滅びの巫女たち

(あいつが見たら、喜ぶ……かな?)
 フェイトはまず、そう思った。
「動画でも撮って、送ってやりたいとこだけど……そんな余裕なさそうだな」
 同じ姿をした、7人の少女。まるで鏡を並べたかのようである。
 淡く緑色に発光する14個の瞳が、その輝きを一斉に強めた。
 目に見えぬ力が7人分、塊となって、押し寄せて来る。
 穂積忍が、いつの間にかフェイトの前に立っていた。少女たちを見据え、何かを掲げている。
 独鈷杵である。それが、
「ナウマク、サマンダ……ボダナン! インダラヤ、ソワカ!」
 穂積の真言に合わせて、同じく目に見えぬ力を発した。
 帝釈天の、法力。楯、あるいは結界の形に発生していた。
 そこへ、少女7人分の念動力が激突する。
 部屋が、いや廃工場そのものが揺れていた。
 様々な実験機器類が、火花を発して砕け散り、ちぎれ飛んでいた。細かな機械の残骸が、宙を舞う。
 その破壊の光景の中で、虚無の境界の研究員が笑っている。
「我が娘たちの力の前に! もはや神仏にすがるしかないと見えるな!」
 いや。あの研究施設の壊滅によって、虚無の境界からはすでに除名された身であるのか。
「だが神仏は冷酷、人間を救いはせぬ! 世界を、人類を救うのは、もはや大いなる虚無の滅びとそれによる霊的進化のみ! さあI01から07、美しき滅びの巫女たちよ! 愚か者どもに救いをもたらしてやるが良い!」
「はい、お父様」
「はい……お父様……」
「はぁい、お父様ぁ」
「はい! お父様!」
 口々に応えながら、少女たちが瞳を輝かせる。
 エメラルドグリーンの眼光が計14本、念動力の嵐と共に襲いかかって来る。
 それを穂積が、独鈷杵1本で止めている。フェイトを背後に庇う格好でだ。
「地味で楽しくない仏教系の法術修行だが……真面目にやっといて、良かったぜ」
「さっきまでと逆だな。あんたが、弾避けになってくれてる」
 呟きながらフェイトは、左右2丁の拳銃に、攻撃の念を込めた。
「つまり、俺に汚れ役をやれと……そういう事だな」
「出来るか?」
 弟や妹を撃ち殺すような戦いになる、と穂積は言っていた。
 フェイトの遺伝子から生まれ、フェイトの面影を強く残した、7人の少女。妹、と言うべきなのだろうか。
 いや違う。自分が合計8人いるようなものだ、とフェイトは思う事にした。
 妹を撃てるわけがない。だが自分自身ならば。
「いくらでも撃ち殺せる……かなっ!」
 フェイトは、引き金を引いた。左右2つの銃口が、火を噴いた。
 銃撃が、穂積の身体をかすめるようにして宙を裂き、少女たちを襲う。
 7人分の念動力と、帝釈天の法力。
 ぶつかり渦巻く2種の力を、フェイトの念を宿した銃弾の嵐が、まっすぐに切り裂いて奔る。
 そして少女たちを直撃した。
 否。直撃の寸前、7人とも姿を消していた。
「予知……それにテレポート!? まさか」
 驚愕するフェイトを取り囲むように、少女たちはフワリと姿を現した。
「A01……私たちの、お兄様?」
「って言うかぁ、むしろお父様?」
「違う違う。お父様は、あっち」
「あっちが、本当のお父様……」
「こっちは、偽物のお父様。だから、こうっ」
 少女たちが、様々な方向からフェイトを睨み、緑色の瞳を輝かせる。
「ぐっ……う……ッ」
 フェイトの身体は、宙に浮いていた。
 足場を求めてばたつく両脚が、拳銃を握る両手が、メキッ……と歪な方向に捻れてゆく。
 胴体が、雑巾の如く絞られつつある。目に見えぬ、巨大な手によって。
 少女たちの念動力が、不可視の手と化して、フェイトの身体をあちこちから掴み、捻り、引きちぎりにかかっていた。
 悲鳴を噛み殺しながらフェイトは、己の肋骨に亀裂が走る音を聞いた。体内各所で、血管が破裂する音もだ。
「…………ッッ!」
 食いしばった歯の間から、吐血の飛沫が溢れ散る。
 こんなものではないだろう、とフェイトは思った。
 穂積の法力と激突し、その余波だけで室内全ての機械類を破壊した、少女たちの念動力。
 彼女らが7人がかりで人間1人を壊しにかかれば、フェイトなど一瞬にして砕けちぎれて終わりである。こんなふうに苦しむ暇など、ないはずだ。
「偽物のお父様、しぶとい……」
「古臭いプロトタイプのくせに、頑張り過ぎ……」
「生意気……」
「ウザい!」
 少女らの声から、フェイトは人数を計算した。
 6人。1人、欠けている。恐らく、最も強力な念動力者が。
 7人のIナンバー、その中核と言うべき1人が。
 首は動かせない。眼球だけを動かして、フェイトは辛うじて視界の隅に捉えた。
 穂積忍が、少女の1人と向かい合い睨み合っている、その様をだ。
「俺にハニートラップを仕掛けようったって無駄だぜ。お嬢ちゃん方じゃあ、まだまだ」
 右手にクナイを、左手で独鈷杵を握り構えながら、穂積が不敵に笑う。
「俺はな、もっと乳が垂れてて下腹も弛んで、生活の苦労みたいなもんが滲み出た人妻じゃないと駄目なんだよ」
「お父様に刃向かう者、滅ぼす……」
 全く成立していない会話に、元・虚無の境界の研究員が割り込んだ。
「そうだI07、その男を殺せ! かつて虚無の境界の崇高なる研究を潰してくれた張本人……その首級を捧げれば、彼女は振り向いてくれる。私を、認めてくれる」
「おい、知ってるか?」
 I07、と呼ばれた少女と対峙したまま、穂積が呑気な声を発した。
「女に言わせるとな、男からのプレゼントってのは基本的にハズレばっかりなんだそうだ。俺の生首なんてのは、その最たるもんだと思うがなあ」
「……黙らせろ、I07!」
「了解……」
 I07の両眼が、翡翠色に燃え上がる。
 念動力が迸り、穂積を襲う。が、先程と違って1人分である。
 独鈷杵を振るい、穂積は念動力を打ち払った。目に見えぬ力が、バチッ……と音を立てて砕け消える。
 防御と同時に、穂積は右手を一閃させていた。クナイの投擲。
 I07の白くしなやかな細身が、ゆらりと回避の舞いを披露する。予知能力。かわされたクナイが、機械の残骸に突き刺さる。
 穂積が、最も手強い敵を1対1で引き受けてくれているのだ。
 その間、フェイトが為すべき事は、1つしかない。
「うっ……ぐ……ぉおおおおおおおおおおッ!」
 血を吐きながら、フェイトは雄叫びを上げた。
 翡翠色の瞳が、烈しく発光する。念動力が燃え上がり、全身から迸る。
 フェイトを雑巾の如く捻っていた6人分の念動力が、全て砕け散った。
 I01から06までの少女たちが、様々な方向に吹っ飛んで壁や床に激突し、動かなくなる。
 何人か、あるいは全員、死なせてしまったかも知れない。
 一瞬だけ、そんな事を考えながら、フェイトは拳銃を構えた。
 I07が、こちらをハッと振り向く。
 振り向いた少女に、フェイトは銃口を向けていた。
 躊躇う資格など、自分にはない。
 ここへ来るまでに、彼女の兄弟たちを、ことごとく討ち滅ぼしてきたのだから。
 だがフェイトは、引き金を引けなかった。
 脳が、その命令を発する前に、掻き回されていた。
 目に見えない手が、頭蓋骨の中に入り込んで来て脳髄を掻き回している。そんな感覚だった。
「ぐっ……こ、攻撃的テレパス……こんな力まで……っ」
 辛うじて拳銃を保持した手で、頭を押さえながら、フェイトは膝をついた。
 そんな様にI07が、エメラルドグリーンの眼光をじっと向けている。
「お父様を脅かす者……許さない」
「て……テレパスで、ぶつかって来てくれたのは……ある意味、チャンスかな……」
 フェイトの両眼も、緑色に輝いている。
「……あんたの心に……こっちからも、働きかけられる……」
 同じ色の眼光と眼光が、ぶつかり合った。
 激しい翡翠色の眼差しと共に、強烈極まる思念が、フェイトの心に激突して来る。
(お父様を、守る……お父様を脅かす者、生かしておかない……)
 それ以外の思考を、与えられていないかのようであった。
 脳に、何かしら細工をされているのかも知れない。
(その細工を……打ち砕けるか?)
 フェイトが自問している、その間に穂積が動いていた。
「ようし、そこまでだ。親孝行なお嬢ちゃん」
 元・虚無の境界の研究員。その細く非力な身体を、同じ細身でも強靭に鍛え込まれた穂積の腕が、背後からガッシリと捕えている。
「ひっ……き、貴様……」
 怯える研究員の喉元に、クナイが突き付けられていた。
「俺みたいな一般人は置いてけぼりの超能力戦争は、そこまでにしといてもらおうか」
「お父様……」
「……まさしく忍者の戦い方だよな、穂積さん」
 人質というのは、正々堂々と戦って殺し合うよりも平和的な手段である、とフェイトは思う事にした。
「た……助けろ。速やかに私を助けろI07、何をしている!」
 穂積に掻き切られそうな喉から、研究員は辛うじて声を発した。
「私は、彼女に認めてもらうまで死ぬわけにはいかんのだぞ!」
「そう……それでは認めてあげましょう」
 声がした。
 倒れていた少女6人のうち、3人が、ゆらりと立ち上がったところである。
「お……おお、I01! それに04及び05……よくぞ生きていた、さあ私を助けろ」
 怯えながらも尊大な研究員を、I01が見据える。
 緑色……ではなく赤い瞳が、禍々しく輝いた。
 研究員を捕えたまま、穂積が独鈷杵を掲げ、叫ぶ。
「ナウマク……サマンダ、ボダナン……うおおおおっ!」
 帝釈天の法力が、発生しながら砕け散った。
「穂積さん!」
 フェイトは駆け寄った。
 吹っ飛んで倒れた穂積が、弱々しく片手を上げる。
「生きてるぜ……俺はな」
 帝釈天の法力は、砕け散りながらも穂積1人を辛うじて守った。
 もろともに吹っ飛んだ研究員は、すでに息をしていないどころか人間の原形をとどめていない。死体と言うより、人体の残骸である。
「お父……さま……」
 I07が、呆然と声を発しながら、弱々しく座り込む。
 そんな仲間を一瞥もせずI01、それにI04とI05、計3人の少女は微笑んだ。
「私の身体は、1つしかない……同時に動いてくれる分身が、いくつか欲しかったところ」
「私は、あの研究を見捨てたわけではないのよ? 研究で生まれた子が自力で育ってくれるのを、待っていただけ」
「本当に、よく育ってくれたわA01……いえ、貴方が苦難の末に自分で選んだ名前を、尊重しましょう」
 違う、とフェイトは感じた。
 瞳を、翡翠色ではなく鮮血のような真紅に輝かせた3人の少女。すでに、Iナンバーの実験体ではない。何者かが、彼女たちを支配している。
「いつか私の所へ……来る事が出来るかしら? フェイト」
「あんたは……!」
 この場にいない1人の女性が、この場にいる少女3人の口で、言葉を発しているのだ。
 その1人の女性とは、何者なのか。
 フェイトがそれを訊く前に、穂積が言った。
「そこそこ当たりのプレゼント、貢がせてから切り捨てる……さすがは虚無の境界の女王様だよな、おい」
 虚無の境界の、女盟主。
 滅びの神『虚無』に仕える、女神官。
 各国IO2が総力を挙げて居所を探っているにもかかわらず、影すら踏ませずに存在感のみを発揮し続けている女性。
「いつか直接、貴方たちとお話がしたいわ。だから……生き延びて御覧なさい」
 少女3人が、ふわりと背を向ける。
「おい、待て……」
 フェイトが声をかけようとした、その時には、3人ともいなくなっていた。
 4人の少女が、残された。
 うちI02、03、06、この3名は倒れたまま動かない。生きているのか、屍なのか。
「お父様……」
 辛うじて声を発しているのは、I07のみである。
「…………許さない、I01……04、05……よくも、お父様を……」
 崩れるように座り込んでいた細身が、よろよろと立ち上がった。
「許さない……私は、お前たちを……絶対に……」
 自分と同じだ、とフェイトは思った。
 この少女も、憎しみから始まろうとしている。

