sinfonia.23 ■ 反撃×反撃

人の雑踏に覆われ、車や活気に耳を騒がせていた東京は既にない。そこは瓦礫の山と化し、人の姿もない、静寂ばかりが続く大地に変わっていた。

 そこで躍動する様に次々と魑魅魍魎を排除していく三人。
 そんな三人の姿を、近くのビルの上で眺めていた一人の男が鼻を鳴らし、そしてついに動き出した。

「――ッ!」
「どうしたの、勇太?」

 突如動きを止めた勇太に百合が声をかける。
 しかしそれを聞きもせずに勇太が空間移動を開始。そして凛の真後ろから凛を抱き寄せた。

「ゆ、勇太!?」
「クソッ」

 顔を赤くして動揺する凛。しかし勇太がすぐに凛を連れてその場から離れると、今しがた凛の立っていたその場所に電柱が空から三本降り注ぎ、その周辺に突き刺さった。

「ほう、良いセンスをしてるな」
「……虚無の境界、か?」

 突き刺さった電柱の向こう側から歩いて来る一人の男。
 迷彩柄のズボンにタンクトップ。そしてその身体は筋骨隆々のたくましい身体。角刈りにも近いその髪は灰色で、険しい表情を浮かべている。

「俺の名はファング。貴様の言う通り、虚無の境界の幹部の一人だ」
「……ッ! ファング、だって……!?」

 勇太と百合の顔が強張る。
 しかし凛は虚無の境界に所属している幹部の名を知る訳ではない。

 ――しかしこれは勇太も同じである。
 この反応を見た凛は、てっきり数年前の騒動で戦った事があるのかと勇太に声をかけた。

「知っているのですか?」
「……あぁ……ッ」

 勇太はファングを睨み付けながら口を開いた。

「昔近所で飼われてた犬と同じ名前なんだ……ッ!」

 …………。

「「……はい?」」

「いや、だからね。昔近所で飼われてた犬の名前が、ファングだったんだ……! やっぱり、何処か似てると思ったんだ。
 あの愛想の悪い目つきとか、顔の傷とか……って、痛い痛いよ、百合! ねぇ! 五寸釘でグリグリしないで! そっち尖ってなくても結構痛いんですけど!?」

「……ねぇ、勇太。前から思ってたけど、っていうか確信してたかもしれないけど敢えて聞かせてもらうわね。アンタバカなの? バカよね? バカでしょう?」

「そんな心を抉る三段活用しないで欲しいです。だって似てるんだ。きっとあれだよ、虚無の境界は俺の動揺を誘う為に、俺に関係していた知り合い(犬)を使ってクローンを……。もしかしたらアイツ、鬼鮫さんと同じジーンキャリアとかと同じタイプかも……!」

「……殺す」
「ひぃッ」

 自尊心を大幅に傷付けられたファングが勇太に向かって肉薄する。百合と凛を左右に弾き飛ばし、勇太がファングの後方へと空間移動した。
 背後に現れた勇太がファングの首を狙って横から蹴りを放つが、ファングは勇太の足をしっかりと掴み、そして投げ飛ばした。

「ナメるなよ!」
「く……ッ!」

 念の槍を具現化し、それを地面に突き刺して勢いを殺した勇太。そんな勇太に向かって肉薄し、重厚な拳を振り下ろすファング。
 その鉄槌をかろうじて横に飛んで避けた勇太だったが、ファングの鉄槌は地面を砕き、その周囲に亀裂を走らせた。

「い、犬パンチ……ッ!」
「……貴様、余程死にたいと見えるな……」

 ファングが立ち上がり、サバイバルナイフを太もものホルダーから手に取り、逆手に持って構えた。

「勇太! 今援護を――!」
「――邪魔するなよ、柴村」

 ファングが周囲を呑み込む程の殺気を放ち、ただそれだけで百合の動きを制した。

「……百合。凛と一緒に魑魅魍魎を。ファングは俺が引き受けるよ」

「バッ、馬鹿な事言ってんじゃないわよ!
 ファングは戦闘能力が普通じゃないぐらいに高いし、一人で勝てる相手じゃないわ!」

「普通じゃないのは、悪いけど俺もだからね」

 勇太が周囲の瓦礫を念動力を使って浮かび上げ、一斉にファングへと向かって飛ばした。その速さは弾丸の様に速く、ファングも僅かな動揺を浮かべながら横に飛んでそれらを回避する。
 しかしそれを想定した勇太が宙に姿を現し、両手を左右に僅かに広げ、具現化した念の槍を一斉にファングへと肉薄させる。

 さしものファングも、これを避ける事は断念したのか、ナイフを振りかざしてその数本を左右へと受け流した。

 着地した勇太とファングが睨み合う。

「……ただの小僧ではなさそうだな」
「そっちも、あれをナイフで弾くなんて普通じゃないね」

 不敵に互いを認め合う様なその二人の姿に、百合と凛は思わず言葉を失った。

 勇太の今の攻撃は、本来であれば一撃は確実に入るであろう一手であった。
 瓦礫はフェイク。本命は念の槍だったというのは、今までの勇太の戦い方を見ていれば二人も理解出来る。

 しかしそれをいとも容易く弾いてみせたファングである。

 二人の戦いに下手に介入すれば、邪魔にしかならない。
 そんな事を感じさせるには十分すぎる光景であった。

「……フッ……フハハハハ! 面白い! 簡単に終わってくれるなよ!」

 ファングが再び動き出すと同時に、今度は勇太もまっすぐそれに向かって弾ける様に飛び出した。
 力で張り合うには余程の差があるのは一目瞭然である両者だが、それでも真っ直ぐ突き進んでくる勇太に、ファングは動揺する。

 その僅かな迷いが、ファングの腕を鈍らせた。

 僅かな軌道の甘さを見逃さなかった勇太はファングの懐に飛び込み、両手を当てる。

「重力球!」

 両手で膨れあげた重力球を直接身体へと打ち込んだ勇太。その衝撃は、鉄球によって殴られた様な衝撃を与え、屈強なファングの身体ですら「く」の字に曲げて吹き飛ばした。
 バランスを崩しながら、それでも耐えてみせたファングが視界を上げる。

 ――しかし、そこに勇太の姿はなかった。

「まだまだァァッ!」

 背後に飛んでいた勇太が重力球を再び当てようと試みるが、ファングは身体を折ってそれを回避し、回転しながら回し蹴りをして勇太の脇腹を捕らえた。
 一撃の重さは勇太の重力球とほぼ同等の威力。勇太の身体はそのまま軽々数メートル程飛ばされ、そして瓦礫に突っ込み、砂塵を巻き上げた。

 砂塵を吹き飛ばし、勇太が膝を曲げた状態から立ち上がると、口に漏れた血を傍に吐き捨てる。

「……甘くないね」
「貴様もな……。今の感触、念動力を使って衝撃を和らげた、か」
「ご明察。それでもあんたの馬鹿力のせいで無傷とまではいかなかったけど」

 勇太の目つきがいつもの穏やかなそれとは違う。
 その目つきに、凛と百合は思わず息を呑んだ。

 どんな時も何処か真剣味を帯び切らない、戦いに対して遠慮をしている様な勇太の目が、今この時は、闘志を帯びていると一目見て判るのだ。

 それはどうやらファングも同じだった様だ。

「ウォーミングアップは終わりだ。本気で相手してやろう」
「二流の言葉だね」

 挑発する様な勇太の好戦的な態度に、百合と凛は背筋を走った僅かな悪寒に驚かされる。

 見た事のない勇太。
 それが、彼女らにとって、僅かな恐怖を感じる程の力を纏っているのだ。

 身体を渦巻く様に念の力が荒ぶり、そしてバリバリと音を立てながら青い電流をほとばしらせた。
 呼応する様に周囲が揺れ、勇太がファングを睨む。

 対するファングもまた、本来の姿になってそれと対峙する。
 直立した獅子の様な様相。銀色の体毛に覆われ、その姿は魔獣と称するに相応しい程だ。

「強そうだね……」
「……その減らず口、いつまで叩いていられるかな」

 ファングと対峙する勇太。
 ファングは心の何処かで子供だと侮っていた相手に本気で戦うハメになった事で、勇太を認めていた。

 ――こいつは強い。

 ファングの第六感が。経験がそれを警鐘となって示している。

 故にファングは全身全霊の力を以ってそれに対する事を決意したのである。

 本来の魔獣の姿になり、戦車を潰せる程の力。そしてビルを飛び越えられる程の運動能力。それは先程までとは全く違った速さと強さを兼ね備えている。

 そんな力を、たった一人。それもまだ年端のいかない子供相手に出し惜しむ事なくぶつける。
 そこにあったのは、ただ強者との対峙を楽しむファングの信念のみ。

「行くぞ! 工藤 勇太!」

◆◇◆◇◆◇◆◇

 モニタールームからその姿を見ていた武彦は、高鳴る鼓動を押さえつける様に自身の胸を握り締めると、楓に向かって振り返った。

「ここは任せる。俺も出る」
「な、何言ってるの!? 今からあそこに行ったって、間に合わない――」

 そこまで口を開いた所で、楓は武彦の目を見て息を呑んだ。

 その目は、最近の丸さを忘れさせる程の強い眼光を秘めた、彼女の知るディテクターの目であった。

「……邪魔するな」

 その一言で、楓は全てを察した。

 他者を寄せ付けない、ディテクターたる彼。
 そんな強さを、あれだけの圧倒的な戦いを見ていて感化され、取り戻し、そしてうずうずと身体が疼いたのだろう。

 それは男の愚かさである。
 しかし、それがディテクターという男だったな、と楓は小さく笑う。

「行ってらっしゃい、ディテクター」

 楓の言葉に返事をする事もなく、武彦はカツカツと足を踏み鳴らす。
 コートから取り出したサングラスをかけたロングコートを羽織ったディテクター。

 伝説とまで言われた男が、今再び動き出そうとしていた。

to be countinued…

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sinfonia.22 ■ TEAM

――ヘリコプターのプロペラが空気を叩く様な音を奏でながら、灰色の空の下を飛んでいる。
 日本では珍しい真っ黒なその機体の中では緊張した面持ちを浮かべた三人の少年少女の姿があった。

 工藤 勇太。
 念動力系統の能力者。
 その能力は、数年前の虚無の境界との接触でIO2にも知れ渡っている実力者だ。能力は今も発展途上であるとすら言われ、ジーンキャリア筆頭、鬼鮫。さらには、IO2の最高のエージェントであるディテクターからも一目置かれている。

 護凰 凛。
 神気を操る、凰翼島の巫女。
 鬼鮫と懇意にしているエストと呼ばれた天女からも太鼓判を押された、若いIO2エージェントの一人だ。五級エージェントでありながらも、この作戦に参加するのは無謀だと思われたが、その実力の片鱗や、工藤勇太との連携を鑑みて参戦する事になった。

 柴村 百合。
 元・虚無の境界構成員。
 過去の素性を知る者ならば、彼女を同行させる事には反対するべきだが、“空間接続”と呼ばれる能力を駆使して戦闘出来る事や、内情に詳しい事から、今回の同行が決定。ディテクターの推薦もあった故に、上層部はこれを承諾するに至った。

 たった三人の少年少女を乗せたヘリコプターは、現在東京都新宿区、新宿駅上空を飛んでいた。
 この作戦を打ち立てた武彦はモニターの前で腕を組み、その様子を見つめていた。

「……はぁ」

 そんな武彦の横で、作戦参加者名簿とその能力が書かれたプロフィール表を見つめ、楓は嘆息した。

 ここはIO2東京本部に設けられた、特別対策室。
 全画面のモニターがそれらを映し、何人ものIO2職員が他支部との連絡を取りつつ、状況を集計し、作戦を取り決める場だ。

「どうした?」

「どうしたもこうしたもないわ。あんな三人の子供に、新宿奪還を命じてモニタリングするなんて……。
 武彦、貴方いつから捨て駒を使うような非道な真似をする様になったのよ」

 楓の言葉に武彦は苦い笑いを浮かべた。

 IO2に戻ってから、楓に馨の生存と今の状況を打ち明けた武彦は、勇太のクローン計画について言及したのであった。
 楓から返ってきた答えは、実にあっさりとした研究破棄の承諾である。これには武彦も思わず唖然とさせられたが、楓はそんな武彦に胸中を告げた。

 ――「姉さんから怒られたのよ」

 ただそんな一言をどこか嬉しそうに告げる楓の姿に、武彦は呆れた様な笑みを浮かべた。
 馨が生きていた事。そして、もうすぐ帰って来るという事。
 それはつまり、楓の執念がようやく矛先を下ろすという事になるのだと実感させられる一幕であった。

 ――閑話休題。

 武彦は楓に向かって振り返り、ただ一言告げる。

「まぁ見てろ。他のメンバーがいたら、あいつらにとっちゃ邪魔なのさ」

 禁煙ですが、と言いたげな若い女性職員の視線を無視しながら、武彦は再びモニターを見つめていた。

「能力者達、所定のポイントへと到着を確認しました。空間接続に成功した模様です」

 報告された声を聞いて、武彦は口角を吊り上げる。

「退魔陣、準備は?」
《いつでも行けますよ》

 スピーカー越しに鳴り響いたエストの声であった。

 エストはIO2の人員と機動力を生かし、東京を取り囲む様に退魔の陣を形成するという大仕事に取り掛かっていたのであった。
 事前準備にはあまり時間もなく、発動の確認などはしていなかった。つまりはぶっつけ本番であるが、ワガママを言っている場合ではない。

