人間嫌いの追憶

典型的なモンスター・ペイシェントであった。
「ここって刑務所かよ! 飯は不味いし看護婦は愛想ねえし!」
 ベッド上で喚いているのは、20代半ばと思われる女性患者だ。
 医師やナースが辟易しながらなだめているが、この手の患者は少し厳しくしなければ調子に乗るだけだ、と工藤弦也は思う。
「わかってんのかよ、こっちは患者だぞ!? 金払ってんだからよォ、てめえら食わしてやってんだからよぉお!」
「……保険料なんて払ってなかったよね、姉貴は」
 医師を押しのけるようにして弦也は、その女患者を見下ろし、睨んだ。
「ゴミ部屋で最低の暮らしをしてたあんたが、ちゃんとした病院で、そんなふうにのんびり寝ていられる。飯の心配もしなくていい、殴られる事もない……なあ姉貴、誰のおかげだと思ってる?」
「あ……あんたたちが、お金払ってくれたんだろ」
 女性患者が、いくらか大人しくなった。
「感謝してるよ……だけど家族なら当たり前の事じゃんか! あたしが今までどんな酷い目に遭ってきたか、弦だって知ってるだろ!?」
「酷い目に遭ってきた、って自覚はあるんだよな」
 本当の事を、弦也はぶちまけてしまいたかった。
 今回、工藤家からは1円も出てはいない。
 この女のために何かしてやろうなどと考える者は、弦也本人も含めて、工藤家にはもはや1人もいないのだ。
 ただ1人……彼女の、幼い息子を除いて。
 その子が、とある組織に身を売って、母親の入院費用を稼ぎ出した。
 喉の辺りまで込み上げてきたその真実を、弦也は無理矢理に飲み込んだ。
「だったら、自分を酷い目に遭わせた男の事なんて忘れちゃえよ。あれが単なる人間のクズだって事、よぉくわかっただろ」
「弦……そんな事、言わないでよ……あんたの、お義兄さんなんだよ……」
 姉が、ぽろぽろと泣き出した。
「あの人は、ちょっと心が弱いだけなんだよぅ……あたしが、ついててあげないと駄目なんだよ……だから」
「そんな調子で、ろくでもない男に引っかかっちゃあ捨てられる。昔っからそうだよな姉貴は」
 姉の胸ぐらを、弦也は思わず掴んでしまいそうになっていた。
「捨てられるだけなら、まだましさ。だけどあの男、これからもしつこく姉貴に付きまとって来るよ。今は怪我してるみたいだけど」
「助けてあげてよ、弦……」
 昔なら、この姉にこんなふうに頼まれたら、何でもしてやろうという気になれたものだ。
「あの人にも、お金……出してあげてよう……」
「1つだけ言っておくよ、姉貴」
 泣きじゃくる姉に、弦也は微笑みかけた。
「あの男、もし怪我が治って、あんたの周りをうろつくようなら……僕が殺す。殺人事件にならない殺し方なんて、いくらでもあるんだからな」
「弦……な、何言ってんの……」
「殺す、と言ってるんだ。あの男を」
 はっきりと、弦也は言った。
「姉貴や……それに、あいつの周りをうろつくようならね」
「やめて……やめて! やめてえええええ!」
 姉が、泣き叫んだ。
「あいつの話なんかしないで! あのクソガキ! あのバケモノ! 弦あんた、何かバケモノ退治の仕事してんだろ!? とっととアイツを殺しちゃってよおおおおおお!」
「その仕事なら辞めてきたよ。ちょっと上司をぶん殴っちゃってさ」
 手足に、まだ感触が残っている。
 あの時と同じ目で弦也は、姉を見据えていた。
 姉が青ざめ、息が詰まったように黙り込む。
 弦也は、微笑みを保つ事が出来なくなった。
「無職になっちゃったけど、貯えはあるからさ。あいつの面倒を見てやる事くらいは出来るよ……あんたに、あいつの母親をする気がないってのは、よぉくわかったからね」
 弦也は姉に背を向け、傍らの医師に話しかけた。
「この患者、甘やかしちゃいけませんよ。うるさいようなら閉鎖病棟にでも放り込んで下さい。大丈夫。この女を心配して騒ぐような人間、工藤家には1人もいませんから」
 青ざめ、怯え固まっている姉に、弦也は一言だけ声を投げた。
「なあ姉貴……あんたを見てると、結婚なんてするもんじゃないってのが本当よくわかるよ」

 病室を出た瞬間、睨まれた。緑色の瞳でだ。
 上目遣いに睨みつける。この子は、そんなふうにしか人を見る事が出来ないのだ。
 弦也は身を屈め、その幼い男の子と目の高さを合わせた。
「……聞こえていたよな? まあ、そういう事だ。お前にはもう、母親なんていない」
「…………」
 男の子は、何も答えない。
 弦也の甥である。叔父と甥らしい会話など、しかし1度も出来ていない。
「会わせてやろうと思ったけど、あれじゃ駄目だな。姉貴の奴、お前の顔を見た瞬間にショック死しかねない」
 甥は、やはり何も言わない。
「親戚としての体面で、お前を引き取りはしたけど……何しろ子供を育てた事なんてないからな。お前をどう扱えばいいのか、わからないんだ。とりあえず衣食住の心配はしなくていい。念のため言っておくけど、感謝なんかしてくれる必要ないからな」
 衣食住だの感謝だのといった言葉を知っているかどうかも怪しい年齢の男の子である。叔父の話も、果たして聞いているのかどうか。
 構わず、弦也は言った。
「お前はこの先、散々問題を起こして僕に迷惑をかけるんだろうな。だけど、それを責める資格が僕にはない。お前に厳しくする資格なんて、僕にはないんだよ……姉貴に、こんな接し方しか出来ない人間なんだからな」

「……僕が? そんな事を言ったのかい」
 夏と言っても、それほど暑い日ではない。
 とある公園である。
 甥と一緒に、公園を歩く。こんな日が来るとは、弦也は思ってもいなかった。
「覚えてないなぁ」
「俺も5歳かそこらだったから、よくは覚えてないけどね。面倒見てやるけど感謝はしなくていい、とは言われたよ」
 この甥も、今は17歳。ろくに口もきいてくれなかった男の子が、こんな事を言うようになった。
「俺は勝手に、感謝してる……ありがとう、叔父さん」
 こんな事を言われると、何と応えて良いかわからなくなる。だから感謝など、されたくないのだ。
「叔父さんの言った通りになったね。俺……いろいろ問題起こして、迷惑ばっかりかけてさ」
「僕の中学・高校の時より全然ましだよ。お前は」
 学校で喧嘩をして、つい能力を使ってしまった。結果いくらか怪我人も出た。
 この甥が引き起こした問題など、その程度である。
 弦也がIO2エージェントとして手掛けた様々な事件と比べれば、問題と呼べるほどのものでもない。
 何しろ、人は1人も死んでいないのだから。
 この少年が初めてその手の騒ぎを起こしたのは、小学校何年生の時であったろうか。
 緑色の目をしている、という理由だけで、同学年の悪童数名が因縁をつけてきた。
 甥は、正当な反撃を行った。結果その悪童たちが、ちょっとした怪我をした。
 自分ならば怪我程度では済まさなかったであろう、と弦也は思う。
 そんな、問題とも言えぬ問題を積み重ねながら、甥はやがて中学生になった。
 中学生。男の子が最も凶暴になる年頃である。
 甥の通う学校にも、それは凶暴な少年たちがいた。
 そんな少年たちが攻撃を仕掛けて来たので、甥は正当な反撃をした。
 結果、怪我人の山が出来た。自分なら1人2人は殺していたかも知れないと弦也は思う。
 そんな学校生活を送りながらも甥はしかし、この頃になると、憎まれ口とは言え、弦也と口をきいてくれるようになった。友達も増えた。人間ではない友達ばかりではあったが。
「今回……少し、大変な目に遭ったみたいじゃないか?」
 墨田区の某電波塔近辺で、局地的な大雨が降った。洪水とも呼べる状況であったらしい。
 甥は、その場に居合わせたようである。
「何とか大丈夫だったよ。こいつらのおかげで、ね」
 仔犬が2匹、とてとてと足元にまとわりついて来る。弦也が手にしている洋菓子の包みに、鼻面を向けながらだ。
「わーい、チョコケーキ! プリンパフェ、シュークリーム!」
「早く早く、我らにお供えすると良いのだぞ」
「ごりやくが、あるのだぞ」
 2匹とも日本語を喋っているようだが、弦也は深く考えない事にした。
 甥には、このような友達が本当に多い。
 高校生になってからは、人間の友達も増えてきたようである。
 自分とは大違いだ、と思いながら弦也は身を屈め、仔犬2匹を抱き上げた。
「お前、僕に感謝してると言ったよな……この子たち、もらってもいいかな?」
「俺のペットってわけじゃないよ」
 甥が、苦笑をしている。
「叔父さん、犬派?」
「派閥は決めていないよ。犬は可愛いし猫も可愛いし、鳥や爬虫類だって可愛いし、虫も可愛い。可愛くないのは人間だけさ」
「叔父さん……もしかして、人間嫌い?」
「何だ。今頃、気付いたのか」
 仔犬たちの感触を堪能しながら、弦也は言った。
「僕は、人間と仲良く出来ない男だったからな……お前は、僕みたいにはなるなよ」

カテゴリー: 01工藤勇太, 小湊拓也WR(勇太編) |

誰かがいる街へ

瓦礫と化した高層ビルの窓から、小魚の大群がのんびりと出入りしている。
 ひび割れたアスファルトからは、海藻が伸び放題に生えてゆらめき、タコやヒトデや甲殻類の蠢く様を見え隠れさせている。
 巨大なホオジロザメが、傍らを通過した。
 食われるか、と勇太は思ったが、水死体の如く漂う少年など眼中にない様子で、鮫はゆったりと巨体を揺らし、折れ曲がった信号機をかすめ、泳ぎ去って行った。
 東京の街並が、海の底に沈んでいた。
 その海の中を工藤勇太は今、漂っている。
 息は苦しくない。だが勇太は、自分が今、きちんと呼吸をしているのか、そもそも生きているのかどうかすら、わからずにいた。
(街……誰もいない、街……)
 勇太はふと、そんな事を思った。
 海に沈んだ街。そこには、人間が1人もいない。いるのは、物言わぬ水棲生物たちだけだ。
「綺麗でしょう? 人間のいない街って」
 水の中なのに、声が聞こえる。
「人間なんていない方が、世の中とっても綺麗だって事……わかるわよね?」
 水没し、漁礁となったビルの屋上に、その少女は佇んでいた。
 まるで入院患者のような、パジャマ姿の少女。顔立ちは美しい、だが暗い。
「人間は、世の中を汚くするもの。こんなふうに綺麗な海の底に沈めてあげるのが、せめてもの優しさよ」
「あんたは……」
 勇太は声を発した。
 本当に声が出たのかどうかは不明だが、訊きたい事を少女に伝える事は出来た。
「そんなに、人間が嫌いなのか? 何で?」
「……説明が、必要?」
 長い黒髪を、海藻の如く揺らめかせながら、少女は微笑んだ。
「貴方は知っているはずよ。人間という生き物が、どれほど……生かしておくに値しない存在であるか」
 勇太の脳裏に、何かが浮かんだ。
 大勢の、人間の顔だった。
 皆、にこやかな表情を浮かべている。有望な実験動物を見る目を、あらゆる方向から勇太に向けている。
「やめろ……」
 勇太は顔をそむけた。が、脳裏にいる者たちから目を逸らせる事など、出来はしない。
 白衣を着た男たち女たちが、にこやかな笑みを浮かべながら、一斉に手を伸ばして来る。
「やめろ……! やめろ! やめろぉおおおおおおお!」
 怒り、と言うより恐怖心が、勇太の中で爆ぜた。
 爆ぜたものが、溢れ出した。
 しばらく忘れられていたものを、勇太は解放してしまっていた。
 にこやかな顔が、全て砕け散った。頭蓋骨の内容物が、まるで花火のように噴出・飛散し、勇太の全身を汚す。
「ああぁ……ぁああぁあぁ……」
 呻き、座り込んだ勇太を、無数の人々が取り囲んでいる。
 皆、怯えていた。化け物を見る目を、あらゆる方向から勇太に向けていた。
 その中に、叔父がいる。
 他の人々が、彼1人を責めなじっている。
 あんた、自分の親戚だろ。ちゃんと引き取って面倒見なさいよ、あの化け物を。
 責任持ちなさいよ。親戚でしょうが?
 そんな事を言う人々に押され、叔父がこちらに近付いて来る。
 勇太を見るその目には、怯えがあった。苛立ちが、嫌悪があった。
 親戚という言葉が、世間体が、これ以上ない重荷となって叔父を苛んでいる。
「やめろ……やめてよ、叔父さん……」
 勇太は目を閉じ、頭を抱えてうずくまった。
「そんな顔するなら、俺の事なんか放っといてよぉ……っ」
 全員、消えた。叔父も、彼を責めなじる人々も。
 風景が、水没した街に戻った。
 ビルの窓から、小魚の群れが溢れ出す。
 海亀が、のんびりと泳いでいる。割れたコンクリートから、タコが這い出して来る。
 誰もいない。実験動物や化け物を見る目を、自分に向ける人間が、1人もいない街。
 その中を漂いながら、勇太は呟いた。
「誰も……いない街……」

「どう? 美味しい?」
 係員の若い女性が、微笑みかけてくる。
 ぺろぺろとソフトクリームを舐めながら、羅意と留意は至福の笑みを浮かべた。
「うまし! アイスうまし」
「われらにアイスをおそなえしたので、おまえにはごりやくがあるのだー」
「本当? 嬉しいなー。じゃ、さっそく御利益をもらっちゃおうかな」
 若い女係員は、辛抱強く微笑みを保って言った。
「らい君にるい君、だったよね。君たち、お父さんお母さんと一緒に来たの?」
「我らは、勇太と一緒に来てやったのだぞ」
 羅意が答えた。
「なのに、あの馬鹿者は勝手にどこかへ消えてしまった。お前、さっさと捜しに行くと良いのだぞ」
「そ、そうね。捜してあげる。その勇太さんの苗字……ええと上のお名前、教えてくれるかなー?」
 水族館の入口近辺で、この2人の迷子を発見したのだ。
 兄弟であろう。片方は赤毛、片方は金髪で、お揃いの白い和装に身を包んでいる。なおかつ、犬の耳と尻尾など付けられている。
 幼い子供にこんなコスプレをさせた挙げ句、放置してどこかへ言ってしまう。その勇太とかいう名前の保護者が父親なのか兄なのかは不明だが、ろくな人間でないのは間違いなかろう。
(とんでもないDQN親ね、きっと……気をつけて対応しないと、すっごいクレーム騒ぎになりそう)
 女係員のそんな思いなど知る由もなく、羅意と留意は、ソフトクリームを舐めながら空を見上げていた。
 こんな、ただ高いだけの塔の、一体何をありがたがって人間たちは集まって来るのか。羅意にも留意にも、さっぱり理解出来なかった。
 先程の水族館の方が、ずっと面白い。
 その水族館を出た瞬間、勇太の姿はいきなり消え失せてしまったのだ。
 留意は、じっと見上げた。
 塔の頂上付近で、黒雲が渦巻いている。
 勇太が一体どこへ行ってしまったのか、留意には何となくわかった。黒雲の中から、勇太の気が漂い出している。
 その漂い方が、次第に濃密になってゆくのを留意は感じた。
 黒雲が、塔の頂上から、空全体へと広がってゆく。
 ぽつり、と水滴が顔に当たって来た。
 雨。それも塩辛い雨だった。海水が、降って来ているかのようだ。
「おお雨だ。いかんいかん、アイスが台無しになってしまうのだ」
 羅意と留意が、ソフトクリームを慌ててバリバリと口に詰め込んでいる間。
 雨が、一気に激しさを増し、叩き付けるような豪雨となった。
 女係員、だけでなく電波塔周辺の観光客たちが、悲鳴を上げて逃げ惑う。
「あに者あに者、ずぶぬれだよー」
「わわわわわ、雨がしょっぱい雨がしょっぱい」
 まるで海が降って来ているかのような豪雨の中、羅意と留意はおたおたと走り回った。
 その足元で、水が激流と化してゆく。
 凄まじい速度で水位が増し、小さな兄弟の身体はたちまち激流に運ばれた。
「流されるぅー!」
「あに者あに者、あの塔のてっぺんなのだ! あそこで、よくない力がうずまいてる!」
 流されながら、留意は叫んだ。
「ゆう太もきっと、あそこにいるよー!」
「よ、よし! あの馬鹿を、助けに行くぞー!」
 激流を蹴るようにして、羅意が跳躍した。
 獣の耳と尻尾を生やした、小さな男の子の姿。それが、本来の獣の姿へと戻りながら、水飛沫を蹴立てて空へと舞い上がる。
 留意も、それに続いた。
 叩き付ける海水の豪雨の中、ふっさりと尻尾をなびかせて天翔る、2匹の狼。
 その姿が、塔の頂上付近で滞空した。空中に着地したような格好である。
 黒雲は、空全体に広がっている。が、その中核を成すものの気配は、塔の頂上で渦巻くように留まっている。
「ここか! 勇太の馬鹿はここにいるのだな! よーし!」
 羅意が、全身の獣毛を逆立てて咆哮を発した。天翔る狼の姿が、雷の如く光を発する。
 その光が、渦巻く黒雲の中核を、激しく包み込んだ。
 悪しき力を封じ込める、結界。
 海水の豪雨が、急速に弱まってゆく。そして小雨になった。
 地上は、洪水寸前の有り様だ。人々が、溺れかけた者を助けながら、逃げ惑っている。
 ここに再び今のような豪雨が叩き付けられれば、間違いなく水死者が出る。羅意が力尽きた瞬間、そうなる。
「留意! お前は勇太を助けに行け!」
 早くも力尽きそうな、辛そうな声で、羅意は叫んだ。
 それは留意にとって、死刑の宣告にも等しかった。
 兄と離れて、1人で行動する。留意にとって、それは死にも等しい苦行であった。
「や……やだ……」
 声が、震えた。
「あ、あに者といっしょじゃなきゃ、やだ……」
「ばか留意! 我らは『かみのつかわしめ』なのだぞ!」
 羅意の怒声が、雷鳴の如く轟いた。
「人間を助けなければいかんのだ! 馬鹿勇太も、ついでに助けてやらねばいかんのだ! 両方出来なければ駄目なのだ!」
「あに者……わ、わかったよう……」
 勇太からは、大量のアイスクリームを供物として捧げられた。
 ここで何か御利益を返してやれぬようでは、神としての面目が立たない。
 泣きじゃくりながらも留意は覚悟を決め、結界の中へと飛び込んで行った。

 誰もいない街に、誰かがいる。
 勇太は突然、それに気付いた。我に返ったような気分だった。
 小さな生き物が、水中でじたばたと暴れている。白い和装に身を包んだ、仔犬のような男の子。
 そこに、鮫が向かって行く。
「ゆう太ゆう太、はやくたすけるのだ!」
「……留意……!?」
 勇太は、とっさに念じた。しばらく封印していた力を、解放した。
 その力が、留意の小さな身体を引き寄せる。
 一瞬前まで留意がいた辺りで、鮫が大口を閉じた。牙の空振り。
 引き寄せられて来た留意を、勇太は両腕で抱き止めた。
 鮫が、舌打ちでもしそうな表情をこちらに向けつつ、泳ぎ去って行く。
 見送りながら勇太は、腕の中の留意に問いかけた。
「留意……何で、こんなとこに……?」
「バカゆう太! それはこっちのせりふなのだ!」
 留意が泣き出した。
「こんなとこで、なにをやってるのだ!」
「何を……やってるんだろうなぁ、俺……」
 留意の頭を撫で、獣の耳を弄りながら、勇太は呟いた。
 誰もが自分を、実験動物としてしか見ない。化け物としてしか、見ようとしない。
 そんな事があるものか、と勇太は思い直した。
 少なくとも2人、いるではないか。工藤勇太を、工藤勇太として扱ってくれる、小さな兄弟が。
「……何よ……その子は……」
 少女の声が聞こえる。怒りで、憎しみで、震える声。
「私には、誰もいないのに……何で貴方には、そんな……そんなぁああああああ!」
 震える絶叫に合わせて、水が激しく渦を巻いた。
 留意の小さな身体を抱いたまま、勇太は渦に飲まれた。
「くっ……ぅ……ッ」
 まるで、巨大な洗濯機に放り込まれたかのようである。
 もぎ取られそうになる留意の身体を、両腕でしっかりと保持しながら、勇太は念を解放しようとした。戦闘のための念。だが。
「たたかっては、だめなのだ!」
 留意の叫びが、それを妨げた。
「そとで、あに者ががんばってるのだ!」
 ここで戦ったら、外に衝撃が流れ出る。恐らく結界を張っているのであろう羅意の負担が、大きくなる。
 留意は、そう言っているのだ。
 少女の攻撃の念は、さらに高まってゆく。
「誰もいないのに! 私には、誰もいてくれないのに!」
「……そんな事、ないと思うな」
 勇太は言った。
「あんたと俺は同じ……とか言ってたよな。俺もそう思うよ。あんたにだって俺と同じ……誰かが、いると思う。あんたはそれを、自分で見ようとしていないだけだ」
 少女に、ではなく自分に、勇太は言い聞かせていた。
 叔父は本当に自分を、世間体のためだけの荷物としか見ていないのか。
(俺……叔父さんと、ちゃんと話した事もない……叔父さんを、ちゃんと見てもいない……なのに、勝手に決めつけて……)
「誰かがいる」
 勇太は言った。少女は、何も言わなくなった。
 彼女の感情が、揺らいでいる。
 海に沈む、誰もいない街の風景も、揺らいでいる。
「だから……誰もいない街からは、とりあえず出てみようぜ?」

