聖夜に捧ぐ想い

「ぬいぐるみが動いてる?」
 フェイトは眉根を寄せて怪訝な表情を浮かべた。
 最近IO2にはそんな情報があちこちから寄せられているのだが、別段その「ぬいぐるみ」が事件を起こす訳でもなく、人に悪さをする訳でもない。ただ、一般人からしてみればぬいぐるみが動くという事自体が奇怪で仕方がないのだ。
 分からないわけでもないが……。
 フェイトは無意識にも深い皺の刻まれた眉間に指を当てる。
 そんな事よりも、もっと重大な事件が優先されるべきではないのか。と、仕事に関してクールな彼には思えて仕方がない。
 しかし、「ぬいぐるみが動く」現象で結構な数の情報が寄せられているだけに、そのまま無視するわけにもいかなそうだ。
「分かった。じゃあ俺が調査するよ」
 半ば仕方がなく、フェイトはその仕事を請け負う事にしたのだった。

              ****

 今日は朝からあいにくの曇り空が広がり、身に凍みるほどの寒さが包み込んでいる。
 そんな寒空の下、フェイトはサングラス越しに調査書に視線を落とす。
 ぬいぐるみの目撃情報が多く寄せられている場所はここに間違いはなさそうだ。
 閑静な住宅街。立地的には、公園も学校も、駅からも商店街からも近く医療施設も整った最高の場所だと言えるだろう。
 道を歩く人々は、家路に着くのか、それともこれからどこかへ出かけるのか。皆どこか忙しなく歩いている。
「さて、どこから見て回るかな」
 フェイトは調査書を懐にしまいこみ、黒いコートの裾を翻して住宅街の路地を歩いてみる。
 しばらく歩いていると、ふと前方左側から人の争うような声が聞こえてきた。
 何気なくそちらに足を向けてみると、そこには小学生くらいの少年がおそらく同級生であろう子供達に囲まれて苛められている姿があった。
「何泣いてんだよ。弱虫~」
「よ~わむしっ! よ~わむしっ!」
「悔しかったらかかってこいよ! どうせお前にはそんな度胸ないだろうけどな!」
 典型的な子供同士の苛めだ。
 子供達の中心に座り込んでいる少年は反発する事もできずに泣きじゃくり、それを面白がって周りの少年達の苛めは加速する。
 泣いている少年の体を小突いたり、地面の砂を蹴り上げて少年に浴びせたり……。
 見兼ねたフェイトは憤懣な表情を浮かべ、少年達の方へと一歩足を踏み出した。
「おい、お前ら……」
 そう声をかけ、腕を伸ばした時だった。どこからともなくクマのぬいぐるみが猛然たる速さで公園に駆け込んできた。そして少年を苛めている同級生の子供達の首根っこを引っ掴んだ。
「このくそガキィ! ふざけた事やってんじゃねぇぞ!」
 外見は可愛らしいぬいぐるみだが、口走る言葉がどうにも汚い。
 クマのぬいぐるみは苛めていた子供達を引きずり回し、唖然とするフェイトの前で次々にやっつけて回っている。
 少年を苛めていた子供達はボロボロと大粒の涙を流しながら、擦り傷と埃にまみれた状態で一目散に退散していく。
「もう苛めんじゃねぇぞ! このガキャァッ!!」
 ぬいぐるみは鼻息荒く、肩で大きく息をつきながら叫んだ。
「……」
 フェイトはそれまでの一連の流れを、ただ唖然としたまま何もできずに見守っていた。
 何なんだ? あれは……。
 確かに目の前にいるのはぬいぐるみだ。おそらく、いや、間違いなく寄せられていた情報の張本人であることだろう。
 ぬいぐるみは泣いていた少年の側に歩み寄るとそっと彼を立ち上がらせ、頭や顔についた汚れを拭い去っている。
 少年を気遣っているぬいぐるみに、気を取り戻したフェイトは歩み寄り声をかけた。
「あんた……」
 背後から声をかけられたぬいぐるみは大げさなほどビクリと肩を跳ね上げ、恐る恐るこちらを振り返る。そしてそこにいるのがIO2の人間であると分かると顔面を蒼白させた。いや、蒼白したように見えた。
「ヤベッ!!」
 うろたえたぬいぐるみは、一目散にその場から逃げ出そうと駆け出す。だが、フェイトも黙ってそれを見逃すはずもない。
 バタバタと体を重たそうに揺らしながら駆け出したぬいぐるみを、身軽なフェイトは彼の前に回り込んで立ちはだかり、すんなり御用となった。
 ぬいぐるみは観念したように肩を落とす。
「いくつか聞きたい事があるんだが……。あんた、何が目的でそんな形をしてるんだ? 見ている限り、悪さをするわけじゃなさそうだし?」
「……」
 ぬいぐるみはフェイトの問いにぐっと口を閉ざしていた。だが、見逃してはもらえなさそうなフェイトの様子に渋々と口を開く。
「……俺は、こいつの兄貴なんだ……」
「!」
 それを聞いて目を見開いたのは少年だった。
「兄ちゃん……? だって、兄ちゃんは一年前に事故で……」
 驚愕に立ち尽くしている少年をぬいぐるみは振り返りながら、気まずそうにボソリと呟いた。
「……お前が心配だからさ……。だってお前、いっつも苛められてるだろ。だから神様に頼んでクリスマスまで蘇らせて貰ったんだ」
「兄ちゃん……」
 真意を聞いた弟の目に大粒の涙が浮かぶ。
「ありがとう、兄ちゃん……」
「ば、馬鹿! 泣くなよ」
 うろたえたように頭を撫でる兄に、弟は何度も頷き返した。
「僕、僕、強くなるよ。絶対強くなるから……っ!」
「うん……」
 その言葉に安心した兄は力なく頷くと、体が徐々に薄らぎ空気中に溶けるようにその姿を消し、昇天したのだった。
 その時、フェイトと弟の間にチラリと白いものが舞い降りる。
 フェイトが何気なく空を見上げると、分厚い雲が覆う空からいくつもの白い粉雪が音もなく降り注いでいる。
「……ホワイトクリスマスか」
 優しい兄の弟に対する優しい想いを目の当たりにしたフェイトの表情には、自然と柔らかな笑みが浮かんでいた。

            ****

「は? なんだって?」
 数日後。再びフェイトは耳を疑う情報を聞きつけた。
 まさかとは思いつつ現場に向かってみると、数日前に起きた同じような現場に再び遭遇しフェイトは唖然とする。
 子供達を追い払ったぬいぐるみは肩で息をつきながら足を止める。
「あんた……」
 呆れたようにフェイトが声をかけると、くるりとこちらを振り返った。
「やっぱさ、まだまだ心配だから延長してもらったんだ!」
 兄のぬいぐるみは、パッチリとウインクをしておどけた様にぺロリと舌を出す。
 なんなんだ……。
 フェイトはただ何も言えず、肩透かしを食らったかのようにその場に立ち尽くしていた。

カテゴリー: 02フェイト, りむそんWR(フェイト編) |

俺と子猫と仕事

激しい爆音と共に、視界が悪くなる。
 舞い上がった砂塵が当たり一面真っ白に変え、フェイトは咄嗟に目を細め腕で視界を遮る。
 もうもうと煙る砂塵の向こうに、大きくうごめく影が過ぎった。
 フェイトはその瞬間を逃すことなく、手にしていた銃にを構えたまま黒いジャケットを翻し砂塵の中に駆け込み発砲するが、敵を射止め損なった。
「ッチ……」
 フェイトは軽く舌打ちをし、眉根を寄せる。そして素早く玉を込め直し次の攻撃に備えた。
「!」
 銃を構えて緊張感の高まる中、ふいにフェイトの側にあった茂みがガサリと小さく蠢く。
 フェイトは顔を強張らせ素早くそちらに銃口を向けると、茂みの影から一匹のトラ猫の子猫がヨタヨタと顔を覗かせた。
 子猫と分かると、一瞬張り詰めていた緊張感が緩む。その瞬間、その茂みの向こうから黒い触手が物凄い速さでフェイトに襲い掛かってきた。
 フェイトは寸ででその攻撃をしゃがむ事でかわし、触手の伸びてきた方向へ向かい銃を放つ。
「やった」
 確かに仕留めた手応えが玉を放った瞬間に感じられた。彼の感じた感覚は的中。玉を受けた魔物は身の毛もよだつような咆哮をあげて、ズズン……と地面の上に倒れこんだ。
 倒れた魔物を前に、再び動き出す事がないか用心深く周りに注意を払っていたが動く様子はないようだ。
 ようやく緊張感を解き、フェイトは耳に付けていたインカムに手を当てる。
「こちらフェイト。任務完了しました」
 IO2本部への報告を済ませ、帰宅許可が下りるとおもむろに茂みの中から子猫を抱き上げた。
「大丈夫か? 無事でよかったよ」
 顔を覗き込むようにすると、子猫はフェイトの顔を舐め始めた。
「わっぷ……。ちょ、やめろって……」
 しつこく舐めてくる子猫から顔を引き離して胸に抱き寄せると、ゴロゴロと喉を鳴らしながらフェイトの腕やわき腹辺りに顔をグリグリと押し付けだす。
 そんな子猫の背を撫でながら辺りを見回し、先ほど現れた茂みの中を探してみるが親猫らしき姿はない。
「どうするかなぁ……」
 仕事柄、家を何日も空けることが多いため飼う事はできない。だが、このままここに置いて帰るのも気が引ける。
 しばし悩んだ後フェイトは浅くため息を吐き、腕とわき腹の間に顔を挟めたまま喉を鳴らし続けている子猫を見下ろした。
「しょうがないな……」
 フェイトは子猫を抱えたまま自宅への道を急いだ。

                *****

「こら! 暴れんなって!」
 自宅に戻ると着替える事も後回しにし、フェイトはズボンの裾を折り上げ、袖を捲り上げて子猫を風呂場に連れて行って風呂に入れ、暴れ回る子猫の体をタオルでワシワシと拭き上げる。
 綺麗になった子猫を片腕に抱き上げたまま一度リビングへ戻ると、フェイトはひとまずジャケットを脱いでソファの上に置き、キッチンで適当な器を取り出して帰宅途中に買った猫用のミルクを注ぎいれる。
「ほら」
 床の上にいた子猫の前にミルク入りの器を出すと、子猫はヨタヨタと歩み寄りながら鼻をピスピス鳴らしてミルクの匂いを嗅いだ。だが、勢い余って鼻先と口元がミルクの中に突っ込み、せっかく綺麗にした毛並みが一気にベタベタになってしまった。
「あぁ~……せっかく綺麗にしたのに……」
 鼻全体がミルクの中に何度も突っ込みながらも、子猫はミルクを必死に飲み始めた。
 そんな子猫の側にしゃがみこんで見つめていたフェイトの表情は、まるで子供を見守る親のように優しげだった。
 そしてその晩。フェイトはベッドの下にダンボールにタオルを敷き詰めて作った即席の寝床を作ってやり、子猫をそこに入れて頭を撫でる。
「おやすみ」
 喉元をくすぐるように撫でると、子猫は満足そうに目を閉じ喉を鳴らして寝床に丸まった。
 フェイトもまたベッドヘッドライトの灯りを消し布団に潜り込み眠りに入る。
 仕事の疲れもあってぐっすり眠っていたはずなのに真夜中になってなぜかふっと目が覚めた。
 カーテンが僅かに開いた室内には眩しいほどの月光が降り注いでおり、その光の帯は静かに眠る子猫の体の上を照らしていた。
「……」
 フェイトは思わずふっと微笑んだ。
 小さな体をさらに小さく丸め込み、窮屈そうなのにとても心地良さそうにぐっすりと眠っているその姿がなんとも微笑ましい。
 フェイトは側にあったタオルを拾い上げ、眠る子猫の上にそっとかけてやると自分も再び心安らぐ思いで眠りに入った。

 翌日。この日もフェイトは仕事で家を空けなければならなかった。
 出かけようとした時、フェイトの足元に子猫が走り寄り可愛らしい声で彼を呼ぶ。
「あ……そっか」
 フェイトは子猫を振り返って抱き上げると、子猫はゴロゴロと甘えたように喉を鳴らす。フェイトは甘えてくる猫の頭を撫でながらしばし考えた。
 このまま家に置いておいても、食事を与える事はできない。それならば……。
 フェイトは子猫を連れて部屋を出ると、同じマンションに滞在しているIO2エージェント専用のコンシェルジュサービスの女性の元へ急いだ。
「すいません。実は昨日任務の途中で子猫を保護したんですが、こいつの面倒お願いしても構いませんか?」
 申し訳なさそうにコンシェルジュに頼むと、女性はすんなりとそれを引き受けた。
「かしこまりました。ではこちらでお預かり致します」
「ありがとう。宜しくお願いします」
 フェイトはホッと胸を撫で下ろし、気兼ねなく仕事へ向かった。

 今日は同僚を連れての、また魔物退治の仕事依頼。
 緊張感が走る中、同僚は銃を構えてフェイトに目配せをする。
「よし、俺は左から回り込む。お前は右から頼む」
「了解」
 フェイトはニッと笑い、すぐさま敵の右側に回りこむ。だが、同僚はその場に固まり一瞬動けなくなっていた。
「あいつ、あんな感じだったかな……?」
 いつも仕事にクールなはずの彼が、これまで任務中はただの一回も笑った事などなかったように思う。
 昨日に引き続き、巨大な図体を振り回しながら襲い来る敵の攻撃をフェイトたちは容易にかわしながら、あっと言う間に倒した。
 報告を済ませ、同僚と別れたフェイトはそのまま真っ直ぐに向かうところがあった。
 自宅の近くにあるペットショップ。ペットフードもさることながら、あの子猫が喜びそうなおもちゃをいくつか買うためだ。
 紙袋に入れられたそれらを抱え、ペットショップを後にしたフェイトは自分でも気づかないうちに小走り気味になってマンションへと戻ってきた。
「すいません。今朝預かってもらった子猫なんですけど……」
 コンシェルジュの女性にそう声をかけると、女性はにこやかに頷いた。
「あの子猫でしたら、飼いたいと言って下さった方がいらっしゃいましたのでお譲り致しましたよ」
 何の悪びれも無いその微笑に、フェイトは一瞬固まってしまった。
 この女性にしてみれば良かれと思ってしたことなのだろうが、自分でも予想していなかった展開にどうしていいか分からなくなる。
「あの……勝手な事をしてしまいましたでしょうか……?」
「え? あ、い、いえ。そんな事無いです。むしろ安心しました」
 慌てて取り繕うように笑い、咄嗟に背中に紙袋を隠す。
「それじゃ、ありがとうございました」
 コンシェルジュに礼を言い、部屋へ戻る。そして玄関のドアを開けた瞬間の、いつも通りの暗い静けさの漂う室内に思わず深いため息が漏れた。