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激戦! 怪人対巨大ロボット

魔法やら何やらが出て来るファンタジー映画は山ほど作っているくせに、妙なところで現実主義から逃れられない。だから「巨大ロボット」という素晴らしい文化が根付かない。
 アメリカ人の悪い所だ、と彼は思っている。
 日本人のような柔軟性を皆、もっと身につけるべきなのだ。
「魔法や超能力の方が、巨大ロボより現実的だってのか!? 答えろハリウッド関係者ァアアア!」
 操縦席に、怒声が響き渡る。
 ナグルファル。
 ラグナロクを引き起こす魔の軍船の名を冠した、機械の巨人。
 今は巨人ではなく、大型航空機の形態を取っている。
 ネバダ砂漠へと向かって空を裂き爆音を発する、巨大な戦闘機。その操縦桿を握りながら、彼は吠えた。
「時代が! ようやく俺に追い付いたあああああ!」
『おい、調子に乗るなよ』
 癇に触る声が、通信機から流れ出て来る。
『お前なんかに合わせて調整された機体じゃないんだ。何しろ急に動かす事になったからな……気をつけろよ。お前は別に死んでもいいけど、ナグルファルは絶対に壊すな』
「ばかやろう、ロボに乗って死ねるんなら本望ってモンだろうが」
 ネバダ州のとある街で、巨大な怪物、としか表現し得ないものが暴れているという。
 映像を見て、彼は狂喜した。
 それは、どう見ても『悪の巨大ロボ』であったからだ。
「かくして俺とナグルファルに出動命令が下ったと、そういうワケだ!」
『まったく、5色の強化スーツの開発もまだだって言うのに……』
「んなモンいらねえから、おめぇーはとっとと美少女を作れ! 試験管ベイビーでもアンドロイドでもいいからよお!」

 破壊するために作られた街である。
 建物は全て実物大だが、外装だけで中身はない。もちろん人が住んでいるわけでもない。
 とある映画会社が、撮影のために作った町だ。
「本物志向、ってわけか……」
 その街が破壊されてゆく様を眺めながら、アリーは呟いた。
 場所はネバダ砂漠、ラスベガス郊外。
 巨大な機械の竜が、実物大の張りぼてビルを破壊しながら、地震のような足音を響かせている。
 アメリカ政府が極秘に造り上げた、ドラゴン形の機動兵器。それが暴走して破壊を行う、という内容の映画らしいが、まだ撮影は始まっていない。
 実物大の機械竜が今、本当に暴走している。作り物の街を蹂躙・破壊しながら、ラスベガス市内へと向かっているのだ。
 このままでは、作り物ではない街に被害が及ぶ。
「行け行け、ブチ壊しちまえ! あんな街!」
 外見だけはしっかりと作り込まれた、張りぼてのビルの屋上から、アリーは声援を送った。
「ラスベガスなんざぁ、地図から消しちまえ!」
『お前……さては、カジノで大負けしたな?』
 ポニーテールの似合う頭に装着された通信機から、呆れたような声が流れ出す。女性上司の声だ。
『だから、ラスベガス近辺にお前を行かせるのは気が進まなかったんだ……まあいい、遊ぶ金がなくなったところで仕事に入ってもらおうか』
「わぁかってるよ」
 口元に伸びたインカムに向かって、アリーは言い放った。そうしながら、空を見上げる。
「あ、でも……まず、あいつらに頑張ってもらわないと」
 戦闘機が、飛んで来ていた。
 3機。撮影用の作り物ではない、本物の米軍機である。
 本物のミサイルが発射され、機械竜を直撃した。起こった爆発も、本物だ。
 本物の爆炎を押し割って、しかし機械竜が、ほぼ無傷の姿を現した。
「おいおい……」
 アリーがそんな声を発している間に、反撃が行われていた。
 機械竜が、炎を吐いたのだ。
 いや炎と言うより、高熱量の破壊エネルギーそのものか。
 燃え盛る球体と化したそれが3つ、竜の大口から、上空へと放たれる。
 流星にも似た、3発のエネルギー火球。全てが、戦闘機を直撃していた。
 本物の米軍機が3機とも、爆炎の花火と化した。パイロットたちが無事に脱出したのかどうかは不明である。
「……本当に、映画用?」
『映画という名目で、本物の破壊兵器が造られていた……という事だ。映画の出資者を、調べてみたのだがな』
 女上司が、いくつかの企業名を口にした。
『全て……とある上院議員の親族が、何らかの形で経営に関わっている会社だ』
「なるほど。懲りもせず、強いアメリカ復活を目指していなさると」
 アリーが上司とそんな会話をしている間、状況に変化が起こっていた。
 新たなる戦闘機が1機、爆音を轟かせて空を裂き、機械竜の頭上を旋回している。
 米軍機、ではない。IO2の所管物である。
 ナグルファル。虚無の境界からの、押収品だ。
 今は大型航空機の形態を取っている、その機体が、爆音を引きずりながら空高く舞い上がって行く。
 見上げながら、アリーは口ずさんだ。
「ゆー……ゆぶろうぃどぅすかいはぁい……」
 かつて、この歌をこよなく愛する少女がいた。
 高々と空を飛ぶような、曲名と曲調。何もかも台無しとなって最終的には地に墜ちる内容の歌詞。
 アリーも、それが気に入っていた。
 その少女は、人間ではないものに変わり果てて死んだ。
「あーらぁぶはどういんつとぅふらぁい……」
 飛行形態のナグルファルが、機銃を乱射しながら急降下して来る。
 銃弾の嵐が、機械竜をいくらかは怯ませているようだ。
 そこへナグルファルが、空中から激突して行く。航空機から巨人へと、変形しながらだ。
 超高空からの、飛び蹴り。
 その一撃が、機械竜の巨体をドグシャアァアッ! と激しく歪めた。
 歪んだ機体のあちこちで装甲が破裂し、内部機器類が押し出されて血飛沫のような火花を散らす。
 そんな状態でも、しかし機械竜は倒れない。
 踏みとどまりながら巨体を猛回転させ、尻尾を振るう。
 アリーはフェンスを掴み、屋上から身を躍らせた。
 飛び蹴りの後、格好良く着地を決めたばかりのナグルファルが、尻尾の一撃に叩きのめされて吹っ飛んだ。
 そしてビルに激突する。
 瓦礫にまみれたまま、ナグルファルは動かなくなった。
 アリーの背中で翼が広がり、羽ばたいた。
「うぃくーだぁぶたっちざぁすかぁい……」
 豊かなポニーテールを暴風になびかせながら、アリーは一気に空中を突き進んで行った。
 動かなくなったナグルファルに向かって、機械竜が大口を開く。口内が、熱く発光している。
 その光が急速に膨張し、エネルギー火球を成した時には、アリーは機械竜の懐に達していた。半ば激突のような形に、しがみついていた。
 長大な頸部と、分厚い胸部の中間。
 破裂し、ささくれ立った装甲を、アリーは、
「ゆぶろうんいどぉる、すかいはぁああああああい……っとお」
 一気に、引き剥がした。
 操縦席が現れた。
 1人の白人青年が、シートベルトで座席に拘束されたまま血を流している。意識はない。
 操縦者の状態に関わりなく、機械竜は暴走を続けている。その口からエネルギー火球が、動けぬナグルファルに向かって、今にも吐き出されそうだ。
 アリーの綺麗な右手が、細く鋭利な握り拳となった。
 気絶した青年の眼前で稼働中の、コンソールパネル。そこに、
「おうりゃ!」
 アリーは思いきり、右拳を叩き込んでいた。
 操縦室内のあちこちで、火花が生じた。
 叩き割られたコンソールパネルが、焦げ臭い煙を噴出させる。
 機械竜が、動きを止めた。
 吐き出される寸前だったエネルギー火球が、発射機能を止められて口内に残り、爆発した。
 機械竜の頭部が、綺麗に吹っ飛んで消滅した。
「任務完了……こいつ、どうすんの?」
 シートベルトを引きちぎり、青年を解放してやりながら、アリーは指示を仰いだ。
「死んじゃあいない、みたいだけど肋はバッキバキに折れてて肺とかにも刺さってそう……あん中にいる奴も多分、同じ目に遭ってる」
 瓦礫に埋もれて動けずにいるナグルファルを、アリーはちらりと見やった。
『救護班が間もなくそちらに到着する。現状維持』
「なあ……使い物になるわけ? あの鉄クズ」
『操縦者次第、という事はわかった』
 女上司が、呻くように言った。
『やはり何としても……彼を、日本から呼び戻すしかあるまい』

 俳優志望の若者が、売名を望むあまり映画撮影用の巨大ロボットを勝手に動かし、暴走させ、騒動を引き起こした。アメリカはネバダ州での出来事である、らしい。
 真実2割・娯楽8割というような新聞であるが、はっきり言って今、アメリカという国では、どのような馬鹿げた事も起こり得る。
「虚無の境界とIO2が、本気でやり合えば……巨大ロボ騒ぎの1つ2つ、起こっても不思議はない。かな?」
 病室のベッドの上で、彼は苦笑しながら新聞を畳んだ。
「ゆっくり休んでる……暇なんて、ないかもな」

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聖女に捧ぐ

コンクリートや鉄骨の破片が、銃弾の速度で飛んで来る。
 とてつもない怪力で、投げつけられて来る。
 投げつけている者たちの姿は、見えない。ただ禍々しい気配だけが伝わって来る。
 フェイトは、銃撃で対応するしかなかった。
 右手で拳銃を構え、引き金を引く。
 工場内の暗闇に銃声が轟き渡り、マズルフラッシュが鬼火の如く閃いた。
 コンクリート片に、鋭利な鉄骨の切れ端……暗闇の中から投げつけられて来る様々な飛来物が、銃撃に薙ぎ払われて空中で砕け散る。
 右手で拳銃をぶっ放しながら、フェイトは左手でスマートフォンを持ち、辛うじて会話を保った。
「電話じゃわかんないだろうけど、こっちは今、仕事中なんだ。自家用ジェットとかで迎えに来られても行けないからな」
『貴方でなくとも良い仕事を、また背負い込んでしまっているのではありませんか? まったく日本人らしいと言うか』
「こちとら下っ端だからな、仕事選んでなんかいられないんだよっ!」
 とっさに、フェイトは跳躍した。
 コンクリート片や鉄骨、ではないものが飛んで来たのだ。目に見えない、何かが。
 それを回避しながら、フェイトは床に転がり込んだ。不可視の飛来物が、傍らを猛然と通過する。
 そして、柱に激突した。
 爆発そのものの轟音が、響き渡る。
 柱が、砕け散っていた。コンクリートの破片が、ちぎれた鉄骨が、爆風に吹っ飛ばされてフェイトを襲う。
 飛ばされて来たものを片っ端から銃撃で粉砕しながら、フェイトは叫んだ。
「切るぞ! 生きてたら、後で電話する!」
『まあ、御無理はなさらないように……』
 そんな言葉を最後まで聞かず、フェイトは電話を切った。
 何やら1人では心細い催し物に出席しなければならなくなったようだが、今フェイトはそれどころではない。
 たった今、襲いかかって来た、不可視の飛来物。それが何であるのか、全く見当がつかぬわけではなかった。
「……そういう事かよ、穂積さん……!」
 念動力。間違いない。
 自分が何故、わざわざアメリカから連れ戻されたのか、フェイトは何となくわかったような気がした。
 工場の奥。暗闇の中から、その者たちはようやく姿を現しつつある。
 部隊規模の群れを成す、人影……人間、のようには見える。
 一見すると、怪我人の群れだ。
 その全身に巻き付いているのは、包帯か、単なるボロ布か。
 とにかく、ミイラの如く巻き付けられた布の下で、皮膚と肉が一緒くたに腐敗し、蠢くようにグジュグジュと溶けかかっている。
 腐りかけながら、辛うじて生きている、人間型の生物の群れ。
 ゆっくりとフェイトに歩み迫る彼らの周囲で、コンクリートの破片と鉄骨の切れ端が無数、宙に浮いている。
 腐りかけたミイラ男、としか表現のしようがない怪物たちが、布の下の眼球をギラリと輝かせた。
 ふわふわと浮かんでいたコンクリート片と鉄骨が、フェイトに向かって一斉に飛んだ。発射された。
 念動力。
 怪力で投擲されていた、わけではなかったのだ。
「こいつら……そういう事なのかよ……っ!」
 懐にスマートフォンをしまい込んだ、その手でフェイトは拳銃を抜き、構え、ぶっ放した。
 左右2つの銃口が、轟音を発し、火を噴いた。
 左の銃撃が、飛来するコンクリートや鉄骨を粉砕する。
 右の銃撃が、念動力の発生源たる怪物たちを襲う。
 腐敗しかけた彼らの肉体が、のたのたと歩きながらユラリと敏捷によろめく。その傍らを、フルオートの銃弾嵐が激しく通過して壁や床にぶつかり、火花を散らす。
 よろめく酔っ払いのような動きで、怪物たちはフェイトの銃撃をかわしていた。
 銃弾が見えている、と言うよりも。
「予知能力…………ッッ!」
 驚愕している暇はなかった。
 怪物たちの眼光が、さらにギラリと強まったのだ。
 彼らの念動力が、塊となって放たれ、不可視の飛来物と化してフェイトを襲う。
 先程のように、かわしている暇はない。念で対抗するしかなかった。
 フェイトの両眼が、緑色に燃え上がった。
 念が力となり、エメラルドグリーンの眼光と一緒に迸る。
 念動力と念動力が、ぶつかり合った。
 轟音が、工場全体を揺るがした。壁に、天井に、亀裂が走る。
 怪物たちがよろめき、だが倒れず、歩み迫って来る。コンクリート片や鉄骨の切れ端を、周囲に浮遊させながらだ。
「こっちも本気を出すしかない……って事か」
 フェイトが呻いた、その時。
 怪物の1体が、いきなり立ち止まった。腐りかけた肉体が、痙攣している。
 その身体から、頭部がころりと滑り落ちた。
 フェイトは何もしていない。首から上を失った怪物の身体が、ゆらりと倒れる。
 その間、ボロ布を巻き付けた生首が、他にも2つ3つと転げ落ちてゆく。
 風が、吹き抜けていた。時折、刃の光を閃かせながら。
 ミイラのような怪物たちが1体残らず、その風に首を刎ねられて倒れ伏し、あるいは首無しのまま立ち尽くし、絶命している。
「お前の本気は、もう少し温存しておけ」
 風がフワリと立ち止まり、声を発した。
 黒装束の人影。いくらか大型のクナイが、左右それぞれの手に1本ずつ握られている。
「さしあたっては、こうやって雑魚どもの攻撃を引き付けてくれるだけでいい」
「で……あんたは、とどめを刺すだけと」
 軽く、フェイトは睨みつけた。
「まあ、それは別にいいんだけど……なかなか出て来ないから、てっきり逃げたのかと思ったよ。穂積さん」
「安心しろ。お前という便利な弾避けが健在なうちは、俺も逃げたりはしないさ」
 穂積忍が、にやりと微笑を返してくる。
 フェイトも、苦笑するしかなかった。
「俺程度に便利な人材なら、IO2ジャパンにいくらでもいるだろう。なのに、わざわざ俺をアメリカからさらって来た理由……そろそろ教えてくれても、いいんじゃないかな」
「使える弾避けが欲しかっただけだ」
「こいつらを見てれば、わかるよ」
 首を刎ねられた屍たちを見回しながら、フェイトは言った。
「あの研究所で、生き残った奴がいるんだろう? こいつらには、あそこで俺と一緒だった連中の……下手すると俺の、遺伝子だか細胞だかが埋め込まれてる」
「お前にとっちゃ、弟みたいなもんかな」
 穂積は、何も隠そうとはしなかった。
「ま、そういう事だ。IO2から見れば、お前もまだまだ研究材料なんでなあ……自力で戦闘経験を積んできたオリジナルと、研究で大量生産されたクローン。どっちの方が高性能なのか、1つ確かめてみようって話になってな」
 腐りかけた生首の1つを、穂積は軽く蹴り転がした。
「こいつらも、そこそこは強かったが見ての通り失敗作だ。生きたまんま腐り始めてる。寿命はせいぜい1週間から半月ってとこかな」
「失敗作じゃない連中がいる……かも知れないって事?」
「少なくとも、こいつらよりはお前に近付いてる連中がな」
 穂積の微笑が、歪みを増した。
「冗談抜きで、お前にとっちゃ弟や妹を撃ち殺すような戦いになる……アメリカへ逃げ帰るんなら、今のうちだぜ?」

