フェイト、怒る

ボンベイ・サファイアをロックかストレートで飲むと、まるで消毒液を飲まされているような味がする。
 つい最近、知り合ったIO2の先輩女性が、そんな事を言っていた。
 一口飲んで、フェイトは思った。これは消毒液どころか、毒薬であると。
「これ……本当に、飲み物なのか……?」
 カウンターに突っ伏したまま、フェイトは辛うじて声を発した。
 ダグラス・タッカーが、隣で笑っている。
「慣れるとね、癖になるのですよ。慣れるまで肝臓が保てばの話ですが」
「保たない。俺、絶対に保たないから」
 同じ液体が入ったグラスを、ダグは唇に付けて優雅に傾けている。
 毒物への耐性を持つ、この男くらいであろう。ボンベイ・サファイアをストレートで、こんなふうに優雅に楽しむ事が出来るのは。
 ムンバイ市内。絵に描いたような高級バーである。
 フェイトはちらりと顔を上げ、窓の外の夜景に視線を投げた。
 ライトアップされたインド門の、幻想的な偉容。確かに、酒が進む景色ではあるのかも知れない。
「このムンバイも……観光地として、いくらかマシにはなってきました」
「新聞に載ってたよ。あんたの商会、ずいぶん気前よく投資してるそうじゃないか。インドだけじゃなく、世界中いろんな国に」
 欧州経済界の若き重鎮として、ダグラス・タッカーの名前は最近テレビでも新聞でもネット上でも頻繁に見られるようになった。
「さぞかし敵も多かろう、と俺なんかは密かに思ってるけど」
「特に、この国ではね」
 褐色の秀麗な顔が、苦笑気味に歪んだ。
「元々インドで商売をしておられた方々が、まあ当然と言えば当然ですが、我が商会をあまり歓迎して下さらず……私も難儀しているところです」
「言っとくけど、商売の手伝いはしてやれないよ? 命狙われてるんなら、ボディーガードくらいなら出来ない事ないけど」
「フェイトさんに、そんな事はさせられませんよ。まずはバカンスを楽しんで下さい」
 ダグの笑顔が、明るくなった。
 この男の明るい笑顔は、あまり信用出来ない。
「ずいぶん御活躍だったと聞いています。お疲れでしょう? ゆっくり休んでいただこうと思って、こんな形での御招待となったわけですが」
「お気遣い、感謝するよ。けどまあ飛行機の中で、たんまり寝たんでね」
 毒薬のような酒を、フェイトはもう一口、無理矢理に喉へと流し込んだ。喉越しが、痛かった。
「……はっきり言えよダグ。俺に何をさせたい?」
「フェイトさん……」
「はっきりしない事があると、くつろげないんでね。バカンスを楽しむのは、いろいろ片付いてからにさせてもらうよ」

 貧民窟と言うほど、ひどい場所ではないようだが、ここに住んでいるのが低所得者ばかりであろう事は容易く想像がつく。
 そんな街並が、豪壮なインド門からさほど遠くない区域に広がっていた。
 案内する形にフェイトを連れて歩きながら、ダグが語る。
「このインドという国は、様々な意味で過渡期にあります。豊かさと貧しさが、あまり良くない形で同居しているのですよ」
 語りつつダグは、1軒の、辛うじて住宅の体を成している建物の前で立ち止まった。
 そして軽く、ドアをノックする。
 そのドアが開き、可憐な人影が飛び出して来てダグに抱きついた。
「ダグ兄さま……!」
 12歳くらいの、インド人少女である。
「見捨てられたかと思ってた……もう、来てくれないんじゃないかって……」
「不安な思いをさせましたね。許して下さい……片付けなければならない用事が、あったものですから」
「ダグラス様、ここも危険でございます。長老方は、すでにこの場所を掴んでいるものかと」
 少女を保護していると思われる初老の人物が、家の中から声をかけてきた。ダグの執事である。
「この国で、あの方々から逃げ回るのは不可能……という事ですか」
 泣きじゃくる少女の頭を優しく撫でながら、ダグは苦笑した。
「フェイトさん、紹介しましょう。私の、いくらか遠いですが母方の従妹です」
「あ……どうも、フェイトって呼んで下さい」
「……日本人の、方ですか?」
 涙目で、少女はフェイトを見上げた。
「あたしも、日本へ行きたい……日本の人たちって、みんな優しいんでしょ? 女だからって……ひどい事したり、しないんでしょ?」
「……そういう事する奴、全然いないわけじゃないよ」
 答えながら、フェイトは思い返した。
 自分の父親は、母に暴力ばかり振るっていた。弱い女性に対してしか強くなれない、最低の男だった。
「この子はね、望まぬ結婚を強いられているのですよ」
 執事に導かれるまま家に入りつつ、ダグが語る。
「一族の、男たちの意向でね……そういう国なのですよ、ここは」

 存命者を家系図で繋ぐだけで、とんでもない広さになってしまうほど、巨大な一族であるらしい。
「カースト制というものをご存じですか、フェイトさん」
「スクールカーストなんてものが、日本にもアメリカにもないわけじゃないからな」
「あんなお遊びとは違いますよ。本場のカーストというものは……人々の遺伝子に、刻み込まれていますからね」
 眼鏡の奥で、眼光が暗く燃え盛っている。
 こういう時のダグラス・タッカーは、明るい笑顔の時より信用出来る、とフェイトは思う。
「短い時間で説明出来るようなものではないのですが……今この場では、とある上位カーストの一族に関して、ざっとお話をしておきましょうか。その一族は、ヒンドゥー教がこの地に根付いた時代から、ずっと権力を持ち続けてきました。植民地時代も隠然たる勢力を保って英国政府と渡り合い、独立にも深く関わったようです。その過程で近代インドの政治・経済・軍事・警察、あらゆる分野に根を下ろし、今なお国政に影響を及ぼすほどの力を持っているのです」
「この国の偉い人たちが、カースト身分の高い連中で占められてるって話は、聞いた事あるよ」
「実際どれほど占められているのかは、私も正確に把握しているわけではありませんが……この一族が今申し上げた通りの勢力を有している事は間違いありません。そして一族の内部にも、馬鹿げているほど厳格な階級規律が存在するのです。最高位におられるのは長老と呼ばれる方々。彼らが、一族の全てを決定します。議員として政府へ送り込む者の選定、傘下にある各企業の人事、それに一族の男女の婚姻に至るまで」
「あたし……あんな男と結婚するの嫌……」
 ダグの従妹……適齢期にはいささか遠い少女が、泣きじゃくっている。
「ダグ兄さまだって、知ってるでしょ……あたしの、お姉ちゃんが……お姉ちゃんが……」
「この子の姉は、長老の命令でその男に嫁ぐ事となり……婚礼を終えたその夜に、死にました」
 ダグが言った。
 フェイトは一瞬、気が遠くなった。
 何かが一瞬、自分の中で目覚めかけた。そんな気がした。
「一族の、そこそこ上位にいる男です。新たなる花嫁に選ばれたのが、妹である彼女……この国では、そのような事が普通に起こっていると。フェイトさんには、その点のみ認識しておいていただければ」
 同じような感覚に、かつて自分は何度か陥った事がある。フェイトは思い出していた。
 父を、殺しかけた時。あの研究所にいた男たちを、皆殺しにした時。アメリカで、とある連続殺人犯を破壊した時。
「……胸くそ悪い話は、もういいよ」
 フェイトは呻いた。
「要は、この子の身の安全を確保すればいいんだな?」
 身の安全を確保しなければならない少女が、倒れていた。
 悲痛な声を漏らしながら身を折り、のたうち回っている。か細い身体が、破裂しそうな痙攣をしている。
 突然の病気、などではない。
 外部からの、目に見えぬ凶悪な干渉を、フェイトは感じ取っていた。
「この場所が、特定された……」
 ダグが、息を呑んでいる。
「フェイトさん……!」
「わかってる!」
 フェイトは叫び、念じた。翡翠色の両眼が、燃え上がるように輝いた。
 目覚めかけていたものが完全に目覚め、見えざる力と化して迸る。そして、少女を襲う何かとぶつかり合う。
 凄まじい力、としかフェイトは認識出来なかった。
 自分と同質の超能力か。いや、少し異なる。アメリカで何度か戦った事のある、黒魔術系の禍々しい呪力。そちらに近いものが感じられる。
 何にせよ、これほどの力を持つ者が、何の力もない少女に危害を加えんとしている。
 酒に酔っては暴力を振るっていた、あの男のようにだ。
「何なんだよ……この国は……」
 フェイトの中で目覚めたものが、荒れ狂っている。
「俺の親父みたいな奴しかいないのか! この国はあああああああッ!」
 目に見えないものが、砕け散った。
 少女は、息を荒くしながら意識を失っていた。命に別状はないが、かなり衰弱している。
 その小さな身体を、初老の執事がそっと抱き上げた。
「別荘でお休みいただくのが、本当は一番良いのですが……」
「別荘は、場所が特定されやすい。やめた方がいいでしょうね」
 言いながら、ダグがこちらを見た。
「念のため、申し上げておきましょうかフェイトさん。インドの人々全てが」
「こんなふうじゃないってのは、わかってる。救いようない連中ってのは、日本にだってアメリカにだっているからな」
 フェイトは呼吸を整え、落ち着く努力をした。
「あんたが俺に、何をさせたいのかはわかった……頼むよ英国紳士、俺をしっかり誘導してくれ。自分の中のバケモノを、ちゃんと飼い馴らしてるつもりでいたけどさ……今回は、あんまり自信ないんだ」

