水晶猫を捕まえて

風が随分と暖かくなってきた。
 道行く人々も心なしかどこか明るい雰囲気を漂わせているような気がする。
 フェイト・- (フェイト・ー)はそんな人々の間を縫い、久々の東京都内を歩む。
 黒のスーツに身をかため、さらにサングラスをかけ隙無く歩む姿には浮わついたところは感じられない。
 そんな彼の向かう先には古びた古書店があった。
 古書店の前には店主であろう男性の姿がある。どうやら竹箒で店の前を掃いている所らしい。
 仁科・雪久(にしな・ゆきひさ)。
 しばらく前に会った時から、あまり見た目は変わっていない。若干白髪は増えたような気がするが、それがまた、どこか雪久らしいとフェイトはちょっとだけ表情を綻ばせた。
 そして古書店店主もまた、やってきたスーツ姿の彼へと気付いたらしい。
「いらっしゃいませ」
 笑顔で彼はフェイトを迎える。
 ――ああ、何も変わっていない。
「お久しぶりです、仁科さん」
 声をかけられ一瞬だが古書店店主はあっけに取られた。
「……ええと、失礼。以前どちらで……?」
 彼の怪訝そうな表情に青年は慌ててサングラスを外す。その下から現れたものは、人なつっこそうな緑の瞳。
 以前より落ち着きを湛えてはいたものの、雪久は彼の瞳をしっかりと覚えていた。
「勇太さん! 元気そうで何よりだ」
 工藤・勇太。それが雪久の知る彼の名前。両腕を広げフェイトの訪れを雪久は歓迎する。
「しばらく見かけなかったけれど随分と立派になったね」
 相変わらず細身ではあるものの、それでも以前とは比べものにならないくらいしなやかな筋肉が付いているのは雪久にも判ったらしい。
「今日は仕事が一段落して、近くまで来たので寄ってみたんですよ」
 告げられ雪久も問いかける。しかし……。
「今はどんなお仕事を?」
 問われてちょっとだけフェイトは口ごもった。
 彼は今はIO2エージェントとして働いている。以前からの知り合いである雪久とは今まで通りの付き合いをしたい。
 そしてエージェントである事は極力隠していたい。そんな思いもあったのだ。
「……ああ、ごめん……それに外で話す話題でもなかったね」
 中でお茶でも――と雪久が告げた直後の事だった。
 挨拶を交わす二人の傍を、たーっと何かが駆け抜ける。
「仁科さん、今何か……」
「うん……何か、出て行った……よね」
「猫みたいに見えたんですけど」
 フェイトに告げられ雪久が慌てて店内へと戻る。次いでフェイトも踏み居ると、本棚から落下したらしき一冊の絵本が、開いたままに床に落ちていた。

「……というわけで……いや、ホントお仕事が一段落して休憩中の所を申し訳無い気持ちではあるんだけれど……お願いできるかな。フェイトさん」
 ざっと近況の報告をする間もなく――出来た事はといえば、勇太が今はフェイトというエージェントネームを持っているのを告げる位か。
 雪久は大変困ったように告げる。しかしフェイトとしては躊躇いは無い。寧ろ、彼としては懐かしさを覚える依頼だ。
 不思議なモノがひょいひょい発生する。それが古書肆淡雪。
「大丈夫です! 任務了解ですよ!」
 笑顔でフェイトは雪久の依頼を受ける。
 ――ああ、なんだか学生時代に戻ったみたいだ。そんな感慨と共に。

 さておきフェイトは早速、砂糖を溶かしたミルクを手に猫を探す。
 外見は透明。そして縁あるモノにしか見えないという話だし、非常に特徴的だ。
「猫ちゃーん、どこ行ったかな~」
 周囲を見渡すフェイト。どこからともなく聞こえる「ンなー」という猫の声。
 こんもりした木々に覆われた公園の方から聞こえた気がして、彼はそちらへと駆け寄る。
 正直な所、今の彼の姿を見たならば、同僚達は間違い無く驚く。
 仕事中の彼は極めてクールに、そしててきぱきと物事をこなす。ゆえに猫に対して優しく接する姿はあまりに意外に見えるかも知れない。
 さておきフェイトが猫の声がした方へと垣根を越えて進むと……。
「猫ちゃーん……あ!」
 小さくフェイトが声をあげる。
 クロネコにシロネコ、三毛やキジトラ。そういった猫が沢山居る猫のたまり場とでも言うような所に、よくよく見れば奇妙な子猫が居たのだ。
 透き通った姿をした、水晶のような子猫。
「ほーら、猫ちゃん。おいで」
 ニコニコ笑顔でフェイトは猫じゃらしを振ってみる。途端に子猫は「にゃー!」と元気に突撃。
 ――こんな姿を同僚達が見たら気絶くらいするかもしれない。が、それはおいといて。
 よし、タイミングを見て切り返すぞ、等とフェイトが猫じゃらしを大きく動かそうとした瞬間、他のにゃんこたちも突撃!!
「……お……わぁぁぁぁあ!?」
 にゃーとかみゃーとかンなーとかぷるなーとか一斉に元気に鳴きながら猫たちはフェイトの持った猫じゃらしへと突貫!
 猫じゃらしに夢中過ぎてフェイト本人を踏んづけるモノまで居る始末。
 さしものフェイトといえど大量の猫に襲撃されてその場に倒れ込む。
 ――寧ろ、猫相手だからこそ無抵抗で踏んづけられたような気もするが。
 そんな彼の指先に何かが触れた。
 ぺろぺろ、と何かが指を舐めているらしい。
 フェイトがそちらを見やると、例の水晶猫が心配そうに彼の顔を覗き込んだ。
「にゃおん?」
「大丈夫だよ。これくらい何てことない」
 身を案じられた気がして、笑顔で答えフェイトは身を起こす。
「それより、お腹すいてない?」
 砂糖を溶かしたミルクを子猫の前に置くと、子猫だけではなく他のにゃんこ達も一緒にぺろぺろと舐め始める。
「みんな余程お腹すいてたんだね」
 そっと指先で猫へと触れてみる。水晶猫だけではなく、他の猫達もフェイトに撫でられるままだ。
 彼は猫たちを撫でつつ空を見上げる。まだまだそれほど時間は経っていない。
 という事は、まだまだ猫たちと遊んでも問題ないという事。
「折角だし、もうちょっと遊ぼうか」
 フェイトがそう告げると水晶猫もそれを喜ぶように「にゃーお♪」と鳴いた。

 それから――。
 フェイトは夕暮れ時まで全力で猫と遊び倒した。
 水晶猫は勿論、その他の猫たちも一緒だ。
「うりゃっ!!」
 ちょいちょい、と動かしていた猫じゃらしを頭上高くに掲げる。ヒートアップした猫はフェイトを足がかりにしてでも猫じゃらしに飛びつこうと必死だ。
 そしてフェイトも今度はもっと猫じゃらしの高さを上げようとジャンプ。猫たちもついていこうと頑張る!
 全力だった。
 あまりに全力な遊びっぷりだった。
 今のフェイトの姿を同僚達が見たら「明日は世界の終わりだ」とか言い出すかもしれない。
 日頃の彼からはあまりに想像できない程の笑顔で、フェイトは猫たちと戯れる。
 それは、少しだけ彼の居る険しい日常から解放されたひとときだったのかもしれない。

 気付けば空は赤く染まっていた。もうしばらくしたら上空は次第に青く変遷していく事だろう。
「任務完了いたしました!」
 ニコニコしながらフェイトは古書肆淡雪へと戻ってきていた。
 胸にはすっかり懐いて安心したのかすーすー眠る水晶猫の姿。
 しかし、古書店店主はといえばそんな彼を驚いたように見つめている。
 ……というのも。
 フェイトは頭の天辺から爪先まで、嵐にでもあったのだろうか? と言いたいくらい凄まじい格好になっていたからだ。
 折角のスーツもしわくちゃになり、ネクタイは曲がっている。靴も泥だらけ。髪には葉っぱがついている。全身猫毛だらけとなれば驚くというもの。
「ありがとう。しかし……」
 ちょっと何かを言いよどんだ雪久に、何か不都合でもあっただろうか、とフェイトは一瞬だが険しい表情に戻る。
「ええと、勇太さん、良かったら風呂と着替えくらい貸そうか?」
 成程改めてみなおせば酷い格好だ、とフェイトは苦笑を浮かべた。
 すう、と息を吸い込むと、湿った土の匂い、そしてまだまだ新しい草木の匂いがする。そして、抱きかかえた温かな猫の、日向のような匂い。
 昔、この古書店を訪れた時によく嗅いだ気がする、なんだか懐かしい日常の匂い。
「いや、いいです! 今日ななんとなくこのままで居たい気分なんで! ところで……」
「うん?」
 フェイトの意味ありげに区切った言葉に今度は雪久が不思議そうな顔をした。
「勇太さん、って呼んでくれましたね」
「……ああ、なんだかそう呼んだ方が良いかな、と思ったんだ。ダメだったかな?」
「いや、そんな事ないですよ」
 フェイトは頭を振る。
 何せ心中にはなんだか嬉しい気持ちもある。
 なんだか高校時代の自分に戻ったみたいで。
 雪久ももしかしたら、今のフェイトの中に「工藤勇太であった頃の彼」を見たのかもしれない。
「折角だし晩ご飯でも食べていくかい?」
 ありもので悪いんだけど、と雪久は切り出す。
「え? いいんですか?」
「ああ、勿論。それくらいしかお礼と言えそうなものが出来ないのが申し訳無いけれど。それに、水晶猫のおかげで全然君と話が出来なかったからね」
 雪久は、今日も以前と変わることなくフェイトの訪れを歓迎してくれていた。
 ならば歓待に答えるのもきっと大事な事だ。
「じゃあ、遠慮なく頂きます!」
 笑顔でフェイトが答える。
 あまりにも平和な、あまりにもごくごく普通の日常。
 時間が滞留しているような気がする程、以前と変わらない場所。
 これから、フェイトに険しい特殊任務の日々が訪れるとしても、古書肆淡雪はいつでも彼が羽根休めに帰ってくるのを待っている事だろう。
 ――変わることのない日常の場所として。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
8636 / フェイト・- (フェイト・ー) / 男性 / 22歳 / IO2エージェント

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■         ライター通信          ■
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 お世話になっております。小倉澄知です。
 今回は水晶猫のお話……なのですが、学生時代のフェイトさんの日常の話……もちょっぴり混ぜてみました。
 変わっていくフェイトさんと、あまり変わらない雪久。それでも雪久はフェイトさんが遊びに来るのを楽しみにしているはずです。
 この度は発注ありがとうございました。もしまたご縁がございましたら宜しくお願いいたします。

カテゴリー: 02フェイト, 小倉澄知WR(フェイト編) |

Stay cool

ここは違うとわかっているのに。
 どうしても心がざわついてしまう。

 遠目であっても、白衣を羽織った人影が何処へともなく颯爽と歩き去って行くのを見ると。
 殺風景で無機的な、研究施設然とした建物や――それらしい機材が置かれている中を歩いていると。

 どうしても、幼少の頃を思い出す。
 反射的に、萎縮する。
 どうしようもなく不安になってしまう自分が居る。

 …本当に、ここは違うのだとわかっているのに。

 …フェイトとしては――いや、工藤勇太としては、かもしれないが――どうにも落ち着かないものがある。

 手の中の感触。銃把を握ってホルスターから拳銃を引き抜き、標的に向かって構えつつ安全装置を外す。そして良く狙い引き金を絞る――撃鉄が落ち、撃針が弾薬底部の雷管を叩く。その爆発する威力――圧力で、銃身を押し出され撃ち放たれた弾の行き先もその時点でわかる。撃ち放ったその手応え時点で、着弾点の標的がどうなったかも当然のように予測が付いている。

 が。

 日本に帰国して以来、その一連の動作と――それに伴う感覚がいまいちしっくり来ない。アメリカに居た頃の射撃と同様、一連の動作がスムーズに行えるよう努めてはいるのだが――何度やってみても何処かしらにあるその違和感は拭えない。具体的に何処がどう違うかまでははっきり言えないのだが――そう感じてしまう理由の方は、一応、わかっているつもりではある。

 …単純に、使っている拳銃が『違う』から。

 フェイトがアメリカで愛用していた拳銃は、帰国するに当たり返却している――私物では無くIO2アメリカ本部の備品になるので、日本にまで持っては来れない。…手続き次第では持って来る事も出来なくは無いのだが、用意する書類が面倒だし、愛用していたと言ってもそれ程拘りがある特別な種類の拳銃でも無い。業務上、日本支部でもまた別の装備品が――拳銃がきちんと用意されるのだから、それを使えばいい。
 そう思って、普通に返却して来た。…そもそもそうしておいた方が、再び渡米した際にはすぐそちらの銃が用意出来ると言う便利な面もある。…国際的な動き方をする事も多い業務な以上、そういう時の為に使い易い備品を現地に残しておいて悪い事は無い。
 即ち、日本に居る今現在は当時と同一の拳銃を使っている訳では無い。…ただそうは言っても、日本で今使っている拳銃も、当時使っていた拳銃と同社製で同形式の拳銃――をIO2の技術を以って少々カスタマイズしてある同シリーズの一丁であり、形としては全く『同じ』特殊な拳銃ではある。…それを使いたいと申請して、その申請が普通に通っている。使っていたものと完全に同一の品では無いにしろ、形自体が全く同じ以上はきっと使用感も同じだろう、と楽観的に思っていたその拳銃。…なのに、実際使ってみれば使用感がどうにも違って感じてしまう代物で。
 勿論、拳銃自体が不良品だったり不具合がある訳ではない。使用感が違うと言っても実用が適わない訳でも無い。事実、フェイトはこの拳銃を実際の捜査でももう何度も使っている。この『違和感』が理由で何か失敗をした訳でも無い。この拳銃を相棒にして、日本での捜査を行う事自体に慣れても来ている――日本での活動も幾らか落ち着いて来ている。客観的に見て、何も問題は無い。
 ただ、主観的にはどうしても何かがしっくり来ない。…それだけと言えばそれだけ。
 それだけなのだが。