 こんな簡単な事に気付かなかったのは、自分が男であるからだろう、と彼は思う。
 男という愚劣極まる生き物であるからこそ何年もの間、こんな単純な発想の転換に行き着く事が出来なかったのだ。
 やはり、男では駄目なのだ。
 この世の頂点に立つべきは、女性なのである。
 世の愚民どもを大いなる霊的進化へと導く存在も、1人の女性なのだから。
「私は……貴女を、振り向かせてみせる……」
 虚無の境界の盟主たる女神官。愚民たちを導く、滅びの聖女。
 この場にいない女性に向かって、彼は熱っぽく語りかけていた。
 この研究は、虚無の境界に切り捨てられた。あの女性に、見放されたのである。
 当然だ、と彼は思う。あの愚かな所長の下で、彼女を満足させるような研究成果など出せるわけがない。
 虚無の境界という巨大な組織から見れば、この研究は、成果も出ぬまま終わったも同然だ。
 まして自分1人の存在など、彼女にとっては、見放すどころか最初から眼中になかったのだ。
 だが、この研究が成功すれば。
 彼女の目に触れるほどの成果を、出す事が出来れば。
「貴女は、私を見てくれる……認めてくれる……」
 廃工場の地下に広がる研究施設。その一室である。
 様々な機器類の中から、透明な柱が7本、屹立している。
 内部を液体で満たされた、円柱形のカプセル。
 透明な棺桶のようでもある、それらの1本1本に、ほっそりとした人影が閉じ込められている。
 培養液に浸された、しなやかな細身。
 自身の誇るべき研究成果たちに、彼は言葉をかけた。
「お前たちが動き出せば……彼女は、私を認めてくれる……」
「やれやれ、涙ぐましいこった」
 何者かが、いつの間にか近くにいた。
「虚無の境界って組織には、お前さんみたいなのが大勢いるんだろうなあ。悪い女に引っかかって人生踏み外しちまった、かわいそうな青少年が。お前も気をつけろよ? 女難のフェイト君」
「……余計なお世話だよ」
 2人いる。
 片方は、忘れもしない穂積忍。あの時、IO2のNINJYA部隊を率いて、この崇高なる研究を潰してくれた張本人だ。愚かな所長を殺してくれた事は、まあ感謝してやっても良いのだが。
 そして、もう片方は。
「あのままIO2に拾われ、その飼い犬と成り果てたか……A01よ」
 所長が執心していた、実験体である。
「お前が優れた素材であった事は、まあ認めてやらねばなるまい。が、もう要らぬ。この子らの実戦訓練に、お前を使ってやるとしよう……最後の実験だな、A01」
 7つのカプセルが、砕け散った。
 閉じ込められていた人影たちが、培養液の飛沫と強化ガラスの破片を蹴散らしながら、軽やかに着地する。
「E01からH35まで……全ての失敗作は、お前たちがここへ来るまでに処分してくれた。感謝してやろう、穂積忍にA01よ」
「ついでだ、お前も処分してやる」
 穂積が言った。
「殺り残しをいつまでも放置しておくと、俺の責任問題になりかねん。何かやらかす前に、死んでもらうぜ」
「……俺は結局、あんたの尻拭いみたいなもんに付き合わされてるわけだ」
 A01が、呆れている。
「ま、俺にとっても……責任ってのとは、ちょっと違うかも知れないけど」
 その両眼が、淡く緑色に輝いている。
「俺が始末付けなきゃいけない問題、なのは間違いない」
 少女たちの瞳も、呼応するかの如く、緑色の光を点した。
 翡翠色の瞳、豊かな黒髪。白い肌、いくらか膨らみに乏しい細身。
 人形のような美貌には、A01の面影が、はっきりと見て取れる。
 全く同じ姿をした、7人の少女。
「I01から07……お前の遺伝子から生まれた天使たちだ、誇るがいいA01」
 沸き上がる歓喜の念を、彼は止める事が出来なかった。
「EからHまでのナンバーが全て出来損ないであったのは、男だったからだ。女性の肉体として構成を試みた途端、見よ! このような完璧なる天使たちが生まれた! 世の愚民どもを大いなる霊的進化へと導く、滅びの聖女の美しき使徒よ!」

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東京怪談の国へ

 IO2という組織は、一枚岩ではない。
 虚無の境界の方が結束は固いのではないか、と思えるほどだ。
 特にIO2アメリカ本部とヨーロッパ支部は、犬猿の仲と言ってもいいだろう。どちらがより強い戦力を持つか、子供の如く張り合っているようなところがある。
「だから、こういうものを欲しがったりもする……」
 溜め息をつきながら彼女は、格納庫内に屹立するものを見上げた。
 まるで日本のアニメ作品にでも出て来そうな、機械の巨人。
 その整備主任であるエージェント2名の片方が、泣きそうな声を発した。
「ええっ、フェイト戻って来ないんですか!?」
「インドから帰った、その足で日本へ向かった。ここ本部とIO2ジャパンとの間で、話もついている」
 本部と不仲、というわけではないにせよ油断ならないのが、IO2日本支部である。
 かの国の首都・東京は、世界一の超常現象発生多発区域であり、対応に当たる日本支部には、必然的に精鋭と呼べる戦力が集まっている。
 中でも特に油断ならない男が1人、わざわざ訪米してフェイトに接触し、そのまま彼を連れて行ってしまったのだ。
「せ、せっかくフェイトに合わせて調整してたのにいぃぃ……」
「だぁから俺に合わせろっつってんだろ? あと美少女を10人くれえ培養しとくのも忘れんなよ。それにしてもフェイトの野郎、今頃アキバとか行きまくってんだろうなああ畜生」
 フェイトの同僚2名が、愚かな会話をしている。
 聞き流しながら彼女は、この場にいない男に語りかけていた。
「フェイトは日本人だが、ここアメリカ本部の人材だ……貴様らには渡さんぞ、ホヅミよ」

 日本支部は、IO2最強の戦闘組織であると言っても過言ではない。
 何しろ首都・東京は、超常能力者の巣窟である。どういうわけか、全世界から集まって来ている。異世界から来ている者もいる。人間ではない者もいる。
 彼ら彼女らが日々、東京のどこかで何かしら事件を引き起こしているのだ。東京怪談などと言われるほどに。
 精鋭でなければ、日本支部のエージェントは務まらない。
 わざわざフェイトをアメリカから連れ戻さずとも、人材は豊富なはずであった。
 何故、俺を。
 そう尋ねてみても、穂積忍は答えてくれない。
 一時的にしても帰って来たんだ、今日1日くらいは羽を伸ばせ。そんな事を言うだけだった。
 羽の伸ばし方など、知らない。
 ただ日本へ帰って来た以上、1度は顔を出しておかねばならない場所がある。
 いや顔など出さず、ちらりと様子だけ見て帰るべきであった。
 母は、自分の顔など見たくもないだろうから。
 フェイトは、そう思っていたのだが。
「悪かったね……あたしの顔なんて、見たくもなかっただろうに」
 椅子に座り、俯いたまま、母は言った。
 某県。風光明媚な場所に高級リゾートホテルの如く建てられた病院の、庭園である。
 看護士によってフェイトは上手く、ここに誘導されてしまったのだ。
「……ここの病院は、どう?」
 仕方なく、フェイトは会話を試みた。
「見たところ、設備はまあ悪くないみたいだけど……嫌な奴とか、いない?」
「ここはね、天国だよ。あの頃に比べたら……ずっとね」
 会話には応じながら、母はしかし俯いたまま顔を上げない。
 息子の方を、見ようとしない。
「あたしを、ここへ入れるために……あんた、随分と無理したんだってねえ?」
「別に……ちょっと、割のいいバイトがあってさ」
 フェイトも母の顔を見られず、頭を掻いた。
「適当にやって楽に稼げる仕事にも就いた。今の俺は、まあ幸せに生きてるよ……母さんが気に病む事なんて、何にもないんだ」
「あたしのせいで……あんたは……」
 こういう事を言われるかも知れないから、母には会いたくなかったのだ。
「……俺はね、母さんを高い病院に閉じ込めて一生、会いに来ない。そのつもりでいたんだ」
 フェイトは言った。
「面倒な事は全部、病院に丸投げでね。こっちは金払ってるんだから、文句を言われる筋合いはない……俺は、こういう奴なんだよ」
「でも、会いに来てくれた……」
 母が、ちらりと顔を上げ、すぐにまた俯いてしまう。
「駄目だね……あたしは、勇太を見られない。どんな顔で、どの面下げて……あんたを、見ればいいのか……」
「俺は別に、何にも気にしてない。それだけは、はっきり言っておくよ」
 フェイトが言っても、母は俯いたままだ。
 今までずっと母は、こうして自身を責め続けてきたのだろうか。これからも、己を責め続けてゆくのだろうか。
 だとしても、これ以上、母のためにしてやれる事を、フェイトは何も思いつかなかった。

 穂積忍が予約しておいてくれたホテルに、フェイトはチェックインをした。
 フロントマンからキーを受け取ったところで、声をかけられた。
「よう……もしかして、工藤じゃないか?」
 振り向いた。
 男が1人、ラウンジでコーヒーを飲みながら手を振っている。フェイトと同年代の若者。
 高校時代の級友で、工藤勇太と同じく、新聞部に属していた男である。
「やっぱり! お前、何やってんだよ。こんな所で」
「ちょっと仕事でね。それにしても、久しぶりだなあ」
 かつての級友とテーブルを挟んで、フェイトは座った。
「お前こそ、どうしたんだよ? こんな所で」
「俺も仕事。聞いてくれよ工藤。俺、プロになったんだぜ。雑誌記者だよ」
 新聞部にいた頃から、マスコミ関係の進路を希望していた男である。
「つっても、オカルトとか怪奇現象とか、そっち方面の雑誌だけどな。月刊アトラスってとこだけど」
 よりによって、あそこか。フェイトは思わず、そう言ってしまいそうになった。
「……でも普通に本屋に並んでるような雑誌だろ? 凄いじゃないか」
「まあ今の景気じゃ贅沢言ってらんねえしな。ここの編集長がまた、美人なんだけど性格キツくってさあ」
「仕事って言ってたよな。この辺って、アトラスに載るようなもの……何かあるのか?」
 アトラスの取材対象ならば、それはIO2にとっても管轄内であるかも知れない。
「人呼んで……バケモノ工場よ」
 かつて級友だったアトラス記者が、声を潜めた。
「ま、誰も呼んじゃいねえけどな。とにかくだ、ここから少し山奥へ入った辺りに工場の廃墟があってだな。何か政府が密かに作ってたバイオテクノロジー系の怪物だか何だかが大量に棲んでやがると、そういう怪情報が当編集部に入って参りやがりまして」
「バイオテクノロジー系の化け物、ね……」
「……お前、もちろん信じてねえよな? 当然、俺だって信じちゃいねえ。けど、うちの女王様じゃなかった編集長が、何か掴むまで帰って来るなと、そうおっしゃるわけよ」
 フェイトは、丸っきり信じていないわけではなかった。
 バイオテクノロジーで作られた怪物など、アメリカで嫌になるほど見慣れている。そういうものを大量生産している組織があるのだ。
 虚無の境界。彼らが、山奥で何か作っているというのは、ありそうな話ではある。
「で工藤、お前は今どんな仕事やってんの?」
「俺は……まあ、サラリーマンだよ」
「リーマンねえ。真っ黒スーツなんか着てるから、うちの取材対象になりそうなとこにでも勤めてんのかと思ったよ。ほら、ま、マ、マジェスティ13、だっけ? それとかメン・イン・ブラッ……」
「ま、業務内容は想像に任せる。口じゃ説明しにくい仕事でね……ちょっとごめん、上司から電話だ」
 スマートフォンを取り出しながら、フェイトは立ち上がった。
「落ち着いたら、ゆっくりな。それじゃ」
「あ、ああ。またな」
 電話をするふりをしながら、フェイトはラウンジを出た。
 無論、上司からの電話というのは嘘である。
 ただ上司と言うか、大先輩である事には違いない人物から、とある通達が来ているのは事実だった。
 フロントマンから受け取ったキーに、付箋のような小さな紙が貼り付けてあったのである。