「――発動しろ」

 武彦の声をきっかけに、エストが陣を発動させる。
 関東全てを取り囲んだ、神気の通り道が淡い光を放ち、そしてそれが弾ける様に上空へと浮かび上がる。

「成功ですね」

◆◇◆◇◆◇◆◇

《――退魔陣の発動を確認した。勇太、周囲の魑魅魍魎の反応はどうだ?》
「確認します!」

 ビルの屋上に降り立っていた勇太が街を見下ろす。
 黒くドロドロとしたスライム状の魑魅魍魎達がその動きを緩慢なものに変え、動いている。

「消えてはくれないみたいですけど、効果はありそうです!」
《了解だ。すぐに掃討を開始しろ》
「了解」

 勇太と凛、そして百合がそれぞれに目を合わせ、強く頷く。

「凛、移動は全て私と勇太がサポートする。アンタの役目は砲台よ」
「えぇ、分かってます」

「勇太、アンタは陽動しながらアレをどうにか一箇所にまとめて。動きが緩慢なら、それも可能だと思う」

「俺も能力で倒せるけど?」

「アンタの能力は、あの巫浄 霧絵や幹部と戦う為にとっておきなさい。わざわざ手札を見せてやる必要ないわ」

「あぁ、なるほど。頭良いな、百合」
「……うるさいわね。行くわよ」
「褒めたのに邪険に扱われるってどうなの……」

 工藤勇太、乙女心を理解するには少々時間が必要になるだろうお年頃である。

「とにかくこの作戦、絶対に成功させないとな……!」

―――
――

「――掃討作戦?」

 IO2内にあるとある会議室。以前楓と会談した際に使われた楕円状のテーブルが置かれた部屋は、今は遮光カーテンによって光は遮られ、テーブルの中央部を上には、ガラス板が吊り降ろされ、そこには東京の映像が映し出されていた。

「そうだ。今、エスト達が東京を覆うように退魔結界とやらを作る準備を行なっている。そこで、敵の注意を引きつけつつ、魑魅魍魎どもが支配した東京を急襲するって心算だ」

 その作戦の概要を説明しているのは武彦であった。
 ここにいるのは、武彦と鬼鮫、そして楓。勇太と凛、それに百合の6名と何名かのエージェントであった。

「一つ宜しいですか?」
「どうした?」

 凛が小さく手を上げて尋ねた。

「東京を急襲したとしても、虚無の境界は今や日本各地の主要都市を襲っています。あわよくば取り返そうにも、虚無の境界の計画には支障はないのではないでしょうか?」

 凛の言葉は確かに一理ある考えであった。

 現在の虚無の境界は日本全国の主要都市を襲い、IO2としても混乱を極めている。いくら東京本部が近いからと言って、今更急襲された都市を奪還した所で意味はないのではないかと考えるのは、妥当な線だ。

 ――しかし武彦は逡巡する間もなく凛へと告げた。

「東京を取り返す。それは最優先事項だ」
「何でです?」

 今度は勇太が訊き返す。

「昨今の虚無の境界の動きを見ていれば判る。

 奴らにとっても東京は何かの目的があって潜伏していたに違いない。それに、もしも日本の主要都市を破壊して連携を破壊する心算で動いているのだとすれば、東京という日本の中心地は奴らにとっても要になる。

 最悪、東京を奪還しようとすれば、巫浄霧絵はともかく、幹部ぐらいは姿を現すかもしれない。

 ――そこを俺達で叩く」

 武彦の目に、見慣れない鋭い眼光が宿る。
 そんな姿を見た勇太は、普段の武彦が見せない表情に息を呑み、そして深い深呼吸を一度、二度と繰り返した。

 周囲の視線を一身に受けながら、勇太は武彦を見つめる。

「で、俺達は何をすれば良いんです?」


――
―――

 ――中空に突如として姿を現した、巫女装束さながらの凛を見つけた魑魅魍魎は一斉にその身体から触手を伸ばし、攻撃を仕掛けようと試みる。

「祓符・明!」

 緩慢となっているその動きなど歯牙にもかけない凛は、印とも文字とも取れる符を投げつけてその一体を霧散させた。

 ――開戦の火蓋が切って落とされたのだ。

 そんな事を改めて感じた勇太は、その近くにいた魑魅魍魎達を視認すると同時に念動力を発動させ、それらを空へと浮かび上げる。

「凛、真っ直ぐ投げなさい!」
「はいッ」

 百合の指示通りに数枚もの護符を空へと真っ直ぐ投げつけた凛。それと同時に、百合が小さく口を開く。

「空間接続《コネクト》」

 浮かび上がった魑魅魍魎の周囲に浮かんだ幾つもの円状の歪みが、護符の通り道を形成し、それらを通って魑魅魍魎を次々と斬り裂いた。

「うっひょー、すげぇなぁ……」

 思わず勇太が声をあげる。
 空間転移を扱える勇太から見れば、百合の能力の凄まじさは一目瞭然だ。その上、中空にそれを一斉に展開するともなれば、空間を把握しなくてはいけない。

 少なくとも自分には無理そうだ、と感心している。

「何腑抜けた声出してんのよ。この調子でサクサク片付けるわよ」
「へーい」

◇◆◇◆◇◆◇◆

「……あ、あの三人は一体……」

 武彦や楓らと共にモニターからその光景を見つめていたIO2エージェントの一人は、目を大きく見開きながらそう呟いた。
 しかしそれは何もその弾性だけではない。先程まで忙しなく動いていた司令室だが、魑魅魍魎を僅か数秒で数十にも及ぶ数を撃破したその光景に、誰もがその手を止め、言葉を失っていたのだ。

 ――その光景を見つめて武彦は口角を吊り上げた。

「おい。あいつらばかりに良い恰好させる訳にはいかねぇだろ」
「――ッ、ハイ!」

 武彦の一言が、彼らを正気に戻したのであった。

 もはや絶望視されていた日本の行く末。それを担う三人の少年少女。そして、そんな彼らを連れて帰ってきた伝説とも呼べるエージェント、ディテクター。

 そんな彼らを前にして、司令室にいる者達は、一縷の希望の光を実感していた。

「勝てる、かもしれない……」

 誰かがついに口を突いて出てしまった言葉。
 それは、東京を襲われ、魑魅魍魎によって動きを制限されたせいで折れかけていた職員全員だからこその一言だ。

 今まさに、打ち震えそうな感覚を抱きながら、彼らは日本全土のIO2へとその映像と共に、発信する。

    ――『反撃を開始する』

 その言葉はその日、日本のIO2全ての職員の心に燻っていた想いを再燃させる事になるのであった。

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sinfonia.21 ■ “特異者”の少年

黒く渦巻き、立ち上っては消えていく湯気の様な黒い靄を放った球体を手の上に具現化した勇太の目の前に立つ、百合と凛の二人。二人の表情にはいつもの柔らかな表情は消え、緊張に強張り、頬を汗が伝う。

 ――怖い程に禍々しい力の塊。

 それが、勇太が発している力から感じ取れる二人の印象であったのだ。

「来ないなら、こっちからいくよ」
「やらせないわ!」

 先手を取られたら防戦に回らざるを得ない。そう判断した百合が眼前と勇太の背後を接続すると、凛の身体をその中へと押し込んだ。突然の背中への衝撃に目を丸くした凛だが、次の瞬間に勇太の背後が見えた事に気持ちを切り替えると、胸元から護符を取り出した。

「神気・二光槍!」

 護符に刻まれた紋様が光を放つと同時に、その光が槍の様に鋭利な先端を勇太の背後に近づけた。当たってしまうのではないかと怯んだ凛であったが、その瞬間、勇太の姿が消える。

「え……」
「凛! 後ろよ!」

 真横に展開した空間から百合の腕が凛の服を引っ張り、凛の身体を強制的に横に動かした。そこを空振る様に勇太の放った黒い球体が通り過ぎ、地面を穿つ。

 空間転移能力を使って背後に回り込んだ勇太を、遠距離にいた百合だからこそそれを見逃す事はなかったのだ。

 体勢がが崩れている凛に追撃しようと肉薄する勇太が、僅かな違和感に気づき、後方へと飛んだ。軽快な音を立てて百合の五寸釘が地面に突き刺さる。

「百合さん!」
「油断してんじゃないわよ!」

 今度は五寸釘が刺さったその場所に姿を現し、百合が地面に刺さった釘を右手で抜き取り、更に左手から三本の釘を投げつけた。

「シャッフル」

 同時に姿を消した釘が、空中でランダムに飛び交い、勇太に向かって四方八方から襲いかかる。

 エヴァに対しては使われなかった、百合による空間接続能力の細かい使用法。綿密な座標計算を行うだけではなく、それを同時に六本の釘をそれぞれ別の空間に飛ばす事など、常人に出来る能力ではない。
 それを何となくではあるものの理解出来る勇太は、くつくつと込み上がる笑みを噛み殺せずに口角を吊り上げた。

「――ッ!」

 次の瞬間、黒い球体が一瞬にして勇太の身体を覆い、そして放射状にそこから衝撃を生み出した。釘はその衝撃によって強制的に軌道を潰され、百合の制御権は失われてしまった。

「念の槍・陰、って所かな」

 これまで勇太が用いてきた念によって造られた槍が、黒い武器となって具現化する。まるで墨汁に浸したかの様にポタポタと闇が水滴を落とす様に下に垂れて霧散していく。

「百合さん、後ろに!」

 凛の言葉に反応して、百合が凛の後ろに空間接続する。
 それを待たずして、凛は護符を5枚地面に投げつけ、地面に手を当てた。

「光明陣・結!」

 地面にさながら五輪の様な布陣で張り付いた札が光の柱を造りあげ、凛と百合の前に展開される。
 勇太はそのまま念の槍・陰を放った。

 甲高い音と共に左右に崩れていく“負”の気が、凛と百合の二人の身体を横切る。

「このまま待ってたら、アイツのペースに飲まれる! いくわよ!」
「ハイッ!」

 いつの間にやら百合が主導権を握る形で、凛と百合の戦闘スタイルが確立しようとしていた。空間接続によって左右に散った二人が、一斉に勇太に肉薄する。
 百合は空間接続を数箇所に施し、まるでコマ送りしている映像の様にタイミングをズラしながら勇太へと近づき、釘を手に構えた。

 そんな予想だにしない動きによって、避けるタイミングを失った勇太が空間転移によってその場から避けようと動き出す。
 すると、百合が勇太が消えた事に構わず釘を投げつけ、叫んだ。

「凛、そこに撃ちなさい!」
「言われなくても、分かってます!」

 勇太が空間転移を済ませると同時に、凛がさながら弓道の様な構えから、矢を射る様に右手を離した。光の矢が具現化され、それが勇太に向かって真っ直ぐ飛んで行く。

「な……ッ!?」

 勇太はこの行動に困惑した。
 まさか自分が転移した先を推測され、しかも見事に的中してくるとは思わなかったのだ。

 咄嗟に身体を捻り、凛の光の矢――『神気・神楽矢』を避けた勇太が体勢を崩し、倒れる。
 その瞬間、眼前に映ったのは、見下して飛んでいた百合であった。

「もらったわ!」

 釘を両手に4本ずつ持ち、宣言と同時に投げつける。勇太の身体を射抜く一撃。
 確実に捉えるその瞬間、勇太の身体を再び黒い靄が覆い、釘を弾き飛ばした。

 百合はそれを見るなり舌打ちすると、再び凛の真横へと空間を接続。
 起き上がった勇太と再び睨み合う様に体勢を整えた。

「はぁ、はぁ……」
「……ッ」

 息を整える百合と、神気の使い方に粗さが目立つ事になってしまった凛。それに対して、勇太は何食わぬ顔をして立ち上がる。

「……ッ、ホントにアンタは、常識知らずね……」
「それ、褒め言葉なのかね……」
「そう思っていて良いわよ……ッ!」

 再び百合が勇太に攻撃を試みようと肉薄する。

―――
――

 三人の訓練は、その苛烈さは激しさを増したものの、特に大きな怪我もなく終わった。ようやく一段落つき、それぞれに座って息を整えている所にやって来た武彦が、その部屋の中に入って声をかけた。

