sinfonia.3 ■ 再会-Ⅲ

黒い髪をふわりと舞い降ろしながら、相変わらずの独特な雰囲気を漂わせながら、数年ぶりに会った少女は勇太を見つめた。
「お前だなんて、まだ婚儀を果たしていないのにそんな…」
「そういう意味で捕らえるかな!?」頬を赤らめながら手を頬に当てる女性に勇太がツッコミを入れる。「凛、何でお前がここに…」
「嫌ですわ、勇太。二年前、アナタの話しを聞いた私が諦めたとでも思っているのですか?」凛が胸ポケットから何かを取り出した。「これを見て下さい」
「うん、大きい…じゃなくて」勇太の視線が漸く凛の胸から凛の手に取った手帳へと移る。「International OccultCriminal Investigator Organization…って、まさか…―」
「―そう。勇太を付け狙う“虚無の境界”に対抗するだけの戦闘能力と情報を得る為に、私はIO2の正式なエージェントになりました」
「ま、マジか…。驚いた…」驚き顔を見つめる勇太に思わず凛が顔を赤くする。
「勇太、二年で大人っぽくなりました…ね…」
「へ…? り、凛こそ…その、綺麗になったよな…」
「再会を喜んで話してんじゃないわよ!」ピクピクと眉間に皺を寄せてエヴァが再び大鎌を具現化して口を開く。
「邪魔しないで下さるかしら?」凛がエヴァを見つめる。
「フン、小娘のユーが私に勝てるとでも思ってるのかしら?」挑発する様にエヴァが凛に答える。
「いや、胸の大きさからして明らかに凛の勝ち…って、うおぉ!?」勇太の目の前に鎌が振り下ろされ、地面を砕く。
「こ…の…! A001、殺す!」
「ぎゃー! ごめんって! 気にしてたんだよな!? ごめんって!」
「気にしてなんてないわよ!」
「勇太、貧相な胸だからってそんな事言うのは関心しませんよ」凛が更に横から火に油を注ぐ。「ないなりに服を選び易い利点もあるのですから」
「まとめて殺す!」
 エヴァが殺気を放つ。どうやら完全に怒らせてしまった様だ。
「お、おーい…。そんなに怒るなって…」
「うるさい!」
「ぎゃー!」
 エヴァが鎌を振り回すが、勇太が必死にそれから逃げ惑う。
「…(…まさか私やユリのオリジナルがこんな程度だったなんて…!)」エヴァの鎌の動きが雑に乱れる。
「っとっと…」勇太が後ろへ飛び、着地する。「凶暴だなぁ…」
「工藤 勇太。私と戦いなさい」エヴァが鎌を勇太へと突き出す。「まだまだその程度じゃないハズよ…!」
「そんなに戦いたきゃ、俺が相手してやるぞ」
「げっ、鬼鮫…」
「フン、小僧を見つけたと報告が入って来てみれば、“虚無の境界”のエヴァまでいるとはな」鬼鮫が相変わらずの気迫を放ちながら歩み寄る。
「…IO2の鬼鮫…」エヴァが鎌を降ろし、振り返る。「A001にIO2のエージェントが二人…。さすがに分が悪いかしらね…」
「フザけんじゃねぇ。俺一人で充分だ」鬼鮫が刀の柄に手をかける。
「生憎だけど、今日はオリジナルの実力を見に来ただけ…。本気でぶつかり合う気はないわ」エヴァが鎌を消し去り、勇太へと振り返る。「ユーもそうみたいだしね」
 エヴァはそう告げると、その場から姿を消してしまった。どうやら目的を果たせず、今日の所は引いてくれたらしい。
「はぁ~…、なんなんだよ…」
「さて、小僧。今度は逃がさねぇぞ」鬼鮫はエヴァがいなくなったにも関わらず刀を鞘から抜き出し、勇太へと突きつける。
「え…っと…、凛さーん…」
「勇太、鬼鮫さんは私の上官ですので、逆らえません…。申し訳ありません…」
「そういう事だ」鬼鮫の表情が歪に笑みを浮かべる。
「ちょっ、タンマ! 待って! 草間さんからも話し聞いてるから、行くってば!」勇太が両手を上げる。「行くから刀しまってもらえません…!?」
「…フン」鬼鮫が刀を鞘にしまう。
「でもさ、やっぱ行くなら隔離部屋とか嫌だし、クーラー付きの部屋に漫画本とかゲーム機とかあってー…。あ、ついでにお菓子も付けてよね」
「……」鬼鮫が再び刀の柄に手をかける。
「はい、嘘です。ごめんなさい」勇太が顔を引き攣らせながら答えた。「と、とりあえず俺、零さんに伝言頼んでくるから!」

―――

「IO2の隊員寮?」
「あぁ、そうだ。24時間体制で貴様を監視する必要があるからな。暫くはそっちで生活してもらう事になる」鬼鮫が勇太と凛を連れながら告げる。「って事で、凛。部屋に案内してやれ」
「あ、凛知ってんの?」
「えぇ、私の部屋ですから」
「は…?」
「そういう事だ。今日からお前達は一緒に住め」
「喜んで!」凛が間髪入れずに返事をする。
「喜ぶの!? それ男側のセリフじゃない!?」
「ゴチャゴチャ言ってねぇで、さっさと部屋に入れ」鬼鮫はそう言い残してスタスタと歩いて行った。
 IO2の隊員寮と言われて紹介されたのは、随分と高級な造りのマンションに見えた。指紋認証にオートロック。随分とセキュリティが厳重なのは見て解る。何はともあれ、とりあえず勇太は凛に連れられるがまま凛の部屋へと入っていく。
「一般的には厳重でも、アホ毛女には通用しないだろうな…」
「アホ毛女…?」ピクっと凛が耳を立てる。「勇太、“柴村 百合”の事ですか?」
「知ってんのか?」
「フ…フフ…、夢の同棲生活を邪魔させたりはしませんわ…!」
「…り、凛さーん…?」
「…勇太」突如満面の笑みで凛が振り返る。
「はいっ!?」
「会いたかった…」凛が勇太に抱き付く。
「ちょっ…! 凛…!」思わず勇太の身体が硬直する。
「…お願いします…、少しだけ…」
「…凛…」勇太が思わず息を呑む。「…(…や、やわらかい感触が…)」

―――

――

「―まさかIO2に入ってるとは思わなかったよ」
 凛から事の経緯を聞いた勇太が口を開く。
「私達、護凰の一族は元々神道に長けた一族です。その力を更に伸ばすには、それ相応の知識と能力のある人間の指導が必要だと、エスト様にも言われました」カップに冷たいお茶を注いで勇太と自分の前に置き、凛が椅子に腰かけながら答えた。
「ありがと…。でも、危険だってあの時言っただろ?」
「多少の危険など、覚悟の上。私は勇太と草間さんに巫女の宿命を変えて頂いたからこそ、今を生きています」凛の瞳が真っ直ぐ勇太を見つめる。「それに、心に決めた方が危険な状態にあると解って、ただ指を咥えて見ているなど、耐えられません」
「凛…」思わず勇太が気恥ずかしくなって俯く。「そういえば、天使様の姿が消えたって草間さんが言ってたけど、知ってる?」
「はい。以前エスト様が私の夢に出て来て仰っていました」
「そっか、夢で会ったり出来るんだよな…。何て言ってた?」
「『世界のバランスを崩そうとしている者がいます。その者達は、あの日の少年達の前へ必ず現われます』と」
「俺の事、かな…。だとしたら、やっぱり“虚無の境界”は大掛かりな事をやらかそうとしているに違いない」勇太がお茶に口をつける。
「そうさせない為にも、私達IO2は勇太を匿い、情報を集めています」
「じっとなんかしてらんないよ…。アイツらとは、ちゃんと決着をつけなきゃなんだ…。俺自身の手で…」
「…勇太…」
 不意に勇太の携帯電話が鳴り響く。
『…工藤 勇太。私よ』
「し、柴村!?」思わず勇太が声をあげる。「お前何で俺の番号を…!」
「…“柴村”…?」凛の身体から殺気が溢れ出る。
『ディテクターに聞いたのよ。状況が変わったわ』百合の声が心なしか暗く沈んでいる。『私は今、ディテクターと一緒にいるわ』
「草間さんと一緒…!? どういうつもりだ!?」
『勇太、俺だ』
「草間さん…!?」
『ちょっとばかり事情が変わった。俺は暫くこいつと動く』
「ど、どういう事ですか!?」思わず勇太が立ち上がる。
『“虚無の境界”の動きを知るには、今はこいつと動くのが一番有効だと考えたんだ。お前は暫く、そのままIO2の動向を探れ』
「IO2の動向…?」
「勇太、どうしたんです…?」凛が声をかける。
『凛も一緒にいるのか?』
「一緒だよ」
『エストがそっちに行く筈だ。お前達はエストと合流したら、暫くは行動を共にしておけ』
「ちょ、全然意味解んないって! 草間さ――」
『―勇太、俺を信じろ』
「え…」
『今はまだ情報がハッキリしてない。解り次第連絡するが、暫くは柴村の携帯電話で連絡を取る』
「…解った!」
 勇太の返事で武彦が電話を切る。
「…勇太…?」
「凛、天使様がこっちに来るらしい」
「エスト様が…?」
「俺と凛と天使様は合流して一緒に動く事になる。それで、IO2の動向を探れって…」
「IO2の動向を…? どういう事です? IO2は勇太を助ける立場の筈じゃ…」
「解らない。だけど、草間さんがそう言うなら、俺はあの人を信じる」
「…一体、何が起ころうとしているのですか…?」

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sinfonia.2 ■ 再会-Ⅱ

逸る気持ちを抑える様に、勇太は百合に手渡されたメモを手にスマートフォンを取り出す。手馴れた手付きで操作をして百合の番号を登録する。
「…こんな所に草間さんが本当にいるのか…?」そんな事を呟きながらも、元々直感行動型の勇太に思慮深い行動はあまり得意ではない。「まっ、行けば解るよな!」

――

―――

「何処に行っていたの?」
 カツカツと足を踏み鳴らしながら歩いていた百合に、一人の少女が声をかける。金色の髪を頭の後ろで一本に束ねた赤眼の少女。外国人特有の独特な顔立ちをした少女は壁に背を預けながら腕を組んで立っていた。
「…アナタには関係ないでしょ」百合が不機嫌そうに答える。「“エヴァ”、アナタがやるべき仕事は私とは関係のない事。介入される筋合いはないわ」
「フフフ、いつもより随分饒舌ね…?」
「なっ…!」百合が振り返る。「そんな事ないわ!」
「らしくないわね、ユリ」エヴァと呼ばれた少女が静かに続ける。「こんな簡単な鎌にかかるなんて、ね」
「…バカにしないで」百合の目付きが鋭く光る。
「…ヒステリックは身を滅ぼすわよ、ユリ」エヴァが百合に歩み寄る。「それと、今回のA001の奪還は、私も参加する事になったわ」
「…どういう事? アイツは私の獲物よ!」
「盟主様の命令よ」
「…ッ、アンタに聞いても話にならないわ…」百合がそう言い捨てて歩き出す。
「盟主様に聞いても、結果は変わらないわよ」
「…何が言いたいの?」エヴァの言葉に振り向かずに百合が尋ねた。
「A001は私の霊子変換の技術の基となったオリジナル。私が興味を持ったから志願したのよ」
「…なんですって…? その能力なら、私にも―」
「―ユーの能力は所詮は模造品。オリジナルと違って、その能力が進化する事もないわ」エヴァが更に言葉を続ける。「それだけじゃない。一定の時間での薬の投与。ユーはあまりにも不完全よ」
「…ッ!」百合が何も言えず、ただギリっと歯を食い縛る。「随分バカにしてくれるわね、エヴァ…!」
「…悪いけど、それは盟主様の言葉よ」
「…ッ! 嘘よ…! あの方が私を…そんな…」百合の瞳孔が開き、言葉を漏らす。不意に襲った胸に走る激痛で、百合はその場で崩れる様に座り込みながらポケットに入った小さなケースから薬を取り出して急いで口の中へと放り込む。
 そんな百合を尻目に、エヴァが歩いて去っていく。
「…(…私…は…盟主様の為に…!)」

―――

――

「ドロップキーック!」
「ぐほぉ!」
 駆け寄った勇太が背後から武彦の背に綺麗にドロップキックをお見舞いする。前のめりに林の中をダイブする武彦に、思わず勇太は自分の勢いでの行動を後悔する。
「あ…はは…、やだなぁ…避けてよ…」
「…死にたいらしいな、勇太ぁ…」武彦が銃を取り出しながら口を開く。
「や、すんません! 冗談! 悪気はありましたけどありませんでした!」
「この野郎…」武彦が銃をしまいながら溜息を漏らす。「…ったく。で、何でこんなトコにいるんだ?」
「あ! そうだよ! 何で俺に内緒で一人で動いてるんですか!」
「あのなぁ、いきなりドロップキック入れてきたと思ったら、今度は唐突に膨れっ面でつっかかるな…」武彦が溜息混じりに呟く。「で、何の事だ?」
「あの凶暴なヤツがいきなり来て襲い掛かってきて、あの柴村ってアホ毛が綺麗になってて…! あ、でも胸はペッタンコのままだったけど!」
「意味がさっぱり解らん」

