人妻アリー

典型的なショットガン・マリッジであった。
一夜の過ち。その重さをフェイトは今、背負っている。
ビシッと決めた、はずの黒いスーツの上から、幾重にも背負い紐を巻き付けながらだ。
「こ、こらこら。羽ばたいちゃ駄目だってば」
父親の背中に紐で拘束されたまま、赤ん坊が暴れている。小さな手足を振り上げつつ、小さな翼をはためかせている。
身体が、浮き上がりそうになる。フェイトは、踏ん張りながら歩かなければならなかった。
母親似の、元気な男の子である。
赤ん坊はよく天使に喩えられるが、この子の背中から生え広がっている翼は、天使の、と言うより猛禽のそれだ。
瞳は、緑色をしている。
父親から受け継いだのが、それだけであるのかどうかは、まだわからない。2、3歳になれば、もしかしたら何らかの能力が発現してしまうかも知れない。
何があっても、人の心を失わない。そんな子供に育てなければならない。
フェイトは父親として、決意を固めていた。膨らんだゴミ袋を2つ、左右それぞれの手で持ち運びながらだ。
「あら工藤さん。今日も、お子様連れで出勤ですか?」
ゴミ集積所で、近所の御婦人方が声をかけてくる。
「おはようございます。いやあ先輩、じゃなくて家内が忙しいもので」
「大変ですねえ」
「あの奥さんもねえ……悪い人じゃあ、ないんだけど」
皆、心の底から、フェイトに同情してくれている。
某県の、住宅街である。結婚し、日本で暮らす事になったのだ。
近隣の人々との関係は、まあ良好と言っていいだろう。哀れまれている、だけかも知れないが。
「幸せ……なんだよな? 俺って今……」
空を見上げ、フェイトは呟いた。
誰も答えてくれない代わりに息子が、後ろからフェイトの頭をぺしぺしと叩いた。

 

 

特売日である。
肉が安い。野菜が安い。豆腐も納豆も生麺も雑貨も、何もかもが安い。
要するに、安く売れる物を普段、少し高めに売っているというわけだ。
「そいつぁサギじゃねーのかあ? ったくよー」
文句を言いながらもアリーは、特売品を次々とカートに放り込んでいった。
自分だけではない。客は皆、殺気立っている。ほとんどが、主婦とおぼしき女性たちだ。5円でも10円でも安い商品を求め、店内を奔走している。まるでフン族やタタール人の略奪大移動を思わせる光景だ。
たかだか5円10円の値引きに目の色を変える人々。結婚前のアリーであったら、鼻で嘲笑っていたところであろう。彼女たちが何故こんなにも目に色を変えているのか、今ならばわかる。
「旦那の稼ぎが、少ねえんだろうなあ……」
IO2は、寿退職する事となった。
妊娠した時点で、共働きという選択肢は消えて失せた。産休・育休などという制度とは無縁の職場であるし、そこまでして続けたい仕事でもない。元々、仕事というものが大嫌いなのだ。
「クソったれな仕事は、おめえに任すわ。マイダーリン」
給料の出ない家事も育児も、愛する夫のためなら頑張れる。
最初はそのつもりだったし、今でもそう思っている。
だが結局、育児の方は夫に任せる事になってしまった。
生まれたばかりの子供をアリーが1度、食べてしまいそうになったからだ。
「だ、だってよォ……あんまり可愛かったから、美味そうだったから……」
日本向け輸出承認の牛肉パックを片手に、アリーは呟いた。
自分の身体から出て来たばかりの息子は、こんなものよりも、ずっと美味しそうに見えたものだ。
レジの方から、喚き声が聞こえた。
「何でビール券使えねえんだよ! おう!」
喚いているのは、中年の男性客。おどおどと応対しているのは、若い男の店員である。
「お、お酒1つでも入ってないと、ビール券使えないです、すみません」
日本語が若干ぎこちない。
中年男が、なおも激昂する。
「すみませんじゃねえよ! 何だテメエ、日本人じゃねえな!? おい責任者、何こんな奴雇ってんだよクビにしろクビに! 日本人で職ねえ奴が何万人いると思ってやがんだオイごるぅあ!」
耳障りこの上ない罵声が、店内に響き渡った。
アリーは、ナイフを振るって黙らせた。
「ガタガタ喚いてんじゃねえぞ腐れジャップ……てめえらなんざぁ、あたしらから見りゃあ他のアジアンと大して変わりゃしねーんだよクソボケ!」
吼えながらアリーは、現役時代と何ら変わらぬ手つきでナイフを操り、中年男を切り刻んだ。
「黄色は黄色同士、ちったあ仲良く出来ねえのか×××野郎ども!」
「あ、やめて、それ以上いけない……」
怒鳴られていた若い男性店員が、おろおろと言う。
時すでに遅く、中年男は細切れになっていた。

 

 

「虚無の境界が、世界を支配する!」
どこかフェイトと似ている少女が、真紅の瞳を燃え上がらせ、叫んでいる。
いくらか際どい衣装に細身を包み、たおやかな右手でビシッ! と鞭を鳴らしながら、号令を下している。
「愚かなる人類に、滅びを! そして救いと霊的進化をもたらすために! さあ、やっておしまい!」
虚無の境界の生体兵器たちが、唱和するかの如く雄叫びを上げる。
フェイトは、とりあえず言った。
「あんた……キャラ変わってないか?」
「何の話かしら。それよりフェイト、噂は本当だったのね」
少女の高飛車な口調が、いくらか和らいだ。
「私たちの作戦を、ことごとく潰してくれる、子連れエージェントの噂……まさか本当に、貴方だったなんて」
「子供預けておける場所も、ないんでね」
息子の下半身に、新しいおむつを巻き付けながら、フェイトは言った。
虚無の境界の生体兵器・アノマロカリス男が笑う。
「IO2が託児所なんか世話してくれるワケねーもんなあ、ゲヘヘへヘ」
「あんなブラックなとこ辞めてよォ、虚無の境界に入っちまいなあ。産休も育休もバッチリ確保出来るぜぇー」
メガロドン男が、そしてハルキゲニア男が言う。
「我らが盟主様・御直営の保育園に、お子様を預ける事も出来ますよ? 次代を担う子供たちに、破滅のエリートとしての基礎教育を」
「……気持ちだけ、もらっておくよ」
応えつつフェイトは、息子の小さな口に哺乳瓶をくわえさせた。
「ごめん……もしかして、待っててくれてる?」
「ああ、私たちの事なら気にしなくていいのよ」
少女が本当に、気の毒そうな声を発している。
「子供の面倒、ちゃんと見てあげなさいね。私たちはその間、幼稚園バスでも襲って来るから」
「ちょっくらダムに毒入れてくらあ」
「殺人ビールスを、まき散らして参ります」
「有名な博士さらって来るぜえ」
「……大人しく待っててくれないかな。贅沢言って悪いけど」
フェイトは溜め息をついた。
戦う前だと言うのに、すでに何らかの攻撃を受けたかの如く、頭が痛かった。

 

 

スーパーは出入り禁止になってしまった。
買い物は出来なくなっても、しかしまあ肉を入手する手段はある。肉の方から、出向いて来てくれた。
住宅街に、野生の猪が現れたのだ。
「それがどうした……アメリカじゃなあ、街中にグリズリーが出て来やがる事だってあるんだぜええッ!」
吼えながらアリーは、突進して来た猪を、左右の細腕で捕え絞め上げた。
頸骨の折れる感触が、二の腕の辺りに伝わって来る。
見物をしていた近所の主婦たちが、拍手をしてくれた。
「さすがねえ。工藤さんがいてくれると、ほんと心強いわあ」
「旦那さんはちょっと頼りないけど、頼もしい奥さんがいるから安心よねえ」
「いやいや。うちの旦那、ああ見えて結構強いんスよ?」
仕留めた猪を担ぎ上げながら、アリーは愛想笑いを見せた。
いわゆる「ママ友」という人々である。良好な関係を、保っておかねばならない。
「あら? その強い旦那さん、帰って来たわよ」
主婦の1人が言った。
翼の生えた赤ん坊が、ぱたぱたと飛んで来たところである。何やらボロ雑巾のようなものを、小さな両手で引きずりながらだ。
「ああん、お帰り! マイベイビー&マイダーリン!」
アリーは駆け寄り、息子を抱き締め、頬擦りをした。
「ん~……お前ってホント可愛いなあ。美味そうだにゃー」
「た……食べちゃ駄目ですよ、先輩……」
ボロ雑巾が声を発した。フェイトだった。
立って歩く事も出来ずにいる夫を、アリーは胸ぐらを掴んで引きずり起こした。
「おめーよォ、女房に向かって先輩はねえだろ先輩は。愛しのアリーって、ちゃんと呼べるよなあ? なあ? なあ?」
「い、愛しのアリー先輩……あの、肋が折れてるんで……もうちょっと、優しく扱っては、いただけませんでしょうか……」
「怪我なんざぁ、あたしの手料理で栄養付けりゃ一晩で治っちまうよ」
アリーは左手でフェイトを引きずり、右腕で猪を担ぎ上げた。
「スキヤキにしようかと思ったんだけど、ちょいと牛肉が手に入んなくなっちまってさあ。ま、猪でもイケるだろ」
「また……スーパー、出禁になっちゃったんですか……」
引きずられながら、フェイトが呻いた。
「こんなんじゃ、また引っ越さなきゃいけなくなっちゃいますよ……」
「男が細けえ事気にすんな。お前、幸せだろ? 幸せなら出禁や引っ越しの10や20、何て事ぁねえよなあ?」
ボロ雑巾のようになった夫の身体を、アリーは容赦なく揺さぶった。
「なあマイダーリン、幸せだよなあ? なあ? なあ?」

 

 

「……なるほど、それがお前の初夢か」
グラスを片手に、彼女は苦笑した。
アリーが片手間に経営している、安酒場である。
客のいない店内で、彼女はアリーと共に新年を祝っていた。
「人の恋路を邪魔する奴ぁ……鳥に突つかれて死んじまえ……だっけ? 日本のコトワザだよなああ」
アリーはすでに、半ば酔い潰れている。
「あたしのフェイトを、勝手に日本なんぞに飛ばしやがってよお……上層部のクソったれども! 1人残らず、突っつき殺して鳥葬だぁー! ひっく」
「あたしのフェイト……か。お前、素面でもそれを言えるか?」
「言えりゃ苦労ねーんだよォオオオオ!」
アリーは泣き出し、カウンターに突っ伏した。
その背中を、彼女はそっと撫でてやった。
「辛いのは、今だけだ。時が経てば……昔飼っていた犬や猫、程度の思い出でしかなくなる」
自分にとって、あの男はそうだった。
「それまで、せいぜい泣いておけ……」
自分は泣きもしなかった、と彼女は思った。

 

 

フェイトは目を覚まし、上体を起こした。
見回してみる。
三つ目入道が、カラス天狗が、ぬりかべが、猫又が、あちこちで酔い潰れ、いびきをかいている。
あの狛犬兄弟の声かけで集まった、妖怪たち。よく見ると、あやかし荘の面々もいる。
フェイトの帰国祝い、それに忘年会と新年会。全てを兼ねた宴が、催されていたところである。フェイトも、いつの間にか酔い潰れてしまっていたようだ。
「おお勇太どん、お目覚めかね」
油すましが、声をかけてきた。
「顔色が冴えないね。二日酔いなら、お薬あるよ」
「いや……そうじゃないんだ」
フェイトは頭を押さえた。頭痛がする、わけではないのだが。
「何だろう……すごく変な夢を見た、ような気がする」
「いけないね勇太どん。メリケンで、おかしな妖怪に取っ憑かれたんじゃないのかい?」
「そうかも知れない……」
ジーンキャリアも妖怪も、大して違いはないだろう、とフェイトは思った。

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大空高く

行くのなら、アメリカに骨を埋める覚悟で行け。叔父は、そう言っていた。
 普段は温厚だが、中途半端を何よりも許さない人物だった。
 アメリカへ行く本当の理由を、叔父には話していない。甘ったれた若者にありがちな、自分探しの旅。そんなふうに思われていたかも知れない。
「自分探し……みたいなもんだったのかな、ある意味」
 呟きながらフェイトは1人、IO2アメリカ本部の、特に人気のない一区画を歩いていた。
 この先に、飛行場があるのだ。
 IO2他国支部のエージェントが、緊急で飛んで来なければならない場合もある。そういう時のための飛行場だが、事情でアメリカ国内に居場所をなくしたエージェントを密かに国外脱出させる際にも使用される。
 フェイトでなくとも、そういう者が何年かに1人や2人は出てしまうらしい。
「……我の強い奴が多いだろうからな。IO2エージェントなんてのは」
 エージェントネームを持つ者たち、だけではない。
 このアメリカ本部という職場でフェイトが出会った者たちは皆、良くも悪くも自己主張のはっきりとした男女ばかりであった。
「疲れる奴ら……ばっかりだったよな、まったく」
 フェイトは苦笑した。自分はまさか、寂しさを感じているのだろうか。
 IO2アメリカ本部から日本支部への転属。形としては、そうなった。
 厄介払いという一面もなくはなかろうが、日本へ帰ります、と言ったのはフェイトの方である。
 それよりも、気になる事が1つあった。
 日本支部がフェイトの転属を受け入れる条件、のようなものであろうか。
 日本では、とあるエージェントの直属の部下となる事。
 それがフェイトに与えられた、恐らくアメリカでの最後の命令である。
 その新しい直属の上司が何者であるのか、フェイトはまだ知らない。飛行場で、本人の方から接触して来るという。日本支部所属の、曰く付きのエージェントらしいが。
(まさか……あんたじゃないだろうな)
 日本支部のエージェントでフェイトが思い当たる人物と言えば、今のところ1人しかいない。
 以前、1度だけ帰国した際に、彼とは作戦行動を共にした。動く弾除けとして、便利に扱われた。
 もし本格的に日本へ帰って来るような事になったら、覚悟しとけよ。彼は、そう言っていた。
 今の東京は、魔界や地獄の類と同じだ。東京怪談なんて言われるくらいにな。妖怪やら悪魔やら異世界人やらが、どういうわけか東京にばっかり集まって来やがる。日本支部のエージェントもな、はっきり言って魑魅魍魎みたいな連中ばっかりだ。俺なんて可愛い方だぜ……と、可愛くもないその男は言っていた。
 飛行場が、見えてきた。
 フェイトを日本へと運んでくれる小型ジェット機が、どうやら離陸準備を終えたところである。
 が、すぐには出発出来そうもなかった。
「おおいフェイト! 何やってんだてめえ!」
 同僚が1人、走り寄って来たからだ。
「何おめえ俺らに黙って帰ろうとしてやがんだ! 僕にはまだ帰れる場所があるんだってか!? 俺らはアレか、乗り捨てられたコアファイターと同じ扱いなのかあああああ!」
「落ち着け、何を言ってるのかわからん……って言うか、何でお前がここに」
 突然の日本支部転属を知っているのは、アメリカ本部におけるフェイトの直接の知人では、あの女性上司と教官だけであるはずなのだが。
「騒ぐなよ。行かせてやれって。男は、1人で行くものさ」
 もう1人の同僚が、わめく相方をたしなめている。
「フェイト君は日本に帰って、歌以外は何でも日本一の男になるんだもんな? ある意味、歌も日本一だけど」
「お前も何を言ってるのかわからん。とにかく、ちょっと待てよ。落ち着け」
 今、最も落ち着きを欠いているのはしかし、フェイト自身であった。
 この同僚2名だけではない。
 これまで直属の上司であった女性がいる。教官もいる。
 その他、顔見知りのIO2本部職員が、ほぼ全員いる。
「こ、これは一体……」
「どれほど極秘にしていても、噂は流れてしまうものでな」
 女上司が、苦笑している。
「お前がいなくなった後の事後承諾では皆、納得しない……暴動が起こりかねん。だから連れて来た」
「まあ俺も含めての話だが、納得してる奴なんて1人もいねえ」
 教官が言った。
「フェイト……こんな事に、なっちまって」
 すまねえ、などと言われる前に、フェイトは話題を変えた。
「教官。俺、あの子と会うと思います。どこかで、きっと……何か伝えておく事、ありますか?」
「……俺たちの事なんて、思い出さなくていい」
 教官は、フェイトに言伝を託すと言うより、この場にいない少女に直接、語りかけていた。もちろん、届かぬ声だ。
「だけどな、お前の妹には会いに来い……あいつが、お前を追い抜いて大人になっちまう前にな。そうなったらお前、もう姉貴面なんて出来なくなるんだぞ」