「よう、終わったみたいだな……って、また随分と派手に暴れたみたいだな」

 訓練用のその室内に広がった惨状に、武彦が呆れがちに嘆息する。

「勇太。いけそうか?」

 その言葉が何を指しているのか、それはわざわざ尋ねるまでもない事であった。

 ――巫浄 霧絵。
 つまる所、虚無の境界と渡り合えるか、という事だ。

 勇太はその問いかけに対して、僅かに逡巡する。
 強がって戦えると言うつもりはない。

 “負”の力を使って凛の神気とぶつからせた結果、どれだけ強度をあげても拮抗される。それは正しく、相性の悪さを物語っていた。

 例え巫浄 霧絵が何を企もうと、前回の様な事態は招く訳にはいかない。

 東京の主要部。そしてこの日本という島国の各主要部に攻撃を仕掛けている“虚無の境界”との決戦。それがこれから行われるのだ。

 果たして自分は、その戦いに勝てるのか。
 それらを考え、その上で勇太は凛と百合に交互に視線を向けた。

 ――守ってみせる。

 そんな決意を改めた勇太は、武彦に視線を向けると、少しばかりの深呼吸をして深く頷いた。

「大丈夫。勝てるよ」

 それ程までの答えを揺らぐ事なく口に出来るのは、恐れを知らない子供故だと大人なら一蹴するだろう。少なくとも、IO2に所属している者達はそう受け取る。

 しかし、その言葉を受け取ったのは武彦であり、武彦は勇太を信頼している。

 故に武彦はその問いに、頷いて答えるのだ。

「あぁ、分かってる」

 いつまで自分の背中を追っている子供でいてくれるのだろうか。

 僅かにそんな事を感じながら、武彦は勇太に答える。
 これが、自分がこの未来ある少年に見せる大人の背中の最期の姿だと、そう何処かで理解しながら。

◆◇◆◇◆◇◆◇

「そう、か」

 廃墟となった東京の主要部。県庁所在地のあったその場所を見下ろして、宗は静かに呟いた。

「力を貸して頂けるのかしら?」
「抜かせ。貴様らのつまらない児戯に、この俺を付き合わせるつもりか?」

 宗に向かって声をかけていたのは、紛れも無い巫浄 霧絵である。
 しかし宗は、虚無の盟主が成そうとしている計画すらも、児戯だと一蹴する。

 その現実を前に胸中を荒れ狂わせるかと思われた霧絵であったが、相手が相手なだけに、そんな思いは抱く事もなく、笑みを浮かべた。

 ――霧絵は理解している。
 この男、“工藤 宗也”にとって、世界の成り行きですら瑣末な事である、と。

 霧絵はその畏怖を表には出さない。しかし、胸中ではこの宗也という男の存在だけは無視出来るものではないと確信している。

(笑えないわね、工藤 宗也。そして工藤 勇太……。
 同じ時代。同じ血筋に現れた、二人もの“特異者”の存在……)

 霧絵はその胸中を誰に告げる訳でもなく、ただただ呟く。

「あなたが協力してくれれば、私の計画は何の弊害もなく達せられるもの。協力を仰ぐのは自然な流れだと思うのだけど?」

「俺は俺の為に動いている。貴様らは精々、良いデータにでもなってくれれば構わない。そこに成否など問うつもりはない」

 一刀両断される霧絵の言葉。それでも霧絵は、それを黙って聞いている事しか出来ずにいた。そんな霧絵を背にしたまま、宗也はこつ然とその場から姿を消した。

 ――本物の脅威。
 霧絵が宗也をどう見るかと考えた時、きっとそんな言葉としてしか宗也を見れないだろう。

 それでも霧絵は宗也に従うつもりはない。
 世界が虚無へと還れば、宗也など知った事ではないのだと霧絵は自身に言い聞かせる。

 胸中に矛盾を孕んでいる事に、霧絵は気付いている。
 逆らえない相手ではなく、逆らいたくない相手。
 そんな矛盾が、霧絵の中での宗也という存在であった。

「……フフ、世界の歯車は動いている。さぁ、フィナーレを……!
 そして、新なる時代へのプロローグを奏でましょう!」

to be countinued… 

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sinfonia.20 ■ 一歩を踏み出す勇気

霊鬼兵として生まれ変わったエヴァ・ペルマネント。
 彼女は数多くの被験者達が実験に失敗し、命を落としていく様を見ていく中で、それでも“生きたい”と強く願い、そしてその運を自ら掴み取った。

 それが彼女の抱く最高の矜持でもあり、自信だ。

 しかしながらその自信は過信に繋がり、いつしか彼女は自分達を昔、ただの実験体と被験者としてしか見なかった研究者と同じ様に、百合という存在を見下すようになっていた。

 ――失敗作。

 そういった見方で百合を見てきたエヴァは、それが自分の最も忌み嫌っていた人間達の視線だとは気付かずに生きてきたと言えるだろう。

「これ以上やるなら、容赦はしないわ」

 そう自分に告げてきた百合という存在に対し、エヴァはどうしようもなく後悔と自責の念に駆られていた。
 自分が嫌っていた存在と全く同じ事をしてきた自分に、言い知れぬ嫌悪感が生まれる。

 しかしエヴァはまだ、少女に過ぎない。
 それが何なのかエヴァ自身が気付けず、自らの中に芽生えた感情に彼女は混乱していた。

「……フフ、フフハハハハ……!」

 唐突に笑い出したエヴァに、百合は訝しげに眉に皺を寄せた。
 大きな声をあげて笑っているエヴァを見つめながら、百合はその笑みにある物を感じ取る。

 ――混乱による狂気。

 数年前、勇太とぶつかり合った時の自分と似た様な感情。
 それを感じ取ったからこそ、百合はそんなエヴァの様子にかえって困惑する。

 百合はエヴァという一人の少女を知っていた。
 自らを見下し、そして成功作である自分にたいして並々ならぬ自信を抱いていた事。

 そして、年齢の割には落ち着き払い、可愛げがないとも言える事。

 そんな彼女だからこそ、狂気に取り憑かれるとは到底思えなかったのだ。
 故に百合は警戒心を強める。

「エヴァ、アンタは――」
「――大丈夫よ。狂ってなんかやらない……」

 何かに抗うかの様に、エヴァは百合の言葉を遮り、狂気に染まりつつあった感情を押し殺した。

「……どういう事?」

 対する百合は、エヴァの言葉がどうにも引っかかっていた。
 狂ってなんかやらない、という言葉を聞く限り、まるでそれが何かの引鉄になっている様な、そんな予感すらするのだ。

「……興冷めね。ここは退かせてもらうわ」

 深く深呼吸をしたエヴァが百合に向かって告げると、その場から姿を消す様に飛び上がり、百合の目の前から去っていくのであった。

「……何なの、この感情」

 百合との対峙の中で生まれた自責の念や後悔といった感情が渦巻く胸の中。それが理解出来ないエヴァは、自分の胸元で手をキュッと握り締めて呟いた。

 ――ワカラナイ。

 その場で瞼を閉じて僅かながらに立ち止まったエヴァは、思考をぶっつりと断絶させ、とにかくその場から離れようと再び走り出す。

 何処か遠くに忘れてしまった過去があるような。
 それはとても大事だった様な。

 そんな切ない感情がエヴァの心を掻き乱し、騒がせる。

 エヴァにとっての迷走がここから始まろうとしている事など、この時のエヴァは知る由もなかった。

◆◇◆◇◆◇◆◇

 IO2東京本部。
 地下4階から7階に続く、特訓用のフロアに勇太と凛は案内されていた。

 ここは射撃練習場や、兵器実験場など、様々なフロアに分かれている為、それぞれが確立した一つ一つの部屋となっている。

 そんな中勇太と凛が訪れたのは、およそ小学校の体育館程の広さはあるだろう広間がある、接近戦の訓練に使われる真っ白な部屋であった。

「広いなぁ……」
「そうですね……」

 思わず勇太と凛が零した言葉に、IO2の職員の女性は小さく笑みを浮かべた。

「衝撃・斬撃の耐性を持つ特殊素材で作られた壁と、足元は衝撃を吸収してくれる緩衝材が敷き詰められてるんですよ。
 ここでの特訓なら、思う存分やって頂いても構いません」

 小さなお客相手にでも笑みを絶やさず、丁寧にそう案内をするのは、まだ二十歳にもならない若い職員の女性であった。
 茶色い髪を頭の後ろでヘアバンドで留めている、まだあどけなさを残した女性職員である。

「有難う御座います」
「いえいえー。って言っても、私もまだ配属されたばかりなので何回かここに来ただけなんですけどね……」

 あはは、と乾いた笑みを浮かべながらそう告げた女性に、思わず凛がその姿を見て笑みを浮かべた。
 鬼鮫と一緒にIO2で仕事をこなしているものの、こういった柔らかな雰囲気をもった女性職員は少ないのだ。

「あ、そうそう。お二人の訓練は私、“新崎 香澄”が立ち会う事になりますので。よろしくお願いしますね」
「あ、お願いします」
「別室からモニターしてますので、何かありましたらすぐに駆けつけますね」

 そう言って香澄と名乗った女性は部屋を後にする。

 彼女は知らない。
 この日偶然にも案内をした二人が、彼女にとっての大きな変化をもたらす事を。

 ともあれ、部屋に残された勇太と凛。
 早速二人は部屋の中央に向かって歩いて行くと、凛が声をかける。

「勇太、あれをやるつもりですか……?」

 凛の質問に、勇太は背を向けたまま頭を縦に振った。

「でも、あの力はあまりに――!」
「――うん、解ってる」

 心配する凛を背にしながら、勇太は静かに言葉を遮った。

「確かにこの力は強力だと思う」

 そう言いながらも、勇太は黒い球体を浮かび上げる。
 バスケットボール代の、真っ黒な球体。まるで水蒸気を上げているかの様に黒い煙が天井に向かって伸びては霧散していく。

 それはただ禍々しく、見ているだけで悪寒すら感じるものであった。

「凛。この力を消す事って出来るかな?」
「え……?」

 勇太の問いに、凛は僅かに逡巡する。
 勇太も何も、巫女であった凛だからこそそれが出来ると思っている訳ではない。

 かつてエヴァと対峙した時。そして、魑魅魍魎が跋扈する都内での戦い。

 今勇太が目の前に具現化させているそれと、全く同じ様な力を相手に戦えた凛だからこそ、もしかしたらそれが可能なのではないかと推測しているのだ。

「……多分、私なら……」

 凛が神気を練り上げ、勇太の手元に浮いているそれに触れる。
 すると、黒い球体は霧散し、その場に散っていった。

 何も勇太が弱く具現化させた訳ではない。

 自分の力では抑え切れなかった程の硬質化を施し、その上で具現化させたものを、凛はあっさりと消してみせたのだ。

 勇太は確信する。

 ――これで、この力に勝てる。

「凛。凛の力を、俺にコピーさせて欲しい」
「コピー……?」

「うん。力の複製。身体の中に流れてさえくれれば、俺にも作れるみたいなんだ。だから、手でも触れていれば多分コピー出来ると思う」

 勇太の言葉に、凛は唖然としながらも思考を巡らせた。

(……つまりこれは、勇太からのお願いで私が堂々と触れるチャンス、ですね……)

 普段は恥ずかしそうに逃げ惑う勇太だが、これなら凛は逃げられないと確信出来る。

 数年間、凰翼島から出て以来、ある意味溜まっていた感情が、ここにきて両者同意――もとい、勇太同意の上で発散出来るというのだ。

 これは正に僥倖。
 凛は口角を釣り上げ、小さく笑みを浮かべる。

「……凛? ダメかな?」

 対する勇太は神気のコピーに対して、凛が何かしらの抵抗を抱いているものなのかと勘ぐる。
 神気という神聖な力を、戦う為に使おうとするのは確かに間違っているかもしれない。だが、霧絵と相対する時には確実に必要になるであろう力だ。

「じゅる……」
「じゅる?」
「ハッ……!? いえ、何でもありません。力になれるなら……」

 凛が我に返り、勇太に一歩ずつ近寄る。

「ありがとう、凛」

 両手を差し出した勇太の腕の間を縫う様に、凛が真っ直ぐ勇太の身体に抱きつく。

「――え……ちょっ!?」
「神気は身体から溢れる力です。手先だけでは伝わりにくいかもしれません」

 ここぞとばかりに身体をひっつける凛に、勇太の顔はみるみる赤くなっていく。

(ちょ……、待った! タンマ! なんかやらかいのが当たってる!)

