沈黙が見つめていたモノ

フェイトは、静かに目を閉じた。
 遠く、街の喧騒が聞こえてくる。
 …が、この先に喧騒はないだろう。
「かつての幸せ、か」
 ぽつり、と零して、サングラスを外した。
 目の前にあるのは、かつて幸せな時間を見ていたであろう廃墟。
 IO2の捜査官として、この廃墟と化した家屋への踏み込む為だ。
 この家屋はかつて幸せな家族が暮らしていたそうだが、凶悪な強盗犯が逃げ込み、一家を殺害した記憶があるのか、この廃墟に肝試しで踏み込んだ高校生達が帰ってこないらしい。
 当初警察への通報だった為、警察官が向かったようだが、やはり帰ってこない。
 悲鳴のようなものを聞いたという通行人の証言もあり、こちらへ案件が回ってきた。
 フェイトはまず、捜査、必要であれば逮捕または排除。
 強さや数…諸々の要素で危険が無視出来ないものであれば、バスターズの出動を要請する所だが、まずは真偽を確かめる必要がある。
 この廃墟は、何を見てきているのだろうか。
 かつての幸せ、今は───
「終わらせる。……見たい訳じゃないよね?」
 廃墟に語りかけるように呟き、フェイトはサングラスを掛けた。
 終わらせる為の一歩を踏み出し、廃墟へと踏み込む。
 かつて幸せな時間を見続けたというその言葉を思い出し、過去の自分が過ぎる。

 『あんた』達には、そこの俺はどう映っていたかな?

 返答がある筈もない問いに小さく微笑んだ後、落ち着いた眼差しで前を見据える。
 仕事の、時間だ。

 廃屋は、経緯が経緯であった為か、夜逃げ同然のように家具がそのままに配置されていた。
 だが、夜逃げではないというのはカーペットに残る血痕の痕跡が証明している。
 灯りのない廃墟、部屋が幾つかある家屋……足を踏み入れ、確認するように見て回っていく。
「腐臭……」
 フェイトは、家屋に篭る臭いに気づく。
 恐らく、かつての高校生、かつての警察官だろう。
 より神経を研ぎ澄ませれば、僅かにだが足音がする。
 気づかれているかどうかはまだ分からないが、腐臭が濃い。
(近い)
 判断したフェイトはリビングだった部屋に入り、ソファの陰へ移動した。
 ひたり、ひたり。
 足音は、2人分。
 情報では、高校生は3人、警察官は2人。
 全員生きていないだろうが、まだ一部だろう。
(それに、彼らがそうなった原因)
 悲劇が起こった場所であろうと突如として生身の人間が人間でなくなることはない。
 殺された後、この場所の無念がそうされることはあるかもしれないが(これも推測の域で実際にどのような形でかつての人間が変貌するかは誰にも断言出来ない)、彼らを殺した存在がある。
 それが、大元だろう。
(まずは、彼らをどうにかしないと)
 フェイトは部屋に入ってきたかつての警察官、最早ゾンビになった2人の男性へ、サイコキネシスで操った置時計を叩きつけた。
 部屋に絶叫が轟き、ゾンビとなった彼らは呻きながらフェイトへ向かってくる。
 最終的な人数を考慮すれば、早期に数を減らすことが望ましい。
 フェイトは頭の中で自分の行動を組み立て、警察官の側面へテレポートした。
 ゾンビが対応するよりも早く、首筋目掛けて蹴りを叩き込む。
 既に人ではないゾンビがこれで終わる訳がなく、折れた首そのままにフェイトへ手を伸ばそうとするが、フェイトはバックステップでこれを避ける。
 もう1体のゾンビも生前の知性すらなく、咆哮と共にフェイトへ襲い掛かってくるが、積み重ねた経験はこのようなことで動揺したりはしない。
 首が曲がるゾンビの足を払って体勢を崩させると、後方に迫ってくるゾンビを巻き添えにするように蹴りで吹き飛ばす。
 『大元』がまだ判明していない以上、拳銃の無駄遣いは危険だ。
 フェイトはテーブルの上に置いてあったガラスの灰皿をサイコキネシスで操作すると、首が曲がっているゾンビへ勢い良く叩きつけた。
 顔面も潰されたゾンビが沈黙し、下敷きになっていたゾンビが這い出て、フェイトへ向かってくる。
 瞬間、フェイトは咄嗟に横へ飛んでいた。
 部屋に残る3人の高校生だったゾンビが現れたからだ。
「音がすれば来るよね」
 ここに侵入してきたのなら、遅かれ早かれやってきただろう。
 そのことに驚きはしない。
『どうして、虐めるの?』
 新たなゾンビ達の背後に、幼い女の子が立っていた。
 その姿は透けていて、彼女も人ではないことが分かる。
 いや、かつてここで幸せな時間を過ごしていたのだろう。
 殺された無念でこの女の子が構成されているなら、このままにしておく訳にはいかない。
(バスターズを呼ぶ時間はない、けど……!)
 数で言えば不利だ。
 だが、高校卒業した後、フェイトは遊んでいた訳ではない。
 アメリカでIO2の研修を4年受け、能力を鍛え上げた。
 誰かを助ける為のもの、そう言い聞かせて今の日々を選んだ。
「……誰かがもう虐められない為に、俺は来たんだよ」
 自分とは違う幸せな日々を過ごしたであろう女の子。
 最期に何を思ったかは分からない。
 何も感じない訳ではないが、今生きている誰かの為に───
 取り囲もうと襲い掛かってくるゾンビ達から距離を取るように後退し、自分へ向かってくるタイミングを調整するとフェイトは2丁の拳銃を構える。
 フルオートで放たれる銃弾は、フェイトが己の念を込めた『対霊弾』‥‥ゾンビ達は的確に貫かれて絶叫を上げた。
 こんな方法でしか解放出来ないが、こんな形でも解放出来るように。
 彼らが帰るべき場所に帰ることが出来るよう願いを込め、確実に終わるよう。
 それが、倒れるゾンビに悲鳴を上げる女の子の論理でなかったとしても、だ。
『わたしの友達を、虐めないでッ!!』
 倒れるゾンビを見て起こした癇癪は、そのまま強力な攻撃となった。
 まるで衝撃波のような波動がフェイトに叩きつけられ、フェイトのスーツに切れ目が走る。
 もう、幸せな女の子はどこにもいない。
 ここにいるのは、もう───
「あんたはもう、ここにいては駄目なんだ。友達は、あげられない」
 口にしたのは、相手が小さな女の子というせめてもの優しさか。
 殺された無念で自身が既に害なす存在であることも気づかない悪霊へフェイトはその名の通り、迎えるべき『運命』を与えた。

「……終わったね」
 暗い静寂の中、フェイトは深く溜息を吐いた。
 ふと、置時計があった棚の上にくまのヌイグルミがあることに気づく。
 赤いリボンでおめかしされたくまのヌイグルミは、随分愛着を持たれていたであろうと分かる。
「あんたも、見てたんだね」
 小さく呟くと、くまのヌイグルミの埃を払った。
 あの小さな女の子がそうしていたように抱えると、窓辺に座らせる。
「よく、頑張ったね」
 返ってくる答えは、ない。
 けれど、フェイトにはこの家と共に悲劇を見てきたくまのヌイグルミがあの子を想って泣いているように見えた。
 それが、かつての日々をまた思い出させる。
 何も言わずに自分を見ていたであろうモノ達を。

 あの時、こういう風に俺を見ていたかもしれないね。
 今の俺は、安心出来るかな?

 そんな感傷が過ぎり、窓の向こうに視線をやる。
 窓の向こうの世界は、この静寂とは無縁の喧騒に包まれていた。

カテゴリー: 02フェイト, 真名木風由WR |

Route1+α・実験の対価は実験で

 降り注ぐ日差しが厳しい午後。
 フェイトは閑静な住宅街を、黒のスーツに身を包みながら歩いていた。
「……懐かしいな」
 そう零す彼の瞳がサングラスの向こうで細められる。それを意識してかしないでか、人差し指でグラスを押し上げると彼の唇が引き結ばれた。

――あたしの実験体になれ。そうすれば昔の事は黙っていてやろう。

 先日出会った「蜂須賀・菜々美」と言う女性はそう言うと、何事もなかったかのように姿を消した。
 昔のフェイトを知り、昔の葎子を知る彼女の目的は何なのか。それを思うと正直良い気はしない。
 フェイトは見えてきた店に息を吐き、足を止めた。
 執事&メイド喫茶「りあ☆こい」の文字に目が向かう。5年経っても店名は愚か佇まいも変わっていないその様子にモヤモヤとした感覚が蘇る。
 それを押し留めるように首を横に振ると、フェイトは止めていた足を動かした。
「お帰りなさいませ、ご主人さま♪」
 カランッ。
 開け放った店内から元気な声が響く。それに目を向けた瞬間、フェイトの目が見開かれた。
「あれ、フェイトさん? 何でここに……」
 水色の髪をツインテールに結ったメイドが首を傾げる。その姿は紛れもない――葎子だ。
「私、バイト先は教えてなかったような?」
 先日再会して以降、何度か顔を合せる事はあった。その度に言葉を交わし、互いに近くなっていたのだが、踏み込んだ話はしていなかったのだ。
 それなのに何故? もしかして偶然?
 そう瞳を輝かせる葎子だったが、その想いは聞こえて来た声に容易く崩された。
「あたしが呼んだんだよ」
 振り返った先に居たのは黒のメイド服に身を包む菜々美だ。彼女は「ふふん」と口角を上げると、菜々美とフェイトを交互に見て面白そうに目を細める。
 そして葎子に何事かを話しかけるとフェイトの前に立った。
「良く逃げずに来たな、ご主人様」
 クッと笑う彼女に息を吐く。
 初めて会った時も思ったが、何故にこうも挑発的なのか。それでも思ったことを表情に出す事なく頷くと、フェイトは礼儀と言わんばかりにサングラスを外した。
「約束は守る性質なんで」
「それは良い心がけだ。命がいくつあっても足りなさそうだが、嫌いではないぞ」
 菜々美はそう言うと、顎でフェイトを席に促した。その姿に葎子が心配そうに視線を注ぐが仕方ない。
 フェイトは葎子に軽く会釈を向けると、菜々美と共に席へ移動した。

   ***

「菜々美は何年経っても変わらないな。それが魅力でもあり、彼女の危うさでもある」
 そう言葉を零すのは、喫茶店の奥に腰を据える人物だ。
 男とも女ともつかない容姿の人物は、組んでいた足を解くと、心配そうに部屋を訪れた葎子に目を向けた。
「菜々美に何か言われたのか?」
 楽しげに、それでもどこか心配するように問われた声に葎子が頷く。
「……心配するな、時が来れば全てが巧く納まる。そう言ってました」
「ほう」
 菜々美は葎子にいくつかの言葉を投げた。その1つが彼女の今言った言葉だ。
 その真意は定かではないが、言葉を吟味するこの人物には意味がわかっているのだろう。 「なるほど」と零すと、傍に置かれたカップに手を伸ばした。
「オーナー……私はどうすれば……」
「君は因果を断ちきっている。いわば自由の存在だ。君は君が思うままに動けば良い」
 オーナーと呼ばれた人物はそう言うと葎子に微笑んで見せた。

   ***

 暑い日差しも夕方になると姿を隠し、涼しい風が駆け抜ける。フェイトはそんな中を、仕事上がりの菜々美と共に歩いていた。
 2人が向かうのは菜々美がよく行っていると言う神社だ。
「少し術を施す、待っていろ」
 菜々美はそう言うや否や、神社の鳥居に向かって銃口を向けた。その姿に一瞬目を見張るものの、次いで感じた気配に「なるほど」と目が動く。
「人避けの結界か」
 菜々美が銃を放った瞬間、辺りが神聖な空気に包まれた。それは紛れもない結界だ。
 きっと菜々美の銃には目に見えない術が保護こされているのだろう。それこそフェイトが持つ銃と同等の――いや、それ以上の銃である筈だ。
「実験はその銃でするのか?」
 先の闘いを思い出してもそうとしか思えない。
 そしてその言葉を肯定するように、彼女は銃に納まる弾を入れ替え始めた。
「お前にはあたしの弾を受け、それに関する感想を述べて貰う。簡単だろう?」
 そう首を傾げる彼女に一瞬だけ眉が上がる。
 普通の人間が弾を受けた場合、怪我をすることもある。最悪、怪我では済まないこともあるのだが、彼女はわかっているのだろうか。
「お前の情報は僅かだが得ている。IO2エージェントで、オーナーの元で動いているのだろう? ならば問題ない。アイツの下で働ける人間は普通じゃないからな」
 オーナーと言う言葉と、それに重ねられる言葉に苦笑する。
「やっぱりあの人の言ったエージェントはあなたか。確かにあの人の無茶振りには困ってるけど、人間を放棄したつもりはないよ」
 いくら無茶な上司と言えど「あの人」も人間の筈だ。その人間が人外に向けるような命令を下す筈がない。
 そう、今の菜々美のように。
 けれど彼女はフェイトの言葉など気にせず準備を進めると、全ての弾を銃に込め終えた。
「よし、出来たぞ」
 言って、不敵な笑みを浮かべてフェイトを見る。それに彼の目が細められるが異論を唱えるつもりはない。
「これから放つ弾には、不動明王の力を刻んだ。受けた者の自由を奪い、呪縛の元に消滅へと誘う弾になっているはずだ」
 不動明王の力を刻んだ弾。普通なら理解できない話だが、フェイトには理解できた。それはここ数年で得た知識が元なのだが、それについて今は触れない。
 彼はただ、これから来る衝撃に耐えるべく自らの気を高めるだけ。そして――
「死んでも化けて出るなよ」