                       ―説明中―

「…“虚無の境界”が動き出したって事か…」
 結局武彦に全ての順を追って説明を迫られた勇太はあった事を全て一から説明させられ、武彦は煙草の紫煙を吐きながらそう呟いた。
「そうみたい…。草間さんは最近何してたんです?」
「あぁ、最近妖魔に関わる案件がやたらと多くてな」
「妖魔?」
「あぁ。あの狼の一件から、やたらと妖魔に関わる事件の依頼が立て続いていてな。気になる事があって、“凰翼島”にも顔を出してたんだが、案の定だった」
「あそこにも行ってたんだ…。でも、案の定って?」
「あぁ。エストが姿を消した」
「エスト…って、天使様!?」勇太が詰め寄る。
「そうだ。向こうでも魑魅魍魎や妖魔が出て来る事件が多発しているらしくてな」
「え、一体何が起きてるんですか?」
「…あの狼の事件は、“虚無の境界”が関わっていた可能性が高いっていうある噂があってな。裏付けは取れてないがな」
「“虚無の境界”が動いているなら、俺も一緒に動くよ!」勇太が口を開いた。
「悪いが、それは出来ない」
「え…?」
「勇太、俺から鬼鮫に連絡を取る。一度IO2と合流して、俺が戻るまで待機してるんだ」武彦がそう言って勇太を見つめた。「お前を狙ってくるのは五年前の虚無の境界の行動を見ていれば一目瞭然だ。俺が監視をしていても、IO2を離れた俺の言う事を鵜呑みにはしてくれないだろう」
「で、でも…! 草間さんと一緒なら、IO2だって無理には…――」
「――勇太、今回の事件。虚無の境界はまだその片鱗しか見せてないんだ。下手にIO2ともめる様な状態が続けば、かえって動きにくくなる」
「~~ッ!」
 勇太は思わず言葉を飲み込んだ。武彦の言う事はもっともだ。だが、それを頭で解っていても、納得はしたくない。勇太は武彦の顔から視線を逸らし、俯いた。不意に武彦がそんな勇太の頭をガシっと鷲掴みにしてグシャグシャと撫で回す。
「心配すんな、一時的に協力を乞うだけだ。俺もある程度調べ終わったらお前と合流する」
「な、何言ってんのさ! 解ってるよ、そんな事!」顔を赤くしながら勇太が声をあげて反論すると、武彦が笑ってみせた。
「なるべく自由に動ける様に取り計らってもらうつもりだが、どの程度までIO2がお前の自由を許すつもりなのか解らない。一度興信所に戻ってろ。“零”がいる筈だ」
「解った。草間さん、気を付けて!」
「お前に心配される程、なまっちゃいねぇよ」
 勇太がその場からテレポートで消える。それと同時に、武彦が深呼吸をして振り返る。
「…そろそろ出て来たらどうだ?」
「…気付いていたのね」太い樹の影から女が姿を現す。
「…成程、勇太も驚いた訳だ。随分と大人っぽくなったな、“柴村 百合”…」武彦が腰を落とし、構える。「一体何を考えてる? 勇太とコンタクトを取ってわざわざ俺の居場所を教えた理由は何だ?」
「ただの気まぐれよ」百合がクスっと小さく笑う。
「“巫浄 霧絵”の妄信者だったお前が、わざわざ俺達にメリットを与えるとは思えないんでな」
「…そうでしょうね…」寂しげな表情を浮かべながら百合が小さく呟く。「信じるか信じないかはアナタ次第だけど、情報をあげるわ。既に工藤 勇太を狙って、虚無の幹部が動き出してるわよ」
「…ッ」武彦が小さく舌打ちをする。「どういうつもりかは解らないが、どうやら嘘って訳でもなさそうだ。だが、どうしてお前が俺にそんな情報を与える?」
「私は…――」

――。

「工藤 勇太」
 草間興信所のあるいつもの雑居ビルへ進もうとした勇太に、突然一人の女性が声をかける。
「…外人…? 何で俺の名前を?」勇太が少女へと振り返る。
「…血縁者、叔父の“工藤 弦也”の元に引き取られ、その能力を隠しながら日々の生活を過ごす超能力者」
「…あんた、何者だ?」勇太の顔が険しくなる。
「五年前、“虚無の境界”に拉致された際、当時のディテクター“草間 武彦”に救出され、一度は穏やかな生活にその身を委ねていた」夕陽に染められた金色の髪を揺らしながら、少女が空に手を掲げる。「そして今、再びその能力を巡った運命に翻弄される」
「なっ…!」
 少女が掲げた手に真っ黒な影が集まり、巨大な鎌が具現化される。
「私の名は“エヴァ・ペルマネント”。“虚無の境界”によって生み出された、霊鬼兵。そして…」エヴァが鎌を持って構える。「ユーの能力を更に改良して造られた唯一の成功例よ」
「…俺の…って…!」
 瞬間、エヴァの振り下ろした鎌が地面を砕く。勇太は既に後ろへ飛び退いて避けていた。
「い、いきなり何すんだ! それに、アイツだって俺の能力を…!」
「アイツ? ユリの事かしら」エヴァが再び鎌を振り回しながら構える。「あの子は失敗作よ。副作用で薬を飲まなきゃ自分を保てすらしない」
「…ッ! そんな事に…!」
「ユリがいなければ、私は完成しなかった。そういう点では感謝してるけど、ね」
「…けんな」勇太の肩が震える。「フザけんな!」
 勇太の咆哮と共に、周囲に衝撃波が走る。
「…なんでユーが怒ってるの?」
「人の事犠牲にして、失敗作だと…?」勇太が真っ直ぐエヴァを見つめる。「アイツは…、確かにアホ毛で胸も小さいままで、性格も悪いけど…、失敗作なんかじゃねぇ!」
「お涙頂戴のセリフも、私には興味ないわ」エヴァの口元がニヤリと歪む。「A001、ユーの力を見せてもらうわよ―」
「―勇太、変わってない様で安心しました」
 ふわりと響いた声と共に、一筋の光り輝く札がエヴァ目掛けて飛んで行く。エヴァが鎌でそれを弾こうと触れた瞬間、鎌の具現化が解け、札の放った光りの中へと霧散していく。
「…神道…。悪霊を祓ったのね」エヴァが声の主を睨む。
「私の大事な方を利用しようとなどさせませんわ」声の主の女性が姿を現す。「久しぶりですね、勇太」
「…お前…!」

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カテゴリー: 01工藤勇太, sinfonia, 白神怜司WR(勇太編) |

sinfonia.1 ■ 再会

――東京。
 相変わらずの錆びれた階段を駆け上がる、学校のブレザーに身を包んだ黒髪の少年。髪は揺れ、緑色の独特な色を纏った瞳で見据えた先、半透明のスモークガラスには“草間興信所”と書かれたシールが貼ってある。どう考えてもこの古い雑居ビルに、初めて来る人間は足踏みしてしまうだろう。なんせ胡散臭い。少年はそんな事を思いながら扉のドアノブに手を触れる。
「…何だ、また留守かな…」

――。

 ―一ヶ月程前の事だ。
「夏休みかぁ。学生は羨ましいな」
 相変わらず紫煙を天井へと上らせながら眼鏡をかけた“草間 武彦”が少年に向かって溜息混じりに呟いた。
「だからさ、草間さんの仕事手伝えるって事ー」
「ま、お前の気持ちは有難いが、生憎お前の超能力が全部を解決出来るって訳じゃない。お前の苦手な部類の仕事だって、たくさんあるからな」そう言いながらも武彦は壁に貼られた、効力もなく剥がれかけている張り紙を見つめた。
「まぁとりあえず、そういう事だからさ! また寄るよ!」
「あぁ」少年を見送ろうと見つめていた武彦が、少年がドアノブに手をかけた瞬間に声をかけた。「“勇太”」
「ん?」ドアを半開きにした所で勇太が振り返った。
「…憶えているよな。今年が“五年後”だって事」武彦の声に鋭さが増す。
「うん、解ってる」
「なら良いんだ」

――。

 ―そんなやり取りをしたのは梅雨に入る時期の話だった。夏休みを直前にした“工藤 勇太”はこの一週間、ずっと夏休み中の事や、“五年後”となった今年の事について話しをしようと足しげく“草間興信所”に通っているが、そこに武彦の姿はなかった。
「…(草間さんの所にはいろんな依頼来るしな…。俺の力が合わない依頼とかもあるみたいだし…、今回は俺はお呼びじゃないって事か)」
 雑居ビルを抜け出し、勇太はそんな事を思いながら帰路についていた。
 何かが武彦の身に起きた、とも脳裏を過ったが、それは要らぬ心配だった。武彦の実力は、この数年間一緒にいた勇太が一番よく解っている。とは言え、それも勇太が知る内での話しだが、武彦はトラブルに巻き込まれてくたばる様なタイプではない。どちらかと言えば、トラブルを引き寄せて解決させてしまう。そんな妙な信頼感が、勇太の中にはあった。
「(草間さんと“アイツ”だけは、絶対死んだりしない気がする)」勇太はそんな事を思いながら歩いていた。
 サングラスをかけた明らかに危険な殺気を放つ男。独特の白い鞘に納まった刀を一度抜けば、それだけで死すら感じさせられてしまう。そんな男…―。
「―そうそう…、あんな感じで…」向かいから歩いて来る男を見つめて勇太はうんうんと頷き、再びその男を見る。「…って、本物…?」
「久しぶりだな、小僧」
「こ、こんちは…」真正面に立つ男に向かって思わず苦笑いを浮かべて勇太は続けた。「あ…はは…、仕事ッスか…?」
 正面に男と、四人組みの男達。仕事以外の取り合わせであんな面子を見る事はまず無い。解りきった事を聞く様に勇太はそう尋ねた。
「ああ、仕事だ」男がスっと白い鞘に納まる柄に手をかける。「工藤 勇太。お前を捕獲する」
「――っ!?」
 男の言葉と同時に四人組みの男が勇太に向かって突進する。その尋常じゃないスピードは常人ならば抵抗する事は出来ぬであろう。だが、勇太は襲ってきた四人組みと、更には刀に手をかけた男の更に奥へとテレポートした。
「な、何すんだよ、バカ“鬼鮫”! 俺何も悪い事もしてないよ!」
「…チッ、バスターズ程度じゃ捕らえられねぇか」鬼鮫が勇太に向かって鞘から抜いた刀の切っ先を向ける。「小僧、抵抗すればタダじゃおかねぇ。大人しく言う事聞け」
「やだよーっだ! 捕まる理由なんてないじゃんか!」
「上等だ…」
「何なんだよ!」
「数年ぶりに見せてもらうぞ!」
 瞬間、地面を蹴った一歩で鬼鮫が勇太へと間合いを一気に詰め、刀を振る。夕陽に染まったオレンジ色の一閃。勇太はそれを受け止める事もせずにテレポートで鬼鮫の背後に回る。姿を現した勇太が両手に掌ぐらいの大きさの真っ黒な球体を握り締める。
「喰ら――! って!」咄嗟に勇太が身体を逸らす。避けた刀の切っ先が一瞬で勇太の眼へと真っ直ぐ襲い掛かって来た。一瞬の判断で攻撃を避けた勇太が再び鬼鮫から距離を取った場所へとテレポートで姿を現した。
「良い反応してやがる。猿だな」刀を一振りし、勇太へと振り向いた鬼鮫が呟く。
「うっきー! いきなり襲い掛かってくる獰猛なアンタに猿とか言われたくないやい!」
「小僧、“虚無の境界”が動き出した。お前が再び奴らの手に堕ちる前に、IO2でお前を隔離する」
「―なん…だって…?」動揺で勇太の判断が鈍る。その瞬間、鬼鮫が再び勇太へと襲い掛かる。薙ぎ払われた逆刃での当身が勇太の身体を石垣で出来たフェンスへと吹き飛ばす。
「バスターズ、捕獲しろ!」
 鬼鮫の合図と共にバスターズがキャプチャービームを構える。が、崩れたフェンスの中に勇太の姿はなかった。
「…(チッ、得意のテレポートか…? だが、当身は確実に入っていた。気を失わせた筈だが…)」鬼鮫が思考を巡らせる。「探せ」