カテゴリー: 02フェイト, りむそんWR(フェイト編) |

目に見えぬ者にこそ……

賑やかな街並みを抜け、多くの人々が行き交う雑踏から逃れた閑静な住宅街。高級な戸建やマンションが建ち並ぶ中、まるでそこだけが別空間に包まれているかのように浮いた廃墟のような団地があった。
「周りは豪華な家が並んでるっつうのに、ここだけどうしちまったんだろうなぁ」
 高齢者が僅かしか入っていないのだろうその薄気味の悪い団地を見上げ、男が怪訝そうに呟いた。
 そんな彼の隣に立っていたフェイトは、依頼書に目を通しふーんと鼻を鳴らす。
「数年前から心霊現象、ね……」
「住居者や近隣住人から調査依頼が入ってきたって言うが、まぁ……確かになんか出そうな雰囲気ではあるよな」
 フェイトは依頼書を懐に仕舞い込むと、かけていたサングラスを外し胸ポケットに仕舞い込みながら団地を見上げた。
「何だてめぇらは! さては調査とかで来た探偵かなんかだろう!」
 佇むフェイトたちの元に、一人の男性が酷く苛立った様子でこちらに近づいてくる。彼は物凄い剣幕でこちらを睨み、有無も言わせぬような勢いでまくしたててきた。
「勝手なことをしてもらっちゃ困るんだよっ!!」
「あなたは、この団地の所有者の方ですか?」
 フェイトは努めて冷静さを欠かず、落ち着いた声でそう男性に声を掛けると、男性はいよいよ怒鳴りだす。
「だから何だって言うんだ!? え? 文句あるって言うのか!!」
 フェイトに詰め寄って噛み付く男性に、同僚の男が慌てて二人の間に割り込んだ。
「お、落ち着いてください。何もなければすぐに出て行きますから……。な? フェイト?」
「……」
 苦笑いを浮かべながらこちらを振り返った同僚に、フェイトは一点を見つめたまま深く眉根を寄せ、唸るように呟く。
「……何か感じる」
「何だって?」
 同僚が目を丸くしていると、所有者の男性はそら見たことかとさらにまくし立ててきた。
「勝手な事をすると、不吉なことが起こるぞ……。後悔しても知らないからな!!」
 がなりたてる男性を、同僚が何とか宥める。そして二人は二手に分かれて調査を開始した。

                  *****

 古びた外付けの階段を登り、くまなく調査をしていた同僚は何か物音を聞きつけふと足を止める。
「……何だ? ここ……」
 壁にはひび割れがある。そしてまるで人を象ったかのように群がる茶色のシミ。それらが全て不可思議に思えて仕方がなかった。
 ひびの入り方が、自然に出来た物とはどこか違う。
「自然のひび割れで、こんな大きな裂け目が出来るもんかな……」
 あごに手をやり、同僚はそっとその壁に耳を押し当てた。すると中から低くくぐもったうめき声が聞こえてくる。
「!」
 一瞬驚いて身を引いた同僚だったが、ふと気になり、もう一度壁に耳を押し当てる。するとうめき声と供に、しばらくするとカチッ……と言う機械的な音が聞こえてきたのだ。
「こりゃあ、もしかして……」
 同僚が訝しんでいるその背後に、ふと黒い影がよぎる。同僚がその気配に気づき背後を振り返ると大きく目を見開いた。
「ま、まさか……っ!?」
 そう声を発するが早いか、同僚は階段の下に突き落とされた。
「うわぁああぁぁぁぁぁああぁっ!!」
「!?」
 外壁を見て回っていたフェイトは、弾かれるように顔を上げジャケットを翻しながらその場から走り出した。そして彼の目には、階段上から降ってくる同僚の姿が捉えられる。
 フェイトは走っても間に合わないとすぐに悟ると思わずその場で踏み止まり、自分の持てる能力を全開に発動する。
 ブンッ……と目の前の空間が歪み、階段から落ちた同僚は空中でその姿を消した。そして次の瞬間には何事もなかったかのように地面の上に尻餅を着いて着地している。
「大丈夫か?」
 フェイトが駆け寄り、同僚の傍にしゃがみこんで肩に手を置くと、彼は冷や汗を流しながら頷いた。
「あ、あぁ。すまない。ありがとう……」
「……!」
 フェイトはすぐにその場に立ち上がり、背後を振り返る。
 振り返った先に、一瞬黒い影が過ぎったのを見たフェイトは銃を構えその影を追って走り出した。
 足の速いフェイトは、すぐにその影の主に追いつく。その影の主は背後に迫ってくる凄んだ表情のフェイトに恐怖し、必死になる。
「待ちなっ!」
 フェイトがそう声を上げるが早いか、影の主をフェイトは体当たりで突き飛ばす。
 影の主はゴロゴロと地面を転がり、仰向けに寝そべったまま傍まで来たフェイトを見上げる形になった。
 フェイトはそんな彼の肩口を足で踏みつけ、ゾッとするほどの形相で睨み降ろしながら銃口を突きつけてくる。
「た、頼む! 全て話す! だから命だけは……!」
 そこにいたのは、団地の所有者の男だった。
「お、俺はこの土地を売りたかったんだ! だから、わざと立ち退きさせようと心霊騒動を起こしたんだ……」
 観念したように全て白状した男に、フェイトを追いかけてきていた同僚が驚いたように目を見開く。だが、フェイトは表情をまるで変える事もなく引き金にぐっと力を込めて男に向かい発砲した。
「フェイトッ!!」
 思わず声を上げた同僚だったが、フェイトは男の上から足を退けると笑顔でクルリとこちらを振り返った。
「終わったよ」
「いや、終わったっておま……」
 冷や汗を流す同僚に、泡を吹いて失神している男の姿があった。
「え……まさか……」
「この人の背後に悪霊がとり憑いてたんだよ。無理に立ち退かされて亡くなった、悪霊がね。言っとくけど、俺は会った時から気づいていたし彼を撃つつもりは端からなかったからな」
 念を押すようにそう言うと、同僚は焦った自分に恥をかきながらも「わ、分かってるよそんくらい……」と、居心地が悪そうに目を逸らした。
 フェイトはまだ銃痕から立ち昇る煙を見つめ、目を細めた。

 願わくば、どうか彼に安らかな眠りを……。

カテゴリー: 02フェイト, りむそんWR(フェイト編) |

甘いひと時

ピピピピ……と、枕元に置いてある目覚まし時計が鳴り響く。
 毛布を頭から被って眠っていたフェイトはもぞもぞと動き出し、腕だけを毛布から伸ばして、忙しなく鳴り響く目覚まし時計のスイッチを切る。
 ぐしゃぐしゃに乱れた頭が毛布からひょっこり顔を出し、寝ぼけ眼で時計を見た。
「……13時……」
 ふぅとため息を吐いて瞳を閉じ、再びパタリと枕に顔を埋めた。
 今日は久し振りの休暇。日頃の疲れも相まって、フェイトはいつもよりゆっくり眠っていた。
 しばし閉じていた目をおもむろに開くと、ごそごそと寝乱れたパジャマもそのままにベッドから起き上がる。そしてその場で大きな伸びをして、ついでに欠伸を一つ。
「……」
 まだ頭が起ききっていないせいかボサボサの頭を掻きながら寝室を出て、パタパタとスリッパの音を鳴らしながら広い廊下を歩き洗面所に向かった。
 ここは、IO2から支給された高級マンションでフェイトに宛がわれた部屋なのだが、一人身にはなにぶん広すぎて仕方がない。
 10畳のキッチン。15畳のリビング。8畳ほどの広さの部屋が3つの3LDK。洗面台は大理石。ついでに言えば浴室も全て大理石で出来ていて、壁は全面ガラス張りだ。
 あまりにも贅沢過ぎるこの部屋を、フェイトはただただ持て余して仕方がなかった。
 顔を洗い、歯磨きを済ませるとそのままリビングに向かって大きなテレビの電源を入れる。
「……大したニュースはやってないな」
 いつくかチャンネルを回してみたが、興味をそそる番組はない。
 フェイトはテレビを消しステレオの電源を入れて音楽をかけると、一度リビングを離れて別室でクローゼットを開き、着替えをし始める。
 いつもの白シャツに黒いジャケットではなく、休暇らしくラフな格好だ。
 フードのついた深い紫色のカットソーに、カーキ色のガーデニングパンツを着こんで再びリビングに戻ると、ゆったりとした白いソファに腰を下ろして今日は何をしようか考えた。
「久し振りの休暇だしなー……何しよっかなー……」
 背もたれに深くもたれかかりながら、何気なくキッチンの方を見やる。
 ここに越してきてからキッチンには全くと言っていいほど立ち入っていないため、新品同様だ。
「……そう言えば最近料理とかしてないな」
 ポツリと呟いたフェイトは、しばしぼんやりとキッチンを見つめていた。
 高校時代までは、毎日のようにお弁当を作っていたフェイト。別段、料理が苦手というわけではない。最近は忙しくて、キッチンに立つ暇などないだけのことだ。
 フェイトはふと、時計に目をやるとポンっとひざを叩いた。
「よし、今日はお菓子でも作ってみるか」
 そう言うと、パソコンを開き何を作ろうかレシピを探し始める。
「……ん~……。マフィンにクッキー、マカロン。ん? プリンかー。美味そうだけど、プリンはちょっと難しいんだよな~……」
 独り言を言いながらレシピを見つめるフェイトの顔は楽しそうだ。
 やがて一通り作れそうなレシピに目星をつけ、必要な材料をメモに書き出すとフェイトはそれらを買いに家を後にした。

               *****

「よっし。そんじゃあ作るぞ! まず時間のかかりそうな奴から……」
 律儀に三角巾を頭に付け、エプロンをかけてキッチンに向き合う。
 目の前には薄力粉、卵、牛乳、砂糖、バター、生クリームやチョコレートなど、お菓子に必要な材料がズラリと揃っていた。
「お菓子は分量が命だからな」
 そう言いながら、量りの上に置いたボウルの中にサラサラと小麦粉を入れていく。その間にもお湯を沸かし、チョコレートを湯銭にかける準備も怠らない。
 料理をすることに幾分手馴れているだけあって、非常に手際が良かった。
 自分の好きな音楽を聴きながら、鼻歌交じりにお菓子作りを楽しんでいるフェイトの姿は、あながちこっちの道に進んでも良かったように見えなくもない。
 ケーキの生地を型に流しいれ、予熱してあったオーブンに入れて、焼いている間に生クリームに砂糖を加えて掻き混ぜ始めた。
 しばらくしてオーブンから焼き上がりの合図が鳴ったのとほぼ同時に、リビングのテーブルに置きっぱなしにしてあった携帯がけたたましく鳴り響く。
「うっわ、マジかよこんな時に電話とか……。どうすっかな……今手が離せないし……」
 そう言いつつキョロキョロと周りを見回していたが、最終的に念力を使って携帯を自分の傍まで引き寄せた。そしてキッチンに置いたままスピーカー状態にして電話に出る。
「はい。フェイトです」
『あ、フェイト? 実は困ったことになったんだけど……』
「何? 困ったことって」
 同僚からの電話対応も抜かりなく接しながら、しっかりとした9分立てに仕上がったホイップクリームを絞り袋に丁寧に詰め、オーブンから粗熱の取れたカップケーキを取り出す。
 カップケーキの上にクリームを搾り出し、アラザンやチョコスプレー、細かく刻んだドライフルーツを散りばめると、さながら店で売っているものと変わらない。
 それらを満足そうにニンマリと微笑んで見つめていると、隣でお湯が沸きスイッチを切った。
 手を休めることなく動かしている物音は、当然電話口の相手にも聞こえている。
『……何かお前、休みの癖に忙しそうだな』
 ふと、同僚がそう言うとフェイトは小さく笑った。
「別に、そんなことないよ。じゃあ、さっきの件は話した通りでいいから」
『あぁ、分かった。ありがとよ。じゃあな』
 電話を切り、フェイトは再び黙々と手元の作業に取り掛かった。

 空が夕闇に染まり始める頃、計画していたお菓子作りを終えたフェイトの前にはプロ顔負けのスイーツがずらりと並んでいた。
 色とりどりのアイシングをあしらった花や鳥の形をしたクッキー、ホイップクリームの載ったカップケーキ、綺麗なパステルカラーのマカロン、フルーツをふんだんに使ったロールケーキ、トロトロのプリン、パンプキンパイ、フルーツタルトなど等。
 それらを見つめ、フェイトはニンマリ微笑んだ。
「やばい。俺って実は天才なのかも」
 なかなの出来栄えに、フェイトは自分の腕を自負した。
「しっかし、作ったはいいけどこれ全部一人じゃ食えないなぁ……」
 自己満足で作ったようなこれらのスイーツ。少し考えて、明日の仕事で配ることに決めたのだった。

              *****

「おはよー」
 翌朝、大きな紙袋を手に職場に顔を出したフェイトに、トラブルの電話を寄越した同僚が声をかけてくる。
「おうフェイト。昨日は助かったぜ……って、何だよその大量の紙袋は……」
「ん? あぁ、実は昨日お菓子を作ってみたんだけど大量に作りすぎちゃってさ。皆に食べてもらおうと思って持ってきたんだ」
 ニコニコ顔で紙袋から出した完璧なスイーツの数々に、周りの同僚達が一瞬固まった。
「え……何……。あのフェイトさんが……?」
 と、どこかでコソッと呟く言葉が聞こえる。しかしフェイトはご機嫌の表情だった。
「ま、遠慮しないで食べて食べて。ちゃんと味見してきたから大丈夫!」
 個別包装までしてきたお菓子を手渡しながら回るフェイトに、ただただ周りは驚いて言葉も出なかった。