 キーをくれたフロントマンが、IO2関係者……穂積忍の部下であったのは、恐らく間違いない。
 付箋のような紙片には、とある地名と、そこへ至る道筋が記されていたのだ。
 あのホテルから、いくらか山奥に入った所……母の入院している病院からも、それほど離れていない。
「まさか本当に……バケモノ工場? じゃないだろうな」
 夕刻の山林に埋もれかかった、巨大な廃屋。寂れた工場跡、のように見える。
 人の気配は、全く感じられない。
 ……否。ほんの一瞬だけ、フェイトは感じた。気配、と言うより殺気。
「…………!」
 とっさに、フェイトは身を反らせた。
 光が、眼前を通過した。
 刃物の光。
 それがわかった時には、別方向から襲撃が来ていた。
 斜め下方から、迷いなく正確に心臓を狙う一撃。
 身を捻るようにして、フェイトはかわした。
 黒いスーツが、すっぱりと裂けた。
 同僚から贈られた、防弾・防刃仕様のスーツ。銃弾をも通さない特殊繊維が、刃物で切り裂かれてしまったのだ。
「こいつら……!」
 風が、まとわりついて来る。フェイトは、そう感じた。
 襲撃者の人数が、把握出来ない。3人か、4人か。
 刃の光が、様々な方向から襲いかかって来る。
 防刃スーツがまた1ヵ所、裂けた。
 一瞬の鋭い痛みが、頬を走り抜ける。微かな裂傷が生じ、微量の鮮血が飛び散った。
 敵は、1人かも知れない。
 そう思った瞬間、フェイトは襲撃者の正体に気付いた。
「あんたか!」
 振り向きざまに、拳銃を突き付ける。
 刃の光が、フェイトの喉元で停止する。
 戦いが、止まった。
 フェイトの銃は、穂積忍の額に押し当てられている。
 穂積の右手に握られた大型のクナイは、フェイトの顎の下で止められていた。
 戦いが続いていれば、喉を掻き切られる前に引き金を引けていたかどうか、定かではない。
「まあまあ……って事にしとくか」
 穂積が、ニヤリと笑う。
 不敵そのものの笑顔を、フェイトは睨み据えた。
「俺を試した……わけじゃないよな。あんた今、本気で俺を殺そうとしてただろ」
「まさか。俺がお前を、殺すわけがないだろう」
 クナイが、フェイトの喉元から離れて行く。
「まあ……死んじまったら死んじまったで仕方ない、くらいは思ってたかな」
「やってくれるよ……」
 フェイトも、拳銃を下ろした。
「紙切れの伝言で呼び出すなんて、アナログな事してくれたのは……マンツーマンで実戦訓練でもしてくれるため? だったのかな。いくらでも相手になるけど、訓練じゃ済まなくなるかも知れないよ」
「それはまあ後日、俺とお前が生き延びたらにしようか」
 穂積の顔から、笑みが消えた。
「覚悟しとけよ。あの工場にいる連中は……寸止めなんか、してくれんぞ」

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鳥葬者の誕生

普段から、営業しているのか潰れているのかわからないような店である。
 今は『CLOSED』のプレートが下がっている。
 貸し切りである。
 客が1人、店主と一緒に、カウンターでグラスを傾けていた。
「相変わらず……商売をしようという気はないようだな」
 女性客である。身なりの良い中年女性。
 一見すると大企業の女性管理職といった感じで、このような貧民街に足を踏み入れる用事があるとは思えない。
 そんな女性客が、酒を積んである物置小屋のような店内を見回し、苦笑している。
「本業を真面目にこなすでもなし、副業に精を出すでもなし」
「本業だろうが副業だろうが、仕事ってもんが大ッ嫌いなんだよ。あたしは」
 言いつつ店主がグラスを揺らし、氷を鳴らした。
 十代半ばの少女、にしか見えない。
 ロングコートに包まれた身体は、いくらか幼げなほど細く、だが胸だけが豊かでいささか重そうである。
 髪は、豊かな茶色のポニーテール。瞳は金色で、どこか凶暴な輝きを孕んでいる。顔立ちは、まあ美しい部類に入るだろう。
 名はアリー。本名ではない。本名は、もう何年も名乗った事がない。
 この店の経営者で、少女にしか見えないが、酒を飲める年齢に達したのは、もう10年以上も前である。
 副業は、酒場の経営。本業は、IO2エージェント。一応そういう事になるのだろうか。
 この女性客は、IO2における上司である。
「しっかし、あんたがわざわざこんな所まで飲みに来るなんてね……忙しいんじゃないの? 偉い人は」
「まあ忙しいは忙しいかな。いらん仕事が増えた」
 女上司が酒を呷り、大きく息を吐いた。
「……本部の馬鹿どもが、余計な仕事を増やしてくれた」
「いつもの事じゃん」
「今回は極めつけだ。どうするのだ、あんなものを持ち込んで……」
「どんなもの?」
「明日、出勤しろ。その時に見せてやる」
「出勤してまで見たいもんでもないなあ」
「……そう言わず、そろそろ仕事に戻れ。お前の力が、恐らく必要になる」
 無断欠勤を続けてはいるが、別に不愉快な職場というわけではなかった。不愉快な人間は確かに多いが、そうではない者もいる。
「あのおっちゃん、子供生まれるんだって? 良かったねえ、死ななくて」
「言っておくが、あの男は30代だ。お前と大して年齢は違わんぞ」
 現在、IO2で教官職を務めている男である。
 今回いささか危険な任務に投入されていたのだが、部下たちと共に生還した。
 その部下の中に、アリーとしては少々気にならない事もない若者がいる。
「あいつ、どうしてんのかな……あんたに随分、こき使われてるみたいだけど」
「だから仕事に戻れと言っている。彼の負担を、少しは減らしてやれ」
「虚無の境界どもをブチ殺す仕事なら、喜んでやるよ」
 アリーは言った。
「仕事じゃなくても……あのクソったれどもは、生かしちゃおけねえ」

 ニューヨークのスラム街で、育ってきた。
 国家は頼りにならなかった。警察は、敵ですらあった。
 1人、やたらと親身になってくれる婦警が、いるにはいた。アリーが窃盗や軽い傷害事件などを引き起こす度、庇いながらもいろいろと説教をしてくれた、保護司気取りの鬱陶しい女。
 あんな女を頼るわけにはいかない。今、頼るべきは、自分の力だけだ。
 自分の身は自分で守らなければならない生活を続けているうちに、ナイフの扱い方は自然に身に付いた。
 腕力は要らない。こうして首筋に少し切り込みを入れてやれば、人間は出血多量で勝手に死んでくれる。
「この×××野郎ども! ×××の代わりに血ぃドピュドピュ噴き出して死にやがれ!」
 下劣極まるスラングを口にしながら、アリーは舞った。
 スラム街の、特に治安の悪い一角。小柄な細身が、まるで小型肉食獣のように躍動する。
 胸の膨らみが、キャミソールに閉じ込められたまま横殴りに揺れる。豊かな茶色のポニーテールが、荒々しく乱れ舞う。
 それに合わせて、左右2本のナイフが縦横無尽に閃き、男たちの首筋を撫でてゆく。
 銃を持った男たちが、引き金を引く暇もなく頸動脈を切断され、真紅の霧をしぶかせながら倒れてゆく。
 先日までアリーをこき使っていた組織の、男たちである。
 その全員が、屍に変わった。
 それを確認してからアリーは、建物の陰に隠れている少女に声をかけた。
「もう大丈夫……さ、行くよ」
「……あ、あたしは、もういいの……アリー、1人で逃げて……」
 少女の、声も身体も震えている。恐怖のため、だけではない。
「あ、あああたしは、もう……あいつらから、逃げられない……あれから、ににに逃げられない……」
「何で……」
 無駄な事、とわかっていながらアリーは、少女の肩を掴んで揺さぶった。
「何で……あんな事したのさ! あんたって奴は!」
「だ……だって、ひひひどいのよ……」
 少女は俯き、唇を噛んだ。
「あ、あああんな値段にされたら……あたしたち、て、てて手ぇ出せない……」
「馬鹿……!」
 売人を1人、この少女は撃ち殺してしまった。
「アリー、あたしはもうだだだ駄目……アレがないと、生きてけないののの……」
 少女の歯が、ガチガチとぶつかり合う。身体が、おかしな痙攣をしている。
 禁断症状が、出始めている。
「あああたしはもう、たっただの薬中……アリーのととと友達でいる、ししし資格なんてない……だから、ここここへ捨てててって1人で逃げて」
「ほら、行くよ!」
 アリーは耳を貸さず、親友の震える腕を掴んだ。
 熱いものが、背中から入って来て腹から出て来た。
「…………え…………?」
 呆然としながら、アリーは血を吐いた。
「だだ……だから言ったのに……ひっひひ1人で、にに逃げてって……」
 少女が、泣いている。同時に、笑っている。
 おかしな痙攣をしている身体から、何だかわけのわからないものが大量に生え、うねっていた。
 その1つが、アリーの身体を背後から刺し貫いている。
 それが、ずるりと引き抜かれた。
「アリー……ごめんね、アリー……」
 空が見えた。スラム街から見上げる、青い空。
 アリーは、倒れていた。
 足音が聞こえた。銃声も聞こえた。
 組織の追手、ではないようだ。
「……聞こえるか、おいアリー」
 聞き覚えのある、女の声。
 あの婦警が、そこにいた。倒れたアリーの傍らで、膝をついている。
 つまり、警察が来たと言う事か。
 警官、とおぼしき男たちが発砲している。何だかわけのわからない、巨大な生き物に向かってだ。
「アリー……ごめんね、アリー……」
 声を発しながら、その生き物は、大量に生やしたものを振り回している。殴打された警官たちが、潰れながら吹っ飛んで行く。
「お前の友達は、死なせるしかない……私を恨め、アリー」
 婦警が、拳銃を構えた。引き金を引いた。
 銃声が轟き、怪物が倒れた。
 怪物、としか言いようのない姿に成り果てた少女が、微かな声を発した。
「……ごめんね……アリー……」
 最後の言葉だった。
 変わり果て、動かなくなってしまった少女に、アリーは声をかけようとした。
 声が出なかった。喉の奥から、血が溢れ出した。
「人間を、人間ではないものに変えてしまう薬……信じられないだろうが、ありのままを説明すると、そういう事になってしまう」
 アリーの血反吐で汚れながら意に介さず、婦警が言う。
「それを、お前たちの組織を通して、売りさばいていた者たちがいる」
「誰……」
 アリーの声が、吐血でかすれた。
「そいつら……誰……?」
「知ってどうする」
「…………殺す……」
 残り少ない生命力が、声を出す事で消耗してゆく。
 構わず、アリーは呻いた。
「そいつら……全員……ぶち殺す……」
「この重傷で、そんな事が言えるのだな」
 婦警が、笑った。
 婦警ではないのかも知れない。アリーは、ふと思った。
 警察関係者を装った何者か、であるのかも知れない女性が言った。
「お前は有望だ。我々も、そやつらと戦うための戦力が欲しい……今、お前の命を救う手段は1つしかない。モルモットになる覚悟はあるか?」
「モルモットでも……ドブネズミでも、何でもいい……あたしに……力をよこせ……!」
 それがアリーの、人間としての、最後の言葉だった。

 アリーというのは、あの組織に使われていた頃からの呼び名である。
 面倒なので、それをそのままエージェントネームにしてしまった。
「うわわわわ、アリー先輩!」
「出た! 怪人トリ女!」
 後輩のエージェント2人が、抱き合って怯えている。
 アリーは、牙を剥いて微笑みかけた。
「鳥葬するぞ? てめえら」
「まあまあ……お前たち、調整は進んでいるのか?」
 女上司が、問いかける。
 2人が、怯えながらも嬉々として答えた。
「んもぉおおお、いつだって動かせますよ! でパイロットは誰? 当然、俺っすよねえ? サブパイロットとしては、ツンデレの強化人間系美少女を」
「ロボ造る前にやらなきゃいけない事あるでしょうIO2としては? 5色の強化スーツの開発と、その装着者の選定を速やかに……ああ、レッドの適任者として推薦したいエージェントが1人」
 世迷い言を無視しつつ、女上司もアリーも、格納庫内に屹立する巨大なものを見やった。
 IO2本部ビルの地下。そこに、人型に組み上げられた、巨大な機械が格納されている。
「これかい……あんたの言ってた、いらん仕事ってのは」
「ナグルファル」
 謎めいた単語を、女上司は口にした。
「虚無の境界による呼称を、我々もそのまま用いる事にした。ラグナロクへと向かう、戦船だ」  