――――

―――

――。

「――ん…(…何だろう、良い匂いがする…し、柔らかい…)」
 勇太が寝惚けながら目を開ける。
「…気が付いたみたいね」
「え…、デジャヴ!?」勇太が急いでテレポートでそこにいた少女から離れる。「ひ、膝枕されてたのか…? ってかアンタ誰!? ここ何処!?」
「久しぶりね」
 茶色くウェーブがかった髪が肩まで伸びる。端整な顔立ち、何処か勇太を見下す様な高圧的な態度。
「…え…、どちら様?」
 整った顔立ちやスタイル、こんな美人が知り合いでいたとは思えず、勇太が尋ねる。
「これなら―」少女が一瞬で姿を消す。「―解るかしらね?」
「―っ!?」勇太の背後から突如声をかけた少女。勇太は飛び退いて少女へと振り返る。「まさかお前、“柴村 百合”…!?」
「ご名答。五年も経つのに相変わらずのガキね、工藤 勇太…」クスっと笑いながら百合が口を開く。
「そういうお前こそアホ毛のガキだったクセに…」勇太の視線が顔から身体全体へ移り、そして百合の胸元で止まる。「変わったな、胸以外は…―」
「なっ…! 変なトコ見ないでよ、バカ!」百合の顔が紅く紅潮して胸を隠す。「…まったく、ちょっと大人っぽくなってると思ったら…」
「な、なんだよ! だいたい何で俺こんな所に! しかも…その…膝枕されて…」勇太がみるみる顔を赤くしながら語尾を濁らせる。
「あ、アンタが気を失ってたから介抱してあげただけでしょ!」
「だ、だって鬼鮫が…!」勇太がふと我に帰る。「…お前が俺のトコに来たってのは“虚無の境界”の差し金か…?」
「…はぁ、違うわよ」少し悲しそうな顔をした後で百合が口を開く。
「お前、“虚無の境界”抜けたのか…?」
「バカ言わないで」百合の顔がキッと勇太を見つめる。「命令がないから戦わないだけ。助けてあげたのもただの気まぐれよ」
「助けてくれたのか?」
「~~っ、勘違いしないでよ、ただの気まぐれ!」百合が再び顔を赤く染める。「ディテクターと一緒じゃなかったのね」
「…あぁ。忙しいみたいだからな」
「じゃあ知らないのね」百合がクスっと小さく笑う。
「…何が?」
「良いわ。ついて来なさい」百合が空間を開く。「見せてあげる…」
「…そう言っておきながら、俺を捕まえて利用するつもりだろ」勇太が百合へと釘を刺す様に告げる。
「…そう思われても仕方ないわね」
「…っ」
 寂しそうに笑った百合の姿を見て、勇太は言葉を失った。そんな勇太に、百合は一枚のメモを渡した。
「それは私の番号。その下に書かれている所に行けば、ディテクターと会えるわよ」
「…何で番号まで渡すんだ?」
「いちいち質問ばっかりしないでよねっ」百合がフンと背を向ける。「また会いましょう、工藤 勇太」
 百合はそう告げると、その場から姿を消した。勇太は暫く百合のいた位置を見つめ、自分の頬に触れた。
「…っ! いやいやいや! アイツだぞ!? 何で俺こんなにドキドキしちゃう訳!?」一人で大騒ぎしながら勇太は頭を掻き毟った。「…とにかく、行かなきゃ…!」

――。

 ―時間は数日前へと遡る。
 最近事務所を空けていた武彦は、今一度、数年前に訪れた“凰翼島”へと訪れていた。
「…天使がいなくなった…!?」神主から話しを聞いた武彦は思わず声を荒げた。
「そうですじゃ。エスト様はここ最近頻発する悪霊や魑魅魍魎による怪事件を解決させる為に、数日程ここを離れると仰ったきり…」
「…くっ、ここもか…!」武彦が苦々しげに呟く。「あっちこっちで一斉に何かが起きてやがる…」
「こんな時、凛がいてくれれば心強いのですが…」
「あの娘もいないので?」
「えぇ。凛は今頃…――」

―――。

 ――約束の刻。今再び、“虚無の境界”が動き出そうとしていた。

                                               sinfonia.1 FIN

カテゴリー: 01工藤勇太, sinfonia, 白神怜司WR(勇太編) |

護凰の名

武彦に連れられた凛と勇太はエストの待つ広間へと足を踏み入れた。エストと向かい合う様に座布団がそこには敷かれている。そして、両者の横に神主が座り込んでいた。
「天使様、お待たせ致しました」
「いえ、大変な戦いでしたからね。貴方達の元へ私が行こうとも思ったのですが、若い二人の寝室に入るのは…―」
「―ぶっ! な、なななな何言ってんのさっ!」勇太が思わず慌てふためく。
「フフフ、冗談ですよ」エストがそう言って前へと手を出した。「まずは二人共、楽にして下さい」
 エストに促されるまま、凛と勇太、そして武彦がエストに向き合う形で座り込む。すると、エストが深く頭を下げた。
「―…っ! 天使様、何を…―!」凛が思わずエストへと声をかける。
「―凛、勇太。それに、草間さん。まずはお礼を言わせて下さい。永きに渡る私と悪魔との争いに終止符を打って頂いた貴方達に、私は感謝しています」エストはそのまま言葉を続けた。「本当に有難う…」
「…ちょ…あの…」しどろもどろな勇太が困った顔で武彦を見つめた。
「エスト、顔を上げてくれ」武彦が溜息混じりに告げた。凛と勇太は武彦がエストを呼び捨てにしている事に驚くが、武彦は構わず続けた。「ここにいる勇太は、後先考えないで無茶しやがるからな…。そんな事されなくても気にしたりする様なヤツじゃないんでな」
「ちょ、褒めてるのか貶してるのか解らないんですけど…」勇太が武彦にツッコミを入れ、エストを見る。「天使様さ、草間さんの言う通りだよ。別にお礼が言われたいからやった訳じゃないんだしさ」
「…そう言うでしょうとは思っていました」エストが顔を上げて微笑む。
「ま、想像通りだろう?」武彦が煙草に火を点け、足元に灰皿を寄せた。「それにしても、話しってのはそれだけなのか?」
「いえ、そうではありません」エストがそう言って凛へと向き直る。「凛、護凰の巫女としての責務を果たし、それ以上の事をしてくれた貴方には、私とこの地の巫女についての全てを教えようと思うのです」
「…短命たる所以も、ですか?」凛の表情が暗くなる。エストは凛を見つめ、静かに頷いた。
「全ての始まりは、今から数百年以上も昔の話です。人間界へと逃げ延びようとした、弱く小さな悪魔がいました。私は均衡を護るべき天使として、人間界に逃げ延びた悪魔を仕留めるべくしてこの地に降り立ちました」エストが静かに語り始めた。「しかし、悪魔は憎悪や憤怒と言ったマイナスの感情を貪る生き物。当時の世界は戦にまみれ、憎悪や憤怒といった悪魔にとっての餌はいくらでも手に入れる事が出来る世界でした」
「確かに、今の時代程穏やかな時代はない、か。人はいつの時代も争ってきていたからな」武彦が相槌を打つ様に呟いた。
「その通りです」エストが小さく頷く。「悪魔は私が人間界に降り立つ前に力を蓄え、追手である私を葬ってしまおうと目論んでいたのです。そうとも知らず、私は悪魔を追い、油断した私を瀕死する程の傷を負わせたのです」
「瀕死…」勇太が呟いた。
「そんな私の前に、凛の先祖にも当たるのでしょうか。初代の巫女となる人物が現われたのです。彼女は島に攻め込む敵勢に追われ、山の奥深く。私がいた社へと逃げ込んできたのです」
「初代の巫女様…」凛が小さく呟いた。
「はい。彼女は私の様に翼の生えた人間を天使として崇め、私に願いを託しました。どうかこの戦乱を終わらせ、島を平和だった頃の島へと戻して欲しい。その為なら、何でもすると」エストが静かに深呼吸した。「身体の傷を癒し、悪魔を討つ為、私は更なる力を必要としていました。そこで、私は彼女の提案に賛同する事にしたのです。私達が人間界で力を蓄えるには、人間の“生命力”が必要になります。私は彼女の一生の半分近くの生命力を貰い、島を襲っていた人間を吹き飛ばし、悪魔と再び対峙しました」
「一生の半分って…」勇太が尋ねる。
「そうです。今も護凰の巫女が短命なのは、あの時の誓約が始まりです。悪魔を完全に退治出来なかった私は、本来以上の力を使って悪魔を封印し続けました。島の安寧を守る為に、巫女は代々私に生命力を注ぎ、私はその生命力を使って悪魔を封印し続けました」
 エストの言葉に、思わず沈黙が生まれる。
「それじゃあ、お母様もまた…」凛の声が震える。
「…そうです。怨まれても仕方ありませんね…」
「…うっ…うぅっ…」凛がその場で顔を手で覆って泣き崩れる。
「凛…」勇太が手を伸ばそうとするが、その手を止める。何と声をかければ良いのか、勇太には解らなかった。
「…違う…違うんです…」凛が泣きながら声を発する。「悪魔の呪いで死んでいった訳ではなく…、島や皆を護る為に…! それが…母の願いでしたから…!」
「…っ!」エストの瞳にもまた、涙が込み上げる。
「…凛の母、ワシの娘であった綾乃は常々口にしていたのです」神主が口を開く。「もしも短命である事が、島の平和を護る為ならば、この命を削るだけの意味はある…。…それが…っ、せめてもの…娘の希望じゃった…!」
 神主もまた、口を手で押さえる。涙が神主の手へと伝うその姿は、押し殺してきた娘を失った悲しみなのだろうか。勇太はそんな事を静かに考えていた。
「…凛。私はこれからもこの地に残ります。初代の巫女と交わした“約束”は、消える事はありません」エストが口を開く。「ですが、もう“護凰の巫女”は縛られる事はありません…。貴方は貴方の道を歩むのです。それが、幾代にも願い続けた巫女達の願い。そして、貴方の母の願いなのですから…」
「…はい…!」

 話しを終え、勇太と武彦は旅館へ帰ろうと靴を履いていた。
「勇太」不意に透き通る様な声が聞こえ、勇太が振り返る。
「凛、どうしたの?」
「…島には、いつまでいられるのです?」
「俺も高校の入学式とかあるし、明日には出るよ」
「そうだな。俺も依頼人達に報告と報酬の受け取りもあるから、夕方ぐらいにはなっちまうだろうがな…」武彦が頭をポリポリと掻く。
「…そう、ですよね…。勇太達は外の世界に生きてきたのですもの。仕方ありませんね…」寂しげな表情をして凛は俯く。「でしたら、明日。せめて出立する時間まで、島を一緒に回っては頂けませんか?」
「うっ…」思わず勇太の脳裏に激しい求婚をしてくる凛の姿が過る。が、凛の表情は純粋に願う様な瞳をしていた。「…うん」
「…っ! では勇太! 明日の朝、お迎えに行きますから!」凛の顔がパーッ明るくなる。「約束しましたからね!」
「ははは、解ったよ」
 凛は勇太達が見えなくなるまでずっと手を振っていた。
「明日はデート楽しめよ、勇太」
「な、そんな言い方…―」
「―お前はそう思ってなくても、凛はそう思って楽しみにしてる。それぐらい考えろよ。俺も行かないし、もしかしたらもう会えないんだぞ」
「…あ…。うん、解った…」

――。

 翌日。春だと言うのに初夏の様な気候に包まれた“凰翼島”で勇太はジーンズにシャツという何とも普通な格好をして旅館の外に立っていた。
「勇太、お待たせしました」
「…へ…?」
 思わず勇太が凛に見惚れてしまう。巫女姿だった凛が、黄色と白のワンピースに白い帽子を被って勇太の前に現われた。思わず勇太はハッと息を呑み、失礼にも見つめ続けていると、凛が耐えきれなくなり、顔を紅くして俯いた。
「あ…あの…。母の私服を借りてみたのですが…おかしい…ですか?」
「へっ!? いやいやいや! そんな事ないって! うん! 似合ってるよ!」
「…良かった…」凛がにっこりと微笑み、歩き出す。「巫女になってからは神社の外に出る機会もなかったので、拙い案内になってしまうかもしれませんが、行きましょう」
「あ、うん」

 道中、正直勇太は少し拍子抜けしていた。いつもの激しい凛からの求婚のアピールもなく、ただ純粋に二人で島巡りを楽しんでいた。なんとなく構えていた勇太の警戒心も解け、ただ単純に観光気分で楽しみながら、二人で名物を食べたり、観光スポットや珍しい物を見て回っていた。

