sinfonia.33 ■ 動き出す牙

「……私、は……。私は……」
 放心気味に呟いたエヴァが、瞳孔を開いた瞳を揺らしながら呟いた。頬を涙が伝い、動揺しているのか小刻みに肩が揺れている。

 ――元の生活に、戦わずに生きていけるような世界に、自分は行くことが許されるのだろうか。
 脳裏を過ぎった小さな疑問。今までに感じたこともないその疑問が、エヴァの心を強く揺さぶる。

 生きる為に必死に戦い続けてきた。それ以外、自分が生きる方法が解らなかった。
 エヴァ・ペルマネントという一人の少女は、自分の人生において、勇太が突き付けた『普通の生活』というものを望んだことはない。それに羨んだこともなかった。

 ――あまりにも自分という存在が、そういった世界とは遠く離れた出来事に思えていたのだ。

 一番古い記憶は、焼き焦げたコンクリートと硝煙の匂い。
 赤黒く変色した、ペンキをぶちまけたように染められた瓦礫の残骸。
 そして啜り泣く声や、恨み辛みを口にする周囲の怨嗟の声。

 紛争地域で、不幸にも身寄りもなく生き残ってしまった少女。それがエヴァ・ペルマネントの原初の記憶だ。

 戦いの中に身を投じた者達は、泣き喚く子供を殺す。そうしなければ敵勢力に自分達の位置を知られてしまい、自分達も危険に晒されるからだ。
 幼いながらにその無情な現実を知ったエヴァは、賢く対処してみせた。幸いにも恐怖が気道を絞り込むように縮まり、声が上がらなかった。そのおかげで、泣き喚く同世代の少年少女が死んでいく姿を見ながら、それでもエヴァは生き残ることが出来た。

 彼女にとって、戦いとは即ち生きることだったのだ。

 やがて紛争が終わり、ただの孤児になってからは食い物の為に。
 ドイツ軍に入った時は生きる為に。
 そうして他者の血を流してでも、ただただ生きたいという傲慢とも言える願いだけが、エヴァという少女を支えてきた。

 それが今、ここで一つの分岐点を迎えたのだ。

 自分を殴りつけた少年――勇太は手を差し伸べている。
 もしもその手を取れば、新たな一歩を踏み出せる。
 望んでなんていなかった戦いの世界から足を洗い、新たな一歩を踏み出せる。

 そう思うだけで視界が歪み、力無く震えた手が伸ばされた。

「――フ、フフフ……」

 ――伸ばそうとした手が止まり、ぞわりとその場にいた誰もの背中を冷たい悪寒が走り抜けた。
 エヴァはその声に瞠目して手を止め、勇太や凛、そして武彦や百合は周囲を見回した。

 確かに相手にしていた能力者達は片付いている。それらがあげた声ではない。

 勇太はその声を知っている。
 かつて耳にした、あの時の声だ。

「……巫浄 霧絵……ッ!」

 勇太が絞りだすように告げた言葉に、そして勇太の向けた視線の先に。
 真っ黒な闇が浮かび上がり、その中から姿を現した一人の女。

 これまで勇太の運命を翻弄し、百合の身体を玩具にようにいじくり、目の前のエヴァの運命を捻じ曲げてきた張本人。
 虚無の境界の盟主――巫浄霧絵が、ついに堂々と姿を現した。

「……天然の人誑し、とでも言うべきかしら。本当に似ていないわね。あなたの父親と」

 姿を現した霧絵が、勇太に向かって告げた。

「……父、親……?」

「そうよ、工藤勇太。あなたの父親は孤高な一匹狼といったところかしら。でもあなたは、どちらかと言えば群を作る習性があるみたいね。百合の次はエヴァまで誑し込もうなんて、ね」

 瞠目して尋ねる勇太に向かって、涼しげな笑顔を浮かべた霧絵は告げる。

 ――どうしてこの仇敵から、自分の父親という存在の話が出て来るというのか。

 霧絵から突き付けられた言葉は、まさしく頭を金槌で殴るかのように勇太の頭の中をかき乱し、混乱させていた。
 そんな勇太の様子に気付いたのか、凛と武彦が霧絵と向かい合う形で勇太の前へと躍り出た。

「あら、生きていたのね、ディテクター」

「生憎、俺の生命力は並じゃないらしい。風穴空けられたお礼もしてねぇからな」

「巫浄霧絵……! 私はあなたを許しませんっ!」

 紫煙を巻き上げながら銃口を向けた武彦と、手に呪符を構えた凛が霧絵に向かって言葉を投げかける。
 数的不利は明らかであろうこのタイミングで、どうして盟主たる霧絵が出て来たのか。誰もの脳裏にそんな疑問が思い浮かぶが、仇敵を前にして手をこまねいて狙いを読んでいる余裕はない。
 気持ちとしてはすぐにでも攻撃を仕掛けたいところではあるが、それでも嘲笑を浮かべて対峙した武彦らを見つめた霧絵の不気味さが、武彦と凛の足を踏み出させない。

 何かが必ず仕掛けられる。
 そんな予感が胸中を支配し、身体を縫いつけているのだ。

 そのせいで身動きが取れない武彦と凛。瞠目する勇太とエヴァ。
 そんな中、百合が動いた。

 咄嗟に攻撃を仕掛けた百合の一撃が死角となっている霧絵の斜め上上空から霧絵の首に目掛けて三寸釘さながらの鉄針を飛来させていたのだ。

 ――いける。
 そう判断した百合であったが、次の瞬間。
 霧絵の身体から吹き出ていた黒い影が、さながら骸骨のような身体を形成しながら百合の攻撃を掴み取ってみせた。

「な……ッ!」

「殺しに来るのは正解だったけど、残念ね、百合。その程度の攻撃じゃ私の身体には届かないわ」

「……ッ、さすがね……」

「勘違いしないで欲しいの。私が今日ここに来たのは、『虚無の巫女』を迎えに来ただけ」

「……『虚無の巫女』……?」

 訝しむ武彦の横に立っていた凛に向かって、霧絵が指差した。

「『虚無』を降ろすには、媒介となる身体が必要なの。その素養たり得る存在がどうしても必要だった。そんな中、一番それに合っていた適合者。それがアナタよ、護凰の巫女」

 霧絵の言葉とほぼ同時に、それぞれの身体を影から伸びた闇の鞭が縛り付けた。
 誰もが突然のその行動に歯噛みする中、武彦が確信する。

(……クソッタレッ! 〈虚無〉の覚醒の最終段階にまで着手してやがったのか……!)

 かつて虚無について調べていた際に、武彦に協力していた一人の少女らしい見た目をした研究者が告げた言葉を思い出しながら、武彦は歯噛みした。

――――

『依代……?』

『そーだよ、武ちゃん。基本的に神道、陰陽道、仏道。それに西洋のキリスト教でも同じだと思うんだけどね、〈神降し〉を行うにはその器となる〈依代〉が必要になると思うんだよねぇ』

『ふぅん……? それがどうしたってんだ?』

『つまりだよ、武ちゃん。虚無の境界が〈依代〉となる人間――つまりは適合者を見つけて捕らえようとした時には、すでに虚無の境界による〈虚無〉の復活は最終段階に入っているってことだよ。もしこの状況になったら、不殺の精神を破ってでも盟主を殺して』

『もしそれが間に合わなかったら……?』

『全てを無に帰す、絶望と混沌の悪神、〈虚無〉が降臨するってこと』

――――

「――勇太! 凛を連れてどこへでも良いから飛べ! 凛が連れて行かれちまうぞ!」

 武彦の怒声にハッと我に返った勇太が、テレポートを開始しようと試みる。

「残念ね。でもそうはさせないわ」

 霧絵も勇太の能力を把握し、そう動くであろうことは予測していたのだろう。
 闇を操り、かつて武彦の身体を貫こうとした円錐状の闇が回転しながら霧絵の目の前に具現化され、そして勇太に向けて放たれた。

 両手すら縛られた状態で身動きが出来ない誰もの視線を受けながら、霧絵の放った円錐状の闇が勇太へと肉薄する。
 せっかくの神気も、縛られているせいで自由には使えない。

 ギュッと目を瞑った勇太であったが、いつまで待ってみても自分の身体には何の変化も生まれようとはしなかった。
 その代わりに、自分の前に飛び出した何かによって生まれた影に、勇太がそっと瞼を押し上げようとしているその最中に、霧絵が口を開いた。

「……どういうつもりかしら」

「簡単なことだ。俺も柴村と同じく、この少年に誑かされた一人だった、というだけのこと」

 唸るような野太い声。
 勇太はゆっくりと押し上げた瞼の向こう側に立ち、飛び込んできた円錐状のそれを力技で殴り飛ばしたらしい男の背が映り込んだ。

「……ファン、グ……?」

 思わず勇太が声を漏らす。
 目の前に現れ勇太を庇ったのは、かつて勇太が戦った相手、ファングであった。

「きゃ……ッ!」

「――ッ! 凛!」

 九死に一生を得たばかりであったが、再び霧絵が動き、凛を足下の影の中へと引きずり込んでいく。
 慌ててテレポートをしようとした勇太であったが、身体に巻き付いている影が勇太の力を邪魔しているらしく、動けない。

「クソ、動け、動けよッ! 凛!」

「勇太……!」

 勇太と視線を交錯させていた凛が、ついに闇の中に呑み込まれて姿を消した。

「……そ、んな……ッ! 巫浄霧絵えぇッ! 凛をどこにやったッ!」

 勇太の叫ぶ声を耳にしながらも、霧絵は笑みを崩そうとはしなかった。

「教えても仕方がないでしょう? だって、ここで死ぬんだもの」

「させん」

「あなた程度に何が出来るのかしら、ファング」

 あれだけの実力を持ったファングに向かって、明らかに下に見た発言をしてみせた霧絵であったが、ファングはそんな挑発を鼻を鳴らして吹き飛ばした。

「……エヴァ・ペルマネント」

 唖然としたまま状況を見つめていたエヴァが、ファングの言葉にピクリと肩を揺らした。

「……俺はそちら側には戻れないが、まだお前ならば戻れる。こいつらを縛っている悪霊の力はお前なら無効化出来るはずだ」

「……ッ」

「エヴァを使おうってつもりなのかしら。だったら、そうはさせない――ッ!」

「――世話になったことには礼を言うが、盟主。俺は生憎、この腐りきった世界を生きていくにはじゅうぶんな理由と希望を見つけたのでな。このボロボロの身体でも、エヴァがこいつらを助けるまでの時間ぐらい十分に稼げる!」

 霧絵の言葉を遮り、ファングが霧絵へと肉薄する。
 その光景を見て、先程から瞠目し続けていたエヴァが目を大きくむいて口を開く。

「わ、たし、は……ッ! ど、うすれば……ッ!」

「エヴァ・ペルマネントッ!」

 霧絵へと向かって動きながらも、ファングが叫んだ。

「儀式の場所はあそこだ! お前は今からでも違えた道を取り戻せ!」

 霧絵が次々に飛来させる闇の槍。
 その雨を抜けながら、ファングが叫んでいた。

To be continued…

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sinfonia.32 ■ やりたいこと

「あんた、あの時の外人だろ」

「外人外人って。まぁ正確に言えば人外よ」

「あ、なーるほど」

 幾分力の抜けるやり取りを百合と繰り広げながら、勇太は戦況を把握すべく周囲に視線を向けた。
 状況はそこまで悪くないが、やはり凛と武彦の二人が数的有利を活かしたコンビネーションを前に、些か苦労させられている。

「……百合、ちょっと加勢が遅れる」

「アンタねぇ……。私を誰だと思ってんの? 言っておくけど、周りを気にしなくて良いって言うなら私は強いわよ」

 ポン、と勇太の頭を軽く小突いた百合が前へと歩み出る。

「行きなさい、勇太。こっちは心配いらないわ」

「ま、百合がそう言うならそうなんだけどさ。ヒーロー的な登場したつもりだったのにそういう言い方されるとなんか腑に落ちないなー」

「……アンタは十分過ぎるヒーローよ」

「ん?」

「何でもないわ。ほら、早く行く」

「おう」

 百合に見送られて勇太が姿を消した。

 一部始終を見つめていたエヴァは、勇太の登場から百合の纏っていた焦りの空気が一瞬で消え去った事に気付き、眉をぴくりと動かした。

(……オリジナルの登場で、空気が変わった……?)