 術者の1人が絶命した。頭が、花火の如く破裂していた。
 他の術者たちが動揺し、念を乱している。もはや呪殺どころではない。
「な、何だ、何が起こったのだ」
 長老たちが、慌てふためいている。
 術者たちを統率する者……筋骨たくましい僧形の男が、呻いた。
「タッカー商会の御曹司……どうやら、とんでもない化け物を連れて来たようだ」
 ツルリと禿げた頭に、毒蛇の刺青を彫り込んだ僧侶。その凶悪な顔に、不敵な笑みが浮かぶ。
「……面白い、そう来なくてはな」
「何だ、失敗したのか貴様ら!」
 長老の1人が、詰め寄って来た。
「我が一族の尊厳を損ない規律を乱す者に、罰をもたらす! それが貴様らの役目であろうに、小娘1匹も始末出来ぬとは何事」
 喚く長老に、毒蛇の僧侶は錫杖を叩き付けた。長老はグシャリと倒れ、永遠に黙った。
 他の長老たちが、恐慌に陥った。
「な、ななな何をするか!」
「何もせんよ。貴様らが静かにしている限りはな」
 ただ伝統を誇るだけで、眼前の暴力に対しては何も出来ない。
 そんな無力で愚かな老人たちが、この国の陰の支配者という面をしていられるのは、『虚無の境界』という後ろ楯があってこそだ。
 この一族が権力を握っている限り、インドという国では大勢の人間が絶望に陥る。
 その絶望こそが『虚無の境界』の力となるのだ。
 この愚かな老人たちの既得権益は、だから守ってやらなければならない。
 それを脅かすタッカー商会こそが、現時点における最大の排除対象である。逃げた少女などを、ちまちまと呪殺している場合ではないのだ。
「1つ、訊きたい……」
 長老の1人が、怯えながら声を発した。
「そなたら何故、あのダグラス・タッカーを始末出来んのだ? 我が一族の血を引く者であれば、誰であろうと何処にいようと呪殺出来るのではなかったか。それが我らの、血の呪縛」
「そう、血の呪縛よ。純粋なアーリア人の血統を受け継ぐ者にのみ効果をもたらす呪法……欧米人の血が混ざってしまった者には効かぬ。何度も説明をしたはずだがな」
 アーリア人の純粋な血統を守るため、この一族は古の時代から近親婚を繰り返してきた。
 そのせいか、人格破綻者がとにかく多い。
「そのようなクズどもが支配する国こそ、我らの理想に最も近い……人民が絶望し、滅びを願うようになるからな」
 愚かな老人たちを、毒蛇の僧侶は微笑みで威圧した。
「我ら『虚無の境界』が守ってやるゆえ貴様ら、安心して弱い者いじめを続けるがいい……ひたすら、クズであり続けるのだぞ」

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呪いの王国へ

書き上げたレポートを送信提出し終えたところで、力尽きてしまったようである。
 机に突っ伏した格好のまま、フェイトは目を覚ました。
「……う……朝か……結局、何時間眠れたのかな……」
 IO2本部、事務室である。パソコンを1つ借り切って、レポートを仕上げたところだ。
「おはようフェイト君。そろそろ出勤時間だぜー」
 同僚が1人、近くの席でモーニングコーヒーを片手にパソコンをいじっている。
 日本人声優のものと思われる、美少女声も聞こえる。
 幸せそうに聞き入りながら、同僚は言った。
「ここで寝坊してたら遅刻扱いになっちまうのかなー。起こそうかどうか、迷ってたとこだ」
「……どうでもいいけど、備品のパソコンでアニメ見るなよ」
「やっぱアレよ、字幕なんかなくていいから声優は日本人に限るよなー。こっちの吹き替えなんて、バタ臭くて聞けたもんじゃねえっての」
 この同僚とまともな会話を成立させるのは、やはり一苦労であると言わざるを得ない。
「それはともかく……お前よく無事に帰って来れたよなあフェイト。あの女と一緒に仕事やらされて」
「ああ……あの人ね。お前の好きな、ツンデレでお姉さん妹タイプの人造美少女って、あんな感じじゃないのか?」
 少女じゃないけどな、とフェイトは声に出さずに付け加えた。
「なあフェイト……お前さ、日本人のくせに萌えってもんを全然理解してねえよ」
 違法アップロードの類ではないかと思われる和製アニメに見入ったまま、同僚は青ざめた。
「ありゃツンデレでもヤンデレでもねえ、ただのモンスターだ。純真無垢な人造美少女じゃなくて怪人だよ。時代錯誤な特撮系のバケモノ! ったくよぉ、あんなの造るよりもクローン美少女を大量生産して3、4人ばかし俺によこせってんだ。うちの組織もよぉおお」
 大量生産されたクローンの美少女なら、つい最近、虚無の境界絡みの仕事で見た事がある。
 フェイトは思い出していた。土器の鎧に身を包んだ少女たち。彼女たちは一体どこへ消えてしまったのか。
 いずれ姿を現すとしたら、その時は何が起こるのか。
「御苦労だったな、フェイト君」
 女性上司が、いきなり事務室に入って来た。同僚が、慌ててアニメを消した。
「なかなかよく書けたレポートだ。つい読みふけってしまったぞ」
「え、もう読んだんですか?」
「君は小説家としても食べてゆける。ただレポートしては……いささか、客観性に欠けていた点は否めないかな」
 錬金生命体に関する、かなり批判的な見解を、確かに書いてしまった。
「あんまり感情的な文章にならないように、気をつけたつもりなんですけどね」
「あの事件に最も深く関わったエージェントに、まあ主観的になるなと言うのは無理な話か……ところで仕事だ、フェイト君」
 フェイトは耳を疑った。
「え……っと、普通そろそろ休ませてくれるもんじゃないかと思われますが」
「休ませてやりたいのは山々だがな、君を名指しされてしまったのだよ。フェイトという優秀なエージェントをしばらく貸して欲しい、とね」
「……人の貸し出しなんて、やってるんですか。この組織は」
「民間人の依頼を受けて、エージェントを派遣する事はある」
 派遣される者に、断る権限はない。
 組織に属するとはそういう事だ、と思うしかなかった。

 貧富の格差が全く存在しない国などない。ダグラス・タッカーは、そう思っている。
 どの国でも、人々は生きるために商売をしている。様々な経済活動を行っている。
 そうすれば、才能のある者とない者、努力する者としない者、運の良い者と悪い者、様々な差が生ずるのは当然であった。
「勝ち組、負け組……などという言い方は、あまり好きではないのですがね」
 インド最大級の商都ムンバイ。その最も貧しい区域をゆったりと歩みながら、ダグは呟いた。
 この区域には、勝ち負け以前に、勝負をする機会すら与えられていない人々が大勢住んでいる。
 近年、急速な経済発展を遂げたとは言え、ダグに言わせれば、まだまだ貧しい国である。
 貧しい人々の救済、を考えているわけではない。そんな大規模な慈善事業が出来るほどには、タッカー商会は儲かっていない。
 ただ、勝負をする機会は万人に等しく与えられるべきだとダグは思っている。
 そうして這い上がって来た人々によって、この国の経済活動が活発になれば、結果としてタッカー商会の利益にも繋がってゆく。
 そのための、投資である。
「貴方がたの私腹を肥らせるために投資をしているわけではないのですよ。おわかりですか?」
 言葉と共に、ダグが歩み寄る。
 男が、怯えすくんだまま後退りをする。
 地元の人間である。ここムンバイに本社を置く大企業の社長で、タッカー商会にとっても重要な提携先の1人であった。間もなく、過去形で語る事となるだろう。
 男が、怯えながらも虚勢を張っている。
「こ、こんな……いくらタッカーの御曹司とは言え、このような無法が許されるとお思いか……」
「私は何も無法を働いてなどいませんよ。貴方と、お話がしたいだけです。なのに貴方は会話を拒んで、このような場所に逃げ込んでしまわれた」
 この社長を、警備の固い豪邸から誘い出し、このような貧民街の路地裏にまで追い込むのは、いささか骨折りではあった。ダグが、いくらか自腹を切らなければならなかった。必要経費として、商会に申告出来る金ではない。
「私は、どこまでも追いかけますよ。貴方と会話をするために、ね」
「ふ……馬鹿め、ここに誘い込まれたのは貴様の方だ」
 社長が、本性を現した。
「ここなら、死体の1つ2つ転がっていても騒ぎになる事はない。異国の金持ちが、貧民街で強盗に襲われて死亡……そう新聞に載って終わりだ」
 周囲の建物の陰で、いくつもの不穏な人影が見え隠れしている。この社長が端金で雇った男たちであろう。金で、人殺しも請け負う輩。このような貧民街には、いくらでもいる。
「私……実はここ数日間、あまり機嫌が良くないのですよ」
 ダグはまず、会話を試みた。
「私の命を狙う方々に対し、あまり寛大にはなれないという事です……3秒、時間をあげましょう。その間に立ち去って下さい。3、2、1」
 0、とダグがカウントを終えると同時に、建物の陰から男たちがユラリと歩み出て来た。刃物や棒を手にした男が、合計5名。
 その全員が、姿を現しながら倒れた。痙攣し、肌を不気味な色に染めながら、動かなくなってゆく。
「ここなら、死体がいくつか転がっていても騒ぎになる事はありません……貴方のおっしゃる通りですね、伯父上」
 社長……ダグの母親の兄でもあるインド人が、今度こそ本当に怯えて青ざめた。
 母方の実家、という縁で業務提携をしているわけではない。
 インドで何か商売をしようと思ったら、まずはこの一族と繋がっておかなければ何も出来ないのである。
 それほどまでに、この一族は、インド経済の奥深くまで根を張っている。
「な……何だ、何をした貴様……」
「私だって、こんな恐い所に1人で来たりはしませんよ」
 空気を震わせるような、羽音が聞こえた。カサカサと、不吉な足音がした。
 蜂が飛んでいる。蜘蛛が、サソリが、建物の陰から這い出て来る。全て、猛毒を有する種類だ。
「私の親友たちですよ。喧嘩の弱い私を、よく助けてくれます。手加減が出来ないので、やたらと人を死なせてしまうのが玉に瑕でしょうかね」
 青ざめ硬直した伯父の身体を、蜘蛛とサソリが這い上って行く。
 蜂が、伯父の首筋に止まった。
「私の質問に答えて下さい、伯父上」
 ダグは言った。
「私の求める答えが得られたら、とりあえずは見て見ぬふりをして差し上げます……我が商会が投資したものを、貴方が御自分の懐に入れてしまわれた、今回の一件はね」
「……し……質問とは……?」
 首筋に毒針を突き付けられた伯父が、表情と声を引きつらせる。
 穏やかに、ダグは微笑みかけた。
「辛いお話です、和やかにいきましょう……十数年前、貴方の妹がイギリスで死にました。投身自殺、という事になっていますが、本当にそうだったのでしょうか?」
「し、知らん。イギリス人になど嫁いだ時点で、妹と我が一族の縁は切れているのだ。イギリスで何が起ころうと、私の知った事ではない」
 植民地時代よりもずっと昔から、このインドという国で勢力を持ち続けてきた一族である。その影響力は経済そして国政にまで及ぶ。
 ある時、1人の少女が、家出も同然にその一族を飛び出してタッカー商会の使用人となり、御曹司に見初められて結婚をした。
「貴方がたから見れば裏切り者……というわけです。違いますか?」
 伯父の眼前で、サソリの尻尾がキラリと針を光らせる。
「裏切り者には、どのような罰が下るのでしょうか?」
「妹は……あの愚かな娘はな、我が一族が決めた結婚に逆らい、英国人に身を売ったのだ! 汚らわしい侵略者である、英国人などに!」
 恐怖と憎悪が、伯父の絶叫に宿っている。
「インダス文明の時代より受け継がれし、我が一族の血統を! 名誉を! あの女は穢したのだぞ! 生かしておけると思うか!」
 絶叫と共に、伯父は血を吐いた。
 ダグの親友たちが手を下した、わけではない。
 伯父の体内で何かが潰れる音を、ダグは確かに聞いた。
「我が一族はな……20年近く前から、ある恐ろしい者たちと同盟を結んでいる……」
 苦しげに痙攣しながらも、伯父は言った。
「その者たちが、我らの依頼を受けて……お前の母親を呪殺し……今、タッカー商会につけ込まれる失態を犯した私を……粛清……」
 伯父の、頭の形が歪んだ。
「さ、さあ私は話したぞ。はっ早く私を助け、助けて、たたたたすけけけけけ」
 歪んだ頭が、破裂した。様々なものが、飛び散った。
 母と、同じような死に様である。
 遠隔魔術、あるいは超能力の類か。
 何にせよ、これほどの力を持つ超常能力者が属している「ある恐ろしい者たち」というのが何者であるのか、ダグには心当たりのようなものが無くはなかった。
「虚無の境界……」
「失礼いたします、お坊ちゃま……いえ、ダグラス様」
 初老の英国紳士が、いつの間にかそこに立っていた。
 タッカー商会本家の使用人で、ダグ個人の執事とも言える人物である。
「お客様……フェイト様、でしたか。たった今、ご到着なさいました」
「まずは、くつろいでもらって下さい」
 懐かしさが口調に出るのを、ダグは止められなかった。
「このところ、お仕事詰めだったと聞きます。食事より睡眠をお望みかも知れません。何であれ、ご希望を叶えて差し上げるように」
「かしこまりました」
「精一杯、バカンスを楽しんでもらいましょう」
 その後で、働いてもらう。いくらか恩を売っておけば、彼は頼まなくとも働き蟻になってくれる。
 超常能力者との戦いとなれば、彼の力はどうしても必要だ。
「……嫌なものを見せる事になるでしょうね、フェイトさんには」
 伯父の屍を見下ろし、ダグは呟いた。
 別に、執事に話しかけたわけではない。独り言である。
「差別主義者は、欧米人だけではないという事……私も、すっかり忘れていましたよ」
 独り言が、震えた。
「この国が……カーストの本場であるという事も」