 自分の胸元に触れる柔らかな感触に目眩すら感じながら、勇太はあわあわと両腕をバタバタと振り上げる。

「勇太、神気は身体の中に注がなくてはいけないのでは?」
「そ、それはそうだけど!」
「だったら、良い方法がありますよ」

 顔を離し、勇太の顔を見つめる凛。
 眼が大きく、目鼻立ちがくっきりとした大和撫子といった美少女。そんな凛の顔が眼前に近づき、瞳は僅かに揺れている。

 思わず勇太の視線が、凛の柔らかく艷やかな唇に向けられ、勇太はごくっと喉を鳴らした。

 いくら鈍感とは言え、ここまで来て気付けない筈もない。
 心臓が高鳴り、凛にも伝わってしまっているんじゃないかと思える程に激しく音を立てている。

「勇太……」
「……り、ん……」

「――ちょ……、何してんのよ! アンタ達!」

 今正に、唇が触れようとした瞬間であった。

 空間接続によって勇太と凛の真横に突如として姿を現した百合であった。

 武彦から連絡を受け、この場所にいると聞いた百合は自身の決着をつけた事を報告しようと、意気揚々と帰って来たのだ。
 しかしながら、伝えたい相手はよりにもよって自分とは正反対なタイプ――主に身体のラインだが――と、今正に口づけをしようとしていたのだ。

「ゆ、百合!?」

 空振りに終わった凛の口づけが中空を漂う。
 勇太が殺気を感じ、テレポートでその場から移動したのだ。

 そしてそれと同時に、五寸釘よろしくの武器がその場にカカカッと軽快な音を立てて突き刺さった。

「あ、あ、あぶねぇぇえ!! 殺す気か!?」
「そうよ! そのつもりだったもの!」
「冗談にならないだろ!?」

 勇太と言い合った後で百合が凛に向かって顔を向ける。

「……チッ」
「な……ッ!? ちょっと凛! アンタ今舌打ちしたわね!?」
「あらあら、百合さん? 一体何のことです?」
「とぼけてんじゃないわよ! ドス黒い顔で舌打ちしたでしょーが!」
「嫌ですわね、オホホホ」

 ギャーギャーと喧しい雰囲気に包まれながらも、勇太は自分の身体に神気が作れる事を確認して小さく拳を握った。

「ありがとう、凛。おかげで神気を作れる様になったよ」
「……チッ」
「ほらまたした!」

 凛の本性が顕になりつつあった。

「まぁ冗談はさて置き……。二人共、ちょっと相手してくれない?」
「相手?」

 勇太の一言に、その場の雰囲気が真剣なものに変わる。

「二人でかかって来て良いよ。こっちの力で、仮想巫浄 霧絵戦といこうじゃない」

 そう言いながら、勇太は再び『負』の力を具現化する。

「……ッ、アンタ。そんな力に……」
「さて、百合さん。協力しましょうか」
「な……ッ? ちょっと待ちなさいよ! いくら何でも、まだ勇太だった病み上がりじゃ――」
「――病み上がりの勇太相手に勝てない様では、一緒に戦う事なんて出来ないでしょう?」

 凛の言葉に、百合が嘆息し、そして小さく笑った。

「……まったく。手加減しないわよ?」

 こうして、3人の訓練は始まろうとしていた。

to be countinued,,,

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sinfonia.19 ■ 因縁に決着を

大都会東京。
 馨のいた研究施設のある島からクルーザーで脱出後、武彦と凛、そして勇太は東京湾から本島へと上陸した。
 本来であれば人目につき、そんな強行手段は取れないだろう。しかしながら、それはあくまでも平時の話である。

「……ッ」
「酷い……」

 遠目に見えた本島の観光名所として名高い大きな橋と、その先にある球体を模した造りのあるテレビ局。

 ――そして、立ち上る黒煙。

 戦場の光景を発信している写真を、なんとなしに見た事がある程度である勇太や凛は、自分達の知っている有名な観光スポットが、今正にそれらと同じ様に荒れ果てている姿を見て、思わず苦虫を噛み潰した様に顔を顰めたのであった。

「生き残っている方がいるかもしれません……」
「いや、IO2がこの辺りの住民は避難させたそうだ」
「そうなの?」
「あぁ。馨の所から鬼鮫に連絡して、状況は聞いている」
「状況?」

 凛と勇太の問いに、武彦は頷いて答えた。

「活発化した虚無の境界の動きに合わせて、警察庁と政府はIO2の指揮下に入った。
 現在はどうやら、一般市民を地下のシェルターに避難させ、対策を練っているらしいが、今の所まともな反撃は行えていないらしい」

「そんなに危険な状態なんですか?」

「東京の主要部は既に戦場だ。
 以前俺達が対峙した時と同じ様な魑魅魍魎どもだけじゃないらしくてな。どうやら虚無の境界に同調している能力者共が暴れ回ってるらしい。

 ――が、それだけじゃないみたいだ。

 今までIO2が管理下におけなかった野放しになっていた能力者達が動いているせいで、IO2もそれらが敵か味方かの見極めが難しい状況になっているらしい。

 一般人を助ける能力者と狩る能力者。そんな在野の連中がそれぞれ、組織に関係なく動いてやがるんだとよ。
 詰まる所、混乱をきたしたIO2は一度戦線を引き、情報を収集し分析しているそうだ」

「面倒だね……。せめて味方になってくれる人達だけでも、IO2と協力してくれれば楽になるかもしれないのに」

「そいつは無理だろうな。
 IO2ってのは能力者を積極的に引き込もうとはしてきたが、その過激なやり口のせいで敵だと認識された事もある。

 それは勇太、お前も昔はそうだっただろ?」

 武彦の言葉に、勇太は数年前の騒動を思い出す。
 確かに最初は武彦や鬼鮫を敵だと認識した事もある。過激なやり口と武彦が称したのは、鬼鮫と初めて対峙した時の勇太への攻撃などを考えれば容易に想像出来るだろう。

「……確かに、ね」
「それじゃあ、どうするんですか?」

 凛の問いかけに、武彦が海上でクルーザーを停め、煙草に火を点けて携帯電話を操作する。

「勇太、IO2と合流する。お前にとってはあまり良い印象はないかもしれないが――」
「――解ってる。大丈夫だよ」

 危惧する武彦の言葉を遮った勇太は、真剣な眼差しで武彦に向かって告げた。

 楓の暴走とも言える行為のせいで、勇太も凛もIO2には多少なりとも不審感を抱いている。それを気遣った武彦であったが、どうやらそれが杞憂であったのだと勇太を見て悟らされた。

「……ったく、成長してるな。中身は」
「背だって伸びてるんだからねっ!?」

 武彦の言葉にシリアスさを失ったツッコミを入れた、ちょっと気にしてる多感なお年頃の勇太であった。

◆◇◆◇◆◇

 ――IO2、東京本部。
 幸い、東京の中でも山間部に近い場所に位置している東京本部は虚無の境界の攻撃や侵略を受けておらず、作戦を展開すべく戦力が結集し、今回の虚無の境界との大規模な戦闘の対策本部が設けられていた。

「凛!」
「エスト様!」

 武彦達一行の到着を出迎えたのはエストと鬼鮫の二人であった。凛を見て駆け寄ったエストが凛を抱き締め、頭を撫でる。その後ろから、鬼鮫がゆっくりと武彦と勇太のもとへと歩み寄った。

「……どうやら、怪我はもう良いみたいだな」
「うん」

 相変わらずのサングラス越しではあるが、鬼鮫は鬼鮫なりに勇太の容態を心配していた様であったらしく、勇太の頭に乱暴に手を置き、ぐしゃぐしゃっと撫でてみせた。

「鬼鮫、状況に変化はないか?」
「あぁ、その事でお前と俺。それにエストに招集がかかってる。作戦会議だそうだ」
「分かった。勇太、そういう訳だから俺達はそっちに顔を出す」
「ん、分かった。待ってる間、どっか人のいない訓練部屋みたいな所って借りれるかな? ちょっと身体がしっかり動くか試したいんだよね」
「あぁ、それなら案内させるぞ」
「エスト様。私も勇太と一緒に行ってきます」
「えぇ。積もる話もありますが、まずはこの災厄を取り除いてから、ですね」
「はい」

◆◆◆◆◆◆◆

「……驚いた。アンタがここに来るなんて」
「……それはこっちのセリフよ、ユリ。未だにおめおめと生に縋っているなんてね。それとも、この場所には命の終わりをここで迎える為に来ていたのかしら?」

 閑散とした山間にひっそりと佇んだ、今では廃墟となってしまった場所。
 百合がかつて、家族とも呼べる人々をあっさりと殺された忌まわしい場所だ。

 新たな一歩を踏み出すべく訪れていた百合は、エヴァの挑発に小さく笑みを浮かべ、エヴァへと振り返った。

「ねぇ、エヴァ。アンタはあの盟主と一緒に世界を終わらせようと考えているのよね?」
「そうよ。この腐った世界を虚無へと還し、全てを終わらせる為に」
「……哀れな野望、よね」

 百合の小さく囁く様な言葉に、エヴァは僅かに顔を顰めた。

 ――この短期間で、一体何があった?

 エヴァはつい先日までの様子とは全く違う百合の様子を見て、その疑問が真っ先に脳裏に浮かんだ。

(余裕、じゃないわね……。諦め?)

 推察するエヴァに構う事もなく、百合は廃墟となった孤児院を見つめていた。

「世界を終わらせる。終わらせてやりたい。私もかつてはアンタと同じ様に、そう叫んでいた。でも、その先には何があるのかしらね」
「何もありはしないわ。それで十分よ」
「だから哀れだと、私は言ったのよ」

 振り返った百合の目は、真っ直ぐエヴァの身体を射抜く様に向けられた。

「アンタは私を失敗作だと言ったけど、私はそれで良かったと本当に心からそう思ってるわ。じゃなかったら、アイツと一緒に苦しんだり、アイツと同じ様に生きる事を選ぼうとは思わなかった」

 ――百合は続ける。

「アンタと違って、私はそうして前を向ける。未来を見つめる事が出来る。現実を認めずに、ただ拒む様に世界を拒絶し、虚無へと還そうとするアンタは、かつての“アタシ”と一緒よね」
「……気に入らないわね」
「そうでしょうね。私も“アタシ”だった頃は、そういう意見が気に入らなかったわ。だけど、アイツはそれでも“アタシ”に手を差し伸べようとした。だから、“私”は変わらなくちゃいけないの」
「詭弁はそれぐらいにしてもらおうかしら、ユリ。変わろうとしても、ここで死ぬユーにはそれは無理よ」

 エヴァが霊子を取り込み、大鎌として具現化しながら百合に向かってそう告げる。

「どうかしらね?」

 そして百合は、そんなエヴァの様子を微動だにせずに真っ直ぐ見つめていた。

 ――どうしてこんなに、余裕でいられる?

 かつて訓練の中で何度も戦い、全て百合に勝ってきたエヴァには百合の余裕が釈然としなかった。
 本来であれば、自分が何度も負けた相手には一種の「勝てない」という心理的負担がのしかかる。身体が緊張し、本来の実力を発揮する事すら難しくなるというものだ。

 しかし、今の百合からはそれを感じる事はない。

 だからこそ、エヴァは百合の姿を見て困惑していた。
 それでも過去の勝利が、エヴァを後押しする。

 弾ける様に飛び出したエヴァは、その華奢な体躯にはおおよそ似つかわしくない黒い鎌を身体と一緒に回転させ、百合へと振るう。

「――ッ!?」

 一回転しながら遠心力を乗せた大鎌が虚空を切る。寸前までそこにいた百合の姿がなかったのだ。

 ――直後に首筋にチリっと走った強烈な悪寒。それとほぼ同時に響き渡った銃声に、エヴァは身体を捻って横へと飛び、着地して構えた。

「さすがね」
「…………ッ」

 百合の能力として与えられていた、“空間接続”の能力。勇太の転移には及ばない性能であり、発動までは本来、僅かなタイムラグが発生する。
 にも関わらず、エヴァの一瞬のスピードについて行けるだけの動きを見せた百合。

 ――今までの百合の、乱暴な戦い方とは違う。

 力に任せ、暴れる様に戦ってきた百合の動きとは違う事に、エヴァの困惑は更に深く、淀む。
 対する百合は、まるで水面の様に静かだ。戦っている最中とは思えない程の冷静さ。そして、憎しみを抱かれたも良いはずの自分をまるで興味がないかの様にあしらっていると言うのだ。

 そんな現実、エヴァは認める訳にはいかなかった。

「失敗作風情が……ッ! 何を、何を余裕ぶって――!」

 ――吼えるエヴァの頬を、銃弾が掠める。

「――……な、何をした、の……?」
「“空間接続”は、アイツの能力と違って部分的な接続を可能にする。つまり、アンタは何処からでも狙えるって事。単純な仕掛けだけど、避けれるかしら?」

 百合がスッと取り出した、三寸釘の様な鋭利な針。それを投げつける。
 慌てて横へと逸れたエヴァを見て、百合が小さく口を開いた。

「“接続《コネクト》”」

 突如自身の飛んだ先に現れた針が、エヴァの肩を射抜く。
 予期していない位置からの攻撃。それがエヴァには読めるはずもない。

「今までの“アタシ”は、アイツの力に頼って戦ってきた。それこそ、アイツ程の力量があった訳でもないのに、ね。圧倒的な攻撃力や機動力は、確かにアイツの方が上よ。だけどね……――」

 不意に投げられた三寸釘の様な針が三本。それが宙に消え、再びエヴァの死角となっていた左後方上部から肩と膝、そして鎌を握っていた手の甲に向かって飛来する。
 瞬時に横へ飛んだエヴァのふくらはぎを掠める釘に顔を顰めながら、自分の立っていた場所に刺さった“二本”の釘を見つめ、エヴァの顔から血の気が引いた。

 ――あと一本は何処に……!?