 ――そもそも、戦いの場の空気が緩和するなど普通は有り得ない。

 命をやり取りする戦いの緊張感や、高度の興奮状態。生き残った瞬間の昂揚感に、緊張の解放から弛緩される喜び。それらの狂気は人の心を容易く塗り潰す。
 そんな空気を一変出来る者など、いるはずもない。

「――ずいぶん勇太の事が気になっているみたいね」

 百合の言葉にエヴァがハッと我に返った。
 今の一瞬で攻撃を仕掛けようとしなかった百合を前に、百合もまた弛緩された空気に影響されたのだろうと当たりをつけたエヴァは、皮肉を込めて笑みを浮かべた。

「……戦いを分かっていないわね。命のやり取りの中でそんな余裕を見せるなんて、まったくもって甘いわ、ユリ」

「勘違いしないで、エヴァ。今の一瞬で油断していたのはアンタだけよ」

「……ッ、油断なんてしてないわ。私は戦いにおいて、一切の油断もしないッ!」

 琴線に触れた百合の一言が、エヴァの猛攻の引鉄となった。

 ――しかし、エヴァの攻撃は百合には届かなかった。

 【空間接続】をした百合はエヴァから距離を取って、あっさりとそれを避けてみせたのだ。そのまま反撃する様子すら見せずに姿を現した百合に、エヴァは歯噛みし、苛立ちから手に持っていた大鎌を振りかぶり、百合に向かって投げ飛ばす。

 弧を描いて百合に向かっていく大鎌は、百合の真横で姿を消すと、突如エヴァの後方に現れた。

 振り向いてその大鎌を受け取ったエヴァが慌てて顔をあげるが、百合は相変わらず動こうともしていない。その行動が、エヴァに苛立ちを募らせていた。

「……どういうつもりよ、ユリ……ッ」

「どうもこうもないわ、エヴァ。アンタはもう負けたも同然なのよ」

「私は負けてないわッ! 逃げるだけのユリに負けたなんて思わないッ!」

「エヴァ、アンタが知っている戦いは命を削って奪い合う事。でも私達の戦いはそうじゃないわ」

 百合がゆっくりと指差した先に視線を向けたエヴァは、思わず瞠目した。

 ――勇太が登場してまだ間もない。にも関わらず、すでにエヴァの仲間はすでに二人も減っている。
 数的不利を抱いていた凛と武彦が、いつの間にか三人で二人を囲む形となっている。

 勇太がテレポートを使って撹乱し、視線が向いた僅かな隙を武彦の放った弾丸が放たれて肉薄する。なんとか反撃に回ろうとしても、それを結界によって防いでみせる凛が、武彦と自分を守る。

 たった一人のフリーマンである勇太の動きが、ただそれだけで戦況をひっくり返すに至っているのだ。

「エヴァ。勇太が来た時点で、アンタの負けは決まってる。
 確かに直接ぶつかり合えば、体力も基礎能力もスペックも違うアンタに、私は勝てないかもしれない。だけど勇太が来れば、私はアンタの注意を引いてさえいればそれで良いのよ」

「……ッ」

「諦めて投降しなさい、エヴァ――」

「――フザけないで……ッ」

 百合の言葉を遮って、エヴァが言葉を吐き出した。

「戦いは殺さなくちゃいけない、生きるには勝たなきゃいけないッ! 少なくとも私はそうやって生きてきた! そうやってこの身体を手に入れたッ!
 そんな甘っちょろい考え方も、生き方も! 私は認めたりしないッ!」

 エヴァの叫びがその場に響く。

「……ユリ、少し私の事を教えてあげるわ……」

 ――エヴァ・ペルマネント。
 彼女はもともと、百合と似た境遇にあった少女であった。運命に翻弄されながら、戦いを選んで生きてきた少女だ。

 ドイツで孤児として生きていたエヴァはその肉体を手に入れる素体となるまで、ただひたすらに戦いの中に身を投じた。

 当時ドイツ軍の中でとある部隊が作られていた。
 孤児や身寄りのない子供を戦闘マシーンとして育て上げ、諜報部隊に所属させる為だけに孤児を集めるプロジェクトだ。

 孤児として彷徨っていたエヴァはその部隊の候補生として拾われ、来る日も来る日も戦闘技術を磨きながら、夢も希望も、感情すらも捨て去って日々を過ごしていた。

 ――時には同じ施設にいた子供と戦い、自分が生きる為に相手を殺す。
 感情を殺す為に行われた数多くの訓練の中で、それはもっとも効果的な訓練であったと言えるだろう。

 もともと非凡な才能を持った少女であったエヴァは、やがてそんな日々に終止符を送る事になった。

 ドイツ軍の非人道的部隊として糾弾された部隊は、エヴァが戦闘マシーンとして完成する頃になって解体され、エヴァはそのまま処分されかけたのだ。
 それを救ったのが、霊鬼兵の素体として有能な子供を探していたファングだ。

 傭兵として世界を股にかけていたファングはドイツ軍のその部隊の存在を知り、霧絵の指示によって処分されそうになっていたエヴァやその生き残りを集められた。

 そして霧絵は、集めて助けた子供達の全てを霊鬼兵に作り変えるべく、絞り込む。
 殺し合いを命じたのだ。

 生きる為には殺さなければならない。
 そんな少年少女達の常識はそれに何ら戸惑う事も、躊躇う事もなく戦いを始めた。
 そうして生き残ったのが、エヴァであった。

「――――そうして……ッ、ようやく、ようやく私は自由を手に入れた。この身体を手に入れて、感情を知った! もう自分の意思で生きられない日々には戻らない!」

 苛烈な人生を歩んで来た事をエヴァはつらつらと語った。
 それを聞いていた百合は言葉が出て来ないまま、ただ沈黙を貫いていた。

「あんたのその気持ちは、少しだけ俺にも分かる」

 エヴァの叫びに答えたのは百合ではなく、勇太だ。
 武彦や凛を抑えていた能力者達との戦いに終止符を打って、エヴァに歩み寄っていたのだ。

 強く苦い記憶が、オリジナルの勇太とエヴァを繋いで流出したのだ。
 同じ能力に近い、目に見えない繋がりが勇太にエヴァの思いを届けた。

 だからこそ、勇太は俯き、拳を握っていた。

「……だからって……。だからってこんな事して、何になるんだよ……ッ! 自由に生きたければ今からだって間に合うだろ!」

「オリジナルには分かるはずがないわ! 私はもう、普通に生きる事なんて出来ないッ! 唯一の私の居場所が、虚無の境界なんだから!」

「そんなの間違ってるッ! あんたはホントは誰も殺したり、傷付けたりしたくないって思ってる! だから逆に傷付けて、その分自分で傷付いてるんだ!」

「……ッ」

「自分からそんな過去に繋がれて! そんな人生を歩んできたから。自分が殺してきた命があるのに自分だけ幸せになろうなんて思っちゃいけないって、そう思ってるから……ッ!
 今更棄てる事なんて出来ないって自分で自分を縛り付けてるだけだ……ッ! そんなの、誰も望んでない!」

「……分かった様な口を聞くなッ!」

 激昂したエヴァが大鎌を振り上げ、勇太へと肉薄する。

「……そんなくだらない鎖で自分を縛り付けてるって言うなら……ッ! エヴァ・ペルマネント! そんなモン、俺がぶっ壊してやる!」

 肉薄して振り下ろされた大鎌を避け、勇太はエヴァの真後ろにテレポートしてエヴァの背中に手を当てて、念動力を使ってエヴァの身体を吹き飛ばした。
 地面を削りながら吹き飛んだエヴァが、なんとか転がりながらも体勢を立て直すと、すでに勇太が目の前に現れ、右手を振り上げていた。

「おおおぉぉぉッ!」

 勇太の拳がエヴァの頬を捉え、殴り飛ばす。

 エヴァの身体が後方に倒れながら飛んでいく姿を見て、勇太がふんすと鼻を鳴らし、倒れたエヴァへとその拳を向けた。

「……過去が辛いってのは分かったけど、結局あんたが進んでる道はしがらみと義務感ばっかりだろ。あんたが本当にやりたいのが何なのか、それが見つかるまで、あんたじゃ俺達には敵わない」

「……やりたい、事……?」

「俺は、皆が笑ってられれば良いと思う。その世界を壊す虚無の境界を許さない。だから、ぶっ潰して、また学校に行けるような普通の生活に帰るんだ」

 握っていた拳を広げ、エヴァに手を差し出して勇太は続けた。

「俺は欲張りだから。あんたもその普通の生活に連れて行く。殺したり傷付けたり、そんな世界じゃない場所に」

「……そんな事、出来る訳ないわ……」

「出来る。百合も、凛も草間さんも、事情を知ったならなんとか助けてくれる」

 エヴァの頬を、つつっと涙が伝っていく。

「……私、は……。私は……」

 流れた涙は少しずつ勢いを増して、エヴァは崩れる様に泣き始めた。

 ――この時、一人の少女の運命が大きく変わろうとしていた。

to be countinued…

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sinfonia.31 ■ 格の違い

2人の能力者との対峙など、弦也にとっても不利以外の何物でもない。
 かつて所属していたIO2の特殊銃火器部隊での鉄則の中でも、一人の能力者を相手にするならば最低でも4人以上の部隊員で当たる事が最低条件となっていただけに、この状況は最悪と言えた。

 横合いから聞こえて来た声に慌てて振り返った弦也の目に映った少女が手を翳している。
 少女の足元から影が伸び、それが弦也に向かって伸びていく。

 影を利用した能力。
 能力を持たない弦也であったが、彼が今までに経験してきた戦いの数々は経験として蓄積されている。
 故に、僅かな違和感を覚えればそれが能力に準ずる何かだと判断するのは容易い。

 咄嗟に横に跳び、転がりながら銃を向ける。

「……チッ! 逃がさねぇよ!」

 弦也が回避するとは思っていなかったが、それでも男が追撃に動き出そうとしたその瞬間だった――――。

「――は……?」

 ピシリ、と音を立てて影に光の亀裂が走る。
 少女が突如として自身の胸を抑え、痛みに悶える様な声を漏らすと同時に、影から光が溢れ出し、ガラスが砕ける様な甲高い音がその場に響き渡る。

 唐突な変化に戸惑いながらも男が弦也を仕留めようと手で銃の形を作り、その指先を向けるが、次の瞬間、男の身体が何かに縛り上げられる感覚に陥り、視界が空に埋め尽くされた。

「な……ッ!」

「パラシュートも何もない状態でスカイダイビングって、結構怖いよね」

「はぁぁぁッ!!?」

 突如として身体にのしかかった重力に、身体に吹き付ける突風。
 そこでようやく男は自分の状態に気付いた。

 自由のきかない身体を何とか動かしてみれば、そこは遥か上空。
 そして目の前には、自分の相棒によって闇の中に囚われたはずの少年――勇太の姿があった。

「それじゃ」

 あっさりと、ただそれだけを言い残して眼前で消えてみせた勇太に唖然としながら、男は自分の置かれた状況に言葉を失った。

 このままでは数分後には自分も地面と衝突し、確実に死ぬ。

「おいおい、マジッスか……!」

 それでもパニックにならないのは男の能力が風を操れるおかげだろう。
 徐々に減速する様に風を操りながら落下を続ける男の、命懸けの戦いが始まる。

 唐突過ぎるその状況に、弦也も言葉を失っていた。
 突如として影が砕けるかの様に割けると同時に男が消え去り、数秒後には勇太が目の前に姿を現したのだ。

 胸を抑えて顔を顰めた少女に向かってゆっくりと歩み寄る勇太。
 少女が反撃をしようと動き出すと同時に、少女の身体が後方に飛ばされ、家を取り囲んだ煉瓦に叩き付けられた。

