怒りのグリフォン

フェイトは即座に、カーステレオのスイッチを切った。
 思わずハンドルを手放して耳を塞いでしまいたくなるようなニュースが、流れたからだ。
「……死んだ……のかよ……」
 強いアメリカの復活を叫び、米国民の圧倒的支持を得つつあった某上院議員が、ニューヨークの自宅で死亡した。拳銃自殺であったという。
 極度の嫌日派としても知られた人物である。その事を謝罪する内容の遺書が、残されていたらしい。
 フェイトの頭にまず浮かんだのは、いつかのサマーキャンプで出会った少年の顔である。
 父親を失っても彼は、あれほど尊大でいられるのか。取り巻きの少年たちに、見捨てられずにいられるのか。
 まず拳銃自殺でなど、あるわけがなかった。あの人物が、謝罪の遺書など書くわけがない。
 偽装。すなわち、殺されたのだ。
 殺される直前、名指しでフェイトに護衛を依頼してきた。無論、ナグルファルの操縦者を陣営に取り込んでおこうという下心はあったのだろうが、命を狙われていたのは間違いない。
 その依頼から逃げる格好でフェイトは今、オレゴンに向かっている。
 命を狙われ、助けを求めてきた人間を、自分は見捨てたのだ。
 次の瞬間、フェイトが慌ててハンドルを切ったのはしかし、そんな考え事をしていたからではない。
 飛行機が、頭上すれすれの高さを通過して行ったからだ。
「何だ……ッッ!」
 フェイトの目には、飛行機に見えた。旅客機か戦闘機か、とにかく翼ある巨大な鉄の塊が……墜落して来た、ようにしか感じられなかった。
「何だ、おい……」
 助手席で眠っていたアリーが、不機嫌そうに目を覚ます。
 ガードレールに激突する寸前で、ワゴン車は止まっていた。
 墜落して来たはずの飛行機の残骸は、どこにも見えない。
「いや、その……今、飛行機がですね……」
「フェイトてめえ、酔っ払い運転でもしてんじゃねえだろうな?」
 寝ぼけ眼のまま、アリーが迫って来る。
「あたしの酒、こっそり飲んでんじゃねーだろぉなあ!?」
「飲んでません!」
「飲みたきゃ言えよ……口移しで、飲ませてやっから……」
「はいはい。寝てて下さい」
 やんわりとアリーを振りほどき、助手席に寝かしつけてから、フェイトはワゴン車を発進させた。
 ユタ州に入ったところである。目的地オレゴンまでは、まだ遠い。
 だがすでに、怪異は始まっている。フェイトは、そう思った。

 フェイトは、再び車を止めた。
 先程の自分たちと同じような状況を、前方に発見したからだ。
 1台のオープンカーが、ガードレールに激突する寸前で停止している。路面には、ブレーキ跡が焼き付いている。
 カップルであろうか。運転席の男性と助手席の女性が、呆然と空を見上げていた。
「すみません、何かあったんですか?」
 フェイトが声をかけると、男性の方がまず我に返った。
「あ……ああ、ごめんなさい。道、塞いじゃって」
「あの、もしかして」
 フェイトは、思い切って質問してみた。
「……飛行機でも、見ましたか?」
「何だ、貴方も見たんですか。いやあ、続いているらしいんですよ。ここ何ヶ月か」
 航空機が、墜落も同然の高度を飛び、頭上すれすれの位置を通過して行く。
 慌てて車を止め、見上げ見回してみても、そんな飛行機はどこにも見えない。問い合わせ、調べてみても、その時間にその場所を飛んでいた航空機など存在しない。
 そんな事件と言うか怪奇現象が、この数ヶ月の間、頻発しているという。
 怪奇現象。フェイトにも、それ以外の表現は思い浮かばなかった。
 あれほど低い高度で飛行機が通過すれば、衝撃波にも近い暴風が地上を襲うはずである。
 無風状態で、低空を飛んで行く航空機。
 実体がある、とは思えない、まるで幻のような航空機。
(飛行機の……幽霊?)
 助手席で寝息を立てているアリーが聞いたら大いに呆れるであろう事を、フェイトは心の中で呟いた。
 いくらか昔の話だが、ゴーストネットOFFで特集が組まれた事がある。
 ユタ州の南、アリゾナ州。そこには『飛行機の墓場』として知られる空軍基地がある。
 耐用年数の過ぎた飛行機が大量に集められた場所で、航空機の亡霊、とも呼ぶべきものが出没するらしい。
 付喪神のようなもの。ゴーストネットOFFの管理人である少女は、いくらか興奮気味にそう語っていた。
 機械の乗り物でも、ある程度の年月、愛情や情念を込めて使用すれば、自意識のようなものを持ってしまう事が、稀にあるらしい。
 つまり死ねば幽霊になる、という事だ。
 自意識のある乗り物なら自分もつい最近、操縦した事がある、とフェイトは思い出した。
 自分の意識の方が、乗っ取られかけた。
 あれに比べれば飛行機の亡霊など、仮に実在するにしても可愛いものだ。
 ふわ……っと、微風のような気配が漂って来た。
 フェイトはワゴン車の扉を開け、運転席から路上に降り立った。
 そこに、少女は立っていた。
 人形のような美貌。真紅の瞳に、長い黒髪。ほっそりと優美な身体を包む、土偶のような甲冑。
「あんた……!」
 フェイトは息を呑んだ。
 間違いない。いつかグランド・キャニオンの遺跡で、虚無の境界によって量産されたクローンの少女。
「貴女は、何も見ていない……このまま、立ち去って下さい」
 赤い瞳を、じっとフェイトに向けたまま、少女は言った。
「1度だけ警告する事を、あの御方はお許し下さいました……恐ろしい方です。関わってはいけません」
「あの御方って……」
 訊くまでもない事ではあった。
 グランド・キャニオンの遺跡より解放されてしまった、悪しきもの。
 キリスト教が北米大陸に持ち込まれる以前、先住民族によって崇められつつ恐れられていた、禍々しき存在。
「あの御方と、関わり合っては駄目。戦っては駄目……お兄様にも、そう伝えて」
 土偶の鎧で武装した少女の細身が、ふわりと空中に浮いた。
「あ……おーい、ちょっと」
 フェイトがそんな声を発している間に、少女は消えていた。
 消えた、としか思えないほどの超高速飛翔。
 南方向へと飛んで行った。フェイトが目で見て理解し得たのは、それだけである。
 南。アリゾナ州の方角。
「……ガールハンティングか? あたしが寝てる間に」
 アリーがいつの間にか目を覚まし、助手席でニヤニヤ笑っている。
「ま、ものの見事に振られちまったみてえだが」
「アリー先輩……オレゴンまで、急ぎってわけじゃないですよね。あんな人形博物館なんかに寄ってる暇があるんですから」
 フェイトは運転席に戻り、言った。
「もう1つ……寄り道しますよ」

 アリーは別に、呆れたりはしなかった。
「飛行機の幽霊……ね。ま、呑気で平和な連中さ」
「先輩、見た事あるんですか!?」
 ハンドルを転がしながら、フェイトは訊いた。
 2人を乗せたワゴン車は今、アリゾナの砂漠を猛然と突っ切っている最中である。
「空飛んでるとな、いろんな奴を見かけるのよ……にしても、おかしい事ぁおかしいな。のんびり空飛んでるだけのアイツらが、低空飛行で人間を脅かすなんざあ」
 豊かな胸を抱くようにアリーは腕を組み、思案している。
「暴走してる……させてる奴が、いるって事か」
 その声が、静かな怒気を孕む。
「だとしたら許せねえ……ぼんやり気ままに飛んでるだけの無害な連中を、くっだらねえ事に利用するなんざ」
 航空機の幽霊。それはアリーにとって、仲間のようなものなのだろう。
(同じ飛行妖怪として……って事かな)
 そんな事をもちろん口に出したりはせず、フェイトはワゴン車を止めた。
 飛行機の墓場が、見えてきたからだ。
 残骸になりかけた大小様々な航空機が、砂漠の地平線上にずらりと並べられている。
 死せる飛行場。
 そこから、しかし音もなく離陸発進している航空機たちがいた。
 もはや殺戮の任務を帯びる事もないはずの戦闘機。わがままな乗客を運ぶ仕事から解放されたはずの旅客機……飛行機の亡霊たちが、規則的に飛び立って行く。1機の例外もなく、北西の方角へと向かっている。
 向かわされている、と言うべきか。
「まさか……オレゴンの方向?」
 フェイトは呟き、アリーは叫んだ。
「おい、やめろ……やめねえか!」
 助手席の扉を、蹴破るように開き、砂漠へと飛び出しながら、アリーは吼えた。
「クソッタレな人間やら爆弾やら、くだらねえもの運ぶ仕事ばっかやらされてた連中だぞ! それがやっと、のんびり自由に空飛べるようになったんだぞ! ふざけた事に使うんじゃねえ、利用するんじゃねえ! やめろ、やめろったら!」
 その叫びに応えるかの如く。空中に、複数の人影が現れた。
 土偶の鎧をまとう、少女たち。
「来ないで……と言ったのに……」
 天使のように妖精のように浮遊霊のように、ふわふわと砂漠の上空を飛び回りながら、彼女たちは泣いていた。涙が、キラキラと美しく散り漂った。
「あの御方に逆らわないで、と言ったのに……」
「お兄様に伝えて、と言ったのに……」
「……悪いけど、あんたたちを放置しておくわけにはいかない」
 同じく車外へと降り立ちながら、フェイトは言った。
「何だかとんでもないものを、遺跡から叩き起こして野放しにしちゃったまんまだからな」
「貴方は……! あの御方の恐ろしさを、何も知らないから!」
 少女の1人が、叫ぼうとする。
 その前に、アリーの怒声が響き渡った。
「てめえらに空飛ぶ資格はねえ……切り刻んでブチまける!」
 バサッ! と荒々しく羽が散った。
 アリーの背中から、翼が広がっていた。
「鳥葬だ! ハゲタカの餌にでもなりやがれッ!」