 そんな疑問と同時に、鎌を握っていた手の甲に感じる激痛に、エヴァは小さく悲鳴をあげた。避けたはずの攻撃が、何故ここに当たるというのか。エヴァの思考は掻き乱される。
 激痛と共に巡らせた思考が、ある一つの答えを導き出す。

「まさか……」
「“空間接続”はね、エヴァ。綿密な軌道計算がないと攻撃には向かないの。だから私は、冷徹になる。何処によけても、推進力を失っていないなら更に“接続”して獲物を仕留めれば良いのよ」

 ぞわり、と走った悪寒にエヴァは冷や汗を流した。

 ――まずい。拙すぎる能力だ。

 エヴァの焦りを察したかの様に、百合は小さく笑い、さらに両手に四本ずつの釘を握り締める。

「これ以上やるなら、容赦はしないわ」

to be countinued…

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sinfonia.17 ■ Einleitung

巫浄霧絵の能力を基にした、『負』の力。本来であれば、精神を蝕まれてしまってもおかしくはない程の、禍々しい力を「コピーした」と言う勇太を前に、凛はその資質に驚かされていた。

 ――不安。

 一言で言うならば、今の勇太に対して凛が抱いた感情で最も大きい物はそれである。
 勇太はたった一人で強さを手に入れ、虚無の境界と戦おうとしていると言うのだ。凛達と共に戦うでもなく、「守りたい」という言葉から、その想いはひしひしと伝わってくるものであった。

 だからこそ、凛は胸を締め付けられる程に、切なさを感じていた。

「――痛ッ……」
「勇太!」

 回復したとは言え、あれだけの深い傷を負った後だ。凛は慌てて勇太に駆け寄り、崩れようとした勇太の身体を支えた。

「あはは……、やっぱまだ痛いなぁ」
「無理はいけません。戻りま――」

「――何してるのかなぁ?」

 身体の芯から底冷えする様な、優しい口調に冷たい言葉が背後から聞こえ、勇太と凛が振り返る。
 白衣を着て腕を組み、茶色がかった長い髪をサイドアップにしている眼鏡をかけた女性。そして、IO2で勇太のトラウマを蘇らせた楓と似ているが、何処か違う目をしている女性――馨の姿があった。

「え、っと……?」
「おはよう、それに初めまして。武彦から聞いたけど、楓とは会ってるみたいね。私は楓の双子の姉、馨。よろしくね」
「あ、はい。工藤勇太で――」
「――知ってるわ」

 馨がにっこりと笑みを貼り付けたまま、勇太の言葉を遮った。笑みとは裏腹に、声の高さは高いが、抑揚がないどこか冷たい言葉を紡ぎながら、馨は勇太に言葉を続ける。

「死にかけの怪我を負ってここに運び込まれ、仲間に心配をかけたのに起きて早速無茶をする愚かな性格。昔の武彦にそっくりよねぇ~」
「え……?」

 勇太はここに来てようやく自覚した。

 ――この人の笑顔は、やはり偽物だ。

 かつて巫浄霧絵と対峙した時にも感じた、薄ら寒い笑み。そして言葉の端々に感じる、圧倒的な悪意。

 ――勝てませんッ!

 そんな答えが、勇太の頭の中で警鐘を慣らす。

「あ……あの、すいま――」
「――怪我人が無茶して周りに迷惑かけない!」
「はいぃぃ! すんません!!」
「さぁ、キリキリ動く! ベッドに戻って安静!」

 勇太はベッドへと強制連行されていくのであった。

―――
――

 虚無の境界の動きが活発化している状態の中、自分がベッドで落ち着いていなくてはいけない現状はもどかしさを感じる。それでも、まともに動く事が出来ない自分がこうして休んでいなくてはいけないという現実。
 そんな気持ちと状況に板挟みにされた勇太は、少し不貞腐れる様にベッドで横になっていた。

 その横で、勇太を見張る様に腕を組む馨。勇太の服を畳んだりと甲斐甲斐しく世話をする凛。そこへ、勇太が目を醒ましたと一報を受けた武彦が、小さくノックして勇太の病室へと顔を出した。

「よう、聞いたぞ。馨に怒られたんだってな」
「草間さん……」

 少しからかう様な笑みを見せた武彦が、勇太の横たわるベッドの横にある椅子へと腰かけた。起き上がろうとする勇太に、「そのまま寝とけ」と額を小突くと、勇太は口を尖らせつつも枕に頭を置いた。

「ここって?」
「あぁ、お前には何も説明してなかったからな。色々説明しておかなくちゃな」

 そうは言いながらも、武彦はどう説明するべきかと逡巡する。

 それは少なからず、宗の存在が関係してくるからである。
 今の勇太に、武彦の推測を話すべきか否か。その判断は武彦には下せずにいたのだ。

 現状を説明するにあたり、昔自分と組んでいた馨の存在。
 そして、馨の研究所で、勇太を回復させる事が出来るかもしれないという百合の提案に乗った事。
 勇太自身が危険な状態であった事を、武彦は静かに語った。

「……そっか。俺、助けてもらったんだ。ありがとう、草間さん。それに馨さんも」
「有難いと思うんなら寝てなさいよね」

 クスっと笑いながら馨が勇太に釘を刺す。

「まぁ助けられたのは俺の方だがな」

 武彦の言葉に、勇太は小首を僅かに傾げた。

「俺を庇って怪我するなんて、何考えてんだ」
「あ、あの時は咄嗟に……!」
「それでも、お前が俺の代わりをする必要なんてねぇんだよ。お前はまだガキなんだ。周りの事ばっかり考えてねぇで、自分の事だけ気にしてりゃ良いんだよ」

 少しばかり怒気を孕んだ武彦の言葉に、勇太は口籠る。
 一生懸命だっただけ。ただそれだけで武彦を守ろうとした自分。それを武彦に怒られるなんて、理不尽だ。
 勇太の思考がそう結論を出す前に、「だが」と武彦が再び口を開いた。

「お前にそんな真似をさせる様な失態を取ったのは俺だからな……。まぁ、その、なんだ。助けてくれてありがとうな」

 武彦の言葉に、勇太は嘆息した。
 正面からそんな事を言われて、嬉しくない訳がない。真正面からお礼を言われる事がどうにもむず痒い勇太は、「べ、別にそんなの良いよ」とだけ答えると、布団の中に顔を突っ込んでしまった。

◆◇◆◇◆◇

 勇太の部屋を後にした武彦と馨、それに凛の三人。凛は姿が見えない百合に、勇太の快方の報せを届けようと探すが、どうにも百合は姿を現さない。キョロキョロと周囲を見回しながら、馨の後に続いて歩いていた。

「武彦、私ちょっとこの子と話あるから」
「ん? あぁ、んじゃ向こうの部屋行ってるぞ」
「え?」

 馨が唐突に凛の肩を抱いて告げると、武彦はひらひらと手を振って歩き出した。突然馨と二人きりにさせられた凛は、話が何かなど見当がつくはずもなく、馨の言葉を待った。

「さて、凛ちゃん。まずは謝らなくちゃね」
「謝る……?」
「取り乱した貴女を叩いた事よ」

 バツが悪そうに頬を描きながら苦笑を浮かべた馨に、凛はようやくその事を思い出した。勇太が危険な状態に陥り、気が気じゃなかった時の事だ。

「いえ、あれは私が……」
「大事な人、なのね?」

 ボンっと音を立てるかの様に顔を真っ赤にした凛が、両手の指をぶつけ合いながら俯くと、馨は小さく笑った。

「凛ちゃん。もしも勇太クンが危なっかしい行動をする様なら、貴女はそれを止めなくちゃいけないわ」
「――ッ」

 不意な馨の発言に、凛は先程の勇太とのやり取りを思い出し、その表情に影を落とした。

「あの子ね、なんとなく似てるのよね。昔の武彦と」
「昔の草間さん、ですか?」
「えぇ。それに、貴女は何となく、昔の楓と似てる」
「え……?」

 楓の名前が出て来た事に、凛は驚いて目をむいた。
 今の楓の姿を知る凛にとって、自分と楓の似ている部分など見当もつかないのだ。

「楓は私と武彦に、私が言うのも可笑しな話だけど、憧れてたのよね」
「憧れ?」
「そうよ、憧れ。だからあの子は、私達を支えようと、いつでも裏にいようと一生懸命だった。自分が日の目をみない事も厭わずに、ただ支えようとしていたんだと思う」

 馨は続けた。

「だからこそ、後悔してるんだと思う。私を、武彦を止められなかった事。自分の気持ちをぶつけずに、ただ支える事だけに徹したから、あの子はどこかで道を踏み外そうとしているのかもしれない」
「…………」
「凛ちゃんは、勇太クンの手綱をしっかり握っておかなくちゃダメよ。昔の武彦と似ている彼なら、リスクを一身に背負ってでも何かをしようとするから、ね」

 その言葉に、凛はあのコピーの力の事を思い返していた。

「……はい!」

 自分には何が出来るのか、そんな事を改めて凛は考えるのであった。

◆◇◆◇

 武彦達がいなくなった勇太の病室。いつの間にか眠っていたらしい勇太は、僅かに揺れた空気に気が付き、ゆっくりと目を開けた。
 開け放たれた窓。茜色に染まった世界を見つめる、か細い身体。逆光によって浮き彫りにされたそのシルエットを、勇太は薄っすらと開けた瞳から見つめていた。

 物憂げな顔をしている少女、百合の姿だ。

 百合はなるべく音を立てない様に、優しくカーテンを閉めて勇太に向かって振り返った。
 起きているとは思わなかったのか、僅かに目を見開いて驚いた百合。

「起こして悪かったわね」

 一言だけそう告げる、伏し目がちにそのまま病室を後にしようと歩き出した。そんな百合を、勇太が名前を呼んで呼び止めると、百合は顔を勇太に向けようともしないままに立ち止まった。

「俺を運んでくれたの、百合なんだろ? ありがとう」
「……ッ、な、何言ってんのよ。しかも……名前で呼ぶなんて……」

 改めて名前で呼ばれた事に、百合は耳まで赤くなりながらボソボソと口を動かした。

「え?」
「な、なんでもないわよ!」
「な、なに怒ってんだよ」
「怒ってないわよ」
「嘘だねー。絶対怒って――」
「――怒ってないわよッ」

 百合が振り返り、その表情を見た勇太は思わず言葉に詰まった。
 ぼろぼろと頬を伝う涙。何故百合が泣いているのか、勇太はその理由が分かるはずもなく、ただただ唖然としながら口を開けて戸惑っていた。

「ど、どうしたんだよ?」
「――ッ!? なんでもないわ!」

 慌てて頬を拭う百合が、未だ溢れてくる涙を何度も拭う。

「なんかあったのか? お前も怪我してるとか――」
「――バカッ!」
「は!?」

 百合が勇太に歩み寄り、手を振り上げる。

「アンタは勝手なのよ! 私を助けようとしたり、私の為に怒ったり――!」

 ――五年前も、そうだった。

「怪我して死にそうになって心配させて――!」

 ――唯一、自分が心を開いても良いかと思える相手なのに。

「周りにはアンタの事心配してる人がいて、アタシは傍に居場所なんてなくて……――!」

 力なく何度も振り下ろされるか細い手。ようやく手が止まり、両手で頭を抑えていた勇太が顔をあげると、百合の腕が勇太の首を回り、きゅっと抱きしめられた。

「お、おい」
「バカ……。バカよ、アンタは……ッ」

 ――もう、どうしようもなかった。この温もりを、手放したくはなかった。

 百合は、初めてと言って良い程に堰を切って流れた感情に戸惑いながら、勇太の胸に顔を埋めて涙していた。

 初めて見つけた、自分が心の底から一緒にいたいと思える相手。
 それは霧絵に対してかつて抱いた感情とは違う、温かな気持ちだった。

 胸元に顔を埋めながら、百合はただその場所を自分の物にしたかった。

(……な、何でこんな展開なのさー!?)

 そんな状況だと言うのに、この少年――勇太は戸惑って呆然としながら、口をパクパクと動かしていた。

to be countinued….

カテゴリー: 01工藤勇太, sinfonia, 白神怜司WR(勇太編) |

sinfonia.16 ■ 兆し

蒼白に染まっていた顔色も元に戻り、緑色の瞳が真っ直ぐ凛を見つめていた。ベッドに腰掛けて苦笑を浮かべている勇太が、感極まって口を抑えたまま立ち尽くす凛は、目を潤ませ、徐々に表情を歪ませていく。

「勇太……」
「おはよう、凛」

 その言葉に、凛の緊張の糸がプツリと切れた。頬をぼろぼろと涙を伝わせながら、凛が勇太に向かって駈け出し、抱き着いた。「おぉぅ!?」と情けない声を出しながらその凛の身体を抱き止めた勇太だったが、気恥ずかしさから顔を赤くして凛の抱擁から逃れようと試みるも――。

「勇太、勇太……」

 ――そう言いながら涙を零す相手を、どうして引き離す事が出来るだろうか。
 勇太はそんな事を思いながら、凛の背中にそっと手を回した。

「ごめん、心配かけた、よな」
「まったくです……ッ」
「ははは……、でも、もう大丈夫だよ」
「……ホントに?」

 目を赤くしながら、何処か縋る様に勇太の胸元から勇太を見上げた凛に、勇太は思わずドキっと胸を高鳴らせながらも小さく微笑んだ。
 ようやく状況を理解したであろう凛が、安堵と共にみるみる顔を赤くしてパッと立ち上がり、勇太に背を向けた。

「ご、ごめんなさい」
「え、いや。別に良いんだけど……」

 涙していたせいか、凛は自分が感情に突き動かされたまま抱き着いていた事に気付き、それが恥ずかしくなって身体を離した様だ。そんな事をされれば、勇太も思わず先程までの行動を顧みてしまうのは当然であった。

 お互いに空白の時間を、ただ気恥ずかしい気持ちだけが埋め尽くしていた。

■■百合■■

 虚無の境界によって身体を変えられた――否、自分の意志によって身体を作り替えた私にとって、それでも人間らしくいられるのは彼のおかげなのかもしれない。

 工藤 勇太。

 彼と出会って、力に染まってしまった私ですら、アイツは人間として扱う。それが何だか、どうしようもなく私の感情を危うい物にして揺らしていた。時に苛立ちとして、時に懐かしさとして、アイツは私を揺さぶる。

 今回の騒動で瀕死の状態になったアイツを見て、私も取り乱してしまいそうだった。

 ――私は卑怯だ。
 目の前で混乱していた凛のおかげで、少なくとも冷静でいられた。もしもあの子がいなかったら、私があの子の立場を演じる事になっていたのかもしれない。