 機内でフェイトを待ち受けていたのは、初対面ではない1人の男だった。
 その姿を見た瞬間、フェイトは思った。この男とは嫌でも長い付き合いになるかも知れない、と。
「あんた……なのか? まさか俺の、新しい直属の上司って」
「迷惑そうだな。まあ、俺も迷惑だ」
 数少ない座席の1つに身を沈めたまま、フェイトの方を振り返ろうともせず、ディテクターは言った。
「扱いにくそうな部下を押し付けられて、大いに難儀しているところさ」
「……任務中なら、あんたの命令には従いますよ。いい部下になれるよう努力します」
 フェイトは荷物を床に置き、敬礼をして見せた。
「エージェントネーム・フェイト、工藤勇太。これよりディテクター隊長殿の指揮下に入ります。御命令を」
「では命令その1、隊長はやめろ。その2、敬語もやめろ。その3、いいから座れ。突っ立っていられると落ち着かん」
 言いつつディテクターが、ようやくフェイトの方を見た。
「……随分と大荷物だな。身1つで世界中どこへでも行ける奴だと思っていたが」
「それはあんた。ま、出発直前に思わぬ荷物が増えちゃってね」
 少し離れた席に腰を下ろしながら、フェイトは応えた。
 それほど多くない私物を詰め込んだ中型のトランク。その他に1つ、パンパンに膨らんだボストンバッグが追加されたのだ。
 見送りに来てくれた本部職員、の女性たちからの餞別である。
 中身はクッキーやチョコレートといった菓子類で、手作りのものもあれば市販の高級品もある。
 驚愕の事実を1つ教えてやろう。女上司が、別れ際にそう言って笑った。
 お前、実は女性人気がとてつもなく高いのだよ。お前を思うあまり、別れが辛くてここへ来ていない者もいる。そいつの分まで、まあせいぜい頑張るのだな。
 そんな言葉を思い出しつつ、フェイトは窓の外を見た。
 すでに離陸している。見えるのは、空と雲だけである。
 同じように雲海を見つめながら、ディテクターが言った。
「俺とお前は1度、本気で殺し合った事がある。覚えているか?」
「忘れるわけがない」
 グランド・キャニオン大峡谷の、古代遺跡。全ては、あそこから始まったのだ。
「……よく俺に殺されず生き残ってくれた。あそこでお前が死んでいたら、ナグルファルを動かせる奴は1人もいない。今頃アメリカ全土が、チュトサインに蹂躙されていたところだ」
「もう懲り懲りだよ。あんたと殺し合うのはね」
「そんな暇はなくなる。忙しくなるぞ、覚悟しておけよフェイト」
「……日本で、何か起こってるのかな。もう」
「虚無の境界と少しばかり縁の深い製薬会社がある。そこが最近、どうもな」
 ディテクターの名にふさわしい調査を、行っているところなのであろう。
「……帰ったら即仕事、という事にもなりかねん。移動中に、少しでも眠っておけ」
 サングラスの下で、ディテクターは目を閉じた。寝息が聞こえてきた。
「どこででも眠れるのがプロ、って事か……」
 フェイトも目を閉じた。
 眠れなかった。
 いくらか小腹が空いている、せいかも知れない。
 フェイトは、餞別の詰まったボストンバッグに手を伸ばした。
 ボストンバッグは、すでに開けられていた。
「うまし、クッキーうまし」
「あめりかは、おかしのくになのだ!」
 フェイトに贈られたはずのクッキーやチョコレートを、遠慮容赦なく幸せそうに食い尽くしてゆく、白い小さな生き物が2匹。
 純白の和装。その尻の部分からふっさりと伸びた、豊かな尻尾。
 赤毛と金髪の中からピンと立った、獣の耳。
 狛犬の兄弟であった。兄の羅意と、弟の留意。
 教官の家で、教官夫妻にと言うよりあの少女に、飼い犬として扱われていたはずだが。
「お前ら、何でここに……って全部、食っちゃったのかよ!」
「お供え物は残さずいただくのが、神としての礼儀なのだぞ」
 羅意が、偉そうに言った。
「これで、ゆう太にも御利益があるのだぞ」
「ゆう太には、われらがついてるのだ! だから、どこへ行ってもだいじょうぶなのだ!」
 留意が、ぴょこんとフェイトの膝に乗った。
「おまえは、われらがついてないと、すぐにばかをやらかすのだ」
「我らは、ゆう太の守護神なのだぞ」
 羅意が、座席の背もたれの上に立ち、尊大にフェイトを見下ろした。
「だから安心して、もっと我らを崇め奉ると良いのだぞ。次はアイスクリームをお供えすると良いのだぞ」
「いいから下りなさい。ちゃんと座れ、危ないから」
 羅意の小さな身体を、フェイトはひょいとつまみ上げて隣の座席に置いた。
「まったく……教官たちに、黙って出て来たのか? 確かに、あそこは元々お前らの家じゃないけど……きっと寂しがるぞ。教官も、奥さんも」
「……あのいえには、あかんぼうがいるのだ」
 留意が、続いて羅意が言った。
「あの夫婦は、我らなど可愛がってる暇があるなら、自分たちの娘に愛情を注ぐべきなのだぞ」
「そうか……そうだな」
 膝の上にいる留意の頭を、フェイトは軽く撫でた。
「なりは小さいけど、独り立ちした神様だもんな。2人とも」
「……あかんぼうに、へんなものを持たせていったのだ」
 撫でられながら、留意が呟く。
「きらきらした……ほうせき? なのだぞ」
「何が?」
「あやつ、自分の妹にそんなもの持たせて、出て行ってしまったのだぞ」
 羅意の言う『あやつ』が誰の事であるのかは、訊くまでもない。
 キラキラとした宝石のようなものなら、フェイトも贈られた。あの少女からだ。
 贈られたその場で、砕け消えてしまったのだが。
「だが我ら、そんなもので、ごまかされはしないのだぞ」
 羅意が、小さな拳を握った。きらきらとした黄金色の瞳が、燃え上がった。
「あやつを捕まえて、妹に会わせるのだ!」
「あやつ、わかづくりのくせに、おとなぶってかっこうつけて、ひとりででていってしまったのだぞ」
「まったく、若作りはしょうがないのだ。若作りわかづくり、わっかづっくり♪」
「わっかづっくり、わっかづっくり♪」
「わははは、わっかづっくり! わっかづっくり! ノリはよくても、けしょうはのらない♪」
 フェイトは慌てて見回した。
 今、この場にあの少女が現れたとしたら。この兄弟のみならず自分もディテクターも命はない。
 そんなフェイトの思いも知らず、小さな狛犬の兄弟は楽しそうに歌いはしゃいでいる。
「まったく……いつも楽しそうだよな、お前らは本当に」
 久しぶりに日本へ帰るのが、確かに嬉しくはあるのかもしれない。
「お前ら……そう言えば、お姉さんがいるんだよな? 久しぶりに会えるんじゃないのか」
 楽しそうに、本当に楽しそうにはしゃいでいた兄弟の動きが、ピタッと凍りついた。
 まるで、時が止まったかのようである。
 時が止まるほどの衝撃を、フェイトの言葉は彼らに与えてしまったらしい。
「何だ……ど、どうした?」
「……良い感じに……せっかく良い感じに、忘れかけていたのに……」
 羅意が青ざめ、震え上がった。
「なんとゆう事を思い出させるのだ……」
「おこってる! あね上たち、ぜったいおこってるよー!」
 留意が、泣き出した。
 狛犬は、縄張り意識と言うか土地意識の強い種族である。そんな話を、フェイトは聞いた事があった。
 自分たちの土地から、勝手に出て行ってしまう。許可もなく異国へと渡る。
 これが狛犬族の中で、どれほどの罪であるのか、人間のフェイトには想像もつかない。
「雷神様と風神様に、かくまってもらうのだ!」
「だめだよー。おふたりとも、あね上にみついでるよー。あね上に、さからえないよー」
「で、では我らも貢ぐのだ。お菓子を貢いで、許してもらうのだ」
「あに者あに者、おかしはぜんぶたべてしまったのだ……」
「あわわわわわ、つっ吊るされる! また吊るされるぅー!」
「こんどは、それだけじゃすまないのだ……きっと、ほねの2、3本はたべられてしまうのだ……」
 羅意と留意が、小さな身体をさらに小さくして震え上がり、座席の上で身を寄せ合っている。
 教官の家で、あの少女に飼われていた時と、あまり違いはない。
 この兄弟は、こういう星の下に生まれついてしまったのかも知れない、とフェイトは思った。

 航空機らしきものが、東から西へと空を横切って行く。
 フェイトが乗っているのか、いないのか。そんな事はどうでも良い、と彼女は思った。
 1人、ゴールデンゲートブリッジの主塔頂点に腰掛け、翼を畳み、ボンベイ・サファイアを呷るだけだ。
 これをストレートで飲むくらいなら、消毒用アルコールを一気飲みした方がまだましだ。常日頃、そう思っていた。
 だが今は、とてつもなく不味い酒を飲んでいたい気分であった。
「高く、たかぁく舞い上がって……石ころみたく落っこちる、と」
 歌ってみる。
 これほど自分にふさわしい歌はない。今ほど、そう思った時はない。
「何もかんも粉々にぶっ壊して、大空高くブチまける……と、そうゆうワケだ」
 笑いながら、彼女は涙を流していた。
 ボンベイ・サファイアのストレート飲みは、本当に泣けてくるほど不味いものだ。

カテゴリー: 02フェイト, season5(小湊WR), 小湊拓也WR(フェイト編) |

虫愛づる若君、来たりて去る。フェイトも去る。

目が覚めた。
 そこが病室である事は、まずわかった。
 わからないのは自分が何故、倒れたのかという事だ。何も、思い出せない。
「改良の余地が、大いにあるようですねえ……3日間も意識を失うほど、ダメージが残ってしまうとは」
 聞き覚えのある、若い男の声。
 フェイトは、ベッドの上で上体を起こした。
 来客用の椅子に座り、長い脚を優雅に組んでいる1人の青年。その一癖ありそうな笑顔が、まず視界に入った。
 褐色の肌。眼鏡の下で抜け目なく輝く、黒い双眸。
「ダグ……」
「もちろん改良はいたしますよ、フェイトさん。貴方が身体を張って取得して下さった戦闘データ、無駄にはしません」
 ダグラス・タッカーが、一方的な話を始めた。
「我が社では現在、方針を決めかねているところでしてねえ。あの戦闘スーツを、大量生産するべきか否か……私としてはフェイトさん、貴方のような優れた戦闘要員のみに装着が許される希少品であるべきと思っています。が、誰でも着用出来る手軽な量産品として売りさばこうという商業的思考を無視する事も出来ません。企業ですからね」
「……それはまあ、そっちで好きなようにやればいい。それより英国紳士」
「デザインは迷いましたよ、本当に。結局カブトムシに落ち着いたわけですが、昆虫類はまさしく兵器モチーフの宝庫ですからねえ。彼らほど完成された戦闘生物は、この地球上に存在しません」
 眼鏡の下で、ダグの両眼がキラキラと輝いている。
 まるで大きなカブトムシでも捕まえた、小学生の男の子のようにだ。
「例えば、そう蟻! 自分の何倍も大きなミミズの死骸などを1匹で引きずり運んでいるところ、フェイトさんも見た事はありませんか? 少なくとも人間は、自身の何倍も重い物体を運びながらの長距離移動など、まあ出来る人もいるかも知れませんが希少ですよね。働き蟻は、ほぼ全ての個体がそれをやってのけるのですよ! 彼女たちが人間サイズ、いえ仔犬ほどのサイズであったとしても、もはや力で勝てる生物など存在しないでしょうね」
 男の子という生き物は、基本的に昆虫が大好きなのだ、とフェイトは思った。
「そういうわけで、カブトムシにするべきか蟻にするべきか大いに迷いましたよ。ヒーローとしてのわかりやすさで結局、前者に軍配が上がりました。アメリカ人という方々にアピールするためには、いささか幼稚なヒーロー性も重要視しなければなりませんからね……だけど蟻がモチーフの戦闘スーツ、いつか作ってみたいですねえ。特に日本人であるフェイトさんにはふさわしいと思いませんか。ああ別に日本人の方々を働き蟻などと揶揄しているわけではありませんよ? だけど日本人はある意味、世界で最も力持ちな民族です。強固で安全な社会を造り上げ、これを勤勉に守り抜き維持してゆくという点においては、最強の昆虫類である蟻たちに通じるものが」
「そこの小学生男子、そろそろ黙れ」
 言いつつフェイトは、ちらりと視線を動かした。
 病室の片隅で男が2人、倒れている。
 スーツ姿の、体格の良い白人男性。両名とも、片手に拳銃を握ったまま意識を失っている。
 死んでいる、わけではないようだが、しばらくは目を覚まさないだろう。
「……まず、あれについて説明して欲しいんだけどな」
「アメリカ政府の、関係者の方ですよ。フェイトさんも本当はわかっておられるのでしょう?」
 小学生男子の眼差しが、怜悧なIO2エージェントの眼光に戻った。
「……御自分が、監視されているという事」
「まあな……」
 ナグルファルの操縦者として、様々な意味において注目はされていた。
 いくらか状況を思い出してきた。
 ナグルファルは、大破したはずである。中枢であった者たちも、完全にこの世から失われた。残骸を集めたところで、もはや修理など不可能だ。
 それでも自分が、政府の監視を受けている理由とは一体、何なのか。
「今どのような事になっているのか……フェイトさんにも、想像はついておられると思いますが」
 ダグが、テレビを点けてくれた。
 破壊された街並を背景に、レポーターが喋っている。
『オレゴンを襲った巨大ハリケーンはその後、急速に勢力を弱めながら東に進み、グレートプレーンズを通過する途中で完全に消滅した模様です。一方、被害の最も甚大なオレゴン・ゴールドヒル近辺では、州軍が昼夜兼行で救助活動に従事しているものの……』
「巨大ハリケーン……って事になっちゃったのか」
「まあ情報操作やら記憶処理やらで、いろいろとね」
 ダグが、曖昧な笑みを浮かべている。いくらか嘲笑に近い笑顔でもあった。
「あの巨大な怪物によって家を破壊され、家族を殺され、絶望を抱いたまま生き残ってしまった人々を、そんなものでごまかせると思っている辺りが……何とも、ね」
 その嘲笑は、IO2上層部に対してのものか、それとも米国政府か。
「フェイトさん、本気で転職を考えてみませんか」
「IO2辞めて……あんたの会社に入れって?」
 以前も、同じような事を言われた。
「気持ちだけ、もらっとくよ。知り合いが社長って、何かちょっと気まずい職場になりそうだからな」
「IO2アメリカは、貴方を政府に売り渡すつもりです」
 ダグの整った顔から、笑みが消えた。
「ですからフェイトさんには、本当は我が社に来ていただけるのが、保護しやすさという点においても最も良いのですが……せめて、このアメリカという国から出る事を考えて下さい。世界最強国家の面目を保つためには手段を選ばない、この国からね」
「ダグは……ひょっとして、このアメリカって国を嫌ってる?」
「アメリカ好きなヨーロッパ人なんて、いませんよ。だけど私が本当に許せなく思っているのは、IO2アメリカ本部という組織……その上層部の、悪知恵だけは働く一部の人々だけです。末端には、貴方やあの空飛ぶレディのように趣き深い方々が大勢いらっしゃいますが」
「先輩と、会ったんだ?」
「ある意味、フェイトさんより御活躍でしたからね」
 それはそうだろう、とフェイトは思う。自分はナグルファルを動かしていただけだ。
 あの先輩は、生身で飛び回り、怪物たちと戦いながら瓦礫を押しのけ、人々を助けていた。戦闘とレスキューを、同時に行っていたのだ。
「彼女のおかげで、しかしジーンキャリアという戦力の有用性が、注目されるようになってしまった……のかも知れません」
「どういう意味……」
「生き残った、トロールやミノタウロスといった怪物たちを、密かに捕え集めている輩がいるのですよ。ジーンキャリアのような生体兵器を大量生産しようとしている、のでしょうかね」
「まさか、虚無の境界が……それともIO2?」
「同じようなものでしょう。そうは思いませんか」
 虚無の境界とIO2が、上層部のどこかで繋がっている。
 以前、1度だけ日本へ帰った時から、フェイトがずっと抱き続けている疑念である。
「とにかく、その方々は同時に……霊魂をも、集めているようです。今回、犠牲になった人々の霊魂をね」
「霊魂を……」
 あのチュトサインも、言ってみれば霊魂の集合体であった。
 実体なき霊魂で、物質的な破壊をもたらす怪物を造り出す事が出来る。それが今回、証明されてしまったわけだ。
「IO2アメリカが……そんな事を、やろうとしてる?」
「のであるとしたら私は、タッカー商会の財を注ぎ込んででも止めますよ。アメリカという巨大市場をこれ以上、怪物の類などに蹂躙・破壊されるわけにはいきませんからね……商会の伝手を使って、IO2ヨーロッパ全支部を動かす事になるかも知れません。欧州・米国のIO2エージェント同士が、争い殺し合う」
 ダグは立ち上がった。
「そんな事に貴方が巻き込まれるのは、許せません……1日も早く、アメリカを離れて下さい」