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翡翠の瞳の魔人形

「えーと、ここって……休憩所、なんですか?」
 オレゴンへ向かう途中、ケンタッキー州某所である。
 奇怪な建物の前で、フェイトは車を止めた。同乗者のアリーが、そう命じたからだ。
 奇怪なものは見慣れているはずのフェイトですら、思わず息を呑んでしまうような光景である。
 人形たちが、建物の外にまで並べられていた。
 下唇が動くように作られた、腹話術人形の群れ。今にも一斉に、喋り出してしまいそうだ。
 フェイトは看板を見た。
 腹話術人形博物館。そう表示されている。
「休憩お断り、とは確かに書かれてませんけど……もうちょっと落ち着いて休める場所、ありそうじゃないですか」
「あたしは、ここで休むって決めたんだよ。人形博物館だろうが死体博物館だろうが、水くらい飲ませてくれるさ」
 アリーはさっさと車を下り、博物館の受付へと向かった。
「とにかく、喉が渇いた」
「飲み過ぎですよ、まったく……お酒は大量に買い込んであるくせに、水は全然用意してないんだから」
 ぼやくフェイトを無視して、アリーは受付の係員に馴れ馴れしく話しかけていた。
「大人2人……いや、こいつは見ての通り童顔だから子供料金でいいよな?」
「申し訳ございません。ご予約のお客様以外の方には、入館をお断りさせていただいております」
 人形博物館だからか、係員までもが、まるで精巧な人形のようである。フェイトは、そう感じた。
「固い事言うなって。ほら、チップやるから水持って来い水」
 絡むアリーを、係員が拒む。まるでレコーダー仕掛けの人形のように。
「申し訳ございません。ご予約のお客様以外の方には、入館をお断りさせていただいております」
「てめ、チップやるからっつってんだろーがあああ!?」
「先輩、アリー先輩」
 フェイトは後ろから、アリーの腕を引いた。
「もうやめましょう。どこからどう見ても、単なる悪質クレーマーです」
「フェイトてめえ、初志貫徹って言葉ぁ知らねえのか? 日本語にもあるだろうが」
 牙を剥きながら、アリーは言った。
「あたしはな、ここで御休憩するって決めたんだよ。御休憩……んっふふふ、何だかラブホテルみたいだにゃー」
「……まだ酔っ払ってますね、先輩」
 絡み付くアリーを、フェイトはやんわりと振りほどいた。
 この先輩が、本気の怪力で絡み付いて来たら、少なくともフェイトの腕力では抵抗出来ない。
「ちょっと、失礼いたしますよ」
 アメリカ人の家族連れが、傍らを通り過ぎて受付へと向かった。
 白人の夫婦と、幼い娘。どうやら予約済みの客であるらしく、係員が丁重に館内へと導き入れている。
 アリーが激昂した。
「おい差別すんのか、こっちが日本人連れだからって! だからアメリカは人種差別大国とか言われんだよ、わかってんのかコラ!」
「やめて下さい先輩! しょうがないじゃないですか、予約してないんだから」
 フェイトは、ひたすら宥めるしかなかった。
「とにかく水なら、その辺のコンビニで買いましょう。オレゴンまで、急がなきゃいけないんでしょうが」
「さあな。急ぐほどの仕事なんだかどうか」
「え……っと、アリー先輩もしかして詳しい事は全然」
「知らねえよ。だって、あのオバちゃんが教えてくんねーんだもん」
 この先輩とあの女上司は、旧知の間柄であるらしい。
「とにかく、おめえをオレゴンまで連れて行く。あたしが命令されたのは、それだけさ」
「……じゃあ行きましょうよ。何にしても仕事なんだから、急がなきゃ」
「タイム・イズ・マネーの考え方が、遺伝子レベルで染み付いてやがるんだよな。日本人って連中は」
 アリーは、苦笑したようである。
「仕事……か。あたしが、この世で2番目に嫌いな言葉だよ」
「……1番目が何なのか、訊いてみてもいいですか?」
「虚無の境界」
 アリーは即答した。
「なあフェイト、おめえも薄々は気付いてんだろ? あのクソったれどもと、うちの組織が……上の方でベタベタずぶずぶ、くっついちゃってやがる事」
 フェイトは、即答出来なかった。
「今のIO2で仕事をする。そいつぁつまり、虚無の境界どものために仕事をする……って事に、なっちまってんじゃねえのか?」
 巨大な人型兵器に搭乗し、フェイトは戦った。
 それは結局、虚無の境界の思惑通りだったのではないか。あの組織のためになるような事を、自分はしてしまったのではないのか。
 フェイトがずっと、抱き続けている思いである。
 カタカタと、奇妙な足音が聞こえた。
 先程の、白人の家族連れが、館内から出て来たところである。夫婦と、幼い娘。
 その娘が、奇妙な足音を鳴らしながら、固く甲高い声を発している。
「パパ、ママ、タノシカッタネー」
 下唇が、カクカクと開閉している。
 父親と母親が、にこにこ笑いながら、そんな娘の手を左右から握っている。
 いや娘ではない。あの娘と同じような服を着た、それは明らかに人形であった。
 この夫婦は、展示品の人形を持ち出し、代わりに自分たちの娘を館内に残して来たのか。
 フェイトは思わず、声をかけていた。
「あの……! すみません、その人形は」
「は……私どもの娘が、何か?」
 父親が、怪訝そうな声を発する。
 母親が娘を、いや人形を、庇うように抱き寄せながらフェイトを見据える。
 変質者か犯罪者を見る目であった。
 警戒を露わにしながら人形の手を引き、そそくさと去って行く夫婦を、フェイトは呆然と見送るしかなかった。
「先輩……俺、ちょっと気が変わりました」
 見送りつつ、言う。
「何か突然、腹話術に興味が出て来ました。ご予約してませんけど、ここ寄って行きましょう」
「のんびり御休憩ってワケにゃあ、いきそうにねえけどな」
 ポキポキと拳を鳴らしながら、アリーが受付へと向かう。
 受付から館内へと通じる入口の扉が、露骨にアリーを拒む形に閉じて施錠された。
 無論そんなもので、この先輩を妨害出来るわけがないのだが。
「ち、ちょっと待って下さい」
 扉を叩き破ろうとするアリーを、フェイトは止めた。
「同じ不法侵入でも、少し穏便に行きましょう」
「何だよ、面倒臭えな」
 そんな事を言いながらアリーが、ちらりと見上げる。
 博物館の、2階の窓が開いていた。
「よっし、あそこから行くぞ」
「え……でも、あれって露骨に罠」
 言いかけたフェイトの首根っこを、アリーは問答無用で掴んだ。
 バサッ! と何枚もの羽が舞い散った。
 一対の翼が、アリーの背中から広がっていた。
「何で罠を仕掛けてあるかって言やあ、あたしらみてぇなのを近付けねえためだろうが!」
 フェイトを掴んだままアリーが、2階の窓に向かって、空中を突進して行く。軽やかさの欠片もない、獰猛極まる飛翔であった。
「敵を一番、近付けたくねえ大事な場所って事だ!」
「お、俺を罠避けにする気満々ですか先輩もしかして」
 悲鳴じみた声を発するフェイトを、アリーは航空便の如く運んだ。

 罠というほどの罠は、仕掛けられていないようである。
 人形たちが、ただ展示されているだけだ。
 これらを制作した人々には無論、不気味なものを作るつもりなどなかったのであろう。
 だが腹話術、つまり喋らせるための人形たちである。人間の真似事をさせるために、作られたものたちである。
 人間に成りかけのまま成りきれなかった存在。
 そんなものの群れが今、自分を取り囲んでいる。
 どうしても思い出してしまうものが、フェイトにはあった。
「忘れられるものでもないし……な」
 フェイトはつい、呟いてしまった。
 アリーは何も言わない。つまらない独り言など、聞こえないふりをしてくれたのか。
 アリーではない何者かが、声を発した。
「オニンギョウ……」
 人形たちの下唇が、カクカクと動いている。
「オマエ、オニンギョウ。オニンギョウ」
「オイラタチト、オンナジ、オニンギョウ」
 固く、冷たく、甲高い声が、様々な方向からフェイトに浴びせられた。
「イジラレマクッタ、オニンギョウ……」
「ニンゲンヤメテ、オニンギョウ」
「フクワジュツ、ノカワリニ、ヒトゴロシ。ヒトゴロシ」
 無機的な口調で囃し立てる人形の群れを、フェイトは見回した。
「……その手は、古いな。少し前の俺だったら、とんでもない心のダメージ食らってただろうけど」
 またしても独り言が漏れた。アリーは、やはり何も言わない。
 聞こえないふりをしてくれている、わけではなかった。
「先輩…………!?」
 アリーの姿は、どこにも見えない。
 罠というほどの罠は、仕掛けられていない。そんなふうに思っていた己の迂闊さを、フェイトは呪った。
「くそっ……!」
 禍々しい気配のようなものが、博物館の奥の方から漂って来る。
 囃し立てる人形たちを蹴散らすように、フェイトは駆けた。

 1人の幼い少女が、椅子に座って人形を抱いている。
 その人形が、カタカタと下唇を動かし、言葉を発した。
「困るな君……予約のない客は、お断りだと言うのに」
 小さな女の子が、見事な腹話術を披露している、ように見える。
 あの白人夫婦の、娘だった。
 その愛らしい顔には、表情がない。抱かれた人形の方は、醜悪なほどに表情が豊かである。
 少女の方が、今や人形と化しつつある。フェイトには、それがわかった。
「……こうやって人形を増やしてる、と。そういうわけかい」
「この少女は、特に素晴らしい人形になるだろう。あの夫婦は、私が代わりに与えてやった粗悪品の人形を、これからは娘として大事に大事に育ててゆくことになる……くく、くっくくく育つわけがないのになあああ」
 表情豊かに笑いながら、人形が禍々しい眼光を発する。
 この眼光で、あの夫婦は暗示のようなものをかけられたのだろう。
「この愛らしい娘が、人間として世の汚れにまみれながら醜く老いさらばえてゆく。私は、そんな事には耐えられん。だから人形として、永遠の時を」
「ごめん、その手の話は聞き飽きてるんだ。職業柄、もう嫌になるほど相手にしてるんでね。あんたみたいな連中」
 フェイトは言った。
「……俺の先輩を、どこに隠したのか。それだけ訊いておこうかな」
「隠してなどいない。ほれ、そこにいる」
 部屋の片隅で、アリーは椅子に座っていた。
 表情がない。この小さな女の子と同じく、人形になりかけている。
「なかなか面白い人形になってくれそうなのでね。この娘の、おまけのようなものだ」
「先輩がそれ聞いたら、あんたバラバラにされるよ」
 言いつつフェイトは、人形を睨み据えた。
 エメラルドグリーンの瞳が、一瞬の輝きを発する。力が、眼光と共に放たれる。
 少女の腕の中で、人形が砕け散った。
 人形を失った少女が、がくりと椅子から崩れ落ちる。
 その小さな身体を、フェイトは抱き止めた。
「パパ……ママ……」
 人間としての意識を取り戻しながら、少女が微かな声を漏らす。
 両親のもとに返してやるには、警察の力を借りる事になるだろう。問題は、あの夫婦にかけられた暗示が解けているかどうかだ。
「いっ……てぇ~……」
 誰かに抱き止めてもらう事もなく床に倒れたアリーが、億劫そうに身を起こしている。
「畜生、何だってんだ……二日酔いみてえに最悪の気分」
「ま、車の中で休んでて下さい。オレゴンまで俺が運転しますから」
 この先輩はもしかしたら最初から、放置出来ない邪気のようなものを、この博物館に感じていたのかも知れない。フェイトは、そう思った。

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酔っ払いボニーと草食系クライド

ナグルファルが正式に、法的に、IO2からアメリカ政府へと移管されつつある。
 その流れは、どうやら止められそうにない、と上司の女性は言った。
 元々、IO2に正式な所有権があったわけでもない。虚無の境界から奪ったものを、勝手に使っていただけだ。
 政府からの圧力に、IO2が屈した……と言うよりも、両者の間で何かしら取引のようなものが交わされたのではないか、とフェイトは思っている。
「どっちにしても同じ事……ですけどね」
 IO2上層部にしても、米政府にしても、信用出来ないという点においては同じだ。ナグルファルの所有権がどちらにあろうと、安心・安全とは程遠い状態である事に違いはない。
「あんまり、うぬぼれたくはないんですが……ナグルファルの操縦者っていうのは、やっぱり?」
「お前以外には考えられん。政府関係者にしてもそれは同じだ、フェイト」
 女性上司が、難しい表情と口調で言った。
「もちろん、お前は虚無の境界からの押収物ではなくIO2の正式な職員だ。政府としても、無理矢理に身柄を奪うというわけにはいかんだろうが」
 アメリカ政府は今後、あの手この手でフェイトを引き抜きにかかるだろう。彼女は、そう言っているのだ。
 あの戦いを、フェイトは思い返した。いや思い返さずとも身体が、脳が、感覚を忘れてはくれない。
 自分がナグルファルを操縦していた、などというものではない。むしろナグルファルの方が、操縦者たるフェイトを支配しかけていた。
 あの機体の中枢を成すヴィクターチップ……錬金生命体たちの荒ぶる魂の集合体と言うべきものが、フェイトの精神を、ほぼ乗っ取っていたのだ。
 最終的に辛うじて乗っ取られずに済んだのは、1人の少女と、彼女が一時的に解放してくれた少年のおかげだ。
 つまり自分は、運が良かったのだ。
「……何を考えている? フェイト」
 思いの中に沈みかけていたフェイトの顔を、女性上司がじっと見据えてくる。
「当ててやろうか。ナグルファルは、自分が最後まで責任を持って管理しなければならない……たとえアメリカ政府に引き抜かれてIO2を辞める事になったとしても。そんなところだろう?」
「俺は……」
 ためらいがちに、フェイトは言った。
「約束……したんです。あいつらの怒り、憎しみ、全部俺が受け止めてやるって」
「その責任感を利用され、お前は結局、政府の意のままにナグルファルを動かす事になる。いや政府と言うより、あの上院議員殿のな」
 女上司はそこで、軽く溜め息をついた。
「……実はその議員殿から、お前に名指しで依頼が来ている。ボディーガードの要請だ」
「名指しですか。前もありましたね、そんな事」
 あの時の依頼人は、フェイトの個人的な知り合いでもある、英国の大富豪だった。
「まあ、それはともかく……ボディーガード、ですか?」
「あの議員殿、どうやら命を狙われているらしい。蜜月関係、と思われていた相手にな」
「……虚無の境界、ですか」
 かの組織は、あの上院議員を、傀儡政権のような形で擁立しようとしている。
 傀儡が、しかし自分の意思を持って、勝手な事をやり始めたとしたら。
 例えばナグルファルを私物化しようとしている、としたら。
 傀儡など取り替えてしまえば良い、と考える者も、虚無の境界からは出て来るだろう。擁立出来るような政治家など、他にいくらでもいる。
「でも俺、あの人には嫌われてますよ。日本人がボディーガードとして四六時中、傍にいるなんて……あの人すごく嫌がると思うんですけど」
「要はナグルファルの操縦者を、破格の待遇で手懐けておきたいのだろう。で、ここからが本題だが」
 女性上司の口調が、改まった。
「フェイト、お前に長期の休暇を与える。オレゴンあたりで、ゆっくり休め。しばらく帰って来るな」
 自分を、あの上院議員から遠ざけようとしてくれている。それはフェイトにも、よくわかった。
 わからない事が、1つだけある。
「あの……何でオレゴン」
「話は終わりだ。即、休暇に入るように」
 女上司の言葉と同時に、凄まじい力が、背後からフェイトの腕をガッチリと拘束した。
「よう……今回は、御活躍だったじゃないか」
 耳元で囁かれた。男の口調の、女の声。
「ずいぶん疲れただろう? しばらく休むがいいぜ。遠慮すんな、あたしが付き合ってやる」
「あ、アリー先輩……」
 茶色の髪を、ポニーテールの形に束ねた美少女……のような、30代の女性。
 その細く鋭利な五指が、フェイトの二の腕を捕えている。それなりに鍛えているはずの男の力でも、振りほどけない握力だった。
 まるで、猛禽の爪である。
 その力で、アリーは容赦なくフェイトを捕え引きずった。
「ち、ちょっと先輩、どこ行くんですか……」
「上司様のご命令、聞こえなかったのか? オレゴンまで長距離ドライブだよ」
 猛禽の如き五指が、フェイトのネクタイを掴み寄せる。
 牙を剥くかのように、アリーは微笑んでいた。
「ボニー&クライドばりのドライブデートさ。嬉しいか? 嬉しいよなあ?」
「……強盗も殺人も、無しですよ」
 フェイトとしては、そう答えるしかなかった。

