sinfonia.12 ■ prelude―Ⅱ

――焦り。心が揺れる。
 勇太はさっき目の当たりにした犠牲者達が倒れている姿を思い出し、妙な興奮状態に襲われていた。

「早く人を助けなくちゃ、もっと人が死ぬ……!」

 テレパシーを使っているせいで、脳に直接聞こえてくる悲痛な人々の叫び。早くテレパシーを解きたいとすら思いながらも、生きている人の反応に気付いた勇太は、混乱の中で避難出来なかった近くのビルの中へと飛ぶ。

 能力を使っている事を知られても、この際仕方ないのだと気持ちを割り切りながら飛び続ける勇太は、取り残されている人々を離れた公園に連れて行っていた。

「――ッ、子供!?」

 女の子の声。「怖い」と何度も叫ぶその心の声は近い。
 外が見えるガラス張りの廊下を勇太は駆け出そうとしていた。

「クソ……。何処に――」
「――お久しぶり」

 耳元に聞こえてきた声に、勇太の背筋を悪寒が駆け抜ける。慌てて飛びながら、振り返った勇太は、思わず目を見開いた。

 背筋を嫌な汗が伝う。
 テレパシーを使っているにも関わらず、声を聞くまで存在に気付けなかった相手。
 そして、見覚えのある妖艶な笑み。

「……巫浄 霧絵……ッ!」

 勇太に声をかけてきたのは、五年前と何一つ変わらない姿をした、巫浄 霧絵その人であった。

「フフ、憶えていてくれるなんて嬉しいわね。ずいぶんと大きくなったわね。さすがは男の子」
「……ッ、これはお前らの仕業なのか!?」

 一瞬の怯みから気持ちを奮い立たせ、勇太が声をあげた。

「……フフ、良い顔ね」

 相変わらずの掴めない雰囲気に、その冷たい眼差し。
 勇太の心を見透かす様な瞳。

 笑顔を浮かべているにも関わらず、その瞳は一切笑っていない。

「その顔に免じて教えてあげる。これは私の指示で始めた事よ」
「何でこんな真似を……ッ!」
「“何で”?」

 勇太の質問に、霧絵はクスクスと肩を揺らして嗤った。

「何が可笑しい!?」
「可笑しいわね」

 霧絵の目が大きく見開かれ、勇太をギロっと見つめた。その姿に思わず勇太の身体が強張る。

「五年の約束を忘れた訳じゃないでしょう? それとも、生温い生活のおかげですっかり緩んじゃったのかしら?」
「な、何を……!」
「五年の間に、ずいぶんと人を信じる様になったのね。でもね、そういう感情を持たれると、私達の計画には邪魔なのよ」

 圧倒的な殺気に、勇太の身体が強張った。

「そうね……、凛と言ったかしら? 手始めに、あの子と一緒に壊しましょう」
「……あの、子?」
「えぇ。百合と一緒に、凛って子も壊してあげましょう」

 勇太の時が止まった。

「……え……?」
「裏切り者の彼女も、もう用はないものね」
「……フザけんな……」
「絶望はね、ちょうど良いスパイスなのよ。心を壊す為の、ね」
「フザけんなぁ!」

 勇太が霧絵に向かって飛び出そうとした次の瞬間、周囲に突如現れた魑魅魍魎が一斉に勇太に向かって飛び出した。

「邪魔だぁ!」

 サイコキネシス。
 粘液状の彼らを弾き飛ばし、壁に叩き付ける。しかし、ズルズルと壁から滑り、再び勇太に近寄る。

 続いて勇太が念の槍を使い、更に追撃を成功させるが、身体を貫いてもあっさりと抜け出して動き出した。身体の形状から、どうやら打撃も斬撃も意味を成さない様だ。

「だったら、サイコジャミングを……――!」

 精神攻撃をしかける勇太。しかし、すぐに勇太はサイコジャミングを解いた。
 失敗に終わったのだ。

「凰翼島の時と一緒か……。どうしたら――」
「――迷っている暇なんてないわよ?」

 再び耳元で聞こえてきた声。そして、悪寒が身体を走り抜けると同時に、勇太の右の脇腹に衝撃を受ける。
 衝撃と共に吹き飛ばされた勇太が、恐らく蹴られたのだろうと当たりをつけながら声の主である霧絵へと振り返るが、既に霧絵の姿はそこになかった。

「な……っ!」
「こっちよ」

 背後から聞こえた霧絵の声に、勇太は慌ててテレポートして着地位置を変え、自分が飛ばされていた先に霧絵が立っている事に気付いた。

 勇太の疑問は三つだった。

 ――一つは、霧絵の目的。

 もしも勇太を捕らえるだけなら、既にチャンスは何度か訪れている。にも関わらず、その素振りがない。

 ――もう一つは、気配がないと言う事。

 テレパシーを使っているのに一切の気配を感じないという事。どんな相手でも思念はあり、そこに存在していて当然であるのだが、それが霧絵にはないという事。

 ――そして、さっきから使っている、テレポートとも呼べる能力。

 この三つの疑問が、勇太の動きを鈍らせていく。
 攻撃に転じるか防御に転じるか。実戦経験の少なさと、不利な状況でサポートや判断出来る人間がいないという現実。

 圧倒的な現実を、勇太は霧絵によって叩き付けられたのだ。

「今の貴方はまだまだ。潜在的な部分には価値があるけど、何も出来上がってないわね」
「何だと……?」
「正直ガッカリしたわ、工藤 勇太。こんなものなら、まだ五年前の方が強かったんじゃないかしら?」

 霧絵の手に、黒い影が吸い寄せられ、鞭となって現れた。
 霧絵がそれを左右斜めに振りながら徐々に速度を上げ、突如勇太に向け鞭が振られた。

 避ける勇太の身体に変速的な変化を伴って襲い掛かる。

「――ッ!?」

 有刺鉄線の様な刺がついた霧絵の鞭が、勇太の肩を削る様に滑っていく。

「ぐっ……!」

 赤い飛沫。体勢を崩しながら、勇太は霧絵を再び睨みつけた。
 確実に避けたはずだったにも関わらず、鞭の軌道が大きく変わった事に、勇太は気付いていた。
 考えられる可能性としては、鞭そのものが自ら動いているのか、或いは霧絵がそう見せているのか。

 考えても判断しきれないと悟ったのか、勇太が反撃に動いた。

 しかし、突如横から視界の隅に入った黒い影に、慌てて勇太が横に飛ぶ。
 粘液状の魑魅魍魎が勇太の立っていた所へ飛びかかり、ベシャっと音を立てて潰れた。更に追い討ちをかけて魑魅魍魎が跳びかかるが、再び勇太がサイコキネシスで吹き飛ばし、弾かれて無様に落ちる。

 そこへ再び霧絵が振るった鞭が襲いかかり、今度は左足を削った。

「痛……ッ! クソ、魑魅魍魎さえいなけりゃ……」

 圧倒的に不利な状況。
 それでも今の勇太に「逃げる」という選択肢はなかった。

 ここで逃げれば、凛や百合が狙われる。

 そんな確かな予感を感じていたのだ。

「なら!」

 勇太がテレポートでビルの外へと飛び出て宙に浮き、ガラス越しに霧絵を睨みつけて手を翳した。

「っらぁ!」

 勇太の声にガラスが一斉に亀裂を走らせ、甲高い音を立てて砕ける。
 宙に吊り上がった凶器となったガラス片が、鋭利な面を向けて真っ直ぐその一体に突き刺さった。
 サイコキネシスを使い、割ったガラスで一面を攻撃したのだ。

 外から勇太が再びテレポートし、廊下へと戻った。

 廊下のガラスが割れ、辺り一帯に刺さったガラス。
 しかし、霧絵の姿は何処にもない。魑魅魍魎達も何処かへ移動したのか、その場から忽然と消えていた。

「……何処に……――」

 勇太が呟いたと同時に、霧絵の鞭が後方から勇太の身体に巻き付いた。

「ぐっ、しまった……!」
「あまり動くと身体に食い込むわよ? あんな小細工じゃ、私は死なないわ」
「ち……くしょう……!」
「このまま連れて行ってあげる。安心しなさい。もうちょっとでお友達とも会えるわ」

 クスクスと嗤う霧絵の声を聞きながら、勇太はもがいていた。

 身体には刺が刺さり、暴れるものだから徐々に食い込む。服が血に滲んでいく。

 このままじゃ、凛や百合が殺されてしまう。その気持ちが勇太を突き動かそうとしていた。血を流しながら、テレポートに挑戦してみるが、どうやらこの鞭のせいで使えないようだ。

「クソ……! 凛……!」

――「――残念だったわね、あの子じゃなくって」

 スパン、と音を立てて鞭が切られ、勇太の身体が解放された。

「……百合」
「百合!?」

 霧絵と勇太がその場に現れた百合の姿を見つめて声をあげた。

 黒いブーツにボーダーのニーソックス。白いフリルのついた黒いスカートに、黒いスパッツ。上着は灰色のパーカーと、その上からライダース系の革のジャケットを着て、手にはハンドガンとサバイバルナイフが握られている。

「……そう、もう隠れて動き回るのは辞めるというのね」
「えぇ。アナタにはもう、ついて行きません」
「クスリがなければ、死ぬわよ?」
「大丈夫です。しっかり対策は練ってますから」

 百合が勇太の隣りへと、霧絵を睨みつけながら歩み寄る。

「そういう訳で、協力しなさいよ」
「あ、あぁ……。それしても、俺よりも向こうの鬼鮫さんとかの方が……」
「心配いらないわ。あっちには“あの男”が行ってるもの」
「……あぁ、そっか。だったら安心だ」

 勇太の頬が小さく緩む。

「さ、ディテクターにあっちは任せて……。ここで叩くわよ」
「おう!」

 勇太と百合、五年前は敵同士だった二人が今、同じ敵を見つめる。

 しかし、霧絵は口角を吊り上げていた……――。

                   to be countinued…

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天国?地獄?

「初詣、かぁ……」

 頬を刺す様な冷たい風が吹き荒ぶ。
 新年早々、その寒い風に晒された勇太はマフラーをすっぽりと鼻まで包み、ポケットに手を入れて立ち尽くしていた。

 勇太は今、初詣に来ていた。

「寒いよ~、こたつ入りたいよ~」

 実に不満たらたらである。

 そんな勇太が何故初詣に来たのか。
 事の発端は、凛の提案であった。

◆◇◆◇

「勇太、私と初詣に行きませんか?」
「えー……、寒いから俺は良いよ~……」

 東京都某所、凛の住まうマンションにて。
 コタツに入りながら、勇太は正月番組を見つめながらそう答えたのであった。

「行きましょうよ、勇太ぁー」
「だって、初詣なんてしても今まで御利益なかったし……」

 不幸体質の勇太ならではの発想ではあったが、それはそうである。勇太の人生は、実に不幸が多い。
 もはやそういう星の下に生まれてきたのではないかと本人が諦めてしまっている節もあるのだから手に負えない。

「……そう、ですか。勇太は私と出掛けるのは嫌なんですね……」
「う……」

 隣りにふと目を向けると、伏し目がちに目尻を拭う少女の姿。

「嫌なら、無理に誘うのはいけませんね……。二年ぶりに会って、仕事ぐらいしか一緒にいられないから、なんて考えた私は、自分勝手ですね……」
「あ……あの~……凛さん……」
「良いんです。勇太が一緒にいられるなら、初詣なんて行かなくても。私の新調した振袖姿を見てもらいたかったのですけど、見せるだけなら、着て見せれば良いんですよね……」
「あー! なんか初詣日和だなぁ! うん! 初詣に行きたくなったなぁ! 誰か誘ってくれないかなー! あははは!」

 ヤケクソであった。

「行ってくれるのですか……?」

 ぱぁっと花を咲かせる凛の笑顔に、もはや勇太に断る事など出来るはずもない。

「うん。せっかくだし、ね……」
「~~ッ、じゃあ、先に待ってて下さい! あそこの大きな神社に行きましょう!」
「え、うん。良いけど、何で先に?」
「あ……、その……。もし、勇太が私の着替えている姿を見たいなら、私は見せても……――」
「――行ってきます!」

◆◇◆◇

「……ハメられた、のかも」

 そうは言いながらも、勇太は人々の行き交う姿を眺めて楽しんでいた。

 そんな勇太の近くで周囲から「おぉ!」とどよめく声が鳴り響いた。何やら視線が集中しているその先に、テレビの取材でも来ているのかと思いながら、勇太が何気なくそちらへ視線を移す。