 色んな意味で怖くて食べられないかも……。

 口には出さない同僚達の満場一致の気持ちは、ご機嫌なフェイトに明かせそうもない。

カテゴリー: 02フェイト, りむそんWR(フェイト編) |

手向け花を捧ぐ

「さて。今日の仕事は……街外れに住む老婆の家宅捜査ね」
 さわやかな風が吹く、抜けるような青空の下。IO2捜査官であるフェイト・一は、先日受け取った依頼書にチラリと視線を落とした。
 数ヶ月前から今日まで、街外れに住んでいる老婆の元を訪ねた者が必ず行方不明になっていると言う
 これまで老婆の家を訪れたとされる人間は、訪問販売、役所、警察、そして老婆を知る近隣住人。一人残らず行方不明と言うのも何やらきな臭い。
 フェイトは依頼書を懐のポケットに折り畳んで納め、愛用の拳銃のチェックするとそれを腰の後ろに差す。
 真っ黒いジャケットの襟元をきっちりと整え、かけていたサングラスの位置を整えて、一路老婆の家へと向かった。

                    *****

 老婆の家は、鬱蒼と茂る林の奥にあった。
 車もそこそこ通る、綺麗に舗装された道路から一本横へそれる道を進んだ先にあるのだが、どうみてもその道は獣道にしか見えない。
 無造作に伸びた雑草がかろうじて見える石畳の上に覆いかぶさるようになり、どれも栄養が足らないのか枯れて頭を垂れていた。
 その獣道を進むんだ場所にある老婆の家もまた同じ。しばらく手入れのされていない庭は自由奔放に伸びる草花達で溢れかえっていた。
 家もあまりメンテナンスしていなかったのだろう。壁には蔦が絡み、締め切られた窓には埃が積もっている。
 フェイトはとりあえずその家の周りをぐるりと回ってみた。
 どこの窓もきっちり締め切られ、カーテンもしっかり閉められている。
「何か変だな。何で部屋の窓やカーテンが全部締め切られているんだ?」
 不思議に思ったフェイトは、玄関先までやってくる。そしてトントン、とドアをノックして声をかけてみた。
「すいません。どなたかご在宅でしょうか?」
 そう声をかけると、家の奥からしわがれた老婆の声がかかった。
「どうぞ。鍵は開いているのでお入りください」
 その声を聞く限りは元気に聞こえるが、フェイトには訝しく思える。
「失礼いたします」
 用心深くノブを回すと、不気味な軋みを上げてドアが開いた。
 外の光を一切部屋に入れないように締め切られた家の中はカビ臭く、埃にまみれて酷く淀んでいた。
「お婆さん?」
「出迎え出来なくて申し訳ありませんね。足腰がすっかり悪くなって起き上がれないんですよ」
 申し訳なさそうにそう語る老婆の声は2階の方から聞こえてくる。
「お邪魔しますよ」
「えぇ、どうぞ。私は2階の寝室におります」
 老婆に促されるままに階段を登り、念のため腰に差した銃に手をかけながら唯一扉の閉まっている部屋の前に立つ。 
 ドアをノックすると「はいはい、どうぞ」と再び声がかかった。
 用心しながらノブを回しドアを開くと、フェイトは大きく目を見開いた。
 部屋の床には無数の白骨が転がっており、足の踏み場もない状態だ。さらにベッドの上には老婆と思われる一体の白骨遺体が寝そべっている。
「コンニチハ」
 そう答える声がする。その声の主は、老婆が飼っていたのだろう九官鳥だった。
 ベッドの傍に籠に入っている九官鳥は、弱弱しいどころか生き生きとして元気いっぱいだ。
「なぜ生きてるんだ」
 フェイトが目を細め、九官鳥を睨むように見据えて拳銃を握り締める。すると九官鳥はバサバサと羽を羽ばたかせギャアギャアと喚き始めた。
「老婆を食った! 食った!」
「何だって……」
「肉は美味い。だからここに来た奴全員食った!」
 フェイトは握り締めた拳銃を素早く取り出し、九官鳥に突きつけると更に彼はギャアギャア喚きまわる。
「オマエモ食ウッ! 腹減ッタ!」
 そう叫んだ九官鳥は鳥篭を破壊して突如として体が巨大化した。
 カラスの二倍はあろうかと言う大きさにまで巨大化した九官鳥は、もはや鷲や鷹のように目をギラつかせフェイトに襲い掛かる。
 鋭い爪でフェイトに掴みかかろうとするが、すぐさま彼は横に転がって飛び退き手にした銃の引き金を引いた。
 ドンッ! と鈍い音を上げて放たれた玉は、真っ直ぐに九官鳥の心臓部を狙い飛ぶ。だが、九官鳥は大きな羽を一振りすると玉を弾き返した。
「何だと!?」
 フェイトはすかさず連続発砲するがどれも易々とかわされてしまう。
「当タラネェ!」
 九官鳥はフェイトと間合いを計るように部屋の隅に飛ぶと、壁を蹴って目にも留まらぬ速さで飛び掛ってくる。
「くっ!」
 フェイトは剛速球で飛んでくる九官鳥を寸ででかわすも、サングラスは吹き飛び、頬に一筋の傷を作った。
 飛び過ぎた九官鳥はすぐさま向きを変えて飛び掛ってくる。だがフェイトも黙ってやられている訳ではない。
「思い通りになると思うなよ!」
 目玉を抉られそうになる寸前に、フェイトの姿がぶれた。その次の瞬間どこからともなく振り上げられた足が唸りを上げて九官鳥の体にめり込む。
「ギャアアァアァッ!」
 醜い雄叫びを上げながら、グルグルと回転しつつ老婆の白骨体が横たわるベッドの頭元にバウンドし、壁に激突した。
 フェイトは冷めた眼差しで拳銃に玉を込めながら九官鳥の元に歩み寄ると、その銃口をヒクついている九官鳥の頭に押し付けた。
「さぞ可愛がられて来たんだろうな。ベッドサイドにわざわざあんたを置いてさ」
「ギ、ギギギ……」
「たくさんの愛情を貰っていたはずなのに、あんたは老婆に対して恩を仇で返したんだ」
「オ、俺ダッテ、生キル事二必死ダッタンダ……。食ワナキャ死ジマウ……」
「あぁそうだな。でも、あんたの選んだ答えは間違いだよ」
 突きつけた銃口を更に強く押し付ける。
「じゃあな。せいぜいあの世でお婆さんに詫びて来い」
 フェイトはぐっと引き金に力を込めた。

                     *****

 翌日、再び老婆の家にやってきたフェイトの手には花束が握られていた。その花束をそっと玄関前に置きながらフェイトは思う。
 老婆は、あのベッドの上で死期が近いことを悟ったに違いない。
 家族がいない自分がこのまま死んでしまったら、この子はどうなるのだろうと考えたかもしれない。そして、涙を流しながら謝っただろう。「ごめんなさいね」と、何度も……。
「……」
 やるせない思いがフェイトの胸にこみ上げる。
 もしかしたら、老婆は九官鳥を生かす事を望んでいたのかもしれない。死後、自分の肉を食しても構わないから生きていて欲しいと。
 だが、そう望んでいたとしてもそこまでだ。それ以上の被害を出すことは間違っている。
 妖怪化したあの九官鳥は、他の罪のない人間たちまで襲い殺してしまったのだから……。
「お婆さん。今頃あの九官鳥に会えてるかな……」
 静かに風に揺れている花束を見ていたフェイトは、その視線を空に向けた。

カテゴリー: 02フェイト, りむそんWR(フェイト編) |

practical experience 3

「やっぱりトカゲの尻尾だったんだね」
フェイトが感慨深げに声をかけた。無人島で“彼”は自らの足を切って逃げたのだ。
「そんな下等動物と一緒にしないでもらいたいね」
“彼”は両手の平を空に向け肩を竦めてみせる。“彼”は九字を畏れた。九字を使うのは修験道、つまりは山岳信仰。ともすれば、人を唆し化かすのは狐狸の類か。
戦場はビルの谷間に広がっていた。そこここでIO2の隊員が悪霊や悪霊を使役する者たちと交戦している。
フェイトは小さく息を吐いた。
あの日は暗く狭い建物の中だったが、今“彼”と対峙しているのは広々とした交差点。
フェイトは片手で右の銃の排莢を済ますと対霊弾を装填しなおした。左の残弾を計算して身構える。
“彼”は歩道橋の上に佇んでフェイトを見下ろしていた。
「っとに、IO2どもは…我らが主のお目覚めの妨げにならぬよう、うるさい小蠅どもを叩き潰しておくとしようか」
壊れた信号は赤も緑も灯さない。
“彼”がフェイトに向かって飛んだ。
放たれるナイフにフェイトは横に飛び地面を転がりながら引き金を引く。
互いに手応えのないまま第2撃へ。
そして――。

 

 

同時刻。
「お待ちしておりました」
少女が言った。貴女を、と。
「え?」
真衣は思わず面食らう。
「どういう事ですか?」
「貴女はここへ至る貴女自身に起こった全ての事が、偶然だったとお思いですか?」
「それは…」
真衣はここまでの経緯を反芻してみた。偶然とはどれの事を指しているのか。少女が言葉を継ぐ。
「私には過去しか視えません」
言っている意味がよくわからない。ただ。
ここに真衣が訪れるに至るために起こった全ての偶然とは、無人島や第6エリアでの事も含まれるのか。少女が視える過去とは。

 

 

何故、無人島の任務に真衣が抜擢されたのか。
何故、思いの外容易く敵の懐に飛び込む事が出来たのか。
何故、あの暗闇の中、真衣はいろいろなものを視認出来たのか。
何故、真衣が第6エリアの捜索班に選ばれたのか。
何故、真衣の通る道のマンホールがうまい具合に開いていたのか。
そこでフェイトに運良く助けられる確率がどれほどのものなのか。
何故、真衣はいち早く諸悪の根元たる鼠を見つける事が出来たのか。
そして、ここに訪れる事になった最大の要因。
何故、真衣は後方支援と言われながらその実は後方待機となったのか。
いや、そもそもだ。
何故、真衣のバディとなったフェイトは普段使った事もない九字をあの時試してみようと思ったのか。
そこから、だろう。それがあったからここに。

 

 

「まるで偶然じゃなかった…みたいな言い方をされるんですね」
確かに、偶然と片づけるにはあまりにも都合がよすぎる。
「もちろん偶然ではありませんから」
少女はきっぱりと言い切った。

人に見えないものが真衣には至極当たり前に見えていて、他人には見えていないことに気づかないほど自然にそれはそこに存在していたのだと。

「ただ、貴女は“それ”に導かれていただけです」
そうなるべくしてそうなり、それらは起こるべくして起こった。偶然のような必然。フェイトは真衣の傍にいたことによって、少なからず“それ”の影響を受けていた。
「それ?」
真衣の問いかけに少女はゆっくり歩み寄ると真衣の胸元を手の平でドンと押した。
刹那、ドクン、と一際高く大きく鼓動が音をたてた…ような気がした。

 

 

▼▼▼

10時間前。変死騒動以降閉鎖され、誰もいない東京13地区第6エリアに小さな地震が起こった。
それを関知する人はおらず、地震を検知する装置が遠く離れた観測舎に機械的なアラームを発したが、大きな揺れでもなかった事、局地的であった事、人々も避難済みである事から些末のように、それは無視された。

8時間半前。揺れが1時間以上続いていることに誰かが気がついた。しかし、それは第6エリアの狭い範囲内の事だ。とりあえず確認にと第7エリアの片隅にある交番の警官が自転車で遠巻きに確認に向かった。
彼がそこで見たのは巨大な円柱。それが鳴動と共に地面からゆっくりと伸びる様だった。

8時間前。円柱が塔となってそびえ立つと、それは第6エリア以外のどこからでも目の当たりにする事が出来た。
報告を待たずIO2の日本支部からも視認出来る大きさだ。
塔の上空、晴れた青空を黒い影が埋め始める。悪霊が集っているのか。

7時間前。フェイトの調査報告から、あの謎の塔が邪悪な神を封印した塔であると断定。IO2は封印を解こうとしている者たちの殲滅部隊を編成した。
総動員で敵を叩くべく出動する。
だが、その殲滅部隊に自分の名前がなくて真衣は上官にくってかかった。
「どういう事ですか!?」
「戦える者しか連れて行かん」
上官は身支度を整えながら応えた。
「なっ…!?」
「お前は、後方支援担当だ」
「そんな…」
戦えます、という言葉を継ごうとして上官の言葉に遮られた。
「これは、フェイトの提案だ」
「え?」
真衣は思わず言葉を失った。呆気にとられている内にさっさと上官は執務室を出て行く。それぞれに武器を持って走り出す隊員らを半ば呆然と見送っていると、その中にフェイトを見つけて真衣は反射的に追いかけた。
「どういう事なんですか?」
「神無月には後方支援を頼みたい」
振り返るでもなく口早にフェイトが答える。
「そんな、私も戦えます」
真衣はフェイトの背を追いかけた。
「後方支援も大事な任務だよ」
「……」
言葉もなく足を止めた真衣に、ふとフェイトは振り返って真衣の前まで戻ってくるとその肩を掴んだ。
「もしも…もしも間に合わなかった時は、後を頼む」
「え…」
間に合わなかった時というのは封印が解かれた時という事で、それは、その時はフェイトは…IO2の仲間は…。
その言葉の重みと背筋を這い上がってくる恐怖のようなものに真衣は呼吸も忘れて絶句した。

6時間前。第6エリアにて激闘の火蓋が切って落とされた。
塔を目指すIO2と、それを阻む悪霊ども。

1時間前。無人島での因縁に終止符を打ったフェイトは仲間の助けを借りて1人塔へと走る。
そこで待っているのは――。

 

 