「勇太、こっちですよー」勇太を手招く様に凛が呼ぶ。
「うわ~、凄い崖だなぁ…。サスペンスドラマのキメシーンで使われそう…」勇太は凛が指さす浜辺から見る崖を下から見上げて呟いた。
「残念ながら立ち入り禁止になってしまいましたが、昔はこの崖の上から見える風景が絶景で、誰もが愛した場所だそうです」凛もまた、勇太の横に並んで崖を見つめた。
「せっかくだし、行こうよ」
「え? ですが、もう道も崩れてしまっていて…きゃ―」
 勇太が凛の言葉を無視する様に抱き上げ、一瞬で崖の上へテレポートした。
「おぉー、すっげぇ…!」凛を何食わぬ顔で運んで降ろした勇太が海を見つめる。「こりゃ絶景だねー! って、凛…?」
 勇太が振り返った先で、凛は瞳を潤ませ、勇太を見つめた。
「勇太。私は、アナタが好きです」
「…え…、どうしたのさ…?」いつもとは違う雰囲気を勇太は感じていた。
「…もうすぐアナタと離れるとなると、苦しいのです…。ここまで焦がれる想いを抱くのは初めて…。でも、アナタは…」凛が言葉を失う。
「…凛…、聞いて…」逃げる事を辞めた様に、勇太が凛へと告げる。
 過去の事から、“虚無の境界”の事。そして、あと二年すれば、“虚無の境界”はまた確実に勇太の前へ現われるという事を、全て包み隠さずに真剣に勇太は伝えた。
「…だから、キミを巻き込めないよ」
 気が付けば、空は紅く染められつつある。別れの時間は刻一刻と近付いていた。
「…解りました…」凛が寂しげに笑う。
「…でも、俺の能力を知ってそう言ってくれる、凛みたいに可愛い子いないからさ。嬉しかった…よ」顔を紅くして勇太が微笑む。
「私も、アナタに会えて良かった…」凛が笑顔を浮かべる。その頬を涙が伝っていた。
「じゃあ、時間だから行こうか」勇太が再び凛を抱き上げた。
「…はい…」

          こうして、“凰翼島”での事件は、幕を閉じた…――。

                                 Case.2 FIN

カテゴリー: 01工藤勇太, Case2, 白神怜司WR(勇太編) |

終幕

「勇太、ここからが本番です。悪魔の力は消せますが、直接的な攻撃は私には出来ません…」凛が口を開く。
「あぁ、解ってる」勇太が再び手を翳す。「“精神汚染”≪サイコジャミング≫…!」
『ぐ…ぬおぉ…』悪魔がよろめく。『煩わしい真似を…!』
 悪魔が手を翳すと、黒い影が刃となって四方八方から勇太と凛へ襲い掛かる。勇太は凛の手を引っ張り、テレポートによってその攻撃から離れた所へと避難した。
「あっぶね…。凛、大丈夫?」
「えぇ。それより、このままでは時間ばかりが過ぎてしまいます…。早く決着をつけなければ、外で足止めしてくれている皆さんが…―」
「―大丈夫だよ」勇太が安堵に満ちた表情で凛を見つめた。
「え…?」思わず勇太の態度を見て凛の肩の力が抜ける。
「草間さんも鬼鮫も、普通の人じゃないから」さり気なく失礼な事を言って勇太が悪魔へと向き直る。「俺達がここでどれだけ時間をかけたって、絶対にやられたりしない。天使様だっているんだしさ」
「…ちょっと嫉妬します」
「へ?」
「そこまで勇太と信頼出来る関係にいるあの人達が、羨ましいです…」凛が膨れっ面でそう呟く。「私も、頑張らなくてはいけませんね」
 グッと両手を握り、気合を入れた凛に勇太は思わず笑ってしまった。
「凛、悪魔を倒す様な技とかってないのかな?」
「そんな物があれば、天使様も私も苦労してません」
「ですよねー…」勇太がタハハと乾いた笑いを浮かべる。
 そんな二人に向かって再び影が襲い掛かる。勇太は再び凛の手を握り、テレポートする。
「…勇太、時間を稼いで下さい」凛が突然勇太へと何かを思い付いたかの様に声をかけた。「出来る限りの神気を練り上げるだけの時間を」
「うん、解った。凛はここにいて!」勇太が凛を少し離れた位置にテレポートで連れた後、すぐに悪魔の目の前へと再び姿を現した。「“精神汚染”!」
『ぬ…うおおおぉぉ!』悪魔がよろめきながらも力を暴走させる。四方八方から再び影の刃が出現し、勇太へと目掛けて一直線に伸びる。
「届かないよ、そんなの!」勇太がひらりと刃の隙間を縫う様に悪魔へと間合いを詰め、腹部に手を当てる。「零距離念力!」
 轟音と共に悪魔の腹部に強烈な衝撃波が撃ち出される。悪魔が吹き飛ばされた先に、勇太がテレポートで先回りして立っていた。
「悪魔だか何だか知らないけど、もう何百年も生きて来たんだから、そろそろ諦めてよね!」幾つもの“念の槍”が具現化される。「閉じ込めてやる!」
 檻の様に幾重にも織り成される“念の槍”が悪魔の身体を縛り付け、両腕を貫き、地面へと突き刺さる。勇太は再びテレポートして凛の元へと戻った。
『ぐっ…! おのれ、工藤 勇太…!』身体を動かそうとするが、念の槍によって固定された身体は動かず、悪魔は咆哮をあげる。
「凛、準備出来た?」勇太が息を整えながら凛へと尋ねた。
「はい」白い光りを掌に集中させ、凛が目を開ける。「勇太、神気をアナタに送ります。ですが、これがダメだったら…」
「…うん、俺もだ…。フルパワー一発、全てを懸けるよ」
「…勇太、アナタが来てくれて良かった」凛が勇太の手を握り、勇太へと神気を送り込む。「例えこれで倒せなくても…」
「凛のくれた力と、俺のフルパワーなら、倒せる…!」勇太の身体に白い光りが入り込む。「そしたら、島案内ぐらいしてよね」
 勇太が笑ってそう言うと、凛は静かにこくりと頷いた。勇太が手を上へと翳す。真っ白な輝きを放つ“神気の槍”が次々姿を現す。
『ぬおおぉぉ!』悪魔が勇太の作った呪縛を解き、力を溜める。強烈な妖気が充満し、一点へと集中する。『護凰の巫女、そして工藤 勇太…! この場で葬ってくれる!』
「守る…! 俺は、絶対に今を守るんだ!」
 勇太の翳した右手から、更に幾つもの“神気の槍”が練り上げられる。その数はおおよそ百。あまりにも消費の激しい力に倒れてしまいそうになりながら踏ん張る勇太の左手を、凛がギュっと握り締める。
『死ねぇぇ!』悪魔の放った真っ黒な球体が真っ直ぐ勇太へと向かって飛んで行く。
「うおおおぉぉぉ!!」勇太が右手を振り下ろす。
 “神気の槍”の半分近く一斉に降り注ぎ、黒球を捕らえ次々と突き刺す。強烈な爆発によって視界が遮られる。憎悪によって満ちた禍々しい気が充満し、真っ黒な世界が広がる。
『フハハハ! 人間には耐えれまい! 憎悪に満ちた気の奔流は、人の精神など容易く消し去る!』悪魔の狂気に満ちた声が響き渡る。真っ黒な世界に、一縷の光りが煌く。『…そんな…バカな…』
 真っ黒な瘴気が一瞬にして吹き飛ばされる。すると、勇太が目の前で右手を差し出し、左手で右手の手首を掴んでいた。右手の先には眩しく白く輝く光が収束している。
「神気の前に、アナタの醜悪な力など及びません」凛が勇太の肩へと手を乗せ、毅然とした態度で悪魔へと言い放った。
「臭そうな爆発しやがって! これで終わりだ!」
 勇太の言葉と同時に、光りの矢が放たれる。悪魔の胸を射抜き、光りは何処までも突き進んで姿を消した。
『…ぐ…おおぉぉぉ…!』悪魔の身体が消え去る寸前、再び悪魔の目の前に黒い球体が生み出された。
「…げ…」
『…道連れ…に…してくれる…!』球体は先程と同等の大きさを形成していく。
「…万事休す…ですか…」凛がその場に崩れる。
「…でも、俺達がここで死んでも、悪魔があれを撃って死ねば、皆守れる…」勇太もその場に座り込み、小さく笑った。
「…私も、アナタと一緒なら…」凛が勇太の手を握る。
『…フフ…フハハハ…――』
「――させません」真っ白な羽が勇太と凛の視界に飛び込む。
「天使…様…!?」凛が思わず声を漏らす。
「いいえ、私はエストによって生み出された器。一度は悪に染まった者です」
「黒い髪に、白い翼…。灰色の翼じゃない…」
「貴方達のおかげで、この者からの呪縛は解けました。器として、最期の役目を果たします」エストの器が悪魔の作り出した球体へと腕を伸ばす。
『…死に損ないが…』悪魔の身体が崩れ出す。
「さぁ、何百年も続いた均衡に、幕を引きましょう。私と共に、無へと帰るのです…」
「天使様…!」
「ダメだよ、そんなの…!」
「貴方達は帰るのです。いるべき世界へ…」天使の声と共に、勇太と凛の意識が現実へと引き戻される。
 勇太と凛は現実に戻る瞬間に見ていた。器である“灰色の天使”が、本物の天使の姿をして悪魔と共に強烈な爆発の中へ消えて行く姿を…――。

「…っ!」エストが何かに気付いたかの様に悪魔を見つめた。「…終わりましたね…」
「…そうみたいだな」鬼鮫が刀を鞘へと収め、巨大な悪魔を見た。悪魔の姿が崩れ始め、動く気配すらない。
「…ったく、長い戦いだった…」武彦が銃をしまい、勇太と凛を見つめた。「…にしても、たいしたガキだよ」
「帰って来たのですか?」エストが歩み寄る。「…あら…」
「ガキ共、だな」鬼鮫もまたそう言って、勇太と凛へと歩み寄った。「力を使い切ったか…」
「そうみたいだな…。随分安らかな眠りだ…」
 三人に囲まれながら、勇太と凛はその場で眠りこけていた。疲労困憊で崩れる様に眠っていた二人は、お互いを支えた戦いの名残か、抱き合う様に眠っていた。
「…ディテクター、何してる?」
「いや、記念に映像として保管してやろうと…って、うお!」インスタントカメラを構えていた武彦の目の前を鬼鮫の刀が横切った。「あぶねぇだろうが!」
「野暮な真似しようとするからだ」鬼鮫が鞘へ刀を収めると、武彦の持っていたカメラが真っ二つにパカっと割れた。
「…ったく…、冗談の通じない男だ…」武彦がポリポリと頭を掻く。「ま、とにかく二人を運ぶか」
「そうですね」
「すぐに部屋を用意しよう」ただ黙って見ているだけだった神主が口を出し、そそくさと準備をしに向かった。

――。

「…う…ん…?」
 目を覚ました勇太はかすれた視線の中に気配を感じて思わず目を見開いた。
「…おはようございます」薄い部屋着を身に纏った凛が勇太の真正面で横になりながら勇太を見つめて穏やかに微笑んだ。
「凛!? 何で俺達…! 同じ部屋で寝てんの!?」思わず起き上がる勇太。
「あら…、忘れてしまったのですか?」凛が唐突に寂しげな表情を浮かべる。「昨夜は寝食を共にし、初めて二人きりの夜を過ごしたというのに…」
「嘘つけ! 外暗いし今夜じゃん!」勇太が窓を指さす。
「あら、意外と冷静ですのね」クスクスと凛が笑う。「どうやら悪魔との戦いの後、私達は眠ったままここに運ばれた様です」
「…な…、なんだ…。良かった…。人生で冒しちゃいけない過ちをしたのかと思った…」勇太の身体から力が抜ける。
「勇太が望むのなら、今夜にでも…―」
「―あー、お取込み中悪いな」武彦が部屋の襖を開けて声をかける。「目が覚めたらエストが呼んでくれってよ」
「行く! すぐ行く!」勇太が立ち上がり、逃げる様に走り出す。
「天使様も無粋な真似をされるのですね…」相変わらずクスクスと笑いながら凛が勇太について部屋を出て行った。
「やれやれ…」武彦も歩き出した。
「そういえば草間さん。鬼鮫は?」勇太が振り返り、武彦へと尋ねた。
「IO2に事後報告があるってんでお前が起きるのを待たずに出て行ったぞ」
「そっか…」
「IO2とは?」凛が口を挟む。
「んーと、超常現象専門の警察みたいなモンかな。秘密裏に特殊な能力者を囲ってたり、そういう能力で犯罪を犯す人間を取り締まったりしてる機関があるんだ」
「ま、おおまかに言えばそんな機関だな」武彦がそう言って凛を見つめた。「どうした?」
「…いえ、何でもありませんわ」凛がホホホと笑いながらさっさと前を歩いて行く。
「驚いたのかな?」勇太がきょとんとしながら武彦に伝える。
「…さぁて、どうかな?」クックックと小さく武彦が笑う。「勇太、頑張れよ」
「何が?」
「別に何でもねぇよ。ホラ、そこの部屋だ」