「ぶろぅおぅおぅおぅん……らぁうん、ばいざぁうぃいん、ときたもんだ」
 ハンドルを転がしながら、アリーは上機嫌で歌を垂れ流している。
 オレゴンへと向かう、ワゴン車の中である。
 両手で耳を塞ぎながら、フェイトは少し大きな声を出した。
「好きですね、その歌」
「高く舞い上がってから落っこちる。最っ高じゃんか」
「飛行機に乗ってる時とかはNGな歌ですよね。出来れば車の運転の時も、勘弁して欲しいですけど」
 そんな事を、フェイトは言いたいわけではなかった。
 この先輩に訊いておかなければならない事が、1つあるのだ。
「……そろそろ、教えてくれてもいいんじゃないですか」
「あたしの3サイズ? あっはははは、おませなフェイト君だにゃー。まあ想像しとけ」
「そうじゃなくて! どうして、オレゴンなんですか。バカンスなら、フロリダでもハワイでもラスベガスでも別にいいじゃないですか」
「ラスベガスはやめとけ。お前、絶対ギャンブル弱いから」
「……オレゴンに、何かあるんですか?」
 休暇というのは真っ赤な嘘だろう、とフェイトは確信している。
「何か……仕事が、あるんでしょう? 俺に押し付ける仕事が。他に人がいないわけでもないだろうに」
「行きゃあわかる」
 アリーは、肯定も否定もしなかった。
「それとな、他に人がいないわけでもない……ってワケでもないんだにゃーこれが。IO2アメリカってのは基本的に人材不足でさあ、使い物になるエージェントって本当お前くらいしかいないわけよフェイト君。他は、あたしみたいな出来損ないばっか」
 そんな事を言いながらアリーは、ウイスキーの小瓶を口につけて傾けた。
 細い喉をグビグビと震わせた後、ぶはぁーっと息をつく。
「IO2ジャパンが羨ましーぜ、ったくよぉ。あそこはイカイゲンショーだか何だかの本場で、人材も揃ってんだろ?」
「どうなんですかねえ……って言うか先輩、普通に飲酒運転しないで下さい」
「かてー事言うなって。おめぇとあたしなら、事故ったって死なねえし」
「そういう問題じゃありません。いいから運転、代わって下さいっ!」
 子供を叱るような口調で、フェイトは言った。
「お巡りさんにでも見つかったら、同乗してる俺の責任にもなっちゃうんですからね」

 こういう時、アメリカという国の広大さを痛感せざるを得ない。
 荒野の真ん中で、日が暮れてしまったのだ。
 テントの設営をフェイトに一任しつつ、アリーは草むらに座り込んで、何本目かのウイスキーを呷っている。
「まったく、フェイト君は真面目っ子だにゃー……この国のポリスは、どいつもこいつも忙しくて飲酒運転なんざぁ相手にしてくれないっての。何しろ凶悪犯罪の国ぃ、ひっく」
「……お酒、いい加減にしといた方がいいですよ」
 テントの支柱を立てながら、フェイトは言った。
「飲み過ぎは、駄目です……本当に」
「……聞いてるよ。お前って確か、親父が飲んだくれだったんだよなぁ」
 別に、隠している事でもなかった。
「酒で何もかんも駄目にして、子供に当たり散らすようなクソ野郎……アメリカにだっているさ。まとめて切り刻んで鳥葬してやりてぇーくれえになあ、ひっく」
「アリー先輩がそんなふうになる、とは思いませんけどね」
「にゃっははははは。何しろ子供に当たり散らそうったって子供がいねえ……こんな身体だ。ガキなんざぁ生めねえっての」
 アリーは新しいウイスキーの小瓶を開封し、一気に中身を飲み干した。
 それを、フェイトは止められなかった。
「ま、試した事ぁねえけどな……試してみっか? なあフェイトちゃあん」
 圧倒的な柔らかさが、フェイトの背中と腕に押し付けられて来る。
 アリーの、胸だった。
「……冗談は、やめて下さい」
 密着してくる先輩を、フェイトはやんわりと振りほどいた。
 振りほどかれたアリーが、そのままテントの中で尻餅をつく。
「あぁん、フェイト君ってば堅物……草食系っての? ひっく」
「昔から、そう言われてましたよ。ほら、もうお酒はやめて」
「ま、子供なんざ別に欲しかねえ。あたしが欲しいのは……」
 アリーの手の中で、小瓶が砕け散った。
「虚無の境界……あの×××野郎どもの、クソッタレな命だけさぁ……ひっく」
「先輩……」
 かける言葉を、フェイトが見つけられずにいる間に、アリーは寝息を立て始めていた。 

カテゴリー: 02フェイト, season5(小湊WR), 小湊拓也WR(フェイト編) |

甦る9・11

巨人の腐乱死体のような機械の怪物が、ニューヨークの街並を破壊・蹂躙している。
 その映像を背景に、1人の上院議員が熱弁を振るっていた。
『国民の皆さん、これはハリウッドの新作映画ではありません。現実に起こった出来事なのです。かつての9・11以降、我が国は常にテロの脅威に晒され続けてきました。それらをことごとく退けた結果、今日のアメリカ合衆国があるのです』
「初耳だなオイ。この国って、テロ組織に勝ったのか?」
 病室のテレビに向かって、同僚が毒づいた。ベッドの中からだ。
 退院は間近である。
 フェイトは女性上司と共に、見舞いに訪れていた。
『そしてこの度も、我ら合衆国政府はテロリストとの戦いに勝利しました!』
 上院議員の語りに合わせて、映像が切り替わった。
 ナグルファルが、機械の怪物を引きちぎり、持ち上げ、ニューヨーク湾に放り込んでいる。
 同僚が、ベッドの中で目を丸くした。
「こ、これ……お前が動かしてんのか? フェイト。すげえシンクロ率だな」
「声が大きい」
 女性上司が、厳しい声を発した。
「ナグルファルの操縦者に関しては、全てがトップシークレットだ。本来ならばフェイト、お前がこのように外を出歩くなど、あってはならない事なのだぞ」
「ええと……俺、ひょっとして監禁とかされちゃうんですか?」
「そういう事態に、ならないとも限らないのだよ。このような人物がいる以上はな」
 女性上司が、テレビ画面を冷ややかに一瞥する。
『これが、これこそが、合衆国が手にした新たなる力なのです! テロを根絶し国民の皆様を守るための、正義の力! 平和の力! その名は』
 ナグルファル、ではない名前を上院議員は口にした。
 アメリカ政府が正義と平和と国民のために行使する力となれば、ラグナロクを引き起こす戦船の名前では確かにまずいであろう。
 いや、それよりも。フェイトとしては、確認しておかなければならない事がある。
「ナグルファルって……アメリカ政府の所有物、になっちゃうんですか?」
「難しいところだ。ナグルファルが我らIO2の、法的に認められた所有物であるかと言うと……いくらか怪しいところがある、のは事実だしな」
 女性上司が、難しい顔をしている。
 考えてみれば、いや考えるまでもない事であった。虚無の境界からの押収物を、IO2が勝手に使っているだけなのである。
 それが法的に認められないとなれば、今度はアメリカ政府がIO2から押収する事となる。
「あれを動かせる者が1人しかいないとなればフェイト、お前の身柄も狙われるぞ。力でお前を拉致出来る者など、政府関係者の中にも、そうはいないだろうが」
 下手をしたら、アメリカ政府を相手に事を荒立てる事態となる。
「とにかく、シンプルな力が大好きだからな。この国の人間は」
 同僚が言った。
「シンプルな力が、豪快に悪者をぶちのめすのを、みんな見ちまったんだ……ナグルファルがあれば、9・11のリベンジが出来る。強いアメリカが復活する。そんな事を考える奴、これから大量に湧いて出て来るだろうな」
 フェイトは思い出した。
 錬金生命体の軍事利用。そんな計画が、かつてあったが潰えた。そのはずであった。
 だが今回フェイトは、巨大な錬金生命体とも言うべきものに、派手な戦闘行為をさせてしまった。
 大勢のアメリカ人が、それを目の当たりにする事となった。
 ナグルファルが、アメリカ政府の管轄下に入ってしまったら。
 米国民の圧倒的な支持を得て、ナグルファルが対外戦争に投入される。
 フェイトが、ナグルファルを使って大勢の人々を殺戮する事となる。
(虚無の境界の、思惑通り……ってわけか?)
 心の中で、フェイトは問いを呟いた。無論、答えなど返って来ない。
「私は以前、IO2ジャパンの者どもに強く言っておいた。フェイトはアメリカ本部の人材だ、お前たちには渡さん……とな」
 女性上司が、腕組みをしている。
「だが、このような事態になってしまっては……フェイト、お前はこの国にいるべきではない、のかも知れんな」

 少し前に1度だけ、日本に帰った。感覚としては、一時的な里帰りのようなものである。
 その後アメリカに戻るや否や、今回の事件である。
 これがきっかけとなって自分はもう、この国には居られなくなってしまうのか。本当に日本へ帰る事になってしまうのだろうか。
 同僚や女性上司と別れて1人、病院内の通路を、フェイトは歩いていた。考え事を、しながらだ。
 なので、声をかけられても気付かず通り過ぎてしまうところだった。
「おーい工藤! やっぱり工藤だ」
 松葉杖をついて危なっかしく通路を歩く、1人の患者。
 日本人の、若い男である。
「お前……」
 旧友の、月刊アトラス新人記者。
 そう言えばアメリカに来ているはずであったが、今の今までフェイトは、彼の事をすっかり忘れていた。
「どうしたんだ、その怪我……まさか、あの現場にいたんじゃないだろうな?」
「現場には行くさ、そりゃ。そのためにアメリカまで来たんだからな。いやあ、いい絵が撮れたよ」
 戦闘中のナグルファルに、かなり無茶をして近付いたようである。
「モバイル・アトラスで絶賛配信中だぜー」
「無茶し過ぎだろ、まったく……死ぬぞ、いい加減にしないと」
「おお、撮ってる最中にうっかり瓦礫の下敷きになっちまってなあ。この様だよ」
「よく助かったな」
 IO2の部隊が、救助活動を行っていた。もしかしたら教官たちに助けてもらったのかも知れない。
 だが、アトラス記者は言った。
「それが聞いてくれよ工藤。天使が、俺を助けてくれたんだ」
「……頭、打っちゃったみたいだな。お大事にしろよ」
「いや本当だって! 翼の生えた美少女が飛んで来てさ、すげえ力で瓦礫を持ち上げてくれたんだ」
「美少女ねえ」
 誰の事であるのかは、明らかだ。
 天使、美少女。本人に聞かせてやりたい、とフェイトは思った。
 少なくとも外見は美少女で、空を飛べる。馬鹿力である。
 確かに、救助活動にはうってつけの人材ではある。
「うちの編集長に、ちょっと似た感じだったな。こんな所うろついてんじゃねえぞ腐れ×××ジャップ……なぁんて罵声まで浴びせてくれてさあ。た、たまんねえよ」
 アトラス記者が顔を赤らめ、息を荒くしている。
「も1回、会いたいなあ。瓦礫の下敷きとかになって死にかけたら、また助けに来てくれるかなあ」
「やめとけよ」
 切り刻まれるかも知れないぞ、とフェイトは心の中で付け加えた。