 対霊弾を使う以上は、それで放置も出来ない。

 フェイトはIO2に於ける捜査に当たり、必要な際にはこの拳銃と弾薬を用いる事で対霊弾を使用している。フェイトの使う対霊弾は、自分の能力――『念』を通常の銃弾に宿す事で、対象に合わせて適宜銃撃の性質を変えると言うもの。即ち、『違和感』などと言うごく些細な要素もまた、心的なものである以上、色々と響いてくる可能性がある。…まぁ、そういった特別な事情が無くとも、解消する事が可能ならば事前に解消しておいた方が良い事ではある。
 何にしろ、例え「何かしっくり来ない」程度の些細な違和感があるだけであっても、銃が銃なので銃を扱う本人も含めて、確り調整しておく必要はあるもので。

 …実際、事ある毎にそう言われてもいる。特に、IO2内部にある開発研究室の心霊銃器を取り扱う者――特にフェイトの拳銃を調整している担当者辺りは、フェイトの顔を見るたびに、拳銃の調子はどうかと気さくに訊ねても来る。
 白衣姿の、その担当者。…研究者なのだから、それもIO2内に居ると言う事は仕事中なのだから――白衣姿なのはある意味当然ではある。
 あるが。
 その白衣姿の担当者に軽く声を掛けられるたび、フェイトは内心でびくりとしてしまう。…勿論、表には出さない。出さないが、それでも身体の奥に染み付いてしまった恐怖心、不安感、抵抗感は完全に消し切れるものでも無い。三つ子の魂百までとも言う――幼い頃の、それも負の感情を伴う強烈な記憶に由来する感覚ともなれば、余計に消し切る事は難しい。
 難しいが。
 …だからと言って、今の仕事を続けている以上は――白衣や研究室の類が完全に避け切れるものでも無い。
 心配して、気に掛けて貰えているのは有難いのだが、その相手の姿が白衣であるだけで――どうにも、きつく感じてしまう自分が居る。…声を掛けられる事自体が、正直嫌だ。そして、嫌だと思ってしまう事自体が、当の担当者にとても申し訳無くも思う。…そんな堂々巡りがいつまでも続く。

 こうなって来ると、アメリカで愛用していた銃をこっちに持って来た方が良かったか――と俄かに後悔さえしているところだが、もう遅い。と言うか、今更になってそんな事を言い出したら、それこそ上にはっきりした理由を伝えなければならない。今更晒したくもないこちらの弱みを晒してどうする――いや、そもそもそんな事は理由にならないだろう。むしろ今更そんな事を言い出したらIO2エージェントとしての資質を問われかねない――同時に、そんな事をしては今使っているこの拳銃の面倒を見てくれている――こまめにメンテナンスしてくれている担当者に駄目出ししているも同然になってしまう。それはさすがに担当者に悪い。
 理性では、理屈ではそうわかっている。
 けれど、感情の方はそう簡単には行かない。
 担当者の元へメンテナンスに行くたび、体が強張る思いがする。行きたくない、と反射的に思ってしまう自分が居る。行っても大丈夫だと、何の問題も無い――それどころか自分の助けになるのだとわかっているのに、どうしようもなく気が滅入る。…勿論、傍から見てそうは見られないように、内心の動揺を表に出さない術は心得ている。心得ているが――それでも。
 白衣や研究室の類――そういった場所は、どうしても苦手で。

 メンテナンスに向かう事自体が、酷く憂鬱になってしまうのは、仕方無い。

 そうは言っても、「しなければならない」以上は、当然、出向く。

 普段通りに、何でも無いように、傍から見る限りは毅然として見えるように努めつつ開発研究室に赴く。自分自身と拳銃との調整。標的を認識し拳銃を操作する事で――的を狙って引き金を絞る事で、弾薬に『念』を籠め撃ち放つのがフェイトの使う対霊弾の原理。その『念』の、己の手から拳銃、弾薬へと至るまでの伝導率をまずは計測。自分と拳銃とにセンサーを張り付けて、担当者の前で試射をして見せる事で、計測を行う。まずは『念』を籠めない普通の射撃に、それから『念』を籠めての対霊弾で。更には対霊弾は対霊弾でも属性を変えて、担当者の指定通りに数回試射を繰り返す。
 …それだけの事でも、酷く緊張する。自分の身体のあちこちに張り付けられたセンサー自体が、幼い頃の事を思い起こさせる――心ならずもぞっとしてしまう。背筋がチリチリする感じがどうしても来る。…潜在能力未知数なサイキックの能力があった事で狙われて、虚無の境界に近い研究施設で監禁されていた過去の時。何度も繰り返されていた筆舌に尽くし難い酷い実験――今俺の居るここは、これは、それとは違う。過去を思い起こしてしまうたびに、違うのだと何度も何度も心の内で反駁する――それでも、どうしても不安感が押し寄せる。…押し殺す。抑え込む。が、この動揺が、センサーの方で捉えられてしまわないかとまた不安になる――そう思う事自体が余計悪いのに、止まらない。

 試射を終えたところで、心を落ち着かせる為に静かに細く息を吐く。一応、傍から見れば平静に見えるだろう態度のままで。と、はいはーい、フェイトさんお疲れさまー、少々そのままお待ち下さいねー、と担当者のやけに軽い声がした。かと思うと、カタカタと慣れた手つきでキーボードを叩くような音――拳銃と繋いである機材の方で調整の操作をしているだろう音が暫し続き、程無く再び試射を頼まれる。言われた通り、再び撃つ。…相変わらず内心の葛藤がある中で、だが。

 が。

 …今度はさっきより、かなり撃ち易くなった気がした。

 と、思ったら。
 もういいですよー、とあっさり本日のメンテナンス終了を言い渡される。身体の方に張り付けられていたセンサーの方も、何やら速攻でべりっと全部外され――やけにあっさり解放された。
 フェイト、思わずきょとん。
「え、もう終わり?」
「はい。今日はここまでで大丈夫ですよ。こういう煩わしい事は短い間で済ませた方が良いですもんね。あ、かなり使い易くなってると思うんですけど、どうですか?」
「…ああ、うん…確かに」
 初めに試射した時より、調整後に試射した時の方が――しっくり来た。
 まだ完全――とまでは言えないが、良い方向に行っているのは、体感でわかる。何と言うか、惜しい、とでも言うところ。何かが足りない、でもあと少し。
 フェイトにしてみれば、ここまで上手い具合に銃が手に馴染んだ――気がしたのは、日本に帰国してからは初めてになる。
 改めて手の中の拳銃に意識を向けつつそう自覚すると、それを見て、担当者の方でも柔らかく頷いて来る。
「でしたら、多分、あと二、三回も来て頂ければ以前使ってらっしゃった銃と同様に使えるようになると思いますよ」
 それまでの辛抱ですからもうちょっとお付き合い下さいね。
「…」
 辛抱。
 それは確かにフェイトにとってはその通りなのだが、担当者からサラッとそう言われるのは少し意外でもある。…まさかこちらの内心に気付かれているのかと思うが、担当者の方は特にそれまでと様子が変わっている訳でも無い。カレンダーを見つつ、手許で書類に何やら書き入れている。何でも無いようなその様子を見ていると、こちらが疑心暗鬼になっているだけかとも思う。
 次のメンテナンスの予定。一週間後――と伝えられる。そのくらい間を置いた方が良いでしょう、と。…そんなものかと思っていると、ではまた一週間後に! とすぐさま研究室を追い出された。

 ?

 …いきなり追い出された事で、何か不興を買ったかと俄かに疑問に思いつつも、担当者の様子を見る限りは別にそんな態度では無かったなぁとも思う。ともあれ、追い出されたのなら――用が済んだのならこんなところに長居をする気は無い。自分の意志ではどうする事も出来ない苦手なものからは早く解放されたいのも本音。早々に解放されたこの状況は、有難い事は有難い。

 だが、何となく釈然としないのも確か。

 …思えば、この担当者は初めて会った時からメンテナンスの手際がいい。
 何と言うか、終わるのが速いのだ。…それも、回を重ねる毎にどんどん速くなっている。勿論、調整が合って来ているから――やるべき事が減って来ているから速くなっているのだろうが、それにしても――アメリカに居た頃の、以前愛用していた銃の調整はここまで速くは済まなかった気がする。

 フェイトはそう思っているのだが、たまたま同じ担当者に銃を見て貰っているとある同僚が――この担当者は雑談が好きで、すぐ話し込んでしまって時間が掛かるとか何とか嬉しそうに愚痴っていたのを聞いた事があったりもする。

 …自分とは正反対である。

 因みにこの同僚は、お喋りが好きで銃への拘りも強く、蘊蓄を語らせると止まらないタイプであったりする。
 翻って自分は――――――…

 …――――――まさかあの担当者、わざわざ相手に合わせてくれている、と言う事なのだろうか。
 もしそうだとしたら、こっちの内心は全部見抜かれている、と言う事にはならないか。
 …いや、まさか。
 担当者の前で、見抜かれるような態度は取っていない…筈だ。
 いや、だが。けれど。

 …。

 落ち着け、フェイト。

 それで何か問題があるのか。何も無い筈だ。
 むしろ、今の疑いは何も根拠の無いただの思い付きに過ぎない。担当者に何か改まった事を言われた訳でも無い。俺程の苦手意識がある者はまず居ないにしろ、細かいメンテナンスを煩わしく思うのは俺だけでは無い筈。あの程度の科白なら俺だけじゃなく誰にだって掛けておかしくない。ただの疑心暗鬼だ。その筈だ。

 この担当者について確実に言える事は、自分の銃の調整を手際良くしてくれている、それだけだ。

 ………………そういう事に、しておきたい。

【了】

カテゴリー: 02フェイト, 深海残月WR |

Heard me too

――――――是非ともうちに招待させて下さいませんか。

 何度も何度も何度も何度もそう言われ続けて幾星霜、と言う程の事ではさすがに無いが、そんな風に大袈裟に表現したくなるような頻度で、顔を合わせる度に――いや、顔を合わせなくても、電話やメールやら思い付く限りの通信手段で――事ある毎に「うちに招待させて下さい」とうるさいくらいに言って来る同僚が一人居る。

 ダグラス・タッカー。

 まぁ、同僚、と言い切ってしまうのも少々躊躇われる気がしないでも無い間柄の相手。同じIO2に所属するエージェント――『ホーネット』の名を持つエージェントではあるが、この彼と共に仕事をする事は、仕事が重なる事は――それ程頻繁でも無い。
 …そう、それ程の接点は無かった筈だ。そもそも互いに任地が離れている。…ダグラスはイギリス、そして俺の方は日本…もしくはアメリカの本部。そして任地が――所属する本部・支部が別の国である時点で、同じIO2と言っても気風から習慣やらかなり違ってくる。…支部によっては支部同士で所謂派閥争いみたいな、どうでもいい子供みたいな理由で仲が悪い場合すらもある。まぁ、IO2は結局、超国家的な――超常・怪奇現象専門の警察組織と言う事になるので、そもそもそういう面も出て来てしまうのはある意味では仕方無いのだろう。…結局、組織を構成してるのは人間だ。
 それでも勿論、何だかんだで、離れた任地に所属する者でも同じ任務に就く事はある。指令があっての場合もあるし、成り行きでと言う場合もある。…状況次第。IO2のエージェントは、必要とされた時に――誰の指令も無く己でそう認めた時にであっても――適宜迅速に行動するのが重要なのだから。
 ともあれ、このダグラスともそんな成り行きで、以前に組んだ事があるだけ…な筈で。

 ………………気が付けば、その時にどうも、懐かれた…らしい。

 一応、以前にこれまた成り行きで――弱い面を見せてしまった事もあるし、俺の方でもこのダグラスの事は――ひと癖ある人物ではあるが、友人と言ってしまってもいいか、とは認めている。いるが…それにしても気安くされ過ぎではないか、と言う気がする時もどうしてもある。距離感が掴み難いと言うか…家が金持ちでお坊ちゃま育ちのせいもあるのか、はたまた頭が良過ぎると言うのもあるのか…多少浮世離れしていると言うか…色々行動が読めないと言うか。反応に困る時があると言うか――取り敢えず、少々奇抜でマイペース。そのくらいは言ってしまって差し支えないんじゃないかとさえ思える。
 いや、それでいてこのダグラスは実家であるタッカー商会の幹部をしてまでいるのだから、ただマイペースなだけでも奇抜なだけでも無いとは思うのだが。…そもそも、IO2エージェントと兼任している――どちらが片手間と言う訳でも無く兼任出来ている、むしろそんな二足の草鞋である事を利用さえしている――時点で、相当に現実的な能力も持ち合わせているのだろう。…家のコネでのお飾りの幹部、と言うだけでは無い片鱗は俺の目からも時々見えている。…商人らしい利己的、打算的な部分も持ち合わせていると言えるし。…いや、その辺は良い意味でも悪い意味でも英国紳士らしいと言うべきでもあるかもしれないが。とにかく、甘やかされただけのお坊ちゃんでは無い、とは俺にもわかっている。
 まぁ、そのタッカー商会の方は家の事情からして放り出せないだけな可能性もあるが、傍でダグラスを見る限りは別にそれで特別嫌だと言う風でも無い。それで普通、それが義務。そこにそう生まれたからそうしているだけ。そんな感じに当然と心得て見えるのは――まぁ、諸々合わせてこいつが根っからタッカー家の人間――そして上流階級の人間だと言う事なのだろう、多分。
 結果的に、普段の服装コーディネイト――洒落たブリティッシュスーツに少し派手なネクタイ――も含めていかにもな英国紳士と言うか何と言うか。…正直、少々苦手に感じる事もあるが――その辺は、単に住む世界が違うが故に必然的に起きてしまうような微妙な齟齬が原因、とでも思っておくべきな気がする。何と言うか、慣れれば意外とどうと言う事も無いような。

 ………………いや、そう思うのは俺が絆され過ぎている…と言う事もあるのかもしれない。

 そう。…実は、自分がこのダグラスを友人と思うのは――この「多方面に亘る攻勢」に絆されただけではないかとふと首を傾げて自問してしまう事すらある。…直接対話のみならず、メールや電話も含めての。結果として、気が付いたらこうなっていた、と言う感じ。
 …まぁそもそも、友人と言うのはなろうと思ってなると言うより、気が付いたらなっていた、と言う場合の方が多いかもしれないから――これはこれで別に構わない、と言えば構わないのだが。
 取り敢えず、押しが強い人物だとは言える。…逆を言うと俺の方が彼のペースに巻き込まれて、気が付けば流されてしまっている、とも言えるのかもしれない。