▼▼▼

そこにあったビルは塔に串刺されるように一度は上空へ運ばれ程なく落ちると、周囲のビルを巻き込んで瓦礫となって周囲に散在していた。
その小山を越えてフェイトはその場所にたどり着いた。
フェイトより縦にも横にも倍はありそうな鬼人のような男が塔の前門にこちらに背を向け立っていた。恐らくは封印を解くための準備をしているのだろう。
フェイトは空に向けて一発、撃った。
巨大な金棒を持った男がおもむろに振り返る。
「邪魔をするなよ、小童が」
地の底から這うような重低音が響いた。纏った筋肉の鎧を覆うようにビジネススーツを着込んでいる。底光りする赤い眼孔がフェイトを睨みつけていた。その膂力に支えられる得物に思わず息を呑む。あれを片手で扱うのか。
こいつが一連の事件の黒幕か。無人島で会った狐狸など比ではない。
「封印を解かせるわけにはいかないんでね」
フェイトはにこやかに嘯いて見せた。
巨体が走る。その体の大きさに似合わず速い。フェイトは右手を払った。真空刃が巨体を襲うが紙一重でかわされる。それを見越して避けた先に銃弾を叩き込んだ。そこに落ちていた壁だったものを盾に防がれる。拳銃の威力では届かないか。フェイトは両手に力をこめた。サイコキネシスに於いて扱いやすいのは最も軽い大気だろうか。だが、その威力にも限度はある。幸い周囲には大量に積み上げられた瓦礫があった。それらを出来る限りの上空へ飛ばす。位置エネルギーに運動エネルギーを加えて数多の土砂を巨体の頭上へ落とした。
盾に使った壁だったものが木っ端みじんになり更に男に降り注いだ。
だが、物理攻撃がその体に与える影響はそれほど大きくないらしい。服は裂けようともその肉体には擦過傷ほどの傷もつかない。
だから、土砂に混ぜて上空に放った銃弾に男を襲わせる。
被弾。男の咆哮が地軸を揺るがすほどに轟いて、フェイトは半瞬動くのが遅れた。男の得物がフェイトを捉える。
もし金棒が剣であったなら今頃上半身と下半身は永訣を迎えていたかもしれない。
出来る限り力を逃がしてみたがフェイトの体は軽々とふっ飛ばされた。ただ、その先にあったのがコンクリートのビルの壁ではなく、金網だったことが幸いしただろうか。息が詰まって咳こんだのも束の間、何とか体勢を立て直すべく足に力を入れて立ち上がった。
だらんと垂れ下がり使い物にならなくなった左腕に血が流れる。一緒に折れた肋を右手でなぞってみた。吐血はない。肺は傷ついていないという事だ。ゆっくりと息を吸い込んで骨を元の位置へ押し戻す。激痛はほんの一瞬で、程なく大量に分泌されたアドレナリンによってか痛みを感じなくなった。
小さく息を吐いて地面を蹴る。
男がそれを迎え撃つべく構えている。
フェイトは最後の力を振り絞るようにしてテレポートで男の懐に飛び込んだ。超至近で対霊弾を叩き込めるだけ叩き込む。
金棒がフェイトの頭上に振り上げられ、下ろされた。力をなくしたその威力は金棒の重さ分だけで、それでもフェイトの左肩を抉っていた。男はそのままどうと後ろに倒れる。
「はぁ、はぁ、はぁ…」
フェイトは荒い息を吐きだした。――やったのか?
だが。
「我が主よ…」
男の絶命の瞬間吐き出された言葉にフェイトはハッとして塔を振り返った。
「!?」
これ以上ないほど見開かれた目に、塔の大きな扉がゆっくりと開かれる様が映る。強い邪気が吹き付けるようにフェイトを襲った。立っている事もままならず吹き飛ばぬように膝をついて姿勢を低くするのが精一杯で。
やがて、それは全ての希望を奪いさるように強い光と共に現れた。まつろわぬ神。その大きさは奈良の大仏が立ち上がったらかくや、というほどのものだった。
邪神――アマツミカボシを見上げる。
「くっ…」
小さく呻いた。間に合わなかったのだ。
黒幕の男を討ち取った事で一息ついてしまったからかそれとも絶望に気力が絶たれたからか。忘れていた胸の痛みがフェイトの意識を蝕み始める。
だが、ここで止める。止めなければ。フェイトは再び奮い立たせた気力だけで自らを支えて立ち上がった。
封印が解かれ覚醒したばかりの今しか倒せる好機はないように思われた。
邪神が光の矢を現出させるとそれをフェイトに射ようとする。フェイトは防御壁をはろうとしたが力を使うだけの集中力も精神力も残っておらず、脳裏には諦念がチラツく刹那の時。
万事休すに銃声が2つ連なった。
光の矢を上空に止めたまま邪神が無造作にそちらを振り返る。
「フェイトさん!!」
「神無月!?」

 

 

山奥の人里離れたその場所にひっそりとある集落。その中で一番大きな屋敷へと真衣は駆け込んだ。実はこれまでも何度も訪れた場所だ。
九字。その起源は中国の道教にあるとされているが日本では主に修験道で扱われる修法の一種である。それを用い悪霊降伏を行っている耐魔組織がそこにあった。
古よりその力によって裏の日本を守り支えてきた自負と誇りを持つ彼らである。ぽっと出の、しかもアメリカ発祥のIO2を信用出来ない事も受け入れ難い事も想像に難くない。手を貸したくという事情もわかる。
それでも、真衣にはその門を叩く事しか出来なかった。前線を外され、もしもの時の後を託された真衣に唯一出来る事といえば、これくらいしか思いつかなかったのだ。なんとしても。フェイトの言葉を噛みしめ真衣は門を叩いた。いつもなら、すぐに真衣を追い払いに人が出てくるのに、この日に限って誰も出てこない。
そこでようやく真衣は、集落があまりに静まりかえっていることに気がついた。
誰も、いない。
「どういう事…?」
半ば途方に暮れていた真衣だったが、ふと背後に人の気配を感じて振り返る。
そこに立っていたのは腰まである長い黒髪を一つに束ねた和服姿の中学生くらいの少女だった。
「あの、ここの人は…」
真衣が尋ねると少女はそっと東の空に視線を馳せて応えた。
「皆は塔の封印と連動している結界の守りに向かいました」
「結界…では!」
真衣は一歩踏み出す。
「わかっています。我らの目的はきっと同じ」
少女は真衣に視線を戻して静かに頷いた。
「ですよね!」
彼らもまた、塔の封印を解かせないために動いているのだ。IO2が出しゃばっているからといって、彼らが自らの使命を放棄する理由にはならない。目的が同じなら。真衣は期待をこめて少女を見た。だが。
「ただ、やり方が違う」
少女は目を伏せてしまった。
「それは…でも!」
「いいのです。それで」
小さく頭を振って少女は応えた。
「え?」
「強大な力は時に黒くも白くもなる。故に我々はその力を誰にでも気軽に与える事は出来ない」
「……」
「否、それを決めるのは我々ではない」
「あの、何を…?」
「皆は反対しましたが、既に“それ”の答えは出ている。私は貴女を…」 まるで独り言のように呟く少女に真衣が困惑していると、少女は真衣をまじまじと見つめて、そして静かに頭を下げて言った。
「お待ちしておりました」

 

 

「言ったはずだよ。手遅れになった時は…」
もう、自分すら守りきれそうにないこの状況で、フェイトは真衣に撤退するよう言葉を紡ぎかけた。だが。
「だから、来たんです!」
瓦礫の山の上に立ち、真衣は銃を邪神に構えたまま言った。
「だからって…」
もう、気力も体力も限界のはずなのに何故だろう。
「任せてください」
フェイトは真衣の言葉に、力が沸いてくるのを感じて思わず真衣を見返していた。
――まだ戦えるのか。
邪神の光の矢の攻撃にフェイトは防御壁をはって凌ぎきると、真衣が囮のように銃を乱射する、その間を縫って周囲の土砂を風にのせて舞わせた。
とりあえず視覚を奪って足下から崩す。土砂で目を狙いつつ、銃弾をその膝に集中させた。
邪神がそれに気圧されてくれたのか顔の前を手で払いながら後退する。
とはいえ、こんな物理攻撃や対魔弾では倒しきれないだろう。かといって封印には相応の術式が必要だ。
――どうする?
時間はかけられなかった。相手に攻撃の手を出させないためにこちらから集中できる物理的火力が足りない上に、真衣はともかくフェイトは既に満身創痍なのだ。
決め手が欲しい。一発で逆転できる何か。
その時だ。
「これを使ってください!!」
真衣がフェイトの元へ駆けてきた。
「なっ!?」
真衣の胸元が金色の光を発していることに気づいてフェイトは驚いた。驚きつつも、何故だかなんの迷いもなくそこに腕が伸びていた。まるで自分はずっと以前からその存在に気づいていたように。
フェイトの右手が真衣の放つ金色の光の中で何かを掴んだ。いや、何かではない。剣の柄だ。それをゆっくりと引き抜くと巨大な剣身が彼女の体内から姿を現した。

『“それ”によって導かれていたにすぎません』
ずっと。
それは真衣自身さえも知らず、気づく事もなかった神殺しの剣。それが彼女の中で彼女とその周囲の者たちに少なからず影響を与えながら眠っていたのだ。
過去しか視えないと言った少女が真衣の中に眠るその封印を解いた。もしもの時は。
少女には未来も視えていたんじゃないかとふと真衣は思う。それともこの剣によって未来を視ていたのはフェイトの方なのだろうか。真衣を前線から外し、もし間に合わなかったときは、と言葉を残して後方待機にした事も。
だから覚醒したのだ。邪神を討つ切り札が。

神殺しの剣をフェイトは右手に構えた。両刃の剣は重く両手持ち用だ。だが、左腕は使い物にならない。
ふぅーっと息を吐いて剣を支えようとすると、ふと剣が軽くなった。
フェイトは真衣を振り返る。
一緒に剣を握った真衣が一つ頷いた。
共に戦うのだ、と。
フェイトは全身の痛みが引いていくのを感じた。もちろん傷が治っているわけではない。ただ。
風が2人を中心に渦を巻く。それを作り出しているのが剣だと気づいた。ならば、その剣が導くままに。
2人は走り出した。
宙を駆ける。何故か大気の階を駆け上ることが出来た。
2人を襲うように邪神が腕を振り上げ振り下ろす。
それを避けるように強い風がその軌道を狂わせた。剣が守ってくれているのだ。だからまっすぐに邪神の胸へ飛び込む事が出来る。
2人はその胸に剣をつきたてた。
断末魔。
邪神はよろめき門の中へ吸い込まれ扉が閉じると、塔は映像を巻き戻すかのように出てきた時とは全く正反対の動きで小さな鳴動と共に土の中へ消えていった。

 

 

IO2の日本支部があるビルから最も近いところにある総合病院の整形外科病棟には人が溢れかえっていた。その殆どがIO2関係者である。ベッドに寝ていたり車いすに座っているのは殲滅部隊に参加した隊員達であり、立っていたりパイプ椅子に座っているのは見舞いにきた後方部隊や家族らであった。
そんな人混みを抜けて真衣はその病室を目指した。
ナースステーションで確認した病室の番号札の下に目的の人物の名札が入っていなくて、一瞬不安が過ぎったが、ノックの後真衣は思い切って扉を開けた。
心臓が早鐘を打つ。ドキドキしながら、パーティションの奥を覗くと、前年ながらベッドには人がいなくて一瞬拍子抜けた。
だが。
「神無月?」
声がして振り返る。そこに目的の人物が車いすに座って鉄アレイをいじっているのを見つけて真衣は思わず声をあげた。
「だ、大丈夫なんですか!?」
フェイトは笑顔を返す。
「なんだか、手持ちぶさたでね」
真衣は力が抜けたようにため息を吐くと、持っていた紙袋をテーブルの上に置いた。
「約束だったので、作ってきました」
「約束?」
「はい」
紙袋の中から重箱を取り出す。
「お弁当?」
「はい」
真衣は蓋を開けてみせる。ぎっしり詰まったおかずの数々にフェイトは目を丸くした。
「すごいな…」
「頑張りました。ちゃんと栄養も考えて、カルシウムは多めに」
真衣はにこっと笑顔を向ける。もちろん、カルシウムだけではない。それらの吸収をよくするビタミンやミネラルもふんだんに取り入れたメニューを考えてきたのだ。
「ははは、それはありがたいね」
フェイトが半ば苦笑を滲ませて言った。
「しっかり食べてください」
「ああ、いただこう」

神殺しの剣は消えてしまった。また真衣の体の中に戻ったのか、それとも邪神と共に眠りについたのかはわからない。
ただ、どれくらい続くのかはわからないけれど、穏やかな時間が戻ってきたことに真衣はただ感謝するのだった。

 

 