「勇太、おまたせ、しました……」

 駆けて来たのだろうか、上気した頬。
 咲いた花の様な笑顔で、息を切らせ、長く綺麗な髪は後ろで結われ、意匠のこしらえられた簪でキュっと空を向いてまとめられている。
 質素な色合いばかりの印象が強い凛が、そのいつもとは違う柔らかな桃色をした華やかな振袖に、白いファーを首に巻いて歩いてきた。

 その姿に、勇太は思わず息を呑んだ。
 周囲の視線を釘付けにしていた凛が、勇太の前でくるりと回ってみせる。
 帯は派手過ぎない金色の物をつけ、帯紐の赤がその印象を強くさせる。

「似合って、ますか?」

 上目遣いに、どこか不安げな口調で凛が告げる。
 高鳴る胸に、勇太が照れ隠しに頬を掻いて頷いた。

「うん、似合ってる。そういう色も似合うんだな、凛」
「……有難う、ございます……」

 照れ隠しの勇太の言葉に、凛が顔を赤くして俯いた。
 いつもの凛とは違う遠慮がちな態度に、勇太が胸を高鳴らせながらも、どこか見惚れてしまう。

 勇太は気付いていない。
 凛は元々神社の娘であり、こういった場では巫女姿でしか訪れた事はない。
 もちろん、振袖は持っているのだが、もっとシンプルな青や淡い色しか持ち合わせていなかったのだ。

 そんな凛に、「そういう色“も”似合う」と言った言葉は、普段からそういう言葉を口にしない勇太ならではの破壊力を持ち合わせているのだ。

「ほら」
「え?」

 勇太が手を差し伸べる。

「人多くて、はぐれると困るからさ」
「……はい」

 キュっと勇太の手を取って、凛が笑顔を浮かべる。

 しかし、その光景を見つめて殺気を放つ姿があった。
 茂枝 萌である。

 その姿は、淡い黄色い振袖姿であった。
 髪留めもいつもに比べて華やかな物を使い、何度も櫛を通したであろう髪は、真っ直ぐ綺麗に下ろされている、

「……工藤 勇太、何を鼻の下を伸ばしているんですか……」

 一人で立ち尽くす彼女から放たれる異様な気に、周囲の人々は「ひっ!」と声をあげて避ける程である。

 萌がここに来ていたのは、鬼鮫からの監視命令が関係していた。

 人混みだからこそ、しっかりと監視しておけという鬼鮫の言葉に、どこか一緒に初詣が出来るのではないかと踊らせた期待。
 しかし、どう見ても前方で良い雰囲気になっている凛と勇太の姿に、今までに感じた事のない言い知れぬ怒りを感じていた。

「……良い身分ですね、工藤 勇太。私が監視をしているにも関わらず……」

 その言葉と笑みは、更に周囲との距離を空けていく。

 しかし、その近くでまさに同じ様な光景が広がっていたのだ。

「……勇太、ずいぶんと楽しそうにしてるじゃないの……!」

 赤い振袖に身を通し、ウェーブがかった髪は横に銀色の花をモチーフにした、意匠の凝らされた髪留めをつける少女、百合である。

 こちらは勇太の状況を密かに見に来たついでに、最近の虚無の境界との摩擦で疲弊した勇太を励まそうという心算だ。

 かくして、互いに周囲の人々を引かせた二人の間に人の姿は消え、お互いに目が合う。

「……これはこれは、誰かと思えばIO2の野良猫ちゃんじゃない」

 口火を切ったのは百合だった。

「貴女こそ、虚無の境界からこちらに寝返った蝙蝠さんですよね?」

 負けじと萌が百合に向かって噛み付く。
 ゴゴゴと音を立てながら、両者が睨み合うその背後に猫と蝙蝠の絵が浮かんで見える程であったと目撃者は後に語る。

「何してるのよ、こんな所で?」
「IO2の任務です。貴女みたいな人が対象を危険に晒すのではないかと危惧してますからね」
「へぇ、行ってくれるじゃない。言っておくけど、私は別にそんなつもりはないわよ?」
「どうだか。工藤 勇太に固執している節がありますからね」
「――ッ! そ、そんな事ないわよ! それに、それを言うならアナタも一緒じゃないの?」
「……どういう意味ですか?」
「IO2の斥候ともあろう者が、わざわざ振袖を着て潜入捜査してるとでも言うつもり? あわよくば一緒に初詣でもしようって言う魂胆でしょ?」
「――ッ! どうやら、ここでしっかり決着をつけるべきの様ですね……」
「言ってなさいよ。返り討ちにしてやるわよ……」

――「何してんの?」

 不意な声に萌と百合が振り返る。
 そこに立っているのは、乾いた笑みを浮かべる勇太と、明らかに勝ち誇った凛の姿であった。

「あ……、アンタこそ! 手繋いで何してんのよ!」
「私は任務で、その!」
「あらあら、可愛い振袖を着て普段通り振る舞うなんて、せっかくの晴れ着が泣いてしまいますよ?」

 最年長の凛の言葉に、萌と百合が押し黙る。
 この場において、凛が圧倒的に有利であるのは二人も分かっていた。無理に邪魔をして来る方法はないのだ、と。

 しかし、そんな凛の思惑を打ち砕いたのは、他でもない勇太であった。

「二人も初詣? へぇ、似合ってるなぁ」

 突然の褒め言葉に予想していなかった百合と萌が一斉に赤面しながら顔を俯く。

「~~ッ、な、何いきなり変な事言ってんのよ、バカ……」
「そ、そうです……。そんな、事、言われても……、私は……」
「せっかくだし皆で初詣しようか」

 こうして、凛の余裕は打ち砕かれ、三人は同等のスタートラインに立ったのであった。

 しかし、人混みは酷く、時間が経つに連れて密度は増す一方であった。
 はぐれない様に、と勇太の手を握り続ける凛と、それを見て対抗する百合が逆の手を取る。
 更に萌はそんな光景を見て、勇太の真正面を陣取るが、人混みに押されて勇太へと抱きついた。
 これは萌の誤算であったが、百合と凛の対抗心に火を点けた。

「その手が――」
「――あったわね!」

 何故か二人が同時にそう考え、凛が勇太の腕をギュッと抱き締める。
 突然押し当てられた感触に、勇太が顔を赤くして凛を見つめた。

「り、りりり凛、その……」
「ごめんなさい、人混みで押されてしまって……」
「そ、そうじゃなくて、その……」
「え? あぁ、着物ですから、つけてませんよ?」
「なっ――!!?」

 さらに百合が勇太の腕を上げ、勇太の脇の傍へ近付き、勇太の手を自分の腰に絡ませる。

「百合!?」
「う、うるさいわね。こうした方が離れずに済むでしょ!?」
「やっ、それっ、手が……!」

 百合の腰を回した手が、百合の腰に触れる。

「ちょ……、っと、動かさないで……。変な……」
「ひぃぃっ!」
「せまいー」

 更に萌が振り返り、今度は勇太の身体に抱き着く様にひっついて身動きを封じられる。

「ちょ、萌さん!? 抱き着くとかは!」
「う、動けないんですー!」

 萌が涙目になりながら勇太の胸元で顔をあげる。

「あ……っ、勇太、動いたらめくれて……」
「そ、そう言われても――!」
「――ひぁっ! そ、そこ、おし……」
「だ、だから俺の手を放してくれれば――!」
「ん、なんか当たってますけど、これ――」
「――だ、誰か助けてぇぇ!」

―――
――

 無事に参拝を済ませた勇太は、「平穏無事な年でありますように」と祈りながらも、その気配が既にない事に気が付き、深くため息を落とした。

「……はぁ、疲れた……」

 前方でガヤガヤと騒いでいる凛と百合、それに萌を見つめながら、勇太はガックリ肩を落として帰るのであった。

 そして、そんな勇太を見つめるもう一人の姿。

 金色の髪を束ね、淡い水色の振袖に身を通しているエヴァの姿。
 髪を下ろして一部を編み込んだ彼女は、クスっと微笑んで踵を返して歩いて行く。

「ニホンのお正月をエンジョイするぐらい、許してあげるわ♪」

 手に持っていたリンゴ飴を舐めながら、その日を休戦にしたエヴァは何処か楽しげな表情で歩き去っていくのであった。

                                  FIN

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sinfonia.11 ■ prelude

「――ったく、おっせぇなぁ」

 東京都渋谷。
 かの有名な犬の銅像が置かれた前、大きな交差点の近くで一人の青年が、待ち人への不満を一人で小さく口にした。
 約束から三十分程経っているにも関わらず、友人の女性は姿を見せなかった。

「ドタキャンとか有り得ねぇだろ……」

 苛立つ様子で青年は舌打ちしながら、スマホをポケットへと突っ込んだ。
 その瞬間、背を向けていた交差点側から、クラクションが鳴り響いた。

 唐突なクラクションの音に、野次馬達がザワザワと声をあげる。
 何事かと興味を惹かれた青年が野次馬を掻き分け、交差点を見つめる。
 二人の土気色の肌をした女性が、赤信号になった交差点に立ち尽くしている姿を見て、青年は思わず自身の目を疑った。

 交差点に立ち尽くす白いコートを着て綺羅びやかに着飾る女性は、彼の待ち人であった。

「おい、ユウ! お前――!」

 青年が慌てて交差点に躍り出ようとしたその瞬間、女性の口からズルリと這い出た黒い影が横断歩道の白の上に落ちた。
 周囲の想像しさが止まった途端、もう一人の女性の口からも同じモノと思われる黒い影が落ちる。

 その光景に愕然とした喧騒は静寂に包まれた。
 青年もまた、躍り出たその足を止める。

 しかし、その躍り出た彼の命運は、そこで尽きる事になった。

 這い出た影が、突如弾けるように飛びあがり、彼の身体を覆った。
 みるみる内に身体が飲み込まれ、黒い粘着性の液体のような影が青年“だったもの”を吐き出した。
 力なく飛ばされた青年を避け、人混みが割れる。

「――ひ……っ!」

 誰の声が皮切りになったのか、その青年の残骸を見た人々の口からは、悲痛な叫び声が生まれた。
 大きく目を見開き、口を開いた彼の身体は交差点上にあった女性と同じく土気色に染め上げられ、更に青年の口から、再び“それ”は這い出た。
 数が増えたのだ。

 這い出た黒い何かが、割れる人混みを次々と襲い、その数を着実に増やしていく。

 それはまるで、人が食われていくような光景だった。

 そんな光景をビルの上から眺めていた一人の男が、苦虫を噛み潰した様に顔を歪めていた。

「まったく、悪趣味な光景だ……」
「フフフ、何を言っているんですか。これは必要事項……。貴方のお眼鏡に適わないのは残念ですけど、大事な大事なコース料理の前菜ですわ」

 筋骨隆々の男。
 軍服にも似た服を着ていた短髪の男に、黒いローブにフードを被った女が隣りでクスクスと嗤いながら口を開いた。

「まぁ良い。骨のある奴が来たら俺が出る」
「えぇ、ご期待してますわ、“ファング様”」

 ――同時刻、IO2東京本部。
 突発した事態に、IO2本部はかつてない程の慌ただしさに見舞われていた。

「報告します! 現在、渋谷にて大量の詳細不明の“何か”が現れ、次々に人を喰らっているとの事です!」
「チッ、そっちもか!」

 指揮官の元へ次々と上がる報告に、指揮官は舌打ちをして返事をした。

「現在渋谷駅周囲五キロへの侵入を封鎖し、警察とも連携を取っています! しかし、マスコミの規制は……!」
「動画サイトにアップされてます! しかもあっちこっちからです!」
「クソ! エージェントは至急、第三級戦闘装備を携帯してバスターズと共に現地に飛べ! 生存者の保護を優先し、標的の正体を探るんだ!」

 怒声の響き渡ったIO2東京本部は、混乱の渦中に投げ込まれ、その機能を失いつつあったが、最優先事項に基づいた判断を下すのであった。

 騒がしかった司令室から蜘蛛の子を散らすように人が散った所で、司令官である男の耳に、軽快な乾いたノック音が届いてきた。

「誰だッ! この忙しい時に――!」
「――何事ですか?」
「と、統括管理官殿! 失礼しました!」

 姿を現したのは、上原 楓。
 茶色く長い髪を真っ直ぐ降ろし、目には四角いフレームのない眼鏡をかけている。妖艶な雰囲気を纏った彼女は、部が違ったとしても名も知られ、その権力はかなり上層部に近しいものであった。

