の末裔だ。身体能力はそれなりに高い。そのまま高い位置で宙返りをした彼女の下へ、まっすぐに飛んできた物体があった。巨大な鳥だ。
 その鳥の背に乗り、彼女はそのまま去っていく。夜空を羽ばたきの音がひとつ打った、と思った時には、あっという間にその姿は遠くへ小さく消え去って行った。
『おうよ、俺も愛してるぜ可愛い奥さん。…あいつもう行ったのか、ヘタレだな』
 通信機からは、酷く呑気で今更な、そんな応答が聞こえていた。

 事後の処理については、色々な悶着があった。とりあえずのところ、どうやら保護された少女は一時的にでも勇太の能力で感情を抑え込まれた後、己の犯した罪の記憶に耐えかねたか、記憶を喪ってしまったようである。
 IO2の息のかかった組織に預けられることになったようなので、一先ず、彼女が平穏に過ごしてくれることを勇太は遠くから願うばかりだ。

「…で、結局のところ――」
 そんな事後の報告を、現場で行きがかり上「協力者」となって貰った二人に報告し、工藤勇太は改めて、事の発端になっている人物を睨み遣った。
「響名さんが出て行った理由って、何なんですか?」
 彼は眼帯に覆われている左眼にそっと触れて、苦く笑った。

「俺の残った右目が欲しいんだとよ、あいつ」
 それを平然と語る彼の口調に、しかしどんな種類の感情が滲んでいる物か。
 勇太には、分からなかった。

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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【8636 / フェイト / IO2エージェント】

▼ライターより
納品が遅くなってしまい申し訳ありませんでした。
少しでも楽しんでいただけたら幸いです。

カテゴリー: 02フェイト, 夜狐WR(フェイト編) |

彼女の事情

IO2に所属しており、エージェントとして確かな実績を積んでいるとはいえ、ひとつの大きな組織にあっては小さなしがらみも多い。「フェイト」と名乗ることがめっきり多くなった青年は、嘆息して支給されているタブレットで開いていたアプリを閉じる。――これ以上の情報について、一介のエージェントである彼には閲覧権限が無かった。深追いは面倒を引き起こすだろうと判断して、彼は顔を上げる。
 駅前という立地にありながら、駅ビルと、数年前に駅の反対側に出来た巨大なモールのお陰ですっかり寂れた商店街だった。シャッターの閉じた店舗が多いが、そんな中にぽつりぽつりと今でも点在している店はある。昔からここで店を続けている八百屋であったり、あるいは、モールに出店するには資金の足りない、個人経営のカフェなんかも。
「お会計お願いします」
 そうしたカフェのひとつでコーヒーを飲んでいたフェイトは立ち上がり、その傍にある古びた雑居ビルを見上げた。3階建ての、築十数年は過ぎていそうな物件だ。
(今日も良い報告は出来そうにないなぁ)
 本日のフェイトの目的地がその場所だった。

 外から見れば雑居ビルそのものだが、内装はある程度手が入っていて、それなりに住居の体裁も整ってはいる。が、残念ながらいつみても室内は散らかり放題になっていた。
「…何て言うか、律儀だね、勇太は」
 呆れたようにその室内で告げたのは、勇太とさして変わらぬ年頃の青年である。赤茶の瞳を眇めて、彼は頬杖をついて訪問者である勇太に視線をやった。――”人喰い鬼”の末裔、先祖還りで鬼の力が発現した青年。食人の衝動を抱えているという厄介な生まれ故に、その情報はIO2のファイルにも登録がある。名を、東雲名鳴と言う。
「名鳴君はどうしてここに?」
「別に、暇だから。もうちょっとしたらデートの時間だから出てくよ」
 だから俺の事は気にせず、と告げてから、矢張り気になるのか、勇太へ胡乱な視線を投げた。
「まさかとは思うけどさ」
「うん」
「…あいつの指輪が壊れたの、自分のせいとか思ってないよな?」
 真顔で問われた意味が瞬間分からずに目を瞬かせてしまった。少し間を置いたところで察したのだろう、名鳴が唸るような呻くような声をあげる。頭をガシガシかいて、彼はますます眉根を寄せて険しい表情になった。
「あのさー、多分、スズは言わねぇと思うから俺が言うけど」
「…う、うん」
「あんた馬鹿だろ」
「え、いや、何でいきなり」
「あの指輪は、ウチの妹が馬鹿なりに考えて、スズを護る為に持たせてたんだよ。それが壊れて何であんたが気に病むんだよ。意味わかんね―」
 だって、という反駁の言葉が咽喉まで出かかったが、フェイト――勇太はそれを呑み込み俯いた。名鳴が呆れたように指摘した「指輪」とは、数日前、諸事情あって壊れてしまった、このビルの主――藤代鈴生の、「結婚指輪」である。
 その「結婚指輪」は、現在何やらワケアリで行方を眩ませているらしい藤代鈴生の年下の妻、響名という名を持つ錬金術師の作品だった。効果は「一度だけ、いかなる攻撃も発生まで遡って無効にする」というもので、ある武器の攻撃から勇太を庇った際、鈴生の手の中で壊れてしまったのである。
(だってあれ、結婚指輪だろ…しかも行方不明の奥さんの。それが壊れたのを気にするな、なんて言われても)
 だが、眼前で呆れた表情を浮かべていた名鳴は続けざまにこうも言った。
「あそこでスズが庇いに入らなければ、あんたも死んでたし、どっかの知らない誰かも死んでた。それは防げた訳だし、そもそもそれを防ぐためにあんた、わざわざ俺らンとこ来たんだろ。問題ねーじゃん」
「それは――結果論だよ。俺がもっとうまく立ち回ってれば」
「被害が無かったかもって? え、何それ、勇太はもしかしなくても本物の馬鹿だな」
「……酷い言いぐさだね」
「さっきも言ったけど、道具は遣われてナンボだよ。あの指輪作った主なら、絶対そう言うし、今のあんたの発言聞いたらむしろ怒るぜ。『あたしの作った道具が役に立ったのに何腐った顔してんのよ失礼な!』とか言って」
 そうなのだろうか。勇太は何しろ、指輪の作成主であり、名鳴の双子の片割れであり、そして鈴生の大事なパートナーである女性の事をあまり良くは知らないのだ。だが、近しい彼らが言うのならばきっとそうなのだろう、という程度の納得はできた。
 それでも、と彼は思う。頭で理解できたとして、心情的に引っ掛かっている棘は抜けるものではないのだ。
「…それでも大事なものだろう?」
 それで思わずそう返すと、名鳴は立ち上がった。
「悪ィ、そろそろ俺時間だから行くわ。――気になるんなら、スズに訊けよ。答えてくれるかどうかは知らねーけど」
 あいつは嘘をつくのが上手いから、とぽつりと落とす様に付け加えてから、名鳴は踵を返した。しきりにスマホの画面で時間を気にしている様子だったから、待ち合わせの時間が迫っていたのだろう。
「うん、なんか、ごめん、気遣わせて」
「っはは。ウチの妹ならここも怒るトコだな。『こういう時はありがとうでしょ!』って」
「――それもそうか。ありがとう」
 苦笑しながら礼を返すと、ひらりと手を振って名鳴は去って行った。

 どれくらい時間が経過しただろうか。鈴生には訪問する旨あらかじめ告げてあるし、「じゃあ午後なら適当に空いてるだろうから上がっててくれ」といい加減な指示をされた覚えはあるのだが、声をかけても出てくる気配が無い。一度「おう、ちょっと待っててくれ」と言われたきりだ。
 人の気配はあるのだが、と、勇太は一つ上のフロアを見上げるように天井を見遣った。
(様子見に行った方がいいのかな)
 そう、思った時だった。感じた違和感に軽く眉を寄せる。
 ――勇太はいわゆる「超能力」と呼ばれる能力を有している。それも複数、一人でサイコキネシスやテレパシーといった種類の異なるものを行使することが可能だ。有しているテレパシーのせいかもしれないが、人の気配や感情など、目には見えない、数量化できないものに対しても鋭敏だった。室内に入った際に外したサングラスをかけ直し、眼光鋭く、気配の下を辿る。
「…おおう。気付かれた。せんせーにも気づかれない自信作なのに」
 勇太の、フェイトの視線を浴びた事に気付いたのだろう。誰もいない筈の空間からそんな声が響いた。それと同時、ばさりと何かを脱ぐような衣擦れの音。そして。
「ちっす。せんせーの客?」
 にんまりと笑うトレンチコートを纏った女が、部屋の入口に立っていた。年の頃はフェイトともそう変わらない。否、先程までここに居た名鳴と丁度同じくらいだろう。見目はあまり似ていないが、やたらと軽い調子の物言いが彼と似ている。そこまで思い至り、頭の中で、さっきまで閲覧していたデータと目の前の人物が結びついて、思わずフェイトは声を上げた。
「――東雲響名さん!?」
 行方不明になって居ると言う、藤代鈴生の妻たるその人がそこに立っていたのだ。彼女はその呼びかけに、あまり動じた様子もなく腰に手を当て、じとりと半目になった。
「今は『藤代』よ。あんた誰」
「え、俺は、いや、その前に、いつの間に帰って…」
「帰ってないわよーう。せんせーがあたしのあげた指輪壊したみたいだから、修理に来ただけ」
「あっ」
 色んな情報が錯綜して、フェイトは、IO2のエージェントたる「フェイト」の表情を脱ぎ捨てて思わず素の状態で唸った。
「それはそのごめん、俺のせいで」
「…? え、何、何で謝られてんのあたし。あ、もしかしてせんせーがあんたと浮気してたとか?」
「どうしてそうなるんだよ!?」
「違うの? せんせーの好みっぽいのに」
「俺は好みじゃないし何なんだこの状況…!」
「とまぁ、冗談はそこまでにして」
「ああああどっかで見た流れだこれ!」
 似た者夫婦、という単語が脳裏を過ぎる。腰を浮かせたフェイトの――勇太の隣をすり抜け、彼女はどっかとソファに腰を下ろした。そうするのが当たり前みたいな所作は、確かに彼女がこの家に慣れた、この家の住人であることを示している。ふと、勇太は上を見た。恐らくこの家の主は階上に居る筈だ。だが、彼の視線の動きに気付いたらしい響名はふん、と面白くもなさそうに鼻を鳴らした。
「せんせーなら熟睡中。嫁が隣で添い寝しようが、象が隣でサンバ踊っても起きないわ」
「何か、したの?」
 問いにはにんまりとした笑みが返ってくる。人を喰った様な笑みは確かに、夫のそれと似ていた。
「答えると思う?」
「…だよねー…」
 彼女は、過去に色々IO2ともめ事を起こしている。夫で師匠の鈴生もそうだが、IO2に良い感情は無いのだろうと知れた。手の内を明かす気は無い、ということなのだろう。が、勇太の顔に何を見たのか、彼の方をちらと見てから、ふふ、と今度は心底から可笑しそうな、可愛らしい笑い声を立てた。
「じょーだんよ。ついでに言うと、あたしは何にもしてないわ。せんせーはね、一度何かに夢中になると、自分が睡魔の限界でぶっ倒れるまでアトリエに籠る悪い癖があるの。60時間くらいぶっ通しで起きて研究してたみたいだから、多分あと5時間は起きないわね」
 折角姿を隠してきたのに、と彼女が苦笑するその手の中で、僅かに衣擦れの音がする。その手には何かを持っているようには見えないのだが、そこにどうやら外套のような、布の塊がある――らしかった。恐らくそちらは正真正銘、響名の作った魔道具なのだろう。それで身を隠していたものらしい。同じフロアに来るまで勇太も気配に気づかなかった程だから、姿を隠すだけの効果ではなかろう。
「じゃ、寝てるだけなんだ。…起きるまで待たないの?」
「待つ訳ないじゃん何言ってんの。こちとら家出中よ」
「でも、心配してるみたいだよ? 彼もそうだし、メイ君…名鳴君も。せめて顔だけでも出せばいいのに」
「気楽に言ってくれるわねぇ」
「そりゃ、俺は部外者だからね」
「そういや名前、聞いてなかったわ。部外者さん。あたしは藤代響名、あんたは?」
 わざわざ先程勇太が口にした自身の名を改めて名乗ったのは、名乗る上での礼儀とでも考えたのかもしれなかった。勇太は息を吐いて、サングラスを外す。だが素直に名乗るのも業腹ではあったので、せめてもの悪戯の仕返しとしてこう告げた。
「旦那さんに聞いてよ。彼に名乗ったから」
「あら、そう来たか。…でも悪いけど、あたしの代わりに、せんせーに、あんたの嫁兼愛弟子は元気でしたって伝えてくれる? あたし、まだあの人の顔を見て話をする勇気が無いの」
 それは。
 どういう意味か、と問う間は無かった。手にしたあの見えない布を羽織ったのだろう。部屋の中から、微かな気配だけを残して彼女の姿は再び消えていたのだ。足音やそこに立っている様子すら隠しきっているのだから、矢張り相当な機能を有している魔道具だったのだろう。だが、声だけが、まだ残っていた。いや、声だけではない。いつの間にか勇太の目の前のテーブルに、先日鈴生の指にあった結婚指輪、銀色の台座にシンプルな石がひとつついただけのデザインのそれが、傷一つ無い形で出現していた。
「この通り、結婚指輪は修理しておいたわ。でも、あんま無茶すんなとも言っておいてね。どうせあいつのことだから、誰か庇って代わりに攻撃受けたんでしょ、――本当に、捻くれてる癖に馬鹿なんだから」
「それは――」
 庇われたのは自分だと、告げるのは簡単だったはずだ。姿は見えなくても、響名がまだここに居ることだけは勇太には分かったから。だが伝えきれずに、彼は俯いた。ただ一言、
「…分かった」
 その様子に何を感じたのだろうか。声の主はまた一度、笑い声をたてた。
「ついでにこれは伝えなくていいけど、あたし、そういう人だから好きになったし、そういう人だからあの指輪を送ったの。ホントに誰かを庇って壊れたのなら、あの指輪もあたしも本望だわ。こちとら、役立つ道具を作るのが本懐なんだから」
 ――あたしの道具が役立ったのよ、と、彼女なら胸を張るだろう。響名の双子の片割れは彼女をそう評していたと、先程までのやり取りを勇太は否応なしに思い出す。声には確かに、矜持があった。それを否定したら許さないと言わんばかりの強い矜持が。
 だからこう言うべきなのだろうなと、先程の名鳴の言葉を思い出して僅かに苦笑めいたものを浮かべながら、勇太は、言った。会ったら謝罪しようと、少し前まではそう思っていたのだが。
「ありがとう」
「…ふん、とーぜんよ」
 言葉の割には口調は満足げだった。そうしてそれきり、今度こそ、部屋から気配が消える。どこへ去ったのか、後を追う気にはなれずに呆然としていると、
「よう」
 背後から低い声がして、ぎょっとして勇太は振り返った。部屋の入口、先程響名が去って行ったであろう場所に、長身の青年がいつの間にやら立っていたのだ。寝起きなのだろう、伸ばしっぱなしの長い髪は寝癖だらけで目元には薄ら隈もある。
「…響名が居たな」
 寝惚けている目でも、テーブルの上に置かれた結婚指輪には目が留まったのだろう。常のそれより低い掠れた声で呟く様に言う彼に、勇太は思わず目を逸らした。
「止めれば良かったんだけど、すみません」
「いや、別にいいよ。元気そうで何よりだ」
「分かるんですか?」
「その指輪の修繕っぷり見りゃァな。腕も落ちてねェみてぇで何よりだ」
 欠伸をしながら、彼はテーブルに近付き、指輪を撫ぜる。その口元に浮かんだ淡い笑みこそ見えたものの、片方が眼帯で覆われた彼の感情を窺い知ることは出来なかった。彼は嘘をつくのがうまいのだと、名鳴が評していたことをまた思い出す。
「っていうか、寝てなかったんですか?」
 名鳴の言葉を思い出した拍子に、響名の言葉も思い出した。確か彼女は「あと数時間は寝ている」と保証していたと思うのだが。それで勇太はそう問いかけたのだが、
「…この寒いのにあいつが布団に潜りこんできやがるから目が覚めたんだよ」
「あー、俺、聴かなかったことにしておきます」
「遠慮しなくていいんだぜ?」
 にんまり笑う鈴生の表情は、しばらく顔も合わせていないという響名と似ていた。共にある時間が長い分、似てきてしまうのかもしれない。嘆息して、勇太は額を抑える。
「他人の惚気なんて聞いたっていいこと一つも無いですし。俺は帰ります」
「何だ、俺に用事じゃなかったのかよ」
「響名さんのこと、情報が入ったらお知らせしようかと思ったんですが――近況、伝える必要ありますか」
 すると鈴生は今度は少し力の抜けた笑みを浮かべた。苦笑染みたものに見える。
「…出来れば頼めるか。あいつが最近何やらかしてるか、俺は知らねぇからよ」
「って言っても大した情報は無いですけど」
 構わねーよ、という言葉と共に、鈴生は備え付けの小さなキッチンにお湯をかける。
「コーヒーくらいしか出すもんねぇけど、礼はそれでいいか」
「いえ、お礼と言うか、俺の方が」
 そういえば詫びの積り、だったのだ。そういえば。結婚指輪が壊れた件に関しての。そんなことを思い出して、勇太は口ごもる。響名の訪問もあって、当初の目的は、最早しっくりこないものになってしまっている。
「…また何かあったら、協力をお願いするかもしれないので、貸し一つにしてもらえればそれで」
 だから勇太は、そんな風に、言葉を濁すことにした。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【8636 / フェイト  / IO2エージェント】