『フェイト』の名を持つIO2エージェントこと工藤勇太としては、そんな埒も無い事をふと考え込みつつ、当のダグラスから「また」届いた招待メールの文面をまんじりとも無く眺めている。…そもそもこのメール、完全にIO2の仕事のメールに紛れて届いている。ついでに言うなら今したメールチェック分では、この招待メールの本数は仕事で来ているメールより数が多かった。…下手すると迷惑メール分類に入れて良いかもしれない頻度である。…まぁ、入れる気は無いが。入れたら入れたで、逆に後が怖いし。
 ともあれ、そんな「いつものメール」が今、目に留まったのはちょっとした理由がある。

 ………………この招待を受けても良いかと思えるくらいの、休暇の当てが漸く出来たのだ。

 で、その休暇の取れそうな時期を記し、その時期にそちらに行く旨のメールをダグラスに返したら――そのほんの数日後には封蝋で封をされた「いかにも」な封書が手許に届いた。…当初、自分宛ての手紙とは全く思わず宛名を何度か見返し絶句した。…封筒からして明らかに金が掛かっている豪華な代物で、内心でうわあと思う。
 …そもそもどうやって開封したものかと言うところから地味に迷ったが(ペーパーナイフと言う考えてみれば当たり前の手段すらすぐに思い至れなかった)、中身は流麗な筆記体でしたためられた招待状の手紙、及びイギリス渡航の為の航空券だった。…それも、当然のようにファーストクラスの――まぁ、このくらいなら招待主を考えれば予想の範囲内ではあるかもしれない。

 …ので、折角だから有難く使わせて貰うべきか、とは思う。

 そして渡航当日。
 イギリスに――空港に到着して。

 フェイトが降りてくる到着口で当然のように待っていたのは――タッカー家の…ダグラスの執事。非の打ちどころが無い慇懃な所作でフェイト様ですねと迎えられ、持っていた荷物も目敏く運ばれて、車へと導かれた――と言うか、空港の出口に導かれ、その執事と共にほんの少しだけ待ったかと思うと――目の前に自家用らしい高級車がこれまた当然のように滑り込んで来て、どうぞお乗り下さいとばかりに後部座席のドアも開けられた。
 …その運転手付きの高級車もまた何と言うか、庶民にはまず手の届かないレベルの車両である事は――何と言うかもう当然過ぎて、説明の必要さえ無い気がする程で。

 で。

 その車に乗ってダグラスの屋敷に向かうのかと思いきや、辿り着いたのは何故かとある劇場。フェイトとしてはその時点で「?」と思う。…ファーストクラスの航空券に執事の出迎えと来れば、何か歓迎の前座?のつもりで劇場でオペラでも観せてくれるつもりなのだろうか? と乏しい想像力で思いはする。
 が、ダグラスの執事に案内されたホールには誰一人観客は居らず。けれど執事はそんな事を気にした様子も無く――何故か詳しい説明も無い。ただ、観客席の一列目中央に当然のように案内され、どうぞごゆっくりお楽しみ下さいとだけ伝えられた。素直に席に着きつつもなんだなんだと正直困惑するが――フェイトが困惑しているそこで、するするとこれまた当然のように舞台の幕が上がり始める。

 そして。

 幕が上がった舞台中央に居たのは――何やらヴァイオリンを構えているダグラス・タッカーその人で。

 ………………は?

 フェイトの感想としてはまずそれ。唖然呆然。正直、自分の招待主であるダグラスが――今ここで舞台に立つ形で現れるとは思いもしなかった。…と言うか、そもそもヴァイオリンが弾けたのかとその事自体にも驚いた。さすがお坊ちゃま育ち――驚いている間にもダグラスの持つ弓がヴァイオリンの弦に滑らされ、ゆったりとふくよかな音がホール内に響き渡る。
 演奏開始。背筋の通った姿勢の良いダグラスの立ち姿。その様は、優雅と言う形容が自然と浮かんでくるような佇まい。…フェイトとしては特に音楽の世界とは縁が無い為、弾かれている曲の名まではさすがに出て来ないし、この演奏が専門的な技巧としてどの程度のレベルになるのか等はわからなかったが――曲が先へ進むに連れて、様々に煌く弦楽の開放的で華やかな音律が劇場内に響き渡っている事だけはまったく疑いようがない。正直、思わず聴き入ってしまった。…少なくとも俺の耳には、なかなか巧い演奏に聴こえる。

 ………………これは、要するに。

 フェイトの為に、この劇場を貸切にして――自分だけのヴァイオリンリサイタルを開いて見せた、とでも言うところだろうか。
 …ここに連れて来られた時点で、フェイトは「ダグラスのしそうな事」を心の準備的に色々事前に想像してみてはいたが――さすがにこの発想は無かった。…劇場を貸し切ってたった一人の客の為に自分自身で弾いて見せるとは。驚くと言うか呆れると言うか――まったく金持ちのする事は、としか感想の持ちようが無い。

 フェイトにしてみれば、完全に想像の埒外である。

 そしてたっぷりとフェイトただ一人にヴァイオリンソロを聴かせた後、ダグラスはフェイトに向かって優雅に一礼。それから――お久し振りです。と漸く再会の挨拶。そうされたフェイトは――反射的に沈黙。何と言うか、この大仰な状況に圧倒されて少々間を置いてしまった。

「…どうしました? フェイトさん」
「…。…ああ。いきなりこんな歓迎のされ方をするとは思わなかったよ。英国紳士」
「おや、お気に召しませんでしたか。…ジョージ・フリデリク・ハンデルのヴァイオリン・ソナタなのですが…」
「…いや。説明されても正直全然わからないんだけど。でも、意外に巧くて驚いた」
 ヴァイオリン。
「ふふ。嗜み程度のものなのですがね」
「とか言って、自信が無きゃこんな真似出来ないと思うけど」
「そんな事はありませんよ。粗相をしないようにとひやひやものでした」
 他ならぬ貴方が私の招待を受けて下さるのですから、それなりの趣向を凝らさないと、とこれでも色々と考えに考えたのですよ?
「その着地点が「こう」なるってのがさすがあんただよな。ダグ」
 劇場貸切ヴァイオリンリサイタルなんて。
「お褒めに与り光栄です」
「…今褒めたのかな、俺」
「違うのですか?」
「まぁ、良いヴァイオリン聴かせては貰えたけど」
 曲名とか技術とか背景は知らない素人の感想だけど、心に染み入るみたいな良い演奏だったとは思うよ。
「有難う御座います。そう言って下さるなら何よりです。私の選択は間違っていなかった、と言う事ですからね」
「にしてもちょっと大袈裟だよな」
「何がです?」
「こんな真似がだよ。俺の歓迎の為だけに劇場貸切って」
「おかしいですか?」
「おかしくないのか?」

 …他にも何か『理由』があるならいざ知らず。

 そう含んだフェイトの科白に、ダグラスは小さく微笑する。貴方には敵いませんねとフェイトに返すと、少し劇場内を歩きましょう。と、脈絡無く持ち掛けてきた。

 歩く音と互いが話す声以外は何の音もしない。この場に居るのは、ダグラスとフェイトの二人だけだとそれだけは言い切れた。ダグラスの執事は外で待機させているらしく、今はその姿も無い。…貸切と言う通りに、今この劇場内には他には誰も居ない。
「って何処行くんだよ」
「…興味はありませんか?」
「? 何に?」
「こういった場所に入って来られるような機会は、貴方にはあまり無いでしょう?」
「否定はしないけど。…でも今ダグは…明らかに『何処か』に向かってるよな?」
 何か目的があって。
 この劇場の中の、何処かに。
 …そう突付いても、ダグラスは緩く小首を傾げるだけで素知らぬ顔。
「そう見えますか?」
「違うのか?」
「違いませんが」
 …ただ、彼もまた否定はしない。

 舞台袖から裏に当たる場所。控室やら道具室やらと様々な部屋に、表とは違った簡素な通路が続く。やがて、二人が暫く歩いた先にあったのは――舞台装置の管理室。…一見、古風に見える劇場であっても、演出の為の設備は最新の機材が色々と揃えられているものなのですよ。ダグラスにそう説明を受けつつ、フェイトはダグラスと共にその管理室へと足を踏み入れる。

 と。

 入った時点で、え? と思う。
 フェイトは軽く目を瞬かせた――見間違いか、とまずは考えて。…それは、イギリスの古い建物は幽霊が多い――と言うか、ある意味それが売りになっている観光地さえあるのは仕事上結構知っている。即ち、幽霊を見掛けたからと言って無闇にどうこうしない方が良い場合もある事は知っているが、これは、そういうのとは何かが違って――――――

 ――――――何より、まだ、『新しい』と、そして見間違いでも無い、とすぐにわかって。

「ダグ」
「はい」
「…『理由』は、これか?」

 この劇場にまで――そしてこの部屋にまで俺を連れて来た理由。
 見間違いか、とまず考えてしまった程の、今にも儚く消えてしまいそうなその『姿』。

 この管理室に入った時点でフェイトの視界に飛び込んで来たのは、部屋に置かれている機械類をじっと見上げて佇んでいる、まだ小さな女の子の――『幽霊』。
 そう言って良い、姿だった。

「やはり…貴方の目には『視』えるのですね」
 私には霊感はありませんから、悔しいながら何もわからないのですけれど。ダグラスはそう返しつつも、フェイトの『視』ている先を自分の目でも追っている。…それで自分に『視』える訳では無いのは自覚していても。…そこに、話すべき他者が居ると扱う事をする。
 フェイトはそんなダグラスの様子を見、ゆっくりと首肯した。
「ああ。まだ年端も行かない小さい女の子…が居るよ」
 …まだ、六歳くらいかな。淡い色のドレスを着て。髪飾りも着けて。精一杯のおめかししてるのかな。でも、舞台に立つ側の子役…じゃなさそう。多分、観客として来た子…じゃないかな。
 何か興味があるのかも。ここの機械類を見上げて、そこに立ってる。
「…そうですか。やはり貴方を連れて来て正解でしたね」
「…。…今回はプライベートで招待って話じゃなかったのか?」
「充分にプライベートだと思いますが。それこそ、大袈裟に騒ぎ立ててはこのリトルレディに大変失礼をしてしまう事になるでしょう?」
 まさか、IO2を通してどうこうなどと騒いでは。
「…ま、そりゃそうだな。そう考えれば、確かにプライベートか」
「そう言って下さると思っていましたよ。フェイトさん」

 この、彼女の事を知ったなら。

 …数ヶ月前に、この劇場で痛ましい事故がありました。
 ある歌劇が公演される前の事。二階の客席から幼い少女が落ちて――亡くなってしまったのです。
 ちょうど今、フェイトさんが仰ったような年の頃で、そんなドレスを着ていた、笑顔の可愛い、女の子。

「親子共々楽しみにしていた観劇だったのに、ほんのちょっとした不注意と不運が重なって」
 最悪の結果に至ってしまった。
 今はもう、そんな痛ましい、不幸な事故が起きないように劇場の側でも施設の管理が徹底されています。彼女に向けた追悼公演も行われました。先程貴方にお見せしたあの舞台で。彼女が楽しみにしていたのと同じ歌劇を。…無論、御遺族へのお見舞いも――補償も行われています。
 劇場側では、出来るだけの事はしました。でも、それでも彼女はまだ、満ち足りていないのでしょうね。…当然です。
 …だからこそ、ここに居るのでしょうから。
「まぁ…そうなんだろうけど」
 …でも、この子にはそれ程強い執着がある感じは、無いよ。
 それ程に悪い霊にはなっちゃいない。
 これなら――ここに居る事で何か霊障が起きたとしても…こういう言い方も何だけど、たかが知れてる。放っておいても、いいくらい。…いずれきっと、自分自身で「向かうべき道」を見付けられそうな。 
 …そんな、霊。
「ええ。直に『視』る事が出来ずとも、話を聞く限りは…私たちのような者にしてみれば――そう思えます」

 ですから、出来る限りはおおごとにはしたくない。
 それは確かに、彼女の事故があって以降、この劇場では怪奇現象が起きている。…起きてはいるが――どれも人の気を惹く為の悪戯に等しい程度の、ほんの軽いもの、ちょっとした事でしかない。

 例えば。
 …照明が突然消えたりついたり。…勝手に緞帳が開いたり閉まったり。…一時的に楽器が無くなったかと思えば、いつの間にか戻って来る。…楽器以外にも、あった筈の場所から物が無くなって、全然違う有り得ない場所から出てくる事がある。…鍵が勝手に閉まっていたかと思ったら開いている――どの現象も、本当に必要になる時には、元通りに戻っている。致命的に他人を困らせるような、洒落にならない事まではしていない。
 そして、女の子の幽霊が、舞台裏で時々目撃される――それも、主にこの舞台装置の管理室で。

「どの霊障も実害らしい実害は全く出ていないのですが、そろそろスタッフが気味悪がって次々と休んだり辞めたりしてしまっているそうで。観客の間でも噂になりかけているとか…それで、巡り巡って私にまで話が回って来た、と言う次第なのですよ」
 幾らIO2が秘密組織と言えど、こういった業界では――私がIO2のエージェントである事を、知っている方もそれなりに居ますから。
「…で? 俺に何をさせたいって事?」
 俺をここに連れて来た本当の訳は?
「それは。貴方の口から、このリトルレディに伝えて欲しい事があるのです」
「?」

 ――――――「ここに居て演奏を聴いていても構いませんが、悪さはしないで下さいね」、と。

 そう、彼女の霊に伝えて欲しい。
 ダグラスはそう告げて、フェイトの視線の先を見る。『視』えてはいないが、そこに居るのだと、見る形に扱って。フェイトの感覚を頼りに、伝えたい意思を以って。
 ダグラスがそうしていたら、フェイトは拍子抜けしたように、不意にきょとんとして。
 今度はダグラスの方が、頭上に疑問符浮かべる羽目になる。
「? フェイトさん?」
「…いや。今ので伝わったみたいだよ」
 俺が伝えるまでも無く。