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空飛ぶ酔っ払い

土地不足解消のため、サンフランシスコ全域の墓地を遺体もろとも一ヵ所に集めてしまったらしい。
 そうして出来上がったのが、共同墓地の街・コルマである。
 良くも悪くもアメリカ人らしい力技だ、とフェイトは思う。
 生きた人間よりも死んだ人間の方が多い、とまで言われているこの街の一角に、その店はあった。
 営業しているのかどうかも判然としない、寂れた感じのバーである。ここで、1人の同業者と合流する事になっている。
 バーの扉を開け、足を踏み入れた。
 従業員がいない。店主の姿も見えない。
 客は1人だけ。カウンター席に座った、1人の少女……
 どう見ても、十代半ばの少女である。この国には飲酒の年齢制限がないのか、などと一瞬だけフェイトは思ってしまった。
 髪は茶色のポニーテール。横顔はちらりとしか見えないが、美少女の範疇には入るだろう。
 ほっそりとした身体に、白いロングコートを羽織っている。その下はキャミソールとホットパンツ、であろうか。
 小柄な細身とはいささか不釣り合いなほど豊かな胸をテーブルに載せたまま、その少女は、ちびちびとグラスを傾けていた。独り言を、漏らしながらだ。
「このボンベイ・サファイアって奴はさぁ、マティーニのベースくらいにしか使えないよねえ。ロックやストレートでなんて、飲めたもんじゃないっての。消毒液か何か飲まされてるみたいでさあ……そう思うだろ?」
 独り言ではなかった。フェイトが、話しかけられている。
「……お酒、あんまり飲まないもので」
 そう答えるしかないまま、フェイトはとりあえず会話に応じた。
「あの……まさか、とは思うけど」
「それはこっちも同じ。歴戦のエージェントが来るって言うから、ハードボイルド系のナイスミドルを想像してたんだけどぉ」
 少女が、こちらを振り向いた。
 幼さのある、可憐な容貌。やはり十代の少女にしか見えない。
「まさか、こんな可愛いスクールボーイが来るなんてねえ。ぼく、いくつ?」
「……22歳。学生じゃないよ、もう」
 幼く見られるのは慣れている。腹を立てるまい、とフェイトは自分に言い聞かせた。
「ふーん。日本人って、若く見えるのが多いって聞くけど……何だ、もう酒飲めるんじゃん。こっち来て一杯やりなよ。今はマスターも街の人間も逃げ出しちゃって、タダ酒飲み放題だからさ」
「これから仕事だって聞いてるんだけどね。それより」
「ああ大丈夫、あたしもお酒飲める年齢だから……ふふっ、いくつに見える?」
「……20歳? ちなみに何歳だろうと、タダ酒は駄目だからな」
「30超えてるって言ったら、びっくりするかにゃー?」
 少女……なのかどうかわからない女性が、ニヤリと笑った。
「今年で31でーす、にゃっははははははは」
「……もしかして、俺より先輩?」
「アリーって呼び捨てていいよ。あたしも、フェイトって呼ぶからさ」
 アリー。この合流相手に関してフェイトが前もって教えてもらったのは、そのエージェントネームだけである。向こうも同様、フェイトの名前だけは聞いていたのだろう。
「聞いてるよ。今回の騒ぎの大元、わざわざオンタリオ湖まで行って、ブッ潰してくれたんだって?」
「……潰しきれなかった、みたいですけどね」
「ああ、確かに生き残ってる連中はいるねえ」
 フェイトが耳を疑うような事を、アリーはさらりと口にした。
「あたしもねえ、サンディエゴの街中で2、300匹くらいはブチ殺したよ。あの錬金生命体ってぇ連中をね。どいつもこいつも最後は崩れて消えちまったけど……そうならなかった奴らが、この街にいやがるのさ」
「街の人たちは逃げた、って言ってましたよね」
 少女に見えても、年長者である。フェイトは敬語を使う事にした。
「避難済み、って事ですか?」
「そうゆう事。今この街にいるのは、あたしらだけ」
 突然、入口の扉が蹴破られた。
 押し入って来たのは、金を払って酒を飲みに来たとは思えない客たちである。すでに酔っ払っている、ようにも見える。
 よたよたと揺らめく身体は一応、人の体型をしている。
 その身を包む迷彩服、昆虫のような仮面。
 中身が人間の肉体ではない事を、フェイトは知っている。
「あたしら以外に誰かいるとしたら……ま、こんなのばっか」
 行儀よく出入り口から入って来る者、ばかりではない。
 天井が、壁が、破れ崩れた。
 一目では把握出来ない数の錬金生命体が、まるでアリーの言葉に呼応したかの如く、あらゆる場所から店内に乱入して来たところである。
「こいつら……!」
 何故、動いている。何故、存在している。
 などと疑問を感じている場合ではない。錬金生命体の群れが、たちの悪い酔客の如く凶暴な動きで、一斉に襲いかかって来る。
 フェイトは、スーツの内側から拳銃を抜いた。
 その時には、アリーが動いていた。白いロングコートをまとう小柄な細身が、カウンター席からユラリと立ち上がる。
「ったく、酒のツマミにもなりゃしない連中……」
 立ち上がった肢体が、よろめいた。かなり酔いが回っている、とフェイトが思ったその瞬間。
 白いコートの内側から、光が走り出した。
 錬金生命体が3体、いや4体、その光に薙ぎ払われて吹っ飛んだ。吹っ飛びながら、細切れになった。ぞっとするほど断面の滑らかな肉片が、床にぶちまけられる。
「あたしが、この世で1番嫌いなもの……何だかわかるかにゃー?」
 アリーの両手に、いつの間にか武器が握られている。小振りの刀剣とも言える、大型のナイフ2本。技量もさる事ながら、ある程度の腕力を必要とする得物だ。
 左右の細腕が、それらを軽々と一閃させる。
「それはな……仕事だよッ!」
 錬金生命体がさらに2体、叩き斬られて吹っ飛んだ。
「てめぇーらみてえな×××がいるせいでなあ、IO2のクソ仕事やらなきゃいけねえ! やったって大して給料入って来るわけでもねえ! のんびり酒飲んでる暇もねえ金もねえ! ねえねえ尽くしじゃねえかコラふざけんなこの×××野郎どもが! 腐れ×××どもがあああああ!」
 所々に、聞き取れない単語がある。英語圏の、甚だしく下品なスラングであろう。
 とにかく、フェイトは思った。酔っ払いが暴れている、と。
 左右2本のナイフが、酔っ払いの動きで振り回され、まるで竜巻のような斬撃の嵐を発生させている。
 迷彩服を着た怪物たちが、片っ端から切り刻まれてゆく。
「すごい……まさに、何とかに刃物だ」
 思わず呟きながらフェイトは、何かがふわふわと宙を舞っているのに気付いた。
 茶色の、羽である。
「ゆー……ゆ、ぶろうぃんどうすかぁいはーい」
 洋楽を口ずさみながら、アリーは跳躍していた。
 いや、飛翔と言うべきか。
「ばっ、てぇるみー、あぁらーい」
 茶色の羽をまき散らしながら、アリーは空中から、錬金生命体たちを襲撃している。
 一対の羽毛の翼が、彼女の背中から広がり、羽ばたき、小柄な女性とは言え人間1人の身体を空中にとどめている。
 否。人間ではないのは、もはや明らかだ。
「ジーンキャリア……!」
 息を呑みながら、フェイトは呻いた。
 IO2の暗部を、またしても見せられたような気がした。
「うぃだうりーずん、ほわぁい」
 あまり上手とは言えない歌を垂れ流しながら、アリーは空中で旋風の如く回転していた。
 群れる錬金生命体が、ことごとく首を刎ねられ、上半身を切り刻まれてゆく。
「ぶろーんぃどう、すかぁいはぁぁああああああああああい」
 肉片がぶちまけられる、その真っただ中に、アリーは歌いながら墜落していた。
「ちょっと、先輩!」
「うう……ほ、発作が……」
 駆け寄ったフェイトに向かって、アリーは弱々しい声を発した。
「酒……酒飲まないと、止まんない発作だよう……」
「……酔っ払って落っこちたようにしか、見えないんですけどね」
 言いつつフェイトは、立ち上がれぬアリーを庇って身を屈めつつ、左右2丁の拳銃をそれぞれ別方向にぶっ放した。フルオートの銃撃が、周囲を激しく薙ぎ払う。
 際限なく乱入して来る錬金生命体の群れが、銃弾の嵐に穿たれ、ことごとく倒れていった。
「やるねえ、フェイトちゃん……適当にぶっ放してる、ように見えて、ちゃんと狙うとこは狙ってる」
 倒れたまま、アリーは誉めてくれた。
「超能力みたいなもん、使えるんだって? 使わなくても、この程度のザコどもには楽勝ってか……あたしなんか、いらなかったね。さぼって酒飲んでりゃ良かったにゃー」
「さぼらなくても飲んでたじゃないですか、まったく」
 苦笑しつつ、フェイトは見回した。
 錬金生命体は1体残らず、崩れ砕けて粉末状の屍と化している。
 それらの中から、何か目に見えぬものがスゥッ……と抜け出してゆくのを、フェイトは感じた。
「ここが、お墓の街だってのは知ってるだろ……」
 アリーが、弱々しい口調で説明してくれた。
「無理矢理、叩き起こされて、こんな場所に移されて……寝付けないで迷ってる連中が、いっぱいいる。そいつらが、錬金術のバケモノどもに憑いちまったのさ」
「……同じような事が、もしかしたら他の場所でも起こるかも知れませんね」
 言いつつフェイトは、起き上がれぬ先輩を抱き起こしてやった。
 翼。作り物ではない。明らかに、生身の背中から生えている。
「先輩、あの……」
「まあ今度、一緒に酒飲んだ時にでも語ってやるよ」
 アリーは微笑んだ。
「それまで、お互い……ちゃんと生きてないとにゃー」
「その喋り方……出来れば、やめて欲しいんですが」
「おや、あざといキャラ作りはお嫌いかにゃー?」
「そうじゃなくて、何か……トラウマを抉られてる気分になるんですよっ」
 思い出したくもない珍妙な悪夢が、フェイトの脳裏で甦る。つい最近も1度、見た悪夢。
 頭を振って払い落としながらフェイトは、酔っ払った先輩を半ば無理矢理、引きずり起こしてやった。