カテゴリー: 02フェイト, 夜狐WR(フェイト編) |

時間軸の向う側

ドアを開け、少し広い玄関に足を踏み出した瞬間。迫るのは間違いなく殺気であった。今はフェイトと名乗る青年は、それを誤る程に鈍くは無かった――むしろ鋭敏すぎるきらいもある。反射的に銃を引き抜き、銃口を向けた先には既に相手が居ない。
「…!」
 気配だけは分かる。左だ。どういう仕掛けか知らないが殆ど一瞬で移動したらしい。が、銃口を動かすにはあまりに近く、時間が無かった。故に、彼は発砲した。そのまま、あらぬ方へ銃口を向けたまま。
 鋭い銃弾の一撃は音より早く、あらぬ方にある壁を穿つかと思われた。だが、一秒に満たぬ間に鉛の塊は弾道を歪めた。何かに強引に引き寄せられたかのように、フェイトを襲撃した気配へと向かう。
 並の相手であれば銃弾が曲がる等と予測はするまい。だが。
「お、そう来た」
 着弾の手応えではなく、酷くあっさりとした感想だけがフェイトの耳には届いた。
「じゃあ、ちょっと本気出そうか。お互い」
「お互い…!?」
「あんたも本気じゃないだろ?」
 ――その指摘は確かに図星ではあるが、得体のしれぬ相手に己の力量と手の内を晒すほどには彼は愚物ではない積りだ。問いには答えず、口調ばかりは軽いのに確かに重たい殺気を相変わらずこちらへ放つ相手に、次の一手を思案する、が、その時間を与える積りが相手には無いようだった。
「これ返すぜ」
 笑みと共に放たれたのは、先程の銃弾だ。どういう仕掛けか、音速で飛んできた銃弾を「掴んで」居た青年は、フェイトに向けて無造作にそれを弾いて寄越し――だがフェイトは即座にかわす。冗談のような速度で背後の壁に銃弾が刺さるのが分かったが振り返りはせず、再度銃口を向ける。どうも相手は銃弾の利かない類の存在のようだが、
(むしろそっちの方が慣れた相手だよ)
 向けた銃は先程とは別ものだ。リボルバー式30口径。片手で撃つには衝撃の強すぎるそれを、フェイトはしかし回避をした際の不安定な体制のままで撃鉄を起こし引き金を躊躇なく引いた。――物理的な衝撃は自身の身体に対して「力」を使うことで相殺し、更に放たれた銃弾が着弾しない内に――カンマ一秒程度の時間しかないが――銃弾を「動かす」。速度のエネルギーをそのままで、離れた物体をテレポートさせるのにはかなりの慣れが必要だが、彼はそれをやってのけることのできる数少ないサイキッカーであった。
「同じことを…」
「さて、そうかな」
「は?」
 間の抜けた声と同時、相手の左手が銃弾を「掴み」――冗談のようだが先程も掴み取っていたらしい――すぐに火傷でもしたかのようにその手を開いた。からん、と音を立てて銃弾が落ちる。対霊処理済みの銀の銃弾、邪霊や悪魔の類には特に効果の大きいその銃弾は、彼の身体にも効いたらしい。追撃すべきか、と撃鉄を起こしたところで、フェイトは気付いた。先程までの彼の殺気が、霧散している。あまつさえ彼は非難がましい視線をフェイトへ向けて叫んだ。
「おま、人間様に向かって普通撃つかこんなもん!? 痛ぇなー!! うわ、火傷してんじゃんこれ…」
「どこに銃弾片手でつかむ人間が居るんだよ!? 普通『痛い』じゃ済まないだろ!? 火傷でも済まない!」
「居るだろここに。うわーいてー、最悪ー。やる気失せたー。おいスズ、まだ時間かかるのかよー」
 誰かに呼びかける声に、その場の奥――ビルの廊下の向うにある扉から声が返ってきた。扉を開いて顔を出したのは、恐らくフェイトやこの青年より10歳ほど上だろうか。左の目を眼帯で覆った、黒髪の青年の姿。腕組みして彼はぽつりと告げた。
「…お前メンタル豆腐だなメイ。鬼の癖に」
 メイ、と呼ばれた青年の方は厭そうに眉を顰めながら応じる。
「うるせぇよ。お前ら柊の枝に刺されて豆ぶつけられる痛みを思い知れ。心折れるわあんなもん」
 状況が呑み込めず、フェイトはうーん、と唸りつつもリボルバーを仕舞い込み、サングラス越しに二人へ視線を投げた。
「あの、話を進めても?」
「まぁ待て。分かってる。IO2のお使いだろ。大丈夫、今メイが時間稼いでくれたお陰で見られたらヤバそうなブツは全部隠蔽済みだ」
「…今すぐ身柄確保した方がいいような気がしてきた…」
「ははは、スズはあんたらに尻尾捕まえられるほど抜けてないから大丈夫だよ」
「凄い、俺こんなに大丈夫じゃない保証初めて聞いた! 何やらかしてるんだあんた達」
「ひ・み・つ」
「30過ぎのおっさんにそんな仕草されても何も嬉しくない…!」