「が……あ……ッ」

「女の子相手に悪いけど、もうそれ以上はやらせないよ」

 あまりにもあっさりと、勇太は少女の意識を刈り取った。

 僅か数秒。
 力を利用し、攻撃に転じた途端に決着がついてしまったこの状況に、弦也は思わず息を呑んだ。

 能力者同士の戦いというのは、周囲に苛烈な影響を及ぼしながら行われる。
 そんな事が起こらない場合があるのは、奇襲を仕掛けた場合ぐらいなものだろう。

 しかし、勇太が姿を現し、攻撃に転じたこの数秒で一気に形勢は逆転。それどころか、一人の姿はどこかに消え、もう一人はあっさりと意識を刈り取られてしまったのである。

 能力が圧倒的なものであるならば、その説明も容易い。
 しかし勇太の能力で弦也が理解しているものでも、そこまで強力なものではないはずだ。

 扱う速度に、その利便性を利用した戦闘方法。
 それらが板についていなければ、決して容易な事ではない。

「勇太……」

「大丈夫?」

「あ、あぁ。それより、あの男はどこに……?」

「あぁ、多分もうすぐ戻って来るよ」

 勇太が空を見ながら答えると、弦也もそれに釣られて空へと目をやった。
 するとそこには、上空に点の様な何かが見える。
 目を凝らして弦也が見つめていると、ようやくそれが人のシルエットをしている事に気付かされた。

「叔父さん、あの女の子縛っておいて」

「あ、あぁ」

 ただ短くそう告げた勇太が再び姿を消して、弦也が思わず空を見やる。
 上空の人のシルエットの前に現れた影が、落ちて来ていたその男に触れ、2つの影が消え去る。

 ――次の瞬間、強烈な衝撃音が弦也の耳に聞こえてきた。

 慌てて音の方向へと振り返ると、先程の少女以上の力で壁に叩き付けられたのか、壁に亀裂が走ったその場所に、男崩れ去っている。
 空からの落下速度を軽減していたとは言え、テレポートを利用して衝撃のベクトルを変えたのか、男は抗う術もなく意識を刈り取られたと言えるだろう。

 ふわり、と目の前に姿を現した自分の息子の姿に、弦也も空いた口が塞がらず、ただただ困惑させられる。

「一丁上がり、っと」

「……はぁ」

 目の前で、いつも通りのお気楽さにも似た口ぶりでそう告げた勇太を前に、弦也は重い溜息を漏らさざるを得ない。

 あっさりと能力者2人を無力化したその力は、はっきりと言えば格が違うとしか言いようがないだろう。

「良かったよ、何とかなって」

「お前が言うか……。とにかく、助かったよ、勇太」

「……あはは、うん」

 歩み寄った勇太の頭をくしゃりと弦也が撫でると、どこか照れ臭そうに勇太が笑みを浮かべて返事をする。勇太にとってみれば、自分が役立てた事が嬉しかったのだろう。

「叔父さん、保護しに来たIO2の職員の人と避難して」

「……勇太はどうするつもりだ?」

「俺は先に行かなくちゃ。今も仲間が戦ってるから」

「……そうか――」

 勇太の言葉に弦也も僅かに嘆息し、気持ちを切り替えるかの様に勇太を見つめた。

「――絶対に無茶はするんじゃないぞ、勇太」

「分かってるよ」

「さっき応援を頼んだみたいだから、もうすぐ迎えが来るだろう。あの2人の能力者はこちらで連行する」

「うん、お願い」

「必ず、帰って来なさい」

「……大丈夫。全部終わらせて帰るからさ」

 かつて、能力の事で悩み苦しんできた自分の息子が、能力を使って戦いに挑んでいる。その状況に弦也とて思う所はある。
 しかし、今の勇太の目にはかつての悲観や、斜に構えた要素は見当たらない。

 あまりにも自分の兄である宗也と瓜二つな息子だが、その瞳に携えた光は強く、揺るがずに輝いている。

 ――心配する事などない。道を違えてしまう事はないだろう。

 そんな確信にも似た思いが、弦也の中に確信として芽生える。

 かつての宗也と同じ様に、唐突に姿を消してしまうのではないかという不安は、確実に掻き消えた様な気さえしていた。

 テレポートを使ってその場から姿を消した勇太の姿を見送りながら、弦也は自分の頭をぽりぽりと掻いて苦い笑みを浮かべた。

「……親離れの早さだけは、兄さんに似ているのかもしれないな」

 皮肉めいた言葉を口にしつつも、勇太の確実な成長ぶりを目にした弦也が小さくつぶやく。

「工藤さん!」

「あぁ、心配をかけて――」

「――良かった……!」

 駆け寄ってきた志帆が、弦也に抱きついた。
 あまりに唐突なその志帆の行動に、先程までの緊迫感のせいで不安だったのだろうと当たりをつけた弦也が、どぎまぎしつつも志帆の頭を撫でる。

「すまない、心配をかけたね」

「……あ……、す、すいません! その……!」

「大丈夫だ、心配はいらない。さぁ、この2人を縛って連行しよう」

 平静を装いながら弦也が笑みを浮かべて志帆へと告げる。
 志帆はどこか複雑な心境を物語った表情を浮かべながら返事をして、弦也から離れて手錠を手にした。

 弦也の唐変木ぶりに、志帆が気付いた瞬間であったと後に志帆はこの時の事をそう語る事になるのであった。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 エヴァと百合の戦いは、以前までのそれとは大きく異なっていた。

 百合の実力を上方修正させられたエヴァは、自身の速度をあげて百合へと肉薄し、時には怨霊を具現化した針とも呼べる何かを投げ付け、百合へと牽制を図る。

 対する百合もまた、エヴァのその動きに精彩を欠くものの、確実に反撃を推し量るが、なかなか決め手に欠ける状況であった。

 遠方では武彦と凛が1対2という不利な戦況を展開している為、早くエヴァを封じて援護に回り込みたい所ではあるのだが、それをエヴァがさせてくれない。
 そのせいか、百合の動きにも段々と粗が目立ち始めている。

「他人の心配をするなんて、ずいぶんと余裕そうね、ユリ」

「しま……ッ!」

 僅かな隙がエヴァの肉薄を許し、百合の身体に強烈な蹴りが見舞われた。
 辛うじて後方に飛んだおかげで衝撃を緩和する事に成功したが、それでも常人とは比較にならない霊鬼兵の力を前に、百合が腹部を抑えて咳き込む。

 もしも後方に飛ぶ事すら出来なければ、確実に内蔵を破壊するに至ったであろう一撃の重さに、百合も援護は諦め、エヴァを倒す事だけに意識を向ける。

「……よく対応した、と言っておこうかしら」

「……残念だったわね。千載一遇のチャンスを逃すなんて」

 互いに皮肉めいた言葉を交わしながら睨み合う2人。
 
 凛と武彦の方も、よりによって2人の能力者を相手にしなくてはならないその状況に苦戦を強いられている。

 せめてあと一人――勇太さえいれば形勢は逆転出来る。

 そんな事を考えていた百合が、ふと何かに気付いたかの様に顔をあげた。

「……フフフ、残念だったわね、エヴァ」

「……?」

「まったく、思ったより時間がかかったけど、まぁ良いわ」

 小さな笑みとその呟きに、エヴァの視線が周囲に向けられる。

 そして次の瞬間、上空に現れた人影に気付き、エヴァが声をあげた。

「――ッ! オリジナル!」

 上空に現れた少年が、念の槍を具現化し、百合と武彦が対峙していた能力者に襲い掛かる。
 反応が遅れ、吹き飛ばされる形になった能力者達。

 そして、着地した少年がエヴァを見つめて指を差す。

「お前! あの時の外人だな!」

 どうにも間の抜けた宣言と共に、勇太が戦場へと参じた。

to be countinued….

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sinfonia.30 ■ 許容の崩壊

「ったく、たまったモンじゃねぇな」

「油断するなんてだらしない」

 勇太を闇の中へと追いやった能力者の少女と、その相棒である風使い。
 そんな二人の耳に、駆け寄る足音。
 踊り出た弦也が銃口を男へと向ける。

「……勇太を何処にやった……!」

「あァ……?」

「もはや出て来れない、永劫に」

「何だと……ッ!?」

「あの子供は捕まえた、永久に」

 ――能力者。

 その言葉と二人の性質から考えても能力者である可能性に行き当たった弦也が歯を食い縛りながら銃口を少女へと向ける。

「勇太を解放してもらおう」

「それは出来ない相談ッスわ、おっさん」

「――ッ!」

 男が手を振り上げると、突風が弦也へと襲いかかる。
 砂塵を巻き上げた風が弦也の視界を奪い、思わず弦也が銃を右手に持ったまま腕で眼前を覆った。

「ヒャッハハハッ! ガラ空きッスわ!」

 笑い声をあげながら男が肉薄し、身体を捻ってしゃがみ込み、そのバネのままに弦也の眼前で飛び上がると銃を蹴り上げようと試みる。

 ――しかし弦也とて素人ではない。

 すぐにその場で横に跳び、片目を開けて銃口を再び男へと向ける。

(クソ……ッ!)

 無手の相手に銃口を向け、引鉄を弾く。
 長いIO2の生活の中でそれを避けてきた弦也の生来の性格故か、引鉄に指をかけるも、それを弾くには至らなかった。

 僅かな逡巡が男の追撃を許し、弦也へと人差し指と親指を立てて銃を作り上げると、口角を吊り上げた。

「バーン」

「……ッ!」

 圧縮された空気の弾丸が、横に飛んだ弦也の頬を掠め、赤い飛沫を噴き上げた。

 直感、とでも言うべきだろう。
 予想だにしていなかった一撃をかろうじて回避する事に成功した弦也を見て、男はさらに甲高い嗤い声をあげた。

「ヒャハッ! マジかよ、マジかよ! 避けやがったぜ、あのおっさん!」

「クソ……ッ!」

「いつまでも遊んでたら、終わらない、永久に」

 横合いから聞こえてきた声に弦也が慌てて振り返った。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆、

 新宿はまさに戦場と化していた。
 百合と凛、そして武彦の3人が現場に到着した時には既にIO2の劣勢は極めて濃厚であり、敗走寸前にまで追いやられていた。

 エヴァを含めた能力者5名と黒い怨霊の塊である魑魅魍魎。
 あまりにも強大過ぎる戦力だ。

 凛は冷静にこの状況を、式神として観察させた人型の紙から観察し、歯噛みする。
 その上で、劣勢は容易に覆せるものではないと判断した。

 戦況を遠巻きに見つめていた凛が偵察を終え、百合と武彦へと向き直る。

「草間さん、少なくともこちらももう一人、能力者に対抗出来るだけの戦力が必要です」

「分かってる。が、勇太以外にはあいにくアテがねぇからな。援助の要請は済んじゃいるが、今は俺達で持ち込むしかないだろ。
 エヴァの相手は百合に任せる。俺達であと4人、なんとか時間を稼ぐぞ」

「……ッ、はい……!」

「先手でエヴァを引き離すわ。何か派手な攻撃で敵の意識を逸らして」

「そういう事なら私に任せて下さい」

「凛、が? 何か策はあるの?」

 百合の言葉に力強く頷いて凛が応える。

 並みの能力者が相手ならまだしも、虚無の境界も出し惜しみなくぶつかって来ている現状で、武彦と凛の二人で4人を抑えるというのはなかなかに骨が折れる。
 それでも時間を稼ぐと言うのであれば、凛とてその心算に乗らざるを得ないだろう。

 勇太と別れてからIO2へと入り、腕を磨いて来たのだ。
 ここで易易と打ち破られてしまうつもりなど毛頭ない。

 凛は巫女装束の胸元から人型の小さな紙を空に放つと、目の前に人差し指と中指を交えて印を作り上げる。

 陰陽道で知られている式神だが、もとは神道に由来する式神の使役。

 由緒ある護凰の巫女として、エストのしたためた神道の術指南書を手にIO2へとやって来た。

 ――それを今この場で、一切の出し惜しみもする気はない。

[――護凰の御名の下に命ずる。始原の使い、言霊の色は“紅”――]

 ふわり、と中空に浮かび上がった人型が、さながら火の球の様に煌々と燃え上がる。

[――我が名、“凰”の意を体現し、立ちはだかる全ての邪を討ち祓い給え!]