 私にも聞こえたよ、って。あの子、こっちに――ダグに頷いてる。

「…」
「何だよ変な顔して」
「でしたらこの件はフェイトさんに頼るまでも無かったのでしょうか。いや…ですが今フェイトさんがいらっしゃらなければ彼女に伝わったと確かめる事すら出来ませんでしたし…さて」
「そんないちいち考え込むような事でも無いだろ。…あの子もこっち見て笑ってるぞ」
「おや、そうなのですか。これは失敬」
 言ったかと思うと、ダグラスは少女の霊が居るだろう方向に向かって、微笑みながら軽く会釈。
 それからまた、フェイトを振り返り――こちらにもにこやかな笑顔を見せる。
「…ではフェイトさん、私の屋敷へ行きましょうか」
 今度こそ。

 ――――――そう、今度こそ純粋に。
 小さな事件が解決出来たところで。改めまして、貴方を私の屋敷に招待しますよ。フェイトさん。

 どうぞ、ゆっくりと羽を伸ばして寛いで行って下さいね。
 …で、何ならそのままこちらに住み着いて下さっても一向に構わない、と言うよりむしろ歓迎なのですが…多分、そうは行かないでしょうねぇ。

 他ならぬ、フェイトさんの事ですから。

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Thank you for help

まだ、練り上げたとは到底言い切れない。

 …結局、どれだけ鍛えてもそう思う。高校卒業後、IO2へと己の往く道を定めエージェント研修の為に渡米して。ここニューヨークでそれなりに鍛えたつもりだが――己はまだ、弱い。
 問題は、特にメンタルの方だと自覚もある。…だから、今もこうやって射撃訓練にかこつけて、余計な事を考えずに済むようにと訓練場で銃を握っていたりもする。

 まだ、完全には吹っ切れていないから。
 時折こんな事をしてしまう。

 ――――――訓練と言えば聞こえはいいが、本当のところは、単なる逃避。

 過去の事。
 もう、昔の話。
 わかっていても。
 フラッシュバックのように。

 こんな事をせずとも、きちんと己を律していかなければならないのに。
 どうしても、上手くいかない。

 生まれ持った能力――超能力と言われる類のそれ。
 そんな力を持って生まれた己の存在意義は。
 能力を持つ意味は。

 ――――――それは、人々を救う為。

 わざわざ口にしなくたって、そんなのは当たり前の事だって。
 そうするんだって。
 己で決めた筈なのに。

 まだ、揺らぐ。

 そうである、と確信が持てない。
 だから、確信を得たい。

 だから、俺は戦う。
 独りでも。
 ずっと。
 人々を救う為に。

 思いながら、『フェイト』と己の名を選んだIO2エージェントは銃の引き金を絞り続ける。
 何度も、何度も。
 やがて装填した分の全弾を撃ち尽くすと、小さく息を吐いてゴーグルを外し、銃を置く。

 射撃訓練で狙う先。人型の標的には、眉間と左胸にぽつんと小さな穴が一つずつ。

 ――――――彼が撃ち尽くした銃弾の弾道は、全てその二点を寸分違わず通過している。

 気分転換も必要か。

 IO2の施設内にある射撃訓練場から出、フェイトは――否、工藤勇太は街を散策する。よく晴れた昼下がり。こんな時にまでわざわざエージェントネームを名乗る事も無い。今は珍しく、任務中では無いのだし。折角だからこのまま買い出しにでも行こうか、と思う。…今日明日すぐに無くなると言う程では無いが、じき切れるだろう、気が付いた時に予備を買い足しておいた方が良いだろう日用品が幾つかある。
 つらつらとそんな事を考えつつ、行きつけの店へ向かおうとした――中途の街角。
 ふわ、と目の前で、赤色の膨らみが空へと吸い込まれて行く――吸い込まれて行きそうになるのが見えた。咄嗟に手を伸ばせば届いたかもしれない位置。けれど手は伸ばしていなかった位置。…風船。赤色の膨らみの正体が「それ」だと気付いたのは一拍遅れての事だったから。飛んで行く軌道、その元を辿り、飛んで来た元だろう位置を何となく確かめる。勇太の視線より低い――うっかり風船を飛ばしてしまったと思しき、風船を見上げてがっかりしたような、名残惜しそうな表情をしている少女の姿がある。
 風船と少女の両方を認識した時点で、勇太は殆ど反射的に己の能力を――サイコキネシスをこっそり発動。ふわふわと上昇して行く風船を、ちょうど近場の街路樹に引っ掛かるような形に、なるべく不自然にならないように念動力を用いて動かす。…あの街路樹の下の枝の方に引っ掛かるような形で留め置けたなら不自然では無く俺の手で取れる。程無く、狙いの位置に風船が到着。したところで、勇太は軽く地を蹴りジャンプ。風船の糸を実際に己の手で取って、着地。
 その一連の様子を、何処かびっくりした様子でぽかんと眺めている少女の顔。そんな少女に、勇太は、はい、と風船を手渡し微笑んだ。ありがとう、とすぐさま礼を言われる。それから、少女は今度こそ風船を確り持ち、嬉しそうに駆けて行く。
 勇太はその様を微笑ましく見送り、また、思う。

 ――――――俺の役目は、例えばこんな、ごく普通の少女の日常を守る事。

 数日後。

 工藤勇太は――否、フェイトは任務の一環として各社の新聞に目を通していた。日課にしている事。巷で読まれている新聞や週刊誌の記事には世の中の動きを知る為の情報がぎっしり詰まっている。…その情報の中にIO2の任務とすべき事件が埋もれている事は少なくない。そこまで深く読み取るのはコツが要るが、コツを掴めば然程難しいものでもない。
 そんな、いつも通りの日課をこなしている中。
 フェイトは反射的に目を疑い、同じ記事を改めて見直す羽目になる。
 …記事と言うか、掲載されている写真。
 新聞紙面のロストチャイルド――子供の行方不明者を載せている欄にあったその写真。

 数日前の、風船を飛ばしてしまっていたあの少女。
 …あの子が。

 その事実を噛み締めてから、フェイトは改めて紙面をじっくり読み直す。…元々、子供の失踪事件が近頃やけに多発しているとは思っていた。それは残念ながらアメリカでは元々そんな事件は多い――そもそも新聞紙面にロストチャイルドを載せる欄などと言うものまで用意されているくらいなのだから本当に多いのだ。この欄に載っている子供の写真を見るたび、あってはならない事だと思いながらも――全部己の手が届く話でも無い以上は、ある程度は仕方無いと諦めざるを得ない事、と自分に言い聞かせてもいる。
 だが、これは。

 ――――――俺の手が届いていたかもしれない範囲での出来事。

 そう思うと、フェイトは歯噛みしたくなる。少女と顔を合わせたあの時、自分が何かしておける事は無かっただろうかと今から考えてしまう。
 既に失踪してしまっているのだろう今更、そんな事を考えてもどうしようもないのに。

 それでも浮かんでしまう後悔の気持ちをぐっと堪えて、フェイトはその写真を含めたロストチャイルド欄の全体を努めて俯瞰して見る。…やっぱり、数が多い。そうしていてふとある事に気付き、フェイトは前日、前々日の同社の新聞と見比べ『その事』を確かめる。それから、他社の新聞も同様に見比べた。

 …何だろう、これは。

 失踪した子供の数が、ここ数日、各社とも毎日ほぼ倍々の凄まじいペースで増えている。
 それだけでも「共通の何者か」の関与を疑えはしないか。
 それも、この無茶な増え方はただの――いや、ただの、と言うのは語弊があるし心情的にもそうは言いたくないが、要するに警察の管轄になる普通の範疇で有り得てしまう理由での――失踪にしてはおかしくないか。

 例えば、『普通の範疇』でなければならないなどと欠片も思わない者が関与している可能性。
 例えば、俺のような者が思う『普通の日常』を、初めから知らない者が行っている事である可能性。

 普通に法で裁ける犯罪者ではなく。
 IO2の管轄になるような、『特殊』な犯罪者の仕業である可能性。

 論理の飛躍は承知。が、能力を持つこの俺の勘が、この失踪の多発は何かおかしいと読み取ってもいる。

 ――――――上に報告する必要が、ある。

 報告後、任務として捜査を開始。

 端緒としてまずはあの風船の少女と遇った場所から、少女の残留思念を探り、辿る事にする。他、新聞紙面のロストチャイルド情報を頼りに聴き込み、失踪した子供の失踪直前までの目撃情報等を可能な限り得る事もした。それらで得られた場所からそれぞれ残留思念もまた辿り――少女の事件や、他の事件と何かしら重なる要素は出て来ないかと地道に辿る。
 途中、別件らしい有り触れた理由での失踪事件も幾つか見付けた。…勿論その場合はIO2としては手が出せないが、それとなく保護者や普通の警察が見付けられるよう誘導、解決へのレールを敷いてはおく。
 が、それらはあくまで「幾つか」に過ぎない。大多数は懸念通りに「それ以外」の理由と思しき失踪だった。それもどうにも重なる要素が見出せる形の事件が、やけにたくさんある。
 …重なる要素――連れ去る者の姿。それぞれ顔立ちや風体自体は別人であるのに何故か誰も彼も個性無く同じように感じられる。連れ去り方が妙にシステマチックなのも共通で、やけに手際良く子供を捕らえ――殆ど暴れさせる事も無く流れ作業のようにトレーラーに載せると言うより積み込んでいる。
 子供を攫うとなればまず平常心で行える事では無かろうに、それらしい何かしらの激しい感情の動きは見出せない。この場合、事務的に何かを『調達』しているような、そんな様子に感じられた。
 やけに感情が見えない無個性な複数の犯人――組織的犯行。充分に、そうとも読み取れた。

 だが、意図が読めない。

 いったい、何の為に子供を攫っているのか。
 嫌な予感が強まった。

 ――――――あの風船の少女の事件も、その嫌な予感がする方の事件に含まれている。

 もう、実際に行ってみるしか無かろうと思う。

 子供たちを積んだトレーラーが向かったのはどうやら郊外。医療関係の研究施設――とされている、実質的には何をしているのか良くわからない白亜の施設のようだった。当の施設について事前に出来る限り調べはしたが――調べれば調べる程表向きに歌っているのとは噛み合わない情報が次々と増えて行き、何をしている施設であるのかは却ってわからなくなって来るくらいの場所にもなる。

 …とにかく、到底まともな施設だとは思えない。

 が、まだ子供の失踪事件との関わりは――証拠までは揃えられていない。まだまだ施設自体の事を調べ切れていない上に、当の施設に子供たちが運び込まれたと言う確証も得られていない。
 だが確信は――ある。

 時間が、惜しい。

 だからフェイトは、実際に行ってこの目で確かめ、場の状況に応じて直接対処する事に決めた。
 無茶は承知。
 それでも。

 ――――――フェイト自ら、それも単独で飛び込む事を選んだのは、あの風船の少女の事が――どうしても気になっていたから、だったのかもしれない。

 能力を用いて施設に潜入する。

 テレパシーやテレポートを併用、応用すれば特に騒ぎを起こす事無く密かに潜入する事は難しくない。…もし万が一フェイト自身の勘が外れていてここが完全に問題の無い普通の施設だった場合は、余計な騒ぎを起こしてしまってはIO2の信用に傷が付いてしまう。…幾ら気が逸っても、そのくらいの気は遣って動く。
 まぁ、そこに関しては杞憂だったとすぐに判明するのだが。

 この施設には、心霊テロ組織である虚無の境界が巣食っているとすぐに明らかになったから。

 隙を見て、偶然近くに歩いて来ていた施設員らしき一人の頭の中をサイコハックで覗く。どうやらここでメインとする研究の補佐を行っている者らしかった――そこまで覗いて読みつつ、フェイトはサイコネクションも併用し相手の精神の一時的支配も図る。当初はこっそりサイコハックのみで済まそうと思ったが、読みながらこの施設員が虚無の境界の者であると流れ込んで来たから、念の為の安全措置を取る。
 ただ、持つ情報の内容にしては、結構無防備に施設員の持つ情報は流れ込んでくる――虚無絡みとなれば精神面でも防御的な能力のひとつくらい身に付けていて良さそうなものだろうに。
 思うが、その手の抵抗は感じられない。…同時に、流れ込んでくる情報の内容に対して当人が思う事、感情の動きも何故か不自然なくらい感じられない。
 酷く無感情な精神の中、ほんの一匙の疑惑を感じつつもフェイトは更に情報を探る。そして、メインの研究対象は何か、の核心情報に触れたその途端――その施設員はぎょろりとフェイトに視線を向けた。

 ――――――サイコネクションの一時的支配が効いていない。

 …否。
 精神自体がそもそも『仮初の偽物』だ。

 情報を探りつつ感じていた一匙の疑惑が確信に変わる――確信に変わったのと、その施設員が突如尖った牙を剥き鋭い爪を閃かせ、フェイトに襲い掛かって来るのが同時。…人間では無かった。元は人間か。いや、わからない。遺伝子操作の化物。霊鬼兵のような何か。…分類している余裕は無い。やけに無感動だったのはそのせいか。腑に落ちつつも当然、フェイトは黙って襲われるままではいない。相手の爪が牙が届く前に己が身を翻し、後方、背中から腕を捻り上げ――関節を極める形で施設員を勢いよく床に倒して押さえ込む――人間と同じ動きをする以上は取り敢えず効くと見て。
 そのままの状態で精神支配の方も意識して強めつつ、先程触れ掛けた核心情報へと更に踏み込む。確証を得る為。…ブラフの感触では無かった。内容はあった。文字通り、『情報』として頭の中に持っている。構成要素の一角。…『存在』としての構成要素? …そうなのかもしれない。
 メインの研究対象。それは施設員自身――この研究施設の、研究を行っている施設員の殆どが。

 ――――――研究の成果と同一で。

 この施設で活動し、補充される人員は、研究の成果として密かに作られた、人型の化物。
 …新たな虚無の兵隊。
 個体一体一体の戦闘能力は然程強くは無いが、それでも何の異能も心得も持たない一般人ならば容易く狩れる程度の能力は持つ。その上、ある程度の再生・賦活能力までも持っている。
 命令も良く聞き、メンテナンスも至極簡単。
 …この化物の生命活動を維持する為には、生き餌が必要なだけ。

 ――――――人間の子供の。

 そこまで読み取った時点で、フェイトは一気に激昂。『食事』の瞬間の視点映像までが情報として流れ込んで来た時点で――床に押さえ込んだそのまま、殆ど衝動的に施設員の首をへし折っていた。…それでもまだ動いている。まだ情報が流れ込んでくる――まだ、生きている。首をへし折ったその頭を、勢い付けてがつんと強く床に打ちつける。それでも、まだ――殆ど自動的に銃を取り出し、ゼロ距離で連射、施設員の――虚無の境界に造り出された人喰いの化物の頭部を破壊する。
 …それで漸く、情報の流入が止まった。
 止まったが――止まった時にはもう、充分過ぎる程。
 見せ付けられている。
 そうなればもう、密かに潜入などと考えている余裕は無かった。

 ――――――ただ、こんな連中がわざわざ造り出され、生きて動いて存在している事自体が、赦せない。

 どれだけ殺したかわからない。

 施設内。フェイトは動く姿を見付けたら心を読み何者であるかを即座に把握。虚無の境界の者と判別が付いたら――ほんの一瞬でそんなものの判別は付くしそんな奴しか今のところこの施設内には見当たらない――その呪われた命を奪う為に単連射で始末を付ける。まず初めの施設員の時と同様、頭部を集中的に狙って破壊し、念の為動けぬよう手足も撃つ。…関節を外しておく事もした。銃だけでは手が足りなくてサイコキネシスでその頭部や手足を捩じ切った個体もあった。強く壁に衝突させて潰した個体もある。
 フェイトが進むたびに血に濡れる施設内の廊下。…いつからか、己の頭の中にでも心臓があるように、ずきんずきんと酷く荒く脈打っている気さえしてくる。頭痛も酷い。それでも、止めない。…止められない。まだ、終わっていない。次。何処に居る。元凶は。この化物だけじゃない、この化物を造る指揮を執った者も、必ず何処かに居る筈。そいつを倒さなければ終わらない。子供はまだ攫われる。犠牲が続く。…続いてしまう!