■■大団円■■

カテゴリー: 02フェイト, 斎藤晃WR, 神無月真衣 |

practical experience 2

「九字切りなんて出来るんですか?」
驚きで思わず腰を浮かせた真衣に、向かいの席でフェイトはしれっとして応えた。
「出来ないよ」
「え? でも、今、九字切りしたらって…」
「だから見様見真似だよ。そんな力ないからね」
自慢にもなりそうにないことに胸を張るフェイトに何だか拍子抜けして真衣は浮かせた腰をシートに戻す。
「……」
「例えばドラキュラ伯爵。彼が十字架を苦手な理由、知ってる?」
「いえ、知りません」
「彼の出身がカトリック圏だからだよ」
「はあ」
真衣は曖昧に応えた。ドラキュラが九字切りと何の関係があるのか。だが、はぐらかされている、というわけでもないようだ。
「つまり怪異はその出身と信仰によって縛られる…とするなら、ある程度の出自を絞れるんじゃないかな、と思って鎌をかけてみた。まさかあんな全力で逃げられるとは思わなかったけどね。とりあえず西洋系ではなさそうだし逃げるとしたら国内かな?」
「……」
言葉を失う真衣にフェイトは首を傾げて、それから何事か気づいたように付け加えた。
「毒ガス工場の実験体に捕虜が使われていたとしたら、その魂を解放しにきたのが連合国軍出身の可能性もあるだろ?」
「確かに、言われてみれば」
そうだ。悪霊となってしまった哀れな霊魂を浄化し天へ還したいと望む者があってもおかしくない。勿論IO2でさえそれを出来ずに封印するのみに至っている現実を鑑みれば成功の可能性はかなり低いと言わざるを得ないが。相手が西洋系の怪異であるならアメリカにあるIO2本部に応援を依頼する必要も出てくるだろう。
それで試してみた、という事か。しかし相手によく気づかれなかったな、とも思う。その種の力がないことに。「いやぁ、見様見真似でも何とかなるもんだねぇ」などとお気楽に笑うフェイトに真衣はただただ呆気にとられるばかりだ。
「それに黒幕が彼1人によるものなのか、それとも他に仲間がいるのかも気になるしね」
「!? まさか、それで彼を逃がしたとか!?」
再び真衣は立ち上がる。狭いヘリで危うく天井に頭をぶつけかけたがシートベルトに引き戻された。
「まっさかー、目的も聞かないで逃がすわけないよ」
大仰にフェイトは手を振ってみせたが。彼の実力が噂通りなら彼がたった1人の敵を逃がすなんて事あるだろうか。マーカーを付けておいたという用意周到さからみても計算だったのでは、という気がしてくる。
フェイトは何手先までよんで鎌をかけたのか。
相手は九字に反応し孤島から逃げた。訪れた時のボートはエンジンを壊してある。どうやって海を渡ったのか。それは相手が人外のモノというこ事を示していた。
「彼らが情報を流してくれると助かるんだけど」
「彼ら?」
「九字を使う人たち?」
IO2と日本古来の対魔組織とは一部を除いて昔からあまり仲がよろしくないと聞く。確かに九字に反応したという事は、それを扱う対魔組織が何らかの情報を持っている可能性は高い。
「ま、今日のところはお疲れさま」
そう言ってフェイトはサングラスの向こうで目を閉じたのかヘリの中で眠りについた。
真衣はシートに疲れた体を沈めると窓の外に視線を移した。徹夜明けなのに睡魔は一向に襲ってこない。ただ、近づいてくる東京の街をずっと眺めていた。

 

 

▼▼▼

孤島事件から11日後。
早朝、一部の対魔組織によって便宜上、霊場ごとに区切られた東京13地区にて若い男2人の変死体が発見される。その死体の異様さからIO2へ出動要請。同時に13地区第6エリアには避難勧告が出され特別警戒区域となる。

12時22分。IO2東京支部にて避難完了と同時に出動のための部隊編成が行われる。

12時37分。同、給湯室にて、真衣はランチ後のお茶を淹れながら溜息を吐いた。
孤島事件の“黒幕”とやらの情報は一切入ってこず、何となく悶々とした日々を送っている。フェイトが引き続き調査を続けているのだろう。手伝いたいとは思うがお呼びがかからない以上どうしようもない。
「…ちゃんとご飯、食べてるかなぁ」
チェックのナプキンに包まれた自分のお弁当箱を見つめながらやかんのお茶をマグカップに注ぐ。いつか彼にもお弁当を作ってあげる事が出来たらな、なんて…と顔を赤らめていると。
「はわわっ!! 熱っ!! 熱っ!!」
見事にお茶を溢れさせて慌てふためき、更にマグカップを倒して事態を悪化させた。

12時38分。上司により、こぼれたお茶もやかんも弁当箱も放置のまま腕を捕まれ連行される真衣。このパターンは!! と期待に胸を膨らませて連れて行かれた先にフェイトの姿はなく奈落の底まで突き落とされて任務に就いた。

13時02分。13地区第6エリアへ向かう真衣。先輩との4マンセルでチームを組む。携帯しているのは“原因”が判然としないため、実弾と対霊弾の撃ち分けがしやすいリボルバー。装弾数6発。

13時16分。現着。避難が済んだその場所に人気はない。雑居ビルが立ち並ぶ路地を進む。悪意に満ちた気配もない。

13時26分。先輩の背中を追いかけつつ殿を務める真衣。後方を意識しすぎて足下を見ていなかったのが敗因か地面がない事に気づいた時には穴の中へ。悲鳴もあげられぬまま。工事中に避難命令が出てそのままの状態で避難したのだろう、マンホールが開きっ放しになっていた。真衣の注意不足が生んだ事故。

13時27分。最後尾の真衣が突然消えたことに動揺しながらも、その気持ちを押し殺し淡々と任務遂行に尽力する仲間達。

そして。

 

 

▼▼▼

「はわわ~っ!」
不思議の国のアリスってすごいな、とかどうでもいいことを考え現実逃避。
半ば死を覚悟してぎゅっと目を瞑りつつも、何とか受け身をとろうと距離を測るように腕を伸ばす。しかし地面の感触も痛みも一向に訪れない。減速しているような感覚に真衣は恐る恐る目を開けた。
「大丈夫?」
聞き知った声を振り返る。残念ながら暗がりで顔はよく見えず。だが間違う筈がない声。
「は…はい!!」
真衣は九死に一生を得て安堵したのと、どうやら助けてくれたのがフェイトらしいという嬉しい事実に、虚勢半分、元気よく応えた。
彼のPKによるものだろうか、無事、地面に足をつけて人心地吐く。
「すみません、すみません、すみません。ありがとうございます!」
声のする方に向けて何度も直角に頭を下げる。見えているだろうか。
「うん」
応えてフェイトはペンライトを灯した。ぼんやりとだが明るくなって気持ちが落ち着いてくると、反比例するように真衣は自分のしでかしたことに気持ちが暗くなった。
「私…また、ドジを…」
たまたまこの場に彼がいてくれたから助かったのだ。彼がもしいなかったらと思うとゾッとする。だが、フェイトは少しだけ首を傾げて言った。
「んー…そう落ち込む必要もないかもしれないよ」
「でも…」
「言っただろ。神無月のその天然さは武器になる、って」
前回、孤島で“敵”に捕まった時も彼はそんな風に励ましてくれた。しかし自分にはこれが武器になるとはとても思えない。
「…どういうことですか?」
半ば縋るような気持ちで、残りの半分は不審の眼差しでフェイトを見上げると彼は視線を天井へ向けて言った。
「上のチームはたった今全滅したみたいだ」
「え?」
思わず真衣も天井を見上げる。真っ暗な天井には大きな水道管が何本も走っているだけだ。それ以上を見る術は真衣にはない。けれど彼には見えているというのか。
「落ちたから助かった。そして助かったからこそ増援や医療班を呼ぶことが出来る」
彼はそう言って微笑んだ。
「!?」
「上の連中もまだ息はある。急いで連絡を」
イヤフォンマイクは落としてない、壊れてもいない。本部直結の無線は生きている。
「はい!」

 

 

天井の水道管についた水滴がポタリと垂れて落ちる。思わず鼻を塞ぐほどの激臭はないが重苦しい湿気とかび臭さが鼻をついた。深さはないが足下にも水が流れていて、脇に腰ほどの高さの人1人通れるくらいの通路がある。どうやらここは雨水排水路らしい。高さ、幅2mといったところか。
増援と医療班の要請を終えて一段落し、出口まで送るというフェイトに促されてライトを手に歩き出したところで真衣が愚問と思いつつも声をかけた。
「フェイトさんはここで何を?」
「この前孤島から逃げた黒幕くんを追って、ね」
やはり調査中だったのか。しかし彼の他に仲間がいる様子はない。誰かと連絡を取り合ってるような素振りもない、とすると1人で行っているのだろうか。
「マーカーははがされてたんだけど」
やれやれと息を吐くフェイトだったが、真衣は「そうだったんですね」と相槌を打ちながら別の事を考えていた。
「上の事件と無関係ではなさそうだな」
続ける彼に真衣が意を決したように声をかける。
「あの…」
「うん?」
「お礼、させてもらってもいいですか?」
「お礼?」
前を歩くフェイトが、いきなり話が飛んだことに意表を突かれたような声で聞き返した。
「助けてもらったお礼です!」
真衣が応える。
「別に気にしなくていいよ。たまたまだし」
肩を竦める彼に、それでも真衣は食い下がる。
「でも、あの」
本当は手伝いたい。だが自分がフェイトの仕事をサポートするにはまだ実力不足だろう。だから情報を何も貰えなかった。それでも出来ることがあるなら全部やりたい。例えば、コネクションも何にもないけど退魔組織から情報を貰ってくるとか、自分に出来ること。他にも。
「今度、お弁当作らせてください!」
1人で任務に就くということは誰かと交代したりそれで休憩したりということも、ままならない筈だ。携帯食料で食い繋いでいるのだとしたら体にもいい筈がない。
「お弁当?」
「はい!!」
「…いいよ」
真衣の勢いに半ば気圧されたようにフェイトが応えた。
「ありがとうございます!」
見えないとわかっていても彼の背中に向けて頭を下げてしまう。
「お礼を言うのは俺の方じゃない?」
「いえ、私です。あ、嫌いなものとかありますか?」
「ピーマン」
「ぷっ」
子供っぽいフェイトの即答に思わず真衣は吹き出していた。
「ってのは、ベタすぎたかな? 嘘々。大丈夫、何でも食べるよ」
どこまでが冗談でどこまでが本気なのか。それでも暗闇を歩く緊張感がほんの少し和らいだのは確かだった。気づかず気負っていたらしい真衣の心もいつの間にか解れていた。
「じゃぁ、好きなものは?」
「うーん、何だろう?」

 

 

「そういえばサングラスはしないんですか?」
ふと気づいたように真衣が尋ねた。トレードマークともいえるそれを今、フェイトはしていない。
「孤島で壊されちゃったからね」
フェイトは溜息を吐く。
「え? でも、帰りのヘリでしてましたよね?」
真衣はその時の事を思い浮かべた。
「……」
フェイトは後ろを振り返って真衣を見た。それからおもむろにウェストポーチからサングラスを取り出すと真衣にかけてみせる。
「はわわっ!? …え? あれ? 何にも見えない…」
突然の事に驚き戸惑い、それからふと水路の闇を見つめて気が付いた。
「サングラスってどういうものか知ってる?」
フェイトの問い。サングラスとは直射日光や紫外線から目を守るためのものだ。強い光を和らげる効果がある。
「すみません。そうですよね。暗闇でかけたらもっと真っ暗になりますよね。…あれ? でも、じゃぁ、あの時は」
孤島には電気はなく窓から入る月明かりがせいぜいだった。その中を彼はサングラスを付けて動いていなかったか。
「あれは厳密にはサングラスじゃなくてスターグラス。星明かりほどの少ない光で周りが見えるようになる…暗視ゴーグルみたいなものだよ。ワンオフだったからまた新しく作ってもらってて。おかげで技術班にはどやされるし、踏んだり蹴ったりだよ」
フェイトは肩を竦めてみせた。
「そうだったんですね。てっきりサングラスの予備を持ち歩いてるのかと…」
「そんな余裕があったらその分弾倉を持ち歩くよ」
「ですよね」
真衣は苦笑を滲ませつつサングラスをはずしてフェイトに返した。
その時だ。
視界の片隅に何か動く黒い影が引っかかったのは。
その影が、底光りするような赤い目で襲いかかる隙を伺うようにこちらを睨みつけている――錯覚に真衣は反射的にリボルバーを構えていた。全身に嫌悪感が染み渡る。それは脊椎反射に近かった。
「ヒィッ!?」
この世で最も忌むべき存在ともいえるイニシャルGと台所でうっかり出くわしたような錯乱状態で、悲鳴をあげながら実弾を乱射する真衣の肩を後ろからフェイトが掴んだ。
「おい! 落ち着け!!」
フェイトに揺さぶられてその声に我に返る。
「え…あ…フェイトさん…」
「鼠だ」
「す、すみません」
何とか心を落ち着かせて真衣は拳銃をおろした。とはいえイニシャルGのような見た目に対する嫌悪感とは違い、野生の溝鼠は多くの病原菌を内包している危険動物だ。怪異に対するのとはまた別の緊張感が真衣を包んだ。
と。
「いや、どうやら、ただの鼠じゃないらしいな」
フェイトの低い呟きに真衣は彼の視線を追いかけた。
「え? 嘘…」
いつの間に集まってきたのか、そこにいたのは1匹ではない。通路を埋め尽くすほどの夥しい数の鼠がこちらを睨めつけている。ただの鼠ではなく同じ意志によって動くようだ。何かが憑いているような操られているような。思えばあの暗がりで鼠をいち早く見つけたのは真衣の霊感の強さによるものだったのかもしれない。
無意識に生唾を飲み込む真衣にフェイトが言った。
「走るよ!」
「はい!」
真衣を先へ促し後ろにフェイトが続く。
前を行く真衣は走りながら排莢し、対霊弾をこめた。既に彼女の後ろでは銃声が連なっている。真衣も上体だけ捻って援護射撃を行った。
だが数が多すぎる。
「きりがないな」
フェイトは走りながらコートを脱ぐと水の中へ降りた。ばしゃばしゃと水の中を駆けながらコートに水を染み込ませる。
「伏せて!」
という声に真衣が減速して小さくしゃがみこむのと、フェイトがコートを盾のように広げ持つのはほぼ同時だったか。コートが凍り付いた瞬間、フェイトはウェストポーチから取り出した焼夷弾のピンを外し、それをコートの盾の向こう側へ投げ込んだ。
火炎から逃れた数匹を銃で撃ち抜く。
肉を焼く焦げた臭いが鼻腔を刺激するのに、真衣は咄嗟に顔を背けた。とはいえ臭気から逃れられるわけでもなく口元を手で覆う。
鼠に憑いていたモノ――霊たちが死骸を動かす事はないらしい。安堵が戻った。