 本日、2人目の見舞客である。
「聞きましたよ教官……逮捕、されたんですって?」
「軍の連中と、やり合っちまったからな」
 先程までダグが座っていた椅子に、たくましい身体を座らせたまま、教官が微笑む。
 弱々しい笑顔だった。これほど元気のない教官を見るのは、初めてだ。
「……釈放されたんですか?」
「脱走して来た。その後、釈放って事になった。脱走されたまんまじゃ、軍の面子が立たねえからな」
 逃げられた、のではなく釈放してやった、という形を作らなければならなかったのだろう。
「あいつが、俺を助けてくれたよ。脱走させてくれたし、追っかけて来た兵隊を眠らせてもくれた」
 あいつ、というのは、形としては教官の娘という事になっている、あの少女であろう。
 フェイトにとっては、魂を分けてくれた恩人でもある。
「彼女は、そのまま……?」
「……ああ。いなくなっちまった」
 うなだれたまま、教官は言った。
「あいつはな、その気になりゃあどこにでもいるし、どこにもいねえ……俺なんかの監視下に、置いとけるわけがねえんだよ」
 元気を出して下さい、などと軽々しく言える事ではなかった。
「……ま、そんな事ぁどうでもいい。フェイト、お前が目ぇ覚ましちまったからな。いろいろ慌ただしくなるぞ、覚悟しとけ」
「俺……どうなっちゃうんですか?」
「上層部がな、お前を政府に売り渡そうとしてやがる」
 ダグと同じ事を、教官は言った。
「何しろ、お前はアメリカを救っちまったからな……情報操作やら記憶処理なんぞで、いつまでも隠しとけるもんじゃねえ」
「そんな……俺は別に、この国を救ったなんて」
「お前自身がどう思うかは問題じゃねえんだよ。いいか? IO2ってえ独立した組織の1エージェントが、この国を救っちまったんだ。あのバケモノ相手に何にも出来なかった軍の連中はもちろん、政府だって、面目丸潰れってもんだろ」
 面子、面目。それが一国の政府にとって、いかに重要なものであるか、フェイトも全く理解出来ないわけではなかった。
「だから政府は、ナグルファルを横取りしようとしてやがった。お前もろともな。そうなる前に、まあ結果としてIO2が事を片付けちまった。何度も言うが、政府の面目は丸潰れだ。潰れちまった面子を立て直すにゃ、どうすればいいと思う?」
「俺が……実は最初から政府の直属だったって形を?」
「そういう事だ。あのバケモノを倒したのは、IO2じゃなくてアメリカ政府。そういう形にしなきゃならねえって事よ……だから奴ら、今からでもお前の身柄を狙って来るぞ」
 狙われたら戦うまでだ、とフェイトは言いかけた。
 IO2所属の自分が、政府を相手に戦う。
 そんな事になれば、この教官のみならず彼の家族にも、あの女上司にも、同僚たちにも、迷惑どころではない災いが及ぶ。
 教官が、頭を下げた。
「すまねえフェイト……本当に、すまねえ」
「やめて下さい教官……いいんですよ。俺もう、そのつもりでしたから」
 教官は、まず誰よりも家族を守らなければならないのだ。
「俺、日本へ帰ります……今まで本当に、ありがとうございました」

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天使を見た日

1つ、嘘をついてしまった。
「ごめん……俺、まだプロになったわけじゃねえんだ」
 1人、某県の山林を彷徨いながら、馬場隆之介は呟いていた。
 先程、山麓のホテルで、高校時代の親友に出会った。
 その際「プロの雑誌記者になった」などと豪語してしまったのだ。
 現在、就職試験中である。プロの雑誌記者になれるかどうかは、この結果次第だ。
「化け物を作ってる工場、ねえ……」
 日本政府が密かに開発を進めていた、生体兵器の製造施設。
 月刊アトラスの編集長は、そう言っていた。
 当然、そんなものがあるわけはない。
 なくても見つける。そして記事を書く。
 それが出来てこその記者であり、それが出来るかどうかの試験なのだろう、と隆之介は解釈している。
 スクープを取って来たら正式採用してやる。編集長は、そう言ってくれた。
 オカルト、宇宙人、怪奇現象。そういった方面の雑誌である。
 偏見は持つまい、と隆之介は己に言い聞かせ続けた。内容はともかく、それなりに売れている雑誌である事に違いはない。
 一生懸命という言葉は、いささか古臭いと隆之介は思う。
 だが一生懸命としか言いようがないほど、就職活動は真剣にやった。
 全滅だった。
 都内の大手出版社にも、地元の新聞社にも、拾ってもらえなかった。
 もはや選り好みしている場合ではない。オカルト雑誌であろうが何であろうが、まずはとにかく、マスコミ業界で飯を食える身分になる事だ。
「どの職業でもそうだけど……最初っから、思った通りの仕事なんて出来るわけねえもんな」
 アトラスで真面目に仕事をしていれば、いずれもう少し真っ当な雑誌なり新聞なりに移籍する機会が巡って来るかも知れない。
 そんな甘い期待を捨てる事が出来ずにいる自分に、隆之介は苦笑した。
「ま……夢を見るのは、自由だもんな」
 苦笑しつつ、大木の根元に座り込んでしまう。
「……あるワケねえだろ、化け物の工場なんて」
 ないのならば、でっち上げて記事を書け。マスコミの仕事とは、そういうものだ。
 そう言われている気分に、隆之介はなった。
「そうじゃねえよ。マスコミの仕事ってのは、そうじゃねえ……はずなんだけどなあ……」
 たとえ真実を書いても捏造と言われるし、捏造されたものが誰にも気付かれずに真実として通ってしまう事もある。とある出版社で、面接官がそんな事を言っていた。
 お前みたいに正直な奴は、この仕事に向いてないよ。とも言われた。
 自分が正直者であるかどうかはともかく、確かに向いていないのかも知れない。
 そう思い始めていた時、親友と再会した。
 彼の事は、中学校時代から知っている。
 荒れていた。中学生の頃の彼を一言で表現するならば、そうなる。
 いわゆる不良とは、少し違う。むしろ、そういった連中に因縁をつけられる側にいた。
 因縁をつけた連中が、どういうわけか大事故に遭って、ことごとく病院送りになった。
 誰からも気味悪がられ、恐がられ、友達もなく過ごしていた少年だった。
 自分は彼の、数少ない友達の1人だった、などと自惚れるつもりは隆之介にはない。
 ただ、あの中学校で最も数多くの会話を彼と交わしたのは、間違いなく自分だ。
 あの少年は間違いなく、隆之介を鬱陶しく思っていただろう。
「保護者面してるとこ、あったからな。俺……」
 いくらか縁があった、のかどうかはわからない。とにかく彼とは、同じ高校へ進学する事となった。
 新聞部に誘ったのは、隆之介である。
 その頃になると、あの少年も、いくらかは普通に他人と会話をするようになっていた。
 放ってはおけない。そんな少年だった。
 高校卒業後は、全くの音信不通である。
 隆之介は大学に通って4年間、それなりに楽しく過ごした。
 その4年間、どこで何をしていたのかわからない彼と、山麓のホテルで再会した。
 仕事だ、と言っていた。どういう仕事であるのか、1度再会しただけではわからない。
 人間との接触を極度に嫌っていた少年が、立派な社会人となって仕事をしている。それだけは、わかった。
「そうだよ……俺も、頑張らねえとな」
 隆之介は立ち上がった。
 その際、ようやく視界に入った。
 木々の間に、何やら黒っぽいものが見える。
 コンクリートの壁。
 建物であった。かなり大きい。山林の暗がりに擬態するかの如く、ひっそりと敷地が広がっている。
「こいつは……!」
 隆之介は息を呑んだ。
 生体兵器の工場、なのかどうかはともかく、何かはあったという事だ。
 何かがあるのなら、調べてみる。突き止めてみる。それがマスコミの仕事だ。
 何でもない、ただの廃屋なのかも知れない。それならば、単なる廃屋であるという事をレポートし、編集長に提出するまでだ。もちろん不採用となるだろう。
「俺の……記者としての、最初で最後のレポートってわけだな」

 最初で最後、とはならなかった。
 結果あのレポートは大当たりして、アトラスの売り上げにも若干は貢献したようである。
 隆之介はしかし、大喜びする気分にはなれなかった。
「マジかよ……ってのが、正直なとこだよな……」
 呟きながら、隆之介は血を吐いた。
 肋骨が、体内のどこかに刺さっている。足の骨も、恐らくは折れている。
 ニューヨークの片隅で隆之介は今、瓦礫の下敷きになっていた。
「本当……だったんだな、何もかも……」
 得体の知れぬ生き物たちの死体は、本当にあった。
 日本政府が開発した生体兵器、なのかどうかはともかく。あの廃工場では確かに、間違いなく、何か公には出来ないものが大量生産されていたのだ。
 面白おかしく誇張はする。いくらか捏造を加える事もある。だけどアトラスの記事に、丸っきりの虚報はあり得ない。それだけは心しておきなさい。
 編集長はそう言って、隆之介に次の仕事をくれた。
 アメリカで、巨大ロボットが暴れている。
 そんな馬鹿げた情報も、あの編集長の口から出たものならば信じざるを得ない。
 だから隆之介はアメリカに飛び、そして今、瓦礫の下で死にかけている。
 巨大な機械の怪物は、確かにいた。本当に暴れていた。
 それを出来るだけ近くで撮ろうとした結果、この有り様である。
 アトラスの記事に、完全な虚報は一切ない。全てが、本当に起こった出来事なのだ。
 それを隆之介は今、身体で実感している。
 撮ったものは、すでに日本のアトラス編集部に送信した。瓦礫の下敷きになりながら、端末だけはどうにか無傷で守り抜いたのだ。
「編集長、誉めてくれるかな……いや別に、誉めてくれなくてもいいけどよ……」
 このまま死ぬ前に1つだけ、確認しておきたかった事がある。
「俺が、撮ったもの……ちゃんと、使ってくれるかな……」
 実際に配信された状態のものを、出来れば見ておきたかった。
 ふっ……と身体が軽くなるのを隆之介は感じた。いよいよ、自分は死んだのか。
 いや違う。瓦礫が、持ち上げられていた。レスキュー用の重機が来てくれたのか。
 ……否。やはり自分は死んだのだ、と隆之介は思った。
 天使が、そこにいたからだ。
 茶色のポニーテール、黄金色の瞳。凛とした美貌は、どこか編集長に似ていなくもない。
 そんな美少女が、巨大な瓦礫を、細腕で軽々と持ち上げているのだ。
 その怪力の源は胸に違いない、などと思えてしまうほど豊かな膨らみが、キャミソールを内側から突き破ってしまいそうである。
「非力なジャップが、こんな所うろついてんじゃねえよ」
 瓦礫を脇に放り捨てながら、少女が言葉を投げてくる。
 見間違い、ではない。彼女の背中では、広い羽毛の翼が、ふんわりと畳まれている。
「とっとと逃げちまいな」
「……いや、あの……足が……」
「折れてやがんのか? だったら3本目の足ィおっ立てて、とっとと逃げろ×××野郎!」
 隆之介の心臓が、トクン……ッと高鳴った。血色の失せかけていた顔が、ポッと赤らんでゆく。
 アトラスの記事には、人智を越えた様々なものたちが登場する。宇宙人、幽霊、超能力者、UMAに妖怪、天使と悪魔。
 他はともかく、天使は実在する。隆之介は、強く確信した。