Case.2 to be continued…

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巫女の決意

「…それはこっちのセリフだがな」武彦が小さく笑って振り返る。
 聞き覚えのある声に、思わず勇太も振り返る。黒いコートにサングラス。独特の白い柄をした刀を携えた男が部下を四名引き連れて立っていた。
「…っ! お、お、鬼鮫!?」
「ったく、IO2の任務で辺鄙な島に行かされるハメになった時はハズレを引いたと思ったが、あの獲物と貴様ら。どうやら俺は当たりを引いたらしいな」鬼鮫が山に現れた巨大な悪魔へと目を向ける。「バスターズ。島民の避難誘導でもしてこい」
「し、しかし鬼鮫さん。あんな化け物相手に…―」
「貴様らじゃ役不足なんだよ」鬼鮫がしれっと突き放す。
「…はっ!」バスターズが鬼鮫に言われた通り、島民の避難に向かう。
「ディテクター、勇太。気に喰わねえが手を貸してやる」
「…心強いな」武彦が再び小さく笑って呟く。「俺達はあそこの天使と巫女を守る。勇太、あの化け物相手に俺達じゃ攻撃しても無意味だ。お前の能力だけが頼りだからな」
「うへぇ…、ハードル高っ…」
「ったく、マグマで出来た化け物か?」鬼鮫がニヤリと笑う。「面白そうだ」
「面白くないから! 怖いから!」勇太が思わずツッコミを入れる。「はぁ…、まぁやるしかないよね…」
「そういう事だ」武彦が身構える。「鬼鮫、どうする?」
「フン。どうするも何も、今の状況が解らねぇ。貴様の指示に従ってやる」
「なら、俺達は飛んで来る火山弾と攻撃から、天使と巫女を守る事に徹するぞ」
「良いだろう」
 横にはエストと凛が結界を張ってマグマを抑える姿がある。そして、後ろには勇太が信頼する武彦と、かつて戦った宿敵である鬼鮫の姿がある。勇太にとって、これ程までに心強い味方は他にはいない。勇太と武彦、そして鬼鮫が悪魔を睨み付ける。マグマで出来た悪魔が、咆哮をあげる。ビリビリと響き、大地は揺れ、大気が唸る。
「…守らなきゃな…」勇太が呟く。
「来るぞ!」
 悪魔が動き出す。こちらへ向かって炎を口から吐き出した。木々は一瞬にして炭と化し、真っ直ぐ炎の渦が向かってくる。しかし、エストと凛が張った結界がそれの侵入を頑なに拒む。
「くっ…!」エストと凛の表情が歪む。「はっ!」
 エストの一喝で光のカーテンが輝きを増し、炎の渦をかき消した。だが、エストも凛も息を切らし、肩が揺れる。
「チッ、勇太! グズグズしてたらあの女共がへばるぞ!」鬼鮫が声をあげる。
「鬼鮫、今は勇太を信じろ」武彦が舞い落ちる火山弾を次々と撃ち落とし、静かに呟いた。
 勇太は何も答えず目を閉じていた。ブツブツと何やら呟いている様だが、それは誰にも聞こえていない。勇太が目を開く。テレポートで姿を消し、空へと姿を現す。
「勇太!」凛が叫ぶ。「そこにいたら、悪魔の攻撃が!」
「心配するな」武彦が小さく諭す。
「でも…―!」
「あー、あのガキ。キレてるな」鬼鮫が小さく笑う。
「あぁ、勇太があーなったら、もう心配する必要はないな」
「うおおぉぉ!」勇太が上空へ手を翳し、一本の大きな念の槍が形成された。バス一台分程の槍が勇太の振り下ろした手に導かれる様に悪魔へと向かって真っ直ぐ飛ぶ。
 マグマの悪魔が再びを口を開いて勇太の攻撃へと反撃をする。ぶつかりあった衝撃で視界が歪む。その間にも勇太は先程と同じぐらいの大きさの槍をいくつも練り上げ、追撃を試みる。悪魔もまた一斉にその攻撃へと反撃を繰り返す。
「…ったく、末恐ろしいガキだ」鬼鮫が上空の攻防を見つめて呟く。
「若い可能性、ってか?」武彦が小さく呟く。「アイツは必死なんだよ。何かを守る為に、一生懸命になれる。そうする事で、自分を見出そうとしている」
「…フン、かつての貴様と似ているな」鬼鮫が小さく笑う。
「はぁ…はぁ…」上空から降りて来て勇太が息を整える。「クソ、全然届かないや…」
「難しい相手だな…」
「手があります」エストが口を開く。
「手?」
「はい。私達、天使や悪魔は言うなれば精神体。身体に傷をつけれずとも…」
「…そうか」鬼鮫が口を開く。「精神を直接攻撃出来たハズだな」
「…っ! やってみる!」勇太が再び空へと舞い上がる。
 精神汚染を開始すると、明らかに悪魔の様子が変わる。もがく様に暴れまわり、周囲へと次々と攻撃を開始する。エストと凛の結界の外にまで及ばないが、結界が徐々に削られてしまう。
「クソ、結界が保たない…」武彦が呟く。勇太も再び地上へ降り、何かを考え込む。
「…草間さん、あれじゃ被害も増えるし、倒しきれない…。だから、直接奥に入り込んでくる」
「…っ! バカ言うな! 相手は悪魔だぞ? お前の精神が食い尽くされる可能性がないとは言えない!」
「それは、大丈夫です。私が勇太と共に行き、魂を結界で守ります」凛が口を開く。
「…! ダメだ、危険過ぎる!」勇太が凛へと声をあげた。
「この期に及んで、危険を怯える必要がありましょうか?」凛が真っ直ぐ勇太を見つめる。「それに、勇太が私を守ってくれますから」
「だったら俺も一緒に―!」
「―貴方には無理です」武彦の申し出を、凛が静かに遮る様に告げた。「先程、貴方の心にある脆さを、悪魔は知っています」
「…っ!」武彦がハッとした表情で俯く。
 勇太は知ってしまっていた。洞窟から外へと出る際に触れた武彦の手から、意図せず読み取ってしまった武彦の過去。だからこそ、何も言えない。勇太はギュッと口を固く結んだ。
「…勇太、共にいきましょう」凛が勇太の手を取って小さく口を開いた。
「…解ったよ、凛」勇太が凛を見つめて口を開いた。「行こう」
「…勇太」
「草間さん…」思わず勇太の瞳が揺れる。
「…絶対、守れ。そして、必ず戻って来い」武彦は勇太を見つめてそう告げると、頭をポリポリと掻いた。「…行って来い」
「…いってくる!」
 勇太が凛の両手を取り、しっかりと凛を見つめる。凛が目を閉じ、気を失う。勇太は凛の身体を倒さない様に抱き寄せながら、自分の瞳を閉じた。
「…行ったか」鬼鮫が口を開く。「そこの羽の生えたUMA」
「フフ、失礼な方ですね」エストが思わず小さく笑う。
「生憎、俺に信心はねぇ。結界はどれぐらい保つ?」
「…そうですね。保ってあと十分…と言いたい所ですが、あの子らが帰って来るまで必ず保たせてみせましょう」
「上等だ」
「鬼鮫さん。住民の全避難完了しました」バスターズが突如姿を現す。
「あぁ、ご苦労。下がってろ」
「はっ!」
「聞いたか、ディテクターにUMA」
「…んじゃ、ここだけを守れば良いな」煙草に火を点けて武彦が呟く。
「解りました。あの子らに、全てを懸けて…」
「フン、いくぞ」

――。

「凛、大丈夫か?」
「はい…。勇太の腕に抱かれた所までは意識がありましたから」
「ぶっ! なななな…」
「そんな事より、ここは…?」
 凛と勇太が周囲を見回す。赤黒いだだっ広いだけの空間が存在している。
「悪魔の中だよ」勇太が呟く。「凛、俺から離れないで」
「えぇ、死ぬまでずっと離れません」
「…はぁ…、もう良いよ…」
 凛の相変わらずの態度に思わず勇太が屈する。
『脆弱なる人間、愚かなる存在。我が意識の中へ入って如何とする?』
 不意に声が響き渡る。
「決まってるだろ! アンタを倒して、ハッピーエンドだぃ!」
『愚かな…。傲り、苦しむだけの存在』
「では問います。悪魔である貴方こそ、何をしようと言うのです? 永年の眠りに就き、その後で一体何を生み出そうと言うおつもりです?」
『天使の操り人形風情が、何を勘違いしているのかと思えば…。我は何も生み出さぬ。全てを無へと帰す』
「そんな事させない!」勇太が口調を強める。「俺が守ってやる!」
『その手に守れなかった母を忘れたか?』
「…!」
『人間を、世界を。そして自分を憎んでいたではないか? 工藤 勇太よ』
「そ、それは…」勇太の周囲に真っ黒な影が集まる。「今はそんな事…!」
『工藤 勇太。思い出せ。人間から受けた迫害に、憎しみ。絶望と憤怒を。全ては綺麗事。お前が見た全ての醜い人間の部分を』
「…く…あ…!」勇太の身体に黒い影が手を伸ばす。
「させません!」凛が手を一振りすると、勇太を取り込もうとしていた影が一瞬で粉塵と化す。「勇太、しっかりするのです」
『フ…、工藤 勇太。思い出せ…』悪魔の囁きが続く。勇太は頭を抱え、目を見開いて蹲った。
「やめろ…! やめ…―」
 勇太の言葉を塞ぐ様に、唇に柔らかい感触が伝わる。微かに香る、独特の匂いが勇太の目を醒ます様にふわっと舞う。
「…勇太、目を醒ますのです。悪魔に屈してはなりません…」凛が顔を離す。
「…へ…?」
「ファーストキスにしては、ムードも何もありませんね」凛がにっこりと笑って勇太を見つめる。
「えぇぇぇえ!?」
『…巫女の浄化。厄介な血脈だ…』
「フフ、私達護凰の巫女は神気を宿しています。悪魔の戯言をかき消す程度、訳はありません」
「…ね、ねぇ凛…。…き、キキッキキッ…キス…した!?」
「いいえ、今のは浄化です」凛が再びにっこりと笑う。
『良かろう。この手で葬ってくれる』声と共に悪魔が姿を現した。
『来るが良い』

Case.2 to be continued…

カテゴリー: 01工藤勇太, Case2, 白神怜司WR(勇太編) |

天使と悪魔

「自己紹介が遅れてしまいましたね。護凰の巫女、凛。人とは異なる能力を持つ少年、勇太。私の名はエスト」
 金髪に真っ白な服と翼。間違いなく書物と同じく、その姿は正に天使そのものだった。勇太は真っ直ぐエストと名乗る天使を見つめた。
「天使様、私は聞きたい事が―」
「―凛、解っていますよ」穏やかな笑みを浮かべ、エストは凛の傍へと歩み寄る。「短命なる巫女の一族の秘密。そして、この地に訪れる災厄の事ですね」
「…はい」
「一族の秘密…?」勇太が尋ねる。「やっぱり、凛の一族が短命なのは理由があるんですか?」
「…その通りです、勇太」エストが勇太へと振り返る。「しかし、今は話している余裕はありません…。“もう一人の私”が悪魔となって、動き出してしまった…」
「悪魔の正体は、天使様なのですか…?」凛が尋ねる。
「灰色の翼をした天使とは、即ち私がこの地に眠る古の悪魔を封じる為に作り出した“器”。この地に封じられた悪魔のあまりに強い憎悪を押さえ込む役目を果たしていたのです」寂しげな表情でエストは続けた。「翼はやがて灰色に染まり、髪は黒く染まってしまった私の“器”は、段々と悪魔に侵蝕され、今では悪魔そのものに支配されてしまいました」
「成程…。それが災厄を引き起こそうとしている、って事ですか?」勇太が尋ねる。
「そうです。私がこの地に安寧をもたらし、“器”が悪魔を押さえ込む。そうする事で、バランスを保ってきたのですが、どうやらここまでの様ですね…」
「…その災厄は、どうすれば押さえられるのですか?」凛が再び尋ねた。「天使様、お願いします。どうか、私達に知恵をお貸し下さい…」
「…それは出来ません」
 エストの言葉に、思わず勇太も凛も言葉を失った。
「そんな、どうして!?」勇太が口を開く。「このままじゃ、予言通りにこの山が噴火しちゃうんじゃ…!」
「天使様、どうしてですか!」
「…凛。アナタにとって、どうしようもなく苦しい判断だからです」
「…え…?」
「…“器”を倒してしまえば、悪魔の本体が目を醒ましてしまいます。私に代わりを用意するだけの力は既に残されていません…。出来る事は只一つ、護凰の巫女を“器”に作り変える事で、悪魔の封印を続けるしか手はないのです…」
「…そんな…!」勇太が唖然として声を搾り出す。凛を見つめるが、凛は一瞬動揺した後、顔をあげた。
「解りました。私が“器”となります」
「そんなのダメだ!」勇太が叫ぶ。「そんな事をしたら、普通の人間じゃいられなくなるんだ! 解ってて言ってるのか!?」
「解ってる…!」凛の瞳は決意に満ちている。「…勇太、私はこの島が好きです…。この島に貴方が来てくれて、貴方と出会えた場所です…」
「…凛…っ!」
「…貴方に結婚を申し込んだのは、ただの気まぐれではありません…。ですが、こうなってしまっては、結婚出来ませんね…」乾いた笑顔に、頬を伝う一筋の涙。凛はそう言って勇太を見つめた。
「…ない」勇太がギュっと拳を握って呟いた。「そんな事、俺は認めない…!」
「お願いです、勇太…。私は、この島を護りたい…!」
「天使様。そもそもの原因は悪魔なんだろ? そんなヤツ、俺が倒してやる!」勇太が決意する様にグッと拳を突き出した。
「出来ません。この地に眠る悪魔は、炎の悪魔。一瞬で灰塵とされてしまいます」
「やってみなきゃ解らない」勇太は真っ直ぐにエストへと告げる。「俺には草間さんもいる。凛だって、アンタだっている。一人じゃなければ、きっと何とかなる…!」
「…解りました」エストが口を開く。「今のままでは、どう転んでも誰かが悲しみます。願わくば、そんな事があって欲しくありません」
「…天使様…?」凛が思わずエストへ向き直る。
「凛、手伝って下さい。私と共に、この地を護りましょう」
「…! はい!」
「勇太。アナタもすぐに、もう一人の来訪者と合流し、ここへ来て下さい」
「解った!」