 ――IO2でこの事件の話と「協力者」についての資料が展開された時、周りの同僚たちが一斉に嫌そうな顔をした理由を今更思い知るフェイトであった。

「えーと。改めて、連絡があったと思うけど『フェイト』です」
「おう。多分資料かなんか渡ってンだろうけど、藤代鈴生だ。そっちのは仕事の相棒というか用心棒と言うか…」
「東雲名鳴。メイでいい」
 雑居ビルの中を大雑把に改築したものである住居スペースはけして居心地の良い場所では無かった。その上に酷く散らかっていて、かろうじて来客用と思われるソファの周りだけが何とか掃除をされているような有り様だ。何を隠したんだろうか、と頭の隅で思わず考えつつも、視線は対面の眼帯の青年へと向けて、フェイトは改めて自己紹介を済ませてから咳ばらいをした。
「…まさか玄関入った瞬間にケンカを吹っかけられるとは思ってなかったんですけど。こちらからの協力要請、ちゃんと届いてましたか?」
「ん? あー。なんか来てたなー。俺IO2嫌いだから放置してた」
 子供か。
「…ですので俺が派遣されてきました。その調子だと、こちらの送った資料は見てくださってないですよね」
「ああ、俺が目ぇ通したよ」
 諦め混じりに溜息をついたところで横からそうフォローされ、思わずフェイトは顔を上げた。玄関あけた瞬間に殴りかかってくるような相手だが、名鳴と名乗った青年は、藤代に比べれば幾らか話が通じそうだ。
「面白くなさそうだったんですぐ捨てたけど」
 一瞬でも期待したのが間違いだったようである。
「…ええと。最初から説明しますがいいですか…」
 得も言われぬ疲労を覚えながら、フェイトはタブレット端末を取り出す。支給品のタブレットに個人認証を通すと、あらかじめ用意しておいた「事件」の資料が表示されていた。用意しておいて正解だったと心底思いながら、彼は画面に映し出された一枚の写真を指し示す。監視カメラの映像だろう、解像度の荒いそれを補正しながら無理に拡大した一枚だ。
 男の手には、奇妙にねじくれたデザインの一振りのナイフがあった。
「――これです」
 それまで気怠そうだった藤代が一度だけ左眼を向け、嫌そうに顔を顰めた。
「だから俺ァ、IO2が嫌いだって言ってんだ。壊せって言ったのに残してやがったのかそのナイフ」
「それに関しては反論のしようもないですね」
 苦い感情を覚えつつ、フェイトはサングラスを外して頭を下げた。
「…IO2で管理していた筈のあなたの『作品』が持ち出されて、今現在、人を害している。俺一人の謝罪は意味が無いかもしれませんが、こちらの落ち度であることは確かです。申し訳ない」
「…IO2の割には話聞いてくれそうな人だね、スズ」
 感想を漏らしたのは名鳴の方だった。藤代は面白くもなさそうに、頬杖をついたまま、
「いいから続き。わざわざ俺を名指しで協力要請ってのはどういうこった」
「残念ながらIO2では、あの『作品』の解析が不十分なんです。特性をご存知なのは今やあなただけですから、情報提供をお願いしに来ました」
「嫌だね」
 あっさりとした拒絶に、フェイトは眉尻を下げて素直に困った表情になった。サングラスを外すと年相応より少し低く見られるような顔立ちなのだが、一層頼りなげな印象になる。
「それだと俺も困りますし、被害者が増えます」
「誤解すんな、今の情報だけじゃ『嫌だ』と言ってるんだ。俺だって人死にが出りゃ寝ざめは悪ィんだよ」
 そう告げて、藤代は顔を上げた。それまで退屈そうに頬杖をしていた腕を組み、険しい表情を見せる。
「被害者ね。…どうせあんたらが情報隠ぺいしてるんだろうが、今何人死んでる?」
「3人です。いずれも、東京に流れ着いてきていた『人間以外』の方達でした。あまつさえ、一人は妖精――普通は物理的な攻撃によって死ぬことのないはずの方でした」
「そうか、じゃあ『6人』だな」
「は?」
「…俺の『作品』のせいで死んだ人の数だよ。3人死んだなら、同じだけ代償として死んでるはずだ。だから6人」
 淡々とした物言いに、思わずフェイトの背筋が冷える。
 ――事件の協力要請を無視しているこの青年との交渉が、今回彼に任されている仕事である。故に、この青年、藤代鈴生の情報にも一通り目は通してきた。この青年がIO2にマークされている理由は幾つかあるのだが、そのうちの一つをフェイトはこの時思い出したのだ。
 藤代鈴生は「魔導錬金術師」――魔力や特殊な才能を持たない人にも、限定的な魔術を使えるようにするいわゆる「魔道具」「魔具」の類を作成するという技術を持っている。昨今の東京では数は多くないとはいえ、似たような技術を持つ者は決して珍しくは無いのだが、彼の「作品」には他にはない特徴があった。
 願いを叶える。死者を蘇らせる。因果を操作し、幸運を無理やり引き起こす。時間を超える。そうした「不可能」とされる事象を、彼の「作品」は叶えることが出来てしまうのである。
 ――ただしそれには不可逆の、致命の、不必要なまでに苛烈な「代償」を伴うのだが。
「……あのナイフの代償は?」
 IO2では、ナイフが魔力を込められた刃であり、攻性の高い呪いに似た魔術をかけられていることまでしか分かっていない。藤代の「作品」がいかに強烈な「代償」を要求するかを知っているが故に、試験的に使ってみることも出来なかったのである。
 フェイトの問いへの答えは、矢張り酷く淡々と返ってきた。
「一度の攻撃のために、身近な命が一つ必要だ。代わりに絶対に何者にも攻撃を到達させる。あれはそういうナイフだ」
「命…!?」
「最初にアレを求めた依頼主は、呪い殺された娘の仇を討つために、妻の命を支払って――その後自分自身をあのナイフで殺した。コトを知って俺が回収に行った時には、先にあんたらIO2が回収してたんだよ。…俺はその時に忠告したぜ、『ロクなもんじゃねぇから壊せ』ってな」
 今にも舌打ちをしそうな険しい藤代の表情も当然であろう。確かにそれは、とフェイトは苦々しく認めた。だがその「代償」のことを知っていたら、果たしてIO2は素直にあの「作品」を壊しただろうか。
(否、のような気がするな)
 だから恐らく、藤代は再三の情報提供にも応じなかった。代償を恐れていればIO2はアイテムを使うことは出来ない。代償を知れば――利用するかもしれない。そう判断したのではないだろうか。まぁ、それ以前に彼が言う通り「IO2が嫌い」というのも大きな理由ではあったのだろうが。
「…重ねてですが、俺個人としてはあなたに謝罪したいんです。俺で出来る範囲のことであれば、IO2の握っている情報の提供や、あるいは他に管理されているあなたの『作品』の破壊を請け負っても構いません」
 きっぱりと、今はフェイトを名乗る青年は告げる。ふぅん、とそこで初めて、藤代は彼の目を見た。笑う。
「お前、名前は」
 問われた意図が分からぬ筈も無かった。「フェイト」はどこか稚い印象の残る顔立ちに笑みを浮かべ、返す。
「――工藤勇太」
「オーケイ、IO2からの協力要請はしょーじきなところ気が乗らなかったんだがな、勇太。お前個人の要請に乗ろう。どっちみちありゃ壊さねーといけねぇし。いいな、メイ?」
 それまで隣で静かに話を聞いていた名鳴が、その言葉にどこか苦い、諦めたような、薄い笑みを浮かべて頷いた。
「…何となくそんな気してたよ、スズ。何だかんだで結構、スズはこの手のタイプに甘いからなぁ」
「この手のタイプ?」
「あんたみたいに、みょーに素直で、みょーに頑固なタイプ。自分の信条に素直すぎて生きるのに苦労するだろうなーってタイプ」
「…褒められてないよね、それ」
 フェイト――否、勇太のうめき声に似た問いには答えは無かった。にやにやと意地の悪そうな笑みを浮かべて、名鳴が立ち上がる。
「そーと決まれば話は早いな。さっさとナイフ回収しちゃおうぜ。どーせIO2で犯人の情報まで掴んでんだろ」
「…いや、でも、回収は俺の仕事で」
「一人でどうにかできるか?」
 こちらも意地の悪い笑みを浮かべる藤代に、勇太は気負いなく頷いた。
「まぁ、それが仕事だから」
 が、当然の積りで、大真面目に返答した勇太に対して、藤代はと言えば、
「あっははは!」
「…指差して笑うところなのここ…!?」
「あーやべー腹いてぇ…! 面白いなーあんた! IO2にも面白い奴が居るもんだなぁ…」
「…俺以外にも幾らも居ると思うけど…」
 よっぽどタチの悪いエージェントとしか遭遇していないのではないだろうか。そんなことをちらりと思ってしまう勇太である。

 相手の持っている魔道具、IO2が最も恐れていたその情報さえ分かってしまえば後の話は早いものだ。犯人は既に割れているし、何を思ってナイフを手にしたのかしれない男は、逃げもせずに日常を謳歌しているから逃走の恐れさえない。ただ、これ以上被害が出る前に抑えたい、というのがフェイトの、勇太の意向であった。
「…一応尾行はつけてるんだ。今どこにいるかは分かってる」
「どこだ?」
「――」
 同僚へ連絡を取りその場所を確認して、勇太だけでなく、一緒にセダンに乗りこんでいた名鳴までもが険しい表情になる。表情を崩さないのは藤代くらいのものだ。
「まずい、あそこは…」
「異世界から流れた連中が多いエリアだな。幽霊だの妖精だの天使だの悪魔だの」
「下手すると4人目の被害者が出る――! 飛ばすよ!」
 呑気な藤代の解説を聞いている場合でもなかった。アクセルを踏み込む勇太に、後部座席から不平の声が聞こえた気がするがこれは徹底して無視する。
 ただ、助手席に居た藤代がこの時初めて、少しばかり不愉快そうな顔をした。
「そもそも、何だって態々俺の『作品』使ってまで通り魔事件なんて起こしてやがるんだこの犯人。相手が尋常な連中じゃないったって、他に殺しようは幾らでもあるだろうによ」
 物騒な発言ではあるが尤もな疑問とも言える。「作品」の代償を聞いてしまった今となっては余計にだ。前方のミニバンを追い抜くことに意識は集中しつつ、勇太はかみつく様に応じた。
「詳しく話すと長いけど聴きたい!?」
「大方あれだろ…ああいう『流れ者』とか、異能者の類を病的に毛嫌いしてるタイプ」
 たまに居るよなぁ、と妙にしみじみと言う藤代に律儀に訂正を入れてしまうのは、勇太の根が真面目だからなのか。ともあれ思わず彼は訂正を叫んだ。端的に。
「じゃなくて、『虚無』絡み!」
「うわー。…メイ、詳しく聴きたいか? 俺は遠慮したい」
 どっちみち俺の「作品」を無断で使ってる時点で俺の敵には変わらないしな、とさしたる感慨もない様子で藤代は言い、
「どーでもいいよ。スズの『作品』を、悩んで悩んで使っちまうような人ならともかく。通り魔に使ってる畜生ってだけで遠慮なく殴る理由は充分だろ」
 名鳴の方も淡々とそう答える。あっさりしすぎている、というよりも、行動指針が二人ともしっかり出来ている人間なんだろうな、と勇太は頭の片隅では思いつつ、そしてガソリンの残量を気にしつつも――更にスピードを上げた。

 現場に到着したのが間に合ったのかどうかと言われれば、ギリギリのところだった。車を止めてから入り組んだ路地を走り、どういう訳か「声が聞こえる」と断言して途中から名鳴が先導する格好になったのだが、ともかくも彼らが飛び込んだ先では今しも、男がねじくれたデザインの、黒いナイフを振り下ろそうとしているところだったのだ。
「っ、やめろ!」
 その男の正面で、幼い童の姿をしたモノ達が驚いたように固まっている。妖怪、否、恐らく土地神だ――そう気付いた時には勇太は動き出していた。
 男の手にあるのは材質のよく分からない、金属には見えない何かで造られたナイフだ。突然飛び出してきた勇太に驚いたらしく、彼が一瞬それを振り下ろすのが遅れたのは幸いだった。藤代が再三、道中で忠告をしていたことを思い出しながら、勇太は躊躇なく己の力を振るう事に決める。
 ――いいか、何度も言うがあれは「一度攻撃したら、絶対に対象を害する」武器だ。
 ――攻撃されたら、防ぐ手段は無いと思え。物理的にも、魔術的にも、ほぼ全ての防御を突破できる。
 ――ついでに言えば、「一度の攻撃につき、一人分の命」が代償だってことも忘れんな。「攻撃させない」ことが肝心だからな。
 「ついで」の部分が勇太としては特に重要だった。自分が多少傷付く分には構わなくとも、これ以上の被害者が、IO2でさえも把握できない範囲で発生するのは、彼個人が耐えられない。
 だからこそ、銃を抜く暇さえ省いて彼は眼前の男に自らの「力」を振るった。見えない「力」に打たれて、男がよろめく。一応はナイフを持った手を狙ったのだが、執念染みた様相で男はナイフだけは手放さず、しかし大きく後ろへのけぞる。そこへ、名鳴が飛び込んだ。
 全体的に、名鳴の動作は構えや予備動作が無い。いちいち「突然」の、酷く無造作な動きで、傍目に予測がしづらいのだと今更勇太は気付いた。観察する余裕が戻ってきた、ともいえる。
(『鬼』の血族って言ってたっけ。身体能力が高すぎてああいう動作になるのか、彼個人のやり方なのか)
 ともかくも、唐突に飛び込んだ名鳴は、男の腕を捻り上げていた。「鬼」の膂力は相当なもののはずだが、捻られ、うっ血によって変色してもなお、男は血走った眼のままナイフを手放そうとしない。ここに至って、名鳴が初めて苛立ったように眉をひそめた。
「勇太。こいつヤバい」
「分かってる! 多分、自分の痛覚とか全部切ってる…!」
 るぉあああああああ!!
 獣じみた声が上がったのはこの時だった。名鳴が腕をひねりつぶそうとし、それでも一瞬逡巡した、その隙が良くなかった。男が手首を自らへし折って引き抜き、二人の隙をついてナイフを翳したのだ。
 ――あれが振り下ろされたら、一人が死ぬ。更に今目の前に居る、さして大きな力を持つようにも見えぬ小さなモノ達も死ぬ。
 躊躇なく勇太は、振り下ろされるナイフの真下へ飛び込んだ。そうしながら、ナイフを止めようと己の力をぶつけ――ぞっとする。手応えが、無い。
(一度攻撃が発生したら、いかなる防御も突破する――)
 つまりこれはそういうことなのか、と。
 それでもあきらめきれず、周りの建物を崩してでも男を止めるべきかと僅かに視線を動かした時だった。勇太の前に、彼より少しだけ上背の高い青年が割り込んでくる。
「ったく、俺は運動は苦手だっつーの、に…!」
「あぶな――」
 黒いナイフが。
 振り下ろされる。