――ドンッ。

 何の躊躇いもなく放たれた銃弾を、フェイトはその身で受け止めた。
 その瞬間、纏わり付くような、痺れるような感覚が迫る。たぶんこれが彼女の言う呪縛なのだろう。
「ッ……これは」
 逃げる気も、それを払う気もない。
 だが流石にこれは厳しいか? そう思った時だ。
「フェイトさん!」
 聞こえた声に視線が向かった。それと同時に解き放たれる呪縛に目を見開く。
「葎子」
 驚いたのはフェイトだけではなかったようだ。
 駆け寄ってくる葎子に菜々美も驚いたように腕を下げている。

「菜々美ちゃん、何てことするの! 菜々美ちゃんの術は人に向けたらダメって、葎子あれだけ言ったのにわかってくれないの!?」
「いや、葎子……これには訳が――」
「言い訳は聞きません!」
 葎子はそう言って菜々美を睨み付けると、フェイトに駆け寄った。
「フェイトさん、大丈夫ですか?」
 キラキラと視界端を掠めるのは葎子の放った蝶の鱗粉だろうか。久しぶりに目にするが、前よりも威力が増している気がする。
「……葎子、すまなかった」
 唐突に聞こえて来た声に目を見開くが、それ以上に違和感を覚える。
 あれだけ傍若無人に振る舞っていた菜々美が葎子には頭が上がらないとはどういうことか。それに葎子も、菜々美の子の反応に疑問を持っていない。
「もしかして、これがこの2人の関係なのか?」
 ポツリ。零した声が誰に拾われることもなく消える。そしてその代わりにと言っては何だが、葎子の悲痛な声が響いてきた。
「フェイトさん、血がッ!」
 弾を受けた場所だろう。
 肩から溢れる血に葎子が手を伸ばす。だが、フェイトはそれを制すると、不満そうな表情を浮かべている菜々美に目を向けた。
「えっと、菜々美ちゃん。さっきの術なんだけど……少し陰が弱いように感じるかな。もう少し不動明王の持つ外縛印を強くした方が良いと思う」
「お前……」
 指摘された言葉に菜々美の目が見開かれる。
 確かに菜々美の術には不動明王の術が施されている。それを一瞬にして見抜いた彼に驚いた。そんな所だろう。
 菜々美は困惑したようにフェイトと菜々美を見る葎子を見、それから諦めたように息を吐いて2人に歩み寄った。
「あたしはお前のように何かに護られている人間は嫌いだ。だが、葎子が泣くと困るんでな」
 そう言ってフェイトの目の前で足を止めると、彼女は手早く印を刻んだ。
 彼女が紡いだのは両の手の親指と人差し指で輪を作りだす印の形。弥勒菩薩が象徴とされる『在』の印だ。
 菜々美は印を刻んだ手をフェイトの肩に寄せると、温かな光がを注いだ。それに次いで止まる血にフェイトの目が瞬かれる。
「そんな技も使えるんだね。だったらもっと腕が磨けるはずだよ。細かい部分で改善の余地が見える」
「お前に言われる筋合いは――いでッ!?」
 フェイトの言葉に透かさず反論しようとした菜々美のデコを凄まじい衝撃が襲った。
 それを受けた菜々美は勿論、見ていたフェイトも固まる。
「そう言う事を言わないの! フェイトさんは菜々美ちゃんの為を思って言ってるんだよ。素直に受け取らなきゃ罰が当たっちゃうでしょ!」
 メッと菜々美の額をもう一度弾く葎子に、菜々美がしゅんっと項垂れた。
 これにフェイトの頬が緩むが、ここはじっと我慢だ。
 軽く咳払いをすることでやり過ごすと、菜々美を擁護するように口を開く。
「いや、そこまで大層なものは……それに、頑張って実験してるってことは、それ相応の想いがあるってことでしょ? そう言うのって、なんだか可愛いよね」
 言って微笑んだフェイトに、菜々美と葎子の目が見開かれる。そして葎子の視線が落ちるのだがフェイトは気付いていない。
「もし俺で良ければ力になるけど……って、どうかした?」
 呆れた表情を浮かべる菜々美に、漸くフェイトが気付いた。だが彼の声に溜息を返すと、菜々美は「やれやれ」と肩を竦める。
「お前、天然だろ」
 そう言ってもう一度ため息を零した菜々美に、フェイトは「?」と首を傾げると、落ち込んだ様子の葎子と、呆れた表情の菜々美を交互に見比べたのだった。

 END

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【 8636 / フェイト・- / 男 / 22歳 / IO2エージェント 】

登場NPC
【 蜂須賀・菜々美 / 女 / 21歳 / 「りあ☆こい」従業員 】
【 蝶野・葎子 / 女 / 23歳 / 「りあ☆こい」従業員 】

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■         ライター通信          ■
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こんにちは、朝臣あむです。
このたびはRoute1+α・蜂須賀菜々美ルートへのご参加有難うございました。
色々と悩みましたが、こんな感じに納めてみました。
如何でしたでしょうか?
もし何かあれば遠慮なくリテイクして下さい。

この度は御発注、ありがとうございました!

カテゴリー: 02フェイト, 朝臣あむWR(フェイト編) |

Scene1+α・超☆スペシャルなはじまり

白く明ける空の下、住宅街のど真ん中で佇む人物が居た。
 黒のスーツにサングラスの男の名は『フェイト』。訳あって5年ほど前に東京を離れ、最近戻って来た。
「……わからないってどういう事ですか」
 通信機の向こうから響く声にため息を零す。
『元々特殊な相手だ。簡単に倒せると思う方が間違いだろう。それよりもその近辺に悪鬼が潜んでいるとの情報が入っている。そちらを優先しろ』
 今彼が話しているのは『職場の上司』だ。とは言っても、普通の職場でない。
 会話の内容からも想像できるように、かなり特殊な職場だ。それこそ特殊任務を扱う様な、表には出る事もない場所。
 フェイトはもう一度息を吐くと、周囲に視線を馳せた。
 朝を迎えたばかりの住宅街は人通りも少ない。故にフェイトの声も周囲に響いているが、時間的に起きている人間も少ないはずだ。
 起こすほどの大声をあげなければ問題ないだろう。
「……潜んでいる悪鬼の詳細は?」
『ある訳がないだろう』
 こともなげに言われた言葉だが予想の範囲内だ。
 今の職場に属して以降、詳細な情報が与えられたのは数えるほどしかない。寧ろ、そうした情報がないことの方が多い。
 フェイトは腕の時計に視線を落し、それから視線を上げた。
 可能ならば近隣の住人が目を覚ます前に全てを終えたい所だ。
「窮奇殲滅の任を一時解除し、悪鬼の殲滅行動に移行します。詳細は結果が出た後で――」
――報告します。そう言って言葉を括ろうとしたのだが、思わぬ所で上司の声が遮った。
『ああ、そうだ。一応報告しておこう。君の他にもう1人エージェントが向かっている。君の先輩にあたる人物だ。くれぐれも喧嘩などしないようにな』
 そう言い終えて切られる通信にフェイトの目が落ちる。彼はじっと通信機を見詰めると、ゆるくそれを瞬いた。
「先輩……まさか、りっちゃん……?」
 少し前に、上司がそれらしい事を言っていた気がする。だがりっちゃんこと「蝶野・葎子」は所用で東京を離れているはずだ。
 今頃は普段と違うベッドで眠りを貪っているだろう。となると、葎子と言う線はなくなる。
「彼女でないとすると、いったい誰が……」
 そう、呟いた時だ。

 ――……ッ!

「今の音は!」
 住宅街の静寂を打ち破る高い音にフェイトの足が動いた。
 ここは昔よく足を運んだ場所だ。だからこそ迷わず音を辿れるのだが、それにしても本当に変わらない。
「確かそこの角を曲がると突き当り……っ、これは!」
 記憶の通り行き止まりに辿り着いた。
 だがフェイトが驚いたのはソコではない。それとは別の、想像もしていなかった事象に彼は驚いた。
「ああ、狙いが外れたか。まあ安心しろ、元々簡単に殺す気はないからな」
 やんわり笑んで銃を構える女性。
 その前に居るのはフェイトが探していた悪鬼の一種――黒鬼だ。
 黒鬼は片腕を失った状態で唾液を延々と垂らしている。その視線の先に居るのは勿論、銃を構える女性だ。
「まさか……アレが『先輩』……?」
 美しい長い黒髪に、スラリとした身長。パッと見は知的で素敵なお姉さんだが、眼鏡の向こうにある瞳は狂気を孕んでいて尋常ではない。
「確か黒鬼は痛覚が無かったのだったか。実験には好都合な体だな」
 そう言って笑うと、女性は改めて引き金に手を掛けた。その瞬間、黒鬼も凄まじい勢いで地面を蹴る。
「悪くない反応だ……死ぬなよ」
 ニイッと笑って放たれた弾丸が黒鬼の腕を貫く。
 これで二本の腕が無くなった。
 同時に充満する異臭が濃くなり、流石のフェイトも眉を潜める。
「これ以上は危険だ」
 小さく零した声と共に抜き取った銃は、悪鬼を追い始めてから扱っている物だ。彼は安全装置を解除すると、手早く照準を合わせた。
 その視界に銃を構える女性の姿も見える。
「次は足を奪ってやろう」
 そう言いながら狙いを定める姿に目を細め、フェイトは引き金を引いた。

 バンッ!

 女性の目の前で黒鬼の頭が吹き飛ぶ。
 そうしてのぼった黒い瘴気に彼女の視線が動いた。
「……何だ、貴様は」
 底冷えするような冷たい声にフェイトの目が向かう。
 女性は獣の安全装置を外したまま近付くと、フェイトの姿を爪先から頭の先まで眺め見た。そして彼の持つ銃に視線を落とすと、呆れたように呟く。
「対霊マグナム銃……店長の差し金か」
――店長?
 ふと疑問に思ったが。その疑問を口にするよりも早く、冷たい感触が額に触れた。
 それに視線を上げると、女性の銃が額に添えられているのが見る。
「今の悪鬼はあたしの獲物だ。それを奪った代償は重いぞ?」
 意地悪でもなく本気の言葉。それは女性の目を見ればわかる。
 しかしその言葉に反論する必要はないだろう。
「臭いに堪えられなかったのでつい」
 フェイトは人好きする笑みを浮かべると、指の先で彼女の銃を払った。
 その仕草に女性の眉が上がる。
 確かに悪鬼の中でも黒鬼と呼ばれる存在の臭いは異常だ。それこそ消えた今でも臭いが鼻について苦しい程に。
「黒鬼は損傷場所が多くなればなるほど臭いを発します。それを防ぐには一撃で仕留めるべきだと判断しました。勿論、獲物を奪ったことに謝罪はします。申し訳ありませんでした」
 そう言って目を伏せると、すぐさま彼の顔が上がった――否、上げられたのだ。
「……貴様、名は?」
 顎に添えられた銃がフェイトの顔を掬い上げる。そうして視線が合わせられると、彼はサングラスの向こうに在る目を細めた。
「フェイトです」
「フェイト? ……確か、その名……」
 女性の視線が一瞬だけ外される。
 だが次にそれが戻って来ると、彼女は人の悪い笑みを浮かべて彼を見た。
「貴様、葎子の王子様か」
 クツリと笑んだ声に目を見開く。
 今、何と言った?
――葎子の王子様。そう、言ったのか?
 困惑するフェイトを他所に、女性は言葉を続ける。
「葎子の王子様なら、今回の事は特別に許してやろう。だが、無償と言う訳にはいかんぞ」
 そう言うと、女性は一枚の名刺を差し出した。それは酷く見覚えのある作りをした物で、フェイトの目が眩しそうに細められる。
「感慨深いか?」
「!」
「フェイトとは良く言ったものだ。確か貴様、昔店に来て葎子を指名していたよな」
 言われてハッとした。
 長い髪と化粧でわかっていなかったが、彼女は葎子と同じ店で働いていたメイドだ。
 何度か言葉を交わした記憶がある。
「今の葎子に昔の記憶はない。思い出したらどうなるんだろうな?」
 女性はそう言うと、楽しそうにフェイトの顔を眺め見た。
 その視線に彼の目が眇められる。
「……何が言いたい」
 自分のことならば何を言われても問題ない。
 だが葎子のこととなれば話は別だ。
「あたしの実験体になれ。そうすれば昔の事は黙っていてやろう」
 葎子に話されて困る過去はない。だが今の彼女が過去を思い出して、何か支障が出る可能性も否定できない。
 ならば穏便にやり過ごす方が良いに決まっている。
「……わかった」
 フェイトはそう言って僅かに頷くと、改めて女性の顔を見た。
 葎子とはまるで印象の違う女性。扱っている銃も明らかに普通の物とは違う。きっと組織から配布された物ではないだろう。
 では彼女は何者なのか。
 そもそも彼女が言った「店長」とは誰の事なのか。そして葎子も働いていた喫茶店「りあ☆こい」はどう云った場所なのか。
 フェイトは表情を引き締めると、女性からもらった名刺に視線を落とした。
「菜々美ちゃん、か」
 ポツリ、零して顔を上げると、酷く冷めた目が自分に突き刺さっているのが見えた。