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解き放たれたもの

「廃棄処分が、どうにも多過ぎる……一体どういう事なのかね?」
 所長が言った。
 口調は静かである。が、間違いなく激怒している。所員たちには、それがわかった。
「C19から08、B16、11、07、04、A05及び03……これらの廃棄を、私は許可した覚えがないのだが」
「はあ……あの、しかし……所長のお名前で、確かに指示書が」
 所員の1人が、恐る恐る声を発しながら、書類の束を提示した。
 書かれている内容は、実験体の廃棄処分命令である。所長による捺印も、されている。
 一瞥しつつ、所長は軽く片手を上げた。
 防弾着と小銃で武装した兵士が数名、研究室内に入り込んで来た。そして、その所員を押さえ付ける。
「な、何を……!」
「私がA01の調整で籠りっきりになっている間……私名義の書類を、偽造した者がいる。それが出来るのは、主任研究員たる君だけだ」
 所長が、ギロリと睨み据える。
 兵士たちに押さえ付けられたまま、主任研究員が青ざめた。
「所長……わ、私は何も……そのような事など……」
「もう隠さずとも良い。君は心の優しい人間、それは美徳だ。何も恥じる事はない」
 所長が、睨みながら微笑みかける。
「おかしいとは思っていたのだよ。これら廃棄された子供たちの、死体が見つからない。死体が処分された形跡もない……正直に言いたまえよ君。廃棄という形で、この子らを逃がしたのだろう? 助けられそうな子供たちを、厳選したのだろう?」
「所長……」
「美徳かも知れんが、愚かな事をしたな。ここにいる子供たちは皆、実の親にも捨てられて行き場をなくした挙げ句、自らの意思で我々の研究に身を捧げてくれたのだ。今更、この腐りきった社会の中へと放り出して何になる? ここで行われている実験以上の、生殺しの不幸を与える事にしかならないとは思わんかね」
「所長……私は……」
「この子らを救う手段はただ1つ、それは1日も早く我々の研究を完成させる事だ。この腐りきった世界の滅び、そして人類の新たなる霊的進化……それこそが、それのみが、子供たちだけでなく万人が救われる道であると、君も理解していたのではなかったのかね」
「所長……私はただ、貴方のおっしゃる通りに……」
 主任はただ怯え、青ざめ、震えている。
 その時、警報が鳴り響いた。
 非常事態を告げる警報。所員たちが、兵士たちが、息を呑む。
「し、所長! 敵襲です、IO2の襲撃です!」
 兵士が1人、研究室に駆け込んで来て叫んだ。
「IO2の、NINJA部隊が! 施設内に侵入!」
「何……この場所を特定したと言うのか」
 所長は呻き、改めて主任を睨み据えた。
「貴様……!」
「……苦労したぜ。ここを探り当てるのはな」
 怯えていた主任の、口調も、表情も、一変していた。
 彼を取り押さえていた兵士たちが、いつの間にか倒れている。床に、どろりと赤黒い汚れが広がってゆく。
 主任の右手に、凶器が握られていた。いくらか大振りのナイフ……いや、クナイである。
「本物の主任さんはな、6番倉庫の片隅で……多分そろそろ腐り始めてる。回収して、葬式でも上げてやったらどうだい」
 他の兵士たちが、主任に小銃を向けた。
 それら銃口が火を噴く前に、主任はよろめいていた。その身を包む研究者の白衣が、ふわりと翻る。
 翻った白衣から、いくつもの光が奔り出す。
 小銃を構えた兵士たちが、光に射貫かれ、片っ端から倒れていった。
 彼らの眉間に、首筋に、小型のクナイが深々と突き刺さっていた。
 恐慌に陥った所員たちの中にあって、所長1人が落ち着きを保っている。
「IO2の、犬か……NINJAならば、ネズミと呼ぶべきかな」
「構わんよ、どっちでも」
 言いつつ主任が、左手で、己の顔面を引き剥がした。
 その下から、もう1つの顔が現れた。何の特徴もない、平凡な男の顔。ただ、眼光は鋭い。
「犬やネズミに、食い殺される……お前らにふさわしい死に方だと、俺は思うがね」

 研究室から、所員たちが逃げ出して行く。
 追う必要はなかった。全員、突入して来たNINJA部隊によって殲滅される運命からは逃れられない。
 ただ、この所長だけは自分が始末しなければならないだろう。穂積忍は、そう思った。
 潜入・偵察任務が、そのまま破壊工作・殲滅任務となってしまう。それがIO2特殊部隊『NINJA』である。
「NINJA部隊の隊長、とおぼしき貴様に1つ訊こう」
 所長が言った。
「この場所を、とうの昔に特定していながら、今の今まで突入命令を下さなかった……それは、子供たちを何人かでも助けるためか?」
「まあな」
 実際こうして突入殲滅が始まってしまえば、子供たちを助けている余裕などなくなる。
 その前に、助けられそうな子供たちだけでも助けておいた。廃棄処分という形で研究施設の外に出し、待機していた部下たちに保護させた。
 この所長の言っていた通り、社会に居場所のない子供たちである。この施設での非人道的な研究・実験の末に殺されていた方が、まだ幸せだったかも知れない子供たちである。
「どっちにしろ、不幸になるしかないガキどもなら……このクソ溜めみたいな世の中に放り込んで、溺れさせて、自力で泳がせてみた方が面白い。俺は、そう思うね」
「何という、非道な……」
 所長は、本心からそう言っているようであった。
「この研究所にいれば、素晴らしい力を開花させていたかも知れない子供たちなのだぞ。お前は、その輝かしい可能性を潰してしまったのだぞ」
「何もかも潰して、最初から無かった事にするのが、俺たちの仕事でね」
「ならば……貴様から潰れるが良い!」
 所長の肉体が、膨れ上がった。
 白衣がちぎれ飛び、巨大な肉塊、としか表現し得ない異形が現れる。
 その肉塊のあちこちで、子供たちが泣きじゃくっていた。
 男の子の顔、女の子の顔……幼い人面が無数、所長の全身に浮かび上がっている。
「D06から01、C02、B13、06、03、01、A14、10、08に07……残念ながら、可能性を開花させる事なく死んでしまった子供たちだ」
 泣きじゃくる子供の顔たちに混ざって、所長の顔面だけが、おぞましい笑顔を浮かべている。
「惜しいところまで開発が進んだ子供たちだけを厳選し、その脳を私の体内に移植した……結果! このように!」
 所長の全身で、子供たちが一斉に泣き叫んだ。
 見えない力が、迸った。
 そう感じながら忍は左手で、白衣の懐から、短剣のような武具を取り出した。掌サイズの棒の両端から、刃が伸びている。
 独鈷杵、である。帝釈天の力を宿した法具。
 握り込んだそれに、忍は念を込めた。
 見えない力と、帝釈天の法力が、ぶつかり合った。
 轟音と共に、研究室が揺れた。
 ガラスが全て砕け散り、壁に亀裂が走り、露わになった配電盤が火花を発する。
「素晴らしい念動力を開花させる事が、出来たと言うわけだ」
「……出来損ないでも、数が集まりゃそれなりの力になると。そういうわけだな」
「貴様、何を言うのだ……私の可愛い子供たちを、出来損ないなどと!」
 所長が激昂した。その全身で、子供たちが泣き叫んだ。
「ママ……パパぁ……」
「パパ、ママ、痛いよ……いたいよぉおおお」
「ママ、ママやめて、ママやめてえええええ!」
 目に見えない、念動力の嵐が、再び発生した。
「この子たちはな、かりそめの命を失い! 私の血肉となる事で! 大いなる霊的進化に1歩、近付いたのだぞ! それがわからんのか愚か者がああああああ!」
「……ナウマク……サマンダ……」
 愚かしい会話には応じず、忍は独鈷杵を掲げたまま真言を口にした。
「ボダナン……インダラヤ、ソワカ……うぉおおおっ!」
 帝釈天の法力が溢れ出し、念動力の嵐とぶつかり合う。
 ひび割れていた壁が、崩落して来た天井が、砕けて吹っ飛んだ。
 それら破片と一緒に、忍の身体も吹っ飛んでいた。
 そして床に激突する。辛うじて受け身を取りながら、忍は右手を振るった。光が飛んだ。
「我ら虚無の境界に、刃向かおうなどと! 大いなる滅びと霊的進化を、妨げようなどと」
 勝ち誇る所長の言葉が、詰まった。
 おぞましい笑顔。その眉間に、投擲されたクナイが深々と突き刺さっている。
 肉塊としか言いようのない巨体が、倒れた。
 その全身で、子供たちが弱々しく泣きじゃくる。
「ママどこ……ママどこ……ママどこぉ……」
「パパ……パパ抱っこ……パパぁ……」
「ぱぱ……ままぁ……」
 自分が助けられなかった子供たち。ほんの一瞬だけ、忍はそう思った。一瞬だけだ。
 所長の肉体は死んだ。この子たちも、もはや生きてはいられない。放っておけば静かになるだろう。
 それを待たずに今すぐ、楽にしてやるべきか。忍がそう思いかけた、その時。
 子供の顔が1つ、2つ、風船のように破裂した。
「……うるさいんだよ、おまえら……パパだの、ママだのって……」
 5、6歳であろうか。幼い男の子が1人、いつの間にか、そこに立っていた。
 泣きじゃくる子供たちを見据える、その両眼が、翡翠の如く緑色に発光している。
「パパなんて、いないんだよ……ママなんて、いないんだよぉおおおッッ!」
 翡翠色の眼光が、燃え上がった。
 子供たちの顔面が、脳が、全て破裂した。
 所長の屍は、跡形もなく飛び散っていた。
「おれたちには……だれも、いないんだよおぉ……」
「お前……」
 忍は息を呑むしかなかった。
 A01、と呼ばれる実験体の事は聞いていた。
 この施設において行われていた実験で、最も成功に近い段階に達したらしい。
 そんな事は、もはや忍にとっては、どうでも良かった。
「パパなんて……ママなんて……いないんだよぉ……」
 男の子が、泣いているからだ。
 緑色に輝く両眼から、涙は流れていない。それでも彼は、泣いていた。
 涙など、とうの昔に枯れ果ててしまったのだろう。そう思いながら、忍は声をかけた。
「パパもママも、確かにいない……だがな、お前はいるんだぜ」
「……おじさん……だれだよ……」
「お前こそ誰だ」
 男の子の細い肩を、忍は両手で掴んだ。緑の瞳を、まっすぐに見据えた。
「わからないんだろう。お前自身がまず、誰かになってみろ。誰もいない事に文句つけるのは、それからでいい」
「だれか……に……」
 自力でここまで脱出し、力尽きたのだろう。
 男の子は意識を失い、忍の腕の中に倒れ込んで来た。

 父も母もいない、わけではない。少なくとも両方、存命ではある。
 だが、あの頃の工藤勇太にとっては、いないも同然であった。
「フェイト、とはな……大層なエージェントネームを付けたもんだ」
 穂積忍が、助手席で笑っている。
「少なくとも、誰か……には、なれたって事か?」
「どうだろうね。自分でわかる事でもなし」
 ハンドルを転がしながら、フェイトは言った。
「あの時の俺は、誰でもない……ただの、バケモノだった。出てくタイミングが少し違ってたら、あんたに殺されてたかもな」
「どうかな。俺の方が、跡形もなく吹っ飛んでたかも知れないぜ」
「まだNINJA部隊にいるの?」
「辞めさせられた。ロートルはお役御免だとさ」
 そう言われても、この男が何歳なのか、フェイトは実は知らないのだ。
「俺は……あんたが誰で、どういう何者かってのが、未だによくわかってないんだよ。穂積、さん」
「お前……俺を苗字にさん付けで呼ぶの、初めてじゃないか?」
「敬語も使おうと思って、努力してみたけどね。駄目だった」
 フェイトは、少しだけ笑った。
 この男に対して笑ったのは、初めてかも知れなかった。

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ラグナロクへの船出

機内で一眠りしている間に、教官からメールが届いていた。
「お……生まれるのか、いよいよ」
 スマートフォンの画面の中で、教官の妻である女性が、大きなお腹を撫でながら微笑んでいる。
 生まれる赤ん坊の性別くらいは医者に訊けばわかるのだろうが、訊いてみようという気が教官にはないようだった。
 生まれてからのお楽しみ、男だったらこういう名前、女ならこんな名前……そんな事が落ち着きなく書き綴られたメールに、なだめるような返信を送りながら、フェイトはタラップを降りた。
 懐かしの、と言うべきかニューヨークである。
「さてと……今日1日くらいは休める、かな?」
 フェイトは呟いたが、その希望は即座に打ち砕かれた。
 IO2本部からの、着信であった。
『インドでの任務、御苦労だった。さっそくで悪いが、そのままフロリダへ向かって欲しい』
 女性上司の口調から、フェイトはただならぬものを感じた。
『本腰を入れて反対するべきだった、と君は言っていたな……それは我々にも言える事だ』
「まさか……」
 フェイトは息を呑んだ。
 忘れかけていた、だが決して忘れてはならぬものが、記憶の底から甦って来た。
「……錬金生命体?」
『フロリダ州で、その存在が確認された。今のところ破壊・殺傷の類を行っている様子はないのだが』
「何か、やらかしてからじゃ遅いですからね」
『君の教官が、同じ事を言って一部隊を率い、現地へ向かった……そして、連絡が取れなくなってしまった』
「何で……!」
 教官を行かせたんですか、とフェイトは叫んでしまいそうになった。
 もうすぐ子供が生まれるという者を、危険な任務から外す。そんな事が出来るほど、IO2は余裕のある職場ではないのだ。
 速やかにフロリダへと向かう旨を告げ、フェイトは電話を切った。
 そうしてから、教官からのメールを再び呼び出してみる。
 お腹の大きな妻に寄り添って微笑んでいる教官に、フェイトは語りかけた。
「このメールが死亡フラグ……なんてのは勘弁ですよ、教官」