「気にしないで。それより、何があったのですか?」
「えぇ、これが報告書類です」

 司令官が一枚の写真が写り込まれた報告書を楓へと手渡した。

 報告書には、現在渋谷で起きている怪奇現象とも呼べるその光景の写真が数枚と、黒い“何か”が映り込んでいる。
 飲み込まれた人は次々に絶命し、その身体から新たな“何か”が生まれ、次々増殖していると書かれていた。

 事件発生から僅か十分足らずの報告書には、その被害者の数と思しき数字が刻まれているが、ネズミ算式に計算した数字がそこに書き込まれていた。

「……一時間で、このままだと三千人以上が……ですって?」
「既にエージェントとバスターズには第三級装備を持って事に当たらせています」
「……そう、ですか」

 楓がそう言って踵を返し、司令官には見えない様に僅かに口角を吊り上げた。

「……良い機会ね。“材料”が揃っているなんて、ね」

 楓の呟きは、誰の耳に届くでもなく、その場の虚空に消え行った。

◆ ◇ ◆ ◇

 ――事件発生から二十分後。

「――チィッ、分かった。増援に回る」
「どうされました?」

 大きな黒塗りのバンを鬼鮫が運転し、五人を乗せて走っていた車。
 電話を切った鬼鮫が近くにあったパーキングに車を停車させた。

「勇太。俺とチビネコを連れて渋谷まで飛べ」
「な、何をいきなり……」
「渋谷で手当たり次第に民間人が襲われている」
「えっ……?」
「黒い液体状の何か、とは言っていたが、まず間違いなく人外だ。IO2で対処しているらしい」

 鬼鮫の言葉に、凛がある事を思い出し、エストを見つめた。そんな凛に応えるように、エストも静かに頷いて応える。

 凛とエストが思い当たったのは、凰翼島の事件であった。
 エストが島の中で起きていた異変に気付いた時、同じような形状をした魑魅魍魎が大量に発生した事があった事を、エストは凛にも話していた。

 幸い、島内は人口も少なく、その被害が表沙汰になる事はなかったが、その見た目の特徴と、手当たり次第に人を襲うという点では同じであった。

「鬼鮫さん、私と凛も行きます」
「相手は何か分からねぇんだぞ。付いて来たっておまえらじゃ――」
「――恐らく、魑魅魍魎が何者かに操られているのだと思います。凰翼島で、私もそれと同じ特徴のモノを祓いました。私と凛なら、難なく対応出来るでしょう」

 エストの言葉に、鬼鮫は逡巡する。

「……仕方ねぇ。そう言うなら任せるぞ。勇太、行くぞ」
「あ、あぁ!」

◇ ◆ ◇ ◆

 現時刻、渋谷駅前。

 勇太達は姿を現して早々に黒い魑魅魍魎に襲われ、凛がそれを祓って霧散した。
 眼前の光景に、勇太は言葉を失った。

 土気色になった人々は倒れ、交差点を走り抜けようとした車が接触し、大破。近くのビルにも車が突っ込み、ビルからは煙も上がっている。

「……なん、だよ……これ……」
「オラ、しっかりしろ。お前は生きている人間を探せ! エスト、凛! チビネコと一緒にこの辺りを一掃出来るか?」
「チビネコって言わないで下さい! 護衛はします」
「時間はかかりますけど、二人なら恐らくは。凛、行けますか?」
「はいっ!」

 凛もまた、心の中では目の前の光景に打ちひしがれそうではあったのだが、自分を奮い立たせる。
 こういう思い切りの良さは、女性らしいと言うべきだろうか。

 そんな凛の強さを目の当たりにした勇太は、何とか気を立て直して自分の両頬を叩いた。

「一時間後にここに戻るよ! 何かあったら強く俺の名前読んで! テレパシーで多分気付けるから!」
「はい!」
「鬼鮫さんはどうする?」
「俺は、どうやらご指名みたいなんでな……」

 鬼鮫のサングラス越しの鋭い眼光が、交差点に立つ男を睨み付ける。
 その先にあったのは、ファングの姿だった。

 虚無の境界の戦闘狂と呼ばれるファングの情報は、鬼鮫の耳にも入っていた。

「勇太、気を付けろ。今回の件は虚無の境界による仕業だ」
「――ッ、何でそんな事……!」
「あそこにいるのは、虚無の境界の実力者、ファングです。工藤 勇太、貴方は一刻も早く、生存者の救出を。こちらは鬼鮫さんに任せるべきです」
「そういうこった。さっさと行け、勇太」
「……ッ、すぐ戻るから!」

 勇太がテレポートを使ってその場から消え去ると同時に、鬼鮫は刀を抜き、ファングに向かって駆け出した。
 その動きを見たエストと凛が鬼鮫に追走し、魑魅魍魎を次々と祓っていく。

 余談ではあるが、凛は護符を使い、エストは光を放って対処する。
 凛の力はエストの様に圧倒的な量を持ち合わせてはいない為、護符を使って力を調整して戦う事を主流にしている。

 力を宿し、武器として使用する事で温存する。

 その戦い方を教えたのはエストであり、その方法を実践したのは、凛の母親だったと聞かされていた。

「虚無の境界のファングだな?」
「ほう、鬼鮫か。退屈せずには済みそうだな」

 互いに圧倒的な威圧感を放ちながら、鬼鮫とファングが対峙する。

「あらあら、行っちゃいましたねぇ……」

 黒いローブにフードを被った女がファングと鬼鮫達を見つめながら小さく呟いた。

 女がスッと手を差し出し、それに答えた魑魅魍魎達が動き出す。
 クスっと嗤い、小さく口を開いて呟いた。

「散ったのが一人じゃ、退屈ですけどね……。ね、盟主様?」

 女の後ろに忽然と姿を現した、一人の女――。

 ――巫浄 霧絵は、その言葉に口角を吊り上げて答えた。

「久しぶりの再会、といきましょうか。工藤 勇太……」

to be countinued…

カテゴリー: 01工藤勇太, sinfonia, 白神怜司WR(勇太編) |

sinfonia.10 ■ 影、動き出す

――予想外な事態だ。

 IO2のヴィルトカッツェこと、茂枝 萌は舌打ちした。

(……あの戦闘能力で私とそんなに歳も変わらないなんて……)

 壁に掛けられたシャワーから流れて来るお湯を頭に浴びながら、目を閉じ考える。
 圧倒的な実力差だった。殺意すら持った自分が、全て殺傷能力の低い攻撃のみで圧倒された現実。
 あまりの実力差に、世界の広さを突き付けられた気分だった。

(……工藤 勇太。ファイルを見た所、決してあんな性格には成り得ないはず。人を恨み、虚無の境界に利用されてもおかしくない。なのに……)

 思い出す笑顔。無邪気にすら感じる笑顔だった。でも、何処か陰を持った違和感があった。
 触れてはいけない。触れられてはいけないと何処か危険な匂いすらする、咲くような笑顔。

(……知りたい……)

 ――不意に、部屋の中から電話機の呼び出し音が鳴り響いた。

 シャワーを止め、萌は身体にタオルを巻いて洗面所に置いていた携帯電話を手に取る。
 番号は通知不可。

「はい」
『初めまして、IO2の野良猫さん』
「どちら様ですか?」

 過る違和感とは対照的に、萌は平静を装って答える。

『虚無の境界、エヴァ・ペルマネント』
「――ッ!」
『ヴィルトカッツェ。工藤 勇太から手を引け』

 唐突な言葉。萌の頭が困惑と混乱で埋め尽くされる。

(どういう事……。やはり工藤 勇太と虚無の境界は繋がっている……? でも、もしも繋がっているのなら、果たしてこんな強引な手段を取るだろうか……。そもそも、この電話の相手は本物か……?)

「……言っている言葉の意味が分からないですね。味方を庇うつもりで、わざわざ私に警告しているのですか?」
『味方? フフ、IO2も一枚岩ではないようね』
「どういう意味ですか」
『いいえ、なんでもないわ。とにかく、手を引く事ね。これから始まる大きな劇を悲劇にしたくなければ、ね』
「何を――ッ!」

 淡白な通話終了音が鳴り響いた。
 携帯電話を置いて萌は静かに考える。

(……一枚岩ではない。悲劇。間違いない。ディテクター達の言った言葉は偽りではないという事ですか……)

 一つの結論に行き着いた萌の目が虚空を睨み付ける。

―――
――

(物音を立てたら、気付かれるよな……)

 静まり返った室内でつま先からそっと地面に足を降ろして歩く。
 緊張のあまり頬を嫌な汗が伝い、喉がからからに乾く。緊張のせいで口の中は乾き、飲み込んだ唾はまとわりつくような嫌な感触を生み出す。

 工藤 勇太はそれでも、静かに静かに室内を歩いた。

「――朝帰りの旦那様には、やはり冷たい言葉が一番ですかね?」

 くすりと嘲笑にも似た笑みを孕んだ言葉が、勇太の動きを制止する。優しい口調とは裏腹に、まるで感情が篭っていないかのような冷たさを感じる。

「……だ、旦那様ってそんな――」
「――あら、おかしいですね。あれだけ切迫していた状況で一晩連絡もなく、気配を感じて起きてみた私に、口ごたえするのですか……?」
「ごめんなさいっ!」

 振り返って合掌。
 目の前にいたのは寝間着姿で腕を組んだ凛だった。

「……まったく、心配していたのですよ?」

 ふわりと舞う、石鹸の柔らかな匂い。
 勇太の頭をそっと抱き寄せた凛が静かに呟いた。

「おかえりなさい、勇太」
「た、ただいま……」

 事の顛末を凛に説明した。
 エヴァの襲撃や萌の事は除く。これは別れ際に武彦から伝えられた、凛への情報の制限だ。
 しれっと何事もなかったかのように話す反面、騙しているような気分の勇太は何処となくぎこちなさを生み出し、凛はそれにも気付いているようではあった。

「――分かりました。深い事は聞きませんよ」
「う、うん……」
「恐らくIO2には記憶を覗く能力者もいます。情報を制限するのは良い判断だと思いますしね」
「……ごめん」

 そうは言っているものの、凛はやはり面白くないといった態度を見せていた。勇太もそればかりは何も言い返せずに謝るのが精一杯だった。

「勇太、安心して下さい。IO2は今、貴方にばかりかまけていられない様です」
「どういう事?」
「虚無の境界が動き出し、IO2とぶつかりました」
「やっぱり……」
「やっぱり?」

 勇太の言葉に凛が尋ねるように尋ねた。

「うん。草間さんからもその可能性があるって。ってなったら、IO2は俺を虚無の境界からの接触から遠ざける為に、IO2内に軟禁するかもしれないって」
「……さすがですね。全てその通りです」

 武彦から言われた通り、やはり虚無の境界も動きを活発化している。

 虚無の境界に接触させたくないIO2としては、五年前と同じく勇太を監視下に置きたいはずだ、と武彦は勇太に告げていた。しかし、今のIO2は楓の動きもあり、勇太にとってはあまり監禁されたくはない状況。
 武彦にとっても馨から聞いた話を基に、今は楓と勇太が接触するべきではないとは考えている。

 とは言え、萌と遭遇した時点で武彦と合流した事は楓に伝わっている可能性が高かったが、楓が個人的に計画しているのであれば、わざわざ上層部には勇太の所在を告げる可能性は低いと考えた勇太の案に、武彦も同意した。

 凛にも迷惑や心配をかけたくなかったという点と、手詰まりになった現状を打破するべく、流れに身を任せるという賭けに出る事にし、こうして勇太は凛の元へと戻って来たのだった。

「勇太、どうします?」
「うん。鬼鮫さんに全部ぶっちゃけようと思う」
「え?」

 勇太の突拍子もない発言に、凛は思わず聞き返した。

「今ってさ、IO2・虚無の境界・楓さん・俺達。四箇所で違う目的で動いてるよね?」
「え、えぇ……」
「俺にとって、IO2は味方だけど楓さんは分からない。虚無の境界は敵。この状況って、あんまり良くないと思うんだ」
「三つ巴ならぬ四ツ巴、ですね……」

 状況は複雑。武彦は百合と一緒に動くという行動になっている為に、勇太達とはずっと一緒にいる訳にはいかない。

「草間さんとも話したんだけど、鬼鮫さんにこの状況を言えば鬼鮫さんがIO2を調べてくれると思うんだ。そしたら、IO2の中でも味方になってくれる人と俺達は合流して、IO2本体とは距離を置けるんじゃないかなって」
「成る程。それで楓さんからも離れられる、と?」
「そういう事。それに、凛も俺達と動いても問題ない状況になれるかもしれないでしょ?」
「そう、ですね。分かりました。鬼鮫さんは私が呼び出します」
「うん、お願い」