 突然、東京を襲った局地的な豪雨による被害が、全くない事はなかった。
 幸いにして、人死には出なかった。
「お前のおかげだな……神様らしい事、したじゃないか」
 右腕で抱いた仔犬に、勇太は語りかけた。
「ふふん、これが我らの御利益なのだ」
 仔犬が、偉そうな日本語を発した。
「今日はそんなに暑くないから、アイスではなくチョコレートケーキをお供えすると良いのだぞ」
「プリンパフェでも、よいのだぞ」
 勇太の左腕で、もう1匹の仔犬が言う。
 2匹の、日本犬の仔犬。羅意と留意である。消耗した力が回復するまで、しばらくこの姿でいなければならないらしい。
「ああ、何でも頼むといい……叔父さんが、おごってくれるってさ」
 勇太の方から、叔父に電話をしてみた。そして会う事になったのだ。
 会って、話をしなければ、人間の事など何もわかりはしないのだ。
 ふと、勇太は立ち止まった。
 高校生、であろうか。制服姿の少女と、擦れ違ったのだ。
 どこかで見たような女の子だ、と勇太が思っているうちに、その少女はすたすたと歩き去ってしまった。
 会って話をしなければ、人間の事などなにもわからない。
 とは言え、女の子を呼び止めて話をする勇気など、今の勇太にはなかった。   

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真夏の昼の夢

叩き付けるような暑さだった。
 激しい蝉の声が、それに拍車をかけている。
 体力が汗と一緒に流れ出してしまいそうな猛暑の中、しかし工藤勇太の心は弾んでいた。
「暑いなあ……よしよし、思った以上の暑さだ」
 今日が、近年稀に見る猛暑となる事は、数日前から天気予報で知っていた。
 だから、アイスを大量に買い込んである。少し高めのクッキー&クリームやチョコブラウニー、駄菓子感覚のアイスバー、かき氷……様々な種類を揃え、冷凍庫に入れてある。
 昨日も暑かったが、1つも手をつけずに我慢した。今日の、この猛暑のために。
 一番暑い日に、買い置きしてあるアイスを一気食いする。この至福は何物にも代えられない。
 腹を壊しても構わない。明日からは、夏休みなのだ。
 それもまた、心が弾む理由の1つだった。
「休みを楽しみに学校へ行くってのも……どうかなって感じだけどな」
 ハンカチで汗を拭いながら、勇太は苦笑した。
 今の学校では、それなりに上手くやっている。
 新聞部に入り、そこそこ社交的な学校生活を送る事は出来ている。
 隠しておきたい力を使うような事件が、今のところは起こっていないからだ。
 何かあれば、また転校しなければならなくなる。叔父に、また迷惑をかける事になる。
 あの叔父が何故、これほど自分の面倒を見てくれているのか、勇太は今ひとつ腑に落ちなかった。
 例の研究施設から助け出されたばかりの頃、心を閉ざしかけていた勇太の目の前に、1人の親切そうな男が現れた。
 それが叔父との初体面だった、と言っていい。赤ん坊の時に、顔くらいは見ているのかも知れないが。
 母の弟である。
 心が壊れたまま、入院生活を強いられている母。
 その原因を作ったのは、勇太自身だ。
 姉を廃人同様の状態に叩き込んだ甥を、しかし叔父は責める事もなく、援助をしてくれている。
 何故なのか。訊いてみたいと勇太は思うが、多忙な叔父とはなかなか話をする機会がない。
 多忙を理由に避けられているのかも知れない、と思う時もある。
 世間体もあるから、親族として経済的な支援はしてやる。が、顔を合わせたくはない。話もしたくない。姉の心を破壊した、化け物などとは。
 そんなところではないか、と思う時はある。
「……ま、当然だよな」
 勇太は呟いた。
 何であれ、叔父には恩がある。一生かけて返すべき恩だ、と勇太は思っている。
「……壊れてしまうわ、貴方が……」
 声が聞こえた、ような気がした。
 若い女性、と言うより女の子の声。
 絶叫のような蝉の声に、掻き消されてしまいそうでありながら消される事なく、勇太に語りかけてくる声。
「貴方には、この世界を憎む理由がある……この世界を滅ぼす、力がある……」
 木陰に一瞬、人影が見えた。
 勇太は、足を止めた。
 目の錯覚、であろうか。自分と同い年くらいの少女の姿が、見えたように思えたのだ。
 その少女が、言う。
「それを無理に抑えようとすれば……貴方、いつか壊れてしまうわよ」
 まるで入院患者のような、パジャマ姿の少女。
 視界の隅に、確かにいた。
 勇太は振り返り、木陰を見据えた。
 そこには誰もいない。声も聞こえない。
 蝉が、やかましく鳴いているだけだ。
 幻覚、それに幻聴。
「後遺症……か」
 勇太は、頭を押さえた。
 あの研究施設で、一体どれほどの薬物を投与されたのか。その影響からは、未だ逃れられずにいる。
 おぞましい記憶が、経験が、この先、一生付いて回る。
 勇太は、頭を横に振った。そんな事をして、振り払えるものでもなかった。
「……そんな事より、アイスだよアイス。バーゲンダックが、ガチガチ君や白熊さんが、俺を待っているっ」
 立っているだけで汗と一緒に流れ出て行く体力を振り絞り、勇太は帰り道を急いだ。

 以前は、寮のある学校に通っていた。
 何度か転校を経た今は、アパート住まいである。家賃や保証人その他、面倒な事は全て叔父が済ませてくれている。
 自室のドアを開け、誰もいないのに、
「ただいまー……っと」
 などと言ってみる。
 そうしながら、勇太は固まった。
 誰もいないはずの部屋に、珍妙な生き物がいる。
「うまし、アイスうまし」
「あに者あに者、あたまいたいよー」
 クッキー&クリームが、抹茶トリュフが、チョコブラウニーにクリスピーサンド、レモンスライス入りの氷菓にバニラアイスバー……この日のために買い込んであったものが、恐るべき速度で食い尽くされてゆく。白い、小さな生き物2匹によってだ。
 お揃いの和装をした、幼い男の子の姿をしている。
 片方は赤毛、片方は金髪。それぞれの頭ではピンと獣の耳が立ち、小さな尻からは豊かな尻尾がふっさりと伸び揺らめいている。赤毛の尻尾と、金色の尻尾。
 付け耳ではない。作り物の尻尾ではない。こういう生き物なのだ。
 固まっていた勇太の身体が、その場にヘナヘナと崩れ落ちた。
「あに者あに者、ゆう太が溶けてる」
「……放っといてくれ、俺は死んだ……」
 呻く勇太に、赤毛の方がとてとてと近付いて来た。
「何だか知らんが元気を出すのだ。ほら、当たりくじが出たのだぞ。お前にあげよう」
 1本当たり、と印刷された木の棒が、勇太の頭をぴたぴたと叩く。
「我たちは『かみのつかわしめ』だからな。一緒にいると、こういう良い事があるのだぞ」
「ごりやくなのだ。えっへん」
 おぞましい記憶が、後遺症が、1発で吹っ飛んだ。
 立ち上がれぬまま勇太は、これも御利益なのか、と思う事にした。

 名は、赤毛の方が羅意。兄である。
 金髪の方が留意、弟だ。
 こう見えても、神の眷属である。
 この兄弟と勇太は以前、九州で出会った。ちょっとした厄介事に、巻き込まれたのだ。
 思い返しながら、勇太は言った。
「で……2人とも、今度は何をやらかしたんだ?」
「失敬な。我たちは、この坂東の都を守るために来たのだぞ」
「いまは『とうきょう』と言うらしいのだぞ」
 羅意が、留意が、小さな胸を張りながら偉そうな声を発する。
「大変な事が起こるかも知れないのだ。何だか悪い力が、この地に集まって渦を巻いているのだぞ」
「とうきょうが、のみこまれてしまのだぞ」
「我らは『かみのつかわしめ』として、それを阻止するのだー!」
「ゆう太も、いっしょに行くのだー」
 留意が、小さな両手で、勇太の腕を掴んだ。
「な……何で俺が?」
「つべこべ言わず一緒に来るのだ。そして『とうきょう』を案内するのだ」
 羅意が、勇太の背中と言うか尻を押した。
「そしたら、また何か良い事があるかも知れないのだぞ?」
「ごりやくだぞー」
「ち、ちょっと待てって。案内なんか出来るほど俺、東京に詳しくない……」
 などと言いながらも勇太は、狛犬の兄弟に運ばれていた。

 巨大な提灯の左右で、雷神と風神が雄々しく厳めしく立っている。
 東京の観光案内と聞いて、勇太の頭にまず浮かんだのが、この寺だった。
「おお、雷神様だ」
「ふうじん様だー」
 自分たちよりも遥かに格の高い神々の御前で、羅意と留意がぴょこぴょことはしゃいでいる。
「だけど雷神様も風神様も、ほんとはこんなにおっかなくないぞー」
「でも、おこるとこわいぞー」
「普段はとっても優しいぞー」
「だからって、よじ上ろうとするなよっ」
 柵を越えて雷神像・風神像に飛びつこうとする羅意と留意を、勇太は掴んで引きずり寄せて両脇に抱えた。
「……で、どうなんだ? 例の悪い力が集まってる場所、こことは違うのかな」
「うん、ここは違うぞー。雷神様と風神様が、しっかり守っておられるのだぞ」
 言いつつ羅意が、勇太の腕からぴょーんと抜け出し、提灯の下をくぐって行ってしまう。
「だから、ちゃんとお参りをして行かないと駄目なのだ」
「お、おい待てって!」
 留意を抱えたまま、勇太は慌てて追った。
 この兄弟にも本来ならば、神仏を守護する雷神・風神のような使命が、あるには違いなかった。

 2人とも、実年齢はともかく見た目が5歳児なので、幼児料金で済むのは助かった。
「おおおお、泳ぐ泳ぐ! 我も泳ぐー!」
 プールに飛び込もうとする羅意の首根っこを、勇太は慌てて掴んだ。
 屋内開放のブールで、岩場もある。
 プールの中では何羽ものペンギンが楽しそうに泳ぎ、岩場では肥満したオットセイがのんびりと寝そべっている。
 留意の方は、どちらかと言うとオットセイの方に興味津々のようであった。
「こまいぬの仲間にも、あんなのがいるのだぞ。おっきくて、ぐうたらで寝てばっかり」
「アイスばっかり食べてると、お前らもそうなっちゃうぞ」
 じたばたと暴れる羅意を脇に抱えながら、勇太は言った。
 水族館である。
 東京の観光案内と聞いて、勇太が次に思いついた場所が、ここだ。
 東京都の新しいシンボルとして建造された、あの電波塔である。
 子供でも知っているような有名どころしか思いつかない自分が、勇太はいささか情けなくはあった。
 そこそこ社交的な学校生活を送っている、とは言え、女の子と一緒に東京を遊び歩くような生活とは無縁である。
 草食系男子と一括りに分類されてしまう方に、自分は属しているのだろう、という自覚はある。
 とにかく電波塔の展望台ではなく、敷地内の水族館にまず入ってみた。展望台は、混んでいたからだ。
 勇太の腕の中で、短い手足をじたばたさせながら、羅意が興奮している。
「何だ何だ、あやつらは何なのだ。琉球のキジムナーの親族か?」
「あれはペンギンと言って、沖縄よりもずっと南の方に棲んでる鳥だよ」
 勇太は答えた。
 この兄弟は相変わらず、現代日本に関する知識が若干、偏っている。
 ペンギンとキジムナーが似ているのかどうかは、よくわからなかった。
 展望台と比べて、水族館の中は空いている。
 青く照らし出された闇の中、勇太は羅意を抱えたまま足を止めた。
 大水槽の前に、見覚えのある人影が佇んでいる。
 どこかの病院から抜け出して来たかのような、パジャマ姿の少女。
 種類様々な魚たちの泳ぎ回る様に、じっと見入りながら、独り言を漏らしている。
「人間の世界なんて……何もかも潰れて、海の底へ沈んでしまえばいい……」
 否、独り言ではない。
 じっと魚たちを見つめながら、その少女は間違いなく、勇太に話しかけている。
「どうしようもなく醜い世界が、魚たちの綺麗な世界に覆い尽くされて2度と浮かび上がって来なくなる……こんな素敵な事ってないわ。ねえ、そう思うでしょう?」
「あんた……」
 勇太の声に応じるが如く、その少女が振り向いた。
「……いつまで、そんな事をしているの?」
「俺が……何をしてるって言うのかな」
 羅意を脇に抱えたまま、勇太はとりあえず会話をしてみた。
「私たちを苦しめる、この汚らしい世界に……いつまで、自分を合わせているの? しなくてもいい苦労を、いつまで続けるつもりなの?」
「俺、別に苦労なんてしてないけどな」
 幻聴だ、と思いながらも勇太は応えていた。
 これは幻覚、単なる後遺症だ。会話など、するべきではない。
「あに者あに者、ゆう太がこわれた。ひとりで、だれかとはなしてる」
「うむ、聞いた事あるのだぞ。頭の中にしか話し相手がいない、こうゆうのを『ひきこもり』とか『にいと』と言うのだ。かわいそうなのだ」
「あに者はものしりなのだ! ……うーん、でも何かおかしいのだ」
 思った通り、この兄弟には少女の姿が見えていない。が、留意は何かを感じているようだ。
「わるい力が、このあたりに集まってるような感じなのだぞ……ここには、らいじん様もふうじん様もいないのだ。あぶないのだ」
「……まさか、2軒目で当たりなのか?」
 東京中を探して回る羽目にはならずに済みそうか、と思いながら、勇太は少女を睨んだ。
「あんたは、誰だ?」
「私は、貴方……貴方は、私」
 魚たちを背景に、少女はゆっくりと両腕を広げた。
「さあ行きましょう、私たちの街へ……誰もいない街へ」
 微かな震動を、勇太は感じた。
 水族館が……いや、電波塔の敷地全体が、ほんの少しだけ揺れた。
 地震ではない。特に何の根拠もなく、勇太はそう確信していた。
 少女の姿は、いつの間にか消えている。まるで、最初からいなかったかのように。
 彼女が本当に幻覚であったのかは、わからない。
 わかることは、ただ1つ。水族館の外で何かが起こっている、という事だけだ。

カテゴリー: 01工藤勇太, 小湊拓也WR(勇太編) |

小さなともだち

柚葉の頭で一瞬、ほんの一瞬だけ、狐の耳がピンと立った。天王寺綾には、そのように見えた。
「聞こえる……」
「何がやねん」
「誰かが……ボクの仲間が、助けを求めてる……」
 そんな事を言いながら、柚葉はすでに駆け出していた。
「柚葉? ちょっ……どこ行くねんな」
 などと綾が言っている間に、柚葉の小さな姿は、あっという間に見えなくなってしまった。
「あかんわ、また何か首突っ込もうとしとる……ああ、そこの足速そうなあんた!」
 通り掛かった制服姿の少年を、綾は無理矢理に呼び止めた。
「あの子の事、ちょっと追いかけてや。うちもすぐ行くさかいに」
「は、はい!」
 見るからに押しの弱そうなその少年が、綾の勢いに押されて走り出す。
 走りながら、呟く。
「……俺、別に足速いわけじゃないんだけどなぁ」

 あの子を追いかけて、と頼まれた。
 どの子であるのかは、すぐにわかった。
 小さな男の子が、かなり前方をぱたぱたと走っている。
 いや、どうやらボーイッシュな女の子であるようだ。ショートカットの髪をはねのけるようにピンと獣の耳が立ち、可愛らしいお尻からはふっさりと豊かな尻尾が伸びている。
「何だ、あれ……親御さんの趣味か?」
 工藤勇太は、まず同情した。自分の子供にコスプレをさせて画像をアップしたりイベントへ連れ回したりと、そういう類の親を持ってしまったのだろう。
 問題は何故、その同情すべき女の子を、自分がこうして追いかけなければならないのか、という事だ。
 先程の、関西弁を喋る化粧の濃い女性。あれが、もしかしたら母親ではないのか。
 親の趣味に反発して逃げ出した子供を、通りすがりの他人に捕まえさせようとしているのではないのか。
「……ご家庭の事情に、うかつに立ち入るべきじゃないよなぁ」
 走りながらぼやいている間に、勇太は女の子を見失ってしまった。

 この男は、陰陽道や呪禁道など、日本古来の呪術と呼ばれるものは一通り学んできた。
 それらの中でも特に効果的なのは、動物妖怪の使役である。男は、そう思っている。
 中でも犬神。この最強の動物妖怪は、あらゆる人間を発狂させ、あるいは祟り殺す。金のかかる科学技術を必要としない、究極の殺人兵器と言える。
 必要なのは、こういう連中を雇うための金だけだ。
「おら鳴けよ、鳴いてみろよ」
「文句あんなら噛み付いたっていいんだぜ? 歯ぁ全部ブチ折るけどなあ」
 若者たちが、そんな事を言いながら、1匹の仔犬を蹴り転がしている。踏み付けている。
 仔犬は悲鳴を上げ、逃げようとするが、鎖で繋がれている。
「殺すなよ。死なせなければ、何をしてもいい」
 男が命じると、若者たちが笑った。
「へへっ、じゃあ耳とか尻尾とかチョン切ってみっかあ?」
「まったく、こんな犬ッコロ痛めつけただけで金もらえるんだもんなあ」
 殺すのは、この仔犬の、若者たちに対する憎悪が最高潮に達した時である。
 その時、単なる仔犬が怨念の生物兵器・犬神と化す。
 当然、この若者たちは死ぬ。払った金も、回収出来る。
 元々は倉庫か、それとも工場であったのか。とにかく広い廃屋内に、仔犬の悲鳴が痛々しく響き渡る。
 もう1つ、叫びが響いた。
「待て待て待てぇえー!」
 元気の良い、子供の声。
 仔犬に蹴りを入れていた若者の1人が突然グシャッとのけ反った。
 その顔面に、小さな人影が着地していた。
 幼い男の子、いや女の子であろうか。
 ふっさりと伸びた尻尾が装飾品ではない事を、男は一目で見て取った。
「ほう……本物の、動物妖怪か」
 恐らくは狐の化身であろう、その幼い少女が、若者の顔面を蹴り付けてクルクルと跳躍する。そして仔犬の傍らに、しゅたっと着地した。
 蹴られた若者が、鼻血を噴いて尻餅をつく。
「て……め……ッ!」
「何だ、このクソガキ……邪魔すんのかあ!」
 他の若者たちが激昂し、懐から様々のものを取り出した。ナイフ、特殊警棒、スタンガン。
 それら凶器に囲まれながら、狐の少女が仔犬を抱き締め、怒りの声を発する。
「ひどい……何で、こんな事するんだよぉ!」
「そりゃおめえ、金もらえるからに決まってんだろうがよぉ」
 若者の1人が、へらへらと笑いながら、特殊警棒で少女を脅す。
「わかる? 俺たちゃ仕事やってるワケよ大人として。子供がそれ邪魔しちゃあ駄目だろうが坊や……いや、嬢ちゃんか?」
「……脱がしてみりゃあ、わかんだろーがよぉお」
 蹴り倒された若者が、鼻血を拭いながら起き上がり、ギラリとナイフを構えた。
「大人ぁバカにしてるガキャあ、きっちりシメてわからしてやんねえとなああ!」
「あの……ちょっと、いいかな……」
 何者かが、息を切らせながら声を発した。
 細い人影が1つ、よろよろと廃屋に歩み入って来たところである。
「はあ、はぁ……あー、こんなに走ったの生まれて初めてかも」
 制服姿の、高校生と思われる少年。
「俺、今来たばっかで状況何にもわかってないんだけど……」
 気弱そうな、だがどこか禍々しい緑色の瞳をしたその少年が、辛そうに呼吸を整えながら言った。
「あんたらの、やってる事……大人のやる事とは、ちょっと思えないなあ」
「何だてめえ……正義の味方ぶってんじゃねえぞ!」
 若者の1人が凶暴に叫び、特殊警棒を振り上げ、少年に殴り掛かろうとする。
 振り上げられた警棒が偶然、別の若者の顔面を直撃した。
 ……否、偶然ではない。緑の瞳の少年が今、確かに、何かを念じた。念の力を、男は確かに感じた。
「痛ッ……何しやがる!」
「あ、悪い……」
「てめえな、目に当たるとこだったぞ! 危ねえだろうがクソボケ!」
「だから謝ってんだろうがあああ!」
 若者2人が、殴り合いの喧嘩を始めた。
 止めようとする他の若者たちの顔面に、拳が当たり、肘が当たる。
 たちまち、大乱闘になった。
 緑の瞳の少年が、その乱闘を巧みにくぐり抜けて行く。そして、狐の少女を促す。
「さ、今のうちに……」
「う、うん」
 少女が仔犬を抱き上げ、駆け出そうとする。
 男は懐から紙の束を取り出し、放り投げてばらまいた。
 奇怪な文字が書かれた、何枚もの札。陰陽道系の呪術で用いられる、式札である。
 それらが、空中をひらひらと舞いながら厚みを増し、膨れ上がり、紙ではないものに変わってゆく。
 緑の瞳の少年と、狐の少女。両名を取り囲むように、巨大なものが5体ドシャッ、ドシャアッと着地した。
 つい今まで薄い式札であったものたちが、今や力士のような肉塊と化し、牙を剥いて角を振り立て、カギ爪を揺らめかせる。
 形容し難い怪物5体に取り囲まれ、狐の少女が立ちすくむ。
 制服姿の少年が、緑の瞳で怪物たちを見回した。
「あの、もしかして……特撮番組か何か? の撮影だった? 入って来たらマズかった、かな?」
「そんなわけない……こいつら本気で、この子いじめてた!」
 狐の少女が仔犬を抱いたまま叫び、こちらを睨んだ。
「何でこんな事するんだよ!」
「騒ぐな動物妖怪。そなたは私が、大事に使役してやる」
 男は笑った。
「そして少年。そなたも人間にしては、なかなかの力を持っておるようだ」
「……俺の事? 何言ってんのか、わかんないんだけど」
「すぐにわかる。さあ、私の式鬼たちを相手に……そなたの力、見せてみよ」