 END

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【 8636 / フェイト・- / 男 / 22歳 / IO2エージェント 】

登場NPC
【 蜂須賀・菜々美 / 女 / 16歳 / 「りあ☆こい」従業員&高校生 】

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■         ライター通信          ■
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こんにちは、朝臣あむです。
このたびはScene1・蜂須賀菜々美ルートへのご参加有難うございました。
素性を隠してとの事でしたが、流れ的にこちらの方が自然かと思いこんな感じに納まりました。
葎子が菜々美に何を言っていたのかなど、想像しながら読んで頂けると嬉しいです。

この度は御発注、本当にありがとうございました!

カテゴリー: 02フェイト, 朝臣あむWR(フェイト編) |

流星の夏ノベル2

 耳を澄ませば聞こえてくる蝉の声。
 息を吸い込めば胸に届く潮の香り。
 瞼を開くと飛び込んでくる色鮮やかな景色。

――夏到来!

 いざ行かん、夏の思い出作りに!!

 * * *

 柔らかな波の音と、ザワつく人の声。
 それらを耳に、フェイトは目の前に広がる光景を眺めていた。
「この砂浜も作り物なんだよな……」
 そう感嘆の声を零した彼の前にあるのは、青い海と白い砂浜、そして遥か頭上にそびえる天井。
 天井と言ってもほとんど視界に入らないくらいの高さで、意識して見上げない限りは気にならない代物だ。
 ここは最近建造されたばかりの大型プール施設。
 最新の技術をふんだんに使って作られた施設はかなり広い。
 何せ、彼がいる波のプールの他、屋内だけでプールが5種類、屋外にまで数種類のプールを備えているのだから、それだけでこの施設の規模は想像できるだろう。
 噂ではフェイトの上司がその運営に関わっているとか聞いたが、その辺の話は信じない――いや、信じてはいけないと思う。
「本当に謎だな、あの人……」
 葎子のバイト先のオーナーでもありフェイトの上司でもある人物を思い出して息を吐く。と、そんな彼の耳に元気の良い声が響いてきた。
「フェイトさーん!」
 砂浜を駆ける青い髪の人物。
 それを目にした瞬間、フェイトの目が見開かれた。
「ごめんなさい。思った以上に着替えに時間が掛かっちゃって」
 そう言ってフェイトの前で足を止めた蝶野・葎子は、白のビキニにパレオと言う、若干目のやり場に困る格好だ。
 やはり学生時代と違って育つところは育っているのだが、フェイトにそれを直視する勇気はない。
「……俺も、今来た所なので」
 そう零して視線を逸らす。その上で彼女の表情を思い出すと、思わず笑みが零れた。
 好奇心に満ちた嬉しそうな表情。そんな中に垣間見えるのは気恥ずかしげな雰囲気で……でもやはり期待の方が強そうな、そんな複雑で葎子らしい表情だ。
「あの……私、変でしょうか?」
 顔を合せた直後に逸らされた視線に不安になったのだろう。
 戸惑い気味に駆けられる声にフェイトの視線が戻る。
(もう、大丈夫……心の準備は出来た)
 葎子の水着姿を直視して動揺しない訳がない。だが大人になった今、ましてや海で盛大に鼻血を吹き出した今、これ以上かっこ悪いところは見せる訳にはいかない。
「いや、良く似合ってるよ。ただ、ちょっと恥ずかしい、かな?」
 小さく笑いながら口の前に手を添える。そうすることでニヤけそうになる自分を隠すのだが、葎子には別の効果があったようだ。
「は、恥ずかしいって……」
 フェイトの仕草と言葉をスマートなものに感じたのだろう。頬を赤らめて視線を落とす彼女にホッと息を吐く。
 その上で周囲を見回すと、フェイトの表情が明らかに険しくなった。
 そこかしこで騒ぐ男たち。明らかにナンパ目的で来てるのだろうが、その視線は葎子に向かっている。
「……今日は傍を離れる訳にはいかないな」
 フェイトはそう零すことで自らに言い聞かせると、まだ恥ずかしそうに頬を赤らめている葎子に手を差出した。
「葎子先輩。そろそろプールに行こう。せっかく来たんだから全制覇しないと」
 この施設の入場料は決して安くない。
 実はここに来る前、上司から割引券を貰っていたので比較的安く入れたが、市営のプールに比べたらかなり高い。
 まあ、それに見合うだけの施設があるのだから仕方ないが……。
「まずは流れるプールに行こう。確か貸出しのボートがあるって書いてあったから」
 フェイトはそう言うと、差し出した手で葎子の手を掬い上げた。
 今日は待ちに待ったプールデート。
 この前のように失敗する訳にはいかない。
 フェイトは密かな決意を胸に、いざ決戦の地に向かった。

 * * *

 ゆらゆらと揺れるドーナツ型のボート。その上に座るのは楽しそうに水を爪先で弾く葎子だ。
「水、冷たくて気持ちいいですね」
 葎子はそう言って笑うと、ボートを押すように凭れかかるフェイトを見た。
「上手い具合に水温調節がされてるんだろうね――って、あんまり身を乗り出すと落ちるよ!」
 話の途中で何か見付けたのだろう。
 ボートから身を乗り出して手を伸ばす姿に声を上げる。
「大丈夫です。それにここはプールですよ? 落ちてナンボです!」
「ナンボって……」
 呆れるが彼女の言うことも最もだ。
 どうにも昔の記憶があるせいか、彼女に過保護な態度を取ってしまう。
 慈しみたいという想いと、護りたいという想い。それらが強すぎていつか可能になってしまうのではないか、そんなことすら思う時がある。
 だがそういう時に限って葎子は思わぬ行動に出る。
「はい、フェイトさんへ♪」
 ニッコリ笑った彼女の手がフェイトの髪に伸びた。
「……これは?」
「白いお花です。どこかから飛んで来たみたいで、1人じゃ寂しそうなので拾ってみました」
 そう言えば手を伸ばす先に白い物が見えた気がする。あれが花だったのだろう。
 彼女はフェイトの髪に白い花を挿すと、満足そうに笑って両の手を合わせた。
「ふふ。フェイトさん可愛いです♪」
「いや、男の俺が可愛くてもどうかと思うけど……」
 思うけど、それでも嬉しさが勝るのは彼女が笑っているからだろうか。
 どれだけ強い想いを抱こうと、その時にその想いが間違いではないと彼女の行動が教えてくれる。
 自分は傍にいていいのだと、そう思わせてくれる。
「ありがとう、りっちゃん」
 フェイトはそう口中で呟くと、流れるプールの先を見詰める葎子に目を向けた。
 食い入るように、目を輝かせながら一点を見詰める姿は、さきほどの穏やかな女性とは違う、子供らしさが見える。
「どうかした?」
 様子からして気になる物を見付けた。そんな所だろう。
「アレはなんですか?」
 葎子が示す先。そこにあるのは数種類のウォータースライダーだ。くねくねと色々なカーブを作りながらプールに落ちて行くその姿は、こう言った施設ならではの物だろう。
「葎子先輩はああいうの知らないの?」
「……うん。家が厳しくて、こういうプールに来るのも実は初めてです」
 遠慮気味に頷いた彼女に「ああ」と納得する。
 そう言えば葎子の家は奔放な彼女の性格とはまるで正反対の古風で厳格なもの。そんな家だからこそ、こうした場所に来るのも初めてなのだろう。
 そもそも昔の彼女には自由が殆どなかった。
 何か行動することがあれば全て姉のため。自分のことは二の次で、起こす行動、成すべきこと、全てが姉のためだったのだ。
「行ってみる?」
 ようやく得た人としての自由。それを少しずつでも達成して行こうとする彼女に笑みが零れる。
「いや、行ってみよう。何事も経験だ!」
 フェイトはそう促すと、葎子が乗るボートを押して泳ぎ始めた。

 * * *

「うわぁ!」
 ウォータースライダーの頂上に到着すると、葎子は感心したような声を発し、フェイトはクラ付きそうになる頭を押さえて立ち竦んでいた。
 その理由と言うのがコレだ。
「良いですか。片方が相手の体に手をまわして離れないように注意して下さい。途中で離れてしまうと、プールに落ちた時の怪我にもつながりかねません」
 まあ言っていることはわかる。わかるのだが、ちょっと待とうか。
 今の説明を図で現すと、座った人物の背後から包み込むようにして抱きしめる。で、OK?
 もちろん視界を考慮すると葎子が前に来るわけで、必然的にフェイトが腕を回すことになる。
「葎子先輩、嫌なら1人でも……」
「え?」
 なんで? そう視線を向けられて言葉に詰まる。
 時折思うのだが、葎子は少し情操教育と言うものが足りてないのではないだろうか。ハッキリ言って男のフェイトからしてみれば危うい。
 勿論、こうしたことは嬉しいのだが、だからと言って密着するのは如何なものか。
 しかし――
「後ろが詰まってますので急いで下さい」
 係員の手がフェイトの背を押した。
 これに戸惑っていた彼の足が葎子に近付く。すると、その手を葎子が掴んだ。
「フェイトさん、行きますよ」
「え、あ……」
 引かれて腰の前に回させられた手に息を呑む。
「り、葎子先輩?」
 かなりな密着具合だ。
 誘導されて座るものの、殆ど膝に抱っこしているような状態だし、こんなんで平静でいられるわけがない。
「やっぱりやめ――」
「フェイトさん!」
 立ち上がろうとしたフェイトの腕を葎子が抱え込んで引き止めた。その耳が真っ赤なことに今更ながらに気付く。
「今だけ、葎子のわがまま、聞いて下さい」
 ポツリ、零された声にフェイトの目が見開かれた。
 精いっぱい、絞り出すように紡ぎ出したのだろう。こちらを見ることが出来ずに俯く彼女に、腰に回した腕に力が篭る。
「……どうなっても知らないよ」
 もうなるようにしかならないだろう。
 フェイトは係員に目配せすると、一気にスライダーを落ち始めた。
 くるくると回る管の中で、葎子が離れないように腕にしがみ付いて来る。それに応えるように手に力を込めると、直ぐに出口が見えてきた。

 ドッボーン!