 いや、そもそも攫われた子供は何処だ。皆喰われてしまったのか。…そんな。まだ生きている。それはすべてではないだろうけれど。きっと。まだ。あの風船の女の子も。…そうでなければ。
 俺が来た意味が無い。

 救えなけれ、ば。
 俺の能力の意味が無い。

 いかにも研究室らしい部屋が並ぶ一角。肌色や灰色をした異形の肉塊らしきものが水槽内に浮かべてあるのを見付ける。すぐに破壊した。水槽に満たされていた液体が床に流れ出す。独特の薬品臭さ。フラッシュバック。騒ぎに気付いてか新手の施設員が駆け込んでくる。そちらも倒すべき相手と確かめるなり、フェイトは躊躇無く殺すと言うより破壊した。はあはあと荒い息遣いが何処からか聞こえる――自分のものだと気付くまでには暫く掛かった。…かなりの負担が掛かっている。でも。
 まだ。

 次の部屋。

 捕食の最中。今まさに幼い子供の身を喰らおうとしている化物の姿――目の当たりにした時点で、フェイトの能力が怒りと共に爆発する。最早暴走に近いサイコキネシスで、子供を捕食しようとしていたその個体を怒りのままに滅茶苦茶に折り潰した。
 喰われそうだった子供の目の前に、化物だった血まみれの肉塊がべちゃりと濡れた音を立てて落ちる。

 子供の方は!
 …生きている。怪我も無い。

 良かった。

 思い、フェイトはその子に手を差し伸べる。
 …ここに来るまでに倒し続けた化物の、血にまみれた姿のままで。

「怖かったね。…大丈夫?」

 精一杯の労わりを籠めた声。
 けれど。
 その子供は――フェイトの姿を見たまま、凍り付いている。喉がひりついて何も言えないような。そして何より――フェイトを見上げる、その目が。
 怯え切っていた。
 むしろ、今の化物に喰われかけていた直前の恐慌状態よりも。
 その化物を一瞬にして潰してしまった、フェイトの方を。
 より恐ろしいものだと、本能的に察したように。

 可能ならフェイトから更に離れようと後退ろうとまでしている。けれど、身体の方が言う事を聞かずに結局動けないような姿でへたり込んでいる子供の姿。良く見れば部屋の中には他にも、拘束されている子供が居た。その子供たちも、フェイトの姿をただじっと見ている。目を逸らす事も出来ない悲鳴さえ上げられない。恐ろしい怖いと言う感情のタガが飛んで壊れてしまったような、怯え切った。
 そんな子供たちの姿を見て、フェイトの肝が一気に冷える。
 今の自分の姿を、した事を思い返す。

 ああ。
 俺は、また。

 後悔と仕方無かったとの思いが同時に浮かぶ。過去のトラウマのフラッシュバックも重なり、どうしたらいいかわからなくなる。結局、自分もバケモノで。子供たちを、怯えさせて。何の為にIO2のエージェントになったのか。結局、俺は何も変わっていない。何も出来ていない。誰も救えていない――。

 と。

「たすけてくれてありがとう、おにいちゃん」

 …声がした。
 何処かで聞き覚えのある、震える舌足らずの声。
 街角で。
 風船の。

 フェイトは弾かれるように声の源を見る。…あの時の少女。拘束されている中にその姿を見付け、フェイトは安堵と引け目と嬉しさと恐怖の混じった――何とも言えない感情を抱いてしまう。少女が無事だった事は喜ばしいのだが、己のこのザマでは、真っ直ぐ彼女の顔を見返して良いのか、迷ってしまうような。

 少女の方はフェイトの顔を真っ直ぐにじっと見ている。…彼女の方でも街角で遇ったフェイトの顔を覚えているのはその時点でわかった。
 他の子供たちのように怯えた気配が無い…とはさすがに言えない。けれどそれでも。
 少女のその視線には、間違いようの無いフェイトへの感謝の色があって。
 能力で読むまでもなく。
 わかる意思が。
 はっきりと。
 まるで、この人が助けてくれたんだと、他の子供たちにまで、頑張って言って聞かせてくれているような。

 そう認めるなり、フェイトの心にぽつんと温かな光が灯った気がした。
 少女の言葉。

 …ありがとう、と。
 こんな姿の、自分に。

 それだけで。
 俺の方が救われた、気がした。

 ――――――ありがとうと礼を言いたいのは、本当は、俺の方。

【了】

カテゴリー: 02フェイト, 深海残月WR |

待宵の君

夕刻を迎え、舗装の道が西日を受けて金色に輝き始める。ラフな服装の一人の男が、その光を背にして静かに歩む。まだ若い。ともすれば少年のようにも見えるが、その表情にはある種の覚悟を決めた者にだけ見られる落ち着きがあった。
(「休日ももう終わり、か――」)
休日。この『フェイト』と呼ばれる青年が、任務を離れ、一人の人間として生きることを許される、ほんのわずかな時間。誰よりも平凡な生き方を愛したはずの少年は、その望みを捨てて戦い続ける者となった。人の身にはありえぬほどの能力。そして、力に溺れ、慢心するどころか努力を重ねて次々と手に入れた新たな才能。己の身を化け物と呼ばれるほどにまで鍛え上げ、IO2随一のエージェントの座を手に入れたのは、自分の日常を捨てることで、誰かの日常を救えることを知ってしまったから。自分が傷ついても、誰かを救うことができるなら、それこそが彼の願いであったから。
せっかくの休日ですら、頭に浮かぶのは任務のこと、自分の選んだ生き方のことばかり。彼はこの日も『フェイト』のままだった。生来の優しさや明るさが失われたわけではない。しかし、あまりにも多くのことがありすぎた。戦いすぎ、傷つきすぎた。彼はここ数年の経験によって、エージェント・フェイトとして完成されてしまっていた。運命の名を持つ男の運命は、その名を忘れることを許さなかった。
(「俺はこれでいいんだ。自分の選択に、悔いはない」)
考え事をしながら歩いているうちに、フェイトはいつの間にか、普段はあまり通らない裏路地に入り込んでいた。街のこちら側は、旧市街であったのだろうか。傷み始めた木造やモルタルの古い家が多く、商店と思われる建物のいくつかは、シャッターが下りたままになっている。ゆっくりと朽ちていく街並みと、今の自分の気持ちはきれいに調和しているように思えて、この場所を歩くのは悪くない気がした。
家屋の陰で薄暗い色が続くばかりの行く手に、鮮やかな赤が飛び込んできて、フェイトはふと立ち止まる。古ぼけた木造家屋の軒先に、欠けた鉢が無造作に置かれていた。薄汚れた鉢から伸びているのは長い茎と葉、それと重そうに首をもたげる大きなつぼみ。もうすぐ咲く頃合だ。はかなく薄い花弁が幾重にも折り重なった姿で咲くこの花を、フェイトは知っていた。月下美人という名だ。ただ、その花は彼の知る月下美人とは決定的に違うところがあった。白いはずのつぼみは、血のように赤い。そして彼の視界に突然現れた赤は、この花の色ではなかった。花の傍らに立つ、少女の着ている和服の色。まっすぐな黒い髪、白い顔、そして花と同じ深い強い赤。花と少女のいる場所だけが、まるで別な空間から切り取って持って来たかのように鮮烈だった。

何かが、おかしい。

赤い着物の少女、赤い花。夕暮れの裏路地の中で嫌でも目立つはずなのに、立ち止まる者どころか、目を向ける者は誰一人としていない。学校帰りの制服姿の学生も、買い物袋を提げた主婦も、杖つき歩く老人も、少女など存在しないかのように、のろのろと路地を通り過ぎていく。そして誰もが、どこか虚ろな目をしていた。疲れ果ててしまった、病人のような目。フェイトは軽いめまいを覚えた。頭のどこかが痺れてしまったように、うまく結論を導き出すことができない。錆びて空っぽの郵便受け、無人の家屋。手入れのされていない鉢、みずみずしい赤い月下美人。赤い着物の見えない少女。
「これは……何なんだ!?」
フェイトの目には、確かに少女が映っていた。少女は着物の袖からわずかに覗く手を堅く握り締め、うつむいている。その少女が顔を上げ、フェイトの目をまっすぐに見る。表情のない少女の、小さな唇がわずかに動いた。

た す け て

黒い瞳から、一筋の涙が零れ落ちる。
途端、周りの現実が薄くなり、ぼやけて、ついには掻き消えた。今感じられる世界には古民家の軒と赤い花、そして少女とフェイト自身しかいない。フェイトは吸い寄せられるように少女に近づき、その肩に手を触れた。

「どうしたんだ。あんたは……人間じゃないな」
(もう待つのはいや)
言葉ではない言葉が、フェイトの精神に直に届けられる。
「俺で助けられるのか? 誰を待っている」
(あの人に会いたい)
少女の顔に悲しみが浮かぶ。また一筋、涙が頬をつたった。それだけではなく、幾筋もの流れが少女の体を流れ落ちていることにフェイトは気づいた。赤い着物の上を這うようにして、絹地よりもなお赤い液体が滑り落ちていく。血液だ。
「……あんたの記憶を見せてくれ」
両手で肩に触れようとする。だが、少女はすっと身を引いた。拒絶の証かとフェイトは戸惑うが、すぐに彼女が伝えたいことを理解した。彼女は月下美人の鉢の後ろに立ち、促すようにフェイトを見上げる。
「花に触れればいいんだな」
少女はこくりと頷いた。フェイトは少女と、その手前の鉢の前にひざまずき、ほころび始めた赤い花に手を触れた。――サイコハックで、記憶を覗く。物言わぬ花の精神を探し当て、赤く染まってしまった月下美人の秘密を垣間見る。

この家に、人が住んでいた頃。老婆が一人で暮らす部屋には、美しく咲く月下美人が置かれていた。花は白い。――まだ、白い。水と土はきれいで、日陰が涼しく心地よい。老婆は花を愛で、微笑んでいた。
次に見えたのは、同じ部屋。老婆が倒れ伏し、動かない。自らの喀血の上に倒れこむ彼女の側には、同じ白い月下美人があった。主人の血を浴びて花弁の一部が赤く染まっている。そのまま長い時間が流れ、玄関が赤色灯の色に染まると、感染防止衣とヘルメットの男たちが老婆を担架に載せ、運び去っていった。そこから先は、あっという間だった。葬式が行われ、邪魔になった月下美人の鉢は軒先に出され、主を失った家は荒れていき、花は枯れた。
だが、それで記憶は終わりではなかった。花は枯れることを拒み、主人を失う現実を拒んだ。花は再び起き上がり、咲き続け、老婆の帰りを待ち続けることに『決めた』。あの日味わった、倒れた主人の血から得たもの――人間の精気を取り込んで、咲き続ける。何日も何年も寂しい思いをしても、日差しに焼かれて辛くとも、咲き続けて老婆を待つ。軒下に晒された月下美人は、自分に、老婆に、目もくれないで通り過ぎていった通行人たちから精気を奪い取って生き続けていたのだ。赤い色に染まってまでも。主人と同じ人の姿の化身を作り出して。
全てをさらけ出した赤い月下美人の少女は、フェイトを見つめ続けている。
「そうか。そうだったんだな」
意識を月下美人の少女から離す。鉢の花ではなく、化身の少女に向き合って、フェイトは自分の思いを伝える。
「あんたと一緒に暮らして、あの人は幸せだったんだ。花が枯れるように、人にも最後の時がある。あれが、あの人のその時だったんだ」
少女は何も答えない。
「もう待たなくていいんだ。あの人と同じところに行けばいい。あんたが精気を盗んだ人たちが倒れたら、その人を大切に思っている誰かが、またあんたみたいになる」
少女の表情にわずかな変化が生まれた。驚いているようでもある。
「あんたは白いままでよかったんだよ。今からでも遅くない」
慰めるように、励ますように、フェイトは最後の言葉を伝えた。
「さあ、行っておいで」

かすかな微笑みを残して少女が消えると、世界に引き戻されるような感覚に襲われた。一瞬で現実が戻ってくる。フェイトは暗くなった路地に、一人で立っていた。
「俺は……救えたのかな、あんたを」
足元にある月下美人はねじれて枯れ果てていた。たった一片残った花弁だけが、透き通るような白だった。

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スーツでトライアスロン!