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狂乱のフランケンシュタイン

同僚が1人、この操縦室で負傷した。今は入院中である。
「さて俺は……入院程度で、済めばいいけど」
 特撮番組の主人公のようなフルフェイス・ヘルメットの中で、フェイトは苦笑した。
 全身を覆うのは、ピッタリとごまかしなく体型を際立たせる黒い特殊スーツ。
 引き締まってはいるが、いささか力強さに欠ける身体つきが、露わである。随分と鍛えているつもりなのだが、どうも今一つ筋肉が付かない。
「もっと鍛えないとな。こんなものに乗って戦うとなれば、体力も必要になってくるだろうし」
 左右の操縦桿を握りながら、フェイトは呟いた。
 ナグルファル。神々に挑む戦船の名を冠した戦闘機が現在、戦場を見下ろす空域に到着したところである。
 その操縦席から、フェイトは敵の姿を見据えた。
 ナグルファルのカメラセンサーと、フェイトの視覚が、今は完全に同調している。破壊されたニューヨーク市内の映像が、脳内に直接、再生されているのだ。
 その映像の中心に佇むのは、巨人の腐乱死体。
 ドリル、チェーンソー、電線鞭といった様々な凶器を、露出した臓物の如く生やして蠢かせる、巨大な金属製の骸骨。
 そんな怪物に向かって、大量のミサイルが降り注ぐ。
 米軍の戦闘機部隊が、すでにそこにいて戦闘を開始していた。
 巨大な腐乱死体の胴体から、臓物が溢れ出した。あるいは寄生虫が暴れ出した。そう見えた。
 帯電するミミズ、全身に刃を生やしたムカデ、猛回転する巻貝……電線鞭にチェーンソー、ドリルであった。
 機械骸骨の、脊柱の周囲や肋骨の内側で折り畳まれていたそれらが、一斉に伸びてうねって宙を泳ぎ、ミサイルの雨を薙ぎ払う。
 無数の爆発が、花火の如く空中に咲いた。
 その爆炎を蹴散らすように、電光が迸った。
 電線鞭が、放電現象を起こしていた。激しい電撃の光が、戦闘機部隊を襲う。
 逆向きの落雷、とも言うべき攻撃を受けて、ことごとく爆発してゆく米軍機。
 パイロットが助かったとは、もちろん思えない。
 それをフェイトは、とりあえず考えない事にした。
「俺もすぐ仲間入りするかも知れないし……な」
 左右の操縦桿を握ったまま、フェイトは念じた。
 操縦桿は、補助的なものに過ぎない。
 このナグルファルを手足のように動かすには、機体中枢部に眠る禍々しいものに、念の力でアクセスする必要がある。
 そのアクセスが受け入れられた、とフェイトは感じた。
 とてつもなく凶暴なものが、脳の中に流れ込んで来たからだ。
 禍々しいものが今、覚醒した。
「ぐっ……!」
 呻きながらもフェイトは、ナグルファルが急降下して行くのを感じた。
 続いて、着地の衝撃。
 揺らぐ操縦席でフェイトは、2本の足で大地を踏む感触を知覚した。
 大型戦闘機であったナグルファルが、着地と同時に巨人へと変形を遂げたのだ。
 そして今、怪物と対峙している。
 人体を食い破った寄生虫を思わせる凶器類を、荒々しく蠢かせる、おぞましい機械の怪物。
 敵だ、とフェイトは感じた。
 敵と戦う。それだけが、頭の中を満たした。
「敵は……滅ぼす……うっぐ!」
 全身の血管がちぎれてしまいそうな衝撃が、フェイトを襲う。
 巨人の腐乱死体が、電撃を発していた。臓物のような鞭から稲妻が迸り、ナグルファルを直撃している。
 神々に挑む戦船の名を冠した巨人。その全身あちこちで小規模な爆発が起こり、血飛沫のような爆炎が散った。
「こっ……こんな、もので……」
 ヘルメットの内側で、フェイトは歯を食いしばった。まるで牙を剥くように。
「こんな……もんで、俺を……止められると、思ってんのかぁ……ぁあああああああああッッ!」
 人型の機動兵器が、全身に爆炎を咲かせながら突進して行く。
 電撃を蹴散らす突進。地を揺るがす踏み込み。
 それと共に、右拳が放たれる。50メートル近い巨体が、数百トンもの重量を宿して繰り出す、フック気味の右パンチ。
 その一撃が、巨人の腐乱死体の胸部にめり込んだ。
 金属製の肋骨が、何本も折れ砕けた。
 そこから、寄生虫のような蠢く凶器類が溢れ出す。
 電線鞭が、ドリルが、チェーンソーが、間近から襲いかかって来る。
 それらをフェイトは、
「俺が……IO2のクソったれどもに何回ブチ殺されたか、知ってんのかよ! ええおい!?」
 まとめて掴んで、引きちぎった。
 巨大兵器を操縦している、と言うよりフェイト自身が巨大化して戦闘を行っている。そんな感覚である。
 力強い機械の五指が、電線鞭を引きちぎり、チェーンソーを握り潰し、ドリルを掴み砕く。
 まるで臓物を引きずり出しているかのような感覚を、操縦桿もろとも握り締めながら、フェイトは叫んでいた。
「撃ち殺された! 蜂の巣にされた! ズッタズタに切り刻まれてハラワタぶちまけられた! それに比べりゃテメーの攻撃なんざぁ、ピコピコハンマーでぶん殴られるよか効かねーんだよォオオオオオオ!」
(違う……これは、俺じゃない!)
 心の中でも、フェイトは叫んでいた。
 この機体のメインシステムを成す、禍々しいものが今、操縦者を支配しつつある。
 ヴィクターチップ。
 錬金生命体たちの、戦闘経験の集合体。
 戦い続け、殺し殺され続けているうちに、凶暴な自我を有するに至ったそれが今、巨大な身体を得て猛り狂っているのだ。
(やめろ! ……いや、これで敵を倒せるんなら……)
 フェイトがそんな事を思っている間にも、勝敗は決しつつあった。
 もはや半ば残骸と化した、巨人の腐乱死体が、ナグルファルの両腕によって、重量挙げの形に高々と持ち上げられている。
 当然このまま、どこかへ投げ捨てる事になる。大勢の人々が逃げ惑う、ニューヨーク市内のどこかへ。
(お……おい、待てよ……)
 フェイトは心の中で言った。が、口から出たのは違う言葉だ。
「特に許せねえのは、俺らをさんざん撃ち殺してくれた黒服の若造! 俺らをブツ切り細切れナマス切りにしてくれやがった鳥女! それに何だかワケわかんねー力で俺らの魂抜いてくれやがったバケモノ小娘! どこだ、どこにいやがる! こっちかぁあー!」
 フェイトは見た。
 市内の一角で、IO2の部隊が救助活動を行っている。瓦礫を持ち上げ、その下から負傷者を引っ張り出している。
 先頭に立って瓦礫を持ち上げているのは、教官だった。
 そちらへ向かって、この機械の巨人は、半ば残骸と化した敵を投げ捨てようとしているのだ。
(やめろ……やめろ! やめろおおおおおお!)
 声にならぬ叫びをフェイトが発した、その時。
 波の音が聞こえた。
 暗黒の大海原が、周囲に広がっている。
 黒々とした凪の海面を、フェイトは宙に浮かんで見下ろしていた。1人の、幼い少年と一緒にだ。
「あんたは……」
「久しぶりだね。僕は……どこかへ行きたかったけど、どこへも行けずにいるよ」
 かつてオリジナルと呼ばれた少年。今は、とある少女の中で眠っているはずであったが。
「あの子がね、君を助けてくれって……僕を、一時的に解放してくれたんだ」
 少年が言った。
「だけど僕が助けたいのは、君じゃなくて……むしろ、あいつらなんだ」
「……だろうな」
 戦闘と殺戮のためにのみ生み出され、殺され、それでもヴィクターチップという形で存在を強制され続ける錬金生命体たち。
「今のあいつらに、僕の声は届かない。何しろ、魂の連結を切られてしまったからね」
 少年が、手を差し伸べてくる。
「だけど……君の念を届ける、通り道くらいは作れるかも知れない」
「……頼む」
 その手を、フェイトは握った。そして叫んだ。
「お前らの怒り、憎しみ、俺が全部受け止めてやる……だから止まれええええ!」

 巨人の腐乱死体を市内に投げ捨てる、その寸前でナグルファルは動きを止めてしまった。
「何だ……何が起こった?」
 とあるビルの屋上で、黒装束の男たちが狼狽している。
 彼らの視界内で、機械の巨人は、くるりと身体の向きを変えた。ニューヨーク湾の方向へと。
 そして、高々と持ち上げていたものを放り捨てる。
 大量の水が、飛沫となって跳ね上がり、豪雨となって降った。
 半ば残骸と化した機動兵器が、ニューヨーク湾に沈んでゆく。
 その光景を、黒装束の男たちは呆然と眺めるしかなかった。
「まさか……錬金生命体が、己の意思で破壊活動を止めるなど」
「そんな事は有り得ん! 単なる不具合だ! IO2のへぼ技術者どもが調整したのだからな、そういう事もあろうよ」
「ならば……自爆させるしか、ないか?」
 男の1人が、黒装束の中から携帯端末を取り出した。
 ニューヨーク湾に沈んだ機体は、港湾一帯ならば吹き飛ばせる程度の爆弾を内蔵している。
「当然、我らも生きてはおらぬ……一足先に、霊的進化への道を」
「すとっぷ」
 端末を手にした男が突然、崩れ落ちてぶちまけられた。切り刻まれていた。
「ゆぶろぅんいどうる、すかぁいはぁーい……っとくらぁ」
 下手くそな歌に合わせて、風が吹いた。死をもたらす、斬撃の風。
 黒装束の男たちが、片っ端から砕け散ってゆく。粉砕にも等しい微塵切りであった。
「おらおら鳥葬だ鳥葬! っつっても、てめえらの腐れ肉なんざぁハゲタカでも食わねえか」
 男の最後の1人を切り刻みながら、彼女は笑った。
「フェイトの奴、まあまあ上手くやりやがったな。あたしが手ぇ貸してやるまでもねえか……今んとこは、な」

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フェイト、出撃

 巨人の腐乱死体。最初は、そう見えた。
 身長50メートルほどの人骨が、肋骨の内側に、脊柱の周囲に、様々な臓物をまとわりつかせ、蠢かせている。
 いや臓物ではない。巨大なチェーンソーである。大型の、ドリルである。バチバチと放電光を発する、長大な電線鞭である。
 様々な凶器類を、溢れ出した臓物の如く胴体から生やした、巨大な金属製の骸骨。
 そんな怪物が、ニューヨークの街中を歩行しているのだ。
 1歩、その巨大な足が踏み出す度に、大量の瓦礫が舞い上がる。自動車が宙を舞う。
 間違いなく、人死にも出ている。
(こんなのまで……IO2の管轄、なのか……?)
 呆然と、フェイトはそんな事を思った。
 思っている場合ではなかった。
 舞い上がった瓦礫の1つが、こちらへ向かって飛んで来る。
 ビルの破片。巨大な怪物と比べれば小石のようなそれを、フェイトは室内から睨み据えた。
 念動力で弾き返す。それしかない。
 瓦礫が、この家を直撃する寸前で止まった。
 まるで目に見えない壁にでも激突したかの如く、そのまま地面に落ちてしまう。
 フェイトは何もしていない。
 何かをしたのは、2匹の仔犬である。
 いや、今は白い服を着た小さな男の子の姿をしていた。相変わらず、耳と尻尾は隠せていないが。
「こ、ここは我らに任せておくと良いのだぞ」
「ゆう太は、はやく行くのだ」
 言葉に合わせて、目に見えぬ壁が発生し、この家を包み込んでいた。
 そこへ次々と瓦礫が激突し、ずり落ちる。
「貴方たち……」
 教官の奥方が、呆然としている。
 仔犬たちの正体が発覚してしまったが、そんな事を気にしている場合でもない。
 言われた通り、行くしかない。
 あの怪物と戦う力が用意されているであろう、IO2本部へと。
「生きた賢者の石……だからって、いい気になっているつもりはなかったけど」
 呻いたのは、奥方と寄り添いながら赤ん坊を抱いている、1人の少女である。
「あたしは何も出来ない……あの化け物には、魂がないから」
 巨人の腐乱死体のような、機械の怪物。
 人が乗って動かしている、わけではないようだ。遠隔操縦か、自動操縦か。
 中に操縦者がいるのであれば、この少女の力で、いかようにも出来るのだが。
「……貴方に、わけのわからない戦いをしてもらうしかないのね」
 生まれて間もない赤ん坊を、ぎゅっ……と抱き締めながら、少女は微かに唇を噛んだようだ。
「あたしの家族を守って……お願いよ、フェイト」
「約束する。怪我、治してくれてありがとうな」
 フェイトは微笑み、片手を上げ、リビングからベランダへ出た。
 任意の誰かを外へ出す事が出来る、便利な結界である。
「死ぬのは許さないわよ、フェイト」
 少女の声が、追いかけて来る。
 それを約束する事は、出来なかった。