 まるで投げ出されるように落ちた体。
 腰に回していた腕はそのままに、すぐさま葎子を引き上げる。が、直後、フェイトの顔が真っ赤に染まった。
「り、りりりりり」
 待て待て待て待て。
 こういうものでそう言うことになるのはお約束だが、相手が葎子の場合これはナシだろ!
 慌てて、首を傾げる彼女の腕を引く。
 そして自分の胸に抱き込むと、葎子の目が見開かれた。
「ふぇ、フェイトさん!?」
 突然の抱擁に葎子も狼狽。けれど大事なのはそこじゃない。
 フェイトは意を決すると、彼女の耳元に唇を寄せた。
「水着……取れかけてる」
「!」
 ハッとなって視線を落とした彼女の水着が確かにズレている。しかもそれにフェイトが気付いたと言うことは、つまりそう言うことで――
「ちょっ、俺何も――」
 キッと睨み付けた葎子の視線に嫌な予感がする。
 だが逃げることは出来なかった。

 バッチーン☆

 哀れフェイトは、無実の罪でプールに沈んだのだった。

 * * *

 夕日が沈みかける中、片頬を紅葉形に腫らしたフェイトが歩いている。
 その隣には、申し訳なさそうに眉を下げる葎子も歩いているのだが、その距離が少しだけ遠い。
「葎子先輩。もう怒ってないから、ちゃんと隣を歩いて下さい」
 あの後プールで遊ぶ間も、こうして家に送って行く途中でも、葎子はフェイトと距離を置いている。
 ハッキリ言って頬の痛みより、こうした対応の方が傷つく。
「そりゃ、見た俺も悪かったけど……」
 そう零して息を吐くと、背後で足音が止まった。
 振り返ると、神妙な面持ちでこちらを見る葎子と目が合う。
「葎子先輩?」
 どうしたのだろう。
 怒っているにしては少し様子が違う気もするが……。
「あ、あの……ごめんなさいっ!」
 そう言って勢いよく頭を下げた彼女に苦笑する。
「別にもう怒ってないよ」
「そうじゃなくて!」
 は? そうじゃない?
 思わぬ言葉にフェイトの顔に驚きが浮かぶ。
 そして次に聞こえて来た声に、フェイトは本日最大級の驚きに見舞われることになる。
 その発言がコレだ。
「葎子、ぜんぜん大きくないから!」
「ぶふっ!?」
(こ、この人は何を言ってるんだ……)
 思わず咽そうになる息を整え、なにごとかと葎子を凝視する。そんな彼女は真剣な眼差しで自らの胸に目を落していた。
 勿論、手もその位置にあるのだが、いやいやいやいや、成長してない訳ないだろ!
「もっと大きければ見せても良いと思うんですが、私くらいの大きさでは見せるほどはないと言いますか……申し訳なくて」
「り、葎子先輩、落ち着いて!」
 これ以上は予想外過ぎて破壊力が大きい。
 フェイトは言葉を捲し立てる葎子を制すると、遠慮気味に彼女の胸元に視線を落した。
 そして、
「大きさとか、関係ない」
 これが彼の最大限のフォローだった。
 だが残念なことに葎子にこのフォローは通じない。
「そ、それは葎子の胸がちいさ……っ、小さいなんて言わなくても良いのに! フェイトさんのバカーーーーッ!!!!」

 バッチーン☆

 本日2度目の平手打ち。
 フェイトはヒリヒリと痛む頬に手を添えると、「フェイトさんのバカ!」と叫びながら駆けて行く葎子の後ろ姿を見詰めていた。

―――END

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【 8636 / フェイト・- / 男 / 22歳 / IO2エージェント 】

登場NPC
【 蝶野・葎子 / 女 / 23歳 / 「りあ☆こい」従業員&高校生 】

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流星の夏ノベル

耳を澄ませば聞こえてくる蝉の声。
 息を吸い込めば胸に届く潮の香り。
 瞼を開くと飛び込んでくる色鮮やかな景色。

――夏到来!

 いざ行かん、夏の思い出作りに!!

 * * *

 青い空に白い砂浜。打ち寄せる波は何処までも続き、地平線は空の彼方に消えてゆく。
 そう、ここは真夏のビーチ!
 照り付ける太陽を浴びながら、水着を着た美女たちが行き交う、まさに楽園だ。
 そしてこの楽園に、あろうことか全身黒尽くめと言う重装備で訪れた男が居た。それがこの人――フェイトだ。
「う~ん……あづい……」
 うなされるように呟く彼の顔は真っ赤。その額には濡れタオルが置かれているのだが、ハッキリ言って効果は薄そうだ。
「あの……フェイトさん。やっぱり日陰で休んでた方が良いと思います」
 そう言ってフェイトに近付いてきたのは、出張・執事&メイド喫茶「りあ☆こい」で派遣されてきた蝶野・葎子だ。
 彼女はピンクのビキニにエプロンと言う若干マニアックな姿で近付くと、フェイトの顔を覗き込んだ。
 その表情は心配そのものだが、今のフェイトには目に毒、と言うか、逆効果だ。しかも屈んだせいで胸元がダイレクトに視界に入ってくる。
「っ……大丈夫。それより、葎子先輩は店の方を……」
 咳払いをしながら視線を逸らすが、さっき目に入った光景がなかなか頭から離れない。
 そもそも何故フェイトと葎子がここに居るのかと言うと、この海岸に悪鬼が出ると言う噂を聞いた「りあ☆こい」のオーナーが、折角だしと出張喫茶店も兼ねて捜査に乗り出したのが切っ掛けだ。
 そうなってくると葎子はわかるのだが、何故フェイトが居るのか? となって来るがその辺は簡単な話。フェイトは職場の上司や葎子の協力要請を断れなくて来ただけなのだ。
 とは言え、フェイト自身はその誘いがあって良かったと思っている。何故なら――
「うお?! あの子、超レベル高くね?」
「やべっ。おい、お前声かけて見ろよ!」
――と言う訳だ。
「……こんな状況下で休んでられるか」
 ぼそっと口中で呟き眉を寄せる。
 それでも上昇する体温は留まる事を知らないらしい。ダラダラと溢れる汗は勿論の事、息も熱くなってきて体がだるい。
 流石にマズイか? そう思った時、葎子の顔が間近に迫った。
「もう! フェイトさん、言うこと聞いてくれないと葎子怒りますよ!」
「!」
 睨むその顔に、昔の面影が重なる。そして何か言おうと口を開いた瞬間、フェイトの視界が揺らいだ。
「ふぇ、フェイトさんっ!?」
 葎子が悲鳴を上げているが意識が保てない。
 フェイトは葎子に「大丈夫」とだけ唇で刻むと、その場に崩れ落ちた。

   ***

 揺蕩う意識の中、フェイトは意識を失う前の事を思い出していた。
(葎子、か……やはり彼女は彼女なんだな……)
 時折見える昔の面影。思い出して欲しいと思いつつも、苦しむならそのままでいて欲しいと願ってしまう。
 けれどもし彼女が過去を思い出したいと言ったらどうする? 自分はそれに協力するんだろうか?
 そんな事を思っていると、冷たい感触が額に触れた。
「っ」
「あ、起こしちゃいましたか?」
 額に手を添えて瞼を開くと、間近に葎子の顔が見える。その表情には安堵が浮かんでおり、彼女がずっとついていてくれたのだとわかる。
「……タオル、ありがとう」
 そう言ってフッと笑むと、葎子の頬にも笑みが乗った。
「いま新しいのに取り替えたばかりですから、ゆっくりしてて下さい」
 そう言ってタオルを持つ手に手を重ねてくる。
 そこまで来てハタと気付いた。
 この、頭に触れる暖かい感触は何だろう。凄く柔らかくて、そう言えば葎子が喋る度に動いているような……。
「うわああああ!」
「あ! いきなり起きたらダメですよ!」
 飛び起きたフェイトを葎子が諌めるが無理と言う話だ。
「り、葎子先輩、今、ひざ……膝枕っ」
 飛び起きて確信した。
 フェイトは今、葎子に膝枕をされていたのだ。しかも水着姿の葎子の膝でっ!!
「っ」
 これは非常にマズイ。
 思わず鼻を押さえたフェイトに葎子が首を傾げる。と、その時だ。

 きゃあああああっ!

 悲鳴に2人の視線が飛んだ。
 海の家から僅かに離れた海辺に逃げ惑う人の姿が見える。そしてその中央、海に引きずり込まれるように動く人影が見えた。
「葎子先輩!」
 フェイトは葎子を伴うと海辺に出た。
 その瞬間、半透明の奇妙な生き物が飛び込んで来る。
「っ!」
 急ぎ対霊マグナム銃を構えて応戦するが、何せ数が多い。
「フェイトさん、あそこに光る物があります! あれを狙って下さい!」
 そう言うと、葎子は纏っていたエプロンを脱ぎ捨て、海に引き摺られてゆく女性に駆け寄った。
 その姿にフェイトの視線も女性に向かう。
 体に半透明の生物を付ける女性の足の部分だろうか。そこに葎子が言った通りの光物体がある。
 さしずめ、あれがコアか何かだろう。
「――狙いは外さない」
 うねうねと動く物体のコアを見据えて呟き、引き金を引いた。

 キュイイイイインッ!

 コアを破壊すると同時に甲高い声が上がる。
「一撃で終了か。大して強くもないが……」
 何かオカシイ。
 これだけ弱い悪鬼が相手なら、フェイトの上司も葎子の店のオーナーも、自分達に任せるはずはない。にも拘わらず派遣したのは何故か。
「まだ、何か潜んでいる?」
 そう口にした時だ。
「ふぇ、フェイトさん!」
 聞こえた声に視線を戻したのも束の間、葎子の姿が海に消えた。
「ッ、やっぱりいたか!」
 フェイトは舌打ちを零すとすぐさま銃を構えた。そして彼女が消えた場所を見据える。
「……急がないと」
 いくら不思議な力を使えるとは言え葎子は普通の女の子も同然。
 海に引き込まれて長時間生存する事など不可能だろう。となれば、早急な対応が望まれる。
 フェイトはすっかり静かになった海面を見詰め、焦る気持ちを押さえながら引き金に手を掛けた。
「葎子先輩に意識があれば届くはず――いや、届け!」
 口にしてテレパシーを送ろうと意識を集中する。だが、それを為すよりも早く、彼の目が異変を捉えた。
「これは……りっちゃんの……?」
 キラキラと舞い上がる蝶。それらは海面を割る様に空へ向かう。そして蝶が巨大な1本の柱に変じると、それはフェイトを目指すように海を割った。
「葎子先輩!」
 割れた海の先に見えた姿に叫ぶ。
 そこに在ったのは、巨大な蛸のような生き物に羽交い絞めされた葎子の姿。しかも彼女自身は意識が無いのかぐったりしている。
「ッこの、クソ坊主! りっちゃんを離せ!」
 怒りと焦り。その双方が入り混じった叫びが木霊し、直後、巨大蛸の頭をマグナム弾が砕く。
 あまりにあっけない終結だが、フェイトにとってそんな事はどうでも良かった。
「りっちゃん!」
 急ぎ駆け出した彼の目の前で割れていた海が戻って行く。そして葎子がその波に呑まれてゆくと、フェイトは上着を脱ぎ捨てて海に飛び込んだ。

   ***

 傾きかけた日差しを浴びながら、フェイトは毛布にくるまれて横になる葎子を見詰めていた。
「……今回のは完全に俺のミスだな」
 事後調査でわかったことだが、今回出現した悪鬼はいずれも女性を狙っていたのだと言う。となれば、葎子が海に引き込まれたのは当然の成り行きだったと言えるだろう。
「俺が海に近付いていれば、少なくとも危険に晒したりはしなかった」
 今更後悔しても仕方ない事はわかっている。それでも後悔ばかりが募るのは、葎子が未だに目を覚まさないからだろうか。
「……ごめん、りっちゃん」
 そう零した時、フェイトに手に冷たい指先が触れた。それに彼の目が上がる。
「りっ……葎子先輩」
「……フェイトさん。悪鬼ちゃんは……」
「倒したよ。葎子先輩のお蔭だ」
 言って葎子の髪を撫でると、彼女の頬が嬉しげに笑んだ。その表情を見ていると胸が締め付けられる。
「……ごめん」
 幾ら謝罪してもきっと足りない。
 それでもなんとか謝罪を口にしようと頭を下げると、触れていた葎子の手がフェイトの手を掬い上げた。
「私は大丈夫ですから。それよりも、フェイトさん……」
「うん?」
「泳げたんですね」
 唐突な言葉にフェイトの目が瞬かれる。
「泳げるけど……何で?」
 この話の流れで泳げたかどうかは関係ない気がする。
 それでも彼女が口にした言葉だ。真面目に返すと、思わぬ言葉が返ってきた。
「だって。そのスーツを脱ごうとしないから、泳げないんだと思ってました」
 ああ、そういうことか。
 思わず納得して唇に笑みが浮かぶ。
「脱がなかったのは仕事だからだよ。人並みに泳げるし、家には水着もある」
「!」
――水着もある。
 この言葉に葎子の目が見開かれた。
「そんなに、意外?」
 苦笑して問い掛けると、彼女の首が縦に振れる。
 確かにこの炎天下で黒スーツじゃそう思われても仕方がない。それでもどこまで堅物だと思われているのか。
「フェイトさん、今度海に行きましょう!」
「え、海なら今来てるけど……」
「そうですけど、そうじゃないんです! えっと……プールでも良いです! 水着があるなら一緒に行きましょう!」
 真剣な眼差しで言われて言葉に詰まる。
 それはつまり「水着デート」と言う奴でしょうか?
 ゴクリ。
 そう唾を呑み、ふと視線を落とす。
「わ、わかった……」
 ヤバい。これは非常にヤバい。
 目に飛び込んできた葎子の肌に慌てて視線を外すが顔は真っ赤、しかも視線の逸らし方が超露骨。
 けれど約束を取り付けた葎子は嬉しさから、そんな彼の反応は気にしていなかったらしい。
「絶対に約束ですよ!」
 そう言うと、勢いよくフェイトに抱き付いた。
 一般的女性からすると、若干発育不純な部分もあるが葎子も立派な女性。しかも「超」が吐くほどに美人に成長している。
「っ……ごめ……限界ッ」
「ふぇ?」
 キョトンとした葎子だったが、直後――
「きゃあああ! フェイトさんしっかりしてくださいっ!!」
 哀れ、フェイトは葎子の目の前で倒れた。
 しかも鼻からは薄らと鼻血まで滲ませる始末。それでも後日、2人は無事にプールへ行ったのだとか……。

―――END

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幸せの雨

シトシトと落ちる雨。
 鬱陶しいばかりのこの季節、けれどそれ以上に心を覆うのは晴れやかな気持ち。

――6月に結婚した花嫁は幸せになれる。

 女性なら誰もが憧れる夢のシチュエーション。
 叶わないとしても、叶ったとしても、憧れるくらいなら良いですよね……?