「グリフォン……ですか?」
 フェイトが思わず声を上げると、女上司は頷いた。
「IO2には、トロールのジーンキャリアが1人いる。いろいろと問題の多い男で、成功作とは言えんがな……それと同じように、アリーにはグリフォンの遺伝子を組み込んである。言っておくが本人の希望だ。だから何でも許される、と言いたいわけではないがな」
「それについては、俺もいろいろ言いたい事ありますけど、今ここで力説する事じゃないですね」
 ゴルゴーンや狛犬が実在するのだ。グリフォンがいても、おかしくはない。
「それはそれとして……俺、何で仕事が増えてるんですか?」
 ひたすらキーボードを叩きながら、フェイトは文句を漏らした。
 この書類を、本日じゅうに仕上げなければならないのだ。
「錬金生命体の暴走に関して、もっと詳細なレポートが欲しいのだ。この事件に最も深く関わったエージェントは、君だからな」
 女上司が、にっこりと笑う。
「フェイト君は、現場の任務とデスクワークの両方をこなせる希有な人材であると私は思っている。頑張ってくれたまえよ」
「……俺、脳筋扱いされた事もあるんですよ。人様に読んでもらえるレポートなんか書けませんて」
 それでも、書けと言われたものは書くしかなかった。
「君には、アリーの始末書を代筆してもらう事もあるだろう。これからも、彼女をよろしく頼むよ」
「勘弁して下さいよ、もう……」
 この女上司は、アリーといくらか親しいようではある。
 彼女がいかなる理由でジーンキャリアとなったのか、いかなる事情があって人間をやめる道を選ぶ事となったのか、訊けば教えてくれるかもしれない。
 だがフェイトは訊かず、レポートの作成に専念した。
 このような話は、第三者に陰口の如く語らせるべきではなかった。

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再会と出会いの予兆

『ボンベイ・サファイアを、カクテルのベースにしか使わないのは非常にもったいない。そうは思いませんか?』
 などと言われても、一体何の事であるのかフェイトにはさっぱりわからなかった。
『何しろ強いお酒ですからね、割ってしまいたくなる気持ちもわからないではありません。ですが、この薫り高さをロックあるいはストレートで味わえるようになってこそ』
「あのなあ英国紳士……貧乏暇無しって言葉、知ってるか? 英語圏じゃ何て言うのか知らないけど」
 ひたすらキーボードを叩きながら、フェイトは携帯電話に話しかけた。
 報告書か始末書か判然としないが、とにかくこの書類を、本日じゅうに書き上げて提出しなければならない。
「俺、忙しいんだよ。貧乏人にはな、あんたみたく優雅にカクテルグラス傾けてる暇なんてないの」
『やらなくても良い仕事で無理矢理、自分を忙しくしているのではありませんか? 日本人には、そういう人が多いと聞きますよ』
 確かに、こんな報告書を提出させて保管してどうするのだ、という思いが、フェイトの中には全くないわけでもない。
 それでも、書けと言われたものは書くしかなかった。組織に属するとは、そういう事だ。
『というわけで私は今、ボンベイにいます。今の呼び方はムンバイですか。ここに私、ささやかながら別荘を持っておりましてね……夕焼けに染まるインド門を眺めながら、ロックで飲むボンベイ・サファイア。格別ですよ? 貴方も御一緒にいかがです。そちらはニューヨークですか、今から自家用ジェットを』
 即座に、フェイトは携帯電話を切った。
 IO2本部の、事務室である。机を1つ借りて、書類を作っている。
 これを書き上げたら書き上げたで、やらなければならない事は山積していた。
 錬金生命体事件の、後始末である。
 一連の騒動を、IO2上層部としては、なかった事にしてしまいたいようであった。
「……出来るわけないだろう、そんな事」
 フェイトは思わず、報告書にそう書いてしまうところだった。
 利用され、廃棄された少年の、無惨な有り様。あれを、フェイトの記憶から消す事は出来ない。
 なかった事になど、出来はしないのだ。
 ふと、今の電話の内容が、頭の中に甦ってきた。
 あの英国紳士は今、インドのムンバイにいる。
 インド。彼の母親の、生まれ故郷である。
 そんな場所で彼は今、ただバカンスを楽しんでいるだけなのか。
 母親の死に関して、何かを掴もうとしているのか。あるいは、何かしら掴んだところではないのか。
 彼も彼で、なかった事になど出来ないものを抱えているのだ。
「だからって、今……俺に、何か手伝ってやれる事があるわけでもなし」
「やあフェイト、似合わない事やってるじゃないか」
 何者かが、いきなり事務室に入って来るなり話しかけてきた。
 白衣を着た、理系のIO2職員。フェイトの同僚の1人である。
「僕が理系なら、君は体育会系。パソコンの前に座りっきりの姿なんて似合わないよ。もっと身体を動かさなければ」
 そんな事を言いながら同僚が、フェイトの腕を掴んだ。
 掴まれるまま、フェイトは引きずり立たされた。
「な、何だ……どこへ行くんだよ。俺この書類、今日じゅうに上げなきゃいけないんだけど」
「そんなの僕が後で適当に書いといてあげるよ。大変でした終わり、でいいんだろう?」
「小学生の読書感想文じゃないんだから……」
「いいんだよ、報告書や始末書なんてその程度で。それよりもっと有意義な事に時間を使うべきだよ、君のような人材はね」