 式鬼と呼ばれた5体の怪物が、じりじりと包囲を狭めて来る。
 勇太は、仔犬を抱いた少女と、身を寄せ合う格好になった。
「ごまかしは無意味であるぞ、少年よ」
 平安貴族風の黒っぽい衣装に身を包んだ男が、ニヤリと笑みを浮かべて言う。
「そなたの力……ごまかして隠せるものではあるまい。さあ見せてみよ。使い物になるようなら、そこの動物妖怪と同じく、私が使ってやろうぞ」
(こいつ……!)
 同じだ、と勇太は思った。
 この男、あの研究施設にいた者たちと、同じ目をしている。同じような事を言う。同じような、笑い方をする。
(やめろ……思い出すなよ、俺……)
 片手で頭を押さえながら、勇太は己に言い聞かせた。
 そうしながら、見回す。とにかく、この式鬼4体の包囲から脱出しなければ……いや、式鬼は5体いたはずだ。もう1体は、どこに行ったのか。
 悲鳴が聞こえた。
 もう1体の式鬼は、乱闘を繰り広げる若者たちに襲いかかっていた。
 カギ爪が、牙が、角が、若者たちを片っ端から引き裂いて叩き潰す。
 勇太はとっさに少女を仔犬もろとも抱き寄せ、視界を塞いだ。
 殺戮そのものよりも凄惨な光景が、そこに生じていた。
 屍となったはずの若者たちが、蠢いている。引き裂かれ叩き潰された屍たちが、グチュグチュと融合しながら脈打ち、人間の死体ではないものへと変わってゆく。
 が、やがて力尽きたようにビチャアッと倒れて広がり、動かなくなった。
「やはり……な。人間の怨念など、この程度のもの。とても使い物にはならん」
 平安貴族風の男が、奇怪な文字が書かれた紙の札を掲げたまま言う。
 彼は今、若者たちの屍を使って、何かを作り出そうとしていた。
 この男は、あの研究施設にいた者たちが勇太にしていたような事を、仔犬や若者たちを使って行おうとしていたのだ。
「怨念で怪物を作り出すなら、やはり素材は人間よりも動物よな。まあ今回は小娘よ、そなたのような本物の動物妖怪を手に入れる事が出来る。あとは少年よ、そなたが力を見せるだけであるぞ?」
「……命を……お前は……!」
 日頃、勇太が懸命に抑え込み、封印しているもの。それが、怒りの絶叫と共に迸っていた。
「命を何だと思ってるんだ! お前はああああああああああッッ!」
 目に見えぬ念の刃が、式鬼5体を一瞬にして切り刻んだ。
 切り刻まれたものたちが、無数の紙の切れ端に変わって舞い散った。
「ひ……っ」
 平安貴族風の男が、へなへなと無様に尻餅をついた。
 緑色の瞳を燃え上がらせ、勇太は睨み据えた。
「お前……よくも……」
 正義ではない。勇太は、自覚はしていた。
 今の自分の行いは、正義感に基づくものではない。単なる、憎しみの爆発だ。
「せっかく、忘れかけていたのに……よくも、思い出させて…………ッ!」
「ば……バケモノ……」
 男が、辛うじて聞き取れる声を発した。
「お前は、人間ではない……いかなる動物妖怪にも勝る、バケモノだ……」
 それが、最後の言葉となった。恐怖のあまり、男の心臓は停止していた。
 死に際の言葉だけが、勇太の心に残った。勇太の心に、突き刺さっている。
「俺は……バケモノ……」
 今更、打ちひしがれるような事ではなかった。
 あの研究施設で、生き延びてしまったのである。化け物なのは当然だった。
 ぽん、と腰の辺りを軽く叩かれた。
 どうやら作り物ではない、本物の獣の耳と尻尾を生やした少女が、じっと勇太を見上げている。
「バケモノでも……友達は、出来るよ?」
 そんな事を言いながら、仔犬をそっと押し付けて来る。
 勇太は、受け取ってみた。
 化け物である少年の抱擁を拒まず、仔犬がクゥン……と甘えてくる。
「あやかし荘へ、おいでよ」
 獣の少女が、にっこりと微笑んだ。
「バケモノなら、いっぱいいるよ?」  

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脱出者たち(1)

教会。いや、大聖堂とも呼ぶべき荘厳さである。
 高い天井を支える無数の石柱には、天使や聖人の像が彫り込まれている。
 そんな聖堂の広い回廊を、工藤勇太は1人とぼとぼと歩いていた。
「え……っと、ここって夢の中?」
 自分の頬を、思いきり摘んで引っ張ってみる。
 布団の中で目を覚ます、というような事もなく勇太は今、石造りの天使たち聖人たちに見下ろされながら歩いている。
「俺……何で、こんな所に……」
 気が付いたらこんな所にいた、としか言いようがない。
 いろいろあったが、普通の高校生になった。
 勇太自身はそのつもりだったが、おかしな目に遭い続けるのは相変わらずである。
 頭を掻くしかなかった。
「誰かに、さらわれて来た……って事?」
 虚無の境界の関係者に付け狙われた事なら、何度もある。
 今回は違うだろう。特に根拠はないが、あの組織の気配は感じない。
 虚無の境界よりも得体の知れぬ、何者かだ。
「そいつらが俺を……誘拐?」
 勇太は見回し、大声を出した。
「言っとくけど、俺んちは貧乏なんだ。身代金なんて払えないぞー」
 まるで、その言葉に反応したかの如く。
 天使の像が、聖人の像が、動き出した。
「…………え?」
 呆然としている勇太の視界内で、石造りの聖人たちが柱から分離し、重々しく着地してゆく。そして杖を振り立て、殴りかかって来る。
 天使像たちが、翼をはためかせて飛び回る。そして牙を剥き、空中から食らい付いて来る。
 聖人たちも天使たちも、石像ではなくなっていた。おぞましい生身の怪物と化し、様々な方向から勇太を襲う。
「なっ何だ、怒ったって駄目だぞ! 払えないものは払えないんだよっ!」
 悲鳴のような怒声のような叫びに合わせ、勇太の両眼が激しく輝いた。エメラルドグリーンの眼光が、迸った。
「俺の叔父さん、そんな稼いでるわけじゃないんだから!」
 眼光と共に、見えざる力が迸っていた。破壊をもたらす、念動力の嵐。
 怪物たちが、砕け散った。
 石か有機物か判然としない、その残骸を踏み越えて、ゆっくりと歩み寄って来る巨大なものがいる。
 いや。巨大に見えるのは、大きな十字架を担いでいるからだ。
 骸骨であった。
 一揃いの人骨が、巨大な十字架を肩に担ぎ、歩いてるのだ。頭蓋骨には、茨の冠が巻き付けられている。
 そんなものが、足取りも重々しく、勇太に歩み寄って来る。
 通り過ぎようとしているのではなく明らかに、勇太へと向かって来ていた。勇太を、狙っている。
「身代金目当てじゃないって事か……何が目当てなのか訊いてみたいとこだけど、話なんか通じそうにないなっ!」
 攻撃の念を、勇太は言葉に込めた。
 両眼が緑色に燃え上がり、念動力の嵐が発生して吹き荒れる。そして骸骨を直撃する。
 何も、起こらなかった。
 無傷の骸骨が、十字架を担ぎながら、変わらぬ足取りで勇太に迫る。
「効かない……? そんな!?」
 もう1度、勇太は念動力の嵐を吹かせた。これで、複数の人間の命を奪った事もある。
 だが、迫り来る骸骨を粉砕する事は出来なかった。亀裂骨折の1つも、負わせる事は出来なかった。
「嘘だろ……」
 などと呻いている場合でもなく、勇太は背を向け、走り出していた。
 走れば、逃げられる。重い十字架を担いで歩いている骸骨が、追い付いて来られるはずがない。
 そう思いつつ勇太は走り、ちらりと顔だけを振り向かせた。
 肩に十字架を担ぎ、頭に茨を巻き、世界的に有名な聖人の真似をしながら、骸骨は相変わらず歩いている。ゆっくりと、重々しい足取りで。
 なのに、走る勇太との間の距離が、一向に開かない。むしろ少しずつ縮まりつつある。
「な、何だよ……どうなってるんだよ……!」
 ゆっくりと追い付きつつある骸骨から、勇太はひたすら逃げ続けた。
 日頃は忌み嫌っている、それでも有事には頼らざるを得ない力が、通用しない。こんな敵もいる。
(この力……万能、ってわけじゃあないんだな……)
 走りながら勇太は、安堵に近いものを感じていたが無論、そんな場合ではなかった。

 何者かに拉致された、としか思えない状況である。
 気が付いたら、こんな所にいた。
 ルージュ・紅蓮は、きょろきょろと周囲を見回した。
 大聖堂、らしき建物の中。天使あるいは聖人の石像が、あちこちで威圧的に佇んでいる。
 石像に擬態した怪物たちである事は、ルージュにしてみれば一目瞭然だ。
「ルージュってば、誘拐されちゃったのかなあ?」
 姿を見せぬ誘拐犯に、問いかけてみる。
「ルージュ、パパもママもいないから身代金なんて取れないよー? それとも、ようじょをゆうかいしてかんきんしてアレしてコレして、すなっふむーびーでも撮るつもりかなあ? まあ高く売れるとは思うけどぉ」
 当然、答えなど帰っては来ない。
 その代わり、なのであろうか。怪物たちが擬態を止め、ぞろぞろと動き始めていた。
 杖で撲殺の構えを取る、聖人たち。凶暴に牙を剥く天使たち。
 そんな光景には目もくれずルージュは、奇妙なものを発見していた。
 壁に、セフィロトの樹が描かれている。10個の円形を果実のように生らせた、神秘の樹木。
 それら円形が、ボタンの如く押し込めるようになっていた。
「わあ、思わせぶり……こういうのって下手にいじると、床に穴空いたり天井落っこちて来たり、どっかで何か爆発したりするのよねえ」
 円形の1つを、ルージュは押してみた。何も起こらなかった。
 他の円形をいくつか、続けて押してみる。やはり何事も起こらない。
「何にもないじゃないのよぉ……ルージュ、つまんなーい」
 柔らかな頬をぷーっと膨らませながらルージュは、全ての円形を、苛立ちにまかせて片っ端から押し込んだ。
 何も起こらない、代わりのように怪物たちが襲いかかって来る。
 ルージュは振り返り、彼らを睨み据えた。真紅の瞳が、激しく燃え上がった。
「つまんない、上にウッザい!」
 可憐な唇から、怒声が迸る。
 炎が生じ、轟音を立てて渦巻いた。
 紅蓮の嵐が、怪物たちを灼き砕く。天使も聖人も一緒くたに焦げ崩れて灰と化し、さらさらと散った。
「いけない、いけない……ルージュってば、1人でゲームやってても割とすぐキレちゃったりするのよねえ」
 可愛らしい舌を出しながらルージュは、自分の頭をコツンと叩いてみせた。
「もっとクソゲースレの人たちみたいな広い心を持たなきゃね……あら」
 足元に、柔らかなものが当たって来た。
 1匹の、黒猫だった。
 周辺の調査のために放っておいた、使い魔の1体である。
 青く煌めく小さなものを、黒猫は口にくわえていた。
 宝石、のようである。聖堂の、どこで拾って来たものか。
「また思わせぶりなアイテムねえ……出来の悪いロープレみたい」
 ルージュの小さな手が、猫の口から宝石を受け取った、その時。
 壁が砕け散り、爆風が吹き込んできた。

 走っている最中、足元の感覚がなくなった。
 回廊に、落とし穴が開いていた。
 悲鳴を引きずりながら、勇太は落下して行く。
 水飛沫が散った。巨大な水柱が、生じていた。
「ぶはっ……!」
 いくらか水を飲んでしまいながらも、勇太は水面に顔を出した。底に、辛うじて足が届く。
 溜め池、であろうか。人工の水場である。
 水の中から、勇太は見上げた。
 天井に開いていた落とし穴が、自動的に閉じてゆく。
 再び開いて、あの十字架を担いだ骸骨が降って来る……様子はない。
「助かった……のかな」
 やけに都合良く、落とし穴が開いてくれたものだった。まるで誰かが、仕掛けを操作したかのように。
 そんな事を思いつつ勇太は、半ば泳ぐようにして水中を歩いた。そう遠くないところに、石の岸辺がある。
 が、そこに辿り着く事は出来なかった。
 水が突然、激しく渦を巻き始めたからだ。まるで巨大な洗濯機のように。
 落とし穴に続いて、何かの仕掛けが発動したようである。
「なっ何だ、何だよ一体うわあああああああああああ!」
 大量の水もろとも、勇太は流されていた。
 その水がどうやら、せき止められたようである。大量の水飛沫と一緒に、勇太の身体は跳ね上がり、打ち上げられていた。
 水浸しになった石の床の上で、勇太はよろよろと身を起こした。
「いてててて……こ、これは一体……」
 全身を強打したが、痛みに呻いている暇はない。
 天井が、落ちて来たからだ。
 またしても、罠の仕掛けである。
 勇太は跳躍し、床にぶつかり、そのまま転がった。
 直前まで勇太の身体があった地点に、吊り天井が落下した。
 床と激突した吊り天井が、そのまま爆発した。火薬か何かが仕掛けられていたようである。
 まるで何者かが、この聖堂に仕掛けられた罠全体を操作しているかのようだ。いや操作していると言うより、めちゃくちゃに動かしている。ボタンやレバーの類を、考え無しに押したり引いたりしている感じだ。
「だ、誰かが……俺を、殺そうとしている……」
 呻きながら勇太は爆風に飛ばされ、石壁に激突した。
 その石壁が、砕け散った。
「あ……勇太お兄ちゃん!」
 嬉しそうな声が聞こえた。聞き覚えのある、女の子の声。
 倒れた勇太の顔を、赤い瞳が覗き込んでいる。
 小さな身体を、巫女装束のような女学生のような衣装に包んだ少女。
「あれ……ええと」
 よろよろと上体を起こしながら、勇太は名を思い出した。
「ルージュ……さん、だっけ?」
「約束!」
 立ち上がれない勇太の身体に、ルージュ・紅蓮が仔犬のように飛びついて来る。
「スイーツ! おごってくれる約束だよお」
「ああ……ここ、出られたらね」
 抱きついて来る少女を、控え目に抱き止めながら、勇太は見回した。
 相も変わらず、謎めいた大聖堂の中である。
 かなり痛い目に遭ったはずだが、このおかしな悪夢が覚めてくれない。
「知ってる人に会えて良かったよ。まずは情報交換……ってほどの情報は、俺にはないんだけど。ここが一体どこなのか、魔法関係の人なら少しはわかるかな」
「えっとねえ、ゲームの中だと思う」
 ルージュが無邪気に、嬉しそうにしている。
「誰かがねえ、ルージュたちを使ってゲームをしてるの! 勇太お兄ちゃんは、主人公の勇者の役だね。ルージュを助けに来てくれたんでしょ?」
「そう、出来ればいいんだけどな……」
「出来るよ」
 言いながらルージュが、何かを手渡して来る。
 小さな、青い宝石だった。
「ダンジョンから脱出するには、中ボスを倒す事。お約束だよ?」
「中ボスって……」
 それが何者であるのかは、すぐ明らかになった。
 何者かが、重々しく足音を響かせ、歩み寄って来る。
 巨大な十字架を担いだ骸骨。勇太の力が一切、通用しない敵。
「特殊なアイテムがないと倒せない敵。これもお約束だよ」
「特殊な、アイテム……」
 手の中にある青い宝石を、勇太は見つめた。
 青い輝きが、増してゆく。己の力を、勇太は宝石に注入していた。
 燃えるように光り輝き、まるで青い火の玉のようになった宝石を、勇太は思いきり投げつけていた。
 光の塊となった青い宝石が、骸骨に命中する。
 十字架が、茨の冠が、骸骨が、砕け散った。
 青い光が激しく拡散し、勇太とルージュを包み込んでいた。

 はっ、と勇太は顔を上げた。
 そこは、学校近くの公園だった。ベンチの上で目を覚まし、身を起こしたところである。
「夢……だった、わけじゃないよな」
「ゲームをしてただけだよ。ルージュと一緒にね」
 ルージュ・紅蓮が、隣のベンチにちょこんと座っている。
「勇太お兄ちゃんと、ルージュ……他にも、いると思う」
「他にも、って……」
 あの聖堂に送り込まれ、自分たちと同じような目に遭っている人々がいる。ルージュは、そう言っているのか。
「助けに、行かなきゃ……!」
「大丈夫、自力で脱出出来るような人たちばっかりだから」
 ルージュの可憐な容貌が、にっこりと歪んだ。可愛らしく、禍々しく。
「面白い事、考える人たちがいるねえ。ルージュたちを、ゲームの駒にしようなんて……身の程知らずのバカどもは、滅べばいいのに……って言うか、ルージュ滅ぼしちゃうもーん」

カテゴリー: 01工藤勇太, 小湊拓也WR(勇太編) |

魔女狩りの時代

群集心理が、悪い方向へと暴走してしまった結果だろう。
 そこへ権力者や教会の思惑が絡み、最終的には誰にも止められなくなってしまったに違いない。
 それが中世の「魔女狩り」であると、弥生・ハスロは思っている。
 迷信深い時代の出来事。弥生は、そうも思っていたのだが。
「まさか今この時代……日本で、こんなもの見せられるなんてね」
 病院からの、帰り道。
 とある企業ビルの、正門近くの広場である。
 そこに、大勢の人々が集まっていた。このビルに勤めているサラリーマン、だけではなく通行人や近所の住民もいるようだ。
 そんな大勢が、少数の人々を囲み、喚き立てている。
「魔女め! お前ら、日本へ何しに来た!」
「わけのわかんねえ言葉ばっかり喋りやがって、呪文でも唱えてんのか?」
「俺らに呪いでもかけようってのか!」
「有罪! 有罪! 日本にいるのに日本語喋らない罪! 呪文罪だ!」
 取り囲まれ、魔女などと呼ばれ、罵声を浴びせられているのは、一組の家族だった。若い父親と母親、幼い子供。
 母親と子供は抱き合って怯え、その2人を父親が必死に庇っている。
 魔女狩りの時代においては、男性が魔女と呼ばれる事もあったらしい。
 他者と少し毛色の違う者が、魔女の烙印を押され、鬱憤晴らしの対象になってしまう。そういう一面もあったのだろう。
 今、罵声を浴びせられている、この家族もそうだ。
 父親も母親も、よく見ると日本人ではない。
 弥生の頭に、血が昇った。
「やめなさい!」
 怒鳴りつけた。
 裁判の真似事をしていた人々が、一斉に弥生を睨む。
「何だよ、あんた……」
「こ、こいつらは日本を食い潰しに来た魔女だぞぉ、庇うのかよ! 日本人のくせに、このクソどもの味方しやがんのか売国女がぁああ」
「魔女だ! こいつも魔女だ!」
(……まあ、それは間違いないんだけどね)
 溜め息をつきながら弥生は、魔女だ魔女だと喚き立てる人々を見回し、観察した。
 全員、目が異様な輝きを帯びている。外から植え付けられた光だ、と弥生は思った。
 魔力・呪力の類に操られて全員、正気を失っている。
 正気が戻るまで、この馬鹿げた裁判ごっこに付き合ってやる。事を穏便に済ませる手段は、どうやらそれしかなさそうだった。

「俺……何で新聞部になんて入ったんだろ」
 ぼやきながら、工藤勇太は街を歩いていた。
 授業は終わり、今は部活動の時間である。
 何か事件を探して来い。記事は手で書くものではない、足で探すものだ。
 部長に、そう厳命されてしまったのだ。
 おかしな事件なら最近、確かに起こってはいた。
 即席の魔女狩り、とでも言うべきであろうか。
 風変わりな人……主に外国人を「魔女」などと決めつけて大勢で取り囲み、裁判の真似事をして罵声を浴びせ、時には投石を行ったりもする。そんな事件が、この近辺でのみ頻発しているのだ。
 罵声や投石なら、自分も受けた事がある。
 そんな事を思いながら、勇太は足を止めた。
「あなた! た、助けて!」
 いきなり、声をかけられたからだ。
「あの人、助けて! 私たちの代わり、ひどい目に遭ってる!」
 たどたどしい日本語を発する、外国人男性。その奥方と子供らしき2人が、傍らで泣きじゃくっている。
「お、落ち着いて下さい。あの人って」
 言いながらも、勇太自身が落ち着いてはいられなくなった。
 1人の女性が、荒縄で縛り上げられ、大勢に取り囲まれ、罵声を浴びせられている。
「魔女め! 魔女を庇う、売国の魔女め!」
「判決を下す! 死刑だ死刑!」
「ギロチン持って来ぉおおおおい!」
 喚く人々の目からは、正気の輝きが失われている。
 暴徒も同然の、そんな人々に囲まれ、縛られ、だが平然としている女性。
 弥生・ハスロであった。
「弥生さん!」
「あら、勇太君」
 呑気な声が、返って来た。
 このところ家事と育児を頑張り過ぎて体調を崩し、病院に通っていたようだが、今日は元気そうである。
 だからと言って、こんな目に遭って良いわけはない。
「おい、やめろ! 何やってんだ、あんたたち!」
「何だぁ? てめえ、神聖なる魔女裁判を邪魔しやがるか!」
 暴徒の1人が、勇太の胸ぐらを掴んだ。
 少し前までならば、こんな事をされたら、やる事は1つであった。
 あの力を使い、辛うじて死なない程度に叩きのめす。
 そういう事をすると、あの男がどこからともなく現れ、拍手をしてくれたものだ。
 いいぞ、もっとやれ。大丈夫、こんなもの問題を起こしたうちに入らん。俺が、いくらでも尻を拭ってやる。さあ続けろよ……
 そんな事を言いながら、ニヤニヤと面白そうに笑う、あの男の顔。
 思い出す度に、腹が立つ。あの男が面白がるような事など、してたまるか、という気分になってしまう。
(されて、たまるか……あんたに尻拭いなんて)
「あー……まあまあ、落ち着けよ」
 胸ぐらを掴まれたまま、勇太は微笑んで見せた。
「裁判やるなら弁護人が必要だろ? 俺がやるよ、弥生さんの弁護」
「大丈夫なの~?」
 弥生が相変わらず、呑気な声を発している。
「私が見たところ、勇太君がどんなに頑張っても絶対に就けない職業って3つあるのよね。セールスマンとホスト、それに弁護士よ。どれも詐欺師の才能がなきゃ勤まらないお仕事だもの、勇太君じゃ無理無理」
「だ、大丈夫だって。悪い事してない人の弁護なら、俺にも出来るよ。えー皆さん、この人は魔女なんかじゃありません……いやまあ魔女なんだけど、悪い魔女じゃなくて」
「要するに魔女なんだろーがあああ!」
 勇太の胸ぐらを掴んでいる男が、拳を振り上げた。
 そうしながら悲鳴を上げ、倒れ、顔を押さえてのたうち回った。
 男の顔面に、何本もの傷跡が生じている。引っ掻き傷、のようである。
 黒い小さなものが、勇太の足元に着地した。
 1匹の、黒猫。
 弥生が息を呑んだ。
「使い魔……?」
「って言うより式神。ま、同じようなものだけど」
 応えたのは、黒猫自身だった。聞いただけで可憐な容姿が想像出来る、少女の声である。
「このおバカな魔女狩りごっこの大元……どこにあるか、知りたい?」
「知りたい」
 勇太は即答した。猫と会話をしている、という異常事態を、気にしている場合ではない。
「猫缶あげるから、教えてくれないかな。それとも鰹節の方がいいかな」
「ルージュ、そんなの食べな~い」
 黒猫が言いながら、ぴょーんと駆け出した。
「スイーツおごってくれるんなら教えたげる。ついておいでよ、お兄ちゃん」