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育む者たち

「うおおおおおおおおおおッッ!」
 甲虫を思わせるヘルメットの中で、フェイトは吼えた。
 そうしながら操縦桿を前方に押し込み、フットペダルを思いきり踏み込む。
 ナグルファルの巨体が、駆けた。
 足音が地響きとなり、グレートプレーンズを揺るがす。
 地震にも等しい踏み込みと共に、光の刃が一閃する。
 ナグルファルの剣。エネルギー光で組成された刃。
 その斬撃を、チュトサインはかわさず受けた。
 ナグルファルを若干上回る巨体は、確かに回避能力に優れているようには見えない。
 だが、それでもフェイトは思った。この敵は、光の斬撃をわざと受けた、と。
 巨大な恐竜土偶とも言うべき姿。その長い頸部の付け根から胸部にかけて、エネルギー光の刃がザックリと食い込んでいる。
 くわえ込まれている、とフェイトは感じた。
「こいつ……!」
『鎧をまとう戦士……を模した、巨大なる人形か』
 チュトサインが、笑っている。
『わかるぞ。この人形、魂を宿しておる……憎悪の塊とも言える、おぞましき魂よ。それが噴き出し、剣の形を成し、我が身を切り裂かんとしておるのだな。だが無駄な事よ』
 食い込んだ光の刃が、急速に細くなってゆく。
 そして、消滅した。
 光の剣が、ナグルファルの手から消え失せてしまったのだ。
『おぞましい……が、美味なる魂よ。我が血肉となるに、ふさわしい』
「血肉……だと……?」
 今のチュトサインを構成しているのは、航空機の亡霊たち。
 霊魂を持つに至った無生物、すなわち付喪神の魂である。
 錬金生命体としての荒ぶる自我を有する、このナグルファルという機械もまた、付喪神と呼べる存在であるとしたら。
 その魂、つまり錬金生命体の猛り狂う憎しみの念は、チュトサインにとって、血肉を育む養分にしかならないのではないか。
 だから光の剣も、吸収されてしまった。
『かつて私は、多くの人間どもを生贄として食らってきた』
 巨大な恐竜土偶が、ズシィ……ンッと踏み込んで来る。
 そう見えた時には、凄まじい衝撃が、ナグルファルの操縦室を揺るがしていた。
 チュトサインの左腕、と言うか左前肢。
 凶器、と言うより兵器そのもののカギ爪が、ナグルファルを打ちのめしたのだ。重い、だが高速の一撃。
『人間どもの魂はなぁ……とてつもなく、不味い! 我が血肉と成るに、ふさわしくなぁああいッ!』
 シートベルトに拘束された強化スーツの中で、フェイトの肉体がミシッ……と悲鳴を発する。
 スーツがなければ、内臓の3、4ヵ所は破裂していたところだ。
 苦痛の呻きを噛み殺しながらフェイトは、よろめくナグルファルを辛うじて踏みとどまらせた。
 そこへチュトサインが、
『人間どものな、妄執と我欲で濁り汚れきった魂では駄目なのだよ。純粋なる、それでいて濃厚に熟した魂でなければなぁあ』
 右前肢のカギ爪を、叩き付けて来る。
 速度と重さを兼ね備えた衝撃。
 ナグルファルの巨体が、装甲の破片を飛び散らせながら揺らぎ、膝を折る。
 倒れそうになったナグルファルに、チュトサインがいきなり背を向けた。
 大蛇のような尻尾が、暴風の勢いで宙を裂き、弧を描く。
 巨大な鞭とも言うべき一撃が、ナグルファルを打ち据えていた。
「ぐっ……う……」
 フェイトは、苦痛の声を噛み殺す事も、機体を踏みとどまらせる事も、出来なかった。
 機械の巨体が、へし曲がりながら吹っ飛び、平原に叩き付けられて地響きを起こす。
 強化スーツの中でフェイトは一瞬、気を失った。
 意識を取り戻す事が出来たのは、敵が喋り続けてくれたからだ。
『その人形に宿りし魂……もらうぞ。おぞましき憎しみに満ちた魂、とは言え貴様ら人間どもキリスト教徒どもの、妄執と我欲の汚らわしさに比べれば! 遥かにましというものよ』
(駄目だ……パワーが、違い過ぎる……)
 会話に応じる余裕もないままフェイトは、ナグルファルを立ち上がらせた。
 チュトサインよりも、いくらか小柄な巨体。その全身あちこちで装甲が破けて歪み、内部機器類がバチッ! と漏電を起こしながら見え隠れしている。
 そんな状態でもナグルファルは辛うじて起き上がり、よろめく両足で、グレートプレーンズの大地を踏み締めようとする。
(まともな殴り合いで、倒せる相手……じゃ、ないみたいだな……)
 ラグナロクに臨む戦船の名を持つ、この人型兵器の武装に関して、フェイトは一通りの説明を受けてはいる。
 格闘戦で勝てない場合の、奥の手とも言うべき攻撃手段が、ないわけでもない。
『ただひたすらに人間どもを憎み燃え盛る、おぞましくも純粋なる魂よ……我が血肉となれ。我が力となれ。キリスト教徒を滅ぼすための、力になあ』
 言葉と共に、チュトサインの口からボォ……ッと赤い光が漏れ溢れる。
 炎の明かりだった。超高熱の、赤色光。それが、
『まずは貴様を、その人形の中より解き放ってくれようぞ!』
 球形に固まり、小さな太陽の如く燃え上がり、吐き出された。
 隕石にも似た火球が、3つ、5つ。ようやく立ち上がったナグルファルを、容赦なく直撃する。
 爆炎が散った。
 装甲板が融解し、赤熱する液体金属の飛沫となって、同じように散った。まるで鮮血の如くだ。
 フェイトの周囲、操縦室内のあちこちで小規模な爆発が起こり、焦げ臭いスパークが走る。
 込み上げる血反吐を飲み込みながら、フェイトは苦笑した。
「あんた……なかなか、いい仕事するじゃないか。英国紳士……」
 この強化スーツがなかったら自分は今頃、シートベルトに拘束されたまま潰れ死んでいただろう。
「……まだ、やれる……よな? お前ら……」
 フェイトは語りかけた。返事はない。言葉の返事など、必要ない。
 猛々しく荒れ狂う者たちの鼓動を、声なき雄叫びを、フェイトはしっかりと感じ取っていた。
 ナグルファルの、中枢を成す者たち。チュトサインが「おぞましくも純粋なる魂」と評した者たち。
 戦いと殺戮のためにのみ生み出され、使い捨てられようとしている者たち。
 ナグルファルは今、彼らの燃え盛る憎悪の念そのものの姿を、爆炎の中から現しつつあった。
 全身の装甲は8割近く焼失し、骨格・臓物にも似た体内機械類が露わになっている。
 死にきれぬ腐乱死体にも似た、凄惨極まる有り様。
 だがナグルファルは、生きている。
 その身に宿る錬金生命体の魂は、かつてないほど猛り燃えている。
 それを、フェイトは感じ取った。
 甦った死霊の如き機体の前面から、焼け焦げた機械の臓器が、肋骨のようなフレームの破片が、ばらばらと剥離してゆく。
 その下から、淡く禍々しく光り輝くものが現れた。
 左右の胸板。鳩尾。それに両肩と両太股。合計7ヵ所で、光を漏らす砲口が開いている。
 普段は装甲で隠されている、7門の太く短い砲身。
 装甲が大破するほどの大ダメージを受けた時にのみ現れて使用可能となる、内蔵型兵器。軽々しい使用が禁じられた武器である。
 それら7つの砲口から、鬼火にも似た光が漏れ出しているのだ。
 光の剣と同質の輝き。
 錬金生命体の荒ぶる憎悪が、そのまま可視エネルギーと化したもの。
 そこにフェイトは、己の念を流し込んでいった。
「さあ……一緒に、行こうか!」
 ナグルファルが左右の拳を握り、肘を曲げたまま両腕を広げ、胸板を突き出す。
 装甲を破壊された胸板、腹部、両肩に左右の太股……計7ヵ所から、光が迸った。
 悪鬼の口の如く開いた7つの砲口が、エネルギー光の嵐を発射していた。
 轟音を伴う7本の破壊光が、チュトサインを直撃する。
 恐竜土偶の形をした巨体に、7つの光が突き刺さり、そして吸収されてゆく。先程の、光の剣と同じく
『血迷ったか、愚かなるキリスト教徒よ』
 チュトサインが嘲笑う。
『この禍々しくも純粋なる魂の光! 私にとっては、血肉を育む糧にしかならぬという事が……ぐぬッ!』
 悦びの叫びが、悲鳴混じりの怒声に変わり始める。
『違う……こ、これは、純粋なる魂では……ない!? ……やめろ貴様! 人間の魂など要らぬ、混ぜるなぁあーっ!』
「好き嫌いは良くない……残さず、食えよな」
 甲虫に似たヘルメットの中で、フェイトは微笑んでみた。
 意識が一瞬、消滅しかけた。
 7つの内蔵砲から迸る、錬金生命体の魂の光。そこにフェイトは、己の魂をも混ぜ込んでいる。
 そのままではチュトサインの糧にしかならない、付喪神の純粋なる魂の光。
 それが人間の魂を含有する事によって、チュトサインにとって吸収不可能な異物の奔流と化したのだ。
「さぞかし、不味いだろうな……俺の、魂……」
 迸る7つの光に、フェイトは自身の全てを流し込んだ。攻撃の念を、意識を、魂を。
 チュトサインにとっては栄養分でしかなかった光の奔流が、人間の魂という混入物を得る事で、吸収不可能な破壊エネルギーへと変換され、嵐となって荒れ狂う。
 そして巨大な恐竜土偶の全身を、穿ち、切り裂き、打ち砕いてゆく。
『……終わりと……思うなよ、キリスト教徒ども……』
 光に切り砕かれながら、チュトサインが呻き、叫んだ。
『貴様らを……貴様らの神を、いずれ滅ぼしてくれる……この地の神は私なのだ!』
「だとしても、俺はあんたを許さない……あんたも、この錬金生命体って連中も……この世に残すわけには、いかない……」
 自分が消えてゆく、とフェイトは感じた。
 操縦席に座っているのは、今や魂の抜け殻となりつつある生きた屍だ。それが、呟いている。
「だから……一緒に、行こうぜ……」
 7つの砲身が、エネルギー光を放出しながら、ことごとく破裂してゆく。
 死霊のような機体のあちこちで、爆発が起こった。
 爆炎の中、ナグルファルが左右の拳を構える。
 両の握り拳が、光を発した。
 フェイトの魂、錬金生命体の魂。2つの光が混ざり合い、破壊エネルギーと化したもの。
 それをまとう拳が、チュトサインに向かって突き出される。無論、パンチが届く距離ではない。
 だが突き出された拳は、そのまま発射されていた。
 ナグルファルの左前腕が分離・飛翔し、拳の形のミサイルと化した。
 続いて、右。
 ほぼ残骸も同然の機体が捻転し、右のストレートパンチを、突き出しながら発射する。
 左右の拳が、破壊エネルギー光を握り込んだまま高速飛翔し、チュトサインを直撃した。
 巨大な爆発の火柱が、グレートプレーンズを貫くように発生し、天を灼く。
 フェイトはしかし、それを見てはいなかった。
 もはや何も、見えなかった。

 自分が今どこにいるのか、フェイトはわからなかった。
 わかるのは、アデドラ・ドールが近くにいるという事だけだ。
「…………アデドラ……?」
「ねえフェイト。同じ事を、何度も言わせないで」
 アデドラの口調は、静かだ。アイスブルーの瞳は、何の感情も孕まずに、ただ冷たくフェイトを見つめている。
 だが、この少女は今、激怒している。それがフェイトにはわかった。
「貴方の魂は、あたしのもの。錬金生命体と一緒に、流して捨てるなんて……許せるわけ、ないでしょう?」
「え……ぇと、その、錬金生命体は? それにチュトサイン……」
 ごまかすように、フェイトは見回した。
 見回しても、ここがどこなのかはわからない。
 わけの分からない場所に自分は今、立っているのか、倒れているのか。浮かんでいるのか。
「いなくなったわ。錬金生命体も、それにあの……人間の魂の美味しさがわからない、馬鹿な怪物も」
 静かに怒りながらも、アデドラは教えてくれた。
「憎しみもろとも、砕けて消えた。もう誰かを憎む事もない。楽になれたんだと思うわ。お手柄ね? フェイト」
 アイスブルーの瞳が、フェイトに向かって、冷たく燃え上がる。
「貴方の魂も、一緒に砕けて消えてしまったわ……あたしの、ものなのに……」
「……ごめん」
 とりあえず、といった感じの謝罪になってしまった。無論アデドラは、許してくれない。
「あたしの魂を分けてあげる。それを貴方の魂として、美味しく育み直しなさい……あたしの、ために」

 ナグルファルの操縦室に、何者かが押し入って来た。コックピットハッチを、めきめきと引き裂きながら。
 仮面のようなヘルメットの中で、フェイトはうっすらと目を覚ました。
 返り血でぐっしょりと汚れた、キャミソールが見えた。それを内側から突き破ってしまいそうな、胸が見えた。茶色のポニーテールと、猛禽の翼が見えた。凶暴に牙を剥く美貌が見えた。
「……アリー……先輩……?」
「ボサッとしてんな!」
 怒鳴りつつアリーは、強靭な繊手でシートベルトを引きちぎり、フェイトの身体を担ぎ上げた。
 そのまま操縦室外へと飛び出し、背中の翼を羽ばたかせ、飛行離脱する。
 直後、ナグルファルが爆発した。
 木の葉の如く爆風に舞いながらも、アリーはフェイトを放さない。強化スーツをまとう男の身体を、細腕でしっかりと担いだまま力強く羽ばたき、飛行を保つ。
 荷物のように運ばれながら、フェイトは地上を見た。
 両腕を失った巨人の残骸が、渦巻く爆炎の中で焦げ崩れてゆく。
「……あれ見な、フェイト」
 アリーの言葉に従い、見上げてみる。
 航空機の亡霊たちが、のんびりと飛行しながら、空へと帰って行く。
 先程まで、恐竜土偶のような異形の巨体を組成していた者たちが今、解放されたのだ。
「あたしの仲間……助けてくれて、ありがとよ」
 アリーが言った。
「けどなあ。あたしもお前もまだ、あいつらの仲間入りは出来ねえんだぞ……あんまり無茶すんなよな」
「はい……」
 弱々しく応えつつフェイトは、自分が右手に何かを握っている事に気付いた。
 光の塊。最初は、そう見えた。
 発光しているかのように光り輝く、白い石。宝石類、とは少し違うように見える。
「何だ? そりゃあ」
「これは……」
 賢者の石。フェイトは何となく、そう思った。
 思った事を口に出す暇もなく、その石が砕け散った。破片が、キラキラと飛散しながら消えてゆく。
「今の貴方の魂は、あたしが分けてあげたもの……忘れないでね、フェイト」
 少女の声が聞こえた、ような気がした。
「貴方はもう、あたしには逆らえない……逆らえるくらいに強い魂、育めるといいわね」