 数十もの浮かび上がった人型が炎の球体から小さな火の鳥へと変化し、炎の尾を引いて滑空する。
 突如飛来した炎は黒い塊の魑魅魍魎を薙ぎ払い、渦巻いた炎が灰塵を舞い上げた。

 唐突な凛の神術に散会した虚無の境界の能力者達。
 その横で状況を見つめていた武彦と百合も、予想だにしていなかった凛の攻撃に僅かに唖然とする。

「今ですッ!」

「やるじゃない……!」

 一声。笑みと共に告げた百合が動き出す――――。

 金色の髪をなびかせながら強襲した相手を見つけ出そうと視線を泳がせたエヴァの目の前に、百合が姿を現した。

「――ッ!」

「アンタはこっちよ」

 空間接続。
 百合の能力によって強制的に移動を余儀なくされたエヴァと百合が、戦線から外れた。

 さらに武彦がコートの下に下げていたホルスターから二丁の拳銃を取り出し、凛の初撃に会わせて散った能力者4名に一斉に射撃を開始する。
 忌々しげに銃弾を避ける能力者達の間に割って入った凛と武彦が、互いの背を合わせて声をかけあう。

「一人で二人相手だ。牽制を優先して時間を稼げよ」

「はいっ!」

 戦況が一気に動き出した。

「ユリ……。この前はよくもやってくれたわね」

「悪いけど、アンタ達の思った通りになんてやらせないわよ、エヴァ」

 対峙するエヴァと百合の二人。
 虚無の境界に百合が所属していた頃から因縁めいたものを抱いていた二人が、ついに正面からぶつかる。

 先日の衝突。
 あの衝突は、エヴァの中での百合の評価を上方修正させるに至った。

 大振りな武器である大鎌ではなく、短刀を二本構える形で具現化したエヴァが、百合の僅かな動きも見逃すまいと眼光を鋭く光らせる。

(……空間接続による遠距離戦。至近距離へと肉薄しても、死角から攻撃するだけの冷静な判断力を持っている、と考えるべきかしら。
 だとしたら、隙を作るまでは無理に攻めてもうまくないわね)

 近距離戦闘に長けたエヴァとは相性が悪いと言える相手だが、エヴァの運動能力などは常人のそれとは比にならない。
 死角を通した攻撃であっても、予測さえついていれば対応は出来ると踏んでいた。

 対する百合も、エヴァのその実力を低く見積もってなどいない。
 僅かにでも隙が生まれれば、それだけで詰まれる可能性すらある相手だ。

(……まずは小手調べ、といきましょうか)

 ブーツにミニのプリーツスカート。黒いハイソックスの上に仕込まれた特殊なホルスターから直接鉄釘を抜き取り、左右の手から3本ずつ、一斉にエヴァに向かって投げる。
 対するエヴァも、避けようとはせずにそれに向かって飛んだ。

「な……ッ!」

「接続されるなら、こちらから向かって行けば良いだけの事よ」

 まさか真っ直ぐ突き進んで来るとは思っていなかった百合だが、驚くのもつかの間、即座に自分の身体を空間接続し、エヴァの後方へと移動を開始する。
 上着に羽織っていたジャケットのホルスターから二丁の拳銃を取り出すと、左右に向かって引鉄を弾いた。

 空間を接続されて狙われるだろう事を考慮したエヴァが、今度は怨霊を球状に広げ、自身の身体を守るべく結界を張って銃弾を弾いてみせた。

 初手からの互いの攻防に、緊張が走る。

「やるじゃない、エヴァ」

「いつまでも余裕でいられると思わない事ね、ユリ」

 睨み合う二人の視線が交錯する。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

「……さて、と。どうしたもんかな……」

 暗闇の中に囚われていた勇太が独りごちる。
 能力によって囚われたのか、或いは別の世界に切り離されているのか。
 見当はつかないが、この状況はあまりよろしくない。

 勇太は集中する意味合いも含めて、改めて暗闇の中で瞼を下ろし、深く深呼吸する。

(……何も感じられない。けど、やっぱりここは何かの中、みたいだ)

 周囲に意識を巡らせながら、勇太は普段の能力を使役する要領で周囲に力を張り巡らせる。

(もっと、蜘蛛の巣みたいに。全てを埋め尽くすぐらいの気持ちで……)

 ――勇太の能力が、僅かにその方向性を変えていく。

 これまで勇太の能力は、何かを操る――言うなれば念動力をベースに作り上げられてきた物と言えるだろう。
 言うなれば、風を押してみたり物体を操ってみたり、だ。

 念の槍などはそれらを実体化する方向に至ったが、もちろんそれらはほんの断片に過ぎないと言えるだろう。

 限界を知らず、限界にぶつからない故か。
 勇太のイメージに呼応する様に能力が膨れ上がり、まるで鋼線を張り巡らせるかの様に周囲に力が広がっていく。

(……これが、限界?)

 何かにぶつかった様な感覚が、勇太の脳裏にイメージとなって伝わってくる。

 ――自分の能力の限界ではない。
 それは、相手の――自分を囚えた能力の限界だろう。

 確信はないが、直感が告げる。

「……ッ! 中からぶっ壊してやるッ!」

 咆哮にも似た声と共に、勇太の叫び声が真っ暗な闇の中に広がった。
 同時に、能力が外へ外へとその鋼線を押し出すかの様に膨張し、広がっていく――。

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sinfonia.29 ■ 違えた道

「あー、マジ興醒めも良いトコッスわ。ホント、やっぱ殺すしかないッスわ」

 手を翳し、そして動き始める男。
 弦也の動きが止まり、そして志帆が手を伸ばし、声を漏らした。

 間に合うかどうかでも庇うか否かでもなく、縋る様に伸ばされた志帆の手。

 ――風が収束し、そして放たれる。

「――ッ!」

 襲って来るであろう衝撃を前に目を閉じた弦也と志帆。

 鼓膜を破る様に、風船が破裂するかの様な、乾いた音が響き渡る。

 しかしいつまで待ってみても、衝撃が訪れる事はない。
 恐る恐る瞼を開けていくと、目の前に揺れた黒い髪。

「ごめん、叔父さん。遅くなった」

 聞き慣れた声。
 唖然とする、黒髪の向こう側の男。
 そんな男を忘れたかの様に、弦也がフッと口角を吊り上げる。

「……無事か、勇太?」
「うん。とにかく、避難して」

 短い言葉のやり取りで、目の前に現れた黒髪の少年――勇太の登場に弦也の意識は迷わず最善手を思い浮かべる。
 志帆の手を取り、駆け出した。

「……おいおい、今どっから現れやがった……」
「知る必要はないんじゃない? どうせアンタが知ったトコで、何かが変わる訳じゃない」

 既に男の興は削がれ、眼前の勇太だけにその注意のベクトルが向けられた。

「うおッ!?」

 男が異変に気づき、慌てて横に飛ぶ。
 その判断は正しかった。
 男の立っていたその場所を、まるで何か巨大な鉄球が駆け抜けたかの様に周囲を薙ぎ払う。

「……マジないッスわ。俺の風と似た様な能力じゃないッスか」
「全然違うけどね」
「――な……ッ!?」

 僅かに目を離した隙に、空間転移をした勇太が背後から男に声をかける。

「叔父さんを襲ったんだ。後悔してもらうよ」

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 弦也は志帆の腕を握ったままマンションの入り口まで下がった。
 どうやら勇太と男は交戦を開始し、男が逃走を計ったのか移動しているらしい。

「い、今のって……」
「あぁ、私の息子だ。正確には甥なんだがね」

 助けに来た事が嬉しいのか、或いは心配なのか。
 複雑な胸中が推し量れる弦也の横顔を見た後で、志帆が口を開こうとしたその瞬間、弦也が志帆の腕を放した。

「さぁ、キミはここにいるんだ」
「――ッ、それって……。工藤さんはどうなさるおつもりですか!?」
「私は、息子のフォローに回るさ」
「ダメですッ!」

 カタカタと肩を揺らして、志帆が両手で弦也の腕にしがみついた。

「の、能力者との交戦は危険過ぎます……! 工藤さんは一線を退いているんですから……!」
「神束クン、と言ったね」
「はい……」

 俯いたまま、それでも自分の腕を手放そうとしない志帆の頭に、弦也の空いていた手が乗った。

「能力者とは言え、彼らも人間だ。確かに強力な武器を持ってはいるが、心は変わらない。私達だって、対抗も出来るし傷付ける事だって出来てしまう」
「……ッ」
「キミが一体、どういった過去を持っているかは私には解らない。だが、怖がる必要はないんだ」

 まるで全ての事情を理解しているようにすら感じられる弦也の言葉に、志帆は思わず俯いたまま目をむいて、そして視界が歪んでいくのを感じた。

「さぁ、手を放してくれ。キミは増援を呼んでくれ」
「……でも……!」
「大丈夫だ。昔取った杵柄は、今もまだ錆び付いてはいない。あの息子はあれで少々無鉄砲なのでね。保護者として、この腕を錆びつかせない程度には鍛えてきた。まぁ、こんな矜持はあの子には秘密にしてくれると助かるがね」

 顔を上げて声をあげた志帆に、弦也が困った様に苦笑を貼り付けてそう告げる。
 それはあまりにも、緊迫したこの状況には似つかわしくない程の穏やかな笑みであり、志帆の心を落ち着かせた。

 このまま逃げて良いのだろうか。
 志帆は自問自答する。

 かつての兄が起こした恐怖。
 何も出来なかった自分。
 それを変えたくて、自分はIO2に入った。

 にも関わらず、こんな状況で、足踏みしてしまっている。

「――工藤さん、私の任務はアナタの保護です」
「ダメだ。今は増援を……」
「いいえ。私は、アナタを守ります。だから、危険な場所に行くのなら、私も一緒に行きます」

 その瞳は、真っ直ぐ弦也に向けられていた。

 先程までの弱々しくも揺れた瞳は、すでにそこにはない。
 決意を宿し、自分の芯を通す強さを持った瞳。

 そこには先程までのただの弱々しい女性ではなく、戦いを決意した立派なIO2エージェントの姿があった。

 結果として焚き付けてしまったのは、誰あろう弦也自身である。

 思わず、弦也はそんな事を実感して改めて苦笑を浮かべた。

「……なら、増援を呼んだ後でついて来てくれ。私も先行して様子を見て来る」
「私も一緒に――」
「――心配はいらない。先行して状況を探るだけだ」
「……分かりました。でしたらこれを」

 ジャケットの下につけていたホルスターから銃を取り出し、志帆が弦也へと差し出した。

 一線を退いて、ずいぶんと懐かしい武器。
 受け取らないつもりであったが、逡巡している弦也の手を握って志帆が手渡す。

「……ご武運を」
「あぁ」

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 ――最悪だ。

 男は先程までの激昂した様子とは打って変わって、現状に対して冷静にそう呟いた。

「マジないッスわ……! アンタ、ファングの旦那を倒したあのガキじゃないッスか!」

 腕を振るい、風を操った男が勇太へと一筋の鎌鼬を放つ。
 しかしその不可視の攻撃を避けようともせずに歩く勇太。

 ――かかった。

 そう容易に考える男であったが、その淡い期待は放った鎌鼬と同様にあっさりと弾き飛ばされ、その場に霧散する。

「いつまで逃げるのさ。まぁ良いけど。追いかけっこは俺も得意だよ」

 再びの空間転移。
 一瞬にして距離を詰められては、男にとってもたまった物ではない。
 先程から勇太の姿が消える度に、自分の身体を突風を追い風に走らせ、回避に移ってはいるものの、それでも紙一重が精一杯。
 いつ捕まってもおかしくないというのが本音である。

「クソッ!」

 ならば今度は、自分に近付けられなくしてしまえば良い。
 苦し紛れに男が風を操り、自分を中心に竜巻を作り上げた。

「無意味だよ」
「――ッ、が……っ!」

 しかし竜巻の中心にあっさりと姿を現した勇太が、男の腹に手を添えると同時に念動力で吹き飛ばす。
 巨大な丸太で殴られた様な衝撃が男の腹を打ち付け、男の作り上げた竜巻が消えると同時に、男は後方の壁に向かって打ち付けられた。