 暴徒の群れの中に弥生を放置しておくのは、いささか心配ではあった。
 彼女ではなく、暴徒と化した人々の身が、である。
 事を速やかに穏便に片付けるべく、勇太は黒猫を追った。
 あの企業ビルから遠くない、とある博物館。その近くの路地裏に今、勇太はいる。
 黒猫は、1人の少女に抱かれていた。
 巫女装束か、あるいは大正時代の女学生か。
 小さな身体を、そんな花柄の衣服に包んだ少女である。
 赤い、と勇太は感じた。花柄も袴も赤く、背負ったランドセルも赤い。
 そして、瞳も赤い。
「ルージュはね、こんな格好してるけど、スイーツは和菓子系よりケーキとかタルトとかの方が好きなの」
 聞くだけで可憐な容姿を想像出来る声が、黒猫を通じてではなく、少女自身の愛らしい唇から発せられる。
 想像以上の可憐さだ、とも感じながら、勇太は言った。
「ケーキでもタルトでも、俺のお小遣いが許す限りおごってあげるよ。だから」
「あわてない、あわてなーい。まずは、あれ見てね」
 ルージュという名前であるらしい少女が、大きな赤い瞳で、博物館の方を見た。
 中世拷問展・期間限定開催中。そんな垂れ幕が掲げられている。
 いくらか話題にはなった。その名の通り、中世ヨーロッパで実際に用いられていた拷問器具の数々が、展示されているのだ。
 血生臭いものをこよなく愛する先輩が、新聞部に1人いる。彼に無理矢理、付き合わされて、勇太も嫌々ながら見に行った事がある。
 魔女狩りで使われていた拷問具・処刑道具も展示されていた。
 思い出しながら勇太は、ある事に気付いた。
「まさか……怨念とか悪霊とか、その類か?」
「うん、魔女狩りで殺されちゃった人の怨念。こわーい」
 にこにこ笑いながらルージュは、ランドセルから教科書を取り出した。
 いや、教科書にしては異様に分厚い。参考書、あるいは辞書か。
 違う、と勇太は直感した。それは魔道書である。
 可愛い手で、巨大な魔道書を保持しつつ頁をめくりながら、ルージュは無邪気に言葉を発した。
「今の日本人って、魔女狩りしたがってる人たちばっかりだから、簡単に取り憑かれちゃうんだよぉ……滅べばいいのに」
 愛らしい無邪気な笑顔が一瞬、ほんの一瞬だけ、とてつもなく禍々しい嘲笑に変わった、ように見えた。
「え……っと、何か言った?」
「ルージュ、何にも言ってなーい」
 少女が、愛らしく無邪気に微笑んだ。
「にわかうよくやあいこくにーとはみんなしねばいいなんて、ルージュ言ってないもーん」
「言ってる言ってる」
 勇太の指摘を無視しながら、ルージュは魔道書を読み上げた。
 謎めいた呪文が、少女の可憐な唇から紡ぎ出される。
 博物館の外壁が砕け散り、垂れ幕がちぎれ飛んだ。
 巨大なものが、館内から姿を現していた。
 否、姿は見えない。姿なき巨大なものが、確実に存在している。博物館の壁を崩落させ、街中へ暴れ出そうとしている。
 拷問展の展示物に取り憑いていたものが、ルージュの呪文によって解放されたのだ。
「魔女の……怨念……」
 姿なきものに、勇太は緑色の瞳を向けた。
「あれを、どうにかして消滅させればいいんだな」
「ルージュ、戦うの恐ぁーい」
 そんな事を言いながら少女がもう1つ、巨大な物体をランドセルから取り出し、勇太に手渡してくる。
 棍棒。いや違う。まだ火が点いていない松明である。
「だから、お兄ちゃんがそれで戦うの」
「これは……?」
 勇太は訊いた。少女は応えない。
 ルージュは、黒猫と共に姿を消していた。
「えっ、ちょっと……」
「破邪の松明」
 ルージュではない誰かが、教えてくれた。
「実体のない悪しきものを、実体あるもののように焼き尽くす武器よ」
「弥生さん……」
 自力で、脱出して来たようだ。縄で縛った程度で、本物の魔女を動けなくする事など出来はしない。
「あの子が待ってる。裁判ごっこなんかに、いつまでも付き合ってられないわ」
「お子さんは……弟さんに、預けてあるんだっけ」
 弥生の夫は現在、海外で仕事中だ。
「……たち悪いのに懐かれちゃったわね、勇太君」
「ええと、今の女の子の事?」
 ルージュは姿を消した。弥生から逃げた、ようにも見える。
「弥生さん、もしかして知り合いなんだ」
「魔女同士、ちょっとした因縁と言うか……ね」
 弥生は苦笑した。
「……まあ、そんな事はどうでもいいわ。勇太君、力を合わせるわよ」
 震動が起こり、街が揺れた。
 アスファルトに、巨大な足跡が刻印されている。
 弥生の言う通り、力を合わせるしかなさそうであった。勇太は、足跡の生じた方向に松明を掲げた。
「ど、どうすればいいのかな」
「待ってて」
 弥生が目を閉じ、念じ、何かを呟いた。謎めいた言語。
 呪文、のようである。
 破邪の松明に、火が点いた。
「黒魔術の炎よ。それを、勇太君の力で増幅するの……嫌な力だろうけど、今は使ってもらうしかないわよ」
「……わかってる」
 燃え盛る松明を掲げたまま、勇太も念じた。
 姿なき巨大なものを見据える瞳が、エメラルドグリーンの眼光を輝かせる。
 燃え上がる、破邪の松明。その炎が轟音を発して巨大化し、渦を巻いた。
 巨大な炎の渦が、空間を焼き尽くすように燃え伸びてゆく。博物館から現れた、姿なきものへと向かって。
 凄まじい、おぞましい絶叫が、響き渡った。
 姿なきものに、姿が生じていた。
 異形の怪物、としか表現しようのない巨大な姿。
 それが炎に焼かれ、絶叫を響かせながら灰に変わり、粉雪の如く舞い散りながら消えてしまう。
 破邪の松明も、灰になっていた。勇太の手から、さらさらと崩れ落ちてゆく。
「やっつけた……のかな?」
「たぶん、ね。くだらない魔女狩りごっこも、これで無くなるはずよ」
 言いながら、弥生が溜め息をついた。
「魔女狩りをやりたがってる人たちの心まで、無くなったわけじゃないけれど……」

 自分たちといくらかでも毛色の違う者を、攻撃する。それは人間の本性の1つと言っていい。
 ヨーロッパの魔女狩りも、そのようにして起こったのだ。
 罪のない大勢の人々が、惨たらしく殺された。それは事実である。
 殺された人々の中に、しかし『本物』が1人もいなかった、わけではない。
「久しぶり~。400年ぶりくらい、かなぁ?」
 路地裏で這いつくばり、のたうち回っているものに、ルージュ・紅蓮は声をかけた。
 ルージュの真紅の瞳でしか視認する事の出来ない、奇怪な物体。
 先程までは巨大であったが、今は惨めに縮んで、おぞましく焼けただれている。
 それが、言葉を発した。ルージュにしか聞こえない、呪詛の呻き。
 うんうんと頷きながら、ルージュは応えてやった。
「大変だったんだねぇ。自分が辛い目に遭ったから、他の人たちも同じ目に遭わせなきゃ気が済まなかったのよねえ。うふふっ、だけど死んでから400年も経つのに、そこから離れられない進歩無しなおバカさんの気持ちなんて……ルージュ、わっかんなぁ~い」
 大きな真紅の瞳が、光を発した。
 おぞましく焼けただれたものが、短い悲鳴を発しながら消し飛んだ。消滅していた。
「あーほんと、怨念の強さしか能のないバカって……ネトウヨと同じくらい、うっざいわ」
 禍々しい嘲りの表情を、可憐な笑顔に戻しながら、ルージュは呟いた。
「それにしても、危ない危ない。まさか弥生お姉ちゃんが、こんな所にいるなんて。何にも出来ないお姫様みたく縛られてるんだもん、最初はわかんなかったよ~」
 この場にいない2人に、ルージュは明るく、可愛らしく、微笑みかけた。
「また会おうね、綺麗な緑色の目のお兄ちゃん。スイーツ、ちゃんとおごってもらうよ~」

カテゴリー: 01工藤勇太, 小湊拓也WR(勇太編) |

アウトブレイク狂想曲

その日、草間興信所にやって来たのは中年の男性であった。
困ったような顔を隠しもせず、汗を拭くためのハンカチを忙しなく動かしていた。
「で、ご依頼と言うのは?」
武彦が話を進めると、依頼主は呻くように言う。
「とあるモノの回収ですわ」
そう言って依頼主が差し出した写真には、円筒型の鉄容器が写っており、筒の側面には穏やかではないマークが描かれてあった。
それは細菌兵器のマークに見える。
「穏やかじゃないですね」
「こちらとしても困っとるんです。こんなもんをウチの会社で作っとるのも知らんと……」
「ご自身の会社で? それを持ち出されたと?」
「ええ、大変、お恥ずかしいこってす」
平謝りを続ける中年男性。
武彦も写真を眺めながら顎を押さえる。
「これがもし、本当にご大層な品だとしたら、私らよりも先に頼む場所があると思うんですがね」
「警察なんかに頼んだら大事になっちまいますよ! それぁ困るんです! 私だけじゃなく、従業員全員が路頭に迷ってまう!」
「……こう言ってはなんですが、自業自得じゃないですかね?」
「違うんですって、草間さん! これは元々、化学兵器なんかじゃなかったんです!」
中年男性が言うには、こうだ。

 

 

元々、彼の会社では親会社から言われた薬品の開発を行っていた。
その名目は『不老長寿のクスリ』というもの。
聞いただけで既に眉唾モノではあったが、彼らは大真面目にそれを研究していた。
研究は何度も行き詰まり、方向修正を行い、失敗ばかりを繰り返していた。
成功の尻尾も掴む事は出来ず、ただただ失敗作という屍の山を築いていくのみ。
そんな中で出来上がったのが、副産物である件の兵器である。

 

 

「あの兵器は元々、成長ホルモンを抑制させる機能を持ったモノだったんです」
「成長ホルモンを? そりゃまたどうして?」
「成長を抑制させる事で老化を抑え、寿命を延ばそうというコンセプトで作られました」
「そんな上手く行きますかね……?」
「ええ、結果として失敗し、あの兵器は生物の外見的成長を完全に停止させるモノになりました」
ガタン、と部屋の外で物音が聞こえた。
「な、なんです?」
「あぁ、いや、気にしないで下さい」
?を頭上に浮かべる中年男性とは対照的に、武彦は企み顔を浮かべた。
「その兵器ですが、成長を完全に止めるということは、身長が伸びなかったり、体重が増えなかったり、そういう事にも関係しているのですか?」
「それだけじゃありません。確かに身長は伸びませんし、体重も増えませんが、ということは人間の機能を無理に抑制していると言う事になります」
「無理に抑制する事で、身体に何か悪影響があると?」
「即死と言う事にはならないと思いますが、様々な影響が数年から十年単位で続くかと思われます」
「つまり……その兵器に感染すると、十数年は身長が成長せず、そのまま死んでいく、と」
武彦が確認を取った時、またもガタン、と部屋の外から物音が。
首を傾げる中年男性を気にせず、武彦は難しい顔をした。
「しかし、やはりそういう案件は私どもの手に余ります。相応の機関に頼まれた方が……」
「し、しかしですなぁ」
渋る武彦に困る中年男性。
そんな状況を見かねてか、事務所に転がり込む影が二つ。
「ちょっと待ったぁ!」
「その話、俺たちが聞こう!」
事務所に入ってきたのは勇太と小太郎。
この件とは全く関係ないことだが、二人とも身長は低めだ。
「草間さん、見損なったぜ! 困った人のためには一肌脱ぐのが草間興信所の心意気だろ!?」
「忘れちまったのか!? アンタはもっと熱い男だったはずだぜ!?」
「俺がそんな熱い男だった覚えはないが」
熱量の高い二人に対し、至極クールな武彦は、その態度に相応な温度の視線で二人を見た。
「お客人の前で失礼だろ。しかも盗み聞きとは、褒められたもんじゃないな」
「ちょっと耳に入ってしまったんだよ! 事故だよ、これは!」
「むしろ聞こえてしまうような声量で話してるそっちが悪い!」
「あぁ、こいつらのテンション、ちょっと面倒くさい感じのヤツだ……」
ひたすら辟易、と言ったジェスチャーを見せ付ける武彦に、しかし勇太と小太郎はなおさら熱を上げて語る。
「その兵器とやらが発動してしまったら、結構ヤバいんだろ!? だったら助けてやろうぜ!」
「俺たちだって手伝うし!」
「だぁから、俺らの手に余るって言ってんだろうが。そんな大量殺戮兵器をちっぽけな興信所一つでどうにかしようなんておこがましい……」
「そういう問題じゃないだろ!? 助けを乞うてる人がいれば手を差し伸べるのが人情ってモンじゃないか!」
「決して身長の心配をしているわけじゃないぞ!」
重ねて言うが、彼らの身長は平均よりも低めだ。
「……そこまで言うなら、勇太、小太郎。お前ら二人でやってみたらどうだ?」
「俺たち」
「二人で?」
「そうだよ。興信所で請けるには手に余るが、お前らが個人的に仕事を請けるってんなら、俺が止める権利もねぇしな」
それを聞いて顔を見合わせた勇太と小太郎の二人だが、すぐに笑顔になって中年男性に手を差し伸べる。
「やぁやぁ、おじさん。ここは俺たちに任せてくれ」
「俺たちが責任を持って、この案件、解決してみせるぜ!」
輝かんばかりの二人の笑顔に、中年男性の顔は見る見る曇っていくのだった。

 

 

***********************************

 

 

「よぅし、まずはここからだ」
そうして二人がやって来たのは、IO2の息がかかった病院。
「何だってこんな所に……?」
偉く立派な建物を見上げて、小太郎は疑問の声を漏らす。
どうやらここに例の化学兵器を持ち出した人間がいるらしいのだ。
「なんでもあのおっさんの話によると、その男は兵器を持ち出して会社に脅迫をかけ、金を奪おうとしたらしい」
「それがどうして病院に入院してるんだ?」
もし男が件の兵器を持ち出した後、怪我や病気にさいなまれる事はあっただろう。その結果として入院するのはおかしくない。
仮に入院したのだとしたら、すぐにIO2が駆けつけ、男を逮捕するのも、まぁありえるだろう。
だが、逮捕されたのだとしたら、兵器の回収を興信所に頼んでくるのはおかしい。
「小太郎、お前、おっさんの話聞いてなかったのかよ?」
「正直、兵器の事が心配すぎてそれどころじゃなかった」
「俺も人の事は言えないが、お前も大概、身長の事は真剣だな……」
本気度が高すぎて勇太ですらちょっと引いてしまうレベルである。
「ともかく、おっさんの話を纏めて、俺が説明してやるからありがたく聞けよ」
「おぅ、話してみやがれ」
「偉そうに……ッ! いや、まぁいい。事は急を要するからな」
勇太は気持ちを落ち着けるように咳払いを一つした後、静かにしゃべり始める。
「おっさんの話では、盗み出した男は兵器を隠した後、何らかの原因で精神崩壊を起こしてしまったらしい」
「精神崩壊……って大事じゃないか!」
「そうだよ。そんな状態の男が発見され、運び込まれたのがこの病院って事だ」
「その男が発見された場所の近くに兵器があるんじゃないのか?」
「その近辺はおっさんも探してみたらしいが、どこにも見当たらなかったらしい。隠し場所はまた別だったんだろうな」
そうなってくると話は厄介だ。
隠した犯人は精神崩壊を起こしていてまともに話が聞けるかどうかわからない。
その上、手がかりがないし、人海戦術を使って探し出すことも出来ない。
一見、手詰まりのようにも見える。
「どうするんだよ、勇太?」
「そこは俺の能力がモノを言う場面だぜ」
「……まさか、テレパシーか!? 大丈夫かよ!?」
正気を失った人間に対して行うテレパシーは極度の危険を伴う。
何故なら正気を失った人間にテレパシーを使えば、使用者も同じ状態になってしまう可能性があるのだ。
気の触れた人間の言動、創作物、雰囲気に至るまで、その者が放つすべての者が健常者に対して影響を及ぼす。
例えば、重犯罪者の言動を聞いているだけで気が狂いそうになってしまうように、彼らに近付くだけで危ないのだ。
そんな人間に対し、テレパシーを使うとなると、彼らの頭の中を直接覗く事になる。
そこに潜む数多の『健常者が理解できない、してはいけない何か』をダイレクトに覗き見る事は、精神衛生上、極めて危険である。
勇太はそれをしようとしているのだ。
「そこまでする必要ないだろ!? ゆっくり、時間を掛けてでも、足を使って探そうぜ!」
「それが出来ないから困ってるんだろ」
「出来ないって……どうして?」
「件の兵器には、時限装置がついている」
そう、兵器につけられているのは犯人である男のお手製時限装置。
時間が来たら勝手に兵器が散布されてしまう。
依頼主の言葉を借りると、兵器の効果範囲は二十三区をほぼ覆ってしまうレベル。更に風の影響が加われば被害範囲は拡大する。
「制限時間って、いつまでなんだよ?」
「それはわからない。だが、わからないなら極力急いだ方がいいだろ?」
「それもそうだな……。でも、いいのか?」
「身長と命がかかってるんだ、四の五の言ってられないだろ」
決意を帯びた表情を見せる勇太。
彼の意思に心を打たれ、小太郎もそれ以上は何も言わなかった。
「よし、行くぞ」
「おぅ」
二人は病院の入り口を潜った。

 

 

受付で男の居場所を聞いた後、その病室へとやって来る。
メンタルヘルスの病棟は、そこにいるだけで気が滅入りそうだった。
IO2の息がかかっている病院だけあり、ここに入院している人間は『そっち系』の被害にあった人間ばかりだ。
重度の精神障害を負った患者が何人もおり、廊下には気味の悪い声が反響していた。
「ここだな」
勇太が足を止めた病室は、一人部屋。
一応、ノックしてから部屋に入った。
そこにいたのは口を半開きにして、虚ろな瞳をした男。
やせこけており、髭も生やしっぱなし、クマも出来ており、見るからに不健康であった。
「コイツが犯人か。おい、アンタ、話は出来るか?」
小太郎が話しかけてみたが、反応は一切ない。
「こりゃかなりヤバいな。……勇太、ホントに大丈夫かよ?」
「ああ、やってやるさ。見てろよ……」
言いながら、勇太はテレパシーの波を走らせる。
その中に男を捕らえ、彼の記憶の表層を漁る。

 

 

瞬間、襲ってくるのは狂気と不安、恐怖の感情。
それらは津波となって勇太の心へと押し寄せる。
人の心に直接襲い掛かる恐怖や不安は、これほど凍える物か、と実感した。
身体全体が凍りつくように寒くなり、身体が震えそうになる。
男が経験した記憶は、そういうモノであった。

 

 

勇太は一瞬で具合が悪くなり、口を押さえてその場にうずくまる。
「お、おい、大丈夫か、勇太!」
「ぐ……っ、大丈夫だ。思ったよりヤバかったな……」
あとコンマ数秒でも遅れていたら、勇太も目の前の男のようになってしまっていただろう。
だが、幸いかな、ほしい情報は手に入り、勇太も一応大丈夫だ。
「行こう、小太郎。隠し場所がわかったぞ」

 

 

***********************************

 

 

やって来たのは郊外の山の中にあった廃工場。
いかにも、な雰囲気のある建物だったが、
「よし、ここだな」
「ここまで来るのに、スゲェ交通費かかった……」
などと言いつつ、勇太と小太郎は全く物怖じせずに敷地へと入っていく。