カテゴリー: 02フェイト, season5(小湊WR), 小湊拓也WR(フェイト編) |

ラグナロクの闘士、大地に立つ

ここがアメリカで良かった、とフェイトは思った。
 日本には、こういう場所は、なかなか無い。
 ワイオミング州東部。ここは、アメリカ合衆国を南北に縦断するグレートプレーンズの一部でもある。
 その名の通りの、広大な平原。
 巨大なもの同士が戦っても、壊れるものがほとんどない。地面が凹むくらいである。
 いくらか標高が高めの、その平原の真っただ中に、巨人が佇んでいる。
 ナグルファル。神々に挑む戦船の名を有する、機械の巨人。
 その足元で、フェイトは教官と再会を果たしていた。
「ジャパニメーションとかトクサツとかによ。人間が馬鹿でけえロボットとかヒーローに、手で持って運ばれるシーンがあるよな」
 教官が言った。
「実際にやると……大変なんてもんじゃねえな。死ぬかと思ったぜ。あいつは平気な顔してたけどよ」
「それで、彼女は?」
 フェイトは見回した。
 教官と一緒に、ナグルファルの手で運ばれて来たはずの少女の姿が、どこにも見えない。
「さあな。よくある事だが、いつの間にかいなくなってた」
 フェイトの同行者に、教官はちらりと目を向けた。
「……どうやら、お前さんに会いたくなかったようだぜ。ミスター・ディテクター」
 ディテクター。IO2内部では、生きた伝説として語られる男である。
 そんな人物が、フェイトをここまでバイクで運んでくれたのだ。
「自分の娘が、いつの間にかいなくなっていた……というのは親としてどうなんだ?」
 ディテクターが言った。
「あんたには、監視の任務が与えられていたはずだが」
「あいつはな、その気になればどこにでもいるし、どこにもいない。監視なんか出来る相手じゃねえって事くらい、お前さんも知ってるだろう」
 教官の口調は、いくらか寂しげである。
「今は気まぐれで、俺たちの家族でいてくれてるようだがな……それよりフェイト、お届けもんだぜ」
 教官が、大型のトランクを手渡してきた。
「これ……ええと、開かないんですけど」
「何か、お前の声に反応して開くシステムらしいぞ。よくわかんねえが」
 フェイトは嫌な予感がした。
 その時、スマートフォンが鳴った。
『やあフェイト君。プレゼント届いたかな?』
「……お前か、やっぱり」
 トランクの中身が何であるのかは、もはや訊くまでもない。
『まあ僕は設計しただけで、実際に作ったわけじゃないけどね……ちょっと悔しいけど、イギリスに凄い技術の会社があったから、そこに製造を依頼したのさ』
 イギリス。もう1つ、フェイトは嫌な予感がした。
『とにかく、フェイト君の声紋にしか反応しない……それも少し大きめの声じゃないと認識しないシステムにしておいたからさ。ここは1つ、気合いを入れて変身のかけ声を』
「お前なあ」
 呆れている場合ではなかった。
 渡り鳥の大群、のようなものが、西の空から近付いて来ている。
 西……オレゴンの方角である。
 渡り鳥ではなく、ワイバーンの群れであった。ミノタウロスやトロールを背中に乗せ、飛行している。
「チュトサインの手下と化しているようだな」
 ディテクターが言った。
「奴が来る……お前とナグルファルを警戒し、潰しに来たな。どうやら」
「……まあ、ありがたいけどね。その方が」
 あの怪物と、街中ではなく、この広い場所で戦う事が出来る。
 その前に、先遣隊を片付けておかなければならない。
 フェイトは身を屈めて片膝をつき、片手をトランクに触れたまま、叫んだ。
「……装着!」
『あー駄目だよ、そんな捻りも何もない変身セリフじゃあ! もっと他に色々あるだろ? 赤射とか蒸着とか電磁スパークとか豪快チェンジとかムーンプリズムパワーメイ』
 フェイトは通話を切り、スマートフォンを黙らせた。
 トランクが、バラバラに吹っ飛ぶような開き方をしていた。
 様々なものが、巨大なアメーバの如く溢れ出し、フェイトの全身を包み込む。機械繊維、それに装甲。
 黒い、異形の戦士が、そこに出現していた。
 所々が特殊金属の装甲によって補強された、甲冑にも似た強化スーツ。人の体型をした巨大な甲虫、のようでもある。
 カブトムシをモチーフにしていると思われる仮面状の頭部装甲の中で、フェイトは絶句していた。
「こ……これは……」
『聞こえますかフェイトさん……聞こえたなら、装着は成功という事ですね』
 聞き覚えのある、若い男の声。通話ではなく、頭部装甲に録音されたものである。
『まだ試用実験も済んでいない品物ですが、ぶっつけ本番に強い貴方の事ですから心配はしていません。早めに済ませて、勝利の祝杯を……今度こそ、我が家のディナーパーティーに御招待いたしますよ』
「この昆虫っぽい外見……あんたの意向かよ、おい英国紳士」
 相手は録音メッセージである。答えが返ってくるわけはなかった。
 低空に迫ったワイバーンの群れから、怪物たちが飛び降りて来る。戦斧を持ったミノタウロスの集団、鎚矛を持ったトロールの部隊。
 それら巨体の群れが、地響きを立てて着地しつつ、襲いかかって来る。
「うおおおおおおっ!」
 若干やけくそ気味な雄叫びを発しながら、フェイトは応戦した。
 グローブ状の機械装甲に包まれた拳が、ミノタウロスたちを片っ端から粉砕する。
 特殊金属のレガースを履いた両足が、トロールたちをことごとく、再生不可能なまでに蹴り砕く。
「こ……こんなものに予算使って、知らないぞ俺は……」
 などと呟いている場合ではなかった。
 地震のような足音が、響いて来たのである。
 西の地平線上に出現した、異形の影。響きと共に少しずつ、大きくなってゆく。
 滑らかに動く、巨大な恐竜土偶だった。
『感じるぞ……貴様らキリスト教徒にふさわしい、おぞましき力をな』
 足音と共に、声が響く。
『またしても我らを蹂躙するか……させぬ。蹂躙される者の悲鳴を、今度は貴様たちが上げるのだ』
 憎悪の念そのものが、音声を伴い、恐竜土偶から溢れ出している。フェイトはそう感じた。
「本当に……憎いんだな、キリスト教徒が」
 北米大陸土着の神にとってキリスト教とは、すなわち侵略者に他ならない。
 侵略で築かれた国・アメリカ。
 そこに住まう民は、たとえ仏教徒でもイスラム教徒でも無神論者でも、チュトサインにとっては憎むべきキリスト教徒。復讐の、蹂躙と殺戮の、対象なのである。
「俺は日本人で、キリスト教徒でも何でもないけど……わかった。その憎しみ、受け止めてやるよ」
 頭部装甲の中から、フェイトは語りかけた。
「正面から受け止めて、打ち砕く……憎しみってのは、そうやって晴らすしかないもんな」

『やあ、お帰り』
 ナグルファルの操縦室。フェイトは、強化スーツで武装した身体をシートに沈めていた。
 そこに、声をかけてくる者がいる。フェイトにしか聞こえない声。
「お帰り、って……」
『ここが、君のいるべき場所さ。この機械の巨人は、君のもの……強大な力を、正当な持ち主に返すよ』
「正当な持ち主は……元々、あんただったんじゃないのか?」
『僕はこいつらを、玩具のように扱っていただけさ。君みたいな、本物の覚悟を持たずにね』
 覚悟などあるのかどうか、フェイトは自分ではわからない。
『気をつけて。僕と同じで、どこにも行けずにいる連中……君に、託すよ』
 少年がナグルファルの中からいなくなるのを、フェイトは感じた。
 それまで少年によって抑えられていたものが、牙を剥いて暴れ始めた。
「錬金……生命体……ッッ!」
 機体の中枢を成す、ヴィクターチップのマスターシステム。
 そこに封じ込められている……魂、とでも呼ぶべきものたちが今、解放された。
 チュトサインのものに劣らぬ、猛り狂う憎しみの念。それが自分の中に流れ込んでくるのを、フェイトは拒まずに受け入れた。
「……そう、だよな……お前らだって、憎いよな……俺たち、人間が……」
 人間によって生み出され、戦わされ、殺す事で生存を許され、殺される事で死を与えられながらも、安らかに眠る事は出来ずにいる者たち。
 このような異形の巨体に閉じ込められ、さらなる戦いを強いられている者たち。
 その猛り狂う憎しみの念が、
「俺も、一緒に戦う……だから人間を許してくれ、なんて言えないけどなっ!」
 フェイトの身体を通して、ナグルファルの巨大な全身、隅々まで行き渡る。
 まるで、血液のようにだ。
 チュトサインが、口を開いていた。牙を剥く、恐竜土偶の大口。
 その奥から、いくつもの炎の塊が溢れ出していた。
 吐き出された火球の群れが、ナグルファルに向かって、燃え盛る流星の如く飛ぶ。
 フェイトは避けず、踏み込んだ。左右の操縦桿を押し込み、ナグルファルを踏み込ませていた。
 機械の巨人の右手に、光が生じた。破壊力の塊、とでも言うべきエネルギー光。
 それが、剣の形に伸びながら一閃する。
 光の剣が、襲い来る火球たちを全て斬り砕いていた。
 いくつもの爆発に照らし出されながら、悠然と光の剣を構える巨人。
 その刃の輝きに合わせて、少しずつ消耗してゆくものを、フェイトは感じた。
 錬金生命体の、猛り狂う怒りと憎しみの念。巨大な全身を血流の如く駆け巡るそれこそが、ナグルファルの動力なのだ。それを消耗しながら、この巨人は手足を動かし、そして光の剣を発生させているのである。
「……悪いな。お前らを、ここで使い切る」
 使い切る前に、自分が死ぬかも知れない。それはフェイトも理解している。
 覚悟と呼ぶほど、大層なものではない。戦いで自分の命を賭けるのは、当然の事だ。
「憎しみは……戦って、発散させるしかないんだよな」 

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ギャラルホルンが鳴り響く

巨大な足が1歩、前に進んだ。
 地響きが起こった。戦車が、踏み潰されていた。
 大蛇のような尻尾が、横殴りに弧を描いた。
 暴風が巻き起こった。何台もの装甲車が、自走砲が、打ち飛ばされて宙を舞った。
 地上兵力が、ことごとく蹂躙されてゆく。ゆったりと滑らかに動いて歩行する、巨大な恐竜土偶によってだ。
 空には、戦闘機部隊。亜音速で編隊飛行を披露しながら、空対地ミサイルの雨を降らせて来る。
 爆撃の豪雨が、恐竜土偶の巨体に集中する。
 爆発の火柱が生じた。
 その中から、怒りの咆哮が迸る。
『愚かなるキリスト教徒どもが!』
 チュトサイン。北米大陸土着の、太古の大悪霊。
 今や恐竜土偶に似た巨体を獲得し、実体化を遂げたそれが、爆炎の中で大口を開いていた。
 巨大な上下の顎を押しのけるようにして、何かが連続で吐き出された。いくつもの隕石のような、炎の塊。
 打ち上げ花火のようでもあるそれらが、亜音速で飛び交う戦闘機たちを正確に直撃する。
 いくつもの爆発が、空中に咲いた。まさに破滅の花火であった。
『まだわからぬか……キリスト教はな、すでに力を失ったのだ』
 薄れゆく爆炎の火柱の中から、チュトサインが悠然と姿を現す。恐竜土偶のような巨体は、全くの無傷だ。
『信仰しておるのが貴様らの如き愚物では、無理もあるまいがなあ』
 怒り、嘲笑いながら、チュトサインがズウゥゥン……ッと歩を進める。
 地響きが起こり、路面が波打ち、いくつもの建物が倒壊した。
 住民の避難は、進んでいない。
 逃げ惑う人々に、醜い悪鬼の群れが襲いかかっているからだ。
 筋肉太りした胴体から豚の頭部を生やした、人型の怪物。槍で、剣で、人々を殺傷せんとしている。
 オークであった。
 戦斧を持ったミノタウロスもいる。岩のような外皮と筋肉を盛り上げた、トロールの姿も見られる。
 空を見上げれば、皮膜の翼を広げた怪物たちが、カラスの如く飛び回っていた。三又の槍を振りかざす、下級の悪魔族。
 ファンタジー物のゲームにしか登場しないはずの怪物たちが、現代アメリカの一般市民を襲っているのだ。
 チュトサインと共にオレゴン・ボーテックスから現れ溢れ出した、異世界の生き物たち。
 対処に当たっているのは、米軍である。近代兵器で武装した兵士たちが、しかし人々がでたらめに逃げ惑う状況下で思うように銃火器を使えず、苦戦していた。
 そんな戦況の中、フェイトは怪物の群れに向かって踏み込みながら、身を翻していた。
 あらゆる方向から襲い来るオークたちの槍や剣を、左右2丁の拳銃で打ち払い、受け流す。そうしながら引き金を引く。
 2つの銃身が、穂先や剣先を受け弾きながら、火を噴いた。
 オークの群れが、銃撃に薙ぎ払われ、吹っ飛びながら倒れてゆく。
 子供の泣き声が、聞こえた。
 親とはぐれてしまったのであろう。小さな女の子が1人、ふらふらと歩きながら泣きじゃくっている。
 ミノタウロスが1匹、オークが5匹、その方向からも容赦なく襲いかかって来る。
 フルオートの掃射で、仕留められる。女の子がいなければ、だ。
 フェイトは両の拳銃を構え、敵を睨み据えた。
 エメラルドグリーンの瞳が、淡い光を発する。構えた拳銃に、念が流れ込んで行く。
 フェイトは引き金を引いた。
 銃口が火を噴き、弾丸の嵐が迸る。怪物たちを、女の子もろとも粉砕する勢いでだ。
 その銃撃が、いくつかの方向に分かれた。
 5匹のオークに、それぞれ1発ずつ。他の全ての銃弾は、巨体のミノタウロスに集中する。
 頭部にそれぞれ1つずつ銃痕を穿たれたオーク5匹と、蜂の巣のようになったミノタウロス。計6つの屍が倒れ伏し、女の子は無傷のまま泣きじゃくっている。
 フェイトは、小さく溜め息をついた。
 念動力による銃弾の操作。気力の消耗が、積み重なってきている。
『力を温存して、フェイト』
 声がした。ここにいるはずのない、少女の声。
 念動力と比べ、あまり得手ではないテレパス能力で、フェイトは会話に応じた。
「アデドラ……近くにいるのか?」
『近くと言うほど近くはないわ。今、お父さんと一緒にイリノイを通り抜けてアイオワへ入るところよ』
「教官も? まさかニューヨークからオレゴンまで、アメリカ横断の真っ最中って事」
『フェイトは、テレパシーの類はあんまり得意じゃないのよね。だけど、あたしを中継すれば届くでしょう? オレゴンから、ニューヨークまで』
「届くって、何が……」
 訊くまでもない事ではあった。現在ニューヨーク……IO2本部にあって、フェイトが必要としているもの。それは1つしかない。
「動かせるのか……ナグルファルを」
『勝手に動いちゃうよ? 君が動かしてくれないとね』
 聞き覚えのある、少年の声。
 かつてオリジナルと呼ばれた存在である。今は、アデドラの中で眠っているはずなのだが。
「あんた……まさか、ナグルファルの中にいるのか?」
『暴れたくて仕方がない連中を、抑え込むためにね……だけど、こいつらを本当に制御出来るのは君だけだ。早く、手綱を握っておくれよ』
「わかった……俺も、あいつらに助けを求めるしかないって思ってたところさ」
 フェイトは念じた。
 両眼が、翡翠色に燃え上がる。
「来い、錬金生命体……お前らの恨み、憎しみ、戦いで発散させてやる!」