――
―――

 数時間後、昼。エストと鬼鮫が凛のマンションへと訪れた。

「エスト様! お姿を見ないからどうしたのかと……。鬼鮫さんと一緒に行動されていたのですか?」
「えぇ、そうです」

 凛の質問にエストはにっこり微笑んで答えた。その横で、鬼鮫は重い溜息を漏らす。

「人使いの荒い女だ、こいつは……」
「あら、良いではありませんか。若い男女をさりげなく二人っきりにするのも、年長者の務めですよ?」
「それって何か違う気がするんですけど……」

 鬼鮫へのエストの言葉に、思わず勇太がツッコミを入れる。凛は勇太の隣りで「二人っきりなんて」と言いながら頬を赤くしているが、勇太は気にしない事にした。

「それで、鬼鮫さん。実は相談があって……――」
「――あぁ、コイツからも話は聞いてる」

 エストを指さして鬼鮫が答えた。

「凛から聞いたかもしれねぇが、虚無の境界が動いたって情報もあるからな。お前の保護は俺が引き受けた」
「それって……」

 勇太の脳裏に、つい先日の街中での鬼鮫の行動が過る。

「あんな真似はしねぇ。それに、虚無の境界を相手にするならお前がいた方が良いってのは、五年前の騒動で俺も分かってるからな。とりあえずここにいる五人はIO2本体とは別行動するぞ」
「五人って……――?」
「――私もいますので」

 急な言葉に背後を振り返った凛と勇太。そこに立っていたのは萌だった。

「え、だって、アンタ楓さんの……」
「部下ではありません。協力はしましたが、あの人の駒にはなっていませんから」

 しれっとした態度で萌がそう答え、凛を見つめる。

「勇太、この可愛らしい方は?」
「あぁ、なんとかって言う猫?」
「ヴィルトカッツェです! 野良猫って呼ばれてますが猫扱いされるのは心外ですっ!」
「ごっ、ごめんなさいっ」

 勇太から萌の視線が凛に移る。

(……噂の護凰の巫女……。この人も確か、IO2内に入った若手の中では郡を抜いた実力者。それにこの親しい様子……。工藤 勇太の知り合い……?)

「……護凰 凛さん。貴女と工藤 勇太の関係は?」
「あぁ、チビネコ」
「鬼鮫さんまで! いつまで私をそう呼ぶんですか!」
「チッ、なんでも良いだろうが。それより、お前には聞かせただろうが、凰翼島の事件」

 むきーっと顔を赤くして反論する萌を相手にしないと言わんばかりに、萌に鬼鮫が言葉を続けた。

「二年程前でしたか。確か、悪魔が生まれたとかで有能な能力者がそれを打ち砕いたとか。護凰 凛さんのいた島だそうですが。それが何か?」
「その悪魔を打ち砕いたっつーのが、そこの勇太だ」
「……へ?」

 萌の顔がきょとんとする。
 報告書にあった悪魔の情報。それによれば、鬼鮫でさえ手が出ない程の力を持った天魔による騒動と、たまたま居合わせた一人の能力者の協力によって、悪魔は消滅させられたと報告があった事を萌は聞いていた。

「だ、だって、その悪魔は鬼鮫さんでさえ手が出なかった、と……」
「それを打ち破ったのはここの三人だ。俺は降りかかった火の粉を払っただけだがな」
「……ウソですよね?」
「本当だ」
「……。」

 どうやら萌は目の前にいるのほほんとした三人の実力を信じたくないらしい。
 しばらくの間、萌はそのまま喋ろうともしなかった。

「さて、早速だが。俺達は行くぞ」
「行くって何処にですか?」
「決まってんだろ。虚無の境界が現れたっつー場所だ。何か手掛かりがあるか調べんだよ」

 ヤル気満々の鬼鮫に連れられて、勇太達は引きずられるように凛のマンションを後にするのだった。

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sinfonia.9 ■ 整えられた舞台

睨み合いが続いている状況下、百合と武彦と勇太。そしてヴィルドカッツェとしての異名を持ったIO2の特殊捜査官、茂枝 萌。
 萌の身体はタイトなバイクスーツのような服で包まれている。この服が特殊な戦闘服である事は武彦も百合も知っている情報だ。
 華奢な身体からはおおよそ想像もつかない程の戦闘能力を保有した萌を前に、ジリジリと緊迫感の漂う睨み合いは勇太の言葉で終止符を打つ。

「だぁぁぁ! もう、新キャラ登場多すぎだよー!」
「新キャラ?」

 勇太の叫びに百合が萌を見つめたまま勇太に尋ねた。

「アンタが来てそんなに経ってないのに忍者とかヴィルドなんとかって言われても意味分かんないっての!」
「……はぁ。ガキね、やっぱり」
「はーいはい。どうせガキですよーっと」

 目の前にあった鉄柵に腰掛けて勇太が百合に向かって答えた後で、改めて萌を見つめた。

「それにしても、盗み見? 盗み聞き? へー、さすがはIO2だね」

 連日のIO2からのごたごたを知っている勇太にとって、萌の行動はやはり不信感を募らせたIO2への感情を逆撫でする結果だった。じとっと見つめる勇太が目の前にいる少女である萌へと口を開いた。

「ところで、ヴィルドなんとかって何なのさ?」
「ヴィルト・カッツェだ。ドイツ語の語源じゃ野良猫って意味だな。その容姿としなやかな動きからそういう二つ名がついてる」
「ふーん」

 武彦の答えにも勇太は特に興味を持たない様子で聞き流した。

「ディテクター。それに、虚無の境界の芝村 百合。そしてその目的である工藤 勇太。情報通り、危険と判断します」

 一瞬だった。
 本来人が動き出す時はその初動に力が込められる。数年間にも及ぶ戦闘経験から、武彦や百合はそれを理解し、勇太も感覚とは言えそれを感じている。しかし、初動にその動きもなく萌が姿を消すように動き出し、武彦の目の前に突如として姿を現し、腹部を蹴り飛ばした。
 突然の出来事と、構えていたとは言え予期せぬ攻撃に武彦が吹き飛ばされる。華奢な萌の身体からは想像も出来ない一撃だ。勇太は思わず鉄柵から動けずに唖然とした。
 萌の動きはそのまま流れるように続いた。背に背負われた刀を抜き取り、百合に向かってすぐに抜き出し、振り下ろされる。
 
「――ッ!」

 甲高い金属音が人気のない公園に響き渡った。
 百合に向かって振り下ろされた萌の刀は、目の前にテレポートで割って入った勇太の透明の刃《サイコクリアソード》によって防がれた。

「何の真似さ……?」
「邪魔するつもりですか?」
「当たり前だろ!」

 鍔迫り合いは分が悪いと判断した萌がクルクルと身体を回転させながら後方に飛び退いた。百合の目の前に立ちはだかった勇太が腕をピッと振って構えなおす。

「A001……」
「俺は工藤 勇太。そんな出荷待ちの家畜みたいな呼び方やめて欲しいんですけど。せめて名前で呼んでよ」
「なっ、名前!?」

 下の名前――つまりは勇太と呼べと百合が突如言われた事で顔を赤らめた。
 しかし萌から戦闘の姿勢は崩れないまま溢れでている。本気ではないとは言え、勇太も油断が出来る状態ではない。

「仕方ありません。殺さないように手加減するのは苦手ですが……」
「へーん! 俺よりちっちゃいクセに偉そうな事言っても迫力ないもんね!」
「……バカ」

 萌と勇太のやり取りに思わず百合が小声で小さくツッコミ。
 そんな事は構わず、萌が動き出した。
 初動の動きはない。相変わらず一瞬で目の前に現れるその動きは常人では読む事すら出来ない。ならば、と考えた勇太がその場から真上にテレポートする。
 勇太にいた場所に萌が刀を振るうが、空を切る。上空に飛び出た勇太の作戦勝ちだった。勇太はそのまま手をかざし、萌に向かって重力球を放った。
 萌はそれさえも一瞬で駈け出して避けてしまうが、それも勇太の予想の範疇だ。地面に降りた勇太が百合の腰に手を回し、武彦の元へとテレポートした。

「ちょっ! 何処を触って――」
「――ごめん、ちょっとどいてて」

 百合が思わず勇太の横顔を見て言葉を飲んだ。
 再び駈け出す萌に向かって勇太は目を凝らした。ただでさえ身長の低い萌が、上半身を深く落とす、独特な走法で駆ける萌の姿。
 距離があるおかげで萌の姿を捉える事が出来た勇太は地面に手をそっとかざした後で再び萌の眼前にテレポートする。
 横薙ぎされた刀を透明の刃で防ぎ、萌の身体に向かって重力球を放つ。勇太の上をクルっと回り、勇太の背を蹴って萌が回避し、そのまま百合に向かって駆け出す。

「――ッ! やっぱり狙いはそっちかよ!」

 背を蹴られてバランスを崩しながらも勇太が何かを引っ張りあげるように萌の背に向かって手をかざし、引き上げる。その瞬間、萌の身体に衝撃が走り、勇太の横を通り過ぎるように吹き飛ばされていく。

「な、何!?」
「サイコジャベリンならぬ、サイコハンマー? 透明の刃と組み合わせて見えないようにそっちの周りに仕掛けておいたんだよ」

 勇太が百合に向かってそう告げると、吹き飛ばされて茂みへと押し込まれた萌の姿を探すように見つめる。
 百合は勇太の戦闘能力に思わず固唾を飲む。

 ――これが、本当の……。オリジナルと呼ばれる力の成長……。

 五年前に戦った相手とは確実にレベルが違う。百合はその現実を魅せつけられた気分だった。
 能力だけで戦っていた子供の戦い方ではなく、頭を使い、罠を仕掛けて戦況を読む能力。明らかに戦い慣れた勇太の実力は、今の百合と五年前の勇太では比較にならない。
 その現実を目の当たりにしながら、百合は思わず小さく武者震いすら感じていた。
 そんな折、茂みから萌が無傷で姿を見せた。

「これ以上やるなら、俺も手加減しないよ」

 ただのハッタリではない事は、萌も百合も分かっていた。
 勇太の本気はこの程度ではない。殺傷能力を抑え、全ての攻撃に見える攻撃は、萌の攻撃を防ぎ、動きを妨害する事のみに集中されている。
 幾つもの戦いを凌いできた萌と百合だからこそ分かる、底を見せていない勇太の戦いぶり。そんな勇太がそう宣言するという事自体がただのハッタリではない事を証明している。

「ったく、いてぇな……。そこまでにしておけ」
「――ッ! 草間さん」
「ヴィルトカッツェ。お前に情報を吹き込んだのは楓だな」
「……答える義務はありません」
「お前がお前の意志で戦う事はない。だとすれば、俺達が繋がる事を危惧するのは楓しかいない。お前に対しての命令権を持ち、今回の首謀者として有力なのはアイツだけだ」

 武彦の言葉に萌はしばらく黙り込んだ。戦闘の姿勢を解かない萌のその直立不動の状態に勇太も百合も警戒を続けているが、萌が突如として気持ちを切り替えるようにため息を漏らした。

「……ディテクター。貴方程の方がどうしてIO2に反乱を起こそうと仰るのか、私には理解出来ません」
「反乱、だと?」
「はい。今回の任務は確かに、貴方達の監視のみでした。自分で言うのもおかしいと思いますが、これまで監視で尻尾を掴まれた事はありません。こうして戦闘行為になったのは、予定外でした」
「完璧過ぎる監視が仇になったのよ」

 萌の言葉に百合が告げた。
 完璧過ぎる尾行と監視を行える人間はそうはいない。ましてや相手である勇太は超能力を使える。五年前、勇太が人の思考を読み取る能力を見せた事は武彦からの報告でIO2上層部にも上がっていた。だからこそ、機械のように仕事をこなせる萌に仕事が回ってくる可能性は低くはなかった、と百合が付け加えた。

「……そういう事ですか」
「茂枝、一度停戦にしないか。俺達の持っている情報をお前にも話す」
「それを知った事で関係ありません。私はIO2のNINJA。依頼の背景など、私が関与する事ではありませんので」