 そもそも竜巻はその中心に入られては意味がない。
 攻撃の選択の悪さも然ることながら、そもそも勇太の能力を前に風を武器にするのは相性が最悪と言えた。

 勇太の能力は、言うなれば空間に対する干渉。
 風はいくら不可視であるにしても、その場に存在している気体だ。
 いくら強力な力で操ったとしても、干渉されてしまえばどうとでもなってしまう。

「……あー、マジ無理ッスわ、コイツ……」
「諦めなよ。アンタじゃ勝てないから」
「いやぁ、もうね。諦めてるっちゃ諦めてるんッスわ。っていうか、むしろアンタが来た時点で俺の勝ちなんで」

 項垂れ、よろよろと立ち上がる男が口角を吊り上げる。

「……どう見ても勝ってるとは思えないけど?」
「ヒャッハハハ! そりゃそうッスわ。なんせ、アンタを釣れば良いだけだったんッスから! 当たりだぜぇ!」
「――ゲート開放」

 後方から響き渡った声と同時に勇太の周囲を、真っ黒な闇が覆って呑み込んだ。

「彷徨うといいわ、永久に」

 クルクルと縦巻きになった金色の髪に翡翠色の瞳。黒いゴシック&ロリータ調の服に、黒い日傘。
 不意打ちに成功した少女が、退屈そうに嘆息する。

「真っ暗な闇の牢獄は手放さない、永遠に」

「……何も見えね……」

 真っ暗な闇に突如として捕まった勇太は、思わず呟いた。
 音もしない、景色も見えない。
 広がる限りの闇。

 思わず独り言が増えるのも仕方ないと言えるだろう。
 何せ寂しいのだ。

「おーい、誰かいますかー」

 不思議と恐怖はない。
 そもそも、お化けやら幽霊やらといった類は苦手ではあるものの、微かに見えるからこそ恐怖があるだけだ。
 眼前に墨汁をぶち撒けた様な完全な闇の中では、そもそもそんなものがいても見えないのだからどうしようもない。

「……っていうか俺今、目開けてるよな?」

 思わずそんな事を考え、わざと瞼をしぱしぱと上下させる勇太であった。

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sinfonia.28 ■ 虚無の攻撃

最近の東京界隈での騒動はすでにマスコミによって報道され、一般人はIO2によって保護され、避難している。
 そんな中にも関わらず、弦也は自分のマンションから避難しようとしなかった。

 勇太が帰って来るべき場所を離れる訳にはいかないと、そう判断したからだ。

「……勇太……」

 騒動が起こってから連絡がつかない甥を想いつつ、弦也は小さく嘆息する。

 四年前だった。
 あの勇太が虚無の境界と正面からぶつかり合い、その事を黙ったままでいたのは。

 元IO2。
 特殊銃火器武装部隊、第一中隊隊長及び特殊銃火器武装部隊主任、工藤弦也。

 そんな彼の耳に、虚無の境界の騒動が耳に入らないはずなどなかったのだ。
 気付いていながらも、気付かないフリをしてやる事。
 それが、弦也なりの勇太に対する配慮の一つでもあった。

 ――ピンポーン

 聞き慣れた来客を報せる呼び鈴。
 弦也はその音を聞くとほぼ同時に、玄関に向かって駆け出した。

「特殊銃火器武装部隊、第一中隊隊長及び特殊銃火器武装部隊主任、工藤隊長。ご無沙汰しております」
「……元、だがな」
「失礼しました」

 扉の前に姿を立っていたのは、かつての自分の部下である一人の男。
 そして――。

「IO2、特殊銃火器武装部隊。“神束 志帆”です」

 二十代中盤程度といった所だろうか。
 もう少し女性らしい雰囲気さえ放っていれば魅力的だろう女性が、弦也に向かって敬礼と共にそう挨拶をした。

「私は引退した身だ。そんな挨拶はいらない」
「で、ですが……。……分かりました」

 どこか腑に落ちないとでも言わんばかりに、志帆は弦也の言葉に僅かに噛み付き、そして改めて言葉を呑み込んだ。

「入ってくれ」

「工藤隊長――いえ、工藤先輩。虚無の境界との戦闘が激化の一途を辿っています」

 弦也に連れられて室内へと入った二人は、現状の説明を始めた。

「我々は今日、工藤先輩を保護するようにと命令を受けています。どうか急いでここを出る準備をお願いします」
「私を保護する?」
「はい」
「……なるほど。という事は、やはり勇太は戦っているのか……」

 保護する。その命令を受けたという後輩の言葉から、弦也は全てを察した。
 IO2は基本的に、個人を保護したりはしない。しかしながら、そんなIO2の規律の中にも、特例というものは存在している。

 それが、能力者の関係者である場合と、作戦に支障をきたす可能性――つまり、人質となられては困る対象である場合だ。

 今回弦也の保護を命じられた二人がいるという事はつまり、必然的に後者である可能性が高い。
 弦也は過去の経験からそこまで推察すると、小さく嘆息する。

「……勇太は無事か?」
「はい。虚無の境界との交戦から、幹部であるファングと呼ばれる男を打ち倒しました。おかげで、IO2全体の士気は上昇しています」
「……そうか」

 志帆は弦也と自分の上官に当たる男の会話に、妙な違和感を覚えた。

 虚無の境界を打倒した自分の息子を褒めるでも鼻にかけるでもなく、ただただ不安そうに目を細める姿。それはまるで、“普通の親”の様な目だ、と。
 ここに来るに至るまでに、志帆は弦也と勇太の関係を聞いていた。

 実の息子ではない、かつて問題を起こした能力者。
 そんな少年を引き取ったのは、きっと責任感の強さが為せるものだったのだろうと推測していたのだ。

 この時の志帆には、それが義務から生じた責任の一環だとしか感じていなかったのだ。

 しかし、弦也の浮かべた表情は違う。
 まさに“普通の親”の表情なのだ。

 子供を心配している親。
 能力者の親という立場で、こんな表情を浮かべる親は非常に少ないと言えた。

 志帆が見てきた能力者の家族と言えば、大きく分けて二通りだ。

 一つは、畏怖する者。
 自身らにはない能力を持った存在を畏れ、恐怖から遠くに置きたがる。まるで腫れ物に触るように接する家族。

 そしてもう一つは、力ずくで押さえつけようとする者。
 これは恐怖から、自分の制御下に置こうと考える者が多く、それによって生じる虐待だ。

 子供にとって、親は自分の世界の神とも言える存在だ。
 そんな存在からそうした行いを受ければ、能力の有無に関係なく、心を壊していく。

 そんな二通りのどちらにも当てはまらない弦也と勇太の関係に、不思議な感覚を抱いていたのだ。

 何故なら、志帆もまた。
 能力者である兄のせいで家族が壊れてしまった経験があるから、だ。

「……怖くは、ないのですか?」

 不意に口を突いて出た言葉。
 それは、長年志帆が抱いてきた思いの表れだったのかもしれない。

「神束、何を言っている」
「あ……、申し訳ありません……」

 上官に諭され、俯いた志帆が言葉を飲み込む。
 しかし弦也はその言葉をしっかりと聞いた上で、志帆を見つめていた。

 保護するというIO2の意向に、弦也は渋々ながら応じる事にした。
 それはひとえに、任務を受けた後輩の立場を考えた故であり、決して本意ではなかったのだが、それも仕方のない事だと自身を納得させる。

 そんな弦也を連れてマンションを後にしようと外へ出る。

「みーっけ」

 マンションの外の護送車に歩み寄ろうとしていたその時。
 真横から、間延びした幼い少年の声が響き渡った。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 ――状況は最悪と言えた。

 足止めしようと飛び出た弦也の後輩が、突風によって吹き飛ばされ、誤送車両に身体を強く打ち付けた。
 応戦しようとした弦也だったが、そんな弦也の腕を引いて、志帆が駆け出したのだ。

「あっはは、追いかけっことか懐かしいッスわ。でも、メンドクセェのは勘弁なんッスわ!」
「が……ッ!」
「ぐ、神束クン!」

 突風に吹き飛ばされた志帆の身体を抱き寄せ、弦也が吹き飛ばされる志帆と壁の間に自分の身体を挟み込む。
 背中を強打した弦也の肺から、短い声と共に酸素が吐き出された。

「く、工藤さん! 私を庇う必要なんてありません!」
「が……ッ、良いんだ。さぁ、一度逃げよう」
「は、はい!」

 なんとか立ち上がって再び駆け出す弦也と志帆の二人を見て、少年はゲラゲラと卑しい笑い声をあげた。

「ヒャッハハハッ! これはこれで、なんか面白いッスわ!」

 無抵抗な二人の逃げ惑う姿を見て、狂気に染まった高笑いをする少年。
 そんな少年の姿に僅かに身体を強張らせた志帆が、動きを止める。

 かつて、自分の兄が。
 両親を殺そうと動き出したあの日。

 その日の兄が、あまりに少年の姿に酷似していたせいで、志帆の身体はガタガタと震え、フラッシュバックする記憶を前に瞳孔を開き、自らの身体を抱き締める様に両腕を身体に回した。

「あ……ぁ……!」
「あっれー? 逃げないんッスか? それはそれで楽だから良いけど、マジ興醒めッスわ」

 ジリジリと歩み寄る少年を見つめ、動きを止めた志帆。
 そんな志帆の視界を防ぐ様に、弦也が少年と志帆の間に立ち塞がった。

 両腕を広げ、少年を睨みつける。

「……能力に溺れた子供の末路。キミを見ていると、ゾッとしないな」
「……あぁ?」
「私の“息子”もね、能力者なんだよ。一歩間違えれば、もしかしたらキミの様になっていたかもしれない。そう考えると、私はキミを可哀想だと思えてしまうよ」
「く……、工藤、さん……」
「私なら大丈夫だ。さぁ、彼の目的は私なんだ。キミは今の内に逃げなさい」

 背中越しに震えた声を発する志帆に、弦也は切羽詰まった声をあげる事もなく、穏やかな口調でそう告げる。
 志帆を心配させまいと、そう考えたのだ。

「で、も……」
「キミはどうやら、能力者に恐怖を抱いている様だ。だがね。能力者も、何も自分から好き好んで能力者にならなかった者もいる。能力を持った事を嘆き、苦しむ子ばかりだ。
 そんな彼らを壊してしまったのは、いつだって私達。普通の、人間のせいなのかもしれない」

 弦也はゆっくりとそう告げた。

 これまで、能力の事でどれだけ孤立し、傷ついてきたのか。
 そんな自分のせいで迷惑をかけていると、そう考えて塞ぎ込んだ息子の姿を、弦也はずっと見てきたのだ。

 その度に、自分が無力だと嘆く事もあった。
 それでも、自分は寄り添い続けようと誓って生きてきたのだ。

 だからこそ、弦也は一歩間違えてしまった目の前の少年も、そして間違った一歩に巻き込まれてしまった志帆の心情も、痛い程理解出来た。

 ここにいる二人は、立場が違う被害者だ。
 心ない一言や周囲の対応。環境が全てを壊し、そうなってしまった哀れな結末。

 ならば、その道に立たずに済んだ自分が、それを受け止めるのは道理。
 そう考えたのだ。

「キミは、間違っている。いや、間違った道しか、キミを救えなかったのだろう。ならば、その憤りを私は受け止める。だからこそ、キミにこれ以上の罪の上塗りを、見過ごす訳にはいかない」
「……マジないッスわ。頭湧いてんじゃないッスか?」

 少年の琴線に、弦也の一言が増えた――――。

to be countinued…

カテゴリー: 01工藤勇太, sinfonia, 白神怜司WR(勇太編) |

sinfonia.27 ■ 沸き立つ諸君へ絶望の葬送曲を

 IO2東京本部での決戦は、日本各地のIO2と、親交あるアメリカはニューヨーク本部。そして中国、韓国などでもニュースとして流れていた。
 それだけ関心が高くもなるというものだ。