 相手のペースに巻き込まれながらフェイトは、いつの間にか着替えをさせられていた。
 黒のスーツ。見た目も着心地も、いつも着ているものと何ら違いはない。
「……これが特殊繊維の新素材だって? 今までのと何か違うのか」
「僕が開発した防刃防弾素材だよ。いいかい、僕が開発したんだ」
 言いながら、理系の同僚が拳銃を向けてくる。
「着て違和感があるようなものを、僕が作るわけないだろう?」
 悪い冗談はよせ、とフェイトが言う暇もなく、同僚は引き金を引いていた。
 銃口が火を噴き、フェイトの全身でビシビシッと激痛が弾けた。
「いてっ! いていててててて、痛いってば! おい!」
 そんな悲鳴が、上がってしまう。
 実弾の、フルオート射撃である。本来ならば、痛いで済むはずがなかった。
「……どうだい、なかなかの着心地だろう」
 硝煙をくゆらせながら、同僚がニッコリと笑う。
 フェイトは、涙目で睨みつけた。
「お前なぁ~……まあ、確かに凄いけどな。これ」
 このスーツが量産されれば、エージェントの生還率は飛躍的に跳ね上がるだろう。
 問題は、コストである。
「残念ながら、今はその試作品が1着あるだけなんだ。フェイトがそれを着て、いい仕事をしてくれれば……上の人たちも、お金出してくれると思うよ」
「俺が……着てていいのか? これ」
「もちろん。だけどフェイト、僕は本当はね……君に、そんなもの着せるんじゃなくて」
 同僚の眼差しが、ぎらりと狂気を帯びた。
「君自身を、銃弾をも跳ね返す身体に改造したいんだよぉおお」
「……じゃ俺、書類上げなきゃいけないんで」
 立ち去ろうとするフェイトに、同僚がすがりついて来た。
「ねえフェイト。相手が必ず爆発するキックとかパンチとか、使えるようになりたくはないかい? マフラーをなびかせて改造人間の哀愁を醸し出してみたいとは、思わないかい?」
「思わない、としか言いようがないなあ」
「実は昨日、フェイト改造プランを上層部に提出してみたんだ。虚無の境界が次々と繰り出してくる怪人たちを倒すために、IO2としても早急に改造人間を」
「お前ふざけるなよ、間違ってそのプラン通っちゃったらどうするんだよ!」
 フェイトは同僚の胸ぐらを掴んで揺さぶった。この組織は冗談抜きで、そういう間違いをやりかねない。
 そこへ、もう1人の同僚が声をかけてきた。
「まったく……まだ改造人間とか言ってるのかよ、お前」
 今回の任務で見事、司令塔の役目を務め上げた青年である。
「それより、とっとと巨大ロボットの設計に取りかかれよ。虚無の境界の連中、絶対そのうち機動兵器軍団とか繰り出してくるぞ。上に提出するべきは、そっちのプランだろうが」
「……まったく、これだからアニメオタクは」
 胸ぐらを掴まれたまま、理系の同僚が、やれやれと呆れている。
「巨大ロボットなんて、広域破壊にしか使えないだろう? 人質救出作戦の時とか、どうするんだよ。人間サイズの改造エージェントの方が、汎用性も有用性も高いんだよ」
「敵が巨大兵器とか繰り出してきたらどーすんだ、この特撮オタク野郎が!」
 同僚同士が、フェイトを挟んで口論を始めた。
「屁理屈こねてねぇで、とっととロボの設計図描け! 合体ロボで、メインパイロットはもちろん俺だぞ。他にはバイオテクノロジー系の人造美少女、最低でも3人。リアルの女はクソばっかだからな。3人の内訳は、お姉さん1人にツンデレ1人に妹キャラ1人」
「妄想しか出来ないアニメオタクは放っといて……さあフェイト、変身ポーズと変身台詞を考えようじゃないか」
「懐古厨の特撮オタクが! 改造ヒーローなんざぁカビの生えた過去の遺物だってのがわかんねーのかあ!? 時代はな、巨大ロボと美少女なんだよおおおおお!」
 この2人を、ぶん殴って黙らせるべきか。
 フェイトがそう思った、その時。
「私語が禁じられているわけではないが……馬鹿話は、控えるように」
 女性職員が1人、冷たい声を発しながら、実験室に入って来た。
 40代、であろうか。絵に描いたような「鉄の女」である。
「フェイト、というのは?」
「自分です」
 この女性か、とフェイトは思った。
 今まで直属の上司であった、あの男が、飛ばされてしまったのである。今回の錬金生命体の一件に関わりある事なのかどうかは、わからない。
 代わりに女性の上司が来る、という話は、フェイトも聞いていた。
「いずれ御挨拶を、と思っていました」
「……君に関しては、いろいろと話を聞いている」
 女性上司が言った。
「錬金生命体の実戦投入には、反対だったそうだな?」
「もっと本腰入れて反対するべきだった、と思っていますよ」
「まあ結果的には失敗に終わった。我が国が他国の内紛に軍事介入する、という話も、何やら立ち消えになりつつある。相変わらず強気な事を言い続けている議員の方も、おられるようだがな」
 例の、嫌日派の上院議員であろう。
「まあ、それはともかく仕事だフェイト君。あるエージェントと、組んでもらう」
 言いつつ女性上司が、名刺のようなカードを1枚、フェイトに手渡した。
 バー、らしき店の名前と住所が、記されている。
「その店で、合流するように」
「わかりました……それで、そのエージェントさんの名前は?」
「うむ、私の元部下でな……」
 女性上司が、いささか口調を濁した。エージェントネーム、らしきものを口にしたようだが、よく聞き取れない。
「げっ……」
 声を上げたのは、殴り合い寸前だった同僚2名である。
「あ……あの女……生きてたんですか……?」
「それは確かに……殺して死ぬような玉には、見えませんでしたけど……」
 2人、抱き合うように、へなへなと座り込んでしまう。
「ひどい言われようだな、おい」
 フェイトは苦笑した。
 どうやら女性のエージェントで、いささか問題のある人物ではあるらしい。
 あの英国紳士をはじめ、問題人物なら知り合いに何人もいる。大した事はない、とフェイトは思う事にした。

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魂の収穫者

「1人で無茶をし過ぎよ、フェイト」
 言葉と共に、ひんやりとした感触が、フェイトの負傷した右腕を襲った。
 二の腕の傷口に、アデドラ・ドールの可憐な指先が、そっと触れている。
「貴方の職場……フェイト1人にこんな仕事を押し付けるほど、人がいないの?」
「真っ先にここへ来れたのが、俺だったってだけの話さ」
 傷口から、冷たいのか温かいのか判然としないものが流し込まれて来る。
 それを感じながら、フェイトは言った。
「……助かったよ。ありがとう」
 右腕を動かしてみる。右手を、握り拳にしたり開いたりしてみる。
 傷は、癒えていた。
 以前もこんなふうに、怪我を治してもらった事がある。あの時は、前もって奪われていた生命力を返してもらう、という形であった。
 今回は違う。アデドラは、自身の内部で生命力を精製し、それを注ぎ込んで、フェイトを治療してくれたのだ。
 無から有を生み出す。それが賢者の石であると、IO2のレクチャーでは教えてもらった。
「助けてもらってばっかりだよな。俺、あんたには……」
「あたしは、貴方の魂が目当てで付きまとっているだけよ」
 さらりと言いつつアデドラは、室内中央に立つ機械の柱に視線を投げた。
 ヴィクターチップの、マスターシステムである。
「味のしない魂を、粗製濫造するシステム……つまんないもの作るのね、貴方たち」
「俺が作ったわけじゃないんだけど……まあ、俺たちが作ったようなものかな」
 フェイトは拳銃を拾い上げた。
 爆薬弾頭弾・装填済みの拳銃。その銃口を、機械の柱に向ける。
 引き金を引いた。
 それだけで、マスターシステムは爆炎に包まれ、砕け散った。
 これで、終わったのか。
 呆気ない、などと感じてしまうのは贅沢だろう。フェイトはそう思う。アデドラが来てくれなかったら、呆気なく終わっていたのは自分の方であったはずだ。
 どこからか、拍手が聞こえた。
『この国のあっちこっちで、君たちみたいな強い人があたふた大慌てで戦ってたけど……』
 頭の中からだ。何者かが脳裏に直接、話しかけてきている。拍手をしながら。
『君らの戦いが一番、面白かったかな』
「あんたは……!」
 IO2本部最奥部に存在する、オリジナル。
 ニューヨークの本部ビルから、カナダとの国境に近いこの地方にまで届く思念。
 恐ろしく強力な、テレパス能力である。
 それによってフェイトは以前、おぞましい幻覚を見せられた。幻覚に打ちのめされ、錬金生命体の制御実験に失敗した。
 間違いない、とフェイトは思った。あの時、このオリジナルがその気であったら、自分の精神は完全に破壊されていただろう。自分だけではない。少なくとも本部ビル敷地内にいる人間全員を廃人にしてしまうだけのテレパス能力を、この怪物は持っている。
『その程度の事だったら、君にだって出来るよ』
 フェイトの心を読みながら、オリジナルは言った。
『出来たはずだよ……かつての君なら、ね』
「……人の古傷を抉って、心理攻撃でも仕掛けてるつもりかな」
 かつての自分。実験動物のように扱われ、能力を開発されていた頃の工藤勇太。
 あの実験が続いていたら自分は今頃、このオリジナルと同じような怪物に成り果てていたのだろうか。
『この国へ来て自分を鍛え上げた、つもりでいるんだろうけどね。そのせいで君は、心の中の素晴らしいバケモノを育てる機会を失ってしまったんだ。もったいない、君なら僕に負けないくらいの怪物になって……僕の友達に、なってくれたかも知れないのに』
 水音が聞こえた、ような気がした。
 暗黒の海が、フェイトの周囲に広がっていた。
 その海の奥深くで、巨大な怪物が蠢き揺らめいている。海蛇のような、蛸足のようなもの。
 それらが水飛沫を跳ね上げ、襲いかかって来る。
『今からでも遅くない……2人とも、こっちへおいでよ。僕と一緒に、行こうよぉ……』
 どこへ、などと訊いている暇もなかった。襲いかかって来たものが、フェイトを、アデドラを、捕えようとする。暗黒の深海へと、引きずり込むために。
「……あたしたちは、どこへも行けないわ」
 アデドラが言った。
「あたしも、フェイトも……それに、貴方もね」
 その瞬間。襲いかかって来た怪物が、消え失せた。
 暗黒の海、そのものが消え失せていた。
 光が、周囲に満ちた。
 輝ける空間。その中央で、小さな男の子が1人、座り込んで本を開いている。
 8歳くらいであろうか。図鑑と思われる大きな本に、熱心に見入っている。
 眩しさに耐えながら、フェイトは声をかけた。
「あんた……オリジナル、か?」
 男の子が図鑑から顔を上げ、きょとん、と視線を返してくる。
 愚かな問いかけを、フェイトは恥じた。
 オリジナル、などという名前であるはずがない。人間の男の子としての名前が、あるに決まっているのだ。
 フェイトは歩み寄り、その図鑑を覗き込んだ。
 怪物のような、奇怪な生き物たちが載っている。深海魚の図鑑、である。
「お気に入り……なのかい?」
「うん! お父さんが、買ってくれたんだ」
 フェイトの問いに、幼い少年はにっこりと答えた。
 錬金生命体たちの中核として、恐るべき怪物が存在している。フェイトは、そう思っていた。その怪物と決着をつけなければならない、とも。
 だが、この男の子を怪物に変えたのは虚無の境界なのだ。
 決着をつけるべき相手は、虚無の境界。この少年は、助けなければならない。
「……だけど、もう何回も読んで飽きちゃったんだ。そろそろ、違う所に行きたいな」
「好きな所へ、行っていいのよ」
 アデドラが言った。
「……行けるものならね」
 光に満ちた風景が突然、歪んだ。
 その歪みが、いくつもの醜悪・凶悪な人面を成した。
「おい、何を……!」
 フェイトが言いかけた時には、人面の群れは、男の子に襲いかかっていた。
「違う所に、行きたいな……どこかへ、行ってみたいな……」
 そう繰り返し、微笑みながら、幼い少年は人面たちに食い尽くされていた。
「何をするんだ!」
 フェイトは思わず、アデドラの細い両肩を掴んでいた。
 周囲の風景は、暗黒の海でも光の空間でもなく、中枢を破壊された制御管理室に戻っている。
「あの子は、どこへも行けないわ……閉じこもったまま、どこかへ行きたいと願うだけ」
 言いつつアデドラが、いささか膨らみに乏しい己の胸に片手を当てる。
「……あたしの中にいる、この連中と同じよ」
「だからって……!」
「ねえフェイト、貴方も本当は知ってるんでしょう?」
 アイスブルーの瞳が、まっすぐにフェイトを見つめる。
「どこか違う所へ行くなんて……そう簡単に、出来る事じゃないわ」
「…………!」
 怒声を噛み殺しながらフェイトは、少女の両肩から手を離した。
 苦い自問が、心の奥から沸き上がって来る。あの男の子のためにしてやれる事が、自分には何かあったのか。
 彼は、アデドラに喰われた。彼女の中に、取り込まれた。
 この少女の中に保存されたのだ、とフェイトは考える事にした。後で救い出してやる事は、きっと出来る。