 イリノイとアイオワの州境を成すミシシッピ川のほとりで、彼は軍用サイドカーを止めていた。
 アデドラが側車の中で立ち上がり、ここにはいない誰かと無言で会話をしている。
 アイスブルーの瞳は、やや北寄りの西……オレゴンの方角に、向けられていた。
 テレパスの類であろう。会話相手が誰であるのかは、問いただしてみるまでもない。
「フェイトの野郎……今のところは、まだ生きてやがるか」
 オレゴンで今、何が起こっているのか、正確な情報はまだ掴めていない。
 戦いが起こっている。それだけは、間違いなかった。
 フェイトが無茶をしている。それも恐らく、間違いないだろう。
 教官として、フェイトを見てきた。
 自ら死に向かうような戦い方しか出来なかった新米エージェントの頃から、あの青年は、本質的にはあまり変わってはいない。
「しかも、お目付役がアリー嬢ちゃんだと……無茶の二倍重ねじゃねえか。一体何考えてやがる」
 この場にいない女性上司による人事を、彼はぶつぶつと批判していた。
「……繋がったわ」
 アデドラが、テレパシーではなく肉声を発した。
「繋がったって……な、何がだ?」
「フェイトと、錬金生命体……今は、ナグルファルという名前で呼ばれているのよね」
 もっと景気の良い正式名称が、あるにはある。先日死去した、とある上院議員によって唱えられたものだ。
「ラグナロク行きの船に乗り込んだ、死者の軍勢……お洒落な話だと思うわ」
「死者……か」
 錬金生命体たちは今、確かに死者の魂とも呼べる状態で、ナグルファルの中に閉じ込められている。
「そもそも、生まれた時からゾンビやゴーストみてえな連中だったからなあ……おっと」
 哀れみに似た思いが、彼の胸中に生じ始めた、その時。
 スマートフォンに、着信があった。部下からだ。
『教官、そっちは大丈夫ですか? イリノイからアイオワへ向かってミシシッピー渡ろうとしてるみたいッスけど、軍の連中が先回りしてますよ』
「お前、何で俺の居場所……てめえ、勝手に人のGPSを!」
『いやあ、さすがは教官。勝手にナグちゃんを弄り回してやがった軍のクソったれどもを、派手にぶちのめしてくれたみたいじゃないっすか。俺、感動しました』
 部下が、感動しながらも意味不明な事を言っている。
『そのせいで、まあ逃げなきゃいけないとこでしょうけど……しばらく、そこで待ってて欲しいんスよ。お土産持った人が、そろそろそっちに着く頃ですから』
「何を、わけわかんねえ事を……」
 そこで、会話は中断せざるを得なくなった。
 凄まじい風と共に、ローターの爆音が降って来たからだ。
 ヘリコプターが1機、頭上で滞空している。
 縄梯子が、人影と一緒に降りて来た。
「フェイト様の、上官の方ですな」
 初老の紳士、としか表現し得ぬ人物が、重そうなトランクを片手に、ひらりと地上に降り立った。若手のIO2エージェントにも劣らぬ、身のこなしである。
「お届け物でございます」
「あの……あんたは?」
「フェイト様の御人脈に連なる者、とだけ申し上げておきましょう」
 この初老紳士の所属を示すものが、ヘリコプターの側面に描かれている。
 世界的に有名な、とある英国企業のロゴマークだった。
 欧州経済界の重鎮、とも言われている商会。そこの若社長が実はIO2エージェントで、フェイトと一緒に任務を遂行した事もあるらしい。
「お土産ってのは、こいつか……」
 手渡されたトランクを、とりあえず受け取った。
 厳重にロックされている。普通に開く事は、出来そうにない。
「フェイト様の声紋にのみ反応するシステムでございます。御同僚の方より、依頼をいただきまして」
 あの部下2人のどちらかだろう、と彼は思った。
「ま、武器兵器の類なのは間違いなさそうだが……お宅の商会で作ったもんかい? 紅茶とか健康食品とか扱ってる会社だって聞いてたけどな」
「いわゆる死の商人のような事も、しておりますよ。武器を売る相手は無論、選ばせていただいておりますが」
「貴方の会社の、お茶菓子」
 アデドラが言った。
「とっても美味しいと思うわ……うちで飼ってる仔犬が、大好物なの」
「ありがとうございます」
 自社製品を犬に食わせている、と聞いても動揺せず、初老紳士が恭しく一礼する。
 突然、巨大な影が落ちて来た。
 ヘリコプターよりもずっと巨大なものが、ゆっくりと降下して来たところである。
 大型航空機だった。
 その機体が折れ曲がり、翼を畳みながら四肢を伸ばす。伸びた両足が、重々しく地面を踏む。
 機械の巨人が、そこに降り立っていた。
「ナグルファル……」
 操縦者は今オレゴンにいる、はずである。
 なのに巨人は身を屈め、地面に向かって掌を差し伸べて来る。
「こんな自動操縦システムまで、組み込まれてやがったとはな……」
「放っておけば勝手に動いて暴走するわ。起こりもしないラグナロクへ向かって、ね」
 言いつつアデドラが、ナグルファルの巨大な掌にふわりと飛び乗った。
「行きましょう、お父さん……フェイトの所へ」

 悲鳴が聞こえた。アリーにだけ、聞こえる悲鳴だ。
 皆、空へと帰りたがっている。
 のんびりと空を飛んでいたいだけの魂たちが、太古の悪霊に囚われ、空を飛べぬ重くて醜悪な怪物に変えられてしまっているのだ。
「くそったれが……!」
 彼らを救ってやる事も出来ぬままアリーは、空中で激しく羽ばたき、飛行状態を維持しながら身を翻した。
 キャミソールに包まれた胸の膨らみが、ロングコートから暴れ出す感じに横殴りの揺れを見せる。
 それと同時に、いくつもの閃光の弧が生じた。
 左右それぞれの手に握られた大振りのナイフ2本が、螺旋状に幾度も閃いていた。
 三又槍を構え、襲いかかって来た下級悪魔の何匹かが、その斬撃の螺旋に巻き込まれて砕け散る。
 まるで粉砕されたかのような、微塵切りであった。何枚もの羽と一緒に、無数の肉片が舞う。
「ぶろぅんいどぉる、すかいはぁい……ってなあ!」
 それらを蹴散らすように、アリーの右足が一閃した。すらりと綺麗な脚線が、鞭のようにしなって躍動する。
 ブーツの爪先に仕込まれていたナイフが、猛禽の爪の如く現れながら超高速で弧を描いていた。
 アリーに向かって猛然と羽ばたき、食らい付いて来た1頭のワイバーン。その長い頸部が切断され、巨大な生首が牙を剥きながら落ちて行く。首無しの屍が、航空機の如く墜落する。
 これだけ倒しても、しかし敵は数を減らしたように見えない。
 何頭ものワイバーンを巨体の周囲で飛行させ、悠然と街を踏み潰して歩くチュトサイン。
 逃げ惑う人々を襲う、ミノタウロスやオークの群れ。
 地獄と化した地上へと、アリーは向かった。猛禽類そのものの、急降下であった。
 小さな男の子が、座り込んで泣き喚いている。
 その母親らしき女性が、瓦礫の下敷きになっていた。虫の息である。
 そこへ、1匹のトロールが歩み迫る。血と肉に飢えた眼差しが、男の子に向けられている。
 米軍兵士の1人が、母子を背後に庇って小銃をぶっ放していた。
 岩のようなトロールの筋肉が、銃撃に引き裂かれながらも再生し続け、めり込んだ弾丸をことごとく体外に押し出してゆく。結果的に無傷と違わぬ状態を保ちながら、トロールが巨大な棍棒を振り上げ、兵士を撲殺せんとしている。
 そこへアリーは、空中からぶつかって行った。強靭な左右の細腕を、ホットパンツからスラリと伸びた左右の美脚を、めちゃくちゃに躍動させながらだ。
 両手両足、計4本のナイフが、トロールを切り刻んだ。
 岩のような巨体が、再生能力を発揮する暇もなく細切れになっていた。
 鳥葬を実行しながら、アリーは見回した。
「フェイトの野郎、どこで何やってやがる……」
 姿が見えない、とは言え逃げ出したわけではないだろう。そこまで自身の命を大切にする若者ではない。
「まさか……あの役立たずの鉄クズを引っ張り出して来ようってんじゃねえだろうな」

「いいのかな……アリー先輩1人に、戦いを押し付けて来ちゃって」
「軍もいる。避難民の誘導と護衛くらいは、してくれるだろう」
 フェイトを後ろに乗せてバイクを運転しながら、ディテクターは言った。
「それよりフェイト。この方向で、間違いはないんだろうな?」
「ああ。イリノイとアイオワの州境……ミシシッピを越えるところだって、言ってた」
「ナグルファル、か」
 IO2の切り札、とも呼ぶべき存在に、ディテクターはしかし全幅の信頼を置いているわけではないようだ。
「死者の軍勢を乗せて神々に挑む、戦船……その舵を握るのは」
 ディテクターが、一瞬だけ振り向いてきた。
「フェイト、お前はロキだな。オーディンやらトールやら、とにかく大勢の神様に喧嘩を売る役どころだぞ」

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禍いは太古より来たる

オレゴン・ボーテックス。
 その名の通り、オレゴン州ゴールドヒル一帯に、磁気と霊気の一緒くたになったものが激しく渦巻いている。
 風景の歪みが、そのまま巨大な渦となっていた。
 渦状に歪むゴールドヒルを、アリーは上空から見下ろしていた。
「ちぃっ……こいつは……!」
 牙を剥きながら、アリーは息を呑んだ。
 渦の中に、いる。
 のんびりと空を飛んでいただけの罪なき者たちが、渦の中に捕われ、禍々しいものへと無理矢理に造り変えられて行く。
 一刻も早く渦の中に飛び込み、彼らを救い出さなければならないアリーを、阻む者たちがいた。
「どうして……」
 土偶のような鎧をまとう少女たち。十数名。空中で、アリーを取り囲んでいる。
「どうして……警告を、聞いて下さらないんですか……?」
「あなた方のためを思って、私たちはあれほど警告を……なのに何故……」
 背中の翼をはためかせて滞空するアリーを、翼を持たぬ少女たちが包囲している。目に見えぬ足場があるかの如く、空中に立っている。
 アリーは睨み回し、言い放った。
「お前のためを思って……か。その台詞、あたしに向かって吐いていいのは1人だけだ」
 上司である1人の女性の顔を、アリーは一瞬だけ思い浮かべた。
「それ以外の奴が言ったら、殺す……鳥葬だ」
 鉈のような大型のナイフを2本、アリーは左右それぞれの手で握り構えた。
「食べやすい大きさに、切り刻んでやっからよォオ!」

 アリーの雄叫びに呼応したかの如く少女たちが、不可視の足場を蹴って空中を駆け、踏み込んで行く。
 形良い繊手が、鋭利な手刀や拳となる。優美な脚線が斬撃のように宙を裂き、回し蹴りや飛び蹴りとなる。
 全ての攻撃を、アリーは左右のナイフで防ぎ、受け流した。
 激しく羽を散らせながら、彼女は一方的に防戦を強いられている。
 見上げながらフェイトは、銃撃で援護する事も出来ずにいた。
 土偶の鎧を着た少女が1人、地上にもいるのだ。
「行かせはしない……貴方たちを、あの御方の所へは」
 1人。アリー相手の空中戦には加わらず単身で、フェイトとディテクターの前方に佇んでいる。土器の甲冑をまとう細身で、男2人の行く手を阻んでいるのだ。
「私には、あの御方をお守りするしか道はないの」
「何を言ってるんだ……!」
 拳銃2丁を、とりあえず左右それぞれの手に握ったまま、フェイトは会話を試みた。
「チュトサイン、とか言ったっけか。あんな化け物に一体、何の義理がある!?」
「私たちは、あの御方には逆らえない。それだけよ」」
「魔力の類で、束縛されてるのか。なら俺たちが、あの化け物をやっつけて、あんたたちを自由にしてやるから! そこを、どいてくれないか」
「何度も同じ事を言わせないで……私たちは、チュトサイン様には逆らえないの。何故なら、生贄だから」
 生贄。おぞましい言葉だ、とフェイトは思った。
「私たちは、あの神殿で生を受けた。生まれながらの生贄として」
「生き方を選ぶ事は、出来るはずだ!」
 叫ぶフェイトの肩に、ディテクターが片手を置いた。
「お前は行け、フェイト」
「行く、って……」
 轟音が、聞こえた。
 ゴールドヒル全体を歪める渦の中から、巨大なものが、まるで立ちのぼる炎のように現れていた。
 巨木にも似た、腕。いや前足か。カギ爪で宙を掻きむしりながら、それはすぐに消えた。
「チュトサイン……」
 フェイトは呻き、ディテクターは言った。
「一刻の猶予もない。あの化け物は、お前が止めて来い」
 右手に、リボルバー拳銃。左手にナイフ。
 ディテクターは、すでに戦う体勢を整えていた。
「……この人形どもは、俺が処分しておく」
「人形……処分、って……!」
「こいつが、恐らくは人形どもの中核だ。この1体を処分すれば、他の奴は消えて失せる」
 立ち塞がる少女に銃口を向けながら、ディテクターは言った。
「お前も頭ではわかっているはずだフェイト。こいつらを生きたままチュトサインから解放してやる事など、出来はしない」
 サングラスの下で、ディテクターがどんな目をしているのか、フェイトにはわからなかった。
「生き方を選ぶ事は出来る、と言ったな。それは少しばかり傲慢な台詞だ、と俺は思うぞ……誰もが、お前のように生きられるわけではない」
「俺のように……」
 フェイトは思い返した。
 自分の周りには、様々な人間がいた。人間ではない者たちもいた。
 彼ら彼女らのおかげで自分は、今の生き方に辿り着く事が出来たのだ。
 この少女たちには、誰もいない。
 再び、轟音が響き渡った。
 巨大な前肢が再び出現し、渦を突き破ろうとしながら、またしても消えた。
 すぐに、また現れるだろう。そして消えなくなる。
「……あれこれ考えてる暇は、なさそうだな」
 フェイトは呻き、唇を噛み、そして駆け出した。
「行かせはしないと……」
 少女が、フェイトの行く手を阻もうとする。
 ディテクターが、引き金を引いた。
 少女は跳び退った。その足元で、銃弾が地面を穿つ。
 ディテクターの射撃に援護される形で、フェイトはその場を駆け抜けた。
(汚れ役を……他人に押し付けちゃうんだな、俺って奴は……)
 今は、そんな事で思い悩んでいる場合でもなかった。