 ここフロリダは、アメリカ全土で最もシンクホールの発生が多発している州であるらしい。
 現地のIO2関係者いわく、教官の部隊は錬金生命体捜索任務の最中に突然、地面に生じたシンクホールに落下し、そのまま行方がわからなくなっているらしい。
 穴に落ちる。はたから見ている分には、いくらか間抜けではある。
「だからって笑えませんよ、そんなんで死んじゃったら」
 この場にいない教官に言葉をかけながら、フェイトは引き金を引いていた。
 攻撃の気配が、様々な方向から伝わって来たのだ。前後左右、だけではなく真上からも、斜め上方あらゆる角度からも。
 2丁の拳銃が、フェイトの左右それぞれの手で火を噴いた。
 フロリダの地底に広がる洞窟。その暗黒を切り裂くように、無数のマズルフラッシュが閃く。
 閃光の中に浮かび上がったものを、フェイトは見据えた。翡翠色に輝く双眸で、はっきりと捉えた。
 猿のような身体を包む迷彩装備。昆虫に似た仮面。その手には、大型のナイフが握られている。
 見間違えようもない、錬金生命体の群れ。洞窟の岩壁や天井を蹴りつけ、縦横無尽に跳躍し、フェイトを襲う。
 そして、フルオートの銃撃に薙ぎ払われてゆく。
 頭部や心臓を正確に撃ち貫かれた錬金生命体たちが、洞窟内あちこちに落下し、動かなくなった。
 その屍を見回し、フェイトは呻く。
「何だよ……何にも終わってないじゃないか」
 ヴィクターチップのマスターシステムを破壊する事で、騒動に終止符を打った。そんなつもりでいたのだが。
 教官たちが落下したシンクホールにフェイトは入り込み、地下へ地下へと下りてゆき、この洞窟にたどり着いた。洞窟自体は、天然の産物である。
 そこに住み着いて、良からぬ企てを進めている者たちがいる。
 今の錬金生命体による襲撃が、それを物語っていた。
 それを調べるために教官たちは、奥へ奥へと進んで行ったに違いない。
「ったく……子供が生まれるからって、張り切り過ぎなんだよ」
 呟きながら歩いているうちに、フェイト気付いた。
 暗黒に満ちていた洞窟内が、少しずつ明るくなってきている。
 光源なき地底である。電気を持ち込んでいる者たちがいる、という事だ。
 フェイトは足を止めた。
 地中とは思えないほど広大な空間が、そこに広がっていた。
 巨大な、天然の空洞。そのあちこちに、わけのわからぬ機械類が据え付けられている。
 白衣を着た技術系の男たちが、それらを操作しながら動き回っていた。
 彼らが何をしているのか、フェイトは何となく理解した。
 空洞の中央に、巨人が佇んでいるからだ。
 身長50メートル近い、機械の巨人。
「ナグルファル……我らは、そう名付けた」
 白衣の男の1人が、馴れ馴れしく歩み寄って来て言った。
「神々に挑む、戦船よ……そう、我らは大いなるラグナロクを引き起こす。世は滅び、人々は霊的進化の時を迎えるのだ」
「虚無の境界……お前ら本当に、どこにでもいるよな」
 会話に応じながら、フェイトは男に拳銃を向けた。
 銃口を恐れた様子もなく、男が不敵に笑う。
「インドで、ずいぶんと派手な事をしてくれたようだな……同志の仇、討たせてもらうぞ」
 ナグルファルと呼ばれた巨人を護衛するかの如く、何かの群れが飛び回っている。
 それらがヴゥーンと羽音を発し、こちらへ向かって来ていた。
 錬金生命体。その背中で昆虫の翅を震動させ、飛翔し、空中で小銃を構えている。
「この北米大陸ではな、キリスト教によって駆逐された先住の神々が、今では邪悪なる精霊に落ちぶれて大量に漂っている……それらを召喚し、錬金生命体どもに憑依させたのだ」
 白衣の男が、得意気に語る。
 錬金生命体。その存在をこの洞窟において確認した時から、フェイトはある嫌な予感に苛まれていた。
「……1つ、訊いていいかな。冥土の土産ってやつだ」
 ちらり、とナグルファルに視線を投げる。
「こんなデカブツ、どうやって動かすつもりなのかな?」
「見当はついているのだろう、IO2のフェイトよ」
 白衣の男の口調が、不快な笑顔が、全てを物語っていた。
「ヴィクターチップ……!」
 嫌な予感が的中した、とフェイトは思った。
「バックアップ取った奴がいる、とは聞いてたよ。どうせ虚無の連中だとは思ってたけど!」
 飛翔する錬金生命体の群れが、空中から小銃を乱射してくる。
 フェイトは跳び退り、転がり込んだ。
 それを追う形に銃撃が地面を穿ち、無数の火花を発生させる。
 火花に追われながらフェイトは転がり、拳銃2丁を空中に向けて引き金を引いた。
 返礼の銃撃。
 嵐のような銃声が轟き、そして爆発が起こった。
 花火の如く咲いた爆炎が、錬金生命体たちを灼き砕いてゆく。
「爆薬弾頭は、たんまりもらって来たんでね……!」
 空中から銃撃を浴びせて来る敵。危険である。最優先で全滅させなければならない。
 そう思うあまりフェイトは、地上への警戒を怠っていた。
 気付いた時には、すでに遅い。
 先程、洞窟内で出会った者たちと同じ、大型のナイフを構えた錬金生命体。20匹近くが群れを成し、フェイトを取り囲んでいた。
 空は飛べないにしても、高速である事に違いはない、獣のような襲撃。何本ものナイフが、フェイトを切り刻む……寸前。
 暴風にも似た銃撃が、横合いから叩き付けられて来た。
 銃弾の嵐がフェイトを避け、錬金生命体だけを正確に穿ち吹っ飛ばす。
 防弾装備で身を固めた男たちが、小銃をぶっ放しながら乱入して来たところだった。
「教官……!」
「ようフェイト、帰ってたのか」
 教官の率いる、IO2の精鋭部隊。
 錬金生命体の群れを手際良く射殺し、白衣の男たちを取り押さえてゆく。
「洞窟ん中で、ちょいと道に迷っちまってなあ。お前が来てるとは思わなかったぜ」
「まったく……心配したのが、無駄でしたよ」
「死亡フラグなんてもの、そう簡単には立たねえもんさ」
 親日派の教官が、またおかしな単語を覚えてしまった、とフェイトは思った。

 ナグルファルはIO2技術班によって解体され、洞窟から運び出された。
 入力途中であったヴィクターチップのデータは無論、全て消去された。バックアップされたものが、これで全てこの世から消えた、とは限らないのだが。
 とにかく、任務完了である。
 教官はそのまま、妻の入院する病院へと向かった。
 それを見送りながら、フェイトは自分の車へと戻った。
「さて……と」
 運転席に座りながら、扉を閉める。
 声がした。
「一仕事終わったからって、気ぃ抜き過ぎだ」
 声をかけられて、ようやくフェイトは気付いた。
 助手席に、何者かが座っている。
「俺が虚無の境界の殺し屋か何かだったら、お前もう生きてないぞ?」
「あんた……!」
 フェイトは、息を呑むしかなかった。
 気配を、全く感じなかった。だが驚いた理由は、それだけではない。
「……生きて、たんだな」
「そいつはこっちの台詞だよ」
 男が、ニヤリと笑った。
 あれから5年。老けたのかどうかは、わからない。
「お前の叔父さんが心配してる。たまには日本に帰ってみちゃあどうだ」
「……そんな事を言うために、わざわざアメリカまで来たわけじゃないんだろう?」
 フェイトは車を出した。
「話、聞こうじゃないか。あんまり愉快な話じゃなさそうだけどな」

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破滅の少年

悲鳴を上げながら、ガラス窓に頭突きをしている少年がいる。真紅の飛沫が、ガラスの破片と一緒に飛び散った。
同じく悲鳴を上げながら、金属バットでガスガスと殴り合っている少年たちがいる。
あの時の父と同じ悲鳴だ、と勇太は思った。
コードで自身の首を絞めながら、青ざめ舌を出している少年もいる。
他にも何人かが、教室のあちこちに散らばり倒れ、血まみれの様を晒している。
工藤勇太は、何もしていない。
このクラスメイトたちが、勝手に殴り合いを始めたり、壁や窓にぶつかったり、椅子や机で自分の頭を殴ったり、しているだけである。
派手な自傷行為を繰り広げる男子生徒たちを、勇太はただ見ているだけだ。その目を、淡く翡翠色に輝かせながら。
禍々しく緑色に輝く両眼が、ちらりと動いた。
今のところ自傷行為に参加せず、無傷のまま震えている1人の少年に、勇太は眼光を向けていた。
「……もっと嬉しそうな顔しても、いいんじゃないかな」
微笑みかけ、語りかけてみる。
「お前さ、こいつらにお金取られてたんだろ? ズボン脱がされたり、虫食べさせられたり、してたんだろ?」
「…………」
無傷の少年は、何も言わない。青ざめ、怯えるだけだ。
某県の公立中学校、1年C組。
工藤勇太の中学校生活はここから始まったわけだが、早くも終わってしまいそうであった。
小学生の時から同じ騒動を繰り返し、転校を重ねてきた。
保護者である叔父も、うんざりしている事だろう。
捨てられたら捨てられたで構わない、と勇太は思っている。嫌嫌ながらでも今まで生活の面倒を見てくれた、その恩は、この力を使って返せばいい。
例えば、どこかの銀行から大量に金を奪い、叔父の自室にでも詰め込んでおく。
それで恩は返した事になる。しがらみは切れた事になる。
その後は誰の世話にもならず、自由気ままにこの力を振るい、適当に生きてゆくだけだ。
あの研究施設にいた男たちは、言っていた。君の力は、世界を救う事が出来る。世界を滅ぼす事も出来る、と。
君は神にも悪魔にもなれる、と。
(別に……神様にも悪魔にも、なろうって気はないけどね)
この力があれば、働かずとも適当に生きてゆける。
勇太は、それで良かった。
生きるために必要なものは、この力を使って奪う。盗む。積極的に他人を傷付けるような事は、まあ出来るだけしない。ただ不愉快な輩がいたら、このように懲らしめる。
「充分……幸せじゃん? それって」
勇太の独り言に、何者かが応じた。
「まったくだな。化け物の世話になって、安穏と暮らす……これ以上ない、幸せな生き方だ」
男が1人、いつの間にか、そこにいた。教室の壁にもたれて佇んでいる。
年齢は30代半ば。平凡なサラリーマンのような風貌だが、眼光は鋭い。その目が、勇太に向けられている。
「実際あれだ、お前くらい幸せな奴はいないぞ? その力で、何でも出来るんだからな」
「…………!」
勇太は睨み返した。
少年たちの自傷行為が、止まった。
全員、血まみれで痙攣している。死体の1歩手前という有り様である。辛うじて死んではいないが、別に殺しても良かった、と勇太は思う。
「どうした? 続けろよ。中途半端な事するな。ここまでやっちまんたんだ、全員綺麗に殺してやったらどうだい」
壁にもたれたまま、男が言った。
「心配するな、殺人事件にはならんよ。お前の力を裁ける法律なんて、ないんだからな」
「法律の代わりに、あんたたちが裁いてくれるんじゃなかったのかよ……!」
勇太の両眼が、緑色に燃え上がる。
教室の壁全体に、ビキッ……と亀裂が走った。
「俺が何かやらかしたら、化け物として容赦なく始末する! それが、あんたの仕事じゃないのかよ!」
「こんなの、やらかした内には入らんよ。可愛い可愛い」
死にかけている男子生徒たちを見回しながら、男は言った。
「我々IO2にとって、お前は大事な研究材料だ。むしろ何か、もっとやらかしてみろよ。用済みになるまでデータ採ってやるから、な?」
「…………」
勇太は舌打ちをした。急に、何もかもが馬鹿馬鹿しくなった。
男に背を向け、教室を出る。
出る寸前、視線を感じた。
無傷の少年が、相変わらず怯え震えながら、上目遣いに勇太を盗み見ている。
恐ろしい怪物を見る、眼差しだった。
自分もかつて実の父親に、こんな目を向けていたのだ、と勇太は思い出した。

 

 