IO2エージェント、コードネーム「フェイト」。
 彼が過ごしたアメリカ研修時代の4年間は、まさに「アンビリバボーな日々」と言っても過言ではない。ニューヨーク広しと言えども、ここまでアメリカンジョークに固執する上司はなかなかお目にかかれないし、全土に広がる霊的事件の数々もまたスケールの大きなものが目白押し。エキサイティング&スリリングな毎日がフェイトの人生を彩ったが、その中でも「コレ」は酷かった。

 いつものように、例の上司がフェイトのデスクに近づいてくる。
 こういう時はだいたい事務作業のファイルをたんまり持ってくるか、現地への調査や任務を依頼する資料ファイルを持ってくるものだが、今回はただのチラシ1枚。それを一瞥したフェイトは「なるほど、アメリカンジョークの披露か」と思い、適当な対応をした。
「そのチラシを見て、グッドなアメリカンジョークでも思いついたんですか?」
「Oh! これはアメリカIO2の回覧だよ! フェイト君、行ってくれるね?」
 自分が適当な対応をしたから、相手も適当に返したのか。上司は盛んに「詳しくはチラシを見てよ」のオーバーアクションを繰り返す。それを何気なく手に取ったフェイトは、えらく長ったらしい表題を懸命に読む。
「えっと……『第22回! IO2エージェント・スーツ耐久トライアスロンレース in グランドキャニオン!』」
「IO2エージェントたるもの、任務時はいつもスーツを着てるだろ? だから出来るだけスーツを汚さず破損させず、かつレースに勝つ事が、より優秀なエージェントと称させる……ということなのだよ、HAHAHA!」
 この組織、ただスーツ着て仕事するだけじゃ満足できないのかよ……若きフェイトの悩みは尽きない。
「これ、手の込んだジョークですよね?」
「はい、これは明日出る飛行機のチケット。開催は3日後ね」
 なんて酷い現実なんだ。フェイトの目の前は、あっという間に真っ暗になる。
「スーツ着てレースに挑んで、涼しい顔してクリアーして来るんだ! スーッとね、スーッと! HAHAHA!」

 上司のどうでもいいアメリカンジョークよりも冗談キツい過酷なレースは、まもなくスタートする。
 何がフェイトにとって驚きかといえば、わりと参加者が多いことだろうか。上司も「フェイト君以外にも、ニューヨーク本部からも数人出てる」と言っていたが、この部分だけはかろうじて納得できる。
 なお、愛用の拳銃などはレース前に回収された。参加者同士でスーツの破損につながるような妨害などを行うのは御法度だからだ。なお、フェイトはこの件をまったく理解できなかったが、後で身をもってその意味を知ることになる。

 いよいよレースがスタートした。
 まずはスーツを着用したままでのマラソン。距離も10キロと短く、通常であれば1時間もあれば走り切れるのだが……
「ギャーーッ! 俺のスーツに、火炎放射器の炎で穴がーーー!」
 なぜかノリノリで先頭を走る参加者たちが騒ぎ始める。フェイトは何事かと思って見たら、コースの脇で火炎放射器をファイアーする係員が参加者を狙い打ちにしているではないか。それによるスーツへのダメージで、彼らは悲鳴を上げているというわけだ。
「えっと、あの……なんで皆、スーツしか破損してないんだ……?」
 素朴というか、当然の疑問がいくらも湧いて出てくるが、たぶん気にしたら負けなので、素直に炎を掻い潜りながら、その先のトラップにも気をつけながら走った。そしてトップ集団に食らい付く形でゴールを果たすと、そこにはママチャリが置いてあった。
「各選手、ここからはママチャリで進んでもらいま~す!」
 ほとんどマウンテンという地形なのに、もっとも厳しいママチャリ漕がすあたり、主催者はわかってらっしゃるようだ。しかし期せずして、フェイトにはやや有利な展開といえよう。馬に乗った忍者が接触すると爆発する吹き矢でスーツを狙ってくるが、フェイトは見事なドラテクを駆使してこれを回避。もはや無茶苦茶を越えて荒唐無稽な世界観に頭が痛くなるが、トップでのゴールを目指す熱心な参加者を生贄にしつつ、レース後半へと差し掛かった。

 すると、ここで聞き覚えのある声が背後から轟いた。
「フェイトちゃ~ん! 名誉あるこのイベントで手を抜いたら、アテクシが許さないわよォ~!」
 フェイトは全身が鳥肌になるのを感じた瞬間、「ヤツだ、なぜかヤツが来た!」と自覚した。そう、この声はニューヨーク本部のカフェテリア勤務にして元エージェントのオカマちゃん。今は自分を付け狙う正真正銘のハンター。今日は参加者としてスーツを着ているので、違和感も恐怖もいつもの数十倍である。
「今回はアテクシとフェイトちゃんの愛のワンツーフィニッシュしか考えられないわぁ~~~!」
 とはいえ、過酷なレースに挑戦しているという興奮のせいか、普段よりも青年への熱情を帯びているように見えて、今日のオカマちゃんは非常に危険だ。捕まったら、絶対にいろいろエラいことになるに違いない。
 フェイトはなんとか逃げ切ろうと試みるも、次の種目はオカマちゃんに力負けしそうな激流水泳。フェイトは死ぬ気で泳ぎ、トゲ付ビーチボールの妨害を水中へのダイブで避け、なんとか最終種目まで望みを繋ぎ切った。
 スーツに傷をつけずに先頭集団に紛れて追っ手を巻こうとするフェイトに牙を剥く最終競技、それは絶壁クライミングであった。とはいえ、プロが嗜むような専門的なレベルではなく、ちょっとコツを掴めば登れる程度の岩壁で余裕に思えたが……フェイトの敵は参加者のひとりであり、係員の妨害である。ここではゴール地点から火の粉や小石が飛んでくるなど、さまざまな趣向が用意されていた。
「うわっ、油断は禁物だ……!」
「フェイトちゃん、もうすぐそこにたどり着くわよォ~!」
 油断禁物というか、もはや「前門の虎、後門の狼」となりつつあるこのレース。他の参加者も自分が狙われると思って大急ぎで上がっていくが、そこでスーツにダメージを受けるなどの二次被害を存分に受けた。完全なとばっちりである。
 疲労でそろそろ集中も途切れる頃、フェイトめがけて大岩が振ってきた。狼に気を取られていたフェイトは完全に油断しており、これを避けるには相当の覚悟が必要だった。避けなければ……避けなければスーツが弾け飛んで、下のオカマに何をされるかわからない。
「うおおぉーーっ! ファイトだぁぁーーーっ!」
 足場にしていた出っ張りから足を離し、両手を右の箇所に移動させて大岩を回避するフェイト。実際には危なげない回避だったが、悲劇はここからだった。一心不乱にフェイトを追っていたオカマちゃんがすぐ下におり、彼は全身で大岩を受け止めることになってしまう!
「う、うっきゃあぁぁーーー!!」
 そのまま地面にまっさかさまになるどころか、スーツはビリビリに破け、オカマちゃんは見事イチゴパンツ姿になった。なお、鍛え抜かれた肉体のおかげで、どこにも怪我はない。それはこのイベントの参加者がIO2のエージェントだから無事なのであって、一介のサラリーマンではこうはいかない。

 オカマの狼が脱落したことで、フェイトは妨害の虎に専念。ついにゴールを果たす。レースの順位は一桁、スーツへのダメージはほとんどないので、総合的にはとてもいい結果を得られた。
「これは……誰に感謝したらいいのか……」
 まだ若いフェイトには、この結果をどう受け止めていいかわからなかった。謎のレースはこうして幕を閉じたのである。

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レッツエンジョイ!デスクワーク

IO2エージェント、コードネーム「フェイト」。
 彼が過ごしたアメリカ研修時代の4年間、今と変わらぬほど様々な事件を懸命に追った。しかし、そのすべてが無事に解決した訳ではない。時として自分の流した汗が無駄になり、可憐な少女の流した涙に報いることのできない結末を迎える事件もあった。依頼人との出会いと別れを繰り返し、彼はいつも運命に立ち向かう。

 ニューヨーク本部に用意されたデスク。ここはいつも、フェイトが担当する事件ファイルが山積みになっている。
 無論、この状況は本人の優秀さを示す光景だ。課内を取り仕切る上司は、彼に絶大な信頼を寄せており、いつも積み上げられた書類の上に「高い、たか~い」と言いながら、新たなファイルを載せていく。これが有能であるが故の弊害だ。
 とはいえ、すべて自分が最後まで手がけた事件のファイルではない。超常現象的もしくは霊的な事案であるかどうかの判断を依頼する書類が多く、大半が所見を述べるだけで済む内容だ。
 問題は、すべて書類で返答しなければならない点である。これが非常に面倒で、さすがのフェイトでも飽きを感じるほどだったが、任務に就く必要がないというのは、心に安らぎを与えてくれる。
 彼は誰に言うでもなく、「平和っていいな~」と呟く。ふと窓を見れば、昼下がりの街の光景が見下ろせる。今日は穏やかな日差しに包まれていた。
「そうだ、ドーナツでも食べようかな。あと、コーヒーも」
 フェイトは休憩がてら、カフェテリアへと向かう。IO2内にあるので、スーツの上は着ない。財布だけを持ち、オフィスを出た。

 しかし、そんな彼を待っているのは、日本で言うところの「食堂のおばちゃん」風味の店員。フェイトは、この人がちょっと苦手だった。
「あらぁ~ン、いらっしゃぁ~いッ!」
 まだ現地までかなり距離があるというのに、過度に艶かしいというか、妙なイントネーションの挨拶が飛んでくる。そう、ここのウェイトレスは、れっきとしたオカマちゃんだった。
「こ、こんにちは。本日はお日柄もよく……」
 フェイトはすでに、自分で何を言ってるのかよくわからない。それほどまでに芳しいインパクトを放つ彼……いや失礼、彼女はいちいち腰をくねらせながら話しかけるというか、とにかく絡んでこようとする。
「今日はねぇ、ピーナッツバタークリームを乗せたデザートドーナツがオススメなのよぉ~、フゥー!」
 最後に付け足される無駄なセクシー乙女強調ポーズを適当にスルーし、フェイトは無言で健全なドーナツを凝視する。
「じゃあ、これください」
「何よ何よぉ~! たまに顔を見せたと思ったら、アテクシを邪険に扱うなんてェ~! いけずぅ~!」
 彼女のご機嫌を損ねたと感じたフェイトは、慌てて身構える。
 というのも、相手は彼の身長・体重を凌駕する肉体の持ち主で、しかも最近まで最前線で活躍していた先輩であり、凄腕のエージェントだったのだ。ところが、ある日突然「料理と女に目覚めた」らしく、そのままエージェントを退職。現在は、このカフェテリアで働いている。まぁ、情報漏洩の危険もないし、身元確認も楽だし、今までの功績も考慮して採用したのだろう。
 こんな人間が店にいたら、仲間はやりにくいと思わなかったのだろうか……日本人のフェイトは首を傾げたが、職場の人間はあまりそんなことは感じなかったらしい。なんとも可哀想な話だ。
「ねぇ、フェイトちゃ~ん。アテクシ、困ってるのォ。最近ね、キッチンにゴキブリが出るの!」
 要は「構ってくれないと売ってあげないわよ」ってことをアピールしているのだが、これに付き合うのが面倒で堪らない。だが、午後のおやつなくして、楽しいデスクワークは演出できないのもまた事実だ。フェイトは疲れた表情で「わかりました」といい、キッチンに歩を進める。
「はい、じゃあ、退治用のハンドガン渡しとくわね♪」
「ちょ、ちょっと! こんなもの、どこから持ち出したんですか!!」
 そんなことを言って騒いでいると、ゴキブリが呑気にツツーと売り場までお散歩してくる。
「キィィヤアァァァーーーッ! 出たわぁ、悪の権化ェ!!」
 凄腕ウェイトレスは瞬時に敵を発見し、どこからともなく愛用の拳銃を抜き、正確無比な射撃で敵をあっさりと粉砕。この間、たったの2秒である。今すぐにでも職場復帰できるレベルの実力を見せ、フェイトにラブリー猛アピール。
「イヤァーン、怖かったぁ、フェイトちゃ~ん♪」
 明らかに「怖いのはあんたです」という顔をしたフェイトに、野太き乙女がフライングボディプレスを敢行。この後、熱情のベアハッグをしながら頬擦りするつもりだ……不意にテレパシーで女の心を読んだ彼は、職場では披露することのない体術を駆使し、素早くその場を離れる。
「やっぱり……やっぱり、この展開になるんじゃないか!」
 自分を呼ぶ声は聞こえるけど、もう振り向かない。聞きたくもないし、見たくもない。
 さようなら、ドーナツとコーヒー。さようなら、俺の幸福な午後。できれば永遠にさようなら、ウェイトレスの元先輩。

 フェイトはオフィスに帰るなり、必死の形相で上司に苦情を並び立てる。
「あれはセクハラです! あれはパワハラです! すぐに止めさせてください! 俺はドーナツとコーヒーを買いたかっただけなんです!」
「ふーむ、ハラスメントの恨みを友人の男と晴らしたいのか? 晴らす、男と。はらす、めんと。ハラスメント……HAHAHA!」
 オフィスが静まり返る中、上司の笑い声だけが豪快に響く。さすがはビッグアメリカ、アホのスケールもデカ過ぎる。
「我ながら素晴らしいアメリカンジョークだ! ところで別件だが、シカゴで起きてる幽霊の食い逃げ事件、調査に来てほしいって言われてるんだけど、これどうす」
「はいはい! 行きます! 今すぐ行きます! 俺、任務大好きですからっ!」
 今はここにいるよか、外の方が絶対マシだ。食堂にはドーナツとコーヒーもあるだろう。もしかしたら、その幽霊が俺の愚痴を聞いてくれるかもしれない。悲しい俺の境遇を聞いて、もしかしたら一緒に泣いてくれるかもしれない……
 そんな優しい世界を妄想したら、自然と目から水があふれ出た。
「俺っ……俺、任務大好きですからっ!」
 上着と旅行かばんを抱え、オフィスを後にするフェイトの背中は哀愁でいっぱいだった。