「……虚無の境界が日本という島国を狙ったのは、ある意味じゃ妥当な狙いだ。だが、さすがはディテクター率いる日本のIO2か。あんな隠し玉まで用意しているとは、な」

 ニューヨーク本部。
 当時のテロリズム対策委員会という立場に冠している一人の青年に向かって、男が声をかける。

「ディテクターか。島国の誇ったサムライスピリットの持ち主かと思ってはいたが、あそこまでの実力を見せてくれるとはな。予想外だ」

 日本のこれからの反撃は、間違いなくあの四人が台風の目になるだろうと予測して、男は続けた。

「ジャッシュ、覚えておくと良いぜ。日本はこの騒動の後、あの虎の子をどうにか飼い慣らそうとするだろう。ユウタ・クドウ。あいつは間違いなく日本の懐刀になるぜ」

「それはどうでしょうね」

「あん? 他に何かあんのか?」

 ジャッシュと呼ばれた若い男はその問いかけに、眼鏡をくいっと指で押し上げて答える。

「タケヒコなら、彼を手元には置かないでしょう。おそらくこちらに送って来ると思いますよ」

「タケヒコ?」

「えぇ。私が日本にいた頃に出会った一人の友人です。彼ならきっと、あの少年を日本には置きたがらないでしょうね」

 それがディテクターだとは言わずに、男はそう告げると部屋を後にした。
 まるで未来を予見しているかの様なジャッシュのこの一言が、後に彼を上層部に若くして食い入る為の足がかりとなるのは、当時の彼らもまた知らぬことである。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 暗い洋風の屋敷だろうか。
 絨毯の敷き詰められた屋敷のホール。壁際にはランプが置かれ、弱々しい灯りが室内をボウッと照らしている。
 そんなホールから先に進んだ一室で、勇太と同い年ぐらいであろう二人の男女が言葉を交わしていた。

「はぁー、マジ勘弁して欲しいッスわ、ファングの旦那。あんな人間兵器、冗談じゃないッス。そんな人間兵器が負けるとか、それこそただの兵器ッスわ。
 マジそういうパワーインフレ勘弁ッスわ。核ミサイルでも通用しないんじゃないッスか?」

 男は頭にバンダナを巻き、目元まで覆っている。犬歯が長く、まるで吸血鬼かの様だ。金色の髪がバンダナの下から見えている。
 目元は見えないが、表情の動きは豊かだ。

「ごちゃごちゃうるさい。黙るといいよ、永遠に」

 対する少女は、アンティークドールの様だ。
 クルクルと縦巻きになった金色の髪に翡翠色の瞳。黒いゴシック&ロリータ調の服に、黒い日傘を折り畳んで手に持っている。唇にさされた赤いルージュは、色白な肌の上で存在感を強調している。
 会話の最中だと言うにも関わらず、一切表情を変えようとはせずに、淡々と言い返すのみだ。

「ちょっ、マジひどいッスわ。オレのピュアハートに生々しい傷が刻まれたッスわ。
 傷物のオレに愛の手を差し伸べてくれる天使様とか所望するッス」
「そういう事なら一回死ねば良いよ。天使様に会うついでに、そのまま現世にお別れするといいよ、永久に」
「ウェル、シャル。待たせたわね」

 二人に向かって声をかけたのは、暗闇の奥から姿を現した金髪の少女、エヴァ。
 ウェルと呼ばれた少年と、シャルと呼ばれた少女は短く返事を返してエヴァへと振り返り、姿勢を正した。

「エヴァ姐さんマジパネェッス。キレッキレじゃないッスか、その空気」
「黙ると良いよ、永劫に」
「ウェル、シャル。そのじゃれ合いも適当な所で止めなさい。話が進まないわ」

 エヴァにピシャリと言い放たれ、二人は口を噤む。

「知ってると思うけど、新宿を見張っていたファングがやられたわ。手負いのまま今は逃走しているみたいだけど、その後の連絡も特にない。余程の重傷を負ったかもしれないわね」
「あー、エヴァ姐さん。そいつらに俺タチが行けって言うのはマジ勘弁ッス。そんな兵器とぶつかるなんてホント願い下げッスよ」
「分かってるわ。だけど、あのまま野放しにしておいたらマズい相手なのよ。そこで、一つ策を打つわ。直接ぶつからずに――――」

 冷笑を浮かべたエヴァが、言葉を続けた。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

「――叔父さんが狙われるかもしれない……って?」

 IO2東京本部。
 武彦に連れられた三人は、作戦司令室でそんな話を聞かされていた。

「あぁ。ファングを撃退した以上、ヘタに戦力を割いて来る程、虚無の連中はバカじゃない。これからは身内、味方。そういった存在を利用してくる可能性がある」

 武彦は淡々とそう告げる。

 この条件下で狙われる可能性があるのは、唯一家族が近くにいる勇太。
 そして、凰翼島に祖父がいる凛の二人だ。

「すでに凰翼島にはエストと数名のエージェントが向かっている。あっちは心配する必要もないだろう」
「エスト様が?」
「あぁ。今回の騒動は本来、彼女が関わるべき範疇ではないしな。だったら戻ってもらって後顧の憂いを払ってもらった方が良いしな。問題は勇太、お前の方だ」

 武彦のその言葉に、勇太の顔が強張った。

「お前が関わってる事も、全て話す。そうしないと、協力してもらえないだろうからな」
「……ッ、そう、だよね」

 勇太とて、弦也にそれを伝えるのは忌避感を抱えている。
 弦也は自分の為に、これまで色々な苦労をしてきた。それをまた巻き込む形になると思うと、申し訳なくも思ってしまうのだ。

「とにかく、エージェントを送って回収させるつもりだ。詳しい話をする程の時間はまだないが、手配だけはしてあるそうだ」
「……ちゃんと、話しますよ」

 これだけの騒動に発展している以上、もはや隠しておくだけでも無駄だろう。勇太は腹を括り、武彦の目をまっすぐ見つめて強く頷いた。

 そこへ、一人のエージェントが慌てた様子で武彦の横に駆け寄ってきた。

「ご報告です。護衛対象とエージェントが接触に成功。しかし、何者かが襲撃をかけ、現在交戦中との事。恐らく……」
「チッ、手が早いな……!」
「――ッ! 叔父さん……! 草間さん、俺が行く!」

 最悪の展開だ。そう武彦は歯噛みする。
 この状況で勇太を戦線から外してしまえば、そのタイミングできっと虚無の境界は何かを仕掛けて来るだろう。結果として勇太を前線から外してさえしまえば、虚無の境界の作戦は成功なのだろう。

 そう考えると、勇太を前線に残し、誰かに弦也の保護を頼むのが妥当だ。
 とは言え、勇太がそこで割り切れる様なタイプではないと、武彦はそう判断している。

 どちらに転んでも、影響が出ないとは言えない。
 ならば、弦也の安全を確認させて、不安を取り除くのがベストだろう。

「仕方ない。勇太、お前達で――」
「――ほ、報告します! 新宿警戒中の部隊が敵勢力と衝突! 霊鬼兵、エヴァ・ペルマネントを確認! それと、見知らぬ能力者が4名!」

 武彦が指示をしようとした所で、さらに別の伝令が駆け込み、そう告げた。

「クソッ、同時攻撃か……!」

 ファングを倒した事が、そのまま仇となったと言えた。
 均衡を保ち、沈黙していた虚無の境界が再び動き出したのだ。

 どちらにしても、今の状況では下手に戦力を割ける状況ではない。
 勇太を弦也の方へと差し向けても、そちらの勢力の細かい情報も入っていないのだ。同時攻撃による戦力分散。的確にIO2の戦力不足を見抜いてきている証拠だ。

「問題ないわ」

 思考を巡らせる武彦へと、百合が告げる。

「勇太、アナタは家族のもとへ行きなさい。エヴァ達は私と凛、それにディテクターでどうにかする」
「でも……!」
「勇太ばかりに、負担をかけさせるつもりはありませんよ」

 沈黙を続けていた凛が、百合の言葉を後押しする様に勇太へと告げた。

「エヴァと私は因縁もある。あっちは私がどうにかするわ」
「では私は、百合さんの因縁を邪魔する者を排除しましょうか」
「……百合、凛……」
「ったく、それしかねぇな。俺も柴村達をサポートする。勇太、そっちを片付けたら、すぐ合流しろよ」
「……はい! 百合も凛も、ちょっとだけ待っててくれな」

 勇太の言葉に、二人は強く頷いて応えた。
 その姿を見て、勇太は弦也のもとへと向かうべく、施設の中を駆け出した。

 この武彦や勇太達の判断が、東京奪還への一手を大きく後退させる事になるなど、この時はまだ誰も知る由もなかった。

to be countinued…

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sinfonia.26 ■ TURNING POINT

火薬の爆ぜる音が鳴り響く。

「……な……、んで……」

 赤い飛沫を撒き散らしながら、心に灯る絶望に顔を歪めた男は、撃ち抜かれた足を押さえるようにガクンっと膝を折り曲げ、その場に蹲った。

「……悪くない能力だ。さしずめ光学迷彩って所、だろうがな」

 口に咥えていた煙草を人差し指と中指の付け根で挟み込み、吸い込んだ事で尖端をジリッと侵食された煙草から、灰が落ちた。
 銃を片手に構え、黒いロングコートに身を包んだ武彦。サングラス越しでも分かる、その鋭い目付きで獲物を捉える瞳。

 その姿は正に、勇太が初めて出会った頃の武彦そのものだった。

「草間さん……」
「相変わらず、いやらしい程の正確さね。敵に回したくないわね」

 勇太の隣で思わず呟いた百合の言葉だった。
 百合はかつて、武彦と勇太を敵に回した経験がある。その頃はまだ能力を冷静に操れるだけの実力もなかった百合は、勢いのままに勇太の能力を真似て力押しした。今思えば、それが武彦にとってはかえって有効打だったのかもしれない。

 効率的な攻撃というのは、どうしたって頭の中で作戦を組み立て、それを守ろうとしてしまう。武彦のあの冷静なまでの判断能力と、正確無比な銃撃を前にすれば、それは正面からぶつかるのは愚策だろう。

 そんな事を考えながら戦況を見つめていた百合は、改めて男を見つめた。

「……クソ、クソッ! なんだよ、テメェ……!」

 動揺が冷静さを失わせ、心を乱す。かつての自分と同じような、未熟な精神状態での戦闘。しかし、百合や勇太のようにパワーだけで周囲を巻き込んで戦える能力ではない男では、それはただの焦りでしかない。

 ――そして再びの銃声が、男の肩を貫き、男はそのまま空を仰いだ。

「……いってぇぇぇえええ!!」
「騒ぐな。真正面からぶつからずに相手を痛めつけるだけがお前の実力か? 自分が追い詰められるなんて考えた事もないのか?」

 字面にしてみれば酷い挑発に見えるが、その口調はあくまでも淡々と、まるで感情が篭っていないかのような言葉だ。挑発ではなく、ただの質問。そんな言葉にすら聞こえる。

「クソがぁぁ!」

 再び姿を消す能力者。勇太や百合、そして凛もまたその動きに警戒し、腰を落とす。

「勇太」
「な、何ですか?」
「お前なら見えない相手とどう戦う?」

 武彦の質問に勇太は逡巡する。

 正直な所、勇太が今もしも一人だったなら、念動力で周囲に衝撃波でも放ち、自分の周囲を一斉に放射すれば良い。しかし今、凛や百合も近くにいる状態だ。サーモグラフィーでもあれば話は違うかもしれないが、そんなものは持ち合わせていない。

「……足音、とか?」
「及第点、といった所だろうな」

 武彦が突如銃口を向け、勇太の方へと向かって引鉄を弾いた。銃弾は勇太の顔の横を抜け――。

「ぎゃあああぁぁ!」

 ――後方から響いた叫び声に、慌てて三人は振り返り、飛んで後方を確認する。
 手を撃ち抜かれ、落としたナイフが乾いた音を奏でて地面へと落ちていく姿を見て、三人は後方に飛んで距離を取った。

「ああぁぁぁッ! ……な、何で……ッ!」
「こいつの場合は、もっと単純な特徴がある」

 勇太らの前へと歩み出た武彦が、再び煙草の尖端をジリッと焦がすと、紫煙を吐きながら告げる。

「能力使用によって周囲に微妙な磁場が生まれる。その歪みはかなり小さい音だが、周囲に反響する」
「――ッ!」

 これは勇太や百合、凛も知らない。

 特殊な能力の正体は、周囲の現象などに関する干渉だとIO2はすでに検証している。特殊な電磁波によって周囲に干渉を起こし、それが能力という形で操られるのだ。
 例えば勇太の能力はそれが顕著に出ると言えた。念動力という特殊な力を派生させたものだが、これは言うなれば目に見えない空気などの分子に干渉を起こし、それを可能にしていると言えるだろう。