「来たか、フェイト」
 女性上司が、振り向いた。
「一時はどうなる事かと思ったが、傷は治してもらえたようだな」
「あんまり、あの子を便利屋みたいに扱いたくはないんですけどね」
 フェイトは苦笑し、すぐに表情を引き締めた。
「回りくどい話は、無しでいきましょう。要は俺が、あれに乗るって事ですよね?」
 あれ、と呼ばれたものが、格納庫の奥に佇んでいる。威容を、露わにしている。
 出撃準備を終えた、人型の巨体。
 ナグルファル。神々に挑む戦船の名を冠した、機械の巨人。
「ちなみに俺、動かし方なんて知りませんよ。車の運転と同じ要領で、いけるんでしょうね?」
「もっと簡単だ。何しろ、あれにはヴィクターチップが搭載されている。起動させれば、あとは勝手に動いてくれる」
 フェイトは耳を疑った。この女性上司は今、さりげなく何を口にしたのか。
「ヴィクターチップ……って言いました? あれ、最初にデータ消去してくれたんじゃないんですか」
「消去しきれなかった。と言うより、中枢と言える部分がヴィクターチップそのもので成り立っている。お前が破壊してくれたマスターシステムと、ほぼ同じものでな。これを取り外せば、ナグルファルは動かなくなる」
 女上司は、溜め息をついた。
「私個人としては、それでも一向に構わん……と言いたいところだが、巨大な怪物が実際に暴れている現状を考えるとな」
 ヴィクターチップでも何でも、使えるものは使わなければならない。それは、言われるまでもない事だった。
「無数の錬金生命体が経験値として取得した戦闘データ……それを全て、このナグルファルは生まれながらにして持っているという事だ。言ってみれば、機械仕掛けの巨大な錬金生命体だな」
 起動させれば、あとは勝手に動く。まさに彼女の言う通りだった。勝手に動いて、破壊活動を開始する。
「勝手に動く怪物を、上手く操って敵との戦闘のみに向かわせるのが、操縦者の役目となる。わかるだろうフェイト、お前でなければならない理由が」
「わかりたくも、ありませんが……」
「錬金生命体の調教。そんな事が出来るエージェントは、あれらと最も激烈に戦った、お前だけだ」
「観念しなよフェイト君。いろいろと、ね」
 同僚が1人、歩み寄って来た。
 ナグルファルの整備・開発班、その主要スタッフ2名の片方である。
 もう1名は実戦試験にまで駆り出され、現在は入院中だ。
「な……何だよ、これは……」
 歩み寄って来た同僚に手渡された、何やら黒いもの。それをまじまじと見つめ、フェイトは訊いた。訊くまでもない、という気もした。
「何って、強化スーツに決まってるじゃないかああ」
 思った通りの事を、同僚は言った。
「これを着ていれば、ナグルファルがどんなに激しい動きをしても大ダメージを受けても大丈夫。パイロットは無傷で、いざとなれば脱出して等身大のバトルも出来ると。そういうわけさ」
「等身大のバトルをやろうって気はないけど……これ、何か妙にピッチリ……してないか?」
 畳まれていた黒いものを広げ、しげしげと観察しながら、フェイトは呻いた。
 同僚は、得意気だ。
「カラーリングは間に合わなかったけど、まあ黒でいいよねフェイト君なら。黒がリーダーの戦隊だって、あるんだから」
「別に……リーダーをやるつもりも、ないんだけどな……」
 フェイトは途方に暮れた。
「確かに、安全装備は必要だけど……着るのか、これ」
「逃げちゃ駄目だよフェイト君。逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ、逃げちゃダメだってね」
「……お前、ロボアニメ嫌いじゃなかったっけ?」
「あの作品だけは認めている。特撮の原点・怪獣映画への、限りないリスペクトを感じるからね」
 同僚が、語りに入った。
「僕が許せないのは、あれ以降に大量生産された模造品・類似品の群れだよ。引きこもり系の主人公、自分探し系のストーリー展開、美少女とワンセットの巨大ロボ、結局何がやりたいのかよくわからない敵……あれのコピー&ペーストに少し手を加えたものばっかりじゃないか。だいたいロボアニメって、元々は子供たちのものだったはずだろう? そこへ大人のオタクどもが群がって色々いじり回した挙げ句ワケわかんなくなっちゃったのが日本のロボアニメで、ああでも実は特撮も同じ道を歩みつつあるわけで」
 同僚の話を、フェイトはもう聞いてはいない。
 話しておかなければならない相手は、別にいる。
 フェイトは、見回した。
「……教官は?」
「部隊を率いて、救助活動に出ている」
 女性上司が言った。
「……家族の無事なら、私が伝えておこうか?」
「お願いします」
 フェイトは頭を下げた。
「あとは、俺が出撃するだけですか……ちょっと更衣室、行ってきます」
「一刻を争う事態なのは理解しているはずだ。ここで着替えろ」
「それってセクハラ……あ、いや何でもありません」
 女上司の目の前で、フェイトは仕方なく服を脱いだ。
 同僚は、まだ何やら延々と語り続けている。

カテゴリー: 02フェイト, season5(小湊WR), 小湊拓也WR(フェイト編) |

力の嵐

「うぐっ……」
 治りかけの肋骨に、激痛が走った。
 2匹の仔犬が、思いきりぶつかって来たのだ。
 いくらか尻尾の大きな、日本犬である。クリスマスの夜に拾った、と教官は言っていた。
「いきなり懐かれてるなあ、フェイト」
 痛みに呻き、うずくまるフェイトと、そこへまとわりつく2匹の仔犬。
 はたから見ていれば微笑ましいのであろう光景を眺めながら、教官が笑う。
「お前、菓子か何か持ち歩いてんじゃないか? こいつら犬のくせに甘いもん大好きでなあ」
「だからって……やたらと、お菓子あげたりしちゃあ駄目ですよ……」
 苦笑しつつフェイトは、まとわりついて来る仔犬の兄弟を、軽く抱き寄せた。
「お前ら……」
 言葉が、そこまでしか出なかった。懐かしさが、胸に詰まった。
 2匹の頭を、撫でてみる。
 小さな鼻面をクゥン……と悲しげに鳴らし、擦り寄って来る仔犬の兄弟。フェイトを見上げる瞳が、うるうると涙を溜めている。
 この姿でも、言葉を話す事は出来るはずなのだが。
 ちらり、とフェイトは視線を動かした。
 アデドラ・ドールが、こちらを見つめている。
 アイスブルーの瞳が、仔犬たちに無言の圧力をかけている。
 2匹とも、この家では普通の犬としての振る舞いを強いられているのだ。
「怪我してるのね、フェイト」
 アデドラが言った。
「怪我人を連れて来て、どうしようって言うの? お父さん」
「ああ……実はなアディ、お前に頼みてえ事が」
「あたしがここで怪我を治してあげたら……フェイトは、どうなるの?」
 アイスブルーの両眼が、冷たい光を発した。
「また、わけのわからない戦いに行かされるんでしょう」
「わけわかんない戦いなんて、いつもの事さ」
 仔犬たちを抱き上げながら、フェイトは言った。
「錬金生命体の時も、そうだった。アデドラのおかげで、生き延びられたようなもんだよ……頼む、また力を貸してくれないか」
「ねえ、お父さん」
 青く冷たい眼光が、教官に向けられる。
「怪我人を働かせなきゃいけないほど、IO2って人がいないの?」
「うーん……そ、そいつはな」
 教官が、困ったように頭を掻く。
 アデドラの表情は、変わらない。相変わらず、可憐な人形のように。
 だが一瞬、ほんの一瞬だけ、風景が歪んだ。空間が歪んだ。
 その歪みが人面を成した、ようにフェイトには見えた。
「勘違いしないでね、フェイト。あたしはただ、貴方の魂が欲しいだけ……ここ最近の貴方は、わけのわからない戦いに魂を奪われかけている。そんなの許せるわけがないでしょう?」
 人面が、凶暴に歪んで牙を剥く。怒りの形相だった。
「あたしが化け物だって事、忘れないでね。2度と戦いなんて出来ないくらいに生気を奪って……お人形みたいにして、ずっとあたしの傍に置いておく事だって出来るのよ」
 アイスブルーの眼光が、仔犬の兄弟にも向けられる。
「その子たちと一緒に……ね」
 2匹が怯え、悲鳴を漏らし、しがみついて来る、
 フェイトは、抱き締めてやるくらいの事しか出来なかった。

 どれほど邪悪な組織であろうと、あの国の小賢しい人民よりは遥かにましな存在だ、と彼は思っている。
 敗戦国の慎ましさを欠片ほども持たず、身の程知らずの台頭を続けてアジアの盟主の如く振る舞っている、あの極東の島国に比べれば。
 小賢しいだけの黄色人種に大きな顔をさせてしまうほど現在、アメリカ合衆国が力を失いつつある。それは、残念ながら事実であると言わざるを得ない。
 アメリカの力を、権威を、復活させる。
 そのためには、邪悪なテロ組織であろうと何であろうと、用済みになるまで利用し尽くす。それが大国の有りようというものであった。
「ミスター、まずは貴方に感謝せねばなるまいな」
 黒装束の男たちが、口々に言った。
「上院議員たる貴方が、錬金生命体の大量生産を後押ししてくれたおかげで、我らは大いなる力を手にする事が出来た」
「その力を活かすためにも、貴方には表舞台に立ち続けてもらわなければならん」
「幸い、米国民の大半は貴方を支持しているようだ。これからも彼らに向かって、力と愛国を説き続けて欲しい。貴方の言葉が、民衆に希望をもたらすのだ」
 斜陽の大国となりかけたアメリカに、国民の多くが不安を抱いている。
 彼らを勇気づける手段はただ1つ。合衆国が、力を取り戻す事、それのみだ。
「万事、私に一任して欲しい」
 彼は、力強く告げた。
「最強の国アメリカは、私の手によって復活を遂げる。その暁には、貴方がたのために何でも取り計らって差し上げよう」
「私たちは、何も望みはしません」
 黒装束の者たちの中に、1人だけ女性がいた。
 女性と言うより、少女か。
 黒衣に包まれた、小柄な細身。フードの内側に辛うじて見て取れる、彫りの浅い顔立ち。
 どうやら東洋人、もしかしたら日本人かも知れない。
 最も唾棄すべき人種の小娘に、しかし黒装束の男たちは、かしずいている。言葉が発せられただけで、その場に跪いている。
「私どもはただ、人々の霊的なる進化を願うのみ……虚無の境界は、見返りを求めません。貴方が迷いなく御自身の道を歩まれる。それが結果として、私たちの理想へと繋がるのです」
 日本人でも、今は利用するしかない。
 そう思いながら彼は、黒衣の少女を観察した。
 フードの内側で禍々しく点る、真紅の眼光。
 その顔立ちは、誰かに似ている。どこかで見た顔だ、と彼は思った。
「まずは、ラグナロクへの船出を……」
 少女が言った。
「破滅という名の若者に、その漕ぎ手を務めてもらいましょう」
 思い出した。
 かつて錬金生命体の製造施設で、1度だけ会った事がある。
 あのフェイトとかいう生意気な日本人IO2エージェントに、よく似ていた。