 貴女と、君と……永遠の幸せを……。

 * * *

 雨に濡れる体。吐き出す息が熱く、研ぎ澄まされた神経だけが前を向く。
 ここは都内某所に建てられた廃ビルの中だ。
 鉄筋がはみ出して今にも崩れ落ちそうなそこには天井がない。室内だと言うのに深々と降り注ぐ雨をその身に浴びながら、フェイトは自らの対霊用マグナムに弾を装填する。
「……よく、降るな」
 小さく零した声が雨と共に消えてゆく。
 フェイトは瞳に掛かる前髪を親指の腹で払うと、壁に背を付けて空を仰いだ。と、次の瞬間、視界に影が飛び込んで来た。
「っ!」
 反射的に銃弾を放ちながら壁を蹴る。
 幾つもの弾丸が地を撃つ中、それは確実にフェイトに迫っていた。
 黒いしなやかな体はまるで豹のように美しく、その獰猛な瞳は赤く血に濡れている。
 これは悪鬼の一種で「豹鬼(ひょうき)」と言い、フェイトが昨晩から追い駆けていた存在だ。
「くそっ……速い!」
 豹鬼は追い駆け始めた頃と変わらない速さで迫ってくる。だが、その動きには衰えが見え始めているのも事実。
 フェイトは駆けるその身を静かに見詰め、そしてある一点に視線を集中させた。それは見え始める衰えの源――
「――これで、終わりにしよう」
 口にした直後、鋭い弾丸が豹鬼の足を貫いた。
 奇声を上げながら転げる存在に、フェイトの足が近付く。そうして水溜りを踏むのと同時に重なった視線の中、フェイトは静かに引き金を引いた。
「……終わった」
 ずるりと近くの壁に凭れて滑り落ちる。
 戦闘中は気にならなかったが、雨に濡れた体が重い。
 フェイトは小さく息を吐くと、もう一度吹き抜けになってしまった空を仰いだ。
「もう直ぐ7月だぞ。流石に寒すぎ……――っしゅん!」
 一晩中雨に濡れてれば嫌でも風邪をひくか。
 そう思って立ち上がろうとした彼の耳に、新たな足音が響いた。
 階段を駆けあがってくる軽快な足取りには覚えがある。たまにこけそうになる音も混じるのが何よりの証拠だ。
「よくここが……ん?」
 そう言って懐に視線が落ちた。
 そこには職場から支給されている通信機が入っている。取り出してみると案の定「あの人」からの着信が。
「成程……」
 合点いった。そう苦笑して背中を離すと、部屋を覗き込む顔と目が合った。
「フェイトさん!」
 頭上で結われた長い水色の髪が、駆け寄る動きに合わせて風に靡く。それを視線で追いながらフェイトも自らの足で彼女に歩み寄った。
「りっちゃ……いや、葎子先輩も任務?」
「いえ、私は違います。オーナーがずぶ濡れの子犬が居るはずだからここに行きなさいって」
 わんちゃん、何処ですか? そう辺りを見回す葎子に思わず目が点になる。その上で溜息を零すと、手にしていた通信機を一瞥して懐に仕舞った。
「あの人は……」
 ずぶ濡れの子犬=フェイト。
 たぶん、この解釈で間違いないだろう。
 フェイトは葎子に手を伸ばすと、彼女の肩をポンッと叩いた。そして彼女の顔を覗き込んで言う。
「たぶんそれ、俺だよ」
「え」
 驚いたように目を瞬く彼女に笑って肩を竦める。
「先輩にも困ったもんだ。こんな雨の中をわざわざ走らせるなんて、如何かしてる」
 葎子の足元を見ると、必死に走ってきた様子が伺える。彼女に似合った可愛い靴が、雨と泥で汚れているではないか。
「少しどこかで休もう。走って疲れただろ?」
 自分よりはまず葎子のこと。そう歩き出そうとした彼の足が止まった。
「……先輩、これは?」
 頬に触れた暖かで柔らかな感触は真新しいタオルだ。
 水色の、実に彼女らしい可愛い刺繍の施されたそれに手を伸ばすと、唐突に葎子が微笑んだ。
 その表情に思わず息を呑む。
「フェイトさんがわんちゃんなら、ちゃんと拭かないとダメです♪」
「え……うわっ!?」
 かなりな不意打ちだった。
 頬に触れていたタオルが、勢いよく頭にかぶせられたのだ。しかもゴシゴシと遠慮なく拭いてくる始末。
「先輩、痛……っ」
「葎子に黙って任務に行っちゃった罰です。我慢して拭かれて下さい!」
「ちょっ、任務はあの人がッ……痛、っ……先輩、本当に痛い……!」
 抗議の声も虚しく、葎子はこの後しばらくフェイトの頭を拭いていた。それこそ彼が半泣きになるまで。

   ***

「……まだ顔がヒリヒリしてる」
 そう零しながら、フェイトは椅子の背もたれに崩れ落ちる。その姿を見ながら、葎子は運ばれてきた紅茶に口を運んだ。
 その表情はものすごく不満そう。
「フェイトさんが悪いんです。そんなに濡れてるのに……」
「俺だって疲れるの。休みたいの」
 このやりとりも何回目か。
 廃ビルを出た後、葎子はずぶ濡れのフェイトを気遣って帰ろうと言った。だがフェイトは葎子を気遣って喫茶店に寄ってから帰ろうと言った。
 結果、2人の意見は真っ向から対立。最終的に葎子が折れる形で喫茶店に入ったのだが、その表情はどうにも憮然としていて不満そうだ。
「雨で気温も下がってるのに……風邪を引いても知りませんからね」
 これは完全にヘソを曲げたな。
 そう思いながらも少し嬉しく思うのは、彼女の過去を知っているからだろう。
 感情を隠し、いつも笑っていた葎子。何があっても笑顔でいようと頑張っていた彼女が、今は色々な表情や感情を見せてくれる。
 ここに到るまでには色々と大変なこともあった。それでも――
「フェイトさん、あれ見て下さい!」
 さっきまでヘソを曲げていたとは思えない変わり身である。
 頬を紅潮させて興奮する彼女の視線を追うようにフェイトの目が動く。そこに在ったのは小さな教会だ。
「えっと……結婚、式?」
 フェイトと葎子が足を踏み入れた喫茶店は、ちょっとした高台にある。そして彼等が腰を下ろすのは喫茶店のテラス。
 そこからは緑豊かな敷地に包まれるように建つ教会が見える。
 この場所のチョイスは、フェイトがずぶ濡れだったので店内では迷惑だと、2人で決めたことだった。
「フェイトさんがずぶ濡れで、良いことがありましたね♪」
 ニコッと笑ってるが、何とも胸に突き刺さる言葉だ。その言葉に苦笑しつつ珈琲を口に運ぶと、フェイトはもう一度教会に目を向けた。
 さっき自分でも口にしたが、教会では結婚式が執り行われている最中だ。新郎新婦が幸せそうに肩を寄せ合う姿がこの場から良く見える。
「……せっかくの式なのに、雨で残念だな」
 そうポツリと零すと、葎子の身が乗り出された。そしてフェイトの鼻先に指を突き付けて言う。
「そんなことないです!」
 キッと視線を向けながら断言する彼女に目を瞬く。
「そう、なのか?」
「そうなんです!」
 妙に力説する葎子には強い想いがあるのだろう。
 彼女は頬を紅潮させたまま教会に目を向けると、ほうっと息を吐いた。その表情は夢見る乙女そのもの。
 フェイトは口元に浮かんだ笑みを隠すようにカップを口に運ぶと、彼女の言葉に耳を傾けた。
「6月に結婚式を挙げた花嫁さんは幸せになれるって言われてるんですよ。それに、雨は恵みの象徴……実りを与える雨は、更なる幸せを新郎新婦に与えるんです」
 素敵ですよね。
 そう言って微笑んだ彼女と目が合う。
 その瞬間、頬に朱が走るのを感じたが、フェイトは目を伏せることで隠すと、小さく咳払いをして珈琲を飲んだ。
「……確かに雨は豊穣をもたらす存在だ。それが幸せを運ぶのもなんとなく理解できたが……」
 フェイトは言葉を切ると空に視線を向けた。
 徐々に雲は薄らいでいるが、まだ雨は降っている。
「折角のドレスを雨に濡らすのは忍びない」
「そこは旦那様が抱っこしてくれれば解決です♪」
「抱っこ……」
 想像してボッと顔が熱くなった。
 いや、何を想像したかは彼の中に留めておくとして、フェイトは咽そうになる喉を諌めると、大きく息を吸って目を伏せた。
「……色々な解釈があるんだな」
 どのような考えを持つかは人それぞれ。それこそ100人いれば100通りの考えがあるだろう。
 フェイトは伏せていた目を上げると、夢見がちに教会を見詰め続ける葎子に目を向けた。
「……葎子先輩は、雨の中で式を――」
 式を挙げたいと思う? そう訊ねたのだが、その瞬間、教会のチャペルが輝かしい音を立てて鳴り響いた。
 そのため、思い切って紡ぎ出した言葉が消え、葎子の目だけが彼に向かうことに。
「フェイトさん……今、なんて言いました?」
「あ、いや……」
 なんてタイミングで鳴るんだ。
 そう思うが2度言うつもりはない。と言うか、改めて考えてみると言えるはずもない。
「……大したことじゃないんで、イイ」
 こう返すのが精一杯。
「何してるんだ、俺」
 フェイトは「はあ」と大きくため息を吐くと、頬杖を突く様にして教会に視線を落とした。
 その胸中は後悔と無念ばかり。
 もう少し自分に勇気があれば。とか、あの時チャペルが鳴らなければ。とか、思うことは色々だ。
 だが一番残念なのは、そんな彼の横顔を見て、葎子が不満気に頬を膨らませていたことに気付かなかったことだろう。
 2人分のため息が重なり、なんとなく双方の視線が空に向かう――と、その時。
「雨が……」
「止んだか」
 止む寸前なのはわかっていたが、このタイミングで止むとは。
 2人は顔を見合わせると、苦笑に近い笑みを零し合い、そして笑った。
 葎子にとってフェイトは会って間もない憧れの人で、フェイトにとって葎子は、護りたいとずっと願っていた人。
 重なりきらない過去の記憶を抱えながら、それでも少しずつ重なってゆく今に感謝しながら、フェイトは腰を上げた。
「そろそろ、帰りますか?」
「そうだな。この期を逃してまた降られても困る」
 そう言って手を差し伸べると、躊躇いもなく葎子の手が伸ばされる。
 そしてその手を握り返すと、彼は力強い動作で彼女を立ち上がらせた。
「それじゃ、行こう」
 今のフェイトに出来るのはここまで。
 彼は葎子の手を離すと、僅かにざわめく胸に手を添えて歩き出した。もちろん、その傍には葎子の姿がある。
 2人は着かず離れずの位置を保ちながら歩いてゆく。
 そんな彼等の頭上には、いつの間に姿を現したのか、七色の虹が未来を示すように輝いていた。

―――END

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛
【 8636 / フェイト・- / 男 / 22歳 / IO2エージェント 】

登場NPC
【 蝶野・葎子 / 女 / 23歳 / 「りあ☆こい」従業員&高校生 】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛
こんにちは、朝臣あむです。
このたびは『鈴蘭のハッピーノベル』のご発注、有難うございました。
かなり自由に書かせて頂きましたが、如何でしたでしょうか。
何か不備等ありましたら、遠慮なく仰ってください。

この度は、ご発注ありがとうございました!