 磁気・霊気の大渦へと向かって駆けて行くフェイトの後ろ姿を、ディテクターは一瞬だけ見送った。
 その一瞬の間に、少女が距離を詰めて来る。
「お兄様……貴方は私を、助けて下さいました」
 衝撃が、腹の辺りに叩き込まれて来た。ディテクターは身を折り、無言で息を詰まらせた。
 悲鳴を、呼吸もろとも叩き潰すほどの一撃。パワードプロテクターでも緩和しきれない衝撃。
 少女の、蹴りだった。すらりと伸びた脚を凛々しく飾る、土器の脛当て。それが鈍器の如く、ディテクターの腹部に叩き付けられたのだ。
「人質にされた私を、お兄様は……見殺しになさらず……」
 倒れたディテクターを見下ろしながら、少女は微笑んでいる。微笑みながら、涙を流している。
「それだけで、充分です……身に余る幸せを私は、お兄様からいただきました……」
 どうにか呼吸を回復させながら身を起こそうとするディテクターに、少女がゆらりと歩み迫る。とどめの一撃。今の蹴りを首から上に食らえば、命はない。
 少女の片足が高速で離陸しようとする、その寸前。ディテクターは拳銃を構え、引き金を引いた。
 銃声と共に、少女の細身が揺らぐ。可憐な美貌が、硬直する。
 その眉間に1つだけ、銃痕が穿たれていた。
 揺らいだ少女が、倒れ込んで来る。
 ディテクターは抱き止めた。
 体重も、温もりも、感じられなかった。
 少女の身体はすでに崩壊し、塵か灰か判然としないものに変わって、ディテクターの両腕からサラサラとこぼれ落ちて行く。
 そうなる寸前、少女が一瞬だけ、微笑んだような気がした。
 錯覚だ、とディテクターは思う事にした。

 右のナイフが折れ、左のナイフが蹴り飛ばされた。
 予備の武器を、ロングコートの内側から取り出している暇はない。
 土器の脛当てをまとった蹴りが、アリーの眼前に迫って来ている。
 一瞬後には、直撃。アリーの首から上が、綺麗に砕け散って跡形もなくなる……と思われた瞬間、蹴りが消えた。
 少女の足が、身体が、サラサラと崩れて塵あるいは灰に変わり、風に舞う。
「何……なんだよ……」
 アリーは呆然と、周囲を見回した。
 少女たちが1人残らず、土偶の鎧もろとも崩壊し、さらさらと風に乗って散り消えてゆく。
 フェイトが何かをしたのか、あるいはディテクターか。アリーにはわからない。
 わかる事は、ただ1つ。
 厄介な敵たちがいなくなった、とは言え状況が好転したわけではないという事実だ。
「おう……っと」
 アリーは羽ばたき、その場を離脱した。
 ゴールドヒル全体を歪める大渦から、またも巨大なものが現れたのだ。
 今度は腕でも前足でもない。激しくうねる、大蛇のような尻尾。
 それが、アリーの近くの空間をブゥンッ! と薙ぎ払って消える。
『……よく……やった……』
 声が、大気を震撼させた。
『……よくやったぞ、生贄ども……よくぞ、時を稼いでくれた……』
 渦の中央に、光が生じた。眼光だ、とアリーは思った。
『我は今……物質の肉体を得て、顕現する……侵略者たるキリスト教徒どもに、真の神の罰を下す……』
 何者かが、大渦の中で眼光を輝かせ、声を発している。
 そこへ、挑みかかって行く者がいた。
 フェイトだった。
 ブラックホールのような大渦へと、まっすぐ走り寄って行く。渦の中で実体化しつつある巨大なものに、拳銃2丁で挑もうとしている。
「……馬鹿! 無茶すんな!」
 アリーは怒鳴り、羽ばたき、猛禽の如く降下して行った。

 フェイトの周囲で、大量の土煙が舞い上がる。
 プロレスラーのような巨体が複数、大渦の中から飛び出して来て着地したところだ。
 レスラーでも力士でもない、人間ですらない者たちが雄叫びを張り上げ、大斧を振りかざしている。
 筋肉の盛り上がった、人型の身体。だが首から上は、角を振り立てる猛牛の頭部である。
「ミノタウロス……?」
 フェイトは立ち止まり、左右の拳銃を構えた。
 大渦は異世界と繋がっており、そこから怪物が現れる事もある。そう聞いてはいたが、しかし異世界との通路は現在、塞がっているはずであった。
 ミノタウロスだけではない。
 大型爬虫類のような生き物が何匹か、皮膜の翼をはためかせて大渦からオレゴン上空へと飛び出し、奇怪な咆哮を轟かせている。竜、いやワイバーンだ。
 ジーンキャリアの材料ともなりうる怪物たちが、異世界からアメリカへと流れ込んで来た。
 それが意味する事実は、1つ。
 異世界への通路を塞いでいた何者かが、大渦の外へと出てしまったのだ。
 ミノタウロスの群れが、襲いかかって来た。あらゆる方向から、フェイトに大斧を叩き付けようとしている。
「どけよ……!」
 両眼でエメラルドグリーンの光を燃え上がらせながら、フェイトは引き金を引いた。
 轟音を伴う銃撃が、左右の銃口からフルオートで迸る。
 念動力を宿した、弾丸の嵐。
 ミノタウロスの群れは、射殺されたと言うより粉砕されていた。
 牛頭の巨体が複数、挽肉と化して飛び散り、血煙を漂わせる。
 その向こう側に、フェイトは見た。
 ミノタウロスなど問題にならないほどの巨体が1つ、観光地オレゴン・ボーテックスを踏み潰しながら佇んでいる。
 それは、巨大な土偶であった。
 以前、資料で見た事がある、アカンバロの恐竜土偶。あれに似ている。
 チュトサイン。
 かつてキリスト教によって駆逐・封印された北米土着の大悪霊が、恐竜土偶の大口で吼えた。
『畏れるが良い、愚かなるキリスト教徒! 侵略者の末裔ども! この地を統べる真の神が今、お前たちに滅びの罰を下す!』
「黙れよ……何が神だ! 何が生贄だ!」
 フェイトは怒り叫び、ひたすらに左右の拳銃をぶっ放した。
 ミノタウロスたちを粉砕した念動の銃撃が、チュトサインの巨大な足に、ぺちぺちと命中している。
 その足が1歩、動いた。
 踏み潰された建物の残骸が、薙ぎ倒された木々が、フェイトに向かって蹴散らされる。
「この馬鹿、何やってる!」
 怒声と共に、凄まじい力が、フェイトを掴んで空中へとさらった。
「アリー先輩……」
「頭ぁ冷やして現実見ろ! あたしらはなぁ、間に合わなかったんだよ!」
 強靭な細腕でフェイトを荷物の如く抱え運び、羽ばたきながら、アリーが叫ぶ。
 目覚めさせてはならなかったものが、目覚めてしまったのだ。
 巨大な恐竜土偶が、観光地の残骸を蹴散らしながら地響きを立て、どこかへ向かう。何匹ものワイバーンを、衛星の如く引き連れてだ。
 目的地など、ない。
 キリスト教に支配された、この国の人間たちを。ひたすら踏み潰す。チュトサインの目的は、それだけだ。
 まずは、この地域の住民を避難させなければならない。
 スマートフォンを取り出しながらフェイトは、心の中で、かつての敵たちに語りかけていた。
(錬金生命体……あんたたちの力、借りるしかないのか……!)

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魂を狩る者たち

「アメリカの弱体化が囁かれ始めて、何年が経ったかな?」
 呑気な口調で、彼女は言った。
「その間、私はしかしこの国で、別に生活に困っていたわけではない。あなた方はどうだ? 確かに困窮している人々はいるだろうが、それはアメリカという国が滅亡の危機に瀕しているからか?」
「何を、わけのわからぬ事を……!」
 米軍高官と思われる人物が、怒り狂っている。怯えてもいる。
「あれを止めろ! 止めたまえ、一刻も早く!」
「そう怯えずとも、世界におけるアメリカの優位が、そうそう揺らぐ事はないよ。貴方たち軍が余程、間違った事をしない限りはね」
 ちょっとした騒ぎが起こっている格納庫内をちらりと見回し、彼女は言った。
「少なくとも……こんなものに頼らなければならないほど、追い詰められているわけではないだろう? 我が合衆国は」
 大した騒ぎではない。
 こんなもの、と彼女が評した機械の巨人が、軽く右腕を動かしているだけだ。
 それだけで、米軍兵士たちは恐慌に陥っていた。意味なく小銃を構えたりしながら、おたおたと慌てふためいている。
 ナグルファル。終末戦争へと向かう戦船の名を冠した、機械の巨人。
 それが今、自分を解体しようとしていた兵士たちを追い払う形に、腕を動かしているのだ。虫を追い払う動きでもあった。
 巨大な五指と掌がブゥンッ! と頭上を通過する。暴風を巻き起こす、平手打ちの空振り。
 軍高官が、よろめきながら怒鳴り喚く。
「止めろと言っておるのがわからんかぁあああ!」
「無理だよ、止められはしない。そもそも動かしてもいない。操縦者が乗っているわけではないのだから」
 操縦者フェイトは、今はこの場にいない。早めにオレゴンへと向かわせておいたのは正解だった。今この場に彼がいたら、米軍相手に一悶着あったのは間違いないだろう。
 あの青年の上司として彼女は、打つべき手は打っておいた。
「何故、動いているのかは我々にもわからないよ。これを造ったのは何しろ虚無の境界だ。果たしていかなる仕掛けが施されているものか……それを調べている最中に、ナグルファルは我々の管轄下から外されてしまったのだ。今これをどうにかしなければならないのは、私たちではなく貴方がただろう。踏み潰される前に止めて欲しいものだが、この様子では無理かな」
「……あまり軍をなめるなよ、IO2」
 軍高官が、血走った目を向けてくる。
「貴様らなど、いつでも国家反逆罪で潰す事が出来るのだぞ!」
「ほう、国家反逆。我々がいつ、そんなお祭り騒ぎを起こしたと言うのか」
「とぼけるな。逃亡者を、組織ぐるみで庇っているのであろうが!」
「逃亡者……ああ、あの親子の事か」
 父親が、米軍兵士数名を殴り倒して逃げている。娘が、そのサポートをしている。
 ただそれだけの事を、国家反逆罪に仕立て上げ、IO2を潰す口実とする。
 米軍あるいは米国政府という組織は、脅しではなく、そういう事を本当にやりかねない。
「それでIO2を本当に潰せるかどうかは、ともかく……あの親子に危害を加えるのは、やめておいた方がいい」
 皮肉ではなく本心から、彼女は忠告をした。
「アデドラ・ドールを、敵に回す事になる」

『連中が、動きたがっている。暴れたがっている……僕の力では、こうして一時的に抑え込んでおくのが精一杯だ』
 少年が、アデドラ・ドールにしか聞こえない声で語りかけてくる。
『早くフェイトと接触しておくれよ。この連中を完全に制御出来るのは、彼だけなんだ』
「わかってるわ。もう少し、頑張りなさい」
 父が米軍から失敬した軍用サイドカー。その側車に乗せられたまま、アデドラは答えた。端から見れば、独り言である。
「頑張れば、どこか違う所へ行ける……かも知れないわよ。あたしの中にいる十把一絡げな連中から、脱却出来るかどうかの瀬戸際よ。頑張ってみなさい」
『あの連中と一緒に、君の中へ閉じ込められたまま……それはそれで居心地いいのが、恐いよね』
 少年が苦笑している。
 かつてオリジナルと呼ばれ、無数の錬金生命体を統轄していた少年。
 統轄者を失った錬金生命体たちが今、ナグルファルに閉じ込められたまま、暴走しかけている。
 それを止められるのは、フェイトだけだ。
 フェイトがいない今、統轄権を今は失っているものの以前は持っていた少年に、頑張ってもらうしかない。
「おいアディ、人死には出てないだろうな?」
 サイドカーを運転しながら、父が心配そうな声を出す。
 米軍の追手から逃れながら、オレゴンへと向かっているところである。
「まったく、何でこんな事になっちまったんだ……」
「……お父さんが、暴力を振るったりするからよ」
 アデドラに銃を向けた兵士を、この父が殴り飛ばしてしまった。
 その結果が、この逃避行である。
「あたしは、銃で撃たれても平気……お父さん、知ってると思ってたけど」
「俺が平気じゃねえんだよ」
 ぶっきらぼうに、父は言った。
「てめえの女房や子供に銃突き付けられて、平気でいられる奴なんていねえ」
「……まあ、あたしがいきなり出て来たのも悪かったけど」
 この父にとってアデドラ・ドールは、もはや監視対象ではなく、単なる家族となってしまっているようであった。
 溜め息をついたアデドラに、声をかけてくる者がいる。アデドラにしか聞こえない声。
『アディ、アディ、一体どうなっているのだ』
 オリジナル、ではない。もっと幼い、男の子の声。
『家の周りに、変な奴らが沢山いるのだ!』
『みんな、てっぽうもってるよー。こわいよー』
 軍が、どうやら家の方にも手を回しているらしい。
「その連中を絶対、家には入れないように」
 アデドラは命じた。
 他人を家に入れない。それに関して、あの兄弟は希有な能力を持っている。
「お母さんたちの身に、何かあったら……2匹とも、普通に魂を食べるだけじゃ済まさないわよ」
『わ、わかっているのだ。狛犬族の名誉にかけて、この家は我らが守ってみせるのだ』
「簡単な事でしょう、貴方たちにとっては」
 アデドラは言った。
「結界を張った家の中で……あたしがいない間せいぜい、のんびりしてなさい」
『もちろんアディがいないと、我ら本当にのんびり出来るのだ』
『おかしも、ぜんぶたべてしまうのだ!』
『だけど……アディの妹が、寂しがっているのだ。泣き止まないのだ』
『だから、はやくかえってくると良いのだぞ』
「……それは、フェイト次第ね」
 アデドラの可憐な唇が、微かに歪んだ。苦笑の形、であろうか。
 フェイトが、おかしな機械に乗って危険な戦いに赴く。それを、あれほど嫌がっていた自分が、しかしフェイトがナグルファルで戦わざるを得ないような状況を作ってしまっている。
 戦場になるであろうオレゴンで、出来る限りフェイトの力となる。アデドラに出来る事は、それしかなかった。