工場の建物の中は、長いこと放置されていた事により埃が積もり、かび臭い。
元々何の工場だったのかわからないが、古くなった機械が幾つか放置されている上に、部屋分けもされている。
隠す場所はいくらでもありそうだ。
「小太郎、気をつけろよ」
「ん? なにに?」
「バカヤロウ、ここにあの犯人が精神崩壊を起こした原因があるかもしれないだろ」
未だに原因は判明していないが、それがあるとしたらここである可能性が高い。
だとすれば警戒するに越した事はないだろう。
それに、なんだか張り詰めた空気感を覚える。
何かが潜んでいる気配があるのだ。
「そうやって気を張らなくても、すぐに出てきてくれるみたいだぜ」
小太郎がそう言うと、そこかしこからパチパチとラップ音が聞こえ始める。
更に風もないのに埃が舞い、機械がカタカタと音を立てる。
やがて工場の天井付近に揺らめく影を見つける事が出来た。
「な、なんだ、アイツ」
「突然の出現に、半透明の身体、極めつけに種も仕掛けもなしで飛んでるって事は、幽霊なんだろうな」
「小太郎、お前落ち着いてるな……」
「俺がどこで働いてると思ってるんだよ。オカルト興信所だぞ? このぐらいいつもの事だぜ」
オカルト現象をいつもの事で済ませてしまうような職場環境は、それはそれでどうかと思うが、この際不問にしておこう。
まずはあの幽霊に対応しなければ。
「でも、幽霊なんてどうすりゃいいんだ? 俺のサイコキネシスでどうにかなるもんなのか?」
「さて、試してみなきゃわからんが……」
物理的な干渉であるサイコキネシスが、精神体である幽霊に通用するかどうかは望み薄である。
「じゃあ、小太郎の霊刀顕現なら同だ? 『霊』刀なんだし、効果あるだろ?」
「試してみようか!」
そう言って小太郎は右手に光る剣を出現させ、幽霊に斬りかかる。
しかし、思った以上に身軽な幽霊は、霊刀をヒラリとかわし、二人の頭上をふわふわと浮き始める。
「くそっ、意外と素早い」
「ちゃんと狙えよ! 下手したら俺たちまで精神崩壊だぞ!」
「それは勘弁してもらいたいなぁ」
二人がどうしようかと迷っていると、幽霊が空中で停止する。
そして、その口を開いた。
『矮小な人の分際で、この我に刃を向けるとは良い度胸だ』
「しゃ、喋った」
しかもかなり尊大な口ぶりである。
もしかしたらとてつもなく強い霊なのかもしれない。
『貴様らは我の正体を知らぬのだろう。ならばこそ、その振る舞いにも合点がいく』
「テメェ、何者なんだ!?」
警戒しながら小太郎が尋ね返すと、幽霊は口元を上げる。
そして高らかに宣言した。
『我が名は崇高なる闇の竜眷属<ハイペリオン・ダーク・ドラゴニスト>である!」
「……はぁ?」
突拍子もない言葉に、勇太も小太郎も耳を疑った。
ハイペリオン・ダーク・ドラゴニスト、と幽霊は言った。そこはかとなく、英訳が間違ってるクサい。
しかし、幽霊本人は全く気にしていないらしい。
彼の口上は続く。
『我の体に宿るエンシェントドラゴンの魂が、死してなお我に使命を果たせと、幽世から現世へと呼び戻したのだ! 不完全な形ではあるが、我はこの力を以って使命を果たす!』
「な、何を言ってるんだ、アイツは……」
小太郎が呆気に取られる中、勇太はフラッシュバックする。
あの病院に入院していた犯人の記憶を覗いた時、確かにこの幽霊を見た。
そして、その時の犯人の心境も思い出した。
「そ、そうか……それで精神崩壊を」
「どういうことだ、勇太!?」
「あの幽霊、中二病……とりわけ、邪気眼だ」
自分には不思議な力が宿っていると信じて疑わない中二病の症状、邪気眼。
それを患っている幽霊が現れ、そして犯人はヤツの言葉に惑わされ……いや、とある記憶を掘り起こされて精神崩壊を起こした。
そう、あの男も以前、重度の邪気眼だったのだ。
「ぐっ、今ならあの犯人の気持ちが痛いほどわかるぜ。確かに、これはかなり高度な精神攻撃だ……ッ!」
「なるほど、男の子だったら誰でも一度は夢見る幻想、そしてそれが歳を経ると共に痛い記憶となって封印してしまう。それを無理やりこじ開けられたら、確かにダメージはでかいだろうな」
勇太も小太郎も、犯人の気持ちを察して余りある。
兵器を盗み出した事は許されざる罪ではあるが、それに対する罰がこれほど重いものだと、少し同情もしてしまうという物だ。
『どうした、怖気づいたか、人の子よ。我が竜脈を体現する波動に、恐れおののいたか!』
「ヤベェよ、アイツ、マジモンだよ」
「いや、幽霊になっちゃってる時点で、確かに人とは違う何かを持ってるところは間違ってないけど」
幽霊の精神攻撃によって、二人の心はズキズキと痛み始めている。
ここは早く切り抜けないと、犯人の二の舞になってしまいそうだ。
それに時間を掛けている場合ではない。目的はあくまで兵器の回収、無力化なのだ。
「よし、勇太。よく聞け」
「なんだ、秘策でもあるのか?」
「俺が兵器を探してくる。代わりにお前はあの幽霊の相手をしてくれ」
「……はぁ!?」
分担作業は、確かに時間のない現状では良い手段であろう。
だが、その担当に問題がある。
「俺はあの幽霊に対抗する手段がねぇんだけど!?」
「大丈夫だ、勇太。あの幽霊は恐らく、それほど脅威ではない」
幽霊の攻撃方法はどうやら精神攻撃しか持ち合わせていない様子。
ならば勇太でも相手をするのは問題ないはず、と言う謎の論法である。
「小太郎! テメェ、俺に何かあったらどうしてくれる!」
「骨は拾ってやるから!」
「死ぬこと前提!? マジ、ふざけんなよ!?」
「まぁまぁ、よく聞け、勇太くん」
小太郎にガッチリ肩を組まれ、小声で作戦会議を始める。
「邪気眼のヤツらは自分の設定が好きで好きでたまらないんだ。ヤツらは自分の妄想を他人に認められる事をこの上なく欲している」
「……つまり?」
「勇太も話に乗っかってやれば、アイツは満足して、あわよくば成仏してしまうという事さ! これはお得!」
「なにが得だよ!? 俺に一切の得がねぇ!!」
「それじゃ、任せたぞ!」
「おいこら、小太郎!!」
持ち前の身のこなしで、瞬く間にその場を離れた小太郎。
勇太には追いかけることも出来ず、かと言ってあの幽霊を放っておく事もできなかった。
「くそっ、後で何か仕返ししてやる」
『ふふっ、我の王の威厳<ロイヤル・アトモスフィア>に負けて逃げ出したか。小物め』
「変な固有名詞に眩暈を覚えるが、これは……」
高度な精神攻撃に耐えつつ時間を稼ぐという、勇太の孤独な戦いが始まった。

 

 

***********************************

 

 

『貴様は逃げなくていいのか、矮小な人間よ』
「幽霊の分際で偉そうに……! いやいや、これではいかん」
幽霊との会話を長引かせるには、ヤツを否定するような言葉ではいけない。
邪気眼の本質的なところは『自分は他人とは違うけど、誰かに認めて欲しい』と言う相反する心境。
今回の勇太のミッションは他人とは違う幽霊を認めてやることだ。
正直、かなり難しい。
「あ、あー……コホン、偉大なるハイペリオン・ダーク……ええと、ドラゴニストよ。この俺は貴様に怖気づくような腰抜けではない」
『ほぅ……なかなかホネのある男だと見える。貴様と戦う前に名を問うておこう』
「名前……? えっと……」
ここで本名を名乗るのは間違いである。
幽霊が望んでいるのは、真名。二つ名。中二的な横文字を連ねたカッコイイヤツである。
しかし、それほどパッと思いつく名前があるわけでもない。
「お、お前に名乗る名前などない!」
『貴様、戦士のたしなみを汚すか!』
「俺に名乗らせたければ、相応の力を見せてみろ!」
『ほざいたな、人間がッ!!』
そう言って幽霊はその手を振りかざす。
『我が竜脈の力に恐れおののけ! ドラゴン・ハウル・ソウルパニッシャーッ!!』
何事か起きるのかと思い、勇太も身構えてみたが、そよ風すら吹かない始末。
「……? なんだ?」
『くっ、貴様、もしや異能解除者<キャンセラー>かッ!? 道理で上手く力が使えないと……ッ!』
「いや、そっちが勝手に……ハッ! ふ、ふははは! そうだよ、俺の能力はキャンセル! お前の能力はもう使えないぞ!」
『チッ……まだ生き残りがいたとは。百年前に全滅した物だとばかり思っていたのだがな! だが好都合だ。ここで貴様の命を刈り取れば、キャンセラーはいなくなる!』
「お前、どんだけキャンセラーとやらに恨みを抱いてるんだよ……」
勇太には窺い知れないが、ハイペリオン・ダーク・ドラゴニストとキャンセラーの間には並々ならない遺恨があるようである。
ともかく、勇太の役回りは確定した。
今回は『キャンセラー』として立ち回るのが正解の様である。
察するにキャンセラーとは能力を無効化する人間なのだろう。そういう能力者なのだ。
勇太にはそんな力はないが、あるという体で会話を続けなければならない。
「俺の前ではどんな能力も許さない。お前の能力も、俺の前では全くの役立たずだぜ」
『ふん、だがキャンセラーの弱点は知っているぞ。その能力は長時間発動が出来ない! 継続発動時間はせいぜい三十分が限界だろう!」
「えっ!? ……いや、俺はキャンセラーの中のキャンセラー。その限界はない!」
『……それはズルイ』
「えっ!?」
いきなり『ズルイ』とか言われて、思い切り素で驚いてしまった。
そうやって素に戻るのは彼的にありなのだろうか?
『リスクもなしにそんな強い能力はおかしい』
「そんな事言われても困る」
『ダメ。なんかリスクつけて』
物凄く面倒くさいリクエストを、面倒くさい態度で押し付けられている。
だが、このまま時間を稼ぐためには彼の言葉に乗っからなければならないだろうか。
「わかった、じゃあこうしよう。今日は特別に調子がいいので、リスクがかからない。だが明日以降は反動でしばらく力が使えなくなってしまう」
『……ふふっ、よかろう。ならば明日以降、また来るが良い』
「こんな有利な状況で撤退なんかするわけねぇだろ!」
どうやら幽霊は自分に有利な状況でないと戦いたくないらしい。
しかし、ここで退くという選択肢はない。
ここで退いてしまっては兵器の時限装置が発動してしまうかもしれないのだ。
そんなリスクを背負う必要はない。
「って言うか、小太郎はまだかよ……!?」
大分時間稼ぎはしたつもりだが、小太郎はまだ帰ってこないのだろうか。
そう思って姿を探してみると、部屋の陰に小さな影を見つけた。
「プークスクス……きゃ、キャンセラー……ブッフフフフ」
「テメェ、小太郎ぉ!!」

 

 

***********************************

 

 

「これが兵器のカプセルらしい」
そう言って小太郎(何発か殴られた)が取り出したのは円筒型の鉄の箱。
確かに写真で確認した物と同じである。
「この化学兵器のマーク……確かに間違いなさそうだな」
「で、肝心の時限装置が見当たらないんだが、どこにあると思う?」
外面を見た感じ、それらしき装置は見当たらない。
とは言え、勝手に触って兵器が発動してしまっても困る。
『貴様ら、我との勝負を忘れていないか?』
「ああ、それはちょっと後にしてくれ。こっちが忙しいんだ」
『そ、その鉄の筒の事ならちょっとは知っているぞ。底の方が開く様になっているらしい』
真性の構ってちゃんである幽霊はそわそわしながら、勝手に情報をくれた。
小太郎が確認してみると、確かに底がネジ式の蓋になっているようだった。
開けてみると、ピッピッと不穏な音を立てて稼動している時限装置らしき物体が。
「うわっ、あったよ」
「ってか、これヤバいんじゃないか?」
勇太が表示されている時間を確認すると、既に十秒を切っている。
「えっ、えっ!? これ、どうしたらいいの!?」
「どうすりゃ解除できるんだ!? ハイペリオンなんちゃか! 知らないのか!?」
『そこまでは我にもなぁ』
「くそっ、反応がイラつく! ……こう言うのはお決まりで赤い線と青い線ってのがあるだろ!? それを探したら……」
「あ、もう無理ですわ」
ピーと無常にも時間切れを告げる音が聞こえ、鉄の筒からは紫色の煙が噴き出る。
間違いなく兵器が発動してしまったのだろう。
「お……終わった」
「俺たち……この身長のまま死んでいくのか……」
『さぁ、用事が終わったなら我との勝負の再開を……』
「「うるせぇ!!」」
最早夢も希望も失った二人は、死人のようにうなだれ、その場から動けなくなってしまった。
これからはもう、身長の事を諦めなければならない。
それはちびっ子二人にとって、どれほどの苦痛であろうか。
「よーぅ、兵器は見つかったか?」
そこにのんきな声が聞こえてくる。
声の方を振り返ると、そこには武彦が。
「く、草間さん、この兵器……発動しちまって」
「あぁ、時間切れか。残念だったな」
「残念だったな、って……くそぅ、草間さんはいいよな! タバコ吸っててもそんなに身長があるんだから!」
「俺たちはもう、これ以上身長が伸びないんだぞ!」
「……あぁ、それな」
小太郎が落っことした筒を拾い上げ、武彦は言う。
「成長が止まるってのは、ありゃ嘘だ」
長いこと、時間が止まったように感じた。
「……は?」
「だから、あれは嘘なの。ちょっとした小芝居だよ」
嘘、とはどういうことだろうか?
「あのおっさんの会社が不老長寿のクスリを作ろうとしていたのも本当だし、その結果として兵器らしきものが出来てしまったのも本当だ。だが、それが成長を止めてしまう兵器であるか、というとそうではない」
「どういう事だよ!? じゃあ、なんであんな話!?」
「そりゃお前たちを焚きつける為だよ。やる気出ただろ?」
因みに、今発動した兵器らしきものは『腰痛や血行促進に効果があり、人体にはとても良い成分の煙を噴出す装置』だそうな。
犯人はこれを危険な兵器だと思い込んで持ち出したらしい。
「まぁ、今回はこれで解決、と。ご苦労さん」
「……て、テメェ! このド外道!!」
「俺たちは本気で危惧してたんだぞ!!」
「良かったじゃん、なんもなくて」
「いいわけあるかぁ!!」
その後、二人は不貞腐れて、数日は武彦と口を聞かなかったそうな。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1122 / 工藤・勇太 (くどう・ゆうた) / 男性 / 17歳 / 超能力高校生】

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■         ライター通信          ■
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工藤 勇太様、シナリオに参加してくださってありがとうございます。『もういっそ、双子くらいの運用をすればいいじゃない』ピコかめです。
口調、性格、身長までも似通ったキャラ同士なんだし、それぐらいの扱いもそれはそれで悪くはないかな、って。
あれ、でも俺、双子の運用もそれほど得意ではなかったような……。

今回はサスペンスの皮を被ったギャグと言う事で、前半はちょこっとシリアス目、後半はふざけMAXで書いてみました。
因みに、俺も割りと重度な中二病を患っていた時期があり、その時期が長かった事もあって、反動で今では中二病っぽさが出しにくい身体になりました。
ちょっと致命的な感じがしますね。
それでは、また気が向きましたらどうぞ~。

カテゴリー: 01工藤勇太, ピコかめWR |

悪魔事件

路地の奥まった場所にある、暗がりのプールバー。
 タバコの煙で店内が霞み、ビリヤードの音がカツンカツンと響く。
 そんな雰囲気たっぷりのバーにあるカウンターで、武彦はタバコを燻らせていた。
 薄い水割りをチビチビと飲んでいると、そこに近付いてくる男が一人。
 彼を見て、武彦は皮肉っぽく笑った。
「よぉ、久しぶりだな」
「あぁ、そうだな」
 男は武彦の隣に座り、バーテンダーに適当な酒を注文する。
 タバコに火をつけ、一服した後、静かに口を開いた。
「大変だったぜぇ、この件を調べるのはよぉ」
「そうだろうよ。頼んでから大分経ってるんだしな」
「その甲斐あって、良い情報が手に入ったぜ」
 タバコの灰を落としながら、男は懐から封筒を取り出した。
 中身は二人の人間が写った写真だった。
「これは……IO2の幹部と――」
「エージェントの一人だ。指令を口頭で言い渡していたらしい」
「幹部が直接……? これが何だって言うんだよ?」
「指令内容が重要なのさ。あいつら、最近話題の悪魔と一戦交えるらしい」
 悪魔――それには武彦も聞き覚えがあった。
 以前、巨大なバケモノ犬が公園で暴れていた事件と、その飼い主であった少年を助けた依頼。
 それに関わっていたのが、どこからともなく現れた悪魔だったのだ。
「草間も察しがついたようだな。アンタが直接やりあった、あの悪魔だよ」
「やりあったなんて言うなよ。別にケンカしたわけじゃねぇし、するつもりもねぇよ」
 あの悪魔は相当な力を持っていた。
 ケンカの腕っ節しか持ち合わせていない武彦では、あの悪魔とやりあっても勝つのはまず無理だろう。
 零を連れて行って、五分五分というところか。
 しかし、先ほど男が言った事を信用するなら、IO2はその悪魔と戦うつもりらしい。
「IO2もヤキが回ったのか? あんなヤツと正面から戦おうなんて馬鹿げてるぜ」
「俺ぁ悪魔の強さなんかわからねぇからよ、どの程度のもんか知らないが……そんなにヤベェのか?」
「あぁ、ヤバいね。俺だったら、尻尾を巻いて逃げ出す」
「……なるほどね。だが、IO2には退けねぇ理由があるのさ」
 武彦の持っていた封筒からもう一枚、紙切れが顔を出す。
 それは随分前の新聞の切り抜きだった。
 内容は『男性の変死体。自殺か』と言う見出しで、記事内容も見出し以上の情報はほとんどない。
「この事件は確か、未解決のままだよな?」
「そうだ。だが、これも悪魔に関わりがある」
「どういう事だよ?」
「その死んだ男ってのが、召喚者だそうだ。ついでにIO2のお抱えの魔術師だってな」
 それを聞いて、大体話が見えてきた。

 IO2はお抱えの魔術師を使って悪魔を呼び出した。
 しかし、何らかの事件か事故があり、悪魔の使役に失敗。悪魔は逃走。
 IO2は面子を保つためにこの事を秘匿、秘密裏に尻拭いをしようと躍起になっている。

 大体はこんな所だろう。
「その方法がガチンコの勝負だなんて、スマートじゃないねぇ」
「IO2にも意地があるんだろうさ。なめた事をしくさった悪魔に、穏便な手段でお帰りいただくのは性に合わないんだろうよ」
「あれだけの悪魔を倒せれば、そりゃ胸を張れるだろうけどな。……ありがとうよ、助かった」
 武彦は一万円札をカウンターに置き、席を立った。
 帰りがけに男が声をかけてくる。
「アンタにはあるのかい? 悪魔と真正面からやりあわずに済むスマートな方法ってのがさ?」
「呼び出す方法がありゃ、お帰りいただく方法もあろうよ。じゃあな」
 手を振りながら、バーを出た。

 寒風の吹く季節。
 武彦は襟を高くしながら、さて、と呟く。
「どうした物かな。俺も大概だが――」
 もう一度、男から預かった写真を見る。
 そこに写っていたのはIO2の幹部ともう一人、エージェントの少女。
「ユリも大変な事に巻き込まれてやがるな」

***********************************

「ここであったが百年目ぇ!」
「……なんだよ、その粋な挨拶は」
 興信所に向かう道の傍ら、お使いに出ていた小太郎とバッタリ出くわした勇太。
 親の仇でも見つけたかのような眼光で小太郎を睨みつける。
「俺、勇太になにかしたっけ?」
「くっそぅ、そうだよなぁ! 知らねぇよなぁ! そりゃそうだろうけど、俺の気は収まらないんだよ!」
 勇太の恨みの視線は先日見た夢が原因である。
 あの時は惜敗してしまったが、惜しかったが故に悔しさは日に日に募る。
 あそこでああしていれば、もしかしたら勝てたのではないか、と脳内シミュレートが止まらないのだ。
 そして、その度にチラつく最後の小太郎の笑顔。
 だんだんと補正がかかってきて、今思い出すとあの顔は晴れやかな笑顔ではなく、こちらを馬鹿にしたような歪んだ笑顔ではなかっただろうか!
 これは許せない。断じて許せない。
 しかし、それは全て夢の中の出来事。
 当の小太郎が知るはずもなく、彼は首を傾げるばかり。
「もしかして、冤罪……? これは草間さんに相談を……いや、あの人弁護士じゃねぇや」
「テメェ、小太郎! こないだはこってんこてんに負けたけど、次はそうはいかないからな!」
「いや、勇太と最近ケンカをした覚えはないんだが……」
「あぁそうですか! 俺とのケンカなんて覚えてられないほどの瑣末な事柄でしたか! 俺より身長小さいクセして、偉そうに!」
 小さい、と言う言葉に反応して、小太郎の耳がピクリと動く。
「あぁ!? 今は身長関係ねぇだろうが!」
「悔しかったらその隠し底を使わずに、俺と目線を合わせて見やがれ!」
「貴様、どこでそのトップシークレットを!」
「小太郎の浅はかな知恵など、俺にはお見通しだぞ。……え? って言うか、マジで隠し底使ってんの?」
 ぐぬぬと口ごもる小太郎。
 勇太としては鎌を掛けたつもりだったのだが、どうやら図星だったようだ。
 道理で最近、急に背が伸びたように感じたわけだ。
「おいおい、女々しいぞ、小太郎! 俺みたいに素の身長で勝負しろよ」
「うるせぇ、お前なんかに、好きな娘に若干見下ろされる俺の気持ちがわかって溜まるかぁ!」
「あぁ、ユリちゃんの方が背ぇ高いのか。そう言えばそうだな」
「哀れんだような目で見るんじゃねぇ!」
「まぁまぁ、その内、ユリちゃんとも並べるようになるって」
「う、ううう、うるせぇ! って言うか、勇太だって俺とそれほど変わらねぇだろうが! 何で上から目線!?」
「事実、上からなのだよ! 物理的に! 数センチだろうと、数ミリだろうと、俺の方が天に近いのさ!」
「貴様、言わせておけば……ッ!!」
 睨みあう二人の間に、急に影が落ちる。
「二人で楽しそうだな」
 そちらを見ると、長身の美人がいた。
 黒・冥月である。
「往来で何をしてるか知らんが、大声を出すのは近所迷惑だ。場所を変えたらどうだ」
「冥月さん、でもコイツが」
「師匠! でも勇太が!」
「あー、うるさい。とにかく興信所に行くぞ。どうせ二人とも、そこが目的地だろう」
 少年二人を引き摺り、冥月は興信所へと向かった。