カテゴリー: 02フェイト, 朝臣あむWR(フェイト編) |

斡旋屋~誰もいない街

「大変なことが分かりました」
 そう、言われていぶかしく思う訳でもなく、彼、フェイト・-(8636)はサングラスを外し、微笑みかけた。
 無邪気な笑顔は、高校生時代の彼と少しも変わらない。
 服装の黒いスーツと、ロングコート、少しばかり落ち着いた雰囲気が彼の変化を示唆している。
「久しぶり、晶。名呼びはフェイトで構わないよ」
 晶、と呼ばれた斡旋屋(NPC5451)は軽く首肯し、着物の袂から数枚の書類を差し出す。
 それに目を通しながら、フェイトは穏やかな口調で自身の状況を説明した。
「実は、今回の件はIO2の仕事として追っていたんだ。手間が省けて、助かったよ」
 コトリ、と音を立ててヒトガタが茶を入れた湯呑みを置いた。
 ありがとう、と口にしたフェイトは、相変わらず埃と本に支配された斡旋所に視線を移し、笑みを零す。

 ――此処は、変わってないな。

「それは良い偶然でした。……その書類に書いてあることが、私の知る事全てです」
「わかった。ヒミコと接触すれば、謎の人物についての情報も手に入る筈――」
 携帯端末を取りだしたフェイトは、一言二言、報告をしているようだった。
 それも終わり、斡旋屋へと意識を向けたフェイトは口を開く。
「晶の情報収集能力が必要になる。一緒に来てくれると助かる」
「わかりました。同行させて頂きます」
 転送を担当するIO2エージェントは、フェイトの姿を見て少し驚いたようだった。
 瞬き、そして深々と頭を下げる。

「では、転送します――どうぞ、ご無事で」

 永遠の夜を繰り返す、誰もいない街……風の音、月の光、木々のざわめき。
 全てが存在している――ただ、人を除いては。
「これは――ヒミコの心なのかな」
 対霊用のマグナム弾の入ったカートリッジを拳銃に込め、小さくフェイトは呟いた。
 作り物の月の下で、黒く銃身が輝く。
「阿部・ヒミコ……超常能力に目覚め、両親に殺されかけた故に社会から隔離された人物。異なるが故の反発、人間とは奇妙なものです」
 ヒミコについての情報確認と共に、理解に苦しみます、と暗に告げた斡旋屋の言葉にフェイトは苦笑する。
 彼自身の過去も、決して明るいものではない。
「――そうかもしれない。だから、ヒミコをどうにかして解決する問題でもない、そう思うよ」
 IO2にとっては、敵対する虚無の世界の人間でしかない。
 だが、それ以上の思いが無い、と言えば嘘になる。
 吹き抜ける風が、不意に生温いものへと変わる――暗闇から現れた阿部・ヒミコはその腕に白い猫を抱いていた。
 どす黒い舌が口からはみ出、泡を吹いた……既に、生命活動を停止している、白い猫。

「何時だって、人は敵でしかない――あなたも、私を殺すのね」

 死んだ猫が輪郭を失い、そして塵となって還る――空の黒は蛇のようにうねり、色を変えた。
 そして、悪意を持って襲いかかる風……悪霊の絹を裂くような叫び声が二人の耳を貫く。
 すかさず、トリガーを引いたフェイトは、サイドステップで風を交わした。
 質量無き力が、コンクリートを模した道を粉砕し、そして何事もなかったかのように修復される。
 抱きかかえた斡旋屋を見れば、サイコバリアのお陰か、傷一つ負ってはいなかった。
 悪霊に放った弾丸が、一度は弾かれたものの、それ以降は穿ち滅する――超常能力に対する反動、それは一度のみのようだ。
 ヒミコに向かい、サイコネクションで精神共有を図るが、弾かれる。
 サイコバリアを張り、直ぐ様反動である超常現象へ対処し、思考を巡らせる。
(「攻撃すれば、同じだけの攻撃が返ってくる――防御は、防衛されても意味が無いとして……」)
 コートが軽く引っ張られ、フェイトは下方に視線を向けた。
「……一人の様ですね、ヒミコは」
 呟いてフェイトの傍に立った斡旋屋は、空を翔ける蝙蝠を指差した。
「反動は……どう?」
「ヒトガタの不調はありましたが、一時的なものの様です……あ!」
 ヒミコの姿が霧のように消える――フェイトは斡旋屋の手を取り、駆けだした。

 相手が感情を持っている以上、反動に邪魔されたとしてもフェイトにとって彼女を追う事は難しくない。
 テレパシーを駆使し、誰もいない夜道を走る。
「テレパシーですか……昔は苦手でしたね」
 ヒトガタに抱えられながら、フェイトの横を移動する斡旋屋にフェイトは笑いかける。
「そうだね。――随分練習したよ、体術も、拳銃の扱い方も」
「次期ディレクター、との話は窺ってますよ」
 茶化すような言葉に、参ったな、とフェイトは苦笑し、そして一気に足を速めた。
 細い路地を通り、ヒミコと対峙する。

「きみに、害を与えるつもりは無いんだ」
「誰だってそう言うわ。無抵抗になったところを、殺すのよ」
 その手には、赤い傷痕が見えた――先程の猫が、ヒミコの手につけたものかも知れない。
「きみを倒すのは――俺の任務じゃない、俺の意図でもない」
「だから――なんだって言うのよ!」
 怨霊の風、そして大地が割れ、フェイトが飲み込まれる……。
「フェイトさん!」
 ヒトガタが動こうとした、手を伸ばす――だが、届かない。
 大地は飲み込み、そして何も無かったかのように修復される――。

「次は、あなたね」

 ヒミコが捉える、斡旋屋を。
 ヒトガタが主を守ろうと動いた瞬間、斡旋屋の中に、声が響き渡った。

『晶、共有感覚を』

 何処に、とも、何処へ、とも、斡旋屋は聞かなかった。
 無邪気で、そして力強いその声に従い、相手の五感全てを共有する。
 ヒミコの瞳で、斡旋屋は見ていた――ヒトガタが崩れ落ちる、そして、ヒミコの暗闇に一つ灯る光。

 フェイトは、自分を呑みこんだと安堵するヒミコの心の隙を付いて、シンクロを行った。
 精神に入り込み、そして、その心の闇に向かって手を伸ばす。
 伸びてくる手、そして残酷な嘲り、殺意と殺意、憎しみと哀惜、それを塗り込んだ負のキャンバス。
 黒い根が這い寄るのが分かった、だが、伸びてくると言う事は、辿れば大本に辿りつく。
 斡旋屋は声にならぬ声を上げた、感じるのだ――心の闇を、痛みを。
 その叫びを聞く、感じる――心に這いまわる黒い根を。

(「此れを祓わないと、な……」)

 そして、その闇を終わらせるべく、フェイトはその根に触れ、そして引き剥がした。
 フェイトの手に纏わりつく、黒い根。
 それを抱きかかえながら、意識はヒミコから引き剥がされていく――。

「元より俺の任務は、彼女の保護なんでさ」
 数日後、事務手続きでぐったりとしたフェイトは、斡旋屋の元へと訪れていた。
 報酬を受け取りに来て欲しい、と言われた事もあるが、事の顛末を説明する為、と言うのが大きい。
「ヒミコは、記憶を失ったと聞きますが」
 コポコポと音をさせながら、ヒトガタが緑茶を注ぎ、差し出す。
「影沼・ヒミコとして、神聖都学園に通ってるよ」
 お茶菓子として差し出された大福を齧りながら、フェイトは口を開いた。
 ハンガーを片手に、手を差し出してくるヒトガタにコートを預ける。
「その事務手続きが厄介だったんでね、遅くなってごめん」
「こちらは構いませんが……あの後、フェイトさんが闇を引き受けたようでしたので」
 共有感覚で、彼女も理解していたのだろう。
 心の奥底までは悟る事が出来ずとも、感覚を共有していれば知ってしまう情報なのかもしれない。
「その辺りは、IO2としても仕事の範疇だからね。無事だったよ」
「ご健勝で何より」
 書類と格闘し、疲れ切った目を押さえつつも、大福を平らげたフェイトは斡旋屋へと問いかける。
「晶は? 何ともなかった?」
「ええ。被害もありませんし――。来月の古書展も無事に、開催されるようです」

「ところで、ヒミコを手引きした人物は判明しましたか――?」
「……それが、シンクロした時に、一瞬見えたんだけど」
 フェイトは暫く逡巡し、そして、口を開いた。
「その人、紬さんにそっくりだった――」
 斡旋屋の手から、本が滑り落ちる。
 耳障りな音を立ててそれは、一つの絵を見せた。
 笛の音で子供を誘い、そして誘拐する、笛吹きの男の姿を。

━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【8636 / フェイト・- / 男性 / 22 / IO2エージェント】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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フェイト様。
発注ありがとうございました、白銀 紅夜です。

彼は後に、IO2エージェントになるのか――!
と言う事で、特に起きた背景や、事後処理などに力を注がせて頂きました。
完結、と言うよりも何かありそう――! と想像して頂ければ幸いです。
尚、判別用に、斡旋屋の名刺を付与させていただきました。

では、太陽と月、巡る縁に感謝して、良い夢を。

カテゴリー: 02フェイト, 白銀紅夜WR(フェイト編) |

貴方をお返しいたします

その日は、窓を叩く風雨の強い夜だった。
 屋内にいても、雨が地面や屋根を叩く音と、風の唸る声が聞こえてくる。
「絢斗君。今日は随分荒れた酷い天気になってしまったわ。
お客様ももういらっしゃらないでしょうし、絢斗君も帰れなくなっては大変でしょう?」
 つまりは、早くあがっても良い――そういう事のようだった。
「無理に帰る必要もないんですけどね。ここのソファの方が、自分の家のベッドより寝心地もいいし」
「絢斗君の為に置いているわけではないのだけど……」
 困った顔をする寧々に、悪戯っぽく笑うと絢斗は立ち上がり、
 入り口の扉を開いて暴風雨の中【close】の札を掛けなおすと、髪から水を滴らせながら戻ってきた。
「ふー……表は土砂降りです。一分も出てないのにびしょ濡れ」
 ぺったりと腕に張り付いたシャツに視線を落としていた絢斗は、寧々は自分のほうへ厳しい顔を向けていることに気付いた。
「そ、そんなに怒らなくても」
「違うの……」
 すぐに自分から視線を移した寧々の言葉には、多少の緊張が含まれている。
 絢斗が寧々の視線を追えば、男物であろう黒い革靴――もちろん自分のものではない――が、椅子の合間に見えていた。
 さらに視線を辿っていくと、真っ黒のスーツ姿の男が床に座り込んでいるのも見える。
「……あれ?」
 思わず声を上げた絢斗。そして顔を上げたスーツの男……黒いサングラスはヒビが入っていたが、見覚えがある。
 スーツ姿の青年の顔色は少々青白く冴えない様子だが、寧々はその男をじっと見据えていた。
「……数日ぶりにお会いした、のでしょうか……工藤さん」
「はは……。そう、みたいですねぇ……。
どうやら、俺もそちらも【先日の】組み合わせだ」
 工藤と呼ばれた男……IO2エージェント、フェイト・-(8636)は、ゆっくり立ち上がりながら『体力を消耗しているため、戻れるまで少し休ませてほしい』と、許可を取って奥のソファに腰を落ち着けた。
 絢斗の鼻腔に微かな血臭が届き、何かの片鱗を感じ取ったようだ。
 人間である自分でさえこうなのだから、種族上でも血の匂いに敏感な寧々が気づかないはずはない。
 しかし、フェイトは先ほどから片腕を庇うように抑え、平静を装っている。
 絢斗はあえて気づかぬような素振りを見せ、ポットを火にかけるとコーヒーの準備をし始めた。
「室内に飛び込んでこれて良かったね。
屋根突き破られたり、外にジャンプしてきたら今頃大惨事だったよ」
「そう、かもしれないな……」
 寧々から暖かいおしぼりを受け取り、手中へ伝わる熱にほっとしたような息を漏らしたフェイト。
 隣に座って良いかと聞いてきた寧々に、逡巡した後頷きを返したフェイト。隣に音もなく座った寧々から、ふわりと香水の香りが漂う。
「……工藤さん」
「はい?」
 つ、と寧々がフェイトの顔にそっと指を伸ばし、サングラスを指先で摘む。
「少々、汚れてしまっていますね……。砂や埃で」
「…………」
 サングラスを無理に奪い返すことはせず、露わになった素顔のフェイト……いや『工藤勇太』は、緑色の瞳に困惑の色を湛えていた。

「……ここは、宵闇令堂。
様々な思いを抱えたモノが集まるのです」
 まるで母親のように優しく寧々はそう告げて目を閉じ、包み込むように手のひら同士を合わせた。
 その両手を開くと、手のひらには火の灯されたキャンドルが現れる。
「工藤さん。貴方もこのキャンドルのように……今、心が揺らいでいる。
迷い、悩み……そんな想いが、令堂に引き寄せられたのかもしれません」
 ガラスのキャンドルホルダーがテーブルに接する際、硬い音を立てて耳に響く。