「フェイトの奴、まだしばらくは動けませんよ」
 彼が言うと、女性上司がギロリと眼光を向けてきた。
「私が何のために、日本まで行って帰って来たと思っている?」
「そりゃあ昔の男に……じゃなくて。しょうがないでしょうが、アディが乗り気じゃねえって言うんだから」
 親子として暮らした期間は、まだ短い。それでも、わかるものはある。
 アデドラは、フェイトを戦わせたくないのだ。
「……俺も、あいつの言う通りだとは思ってますがね。このIO2って職場、フェイトしか人がいねえわけでもなし」
 格納庫内にそびえ立つものを見上げ、睨んでみる。
 ナグルファル。不吉な名前を有する、機械の巨人。
「わざわざ日本から連れ戻してまで、こんなものにフェイトを乗せなきゃならん理由……一体、何なんでしょうな。例えば、あの暴れん坊の鳥女とかじゃあ駄目なんですか?」
「あれは機動兵器を操縦させるよりも、小回りのきく生身の遊撃戦力として活用した方が効果的なのでな」
 女上司は言った。
「それに……これは今回の修理・整備作業で判明した事だがな」
 その口調が、重くなった。
「このナグルファル……メインシステムの奥深くに、とんでもないブラックボックスを隠し持っている。それを起動させない限り、本来の性能の3割も発揮出来ないのだ」
「ほう。で、そのブラックボックスってのは」
 そこまで言って、彼は気付いた。とある禍々しい単語を、思い出した。
「まさか……バックアップ取られてるって話は聞いてますが」
「そういう事だ。わかるだろう? そのブラックボックスにアクセス出来るのは……かつてオリジナルと接触し、いくらかでも心を通じ合わせた事のある、フェイトだけだ」
「ヴィクターチップ……!」
 彼は呻き、もう1度、見上げた。
 機会仕掛けの巨人が、メアリー・シェリーの小説に出て来る怪物にも見えた。

 どのような状態であるか表記するのも憚られるほど、惨たらしい屍が、木に吊るされている。杭に、縛り付けられている。
 自分もかつて、同じような光景を作り出した事がある、と工藤勇太は思い出した。
 あの研究施設で自分は、これに負けない殺戮を行った。
「俺、バケモノだったよな……今もそうか」
 呟きながら、勇太は見回した。
 切り刻まれたり皮を剥がされたり、そんな屍ばかりではない。外傷のない、まるで眠っているかの如く死んでいる人々もいる。
 厳密には、まだ死体ではない。魂を、根こそぎ奪われている。もはや飢えて目を覚ます事もなく、このまま死に至るしかない肉体たち。
 ネイティブ・アメリカンと思われる人々だった。
 いつの時代、なのであろうか。
 先住民の集団が、この村あるいは集落を襲い、皆殺しを実行した。
 そして何者かが、殺された人々の仇を討ったのだ。魂を奪う、という手段を用いて。
 殺戮と報復の光景。その真っただ中に、少女は佇んでいた。
 可憐な美貌には表情がなく、アイスブルーの瞳は何も映していない。
 涙が凍り付いている、と感じながら、勇太は声をかけた。
「アデドラ……?」
「……あたしに話しかけない方が、身のためよ……」
 愛らしい唇が、微かな言葉を紡ぐ。
「あたし、化け物だから……」
「俺もだよ」
 勇太が言うとアデドラは、ちらり、とだけ振り向いた。
「……貴方、誰?」
 即答はせず、勇太は己の身体を見下ろした。
 黒のスーツ、ではなく高校の制服を着ている。
 間違いない。今の自分はフェイトではなく、工藤勇太だ。
「俺は……工藤勇太」
「あんまり、変わってないのね」
 アデドラが言った。
「あの2匹の、どちらかの仕業ね。あたしが、会ってみたいなんて言ったから」
「がっかりさせちゃったかな。今と、大して違ってなくて」
 ここが夢の中であるのは、どうやら間違いない。アデドラも、同じ夢を見ている。
 泣き声が聞こえた。
 白い服を着た、小さな男の子が2人、木陰でしくしく泣いている。
「な、何とゆう恐い夢を見ているのだ……」
「こんなつもりじゃなかったのだ……もっと、たのしい夢になるはずだったのだ……」
 5年ぶり、であろうか。
 勇太は思わず、駆け寄った。
「お前ら……」
「わあん! ゆう太ゆう太」
 白い小さな身体が2つ、ふっさりと尻尾を揺らしながら飛びついて来る。
「こわい魔女に、つかまってしまったのだ……」
「アメリカになんか来るからだ。まったく」
 赤い髪を、金色の髪を、獣の耳を、勇太は撫でて弄り回した。
「で……一体、何しに来たんだ?」
「ゆう太はほっとくとばかをやらかすから、みにきてやったのだぞ」
「そうゆうわけでアディ様、アディ大明神様」
 兄弟が、小さな両手を握り合わせた。
「ゆう太の怪我を、治してやって欲しいのだ……」
「なおってもなおらなくても、ゆう太はばかをやらかすのだ」
「……久しぶりに会うなり、それか」
 勇太は苦笑した。
 アデドラは笑わない。人形のような美貌は、にこりとも動かない。
 青く冷たい瞳が、勇太と小さな兄弟を、じっと見つめるだけだ。
 その時、地面が揺れた。
 いや、夢そのものが震動していた。

「何だ……!」
 フェイトは目を覚ました。
 身を起こした瞬間。肋骨に鋭い痛みが走った。
 ソファーの上である。教官の家の、リビングだ。
「あ、フェイト……無理しちゃ駄目よ」
 教官の奥方が、気遣ってくれている。
 もう1度、震動が来た。
 揺れる室内を、2匹の仔犬が、おたおたと走り回っている。
 アデドラが、生まれて間もない妹をベビーベッドから抱き上げながら、窓の外を睨んだ。
 アイスブルーの瞳が、信じ難い光景を見据えている。
 ニューヨークの街中に、巨大な機械の怪物が出現していた。
 ラスベガス郊外で起こった事件が、ここでも起ころうとしている。
 だが今、破壊されようとしているのは、無人の撮影用セットではない。生きた人々が住む街だ。
 教官の家だ。教官の、家族だ。
「フェイト……貴方の名前、最悪ね」
 赤ん坊を抱いたまま、アデドラが呟いた。青い瞳が、フェイトに向かって光を発する。
「わけのわからない戦いが、貴方の……運命……気に入らないわ」
 肋骨の痛みが失せてゆくのを、フェイトは感じた。

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ラグナロク前夜

『世界秩序の守り手たる我が国に対し、重大極まる挑戦であります!』
 男が1人、テレビ画面の中で熱弁を振るっている。対外強硬派として知られる、上院議員。
『先頃の騒動でもおわかりのように、テロリストどもは国民の皆様の身近に潜んでいるのです! 我々は、力を持たなければなりません。愛する人を、守るために!』
 先頃の騒動とは、あの錬金生命体の事であろう。アメリカ各地で暴走し、IO2によって鎮圧された。
 鎮圧を行ったのは、IO2末端の各部隊である。
 IO2上層部も、アメリカ政府も、それにこの上院議員も、どちらかと言うと錬金生命体暴走の原因を作った側に属しているのだ。
 無論、国民はそんな事を知らない。だからテロリストの仕業などという話になってしまっている。
 アメリカという国は、あの頃から本当に何も変わっていない。アデドラ・ドールは、そう思った。
 愛する者を守るために、それ以外の者を力で排除する。その結果、最終的には何もかもを失ってしまう。
 何もかもを失った自分が、ここへきて新しい何かを得た、という事になるのだろうか。
 赤ん坊を抱きながら、アデドラはふと、そんな事も思った。
 生まれて間もない、女の子。
 血の繋がりがない姉の腕の中で、すやすやと寝息を立てている。
 テレビを点けたら、ようやく眠ってくれた。議員の演説が、よほど退屈だったのだろうか。
 父も母も、仕事中である。アデドラが、子守りと留守番を任されていた。
「……呑気なものね、お父さんも」
 妹の小さな身体を、そっとベビーベッドに戻しながら、アデドラは呟いた。
 両親にとって、自分は娘であると同時に、監視対象でもあるのだ。
 何故、監視する必要があるのか。それはアデドラ・ドールが、少女の姿をした危険な怪物であるからだ。
 そんな怪物に、大切な一人娘を預け、仕事に出てしまう。
 あの両親にとって自分は、もはや監視すべき怪物ではなくなってしまっているようであった。
「じゃあ、何なのかしらね……」
 アデドラは呟いた。無論、赤ん坊は何も応えてくれない。
「あのう」
 声がした。
 白い服を着た、小さな男の子が2人、おどおどとリビングを覗き込んでいる。
「お便所の掃除、終わったのだ……」
「おふろのそうじも、おわったのだぞ」
 兄弟である。
 2人とも、人間に近い姿をしているが、耳と尻尾だけは隠せていない。
 この姿をしているのは、両親が外出中の時だけだ。普段は、2匹の仔犬である。
「御苦労様……じゃ、お茶にしましょうか」
 アデドラは手招きをした。
 仔犬のような兄弟が、とてとてと入って来る。
 様々なお茶菓子の入ったバスケットを、アデドラはテーブルに置いた。
「好きなお菓子、選んでいいわよ」
「わーい!」
 2人の表情が、ぱっと輝いた。
 2人の魂も、喜びで輝いている。それをアデドラは見て取った。
「貴方たちは、本当に……美味しそうね」
「そ、そんな事はないのだぞ」
「フィラリアが、いっぱいいるのだぞ」
 菓子をごっそりと衣服の内側に詰め込んだ2人が、そそくさと逃げ去って行く。
 アデドラは両手を伸ばし、彼らの首根っこを掴んだ。
「あたしは、ここでお茶にしましょうと言ったのよ」
「お、お茶と一緒に食べられるのは嫌なのだ」
「回虫もいっぱいいるから、たべてはだめなのだ」
 じたばたと暴れる2匹を、アデドラは無理矢理、ソファーに座らせた。
 大きなソファーの上で、小さな兄弟が身を寄せ合い、震え上がっている。
 怯えた魂も美味しそうだ、と思いながらアデドラは、ティーポットを用意した。
 平和であった。
 妹はベビーベッドの上で熟睡中、テレビの中では議員が幸せそうに演説をしている。
 この議員の息子が、アデドラと同じクラスにいる。
 鬱陶しく絡んでくる事の多かった彼が、最近は大人しい。と言うより元気がない。
 最近、親父の様子がおかしい。そんな愚痴を男友達にこぼしているのを、アデドラは聞いた事がある。
 まあ、どうでも良い事ではあった。
「あのう」
 幼い兄弟が、おずおずと声をかけてきた。
「わ、我らはアディの言う事、何でも聞いてきたのだぞ」
「だ、だから……そろそろ、ゆう太にあわせるとよいのだぞ」
「そうね……あたしも会いたいわ」
 工藤勇太という少年に、会ってみたかった。
 この兄弟は、フェイトとなる前の少年・工藤勇太を知っている。
 アデドラは、永遠に知る事が出来ない。
 賢者の石の力をもってしても、時を巻き戻す事は出来ないのだ。

「……よう……フェイト……」
 病室のベッドの上で、同僚が死にそうな声を発している。
「ざまぁねえぜ……死に損なっちまった……」
「かっこよく瀕死の重傷を気取るなよ。肋が何本か折れただけだろうが」
「お前、それだって充分痛ぇえんだぞう」
 同僚が突然、元気になった。
「それより、お土産! 買って来てくれた? メイドクッキーの新バージョン。買って来てくれたよなあああ!?」
「頼まれたやつな。空港で探したんだけど、見つからなくってさ」
 日本で買って来た土産を、フェイトは同僚に手渡した。
「代わりにまあ、これで我慢してくれ。萌えキャラとは違うけど、日本名物には違いない」
「……おい、何だこりゃ」
 包装を剥きながら、同僚は呻き、叫んだ。
「何だこの目が虚ろな怪人はあああああ!」
「日本で最近流行りの、ゆるキャラって奴だ。俺も実はよく知らないんだけど、何か梨がモチーフらしいぞ」
「メイドクッキーは! ちゃんと! アキバで探さなきゃ駄目だろーがぁああああ!」
 激昂する同僚を、もう1人の同僚が嘲笑う。
「ふふん、理解のない奴め。萌えなんて、重厚な日本カルチャーの表層の一部でしかないんだよ」
 IO2のいささか無茶な作戦に駆り出されて負傷した同僚を、2人で見舞いに来たところである。
「そもそもアニメなんてものは、最初に特撮番組がなければ成り立たなかったんだぞ。クールジャパンの源流は特撮に」
「はいはい、お前にもお土産」
 ボロ布、としか表現し得ないものを、フェイトはもう1人の同僚に手渡した。
「こ……これは……?」
「ごめん。お前にもらった防刃・防弾スーツ……ボロボロに、なっちゃった」
「ぼぼぼぼぼボロボロになるようなものじゃないだろーがああああああ!」
 同僚が、悲鳴か怒声か判然としない叫びを発している。
「こっこんなに、こんなにして! これはもう、いよいよアレを着てもらうしかないなぁーフェイト君には!」
「……アレって?」
「5色の強化スーツに決まってるだろぉお? 当然レッド想定! と言いたいとこだけど……フェイトって、よく考えたらレッドよりブラックの方がイメージ強いんだよなああ」
「……お前ら、どうでもいいけどIO2のお金で変なもの作ったりするなよな」
 フェイトは苦笑したが、IO2自体、資金を惜しまずに何やらおかしな事をしている気配はあった。
(まあ……昔からそうなんだけどな。この組織は)