***********************************

「さて、じゃあ全員揃ったみたいだし、始めるか」
 草間興信所に集まった面々の顔を見ながら武彦が切り出す。
 今ここに居るのは所長の武彦と零、そして武彦によって呼び出された月代慎、黒・冥月、工藤勇太、それと小太郎。
「今回はちょこっと面倒な話だから、よぉっく聞いて欲しい」
 前置きを置きつつ、武彦は事件のあらましを簡単に説明する。
 悪魔が現れている事と、悪魔が行ってきた事、IO2が悪魔を追っている事とその理由、そして武彦もそれに首をつっこもうとしている事。
「なるほど、最近感じる嫌な影の正体はそれだったのか」
 武彦の話を聞いて冥月が得心したように頷いていた。
「で、草間さんの言うスマートな方法ってのはなんなのさ?」
「良い所に目をつけたな、勇太。それはこちら、慎から説明がある」
「はーい、じゃあ説明するね」
 突然の指名にも全く動じず、慎は小さな咳払いをしつつ、話を始める。
「召喚術って言うのは実は呼び出す術だけで構成されてるわけじゃなくて、送還術って言うもう一つの術とセットで一つの術とされてるんだ」
「そうかんじゅつ、ってのは何なんだよ?」
「送還術は召喚術で呼び出されたモノを、元の世界に戻すための術。それがないとこの世ならざる物がそのまま居座っちゃうからね」
 どちらか片方だけしか使えない者は召喚術師とは呼べない。半人前以下の術者である。
 だが、何らかの理由によって片方の術しか発動しない場合がある。今回の悪魔は送還術が行使されずにこちらに残ってしまったケースだ。
 武彦の言うスマートな方法と言うのは、この送還術のことである。
「じゃあ、手っ取り早くやってしまえばいいじゃないか。何を躊躇する事がある?」
 冥月の言葉に武彦は苦い顔をした。
「そうしたいのは山々なんだが、色々と問題があるらしいんだ」
「術の行使には色々と準備が必要なんだよ」
 術には全く知識のない武彦の代わりに、やはり慎が説明を次いだ。
「今回の悪魔みたいに力の強い被召喚者だと、送還術にも相応の儀式や魔力が必要となるんだ。それを集めるのにも結構時間がかかっちゃうと思うんだよね」
「……つまり、その間にIO2に先を越される心配がある、というわけだな」
「察しが早くて助かる」
 IO2は既に悪魔退治に向けて動き出している。
 こちらがまごまごしていたら完全に後手に回ってしまうだろう。
「でもよぉ、じっくり準備しないと危ないんだろ? 俺だったら、あんな悪魔とガチでやりあうのなんてゴメンだけどな」
 悪魔と実際対峙している勇太は、戦うなんてありえない、と手を振る。
 武彦もあの悪魔と真っ向から勝負するような愚策は取らないだろう。
 だが、時間はない。
「俺だってまともな準備もなしにヤツとやり合うなんてバカな真似はしたくない。だが、時間がないのもまた事実」
 そう言って武彦は一枚の写真を取り出す。
 写っていたのはIO2の幹部とエージェント、ユリの姿だった。
「正直な話、IO2のエージェントがどれだけやられようと気にはしないが……今回の事件にはユリも関わっている」
「ユリが!」
 食いついたのは小太郎だった。
「お、おい、草間さん! まさか、そのIO2の作戦にユリが……」
「十中八九、参加してるだろうな」
「草間の言葉を私から訂正しよう、間違いなく参加している」
 武彦に続いて、冥月も小太郎の不安を煽る。
「さっき、ユリ本人から電話があった。掻い摘んで言うと、その件に関わってるから、助力して欲しいって感じだったな」
「じゃ、じゃあすぐに助けないと! 危ないんだろ!?」
「落ち着け、小僧。……草間、IO2と共闘するという案はないのか?」
「それはそれで考えたけどな」
 IO2と武彦の目的は、どちらも悪魔の鎮圧。
 共同の目的ならば協力し合えるとは思ったのだが、武彦が打診した結果、答えは芳しくないモノだった。
「俺らがでしゃばって功績をあげちまったら、IO2も下請けに頼るばかりのお飾り御輿だって思われるだろうしな」
「そこは情報操作でどうにでもなるだろう。むしろ私たちが独力で解決してしまった方が、IO2にとっては不利益になると思うがな」
「先方は俺たちだけじゃどうしようもないと踏んでる。実際、条件が整わないと俺たちだって悪魔を無力化するのは無理だろうな」
 慎に頼んだ送還術だって、成功するか否かは五分五分だ。
 いくら慎に魔術の素質があったとしても、充分な準備もなく、強力な悪魔を封じ込めるのは無理がある。
 無理を通してしまえば、どこかに歪みが生じるだろう。
 それは武彦の望むところではない。
 IO2はそこまで見越して、興信所の独力ではこの件を解決できないと見ているのだ。
「しかし、やりようはある」
「……お前がそういうなら、手はあるんだろうな。だが、ならなおさらIO2と共闘した方が色々楽になると思うが?」
「向こうが強情にも、こっちの助け舟を使わないって言うんだからどうしようもねぇよ」
 IO2にとって今回の事件は身内の恥が発端である。
 これを多くの第三者に教えたくない心情もわからないではないが、視野が狭窄しすぎて最善策を見失ってる感もある。
 指揮を取ってる人間は余程の無能なのかもしれない。
「俺らも頑張って事件を解決しすぎた節があるからな。これ以上、俺たちにでしゃばられて仕事が取られると困るんだろう」
「オカルト興信所の有名税と言うヤツだな」
「うるせぇ。そのあだ名で呼ぶな」
「それはともかく、具体的な策はあるのか?」
 冥月に話を振られ、しかし武彦は笑って答える。
「あるにはある。そのためにお前らを呼んだわけだしな」
「おぉ、さすが草間さん!」
 期待に瞳を輝かせる小太郎。
 だが、武彦の策は至極簡単なものだった。
「まず、慎は送還術のための準備をする。必要なものは俺と勇太でそろえる。冥月と小太郎はIO2の相手をしてくれ」
 この中でまともに魔法が使えそうな慎が送還術を担当するのはまず妥当な判断。
 サイコメトリーが使える勇太や情報収集能力に長ける武彦が、慎のサポートを担当し、術に必要なものを集めるのもいいだろう。
 最大戦力である冥月がIO2を抑えて時間稼ぎをし、そのサポートに小太郎がつくのも間違ってはいない。
 だが、
「……それだけ? もっと詳細な内容は?」
「それだけだ。後は現場の状況判断に任せる」
「作戦がザックリ過ぎやしませんかね……」
 勇太の呆れたような表情に、武彦の顔が強張る。
「う、うるせぇ。現場はフレキシブルに動かないといかん。最初にガチガチに固めちまったら、行動の幅が制限されてだな……」
「草間のずさんな作戦など、いつもの事だ。気にする必要はない」
「おいこら、冥月! そこはフォローする所だろうが!」
 冥月の追い討ちも入り、なんともガチャガチャした雰囲気のまま、作戦会議は終わった。

***********************************

「さて、では慎。必要な物を幾つかピックアップしてくれ」
 武彦に言われ、慎はうーん、と首を傾げる。
「そうだなぁ、例えば……一番効果的かもって思えるのは悪魔の真名かな」
「真名? 本当の名前ってことか?」
「そう。言霊信仰とかが有名だけど、本当の名前は持ち主の本質を表すって言うし、それを支配できれば相手を意のままに操る事も可能なんだ」
 それが悪魔のような物質ではなく精神に寄った存在となると、更に効果が著しいという。
「でもさ、それだけ有効なら向こうだって必死に隠そうとするんじゃねぇの?」
 勇太が懸念するのに、慎も頷く。
「易々とは晒さないだろうね。だから情報元はある程度限られてくると思うよ。実際に契約した人間、とか」
「あのバケモノ犬事件の時のヤツか」
 先日、近所の公園で暴れまわっていたバケモノ犬と、それの飼い主であった少年。
 悪魔の被害者でもあった少年は、契約者だったはずだ。
 もしかしたら悪魔の真名を知っている可能性はある。
「他に送還術に役に立ちそうな物といえば、元の召喚者がどんな術式を使ったのか、とかかな。召喚の儀式がどんなのだったかがわかれば、送還術も幾分か楽になると思うよ」
「具体的にはどういう風に楽になる?」
「必要な魔力が少なくて済むかも。あとは式陣を広げて悪魔を捕捉する範囲に余裕を持たせられる可能性もあるね」
 送還術の儀式には魔法陣を使う。
 最終的には悪魔を魔法陣の上までおびき寄せ、それと同時に術を発動、送還を行う手はずになっている。
 送還術に使う魔法陣の面積を広げる事が出来れば、悪魔をおびき出す手間が軽減されるのだ。
 その情報に関しては、勇太が適任だろうか。
「何か、その儀式に使われた物でもあれば、俺のサイコメトリーである程度情報が引き出せると思うんだけど」
「つっても、そんなもん、どこから手に入れればいいんだよ?」
「草間さん、何かアテはないの?」
「あるわけねぇだろ。その魔術師の事故死をIO2が隠そうと必死になってるんだぜ? その遺品なんか易々とは手にはいらねぇよ」
「だったら、現場に行ってみるとか? 部屋自体に強い思念が残ってれば、サイコメトリーも出来るかもしれないし」
「……なるほど」
 幸い、武彦の手元には当時の新聞の切抜きがある。
 これを手がかりに魔術師が死んだ場所、つまり儀式が行われたであろう場所に行けば、情報があるかもしれない。
 しかし、それには慎が手を挙げて意見を述べる。
「でも、大分時間が経ってるんでしょ? IO2だって証拠隠滅ぐらいするんじゃない?」
「除霊されてたらその時はその時だ。手がかりが少ない状況なんだからダメ元でも行ってみるしかないだろ」
 それに時間も余裕がない。
 IO2が動くまでどれだけ時間がかかるかわからないが、わからないのであればすぐに行動するに越した事はないだろう。
「じゃあ、俺と勇太は魔術師の死亡現場に。慎は犬の飼い主の家に行ってくれないか?」
「はーい、了解。そっちも気をつけてね」
「ガキに心配されるほど落ちぶれちゃいねぇよ。慎こそ迷子になるなよ」
「俺だってそんなに子供じゃないよ。じゃあね」
 駆け出していった慎を見送りつつ、勇太も踵を返す。
「じゃあ俺たちも件の場所に行きますか」
「……お前は大丈夫か? これから行くのは実際に死人が出た場所だぞ?」
 しかもそんな死亡現場をサイコメトリーするのだ。
 高校生にはかなり刺激の強い場面を念視する事になるはずだ。
「まぁ、やらなきゃならんでしょ。慎だって小太郎だって頑張ってるんだし、俺だけサボるってわけにも、ね?」
「ハッ、年上ぶりやがって。……まぁ、その調子で頑張ってくれや。俺には応援するしか出来ないからな」
「俺が吐きそうになった時は、エチケット袋の用意でも頼むよ」
「そこは気合でこらえろ」
 軽口を叩きつつ、二人は目的地へと向かった。

 死亡現場は新聞の切り抜きには書かれていなかったが、サラッと聞き込みをしただけで近所の人間はすぐに教えてくれた。
 案内された場所はとあるビルの地下室。
 今では綺麗に清掃されており、小奇麗にはなっているが、テナントは入っておらず、ガランとしていた。
「そりゃ、年内に人死にが出た場所で店を開こうとは思わんわな」
「……草間さん、ヤバい。結構具合悪くなってきたかも」
「既に!? そんなにヤバいのかよ」
 意図してサイコメトリーを使っていない勇太が、具合の悪化を訴えるほど。
 どうやら除霊などの心配はなかったようだ。
「大丈夫か、勇太。視れるか?」
「……やってみる。でも、あんま期待すんなよ?」
 予防線を張りながら、勇太はサイコメトリーを発動した。

 見えてきたのは暗がりの部屋。
 床には巨大な魔法陣が描かれており、祭壇にはよくわからないものが幾つか供えられている。
 狂ったように呪文を唱える男と、不気味に輝く魔法陣。
 そしてその声と光が絶頂に達した時、あの大鎌を担いだ悪魔がそこに現れ、笑い声と共にその大鎌を――

「っぷふぅ……」
 猛烈な吐き気に襲われ、勇太はサイコメトリーを強制終了させつつ、息を抜いた。
 殺された男の怨念と、あまり見たくもないスプラッタな場面を同時に突きつけられ、勇太の具合は最悪の状態である。
 胃の中がグルグルとかき回されているようだった。
「大丈夫か、勇太?」
「ああ、なんとか……。で、何が必要なんだっけ?」
「召喚した術の概要だ。何かわかったか?」
「使われてた魔法陣の絵柄は見えたよ。多分、写しを取るのも出来ると思う」
「上出来だ。どこかで少し休んだら慎と合流しよう」
 武彦の肩を借りながら、勇太は地下室を逃げるように出た。

 地下室を出た後、近所の店でマジックとスケッチブックを購入し、勇太はそれにペンを走らせる。
「これってさ、少しでも間違ったら、送還術が失敗したりしないよな?」
「さて、それはどうだろうな。俺も魔法に関しては詳しくないし。……もしかしたら線を一本間違えるだけで大変な事になるかもしれん」
「ぷ、プレッシャーかけるなよ、草間さん! こちとら美術の授業だってまともにやってないんだぜ?」
「それはちゃんと受けろよ」
 ツッコミを入れつつ、武彦はタクシーを止めた。
「くそっ、こんな高級な乗り物に……。勇太がテレポートを使えれば楽だったんだけどな!」
「無茶言うな! こっちは具合悪くて、その上、模写をしつつ能力なんか使えるか!」
 先ほど猛烈に襲い掛かってきた吐き気は、未だに勇太の腹部を支配しているし、頭痛は酷くなるばかりだ。
 こんな状態でテレポートを二人分だなんて、オーバーワークにも程がある。
 二人はタクシーに乗り込みつつ、合流ポイントを目指した。
「草間さん、ここってこんな風でよかったっけ?」
「俺が知るかっ!」

 そんなこんなでやって来た合流ポイント。
 そこにいたのは慎とユリ。
「おぉ、どうやら冥月たちは成功したらしいな」
「何か企んでたのか?」
「人聞きの悪い事を言うな。冥月たちにはユリの捕獲を頼んでたのさ」
「捕獲って……」
 それも大概、人聞きが悪かったが、この際スルーしよう。
 元々具合の悪かったのに加え、乗車中に集中してお絵かきをしていたので車酔いまで襲い掛かってきている。
 勇太の吐き気はもう限界であった。
 そんな状態ながら、二人は慎とユリと合流した。
「待たせたな。ほら、勇太」
「お、おう……ちょっと待って。車酔いが……」
 勇太は青い顔をしながらも魔法陣の描かれたスケッチブックを慎に渡す。
「これが召喚に使われた魔法陣だ。慎、わかるか?」
「うん、ちょっと待ってね」
 慎は素早く目を走らせ、召喚陣の解析を始める。
 魔法の構築を魔法陣から分析するのは簡単な事ではない。
 だが、術の天才とも呼ばれた慎であれば――
「……よし、わかったよ。送還術の魔法陣も、組めると思う」
 この通りなのであった。
「よし! じゃあ後は手はずどおりにな」
 準備は全て整った。
 後は悪魔をここにおびき寄せるだけである。

***********************************

「本当にこんなんで、悪魔を送還できるのかねぇ?」
「あ~、おにーさん信用してないね?」
 勇太の言葉を聞いて、慎は不服そうな顔をした。
 慎の持っている紙袋からは、今も独りでに毛糸が地面へと伸びている。
「これだって俺の渾身の術なんだよ? そう簡単に失敗はしないよ」
「だってお前、毛糸だぜ? そんなもんで魔法陣を作るとは思わないだろ」
 そう、現在も地面を這い続けている毛糸は、慎の作り出している魔法陣そのもの。
 慎の能力によって毛糸を自在に操り、それを魔法陣の形に配置する事によって、送還術の魔法陣と成す。
「インクを使うよりも楽だし、公共の道の地面に落書きなんかしたら怒られるんだよ?」
「そりゃそうだろうけどさ」
 落書きは器物破損の罪に問われます。
「でも、意外と通行人は気にしないものなんだな」
 大通りの往来ではあるものの、毛糸が独りでに動いている事に、誰も声を上げることすらない。
 恐らくは何か、大道芸の一種とでも思い込んでいるのだろう。
 もしくは、足元を全く見ようともせず、邪魔にもならない毛糸ごとき、気にしていられないほど多忙なのか。
 今日も魔都東京は忙しい人が忙しく行きかう、平和な様子であった。
「近くには超ヤベェ悪魔が迫ってるって言うのになぁ」
 悪魔の方は今のところ、冥月と小太郎が担当している。
 こちらの準備が整ったタイミングで悪魔を陣の上に運んでくるはずだ。
 陣の完成はもうじきである。
「でも、魔力の方はどうするんだろうな?」
「ユリおねーさんの能力でどうにかするんだろうけど、大量の人の集め方ってのは聞いてないなぁ。信用はしてるけど、ちょっと心配かな」
 せっせと毛糸を走らせる慎の表情にも不安が見て取れた。
 先ほどから、武彦とユリの姿が見当たらないが、大量の人間を集めている最中なのだろうか?
 二人を探すために往来に目を走らせて見るが、行きかうのは……。
「おやおや、学生っぽい連中が多くなってきたな」
 勇太が気付く。
 時刻は昼を過ぎ、若者が町へと繰り出し始める頃合い。
 大通りを通り過ぎるのは、忙しそうなサラリーマンよりは歳若い男女が多くなり始めてきた。
「ってか、慎はこんな所にいて大丈夫なのかね?」
「どういうこと?」
「聞いた話だと、タレント活動をしてるんだろ? 芸能人が真昼間から、こんな往来でボケーっとしてたら目立つでしょ」
 そう、慎はタレント活動をしている。
 現在も大手芸能事務所に所属しており、メディアへの露出も増え続けている。
 ジュニアモデルとしてファッション誌に出たり、タレントとしてテレビにも出たり。
 いまやそこそこの知名度を誇る芸能人と言って良い。
 そんな慎が天下の往来で毛糸遊びである。
 バレれば慎の周りに多くの人間が押しかけるだろう。
「……あっ」
 なるほど、と慎は気付く。
 それこそが武彦の狙いだったのだ。
「うーん、そういう事なら俺に一言相談してくれればいいのに」
「どうしたんだよ?」
「事務所に怒られちゃうかもしれない」
「あー、やっぱりこんなところで寂しく毛糸を弄ってたら、プロモーション的にも悪いか」
「そうじゃなくて……」
 慎がため息混じりに訂正をしようとしたその時。
「……き、きゃー。つきしろくんよー!」
 思い切り棒読みの、だが百歩譲って『黄色い声』とも言えなくない声が辺りに響き渡った。
 それは慎の毛糸が陣を構成し終わったと同時であった。
「月代くん?」
「月代って、あのタレントの?」
「あ、あの子じゃない?」
「うわ、マジじゃん。ちょうかわいい」
「顔ちっちゃい。その辺の女子より可愛い」
 ざわざわと周りの人間が慎を注目し始める。
 その隣に座っている勇太は、なんとも居心地の悪い雰囲気を感じていた。
「じゃ、じゃあ、俺はここらで退散を……」
「待って! ここで一人にしないで!」
「ば、バカヤロウ! 俺は面倒ごとに巻き込まれたくなんかないぞ!」
「辛い事も共有すれば二分の一になるよっ!」
「ゼロを二分の一に増やしてどうする! お、俺は逃げるぞ!」
「逃がさないって! うわっ!」
 慎と勇太が小声で言い合っていると、一人の少女が駆け寄ってきた。
「……あ、あの写メ撮って良いですか?」
「えっ、えっ!?」
 寄って来た少女はどう見てもユリ。
 慣れない演技をしているからか、表情も強張っている。
 それよりも憂慮すべきは、事務所に無断で、こんな所で騒ぎを起こして良い物かどうかという話だ。
「……ダメですか?」
 ユリの視線が言っている。
 ここは乗っかれ、と。
「うっ……い、いいです、よ?」
「……ありがとうございます」
 パシャ、と言う電子音と共にフラッシュがたかれ、ユリと慎のツーショット写真が撮られた。
 その途端、遠巻きから眺めていた人々も慎に近寄ってきて、
「じゃあ、私もぉ」
「こっちもお願い」
「芸能人と写メ撮れるってよ!」
「こっちこっち!」
 慎を中心にして、多くの人が集まり、それは瞬く間に膨れ上がった。
 百人にも届きそうなほどの人間があつまり、その場はあわやパニック寸前とまでなったのだが。
 それで充分だった。
「お、おい、これ!」
 人ごみにガードされ、結局慎から離れられなかった勇太が地面を指す。
 魔法陣として敷かれた毛糸が淡く光を帯びていた。
「どういうことだ!?」
「多分、魔力が注ぎ込まれてるんじゃないかな。これだけ人がいれば、ちょっとずつ貰えばすぐに溜まるだろうし」
「魔力……あ、ユリか!」
 勇太も察する。
 慎をダシに人を集め、集まった人間からユリが少量ずつ魔力を奪い、それを魔法陣へと流し込む。
 これによって魔法陣が起動し、送還術を発動させるのだ。
「草間さん、これを狙ってたのか」
「あとで事務所から抗議してやる……」
 疲れた笑顔を貼り付けつつ、慎はため息をつくしかなかった。
 その時である。
 ふと上空を見上げると、影の球が不自然に浮き、それがはじけ飛ぶ。
 中から現れたのは、件の悪魔。
「慎、今だ」
「はぁい」
 勇太に言われ、慎は魔法陣を起動させる。
 毛糸の輝きがいっそう強くなり、周りを光の波に埋める。
「な、なんだぁ!?」
「なにかのイベント?」
 集まっていた人々は地面を確認するために視線を落とす。
 誰一人として上空の悪魔は見ていない。
 そして、人々が光に目を奪われているうちに、慎と勇太はその場から逃げ出す事に成功した。
「送還術、起動!」
 離れ際に、慎が送還術を発動させる。
『はぁ……楽しい遊びの時間も終わりですか』
 悪魔の声が聞こえたかと思うと、悪魔の身体は光に包まれて影も形もなく消え去った。
「……ふぅ、これで一件落着か」
「そうでもないみたいだぞ」
 ため息をつく慎だったが、勇太のげんなりした顔を見て察する。
 勇太の指差す先を見ると、大通りに集まっていた人々がこちらを確認していた。
「俺は今度こそ逃げるからな!」
「ここまで来たら一緒に捕まろうよぉ!」
「こちとら芸能人でもないのに、あんなヤツらに囲まれてたまるか!」
 一足先に逃げ出す勇太を追いかけ、慎も通りを走り始める。
「くっそぉ! 草間さんめぇ、覚えてろよぉ!!」
 この状況を仕組んだ犯人であろう武彦に、勇太は恨み言を叫んだ。