「――――」

 勇太の眠っている部屋の前で聞こえてきた声に、私は思わず表情を綻ばせていた。

 ――アイツが起きたんだ。

 そう思って中を覗き込んだ途端、私は声をかける事が出来ずに身を潜めてしまった。起きたアイツに、何かやましい所がある訳でもなかったのに。

 ――凛が勇太に抱き着いている姿。

 ――それを見て、私は何だか胸が苦しくなった。

 混乱。
 身体にガタが来たせいかと当惑していた私は、思わずその事実に焦りを感じていた。今までにこんな形で身体に苦しみを感じた事はない。締め付けられる様な痛みに、私は壁に背を預けて、胸の前でキュっと拳を握った。

 ――「慕っている」

 不意に、エストとかいう金髪の天使みたいな女に言われた言葉を思い出した。

 すでに普通の人間とは到底呼べない私が、アイツを慕っているのだとエストは言っていた。
 有り得ない。私はそんな感情を抱く様な人間じゃない。

 ――だけど、エストの言葉を思い出した途端、心臓が高鳴り、顔が熱くなっていく。

 ダメ。
 今の私じゃ、アイツに何て言えば良いのか解らない……。

 逃げる様に私は、足音を消してその場を去った。

□□IO2・楓□□

 虚無の境界が動き出したせいで、私の計画は破綻したと言っても過言ではない。
 クローン製作に挑み、超能力者を生み出す為の実験。五年前、虚無の境界が工藤勇太を使って行ったという実験を、私は成功させるつもりだった。

 そうすれば、馨の仇を取れる。虚無の境界が成し得なかった事を私の手で完成させ、そして虚無の境界を滅ぼせる。そう信じていた。

 しかし、私のプライベートアドレスに、一通のメールが送られてきていたせいで、私はその計画が完全に頓挫し、意味を失った事に気付かされた。

 ――『件名:愛する妹へ』

 何の冗談だ、と鼻で笑ってやりたかった。
 添付されたファイル名は、日付。そして写真ファイルである事を示していた。

 ウィルスの類ではないと直感が告げ、私はそのファイルを開いた。
 そこには、武彦と一緒に映る姉――馨の姿があった。

 ファイル名である日付は、二日前のデータだ。

「……姉さん……?」

『馨へ。
 長い間連絡が出来ず、今更こんなメールを寄越してきた姉をどう思うかは解らないわ。

 だけど、私は今こうして生きている。

 話したい事は色々あるけれど、メールだけで伝えるつもりはないわ。
 だから、彼にそっちに行ってもらう事にした。彼から話を聞いて』

 メールの内容を見つめた私は、不意に自室のドアが開かれて人が立っている事に気付かされた。

「……鬼鮫?」
「伝言を頼まれてな。お前の姉と、ディテクターからだ。『そのメールは本物だ』とよ」
「……バ、バカな事言わないでよ!」

 ――そう、このメールはただの悪戯だ。
 でなければ、どうして馨は――姉さんは私の前に姿を現さないのよ……。
 あんなに仲だって良かった。何でも話した。

 ――武彦だって、あんなに……。

「復讐なんざ、心すら晴れやしねぇもんだ」
「……経験者は語る、とでも言いたいの?」
「そう、だな。『クローン開発には手を出すな』。これも伝言だ」
「――ッ!」

 鬼鮫は告げる事だけを告げて、部屋から去って行った。
 残されるのは、いつも私ばかりだ。

■□馨□■

 宗は『もうここには戻らない。自由にしろ』とだけ走り書きにしたメモを残して、姿を消していた。
 相変わらず謎を多く残している男だ。私に解る事と言えば、あの人は何年経っても見た目が何ら変わらない事と、あの少年――工藤 勇太にあまりに似ている事だ。

 ――まるで、あの少年こそがクローンなのではないかと疑いたくなる程に。

 宗が言うには、あの少年とは『会う時ではない』そうだ。姿を消すついでに私を捨てていくなんて、何年も私をこんな所に繋ぎ止めていたクセに、ずいぶんと勝手な男だ。

 だけど、私に命を与えてくれた相手だ。
 宗は何とも思っていないかもしれないけど、私にとっては少なくとも敵ではない。

 いや、少なからず武彦とどこか“似ている”せいか、私は彼を信用していた。
 それは、「味方でいたい」と思う程には。

 閑話休題。

 楓からは返信が来ない。それもそうだろう、私は死んでいると思われているだろうし、私が連絡しなかったのは、宗を何処か信用しきれていなかったからだ。
 相変わらず、我ながら打算的な考えで楓を放置し過ぎた。その報いに、楓のビンタ数発は覚悟するべきだろう。

「よう、邪魔するぞ」
「あら、どうしたの?」

 武彦が声をかけてきた。昔からこの口癖は直らないのね。

「馨、勇太に宗の事を話すべきだと思うか?」

 相変わらず、甘い会話には発展しないわね。少しぐらい再会を喜んで抱きしめるぐらいの甲斐性は見せて欲しいけど。

「どうした?」
「何でもないわ。それよりも、まぁ黙っておくべきでしょうね」
「……やっぱりお前もそう思うか」

 これも昔からの癖ね。自分の考えは固まっていて、それを確認する為にこうして話し掛けてくる。

「宗はきっと、いずれ自分から会う時が来ると考えている。それは私達が介入する問題ではないと思うわ」
「……だな」
「フフ、相変わらずよね」
「あ?」
「何でもないわ」

 ここに楓がいてくれれば、きっと昔みたいに武彦の頭を小突いてたでしょうね。

 楓。
 どうか道を踏み外さないで。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「ゆ、勇太? こんな所で何を見せようと? まさか、今までに誰にも見せていない一面を見せて迫って来るなんて――」
「――もしもーし?」

 勇太に連れられて広い部屋にやってきた凛は、相変わらずの暴走を繰り広げつつ勇太に引かれていた。

「これなんだ」

 勇太が身体の前に手を出し、天井へと向ける。
 一瞬顔を歪ませた次の瞬間、凛は目を大きくむいて勇太の手から出された“それ”を見つめた。

「それ、は……ッ!」

 凛の胸が騒ぎ出す。
 勇太の目の前に具現化されたそれは、黒い光を放った球体。禍々しい尾を放ちながら、それが天井に向かって伸びては霧散されていく。

 見れば見る程に、その禍々しさに凛は表情を曇らせた。しかし勇太はそんな凛に向かって口を開いた。

「今回の件で、あの巫浄 霧絵とかって人には俺のサイコキネシスだけじゃ太刀打ち出来ない事が解った。もっと強い力が必要になるんだって。だから、この『負の念』を使おうと思う」
「ダメですっ! そんなものを使ったら、勇太が飲まれる危険性だってあります!」
「うん。だから、凛が必要なんだ」

 勇太が更に説明を続ける。

「俺が作れるのは、あくまでも擬似的な力。まだまだ巫浄 霧絵程の強さも量も足りない。それに、さっき俺が言った通り、これは『負』の――つまり、悪霊なんかと同じ類だと思う。だから、もしも俺が飲まれそうになったら、その時は凛に止めて欲しい」
「ですが……、そんな力を使わなくてもきっと!」
「守りたいんだ」

「え……?」

「俺は自分の力でみんなを守りたい。その為に、もっと強くなくちゃいけない」

 不安に表情を曇らせる凛へ、勇太は微笑んだ。

「凛も百合も、草間さんも鬼鮫もエストさんも、みんなみんな俺が守る。だから、これを使う為に協力して欲しい」

 勇太の瞳は、頑としてぶれない力強さに染まり、凛へと視線を注いでいた。

 ――こうして、勇太は新たな力を携えて虚無の境界と対峙しようとしていた。
 その裏で、虚無の境界とIO2が正面から衝突しようとしている事を、この時の勇太は未だ知らない。

                    to be countinued…

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sinfonia.15 ■ 目醒

 ――翌朝、無事に勇太の治療を施し終わったと知らされた百合達は、勇太の眠らされている部屋へと顔を出した。

 身体の具合までは確認出来ないものの、白いベッドの上に眠らされている勇太の顔を見て、武彦と凛、それに百合はほっと肩を撫で下ろした。

 そんな彼女達の前に、馨が歩み寄って来て状況を説明した。

「宗のおかげで施術は成功よ。でも、失った血や体力の事を考えると、完全に回復して目を覚ますまでにまだ時間がかかるわ」
「分かった。ありがとうな、馨」
「お礼なんて良いのよ。それより武彦、宗が貴方を呼んでる」
「俺を?」

 武彦の問いに、馨が頷いて肯定する。
 百合や凛に「行って来る」とだけ伝えた武彦は、馨と共に部屋をそのまま後にした。

「……勇太……勇太ぁ……」

 眠っている勇太の頬に触れながら、凛が震えた声で声をかける。
 霧絵によって攻撃を受けて以来、どこか取り乱し続けていた凛の姿を知っていた百合は、その姿に何も言わずに見つめていた。

 そこへ、遅れてエストがやってきた。
 相変わらずの金色の髪を揺らしながら、エストが携帯電話を片手に凛の近くへと歩み寄った。

「……凛、鬼鮫さんから連絡があって、一度戻って来いって言ってますよ」
「……でも……」
「勇太なら大丈夫です。私達は私達がやるべき事もしなくてはなりません」

 エストの言葉に、凛は何も言わずに勇太の頬に手を触れていた。

「……東京に戻るなら、送るわ。準備が出来たら部屋に来て。それと、エストって言ったわよね? 少し聞きたい事があるんだけど、良いかしら?」

 顎で外を指し示した百合に、エストが頷いて答えると、百合はエストを連れて自室へと向かって歩き出した。

 百合がエストを連れて出したのは、自身が聞きたい事があったのも事実だが、凛に対して気を回した事が大きい。
 勇太が傷付いて、一番取り乱していた凛を知っているからこそ、百合はそんな凛に対して二人きりにしてやるべきだと考えていた。

 それを知っていたからか、百合についてきたエストは小さく笑った。

「お優しいのですね」
「……勘違いしないで欲しいわね。別にあの子の為じゃない」
「そうですか」
「それより、IO2と一緒になって動いてるみたいだけど、これからどうするつもりなの?」
「どうする、とは?」

 自室に入り、百合がエストに向かって振り返った。

「IO2は勇太を利用するつもりよ。そんな連中と勇太を一緒にするっていうなら、私がアンタ達を許さない」

 百合の言葉に、エストは百合が胸にどんな想いを抱いているのか理解した。
 凛とは違う、勇太への特別な感情。
 それは恋愛感情なのか本人が解っていないのだろう。だからこそ、そんな言葉を堂々と口に出来るのだ。

 特殊な環境に身を置いていた百合には、恋愛がどうのこうのという感情を自覚する事は難しい。

 だからこそ、エストはそれを凛の為に気付かせずにいる事より、百合と凛の為に気付かせる方法を取ろうと考えた。

「それはどうでしょうね? 少なくとも、貴女の傍にいるよりは守れるかと思いますよ?」
「……私が裏切る、とでも言いたそうね?」
「それはないでしょう。慕っている相手を裏切る様な真似、貴女には出来ないでしょうし」
「……慕っている……?」

 挑発したエストの言葉に乗った百合だったが、不意な一言に思わず声を漏らした。

「気付いていない、のですね」
「あ、あ……、アイツは! アイツはただ昔から知ってるだけで!」
「それだけで、守る理由にはなりませんよ?」
「く、腐れ縁だからしょうがないの!」
「あらあら、徹頭徹尾冷静な方かと思ってましたのに、顔を真っ赤にして声をあげちゃって……」
「う、うるっさい! 別に何でもないんだから!」
「そうですか。では凛が彼と一緒になっても、一向に構わない、と?」
「――ッ!? な、何で勇太があんな女と!」

 一方、凛はベッドに眠る勇太に向かって静かに口を開いていた。
 烏の濡れ羽色、とはよく言ったものだ。美しく流れる黒い髪をさらさらと下ろしながら、凛は勇太の顔を見つめていた。

「……勇太、二度も叩かれてしまいました……。情けないですね、私」

 百合から、そして馨から。
 取り乱してしまった自分を思い出しながら、凛は自分の頬に勇太の手を取って当てた。

「……貴方が二度と起きないんじゃないかって、そう、思う……だけで……」

 再び、ぽろぽろと涙が溢れ、勇太の手を伝う。
 凛は自分の手で涙を拭いながら、勇太の手に戻りつつある温もりを感じながら、静かに目を閉じた。

「……私は、貴方がいないとこんなにも弱いんですね……。貴方の笑顔が見たい、声を聞きたい……。呆れながら、いつもみたいに私の手を引っ張って欲しい……」

 凛は思い返す。
 かつての凰翼島での出来事。そして、今回の出会いからの数日。

 工藤 勇太という少年がいる日々はあんなにも色鮮やかだったと言うのに、彼が倒れてからは世界はこんなにも息苦しく、灰色に染まるのだと。彼女は知らなかった。

「……強くなりたい、です……。勇太、貴方の傍にいられる様に、私は……」

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「失礼します」

 武彦が連れられてきた部屋は、勇太の部屋とはずいぶん遠く離れた部屋だった。
 しかし、武彦は連れられて来たその部屋で、宗の姿を見て声を失った。

 宗はベッドの上で座り、腕に点滴の針を通している。

「……あぁ、これが気になったのか」

 宗は腕から点滴の針を乱暴に引き抜くと、武彦を見つめて座る様に促した。馨は部屋に入るつもりもないらしく、そのまま扉を閉めて廊下を歩き去る。
 武彦が宗の近くにあった椅子に腰掛け、宗を見つめた。