 ――結果として何が起きたかと言えば、何も、起きなかった。何もだ。

「え…?」
 一番混乱した様子だったのはナイフを振り下ろした男で、よろよろとよろめきながら後ずさり始めたのを次いで我に返った勇太は、今度は落ち着いて銃を引き抜いて止めることにした。――と言っても、相手は痛覚遮断をしている様子なので、恐らく銃口を向けてフリーズ、と叫んだところで効きはすまい。眼を血走らせ、口から涎を垂らす姿を見ると、そもそも言葉が通じるかどうかも危ぶまれる。という訳で、今度こそ迷わずに彼は引き金を引き、男の膝を撃ちぬいた。
 両膝を撃たれた男はバランスを崩してその場に倒れる。それでも這いながらその場を動こうとするその背を、追いついた名鳴がひょいと持ち上げた。
「これ、ふんじばっておけばいい? 殺した方がいい?」
 あっさりと物騒なことを口にする。
「喰ってもいいぞ」
 冗談なのか本気なのか、藤代の言葉に勇太はさすがにたしなめるような目を向けたが、彼は小ばかにするようにちろりと舌を出しただけだ。その横で名鳴がうげぇ、と呻く。
「冗談きついぜ、スズ。ヤク漬けだか何だか知らねぇけどこんな不味そうなの、喰えたもんじゃねェよ」
「いやメイ君も普通に食べる前提で話すのやめようよ」
「喰うなら可愛い女の子がいい、俺」
「だから」
「勇太は面白いなぁ」「面白いよなぁ」
「二人して俺で遊ぶのやめようよ…」
 からかわれた、と気付いて勇太は息を大きく吐き出した。今更になって、事態が理解できたのだろうか、童姿の土地神が勇太へと近寄ってくる。藤代も名鳴も何故かその時ばかりはそっぽを向いていた。(後々聞いたところによれば、二人ともそれぞれの事情で神性の存在が不得手なのだと言う話だった。)
「大丈夫だった? …早いとこ社にお帰りよ。最近色々物騒だし」
 頭を撫でると、童はひとつ頷いてから、勇太に何かを差し出してくる。お礼だろうか、と受け取ると、それは一輪の花だった。元はお供えものだろうか、と思いつつも勇太は苦笑して、それを受け取る。
 しきりに手を振り、振り返り振り返りしながら去っていくその姿を見送ってから、勇太はようやっとこの件の協力者へと向き直った。
「そういえば、藤代さん。怪我は」
 今更ながら、勇太は先程の状況を思い出していた。藤代が飛び込んできたその後、何故かナイフの攻撃は――不発に終わった。何も起きなかったのだ。とはいえあれだけ再三、「一度攻撃されたら防げない」とくどくど繰り返していた藤代が、何の考えも無しに飛び込んできたとも考えにくい。
「…何か対策があったってことですか」
「んー、まぁな。…俺の支払った代償もちと高くついたが」
 藤代はそう答え、勇太に自らの左手を示して見せた。そこに違和を感じて改めて観察し、勇太は一度瞬く。
「…あの、その指輪は」
「見ての通りの結婚指輪だぞ。いいだろ」
「いやそうじゃなくて。…そんな傷、ついてなかったですよね」
 銀色の指輪には、大きな傷が一つ刻まれていたのだ。はめ込まれていた小さな宝石も砕けてしまっている。藤代は少し得意気に、しかしどこか寂しげに、指輪を一度撫ぜた。
「…俺の奥さんの手製でな。『どんな攻撃でも絶対に防ぐ』っつー魔道具なんだよこれ」
「そんなものがあるなら何で先に教えてくれなかったんですか…」
 先程までの安堵とは別の理由で力が抜けて、勇太はへたり込みそうになりながら抗議の声をあげたが、藤代は涼しい顔だ。
「だってこれ結婚指輪なんだぞ。しかも一回限りの使い捨てなんだぞ。勿体ないだろ」
「結婚指輪をそういう用途で用意するのもどうかと」
「しっかしどうするかなぁ、また作り直してもらわねぇと…」
 ぶつくさと愚痴りながら、藤代は早々にその場を立ち去ってしまう。後に残された勇太は「フェイト」の表情に戻り、同僚へ連絡を入れつつ――ナイフの行方についてだけは曖昧に誤魔化しておく――倒れた男を捕えてその場にとどまっている名鳴の表情へふと視線が向いた。
 立ち去った藤代を見送るその視線に、酷く複雑な感情が絡んでいるように見えたのだった。

 後日。
 ――勇太、否、「フェイト」は雑居ビルの前に立っていた。前回はここで扉をくぐった瞬間に殺気をぶつけられたんだったなぁと遠い目で思い出しつつ、インターホンを鳴らす。
「IO2の方から来ました」
 精一杯の嫌味の積りで言ってやると、向こう側からははん、と馬鹿にするような笑いが漏れた。

「…今回はありがとうございました。『個人的な協力』に感謝します。ええと、工藤勇太として、ですよ?」
 そう付け加えると、先日と同様の散らかり放題の室内で、先日とは異なり寝惚け眼の藤代がむにゃむにゃと返事だか何だか分からない声を漏らし、その隣にいた名鳴がため息をついた。
「そういうことなら礼は受け取っとくよ。あんまIO2とは繋がり作っておきたくねぇんだ俺達」
「少しくらいは距離を近づけてくれてもいいと思うんだけど…」
 旧来の退魔組織とも折衝がうまくいっていないとは聞いているが、市井の能力者や魔術系の技能者の一部にも嫌われているという現状は改善の余地があるよなぁ、等と思案しつつも、勇太は本来の用事を切り出すことにする。
「…それと、頼まれていた件なんですが。まず、ナイフの件は、適当に誤魔化しておきましたのでご安心ください」
 声を低めて勇太が告げると、やっと眼が冴えて来たのだろうか。藤代が顔を上げた。徹夜でもしていたのだろうか、髪はぼさぼさで顔色も悪い。
「こっちもお前が気になってるだろうから教えてやると、やっと壊せたぞあのナイフ。…我ながら何でこんな厄介な防壁仕掛けたんだかな…」
 回収したら壊す気だったのに、魔導錬金術師の本能だろうか。等と勇太にはあずかり知らぬことをぼそぼそと一人ごちてから、彼は改めて勇太に向き直る。
「ありがとよ。そんだけ聞けばまぁ多少は安心できた。珈琲でも飲んで…」
「…お礼の前に、もうひとつ」
 立ち上がりかけた藤代を制して、勇太は続けた。今度は一層、声を低めて。
「……多分、お二人が欲しいであろう情報を一つだけ持ってきました。今後も協力してもらえるなら、提供します。どうでしょう?」
 最初に反応したのは名鳴の方だ。ぐっと眉間に皺をよせ、身を乗り出す。
「――お前、まさかと思うけど」
「ウチの奥さんの…響名の行方か」
 コーヒーメーカーから湯気の立つコーヒーを注ぎながら、むしろ酷く落ち着いた調子で藤代が口を挟んだ。ソファから身を乗り出しかけていた名鳴がその言葉に落ち着きを取り戻したかのように身体を戻す。表情は険しいままだが。
「家出されたんでしたっけ」
「色々あってな…あいつもロクでもねぇ魔道具作ることあるからIO2でもマークしてるだろうし、ある程度は事情知ってんだろ。結婚初日に飛び出して行ってそれっきりだ。笑え」
 堂々と胸まで張って言われるといっそ清々しいから不思議である。差し出された珈琲に口をつけてから、勇太はさて、と外したサングラスに目を落とした。
 ――ここから先は、お仕事の時間だ。
「…実は、他にも回収が必要な魔道具があるんですが――」

カテゴリー: 02フェイト, 夜狐WR(フェイト編) |

誕生!でこぼこコンビ

タラップを降りた瞬間、ようやく戻ってこれた、とフェイトは高く澄み切った空を見上げた。
高校卒業と同時にIO2の研修でアメリカへ渡り、4年。
思ったよりも優秀な成績を残したことで、日本でも名前が知れ渡り。華々しい凱旋帰国となった。
さぁ、これからだ、と胸を張って、意気揚々とIO2日本支部に着いたフェイトはいきなり打ちのめされる、というか、衝撃のあまり固まった。

「なに固まってんだよ!お前……さては俺の偉大さにビビってんな?」
「どういうことでしょうか?このぬいぐるみ」
「どうもこうも、お前のあ・い・ぼ・うだ」

一見、いや、どこからどう見ても完璧な可愛らしい熊のぬいぐるみ―テディベアがフンっと胸を張り、ふんぞり返っているが、その後頭部には、くっきりと刻まれたフェイトの足あと。
狭い日本どこへいく、な例にもれず、空港から大渋滞に巻き込まれ、遅刻しそうになったフェイトが荷物のキャリーバックを引き、廊下を爆走していた時、思い切り踏んづけた物体がぬいぐるみ……ではなく、彼だったわけだ。

「相棒?いや、ぬいぐるみ」
「あ~気にするな。お前がさっきここへ来る途中に思い切り踏んづけたのが、こいつだろうと気にすることはないぞ、フェイト。彼、哲夫は立派な―見習いだが、相棒だ」
「踏んづ……あ」
「んだよっ!!それって、おぅい!!てめ、さっきはよくもっ!!」

フェイトの抗議を問答無用の華麗かつ爽やかな笑顔で左から右へと聞き流した挙句、ゴミ箱へ捨て去ってくれる上司。
その言葉に、自分の頭を踏みつけて駆けて行った人物の正体に気づいて、叫ぶ哲夫だが、フェイトは微妙に目を泳がせて聞き流す。

「すみません、別の方と組ませて」
「俺だってお断りだっ」
「おおおお、息ぴったりだな。変更はないから腹くくれ」

さすがにバツが悪い、いや、最悪極まりない二人に上司は問答無用とばかりの最上級の笑顔で抗議を切って捨ててくれた。
あまりな事にうぬぬぬぬぬ、、と唸る二人。
抗議したいが、あっさりとかわされると分かっているから、言えない。
けっこう息が合ってるな、と超楽観思考で上司が思った瞬間、緊急コールの電話が鳴り響いた。
「どうした!」
受話器を取るなり、鋭い口調で問い詰める上司の表情が険しくなっていく。
しばし、何事か話した話した後、受話器を置くなり、上司は息を飲んで状況を見守っていた二人に微笑んだ。

「たった今入った情報だ。郊外にある廃工場で悪霊が溜まりこみ、あふれ出しそうになっている。このまま放置すれば、近隣住民に被害が及ぶ。そこで、だ」

にっこりとほほ笑む上司を見た瞬間、フェイトと哲夫は嫌な予感を覚えた。

「お前たち二人に任務だ。その廃工場に向かい、悪霊を退治してこい」
「……何ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!」

情け容赦のない上司の言葉に二人の声が見事に重なったのは言うまでもない。

くすんだステンレス、崩れ落ちたコンクリートの壁。打ち捨てられた工作機械。
人の手入れを失い、伸び放題の雑草の敷地に踏み込んでもなお、フェイトの不満は収まらない。
頭では分かっている。分かってはいるが納得いかない。いくわけがない。
アメリカでそれなりに実績を積んで一目を置かれている自分が、なぜ、どうして、何を間違えば、こんな見た目可愛いぬいぐるみめいたクマと相棒に?
納得しろ、という方が無理だった。

「なんだってクマと……」
「おぅいっ!!いつまでぶつくさ言ってんだよっ!!」
「少し黙っててもらえるかな?」
「だぁぁぁぁぁっ、言ってくれるぜぇぇぇ」

頭を掻き毟る哲夫だが、内心では、ガッツリと拳銃を握りしめていた。
ここで、アメリカ帰りのエリート様を出し抜いて大活躍をして見せれば、IO2の目も変わる。
そうすれば、誰もが認めるはずだ。
田中哲夫ではなく、エージェントネーム・ブラッティベアの名を。
一人世界に酔っている哲夫を一瞥し、フェイトは両手に銃を構え、廃工場から雲海のごとくあふれ出る悪霊たちを睨みつけた。

「さっさと片付けようか」
「おう、遅れんなよ!」

叫ぶやいなや、銃を撃ちまくりながらダッシュで突っ込んでいく哲夫。
あまりの無謀ぶりに一瞬、こめかみを引きつらせつつも、フェイトも即座にその後を追う。
不気味な唸り声を上げ、大きく口を開けて襲い掛かってくる無数の悪霊の群れ。
全身はなく、頭のみの姿で襲ってくる悪霊に哲夫は握った拳銃に念を込めると、気合充分に弾丸を撃ち込む。
放たれた光輝く弾丸に貫かれ、消滅していく悪霊たち。
その様を見て、哲夫はクイッと被っていた帽子のつばを上げて、ハードボイルドに登場する主人公よろしく決めてみせた。

「口ほどにもな……」

決め台詞は最後まで続かなかった。
虚ろを映す巨大な両目と耳まで裂けた口を開けて、消滅した悪霊たちを飛び越し、哲夫に襲いかかるデカい悪霊。
優に小型乗用車一台分はあろう大きさを生かし切って、押しつぶしてこようとする。
慌てて銃を構え、念を込めるが、一歩いや半歩、動きが遅かった、
真っ黒な咢に噛まれかかる寸前の哲夫。
だが、哲夫の背後から飛び上がったフェイトの2丁拳銃が火を噴いた。
放たれた数発の弾丸はえぐり込むように悪霊を貫いた瞬間、断末魔の悲鳴を上げて、はじけて消える。