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「くそっ、何が起きてるんだ!」
 IO2側の司令部は軽い混乱状態であった。
 作戦の肝であったユリが突然姿を消し、悪魔は好き勝手に市街地を飛び回る始末。
 情報の整理も纏まらず、指揮が全く取れない。
 と言うのも、指揮官たるこの男が無能であるというのが大きな原因であったが。
 ……と、そこへ通信機がなる。
「はい、こちら指揮車。どうなってる、現状は!?」
『あー、こちらディテクター。どうぞぉ』
 通信はディテクターと名乗る人物からのもの。
 だが、今回の作戦でそんな名前の人間が参加しているとは聞いていない。
「貴様、何者だ!?」
『俺が何者かはこの際、重要じゃないでしょう。それよりも耳寄りなご報告があるんですよ』
「なにぃ……?」
『件の悪魔はこちらで処理しておきました。こちらとしてもあんなヤツに街中を飛び回られては迷惑なので』
 その報告は驚くべき物だった。
 ディテクターが何者かはわからないが、あの悪魔を無力化したというのだ。
 指揮官はすぐに、部下に確認を取るように指示し、通信機を耳に当てる。
「それは本当なんだろうな?」
『嘘なんかついてどうするんですか。……それでですね、つきましてはご相談がありまして』
「……何かね」
『後処理はそちらに任せます。その代わりに、この件はそちらで解決したって事にしてもらえませんかね?』
 それは不思議な提案だった。
 IO2でも手を焼いた悪魔を無力化したのに、それを公表するわけでもなく、こちらの手柄にして良い、と言っているのだ。
「それで貴様にどのような利益がある?」
『一言では言い表せないほど、ですかね。とにかく、頼みましたよ』
 それっきり通信は途切れてしまった。
 部下からも確認が取れたとの報告があった。悪魔は確かに送還術によって消し去られたと。
 悩むように頭を抑えた男だったが、しかしすぐに気を取り直す。
「向こうがそう言うなら、ここはありがたく乗っかっておこう」
 楽天的に考え、男はすべての手柄を自分のモノとする方向で動き始めるのであった。

 しばらくして彼の嘘がバレるも、悪魔を処理した人物の詳細は明かされることなく、この件はひっそりと幕を閉じたのだった。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【6408 / 月代・慎 (つきしろ・しん) / 男性 / 11歳 / 退魔師・タレント】

【2778 / 黒・冥月 (ヘイ・ミンユェ) / 女性 / 20歳 / 元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】

【1122 / 工藤・勇太 (くどう・ゆうた) / 男性 / 17歳 / 超能力高校生】

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■         ライター通信          ■
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 工藤 勇太様、シナリオに参加してくださってありがとうございます。『興信所に人が集まってくれて助かった』ピコかめです。
 今年に撒いた話を今年中に回収できて、本当に良かったと思っております。
 お付き合いくださり、ありがとうございました。

 俺だって小太郎と勇太さんのちょっと仲のいいシーンを書きたいッ!
 ただ、話の流れ上、勇太さんと小太郎が別々になっちゃう事が多いんですよねぇ……。
 なんか露骨にペアを組むようなお話を作ればいいのだろうか……?
 では、また気が向きましたらどうぞ~。

カテゴリー: 01工藤勇太, ピコかめWR |

限界勝負inドリーム4

ああ、これは夢だ。
 唐突に理解する。
 ぼやけた景色にハッキリしない感覚。
 それを理解したと同時に、夢だということがわかった。
 にも拘らず目は覚めず、更に奇妙なことに景色にかかっていたモヤが晴れ、そして感覚もハッキリしてくる。
 景色は見る見る姿を変え、楕円形のアリーナになった。
 目の前には人影。
 見たことがあるような、初めて会ったような。
 その人影は口を開かずに喋る。
『構えろ。さもなくば、殺す』
 頭の中に直接響くような声。
 何が何だか判らないが、言葉から受ける恐ろしさだけは頭にこびりついた。
 そして、人影がゆらりと動く。確かな殺意を持って。
 このまま呆けていては死ぬ。
 直感的に理解し、あの人影を迎え撃つことを決めた。

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 勇太の目の前に現れたのは、小柄な少年。
 見覚えのある顔である。
 ジャージの上着を羽織り、その手には光る剣を持っていた。
「お前、小太郎か!?」
 勇太が尋ねるのに、少年――小太郎はニヤリと笑うだけであった。

 勇太が身構える前に、小太郎が素早く間合いを詰める。
 そして、剣の届く範囲に入った瞬間、横薙ぎに一閃。
 勇太はよろけながらも、それを避けたが、突然の事に困惑する。
「なんだよ、どうしたってんだ!?」
「ここでは戦うのが当然だろ。戦ってシロクロつけないと、夢から出られない」
 確かに、勇太が数回経験した中でも、勝負がつかないと夢が覚めた事はない。
 しかし、だからと言って急に戦えと言われても……。
「良いか、勇太! よく聞け。俺はこのゲームで勝てば、大金を手に入れられることになっている」
「いきなり何を言い出してるんだ、お前は……」
「その大金を手にし、草間さんへの借金を帳消しにして、なんの経済的負い目もなくなったところで……ユリに告るつもりだ!」
「ホント、何言っちゃってるんだ、お前!?」
 妙なカミングアウトに、勇太の頭はさらにこんがらがる。
 そもそも、夢で勝負したからと言って、現実で大金がもらえるような物なのだろうか?
 それを疑わないのも小太郎らしさと言えば、らしいと言えよう。
「だから、勇太。それとなく、自然に見えるように負けろ」
「はぁ!?」
 だが、その物言いには少しカチンと来る。
「八百長で勝って嬉しいのかよ? それとも、ガチでやって、俺と勝てる気がしないのか?」
「ヘッ、バカ言いなさんな。俺が勇太に遅れを取る要素は一つもない」
「……いいぜ、だったらガチでやってやろう。後で泣きを見ても知らねぇからな!」
「泣いて這い蹲るのはお前だッ!!」
 こうして、少年二人のガチ対決が始まるのだった。

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 小太郎の霊刀に対抗して、勇太が取り出したのは透明の刃、サイコクリアソードと名付けたサイコキネシスの剣である。
 触れる物を切り裂き、かつ刀身が見えないので相手の感覚を鈍らせる事も出来る。
「一応、手加減はしてやるぜ、小太郎。年上のハンディってヤツでな!」
「闘る前から言い訳作りしてんじゃねぇよ!!」
 踏み込んできたのは、またも小太郎。
 霊刀を振るい、上段から切り下ろしてくる。
 勇太はそれを剣で打ち払い、小さく腕を折って手首のスナップを利かせる。
 サイコクリアソードは剣術のスキルを必要としない。触れれば相手を引き裂く能力。その上、間合いは自由自在。
 腕力や遠心力、斬る為の技術なども要せず、振るうだけで相手に致命傷を与えられる能力だ。
 故に、ナイフのように小回りの利く取り回しをしても、一撃で勝負を決められる。
 故に、普通の剣ならば皮を裂く程度にしかならないであろうこの攻撃も、当たれば必殺となる。
 だが、小太郎は器用にも身体を反らし、勇太の剣を辛うじて避ける。
 更にその上、そのまま身体を回転させ、今度は勇太の胴を狙った薙ぎが襲い掛かってきた。
「おぉっ!?」
 小太郎の攻撃には遠心力が乗っている。
 腕を大きく伸ばし、手に持つ剣に最大限の破壊力を加えようとしているのだ。
 霊刀自体に重さは付随させられるらしく、恐らく、この薙ぎの一撃を食らってしまえば、勇太も無事ではすまないだろう。
 だが、避けられない程の攻撃ではない。
 勇太は軽くバックステップを踏んで小太郎との距離を稼ぎ、横薙ぎの一撃を回避した。
「安心しろよ、勇太。刃は潰してあるから、ちょっと鈍器で殴られるぐらいの痛みだ」
「それのどこが安心できる要素なんだよ!」
 小太郎なりの配慮なのだろうか、どうやらズンバラリと切り裂かれるような事はないらしい。
 言葉に続けて、小太郎は勇太との距離を詰めつつ、剣を上段へと構えなおしている。
 恐らく、もう一度打ち下ろしが襲い掛かってくるだろう。
 だが、その瞬間、胴はがら空きになる。
「甘いぞ、小太郎!」
 勇太はその隙を見逃さず、剣を寝かせ、小太郎へ向けて踏み出していた。
 小太郎の脇をすり抜け、そのまま胴を払い抜く。
 完全に入った一撃……と思ったが、手ごたえがない。
「なっ……!」
「言い忘れてたかもしれんが、俺のジャージは特別製だ」
 勇太の剣はジャージに阻まれていたのだ。
 小太郎の言うように、彼のジャージは特別製。霊刀と同じ物で構成されており、そこそこの防御力を誇っているのだ。
「ちっ、胴への攻撃はもう少し強めにしなきゃならないか……」
「俺もどうやら、勇太を見くびっていたらしい。……もう少し本気で行くぜ」
 小太郎は剣を両手上段から片手中段に構えなおし、勇太に対して半身で構える。
 雰囲気が変わったような気がした。
「ピリピリするね……それがお前の本気ってことか、小太郎?」
「まぁ、五割程度って所かな。能力者とは言え、一般人に近い勇太には全力なんか出さねぇよ」
「でかい口叩きやがって……。決めた。お前の本気の本気、見せてもらおうじゃねぇの」
 お互いに間合いを慎重に測りつつ、ジリジリと足を滑らせる。
「勇太だって、それが能力の全部ってわけでもないんだろ? だったらお互い様だ」
「じゃあ、俺が全部の能力を出したら、お前も乗ってくれるのか?」
「さて、それはどうかな」
 言い終わるや否や、三度、小太郎から攻める。

 モーションは最小限に。
 上半身をほぼ動かさず、運足によってのみ勇太との距離を縮めた。
 小太郎の構えた剣の切っ先は勇太を向き、そして少ない動きでそれが突き出される。
「……うっ!」
 少ない動きによって、攻撃の機を見極め損ねた勇太。
 だが、かわせない程の攻撃ではない。
 小太郎の狙いが頭を狙った突きならば、それを避けつつ前進、もう一度小太郎に一撃を加えるだけの余裕が生まれるはず。
 カウンターを決めれば、勝てる。
 そう思って勇太は身をかがめ、小太郎に対して踏み込もうとした……のだが。
 ふと無意識の内に勇太の生存本能が働く。それは小太郎の異常な殺気によって引き起こされた物だった。
 ……フェイントだ。
 小太郎の動きがフェイントである事が、何故だかわかった。
 それはもしかしたら、無意識の内に行使していたテレパスかもしれない。
 勇太は慌てて体制を立て直し、小太郎の攻撃を回避する事に専念する。
「ほぅ……」
 それとほぼ同時、手の内を読まれた事を察した小太郎は、フェイントであった突きをそのまま繰り出し、勇太を退かせる事によって距離を稼いだ。
 勇太がテレパスを使うのと同じく、小太郎にも不思議な目がある。
 これによって、テレパスほど確実な物ではないが、相手の感情の動きを窺う事が出来るのだ。
「あ……っぶねぇ!」
 冷や汗を噴出す勇太に対し、小太郎は笑っていた。
「ははっ、いいぜ、勇太。調子出てきたじゃねぇの! まさか避けられるとは思わなかったけどなぁ……」
「小太郎こそ、何が本気じゃない、だ! 割りとマジだったじゃねえのか、今の!?」
「大丈夫大丈夫。刃は潰してるから」
「鉄パイプで頭殴られたら、最悪死ぬっての!」
 軽口を叩きつつ、お互いに息を整える。
 相手との距離を測りなおし、作戦を立て直す。
 今の攻防だけで二人の意識が変わった。
 生半可では倒せない、と。

***********************************

 死を意識するほど切羽詰っていないのは、前に立つ敵が知り合いだからだろうか。
 勇太はゆっくりと息を吐きながら、剣を構えなおす。
 いつものように、身体の内側が焼け付くような、意識が引き絞られるような、崖っぷちの感覚が湧かない。
 それはそれで良い事だと思う。あの感覚を覚え始めると自分で自分を抑えきれなくなる。
 嫌な事を思い出してしまいそうになる。
 だから、このままで闘えるのなら、それはそれで良い。それで負けても、この夢なら仕方ない。
 だが、知り合いであるからこそ、小太郎には負けたくないという思いもある。
 負けても仕方ないとは思うが、出来る事なら勝ちたい。
「だったら、やるっきゃないよなぁ!」
 勇太はサイコクリアソードを手放し、自分の周りに空間が歪むほどのサイコキネシスの塊を、複数個浮かせる。
「本気で行くぜ、小太郎! 負けても怨むなよ!」
「上等だぁ! かかってこいやぁ!!」
 勇太はサイコキネシスの塊を、小太郎に目掛けて飛ばす。
 触れれば大ダメージ必至の塊。三次元方向から襲い掛かるそれらを避けるのは、小太郎でも至難の業だろう。
 小太郎がそれらの相手に手間取っている間に、勇太は精神を集中させる。
「シラフでこれをやるのは……あんまりなかったかな」
 いつもは『覚醒』した時のみだった。
 だが、小太郎に勝つためには手段を選んでいる暇はない。
 勇太は手の中でイメージを膨らませ、その中にサイコキネシスを注ぎ込む。
 だんだんと形作られていったそれは、まさに槍。
 一点突破の究極の形。
 それを手に持ち、勇太は顔を上げる。
 未だ、サイコキネシスの塊との追いかけっこに必死な小太郎。
 それを見据え、移動方向を予測しながら、テレポートの位置を決める。
「……今だッ!!」
 勇太はサイコジャベリンを握り締め、テレポートを使う。
 出現した場所は小太郎の真上。
 小太郎は今、サイコキネシスの塊に四方八方を埋め尽くされ、逃げ場のない状態。
「喰らえッ!!」
 満を持した弓矢の如く、勇太の引き絞った右手からサイコジャベリンが発射される。
 それに気付いた小太郎は、素早く防御の体勢を整えていた。
 流石に反応は早かったが、万全ではないはず。そこに勝機がある。
 虚を突いた攻撃。それを完全にガードする事はほぼ不可能なはずだ。
 サイコジャベリンは小太郎に向けて一直線に降りかかり、小太郎はそれを防御するために、霊刀を防御スタイルに変更させていた。
 二つがぶつかった時、激しい光と、霊子の火花が散った。
 ジャベリンの勢いを殺しきれなかったか、アリーナの地面はひび割れ、せり立つ。
 巻き起こった粉塵があたりを埋め、一瞬、視界が閉ざされた。
「……どうだ!?」
 地面に降り立った勇太は、目を眇めて土煙の奥を窺う。
 そこには……少年の影が立っている。
「……マジかよ、アレはホントに、全力だったんだぞ」
「だったら、俺の方が強ぇってことだろうが!」
 ボロボロではあったが、持ち前の明るい笑顔で小太郎がやって来る。
 全力を出した攻撃が防がれてしまっては、勇太の方も負けを認めるしかない。
「あー、くそ……次は絶対勝つからな」
「ふふん、いつでも待ってるぞ、チャレンジャーよ!」

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 後日、興信所にて。
「そう言えば、小太郎」
「なんだよ?」
「大金はもらえたのか?」
「は? 何の話だ?」

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1122 / 工藤・勇太 (くどう・ゆうた) / 男性 / 17歳 / 超能力高校生】

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■         ライター通信          ■
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 工藤勇太様、ご依頼ありがとうございます! 『好敵手と書いてライバルと読む』ピコかめです。
 同年代の男の子たちですもん、そりゃ闘うのも燃えちゃいますよね。

 さて、今回は勝敗も好きにして良いって事でしたので、惜敗ですかね。
 一応小太郎は色んな修羅場を潜り抜けてきていたので、普通を追い求める勇太くんとはちょっと経験値の差が出るかな、と思ったのであります。
 力量は競っていると思いますが、そこはスタンスの違いですかね。
 ではでは、また気が向きましたらどうぞ~。

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奇跡の代価 後編

この日、興信所を訪れていたのは初老の女性であった。
 身なりは取り留めて言う事はないが、顔のシワと頭髪に白髪が混じっている所を見ても、その苦労が窺い知れる。
「で、本日はどのような用向きで?」
 来客用ソファの対面に座った武彦が初老の女性に対して話しかける。
 女性は零に出されたお茶をしばらく無言で眺めた後、意を決したように口を開く。
「私も信じている話ではないのですが、こちらはオカルト関連に強い興信所ですとか……」
「え、ええ……」
 その切り出し方に、武彦は嫌な予感を覚える。
 オカルト興信所と呼ばれるのが嫌で仕方ないが、だからと言ってその手の仕事を片っ端から蹴り飛ばすと興信所が立ち行かなくなる。
 それに、この女性は本気で困っているようにも見える。
 威勢の良い依頼主なら『オカルトお断りだぁ!』と突っぱねてもいいが、今回のような手合いはどうにも扱いづらい。
「オカルト関係のご依頼なんでしょうか?」
「ええ、お恥ずかしながら、そうとしか考えられないのです」
 女性がバッグから取り出したのは二枚の写真。
 どちらにも少年と大型犬が写っていたが、明らかにおかしい点がある。
 犬は元気に成長しているのに、少年の方はやつれて見えた。
 そして、もう一点不思議なのは、二つの写真の経年である。
 メモされた日付を見てみると十年近い年月が経っているようだった。
 それにしては、犬の様子がおかしいのだ。
 大型犬はその体躯に見合って、そこそこの寿命を持っているらしいが、それにしても若々しすぎる。
 十年以上歳をとっている犬には見えないのだ。
 やつれている少年と対照的過ぎて、その一人と一匹の写真が異常な空間を切り取った物にしか見えなかった。
「一人息子と飼い犬です。息子は今年で十四歳になります」
「息子さん、育ち盛りにしては幾分元気がなさそうに見えますな」
「そうでしょう。……以前に別の霊能者と名乗る方に鑑定をしていただいたのですが、その際は『手に負えない』と依頼金を突っ返され、さじを投げられました」
 つまり、ガチでヤバい案件だと言う事だろう。
 その霊能者とやらも察しが良い。
 隣に立っている零の顔が険しいのを見るに、信じて良い証言だ。
「もう、私たちにはここしか頼るところがないのです。どうか、息子を助けてください。あの子は何かに取り憑かれているのです!」
 懇願する女性の願いを蹴っ飛ばすほど、武彦の根性は曲がっていなかった。

***********************************

 詳しい話を聞いた所、息子さんの様子がおかしくなり始めたのは、つい最近だそうだ。
 今までは普通に過ごしていたのに、急に身体が弱くなり、ちょっとした事で体調を崩し高熱を出す。
 病院にかかってみても原因は不明だと言われ、息子さん本人は入院を頑なに拒否する。
「丁度、その頃からです。左手にあざが出来始めたのは」
「左手のあざ……ですか」
 そう言われて写真を確認すると、確かに切り傷のようなあざが出来ている。
「きっとこのあざの所為なんです。お願いです、どうにかして息子を助けてください!」

 と、涙ながらに懇願してきたのが数十分前の事である。
 女性が帰っていった道を窓から眺めながら、零は不安げに口を開く。
「兄さん、気をつけてください」
「それほどヤバいのか、この案件」
「恐らく、かなり強い魔力をもった存在が介入しています。だから……」
「ヤバくなったら、俺だって尻尾巻いて逃げるさ。命あっての物種ってな」
 ジャケットを羽織り、武彦は興信所のドアに手をかける。
「おら、小僧、行くぞ」
「あー、俺も行くのかぁ」
 声をかけたのは勉強机(仮)で宿題に勤しんでいた小太郎である。
「俺、今ちょっと手が離せなくってさぁ」
「うるせぇ、小間使いがサボろうとしてんじゃねぇよ」
「宿題は大事だろうがよぉ!」
「俺の仕事を手伝うのだって大事だろうがよぉ! いいから来い、っつってんだよ!!」
 ギャーギャー喚く男二人を見ながら、やはり零は不安を募らせるのだった。