「まさか、鼠を媒介に使っているのか…」
だとしたら厄介だ。フェイトはゆっくりと死骸の山に近づいた。
地上の隊員を襲ったのがこの鼠だとして、排水路という狭い場所が幸いしたか。いや前後を塞がれる前に真衣が気づいた事もある。
若い男の変死体。若いはずなのにまるで生気を吸われたように皺々の状態で見つかった、というその情報はフェイトの方にも入っていた。孤島の男のマーカーが外されていた場所に近いという事もあって繋がりを考えないでもない。
「操っている者の背後は同じか?」
だとするなら、複数犯が濃厚か。鼠を操る悪霊の正体。孤島の男の消えた足取り。孤島で解放された悪霊の行方――。
「フェイトさん!」
思考を遮る真衣の声。
巨大な鼠が地下道を塞ぐように立っていた。鼠に憑いていたモノ達が仮の肉体を失い一つに融合したのか。
「神無月は下がってて」
「…はい」
巨大な鼠。フェイトのテレパシーには何も引っかかってこない。思考せぬもの。
フェイトが地を蹴る。フェイトのいた場所を巨大鼠の前足が薙払った。空を切った前足が排水路の壁を抉る。ただの悪霊の塊ではなく肉体があるということだ。フェイトはバックステップと同時に2発放っていた。巨大鼠から黒い影のようなものが2つ出て行く。あの巨体にはいくつの悪霊が入っているのやら。
このために悪霊を集めていた? いや“これ”が目的ではないだろう。実験か、或いはデモンストレーションというやつか。その目的は…。
「危ない!」
真衣の声に我に返る。殺気に対してフルオートにしている体が間合いをとるように後方へ飛んだ。後ろ足で立ち上がる巨大鼠の振り上げられた前足を真衣の弾が捉え、攻撃の軌道を狂わされた巨大鼠の前足が空を切る。その隙を見逃さず。
「ありがとう」
「いえ」
一息に間合いを詰める。いくら撃ち込んでもその部分の魂を切り捨てられるだけだ。弾が尽きるのが先か、こめられた悪霊を昇華し尽くすのが先か。あの夥しいほどの鼠の数、削ぎ合いになれば分が悪い。
巨大鼠が反転。尻尾攻撃をかわして壁を蹴りあがる。そのまま大きくジャンプして鼠の死角へ潜り込んだ。どこかに核となる部分があるはずだ。悪霊をつなぎ止めるための“種”が。そこに大きいのを一発叩き込む。だが。
「…!?」
巨大鼠はフェイトを見失うと、フェイトを探す事はせず、その矛先を速やかに真衣に向けた。真衣は応戦すべくリボルバーの残弾4発を全部撃ち込むが焼け石に水で。
「神無月、逃げろ!」
鼠が真衣に襲いかかる。
「フェイトさん!」
まだ核の場所はわかっていない。だがとにかく鼠を止めるため一か八か、肉体があるなら。フェイトはその背中に腹まで撃ち抜くつもりでPKで威力をあげた一発をお見舞いした。
鼠が固まる。フェイトは鼠の頭を蹴って真衣を背中に庇うように前に立った。
鼠が4本の足をつく。そのままどうと倒れるのを確認してからフェイトは真衣に向き直った。
「大丈夫か?」
「フェイトさん!」
「!?」
真衣がフェイトの前に出る。刹那、巨大鼠の最後の攻撃なのか何だったのか鼠が口から嘔吐した。その吐瀉物をフェイトを庇った真衣が全身で受け止める。
「神無月!?」
吐瀉物でドロドロになった顔をフェイトに向けて、真衣は虚ろな笑みを浮かべた。
「大丈夫ですか、フェイトさん」
鼠はその巨体の体積分を全部吐き出したのかみるみる縮んで普通のサイズに戻って死んだ。同時に悪霊の気配も消える。
真衣がフェイトの姿を見つけて安堵したように頽れた。それを反射的に抱き留めて。
「神無月!!」
フェイトは真衣の体を揺すったが真衣の反応はなく、完全に力も抜けていた。
「ふざけるな! 弁当作ってくれるんじゃなかったのか!?」
怒鳴りつけたが真衣が応えることはなかった。

 

 

ゆっくりと目を開けた。白い天井。ここは一体。自分はどうなったのか。記憶を反芻し真衣は布団の重さに視線をそちらへ向けた。
「フェイトさん?」
そこには布団に突っ伏すフェイトがいた。
腕に繋がる点滴の管。心電図。枕元に置かれたナースコールのボタン。周囲を見渡す限りここは病院らしい。フェイトが自分を運んできてくれたのだろうか。とりあえず、自分は生きているらしい。
そっとフェイトの柔らかそうな髪に触れるとフェイトが顔をあげた。
「気が付いたのか…」
「あの、私…」
思ったよりうまく喋れなかった。いろんな感情が胸に渦を巻く。何から話せばいいのか。
「無茶して」
フェイトが優しい目で呆れたような、怒ってるような、ホッとしたようなそんな声で言った。
「すみません」
すんなりと言葉が出た。
「よかった」
優しい彼の笑みに真衣はホッとする。
「フェイトさんが運んでくれたんですか?」
「ああ」
どうやって地下道からここまで彼は自分を運んだのだろう。
「そ、それって…っ!」
も、もしかして姫抱っこ。
「神無月? 顔が赤いな。熱が?」
「ふあああ~~!!」
「ど、どうした?」
真衣の悲鳴にフェイトが動揺する。
真衣は、何で全然覚えていないのよ、と内心で大絶叫しながら応えた。
「な、何でもありません。だ、大丈夫です!」

 

 

■■END■■

カテゴリー: 02フェイト, 斎藤晃WR, 神無月真衣 |

practical experience

「多くの軍の特殊部隊では格闘訓練は殆ど行われない。まぁ、武器を持ち最大火力で敵を制圧するという近代戦争に於いて白兵戦になった時点でいろいろ終わってるし優先順位が低くなるのも頷ける話だけどね」
「はあ……」
「他にも理由があって、格闘技が出来ないと敵に工作員と疑われにくくなるというのがある。実際、引っかいたり噛みついたりなんてする奴がまさかって思うだろ? 日本はともかくアメリカじゃ一般人でも銃を持ってるしね」
「そう…ですね」
彼が何を言わんとしているのかわからなくて真衣は曖昧に相槌を打った。アメリカ帰りの彼がそこでの体験を話そうとしてくれている……という雰囲気でもない。
「つまり、相手がウサギを狩るのにも全力を尽くす真面目なタイプだったら別だけど、多くの場合、相手が何の訓練も受けていないド素人とわかれば、油断をするしそれだけ隙もみせてくれる、ってことだよ」
「………」
彼の言わんとしていることを薄々察して真衣は相槌を打ち損ねたが、彼は気にせず続けた。
「だから神無月のその天然さは相手を油断させて隙を作るのにとっても有効だと思うんだ」
常にクールさを見せる彼だったがこの時ばかりは暗闇の向こうで笑顔を向けているような気がした。まるで真衣を元気づけるように。
「……そうですか」
真衣はそっと彼の気配から視線をそらす。
「それに仲間の緊張を解くという効果もあるよ」
フェイトが追い打ちをかけた。
それに真衣は棒読みで応える。
「足を引っ張る方が多いですが……」
「日本人の悪いところだな。日本人は何故か苦手を克服しようとする。だが、欧米人は苦手な事は放置して得意な事を伸ばそうとする。その結果、日本では出来ない事を叱る教育だが、欧米では出来る事を褒める教育が主流だ」
「でも……」
「短所は長所とも言うだろ? 神無月のそういうところ、俺はいいと思うよ。必ず武器になる」
なんだか少しずれているような気がしなくもないが、彼は彼なりにこの状況に対して全力でフォローしてくれているのだろう、そういうことなのだ。それはよくわかる。よくわかるのだけど。
「私たち、今、捕まってるんですよ~~っ!?」
真衣は反射的に怒りとも悲鳴ともつかない声を張り上げていた。

▼▼▼

59時間前。一隻のプレジャーボートが4人の若者を乗せて東京沖のとある無人島に接岸した。戦時中、それほどの要衝たりえなかったにも関わらず毒ガス工場があったため爆撃を受け前線となった島。爆撃でも多くの戦死者を出したが、それ以上に、その毒ガス工場では併設された試験場で多くの“死者”を出し、地図からその事実ごと抹消された島である。数多の魂の呪詛に集う怪異を慰霊碑という名の封印によって抑制し、IO2監視下に置かれた立ち入り禁止区域。その場所で4人の若者はその消息を絶った。

14時間前。若者らが行方不明になったという報告がIO2本部にもたらされる。

13時間半前。ランチの後、IO2本部2階にある給湯室でお茶を淹れていた神無月真衣は突然上司に拘束され、何の説明もなく屋上のヘリポートで待機していたヘリに放り込まれた。シートにしたたか頭ぶつけようやく顔をあげた時にはヘリは既に上空300m。諦念に満ち溢れながらシートベルトを引っ張り出す真衣に。
「あ、ちょっと待って」
「はい?」
向かいの席の男に声をかけられて、そこで初めて真衣はその存在に気がついた。
「これ、上から着て」
「……フェイト……さん!?」
そこにいたのは憧れの先輩だった。
「うん」
最近IO2に入ったばかりの真衣にとって、他のエージェントからも一目置かれている彼の存在は雲の上のような存在だ。その彼が目の前にいる。
彼のような人物が、自分みたいな新米エージェントと、まさか組もうとでもいうのか。
「潜れる?」
「あ、はい」
「リペリング降下訓練は?」
「…受けています」
「じゃぁ、大丈夫だね」
どうやら組むことが決定しているようだ。
フェイトから今回の任務についての説明を受ける。4人の若者らの捜索。海が時化ていることと、万一封印が解かれている可能性を考慮し、ヘリで島に着陸せず、海中から島に上陸するという。
「質問はある?」
ダイバースーツを着終え、耐水性のウェストポーチの中身を確認していた真衣にフェイトが尋ねた。
「島の広さは?」
「これが島の地図とこっちが現役時代の工場の見取り図だよ。そんなに広くないから頭にいれておいて」
フェイトは地図を広げながら言った。海岸線一周4km余りの小さな島だ。前線基地は既に跡形もないほどの爆撃を受け、毒ガス工場も半分が倒壊し廃墟となっているという。慰霊碑は島の高台にあるらしい。
「封印は解かれていると思いますか?」
「だから、呼ばれたとも思ってるけどね」
「………」
「彼らが行方不明になってからずっと霧雨が続いているそうだ」
それも、封印が解かれた影響と考えている。そんな口振りだった。
「あ、装備の対霊弾は俺の方で用意させてもらったよ」
「え? あ、はい。でも、私あまり銃は得意では……」
ならば何が得意なのかと問われたら、答えようもないのだが。
そんな真衣に少し考えるように首を傾げてフェイトが言った。
「これだけ守れば大丈夫だよ」

12時間前。フェイトと真衣は島へ上陸。砂浜にダイバースーツを脱ぎ捨て、まずは海岸線を歩きながら若者が乗ってきたというプレジャーボートを探す。

10時間前。ボートを発見。人影はない。フェイトがエンジンを破壊する。今は海が荒れているため島から出られないが、この先いつ天候が回復するとも限らない。封印を解かれた怪異の足止めをするためだ。もちろん、怪異が空を飛べるならあまり意味はないが、若者らが訪れてから既に2日が経過している。人間に恨みを抱いた呪詛の声、ヤツらが生んだ怪異がその恨みを晴らすため東京都心を目指す……ことをせず、この島に留まっている理由。

9時間半前。ボートから足取りを探るように内陸へ。緑多き島。雑木林のようになった茂みの中、折れた木の枝、足跡などを慎重に探し追跡を開始する。
「食料はどうしてるんでしょう?」
ボートにはそれらしいものは何もなかったが、持ち込んでいたとしてどれくらいの量があるのか。消息を絶ってから既に2日が経過しているのだ。
「急いだ方がいいだろうね」

9時間前。日没。
「………」
不審そうにその道程を振り返るフェイト。
「何か気になることでも?」
「いや、何でもないよ」

8時間半前。高台の慰霊碑へ。壊されたような跡がある。だが、怪異の存在は感じられず。
「ずっと雨も降ってるし、廃墟の方に行ってみようか」
この島で雨を凌ぐには半分倒壊しているとはいえ廃墟が適しているだろう。フェイトの提案で毒ガス工場の廃墟へ。

8時間前。廃墟の軒下でレインコートを脱ぎ人心地。怪しい気配がないことを確認して夕食代わりの携帯食料を水で喉の奥に流し込む。
その束の間が気の緩みを生んだのか。
「あ、ドアが開いています。あそこから入ったのかも」
真衣がドアの方へ。
「待てっ!?」
フェイトの制止に真衣が足を止めるまでの時間1.75秒。踏み出された足は濡れた苔の上で踏みとどまることが出来ず。
「はわわ~っ!?」
咄嗟にフェイトが受け止めようと手を伸ばしていたが、反射的に掴んだ彼の腕に真衣は自分の全体重を預けるようにして引き倒していた。
「す、すみませんっ!」
自分の上に半ば馬乗りにさせて真衣は更に慌てて後退った。
「あ! ダメだ!」
フェイトが止めようとしたが、真衣を追う、その行為はかえって逆効果となった。草むらに隠れるように張られたロープに引っかかる。
「ロープ? ……ひゃあっ!?」
「神無月!!」
真衣がひっかけたロープに連動していたのだろう網が彼女の頭上から降ってきて真衣を捕らえた。
「すみません~~っ」
網の向こうにいるフェイトに謝る真衣を、しかし既にフェイトは見ていない。彼が見ていたのは。
「………」
行方不明になっていた若者4人。彼らは真衣とフェイトを取り囲んでいた。
「海岸にこれ見よがしにスーツを置いてきたのは失敗だったかなあ……」
フェイトが困ったように頭を掻いた。

暗転。

3分前。深夜2時過ぎ。
「すみません、すみません、すみません~~っ!」
コンクリートで囲まれた地下室と思しき部屋、天窓の向こうには分厚い雲に覆われた夜の闇、明かり一つない中で両手両足を縛られたまま、ようやく意識を取り戻した真衣は、自分の失態を思い出して謝罪の言葉を繰り返した。
そんな真衣に、闇の向こうでフェイトは、この状況を大したことでもないという風に、かくて何の脈絡もなく語り出したのだった。
「多くの軍の特殊部隊では……」