――。

「殺して欲しい、だと?」
 武彦は思わず耳を疑った。灰色の翼をした黒髪の天使は武彦にそう告げた。
「そう。さっき言った通り、悪魔はこの私を既に侵蝕している…。私の意識が完全に途切れる前に、乗り移った悪魔ごと、葬って欲しいのよ」淡々と天使は告げた。
「…確証がない」武彦は少し考え込んでそう言って天使を見つめた。「仮にお前さんが言う様に、事態が一刻を争うのならば、自分で死ぬ事も出来るだろう?」
「私が自ら死を選べば、悪魔の力を強大化する事になるわ」天使は嘲笑する様に告げた。「それに、今更神殺しを拒むつもりか? ディテクターと呼ばれたお前が?」
 武彦は一歩下がって間合いを取った。
「…どうしてそんな事を引き合いに出す?」
「フフフ…。何を驚く事がある? IO2とやらに加担し、古の神ですら研究の対象として扱ってきただろう?」天使が武彦へと歩み寄る。「そして、状況次第では殺してきただろう? 神だけじゃなく、人でさえも…」
 不意に武彦の心臓が強く脈打つ。
「…それとこれは別だ。俺はそんな事…―」
「―したくてやった訳じゃない、か?」笑い飛ばす様に天使は告げる。「人間は便利だな。言い訳をする事で、許し、正当化出来る! お前はどうだ!? “彼女”の事すらそうして誤魔化せるのか!?」
「やめろ…」
「さぁ、殺せ! お前が自らの銃で命を奪った、愛した女と同じ様に!」
「やめろ…! やめろおおぉぉ!!」武彦が銃口を突きつける。
「そうだ! 撃て! その銃で愛した女を撃ったお前が、今更何を殺す事に躊躇うと言うつもりだ!?」天使が銃口を自分の胸元に押し付ける。「さぁ! 引鉄を引け!」
 武彦の頭の中がかき乱される。
「…っ!」

             『―せめて、貴方の手で殺して。武彦』

 銃声が洞窟内に響き渡る。天使はその場に崩れ落ち、武彦はダラリと腕を下げて立ち尽くす。倒れた天使の口元がニヤリと歪に形を変えた。
「草間さん!」勇太がテレポートで武彦の前に姿を現す。「…! 灰色の翼…。“器”…!」
「…俺…は…」武彦の口元が震える。
 突如地響きが起こる。勇太は危険を察知し、武彦を連れてエストと凛の元へとテレポートした。

「…どうやら、“器”が倒れた様ですね」戻ってきた勇太達に向かって、エストが話しかけた。
「……」武彦はまだ俯いたまま、呆然としている。
「事情は解らないけど、おかしいんだ…」
「幻術でもかけられたのでしょう。闇を持つ彼を呼び寄せ、利用した。悪魔が考えそうな手段です」
「どうしたら…!」勇太がそう言った瞬間、凛が武彦に歩み寄った。
 突然、凛がパァンと弾ける様な音を奏でながら武彦の頬を殴った。武彦は思わず唖然として凛を見つめた。
「しっかりして下さい。事態は最悪です。この状況で、勇太の頼りである貴方が呆けていては、困るのです」
「…すまない…」漸く武彦の瞳に光りが戻る。
「詳しい話は後にして、先ずはここを出ましょう」エストがそう告げて、三人の近くへと歩み寄った。
「皆、ちゃんと手繋いで…」勇太が声をかけ、それぞれに手を繋ぎ、円を作る。「飛ぶよ!」

――。

 地響きが鳴り響く中、護凰神社へと四人は姿を現した。神主が慌てて駆け寄り、エストを見て土下座の様な姿勢を取ろうとするが、エストと凛が神主を止める。
「どうなっているのじゃ!?」
「説明は後にします。凛、神術は扱えますね?」エストがそう言うと、凛が強く頷いた。「間もなく、凰翼山は悪魔の目覚めと共に噴火を起こすでしょう。私達でこの周囲に結界を張って、溶岩の流れを町にいかない様に押さえ込みます」
「神術で結界!?」神主が思わず叫びだす。
「やってみます…!」
「結界が完成するまで、時間がかかります。勇太、援護は頼みます」そう言ってエストと凛は力を込める様に掌を合わせてブツブツと何かを唱え始めた。
「解りました! …って、援護ってまさか…」
 瞬間、激しい爆音と共に山頂から炎が上がった。
「…これをどうにかするのか…」武彦が思わず呟く。「勇太、大物は銃じゃどうにも出来ないからな。援護するから大物は任せるぞ」
「…やっぱ、そうなっちゃいます?」冷や汗を垂らしながら勇太が呟く。
 火山の噴火と同時に、火山弾が一斉に降り注ぐ。山の中腹にあるこの神社目掛けて、次々に襲い掛かる。
「くっそー!」勇太が念の槍を幾つも作り上げ、次々と大きな火山弾を神社の外へと軌道をズラしていく。それでも小さいサイズの火山弾は次々に降り注ぐ。が、凛とエストの周囲には何も降らない。不規則な銃声が背後からひたすら鳴り響いている。
「勇太、まだまだ終わらねぇぞ! 集中しろ!」
「解ってるよ!」勇太が目を閉じる。「思い出せ…! 皆を守る為に、思い出せ…!」
 勇太目掛けて大きな火山弾が降って来る。
「勇太!」
「うおおお!!」勇太の身体から強烈な衝撃波が上空へと舞い上がる。火山弾が次々と外へと弾き飛ばされる。勇太は背後にある鳥居に手を翳した。「ぬ…おぉぉ!」
「…おいおい、マジかよ…」
 武彦は細かい火山弾を撃ちながら思わず呟いた。勇太はサイコキネシスを使って鳥居を引き抜き、上空で回転させながら振り回す。
「凛! いきますよ!」
「はい!」
 エストと凛が同時に手を地面に突き立てる。光りのカーテンが神社全体を覆い、同時に光りの壁を作り出す。
「間に合った…!」神主が思わず叫ぶ。山から溢れ出た溶岩が光りの壁にぶつかり、その勢いを止めた。
「一安心って訳にもいかねぇか…」
 武彦が山頂を見つめて呟く。黒煙の中から咆哮をあげこちらを睨み付ける。体長は十メートル程はあるだろうか、巨大な悪魔が姿を現した。
「…何だ、ありゃぁ…」思わず勇太が呟く。

「よぅ、こんな所で貴様らのツラを見るとはなぁ…」

 突如背後から何者かが声をかけた…。

                              to be continued….

カテゴリー: 01工藤勇太, Case2, 白神怜司WR(勇太編) |

天使と巫女

「…(…ど、どどど、どうしよう~…っ!)」
 凛から唐突に求婚をされるなど、誰が想像出来ただろうか。勇太はあまりに唐突な出来事に顔を真っ赤にしながら困っている。武彦にとって、この光景は普段なら大笑い出来る内容だと言うにも関わらず、凛の表情は一切冗談めいていない事に気付いていた。
「勇太、嫌ですか?」凛が勇太の手を取る。
「どわぁぁぁっ!」勇太が突然触れられた手に驚きながら飛び上がる。心臓は尋常じゃない程に鼓動を強く、急かす様に打ち付ける。顔は熱く、頭に血がのぼる。
「…そうか、勇太。俺よりも先に結婚するだなんて想像もしてなかったぞ…」武彦が笑いを堪えながら苦しそうに喋る。
「ちょちょちょっ、ちょっと待ってよっ!」勇太が顔を真っ赤にしたまま急いで言葉を並べる。凛がそんな勇太の姿を見つめながら小首を傾げた。「お、俺未だ結婚するなんて言ってないじゃんかっ!」
「…そうですか…」
「…へ?」凛の静かな悲しそうな声に勇太が思わず拍子抜けする。
「…勇太は私程度の様な女子では満足がいかないという事は良く解りました…。私は箱入りの小さな島の護り巫女。当然、外の世界の女子に比べれば魅力など感じないのでしょう…」
「いっ!? 違うって! 凛は~その~…可愛いし…っ!」普段なら絶対に口にしない様な言葉を勇太はあたふたしながら大声で叫んだ。武彦は相変わらず笑いを堪えながらクックックと身体を揺らしている。
「あら。では私の事をお嫌いという訳ではないのですか?」
「嫌いなんかじゃないよっ! うんっ!」
「では、私の事は好きでいてくれるのですね?」にっこりと微笑んだ凛。
「…え…? あれ…?」
「違うんですか? ではやはり、嫌っているのですね…」再び悲しそうな顔をする凛。
「あぁぁ! もう! 好きだよ! でもそれは、恋愛とかそういうのじゃなくて―」
「―私も好きですよ、勇太」再びにっこりと微笑む凛。
 勝負は完全に勝敗を喫した。にっこりと微笑む凛の目の前で、両膝と手を地面に着きガックリと項垂れる勇太。武彦は遂に我慢出来なくなって大笑いする。
「はぁ~…っ」武彦が笑い疲れて二人を見る。
 勇太はチクショウと言わんばかりに凛を見るが、凛は勇太に向かってにこっと笑顔を向ける。勇太の顔は再び真っ赤になり、勇太は顔を逸らす事しか出来ずにいた。
「…(こりゃ尻に敷かれるなぁ、勇太…)」
 思わず武彦はそんな勇太の将来を心配して、すっかり親戚気分を満喫していた。

――。

 再び三人は御堂へと向けて歩き出した。勇太の動きは見てすぐに解るぐらいにギクシャクとした動きを続けている。凛をチラっと見る度に凛は勇太に笑みを投げる。完全に力関係は武彦の読み通りに決したかもしれない。
「っと、おい勇太。凛を連れて飛べ」不意に武彦が立ち止まって勇太に告げた。
「…あちゃ~、崩れてるみたいだね…」
 三人の眼前に現われたのは、螺旋状の崖の一部が崩れた形跡だった。
「ほら、未来の奥さんの手をしっかりと握って先にテレポートで向こうに行け」武彦がニヤニヤと意地悪く笑いながら勇太を急かす。
「まぁ、未来の奥さんだなんて…。それに、手を繋ぐのですか?」
「あぁー! もうっ!」勇太は目を瞑って凛の手を握って対岸へと視線を移した。「凛、し、しっかり捕まってて…」
「はい」キュっと凛の手が勇太の手を強く握る。
 勇太と凛がテレポートしたのは武彦が想像した以上に遠くまで飛んでいた。奥にあるもう一箇所崩れた場所さえもテレポートで飛び越えたらしい。勇太が顔を赤くして手をずっと握っている凛に困った様に手を放す事を説得している。
「ったく、見せ付けてくれるな…っと」武彦が崩れた場所をあっさりと飛び越え、更にもう一箇所の崩れた地もあっさりと飛び越えた。
 漸く段差を切り抜け、崖を下りきった。前方には切り立った崖の上に建てられた立派な屋敷ぐらいの大きさの社が見えている。そこへ向かう通路は、たった一本の岩肌が削られた道のみ。
「…うへぇ、底が見えないよ…」勇太は人が一人通れる程度しかない崖の横を覗き込んで思わず息を呑んだ。
「あれが御堂だな?」武彦が凛に尋ねる。
「はい。この試練の道を通る前に、まずは清めの儀式をしなくてはなりません」凛はそう言って両手を差し出した。「草間さん、手を差し出して下さい」
「こうか?」言われるがままに手を差し出す。
 凛がブツブツと小さな声で何かを唱えながら、武彦の手の甲に軽くキスをした。手の甲が熱く感じ、柔らかな光りと読めない梵字が浮かび上がる。
「…これが、清めか」武彦は自分の手の甲を見つめながら呟いた。振り返ると、勇太は相変わらず崖の下を覗き込んでいる様だ。「おい、勇太。清めの儀式をしてもらえ」
「え? うん」勇太が振り返り、凛の元へと歩み寄る。「で、清めの儀式って何すんの?」
「勇太、手を出して下さい」
「ん、うん…」勇太が手を出すと、凛の小さな白い手が勇太の手を取り、再びブツブツと小さな声で何かを唱え、キスをした。「…っ!」
 これがマンガやアニメなら、ボンっと音を立てながら勇太の頭から湯気でも立ち上るだろうと考えながら、武彦はその勇太の今日一番の真っ赤な顔を見て思わずニヤっと笑っていた。
「これが清めの儀式です。…勇太?」
「…~~~きゅぅ~…」バタンと音を立てて勇太が後ろに倒れ込んだ。
「刺激が強すぎたか…」武彦が倒れて顔を固まらせた勇太を見て呟いた。
「ウブなんですね、勇太」凛はそんな勇太を見て微笑んでいる。
 将来悪女になれそうな女だと、武彦は思わず心の底で感じていた。凛は勇太の頭を撫でながらクスクスと微笑んでいた。