 どうかフェイトの引き受けた依頼に、幸多からんことを。

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素数蝉

IO2エージェント、コードネーム「フェイト」は、4年間のアメリカ研修でさまざまな体験をした。
 誰かが休みだとほぼ確実に行われるホームパーティー、上司や同僚の口から発せられるアメリカンジョーク……それは日本人であるフェイトにとって、カルチャーショックでしかない。
 しかし、日本の夏に決まって思い出すのは、ある日の奇妙な事件のこと。それは今も耳の奥に、そして脳裏に焼きついている。
「また……この季節か」
 フェイトは恨めしそうに街路樹を見上げた。今の東京に、そいつらの姿はない。
 だからこそ思い出す。鮮明に、あの日のことを。

 フェイトがニューヨークに本部を置くIO2に在籍していた頃から、ただの研修生とは思えぬ大器であった。その凄腕エージェントに困難な依頼が用意されるのは当然。いわば宿命であり、運命といえよう。覚悟はいつも胸の奥に……フェイトは上司の前に立った。
 ところが、彼の受け取った書類は、説明不足の状況と意味不明な単語が並ぶばかり。上司もその書類から抜け出したかのごとく能天気で、彼の覚悟なんて察しもせず、極めて緊張感のない雰囲気で話す。
「今、アメリカでは『素数蝉』という生物が大量発生しているっていうんだ、フェイト。それをなんとかしてほしいんだ!」
 課内に響く声で笑う上司に対し、フェイトは「はぁ」と相槌を打ちながら、とりあえず内容の把握に努める。
「ああ、それ読んでも意味わからないだろ? 大丈夫、俺はおろか上層部だって意味わかんなかったから。HAHAHA!」
「だったら、チームを組んで事件を解決すべきではないのですか?」
「でも、被害届は公園のママさんとか、庭の芝刈りしてるファーザーばかりだから。とりあえず仕事したっていうアピールだけしてくれればOKだぜ!」
 通常の任務と同様、武器の所持などは認められているが、調査を真剣に行う必要はなく、「休暇を利用した旅行気分で望んでもらって構わない」と伝えられ、フェイトはいよいよ眉をひそめる。
「で、被害が一番大きいコネティカット州に旅行、ですか。わかりました。ただ、何か大事になっても知りませんからね」
 フェイトは上のやり方に不満があるのか、機嫌が悪そうだった。
 だが、相手はこんなことを言う始末。
「OH! どうしても無理だったら連絡してくれよ。相手が蝉だけに、シカーダない‥‥しかだない、仕方ない、ってこともあり得るからな。HAHAHAHAHA!」
 微妙なアメリカンジョークが炸裂すると同時に、フェイトはもちろん、椅子に座っていた同僚もその場で派手に転んだ。

 そんな寒いジョークに見送られて、フェイトはコネティカット州へと赴く。ここはニューヨークから近く、彼もちょっとした旅気分を味わえた。
 しかし、楽しい気持ちもここまで。車を降りると、蝉の声がすぐに聞こえた。フェイトはいつもの黒スーツにサングラス姿のまま、再び被害届を内容に目を通す。
「さすがに蝉の鳴き声がうるさいな。一般市民からの苦情が多数あるという点は、なんとなく納得できる」
 少し聞き込みをしようかと、近所の公園に赴くフェイトだが、その音量は上がるばかり。まさにボリュームのつまみが壊れたスピーカーさながらである。彼は課内で見せた、あの表情をもう一度浮かべた。
 フェイトはあの時、意味不明な依頼を嫌ったわけではない。実は「虫が嫌い」なのだ。でもそんなことで依頼を蹴るのは、プロフェッショナルではないと、彼は自分なりにがんばっているのだ。今もかろうじてプライドが自我を保っている、そんな状態だった。
 公園に差し掛かった頃、大音響に少しずつ異音が混じり始める。それは羽音……素数蝉が移動する時に発生する羽音だ。虫嫌いのフェイトにとっては苦痛以外の何物でもない。彼は何気なく街路樹に目を向けた瞬間、信じられない光景を目にした。
「う、う、うわぁっ! な、なんだ、この数っ!!」
 1匹見たら30匹……という例えを実感できるほど、すさまじい数の素数蝉が木々を覆い尽くしている。青々とした葉っぱなど、見えやしない。それだけの数が彼の近くに迫っていた。この蝉、困ったことに殺意や殺気がまったくなく、フェイトが事前に察知できなかったのも災いした。
 これで卒倒しない虫嫌いがいるだろうか、いやいない。フェイトは今も増え続ける蝉を見て、思わず「ぎゃーっ!」と一声叫んで、ついには気絶してしまった。

 フェイトは救急車で病院に運ばれ、1時間ほどでさっそうと退院。すぐ任務に戻ったが、「無茶はできない」と冷静に分析した。
 まず、数が多すぎる。この時点で、ほとんどの異能力が封じられた。また、拳銃でも対応は無理。最後に残された手段は、己という肉体を武器にした体術だが、それを披露したら確実に救急車を呼ぶハメになるだろう。これはさすがに恥ずかしいし、1日で2度となると普通に怒られてカッコ悪い。正直、こんなこと凄腕エージェントのやるこっちゃない。
 ということで、上司の指示に従う形で、今回は徹底的に篭城することにした。昼間はカフェでアイスコーヒー1杯で何時間も粘り、夜はモーテルで耳栓をして寝る生活を繰り返す。しかし時間が経つに連れ、蝉の声は気にならなくなったが、逆にテレパシーで念が聞こえるようになってしまった。こうなると耳栓も無駄。昼も夜もなく、蝉の世間話がダイレクトに飛んでくる。
『冬眠ってすることなくて暇なんだよなぁー』
『おっ、あの子かわいくね?』
『あいつ、この季節に黒スーツかよ。人間って大変だな』
 フェイトが「うるさい!」と叫んでも、全員に伝わるはずもなく、声は収まらない。しかも蝉は総じて能天気で、彼の苦情を意に介さない。極めつけは、テレパシーが通じることさえ疑問に感じないのだ。地獄のような滞在が、淡々と過ぎていく。

 コネティカット州にやってきて4日目の夜。
 この日もサングラスの上にアイマスクをしてベッドに入ったフェイトだが、今日もまた蝉の大合唱と感度十分のテレパシーに苦しんでいた。蝉のパーティーは、この日が最高潮。被害の大きい地域では、行政が持つスピーカーから負けじと音楽を流したりして対抗するが、もはや人間たちの限界も近い。ノーガードの殴り合いはいつまで続くのか……
 しかし、蝉の話す内容は、この日だけはなぜかほぼ同一だった。それを知り得たのは、無論フェイトのみだが。
『もう最期だから、たくさん鳴こ鳴こ』
 その言葉を聞いた彼は、ある推論を立てたが……ひとまず寝ることに専念した。もちろん寝れるはずもなかったが。

 早朝、目の下にクマを作ったフェイトは、恐るべき光景を目にする。
 あの素数蝉が一斉に死んで、地面を覆い尽くしていたのだ。そう、蝉の寿命は短い。彼らもまた例に漏れず、長くは生きられなかったというわけだ。
 これで事件は解決したのだが、なんとも腑に落ちないというか、どこか物悲しいというか……フェイトは何ともいえない気持ちになった。
「蝉だけにシカーダない、か……」
 まさか上司のジョークを口にするとは思わず、彼は苦笑いを浮かべた。

 その後、「街は蝉を集めて墓を作った」と、フェイトは報告書に記している。その数が素数であったかは明らかにされていないが、素数だとしてもとんでもない数だろうから、もう名前については気にしないことにした。
 そういう謎多き蝉とアメリカの研修時代に出会い、救急車で運ばれた。フェイトにとっては、その記憶だけで十分である。

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緑の絆

フェイト(ふぇいと)は、少々リラックスした穏やかな表情で空を見上げた。
 ビルとビルの間からのぞく空は四角く切り取られ、不格好な近代絵画のようだった。
 青さだけは絵の具にも出せない美しさだったから、フェイトは思わず目を細め、しばらく立ち止まってじっと見上げていた。
 数日間にわたった任務が、つい先ほど終わったばかりだった。
 次の任務まできっとたいして休息は与えられないだろうが、そんなものをあまり望んでいないフェイトとしては、この束の間の休息ですら多少持て余し気味である。
 軽いため息をつき、また歩を進め始めた、そのときだった。
 古ぼけたビルの隙間、人がようやくひとり通れるくらいの細い路地に、物に埋もれるようにして小さな人影がうごめいていた。
 先ほど見上げた空と同じ色の、さわやかな青のワンピースに身を包んだ、可憐な少女だった。
 彼女の前にそびえるのは、どう見てもゴミの山だ。
 不釣り合いも甚だしい。
 フェイトは興味をひかれて、そちらに足を向ける。
 近付くにつれ、彼女が泣いているのに気がついた。
「どうかした?」
 おどかさないように、静かに声をかけると、少女は涙にぬれた目でこちらを振り返り、震える声で訴えた。
「あのね…人形を探してるの…」
「人形?」
「私の人形…大事にしてたのに…ママが捨てちゃったの…」
 言って、少女はまた泣き出した。
 フェイトはハンカチを取り出し、汚れた彼女の顔と手をぬぐってやった。
「いっしょに探してあげるよ。きっと見つかるから、心配しないで」
 少女は素直にこくんとうなずいた。
 フェイトは目の前にうずたかく積まれたモノの山を見上げた。
 粗大ごみから日常のごみまで、ありとあらゆるものが置き去りにされている。
 たまに収拾には来るらしく、そこまでひどいにおいはしていない。
 よいしょ、と小さくつぶやいて、フェイトは少女の隣りにしゃがんだ。
「どんな人形なのかな?」
「金髪で、緑の目をしてて…」
 少女の説明を聞きながら、わずかに力を発動させて、人形の正確な姿を脳裏に焼きつける。
 どうやら小さめのフランス人形のようだ。
 人形も「モノ」だが、大事にされればされるほど、そこには魂が宿るという。
 こんなにも惜しまれている物なら、何かが感じ取れるのではないかと意識を澄ませたそのとき、扉が取れた冷蔵庫の裏側から、わずかに思念が呼びかけて来た。
 フェイトは周りのごみを崩さないように慎重にそちらに行くと、思念の元に手を伸ばして、人形を引っぱり出した。
「あっ! 私のお人形!」
 少女が駆け寄って来る。
 その手に人形を渡そうと差し出しかけたとき、ぞわりと背筋に寒気が走った。
「えっ…?」
 思わず手をひっこめようとしたのだが、少女が人形をひったくるように奪って、胸の中に抱きしめてしまった。
「ありがとう、お兄ちゃん!」
 少女は太陽のような笑顔でお礼を言い、ひょこっと頭を下げて走り去った。
 後に残されたフェイトは、不安を感じながらも遠くなっていく少女の後ろ姿を見つめていた。
 
 
 
 数日後、同じ場所を通りがかったフェイトは、何の気なしにあのごみ収集所に立ち寄った。
 すると、細身の女性があの人形を遠くの方に捨てている場面に出くわしたのだった。
 女性の足元にはあの少女がいて、「捨てないで! 捨てないで!」と泣き叫んでいる。
 少女の顔を見て、フェイトはぞっとした。
 以前会ったときより数段やつれていたのだ。
 まだ何日かしかたっていないのに、そのやつれようは異常だった。
 フェイトはふたりに近寄った。
「あのときのお兄ちゃん!」
 少女は相変わらずの泣き顔で、フェイトに走り寄って来た。
「お兄ちゃん、ママを止めて! あのお人形、また捨てちゃったの!」
 フェイトは少女の頭にぽんぽんと手を置くと、女性に歩み寄ってたずねた。
「その人形は…」
「あれは不幸を運ぶ人形なんです」
 女性は硬い表情でこう言った。
「あれが来てから、あの子は少しずつやせ細って、やつれてきました」
「あの人形は誰かからもらったものなんですか?」
「ええ、あの子の友達だった女の子から…その子は病気で先日亡くなって…形見としてもらったんです」
 フェイトはまた、人形の思念が呼びかけて来ることに気付いた。
 それはとても暗く、怨嗟に満ちていて、思わず頭を振って、振り払った。
「やつれていく理由はわかっているんですか?」
「ええ…どうも夜中にあの人形と遊んでいるようなんです。私たちが無理に寝かせようとしても、気が狂ったように遊ばなきゃと騒いで…」 やはりあの人形は「よくないモノ」のようだ。
 フェイトはうなずき、人形には聞こえないような小さな声でひとつの提案を女性にした。
 
 
 
『どこにいるのぉ? 遊ぼうよぉ…』
 時計の針が0時を回った頃、妙に舌足らずなエコーがかった少女の声が、部屋の中にこだました。
『今日は何をしようかなぁ…? かくれんぼぉ…? それともおままごとがいいかしらぁ…?』
 闇の中、目を凝らしてみると空中にあの人形が浮いていた。
 金髪をふわふわとただよわせ、光った緑の目であたりをうかがうように見回している。
 その視界の中、すっと何かが横切り、人形がうれしそうににたりと笑いを唇で形作った。
『見ぃつけたぁ…あれ…?』
 ふっと、人形の声が不自然に途切れる。
 その目が警戒するように細められた。
『おまえは…誰だ…』
「俺はフェイト。君の友達はここにはいないよ」
『あの子を…どこへやった…?』
「さぁ? でも、もう君とは遊ばないってさ」
『そんなの…嘘だぁあああ…!』
 人形が悪鬼の形相でとびかかって来る。
 それをひらりとよけながら、フェイトは静かに語り続けた。
「君はもう病気で死んでしまったんだ。…死んだ者は、この世にはいられない」
『そんなことない…! まだまだまだまだ遊びたいんだもん…!』
「それはもうできないよ。君にはもう未来も時間もないんだから」
 人形の攻撃を余裕の態でかわすフェイトが片手を振ると、そこに眠っている少女の姿が現れた。
 人形がとたんに目を輝かせ、少女のそばに行こうとする。
 だがその前に、フェイトが立ちはだかった。
『邪魔するなぁあああ!』
 叫んだ人形をそっと受けとめ、フェイトはささやくように言った。
「この子は君の友達だ。だからずっと君と遊んでくれてたんだよ。でも、この子には未来がある。君は大切な友達の未来を奪ってしまうのかい?」
 人形の緑色の瞳が揺れた。
 ぎこちない動きで少女の方を見やり、『ともだち…』とつぶやく。
「遠く離れても、君とこの子は友達だ…ずっとずっとね…」
 人形の身体から、かくんと力が抜けた。
 フェイトの手の中で、それはさらさらと砂に変わっていく。
 すべてが無に帰ったとき、フェイトは一度だけ眠っている少女を振り返り、かすかに笑ってこう言った。
「いい友達を持って、よかったね」