「なにやっているんだっ!!」
「う、うるさいっ!ちょっと油断しただけだ」

唖然としたまま立ちすくむ哲夫にフェイトは珍しくどやしつける。
その間にも襲い掛かって来る悪霊たちにむかって、弾丸を撃ちこむことを忘れないフェイトに一瞬、感心しつつも、すぐさま沸き起こった対抗意識がそれを打ち消す。
正面から襲ってきた2体の骸骨の姿をした悪霊に弾丸を撃ち込む。
霧散して消えていく悪霊を横目で見ながら、フェイトは小さく口元に笑みを浮かべて、応戦の手を緩めない。
両サイドから牙をむく大型の―古代生物で言うところのサーベルタイガーに近い―獣の攻撃を天井近くまで跳躍してかわすと、そのまま脳天に向かって弾丸を放つ。
さらにサイコキネシスで操ったコンクリートの破片や石ころを秒速にまで加速させて、叩き付ける。
念を纏ったそれらは下手な武器よりも強力な武器となり、一個の生き物のように動き回りながら、悪霊を仕留めていく。
冷静沈着、正確無比なフェイトの攻撃にさすがの哲夫も心から感服する―訳なかった。

「だぁぁぁぁぁ、負けてられるかぁっ!!」

対抗心、というか、生来の負けず嫌いに火がついたのか、銃をお腹にしまうと、両手を頭の上で構えた。
その手の間に出現する青白く発光する球体がバスケットボールほどの大きさになると、哲夫はにやりと笑って、狙いを定めきれずに飛び交うだけの悪霊の群れめがけて、それを投げつけた。

「ブラッディベアをなめるなよぉぉぉぉぉぉ」
「待てっ!!止め」

投げつけられた球体の正体が哲夫の霊体エネルギーを凝縮したエネルギー弾と見抜いたフェイトは、哲夫には見えなかった状況が見え、とっさに制止するが間に合わなかった。
エネルギー弾が直撃し、悪霊たちが消滅していったまでは良かったが、その刹那、グンッと周辺の空気が重くなり、空間が歪む。
華麗に着地した哲夫のもとに駆け付けると、フェイトはその腕を引っ掴むと、思い切り勢いをつけて後方に投げ飛ばし、自分もその場から離れる。
顔面から床に直撃し、そのまま前へと滑った哲夫は怒りのマークを浮かべて跳ね起きる。
真横に片膝をつき、つい先ほどまで哲夫がいたあたりを睨むフェイトを睨みつけ、抗議の声を上げた。

「危ねーじゃねーかっ!!何考えて」
「来ますっ!!構えて」

ギャンギャンと喚く哲夫をフェイトは鋭く叫ぶと、両手に構えた銃を歪んだ空間に向かって撃ちまくる。
そこは空間が歪んでいるだけで、一見すると何もない空間にしか見えない。
なのに、フェイトは厳しい顔つきのまま銃を撃つ手を緩めようとしなかった。
一体何が、と一瞬考えた哲夫だったが、状況に気づいて蒼くなる。
撃ちまくる銃弾がまるで届かない。いや、届いていないのだ。
直前で、全て空間に飲み込まれて消えていく。
その瞬間、一点の黒いシミがそこに生まれ、瞬時に大きくなり―漆黒の巨大な粘着物質が弾けた。
明らかな意思を持ったそれは、フェイトと哲夫めがけて襲い掛かってくる。

「ななななななっ!!」
「下手に霊体エネルギー弾を使わないでください!今ので、ここにいる悪霊たちを刺激して、厄介な物体に変化したんですよ」
「……ぬわぁぁぁにぃぃぃぃ!!」
「ここに来るまでに資料読んでないのかな?あまりに長く停滞していた悪霊に強い霊的な刺激を与えると、変質して暗黒物質化したんです」

明確な殺気を持った暗黒物質はアメーバのごとく、身体を広げると、二人に襲い掛かる。
しかも、周囲で暴れ狂っていた悪霊たちを捕食して、迫るごとに巨大化していく。
その様を目の当たりにして、顎が外れんばかりに絶叫する哲夫の襟首を掴み、玄関ホールまで放り投げると、迫りつつある暗黒物質に振り返った。

「おい、ヤバいって!!」

さすがの哲夫も―ぬいぐるみなので、はっきりとは分からないが―青ざめて、大声で叫ぶが、フェイトは両手に握った銃をだらりと下げ、仁王立ちしたまま、微動だにしない。
その間にも暗黒物質は工場内にいた残存の悪霊を取り込み、最初よりも二回りは大きく成長し、その身体をテーブルクロスのように広げ、フェイトを頭から包まんとする。

その瞬間、白銀の閃光が走り、暗黒物質を貫いた。
何が起こったのか、理解できず、その場に縫い止められる哲夫の目に映ったのは、フェイトの左手にある拳銃から立ち上る銀色の煙。
撃ち抜かれたそこから、白い光とヒビが走り、打ち砕かれ、声なき声を上げ、もだえる暗黒物質。
つかさず、右手のトリガーを引き、第二射を打ち込むフェイトに哲夫は今度こそ諸手を上げて認めざるを得なかった。
瞬時に敵の性質を見抜き、それに合わせた対霊弾を撃ち、一気に浄化、殲滅してのけたのだ。

―まだ若いってのに、やってくれるぜ
自分のことを某都市の名所タワーほどの高い棚に置いといて、胸の内でつぶやく哲夫の視線に気づき、振り返ったフェイトはしばし見た後、あからさまに大きくため息をついた。

「だぁぁぁぁっ!!なんなんだよっ、お前」
「いや……なんでもない。これで任務完了だね」

ガァーッと毛を逆立てて怒鳴る哲夫に、フェイトは一瞬口ごもると、あからさまに話を逸らした。
自分がケリをつけたわけでもないというのに、両腕を組んでふんぞり返る哲夫に呆れたが、攻撃判断などは信頼できる。
少しだけ認めてもいいかな?と、いきり立ってがなり立ててくる哲夫を受け流し、フェイトは小さな微笑を口元に描くのだった。

fin

カテゴリー: 02フェイト, 緒方智WR |

孤独の騎士 気骨の騎士

その白い教会の中には、沢山の、あらゆる人の記憶が保管されている。
 何処にどのようにして保管されているのか、何故そのような物が保管されているのか、そのあたりのことは知る人しか知らないし、そこが気になり出してしまったら彼らの話が全く前に進まなくなってしまうだろうから、今は詮索しない方がいい。
 大事なのはそこに保管された記憶たちのことだ。
 持ち主にすっかり忘れさられてしまった記憶も、忘れたくても忘れられない記憶も、何気ない日常のワンシーンも、人や風景や言葉や感情も、全てそこには保管されている。嫌われている記憶もあれば、大事にされている記憶もある。
 大事なのはそんな記憶たちのこと。

 管理人は時々、そこから記憶を取り出しては鑑賞する。
 そして今日もまた管理人は、その中にある記憶の一つを、作為的に、あるいは無作為に取り出した。

 何故その記憶だったのか、であるとか、取り出してどうするのだ、であるとか、むしろ管理人って誰だ、であるとか、そう言う事は、やっぱり今は詮索しない方がいい。
 今ここで語られるべきは。
 管理人によって取り出された、とある青年のこんな一晩の話。

××孤独の騎士 気骨の騎士××

「最近、調子、どうなの」
 葛西がピーナッツをがりがりと噛みながら、指のさかむけを弄りつつ、言った。
 つまりはいつもながら、物凄くどうでも良さそうな口調で言った。しかもそんな、漠然と中身のない事を。
 その横顔をぼんやり眺めて、フェイトは内心で小さく小首を傾げる。
 俺は一体何のためにここに呼び付けられたんだったっけか。
 確か、新しい拳銃の開発がどうのこうのとか言われてやってきた気がするけれど、まだその新型拳銃にはお目にかかっていないし、出てくる気配も未だ、ない。実のところこの人は、ただ一緒に酒を飲む相手を探していただけで、けれど、誘うべき友人が思い付かないので、最近良く仕事で一緒になる自分を呼び出してみただけなのではないか、つまりは単なる暇潰しの気まぐれなのではないか、と。そんな邪推をしたくなるくらい、拳銃の話が出る気配は一向に、なかった。
 ただ、単なる暇潰しにしても、二人の話がお世辞にも盛り上がってるとは言えないこの状況は不可解極まりなく、居心地は、悪い。
「まあ」
 どちらかと言えばお酒は苦手なフェイトは、アルコールよりも糖分の方がよほど高いだろうカクテルを口に運び、言う。「悪くないですよ」
 悪くないところか、拳銃の調子はすこぶる良かった。IO2所属のオカルティックサイエンティストの葛西とは、対霊弾を使用する拳銃のメンテナンスなどをして貰う内に知り合いになった仲であるから、彼の問いかけは恐らく、フェイトの使用している拳銃に向け放たれた言葉に違いなく、それに答えるならば「絶好調ですよ」であるとか、「問題ないですよ」と答えるべきで、「悪くないですよ」では消極的過ぎるくらいだったが、無自覚の内にフェイトはそんな言葉を選び口走ってしまっていた。

 もちろん、拳銃自体には何の問題もないのだ。
 彼に見て貰ってから、拳銃の調子もすこぶる良い。何を考えているかは全く読めない薄気味悪さはあるけれど、葛西はとても優秀な研究者だ。問題はそこにはない。
 問題があるとすればそれは。
 フェイトは小さく目を伏せる。
 グラスの中に浮く氷をぼんやり眺めた。

「ふうん」
 隣からまた、がりがり、とまたピーナッツを噛む音がする。
「悪くないってことは、良くもないって感じに聞こえるけど」
 問いかけにフェイトは小さく唇を歪める。
「あーやっぱりそこ、引っ掛かっちゃいますか」
「んーなんか、悪くないですよとか言われると、引っ掛かっちゃうよね」
「すいません別に他意とかなくて。俺たまに言葉のチョイス間違えるんですよ。拳銃は絶好調です。悪くないですっていうか、あー、体にぴったりフィットで、使い勝手は最高です」

 たとえば引き金を引くその瞬間。
 そのほんの瞬間に躊躇うそれさえなければ。とそんな言葉が喉元まで込み上げる。
 けれどそれは、いくら優秀な研究者でも、いくら素晴らしい武器を与えられても、解消されない問題に違いない。
 言葉を飲み込むためにフェイトは、また美しく色づいた液体の入ったグラスを傾けた。
 そんな彼の、どことなく可憐な匂いのする横顔を、葛西は、何の感情もない切れ長の瞳で無表情に眺める。
 グラスを置いて暫くしてもまだ葛西が自分の方をぼーっと見ていることに気付いたフェイトは、思わずちょっと身を引いて眉を顰めた。
「なんですか」
「なにが」
「いや気付いてないかもしれないですけど、葛西さん今俺のことめっちゃガン見してますからね」
「んー」
 はい知ってますくらいの調子で頷いた葛西は、「なんか髪の毛凄い柔かそうだなあとか思って。ねえそれ一回ちょっと触ってみていい?」とかなんか、言った。
「いやいいって普通にだめですよねそれは」
「だめかな」
「そこでいいですよとかいう人が居たら、それはきっと葛西さんに抱かれたいって人だと思いますよ」
「あーわかる分かる。最悪抱かれたいって程積極的じゃなくても、抱かれてもいいかな程度は確実に思ってる人だよね」
「ですよねっていうかなんなんですかこの無駄な会話。俺今ちょっと恥ずかしいんですけど」
 カウンターに両肘をついた、前のめりの体制で、葛西は、唇を歪めながらピーナッツを口に運んでいる。
「あのーなんか薄気味悪い笑みとかお浮かべになられてるとこ申し訳ないんですけど、そろそろ新型拳銃の話とかして貰えませんかね。このまま無駄話ばっかりするんだったら俺、帰りたいんですけど」
「じゃあ聞くけど君ってさ」
「はい」
「何のために戦ってるんだっけ」
「は?」
「いやだから、何のために戦ってるんだっけって」
 唐突に言われた言葉の意味がすぐには理解できず、フェイトは目を何度か瞬き、その無駄に整ったサイエンティストの横顔を暫し、見つめた。「え、なんなんですか、急に」
「いやなんかそういう雰囲気かなって」
「かなって一切そんな雰囲気になってませんよ、大丈夫ですか」
「だって新型拳銃の話とかいうから」
「言いましたけど理由になってませんしね」
「急に聞いたらいけない?」
「いけないって、いやいけないかいけなくないかっていったらいけなくないかも知れないですけど、心情的にはいけないだろって感じですよね、って俺凄い今回りくどい言い方してますけど分かりますよね」
「うん分かる」
「じゃあ聞かないで下さいよ」
「聞いてみたくなったんだよ。君がどんな気持ちで引き金を引いているのか」
 葛西がゆっくりとフェイトを振り返る。「その拳銃を作ってる身としては」