 やはりか、と言わんばかりに武彦が煙草に火を灯した。

「変だよ、そんなの。普通にしてりゃただの可愛い女の子なのにさ」
「な……っ!」
「何言ってるのよ、アンタは……」

 百合の冷たい言葉とは裏腹に、勇太の言葉に萌が真っ赤に染まっていく顔をマフラーに埋めるように俯いた。
 それを見ていた武彦が小さくニヤリと笑う。

「茂枝。事情を聞いてくれないか?」
「……だから、私は――」
「――勇太、お前からも頼め」
「へ?」
「な……、どっ、どういう事ですか……?」

 武彦の言葉に拍子抜けする勇太と、明らかに動揺する萌。
 百合はそんな二人の様子と武彦のやり取りから、事情を察する。
 要するに、萌は完全に勇太を『敵』としての認識から外しつつある。それだけではなく、年齢もそう離れていない、自分よりも明らかに強い『異性』だ。
 そこに憧れや尊敬を抱くのは不思議ではない。大人顔負けの実力を保有する萌だからこそ、その考えはより強調されているのだ。
 百合の中で何やらメラメラと燃え滾る感情があるのだが、ひとまずは武彦の提案に乗る事にする。

「ゆ、勇太。アンタが説明して、補足は私達がしてあげるわよ」
「ゆ、勇太って……。だぁー、もう。分かったよ」

 勇太がゆっくりと見てきた事や実情を萌に向かって説明する。とてもじゃないが、その説明能力はじゃっかん乏しい。惚けて勇太を見つめる萌の顔に百合が苛立ちながら、武彦と自分の立場を改めて勇太の説明に補足する百合。
 この状況で凛がいたら大変な事になっていたかもしれないな、と武彦は心の中で小さく呟いた。

「……全ての話を鵜呑みには出来ませんが……」

 一部始終を説明し終えた所で萌が口を開いた。

「茂枝、だったよな?」
「ひゃっ、はい!?」

 勇太の言葉に萌が慌てて返事をした。

「信じてくれないかもしれないし、俺なんかの事信じたくないかもしれないけど……!」
「へ……ぁ……ぃ……、とっ、とにかくっ! 私は私で調べますっ! それではっ!」

 慌てて萌がその場から姿を消す。
 勇太は信じてくれない事にため息を漏らすが、武彦はそんな萌の姿に腹を抱えて笑いを堪え、百合は何故かやり場のない怒りに心を燃やしていた。

 長い長い一日が、ようやく終わろうとしていた。

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sinfonia.8 ■ 接触―Ⅱ

「……失敗作……?」
「そうよ。あの子は能力を持っただけで何も変われず、身体を蝕まれただけの失敗作。薬がなければすぐに自我を崩壊する、憐れな存在よ」

 クスっと小さく笑ったエヴァが口を開いた。勇太がその言葉に歯を食い縛る。

「……人の身体を弄んで、そんな事言うのかよ……ッ!」
「同情のつもり?」
「――ッ!」
「ユリは自ら望んであの身体を得たのよ? それを同情するのはお門違い。ユーは利用されただけじゃない」
「それでも! それでもアイツはアイツで……!」
「笑わせるな、A001」

 エヴァが勇太に冷たく突き放すように声をかけ、大鎌を構えた。

「私もユリも、少なからず自分の意志で力を求めた。その結果が今のこれよ。それを同情して救ってやりたいなんて思っているんだとしたら、それは驕りよ」
「――違う! 俺は……――!」
「――それとも、自分の過去を重ねているのかしら? 良いわね、ユリは。ユーの力を真似て、そのオリジナルであるユーから心配されて……」
「な、何が言いたい!?」
「……あんな失敗作、壊してあげるわよ」

 エヴァの言葉に、勇太が手をギュっと強く握り締めた。

「……なんだって……?」
「もうあの子に価値はない。ユーもそう思うでしょ?」
「フザけんな!」

 勇太がテレポートを使ってエヴァの目の前へと飛び、サイコキネシスを放つ。
 エヴァの身体が吹き飛ばされるが、エヴァがそのまま身体を回転させて大鎌を投げた。クルクルと回転しながら襲い掛かる大鎌を、勇太の作った念の槍が地面から突き出て大鎌を粉砕する。

「はや――!」
「――喰らえぇぇ!」

 驚くエヴァに向かって勇太が念の槍を何本も一斉に飛ばす。

「そうそう同じ技ばかり――!」
「――同じに見えるでしょ?」
「なっ!?」

 エヴァが相変わらずの必要最低限の動きで攻撃をかわそうと身体を捻るが、何も触れていない筈の身体に衝撃が走り、地面を抉りながら吹き飛ばされた。

「くっ……! 何を……!」
「念の槍の隙間に念動力を混ぜた。そして――」
「――ぐ……! か、身体が……!」
「重力球でアンタの身体を縛らせてもらった」

 膝をつき、エヴァが地面に手をつきながら勇太を見つめた。ググっと身体を押し潰すように重力に襲われながら、エヴァが小さく笑う。

「さすがはオリジナル……! 強いわね……!」
「強気な発言はそこまでだ……。アンタを逃がす訳にはいかない……」
「あら、デートのお誘い? 見た目によらず強引ね」
「なっ!」

 勇太が慌てて否定しようとした瞬間、真横にあったコンテナが爆発し、勇太がテレポートで瞬時にそれを避けた。それと同時に捕縛が解けたエヴァが遠くへと飛ぶ。

「しまった……! 今の一瞬で……!」
「A001、実力は見させてもらったわ」
「逃げるのか!?」
「そうね。お遊びはここまでにしましょう。本気のユーの力は侮れない。次会った時は、確実に殺しにかかるわ」
「――ッ!」

 真っ黒な怨霊がエヴァの身体を飲み込み、その場から消え去るとエヴァも姿を消していた。勇太がため息を漏らしながらその場にへたり込む。

「……百合……。俺達の味方になってくれれば良いのにな……」

 勇太は考えていた。
 ――百合はもう虚無の境界に“仲間”はいない。それは昔、武彦と自分が会う前の自分と同じような状態なのかもしれない。

 勇太が夜空を見つめて唸る。

「……あ、興信所に行かなくちゃ」

 我に返ったかのように勇太が立ち上がり、興信所に向かって歩き出した。

 そんな勇太を見つめていた一人の影に、勇太は気付かなかった。

「……工藤 勇太。虚無の境界の狙い……」

―――

――

 時間はその日の夕刻に遡る。

「……お待たせしました」
「相変わらず音もなく現れるのね、萌」

 楓が室内の暗闇を見つめると、一人の少女が闇の中から姿を現した。
 光学迷彩機能を装備した潜入用パワードプロテクター「NINJA」を装備したIO2捜査官。髪は短めで、肩口で切り揃えられていて整ってはいるが、その表情には感情を感じさせない。

「珍しいですね。直接電話をかけてくるなんて」
「そうね。同じIO2でも、アナタと私は管轄が違う。本来なら部署を通すべきなのかもしれないけど、そんな悠長な事は言ってられないわ」

 楓が勇太の写真と凛の写真。そして、武彦の写真を机の上に並べた。

「ディテクター……。それに、鬼鮫さんの部下と……」
「五年前の虚無の境界との衝突事件の中心人物だった少年、工藤 勇太よ」
「……この方が、ですか」
「特殊な能力者、というだけではないわ。そのポテンシャルは高い上に、暴走すればシルバールークも粉砕される可能性がある程よ」
「……虚無の境界が欲しがる訳ですね……」

 萌が勇太の写真を手に取って見つめる。

「ディテクター、草間 武彦が彼とこの護凰 凛を使ってIO2に反乱を企てている可能性があるわ」
「――ッ! ディテクターが……?」
「えぇ。だからこそ、アナタにはこの三人を内密に見張ってもらいたいの。願わくば、工藤 勇太を捕まえて欲しいけど、それはリスクが高いでしょうからね」
「私には重荷になる、と?」
「いいえ、表沙汰にする時期ではない、という事よ。ヴィルドカッツェのアナタにそんな事言うつもりはないものね」
「……解りました」
「決してバレないようにね。三時間おきに定時連絡を」
「はっ」

 暗闇の中に萌が姿を消した。
 楓が小さく口を歪ませた事には、誰も気付く事はなかった。

――

―――

 某所、離島の研究施設。

「……宗、珍しいわね。貴方がここに顔を出すなんて」
「そうでもないだろう。今日は気を利かせてやったつもりだが?」

 黒髪黒眼の見た目は三十歳前後ぐらいの男、宗が黒いズボンと黒いワイシャツ姿で馨の元へと歩み寄った。

「古い友人との再会はどうだった? いや、古い恋人、か?」
「――ッ! 知っていたの?」

 馨が机から銃を取り出して宗へと向けた。

「そんな玩具で俺を殺せると思ってるのか?」

 クスっと小さく笑って宗が馨を見つめた。

「……私を殺すつもり?」
「質問の意味が解らないな」
「貴方に救われ、洗脳が解かれた私を隠した貴方が、虚無の境界に手を貸している事は知っているわ。もうエヴァも完成して、私は実質貴方にとっては用済み。消しに来る事もあるわ」
「……くだらない。お前がどう生きようが、何をしようが俺には瑣末な事だ」

 宗が小さく笑って馨を見つめた。

「……見て見ぬフリをするの?」
「お前のデータは俺の頭にも入っている。お前がいなくなった所で、今更俺にはどうという痛手もない。だがお前は違う」
「……ッ!」
「お前はその身体を改善し、自由を手に入れる事が目的。俺はそのお前の研究のデータが目的。互いの利害関係なんてのはその程度の繋がりで十分だ」
「……ずいぶんな言い草ね」
「虚無の境界は俺の駒だからな。俺にとっては実験体と研究成果。それに、“アイツ”の変化さえデータに出来れば、虚無の境界だろうが警察だろうがIO2だろうが、そもそも関係ないのさ」

 ククッと笑って手に持っていたリンゴを皮も剥かずに宗が噛み付いた。

「……歪んだ興味でも持っているの?」
「“アイツ”は俺のモノだからな。一時は壊れちまうかと思ったが、持つべきものは出来の良い弟だ……、ククッ」
「……?」
「好きに動け。データさえ変わらずに送り続けるなら、自由にやれ。虚無の境界とはそろそろ手を切る頃合だからな」

 宗がそれだけを告げて馨に背を向けて歩き出した。

「……相変わらず謎な男ね……」

―――

――

 ――草間興信所。

「よう、来たな」
「草間さん! もう戻ってたの!?」
「あぁ、ついさっきな。零にも文句を言われっぱなしだが、色々と動きがあっただけマシだったがな……」

 草間興信所に着いた勇太を待っていたかのように武彦がソファーに座って紫煙を吐き出していた。

「草間さん、色々あり過ぎて……俺……――!」
「――何だらしない顔してんのよ、工藤 勇太」
「……え……?」

 勇太が振り返ると、零に背を押されて明らかに風呂上がりと思われる百合の姿が勇太の目に映り込んだ。
 思わず勇太が飛び上がって身構える。

「なっ、なななんでお前がここにいるんだよ!」
「勇太、落ち着け」

 武彦が再び煙草を吸って紫煙を吐き出し、勇太を見つめた。

「落ち着いてらんないんですけど!?」
「柴村は今回、俺達の味方として動いてくれる」
「は……?」
「そういう事だから」
「……はぁ!?」

 ――混乱する勇太に武彦と百合が馨の存在と、そこであったやり取りを説明した。勇太の頭が爆発しそうな勢いではあるが、そんな事を気にもせず、勇太が時折武彦と勇太の間、テーブルの横に座った百合を見つめる。
 驚きながらも武彦に勇太がIO2で何をされたかなどの情報交換を開始する。

「……じ、事情は解ったけど……」
「見事に両方敵に回したわね」
「しょうがねぇだろ。柴村は元々虚無の人間。それに、IO2で楓がやろうとしている事はクローン開発。どっちも味方とは呼べる状況じゃねぇ」
「――でも、IO2は敵って訳じゃ――」
「――アンタのおかげで敵になったわよ。ここに来た瞬間に、ね」

 百合が目の前に空間を作り上げ、その中に勇太を引きずり込む。慌てて武彦もその勇太の腕を引っ張り、その空間転移に巻き込まれた。

「――ッ!」
「だ、誰……?」
「……ヴィルドカッツェ……! 何故お前が……!」
「どうやら本当に虚無の境界と手を組んだようですね、ディテクター」

 興信所近くの公園で、監視を続けていた少女と三人が睨み合う。

「IO2のNINJA、茂枝 萌ね」
「虚無の境界の柴村 百合……!」

 激動の急展開に、勇太だけが頭を抱えていた……――。

                                         to be countinued…

カテゴリー: 01工藤勇太, sinfonia, 白神怜司WR(勇太編) |

sinfonia.7 ■ 接触-Ⅰ

「はい。…勇太、電話です」
「俺に?」凛から渡された携帯電話を手に取った勇太が不思議そうな顔をして携帯電話を耳に当てた。「もしもし?」
『よう、俺だ』
「草間さん!?」