「令堂はね、不思議なところだよ。
俺ですら、色々迷うと気がついたら館の前にいることもあるからね。仕事と関係なく、なんか……そういうのもあるんだよ」
 淹れたてのコーヒーを差し出す絢斗に、勇太は礼を言って無事なほうの手で受け取る。
 まだ、その表情には陰りが見えた。
「……あー、やっぱり、気になるなぁ。
あのさ。お節介で悪いけど、その腕怪我したままなら、消毒と血止めさせて貰って良い?
寧々さんがお腹空かせちゃうからさ」
 親指で後ろの寧々を指す絢斗。そんなに意地汚くありません、と寧々は拗ねたように言うのだが、
 腹が減ることは否定しない。
「……ばれて、いたのかな」
「それなりに」
 観念したようにコートの上着を脱いだ勇太。腕の部分は、白いシャツがどす黒くこびりついていた。
 絢斗が鋏で袖を切り取り、傷口の血を軽く拭きながら様子を見る。
「弾とか雑菌が入っていないようだから、このまま傷を塞いでしまうよ」
 何事も危険な様子が無いと知ると発光する本を取り出し、呪文を唱える。
「――作り話だと思って聞いてくれていい」
 傷を塞いでもらっている間、勇太は小さく息を吐き――訥々と語り出した。
 今回、任務を受けて向かった先は、魔物化した人間の撃滅。
 依頼があったときには既に、何人も殺めているという事だった。
 依頼や魔物の討伐も、これが初めてではない。

 しかし――この魔物も元は、自分と同じ【人間】だったのだ。

 目の前にいるのは魔物。でも人間だった。
 では、今まで倒した魔物も、もしも……【人間】だったのなら。

 戦場で、しかも眼前に敵がいる状態であるまじきことだったが、一瞬戸惑いを覚えてしまった。
 そうして、彼は敵を倒しながらも、自らの心身に傷を負った。

「……傷が癒え、戻ればまた同じように戦いが待っている……。
その時に、また……」

 対峙した魔物が、人であったのなら。

 言葉に出しはしなかったが、この一般人……のような二人には、十分に伝わってしまったようだ。

「……ジャンパーに言っちゃったら何も説得力ないんだけどさ。この世には因果律っていうのがあって、
物事には原因があり、結果が後で来るって事。それはいかなる時も逆転しないんだ」
 だから、とその後を寧々が引き継ぐ。
「例えば、工藤さんが過去の何かを変えたとすれば、そこから先の、いわゆる未来の在り方も変わるの。
本来とは何かが変わるかもしれないけれど、いずれ長い時を経て、その差は縮まっていくわ」
 言いたいことは分かるのだが、なぜその話に、という顔をする異邦人に、寧々はそっと顔を近づけた。

「元々人間だった。だけど、魔物になってしまった……そんな人々や、話を私もたくさん知っている。
だけど、体だけではなく、心も深淵へ堕とされてしまったら……戻れないの」
「……」
「私もね、いずれは人を襲って、殺してしまうかもしれない。
そう考えることがなかったわけではないわ。
そうなったら、私は私の心を手放してしまったことになる。それは……考えただけでとても辛い事。
だから……罪を重ねる前に、その時は」
 心を救ってほしい――寧々は彼に悲しげな視線を向けたままそう呟いた。
「寧々さん……」
「工藤さん。貴方は、きっとこれからも傷を負っていくのでしょう。
辛いことに何度も直面して、銃を取りたくないと思うこともあるでしょう。
でも、貴方がやってきたことは、無駄にはならない。
貴方が気付かなくても……必ず、誰かを救った証が【ここ】に刻まれているわ」
 と、勇太の胸へ寧々はほっそりした手を置いた。

 彼女の金色の瞳を暫くじっと見つめていたが、やがて……寧々の手を取って、軽く握った。
「……ありがとう、寧々さん。
そっか……俺には、殺めるだけではなく……救うという事も、できるんだ」
「ええ」
 嬉しそうに笑った男に、もう大丈夫だと実感した寧々は、そっと微笑みを返す。
 傷の痛みも気にならない程に、心と体に力が戻ってきたような感覚があった。

 そして、体の一部がざわつく感じ。
「……あ、もう、行かなくちゃいけないみたいだ……」
 タイムジャンプする前の感覚に気付いて慌てて寧々の手を離したところで、

「工藤さん。忘れもの」
 絢斗がそうしてトレイに乗せて差し出したのは、見覚えのあるサングラスと、何かの代金。
「……この世には『意味ある偶然の一致』ていうのもあるんだけど、これは因果律、なのかな?
工藤さんが置いて行った『貴方』を、一緒に持っていくといいよ」

 頷きを返して、メッセージカードと愛用のサングラスを手に取り、『工藤勇太』から『フェイト』に戻った
彼は、優しげに緑の瞳を細めて、心から礼を言うと落ち着いた態度でサングラスを装着した。

 フェイトのどこにも、最早迷いはなかった。
「そのお金は、ここに置いていくよ。
来たときに……財布が無かったら困るだろう?」
「その時はツケておくから、早めに来てくれたらいいよ」

 いってきます、と片手を挙げて挨拶した瞬間、フェイトの姿は時空の狭間に掻き消えた。

「行ってきます、かぁ。心憎い人だね」
 ひび割れたサングラスを手に取った絢斗は、そっと埃を指先で払うと……グラスのひびを瞬時に直す。
「彼には、もう必要ないかもしれないわ」
「んー……そうだろうね。でも……男ってのは、会いたくなる時もあるんだよ。あの頃の自分にさ」

 この時系列に居る工藤さんは、どんな子なんだろね――そう絢斗は呟いて、届くことのない絵葉書と共にトレイごと再び棚の中に入れて保管する。

【もしも、『今』の貴方が迷った際には。
どうぞ導きのままに宵闇令堂へお越しください】

-END-

━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

 登場人物一覧

【8636 / フェイト・-/ 男性 / 22 / IO2エージェント】

■ライターより

大変遅くなってしまって、本当に申し訳ございません……!
今回も、フェイトさんをお預かりさせていただける機会を頂き、ありがとうございます。
【勇太君】と【フェイトさん】を区切らせていただきましたが、
いかがでしたでしょうか。少しでも、彼らしさが出ていれば幸いです。
本当にありがとうございました!

カテゴリー: 02フェイト, 藤城とーまWR |

時空の異邦人

景色が変わる瞬間、フェイト・-(8636)は背筋に何かが走る感じがした。

――ああ、またか。今日はどこへ連れて行ってくれるんだ?

 そう、己でも制御できぬ能力に問いかけた瞬間、フェイトの身体はその世界から【消え】た。

「……ん?」
 サングラス越しの景色は、先ほどの街並みとは打って変わって光量を抑えられている薄明るい店内。
 棚の上に所狭しと酒瓶やグラスが多数並んでいることからして、どこかの――飲み屋、だろうか。
 なかなか落ち着いた雰囲気じゃないか、と思って視線を右にずらしていくと……自分と同年代程度の青年と目があった。
「……いらっしゃい、でいいのかな?」
 絢斗はコースターを手の中でくるくると回しながらフェイトを見つめていた。
「あ……ああ。店のお勧めがあればそれで」
「お勧めは多々あるんですが、酒の種類とかのご指定はあります? バーボンがいいとか、カクテルだとか」
 ぽり、と頬を掻いたフェイトは、小さな声で『ビールとか……アルコールが弱めのものを』と漏らす。
「ビールはあまり置いてないんで、弱めのカクテルでいいですか?」
「ああ」
 ようやく注文を終えたフェイトは、重要なことを聞くのを忘れていた。
 メジャーカップを手にしてリキュールを入れている絢斗に『今西暦何年だ?』と声をかけた。
 絢斗が西暦と月日を答えると、フェイトは『5年後か』と口の中で呟く。

「お店の中へ転移して、きちんとスツールに座れて幸運ね」
 涼やかな女性の声が近くで聞こえ、フェイトがそちらに目を向けると――銀髪の女性が頬杖をついて、優しげな視線を向けていた。
「初めまして、トラベラーさん。私は久留栖 寧々。この店の主人です」
「あ、どうも……工藤、です」
 見たところ彼らはどこかの所属ではないようだったので、本名のほうを名乗ると寧々という女はにこりと微笑む。
 そして、フェイトははたと気づいた。
「トラベラー……と呼んだか?」
「寧々さんの比喩だよ。時空を超えてきた人を示す『時渡り』だとか『ジャンパー』って言えばいい?」
 フェイトの前にコースターを置き、その上に出来たばかりの琥珀色のカクテルを置く。
「ジンジャーワインをジンジャーエールで割ったカクテルですよ」
 炭酸の海にレモンがゆらゆらと揺れている。
 早速一口飲むと、甘さの後にサッパリとした清涼感が抜けていく。

「……どうして、時空を超えたと思ったんだい?」
 喉の湿り気を実感してから、フェイトはグラスを置くと絢斗に訊いた。
「どうしてって……扉は開いていないし、いつも通り客はゼロ。
寧々さんはいつも人の気配に気づくんだけど、その寧々さんが『転げ落ちないといいわね』って言ったんだ」
「気配を? ……君らは……」
 瞬時に緊張した表情を見せたフェイトに、絢斗は『よくある、ただの特異体質だよ』と何でもない事のように告げた。
「寧々さんはヴァンパイアだけど、僕は一応人間。組織の所属とかは興味ない」
 二人を見比べたフェイトは、ゆっくりと緊張を解き――失礼、と詫びた。
「察しの通り、この能力は突然で。敵陣に突っ込んだりすることもあり得ますからね」
 黒いスーツに黒ロングコートにサングラス。髪も黒い、と全身黒づくめのフェイト。
 どこからどう見ても暗殺者か組織所属者である。
「あなたが、どこの所属であっても構わないわ。乱暴者でない限り」
 寧々はカウンターの上にある花瓶から、白いバラを一輪取り出すと爪の先で程よい短さに茎を切る。
 そうして水気を拭くとフェイトの胸ポケットに差し込んだ。
「ふふ、薔薇が似合う男性は素敵ね……ゆっくりしていって。ここは、よく『訳あり』の人が来るのよ」
 若干の戸惑いを浮かべたフェイトだったが、幸いにしてサングラスで目元は覆われており、黙ってるためその下の表情を伺うことは難しい。
 やがて、フェイトは……肩の力を抜き、噴き出すように笑った。
「ワケアリの人ばかりじゃ、ここは儲からない店みたいだね」
「まったく儲かってないよ」
 力強く同意する絢斗に、寧々も『いいのよ、昼間頑張ってくれてるから』と苦笑した。
「昼も営業を?」
「お昼は喫茶店なのよ。その時は、広く開放しているの。夜になると、この令堂を見つけられなくなるだけ」
 それは困った店だねぇ、と本来の人懐こい性格と酒のせいか幾分砕けた口調になるフェイト。
 他愛ない話を聞きながら、最近開眼した能力……時空転移についてかいつまんだ話をする。
「身についた転移は、自分で制御できないんだ。
何が起きたのか訳が分からなかったから、最初は『ずっとこのままかもしれない』って動揺もしたけどね。
でも、何度か同じ目に遭って、時間が経てば勝手に元の時間軸に戻れるのを知ったら落ち着いたよ」
 自分の意思で戻れないのだから、なるようにしかならないのさと諦観するほかないらしい。

「まったく、どうして時空転移するんだろうねぇ……」

 何気なく呟いた言葉に、寧々が細い顎を上げた。
「……人はなぜ、転生するのか……」
 寧々の唐突な言葉に、男二人は怪訝そうな色を浮かべた。
「魂の課題をクリアするためだとか、いろいろと議論もあるけれど……時空転移も、もしかすると似たようなものかもしれないわ。
未来ならあなたにとって必要な事を告げるためや、過去ならやり残したこと、後悔したことを――拾い上げ、清算するとか、ね」
「清算……拾い上げる……」
 心にじわじわと沁みてくるように思え、フェイトは自分でも言葉に出してみる。
 思い当たる節でもあったのか、フェイトはふぅと息を吐いて氷で薄まったカクテルを飲み干した。

「寧々さん、でしたっけ。
色々考えさせるお話をありがとうございます……」
「いいえ、私は適当なことを言っただけですよ。工藤さんのお力になれるのなら嬉しいわ」
 口に手を当ててくすくすと笑った寧々は、近所のお姉さんのように親しみが持てる。
「あんまり寧々さんに親しみを持たないほうがいいよ。血を吸われるよ」
 絢斗が薄く笑い、軽口を叩いて茶化すのだが、寧々が『絢斗君が吸わせてくれるならいいのよ』と言うと黙った。
「血、吸うんですか?」
「時々、輸血パックに入ったものを頂くのよ。人から直接はかなりご無沙汰ね」
 人の物じゃないと取れない栄養もあるから、と背筋が寒くなる言葉をにこりと告げられるが、
 恐らく人外と呼ばれる人たちの食事は、大変なのだろうとフェイトも思うことにした。
「変な組織に睨まれないように注意したほうがいいですよ」
「ありがとう、もし無実なのに危機が訪れたら、助けに来てもらおうかしらね」
 すると、フェイトも『うまく転移できれば』と告げて、自身の身体に手を置いた。
「いつか、コントロールできるようなきっかけが来ればいいけど」
「そうね。でも、時間がかかっても……できるようになると思うわ」
 言いながら、寧々は彼女の左側にあるタロットカードの山から一枚引き抜くと、フェイトへと見せる。