 どんな気持ちで引き金を引いているのか。
 そんな言葉を持ち出され、勢いをそがれてしまったフェイトは、その視線から逃れるように瞳を伏せる。

「力なき一般人を守るためですよ、そりゃあ」
「彼らが全く感謝してくれなくても?」
 フェイトは思わず目を上げ、葛西を見やった。
「感謝どころか、君をバケモノ呼ばわりして迫害する人間だっているのが現実だよ。むしろ、ほとんどの人間が君を脅威に感じてる。だから君を迫害するんだ。風邪の時にでる高熱みたいなものでさ。ウィルスをやっつけるためとはいえ、あまりに酷い熱が出ちゃったら、自分自身が死んじゃうかもしれないんだからね。だからほとんどの人が高熱を嫌がる。そもそも自らの生活の中に発生させないようにするし、万が一遭遇してしまったら何としてでも下げようと必死になる。君も同じだよ。普通の人にはない特別な力を持ってる。それを目の当たりにした人は、幾らその身を救うためにこの力を使ったんだ、と説得しても、君を脅威に感じる事は止められないだろうね。だって、君がその気になりさえすれば、彼らを簡単にひねり殺せるもの。もちろん君は決してそんなことはしない。けれど彼らはそれを信じない。報われない仕事さ。なのにどうしてそんな人達を守ろうとするんだい?」

 どうしてそんな人達を。
 どうしてそこまでそんな人間どもを。
 フェイトはゆっくりとした瞬きをする。
 人類とは本当に守るべき価値のあるものなのか。君がそんなに傷ついてまで、守るべき価値のあるものなのか。
 敵も同じ能力者である戦いは幾つもあり、フェイトは銃口を向けながらそんな問いかけと幾度も戦ってきた。彼らはそれをこちらの気を惑わすために口にしているだけなのだろうが、確かにその問いはフェイトの心を深くえぐってくるのだ。
 そして何より、心をえぐられ狼狽する自分に、狼狽する。
 惑わされる自分に、自分自身が何より傷つく。

 溜息を吐きだし、フェイトは軽く肩を竦めた。
「まるで、敵のような事を言うんですね」
「そうかな」
「そうですよ。めっちゃ攻撃されてる心持なんですけど気のせいですか」
「まあ、迷ってる人に俺が精魂込めて作った大事な拳銃の引き金を引いて欲しくないっていうのは、あるかな」
「別に迷ってませんけどね」
「じゃあ惑ってる人かな」
「いや面倒臭いですよ葛西さん」
「だいたい即答できないなんて迷ってるか惑ってるかのどっちかじゃないかと思うんだけど」
「彼らには、力がないからですよ」
「彼らって?」
「もちろん、一般の人達です。彼らには、力がない。だからこそ特別な能力を持つ俺みたいなのが彼らを救わなきゃって思うんです。やれることはやれる人がやらないといけないじゃないですか。それだけのことですよ」
「何でもいいけどそれってちょっとムキになった感じなのもしかして、ねえそれちょっと可愛いんだけど、ねえ」
「全然可愛いとか思ってなさそうな無表情でそういうの言うのって嫌がらせですか」
「ここで怒って帰るくらいだったらもっと可愛いんだけど」
「一応俺、これでも大人なので」
「可愛い顔してねえ。本当童顔だよねえ」
「だいたい、出来ない人に出来ないことをやらせるなんて不可能なんだし。心情的な話じゃないですよ。物理的にそんな能力のない人間に、その力と対峙しろというのは無理な話じゃないですか。でもそれが俺になら出来る。出来るならやるしかないですよ」
「どうして?」

 平穏無事に、傷つかず生きていきたいからといって、自分の能力から逃げて見ないフリをしていたらきっと後悔していただろう。
 今、こうして日々戸惑い、正義は一体誰にとっての正義なのか。敵とは誰にとっての敵なのか。そんな事に惑い、能力者でありながら能力者と戦うことに疑問を感じる時も、これは一体誰のための平和なのかと首を傾げたくなる時もあるけど、それでも何もせず逃げてしまった後悔よりはずっといいだろうと確信できる。

「彼らを簡単にひねり殺せる俺だからこそ、俺に簡単にひねり殺されてしまうような彼らを、守りたいと思うからです。たとえそれが醜いものでも」

 どちら側に居たってバケモノであり、脅威になるのならばせめて。
 弱きものを守る立場でいたい。

「なるほどね。シンプルに考えた方がいい時もあるかもね」
 素っ気ない口調で言った葛西は、小型のアルミケースをカウンターの上に置いた。新型の拳銃でも入っているのかと思い、やっとお出ましかとでもいうような気分で蓋を開くと、そこにはモニター画面があり、一人の少女が映り込んでいた。
 隣から伸びてきた葛西の指がケースの中のボタンを押し込むと画面の中の少女が喋り出す。
 ビデオメッセージのようだった。
 たどたどしく発される言葉が幾つも続き、興奮して何を言っているか分からなくなる場面もあったけれど、たった一つ。
 あのお兄ちゃんにありがとうって言って。助けてくれてありがとうって言って。
 その言葉だけが、印象深く胸に染み入ってくる。ふかく、ふかく、とても深い場所へ。

「この前、君が助けた娘さんだってね。今はもちろん、記憶を操作され、すっかり君の事は忘れてるけどね。記憶操作する前に何の気まぐれかエージェントが残しておいてくれたみたいよ。ま、俺はさ、人類とか人々とか実際のところ、良く分からないんだよね。敵にも味方にもいろんな奴がいるんじゃないかって思うわけ。君をバケモノと言う人も言えば、その力を有難いと思う人もいる。それが現実だよ。分かりやすい心のよりどころは何処にもない。これが現実。ただね。それでも君が戦うと決めたならば、引き金を引く時は迷わないで欲しいと思うよ」
 グラスを煽った葛西は、中の氷を頬張りがりがりと噛み砕く。
「そうすれば君と俺の拳銃との相性はもっと良くなる」
 氷を砕くついでに、言った。

 助けてくれてありがとうって言って。
 それはたった一人の小さな声だけど。
 それでも、この力に救われてくれている人が居る。

「もしかしてそれを言いたくて今日、わざわざ呼び出したんですか」
 フェイトは同じようにグラスを煽り、氷を噛んでみる。
 返事も返さずそっぽを向いて知らん顔を決め込んでる葛西の横顔が面白くて、ちょっと、笑った。

 この力に救われてくれる人はいる。
 だから。
 だから今日も俺はまだ、顔なき誰かのために引き金を引き、生きていける。
 冷たい感触を飲み込みながら、フェイトはそう思った。

END

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 8636/ フェイト・- (フェイト・ー) / 男性 / 22歳 / 職業 IO2エージェント】

カテゴリー: 02フェイト, しもだWR |

錆びた剣

「この『世界』にまた新たなる『悪』が増えた――我らはそれを戒めねばならん」
黒い外套を頭まで被った人物が低い声で呟く。
声から察するに初老の男性なのだろう。
「またか、人間と言うものは理解しかねるね。何で自分から危険に足を踏み入れるのか‥‥」
その黒い外套の人物以外、誰もいないのに別の声――若い男性の声が響き渡る。
「ルネ、勝手に出てくるなと言うておるだろう」
先ほどのしゃがれた声が若い男性を戒めるように呟くが「別にいいじゃないの」と今度は若い女性の声が響く。
「今度の奴は『ログイン・キー』の封印を解除したんでしょう? あの女が封印を解くなんて――どんな奴か気になるわぁ」
けらけらと女性は笑いながら言葉を付け足す。
「ログイン・キーか‥‥奪うのかい?」
「いや、あれはただ奪えばいいだけのものではない。封印を解除された時から主の為にしか働かぬ。つまり――」
初老の男性が呟いた時「主ごと貰っちゃえばいいじゃないの」と女性が呟き、ばさりと外套を取る。
「7人で体を所有しているアタシ達だけど、今日はアタシの日よね? ちょっとからかいに行って来るわ」
そう呟いて女性・リネは甲高い声をあげながら黒い部屋から出たのだった。

――

そして、それと同時に新しいシナリオ『錆びた剣』と言うものが追加された。
まるでリネが『ログイン・キー』を持つ者を呼び寄せるかのように。

視点⇒フェイト・―

「……」
先日行った『LOST』の調査報告書を提出した後、フェイトは小さなため息を吐く。
いつの間にかポケットに入っていた『ログイン・キー』というアイテム。
それもきっちりと報告書と共に上司へ提出した。
「引き続き、調査を頼む……か」
結局、先日の調査ではまだ何も分かっていない。
分かったのは、自分が何かに選ばれたという事と、後戻りが出来ないだろうという事。
「とりあえず、今日は『錆びた剣』のクエストをしてみようか」
この前と同じようにパソコンの電源を入れ、LOSTを起動する。作成したキャラクターを選び、フェイトはLOSTの世界へと再び足を踏み入れた。

※※※

「しかし、どうすればいいのか分からないクエストだな……」
 新しく追加された『錆びた剣』のクエスト内容を見て、フェイトはため息混じりに呟く。
「とりあえず、指定されているフィールドに行ってみるか」
 多少の回復アイテムを購入した後、フェイトは『錆びた剣』の依頼者である『ルネ』が待つフィールドへと向かい始めた。

※※※

 指定されたフィールド、廃墟に行くと、黒い衣を纏った女性が立っていた。
「あら? あなたが『あの女』に選ばれた人なの? もう少し屈強な人を想像していたわ」
 値踏みするような視線を向けられ、フェイトは居心地の悪さから眉根を寄せる。
「そんなに怒んなくてもいいじゃない、今はまだあなたの敵になるつもりはないわよ?」
 今は、という言葉に引っ掛かりを感じて、フェイトは一歩退く。
「へぇ? 実際のキミって、結構かっこいいんだ? あたしがデータじゃなければ、お付き合いしない? って告白しちゃってたかも」
 画面越しに女性と視線が合い、フェイトはガタンッと勢いよく立ちあがった。
「驚かないでよ、あんたが足を踏み入れた場所はこれよりもっと驚くことなんだから。そうねぇ、今日はこれをあなたにあげる、後から絶対に役立つはずだから」
 フェイトは女性から『錆びた剣』を受け取る。
 現実世界の事も知っている事もあり、本当に信用出来るのかどうか、とフェイトは訝しげな視線を彼女に向けた。
「あなた『あの女』は信用出来るくせに、あたしは信用出来ないって言うんだ?」
「……あの女?」
「『ログイン・キー』を貰った時に会ったでしょ? あの女よ、あぁ、そういえば……ログイン・キーは使った事ある? 結構便利だけど、使い過ぎには注意した方がいいわよ」
 意味ありげな笑みを浮かべながら、女性が呟く。
「現実世界のあなたも、結構珍しい力を持っているのね。苦労したでしょう? 何なら、あたしが普通の人に戻してあげましょうか?」
「……必要ない」
 女性の言葉に、フェイトは即答する。
 フェイトは過去に己の持つ能力の事で辛い目に遭ってきた。そのせいで人を憎んだ事もあったけど、それもすべて自分なのだと受け入れていた。
 自分の力を決して否定せず、誰かを傷つけるためのものではなく、誰かを救うための力なのだ、と心に言い聞かせていた。
「……心、ね」
 ふ、と女性が嘲るように呟く。
「誰かを救いたいのなら、ログイン・キーを使いなさいな。それはあなたの望む形に姿を変え、あなたの願うままに物事を運んでいく」
 ただ、と女性は言葉を止めた。
「魔法を使うためにMPが必要なように、ログイン・キーを使う時も……ふふっ、これ以上はやめておこうかしら、あなたがどんな風に狂わされていくのか、興味があるもの」
(……狂わされる?)
 物騒な言葉に「どういう事、ですか」とフェイトが問い掛ける。
「さぁ? 残念だけど、あたしはそこまで良い人じゃないわ。もう少し経てば分かるわ。あの女に選ばれたことが、あなたにとって最大の不幸だったという事に、ね」
 それだけ言葉を残すと、女性は景色に溶け込むように消えていった。
 後に残されたのは、錆びた剣と、フェイトのみ――……。