 思わず素っ頓狂な声を上げながら勇太は驚いていた。
 そう言えば、と勇太の脳裏に以前の武彦との会話を思い出す。凛の携帯電話を通す事で直接的なやり取りは避ける、とか…。

『変わった事はあったか?』
「…うん、俺のクローンがどうとかって――」
『―なんだと!?』武彦の声が不意に荒く鳴り響いた。
「あ、だけどサンプルの採取がどうとかって、その…。暴走しかけて…」
『…じゃあ、取られてはいないのか?』
「うん…」
『そうか…。無理はするなよ、勇太』
「べっ、別に無理なんかしてないよっ」

 見抜かれたか、と思わず顔を赤くして勇太が反論を返してはみるが、武彦が電話越しに笑っている。やはり武彦には強がった所で通用しないのか、と勇太の心の中には複雑な喜びが生まれていた。

『こっちもある人物と接触していたんだが、まさかそいつの言う通りになるとはな…』
「ある人物?」
『古い知り合いだ。とにかく勇太、今はIO2のそのクローン技術に関する協力はするな。どうにも裏がありそうだ』
「どういう事ですか?」
『正直、俺もこんがらがってはいるんだがな。IO2はクローンに関して何を言っているんだ?』

 勇太は楓から聞いた話をそのまま武彦に説明をした。
 やはり武彦にも思い当たる節があるのだろうか。「うーん…」と小さく呟いてから暫くの間、言葉の空白が生まれていた。

「草間さん…?」
『いずれにせよ、身動きが取りにくい状態ではあるがな。お前がさっき言っていた暴走の具合によっては、いずれ楓から凛を通して採取を要求される可能性もあるな』
「楓…って、知り合いなんだ…」
『あぁ、アイツは頭が回る。お前にとって警戒心を抱かずに済む相手として、凛がいるなら確実にコンタクトを取って来るだろうな』
「凛を…?」

 勇太が凛を見つめると、凛はきょとんとした表情で小首を傾げていた。

『勇太、一度興信所に一人で戻れ。俺も今そっちに戻っている最中だからな。落ち合って今後の行動を決める必要がありそうだ』
「でも、鬼鮫達には凛と一緒に住めって言われてるんですけど…」
『凛を利用しようと楓が動く前にお前は一度IO2から姿を隠せ。凛に予め、勇太に逃げられたと報告させろ。お前の話しが今日の事なら、トラウマのせいで錯乱したと思われても凛に言及される事はないだろうからな』
「―ッ! 解った!」

 勇太が電話を切り、凛へと携帯電話を返す。
 凛とエストに武彦と電話で話した内容を説明した勇太は、二人に自分が暫くIO2への協力をしない事を納得させて、一度姿を隠すと伝えた。

「連絡手段はどうしますか?」
「とりあえず、周囲を探って接触出来そうな時に俺から凛に接触するよ」
「では、凛からの用事は私が動きましょう。今後の為に、鬼鮫さんにだけはその旨を私から伝えておきます」
「鬼鮫に?」
「はい。彼は貴方の事を気にかけ、組織に飼われている飼い犬というタイプでもありません。彼を敵に回す事は得策ではないでしょうからね」

 不意なエストの言葉に、勇太は少しの間思考を巡らせる。

「解りました、お願いします。凛、とりあえず一度俺は興信所に戻らないで姿を消すから」
「解りました。気を付けて下さいね」
「あぁ」

 勇太がその場からテレポートを使って姿を消した…――。

―――

――

「そう、ですか…。解りました。彼の行きそうな所にはエージェントを配置しておきましょう」

 電話を切った楓が小さく溜息を漏らした。
 ―こうなる可能性がなかった訳じゃない。凛が言及されない為の布石として、先に勇太が消えた事を報告させる作戦など、小賢しい作戦を立てて出鼻を挫いたきたのは高校生のあの二人が考える様な作戦ではない事ぐらい、楓には解っていた。

「武彦、まさか邪魔をすると言うの…?」

 真っ先に楓の頭の中に浮かんできた黒幕の存在。
 工藤 勇太との接点が多い五年前の事件を考えれば、その後IO2を離れたあの男がその後も関係を続けていたと考えても不思議ではない。だとすれば、鬼鮫もあまりアテにはならない。従順に任務や組織を優先し、それらを全うする事だけを目的としている腕の立つエージェントが必要になる。
 何かを思い立ったかの様に楓が携帯電話を使い、ある人間に電話をかけた。

「…私よ。貴方に頼みたい仕事があるんだけど…」

――

―――

 ――激動し始めた一日が、夕闇に包まれ漸く静寂を与えようとしていた。

 IO2の操作網が草間興信所にまで及んでいる可能性を危惧していた勇太は、何を思ったのかあの場所を訪れていた。

「…あの時のままか…」

 今日起こった暴走は色々な感情をフラッシュバックさせる要因となっていた。
 施設での昔の記憶や、五年前の戦いの事。そして、ついこの間の黒狼との戦闘と、あの狼が抱えていた悲しみ。
 直近の出来事だった黒狼と戦った廃工場は、あの日と同じで穏やかな静寂に包まれていた。まるで時間が止まったかの様な場所だな、と思いながら勇太が小さく呟いた。

「見つけたわよ」

 カツカツと暗闇の中から靴を踏み鳴らし歩み寄る声が勇太の背後から聴こえ、勇太へと声をかけた。暗闇の中だと言うのに月明かりに照らされた金髪の少女が何処か嬉しそうにそう呟いていた。

「エヴァ…だっけ?」
「そうよ」

 ―おかしい。
 エヴァはそう感じざるを得なかった。先日の雰囲気とは何処か違う勇太を見つめ、足を止めた。

「A001、今日こそ実力を見せてもらうわ」
「嫌だと言ったら?」
「…そうね。この前邪魔をしたあの胸の大きい女を攫ってユーを呼び出してでも戦わせるっていうのも悪くないわね」
「――ッ! そんな事させない!」
「だったら、本気を見せてもらおうかしら?」

 エヴァが巨大な鎌を具現化し、頭の上でクルクルと回してから構える。
 どうやら冗談で済ませる訳にも、この場は大人しく帰ってくれる訳でもないらしい。勇太はそんなやり切れない気持ちの中で腰を落とす。

「殺気も感じないみたいだけど、本当に戦う気はあるのかしら?」
「アンタを殺さなきゃいけない理由なんて俺にはないからね。でも、凛達に手を出させる訳にはいかない」
「ナイト気取りね」
「ふっかけて来たのはアンタだろ」
「そうね…!」

 砂塵を巻き上げながらエヴァが急襲しに勇太へと間合いを詰めた。
 前回と今回では勇太の反応も違った。勇太は鎌が振り下ろされるその寸前、テレポートを使ってエヴァの背後に回り込み、更にサイコキネシスでエヴァの身体を吹き飛ばす。突如背後から襲い掛かった衝撃で本来なら吹き飛ばされる所だが、エヴァは鎌を地面に突き刺し、それを軸にクルっと回って勇太へと振り返って鎌を再び構えた。

「やるわね。でも、私を倒さないとユーの仲間達は私が殺すわよ? それが嫌なら、もっとちゃんと戦いなさい!」

 大鎌を両手に掲げたかと思えば、ズズっと溶ける様な音を奏でながら大きな鎌から姿を変えた鎖鎌が現われた。錘のついたチェーンをグルグルと回し、遠距離にも対応出来る武器に切り替えたらしい。

「悪いけど、それでもアンタを殺す気はないよ。殺気がないのはお互い様だろ!」

 勇太が両手を左右に広げると、猛ましい音を立てながらバリバリと放電する様な一メートル程ある槍が十本程具現化される。勇太が右手を翳すと、三本の槍がエヴァ目掛けて空中を駆け出した。
 エヴァはそれを右・左とステップしながらあっさりと避けると、最後の一本を身体を捻る様に飛び上がってそのまま振り上げたチェーンを勇太目掛けて飛ばす。
 霊力を武器にする鎖鎌に見た目の長さは関係ないらしい。勇太は想像以上に真っ直ぐ襲ってきた鎖釜の横にあった右へと走ってかわし、横にあったコンテナを蹴って高く飛んで一斉に残った七本の槍をエヴァへと襲い掛からせる。
 後ろへ飛びながらエヴァがそれらの攻撃を避ける。最後の一本を避けた所で勇太へと目を向けようとするが、既に勇太の姿はない。
 咄嗟の判断から、エヴァはその場で鎌を背後へ目掛けて振り下ろすと、甲高い金属のぶつかりあう音が鳴り響いた。

「あっぶな…!」
「チッ」

 何もない筈の場所で、勇太の頭上で鎌が止まった事に驚く事もしようとせず、エヴァが再びクルリと身軽に飛び上がって勇太との距離を空け、勇太を睨む。

「そんな能力、あったかしら?」
「透明の刃<サイコクリアソード>ってね。あんまり慣れてないから使い勝手は悪いけど、助かったよ」
「…さすがね、オリジナル。やはり失敗作であるユリとは違う様ね」
「失敗作…?」

 勇太がエヴァの言葉に一瞬表情を歪ませて尋ねた。

「そうよ。あの子は完全なる失敗作…」

                                         to be countinued…

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sinfonia.6 ■ 思惑-Ⅱ

―「解った、協力する」
 この言葉を、勇太は後悔していた。

 その事を強く感じたのは、部屋を後にして凛と共に楓に連れられ、研究施設らしい階層へと着いた瞬間だった。

 白衣を着た男達が歩いていく楓に道を譲り、頭を下げている。これだけの光景だと言うのに、何故こんなにも胸がザワつき、吐き気を催すのか。勇太はそれを思い出したくないと強く願う様にギュっと目を瞑った。

「―…勇太…?」

「えっ…!?」

 隣りから聴こえてきた凛の声に身体を強張らせながら勇太が反応する。凛が差し出そうとしていた手をそっと降ろす。

「大丈夫ですか? 顔色があまり良くないみたいです…」心配そうに凛が勇太の顔を見つめる。

「あ、あぁ。大丈夫だよ」

 気丈に振る舞い、笑ってみせる。その表情とは裏腹にやはり顔色は悪いままだ。

 凛は知っている。凰翼島で別れを告げた時、勇太の口から全てを告げられた。過去、どんな経験をしてきたかという事も全て。だからこそ、尚更勇太の異変に気付かずにはいられない。

「この子が例の…?」

「そうよ。今回の計画に賛同してくれたわ。…けど、無理はさせられない。この子のトラウマもあるから、危険だと感じたら中止して」

 楓も勇太の違和感には気付いている様だ。

「えぇ、解りました。…宜しくな、工藤 勇太クン…」

 そういって白衣を着た男が勇太へ握手をしようと手を差し出した瞬間。勇太が身体を強張らせながら、小さく震えながら男を睨み付ける。凛と楓、そしてその白衣を着た研究員が思わずたじろぐ程の鬼気迫る表情に、研究員の男は手を急いで手を引っ込めた。

「…工藤君、無理なら言って。これは強制なんかじゃないのよ?」

「…大丈夫です…」

「勇太…」

 そうは言われても、引きたくない。過去の思い出は確かにろくでもない。だが、その弱みに負けたくはない。それに、今隣には凛がいる。

「…じゃあ、こっちに座って」楓がパイプ椅子に勇太を案内する。「遺伝子情報を読み取るには、様々な方法があるわ。まずは粘液を採取するから、口を開けてもらえるかしら?」

 楓が半透明の手袋を手にはめ、綿棒を差し出す。

「……ッ!」

 拒絶反応。正に勇太のそれは、一瞬にして巻き起こった。近くにあった試験管やガラスがカタカタと震え出し、弾けた。同時にそこにいた研究員達が驚き、恐怖する様に声をあげる。楓が慌てて手を降ろし、周囲を見る。

「…あ…ぁ…」

「勇太!」凛が瞳孔を開き、涙を零す勇太を強く抱き締める。「大丈夫…。大丈夫です…」

「これは…」

「拒絶反応ね…」研究員の一人が楓に向かって声をかけると、楓が小さく溜息を漏らした。「今は難しそうね…。今日は諦めましょう。彼をよろしくね」

「はい…」

――。

 別室で暫く休んだ後、凛と勇太はIO2のエージェントに車で送られて凛の部屋へと帰る事になった。車中、凛が何度か話しかけるが勇太はずっと外を見つめて気の無い返事を返すばかりだった。

 部屋に着き、家の鍵を開けて部屋の中に入る。エストは楓と話す際に鬼鮫と共に何処かへ行ってしまった様だが、まだ帰って来ていないらしい。勇太は何も言わずに、ソファーへと腰を降ろし、俯いた。