「――吊るし人の正位置。
今はまだ、力の加減をコントロールできずに我慢を強いられる状態にあるようね。
苦しいときこそ良い結果を得るために模索できる。
ただ、ちょっと引っかかることもあるわ。
何か……」

 そこまで言うと、寧々は何かを感じ取ったのか目を瞬かせる。

「あ、工藤さ――」
 最後まで言い終わらぬうちに、フェイトの身体は再び時空の彼方へと消えて行った。

「……行っちゃいましたね」
「元の時代に戻れたのかしら。短い来訪だったわね……」
 御代貰ってないですけど、と絢斗が苦笑すると、寧々は『次にお会いできた時でいいわよ』と微笑む。
「――多すぎるお釣りと忘れ物があるから、来て頂かないとね」
「?」
 怪訝そうな表情の絢斗は、カウンターに置かれているサングラスと紙幣数枚を見つける。
 恐らく、転移の瞬間に慌ててカウンターへと置いたのだろう。
 確かにカクテル一杯の値段としては、貰いすぎである。
 絢斗は紙幣を一枚抜き、正規の金額分の釣銭と一緒にチャック付きポリ袋へと残りの紙幣と共に納め、
 サングラスと一緒に引き出しの中へと入れる。
 メッセージカードに何かを記載し、サングラスと紙幣の上に布を被せると、カードを置いて鍵をかけた。

 カードには、こう記されている。

『工藤様
またのお越しをお待ちしております』

-END-

━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

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【8636 / フェイト・-/ 男性 / 22 / IO2エージェント】

カテゴリー: 02フェイト, 藤城とーまWR |

マダムLのチョコレートレシピ

どう考えても、美味しい匂いがしていた。
「仁科さんいつからチョコレート屋さんになったの?」
 あまりの良い香りに、古書店の扉をあけたフェイト・- (フェイト・ー)が開口一番そんな冗談を口にする程に。
 一方古書店店主仁科雪久はちょっと困ったように笑みを返す。
「いや、一応まだ古本屋を廃業したつもりは無いんだけど……」
 ふんわり漂う甘くてほろ苦いチョコレートの香りは食べられないのが不思議な勢いで、任務帰りだったフェイトがつい立ち寄ってしまうほどにリアルなチョコレートっぷり。
「あ、そうだ!」
 そして困り顔のだった雪久はフェイトの顔を見てポン、と手を叩く。
「……ちょっと手伝ってもらえないかな?」

「流石仁科さんとこの本だな~」
 一頻り事情を聞いたフェイトはふふ、と笑った。極力堪えようとしたものの、やはり相変わらずな古書店店主と、彼を振り回す愉快な本についつい笑みがこぼれてしまう。
 各地で発生している、ヒトとヒトならざるものの諍いなど冗談のようにここは平和だ。
 その上雪久はちょっと肩身が狭そうに縮こまっているし。
「ご、ごめん……うちの本、ちょっと我が強くてね……」
 彼の微妙な言葉にフェイトはついつい吹きだした。我が強い本って凄まじい言葉である。
 しかしながらフェイトは笑いすぎて噎せながらにも頭を下げる雪久へと手で顔を上げるようジェスチャーで伝える。ようやく咳き込むのが止まったところでフェイトは今度はにっこりと笑む。
「俺で良ければ作りますよ」
「ホントかい? ありがとう、助かるよ」
 雪久も笑顔を返し、本を差し出す。差し出された本は古びてはいるが装丁も上品で、何より普通なら漂う古書の匂いがなく、甘くて素敵な香りがする。
 早速フェイトは本のレシピをチェック。台所に置かれた材料も確認する彼は「やっぱり基本は大事かな」などとすこし楽しそうな雰囲気。
「しかし手慣れた感じだね」
 雪久の問いかけにフェイトはエプロンを身につけつつも答える。
「今は仕事が忙しくてキッチンに立つ事がなくなっちゃったですけど、昔は自炊してたんですよ」
 あまりお菓子は作った事はなかったけど、と続けつつも、久しぶりの台所はなんだかわくわくする。
 隣に立った雪久も手伝うつもりらしくエプロンを身につけ問うた。
「もしかして弁当男子だった?」
「そうです! 高校の時は毎日のように作ってましたもん」
 あまりお菓子は作った事はなかったけど、と述べつつも早速チョコレートを刻みはじめる。
 作るのはトリュフとガトーショコラの二品。基本をしっかり押さえていれば作りやすいものだが、慣れないうちは意外と難しい。ガトーショコラのメレンゲなんかは初心者の懸案事項と言っても良い。
「へぇ……器用だなぁ。私が高校の頃は……」
 手慣れた様子に感嘆しつつ、雪久も思いだしたように語る。
「……購買部で買った菓子パン食べてた、かな?」
「体に悪いですよ」
 今の彼からは考えられないとフェイトがついついツッコミをいれる。
「そうだよねぇ……でも若さに任せて菓子パンだったんだよねぇ……」
 今は間違っても出来ないなぁ、等と雪久は笑った。
 二人で台所に立ちそんなたわいない会話をするうちに、フェイトは過去の事を思い出す。
 高校の頃、それ以前の事。それは久しぶりの台所が記憶を蘇らせたのかもしれない。

「よし、焼けた!」
 オーブンから取り出したガトーショコラは良い香り。ケーキクーラーに載せつつ見るにふっくら焼き上がりどうやら懸案だった基本――メレンゲ作りも上手く行った模様。
「こっちも良く出来たみたいだよ」
 雪久もトリュフの様子を見て述べる。その時フェイトは初めて自分が作った以外の何かも置いてある事に気づく。
「それ何ですか?」
「まあそれはおいといて……お茶の準備をするから出来たら席についてくれるかな」
 にこにこ笑って濁しつつ、雪久はお茶の準備をてきぱきすすめていく。思いっきり流された。
 三人分のお茶と、そしてガトーショコラにトリュフが並べられ、三人目の席には先ほどの古書が置かれている。
(仁科さんは毎年、この本のレシピを試してたんだなぁ……)
 改めて考えると結構大変だろうという事はフェイトにも分かる。それに、恐らく世話しなきゃいけない本は、これ以外にもたくさんあるはずだ。
「仁科さん、結構負担になってたりしませんか?」
「何が」かは伏せつつ問いかける。雪久自身がどう思っているのかすこしだけ不安があった為かもしれない。だが雪久はあっさり答える。
「うん。結構この本たちの世話ってやっかいなんだよね……」
「でも手放さないんですよね?」
 重ねた問いかけに雪久は困ったようにぐるり、と室内を見渡す。フェイトもつられたように周囲に視線を投げかけると、いつものように取り囲むように本棚が並び、ぎっしりと本が詰まっていた。
 ――もしかして、これ全部が「我が強い本」だったりするんだろうか?
「そりゃあ、世話できる人が欲しいと買い取りにきたら手放すけれど……大体、無理なんだよねぇ……」
 がっくりと肩を落とした雪久にフェイトもついつい納得しつつ……同時にきっと「買い取りたい人」がいないのではなく「お世話できる人」がいないんだろうなとぼんやり考える。
 そしてぼんやりしてたら不意打ち気味に問い返された。
「フェイトさんは、つらい事ないかな?」
「結構昔は辛い事って多いなって思ってたけど、それは今になってもそうで……」
 ぽろり、とフェイトの口から零れる。
 決して言わないつもりだったにも関わらず口に出てしまったのは、少々気が緩んだ為かもしれない。
 思い出せば思い出す程に、過去の出来ごとは辛い事も多かった。
 成長して大人になって、色々な事が出来るようになったなら、世の中のどんな困難も渡っていけると思っていた。
 だけれど、目前の現実は今も変わらず厳しく、そして辛い。
 足を止めてしまいそうな時だってある。それでも――。
「でも、自分で選んだ道だから……辛い事があっても前に進める」
 フェイトはきっぱりと雪久の目を見つめ述べた。
「凄いね」
 決意の籠もったフェイトの視線に、雪久は穏やかな視線を向け、そして申し訳なさそうに「私はちょいちょい休んでのんびりしているからなぁ」と笑う。
「辛くても進めるのはホント凄い事だよ。でも、しんどい時は、周りを頼ったり、少し休んで考えたりしてもいいと思うんだ。で、休んだりするには甘いものが一番……と私は思うね」
 にっこり笑って差し出される、オレンジ色の何か。
「これ、さっきの……?」
 受け取ってよくよく見ると、煮込んだオレンジを乾燥させ、チョコレートをかけたもの――オランジェット。
「そう。いつもお世話になってるのに、何もお礼が出来ないのも申し訳ないし。折角だから作ってみました」
 くすくす笑う彼は楽しそうだ。
 口に放り込むとチョコレートの甘さの中に、オレンジの酸味と皮の仄かな苦みが広がる。ちょっと大人の味、かも知れない。
「初心は……ある意味私と一緒かな?」
 雪久は自分がこれらの本を古書店という形で管理するのには、本達から人々をある程度守るという意味も含まれるかもしれないと語った。同時に、その逆も。
 恐らくフェイトが今の仕事を選んだのと同じように、雪久も古書店店主である事を自らの意志で選んだのだろう。
 更に、彼は最後にこう続けた。
「それに、もしかしたら、この店を続けることで、私の仕事が君たちの助けになる日も来るかもしれない……なんて思ってる」
「……えっ?」
 フェイトは口に運ぼうとしていたティーカップを手にしたまま小さく尋ね返す。だが雪久は答えない。
 彼には未だIO2の仕事の話はしていなかったはずだ。
 守秘義務だってあるし、フェイトにも職業人としての矜持もある。間違っても漏洩などはしない。
 IO2はそもそもが非公開組織だ。バックに各国の政府クラスが絡んでいる為組織としての力は絶大だが、一般人がその存在を知るわけが無いのだ。
 フェイト自身もそういった理由により表向きは警察組織のものとして扱われている。
 IO2は超常現象のたぐいをヒトの法のうちで管理すべく動いているのだ。
 だがそれは、ある意味で雪久と本との関係と似ているかもしれない。
 ――協力者なのか。それとも?
 フェイトの表情に緊張が走ったのを見て取ってか雪久はへらりと笑った。
「なーんてね。こんな呪われっぽい本達だって色んな事に役立つよ? 凄いレシピとか載ってたりするから、近所のおばちゃん方とかにね――」
 たわいない雑談がはじまり、フェイトもそれ以上ツッコむ事も出来ず、いつもの会話へと戻っていく。
(……気のせい、だったのかな……?)
 すこしだけ疑問も残しつつも、のんびりとした会話と、のんびりとしたお茶を楽しむうちに、気づけばあれだけ強く漂っていたチョコレートの香りも綺麗さっぱり無くなっていた。

 フェイトが帰ろうと店の外に出た頃には、仕事の帰りに寄ったこともあってとっぷりと暗かった。
「大分遅くなっちゃったね。ごめん」
「いえ……なんだか気分はすっきりしました」
 改めて決意を口にしてみて、なにか迷いがふっきれたような気もする。
「ちょっと休みたくなったらいつでもおいで。ただ……ゆっくりできるとは限らないけれど」
 述べた雪久の片腕には「我の強い本」ことマダム・リサのチョコレートレシピが抱えられている。ついついフェイトの表情が綻んだ。
 確かにゆっくりはできないかもしれない。
 それでも――。
 それでもこの古書店で起きる出来事は、どこかのんびりしていて、同時にハチャメチャで、普段とは違った気分にさせてくれる。
 そして、学生時代に帰ったような懐かしさも。
 辛い事は多かった。だけれど、辛い事ばかりじゃない。
 今だって、やっぱり辛い事ばかりじゃない。
「また来ますね!」
 フェイトは雪久へと手をふり、元気な笑顔で店から遠ざかる。
 明日からの仕事は、また新たな気分で挑めるはずだ。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
8636 / フェイト・- (フェイト・ー) / 男性 / 22歳 / IO2エージェント

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■         ライター通信          ■
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 お世話になっております。小倉澄知です。
 というわけで、フェイトさんのお仕事に関するお話もほんのり入った感じです。
 この度は発注ありがとうございました。もしまたご縁がございましたら宜しくお願いいたします。

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