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「小太郎! 聞いて驚け! 俺の身長が五ミリ伸びたぞ!!」
 そこへやってきたのは勇太。
 勉強机にしがみついている小太郎と、それを引き剥がそうとしている武彦を見て目を丸くする。
「……なにやってんだ、二人とも」
「おう、勇太。いいところに来た。小太郎を外に連れ出すのを手伝え」
「連れ出してどうするんだよ」
「仕事の手伝いをさせるんだよ。……あ、お前も手伝え」
「なに言ってんだ、アンタ!?」
 興信所へやって来た客人を、いきなり仕事に巻き込む所長。
 だが別に、勇太はそれに反感を覚えるわけではない。
 興信所の仕事を手伝うのはこれが初めてと言うわけではないし、やってみる仕事と言うのは面白い物もあったりする。
 今回も『しょうがないから付き合ってやろう』ぐらいの気持ちで引き受けようとしたのだが……。
「今回の依頼はな、この少年と犬をどうにかするんだ」
 武彦に見せられた写真を覗き込み、勇太の目の色が変わる。

***********************************

 そんな勇太に呼び出されたのは慎とセレシュの二人。
 唐突に興信所に呼び出され、何事かと首を傾げている二人に、勇太は写真を差し出した。
「これ! この犬のあざ!」
 指を差したのは写真に写っている大型犬の左前足についているあざ。
 それを見て、二人も得心がいく。
「これって、あの魔獣の傷跡によく似とるやん……」
「じゃあ、もしかしてあの魔獣の正体がこの犬って事?」
「可能性は高いんじゃないかと思う!」
 三人の見解が一致した所で、武彦がタバコをふかしながら会話に割って入る。
「お前ら、この件に関わってるのか?」
「そうやねぇ……。関わってると言うか、前にユリちゃんの手伝いをした時、偶然関わってしまったと言うか」
「俺たちも事件の全貌を把握してるわけじゃないしね」
 慎の言う通り、三人は別に犯人を特定しているわけでもないし、少年と犬に何が起きているのかが判明しているわけでもない。
 今あるのは、この事件と公園の魔獣の件が繋がっているのではないか、と言う推測だけ。
 だが、これほど奇妙な類似点があるのだ。これで無関係だったのなら偶然と言うのを怨もう。
「草間さん、うちらもこの事件を手伝ってもええ?」
「ここで放り出すのは色々後味悪いよね」
 セレシュと慎に言われ、武彦はタダ働きの人手は願ってもない事だ、と二つ返事で答えた。

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「まずは、お前らの知ってる事を教えてくれ」
 と言われ、三人は武彦に公園の事件の事を話した。
 突然現れた魔獣と、戦いの中で起きた幾つかの不可解な事象。
 それらを掻い摘んで説明すると、武彦は神妙な顔をして唸る。
「なるほど、魔獣の足についている傷と、写真に写っているあざ、ね。これだけじゃなんとも言えんが、確かに引っかかる共通点だな」
「だろ? だから、もしかしたらこの犬が魔獣に変化してるんじゃないかってさ」
 勇太の推論もあながち間違いではない気がする。
「うちが見てみた感じ、写真から感じられる魔力も、魔獣に酷似してるし、全く的外れって事はないと思うんやけど」
「それに十年以上生きてる犬にしては、ちょっと違和感あるしねぇ。何か裏があると思って間違いないと思うな」
 公園の魔獣の事件と今回の依頼、状況を見れば関連性は薄くはないはずだ。
 となると魔獣の件で怪しくなってくるのは、この写真に写っている少年。
 彼が何らかの魔術を操り、犬を魔獣に変化させて人を襲わせている可能性もある。
「この少年の事について調べてみる必要があるかもな。地道に情報収集でもしてみるか」

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 勇太とセレシュ、武彦の三人は依頼主の家へとやって来ていた。
 そこは一般住宅外にある一軒家。
 外観からして普通の二階建てである。
 二階にある一室はどうやらカーテンがかかっているようであった。
「日中なのにカーテンを閉めるってのは怪しいかな」
「外から見られんようにカーテンをしてるかもしれへんやろ? 決め付けはよくないで」
 そんな事を話しながら、一行は呼び鈴を鳴らした。

 家にいた依頼人の女性に案内を受け、勇太と武彦は少年の部屋へと来ていた。
 部屋の中には一般的な家具が一式。特に変哲もない部屋である。
「勇太、魔術っぽい物とかあるか?」
「俺がわかるわけねぇだろ!?」
 小声で話しつつ、部屋の様子を窺う。
 セレシュがいてくれれば助かったのだが、彼女は今、依頼人の女性と共にリビングを見ている。
 ここは勇太と武彦だけで頑張るしかない。
 窓のカーテンはぴっちり閉まっており、電気もついていない。故に、この部屋は真っ暗である。
 そんな部屋の中で、モゾモゾと動く物が一つ。
 ベッドの上で丸まっていたのは、件の少年である。
「あ、あの……どなたですか?」
「俺たちはお母さんの友達でね。キミの元気がないみたいだから話し相手に来た」
 スッと当たり障りのない嘘がつける辺りは、探偵として培った経験か。
 よどみない武彦の言葉に、少年は疑う素振りは見せなかったが寝転がったままだった。
「具合はまだ悪いのか?」
「う、うん……。お医者さんにも何の病気かわからないんだって。不思議だよね」
 少年は愛想笑いを浮かべている。
 中学生にしてはいい面の皮だ。
「草間さん、アイツ、嘘をついてる」
「ああ、わかってる」
 小声で伝えてみたが、武彦も既に少年の嘘を看破している。
 中学生の下手なごまかしなど、探偵を生業としている武彦には何の意味もないのだ。
 勇太にしても、能力を使うまでもなく、少年が嘘をついているのだとわかる。
「勇太、テレパスであの子の記憶を覗けたりしないか?」
「やってみるよ。さて、何が出るかな……」
 前回、公園で鎌が振って来た時、ユリの能力が阻害された事があった。
 もう一度同じ事が起きれば関連性は確証が取れるが、それはそれで厄介な事態となる。
 勇太は極力慎重に、テレパシーの波を走らせた。

 すると出てきたイメージは、ベッドで泣いている少年と、その傍らにいる『大鎌を担いだ黒い影』。
 その影と少年は幾つか言葉を交わした後、少年の左手に鎌の切っ先が突き刺さる。
『これでキミとあの犬は繋がる事になる』
 凍るような冷たい言葉が影から発された。そこには人知を超えた雰囲気が纏われていたようにも思える。
『契約は完了した。いずれまた、会いに来るよ』
 傷口からは光が溢れ、それは契約をかわした証となった。
 光が収まる頃には影は消えうせていた。

「なにかわかったか?」
 武彦に話しかけられて、勇太はテレパスをやめる。
「今回の黒幕と、大体の契約内容とかかな」
「マジか。それわかったらもう解決じゃねぇの!? でかした!」
「いや、そういうわけにもいかんでしょ……」
 わかったのは黒幕と、少年が結んだ契約内容のみ。
 その契約を破棄する方法がわからなければ、解決できない。
 どうしたものか、と悩んでいると、部屋にセレシュが入ってきた。
「おじゃましますよっと」
「おぅ、セレシュ、どうした?」
「こっちの様子も見ておこ思て」
 ニッコリと微笑んだセレシュは、少年へと近づいて挨拶を交わす。
「はじめまして、セレシュ言います。よろしゅぅ」
「あ……はい」
 男ばかりの部屋にいきなり女性が入ってくれば、少年とは言え戸惑ってしまうだろうか。
 少年は少し顔を伏せながら会釈した。
「ちょっとええかな。左手ぇ見せてくれる?」
「え? ……えっと、怪我があるので、すみません」
 チラリと窺うと、確かに左腕には包帯が巻かれていた。
「おい、勇太。あれどう思う?」
「テレパスで見たのと同じ場所だ。契約について重要な何かってのは間違いないだろうな」
「……その契約ってのは一体なんなんだよ?」
「後で話すよ」
 セレシュの鑑定も終わったようなので、三人は一度、この家を出て慎たちと合流することにした。

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 再び、全員が興信所に戻ってくる。
 零が淹れてくれたお茶を飲みながら、武彦が口を開く。
「んでは、各々、わかった事を報告してくれ」
 会議を切り出されて、慎が手を挙げる。
「はーい、じゃあ俺からね。件の少年に怪しい人物は近づいてなかったみたいだよ。変な人が魔術知識を吹き込んだって事はないみたい」
「まぁ、その辺の魔術師から知識を吹き込まれて、中学生が簡単に行使出来る魔法なんかおっかないしな。そんなもんはない方がいい」
「あと、その子の飼い犬だけど、一度死んだって聞かされてたってさ。学校の生徒からの証言」
 話によると、飼い犬は一度死亡し、少年も学校を休むほどショックを受けたそうだが、翌日には犬は死んでなかった事にされて、少年も普通に登校していたらしい。
 それを聞いて、セレシュはなるほど、と頷いた。
「何かわかったのか、セレシュ?」
「まぁね。前回の件からIO2が早々に手を引いたんが気にかかってたんやけど、うちが思ってた通りかなって」
「どういうことだ?」
「もし、犬……名前はジョンって言うらしいんやけど、そのジョンを生き返すために少年と魔術でリンクさせていたなら、少年の命がジワジワ削られてるんやないかってね」
 犬のジョンは齢十七の老犬。
 ジョンの犬種では平均寿命が十三年ほどだと言う事を考えれば、かなりの長命である。
 だが、このジョンが一度寿命を迎えて死んでいたのだとしたら。
 そして少年が何らかの方法でそれを回避しようと、自分の命を分け与えているのだとしたら。
「若い子は生命力が旺盛やけど、一度死んだ老犬を黄泉返して、更に生存状態を継続させるって言うと、かなりの生命力を必要とするんよ。恐らく、今もすごい勢いで少年の命が削られてるんとちゃうかな」
「じゃあ早急に手を打たないとヤバいって事か」
「IO2はこのまま放置していても状況は収束すると思ってるんとちゃうかな。だから、ユリちゃんに継続して捜査をさせなかった……ありえん話ではないと思うけど」
 考えられる話ではある。
 IO2のエージェントも暇ではない。この魔都東京で放置して解決できる事件があるならば放置するだろう。
 だが、そんなセレシュの推論に、武彦は顎を押さえて考え込む。
「草間さん? どないしたん? なんか間違ってた?」
「いや、大筋間違っていないと思う。……だがまぁ、今のところIO2の事は横に置いておく。まずは俺に課せられた仕事をこなすさ」
 今はIO2の話よりも少年を助けなければいけない。
 そうしなければ寝覚めが悪いし、依頼報酬も入ってこない。
「じゃあ、続けてうちが報告するわ。うちが見た感じ、やっぱり少年と犬のジョンは魔力的に繋がってるで」
「でも、その魔術を施術したのは少年ではない、と」
 それは慎の集めた情報からも推察できるし、武彦と勇太が見た少年の部屋の様子からもわかる。
 少年は魔術知識を吹き込まれたわけでもないし、彼が独学で勉強したような風でもなかった。
 恐らくは『第三者』が魔術を施術しているはず。
「その魔術をどうにかしない限りは、少年は助からないって事だな。どうにか出来たりしないのか?」
「あざにかけられていた魔術は割かし簡単な魔術やけど……問題は別の所やね」
 セレシュが話した時の少年の様子を反芻し、彼女は渋い顔をする。
「あの子はあの魔術の効果を理解した上で、それを受け入れてるふしがあんねん」
「自分の命を削るような魔術を受け入れてるって事か?」
「それだけジョンが大切なんやろね。魔術のリンクを解除するのは簡単やけど、それで少年が悲しい思いをするとなると、ちょっと考えてまうわ」
「あー、セレシュさん、それはちょっとヤバいかもしれん」
 セレシュの言葉に、勇太が手を挙げて反応する。
「なにがまずいん?」
「俺はその魔術を施術した黒幕と、少年との契約内容を知れたんだけど……無理やりリンクを解除するとその契約内容に問題があるんだよ」
 勇太がテレパスによって知り得た情報である。
 それには契約の詳細が含まれていたのだ。
「契約は『犬の寿命の延長を少年の命でまかなう事』、だが『外部が原因による犬の死亡に関しては関知しない』。これが契約内容なんだけど」
「つまり、犬と少年のリンクを強制解除すると、その時点で犬の寿命が尽きて死ぬって事だな」
「そう。んで、契約完遂の暁には、少年の魂が持っていかれる。つまり、犬が死ぬと少年も死ぬ」
 少年との魔術リンクが切れれば、犬はその時点で延長されていた寿命を全うする。つまりその時点で死亡する。
 すると契約が完了となり、少年の魂は連れて行かれて死亡する。
 結果、無理やり魔術を解除すれば犬も少年も死ぬ。
 これでは依頼は成功とは言えない。
「じゃあどうしたらいいのさ?」
「これは俺が考えたんだけど、少年が犬に執着する気持ちをどうにかすれば、契約を破棄出来ないかな?」
 少年が契約を結ぼうと思った最初の動機を薄くしてやれば、契約を解除できないか、と考えたわけだ。
 しかし、それには武彦が首を振った。
「それは難しいんじゃないか? 今更契約をうやむやにしても、魔術の効果は発揮されてるわけだし、相手に報酬を払わないってのは道理が通らんだろ」
「じゃあ、報酬として別のモノを用意するとか」
 慎のなんて事ない発言で、周りの空気が止まる。
「あ、あれ? 俺、変なこと言った?」
「いや、そうやね……相手が交渉できそうなんなら、その手もありえるで」
「勇太、その契約相手ってどんなヤツなんだ?」
「ええと……大鎌を担いだ黒い影の……悪魔って名乗ってたかな」

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 後日、依頼人の家にて。
 少年の部屋に集まったのは勇太、慎、セレシュ、そして武彦。
 ついでに依頼人である母親と犬のジョンも同席し、この部屋にいるのは少年も含めて六人と一匹。
「さて、それでははじめようか」
 武彦の言葉を合図に、慎とセレシュが部屋内で魔法を操る。
 その間に武彦が少年に近づいた。
「さて、キミはとある悪魔と契約して、ジョンの寿命を延ばしているな?」
「……な、何のことですか」
「とぼけるのは構わんが、このジョンが人様に迷惑をかけてる事だけは自覚しておいて欲しいな」
 武彦から合図を受けて、慎とセレシュは走らせておいた術式の一つを発動させる。
 すると、ジョンの身体が見る見る膨れ上がり、部屋の一角を埋めるほどに大きくなった。
 いつぞや見た、魔獣の姿そのものである。部屋の構造上、大きさは些か控えめにしてはいるが。
 それを見て、少年と母親は驚いて声をなくしているようだった。
「このジョンの姿はキミが結んだ契約による副作用だ」
「ど、どど、どういう事ですか!?」
「生命力を魔力として受け取ったジョンは、その魔力を消化しきれずに持て余し、身体を変容させてしまい、さらにはそれが暴走してしまうとあの姿になって人を襲う。既に数人、人死にが出ている」
「そ……そんな……」
「本来の寿命を歪んだ形で延長すれば、こう言う不具合も出てくる。……厳しい言い方になるかもしれんが、キミがジョンを苦しめていると言っていい」
 そう言われて、少年は唇をかんだ。
 彼自身にもおかしな事をやっていると言う自覚があったのだろう。
 変わり果てたジョンの姿を見て、その罪悪感が噴出したのだ。
「キミが望むなら、ジョンを元に戻す事が出来る。俺たちはその準備をしてここに来た」
「……で、でも、ジョンが死んじゃったら……」
「キミの身の安全も保障する。どうかジョンのためにも、キミ自身のためにも、ジョンを解放してやってくれ」
 少年はしばらく悩んだ後、静かに首を縦に振った。
 するとその瞬間、部屋の中にもう一人の人影が現れる。
『困りますねぇ。勝手に人の契約者をたぶらかしてもらっちゃあ。悪魔みたいな人だ』
 その人影は大鎌を背負った真っ黒な影のような人物。勇太がテレパスで確認した悪魔だ。
 一行はすぐさま、母親と少年を守るように立つ。
 そんな様子を見て、悪魔はクツクツと笑った。
『警戒しなくても大丈夫ですよ。私は別に荒事をしに来たわけじゃないんですから』
「だったら、何をしに来た?」
『忠告をしに来たんですよ。あなたたちはその犬と少年のリンクを解除しようとしているらしいですが、それだとそこの少年の魂は私のモノになりますよ? 私としてはそれでも一向に構いませんが、せめて命尽きるまで二者を一緒にいさせてはあげませんかね?』
「人生には愛するモノの死を乗り越えなきゃならん時だってあるんだよ。悪魔にはわからんかもしれんがな」
 返答を受けて、悪魔はそれでもクツクツといやらしく笑うだけだった。
 ヤツの笑い方は癇に障るが、悪魔が姿を現してくれたこと自体は、一行にとって喜ばしい事だ。
 直接交渉が出来るのならば、立てた作戦もスムーズに進行できそうである。
「アンタがこの少年の魂を欲しがってる理由はなんだ?」
『人間には理解の及ばない理由ですよ。我ら悪魔は魂を色々な事に使用しますから……そうですね、あなたたちはどうして水を必要とするのですか? と尋ねられるのと一緒です』
「わかった、質問を変えよう。この少年の魂を諦める気はないか?」
『失礼ながら質問で返させていただきましょう。あなたは喉が渇いている時に水の入ったコップを差し出され、それでも諦めろと言われたら素直に従えますか?』
 なんとも皮肉屋な悪魔ではある。……だが会話は成立している。
 となれば、武彦にも戦う術はある。
「昔、どこぞのお姫様が言ったとされるセリフに『パンがなければケーキを食べればいい』と言うのがあるそうだ」
『それがどうしました?』
「お前もそうしてみたらどうだ? 『魂がなければ別の代用品を使えばいい』だろ」
『あなた方にそれが用意できますか?』
 武彦の意図を看破し、悪魔は楽しげに口元を歪める。
 武彦の方も話に乗ってきたのを見て、楽しげに笑った。
「セレシュ。例の物を」
「はい、これやね」
 セレシュが持っていたのは特殊な鉱石。
 彼女が異世界を渡り歩いて適当に拾ってきた……と言っては言葉が悪いが、この世界ではかなり貴重な石である。
 それを見て、悪魔は驚いたように口笛を鳴らした。
『これは興味深い。あなたがたは、これをどこで?』
「それは企業秘密やねぇ」
「で、この石で少年の魂の代わりとしちゃくれないか?」
 悪魔は石を興味深げに眺めた後、ニコリと笑う。
『いいでしょう、これまで犬の寿命を繋いだ分の契約料はこれでまかないます。契約を完遂したとみなし、少年と犬の魔力リンクを解除します。それでよろしいかな?』
「そうした場合、少年はどうなる?」
『私が彼から魂を奪う事はありません。ですが他の要因が降りかかっても、私は関知いたしません』
 今までは契約者として監視はしてきたが、今後はそれもなくなると言う事だろうか。
 とりあえず、すぐに生命力が枯渇するような事はなくなるだろう。
「じゃあ、契約成立だな」
『ふふふ、確かに。ではリンクを解除します』
 石を受け取った悪魔は人差し指をクルクルと回す。
 すると少年と犬につけられていたあざが溶けるように消えうせ、ジョンはすぐに床に伏せて目を閉じた。
 それを見て、今までベッドの上にいた少年は、モゾモゾと這い出てきてジョンの亡骸にすがりついた。
 すすり泣きとジョンを呼ぶ声を聞きながら、武彦たちは部屋を出た。
 いつの間にやら、悪魔もどこぞへと消えていた。

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「はぁー、なんとか荒事はなしで済んだなぁ」
 家を出た後、勇太が大きく伸びをする。
「悪魔が出てきた時はアイツとやりあうんじゃないかと思ってヒヤヒヤしたぜ」
「おにーさんは優しいねぇ」
 隣を歩く慎が笑みを見せてくる。
「あんな所で戦ったりしたら、いろんな人に迷惑がかかるもんね」
「それもあるけど、やっぱり強そうなヤツとはあんまり戦いたくはねぇよ。命が幾つあっても足りないと言うか……」
「それもそうだね」
 慎はあの悪魔の底知れぬ魔力について察知していた。
 それだけに今回、悪魔の前ではかなり警戒していたと言っていい。
 人知を超える存在は何度となく見てきたつもりだったが、アレは特別ヤバそうな悪魔であった。
「出来ればもう、出会いたくはないなぁ」
「俺も、そう願うよ」
 少年二人は肩を並べて、帰路へつくのだった。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1122 / 工藤・勇太 (くどう・ゆうた) / 男性 / 17歳 / 超能力高校生】

【6408 / 月代・慎 (つきしろ・しん) / 男性 / 11歳 / 退魔師・タレント】

【8538 / セレシュ・ウィーラー (セレシュ・ウィーラー) / 女性 / 21歳 / 鍼灸マッサージ師】

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■         ライター通信          ■
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 工藤勇太様、シナリオに参加してくださってありがとうございます。『わかりやすい伏線をまくのが好き』ピコかめです。
 プレイングの推理が全体的に見て、かなりの正答率だったので、ベストエンドでした。

 今回、勇太さんには俺的に一番の功労者賞を差し上げたい。
 何故だか今回、PCを一所に集める所からやたら苦労しまして、その点、勇太さんのプレイングは非常に役に立っていただきました。
 もっと小太郎に突っかからせたい気もしましたが、文字数的にアレだったので、次回機会があればやらせていただきたいと思いますよ。
 ではでは、次回も気が向きましたらどうぞ~。

カテゴリー: 01工藤勇太, ピコかめWR |