職もなく、酒以外にすがるもののなかった父親は、世間から見れば社会的弱者だったのだろう。
だが幼い勇太にとっては、絶対的強者だった。暴君だった。悪魔だった。怪物だった。
その怪物を倒すために勇太は、別の怪物の力を借りなければならなかった。
生まれた時から自分の内に潜んでいた、怪物。
それが目覚めた結果、父も母も、勇太の傍からいなくなった。
目覚めてしまった怪物、以外の全てを失ってしまった幼い男の子を、とある研究施設が、物の如く買い取った。
その金で、母を良い病院に入れてやる事が出来た。
母への恩はそれで返した、と勇太は思っている。
ともかく、その研究施設で勇太は、まさに物として扱われた。
そして、この男に救出されたのだ。
「……あんたには本当、感謝してるよ」
助手席に座ったまま男の方は見ず、勇太は言った。
「借りを返すために、俺は何をすればいい?」
「何だ、借りだと思ってるのか? 一丁前に」
軽快にハンドルを操りながら、男が笑う。勇太は応えた。
「とっとと返して、おさらばしたいんだよ。あんたとは」
「そう言うな。俺は、お前の叔父さんとは古い付き合いでな」
叔父自身も、言っていた事だ。
「それに、俺とおさらば出来ても別の奴が来るぞ。IO2は、お前を絶対に逃がさない。そういう組織さ」
「……どういう組織なんだよ。そのIO2ってのは、そもそも」
「くそ野郎の集まりさ。何なら入ってみるか?」
男の口調は、あながち冗談とも思えぬものだった。
「何だかんだで、お前ももう中坊だ。そろそろ進路ってやつを考えないとな」
「……そのIO2に、就職でもしろって?」
「そんな事は言わんよ。言われて出来る仕事でもないしな」
男は、にやりと笑った。
「ただ……お前向きの職場だとは思うぜ」
「くそ野郎の集まりだから?」
「はっははは」
男は、笑ってごまかした。

 

 

学校の前で、車は止まった。
もう送り迎えしてくれなくていいよ、と勇太は何度も言っているのだが。
この学校にも、あと何日通えるのかわからない。
勇太が校門を通り抜けると、生徒たちがちらちらと視線を向けてきた。露骨に目を逸らす者もいる。
毎度の事だ、と勇太は思った。結局、またしても転校する事になるのだろう。
ちらり、と勇太は視線を動かした。
教師が1人、慌てて目を逸らせ、すたすたと逃げて行く。
「遠慮するなよ。化け物に興味があるんだろ? ようく見ろって……よく見ろよ、どいつもこいつも!」
勇太は叫んでいた。
「バケモノがここにいるぞ! ほらよく見ろよ! 石でも投げつけてみろおおおお!」

 

 

自分の叫び声で、フェイトは目を覚ました。
いくらか慌てて、見回してみる。
インドからニューヨークへと向かう、旅客機の中である。
客たちは、声を潜めて談笑したり、眠ったりしている。
フェイトは安心した。おかしな寝言を叫んでしまった、わけではないようだ。
「……黒歴史、ってやつかな」
溜め息混じりに、フェイトは苦笑した。
あの頃の事を夢に見たのは、本当に久しぶりである。
「ああいうの、中二病って言うのか? ……ちょっと違うか。何にしても、ろくな奴じゃなかったよな。中学の時の俺って」
高校生になってからは、いくらかマシにはなったのかも知れない。そこそこ社交的な高校生活を送っていたような気がする。普通に友達もいた。その中には、人間ではない者もいたが。
あの男の思惑通り、なのであろうか。結局、IO2で働く事となってしまった。
志願した理由は、実はフェイト自身にもよくわかっていない。少なくとも、明確な言葉で他人に説明出来るような理由はない。
あの男を、何らかの形で見返してやりたい、という気持ちもあったのかどうか。
「あいつに上手く乗せられた、だけかも知れないなあ。俺って奴は」
IO2に入ってからは、あの男とは会っていないし連絡もない。生きているのかどうかも、わからない。
「別に会いたいわけじゃないけど……な」
フェイトは欠伸をした。
ニューヨークに着くまで、もう一眠りくらいは出来るかも知れない。おかしな夢を見なければ、の話だが。

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海辺のマザコン

海水浴の季節ではない。が、浜辺には若者たちの姿がちらほらと見られる。
 半分以上が、日本人である。
 皆、何をするでもなく砂浜に寝そべったり、ヤシの木陰に座り込んでぼんやりしているだけである。
 全員、この上なく幸せそうに見えた。
 本人たちが幸せならば、それで良いのだろうか。
 そんな事を思いながらフェイトは、浜辺の酒場から、その光景を眺めていた。
「これでもね、かなりマシにはなってきたのですよ」
 テーブルの向かい側で、ちびちびと酒杯を傾けながら、ダグラス・タッカーが語る。
「それでも多くの外国人……特に日本の人たちにとって、この地はドラッグ天国です。国によっては所持しているだけで死刑を宣告されるような薬物が、この村では」
「コンビニでアイス買うくらい、お手軽に手に入っちゃうみたいだな」
 砂浜や木陰で時折、おかしな笑い声を発している若者たちを眺めながら、フェイトは呟いた。
 違法な薬物を格安で手に入れる、ためだけに海外旅行をしている若者たち。
 ムンバイから若干、南下した所にある、海辺の観光地。
 自分も、このドラッグ天国で違法なバカンスを楽しんでいる外国人にしか見えていないのだろうか。フェイトは、そう思った。
 無論ダグとて、麻薬体験をさせるためにフェイトをこの村へ連れて来たわけではないだろう。
「長老方は、これから一層、この国における麻薬の流通に力を入れるでしょうね。あの方々の他のビジネスを、何しろ我が商会がことごとく潰しておりますから」
「麻薬関係のビジネスだけは、なかなか潰せない?」
「潰して見せますよ。いずれ必ず」
 眼鏡の奥で、ダグの両眼が強い輝きを放った。
「私が言いたいのはね、フェイトさん。貴方がその手で殺したのは、この国に麻薬の害を垂れ流している一族の1人だという事です」
「殺した事を後悔してるわけじゃないよ。人を殺したの……初めてじゃ、ないからな」
 フェイトは、己の右掌をじっと見つめた。こめかみに思いきり手刀を叩き込んだ感触が、特に強く残っている。
 超能力も、銃器も刃物も用いずに人を殺したのは、初めてである。
「虚無の境界の連中とか、その他諸々のテロリストやら何やら、今まで散々殺してきたよ。だけど今回は違う……俺、民間人を殺しちゃったんだぞ」
「虚無の境界と結託していた民間人です。そのような人々まで守れるほど、IO2は万能ではありませんよ」
 眼鏡越しに、ダグがじっと眼差しを向けてくる。
「法の裁きを受けよう、などと貴方が思っているのだとしたらフェイトさん……私は商会のお金を注ぎ込んででも、それを阻止しますよ。お金の力で、司法をねじ曲げて見せます」
「ダグ……」
「私はね、これから死ぬほど忙しくなるのですよ。この国で陰の支配者を気取っておられる上位カーストの方々は、あの長老の一族だけではありませんからね。虚無の境界よりも難儀な人たちを相手に、気の遠くなるような戦いをしてゆかなければなりません。つまらない事で煩わされたくはないのです。ええ何度でも言いますよ、つまらない事です」
「つまらない事……か」
 フェイトは苦笑した。
 日本人の若造がインド人を1人、殴り殺した。この英国紳士にとっては本当に、取るに足らぬ事なのであろう。
 目の前に置かれたままのグラスの中身を、フェイトは一気に飲み干した。
 ボンベイ・サファイヤあたりとは違う、無銘の安酒である。美味いのか不味いのかも、よくわからない。
 あの男のような輩が、この国にはまだ大勢いるに違いなかった。女性に暴力を振るう事しか出来ない、最低な男が。
 インドだけではない、日本にもいる。嫌になるほどいる。フェイトの、父親のような男たちが。
 嫌になるほどいる。男の暴力の犠牲となる女性たちが。フェイトの、母親のように。
「今回は……あんたのお母さんの仇討ち、って事で良かったのかな。英国紳士」
 フェイトは言った。自分はいささか酔っ払い始めているのかも知れない、と思わない事もなかった。
「それが、まあ滞りなく済んで……おめでとう、なんて軽々しく言ってもいいのかな」
「私がこの国に来たのは投資のため、と言いたいところですがね……大部分、私情が入っていた事は認めなければなりません」
 苦笑気味に、ダグは微笑んだ。
「貴方のおかげで、私怨を晴らす事は出来ました。またフェイトさんに借りを作ってしまいましたね」
「俺だって、私情で暴れてただけさ。あいつらが、許せなかったから」
 ダグの、あるいは彼の母親のために何かしてやろうなどと、フェイトは欠片ほども考えてはいなかった。
 自分がこの世で最も憎む男と同じような者たちが、本当に許せなかっただけだ。
 そんな私情のおもむくままに行動した結果、ダグの母方の実家に、いささか深く関わる事になってしまったかも知れない。一族の男を1人、殺害してしまったのだから。
 別にフェイトが見たいと望んだわけではないが、ダグは母親の一族の、嫌な部分を見せてくれたのだ。
「なあダグ……スマホとイヤホン、持ってる?」
「持っていますが、それが何か」
「俺、今からちょっと、つまんない話するからさ。耳障りだと思ったら、何か音楽でも聞いててくれよ……知っての通り俺、おかしな能力があるんだけど。そいつが目覚めたきっかけってのが、これまたつまんない事でさ」
 浜辺でダラダラと幸せそうにしている若者たちを眺めながら、フェイトは語ってみた。
「俺のおふくろが、親父に殴られてて。俺、おふくろを助けようとして……気が付いたら親父が、壊れた人形みたいになっててさ。で俺、虚無の境界の親類みたいな連中に目ぇつけられて、そいつらに買われる事になったんだ」
「買われた……貴方のお母さんのために、ですか?」
「親父は元々仕事なんかしてなかったけど、おふくろも働ける状態じゃなかったからね。で俺は、買われた先でいろいろあって、IO2に助けてもらって今に至ると。そういう話さ」
「貴方自身に関するお話……チベットでは、聞けずじまいでしたね」
「あんた1人に御家族の話、させちゃったからな。あの時は」
 言うべきか否か、言ったところでどうなるのか。
 などと迷いつつも、フェイトは言っていた。
「……俺のおふくろは今、入院してる。息子がバケモノだったショックで、立ち直れなくなっちゃって」
「それでも生きていらっしゃるだけ幸せでしょう……と言いたいところですが、どうでしょうね」
 ダグは、海を見つめていた。
「私の母もね、最期に近い頃はいくらか精神を病んでいました。何しろ周囲に誰一人、味方がいないのですからね。あのままでは虚無の境界に呪殺されずとも、本当にどこかの屋上から飛び降りていたかも知れません」
「誰一人、味方がいなかった……か」
 自分の母もそうだった、とフェイトは思い出した。
 周囲の人々は、父が酔っ払って暴力を振るっていても、単なる夫婦喧嘩としか見てくれなかった。
「父さえも、母の味方をしてはくれませんでした。多忙な人でしたからね……私は一時期、そんな父親を本気で殺そうと考えていましたよ」
「……今は、違う?」
「そのような男と結婚したのは、母自身の意志。そう思えるようになりました」
 海の中に、母がいる。
 そんな眼差しで、ダグはじっと海を見つめている。
「私を生んでくれたのも、私を虫使いに育て上げてくれたのも、母の意志です。他人のせいにするのは、母という1人の人間の意志を軽んずる事にしかならない……今の私は、そう思うのです」
「……立派だと思う。いや、皮肉じゃなしにな」
「立派な事を、口で言っているだけですよ」
 ダグは微笑んだ。
「心の中では、モヤモヤとしたものが今でもまだ渦巻いています。父が、母を守ってはくれなかった……この思いは一生、私の心の中で、わだかまり続けているでしょうね。それを父にぶつけたところで意味はありません。他人にぶつけたところで、母が生き返ってくれるわけでもなし。わだかまったものは一生、モヤモヤさせたまま抱え続けてゆかなければならないようです。嫌ですねえ、人生って」
 自分は他人にぶつけた、とフェイトは思った。ぶつけて、死なせてしまった。
「ああ、どうか誤解なきように。フェイトさんの行動を否定しているわけではありません。自分の妻に直接の暴力を振るうような男は、子供による制裁を受けて当然であると私は思いますよ。フェイトさんは何も、間違った事はしていません……まあ要するに、貴方が殺したのは殺されて当然の男、何も気に病む必要はないと。私はそう申し上げたいだけなのです」
 気に病んでいるわけではない。フェイトは、自分ではそう思っている。
 ただ、手応えが残っているだけだ。
 どう反省しようと開き直ろうと消える事のない感触を手足にこびりつかせたまま、アメリカへ帰る事になる。
 そんなフェイトをじっと見据えて、ダグは言った。
「フェイトさんはこれからも、御自分のお父様に似た人間を見かける度、同じ事をするのでしょうねえ……無理に抑える必要はない、と思いますよ? どんどんおやりなさい。タッカー商会の財力で、私がいくらでも揉み消して差し上げますから」
 言いつつダグが立ち上がり、スマートフォンを取り出した。着信があったようだ。
「すみませんね、会話中に……」
「俺なんか気にせずに、ほら早く出た出た。仕事の電話だろ?」
 ダグも若社長として、多忙な日々を送っているのだ。
 もしも彼が、妻を娶るような事があれば。その妻もまた、彼の母親と同じような思いを味わうのだろうか。
 少し離れた所で電話を始めたダグを見やりつつ、フェイトは苦笑した。
「俺が考える事じゃあ、ないよな……」
 呟きつつ、スーツのポケットからスマートフォンを取り出す。
 メールが1通、届いていた。教官からだった。
 メリークリスマス&ハッピーニューイヤー。そんな内容だ。
 どうせ今頃しけた面してるんだろう。俺の新しい家族でも見て、空元気を出せ。
 そんな言葉と共に送られて来た画像を、フェイトはじっと見つめた。
 教官が『新しい家族』を両腕に抱え、笑っている。
 2匹の仔犬。日本犬であろうか。黒人男性の力強い両腕に捕われ、キャンキャンと悲鳴を上げているように見える。
 フェイトは軽く、頭を押さえた。2匹とも、どこかで見たような仔犬だった。
「まさか……だよな。そんな事、あるわけが……」
 頭痛に近いものを、フェイトは感じた。
 素手で人間の命を奪った事など、どうでも良くなりかけていた。