 意識を取り戻した勇太を待っていたのは、武彦の提案による凛の膝枕というサプライズだったのだが、勇太は目を醒まし、その事実に気付くなり叫んでテレポートで武彦の横へと飛び起きるというアクロバティックな寝起きを披露した。
「もうっ! 草間さん! 清めの儀式の事、言ってくれたって良いじゃないかっ!」ぷりぷりと怒っている様に勇太が叫ぶ。
「バカ言うな。あんな面白い事になるのが解ってて言う訳ないだろ…」ボソっと武彦が呟く。
「大丈夫です」凛が口を挟む。「ちゃんとしたファーストキスは勇太に捧げます」
「ぶっ!!」
「…なんちゅう事を…」
「…?」勇太と武彦のリアクションに再び小首を傾げる凛。
「もう…早く天使様に会って落ち着かせてぇぇぇ~~~!」勇太の悲痛な叫びが響き渡る。

 御堂の扉に手を当てながら、凛が静かに再び何かを呟く。すると、扉がギシギシと音を立てながら一人でに開いた。
「…この御堂の中は、本来巫女である私しか入る事が出来ません。清めを行ったからと言って、二人に何も起きないとは保障出来ません」凛が振り返る。
「…あぁ、解った」武彦がそう言って御堂へと足を踏み入れた。瞬間。「え? うわぁぁぁーー!」
「ちょ、草間さん!?」足を踏み入れた瞬間、足元の闇の中へと落ちていった武彦を勇太が追う。「凛、いこう!」
「はい」差し出された勇太の手を掴み、勇太と凛が御堂の中へと足を踏み入れる。
「って、あれ…?」
「どうやら、草間さんだけが落とされた様ですね」凛が静かに呟く。
 足元に吸い込まれる様に落ちていった武彦とは違い、勇太と凛は御堂の中に足をつけた。
「どういう事…? 草間さんは!?」
「勇太、落ち着いて下さい。私と勇太は天使様に会い、草間さんは悪魔と出会う。これが、“予言”されていた通りの導きです。きっと草間さんも無事です」
「…そっか、そう言えばそんな事言ってたよな…」勇太は我に返り、周囲を見回した。「天使様の歌声、この奥からだ…」
「はい…。行きましょう、勇太…」
 二人は御堂の奥へと歩いていく。不思議な歌声は徐々に近くなっている。勇太も凛も、その歌声に導かれる様に歩き続ける。行き止まりにある、大きな広間。
「…待っていました」
 歌声が止まり、澄んだ声が響き渡る。薄い布越しに女性の声が勇太と凛へとかけられる。
「…歌声が止んだ」
「天使様、護凰の巫女にございます」凛が膝をつき、頭を下げた。
「頭を上げなさい、巫女。“夢”の中でしか話しをしてきませんが、子供の頃から私はアナタを知っているわ」下げられた布の奥から女性が姿を現す。
「…っ!」思わず凛が顔を上げて言葉を飲み込む。「…やはり貴方は、本物の天使様…」
「…真っ白な羽…?」勇太が天使の姿を見て呟いた。
 金色の髪に、真っ白な服を着た女性。真っ白な翼が背から姿を覗かせる。

―――。

 真っ暗な部屋の中、武彦が煙草に火を点けながらライターの炎で照らされた周囲を見回す。
「…やれやれ、まさかこんなトリックがあるとはな…」頭上を見上げて武彦は呟いた。「ったく、どうやって登れば良いんだか…」
「迷い込んだのね…」不意に暗闇の中、背後から声がする。
 武彦は振り返り、胸元に手を当てた。
「…誰だ…?」
「アナタを呼んだ天使、と言えば解りやすいかしら…」炎に照らされ、女の身体が武彦の瞳に映る。
「灰色の翼…。目撃されていた天使だな」
「ようこそ…」
 灰色の翼をした天使が歪に口元を歪める。

 勇太と凛の元には真っ白な翼の天使。

 武彦の前には灰色の翼の天使が姿を現した。

to be continued…

カテゴリー: 01工藤勇太, Case2, 白神怜司WR(勇太編) |

灰色の翼―Ⅲ

朝陽を背に浴びながら、勇太と武彦は神社へと向かって歩いていた。勇太の耳には相変わらずの物悲しい歌声が聴こえて来る。
「そういえば草間さんも不思議な夢を見たって言ってましたよね?」勇太は思い出したかの様に尋ねた。「どんな内容だったんです? 日没がタイムリミットって…」
「…お前は、どんな夢を見たんだ?」武彦が尋ね返す。
「…母さんが夢の中に出て来たんだ…。今じゃ昔みたいに会話も出来ない母さんが、夢の中で普通に俺に話し掛けてくれた」勇太は自分の掌を見つめた。「母さんが言ったんだ。彼女を助けてあげて欲しい、って…」
「彼女?」
「うん。誰の事を言ってるのかは解らない…。けど、多分…」
「あぁ。きっとこの凰翼島の天使の事だろう。俺の夢には本人が登場したからな」
「本人って、天使!?」
「あぁ、そうだ。灰色の翼を背に生やした金髪の少女だった」
「何か言ってたの?」
「いや、残念ながら何も声は聴こえなかった…。が、日没と共にこの島に大きな地震が訪れて、凰翼山が噴火をした。天使の翼が真っ黒になると同時に、な」武彦が足を止めた。「恐らく、俺とお前に何かを伝えようとしたのは天使の意思だろう。俺達は夢だけじゃなく、直接彼女に会わなきゃならない」
「山の噴火、真っ黒な翼…。急がなきゃ…」

――。

 ―凰翼山、天使の祠を祀る洞窟を護る神社。昨夜は夕暮れの中で訪れ、あまり気にしていなかったが、『護凰神社』と石版に刻まれた文字を勇太は目にしていた。どうやら神社の名前の様だ。
「少年、待っておったぞ」神主が中央の社の目の前で立っていた。
「神主さん」
「どうも、草間興信所の草間です。貴方がこの護凰神社の神主さんですか」
「いかにも。やはり二人組であったか…。“予言”は見事に的中したと言う訳か…」神主がそう言うと、少し悲しそうな表情を浮かべた。
「“予言”?」
「…ワシの孫は巫女としてこの神社で育てられていての。天使様の言葉や声を聞きながら、その有難い“予言”を受取りながら島に繁栄をもたらしておる。最近では“予言”を求める島民も少なくなってしまったがのぅ…」
「…成程。それで、“予言”の内容とは?」武彦が尋ねる。
「…島に災厄が降りかかる予兆は、二人の男が訪れし時。彼の地より訪れた旅人、少年は天使に出逢い、男は悪魔に出逢う。災厄は悪魔が天使を喰らう時。荒ぶる霊峰は牙を剥き、全てを無へと帰す」一人の少女が歩きながらそう言って神主の横に立った。
 勇太と同い年ぐらいの少女が、澄んだ瞳で武彦と勇太を見つめる。思わず言葉を失ってしまった。巫女服を纏う少女は、黒く長い髪を真っ直ぐ伸ばしている。肌の白さも重なり、まるで人形の様な風貌をしている。
「凛…、人前へ顔を出してはならん…」
「この子が、その巫女ですか?」武彦が尋ねる。
「…護凰の巫女に御座います」凛と呼ばれた少女が静かに口を開いた。「人とは異なる能力を持つ少年と、おおよそ計り知れない闇を持つ来訪者…」
「何で…その事を…!」勇太が思わずたじろぐ。が。凛は真っ直ぐ勇太を見つめて何も喋ろうとはしない。
「…確かに、本物みたいだな」武彦がポリポリと頭を掻く。「さっきの言葉が天使の“予言”だとするなら、どうやってその言葉を知るんだ?」
「…それは、貴方達と同じです。“夢”は天使様が唯一私にお話しをして下さる方法です」
「俺達が見た“夢”を知っている…?」勇太が尋ねる。
「はい…。天使様は二人に“夢”を見せる事で、ここへと訪れる事を促しました。私は洞窟を共に進み、天使様に逢わなくてはなりません。人とは異なる能力を持つ少年。貴方と共に」真っ直ぐに勇太を見つめて凛はそう言った。
「工藤 勇太。勇太で良いよ」勇太は少し気恥ずかしそうにそう言って目を逸らした。
 同い年ぐらいの女の子が、自分の能力を知りながらも怯えたりしない。それは勇太にとっては不思議と嬉しい感情を生んでいる。
「…凛、洞窟の中へ進むのなら、清めの儀式はお前がやるのじゃ」神主が三人のやり取りを見た後で溜息混じりに凛にそう告げた。「お前が行くのは反対するつもりじゃったが、天使様が呼んでいるのなら仕方あるまい…」
 神主がそう言うと、凛はコクリと頷いて答えた。
「清めの儀式ってのは?」武彦が尋ねる。
「天使様の御堂の最深部へ向かう最中、幾つかの試練があると聞く。一般の人間が入れる場所まではただの洞窟なのじゃが、最深部にある御堂はまるで異世界、と」
「行った事はないんですか?」
「神主であるワシも、祠の奥にある御堂には立ち入る事は出来ぬ。代々巫女となる者だけが、先代の巫女に連れられて行くのじゃ。ワシが一般に行う清めの儀式とは、名ばかりの物。本来は御堂に入る時のみ、巫女が施す神術の事を指すのでな」
「勇太達は大丈夫です。私が御堂の前で施術致します」
「そっか…。なら、急ごう」
「草間殿、勇太殿。どうか凛と、この凰翼島を頼みます…」
「えぇ。やってみます」
 神主に見送られ、三人は凰翼山の中へ続く洞窟へと足を踏み入れた。

――。

 もう春真っ盛りだと言うのに、洞窟の中は肌寒い程だ。しかし、勇太の耳には旅館にいた時とは比べ物にならないぐらいの悲痛な天使の歌声が聴こえてきていた。近付いている。歌声を聴くだけで、その確証は得られる。あまりに悲痛な歌声に、思わず勇太は顔をしかめていた。
「…勇太。貴方にも天使様の歌声は聴こえるのですね」凛が勇太を見つめて呟いた。
「貴方にもって事は、やっぱり巫女であるお前にも聴こえるって事か?」頷いた勇太の後で武彦が尋ねた。
「はい。巫女は天使様に近しい、人で在って人でない者。天使様の歌声は、巫女が巫女となった瞬間から、常に聴こえています。それが、巫女たる証」凛はそう言ってから小さく笑った。「ですが、私は巫女失格です。嘘を吐きました」
「嘘?」勇太が尋ねる。
「天使様は、二人をここへと呼びました。ですが、私まで行かなくてはならないと言うのは嘘です」
「えっ、それマズいんじゃ…!」
「ですが、巫女はその一生を普通の人よりも短く、四十まで生きる者すらいません。巫女が巫女としての力を次の代へと継承した後、先代の巫女は衰弱してしまうのです」凛は少し寂しそうな表情を浮かべてそう言った。「私もまた、その一人。ならば、一度で良い。天使様の言葉を、真意をこの目で見つめたいのです。“夢”だけの存在に操られるだけでは、虚し過ぎますから…」
「やれやれ、巫女としては失格だな…」武彦が呆れた様に呟く。煙草に火を点け、紫煙を吐き出して言葉を続けた。「だが、その心意気や良し。運命に抗おうとするのは人の運命ってヤツだ」
「…草間さん…」凛が武彦を見つめた。「洞窟内は禁煙です」
「運命に抗うヤツが細かい事言うな、ハッハッハ」