※※※

「選ばれた事が、最大の不幸? 俺が、狂わされる?」
 LOSTを切り上げて、現実に戻ってきた後、フェイトが小さな声で呟く。
 あの女性が言いたいのは、恐らくフェイト自身の心の事だろう。
 前回と今回、現実に戻ってきた後に感じる僅かな空虚感。
 本人もまだ気づいていないけど、彼の心から何かが少しずつ失われている。
 ただ、今までIO2エージェントとして動いてきた直感が、彼に訴えていた。
LOSTは危険だ、と――……。
「……危険でも、ちゃんとやるしかない。これ以上、誰も傷つかないために。俺がこの問題を片づければ、LOSTによって傷つく人はいなくなるんだから……」
 フェイトは拳を強く握り締めながら、今はもう真っ暗な画面を見つめた。
 まだ、今は闇の中に放り出されたような感覚で、何も分かっていないけど、いつかすべてを解決してみせよう、とフェイトは強く心に誓っていた。
 そして、フェイトの強い心に呼応するように、ログイン・キーが淡い光を放つ。
「あなたこそ、私の願いを叶えてくれる……今度こそ、私は失敗しない、私の願いを叶えるために、あなたに力をあげる――……そう、あなたが願うなら、いくらだって――」
 フェイトの頭の中に響いてくる声。
 その声の主が誰なのか、フェイトが知るには、もう少しの時間を要する事になる。

―― 登場人物 ――

8636/フェイト・―/22歳/IO2エージェント

――――――――――
フェイト様

こんにちは。
前回に続き、今回もご発注頂き、ありがとうございます。
今回の内容はいかがだったでしょうか?
気に入って頂ける内容に仕上がっていれば幸いです。

それでは、またご機会がありましたら、
宜しくお願い致します。

2014/8/23

カテゴリー: 02フェイト, 水貴透子WR |

LOST

『ログイン・キーを入手せよ』
それがLOSTを始めて、ギルドから与えられるクエストだった。
そのクエストをクリアして『ログイン・キー』を入手しないと他のクエストを受ける事が出来ないと言うものだった。
クエストにカーソルを合わせてクリックすると、案内役の女性キャラクターが『このクエストを受けますか?』と念押しのように問いかけてくる。
「YES‥‥っと」
その途端に画面がぐにゃりと歪んでいき、周りには海に囲まれた社がぽつんとあった。
「あの社には大切な宝があるんだ、だけどモンスターがいて‥‥お願いだから宝が奪われる前にモンスターを退治しておくれよ」
社に渡る桟橋の所に少年キャラが立っていて、桟橋に近寄ると強制的に話しかけてくるようになっているようだ。
「ふぅん、まずはモンスターを退治するだけの簡単なクエストか」
小さく呟き、少年キャラが指差す社へと渡っていく。
そこで目にしたのは、緑色の気持ち悪いモンスターと社の中の中できらきらと輝く鍵のようなアイテムだった。

視点⇒フェイト・―

「……今度の調査はゲーム、か」
最近異変の多いというオンラインゲーム。
その話は聞いていたけど、まさか自分が調査する事になるとは思っていなかったフェイト・―は苦笑気味に真っ黒な画面を見つめる。
IO2が用意した監視カメラ付の部屋で、淡々とゲームをする。それはそれで中々シュールなのかもしれない、とフェイトは自嘲気味に呟いた。
「職業は……魔界剣士にしようか、禍々しい能力を持った自分に相応しいからな」
 職業、初期ステータスを振り分け終え、決定にカーソルを合わせる。
 すると――……。

 貴方ハ 全テヲ 失ウ覚悟ガ アリマスカ?
 ⇒YES
  NO

「仰々しいな、たかがゲームなのに」
 そう呟き、フェイトはため息を吐く。
 彼自身も分かっていたのかもしれない。ただのゲームならば、IO2に依頼が来る事なんてありえないという事を。
「……とりあえず、イエス、と」
 カチ、と決定ボタンを押した途端――……画面が激しく輝き始める。
「くっ、これも演出の一環か……?」
 目を開けていられないほどの眩しさが来たかと思うと、次の瞬間、LOSTのフィールドにフェイトは立っていた。

(特に変わった点は見られない、他のゲームより画像が綺麗だ、という点くらいかな)
 いつの間にか魔界剣士の初期装備を着て、自分が歩いている事に気づく。
「ねぇ、あそこのお社にゴブリンが住み始めたんだ! 倒しておくれよ!」
 小さな子供がフェイトに駆け寄ってきて、街の中央にある社を指差している。
(他のクエストは受注出来ないようになっている所を見ると、これはチュートリアル的なクエストなんだろうな)
 ぴこん、と頭上に『少年の依頼を受けますか?』と表示され、フェイトは『YES』にカーソルを合わせた。
 すると社までの矢印が表示され、その表示に従ってフェイトも社まで向かって行く。
(……随分と小さいな、本当にゴブリンが住んでるのか?)
 街の中央にある社は、小さな社でありゴブリンはおろか人間さえも入れるような作りではない。
「チュートリアル前に何かする必要があるのか? さて、どうしたものか……」
 小さなため息を吐き、社に手を当てた途端、ぐにゃり、と周りの景色が歪んだ。

「……っ、画面が変わるたびのぐにゃっとした感じは気持ち悪いな」
 社に触れれば中に入られる仕組みだったらしく、壁に背中を預けながらフェイトは愚痴を零す。
「しかし、ゲームの中だけあって何でもアリなんだな。まさか社の中がこんな迷路みたいな洞窟になっているとは思わなかった」
 しっかりとしたコンクリート造りの迷宮、このどこかに少年の言っていたゴブリンが存在しているのだろう。
「いや、ただのゴブリンじゃないんだろうな」
 目の前には普通のゴブリンが数匹、フェイトを睨みつけている。
 恐らく、少年の言う『ゴブリン』はここに住むゴブリンの親玉的存在なのだろう。
「さて、このまま突っ切るか」
 初期モンスターだけあって、あまり苦労なく倒せる。
 だからフェイトは剣を握り締め、一気にゴブリンの群れを駆け抜ける事を決意する。
(やっぱり使い慣れない武器は身体に馴染まないな、銃を装備出来ればいいんだが……って、このゲームに銃という武器は存在するのか?)
 そんな事を考えながら、自分に向かって襲ってくるゴブリン達を斬りつけ、迷宮の最深部に到達した。
「……あれは?」
 親玉であろう巨大なゴブリンの後ろには淡く輝く何かがある。
 恐らくあれを持ち変えれば、このクエストを達成した事になるのだろう。
「とりあえず、これも仕事だ」
 ぐ、と剣を握り締める手に力を込めながら地面を蹴って巨大ゴブリンに向かう。
「くっ……親玉、というだけあってさすがに雑魚とは違うな」
 巨大な斧を振り下ろされ、フェイトはそれを剣で受け止める。
 斧と剣が触れ合う場所が微かに震えており、少しでも力を抜けばそのまま斬られてしまいそうなほどだった。
「さすがに何の準備もなく来たのは間違いだったか、くっ……」
 フェイトが押され始めた時、どくん、と心臓が揺れる感覚に見舞われる。
「……え?」

 貴方は私が選んだ、簡単には終わらせない。

 鈴が鳴るような、そんな表現に相応しい少女の声が頭の中に響いてくる。
 それと同時に、それまでの苦戦が嘘であるかのように力が沸き上がってきた。
「はぁっ!」
 巨大ゴブリンの攻撃を避け、フェイトは強力な一撃をお見舞いする。
「グォォォっ……」
 巨大ゴブリンは苦しげな呻き声をあげながら、そのまま地面に倒れ、砂のようにさらさらと消えていった――……。
「……さっきのは何だったんだ、明らかに俺以外の力が加わっていた」
 自分の手を見つめながら、フェイトは怪訝そうに呟く。
「おめでとう、あなたは選ばれたの」
 ふわふわと浮かぶ鍵のようなものの前に、少女が現れた。
「その声、さっきの……」
「あなたは私の願いを叶えてくれるかしら、ふふっ、さぁ、これを受け取って」
 少女に誘われるように浮かんでいた鍵が、ふわり、とフェイトの前に降りてくる。
「それはログイン・キー。あなたと運命を共にするもの、決して肌身離さず持っていてね」
 少女はそれだけ言うと、すぅっと景色に溶け込むように消えていく。
「……何だったんだ、今のは。このクエストに組み込まれたもの? ……それとも、異変に関する『何か』なのか?」
 とりあえずフェイトは『ログイン・キー』を入手するクエストのみを終わらせ、それ以上の調査は後日行う事になった。
 大きく背伸びをするフェイトはまだ気づかない。
 自分のポケットの中にゲームの中に登場した『ログイン・キー』が入っている事に。
 そして、自分の心に僅かな異変が起こり始めているという事に。
 彼が、その事に気づくのはこれから10分後の話――……。

―― 登場人物 ――

8636/フェイト・―/22歳/IO2エージェント

――――――――――

フェイト様

初めまして。
今回はご発注頂き、ありがとうございます。
今回の内容はいかがだったでしょうか?
少しでも気に入っていただける内容に仕上がっていれば幸いです。

それでは、またご機会がありましたら宜しくお願い致します。

2014/8/3

カテゴリー: 02フェイト, 水貴透子WR |

あなたに代わりはいない

慌しい雑踏と、耳を劈くような断末魔の悲鳴が響き渡る。
 蒼白の顔で獣のような唸り声を上げ、白目を剥いて涎を垂れ流しながら周辺住民達を無差別に襲撃する男がいた。
 とても人の力とは思えないほどの怪力で周りの物を破壊し、人々すら平然となぎ倒す。
 尋常ではない男の存在を聞きつけたフェイトは、大急ぎで現場に駆けつけた。
「……っち。悪霊に取り憑かれてやがる……」
 小さく舌打ちをしたフェイトは、素早く腰から銃を抜き去り対霊弾を込める。
「グオオォオォォォォッ!!」
「!」
 男はゾッとするような咆哮を上げ、腕を振りかぶって目の前にいる幼い少女に襲い掛かろうとしている。
 その姿を捉えると、フェイトは弾かれたように走り出した。
 自分のいる場所から少女の居る場所までの距離は遠くて、間に合う見込みは少ない。
 振り上げられた男の手は、恐怖に涙を浮かべた少女の上に襲い来る。少女は咄嗟に目を瞑り、小さな手で頭を抱えて身を固くした。
「危ないっ!!」
 寸でのところでフェイトは少女を胸に抱き寄せて庇い、振り下ろされた男の鋭い爪はフェイトの背中を大きく抉る。
「くぅ……っ!」
 小さく呻き声を上げて眉間に深い皺を刻むフェイトだが、胸に庇った子供を抱く手に力が篭る。
「お兄ちゃん……っ!」
 まるでスローモーションのように、少女の目の前をフェイトの鮮やかな血が舞い散る。
 青ざめた少女は恐怖から、フェイトの服をきつく握り締め悲壮な叫び声をあげた。
 少女を抱えたまま地面を転がったフェイトは、少女を腕から解放しながら遠くへ押しやる。
「早くっ……逃げろ……っ!」
 少女は促されるままにその場から走り出し、それを見届けたフェイトは脂汗を滲ませながら再び自分に襲い掛かろうとする男を振り返る。
「うぉおおぉぉおおぉっ!!」
 フェイトは両手で構えた銃を飛び掛ってきた男の胸元に突き付けて、思い切り引き金を引いた。
 強い衝撃が双方に伝わると男は後方へ弾き飛ばされ、フェイトは激痛に顔をゆがめたまま霞む意識の向こうで男を見ていた。
 ひとまず、これで事件は解決。
 フェイトはIO2の後方支援が到着するまでの間、建物の影に隠れ座り込んでいた。
「……はぁ……はぁ……」
 背中には意識が遠のきそうなほどの激痛。
 何とか意識を繋ぎとめるも、額から滴り落ちる脂汗は尋常じゃない。
 呼吸も荒く、危機迫る思いだった。
 銃を手にしたまま地べたに足を放り出して座り込み、顔を俯けて荒い呼吸を繰り返していると、ふいに人の気配を感じる。
 重い頭を持ち上げ、虚ろな眼差しでそちらを振り返ると、そこには先ほど助けた少女が心配そうに立っていた。
「お兄ちゃん、さっきはありがとう……」
「……っ。怪我……してない……?」
 かろうじて微笑みながらそう訊ねると、少女は泣きそうな顔をしながら大きく頷いた。
「大丈夫だよ。お兄ちゃんは?」
「……心配、いらないよ……。早く、お母さんのところへ……行きな……」
 フェイトは息も絶え絶えになりながら頭を垂れてそう伝えると、少女は心配そうに何度も振り返りながらその場から走り去った。
 優しい少女……。でも、彼女はきっと記憶処理班によって自分とこの事件の記憶は消されるだろう。
 フェイトは小さく苦笑すると遠のく意識の中、駆けつけた救護班によって救出された。