 IO2の輸送ヘリから、武装した戦闘員たちが降りて来た。
 IO2の監視対象であるはずの少女が、それを出迎えた。
 まずい、などとフェイトが思っている暇もなく、ヘリから降りて来た男の1人がヘルメットを脱いだ。
 教官だった。厳つい黒人男性の顔に、微笑みが浮かんでいる。
「こんな所にいたのか。お前は本当にどこにでもいるなあ、アディ」
「フェイトが無茶をしてたから……彼、あんまり1人で突っ走らせない方がいいと思うわ。お父さん」
 教官とアデドラが何を言っているのか、フェイトは全く理解出来なかった。
「えーと……お、お父さん? って?」
「おおフェイト、いつかお前にも紹介しようと思ってたところだ」
 にこにこ笑いながら教官が、意味不明な事を言っている。
「俺の娘のアデドラだ。手ぇ出したらぶっ殺すぞ」
「初めましてフェイトさん。父が、いつもお世話になっております」
 アデドラが、ぺこりと礼儀正しく頭を下げる。
 教官がヘリでわざわざ迎えに来てくれたという事は、事態がとりあえず終息したという事だろう。
 工場内の錬金生命体たちは、マスターシステム破壊と同時に動きを止め、今はゆっくりと砕け崩れつつある。同じ事がIO2本部そしてアメリカ各地で起こっているに違いない。
 が、そんな事はどうでも良くなってしまった。
 フェイトは教官の腕を引き、声を潜めた。
「ちょっと……いくら何でもマズいですよ教官。結婚したばっかりなのに、一体いつから」
「はっはっは。馬鹿野郎、隠し子じゃねえよ」
 フェイトの腹に、教官の拳が軽く叩き込まれた。
「俺の子供は、それはそれで来年の頭頃にちゃんと生まれる。けど女房の奴が、その子のお姉ちゃんが欲しいとか言い出しやがってな」
「なるほど……アデドラの里親って、教官だったんですか」
 気になる事が、1つある。
「だけど教官……知ってるんですか? 彼女は」
「……わかってる。ちょいと嫌な話になるが、まあ監視の意味もあってな」
 IO2上層部に危険視されている少女。IO2職員の身内にしてしまうのが、まあ監視としては最も適切な手段であると言えない事はない。
 アデドラ・ドールを、例えばあの研究施設のような場所に監禁しておく事など、不可能なのだ。
 可能であるにしても、それをさせるつもりがフェイトにはなかった。

 とっさにフェイトは口を押さえ、嘔吐を堪えた。
 IO2本部ビルの最奥部から、廃棄処分対象物として運び出されて来たものである。
 棺のような、透明のカプセル。その中で、かつては人間の子供だったものが、培養液に漬けられている。
「用無し……ってわけだな、もう」
 教官が呻いた。
 フェイトは、声を発する事も出来なかった。うっかり口を開いたら、胃の内容物を全てぶちまけてしまいそうだった。
 錬金生命体の軍事転用は、結局のところ失敗に終わった。となれば、これを「オリジナル」などと呼んで大事に扱う理由もない。
「虚無の境界……いや、うちの組織の連中もそうだけど、人間を何だと思ってやがる……なんて今更、言う事じゃねえか」
 今回の作戦で見事、司令塔の役割を果たしてみせた同僚が、そう言いながらフェイトを気遣う。
「おい……大丈夫か?」
「……平気さ」
 ようやく、フェイトは言葉を発した。
 そして恥じた。あの幼い少年を救ってやりたい、などと一瞬でも思ってしまった自分自身をだ。
 このような有り様になってしまった少年を一体、どう救ってやれたと言うのか。
 かつて幼い男の子であった、無惨な物体。そこに宿っていた魂は今、アデドラ・ドールの中に在る。
 ここにあるのは、培養液のおかげで辛うじて腐敗を免れている、有機物の抜け殻に過ぎない。
 それを、フェイトは見据えた。
(これは……俺だ……!)
 特別な力を持って生まれた、そのせいで虚無の境界に目をつけられ、拉致され、人間の原形をとどめなくなるほど研究・実験され尽くし、IO2に奪われ兵器として利用された挙げ句、用無しの肉塊となって廃棄された少年。
 まさしく工藤勇太が、あのまま辿っていたかも知れない運命だ。
「なあフェイト……お前がぶっ壊したマスターシステムだけどな」
 同僚が、いささか言いにくそうに言った。
「どうもな、バックアップを取られたらしい形跡があるんだ」
「虚無の境界の連中か?」
 教官が問う。
「それとも、うちの上層部か? 未練がましいこった」
「わかりません。あのデータは、今回みたいな生体兵器系のバケモノだけじゃなく、コンピューター制御の機動兵器なんかにも応用が利きますからね……案外、あの議員様あたりが絡んでたりして」
「誰であっても、許さない……!」
 フェイトは、声を震わせた。
「虚無の境界だろうがIO2だろうが、この国そのものだろうが……こんな事をする奴らを、俺は絶対に許さない!」