 神主の言っていた通り、洞窟内は広く険しい道程だ。既に二時間近く歩いているが、まだまだ最深部へと辿り着く気配すら覗えない。
「…ここで少し休憩するか。歩き続けるのも凛には辛いだろう」
「…申し訳ありません」
「まだ時刻は九時。日没まで時間はあるからな」
 崖を削られた坑道の様な空間を進んでいると、中央に焚き火をした形跡がある少し広めのスペースに出た。武彦が近くに大量に結んで放置されている薪を何本か拝借し、クシャクシャに丸めていたレシートに火を点けて薪に広げた。三人は焚き火を囲う様に座り込んだ。
「凛、あとどれぐらいで御堂に着くの?」
「このペースで進めば、あと一時間かからない程度でしょうか」
「うへぇ、それでもまだまだ歩かなきゃいけないのか~」勇太がその場に寝転ぶ。
 勇太は自分達が螺旋階段を歩く様に崖沿いを下ってきた道を見つめる。その先には漆黒の闇。ここは山の中央付近だろうか。
「…私が巫女の継承を済ませたのは、十三の時。つまり、三年前です」凛が口を開いた。「母と共にこの道を下り、この場所で焚き火をしました」
「母親…か…」武彦がそう言って勇太を見つめた。
「母は去年、私に巫女の力を継承して衰弱した後、息を引き取りました。聞かされていた伝承と同じ様に、静かな最期を迎えました」
「…よっと」勇太が身体を起こし、凛を見つめた。「…やっぱ寂しい?」
「寂しくないと言えば、嘘になります。私の父は私が幼い頃に亡くなっていますので、私には神主である祖父しか家族はいません。ですが、伝承として母から聞かされていた話でしたので、突然の別れではなかっただけ、幾分冷静だったのかもしれません…」
「…強いな」武彦が呟く。
「いえ、私は祖父に散々泣いて迷惑をかけてきました。そして、母も辿った受け止めるべき運命を、素直に受け止める事も出来ず、こうしてお二人と一緒にここに来ているのです。決して強い訳ではありません」
「…凛…」
「天使様にお逢いして、尋ねてみたいのです。私達、護凰の一族が何故こうも短命であり、奇異な存在として居続けるのか。私もまた、その運命を受け止める前に、抗いたいだけなのかもしれません」
「…勇太と凛、似ているかもしれないな」武彦が呟いた。
「俺と?」
「私が?」
「あぁ。運命に抗いながら、普通のガキじゃ到底ぶつからない問題に直面して、それでも強く生きようとする。お前らは、背負ってる物は違っても、何処か似てる様な気がしてな」
「何だよ、それ」勇太が顔を赤くしながら顔を背けた。
「では、勇太。私と結婚してください」
「はぁ!?」唐突な凛の言葉に、思わず勇太が叫びだす。武彦もあまりの唐突な言葉に、咥えていた煙草を落とした。
「この運命の枷を知らず、理解出来ない一般の方との婚儀は私も喜ばしくありません。貴方は顔も整っていますし、私の気持ちを解ってくれそうです」
「えっ、ちょっ…! ななななな何言ってんだよっ!」
 あまりの動揺に武彦は笑っているが、凛は真面目に勇太を見つめていた。

 三人の道中は、未だ続く…。

                                     Case.2 to be continued….

カテゴリー: 01工藤勇太, Case2, 白神怜司WR(勇太編) |

灰色の翼―Ⅱ

「…ここがさっきのお婆さんの言ってた神社かな?」
 山の中をひたすらに続く階段を抜けた先、ひっそりと佇む由緒ある神社が勇太の眼前に広がった。広々とした境内が夕陽で紅く染められている。もう既に夕刻。真っ暗になってしまえば薄暗く、視界も充分に確保出来そうにはない。ゆらゆらと揺れている松明の炎が煌々と境内を照らしている。
「へぇ、今時本物の松明を灯してる神社なんてあるんだ…」勇太は興味津々に松明へと近付きながら呟いた。
「何用かな?」不意に勇太の背後から声をかけられる。
 勇太が少し驚きながら振り返ると、そこには真っ白な装束を着た老人が立っていた。何処か険しい表情をしながら、値踏みする様に勇太を見つめる。
「あ、すいません。天使様の祠に入る為に神社を探しているんです」勇太はそう言って少し礼儀正しく挨拶をする様に意識して頭を下げた。
「…ふむ、どうやら島民ではない様じゃの…」
「え?」
「天使様の祠に続くのは確かにウチの神社で間違いない。じゃが、天使様の祠は午前中でなければ解放する訳にはいかんのじゃ」
「午前中のみ?」
「そうじゃ。ここにある洞窟からひたすら奥へと進み、天使様の祠へ到着するのにざっと二時間はかかってしまうのでの。迷い人とならん様に、陽の昇り切る前じゃなくてはいかん。お清めをするにも時間はかかるのでな…」
「そうですか…。ちなみに、神主さんで?」
「そうじゃ。ワシがこの神社の神主じゃ。もしも天使様の祠を訪れたいというなら、明日の午前中にでも改めてここへ来ると良い」
「はい、有難う御座います」勇太が再び頭を下げる。「あ、あと一つ良いですか?」
「何かな?」
「神主さんには聴こえるんですか? この島全体に響いている歌声…みたいな…」
「…っ!」神主の顔が一瞬引き攣る。「…どんな声をされておる?」
「切なく、寂しい歌声です…。何でこんなに悲しい声をしているのか…、どうして俺にしか聴こえてないのか知りたくて…」
「…聴こえる者が現われたか…」神主は小声で小さく呟いた。「少年、一つ頼まれてくれんかの…?」
「…何ですか?」

――――。

「…狐どころか、天使にでもからかわれてるのか…?」武彦が思わず呟く。
「ただいまー…って、どうしたんです?」思わず勇太は武彦を見て尋ねた。
 武彦はぐでーっと身体を伸ばし、旅館の畳の上でボーっと口に咥えた煙草からあがる紫煙を見つめて寝転んでいた。
「あぁ、戻ったのか…」武彦はそう言うと身体を起こして座った。「まずはお前が仕入れた情報を聞かせてくれ」
「ん、うん。天使ってのが祀られてる祠が山の中にあるみたいで、そこに行くには洞窟の入り口にある神社に午前中に行かなきゃいけないんだって。それで今日は追い返されて帰って来た」武彦の正面に勇太が座って説明する。
「そうか。俺も退治依頼をしてきた八代って男と話しをしたんだがな…。どうやら神社には行く必要はありそうだ」
「他の依頼主さんは?」
「…それがな、八代以外の依頼主は“神隠し”にあっている」
「え…? いつですか?」
「依頼を出したとされる数日前から、だ…」武彦が灰皿に煙草を押し付けて火を消した。「つまり、依頼を出せる状況にいない筈って事だ」
「ちょ…、ちょっと待って下さいよ…。どういう事ですか?」思わず勇太は身を乗り出して武彦に詰め寄った。「だって、依頼を出せないんだとしたら、そんな…―」
「―あぁ、有り得ない話だがな」武彦は再び天井を見つめて溜息を吐いた。「封筒に押された印と状況を考えると、こればっかりは説明がつかん。郵便ポストの回収が遅れた可能性も考えたが、神隠しにあったのはそれぞれ二週間以上前の話だそうだ」
「…二週間以上…」勇太が思わず繰り返した。「あ、そうだ。話しは変わるんですけど、神主さんから変な事言われたんですよ」
「何だ?」武彦が勇太へと視線を戻した。
「まず一つは、『聴こえる者が現われた』とかって」
「天使の歌声の事か?」
「多分そうだと思うんですけど、その後に言われたんです。どうか天使を救って欲しいって」
「天使を救う?」
「はい。神主さんが言うには、天使はこの島の全てを護ってくれている存在。ただ、近年はその天使に対する信仰も弱まった。かと言って、それぐらいで腹いせに人をおかしくする様な事はしない筈だ、って」
「…神隠し、天使の信仰。退治依頼に、救済要請か…」
「さすがに草間さんでも、真相はまだ闇の中?」
「あぁ。情報があまりにも少なすぎるからな…。いずれにせよ、明日の朝には天使の祠とやらに行く必要がありそうだな…」
 武彦の言葉に勇太は静かに頷いて応えた。耳にはまだ天使の物悲しげな歌声が響いている。何処となく悲しく、あまりにも儚い歌声は、一体何を伝えようとしているのか、勇太には想像がつかなかった。

―――。

「…ここは…?」
 勇太が目を開ける。そこは、白を基調に塗装された施設の様な空間だった。
「…勇太…」
「誰…?」
 声が響き渡り、勇太は思わず聞き返す。が、返事は返って来ない。音のない空間に、勇太の声だけが反響している。不気味な静寂。これが夢だと言う事に気付くのに、そこまで時間はかからなかった。
「…夢なのに、こんなに意識がしっかりしているなんて…」勇太は思わず呟いた。手を見つめ、足を踏み出し、感触を確かめる。
「…勇太…」再び勇太の名前を呼ぶ声がする。勇太は顔を上げ、周囲を見つめた。
 延々と続く真っ白な通路に、勇太の左側には扉が点在している。
「…病院、みたいだ…」
 足を踏み出した勇太はそう呟いた。何処か懐かしい声。本来であればこの不思議な状況に恐怖すら生まれるだろうが、勇太にそんな感情は沸いて来ない。
「…この部屋、だ…」勇太は違和感を感じて立ち止まった。扉に手をかけ、そっと開いた。
「…勇太、久しぶりね」
「…母…さん…?」思わず勇太は言葉を失った。
 幼い頃。叔父に引き取られてからは面会してもまともに会話も出来ない母が、そこにいる。真っ白な部屋の中、ベッドの上で座りながら真っ直ぐ勇太を見つめて、声をかけている。
「…眼の色が変わってしまった事も、背が伸びて大きくなった事も、貴方はいつも私に話してくれているわね」穏やかに微笑む母が勇太を愛おしそうに見つめていた。「さぁ、もっとこっちへいらっしゃい」
「…うん」
 夢だと解っていながら、勇太は静かにベッドの脇にある椅子へと座った。
「…勇太。こんな母を貴方は恨んでいるでしょう?」
「…恨んでないよ…。母さんは俺を守ろうとしてくれたじゃないか」思わず冷たい口調になってしまう。いざ会話になると、つい意地を張ってしまっていた。
「そう言ってくれると、母さんは嬉しいわ…」少し寂しげに母は笑ってみせた。「ごめんなさい、勇太。こうして普通に話せる時間は限られている。だから、一つだけ…。お願いを聞いてくれるかしら?」
「…どういう事…? これは…夢…。それを母さんも知っているの…?」勇太は思わず母へと尋ねた。母は何も言わず、静かに頷いた。
「お願い、勇太。大きくなった貴方を、一度で良いからこの手で抱き締めさせて」
「…母さん…」
「ずっと寂しい想いをさせて、貴方に辛い想いをさせてきた私を許して欲しいとは言わないわ…。こうして、夢の中で貴方に逢えたのなら、ちゃんと自分の口からそれを伝えたかった…!」母の頬を一筋の涙が伝う。「愛しているわ、勇太…。こんな母でも、貴方を愛しているのよ…」
「…母さん…」思わず勇太も涙を流していた。静かに母の両手が勇太を包み込む。
「…あぁ…、こうして貴方を抱き締める事が出来るなんて…」震える両腕が勇太を包み込んでいた。穏やかで何処か懐かしい匂い。勇太は思わず胸を締め付けられる様な切なさに襲われていた。
 不意に、天使の歌声が響き渡った。ハッと我に還った勇太が身体を起こした。
「…天使…?」
「…時間が来てしまったみたい」
「え?」
「もうすぐ私達は夢から醒める…。彼女が与えてくれたこの時間が、終わろうとしているのよ」寂しそうに母は勇太にそう言って勇太の手を取った。
「彼女…? どういう事…?」
「勇太、彼女を救ってあげて…」
 母の言葉と共に、視界が急速に真っ白に染まっていく。
「母さん…! 母さん!」
「…彼女は、苦しんでいる…。…貴方なら…―」

―――。

 ハッと目を開ける。どうやら現実に戻って来た様だ。
「…この匂い…」思わず勇太は自分の胸を掴んで呟いた。「…ただの夢じゃなかったんだ…」
 頬に涙が乾いた跡を感じる。ただの夢じゃなかった。そう感じさせる何かが勇太の中に確信を生んでいた。
「…お前も、不思議な夢を見たのか?」
「…草間さん…?」不意に窓辺から紫煙吐きながら声をかけられ、勇太は目を凝らした。武彦がいつになく寂しげな表情で勇太を見つめた。
「…どうやら、俺達を呼ぶつもりらしいな。天使様とやらは…」
「…うん…」まだ残る温もり。ただの夢ではなかった事はそれだけで理解出来る。
「もうすぐ夜が明ける。行くぞ、勇太」
「え? もう出るの?」
「あぁ。俺の夢が正しければ、タイムリミットは今日の日没までだ」
「…っ!」

 こうして、二人は朝陽と共に旅館を後にした。

 勇太の耳には、また物悲しい歌声が聴こえてきていた…。

                              Case.2 to be Continued…

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