~END~

カテゴリー: 02フェイト, 藤沢麗WR |

WHO ARE YOU

キミは、誰?
 彼女は薄暗い部屋の中で、ゆっくりと身体を起こしながら嫣然と微笑んだ。
 その白磁の美貌は、まだ幼い少年をしかし、耳まで赤くにするには十分の魅力を持っていた。
 小さく膨らんだ乳房が視界に入ると、少年は慌てて少女から、眼を逸らした。
 必要最小限の明かりしかないこの部屋でも、少女の白い身体はその明かりを反射させてぼぉーと輝いていた。
 少女は初心な少年の反応に柔らかに双眸を細めた。
 とても純粋な少年を慈しむように。

 その光景を、監視カメラを通して観ている男の目は、少女の目とは正反対の、この世の邪推を集めて凝縮し、結晶化したような漆黒の瞳だった。
 まだ大人になりかけの少女の男を知らない裸体に音が聴こえそうなほどの下卑た舌なめずりをして、肩を震わせる。
「はん。まだママのおっぱいが恋しい年頃のガキが生娘のおっぱい手に入れて筆おろしかよ。いいねー。おい、この監視カメラの映像、あとで渡せよ。おっと、勘違いするんじゃねーぞ。今晩のおかずにしようってんじゃねー。売るんだよ。やりてえってなら、いつだってあの部屋に乗り込んで、あのガキ八倒して、やりたい放題やれるんだからな」
 いひひひひと笑う男を、その監視室のモニターをしかし、絶対に観ようとしない男がとても嫌そうな目で見た。
「なんだよ、なんだよ、その目は? あん? あれか? おまえ、まさか、あのガキどもに同情でもしようってのか? 初めてのエッチを他人に観られて可哀想って? あははははは。何言ってんだよ? おまえだって、右手が彼女で、毎晩パソコンでエッチ動画観つつ頑張ってんだろう? 何ならあの部屋で鑑賞でもしてくれば? 上には黙っててやんぜ?」
「だ、誰が、誰があんな部屋なんて行きたいものか。あんな奴…あんな、化け物を目にしたいものか!」
 半狂乱で叫ぶその同僚の男に、彼は一瞬だけたじろぐような顔をしたが、しかし、すぐに小ばかにするように笑った。
「化け物、化け物、って、おまえら、何、あんな小娘、怖がってんだよ? 確かに眼鏡ブスのあのおばさんから見たら、嫉妬しか生まれない化け物みてえに綺麗な小娘なんだろうがさ。おまえら、本当に、揃いも揃って。あんな小娘、そのうちにあのガキの腰の動きに合わせてあんあん言い始めるメス…」
 男の下卑た品性の無い台詞はしかし、そこで終わった。
 少女が監視カメラのモニター越しに男と目を合わせ、そして、あろう事か、にこりと嫣然と微笑んだのだ。
 そうして、少女は、唇を動かした。
 次いで男は、果たして絶叫を上げて、腰のホルスターから抜いたリボルバーの銃口を口の中に入れて、彼がこれまで犯した犯罪の数々を、まるでその被害者たちが目の前に居るかのように謝罪しながら、引き金を引いた。

 ……かつて、魔女が居た、とIO2の資料には書かれていた。
 資料保管室の、その中でもとくに忌み嫌われる資料の数々と一緒に、まるで誰の目にも触れさせないように隠すように保管されていたその資料に書かれていた彼女の事は、まるで生まれてきたことこそがそもそもの不幸、罪であるかのように書かれていた。

 享年10歳。
 そんな幼い歳で、彼女は死んだ。

 しかし、その資料の執筆者の、彼女の最後を記載した文章には、どこか安堵の感情が見て取れた。

 その資料の執筆者に、以前、聞いたことがある。
 このIO2で彼女の事を知っているのは、彼だけではないと。
 その人物の名はついぞ彼は教えてはくれなかったが、しかし、面倒見の良いその彼が唯一、目も合わせようとはしない少年が居る事を不審に思い、その少年の過去を探ってみれば、案の定、その少年こそ、その資料に記載された魔女と同じ施設に監禁されていた少年だった。
 その少年の名前は、フェイト、と言った。

 今でも夢に見る小さな少女が居る。
 それでももう、その少女の顔も、身体つきも、どんな髪型で、どんな髪の色をしていたかさえも覚えていない。
 キミはだれ? 
 フェイトはいつも夢の中で彼女にそう問いかける。
 けれども、ふと、彼は思ったんだ。
 起きているのと、寝ているのとのちょうど間の中をふわふわと彼の心が彷徨っている時に。
 だからこそ。
 現実と夢との境界線、そこは、今も過去も、そして、未来さえも一緒くたにある場所だから。
 フェイトたち能力者は、まれにアガスティアの葉と呼ばれるその場所、そこにチャンネルを合わせる事ができるから。
 そこにあるのは、未来だけではない、過去も。今もある。
 そして、それは、その人物の魂の中にあるのだ。
 なぜなら未来とは、今や、今と呼ばれた過去によってなる物だから。
 だから、未来と呼ばれる場所には、必ず今も過去もある。
 そういう場所だからこそ、彼女の残滓は、彼の中に憑いていられるのだろう。
 それでも、その場所においても、もう彼女の残滓は、ほとんど形を保っていられなかった。
 それは、彼女自身の妄執が、もうほとんど時という物に負けてしまって、しかし、そうまでなっても未だなお、彼に憑いていたいと願う程の、それは彼女の執着だった。
 そして、その少女に、フェイトはいつもキミは誰? そう問いかけていたと思っていたのだが、
 しかし、彼は、その日、唐突に理解した。
 いや、思い出した。
 彼女こそが、フェイトにそう言い続けていたのだと。

 資料には恐るべき事実が書かれていた。
 彼女の血縁者は皆、母親を除いて、自殺している。
 その理由は定かではない、と警察は発表している。
 彼女の父方、母方の両親はともに順調な隠居生活を送っていたのだが、共に無理心中を図っていたし、
 彼女の父親もまた、彼女が生まれた日に首をくくって死んでいた。
 そして、彼女の母親もまた、彼女が生まれたその病院で起こった、産婦人科医が起こした病院関係者及び、入院していた人間すべて…彼女を除いたすべてを皆殺しにしたその事件の被害者として死んでいた。
 それだけではない。
 彼女が入れられていた養護施設。その養護施設でも、自殺者は続出していた。
 彼女がその養護施設を出る前には、彼女と仲が良かった小学校の教師も自殺していた。

 そう、彼女は魔女なのだ。
 彼女は、自分の周りに居る人間に、その人間の犯した罪を見せる事の出来る力を、持っていたのだ。
 恐ろしい事に彼女は、その強すぎる能力のために母親の子宮に居る時から、何人も、自分の血族さえも殺していたのだ。
 そして、その彼女の能力は、国の超能力を調べ、保管する秘密組織に知られ、彼女はその施設に入れられて、貴重なサンプル体として、育てられることになった。
 とはいえ、彼女はただただ、そこでも人を殺しまくるだけの生活を余儀なくされたのだが。

 彼女は、初めて出逢ったその瞬間に、フェイトを見て、涙を流してくれた。
 そう。真っ暗な暗闇の、どん底の、またさらにそのどん底の世界で、いつも、誰か、誰か、誰か、誰か、と泣いていたフェイトの気持ちをわかってくれたのだ。
 なぜなら彼女も同じだから。

 別に望んで得た力ではなかった。
 むしろ、こんな力なんて欲しくは無かった。
 でも、持って生まれてきてしまったのだ。
 そして、知らなかったのだ。
 みんな、そんな力なんて持っていなかった、って。
 フェイトだけが、特殊で、化け物だったなんて。

「いいの。あなたは出なくてもいいの。ママとずっと、一緒にお家に居るの。ママはあなたが大好きだから、あなたを独り占めするの」

 いつもフェイトの母親は泣きそうな顔で笑いながら、そう甘やかすように言っていた。
 好かれてなんていないと思った。
 好かれているけれど、子どもとして愛されているけれど、
 それと同じくらいに嫌われているとわかった。
 それと同じくらいに怖れられているとわかった。
 でも、何で、そうなのかわからなかった。

 だから、ある日、言ってしまったのだ……、

「ママもやれるでしょ?」

 たった、たったその一言で、それまでの飯事は全て終わった。

 後の事は覚えていない。
 親戚の親戚、
 おそらくもう他人と言っても過言ではない親戚に引き取られて、そこでフェイトは金に目の眩んだ名前だけの保護者にテレビに出され、その能力を発動させることを強制された。

 今でこそ、フェイトはその能力を自由自在に使えるけれど、幼い子どもが、もろに周りの人間の感情の力をその純粋さゆえに真っ向から受け止めてしまう幼い子どもが、その純真な心を発動条件とする能力を上手く使えるはずもなく、
 幼かったフェイトはテレビの公開録画で失敗し、テレビや週刊誌、そして、国会においても、フェイトの名前だけの保護者が糾弾され、
 フェイト自身も子どもたちの世界で阻害され、
 そして、組織の計画通りに、組織は、フェイトを手に入れた。

 大金を手に入れたフェイトの名前だけの保護者の乗った飛行機は、バードクラッシュによって墜落し、生存者ゼロの大惨事となったのは、フェイトが組織の研究所に入れられた次の日だった。

「WHO ARE YOU」
 彼女は、いつだって、フェイトにそう訊いてきた。
 その度にフェイトは自分の名前を口にしていたはずなのに、彼女はやはり何度でもそう訊いてきた。
 

 彼女が聞きたかったのは、名前じゃない?

 彼女の夢を見て、
 窓から差し込む朝日の中に、飛んでいく白い鳥を見つけて、フェイトは泣いている自分に気が付いた。

 そうだ。彼女は、まだ、その答えを聞いていないから、フェイトの中に居る。
 憑いている……。

 資料の執筆者の他にそれを知っていた者が、実はフェイト以外にも、かつてはいた。IO2からその組織に派遣されていた研究者だった。
 IO2には、そういう裏の部分、闇の部分もあるのだ。
 研究者がただひとり助かったのは、しかし、IO2だったからだろう。
 彼の性格はとても褒められたものではない。世間的には人格破綻者と言われる部類の人間だ。
 しかし、だからこそ、そのIO2の闇の部分では力を持っていた。
 そして、どうにも、そうならないように万全の準備をして、彼女を監視・研究していたはずのその組織の人間を彼以外、皆殺しにした彼女は、それを理解していたようなのだ。
 彼、フェイトが何不自由なく暮らしていけるように。

 もっとも、その研究者もその後、フェイトの一般人として生きていく環境づくりをした後に、突如の自殺をもって、その生に幕を下ろしたのだが。
 ……。

 能力なんて要らないと思ったのに。
 能力を持たせた神を恨み、呪いさえしたのに。
 
 彼女の慰みとして、また人体実験の道具として、組織の研究所で暮らし、そこから、ただ独りの生き残りとしてIO2によって保護され、
 IO2によって普通の一般人として暮らしていけるようにしてもらって、
 ようやく中学ぐらいからその夢もゆっくりとだが叶い始めたにもかかわらず、
 今、フェイトはIO2で戦っている。忌み嫌っていた力を使って。

 それは、何故?

 昼間の明るい日差しに包まれた公園で、トランペットを吹いているフェイトの周りに子どもたちが集まってくる。
 その子どもたちを引率している10歳ぐらいの少女が、そう問いたげに首をちょこんと折り曲げる。

「WHO ARE YOU」

 そう訊いてくる少女の顔と、その少女の顔が重なったように見えた。
 首を傾げている少女の周りの子たちは笑顔でフェイトの音楽を聴いている。
 かつて、少女も、そして、フェイトも、ついぞ浮かべる事の出来なかった顔だ。

 そう、そして、それは今も変わらない。

 なぜならフェイトは今でも本当の笑顔を浮かべられないし、

 そして、フェイトの中の、フェイトに憑いている少女も、それは変わらない。

 だから、

 そう、だから、

 フェイトはトランペットを吹きながら、その首を傾げる少女に、周りの子どもを見てごらん、そう答えた。

 少女は周りの子どもの顔を見る。

 みんな、笑っている。

 そうして、少女は、そのみんなの笑っている顔を見て、ぎこちなく笑うのだ。

 そう。自分たちはもう笑顔を浮かべることはできない。

 その笑うという行為は、もう、この子どもたちの義務であり、責務であり、そして、それがこの世界の希望、望みなのだ。

 だからこそ、フェイトは戦うのだ。

 自分のために組織の大人たちを皆殺しにし、血の涙を流しながら、最後の最後まで、フェイトに「WHO ARE YOU」、そう問うてきた彼女のためにも……。

「俺は、みんなの、子どもの笑顔を、守る者だよ」

 ずっと、ずっと、ずっと、あの研究所で、フェイトと少女が望み、終ぞ、現れなかった存在。

 だから、フェイトは、自分がなったのだ、その、存在に。

 もう、泣く子どもが、絶望しなくても良いように。

 

 トランペットを吹き終わると、そこにあの少女は居なかった。
 そして、フェイトの心の中にも。
 もう、あの彼女は、フェイトに憑いていない。

 公園の中に、軽やかなオルゴールの音色が流れる。トライメライ。子どもの夢という名前の音楽。
 それは、フェイトの携帯の着信音だった。
 彼は、トランペットのケースに入れていた拳銃と、トランペットを入れ替えて、そして、
 世界に向けて囁くように、しかし、その目だけは世界に対して挑戦的に宣言するように、もう一度、それを口にした。
「俺は、みんなの、子どもの笑顔を、守る者だよ」

 END

 ライターより

 こんにちは。このたびはご発注ありがとうございます。
 PL様のプロットを読んで、浮かんできた、フェイトさんが戦う理由、なら、その動機となった物語は一体、どういう物なのだろう? その疑問と、プロットとを見比べているうちに、少女がふわりと浮かんできたのです。
 少しでもPL様に喜んでいただけましたら幸いです。^^
 
 重ね重ねになりますがご発注本当にありがとうございます。
 失礼します。
 

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