 一抹の、悪い予感のようなものは確かにあった。
「まさか本当に……」
 IO2本部、地下格納庫。
 修理をほぼ終えた機械の巨人を見上げながら、フェイトは絶句していた。
 虚無の境界から押収したもので、戦力の増強を図る。
 錬金生命体の時と同じ事を、IO2アメリカは実行しようとしているのだ。
「言いたい事が山ほどあるのは、わかっている」
 女上司が言った。
「しかしまあ、見ての通りだ……このナグルファルには、すでに多額の資金が注ぎ込まれている。今更、やめるわけにはいかん」
「……日本の新聞・雑誌に、載ってましたよ。ラスベガス近くで、こいつが動いたって」
 そのせいで同僚が1人、怪我をした。
「アメリカでは、あんまり騒ぎになってないみたいですけど」
「なっているさ。確かにマスコミ対策は完璧で、新聞でもテレビでも報道はされなかった……が、ネット上ではお祭り騒ぎだ」
 女上司が、溜め息をついた。
「……今朝のニュースは見たか?」
「見ました……つまり、ああいう事なんですか」
「ああいう事だ」
 あの上院議員が、相も変わらず『強いアメリカ』を目指し、愛国を煽っていた。
 煽っているだけではなく、すでに何かを始めている。その一端が今回、ラスベガス郊外において、思わぬ形で発露してしまったのだ。
「悪いロボット大暴れ……なんて事態が、これからも起こると」
 いつでも動かせる状態、と思われるナグルファルを見上げながら、フェイトは言った。
「だから、こういうものが必要になると。それは俺もわかってますが……どうやって動かすんですか、これ」
「人が乗って動かす、しかないだろう」
「あいつが退院したら、また乗せると?」
 女上司は、ちらりとフェイトを見た。
「彼には申し訳ないが、あれは実験のようなものでな……正式に誰を乗せるのかは、まだ協議中だ」
「……何か、すごく嫌な予感がするんですけど」
「まあ、まずは怪我を治せ」
 背後から、声をかけられた。たくましい手が、肩に置かれた。
「教官……」
「久しぶりだな。日本じゃ、どえらい目に遭ったんだろう?」
 この教官に子供が生まれる、と同時にフェイトは日本へ飛ぶ羽目になった。
 生まれたのが女の子であるらしい、という話だけは聞いている。
「どえらい目には慣れました。それより教官、おめでとうございます」
「おう。ま、顔見に来てやってくれよ」
 教官が半ば無理矢理、フェイトの腕を引いて歩き出す。
「え……あの、今からですか?」
「日本でゆっくり養生させてやりたかったが、そうも言ってられなくなっちまってな」
 教官が言った。
「だから俺の家で治せ……アディが、待ってるぜ」

「教官は……知ってたんですか?」
 車の中で、フェイトは訊いた。
「アデドラに、傷を治す力があるって事」
「家で、ちょいとつまらねえ怪我をしちまってな。治してもらった」
 ハンドルを転がしながら、教官が答える。
「もちろん、あいつが監視の対象だって事は忘れちゃいねえが……何か、すっかり世話になっちまってるなあ。家事とか子守りとか上手いんだよ、アディの奴」
「長生きしてるみたいですからね」
「料理の味付けだけは、ちょいと微妙だがな」
 味のないシチューを食べさせられた事なら、フェイトにもある。
「まあ少しの間になるだろうが、俺の家でゆっくりしてろ」
 車が、ガレージへと入って行く。
「急に家族が増えちまって、ちょいと窮屈だがな」
 そう言えば犬を飼い始めたはずだ、とフェイトは思い出した。
 ガレージから、庭へと出た。そこでフェイトは、足を止めた。
「お帰りなさい、お父さん……お母さんも、さっき帰って来たところよ」
 1人の少女が、立っていた。アイスブルーの瞳が、教官とフェイトに向けられる。
「フェイトは……お帰りなさい、なのかしらね」
「どうかな……」
 久しぶりの会話を始める事は、出来なかった。
 仔犬が2匹、きゃんきゃん鳴きながら、凄まじい勢いで駆け寄って来たからだ。

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ラグナロクの渦中へ

思っていたより怪我の治りが早いのは、自分の身体が頑健だからではなく、もともと大した怪我ではなかったからだろう、とフェイトは思う。
 怪我が治れば、アメリカへ帰らなければならなくなる。無期限の研修が、まだ解除されていないのだ。
「日本人の貴方が、アメリカへ帰る……というのも、おかしな話だとは思いませんか」
 男が、にこやかに言った。
 50代と思われる、身なりの良い人物。どこか大企業の常務か専務といった風情だ。取り巻きと思われる者を数名、引き連れている。病室が狭くて仕方がない、とフェイトは思わなくもなかった。
 IO2日本支部の、割と上位の職員である。
 そんな人物が、わざわざフェイトの病室を訪れ、猫撫で声に近いものを発している。
「今や貴方は実績あるエージェント、研修の必要もないでしょう。日本支部は、ご希望の待遇で貴方をお迎えしますよ」
 能力を持て余すばかりで全く使い物にならない新人・工藤勇太を、研修という名目でアメリカへと放り出した張本人だ。無期限の研修。厄介払い、あるいは追放にも等しい。
 それに関して今更とやかく恨み言を述べるつもりが、フェイトにはない。あの頃の自分は、戦力外通告を受けても文句は言えない有り様であった。解雇されずに済んだのは、むしろ温情と言える。
 アメリカで適当に実戦任務に就いてそこで死んでくれれば面倒がない、という計算は無論あっただろうが。
 フェイトは死ななかった。死を求めていた時期もあったが、幸か不幸か死ぬ事なく生き延びてきた。
 IO2アメリカ本部所属の、エージェントとしてだ。
(今更、日本支部へ戻れって言われてもなぁ……)
 フェイトが思った、その時。
「病室でする話ではないな」
 声と共に、1人の女性が病室に踏み込んで来た。鉄の女、という形容がふさわしい欧米人女性。
 アメリカ本部における、フェイトの上司である。
「え……な、何で貴女がここに?」
「IO2ジャパンと、話をつけなければならない用件があってな。そのついでの見舞いだ」
 女上司が言いながら、日本支部の職員を睨み据えた。
「そういうわけだ、話をつけよう。場所を変えて、な……怪我人の前でする話ではない」
「あ、貴女がたと話す事など……我々は今、工藤君と」
 気圧されながらも、職員が抗弁を試みる。
 女上司の眼光が、ギラリと強まった。
「ゲラウト……」
 その一言で、職員もその取り巻きたちも、追い出されるように病室を出て行った。
「IO2ジャパンも、実戦部隊は精鋭揃いだが上層部は有象無象……アメリカ本部と変わらんな」
 女上司が、溜め息をつく。
 とりあえず気になった事を、フェイトは口にしてみた。
「……日本語、上手なんですね」
「以前、この国で研修をした事があってな」
 自分がアメリカへ送り込まれたようなものか、とフェイトは思った。
「まあ、そんな事はともかくフェイト。お前には、アメリカへ戻って来てもらう。もちろん私の一存で決められる事ではない……今、逃げて行った者たちと、しっかり話をつけなければならんがな」

「なあ穂積君。まさか、とは思うが……」
 長年の親友である男が、苦笑気味に言った。
「わざわざ僕と会わせるために、勇太をアメリカから連れ戻して来た……わけでは、ないんだろう?」
「あいつには、少し嫌な思いをさせておこうと思ってな」
 言ってから、穂積忍は一口だけ茶を啜った。
 親友の家である。
 彼の甥である少年が、かつてこの家で暮らしていた。
 その少年は青年となり、戦いの日々を送っている。
 先日も、自分の弟や妹とも言える者たちを相手に、凄惨な殺し合いを行ったばかりだ。
「まあ、そのついででも……会っておこう、って気になれないか? 次にあいつが日本へ来るのは、いつになるかわからんぞ」
 下手をすると、永久に帰って来られないかも知れない。
 そういう職場である事は、この男も知っているはずであった。
「お前、あいつの……親、みたいなもんだろう」
「親戚の体面で、生活の面倒を見ていただけさ。僕は勇太に……何も、してやれなかった」
 実の両親と一緒に暮らすよりは、勇太は幸せだっただろう。
「……久しぶりに、姉貴の見舞いに行ったよ」
「ほう。仲直りか?」
「どうだかな……とにかく姉貴の奴、勇太が会いに来てくれた、けど合わせる顔がない。それしか言わないんだよ。前より、ましにはなってきたのかな」
 仲の良い姉弟では、あったらしい。
 だが姉の方が、家族の反対を押し切って、いささか問題のある男と駆け落ち同然の結婚をしてしまった。それ以降、絶縁にも等しい状態が続いていたようだ。
「姉貴は、とにかく男がいないと駄目な女だったからな」
「母親似ってわけか。勇太もあれだ、女でいろいろ難儀しそうな所があるんだよなあ」
「穂積君ほどじゃないだろう。君は本当に、そちら方面で問題ばかり起こしていた」
「おかげで、若い女って生き物がつくづく嫌になっちまってな。女はやっぱり、包容力のある年増に限る」
 この親友が同じ職場にいた頃の、まあ今となっては懐かしい思い出である。
「で……勇太には、会わないのか?」
「あいつにはもう、僕は必要ない」
 親友が、遠くを見つめた。
「勇太は、1人でアメリカへ行って立派なエージェントになって帰って来たんだ」
「お前、俺を恨んでるだろう?」
 穂積は、親友に微笑みかけた。
「もちろん直接、誘ったわけじゃあないが……俺が勇太を、IO2へ引きずり込んだようなもんだ」
「あそこは本当に、最悪の職場だったからね」
 親友が、懐かしそうに言う。
「僕は根性無しだったから結局、ついて行けなくて辞める事になったけど……勇太は、大丈夫だと思うよ。あいつは自分で選んで、自分の意志で今まで戦い続けてきたんだ。君にたぶらかされたわけじゃない、勇太自身の意志さ」
「強くなったよ、あいつ。お前の現役時代に比べりゃ、まだ全然だけどな」
「君のお世辞を真に受けていた頃が、懐かしいよ」
 この男が、こんな穏やかな笑い方をするようになったのだ、と穂積は思った。
 根性無しなどと自身では言っている彼が、IO2を辞める事になった本当の事情。
 本人以外でそれを知る者は、生きている人間の中では、穂積忍ただ1人であろう。

 自分が物として扱われている、とフェイトは思わなくもなかった。
「え……っと、すいません。よく聞こえませんでした」
「退院が決まった。出発は明後日。そう言ったのだ」
 一方的な事を言いながら、女上司が封筒を押し付けてきた。
 飛行機の、チケットである。
「ええと……日本支部の人たちと、話はついたんですか?」
「日本人は、恫喝で従わせる。マシュー・ペリー提督以来の、我が国の対日外交方針だ」
「俺、まだ怪我人なんですけど……」
「アメリカへ着いたら、治してもらえ」
 女上司が、さらりと言った。
「傷を治す力を持った少女が、お前の知り合いに1人いるはずだ」
 生きた『賢者の石』である少女。IO2の監視対象でもある。ある程度、能力が知られているのは当然だった。
「下手をすると、彼女に協力を求めなければならなくなる。良好な関係を保っておけよ」
「一体、アメリカで何が起こってるんですか……」
 フェイトは訊いてみたが、何となく想像はついた。
「まさか例の……巨大ロボット騒ぎ? じゃないですよね?」
「……知っていたのか」
 女上司が、溜め息をついた。
「馬鹿げた騒ぎ、と呆れてばかりいられる状況でもなくなったのでな。怪我人も出ている。お前の親友だ」
「あいつか……」
 フェイトも、溜め息をつきたくなった。