「勇太」

 不意に、凛がソファーの後ろからそっと勇太を抱き締める。

「……。」

「辛かったでしょう…。ごめんなさい、私がもっと早く止めるべきでした…」

 凛の声が震えている。どうやら凛は勇太を抱き締めながら、小さく泣いている様だった。それは、勇太にも解った。

「…凛のせいじゃない…」ポツリと勇太が呟く。

「…勇太…?」

「…俺、もう大丈夫だと思ってたんだ…。…もうこんな歳だし、叔父さんに面倒見てもらって、草間さんとかと会って、虚無の境界とかってのと戦って、凛に会って…」

 勇太の言葉が、徐々に張り詰めた声に変わっていく。

「でも、ダメだった…ッ。…怖かった…」ボロボロと勇太の頬を流れる涙が凛の腕にも当たる。「…カッコ悪いトコ…見せた…よな…」

「カッコ悪くなんかありません」

「…ごめん…ごめんな、情けなくて…」

「情けなくなんか…ありませんよ…?」

 凛の温もりが、勇太の緊張の糸を少しずつ和らげた。涙を浮かべながら、勇太が声をあげて泣き出す。凛は勇太をそれでも離さずに、涙を堪えながら抱き締め続けていた。何処かへ飛んでいってしまいそうな、儚い風船を手にしている。そんな感覚を抱きながら、その細く括りつけられた糸を掴む様に、勇太の心が飛んで消えてしまわぬ様にしっかりと抱き締めていた。

―――

――

「話しがいまいち読めないな…」武彦がいつも通りに煙草を咥えて火を点け、口を開いた。「ここは“宗”と呼ばれる人間の研究施設で、虚無の境界に加担している。だが、それを完成させない様にしている…?」

「確かに、筋が通っていない様にも聞こえるわよね」馨がクスっと小さく笑う。「でも、そのままの意味よ」

「大体、柴村。お前は虚無の境界に執心だったと思うが?」

「…私は…」とだけ告げると、百合が力無く俯いた。

「百合ちゃんは、私の大事なお客様よ」

「どういう事だ…?」

「…“宗”という男が虚無の境界に協力をする為に、私はこの身体を馨に知られた。当然、“失敗作”というレッテル付きで、私はこの身体を馨に見せたのよ」

「―ッ!」武彦が思わず言葉を失う。

「私はその事実を見て、悟った。虚無の境界は、この研究施設で霊鬼兵の研究を行っていた。そして、“宗”によって霊鬼兵となった私は、自由になる為の条件と状況が揃う日を、研究を手伝うフリをしながらずっと待っていた。それが、この子だと」

 馨が百合を見つめる。

「そう、最初にこの“取引”を持ちかけてきたのは馨よ。私の身体と馨の身体が同じ造りだと知らせた上で、その改善策を開発している事を知らせた。そして、それを私に施工する代わりに、馨をここから連れ出す事」

「だが、そんな事をすれば、お前も結果的に虚無の境界を裏切った事になるんじゃないのか?」

「えぇ、そうよ」百合が迷わずに答える。「私は自由を手に入れる。もう、誰の指図も受ける気はないわ…!」

 百合の言葉に、武彦は確信した様な表情を浮かべ、煙草を消して馨へと振り返った。

「本気みたいだな」武彦が馨へと声をかける。

「えぇ。それを確かめる為に、今日ここに武彦を連れて来てもらったのよ。本当に、自分の利の為に動いているのかどうか、確認する為にね」

「…虚無の境界としては絶対に知られたくない場所へ、俺を連れて来れるかどうか、か。ハイリスクな賭けだ。もし柴村が虚無の境界の息がかかっていれば、お前は確実に消される事になったんだぞ」

「この命は、二度消えているわ。一つはこの身体になる前。そして、この身体になって、貴方に私を撃たせた時。どうせいずれ訪れる三度目なら、私は勝ち取る為に使う…!」

「…馨…」

「武彦、私は貴方を裏切るつもりなんてない。お願い、楓を止めて」

―――

――

 既に部屋の中はオレンジ色の夕陽で紅く染められていた。泣くだけ泣いて、少し気持ちが落ち着いた。泣き疲れていつの間にか眠ってしまったらしい。勇太はそんな事を思いながら、隣りを見た。

「…凛、もう夕方だよ…」

「…ん…」凛がゆっくりと目を開ける。

 凛が少しだけ動いて、手を繋いだまま寝ていた事に漸く気付いた。勇太が顔を赤くしながら驚いて手を離す。

「落ち着きましたか?」

「え…?」思わず勇太が振り返ると、凛が優しい表情をして勇太の顔を真っ直ぐ見つめていた。「…うん、ごめん…」

「そればっかりですね」凛が笑う。口元を隠す様に、手を当てて。

 そんな姿を見て、勇太の胸が高鳴る。なんだかいつも凛の表情が違う様な、そんな錯覚すら感じながら勇太が凛を見つめる。

「今です、凛!」

「どわぁ!?」

 不意に響いた声に、勇太が驚いて振り返る。そこにはエストが立っていた。

「エスト様…、いつお帰りに?」

「三十分ぐらい前からだったのですが、二人の寝顔が可愛くてつい見入ってました」ウットリとした表情を浮かべながら、エストが続ける。「手を繋いで、頭と頭を寄せ合って眠る姿…。可愛かったですよ」

 エストの言葉に、思わず凛と勇太が顔を赤くして俯く。

「で、今ですってのは…?」

「あら、勿論愛の口付けを…――」

「――やっぱりかーい」勇太が投げ出す様に呟く。

「凛、勇太。鬼鮫さんからクローンの話は聞きました」エストが急に真剣な表情に変えて口を開く。

「はい。生命を創造するなど、神への冒涜です。あってはなりません」

 さすがは巫女、と思いながら勇太は凛を見つめる。

「それに、勇太の遺伝子は私がきっちりと子を…―」

 ―前言撤回です、お疲れ様でした。

 勇太が思わず誰かに幕引きの挨拶を心の中で呟く。

「…でも、どうにかしなきゃ…――」

「――ですから初夜を…―」

「―敵に俺の遺伝子を遣わせるなんて、絶対に止めなきゃいけない…」

 エストの言葉はなかった事にしたらしい。

「でも、その為には本当に研究に協力しなきゃいけないのかな…」

 勇太がそう呟いた瞬間だった。凛の携帯電話が鳴り出した…――。

                                            to be countinued…

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ご依頼有難う御座います、白神 怜司です。

笑いあり、涙ありの今回(?)いかがでしたでしょうか?

それと、今回より読み易さを追求してみようと、
ちょっと改行を細かく入れ、書き方を変えてみました。
成果があれば良いのですが…。

それでは、今後とも、是非宜しくお願い致します。

白神 怜司

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sinfonia.5 ■ 思惑-Ⅰ

「その質問は、一体何に対してしているの?」白衣を着た女性が武彦を見てクスっと小さく笑いながら呟いた。「何故虚無の境界の研究機関に私がいるのか? それとも、何故私が生きているのか?」
 扉を開いた先、研究室の様な場所にいた一人の女が武彦へと歩み寄る。
「…柴村、どういう事だ…!」武彦が女性を見つめたまま力無く声を搾り出す。
「…“相沢 馨(あいざわ かおる)”。エヴァの生みの親であり、A001のクローンシステム構築の研究者よ」百合がそう答える。
「無駄よ」馨が百合の言葉の後で口を開く。「その子は私と武彦の事については何も知らないわ」
「…知り合いなの?」馨の言葉を聞いた百合が武彦を見つめる。
「…虚無の境界と勇太を巻き込んだ大きな戦闘が起こる前の話だ。…IO2のエージェントとして馨が虚無の境界の潜入捜査を行っていた」武彦が深呼吸をして小さく言葉を紡ぎだす。「そして、数ヵ月後、勇太を巻き込んだあの戦闘が終わり、俺は数名のバスターズと共にある虚無の境界の持つ施設へと攻め込んだ」
「その時の目的は、恐らく虚無の境界の研究施設の破壊と、潜入捜査員である私の救出」馨が静かに口を開く。「でも、虚無の境界にIO2の潜入捜査員だと知られた私は、睡眠薬を飲まされ、この身体を改造された…。百合ちゃんと同じ、欠陥状態の霊鬼兵となったのよ」
「―ッ! …成る程。だからアナタはここでこの身体の改善を研究しているのね」百合が驚きながらもそう呟くと、馨は微笑んで答えた。
「…そんな事にも気付かなかった俺達は施設を爆発させ、馨を救出して無事に任務を成功させようとしていた。その時、馨がバスターズを撃ち殺し、俺に銃口を向けた…」
「…でも、洗脳されていても武彦だけは撃てなかったわ…。武彦が私に必死に呼び掛けてくれたおかげで、私にかかっていた洗脳は解けた…。そして、武彦にあるお願いをしたのよ」馨が百合に向かってそう告げた後、武彦を見つめる。「『こんな身体になってしまった私は、いつ洗脳が戻って仲間達や貴方に襲い掛かるか解らない。それに、この身体は普通の銃じゃ死ねない…。お願い、武彦。私は大事な人をこの手で傷付けたくない。だから、せめて、貴方の手で私を殺して。武彦』」
「―ッ…」武彦の顔が一瞬歪む。
「…武彦の放った銃弾は、私の心臓を綺麗に撃ち抜いた。呪物である銃のおかげで、再生能力も届かない程に」
「…そうだ。お前はあの時、確かに俺が…! なのに、何故生きている…!?」
「次に目が覚めた時、私はこの施設にいた。私の命を繋いでくれたある人によって洗脳は完全に解除してもらった。それでも、特殊な薬剤がないと生命を維持出来ない私は、貴方の元へ帰る事も出来ず、ここで彼の研究に協力しながら生き永らえてきた…」
「…ディテクター。その馨の言っている男こそが、さっき話した“宗”という男よ」百合が口を開く。
「…武彦」馨が武彦の身体を抱き締める。「外との連絡を取れないせいで、貴方に生きている事を告げられなかった…。ごめんなさい…」
「…馨…」