▼▼▼

「発想の転換だよ。探す手間が省けたじゃないか」
真衣の声が完全に暗闇に吸い込まれるのを待ってフェイトがすっと立ち上がった。彼を拘束していたはずのロープはすっかり解けている。いや、彼だけではない。真衣のロープも、だ。
「………」
真衣は差し出された手の平を半ば呆然と見上げていた。
「よほど俺たちの事、侮ってくれたらしい。それにこの時間ならヤツらは就寝中だろう」
フェイトの姿を、暗闇に慣れた目がしっかりととらえる。
「さて、反撃の狼煙をあげるとしようか」
捕まった時に取り上げられたのか、サングラスをしていないフェイトが微笑むその手をとって真衣はようやく立ち上がった。そうだ、謝ってばかりでは何の解決にもならない。
しかし。
「彼らは一体……」
「悪霊に憑かれた、ってところだろうね」
厄介そうにフェイトは肩を竦めている。それから。
「まずはポーチを回収しないと」

かくて2人はその地下室を出た。鍵はかかっていない。かけようがない、というところだろう。見張りとは出会わなかった。いなかったのか、それとも避けて出たのか。別の力が働いたのか。真衣はただフェイトの後に従うだけだった。
「神無月のはたぶんヤツらが持ってるだろうね」
「………」
2人はそうして廃墟を出た。
「そこで待ってて。動いちゃダメだよ」
フェイトが釘を差す。そこは真衣がトラップにかかった場所だった。
真衣が大人しく待っているとフェイトは軽やかに飛び上がって窓の上の庇に手を伸ばし、反動でその上に上がった。
「よかった、気づかれてなくて」
真衣がトラップにかかった瞬間、反射的にフェイトは自分のウェストポーチをそこに投げあげていたらしい。
ポーチから拳銃を取り出すと弾倉を確認し真衣に差し出す。
「はい」
「い、いいんですか?」
それを受け取りながら真衣が尋ねた。
「うん。大丈夫」
フェイトはポーチから更にもう1丁、拳銃を取り出し掲げて見せた。2丁拳銃を操るエージェント。
フェイトがサングラスをかける。スペアを持っているかと思ったが、実はそうではなかったと真衣が知るのはずっと後のことだ。とにもかくにも、それだけで真衣は背筋がピンと伸びるような気がした。
「行こう」
彼らが寝ているとしたら、居住エリアは倒壊しているため、毒ガス工場の研究室奥にある仮眠室だろうと思われた。廃墟内部の見取り図は頭に入っている。ただ、瓦礫などで行き止まりの箇所も多い。どうしても迂回する必要がある。
研究施設に併設された試験場へ。一部のコンクリートは風化し、ところどころ雑草や苔が顔を出していた。
制御室のおそらくかつてはガラス張りになっていたであろう大きな窓枠の向こうに視えたものに、真衣は反射的に右手で口を覆った。胃液をぶちまけたい気分だ。
そこには自爆霊のような亡霊たちが犇めき毒ガスに悶え苦しみのたうち回りながら断末魔の声をあげていた。それ光景が何度も何度も繰り返される。
そして縋るように真衣に手を伸ばすのだ。
「こんな…子供まで……」
『オネエチャン…タスケテ…』
「!?」
その声に捕らえられたみたいに体が動かなくなった。
『タスケテ…』
真衣に抱きつくようにして子供の霊は口の端を歪めて嗤う。
「あっ……」
刹那、サイレンサーで押さえられた銃声は風を切るような音だけを残して子供の霊を消し去った。
「天に還してあげないとね」
銃口の向こう側サングラスで感情を隠すようにして彼が淡々とそう言った。
「はい。すみませんっ!」
真衣は動く体を確認して一つ息を吐き出すと銃を構えたのだった。

結論からいえば、真衣は殆ど撃てなかった。苦手意識が先行していることもある。悶え苦しむ姿の彼らに同情してしまったというのもある。フェイトに助けられながら、それでも何とか試験場の亡霊をほぼ消し終えた頃、1人の若者が亡霊に追われ、這うようにしてこちらへ駆けてきた。
「たっ、助けてくれ!」
それは4人の若者の内の1人だった。緑色のつなぎを着た気弱そうな青年だ。助けなきゃという意識がようやく真衣を動かしたのか、彼を追う亡霊を撃ちながら駆け寄った真衣をフェイトが制止する。
「待って! 彼は俺が助けるよ」
若者と真衣の間に入るようにしてフェイトはそう言うと顎をしゃくって真衣を促した。
「神無月は他の者達を」
「え?」
真衣が驚いたようにフェイトを見返す。
「大丈夫。バックアップするから」
フェイトはイヤフォンマイクを真衣に投げた。真衣はそれを装着して応える。
「わかりました」
この場所の霊の殲滅はほぼ完了している。腑に落ちないわけではない。だが全幅の信頼をおいているフェイトの指示だ。何か意図があるのだろう。真衣は促されるままに廊下を駆け抜けた。
「女の子一人で行かせるなんて……」
若者が真衣の消えた廊下を見やりながら呟く。
「彼女なら大丈夫だよ」
若者の後頭部に銃口をつきつけてフェイトが応えた。
「あらら、バレてたのか」

『そのまま行け』
1人で任務を遂行できるのかという不安がチラついた。だがイヤフォンからフェイトの声が聞こえてくる。それだけで、大丈夫と言われているようで、瞬く間に安堵が全身を包み込んだ。自分はやれる。大丈夫。
彼の言う通りにうろつく霊を天に還えしながら更に進む。
研究室の扉はこの向こう。
『止まれ!』
彼の声に足を止めた。彼の言葉にその扉の前に立つ。扉を開いたらすぐに廊下側の壁に背をつけろ、という彼の指示を確認するように心の中で繰り返してドアノブを握った。
指示通りに背をつけて息を潜めて次の指示を待つ。
霊感はあるほうだ。窓からの月明かりがなくともはっきりとわかる。その存在たちを。

「どうしてわかった?」
振り返りざま、若者が放った何かに反射的にフェイトは飛び退いた。
「立ち入り禁止区域に悪のりして入る事はあるだろう。どうせ、そういうのに興味のありそうな連中を誑かしたんだろうし」
答えながらフェイトは左手を耳元にやって何かを呟いた。そして続ける。
「だけど、ここは地図にない島だ。にもかかわらずボートからまっすぐ慰霊碑に向かっていた。誰かが手引きしたんだろうな、と思ったよ」
若者の広げられた両手の平にピンポン玉ほどの黒い玉がいくつもぽこぽこと沸き上がった。
「それは失敗だったな。もう少し島を散策しておくんだった」
若者が嗤う。
「あいつらも慰霊碑を見つけたときは大はしゃぎでね、俺が何かする前に勝手に壊してくれたよ。その件に関しちゃ、ある意味予定外の不可抗力だったわけだが」
肩を竦めてみせた。
「……正面。2時。それから3歩進んで3時」
「何の話をしている?」
フェイトの呟きに若者は眉を顰めて手を振った。手の平の黒い玉がフェイトを襲う。
「さて、ね」
フェイトは銃でその玉を撃ち落としながら、その合間を抜けるようにして距離をとった。
「ああ、そうそう。それとね。封印が解かれたにしてはあまりに静かすぎるな、と思ったんだ」
「ほお…なるほど」

銃を撃つとき、これだけは守ること。
真衣はフェイトに言われた事を一つ一つ確認するように繰り返した。
前傾姿勢をとり、銃は両手で支え、下から上へ構える。
時間に余裕のない時はフロントサイトだけで照準を合わせる。
必ずダブルタップ。対霊弾は掠るだけでも効果があるが、より確実性を高めるため。
そして、一番重要なこと。
撃つ前に4つ数える。
「1(吐いて)…2(吸って)…3(小さく吐いて)…4(息を止める)…」
真衣は静かに銃を構えた。正面、黒い影に向けて2回撃ちこみ反動を上へ逃がすようにして8の字に腕を回すと再び下から上へ、2時の方向へダブルタップ。そのまま3歩前へ歩いて3時の方向へ2発。
そこで身をかがめ闇に溶け込みようにして人心地吐いた。
「出来た……」

怪異を呼び込む数多の霊があまりにも静かだった。もっといていいはずの亡霊が少ない。それは、巨大な悪意となってひとかたまりになっているのか、或いは誰かがそれらを従属させているのか、また或いは……。
「6時と9時に1発づつ」
フェイトの小さな呟き。それが何を意味しているのか理解して、若者は怒りを露わにする。
「こんな屈辱は初めてだっ!」
ピンポン玉サイズだったそれがテニスボールほどに膨らんで、再びフェイトに向けて放たれる。
「!?」
銃で撃ち落としながら若者の背後へ回り込もうと試みるが、数と爆ぜる大きさに行く手を阻まれ、増殖のスピードに間に合わず……被弾。衝撃に吹っ飛ばされ床を滑り壁にあたってようやく止まる。
「げほっ……」
腹を押さえながら咳こんだ。
落ちたサングラスを踏み砕いて若者はフェイトを見下ろしている。
「人はマルチ・タスクを使うとパフォーマンスが8割も下がるそうじゃないか」
だが、その呼びかけにフェイトは答えない。
「その対霊弾は人を傷つけることはない。撃て!」
「この期に及んでまだ俺を無視するのか!!」
怒りに任せて若者がフェイトを蹴り上げる。
「悪いね。バックアップする約束だから」
「舐めた真似を!!」

研究室の敵、オールクリア。奥の部屋へ。
仮眠室には2段ベッドが2つ並んでいた。
ベッドに眠る若者たちに銃を向ける。生身の人間を撃ってもいいのか。
その逡巡に気づいたようにフェイトの声が届いた。
『その対霊弾は人を傷つけることはない。撃て』
息を吐く。大丈夫。彼を信じる。
4つ数えて呼吸を整え真衣は引き金を引いた。
「うっあっ!!」
呻き声と共に、彼らに憑いていたと思しき黒い影が宙に消える。
1人、2人……。
『伏せろ! 神無月!!』
その声に反射的に伏せた。銃声に顔だけをあげる。
赤いパーカーの若者が真衣に銃口を向けて立っていた。いつの間に目を覚ましたのか。真衣は転がるようにして膝をつくと勢いそのままに立ち上がる。
自らも銃を構えて。
「彼から、退いてもらえませんか?」

踏みつけようとした若者の攻撃を、フェイトは転がるようにして避けると銃を撃ち牽制する。
「実はスーパータスカーなんだ」
嘯いて立ち上がった。生まれた時からテレパシー能力を持っていた。流れ込んでくる他人の感情を最初は受け止めきれなかったが、いつの間にか無意識下で取捨択一出きるようになっていた。常に同時処理を強いられる環境にあったが故のマルチタスク。とはいえ、万能ではない。たとえばテレパシーとサイコキネシスを同時に使うには脳の負担が大きすぎるように。
指示はイヤフォンマイクで行っているが、テレパスによって敵の思念を関知しその位置を把握しながら真衣を誘導しているのだ。
「それに……」
切り札は多い方がいいだろう? 自嘲気味に内心で問いかけてフェイトは銃を構える。
と、若者がふと怒りを収めて尋ねた。
「ところで、銃の弾は後何発残っている?」
「!?」
その言葉に引き金を引いて困ったようにフェイトは苦笑いを返した。
「……さっきので終わりだったみたいだね」
もしかして、わざと怒ったフリをして撃たせていたということか。

『オマエラ ハ 俺タ……シタ…許…サナ…』
地獄の底から響いていくるような声がした。若者に憑いた悪霊のものか。その声に集うように若者に黒い影が次から次へと集まっていく。
その声を全部は聞き取れなかったが、その思いは読みとれなくもなくて真衣は静かに言った。
「……復讐の相手はこの世界のもうどこにもいません。還えるべき場所に還って恨み言はそこで吐き出してください」
銃口つきつける若者に銃を構える。
彼が引き金を引くのを待ちながら。若者の中で膨れ上がる亡霊たちの憎悪と殺意。この島中の全ての魂を取り込んでくれるのを待つようにして。真衣はゆっくりと照準を合わせた。
彼が持っている銃は真衣から取り上げたもの。だとするなら、あの銃に入っている弾は……怯むべくもない。
彼が引き金を引いた。
「はうわっ!?」
変な声が漏れる。腹に突き刺さる予想外の痛み。それでも、衝撃吸収剤で作られた対霊弾は生身の人間を傷つけるまでには至らない。BB弾よりちょっと痛い程度と自分に言い聞かせ。両足に力を入れて真衣はしっかりと床を踏みしめる。
倒れない真衣に何発も撃ち込んでくる若者を見据えながら、真衣はゆっくり4つ数えた。
引き金を引く。
『!?』
彼から滲み出るように揺らいでいた黒い陰が霧散し、若者は糸が切れたマリオネットのようにそのまま倒れた。
「大丈夫ですか?」
駆け寄って声をかける。脈をとり、呼吸を確認し安堵の息を吐いた。
他の2人も同様に確認をとり終えた頃、若者の1人が意識を取り戻した。
「ここは?」
まるで記憶を反芻するように。
「もう、大丈夫ですよ」
真衣が微笑んだ。