「おーい!」
 某空港。搭乗ロビーへと向かって歩いている最中、フェイトは声をかけられた。
「やっぱり工藤か! よく会うなあ、おい」
「お前……」
 旧友の、月刊アトラス新人記者である。
「お前も、この飛行機でアメリカへ……? まさか、ロボット騒ぎの取材じゃないよな」
「それがロボット騒ぎの取材なんだよ。何だ、お前も?」
「い……いや、俺はあんな騒ぎとは関係ない。仕事で、ちょっとアメリカへな」
 フェイトは咳払いをした。
「……今月号、読んだよ。凄かったな、お前の記事」
「いやあ、編集長が誉めてくれてさあ。いい気になってるうちに、今度はアメリカへ行く羽目になっちまった」
「命を大切にしろ、とだけは言っておくよ」
「お前も、アメリカへ行くんなら気をつけた方がいいぜ。今のアメリカは……何かいろいろ、変な事が起きまくってるみたいだからな」
 最近あの国で起こった『変な事』と言えば、筆頭は錬金生命体関連の騒動である。
 アメリカ国内では、政府及びIO2によるマスコミ対策が功を奏し、大々的に報道される事はなかった。
 だがアトラスは、もしかすると何かしら掴んでいるのかも知れない。
「じゃ、アメリカで会えたら会おうぜ。俺、飛行機の中で書かなきゃいけない原稿あるからよ」
 そう言い残し、足早に去って行く旧友を、フェイトは片手を上げて見送った。
 自分は、あまり速く歩くと肋骨に響く。どうにか普通に歩く事は出来るが、身体はまだ完治していないのだ。
 フェイトは、足を止めた。傷が痛んだから、ではない。
 男が1人、そこに立っていたからだ。
 物静かな感じの、年配の男。あの頃より老けて見えるのは当然か、とフェイトは思った。
「叔父さん……」
「来るつもりはなかったけど、穂積君に上手く乗せられてしまった」
 叔父が、微笑んだ。
「頑張ってる……と言うより、無理をしているようだね。今も、怪我をしてるんだろう?」
「上手く隠してる、つもりなんだけどな」
 昔から、そうだった。
 勇太が学校で喧嘩をして、怪我をして、それを隠して帰っても、この叔父には必ず見抜かれてしまう。
「叔父さんにも1度、顔見せておこうかと思ったけど……結局、時間なくなっちゃった」
 フェイトは苦笑した。
「久しぶり……元気そうだね」
「勇太は、あまり元気そうじゃないな。穂積君から聞いている。アメリカで何度も、死にそうな目に遭ったそうじゃないか」
 仕事に関して、フェイトはこの叔父には何も話していない。
 IO2などという名詞を、叔父は知らないはずであった。
「俺、仕事あんまり出来ない方だから。いろいろヘマやらかしてるだけだよ」
「僕も、仕事ではヘマばかりだったなあ」
 この叔父は、普通の会社員である。
 その前は何か別の仕事をしていたらしいが、フェイトは知らない。知りたがるような事でもない。
「あの甘い物好きな、喋る犬たちは元気かい?」
「……元気、だと思うよ。ここ何年も会ってないけど」
「勇太は昔から、人間じゃない友達の方が多かったなあ」
 人間が嫌いだった。そういう時期が、確かにあった。
「俺、叔父さんの事も嫌ってたよ。人間ってものが、わけもなく嫌いだった……どうしようもない奴だったよね、俺って」
「僕も人間嫌いだったよ。勇太は僕に似ている、と思っていた」
 搭乗を促すアナウンスが流れた。離陸時間が、迫っている。
「……じゃ俺、行くから」
「ああ……」
 頑張れよ、あるいは元気でな。
 そういう類の言葉を、叔父は飲み込んだようだった。
 歩き出しながらフェイトは、見送る視線だけを感じていた。

カテゴリー: 02フェイト, season4(小湊WR), 小湊拓也WR(フェイト編) |

束の間の休息、動乱の胎動

死体写真である。
 人間の死体ではない事を、フェイトは知っている。だが、大量殺人事件の現場写真にも見えてしまう。
 何しろ、人間の体型をした生き物の屍が、廃工場のあちこちに散乱しているのだから。その多くは、首を刎ねられている。
 包帯を巻かれた腐乱死体のような、大量の屍。
 記事の見出しは、こんな感じである。
『編集長の御ために! 新兵、噂の生物兵器工場へ決死の潜入任務。二階級特進なるか!?』
「その新兵ってのは、お前の友達だろ?」
 穂積忍が、笑っている。
「自力であの工場を探し当てるとは大したもんだ。俺たちがドンパチやらかした跡……ばっちり撮られちまったな」
「……ま、生物兵器の工場なんて誰も信じないだろうけど」
 病室のベッドに横たわったまま、フェイトはその雑誌をめくっていた。
 月刊『アトラス』最新号。穂積の、見舞いの品である。
「で……穂積さんは、もう退院なわけ?」
「お前に比べりゃ、かすり傷みたいなもんだしな」
 穂積が、椅子から立ち上がった。
「お前の持ち物は、IO2ジャパンの一時預かりって事になってる。しばらく返って来ないぜ」
 フェイトの持ち物の中には、拳銃もある。退院まで、IO2日本支部に預けておくしかないだろう。
「まだ……しばらく、入院って事?」
「休暇みたいなもんだ。ゆっくりしてろよ」
 またか、とフェイトは思わない事もなかった。
 以前も、自分を見つめ直すための長期休暇を与えられた事がある。
 その最中、1人の少女と出会った。まあ日本で会う事はないであろうが。
「せめて携帯くらい返して欲しいんだけど」
「携帯持ってたら、本部と連絡がついちまうだろ? しばらく仕事は忘れろって事だ」
 穂積は言った。
「怪我が治るまでは、な」
「治すと言えば……あの子たちは?」
 フェイトの妹とも言える、7人の少女たち。
 うち3人は、とある女性に乗っ取られて姿を消した。
 3人は、フェイトの念動力をまともに受けて倒れ、生死不明である。
 そして、もう1人は。
「日本支部で……再教育、ってとこだな。ああ、どっかの国の強制収容所みたいな事はしてないから安心していいぜ。今のお前みたいに、ゆっくり休ませて美味いメシ食わせて、人間ってものについて考え直させる。そんな感じだ。ちなみに、お前に殺されかけた3人は培養液に漬けられてる。これもお前と同じで、徹底的な修理が必要だからな」
 生きてはいる、という事だ。
 思わず安心してしまった自分を、フェイトは恥じた。
 自分の弟とも言える怪物たちは皆殺しにしてしまったのに、人間の姿をした妹たちは1人も殺せなかった。
 これを、少なくとも優しさとは言わないだろう。
「消えちまった3人は捜索中だ。ま、あの女1人を探し当てるよりは楽だろうよ」
 言いつつ、穂積はフェイトに背を向けた。
 その背中に、問いかけてみる。
「1つ、いいかな。前から気になってたんだけど……穂積さん、エージェントネームは?」
「そのうち教えてやる。格好良く名乗れる状況になったらな」
 振り向かずに片手を上げて、穂積は病室を出て行った。
 ベッドに寝転んだまま、かと言って眠れるわけでもなく、フェイトはとりあえず月刊アトラスを開いた。
 アメリカ・ネバダ州に巨大ロボット出現。そんな特集が、巻末で組まれていた。
 先日フェイトが、とある新聞で見かけた記事と、内容は同じだ。
 あの新聞と同じく、娯楽が8割で真実が2割。そう思われがちな雑誌である。
 一方で、取材の正確さに定評のある雑誌でもある。
 面白いものを誇張する編集方針であるのは否めない。
 その背後にはしかし、一筋の真実と言うべきものが確かにある。フェイトは、そう思っている。
 アトラスに載っているのなら、少なくとも丸っきりの虚報ではないだろう。ネバダ州で何かが起こったのは間違いない。
 巨大ロボットと聞けば、フェイトの頭には、1人の同僚の顔しか思い浮かばなかった。
「お前、何かやったんじゃないだろうな……」
 手元に携帯電話があれば、すぐさま確認しているところである。
 だが今、この場でも確認出来る事が、ないわけではない。
 写真内で暴れている、2つの巨大なもの。
 その片方は、フェイトが以前、虚無の境界の地下施設で目撃した機械の巨人と、ひどく似ている。
 あれは確か、IO2によって分解・押収されたはずだ。
 まさか、そのまま機械巨人に組み直して再利用などするまい、とフェイトは思っていたのだが。
「IO2が……組織ぐるみで、何かやらかしてるんじゃないだろうな……」

 日本国内、某空港。
 飛行機を下り、人波に乗ってロビーに出たところで、彼女は気付いた。
 男が1人、いつの間にか近くにいる。傍らを、歩いている。
「ホヅミ……」
「相変わらず、下手な日本人よりずっと勤勉だよな。あんた」
 穂積忍が、ニヤリと笑った。
「部下1人を連れ戻すためだけに、わざわざ来日とはな」
「そして、お前はそれを妨げるために、わざわざ空港まで?」
「俺はただ、あんたを出迎えに来ただけさ」
「……フェイトが、負傷したらしいな」
 言葉と共に、彼女は穂積を睨みつけた。
「私の部下を、ずいぶんと乱暴に扱ってくれたのではないか?」
「いやあ、あんまり便利だったんでな。あいつも強くなったもんだ」
 穂積が、なだめるような視線を返してくる。
「そう目くじら立てなさんな。あいつがアメリカへ帰るのを邪魔したりはしないさ……フェイトが本部の人材だって事くらい、俺にもわかってる。ただ、もうしばらくは日本で養生させた方がいいかも知れんぜ」
「そこまで、ひどい怪我なのか」
「俺が、ちょいと便利に使い過ぎた。弾避けとしてな」
「どのような任務であったのかは、こちらでも調べ上げてある……フェイトのクローンが計7体、出現し、IO2ジャパンで4体を確保、残り3体は行方不明。そう聞いているが」
 フェイトの、出生に関わるような戦いであったらしい。
「フェイトだけではない。お前にとっても因縁のある戦いであったようだな?」
「まあな。俺が昔、始末し損ねた奴が、つまらん研究を続けてやがった」
「問題はそこだ、ホヅミよ。かつてNINJYA部隊によって潰されたはずの研究が、密かに続いていた……何故、続ける事が出来たのだろうな。その資金は、どこから出ていた?」
「そりゃあ虚無の境界が密かに……って事にしときたいが、あんたをごまかすのは無理だよな」
 微かに、穂積は溜め息をついたようだ。
「お察しの通りさ。金を出してたのは、IO2ジャパンだ。おかげでまあ、フェイトのクローンが4人ばかり手に入った。即戦力になりそうなのは1人だけだがな」
 フェイトの能力の基本は、虚無の境界の研究施設によって培われたものだ。
 虚無の境界こそが、IO2エージェント・フェイトの生みの親である。そう言い切る事も、出来なくはない。
 能力者を作り上げる研究に関して、虚無の境界は、IO2の5年あるいは10年先を行く。
 その技術を盗むために、IO2ジャパンは投資を行っていたという事だ。
「……それを責めようとは思わん。我々アメリカ本部とて、錬金生命体などという出来損ないを大量生産してしまったばかりだ」
「なかなか面白いお祭り騒ぎだったぜ。端から見てる分にはな」
 穂積が笑った。
「しかも、まだ完全に終わったわけじゃあないんだろう? その上アメリカじゃあ、あれ以上の馬鹿騒ぎが始まりそうな気配もある……大変だな、あんた方も。フェイトの奴を、何としても確保しときたいわけだ」
「連れて帰る。邪魔立てはするなよ」
「今回は、まあ見舞いだけにしとけよ。慌てなくても、フェイトは必ずアメリカへ帰す……あいつを育ててくれたのは、あんた方だ。俺たちは何もしていない。あいつを、アメリカへ放り出しただけだ」
「……何もしていないのは、私も同じだがな」
 フェイトが、日本ではなくアメリカで一人前のエージェントに育ったのだとしたら、それは彼自身の意志と努力によるものだ。アメリカ人は、何もしていない。
「目元の皺……ずいぶん上手く、隠してあるじゃないか」
 穂積が突然、話題を変えた。
「それでも何だ、仕事の疲れみたいなもんは化粧じゃ隠せないんだよなあ。いい感じだと思うぜ? 生活の苦労が滲み出た年増女……悪くない」
「貴様、何を……!」
 つい怒鳴ってしまいそうになりながら、彼女は睨みつけた。空港の人混みを、見回した。
 穂積忍の姿は、どこにもなかった。

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