 後に勇太が、この原理を学び、模倣能力《コピー》という技を覚えるのだが、この時はまだ与り知らぬ所である。

 閑話休題。

 武彦がこの音を聞き分けられるのは、ひとえに長い訓練と潜ってきた修羅場の数がそれを可能にさせる代物であると言えた。

「次は殺気だな。これもさっきの足音と同じく、プロの暗殺者ならそれすらも感じさせないだろうが、こいつの場合はダダ漏れだ」
「ひ……ッ!」

 武彦が男のもとへとゆっくりと歩み寄る。
 慌てて反撃しようとナイフを取り出すが、それを掲げる間もなく銃声が響き、弾き落とされる。いよいよもって恐怖にも似た感情が男の心を埋め尽くす。
 腰を抜かし、地面に尻もちをつきながら男は必死に無事な左手で後方へと身体を動かし、逃げようと試みる。しかし、決して早くないゆっくりとした歩調の武彦にあっさりと追いつかれ、銃口を突き付けられた。

「た、助けて……助けてくれッ! 見逃してくれよぉッ!」
「俺は能力を悪用するヤツに情けをかけるつもりはない」
「そ、んな――ッ!」
「――せいぜいあの世で悔いていろ」
「あ、あ……、あああぁぁぁッ!!」

 男の声が虚しく響き渡り、そして銃声が奏でられた。

 勇太らもまた、武彦がまさか引鉄を弾くとは思っていなかった。しかし武彦の銃が奏でた銃声。そして、男が後方に倒れる姿を見て、思わず畏怖を感じる。
 しかし、倒れた男の身体からは血が噴き上がる事もない。

「……ま、こんなトコだな」

 武彦の放った最後の弾丸は、しかし男を殺した。
 男の僅かな抵抗も、死への恐怖となって上塗りされ、意識を刈り取ったのだ。頬を掠めた弾丸が自分の額を貫くものだと思っていた男は、未だ息はしているものの気を失い、そのまま倒れた。

「び、びっくりした……。てっきり草間さん、撃ち殺したのかと……」
「殺しは禁止されちゃいないが、な。前途ある若者達の前でそうもいかねぇだろ」

 安堵する三人を横目に、武彦は携帯電話を取り出し、IO2へと連絡を入れた。

◆  ◆  ◆  ◆

 新宿の奪還。そして虚無の境界に所属している名のある幹部、ファングの撃破。この吉報はすでに、日本全土のIO2へと配信されていた。
 一路IO2東京本部へと戻った4人を待ち構えていたのは、ピリピリとした緊張を催す空気ではなく、ワァッと沸き立ったIO2職員らの歓声と、そして温かい拍手であった。

「な、何事……?」
「すごいですね……」
「現金な連中ね」

 三者三様の反応を見せながらも、突然の歓待ムードに目を白黒させる三人を連れて歩きながら、武彦が告げる。

「劣勢を強いられていた状況で、虚無の幹部を一人倒して新宿の騒動を沈静化させたんだ。沸き立つのも無理はないだろうよ」
「でも、まだ新宿だけじゃ――」
「――いいや、そうじゃねぇよ」

 勇太の言葉を遮り、武彦が振り返る。

「お前たちの戦いに感化され、希望が見えた。諦めちゃいなくても、暗い空気ってのは気持ちを容易には前に向けちゃくれねぇ。それが勝利っていう一言で塗り替えられた瞬間、燻っていた力は大きく動く。
 お前たちにとっちゃたったの一勝だ。もちろん、まだまだ戦いは続く。だけどな、勇太。IO2にとっちゃ、この一勝の意味は大きいんだよ」

 周囲を取り囲み、笑顔を浮かべて手を叩く人々に改めて目を向ける三人。それは、どうしようもなく胸を高鳴らせ、そして気持ちを高揚させていく。

 ――勇太は小さくはにかみ、思わず涙を溜めた。

 かつてIO2と共に虚無の境界と戦った時も、そして武彦と共に凰翼島で戦った時も、勇太はいつも必死だった。誰にも賞賛されることがなかったとしても、勇太にとっては大事な戦いだったと言えた。

 過去に自分の能力を恨み、どうして自分ばかりがと心を塞いだ時期もあった。それを思い返す。

 しかし、自分の能力が多くの人々を沸き立たせる事が出来たなら。能力を使って、何かを守れるのなら。

 芽生えた感情。勇太にとって、どうしようもなく大きな心の変化を生み出した瞬間であると言えた。

 ――凛はそっと瞼を閉じて、小さく俯いた。

 短命であった自分が、今を生きているのは隣にいる少年のおかげだ。ただその為だけに、自分は東京に来た。IO2の扉を叩いたと言えた。
 しかし今、それは少しばかり――いや、かなり大きな意味を生んだ。

 護られるばかりではなく、今の自分は人を守れたのだ、と。
 母を失くし、宿命に縛られて生きてきた一人の巫女は今、かつての母を思い出していた。
 人を守り、そしてその為に命を失ったという母。そんな母親とは違い、自由に生きている自分を、心の中で僅かに忌避してきた。慕情に溺れるように、縋るように勇太を追ってきた凛は、それまでに感じた事もない感情を抱いていた。

 ――百合は小さく鼻を鳴らしながら、目を逸らす。

 大げさだ。そう心の中で悪態をつきながら思い出す。虚無の境界にいた自分。そして、苦しめる側にいた自分が喝采を受ける権利など持ち合わせていない。そう感じながら。
 それでも百合は、その喝采が嫌なものだとは感じなかった。

 孤独。復讐に、憎しみに捕らわれていた百合は、隣りに立っている少年によって初めて前を向いた。ただ隣りの少年の為だけに、何かを返したいと。そう願ったのだ。
 それが今、こんなにも多くの人々の感謝や賛辞を結果的にだが招いていた。

 変われるのかもしれない。
 僅かに、それでいて確かに心に芽生えた感情に、百合は気付いていた。

 三人の少年少女の心に芽生えた感情に気付いたのか、或いは気付いていないのか。
 武彦は勇太の肩に手を置いて、声をかける。

「行くぞ、三人とも」
「「「はいッ!」」」

 忌々しい事件の中だと言うのに、それすらも成長の糧にする三人を引率する。それが、先駆者となった自分の役目なのかもしれない。

 そう武彦は改めて感じながら、司令室へと三人を連れ立って歩いていく。

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sinfonia.25 ■ 伝説の男、復活

「――繰り返します。東京交戦、虚無の境界幹部、ファングを撃破……!」

 作戦司令室。全世界に向けて報告されたその発表に、結果だけ聞いたIO2関係者は歓喜していたが、先刻までモニターで見つめていた誰もが言葉を失うものであった。

 虚無の境界に所属しているファングと言えば、日本のIO2だけではなく海外でも最重要危険人物の一人として名を馳せている存在だ。戦闘能力の高さから、これまでIO2がどれだけの煮え湯を飲まされてきたか。
 その被害総額や人数を考えれば頭痛で眩暈でも引き起こしてしまいそうな程度には、といった所だろう。

 そんな男が、たった一人の少年によって撃破されたのだ。

 そんなファングをたった一人で撃破出来るだけの存在がいるという脅威を眼前に、彼らは歓喜出来ないのだ。

 ――あまりにも不安定な要素が多すぎる。

 少年という、思春期を過ごしている少年少女ら。そんな彼らと自分達を繋いでいるのは、ディテクターというたった一人の男でしかない。
 あまりに細すぎる関係ではないか。素直にそんな恐怖すら抱くのも至極当然と言えた。

「……フフフ、笑っちゃうわね」

 口を開いたのは楓であった。呆然とするその室内を見渡し、楓は続ける。

「私達が何年も戦い続けてきた相手が、たかだか十代の子供に負けてるわ。
 さて、そんな光景を見て呆然とし、いつしか自分達にその矛先が向くかもしれないと恐怖を抱く大人を相手に、彼は信頼などしてくれるかしらね?」

 楓の言葉にその場の空気が一瞬でピリッと張り詰めた。

「IO2に名を連ねる者ならば意地を見せなさい。彼らだけに全てを委ねるなんて、そんな真似をするぐらいならこんな組織は消えた方がマシよ!」

 楓の発破と共に、司令室内は一斉に動き出した。
 そんな光景を目の当たりにしながら、楓は懐かしい光景を思い出す。

(……フフフ、武彦が同じ様な事をした時、私も上官にそう叱咤されたのよね。あの時は姉さんだけがただ純粋に喜びを表して、武彦に声をかけていた。
 今思えば、姉さんはいつも私の前を歩いていたわね……)

 懐かしい記憶を呼び起こし、そして楓はただただ小さく笑う。
 あの時の自分より、今の自分は成長したのだと噛み締めながら。

「作戦は成功って事かな」
「えぇ。草間さんの仰る通り、虚無の幹部を誘き寄せて叩く事に成功しましたもの。あとはこの辺りの魑魅魍魎を倒すぐらいですね」

 凛が勇太へと答えたその直後。
 百合が突然勇太と凛の背後へと空間を接続し、その場に姿を現して何かを弾き落とし、三寸釘を後方へと投げつけた。

「おっとォ……、ヘヘヘ、良い勘してやがるなぁ、クソガキィ」

 百合が釘を投げたその先で、突如空中でその釘が動きを止めた。まるで映像が浮かび上がる様に姿を現したのは、赤い髪を揺らした気味の悪い男。病的なまでに色は白く、まるで蛇の様な男だ。
 男はニタリと口元に三日月を作り上げながら、釘を落として再び姿を消した。

 どうやら先程、百合は飛来してきたナイフを弾き落とし、反撃したようだ。

「敵よ」
「……姿を消す能力者って事?」
「みたいね。さっきから嫌な視線を感じていたのよね」
「でも、どうします? 姿が見えないんじゃ、こちらからは攻撃のしようがないのでは……?」
「面倒だけど、こっちは三人よ。後手に回るけど、反撃を優先すれば良いわ」

 三人で背を合わせて周囲を警戒する様に身構える勇太達。そんな三人を嘲笑っているかの様に、周囲からは音が消える。

「……クソ、ニヤニヤ笑いながらこっちの様子窺ってんのかな……」
「有り得るわね。決して性格の良さそうな見た目はしていなかったもの」
「ちょっと気色悪い印象でした」

 決して挑発している訳でもない三人の言いたい放題の言葉である。

「――ッ! そっちだ!」

 勇太が物音に反応し、そこに向かって念の槍を具現化し、一気に駆け出す。

「勇太! それは罠――」
「――ビンゴォ」

 小石を投げて弾いた音に釣られ、三人の陣形が崩れる。それと同時に男の声が響き、百合と凛の背後に男が姿を現した。

 駆け出した勇太に視線を向けてしまった百合と凛。その背後に唐突に現れ、ナイフを振り下ろす男。
 空間接続で何とか脱する事は出来なくもないが、凛を連れる事は出来ない。

 ――間に合わない。

 百合がそう考えながら凛を押し飛ばし、自分だけがその場に残る。
 既にナイフはあと数センチで自分に突き刺さるだろう。

 そう考え、目を閉じたその瞬間だった。
 甲高い金属が弾かれる音が百合と男の間から鳴り響き、ナイフが弾かれた。

「な……ッ!?」

 後方へと飛んだ男が、周囲を見回す。
 明らかに遠距離からの狙撃。ナイフを撃ち落とされたのだと男は理解していた。しかし、ファングとの戦いを間近で見ていた男は、三人の中に銃を扱う存在はいないと考えていたのだ。

 そして男は視線の先に、一人の男を捕らえた。
 黒いロングコートを羽織り、サングラスをかけた男。口には煙草を咥え、紫煙をあげている。その手には銃が握られ、こちらへと向かって歩いて来る。