――

―――

 ―翌日、IO2東京本部。
 勇太と凛、それにエストの三人が鬼鮫に連れられて東京本部の中で続いている廊下を進んでいく。何となく見た事がある様な、そんな慨視感に襲われながら勇太もそれに続いていく。テレパシーを使って周囲の思惑を探ろうと企む勇太に向かって鬼鮫が不意に口を開いた。
「言っておくが、能力の館内使用は禁止だ。敵対行為と見なされ、強制的に眠らせて連れて行く事になるだけだ」
「わ、解ってるよ…」とは言いながらも、突然の鬼鮫の言葉に驚いて勇太は慌てて返事をしていた。
「それに、ここでの能力使用はリスクが大きいんです」凛が続ける様に口を開く。「脳波を妨害する音波が出ているので、能力使用をした能力者はその制御が出来ず、自らの能力に苦しむ事もあるそうですので」
「げ…それを先に言ってよ…」勇太が思わず呟く。いざとなったらテレポート、とはいかないらしい。「って事はさ、能力者の能力って脳が関係しているって事?」
「理論上はそうなるそうですが、私にもいまいち詳しい事は…」凛が言葉を濁す。
「そういう事になっているな」鬼鮫が言葉を挟む。「脳波だけが能力発生の引鉄にはなり得ないらしいが、結局は脳が命令を出す事に変わりはない。なら、そこを抑えるだけの工夫をしていて無駄にはならない」
「へぇー、鬼鮫って脳筋なのかと思ってたけど、案外博識なんだ…」
「思考がだだ漏れだぞ、小僧」
「あ、すいません…」
「IO2に所属するには様々な心理テストや肉体テスト、それに知識が必要になる。少なくとも、資質こそあっても凛はそれらをクリアして正式にIO2に所属した。資質だけで戦っているおまえとは違う」鬼鮫が勇太にそう告げ、足を止めて目の前にあった扉を軽くノックした。
「どうぞ」
 中から声をかけてきたのは一人の女だった。鬼鮫が返事を聞いて扉を開ける。
「連れて来たぞ」
「ありがと、鬼鮫」女が振り返る。
 室内には長い楕円上のテーブルに椅子が等間隔に置かれ、入って右手にある壁には大きなモニターが飾られている。にも関わらず、各席にも小型のモニターが取り付けられている。さながら映画やドラマの中の巨大な会議室の様な造りに、思わず勇太がキョロキョロと辺りを見回す。
「どうぞ、その辺りに座ってちょうだい」大人の女性、とでも言うべきだろうか。女が勇太達にそう促す。勇太達が椅子に座ると、女が向かい合う様に椅子に腰かける。
「初めまして、工藤 勇太クン」
「あ…、アンタは…!」
「IO2、科学研究部門の統括管理官、“相沢 楓(あいざわ かえで)”です。ディテクターと鬼鮫から貴方の話しは聞いているわ」柔らかい物腰で女が告げる。「…どうしたの?」
 楓と名乗る女が勇太の態度を見て尋ねる。勇太はある事を思い出していた。凰翼島で、武彦の記憶を見た時にいた女性。その女性と瓜二つの顔をしている。
「…撃たれた人…じゃ…?」
「…ッ! …それは私の双子の姉、馨の事ね…。感応能力で見てしまったのかしら?」
「あ、すいません…」
「良いのよ。もう五年も前の事だわ。ディテクター…、いえ、武彦から全て聞いているわ」
 楓と勇太のやり取りに、エストと凛が思わず首を傾げる。
「恨んでますか…?」勇太がふと楓に向かって尋ねる。「その、草間さんの事…」
「…最初は、ね。彼を恨まないと、気持ちのやり場がなくておかしくなりそうだった…。でも、今は感謝しているわ。彼が姉さんを撃たなければ、きっと姉さんはもっと苦しい思いを…」楓の言葉が途切れる。「ごめんなさい、私情が混ざった会話になってしまったわね」
「あ、いえ、俺の方こそ、変な事聞いてすいません…」
「気を取り直して、本題に入りましょう」楓がニッコリと微笑む。「実は、虚無の境界で今、貴方のクローンを作り出すという研究が行われている可能性があるの」
「クローン…!?」凛が思わず声をあげる。
「正確には、貴方の遺伝子を利用したクローン霊鬼兵隊だと思われるわ」楓が言葉を続ける。「今回貴方をここに匿い、同時に我々はそんな事が本当に可能なのかどうかをテストしたいのよ」
「お言葉ですが、相沢管理官。それはテストとして生命を作り出すと言う事でしょうか…?」凛が口を挟む。
「生命ではないわ。脳と似た組織を持つ媒体を作り出して能力の使用が可能かどうかを調べるのよ」楓が静かに答える。「勇太クン。貴方の過去は我々も把握している。こんな事に手を貸したくない気持ちは解るわ」
 楓が声をかける。勇太は確かに表情を青ざめさせながら、俯いていた。
「でもね、勇太クン。これがもし本当に成功してしまったなら、貴方は自分の分身の様な存在達と戦い、殺さなくてはならなくなる。そうなる前に、可能かどうかを実験すると同時に、その研究施設を押さえる必要があるわ。生み出される前に、ね」
「…解った…。協力する…」

―――

――

「武彦、私はここでこのクローン研究を完成させない様に進展させながら、私や百合ちゃんの身体を改善させる研究を続けて誤魔化してきた」馨がそう言って、言葉を続けた。「だから、絶対に楓にA001の細胞を渡さないで」
「楓に? どういう事だ?」
「私より頭の回る楓が、本物のクローン研究を完成させないとも言い切れない…。あの子はきっと、私の死で虚無の境界に復讐を企てる…」
「そんな事、言い切れない―」
「―私だったら、そうするわ」馨が武彦の言葉を遮る。「あの子と私は一心同体だった。だからこそ、私はそれが怖い…」

 それぞれの思惑が、武彦と勇太を巻き込む様に動き出していた…――。

                                                to be countinued…

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sinfonia.4 ■ 不確定事項

「俺にも解らないよ…」勇太は動揺を隠せず、頭を掻き毟る。「何でIO2の動向を探る必要があるんだろう…」
「IO2の動向…」
「凛、IO2にいるんだろ? 何か知ってるんじゃないのか!?」
「残念ながら、私は何も…。ただ、勇太の知り合いだという事を鬼鮫さんに知られているので、今回の警護には私を推薦して頂いただけですので…」
「…そっか、鬼鮫は俺と凛が出会った凰翼島にいた。それを知っている…。だとすれば、IO2は別に何もしていない…?」
「可能性の話しなので、憶測を脱しきれませんが…」凛が口を開く。「もしもIO2が何かを企てているのなら、勇太をIO2からも隔離出来る環境に置く為に、私と共にいさせる様に鬼鮫さんが取り計らった可能性もありますね」
「鬼鮫が…?」
「えぇ。あの方に世話になっていた頃、何度も勇太の事を気にかけていました。あの方が敵になる様な事態があるとは思えません…」
「…もしくは、草間さんが柴村に騙されているって可能性もあるのか…」
 二人が溜息を吐く。今こうしてここで話していても埒が明かないのは解っているが、ヘタに動けない様にこの場所へ連れて来られたのも事実だ。手が塞がった状態だ。
「…勇太、私を疑ってますか?」ジっと見つめながら凛が不意に尋ねる。
「…ううん、凛は俺を騙す様な事はしないだろ?」勇太の言葉に凛の顔がパアっと明るくなる。
「はいっ」
「でも、IO2の動向を探るって、一体何をどうすりゃ良いんだろう…」勇太が再び考え込む様に呟く。
「今は従いながら探る事しか出来ませんね…。エスト様に知恵をお借り出来れば良いのですけど…」凛が呟く。
「…それだ…! 天使様に状況を説明してみよう! でも、ここに来る事を今IO2に知られるのもマズいよな…。草間さんの話だと、今は信用しきっちゃう訳にもいかなそうだし…」
「テレパシー等で話せれば一番良いのですが…」
「いや、それはちょっと難しいかな…。俺のテレパシーは距離とかが解らないと無駄に思念ばっかり拾っちゃって…」
「…だったら、妙案があります」凛が不意に目を輝かせる。
「…名案、じゃなくて妙案って…?」

――。

「……っ」
 心臓が強く脈打つ。人生で初めての体験に、思わず勇太の心臓が高鳴る。
「…ん…」
「――ッ!」
 振り向いてしまえば、すぐ目の前に凛の顔がある。凛の“妙案”とは、確かに妙だったと言わざるを得ない。今、ベッドで横になっている。振り返ると目の前には凛の整った顔がすぐ傍にさえなければ、これほどの至福の時はないのだが、今の勇太は既に生命の危機を感じさせる程の心臓の高鳴りが脈打っている。
「…た、確かに…急いで連絡取りたいけど…。う、腕枕とか…俺が眠れないんですけど…」
 そんな勇太を他所に、凛はすっかりと眠りこけている。
「よ、よし…、今の内に…―」勇太がそーっと凛を起こさない様に腕を引き抜く。
「―ん…勇太…」勇太の服をギュっと掴む凛。だが、どうやらまだ寝ているらしい。
「な…なんだ、寝てるのか…」
 凛の手をそっと握り、手を離させてベッドから立ち上がる。どうにかベッドから抜け出した勇太は物音を立てない様にそっとテレポートで隣りの部屋へと移動した。
「…うはぁ…、助かった…。心臓に悪いよ、ったく…」
「あら、起きたのですね」
「いや、むしろ寝れないでしょ…。凛の隣りで…って――」
「せっかく二人の初夜を邪魔すまいと静かに入っていたのですが…」
「て、天使様!?」
「お久しぶりですね、勇太さん」にっこりと微笑みながらエストがお茶を口にする。
「…って事は…失敗…?」
「凛から聞きましたよ。IO2の動向を探る様に、草間さんから言われたので何処かで合流するべき、と」
「なのに、何でここにいるんですか…?」
「凛が私の元へ来たのはつい先程ですので。随分嬉しそうだったので訳を聞いたら、勇太さんの腕の中で眠っていると…――」
「―もう良いから! …はぁ…」勇太が思わず溜息を吐く。「って事は、凛のヤツ、暫く起きてたんだ…」
「ですが、事態は一刻を争いますね…」不意にエストの表情が険しくなる。
「な、何か知ってるんです――」
「―勇太さん、早く凛の元へ行って初夜を…」
「…は?」
「年頃の若い男女が同じベッドにいながら過ちがないなんてそんな事…」呆れた様にエストが溜息を漏らす。「さぁ、私は気にせず、契りを…」
「…失礼ですけど、馬鹿ですか?」
「オホホ、冗談です」そう言ってエストが深呼吸する。「心配しないで下さい。私達が合流した所で、IO2が危惧する可能性があるなら草間さんもそう考える筈です」
「あ…、そっか…」
「それに、私もIO2には少々用事があります」
「で、でも、草間さんは探れって…」
「えぇ。ですから、懐に飛び込む必要があるのです。IO2が情報を漏らしてくれるのを待っていては、何も始まりませんよ」
「懐に飛び込む…?」
「そうです。明日、恐らく鬼鮫さんに連れられ、貴方達はIO2東京本部へと行く形になる筈。そこに私も同席します」
「IO2東京本部へ…? で、でも、何で天使様がそんな事…」
「エスト、と呼んで下さい」
「え、あ、エスト様が何でそんな事を知ってるんですか?」
「鬼鮫さんとはメル友です」エストが携帯電話を取り出して勇太に見せる。
「…は…?」
「と言うのは冗談ですが、あの二年前の事件をきっかけに“凰翼島”の妖魔の管理を任された私と凛の祖父は、鬼鮫さんと連絡をしていましたので。魑魅魍魎や妖魔の動きが活発化しだした事から鬼鮫さんに相談をした所、今回凛の元に貴方が来る事等も聞いていました。“虚無の境界”という連中との衝突等も含めて、です」
「…鬼鮫、やっぱり味方してくれてるんだ…」勇太が不意に小さく笑う。
「鬼鮫さんが言うには、IO2の中から情報が漏れている可能性…。つまり、内通者がいる可能性があるとの事です。それに、これは貴方にとっては酷な話しなので、言うべきかは迷うのですが…」
「…?」
「…“虚無の境界”が造り上げた“霊鬼兵”に似た兵器を造りたがっている研究者が、貴方のデータを欲しがっているとの噂を聞いた、と。“虚無の境界”に対抗する兵器を作る為か、あるいはただの研究材料としては定かではないそうですが…」
「―…ッ!」勇太の脳裏に昔の苦い記憶が蘇る。
「いずれにせよ、まだまだ情報が不確定過ぎて信憑性に欠けているのは事実です。だからこそ、私達は協力して動かなくてはなりません。合流してしまえば、対抗する手段は増える。それが、草間さんの狙いなのかもしれません」
「…胸糞悪い事考えるな、IO2も…」勇太が呆れた様に溜息を漏らしながら身体を投げ出す。「ま、昔っから草間さん以外のIO2は好きになれなかったけどさ。とりあえず、エスト様の言う通り、明日IO2に行くよ…」
「そうですね…。では、初夜の続きを――」
「――まだ言う!?」

―――

――

「一体どういうつもりだ、柴村 百合。何を企んでいる?」
「言った筈よ、ディテクター。私は私の目的の為に、アナタと動く。情報を提供する代わりに、私に協力してもらうわ」
 誰もいない深夜の研究所。百合に連れられた武彦はその中を歩いていた。大型のカプセルにはまるで胎児の様な姿をした赤子が浮かんでいる。
「…SF映画さながらの光景だな」
「気付いているんでしょう? ここにいる赤子は、普通の人間ではないわ」
「まぁ、そりゃそうだろうな…」武彦が苦々しげに呟く。「…クローン人間の研究機関…とも言えないな。これだけの性能を持つ機器を、こんな無名な地にある研究施設なんかに置く訳がない」
 武彦の言う通りだった。ここは日本の本当から沖に数百キロも離れた所にある小さな無人島。私有地となっている場所だ。
「ここにいるクローン。この子達は、A001の遺伝子情報を基に構築・改良された人間兵器として、“虚無の境界”が作り出しているクローン兵隊よ」
「クローン兵隊…だと…!? それに、A001って、まさか…」
「そう、工藤 勇太。彼の遺伝子情報を構築させる為に、ある人間が“虚無の境界”に助力を行ってくれていてね。そのおかげで、エヴァ・ペルマネントという完成された霊鬼兵が造り上げられた」
「“虚無の境界”に助力をしている人間、だと…?」
「私も素性は知らないわ。“宗”としか名乗ってない男で、顔も見た事ないもの」
「…厄介な奴が背後にいるって訳か…」武彦が呟く。「それで、俺をこんな所に連れてきた理由は?」
「“彼女”がアナタを連れて来れば、協力してくれると言うからよ」
「“彼女”?」
「この部屋にいるわ」百合がそう告げてノックをすると、中から女性の声で返事が返って来る。
「…何で…お前が…」武彦が思わず口を開き、目を見開く。

                                            to be countinued…

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