カテゴリー: 02フェイト, season3(小湊WR), 小湊拓也WR(フェイト編) |

その名はホーネット

フェイトは安心した。
 長老たちが、武装した用心棒を大量に雇っていてくれたからである。
 弱い者いじめのような戦いには、ならずに済みそうだ。
 長老らの私兵か、あるいは虚無の境界が兵隊を貸し出しているのかは不明である。
 とにかく大勢の、防弾装備に身を固めた男たちが、庭園のあちこちから、豪奢な柱の陰から、露台の上から、ひたすら小銃をぶっ放してくる。ただ1名の侵入者に、狙いを定めてだ。
 黒いスーツを細身にまとう、日本人の若者……フェイトである。
 嵐のような銃撃の中を、彼は駆け抜けていた。
 豪邸と言うより、もはや宮殿である。
 ダグラス・タッカーの、母方の実家。
 その一族の長老たち、及びそれに近い地位にある者たちが、ここで王侯貴族のような暮らしをしている。
「インドだからって、マハラジャ気取りで贅沢三昧か……別に、それが悪いってわけじゃあない」
 肩に、背中に、小銃弾がビシビシッと当たって来る。その激痛に顔をしかめながら、フェイトは呻いた。
 同僚の1人が開発し、プレゼントしてくれた、防弾防刃スーツ。これを着用している限り、拳銃・小銃程度の銃撃であれば、痛いだけで致命傷を負う事はない。首から上に直撃を喰らわなければ、の話だが。
「金持ちなら、金持ちってだけで満足してればいいのに……くだらない弱い者いじめなんかしてるからッ!」
 フェイトは叫び、跳躍した。
 一見ただの黒スーツでしかない防弾着をまとう細身が、空中で錐揉み状に回転する。
 まるで黒い竜巻のようになりながら、フェイトは両手2丁の拳銃を振りかざし、引き金を引いた。
 黒い竜巻が、全方向に火を噴いた。
 左右のフルオート射撃が、フェイトの周囲を薙ぎ払っていた。
 爆薬弾頭弾の掃射。
 庭園のあちこちで、爆発が起こった。噴水や彫刻が、柱が、露台が、砕け散った。
 乱射を行っていた男たちが、爆炎に灼かれながら倒れ、あるいは落下して地面に激突する。
 ボロ雑巾のようになりながら、それでも何人かは、よろよろと起き上がって来る。そして再び、小銃を構えようとする。
 それら銃口を向けられながら、フェイトは着地していた。爆薬弾を吐き出し終えた左右の拳銃から、空の弾倉が排出される。
 小さな物体が2つ、フェイトの周囲を旋回しつつ宙を舞った。
 装着したマガジンポーチから飛び出した、予備の弾倉。それが2つ、両手の拳銃にガチャリと吸い込まれる。
 換装を終えた拳銃を、フェイトは左右にぶっ放した。今度は爆薬弾頭ではない、通常弾である。
 よろよろと小銃を構えていた男たちが、その銃撃に薙ぎ倒されてゆく。
 結局、弱い者いじめのような戦いになってしまった。
「無茶苦茶な事やってるって自覚はあるよ。俺、IO2をクビになるかも……いや、下手すると死刑かもな。法で裁かれる前に、IO2って組織に消されかねない」
 フェイトは呻いた。
「だから死ぬ前に、お前らみたいな連中はきっちり片付けておく……さあ出て来いよ、長老さんたち。隠れて弱い者いじめばっかりしてる奴らは、こうやって直接来られると何にも出来ないのか! 隠れて逃げ回って、ほとぼりが冷めたらまた弱い者いじめをするのかよ!」
 呻きが、叫びに変わった。
 返答代わりのように、殺意が押し寄せて来た。
 フェイトは跳躍した。
 その足元で、爆発が起こった。庭園が、広範囲に渡って爆炎に抉られた。
 半ば跳躍力で、半ば爆風に吹っ飛ばされて、フェイトは長時間の滞空の末ようやく地面にぶつかり、受け身を取って一転し、立ち上がった。
 間違いない。ロケット弾による爆撃である。同僚が作ってくれたこのスーツも、さすがに爆発を弾き返す事までは出来ないだろう。
「なりふり構わず、殺しに来てくれたよな……」
 フェイトは見回し、苦笑した。
「ダグの奴も、いつの間にかいないし……さすが英国紳士、颯爽と逃げてくれるよな」

「タッカー商会の若造め……我らに刃向かうどころか、戦争を仕掛けてきおった」
 長老の1人が、憎々しげに吐き捨てた。
 邸宅敷地内の、高台である。ロケットランチャーを携えた用心棒の一団が、長老を護衛する形に布陣していた。
「あのような化け物を、連れて来おって……さあ何をしておる、もっと撃ち込め。あの日本人の若造を、跡形もなく消し飛ばすのだ!」
 用心棒たちは、しかしその命令に従わなかった。ロケットランチャーを担いだまま、微動だにしない。指1本、動かそうとしない。
「何をしておる!」
「う……動けねえ……動けねえんですよう……」
 長老の怒声に、用心棒たちが、泣き声のような悲鳴で応えた。
 彼ら全員の身体に、辛うじて目に見えるものが幾重にも絡み付いている。
 糸、である。
 無数の繊維が、用心棒たちの全身を、指先に至るまで絡め取って拘束していた。
「無理矢理に振りほどこうとは、なさらないように……輪切りになってしまいますよ」
 細身の男が1人、いつのまにか、そこに佇んでいた。
 仕立ての良いスーツに身を包んだ、小麦色の肌の若者。フレームのない眼鏡の奥では、涼やかな瞳が知的に不敵に光を孕んでいる。
「ダグラス・タッカー……!」
 長老が息を呑み、後退りをした。
「貴様、貴様は……我が一族に連なる者でありながら、我らに逆らうか!」
「逆らう者を、どのように退けるおつもりですか?」
 足取り優雅に、ダグは歩み寄った。
「貴方たちのような特権階級の方々はね、こうして直接的な攻撃を受けると案外、何も出来なくなってしまうもの……いけませんよ。私やフェイトさんの1人や2人、容易く撃退出来るような暴力装置を、常にお傍に置いておかなければ」
 怯える長老に、ダグは優しく微笑みかけた。
「古の時代から、貴方がたは権威を持ち続けてこられた。ですが人々は最終的には、古い権威ではなく強い暴力にしか従いません。暴力を伴う権威でなければ、一国の陰の支配者を気取り続けるのは難しいでしょうね」
「有り余る金と暴力で、再びこの国を植民地にするつもりか英国人よ」
 声がした。
 筋骨たくましい僧形の男が1人、錫杖を片手に、のしのしと歩み寄って来る。つるりと見事な禿頭には、毒蛇の刺青が施されている。
「それも良い、という気はする……貴様たち欧米人はな、これまで世界中に差別と貧困の種をまき散らしてくれた。おかげで今、見事な絶望の花が、地球上いたる所で咲き乱れておる」
 その男に続いて、同じような僧形の人影が数名、それに長老たちと、それに近い一族高位の男たち十数人が、ダグを取り囲むように近付いて来る。
「無駄な抵抗はやめろ、ダグラス・タッカー」
 長老の1人が言った。
「この国で我らに楯突く事が、どれほどの愚行であるか知らぬわけでもあるまいに……猪口才な買収などしおって、我らの勢力を切り崩しにでもかかったつもりか」
 インド国内のいくつもの企業が、タッカー商会との業務提携契約を結んでくれたのだ。
「この国は過渡期にあります。古い権威に囚われない人々が、少数ながら確実に増えている、という事ですよ」
「それは困る。アジアの重鎮たる大国インドには、これからも差別主義者どもが支配する、停滞と絶望に満ちた国であってもらわねば」
 毒蛇の僧侶が、虚無の境界らしい事を言っている。
「人々が大いなる変革を遂げるのはな、絶望の末の滅びの時だけで良いのだ」
「そんなお話よりも、貴方たちにお訊きしたい事があるのですがね。一族の暴力装置たる、虚無の境界の方々」
「教えてやろう。貴様の母親を殺したのは、我ら全員だ。呪殺の念を英国まで届かせるには、全員の力が必要だったのでな」
 毒蛇の僧侶が、訊く前に答えてくれた。
「この老いぼれどもが、一族の裏切り者は確実に始末しろと言うので、まず血の情報を提供させた。アーリア人の血……その遺伝子情報が、呪殺の力の源となっておる。純粋なアーリア人の血統に連なる者ならば、地球上どこにいようと、この呪殺から逃れる事は出来ん」
「純粋な血統を、ただ権威のためだけに、貴方がたは守り続けてきた。無法な近親婚を、繰り返しながら」
 一族高位の男たちを、ダグは眼鏡越しに見据えた。
「……時には、無力な少女を犠牲にしながら」
「犠牲とは人聞きの悪い。私はな、あの娘を可愛がってやったのだよ」
 男の1人が、おぞましい笑みを浮かべて言った。
「ついつい可愛がり過ぎて、死なせてしまったがなあ……もったいない事をした。まあ何だ、妹の方はもう少し穏やかに可愛がってやらねば」
 突然、黒い影が飛び込んで来た。
「お前か……!」
 おぞましい笑みを浮かべていた男の顔面が、潰れたように歪んだ。
 フェイトが、拳を叩き込んでいた。
「お前か……お前が! お前がああああああああ!」
 男の身体が、へし曲がった。フェイトの膝が、下腹部にめり込んでいた。
 虚無の境界の僧侶たちが、一斉に錫杖を構える。
 炎が生じ、球体を成した。雷雲が生じ、バチッ! と稲妻を鳴らす。
 血の呪縛の範囲外にいる人間たちを、この僧侶たちは、このような攻撃呪術で始末してきたのだろう。長老たちの、既得権益を守るために。
 その攻撃呪術が、今はフェイト1人に撃ち込まれようとしている。
「私など、いつでも始末出来る……というわけですか」
 苦笑しつつ、ダグは静かに踏み込んだ。
 姿勢低く、僧侶たちの間を駆け抜けた。
「貴様……!」
 毒蛇の僧侶が、踏み込んで来たダグにようやく気付いて錫杖を振り上げる。
 その背後に、ダグは回り込んでいた。
「私の親友たちの、贈り物の1つですよ」
 筋骨たくましい毒蛇の僧侶に、ダグは囁きかけた。その太い首筋に、小さな針を突き刺しながら。
「彼ら彼女らの様々な毒を、私が独自に調合したものです。苦しみは一瞬、だと思うのですが……どうですか、まだ苦しいですか?」
 痙攣・硬直しながら、僧侶の巨体が倒れた。その皮膚は青黒く変色し、毒蛇の刺青がわからなくなっている。もはやダグの問いかけに答えられる状態ではない。
 他の僧侶たちも、同じような屍と成り果てていた。全員、首筋に、同じ毒針が突き刺さっている。
「私、おかげ様でエージェントネームをいただける身分になりましたが、実はまだ決めていないのですよ」
 呆然と立ち尽くす長老たちに、ダグは微笑みかけた。
「スパイダーか、ホーネット……どちらにするべきか、ずっと迷っておりまして。まあ後者にしておきましょうか。蜘蛛のヒーローで世界的に有名な方が、もうおられますし」
 長老たちは、何も言ってくれない。全員、何か喋るどころではない状態で青ざめ、固まっている。
 静かだった。
 凄惨な殴打の音だけが、間断なく響いている。
 フェイトが、ひたすら拳を振るい、手刀を閃かせ、肘を打ち込み、蹴りを叩き付けていた。
 IO2の戦闘訓練で培われた格闘技術が、1人の男をサンドバッグにするためだけに使われている。
「そこまでにしましょう、フェイトさん……死体を殴っても、気分が悪くなるだけですよ」
「死体……」
 フェイトが、呆然と呟いた。我に返った様子である。
 翡翠色の瞳が、すでに動かなくなった男の身体を見下ろしながら、震えている。
「俺……俺は……」
「お見事でしたよ、フェイトさん。貴方は今回、超能力の類は一切使わなかった……御自分の中の怪物に頼るまい、と思っておられたのでしょう? 見事な自制でした」
 その自制がなければ今頃、砕け散って原形をとどめていないであろう長老たちに、ダグは微笑みながら告げた。
「貴方がたは、フェイトさんに助けられたのですよ。したがって、次は私の復讐を受けていただきます」
 タッカー商会が、時をかけてインド経済に食い込んでゆく。そして一族の利権を奪ってゆく。
「全てを失いながら、困窮の中で老いさらばえてゆきなさい……さ、帰りましょうかフェイトさん」
「ダグ……俺は……」
「エージェントがいくら自制を利かせても、人が死んでしまう事はあります……我々の仕事は、そういうものでしょう?」
 ダグは軽く、フェイトの肩を叩いた。
「難しい事は考えず……今は、バカンスを楽しみなさい」

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