フェイトは持っていた銃を諦めたように投げ出した。いつも持っている2丁拳銃。その1つは今、真衣に貸しだし中だ。
隙だらけのファイティングポーズ。
「なんだそのへっぴり腰は」
「こう見えて格闘だって一通り出来るんだぜ」
虚勢を張ってみせる。
「俺を見破ったところは誉めてやるが、あっさり罠にハマったりIO2も随分落ちたものだな」
「うるさいっ!」
フェイトは勢いよく頭からつっこんだ。まるで素人の喧嘩のように。
「っっ!?」
足をとられ滑ってつんのめる。
若者は余裕でフェイトを捉えようと右足を上げ転がってきたフェイトの背を踏みつけようとした。
だが、それより早くフェイトの手に握られていたナイフが若者の左ふくらはぎに突き刺さる。
フェイトは両手の平をパンと合わせた。
「臨・兵・闘・者・皆・陳……」
若者が左太ももを切断し飛び上がる。
「なんて無茶を……」
「弾を撃ち尽くしたところまで計算かっ!? 今日のところは痛み分けにしてやる、IO2。だが、次はこうはいかん」
そう言葉を残して窓の外へ飛び去った。
「トカゲかー!」
思わず叫んで小さくため息。
「まいったな……初見殺しなのに。次は使えないじゃんか」
それに、彼の目的を聞き損ねてしまった、と頭を掻く。IO2に恨みがあるのか。IO2を誘き出すことが目的だったのか?
とりあえず、既に戦闘は終わっている研究室に向けて足を運ぶと、ちょうど真衣が部屋から出てきた。
「フェイトさん! あれ? 彼は?」
「黒幕、逃がしちゃった」
「え? 逃がす?」
「まぁ、マーカー付けといたからその内捕まるんじゃないかな?」
「………」
「お疲れさま。帰りのヘリ頼んでくるから、彼らを外に誘導しておいて」
「あ、はい」
そうして廃墟の外へ向かいかけ、思い出したようにフェイトは足を止めた。
「そういえば、神無月はさ、銃の扱いが苦手なんじゃなくて、場数が足りないだけだと思うよ」
「え?」
「度胸は満点だった」
フェイトのサムズアップに真衣は面食らう。それからその意味を理解して顔に血がのぼるのを感じた。もしかして褒められた?
「……は、はいっ! ありがとうございまっ…はわわ~!!」
気持ちが舞い上がってしまったのか、平常運転だったのか、敷居に足をとられてバランスを崩す。
「おっ、と」
尻餅をつきかけた真衣をフェイトが咄嗟に手を伸ばして抱きとめた。
「す、すみません~~っ!!」

窓の外。
いつの間にか雨はやみ雲は晴れていた。もうすぐ水平線の向こうから朝日が顔を出すのだろう。

■■END■■

カテゴリー: 02フェイト, 斎藤晃WR, 神無月真衣 |

闇の中

これまで何人もの対象者たちを葬ってきた。それが任務だからだ。
 元は人間だった彼らは、魔瘴に侵され、又は己の持つ力に溺れ魔物になった者たち。そうなってしまった以上、葬り去るしか無い。
 フェイトは時々思う。彼らと自分の一体何が違うんだ、と。
 特別な力を使い、化け物を葬っている。
 人間といえるだろうか。まるで化け物じゃないか。
 それでも、戦い続けるしかない。
 感傷なんてとっくの昔に忘れてきた。何も感じない。実際には何も感じていないふりかもしれない。
 しかし、そうするしかない。立ち止まることは出来ない。
 生きていくためには、そうするしかないのだ。

 路地裏に追い詰められた異形の生物は、大きな目でフェイトを睨んでいる。
 耳元まで避けたように大きな口から覗く歯が、ギラギラと尖っている。手足の長い、蜘蛛のような女だった。
 フェイトは両手に構えた拳銃の引き金を引いた。
 女は両手両足をくの字に曲げ、飛び上がる。建物の壁を蹴り、素早い動きで銃弾をかわす。
 フェイトは素早く右手の拳銃をホルスターにしまうと、女に向けてその手の平をかざした。周りの空気を圧縮したような波動が女めがけて放たれる。宙を飛び回っていた女に命中し、女は地面に落ちた。
 フェイトは近づきながら、左手に持っていた銃を右手に持ち替える。そしてうずくまっている女の前で足を止めると、銃口を向けた。
 その時。
 突然女の腕がフェイトに伸びてきた。
「……っ!」
 首を掴まれ、そのまま壁に押し付けられた。背中を打ち、一瞬フェイトの息が詰まった。
 女の爪がギリギリとフェイトの首に食い込む。ぎょろりと大きな目。女は大きな口を開き、言葉を発した。
「私のことを化け物だと思っているのだろう?お前は化け物退治をしに来た勇敢な人間様のつもりか?普通の人間にはない力を使うくせに」
 首を掴まれたまま持ち上げられ、フェイトの足が地面から離れた。フェイトの首からは鮮血が滴っている。女はさらに強くフェイトの首を締め上げた。
「お前だって化け物だろう」
 大きな目で、恨みがましくフェイトを睨んでいる。
「……っ」
 フェイトは拳銃を女の腹部に押し付けた。銃弾が発射されるとほぼ同時に女は素早くフェイトから離れ、身をひるがえして弾を避けた。しかしフェイトは両手に銃を持つと、立て続けに弾を打ち込む。何発か命中し、女は再び地面に落ちた。
 かなりダメージを受けている女は、荒い息を付き、恐ろしい形相でフェイトを睨みつけている。ずるりと長い腕を持ち上げると、フェイトに向けて手の平を構えた。衝撃波を放つつもりらしい。
 まともに食らう訳にはいかない。フェイトが避けようとした時、視界の端に黒い影が見えた。
 フェイトは避けるのをやめ、頭を低くして両腕で庇うようにした。
「ぐ……っ!」
 フェイトは女が放った衝撃波をもろに食らい、吹き飛ばされた。フェイトの身体は壁に叩きつけられ、どさりと倒れた。

 化け物だろう。
 女の言葉が耳に残っている。
 そうなのだろうか。俺は。俺は。
「……そんなの、分かっている」
 今更だと思いながら、時々思う。
 自分はまだ、人間でいられているのだろうか。
 いつまでこんな堂々巡りを繰り返すのだろう。
 考えたって仕方がない。
 自分に出来ること、やるべき事をやるしか無いんだ。
 任務の対象者となった化け物たちは、葬り去るしかない。
 終わらせてやることが唯一の救いなんだ。

「……お前の苦しみを終わらせてやるよ」
 フェイトは身体を起こした。額から流れる血が黒髪を濡らして、頬を伝う。体中が痛い。どこが痛いのかもう考えたくない。フェイトは自らの血に濡れた手で、拳銃を拾った。
「今楽にしてやる」
 女に銃口を向ける。引き金を引いた。乾いた銃声が響く。念を銃弾に込めた対霊弾が、女の額を撃ち抜いた。それでおしまいだった。

 フェイトはふらふらと壁に向かって歩き出す。そして、ポリバケツと壁の隙間に身を隠していた生き物に声をかけた。
「大丈夫か?」
 屈みこんだフェイトを黒猫が見上げていた。緑色の目で、じっとフェイトを見つめている。
 衝撃波を受ける前に視界の端に映った黒い影。背後に黒猫がいたため、フェイトは攻撃を避けなかった。
 フェイトが手を伸ばすと、黒猫はフンフンと匂いをかぐような仕草をして、それから額をすり寄せた。
「今度からは気を付けろよ」
 フェイトはそう言って、指で黒猫の額をなでてやった。
 フェイトが立ち上がると、黒猫が身体をすり寄せてきた。長いしっぽがゆらゆらと揺れている。
 そんな猫を見下ろしていると少しだけ名残惜しい気もしたが、フェイトはもう行かなければいけない。黒猫を少しだけ撫でて、フェイトは歩き出した。
「またな」
 フェイトが言うと、まるで答えるように、黒猫がニャアと鳴いた。

カテゴリー: 02フェイト, 四谷たにしWR |

雨の夜の話

ドアを開けると、上部に取り付けられたベルがカランカラン、と鳴った。
 店仕舞いをしていたBAR【回帰線】のマスター藤堂・裕也はドアを少しだけ開けて、外の様子を眺めていた。少し前から降りだした大粒の雨は、勢力を保ったままざあざあと降り続いている。通りのアスファルトが黒く濡れ、街灯を反射して光っていた。
 ふと、店の軒先に人が立っているのに気付いた。黒ずくめの服装をした、細身の青年だ。いつからいたのだろう。俯いていて表情は伺えないが、雨に濡れているようだった。
「こんばんは」
 藤堂はなるべく驚かせないよう、そっと声をかけた。青年は顔を上げて、藤堂を見た。
「すみません。勝手に、軒先をお借りして」
 青年は礼儀正しく頭を下げた。
「店先に立たれるのも気になるから、中へ入らないか。タオルくらい貸してやるよ」
 藤堂のぶっきらぼうながら優しい言葉に、青年は遠慮がちに笑った。
「ありがとうございます。でも大丈夫です。雨が止んだら立ち去りますから」
 そう言って笑っている青年の笑顔は優しげだが、影があるのが気になった。何かを諦めて受け入れているような、そんな笑い方だった。藤堂は何となく、その青年をそのままにしておく気になれなかった。
「もう店は閉めるんだが、実はうちの裏メニューのナポリタンの材料が一人分残っててな。あんた……使い切るのを手伝ってくれないか」
 青年は一瞬面食らったような顔をして藤堂を見た。それから、笑った。

 フェイトは【回帰線】の店内で、藤堂が貸してくれたタオルで濡れた頭を拭いた。体も軽く拭いたが、水気を含んだ服で椅子に座るのは抵抗がある。汚してしまうな……。
 カウンターの奥から藤堂が出て来て、テーブルの上にマグカップを置いた。
「これ飲んで座って待っててくれ」
 フェイトは、ゆらゆらと湯気が上がっているカップの中身を見つめていた。
「別に、子供扱いしているわけじゃないぞ。期限が切れそうだったんでな。これも、無くすのを手伝って欲しい。もしかして、ミルクは苦手かな」
「いいえ」
 フェイトは首を横に振る。
「いただきます」
「少しブランデーを足した方がいいかな」
「いいえ」
 フェイトはすぐに首を横に振った。藤堂はふっと笑って再びカウンターの奥へと姿を消した。
 フェイトはカウンター席の椅子に腰掛けた。そこでようやく、自分の体が疲労していた事に気付いた。短く息をつく。
 せっかく出してくれたのだから温かいうちに、とカップに口をつけた。ホットミルクなんて、前に飲んだのはいつの事だったろう。思い出せない。
 フェイトは店内を見回した。落ち着いた雰囲気の内装で、掃除が行き届いている。床もテーブルの足もつやつやに磨かれている。カウンターの棚には酒のボトルが並んでいるのが見える。普段は音楽を流しているのかもしれないが、今は店の奥から藤堂が作業する音が聞こえるくらいだ。
 フェイトは何だかおかしくなって、笑いそうになった。何をやっているんだろう。こんな風に温かいミルクを飲みながら、誰かが作る手料理を待っているなんて。
 しばらくして、トレイを持った藤堂が現れた。
「お待ちどうさま」
 藤堂はフェイトの前にナポリタンが乗った皿を置いた。
「いただきます」
 フェイトが言うと、冷めないうちに食いな、と藤堂のぶっきらぼうな声。まだ店仕舞いの途中だったようで、カウンターの内側で何か作業している。
 藤堂が作ってくれたのは、昔ながらのナポリタンという感じだった。具材はベーコンと玉ねぎとピーマン、炒めたケチャップとウスターソースの匂い。
 ひとくち食べたフェイトが無言でナポリタンを見つめているので、藤堂は声をかける。
「口に合わなかったか」
「いえ」
 フェイトは首を横に振る。
「美味しいです。すごく」
 フェイトは藤堂が出してくれた粉チーズを手に取る。少しかけてから、再び食べ始めた。ざらざらした粉チーズは、熱々のケチャップにとても良く合う。
 黙々と食べているフェイトを時折気にしながら、藤堂は片付けを続けている。
「こちらのお店は長いんですか?」
 フェイトはそう言ってから、
「すみません。この辺りはよく知らなくて」
「それほど長くはないよ。もともとは税理士事務所をやってたんだが、そこを辞めてからだからな」
「そうなんですか」
「平たく言えばどちらも客商売だな。まあ、人嫌いではないつもりだが」
「そうだと思います」
 フェイトが笑った。
「人嫌いだったら、俺みたいなのを店に入れたりしないと思います」
「なるほど。もっともだ」
 藤堂は頷いた。
「この辺りに猫がいたんだけどな」
「野良猫ですか」
「おそらくね。残り物をわけてやったりしていたんだが、他にもエサ場があるらしくて、たまに現れては、またしばらく姿を見せなくなるという繰り返しだよ。最近も姿を見なくなった。黒猫で、緑色の目をしていて」
 少しあんたに似ている、と言おうとして藤堂は言葉を切った。失礼だろうかと思ったのだ。
 フェイトは藤堂を見つめていたが、言葉が途切れたので、自分が口を開いた。
「それは寂しいですね」
「寂しくはないよ」
 藤堂は言う。
「基本的に、俺は去る者追わずなんだ。気が向いてまた来たくなったら、いつでも帰ってくればいい」
 あんたもそうすればいいと、言われたような気がした。藤堂は言葉にはしなかったが、フェイトは何となくそんな気がした。
 不思議だ。初めて来た場所なのに懐かしいような気がする。藤堂だって初めて会う人なのに、話していて落ち着く。
 名前を聞かれたら適当に偽名で答えつもりだったが、藤堂はフェイトに名を尋ねなかった。フェイトも尋ねなかった。藤堂は踏み込むことも、突き放すこともしない。
 ただ全てを受け入れ、包み込むような人柄を感じた。雨から逃れて逃げ込んだ軒先みたいに。
「ごちそうさまでした」
 フェイトは頭を下げた。
「すごく美味しかったです。俺の人生の中で後にも先にも、これ以上美味しいナポリタンはありません」
「若いのにそんなこと言うなよ。これからもっと美味い店にいくらでも出会えるさ」
 藤堂が笑ったので、フェイトもつられて笑う。
 雨は止んでいた。藤堂が外に見送りに出てくれた。雨上がりの冷たい夜風が心地よかった。
「じゃあ、また来ます」
 フェイトが言うと、
「たまたま材料が余ってたら、また片付けるのを手伝ってくれ」
「今度はちゃんと、営業中に来ます」
 フェイトは笑って、【回帰線】を後にした。

 雨雲が姿を消し、星が出ていた。先ほどまで雲に隠れていた月も姿を現し、水たまりに写っている。
 フェイトはふと、街灯の明かりの届かない暗闇に生き物の気配を感じた。近くを通る時に黒猫が見えたので足を止めた。猫はフェイトに警戒しているようだ。体勢を低くして、長いしっぽは身体にぴったりとつけ、じっとフェイトを見つめている。緑色の目で。
「回帰線に行くのか」
 フェイトが声をかける。黒猫はじっとフェイトを見ている。
「マスターによろしく」
 フェイトは笑いながらそう言うと、再び前を向いて歩き出した。

カテゴリー: 02フェイト, 四谷たにしWR |