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禍いの花を刈り取る者

人を撃つ時も、こんな感じなのであろうか。フェイトはふと、そんな事を思った。
 思いながら、引き金を引いた。
 人間と変わらぬサイズの生き物が10体近く、フルオートの掃射で薙ぎ倒され、動かなくなった。
 オンタリオ湖畔。カナダとの国境近くに要塞の如く鎮座する、生体兵器工場である。
 その内部は今、死屍累々としか表現し得ぬ有り様であった。
 様々な、奇怪でおぞましい姿をした生き物たちが、銃撃に穿たれた屍と化し、散乱している。
 この工場で生産された、生まれたての錬金生命体たち。
 生まれたてとは言え、その脳内にはヴィクターチップが埋め込まれている。豊富な戦闘経験データが蓄積されたヴィクターチップの、量産品だ。
 生まれながらにして、高度な戦闘・殺戮能力を有する怪物たち。
 本来ならば、これほど容易く射殺されてしまうような生き物ではない。
 IO2らしい、と言うべきであろうか。
 工場内で錬金生命体たちが、何らかの原因で制御不能となった場合の対策。それが、しっかりと用意されていた。
 特殊な薬品ガス。錬金生命体の身体能力を、著しく弱める。が、人間の肉体には無害。
 それが現在、工場内に散布されているのだ。
 工場員は全員、脱出済みである。
 動くものは全て敵と見なして撃っても良い、という事だ。
「まあ、それは助かるんだけど……」
 一向に開かない、制御管理室の自動ドア。その前に立ったまま、フェイトは見回した。
 錬金生命体の群れが、あらゆる方向から、のたのたと鈍い動きで迫りつつある。
 その肉体を薬品ガスに蝕まれ、動きは鈍り力も弱まっている。
 とは言え、2度3度の掃射で片付くような数ではない。
『おいフェイト、まだ生きてるか!』
 残弾数が心もとないフェイトの耳元に、通信機能で語りかけてくる者がいる。
 本部ビル内で司令塔の役割を果たしている、同僚である。
『パスコードがやっと解除出来た。そこの扉、開くぞ』
 という言葉が終わらぬうちに、制御管理室の自動ドアが開いた。
「助かる!」
 口元に伸びたインカムに向かって応えながら、フェイトは管理室内に転がり込んだ。
 ヴィクターチップ制御管理室。この工場の、中枢と言うべき部署である。
 その中央に立つ、機械の柱とも言うべき物体。これこそが、ヴィクターチップのマスターシステム。
 アメリカ全土に配備された錬金生命体たちの戦闘経験データが、そこに集積されている。
 集積されたデータが、ヴィクターチップを通して錬金生命体1匹1匹にフィードバックされ、彼らの戦闘能力を際限なく高めてゆくのだ。
 あの怪物たちの暴走を止めるためには、このマスターシステムを制圧……否、破壊しなければならない。
 ちょうど空になった拳銃に、フェイトは弾倉を叩き込んだ。
 通常弾ではない。とある英国紳士からの贈り物……残り少ない、爆薬弾頭弾だ。
『フェイト……一応、上からの命令は伝えておくぞ』
 同僚が言った。
『そのマスターシステムは、機能を一時停止させた状態で……無傷で確保しておくように、って事だ』
「聞こえないな。通信機が、いきなり壊れた」
 言いつつフェイトは、機械の柱に銃口を向けた。
「何か命令が来たみたいだけど、俺には伝わってない。現場の判断で行動する」
『わかった。通信機の故障じゃ、しょうがねえな。安物を支給してるIO2が悪い』
 同僚が、笑ったようだ。
 フェイトは、引き金を引こうとした。
 引く前に、銃声が轟いた。
「うっ……!」
 殺意に反応し、とっさにかわした。
 そのつもりだったが、右手から拳銃が落ちた。激痛が、フェイトの右腕を打ち据えたのだ。
 銃撃。かすめただけだが、二の腕の辺りがザックリと裂けてスーツが血に染まっている。
「せっかく作った物……破壊する事もあるまいよ」
 動きの鈍い錬金生命体たちを掻き分けるようにして、男が1人、管理室に歩み入って来た。その手に握られた拳銃から、微かな硝煙が立ちのぼる。
 白衣を着た、一見すると逃げ遅れた工場技術者とも思える男。
 何者であるのか、フェイトは即座に理解した。
「……虚無の、境界……!」
「嬉しい誤算であったぞ。貴様たちIO2がよもや、これほどのものを作り上げてくれるとは」
 語る男に付き従うようにして、錬金生命体たちが、のろのろと管理室内に入り込んで来る。
「そこそこの怪物を育て上げてくれるであろうと期待はしていたが……我らの蒔いた種が、お前たちのおかげで大輪の花を咲かせつつある。滅びをもたらす、禍いの花よ」
 フェイトに銃口を向けたまま、男は語り続けた。
「このマスターシステムは、我らがいただく。お前たちが育ててくれた怪物どもを、有意義に活用してくれようぞ……滅び、そして大いなる霊的進化をもたらすために」
 フェイトは聞かず、痛みに呻き、よろめいた。
 よろめきながら、間合いを詰めた。
 拳銃を持つ男の右腕を、左手で掴み、捻り上げる。そうしながら、片足を高速離陸させる。
 膝蹴りが、男の腹部に叩き込まれた。フェイトを狙っていた拳銃が、床に落ちた。
「ぐえ……ッ! き……貴様……」
「……語りに熱中してると、こういう事になる」
 フェイトは言った。
 IO2エージェントを相手にしている時は、拳銃を突き付けているくらいで安心するな。続いて、そんな事を言ってしまいそうになった。自分こそ、語りに熱中してしまいそうになった。
 とっさにフェイトは男を解放し、跳躍し、負傷した右腕を庇いながら床に転がり込んだ。
 攻撃の気配が、襲いかかって来たのだ。
 解放された男が、その攻撃を受けて砕け散った。粉砕された、としか言いようのない死に様である。
 その粉砕を行った怪物が、着地しながら牙を剥いた。
 錬金生命体の1匹。薬品ガスで弱体化しているとは思えない、攻撃だった。
 その1匹だけではない。2匹、3匹と、目視不可能な速度で襲いかかって来る。鋭い牙が、カギ爪を生やした剛腕が、暴風の如くフェイトを襲う。
 薬品ガスの効果が、失われていた。
 この怪物たちの肉体が、短時間で耐性を獲得してしまったのだ。
(進化する、化け物……!)
 慄然としながら、フェイトは攻撃を念じた。気力の消耗を嫌っている場合ではない。
 攻撃の念が、物理的な力の奔流と化し、吹き荒れた。
 襲いかかって来た錬金生命体が3匹、力の奔流に打ち砕かれ、今の男と同じような最期を迎えた。
 原形をとどめぬ死骸を蹴散らすようにして、何体もの怪物たちが、管理室内に乱入して来る。
 薬品ガスを克服してしまった、錬金生命体の群れ。
 爪が、牙が、角が、毒虫のような触手が、嵐の如くフェイトを襲う。
 消耗しかけた気力を振り絞り、攻撃を念ずる……暇もないように思われた、その時。
 錬金生命体たちが、どしゃっグシャッと床に倒れ込み、折り重なった。そして動かなくなった。
 屍、と言うより、単なる肉の塊と化していた。まるで最初から、生命など有していなかったかのように。
 IO2の操縦によってではなく、己の意思で戦闘・殺戮を行う怪物たち。
 戦闘経験の蓄積によって獲得した、自我、あるいは魂と言っても良いだろう。
 それが、奪われた。何者かによって、一斉に刈り取られたのだ。
「味が、しないわ……」
 声がした。寒気がするほどに涼やかな、女の子の声。
 アイスブルーの冷たい眼光を、フェイトは感じた。
 傍らで、艶やかな黒髪がサラリと揺れた。
「……急ごしらえの魂なんて、こんなものね」

カテゴリー: 02フェイト, season2(小湊WR), 小湊拓也WR(フェイト編) |

フランケンシュタイン・アーミー

身柄を拘束された。
「罪状くらい、教えてくれるんでしょうね?」
 というフェイトの問いに、上司は一応、答えてくれた。
「錬金生命体暴走への、重要な関与……その容疑が晴れるまで、君にはここにいてもらう」
 テレパス能力で、錬金生命体たちを操り暴走させた。そんなふうに疑われているようだ。
 あの上院議員の意向であるとしたら、無実を叫んだところで無駄だろう。
 IO2本部の一室。監獄の一歩手前と言うべき部屋に、フェイトは入れられた。同僚と一緒にだ。
「まあ俺が疑われるのは当然として……」
 意気消沈し廃人のようになっている同僚の方を、フェイトはちらりと見やった。
「こいつは関係ないでしょう。何か、やらかしたわけでもなし」
「君と同じだよ。今回の暴走は、彼による操作ミスが原因かも知れないのだからな」
 機械のような口調と表情を変えぬまま、上司が言う。
 この男は常にこうだ。自分より上にいる者の意向を、ただ機械のように繰り返して下に伝えるだけ。
 彼がその機械のような表情を変える事が、もしあるとすれば。それは権力者に媚びへつらう時と、自分の部下がその権力者に向かって無礼な態度を取った時だ。先程のように。
 その無礼な部下2名が、今こうして身柄拘束の処置を受けている。
「操作ミスって……そもそも虚無の境界のテクノロジーを安直にコピーしようってのが無茶なんだ。それを」
「……いいよ、フェイト」
 うなだれたまま、同僚は言った。
「俺、何も出来なかった……クソの役にも、立たなかった……銃殺もんだよ」
「お前……」
 かける言葉をフェイトが見つけられずにいる間に、上司は部屋を出て扉を閉めた。電子ロックがかかった。
 重苦しい沈黙が支配する室内に、フェイトは、生ける屍も同然の同僚と2人きりで残されてしまった。
「……ざまぁねえな、俺……」
 辛うじて聞こえる声を、同僚は発した。
「お前と、張り合いたくて……あんなブッ壊れた玩具の兵隊、ちょっと動かしただけで、お前と張り合える気になって……結果このザマだよ……笑えよ、フェイト」
 笑うものか。俺と張り合う必要なんてない。お前にしか出来ない事だってある。
 安易な慰めの言葉が、フェイトの頭に浮かんでは消えた。
 この同僚は今、少し前、長期休暇を強いられた時のフェイトと同じ所にいる。言葉で元気づける事など、出来はしないのだ。
 電子ロックが解除され、扉が開いた。
 防弾装備に身を固めて小銃を携えた男たちが、剣呑な足取りで駆け込んで来る。
 完全武装の、IO2戦闘員たち。率いているのは、黒人の大男である。
「教官……」
「釈放だ、フェイト。のんびり禁固刑なんぞ喰らってる場合じゃなくなった」
 どうやら、教官の言う通りであった。
 本部ビル内のあちこちから、闘争の気配が伝わって来る。何が起こっているのか、フェイトは何となく理解した。
「……暴れてるんですね? あいつらが」
「本部ビルの敷地内から、1匹も外に出すな」
 緊急指令を口にしながら教官はフェイトに、ずしりと重いものを押し付けるように手渡してきた。
 2丁の拳銃、及びマガジンポーチ。身柄拘束の際、没収されたものである。
「あの、これ……結構ごつい人たちが預かってたと思うんですけど、どうやって話つけてくれたんですか?」
「話はしてねえ。ちょいと強めに頭撫でてやっただけだ。ほれ、お前も」
 うなだれている同僚にも、教官は、取り戻して来た持ち物を押し付けた。
 タブレット端末。IO2の支給品であるが、この同僚独自の、違法に近い改造がされているようである。
「ヒキコモリみてえになってる場合じゃねえぞ。仕事の時間だぜ」
「で……でも俺……」
 親日派の教官は相変わらず、知らなくていい日本語を知っている。
 そんな事をフェイトが思った、その時。
 天井が、裂けて破けた。
 上階から降って来た人影が複数、猿の如く着地する。
 迷彩服に身を包み、昆虫のような仮面を被った兵士たち……錬金生命体である。
 計5体。うち2体が跳躍し、3体が疾駆した。凶暴な、野生のチンパンジーを思わせる襲撃。
 人体を引き裂く怪力を秘めた四肢が、目視不可能な速度で襲いかかる。フェイトに、同僚に、教官たちに。
 目視が出来ない以上、殺意だけを感知するしかなかった。
 フェイトは目を閉じ、思念の網を、蜘蛛の巣の如く張り巡らせた。
 殺意の塊が5つ、そこに引っかかった。
 フェイトの両手が、2丁の拳銃を握ったままフワリと動いた。
 左右の銃口が、火を噴いた。銃撃が、5つの方向を薙ぎ払う。
 全身に銃弾を撃ち込まれた錬金生命体5匹が、床に倒れあるいは落下し、動かなくなった。
 フェイトは目を開き、5体全てが屍となっている事を確認した。
 英国の友人から贈られた爆薬弾頭も、残り少ない。通常銃弾でも、フルオートで正確に撃ち込めば、充分にこの怪物たちを仕留める事が出来る。
「こいつらが今……ここだけじゃねえ、アメリカじゅうに配備されてるのは知ってるよな」
 教官が言った。
「配備された先で、同じように暴れてやがるのよ。おい、わかるよなあ? おめえの出番だってのが」
 教官が、同僚の胸ぐらを掴んだ。
 掴まれ、揺すられながら、同僚が呻く。
「ヴィクターチップは、効かなくなっちまったんですよ……俺なんかに、何が出来るって言うんですか……」
「チップ埋め込まれた奴、1匹1匹の居場所の特定」
 フェイトは言った。
「1匹逃がせば、どれだけ人死にが出るかわからないんだ。責任重大だぞ」
「責任重大……俺が?」
「お前にしか出来ない事だよ」
 先程、頭に浮かんで言えなかった事を、フェイトは口にした。
 教官に掴まれたまま、同僚はタブレット端末に指を触れた。
「1匹1匹……居場所を特定して、各地の戦闘部隊に伝えます」
「頼むぞ。おめえが司令塔だ」
 教官がそう言い終わらぬうちに、今度は壁が破られた。
 錬金生命体の群れが、なだれ込んで来る。
「フェイト、おめえは行け!」
 小銃をぶっ放しながら、教官が叫ぶ。
「オンタリオ湖畔だ! こいつらのメインの工場! そこを潰せ!」
 端末操作に専念しなければならない同僚を護衛すべく、他の戦闘員たちも銃撃を開始する。
 ここは、任せるしかなさそうだった。
 頼みます、と一声だけ残して、フェイトは廊下に出た。
 駆け出した瞬間、何者かが語りかけてきた。
『面白いね……君みたいな子も、いるなんて』
 フェイトにしか聞こえない声。
『こんなとこにいても面白くない、飽きちゃった……とか思ってたけど。もうちょっと、いてみようかな』
 オリジナル。そう呼ばれている何者かが、くすくすと笑っている。
 油断なく銃を構え、廊下を進みながら、フェイトは会話に応じた。
「あんたが何者なのか、詳しく訊いてみたいとこだけど……今はとりあえず、こいつらを止めろ!」
 天井に3匹、錬金生命体が貼り付いている。フェイトを狙って、降って来る。
「今はどうか知らないけど、少なくとも元々は人間なんだろう? それなら、わかるだろ! こいつらは大勢、人を殺す! それがどういう事か、わかるだろうが!」
 廊下に転がり込んで、襲撃をかわす。そうしながら、フェイトは引き金を引いた。銃声が轟いた。
『無理、もう僕じゃ止められないよ。だって、魂の連結を切られちゃったんだもの』
 錬金生命体3匹のうち、2匹が銃撃に吹っ飛ばされて屍に変わった。
 残る1体が、肩と胸板に銃弾をいくつか食い込ませながらも、怯まず襲いかかって来る。
『そう、だから本来こいつらはもう動けないはずなんだ。なのに動いてる……君たちが、こいつらに新しい魂を植え付けてしまったのさ』
 実戦に投入され、すでに何度も戦闘と殺戮を経験している錬金生命体の群れ。
 その経験値とも言うべきデータが、彼らの脳内のヴィクターチップに蓄積された。
 結果、己の意思など持たぬはずの怪物たちに、自我が芽生えてしまったのだ。戦闘と殺戮のみを行う自我が。
 己の意思で戦闘・殺戮を行う怪物たちを、IO2が自ら作り上げてしまったのである。
(虚無の境界の連中、まさか最初からそれを狙ってた……なんて事はないよな?)
 襲い来る怪物と、激しく擦れ違いながら、フェイトは引き金を引いた。
 至近距離からの銃撃を受けた錬金生命体が、そのまま壁に激突し、動かなくなる。
 それを確認せずに、フェイトは走り出した。
 行く先は、ヴィクターチップのメインシステムが存在する場所……教官の言う通り、オンタリオ湖畔の工場である。
 実戦投入された錬金生命体。彼らの経験値データは全て、ヴィクターチップを通じて、メインシステムに集積されている。
 それを破壊してしまえば、全てのヴィクターチップは機能を失う。
『こんな事になるなんて、僕にも予想出来なかった……面白いねえ、本当に面白いよ。君たち人間のやる事は』
 走り続けるフェイトの脳裏で、オリジナルは笑っている。
『君たちがどうなるのか、何をするのか、ゆっくり見物させてもらうよ』
「見物だけじゃ済まないってのは、わかってるよな……」
 フェイトは応えた。
「最終的には、あんたと話をつけなきゃならなくなる……話だけでも済まないってのは、わかってるよな?」