「オレゴン……ボーテックス?」
 ワゴン車を運転しながら、フェイトは言った。
「あの、人の身長が変わったり、斜めに立ったりする所? 聞いた事はあるけど」
『アメリカで最も、磁場の狂いが激しい場所だ。よくわからない、色々な世界とも繋がっている』
 通信機能搭載のカーステレオから、ディテクターの声が流れ出す。
 彼は今、オフロードバイクをこのワゴン車と並走させながら喋っていた。
『ジーンキャリアの材料となる怪物も、そこから出て来た奴が多い』
 フェイトは、ちらりと助手席を見た。
 ジーンキャリアである先輩が、酒瓶を抱えたまま寝息を立てている。
『もっとも今は、異世界との通路は塞がってる。塞いでる奴がいるんだよ。磁場の嵐の中心に、どっかりと腰を下ろしてな』
「あいつか……」
 グランド・キャニオンの遺跡から解放された、禍々しきもの。
 あれからディテクターは単身、その行方を追っていたようだ。そして何かを突き止め、フェイトの前に再び姿を現した。
『奴の目的は、肉体を得る事だ』
 今のところ邪悪な意識の塊でしかないものが、肉体ある完璧な怪物として、悪しき存在を開始しようとしている。ディテクターは、そう言っているのだ。
『無数の霊魂が、奴の肉体の材料となる』
「霊魂が?」
『荒れ狂う霊的磁場で、無数の霊魂を撹拌・練成し、己の肉体に造り変える……それが、奴の目的だ』
「だから、飛行機の霊なんてものを集めてるのか……」
『俺も迂闊だった。奴が人間の霊魂を狙っているものと決めつけ、その線からしか調べようとしなかった……まさか、無生物の霊とはな』
 フェイトは一瞬、車の外に視線を投げた。
 大型のオフロードバイクを荒馬の如く乗りこなしながらディテクターが、ヘルメットの内側で、微かに唇を噛んでいるようだ。
 疑問を1つ、フェイトは投げかけてみた。
「人間の霊魂じゃ、駄目なのかな。そっちの方が、ずっと集め易いような気がするんだけど」
 魂を狩る少女が1人いる。彼女の事を、フェイトは思い出していた。
「何で、飛行機の霊なんてものを……」
『付喪神だ』
 ディテクターが答えた。
『自意識を持つほどに使い込まれ、長く存在し、経験を積んできた無生物……その熟成した霊魂でなければ、邪神の肉体の材料とは成り得ないらしい。俗悪な妄執の塊でしかない人間の霊魂では』
「粗悪品しか造れない、って事か」
 フェイトは苦笑した。
「贅沢と言うか、グルメと言うか……俺の知り合いにも1人、魂の味付けにうるさい女の子がいるけど」
『……アデドラ・ドールか』
「何だ、あんた知ってるのか……そりゃ、そうだよな」
 トップクラスのIO2エージェントが、彼女の名を聞かされていないはずがなかった。
「会った事は、ないよな?」
『会う時は、戦う時……そうなるかも知れん』
「……どういう意味だよ、それは」
 フェイトは思わず、ワゴン車を止めてしまいそうになった。
 ディテクターが、ヘルメットのバイザー越しに、鋭い視線を向けてくる。
『あれはな、あの土偶どもなど問題にならないほど危険な怪物だ……お前にも理解出来ない事ではないだろう』
「……確かに、とんでもない能力は持っている。だけど」
 フェイトは、言葉に詰まった。
 IO2にとってアデドラ・ドールは、今のところは監視対象でしかない。
 だが仮に抹殺対象となれば、ディテクターに命令が下るかも知れないのだ。
『……今は、それを議論するべき時ではないな』
 ディテクターは言った。
『今、排除しなければならない危険な怪物がいる。急ぐとしようか』
「……そいつの、名前は?」
 アデドラの事を、フェイトは半ば無理矢理、頭から追い出した。
「相変わらず、名無しの『禍々しいもの』で通すのかな」
『チュトサイン』
 謎めいた名詞を、ディテクターは口にした。
『とんでもなくマイナーな化け物だが……それはつまり語り継ぐのも憚られるほどの恐ろしさなんだと俺は解釈している。油断するなよ、フェイト』

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探偵、再び

飛行していると言うより、空中に立っている。
 まるで目に見えぬ足場があるかの如く、高空に佇み、身構える少女たち10数人。全員、たおやかな美貌で赤い瞳を輝かせ、しなやかな細身に、南米土偶を思わせる土器の甲冑をまとっている。
 そんな集団に囲まれたまま、アリーは背中から猛々しく翼を広げはためかせ、羽を散らせていた。
 舞い散る羽と一緒に、光が飛んだ。全方向に、まき散らされた。
 翼の羽ばたきに合わせて翻る白いロングコートから、何本もの閃光の筋が発射されたのだ。アリーを取り囲む、少女たちに向かって。
 投擲用の、小型のナイフ。
 飛来したそれらを少女たちは、土器の水着のようでもある鎧で受けた。肩当てが、胸当てが、篭手と脛当てが、小型のナイフを弾き返す。腹部や太股といった露出部分を巧みに庇う、高度な防御技術であった。
 跳ね返ったナイフを蹴散らすように、少女たちは攻撃に転じていた。目に見えぬ足場を蹴って、空中で疾駆・跳躍する。全方向から、アリーへと向かって。
 しなやかな繊手が、スリムな美脚が、土偶の篭手や脛当てで武装したままアリーを襲う。パンチ、手刀、蹴り、様々な形でだ。
 グランド・キャニオン遺跡内での戦いでは、この少女の1人が、飛び蹴りの1発で、半機械の大男を破壊したものだ。
 その蹴りを、アリーはナイフで受け流した。
 左右それぞれの手で握った、2本のナイフ。あっさり跳ね返された投擲用のものとは違う、鉈のような大振りの凶器である。
 左右のそれらを、アリーは防御の形に振るい続けた。
 大型の刃が2本、少女たちの鋭利な手刀を跳ね返し、高速の拳を受け流し、暴風にも似た蹴りを防ぎ止める。
「くっ……てめえら……ッ!」
 空中で、アリーは防戦一方に追い込まれていた。
 見上げながらフェイトは、とりあえず拳銃を抜いた。
 念動力で、自分の身体を空中に浮かべる事は、出来なくもない。だが浮かぶのが精一杯だ。このような縦横無尽の空中戦など、不可能である。
 この戦いにフェイトが参加しようと思うなら、地上から撃つしかない。
「結局……戦いになっちゃうのか……」
 アリーが一方的に戦いを始めてしまった、という状況ではある。
 アリゾナ砂漠の、地平線上。
 飛行機の墓場から、音を立てない航空機が次々と離陸発進してゆく。北西……オレゴンの方向へと。
 一体、何が目的でそんな事をしているのか、少女たちからもう少し話を聞いておきたかったところだ。
 だが彼女らが、訊いただけで素直に目的を話してくれるとも思えなかった。結局、最終的には戦いになるのだ。
 左右2丁の拳銃を、フェイトは空中に向けた。
 アリーへの誤射を避けるには、念動力による弾道修正が必要になるだろう。
 空中を睨むフェイトの瞳が、淡く緑色に発光し始めた、その時。
 気配が、フェイトのすぐ近くに生じた。それと同時に、攻撃が来た。
 とっさに、フェイトは後方へと跳んだ。風を巻き起こすものがブンッ! と眼前を通過する。
 かつて半機械の大男を一撃で粉砕した、蹴り。
 その凄まじい空振りに煽られるかの如く、フェイトは微かによろめいた。
「戦わないで……お願い……」
 土器の脛当てを履いた片足を、優雅に着地させながら、少女が言う。
「あの御方に、逆らわないで……」
「逆らっては駄目、戦っては駄目」
「あの御方を、怒らせては絶対に駄目……」
 1人だけではない。3人、5人……土偶の鎧をまとう少女たちが、フェイトの周囲で、いつの間にか10名を超えていた。アリーと空中戦を繰り広げている者たちと、ほぼ同数である。
 こちらでは、地上戦が行われようとしていた。
 戦わないで、と口で言いながら少女たちは、フェイトに向かって、じりじりと包囲の輪を狭めつつある。
 拳を突き込もうとする構えを、蹴りを跳ね上げようとする構えを、保ちながらだ。
 左右それぞれの手に拳銃を握ったまま、フェイトは両腕を広げていた。
 フルオートの掃射で、全員を瞬殺する。それが出来なければ自分が死ぬ。
 わかっていながらフェイトは、引き金を引く事が出来ずにいた。
 弾が当たれば死んでくれる相手なのか。まず、それがわからない。対霊銃弾でなければ倒せない邪精霊が、甲冑となって彼女たちを護っているのだ。通常の銃撃で、果たして倒せるのか。
(違う……俺がまた、悪い癖を出してるだけだ!)
 日本でも、同じような戦いがあった。あの時は、フェイトの妹とも言える少女7人が相手であった。
 醜悪な怪物が相手であれば、引き金などいくらでも引ける。
 だが今、自分を取り囲んでいるのは、あの時と同じ、美しく可憐な少女たちだ。
 それだけで、引き金が引けなくなってしまう。自分が男だからか、などとフェイトが思っている間に、少女たちは一斉に動いた。フェイトに向かって、全方向から踏み込んで来る。
 ……否。踏み込もうとした彼女らの動きが、硬直した。
 アリゾナ砂漠全域に響き渡るかのような、爆音。それが、少女たちを打ち据えていた。
 爆音と、土煙。
 それと共に、巨大な獣が視界に飛び込んで来た。フェイトには、そう見えた。
 大型の、オフロードバイクだった。
 巨大な二輪が、砂漠の地面を大量に削り噴出させながら停止する。
 噴出した砂塵を、後方へ跳んでかわしながら、少女たちは息を呑んだ。
「貴方は……」
 その言葉には応えず、ライダーが長い脚を高々と跳ね上げて砂漠に降り立ち、まるでフェイトを庇うように佇んだ。
 恐らくは防弾機能を有しているのであろうロングコートの下に、甲冑のようなプロテクターを装着している。
 そのせいで筋骨隆々に見えるが、実際の体格はかなりスリムだ。それでも無駄なく鍛え込まれた筋肉の強靭さは、防具の上からでも見て取れる。
 首から上は、仮面のようでもある重厚なフルフェイス・ヘルメット。
 鋭い眼光を、その下に潜ませたまま、男は右手で躊躇なく拳銃をぶっ放していた。一見いささか古臭い、リボルバーである。銃口が、少女たちに向かって容赦なく火を噴く。
 何人かが、土偶の鎧から火花を散らせながら、よろめいた。
「あ……貴方とは、戦えない……」
「お願い、戦わないで……追って、来ないで……お兄様」
 よろめきながら、少女たちが姿を消す。
 地上から、空中から。土器の甲冑をまとう少女たちは1人残らず、消え失せていた。まるで立体映像のスイッチを切ったかのようにだ。
「……無様だな、フェイト」
 男が、フルフェイス・ヘルメットを脱ぎながら言った。
「敵が女子供の姿をしているというだけで、撃てなくなる……最近のIO2は、そんな奴でもエージェントが務まるのか」
「あんた……」
 黒髪に、冷たく整った容貌。暗黒色のサングラス。
 ヘルメットの下から現れたのは、伝説の男だった。ディテクター。探偵と呼ばれるIO2エージェント。
「……人の事、言えんのかよ。てめえ」
 バサッ! と荒々しく、アリーが着地して来た。
「見てりゃわかる。てめえ、鎧のとこしか狙ってなかったろ? 女の顔や腹や太股は撃てねえ。IO2エージェントってのは、ま、そんな甘ちゃんでも務まるお仕事ってこった」
「……珍しい動物を連れているな、フェイト」
 煙草をくわえ、鮮やかな手つきで火を点けながら、ディテクターは言った。
「単身であいつらと戦える化け物……ジーンキャリア、か? あの男を思い出すぜ」
「てめ……あたしはこいつのペットじゃねえぞコラ!」
「まあまあ先輩。俺も、そんなつもりはありませんから」
 先輩2名の間に、フェイトは割って入った。
「……お久しぶり、だよな。あの子たちが出て来たから、いずれあんたも関わってくるんじゃないかと思ってたよ」
「全ては、俺の私情が原因……俺は、お前以上に無様だよ」
「あんたは、自分の妹さんを助けただけだろう」
 言いつつフェイトは、砂漠の地平線に視線を投げた。
 飛行機の亡霊は、もういない。少女たちの誘導を受けて1体残らず、どこかへと飛び去ってしまった。
「どこだ……あいつら、どこ行ったんだよオイこら」
 アリーが、怒声を張り上げた。
「てめえの何だ、妹が原因? どういう事だか言ってみねえか、おう!」
「道中で説明はしてやる。お前たちも、車に戻れ」
 ディテクターが、ひらりとバイクにまたがりヘルメットをかぶった。恐らくは携帯電話やスマートフォンと繋げられるヘルメット、なのであろう。
「奴らの行き先は……お前たちと同じ、オレゴンだ」

 時の人、とも言うべき勢いを見せていた1人の上院議員が、死亡した。
 ナグルファルの件が、しかしそれでうやむやになる事はなく、米軍の一部隊が我が物顔でIO2本部・地下格納庫に乗り込んで来たところである。
 今から正式に、ナグルファルは軍の管轄下に移る事となる。
 ラグナロクへと向かう戦船の名を冠した、機械の戦士。その巨体に蟻の如く群がる、米軍の技術者たち。
 分解して運び出そうとしている、ようであるが、何しろヴィクターチップを内蔵した、巨大な錬金生命体とも言える兵器である。うかつに分解など試みようものなら、自動操縦で暴れ出しかねない。
「……ただの機械、としか思ってねえんだろうけどな。軍の連中は」
 男は、忌々しげに呟いた。
 暴走させずにナグルファルを動かす事の出来る唯一の人材は今、軍から逃げるようにオレゴンへと向かっている最中である。
 政府も軍も、フェイトの身柄拘束には成功していない。
 だからこうして、いささか強引にナグルファルを押収せんとしている。
「ま……フェイトの奴を捕まえるよりは、楽だろうな」
 男は呟いた。
 フェイトの教官、と見られている。フェイトを育てた人物として、一目置かれる事もある。
 自分は何もしていない、と彼は思っている。あの若者自身が、元々秘めていたものを開花させただけだ。
「連れて行かないで」
 声がした。冷たいほどに涼やかな、少女の声。
「彼らは、泣いている」
「お前……」
 男は息を呑んだ。
 自分が娘として育てている少女が、そこに立っている。
 いや、育ててなどいない。怪物として育ってしまった少女を、自宅に引き取り監視しているのだ。
 それでも自分の娘、家族である事に違いはない。
 そんな少女に、米軍兵士の1人が小銃を向ける。
「おい、何だお前は! ここは関係者以外、立ち入り禁止……」
 ごく当然の事を言おうとする兵士に向かって、男は踏み込み、拳を振るっていた。
 娘に、銃を向けている。それだけで、身体が勝手に動いていた。
 我に返った時には、すでに遅い。強烈な手応えが、拳を震わせている。
 兵士は倒れ、白目を剥いていた。
 活を入れてやれば意識を取り戻すだろうが、そんな場合ではなさそうである。
「おいそこ、何をしている!」
「くそ、やっぱりIO2の連中は信用ならん!」
 兵士たちが、走り寄って来て小銃を構える。
 いや。構えようとしながら、ことごとく倒れてゆく。
 男は振り向いた。
 少女の瞳が、冷たく発光している。氷河を思わせる、アイスブルーの眼光。
「人死に……出しちゃ、いないだろうな?」
「魂を麻痺させただけ」
 少女のひんやりとした繊手が、男の太い腕を抱え込んで引っ張った。
「それより行くわよ、お父さん」
「ど、どこへ……」
「オレゴン」
 父親の巨体を引きずって歩き出しながら、少女は言った。
「家の事は、あの2匹に任せておけばいいから……あたしたちは、あたしたちで出来る事を」 

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