「……あ、の格好って……」

 勇太は思わず呟く。

 その格好は、最近では全く見る事もなかった懐かしい服装。そして身体から放たれている、どこか冷たい雰囲気。
 しかし見間違えるはずもない。

 かつて自分を救い、道を示してくれた男の姿を、どうして見間違える事が出来るというのか。
 勇太は思わず武者震いする。

「草間さん……」

 数年間見る事のなかった、勇太が憧れた最強の男。
 ディテクターの姿がそこにはあったのだ。

「テメェ、俺様の狩りの邪魔しやがるとは良い度胸だぁ!」
「コソコソ隠れ回ってるだけしか取り柄のないガキが、いちいち吠えるんじゃねぇよ」

 再び姿を消した男。
 しかし武彦はそれに対して動じるでもなく、銃口を動かし、その先を撃ち抜く。

 一見すると虚空を撃ち抜いたようにしか見えない行動であったが、その銃声の直後に響き渡った甲高い金属音と、飛び散った火花。
 男の手に取ったナイフを弾き飛ばしたのだと誰もが理解した。

 動揺と共に腰から崩れた男の能力が解け、唖然とした表情を浮かべた男の姿が顕になる。

「……ど、どうして……」

 動揺のあまりに大きく目をむいた男。その男にゆっくりと歩み寄る武彦はフゥっと紫煙を吐き出すと、銃口を真っ直ぐ男に向けた。

「まだまだガキ共に負ける訳にはいかねぇんでな。ダダ漏れた醜悪な殺気を読むなんざ、俺にとっちゃ朝飯前なんだよ。
 能力にかまけた素人に負ける程、俺は落ちぶれちゃいねぇ」

 堂々たる宣言。
 ディテクターが完全に復活した。まるでそう告げる武彦の姿に、勇太の口角は吊り上がるのであった。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

「……やれやれ、虚無の境界の協力を断ったばかりだが、その戦力を殺しちまうとはな」

 赤い花が咲いたビルの屋上へとやって来た宗は頭の後ろをポリポリと掻きながらそう独りごちる。

「邪魔だったんだ。ここが一番丁度良い場所だから」

 その言葉に、宗は込み上がる笑いを噛み殺せずにくつくつと笑みを浮かべた。

 特に戦う理由もない相手。助力するつもりもないが、わざわざ殺す必要はない虚無の境界の能力者。そんな能力者を、ただこの場にいたのが邪魔だったという理由で排除してみせたのだと少年は告げたのだ。

「……クククッ、成る程。それは確かに先客は邪魔だろうな」

 宗が少年の横へと歩み寄る。
 どうやら少年が見ていたのは、勇太や凛、百合。それに武彦の事を指しているようだ。

「……宗、アレは何? 僕に似てる」
「アレはただの失敗作だったものだ。今はそれなりに使えそうだが、所詮は失敗作に過ぎない」

 少年が指差した先に立つ少年、勇太を見つめて宗は淡々とそう告げる。

「宗、僕はアレと少し話してみたい」
「……やめておけ」
「どうして?」

 少年が宗を見上げ、不思議そうな顔をして尋ねると、宗は少年の頭に手を置いた。

「得るものが何もないからだ」
「……そう」
「行くぞ」

 踵を返して歩き始める宗に、少年はただゆっくりと付いて行くのであった。その途中、僅かに振り返る仕草を残しながら。

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sinfonia.24 ■ 刻まれる戦い

「――おっらぁッ!」

 普段の何処か緊迫感に欠ける口調には似つかわしくない、気合を乗せた一声。
 その声と共に手から放たれた強烈な衝撃が、大地を抉りながらファング目掛けて走って行く。

 獅子の様な見た目へと変貌したファングは、迫り来るそれを睨み付けて口角を釣り上げると、避けようともせずに右手を上にあげ、拳を作る。
 ギリギリと音を立てながら握られた拳が、勇太の放った衝撃波がもうすぐぶつかるという所で大地へと振り下ろされ、衝撃を生み出してそれを相殺してみせた。

「こんなモノか、小僧!」
「甘く見んなよ!」

 それは勇太にとって注意を逸らす為のフェイク。時間稼ぎの為の一撃であり、もとより効果など期待していなかった。もちろんあんな一撃を普通の人間が喰らおうものなら、その身体は数メートルは吹き飛ばされ、ダメージを受けるのは確実であっただろうが、相手がファングであれば、それは通用しない。

 勇太は空間転移を行う事で、ファングの右後方へと姿を現すと、その両手に具現化したバスケットボール大の重力球を2つ、一斉にファングに向かって放つ。しかしそれは空中で一斉に破裂する様に散らばると、四方八方へと展開した。

「――ッ!」
「――“鉄の処女”。これ、あんまり使った事ないんだけどね」

 周囲に展開していた重力球から一斉に槍が伸び、それがファングへと襲いかかる。逃げ場のない多方向からの攻撃。普段からこれを勇太が使わないのは、この攻撃は避ける事も出来ず、あまりに殺傷能力が高すぎる能力だからだ。

 ――この“鉄の処女”は、確実に相手を射抜くという性質を持っている。故に勇太は使わずに来た。過去にどこぞの吸血鬼にお見舞いしたぐらいである。

 ファングへとそれを放ったのは、ファングに対しては本気で殺しにかかっている、という訳ではない。

 勇太は確信している。
 ファングは恐らく、この攻撃を打破しにかかるだろう、と。

「小賢しい真似をッ!」

 ファングは何処へ逃げるでもなく、真っ直ぐと勇太に向かって肉薄する。

(やっぱそう来た……ッ!)

 ――そして同時に、勇太の布石が完成するのである。

 周囲に展開していた“鉄の処女”を消した勇太は、肉薄するファングの足元へと手を飾り、その場を爆発でもさせるかの様に吹き飛ばす。
 突然の行動に、ファングは僅かに逡巡する。

 その行動は足止めとも思えない。攻撃にしては弱すぎる。
 ――しかし、何も考えずに戦っているとも到底思えないのだ。

 それでもファングはその僅かに胸に生まれた不安を振り払うかの様に、勇太へ肉薄し、その獣の様な腕を振り下ろした。

 勇太はそれは横に避けると、その直進方向に向かって転移し、再び距離を取ってファングを睨みつける。

「逃げるだけか、小僧!」
「いや、違うね。場は整ったのさ」

 ――ファングは気付かない。

 先程ファングの足元が破裂した一撃。その上に、地面から吸い上げられていく様に光が集まり、球体となって浮かび上がっている事に。
 そしてそれが、今まさにバリバリとけたたましい音を奏でながら、今にも動き出す気配を見せているという事にも。

「――そこ、落光に注意してね」
「な……――」

 聞いた事もない単語に僅かに動きを止めたファング。
 そして同時に、球体となっていた光が一瞬にして槍となって飛び出し、ファングの身体を貫いた。

「――が……ッ!?」

 突然の攻撃。
 自身の強靭な身体に傷をつけたその攻撃に、ファングは目を丸くした。僅かに黄金色を纏った光の槍が、脇腹を貫いているのだ。

「神気の槍っていうより、攻城兵器のバリスタに近いのかも、ね」

 勇太が告げる。

 “鉄の処女”は重力を孕んでいる為、その負荷は周囲に影響を与える。ファングが勇太に向かう為に一部を突き破って進んだ事により、その負荷はその一部を覗いた周囲――つまりは中央から直線上に道を作る。
 そしてそこに、勇太は先程神気を吸い上げる為に念動力を発動させ、周囲に残っていた重力球を近くへと集めた。

 狭くなった一本の通り道は、銃身の役割を果たす。重力というベクトルを回転させ、射出力へと変換し、神気という弾丸を撃ち出す、強力な砲台へと作り変える。

 そしてそれは今、まさに成功してファングの強靭な身体を貫くに至ったのだ。

「……退きなよ。あんたのそんな身体じゃ、もう勝ち目はないだろ」
「情けをかけるつもりか……ッ!?」

 ファングは勇太を睨みつけ、そう告げる。
 満身創痍でありながらも、その鋭利な殺気を解く事はない。その気迫に僅かに戸惑いながらも、勇太は嘆息する。

「俺はあんた達とは違う。命を奪うつもりはないよ」
「後悔する事になるぞ……」
「しないさ」

 挑発する様なファングに向かって勇太は柔らかく告げると、表情から緊張が消え去り、そして僅かな笑みを浮かべた。

「もしまた襲って来るなら、次も返り討ちにしてやるから」

 ――それはまるで、近所の子供とゲームをしているかの様な気軽さだ。

 ファングはこの言葉に、思わず唖然としてしまう。
 命懸けの戦いの後で、こうもあっさりと引かれては毒気が抜けてしまう。自分でさえ戦闘を楽しむ事はあっても、こうも簡単に割り切る事は出来ないだろう。

「……その言葉は大器が成せるものか、或いはただの愚か者か……」

 ファングは誰に聞こえるでもなく呟き、空を仰ぎ見る。
 ただ戦闘に身を投じてきた日々。それは僅かな満足感を得る為だけの日々であり、それ以上のものなどはなかった。

 心はその僅かな満足感だけに潤い、そして日々の中で乾いていく。
 そんな日々を送っていたのだ。

 しかしファングはこの時、一つの僅かな想いに心を満たされていた。
 それは勇太ら対峙する者達にも、ファング本人にとってもこの時はまだ知る由もない。

「……俺の負けだ。ここは退かせてもらおう」

 敗北を宣言するファングの言葉は、悔しさにまみれた苦々しいものではなく、何処か納得しているかの様な口ぶりであった。
 その場から後方へと飛び去っていくファングを追いかけようともせずに、勇太はただその姿を見つめていた。

「勇太!」

 凛と百合がその激しい戦いを終えた勇太へと駆け寄る。
 未だにファングが飛び去っていった先を見つめていた勇太の横顔は真剣そのもので、凛と百合はそんな勇太の横顔に僅かに魅入っていた。

「勇太、ファングは――」
「――あああぁぁぁぁ~~~~、怖かった……」

「「……は?」」

「だって見たでしょ? 何あの変身能力。しかもやたらと強いし、おまけに顔も怖いし。ファングのクセに生意気だよ、まったく。昔は給食のパンとか帰りにあげた事もあったのに……って、え? 百合さん? ちょっと痛いんですけど」

「ねぇ、やっぱりバカなの? バカよね? バカでしょう?
 緊張感溢れる戦いも何も台無しだと思わないの? それともアンタ戦ってる間ずっとその近所の犬の事考えてたの? 何? ベストブリーダーでも考えるタイミングぐらい弁えるわよ?」

「百合さん百合さん、知ってるかな? その釘って、意外と鋭利なんですよね~……。しかもちょこちょこ尖ってる方当てるとかやめてくれない!?」

「……はぁ。今の勇太と百合さんのそんな姿見たら、さっきのファングさんもやりきれない表情浮かべそうですね……。」

 ――見事に緊張感といった類は消え去っていたのであった。

 その様子を近くのビルの屋上から見つめていた、黒ずくめのコートを被った男が下卑た笑みを浮かべる。

「……フフフフフフフ、あのファングですら倒す能力……。実に見事ですねぇ」

 ゾクゾクと身体を走る興奮に打ちひしがれる様に身体を震わせた男は、勇太達に向けて視線を送りながらそう呟いた。

「あぁ……、良いですね……。青い果実はその実が熟れる前が一番美味しい……。あの子達もまた、どんな味を奏でてくれるのやら……」

 ――狂気にも似たその笑みは、突如として背後の扉が開いた音によって強張り、消え去った。

 男の身体を突き抜けた先程の興奮。
 それ以上に大きな衝撃が、身体の芯を駆け抜けたのだ。

 それは正しく恐怖。
 蛇に睨まれた蛙という言葉がある様に、男はそのあまりの恐怖に身じろぎ一つ赦されずに強張った。
 冷たく絡みつく様な殺気。
 既に身体中に鋭利な刃物を突きつけられている様な、そんな感覚である。

 頬を流れた汗が地面へと向かって落ちていく。
 それと同時に、男はようやく首を動かし、その殺気の正体を見つめる。

「……な、ぜ……!?」

 男はその言葉と共に、赤い華を咲かせた。

 そこに立っていたのは、今しがたファングと死闘を繰り広げていた少年によく似た顔をしている、無表情の少年であった。

to be countinued….

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