「体調が悪い、のか?」
「なぁに、血を多く抜かれただけだ。心配してもらうまでもない」

 何処か不思議な雰囲気を放った宗に、武彦は口を開こうとはしなかった。
 否、正確に言うならば、何処まで踏み込めるのかを確認する様に、思考を巡らせていたのだ。

「下手な探りはよせ。今は単刀直入に気になる事を聞いてくれば良いさ」

 先手を打ったのは宗だった。
 武彦も、さすがにそう踏み込んで来るとは考えていなかった為に虚を突かれ、思わず戸惑いを顕にした。

 しかし、そう言ってくれるのであれば武彦も引く気はない。

「虚無の境界とお前の関係は? それに、お前は一体何者だ?」

 率直な質問に、宗は小さくククッと笑った。「やはりそこが気になるか」と言いながら、灰皿を顎で示す。

「一本、もらえるか?」
「…………」

 宗の一言に、武彦は煙草を一本取り出し、宗に手渡した。自分も煙草を咥え、互いに火を点けてから紫煙を巻き上げる。

 紫煙を見つめつつ、宗は小さく口を開いた。

「虚無の境界は、俺にとって大事な『実験場』でな。色々と協力する代わりに、データ収集に役立ってもらっている。まぁ言うなれば、ビジネスパートナー、といった所だろうな」
「……何を――」
「――おっと、その質問には答えるつもりはないな。それに、俺が何者か、という問いもだ。薄々気付いているんだろう?」

 宗の言葉に、武彦は思わず言葉を飲み込んだ。

 勇太の治療に、宗の血液。似ている雰囲気に声。
 間違いない、という確信はあるが、それを口には出してはいけない。そんな気がするからこそ、武彦は口を噤んだ。

「……今は未だ、機は熟していない。俺とアイツが会う時ではないのさ」
「何故だ……? 何故――」
「――それはどっちにしても答えるつもりはないな。昔の事を問われても、今の事を問われても、だ」

 全て武彦が言おうとしている言葉は宗によって遮られていた。
 会話の主導権を握らせず、自分が口に出来る情報のみを選別して会話の流れを切る。そんな真似が出来るのは、よほど頭の良い人間しかいない。

 つまり武彦は、宗の評価をそう上方修正させるしかない。

「一つばかり言っておこう、ディテクター。虚無の境界程度に、アイツを渡す様な真似はしないでくれよ?」
「そんな事、お前に言われるまでもないがな」
「それは重畳。俺はこのまま姿を消すつもりだ。またいずれ、会おうじゃないか」

 それが、武彦と宗がその日に交わした最初で最期の言葉だった。

 次に会う時、武彦は悔いる事になる。
 どうしてこの時、自分はこの宗という男を『殺さなかったのか』と。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 百合に連れられて東京へ戻った凛とエストは、IO2の上層部へと今回の騒動の報告をするつもりだった。
 しかし、鬼鮫との会合から数分後、その状況は大きく変わってしまった。

「報告します。新宿、原宿、銀座。主要部が陥落しました……」
「……やはり、か」

 鬼鮫はその報告に言葉を失った。
 事情を聞いていた百合と凛、エストはその言葉を聞いて現状を初めて知った。

 あの渋谷での騒動は、既に東京に蔓延している。
 虚無の境界の動きは激化の一途を辿っていたのだ。

「エスト、お前はこっちに残ってくれ」
「はい、分かりましたわ」
「護凰 凛。ディテクターと勇太と一緒に動いて、俺と連絡を取りながら別行動しろ」

 IO2に所属する者としては異例の命令である事に凛は思わず息を呑んだ。

「アイツが目を醒ますまで、俺達が街をどうにか守ってやる。起きたらしっかり働いてもらうって伝えとけ!」
「……はい! 帰りましょう、百合さん」
「分かったわ」
「気をつけるのですよ、凛」
「はい。エスト様も……!」

 百合が凛と共に再び研究所へとその場から転移を開始した。

「……あんなガキ共に託すには、ちょっとばかり大きな問題だがな」
「でしたら、私達でどうにか小さくしてみましょうか」
「……あぁ。行くぞ!」

 百合と凛は、研究所に戻るなりすぐに武彦に状況を報告した。
 既に虚無の境界が動き出している事に、武彦も苦々しげに表情を歪ませていた。

「クソ、動き出したか……!」
「落ち着いて、武彦。今は焦っても仕方ないわ」
「……あぁ、そうだな……」
「百合ちゃん、薬を新しく作り変えたから、それを服用してちょうだい。経過観察も必要だから、勇太クンが寝てる間にやる必要があるわ」
「分かったわ」
「……凛、勇太についてやっててくれ」
「はい」

 それぞれに散って歩いて行く中、武彦は何かを考え込む様にポケットに手を突っ込み、一人外に向かって歩いて行く。
 凛は勇太の眠っている病室に向かいながら、心に抱えた不安に怯え、胸元で自分の手を小さく握った。

 ――こんな時に、勇太さえ起きていてくれれば……。

 強くなりたいと願いながらも、凛はそう思わざるを得なかった。
 そんな自分を払拭する様に、凛は頭を振って勇太の眠っている部屋のドアを開けた。

「……凛……」

 ――その声は、聞き間違えるはずもない彼の声だった。

                        to be countinued…

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sinfonia.14 ■ 『宗』

――人里から離れた孤島にある研究施設。
 相沢 馨はその患者の状態に、ではなく、その顔に驚いて目を大きく開けた。

「……ッ、工藤 勇太……!?」
「馨、時間がない! どうにかこいつを助けられないか!?」
「それより、宗はいないの!?」

 武彦と百合が馨に向かって詰め寄る。しかし、馨は表情を曇らせる。
 エストと百合、そして泣きじゃくる凛と武彦。その姿を見て、馨は意を決した様に声をかけた。

「とにかく、そこに寝かせて! 今から簡単に処置して培養カプセルの中で休眠状態にまで生存レベルを低下させるわ」

 馨の言葉に、全員の視線が交錯し、馨に向けられた。様々な言葉が発せられようかと言う所で、馨は自身の手を机に叩きつけた。

「くだらない詮索してる場合じゃないでしょう! 殺したいの!? 助けたいの!?」

 馨の怒声にも似た声に、武彦達は我に返って馨の言う通りに勇太を寝かせた。馨がマスクをつけ、白衣の袖をまくり、消毒用エタノールを手に付着させて手袋をつけた。

―――
――

 培養器の中、トランクス一枚の姿になった勇太が、酸素マスクをつけて黄色い液体の中に佇んでいた。
 その横にある意識レベルを計るモニターに異常は見られない。かろうじて一命は取り留めた状態だ。

「――だけど、皮膚の欠損箇所が激しすぎる。幸い今はこうして培養器の中で生存状態を保っていられているけど、細胞が死滅していて、再生は見込めないかもしれないわ」

 馨の淡々とした口調に、その場にいた誰もが俯いていた。
 凛はさっきからずっと長い髪を項垂れている頭から下げ、百合は下唇を噛んで悔しさを滲ませている。武彦も紫煙を吐きながら培養カプセルの中にいる勇太を見つめ、エストはそっと凛の肩を抱き寄せた。

「武彦。事情を説明して。何故こんな事態になっているのか。それに、どうしてここに連れて来たの?」
「それは私から説明するわ」

 百合が馨に向かって口を開き、あらましを静かに語り始めた。

 百合は全てを語った。
 虚無の境界とぶつかり合い、武彦を庇う為に勇太が動いた事。そして、勇太の身体を貫いたのは、紛れも無い巫浄 霧絵による攻撃だった事。

 それらを聞いて、馨はようやく勇太の傷の欠損状態が異常である理由を知った。

 これは武彦の銃にも言える事なのだが、呪物を用いた武器や攻撃は、人間の細胞を死滅させ、その箇所を壊死に至らせる。
 まして、巫浄 霧絵は呪詛を使った召喚に等しい攻撃方法を用いて戦うのだ。だからこそ、勇太の細胞は復元しようともしない。

 術中に壊死しかけた周辺の皮膚をも切り取る事になったが、これは馨の判断が正しかったと言える。もしも放っていれば、じわじわと壊死箇所が広がっただろう事は間違いなかった。

「……分かったわ」

 百合の説明に、馨が小さく頷いた。

「これから宗に連絡を取ってみる。彼ならこの状況を打破出来るはずよ」
「信頼出来るのか?」

 武彦の疑問はもっともだった。
 虚無の境界すら利用しようとする男。その危険性は、具体的に何が目的か解る虚無の境界よりも、潜在的に高いと言える相手なのだ。

 楓の一件を考えれば、勇太の身体を他人に任せるのはリスクも伴う事は、武彦にも解っているのだ。

「ある意味じゃ、ここにいる貴方達全員よりも、彼――工藤 勇太クンに生きてもらいたい存在かもしれないわね」
「どういう意味だ?」
「とにかく、彼はきっと来るわ。貴方達は別室で休んでて。話を聞く限り、酷い戦いだったんでしょうからね。百合ちゃん、貴女は案内出来るでしょ?」
「わ、私は嫌です! 勇太の、勇太の傍にいたい……!」

 乞う様に涙を溜めて見上げる凛に、馨はキッと目つきを鋭くさせて歩み寄り、右手で凛の頬を勢い良く叩いた。

「――ッ!?」
「泣き喚いている人間が近くにいても迷惑なのよ。彼の為を思うなら、その甘ったれた感情で私に乞う以外にもやれる事はあるでしょう?」

 痛烈な一言。凛はおろか、その場にいたエスト達でさえ馨の言葉には誰も反論しようとしなかった。

「百合ちゃん。お願い」
「……分かったわ。こっちよ」

 百合に連れられて、凛達はその場から離れて歩いていく。最期に武彦と擦れ違う瞬間、馨は静かに口を開いた。

「……酷い女ね、私。あんなまだ若い子相手に……」
「いや……。嫌われ役を買わせて悪いな」
「いいのよ。それが、私だけで唯一出来る事だもの」

 馨の肩に触れていた手はもう一度だけポンと馨の肩を叩き、離れて行く。
 武彦が凛達に続いて部屋へと案内されていった。

◆◇◆◇

 孤島の研究所。
 ここは本島から遠く離れた場所ではあるが、それでも設備などに関しては最新機材が置かれていると言っても過言ではない。

 とは言え、研究区画以外は申し訳程度に改装され、ちょっとした不気味な雰囲気が漂う古めかしい造りではある様だ。
 歩いている最中、エストは「不浄がいます」と告げて浄化する光を放ってみせたが、そのせいか不気味さは消えてくれた様だ。

 百合に案内された武彦達は、改装された室内に集まっていた。
 セミダブル程度のベッドが二つ並んだ、テレビのないホテルの一室、といった所だろうか。
 ベッドにはエストと凛が隣りに並んで座り、ソファーには武彦が灰皿と共に鎮座し、向かい合う様に百合が座っていた。

「鬼鮫の奴に任せてきちまったものの、アイツも心配だろうな」

 武彦が呟く。

 霧絵達、虚無の境界が去った後で、百合は急いでこの場所に扉を繋いで飛んできた。鬼鮫は事後処理を兼ねてIO2の職務に戻りはしたが、あれだけの激しい戦闘の後では動けないだろう、と武彦も踏んでいた。

「下手に私がIO2と関わってもロクな事はないでしょうしね。どっちにしても、勇太だけでも連れて飛んで来るつもりだったわ」
「勇太は、助かるんでしょうか……?」

 凛の言葉に、再び沈黙が流れる。
 まだ研究所を離れて十分程度。宗と呼ばれる男が元々待機しているとも思えなかった武彦ではあったが、静かに待っているだけ、というのはなかなか耐えられるものではない。

 勇太は自分を庇った。それが、武彦の心を強く揺さぶっていた。

「……馨と話してくる。すぐ戻る」

 紫煙を吐き出して、武彦がソファーから立ち上がって歩き出す。凛もそんな武彦に付いて行こうと口を開くが、先程の馨の言葉が胸に突き刺さったのか、言葉を飲み込んで俯いた。

 武彦が部屋を後にした所で、再び沈黙が流れる室内。

 百合も凛も、エストでさえも勇太の傷から復活するのはほぼ不可能だと考えても仕方ないとすら感じていた。
 それでも、今は馨達にすがるしかない。だからこそ、その沈黙は重く、息苦しいものだった。

「……凛、とか言ったわよね」
「……はい」
「アイツは死なないわよ。言っておくけど、強いわ」
「……知ってます」
「だったら、今は寝ておきなさい。アンタは人間でしょ」
「……え……?」
「アタシはお世辞にも、純粋な人間とは言えない身体。睡眠なんて取らなくても問題ないわ。だけどアンタは違う。ゆっくり休んで、次に備えるしかないのよ」

 百合の言葉に、凛は逡巡する。
 かつて凰翼島で勇太から聞いた、『敵だった女の子』。それが彼女なのではないか、と女の勘が告げる。

「……貴女は、勇太の敵ですか?」
「元、ね。今は……。少なくとも敵ではないわ」
「味方、とは仰らないんですね」
「……アイツがそれを許してくれても、アタシがまだそれを認められる立場じゃないのよ」
「…………」