                   ****

 IO2の救護室でフェイトは女医の処置を受け、体中に包帯を巻かれていた。
「傷は大したことないけど、出血量が多かったわね。貧血とかない?」
「……大丈夫です」
「今日はここで休んでいきなさい。何かあったら大変だもの」
 包帯を巻き終えて上着をかけながらそう言う女医の言葉を、まるで聞いていなかったかのように彼は立ち上がる。
「帰りますよ。ご迷惑おかけしました……」
 抑揚のない声でそう答えると、女医は眉根を寄せながら自分もその場に立ち上がり、フェイトの前に立ちはだかる。
「何言ってるの。帰ってから傷が開いたらどうするつもり? いいからここで休みなさい」
「……いえ。ほんとに、大丈夫なんで」
 虚ろな眼差しで視線を合わせようとしないフェイトに、女医は困り果て、深いため息を吐く。
 彼は今回庇うのもかなり無茶な行動だったという話を聞いている。なぜ、彼はそんな無茶をしたのだろうか。
「……理由、聞いていい?」
「理由……?」
「そうよ。あなたがなぜこんな無茶をしたのか」
「……」
 腕を組み、怪訝そうに見つめてくる女医の眼差しを一瞬だけ見たフェイトは、すぐに視線を外してしまう。
「別に、理由なんて無いですよ。エージェントなんて所詮消耗品みたいなものだし、これくらいが丁度いいんです」
 自嘲するように小さく笑いながらそう答えたフェイトに、女医の表情が愕然としたものに変わる。
 彼は一体何を言っているのだろう。そんな自虐的な発言をするなど思っても見なかった。
「……それに、万が一の事があっても代わりは沢山いるし、俺一人がいなくなったところで問題ないでしょ」
「……っ!」
 女医はその言葉に思わずカッとなった。
 怒りの篭った眼差しで、眉間に皺を寄せながら思い切りフェイトの横顔をたたき上げる。
「!」
 小気味のよい音が救護室に響き渡り、思いがけず頬を叩かれたフェイトは驚いたように目を見開いた。
「……いい? よく聞きなさい」
 フェイトが女医を振り返ると同時に、女医は彼の腕を掴んで睨むように見据える。
「代わりなんていないのよ。この世にあなたは一人だけ。あなたと言う人間はあなただけなのよ。他の誰が代われるものじゃない」
 フェイトは真剣に訴えかける女医の眼差しを、今度は逸らす事が出来なかった。
「あなたを必要としている人は沢山居るのよ。IO2だけじゃない、それ以外の場所でも必ずいる。あなたがいなければ成り立たない事も沢山あるの」
「……っ」
「何があったか聞くつもりはないけれど、そんな捻くれた考え方じゃ、この先どうなるか分かったものじゃないわ。ただ、私から言えることは、もっと……、もっと自分を大切にしなさい」
 必死に訴えかける女医の目が潤んでいた。
 力なくするりと掴んでいた手を離しながら、女医は僅かに顔を俯かせて呟くように言葉をこぼす。
「あなたは、もっと周りに目を向けるべきだわ……。そうすれば、自ずとあなたの事を必要としている人がいることに気付くはずよ……」
「……」
 フェイトは女医の言葉に小さく唇を噛み締め、俯いた。

 それから幾日か経ち、フェイトは偶然にもあの日助けた少女に出会った。
 友達と遊んで帰る途中なのか、母親の手に引かれて歩く少女の姿を見た瞬間フェイトの足は竦んだように立ち止まる。
 呆然としたように少女の姿を見つめていたフェイトに気付いた彼女は、くるりとこちらを振り返る。そして、花が咲いたようにふわりと微笑みかけてきた。
「……!」
 フェイトは驚きに目を見開く。
 記憶は無いはずなのに……。
 少女は立ち止まったまま動かないフェイトからすぐに視線を逸らすと、手を繋いだ母と楽しそうにおしゃべりをしながら立ち去っていった。
 彼女達の後姿を見送るフェイトの胸には、僅かな痛みと、暖かさがこみ上げていた。

カテゴリー: 02フェイト, りむそんWR(フェイト編) |

俺の名はブラッディベア! そこんとこ宜しく!

「おー。フェイト。お疲れさん! ご苦労だったな」
 任務のため数日間東京を離れていたフェイトがIO2へと帰ってきた。疲れた表情のフェイトが自分の席に腰を下ろすと、隣にいた同僚がずいっと近づいてくる。
「フェイト。お前がいない間に新人エージェントが来たんだ」
「へぇ。それって……」
 目を瞬かせ、フェイトが詳細を聞こうと口を開くと同時に机に無造作に投げ出されていた携帯が鳴り響く。
 すかさず携帯を手に取り応答すると、その電話は次の任務の依頼だった。
『遠征から戻ったところ申し訳ないが次の任務が入った。神社で悪霊に取り憑かれた少女が暴れ回っているらしい。場所と詳しい詳細は……』
 フェイトは携帯を肩で挟み、近くにあったメモ用紙に素早く場所を書きとめる。
「分かりました。急行します」
『あー、あとな。新人エージェントも一緒に連れて行ってくれ。名前は田中哲夫。彼とは現地で合流してくれ。宜しく頼む』
「了解」
 すぐさま幹部から依頼書を受け取ると席を立ち上がると、フェイトは現場へと急いだ。

 突き抜けるような晴天とは裏腹に、現場は騒然たるものだった。
 悪霊に取り憑かれている少女は青白い顔をし、生気のない眼差しで髪の毛を逆立てて境内や賽銭箱を叩き壊している。年の頃なら中学生ぐらいだろうか。
 暴れ回る少女の側には互いに抱き合い怯えている同級生と思われる少女達がしゃがみこんでいた。
 フェイトはさっとその状況を確認すると、怯えている少女達の側に歩み寄り声をかける。
「俺はIO2の人間だ。何があったか説明してくれるかな」
 少女達は目に涙を浮かべ、声をかけてきたフェイトにすがる様な眼差しで見上げてくると震える声で話し始めた。
「こ、こっくりさんをやっていたんです……。そしたら悪霊を呼んでしまったみたいで、すぐにあんな感じになっちゃって……」
「そうか。分かった。ありがとう。ここは危ないから、別の場所に移動した方がいい」
「あの、あの子は大丈夫なんですよね?!」
 泣きすがる少女に、フェイトはやんわりと笑みを浮かべて頷いた。
「あぁ。大丈夫。だから下がってて」
 宥められた少女達は何とかその場に立ち上がるとその場を後にする。
 フェイトは再び暴れ回る少女に目を向けると、獣の如く咆哮を上げながら破壊の限りを尽くしていた少女がギロリとこちらに視線を向けてきた。
 目つきの鋭さは人間のものとは思えない。そう。例えるならまるで狐のようだ。
 フェイトはすぐに彼女に取り付いているのが強力な狐の霊であると判断する。
 腰に備えていた銃に手をかけると、少女は前に突き出した手を大きく横へなぎ払う。すると、崩れ落ちた灯篭の一部が少女の動きに合わせて物凄い速さでフェイトに襲い掛かる。
「!」
 フェイトはすぐさまその攻撃をかわす。だが、少女は辺りに四散している石や板などを自在に操り襲い掛かってくる。
 ヒュンヒュンと空を切るような音を立て、砕き割られた鋭利な板が飛び掛った。
「……っ」
 フェイトはバク転しながら素早くその場から飛び退く。フェイトが退いた側からドスドスと音を立て、深々と板が地面に突き刺さっていった。
 ヒラリと地面に降りたフェイトが体制を立てる前に更に攻撃が仕掛けられる。
 灯篭の石が再び襲い掛かってきたが、フェイトは地面を蹴って横っ飛びに飛び退きながら銃を構えて少女を狙う。
 ドンッと引き金を引くも、少女は易々と攻撃をかわしてしまった。
 ニヤリとほくそえんだ少女は両手を振り翳し、大きく前に仰ぐように振り下ろすと細かい石がつぶてのように無数に襲い掛かった。
 フェイトは咄嗟に両腕を顔の前にクロスし防御体制をとる。
「くっ……!」
 バチバチと激しい音を立てて浴びせられる石は、強かに彼の身体を打ちつけていく。
 今の状態では近づく事はおろか手も足も出せない。
 石つぶての雨が止まると、フェイトはたまらずその場に膝を着いてしまった。
 ヤバイ。このままじゃ……。
 顔を歪めて少女に視線を向けると同時に、フェイトの前に颯爽と誰かが飛び出してきた。それがすぐに誰か分かるとフェイトは彼を仰ぎ見る。
「お前……田中哲夫か?!」
 そう叫んだフェイトは、目を大きく見開いた。
 フェイトと同じエージェントの証でもある黒いスーツに身を包んだ彼。がっしりとした体系でそして毛深く……。
 どこかで会ったような……?
 どこから見てもただのクマにしか見えないその姿に見覚えのあるフェイトが言葉を飲み込むと、クマは肩越しにこちらを振り返る。そして帽子のツバを銃口で軽く持ち上げながら、サングラス越しにこちらを見やった。
「ふっ……違うな。俺の名は……ブラッディベアだ。俺の事は今後ブラッディと呼べ!」
「……」
 ニッと口角を上げたブラッディベア……もとい田中哲夫は格好よく決めたつもりのようだが、明らかに格好よさと言うよりも可愛さの方が勝っている。
 フェイトは、「キマッた。これ以上ないくらいキマッたぜ!」と得意げに肩を揺らし笑っている田中哲夫に、二の句が告げられず唖然としてしまう。
「ここは俺に任せて、お前は休んでいろ!」
 まだまだキメるぜ! と言わんばかりにフェイトを背後に庇い銃を突きつける哲夫だが、次の瞬間には焦った様子でキョロキョロと周りを見回し始める。
「って、あ、あれ?」
 慌てふためいている哲夫を余所にフェイトが前を覗き込むと、少女は分が悪くなったと悟り尋常ではない速さで逃走している後姿を目視した。
「くそっ! 何だよまったく!」
 哲夫は悔しそうにその場で足を踏み鳴らすも、すぐに何かを閃いたように顔を上げる。
「そ、そうだ! 近くに止めてあるスクーターで追跡を……!」
 哲夫は猛ダッシュでスクーターに駆け寄り颯爽と跨った。が、次の瞬間愕然としたように固まってしまう。
「くっ! 何てことだ! 俺としたことがっ!!」
 後を追いかけてきたフェイトの目の前で、サングラスをかけた黒尽くめの衣装を着た愛らしいクマが短い足をばたつかせている。
「おいおい……」
 呆れるフェイトの事など目にも入らないのか、哲夫はジタバタとバタつかせながら、さもこれは計算外だと言わんばかりにもがき続けている。
「くそ! 本当の俺はこんなんじゃないぞ! いつもなら届くんだ。あぁ、そうさ。いつもならなっ! ただたまたま今日は調子がちょっと悪くてだな」
 誰に言い訳をしているのか、一人でごちている哲夫にかける言葉もない。
 フェイトは哲夫の側に歩み寄るとその肩に手を置く。
「ちょっと代われ。田中哲夫」
 そう呼ばれると、哲夫は不本意だと言わんばかりに身体を小刻みに震わせながら抗議を始める。
「ばっ……!? 違うつってんだろ! 俺はブラッディベアだ!」
「はいはい。分かった分かった」
 今は哲夫に付き合っている場合じゃないと、フェイトは適当にあしらった。
 仕方なくフェイトが後ろに哲夫を乗せてスクーターを走らせると、飛びそうな帽子を短い手で押さえながら叫ぶ。
「いっけぇーっ!」
 勇ましく声を上げる哲夫に、フェイトはただ苦笑いを浮かべる。

 スクーターを走らせて少女の後を追いかけると、少女は街外れの廃墟の路地に追い詰めた。
「ふふふ……ここまでだ。観念しな」
 フェイトに降ろしてもらいながら格好つける哲夫は、サングラスの端からつぶらな眼差しを光らせ少女を見る。
「いくぜっ!」
 ゆらり……と哲夫の身体からオーラが立ち昇る。そしてその短い手を振り上げ思い切り振り下ろすと、爆風を起こしながら霊体エネルギーが少女に向かい飛び掛った。
 バチィッ! と電気の弾けるような音がしたと同時に、取り憑いていた悪霊が少女の身体から弾き出された。
「今だ!」
 悪霊の抜けた少女はその場に気を失い屑折れると同時に、フェイトは対霊銃弾を悪霊目掛けて打ち込んだ。
 悪霊は咆哮を上げて撃滅したのだった……。

              ****

「で? お前なんでここに?」
 憮然とした表情で復活した哲夫を見つめると、哲夫は短い親指をつき立ててニッと笑う。
「ま、なんつーの? もう一度昇天するまでの間、弟を影で見守るためにここに入った感じ?」
「……あ、そ」
 フェイトはガックリと肩を落とし、深いため息を吐く。
 そんな彼をみやりながら、哲夫はペロッと舌を出して微笑んだ。
「そんなわけでヨロシク! 相棒!」
 相棒じゃねぇし……。
 フェイトは再び嘆息を漏らすのだった。

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