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 再び戻ってきた武彦の視線に、馨と並んで話している男の姿があった。黒い髪は何処か特徴的なツンツンとした髪。それでいて、整った顔立ち。
 どこかで見た事のある顔。それが、武彦の最初の印象であった。

「……武彦」

 馨の言葉に、男が振り返る。サングラスをかけた男はそれを外そうともせずに、再び培養カプセルにも似た中で眠る勇太を見つめた。

「では、宗。言われた通りにやっておきます」
「あぁ。一日で出来るだろう」

 馨がそう言ってその場を離れていく姿を見て、武彦は宗へと歩み寄る。

 これが、武彦と宗。二人の長い因縁の始まりとなる。

「……宗、か?」
「IO2ディテクター、草間 武彦か。アンタの様な大物に知られているとは、光栄に思うべきか厄介だと苦い顔をするべきか、計りかねる」

 振り向きもせずに宗は皮肉を言い放った。
 その声ですら、どこか聞き覚えのある声に似ている。

「……今はどちらでも良い。勇太は――いや、こいつは助かるのか?」
「培養状況にもよるが、今すぐカプセル内の液体を抜いて放置しない限りは生きていられる。それを助かると言うなら、もう助かっているって言えば良い」
「そんな事を聞いている訳じゃない」
「解ってるさ」

 ククッと笑うその姿に、武彦は心の中で小さく身構えた。
 自分の正体を知り、虚無の境界とも繋がる男、宗。しかし、一切自分に対して気取られるつもりもないのか、すぐ隣りにいても緊張感すら漂って来ない。

 まるで、正体を知っているが、「それがどうした?」とでも言わんばかりの余裕を見せつけられている様だ。
 故に武彦はいつも通りに接する事が出来ず、すぐにでも動ける様に僅かに腰を落としていた。

「……そんなに緊張するな。今のお前達にちょっかいを出すつもりはない」
「今の……? それはいずれが来るって事、か?」
「さぁな」

 宗が小さく笑い、踵を返して歩き出す。

「そいつなら助かる。まぁ、施術を終えてからまた話でもしようじゃないか」

 不思議な雰囲気を放ちながら、宗は武彦に背を向けて歩きさって行くのであった。

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sinfonia.13 ■ 「守るって決めたんだ」

状況は押され気味。
 凛はその現実を受け止めながら、エストと共に魑魅魍魎が跋扈する渋谷の街で戦闘を繰り広げていた。

 ファングと鬼鮫の戦いは、下手に助力しようと飛び出せば自分の身が危ない。
 その上、魑魅魍魎は相変わらずの増殖を続け、人々を食い荒らす様に暴れていた。

 渋谷にいた数千という人々が魑魅魍魎に喰われてしまったのだ。この現実を鑑みれば、虚無の境界が本気で動き出そうとしている事は火を見るより明らかだ。

 まず確実に、この場を握られたらまずい。

「ぐ……っ!」
「どうした、ジーンキャリア。その程度か!」

 鬼鮫は既にファングによって傷を受けていた。
 横腹を斬り裂いた、赤を滴らせる銀の刃が振り下ろされる、その瞬間――。

 ――突如の銃声が鳴り響き、ファングの足元へと撃たれた。

 武彦が銃を構え、煙草を咥えたままファングを睨み付けていた。

「……ッ、ディテクターか……」
「おいおい、鬼鮫。ずいぶんとらしくないな」
「チィッ、おまえに助けられるとはな」

 鬼鮫が後方に飛び、その先に立っていた武彦の横に並ぶ。

「状況は分かってるのか?」
「あぁ。勇太のトコにも援護が行った。大丈夫だろうよ」
「だったら、こっちはこっちで片付ける事になりそうだな」

 鬼鮫と武彦が互いに構え、ファングを睨み付ける。

 弾ける様に飛び出したのは鬼鮫だった。
 白い独特の柄をした日本刀を手に、ファングへと強襲をかける。ナイフで受け止めるのは酷かと悟ったファングが隣りへ飛ぶと、銃声が響き渡った。

 三発の銃弾がほぼ一斉にファングの身体に向かって飛び、その銃弾をファングを睨んだ。

 本来であれば、ファングに銃弾は通用しない。しかし、武彦の放った銃弾は、普通の銃弾とは違う“何か”をファングへと感じさせた。

 この判断が功を奏した。
 ファングは更にもう一歩奥へと脚を踏み出し、その場から跳んで距離を稼いだのだ。

 武彦の放った銃弾が接着した地面。半径一メートル程度の範囲を凍り付かせた。

「……なるほど、実に厄介な武器だな」
「チッ、受け取ってくれても良かったんだぜ?」
「遠慮しておこう。あれは俺でもさすがに厳しくなるだろう」

 圧倒する戦いを見つめながらも、凛は魑魅魍魎をエストと共に祓っていく。

 事態は確実に良い方向へと向かっている。
 そんな考えが浮かんできた凛は、先程より少しばかり表情を明るくさせた。

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 ――その一方で、勇太と百合の戦いも激化していた。

「いっくぞー!!」

 勇太の掛け声と同時に、周囲に散っていたガラスが浮かび上がり、その切っ先を霧絵に向けた。
 途端、数十とも言えるそれらが霧絵の身体目掛けて飛び出す。

 霧絵もそれを予測していたのか、ズズっと足元から這い上がった黒い影に呑まれて姿を消し、飛び掛かる刃の雨から姿を消した。
 再び霧絵が鞭を振るう瞬間。百合の手からサイコジャベリンが具現化され、霧絵に襲い掛かる。

「く……ッ!」

 攻撃に転じようとしたその動きを制動出来ず、霧絵がバランスを崩してその場に倒れる。ギリギリで避けた上空を念の槍が駆け抜ける事になったが、その倒れた上空に影を感じて霧絵が顔を上げた。

「喰らええぇー!」
「――ッ!」

 勇太の手に具現化された手の平大の球体。重力球が倒れ込んだ霧絵の身体に突き刺さる。
 ミシミシと鈍い音を立てながら圧迫される霧絵の腹部。そして、その勢いに負けてコンクリート製の床が砕け、砂塵を巻き上げる。

 勇太と百合は一定の距離を保つ様に後方へと飛び退き、砂塵が消えるまでの様子を見つめて腰を落とし、すぐに動ける様に構えた。

「……フ、フフフ……フフハハハハ……」

 砂塵の向こう側から聞こえる声に、勇太と百合は戦慄する。
 禍々しい程の空気。黒い怨霊が具現化し、砂塵を切り裂いて周囲を舞った。

 砂塵の向こうに姿を現したのは、倒れたままの霧絵。しかしその笑い声は消えず、今なお響いている。

「厄介なヤツ……! こうなったら――」
「――ッ! 待ちなさい、勇太!」
「え?」

 百合が勇太に抱き付く様に飛びかかり、その場からテレポートしてビルの外へと飛ぶ。

 瞬間、勇太達がいたビルから爆発が舞い上がり、ビルが倒壊を始めた。

「な……、なんだよ、それ……!」

 ビルの外に立った勇太は落下してくる瓦礫を防ぎに、念障壁《サイコバリア》を張り、それらから自分と百合を守った。障壁に阻まれた瓦礫が次々に周囲を埋め尽くしていく。

「どうなってるんだ……!? 自爆したのか!?」
「あれは多分偽物よ」
「偽物……!?」
「とにかく、離れましょ」

 瓦礫の倒壊から逃れる為に勇太と百合は駆け出す。

「盟主――いえ、巫浄 霧絵の能力は、怨霊を操る力。膨大なエネルギー体となってその身体に過剰に霊力を集中させて周囲を巻き込んで爆発。それをさせる事が出来るのは、分身体のみ」
「だったら、本物は近くにはいないって事か?」
「いえ、稼働限界の距離があったはずよ。確か、動けても数キロ圏内。つまり、本物は確かに近くにいる」

 百合はこの霧絵の能力を知っていた。
 あまりに強力な力と、本物と違わぬ容姿を持つ分身体を使えばIO2を葬る事は容易いのではないか、と考えた虚無の境界の幹部達が霧絵にその技の事を聞いたからだ。

 結果として、何体も数を出せない事と、距離に限界がある事。その制約下にある事から実際に使われるには至らなかった。

 ――「使えるとしたら、囮ぐらいかしらね」

 クスっと笑った霧絵の表情と言葉を思い出して、百合が顔を青ざめさせて立ち止まる。

「どうしたのさ?」
「そうか……そうだった……!」
「お、おい。百合?」
「巫浄 霧絵の今回の標的は、アンタじゃない……。多分……――」
「――……草間さん、達!?」

 勇太の言葉にコクリと頷いた百合を見て、勇太が一瞬唖然とする。
 自分がターゲットになる事ばかりを考えていた勇太にとって、これはマズい状況だ。

 勇太が急いで百合の手を取り、凛達の近くへとテレポートする。

◆◇◆◇◆◇◆◇

「凛! エスト様!」
「勇太!?」

 テレポートして姿を現した勇太が、慌てるように凛とエストに向かって声をかけた。

「勇太、その怪我……。それに、貴女は……?」
「敵じゃないわ」
「うん。怪我なら大丈夫だよ。それより凛、草間さん達は?」
「あちらで戦ってますよ」

 エストが光を放って周囲を一掃して振り返った。

 混戦状態で、それも長期戦。エストでさえ疲労しているだろう事は、その肩を上下させながら息をしている事で勇太も気付いた。

「百合、俺は草間さん達のトコに行く。凛達をお願い」
「ちょ、ちょっと、アンタ! 何を勝手に!」

 百合の声を無視するかの様に勇太が走り出した。

 勇太と百合。二人はテレポートがある為、なんとか逃げる事も出来る。ならお互いに二人に分かれるべきだろう。
 勇太はそう思って百合を残したのだが、当の百合と凛はどこか複雑そうな顔をしていた。

 もちろん、勇太はそれには気付かないが。

 勇太が走って行く先で、武彦と鬼鮫がファングと対峙して戦っていた。
 ファングと言えど、さすがに二人を相手にして無事でいられる訳ではなかった。その身体には血が流れ、ところどころに切り傷などが目立っている。

「……え……」

 勇太が武彦を視野に入れると、背後からまっすぐ黒い何かが武彦に向かって伸びる。

 ――黒い槍の様な何か。
 それが霧絵の攻撃だと勇太が気付くのに、時間は要らなかった。

「駄目だーー!!!」

 勇太がテレポートして武彦の真後ろに飛び出し、サイコバリアを展開する。
 テレポートして飛ぶには間に合いそうもないと判断した勇太だったが、その判断は甘かった。

 回転しながら抉り出す様に障壁を打ち破り、勇太に襲い掛かる。

 甲高いガラスが砕ける様な音。

 その音に反応した武彦が振り返る瞬間、勇太によって身体を押され、横に倒れ込む。

「間に合った……――ぐッ!!」

 勇太の脇腹を貫いた、黒い槍。

「――ッ、勇太ぁぁ!!」

 武彦が振り返り、勇太を支えようと手を伸ばした瞬間、勇太の身体を貫いたその槍は勇太の身体を引き、伸びてきた先へと戻っていく。

 勇太達を追ってきた百合達も、勇太が黒い槍に引き寄せられ、力なく崩れたまま宙に浮いてる姿を見て息を呑む。

「そ、んな……」
「……い、いやああぁぁぁ!!」

 エストの言葉と、凛の叫び声。
 そして武彦と鬼鮫の視線の先には、勇太を目の前にして微笑を浮かべた巫浄 霧絵の姿があった。

「予定通り、とはいかなかったけど。これはこれで良い収穫ね……」
「そうはさせない!」

 一瞬の隙を突き、百合が勇太の目の前に姿を現し、勇太の身体を転移させて引き寄せ、後方に下がる。そんな百合とすれ違う様に凛が飛び出し、霧絵に向かって飛び掛かる。

「よくも勇太を!!」
「フフ、邪魔よ。お浄ちゃん」

 霧絵の足元から影が飛び出し、刃となって凛へと襲い掛かった。しかしそれも虚空を斬り裂き、凛は百合によって引き寄せられていた。

「放せ! アイツを殺す! 勇太を、勇太を傷付けた!」
「熱くなってんじゃないわよ!」

 凛の頬を百合がはたいた。

 一瞬の静寂。百合と勇太、そして凛を守る様に武彦と鬼鮫、そしてエストが間へと立ち塞がり、霧絵を睨み付ける。

「……百合、どうだ?」
「まだ息はあるわ」
「……チッ」

 武彦の視線が殺気を帯びる。睨んだ先に、ファングが歩み寄り、武彦達を見つめた。
 一触即発。正にその空気になろうかと言う所で、霧絵がファングに声をかけた。

「行きましょう、今日はこれで十分よ」
「……はっ」
「残念ね。もうその子は助からないわよ?」
「フザけんな……!」

 怒りを浮かべる武彦を見つめながら、霧絵達はズズッと闇に呑まれる様に姿を消した。

「……去った、か」
「勇太……勇太ぁ……」

 ボロボロと涙を流す凛の横で、エストが勇太の身体を神気を使って守ろうと試みる。

「何とか時間は稼げます。ですが、この状況は……」
「今すぐ病院に――」
「――無駄よ」

 武彦の言葉に、百合が口を開いた。

「アイツなら、“宗”なら何とかしてくれるかもしれない」

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