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ニンゲン、目覚める

IO2本部カフェテリアのコーヒーは、とにかく不味いとの評判である。
 美味さも不味さもわからぬままフェイトは、泥水のようなコーヒーを啜っていた。
「何を口に入れても味がしない、ってな顔してるな。フェイト」
 話しかけられた。
 黒人の大男が1人、フェイトの近くに腰を下ろしたところだった。
「教官……」
「聞いたぜ。上にねじ込んだんだってな? あの化け物どもの事で」
 人間を、まるで物のように破壊してゆく錬金生命体。
 あんな怪物が今、軍団規模で大量生産されているのだ。
 危険ではないのか。フェイトは上司の所へ押し掛け、そう言った。
「……見事に、スルーされましたけどね」
「俺も今、あいつらと共同作戦やってきたばかりでな」
 不味いコーヒーに大量の砂糖を注ぎ込みながら、教官は言った。
「大したもんだよ、あの化け物どもは……俺たちがお払い箱になるのも、まあ時間の問題かな」
「教官は……」
 それでいいんですか、という言葉を、フェイトはコーヒーで流し込んだ。
 錬金生命体たちは、あの残虐なまでの戦闘能力で、実戦における結果は確かに出しているのだ。
 IO2という組織としては今更、実戦投入を中止する理由など何もないはずであった。
「あいつらは、まあ役には立ってる。今は、そう割り切るしかねえと思うぜ」
「……教官は、割り切ってるんですか?」
「割り切れてる奴なんかいねえよ。おめえは、その筆頭みてえなもんだ」
 元の不味さがわからなくなるほど甘くなったコーヒーを、教官は一気に飲み干した。

『聞いていますよ。そちらでは、なかなか良い結果が出ているようですね』
 携帯電話の向こうで、イギリス人IO2エージェントが微笑んでいる。
 以前、チベットでの仕事で知り合った同業者である。
『もっとも、こちらの支部では今のところ実戦投入云々という声は上がっていないようですがね。アメリカ人と同じ事はしたくない、といった感じでしょうか』
「あんたはどう思う、英国紳士」
 フェイトは訊いてみた。
「あいつら、少なくとも戦闘では恐ろしく役に立つ。それは俺も保証するよ。俺1人に給料払うより、ずっと安上がりかも知れない」
『IO2を辞める事になったら、我が商会へおいでなさい。正社員待遇でお迎えしますよ』
 冗談とも思えぬ口調で、英国紳士が言った。
『作り物の怪物に、我々エージェントの代わりが務まるなどと……上層部が本気で考えているのだとしたら、IO2も長くはありません。貴方の方から見限ってしまうべきです』
「気持ちだけ、もらっておくよ。俺に商売なんて出来るとは思えないからね」
『貴方に商人の仕事を一から叩き込んで、こき使う……そのプランを100通り近く練ってあるのですがねえ』
「切るぞ。こんな電話、してる場合じゃないくらい忙しいんだろ」
『貴方がた日本人とは違います。ティータイムと、楽しい会話の一時。その2つだけは、どれほど忙しくとも確保しておくのが英国流というものですよ。というわけで、まずプランその1ですが』
 フェイトは容赦なく電話を切った。

 柱状のカプセルが無数、まるで墓石の如く立ち並んでいる。
 それらの中では、様々な姿をした怪物たちが培養液に漬けられ、目覚めの時を待っている。
 この生き物たちに迷彩服を着せて仮面を被せたものが現在、アメリカ全土でIO2実戦任務に投入され、実績を重ねているのだ。
 研究施設の、最も奥まった部分。あの時はフェイトが座らされていた場所で、今は1人の同僚が、謎めいた機械を弄り回している。
 テネシー州における作戦で、この同僚は錬金生命体の群れを見事に操縦し、殲滅戦をこなして見せた。
「いよう、フェイト。いよいよ来たぜえ」
「……何がだよ」
「俺の力を、前線任務で活かせる時がさ」
 楽しい夢を見ているような口調で、同僚は言った。
「俺みたいに、戦闘が全然駄目な軟弱オタク野郎でもよ……こいつらを使えばフェイト、お前に負けないくらいの仕事が出来るってわけだ」
「無理に前線任務をやらなくたって、お前にはハッキング関係の技術があるじゃないか。そっちで充分、活躍」
「活躍って言わねえよ、あんなものは」
 同僚の口調が、眼光が、暗い熱っぽさを帯びた。
「なあフェイト。お前みたいに強い奴には、わかんねえよな。IO2にいて、戦闘が全然からっきし……これが、どれほど惨めなもんか」
 息を呑むように、フェイトは黙り込んだ。かける言葉を、見つけられなくなった。
 足音が、近付いて来た。複数の足音。偉そうな1人が、何人もの取り巻きを引き連れている。
「我が国は、いかなる民をも受け入れて来た……が、それに甘えてもらっては困るのだよ」
 嫌日派の、上院議員。SPと思われる厳つい男たちを従え、フェイトの上司に案内をさせている。
 この議員が近々視察に来る、という話は聞いていた。
「特に君たちは、戦争に負けたのだからね。分をわきまえるべきだと思うのだが」
 フェイトは何も言わず、頭を下げ、その場を去ろうとした。
 そこへ上院議員が、絡むような言葉をかける。
「……私の息子が、世話になったようだな」
「子供の喧嘩に、親が出て来ますか?」
 フェイトは思わず、睨みつけてしまった。
「俺が息子さんなら、やめて欲しいと思いますけどね。あんまりにも、かっこ悪過ぎる」
「日本人に、大きな顔をする権利を認めた覚えはない。そう言っているのだが、君らの理解力では伝わらぬか」
 政治家を相手に、低次元な口喧嘩をする事になってしまうのか。
 フェイトが思った、その時。
「おい議員さんよ……俺の友達に、ふざけた口きくんじゃねえぜ」
 同僚が、口喧嘩に参戦してきた。
「お偉いさんはなあ、金だけ出して黙って見てりゃいいんだよ。俺がこいつらを使って、強いアメリカを復活させてやるからよ」
 議員の顔が、怒りで赤黒く染まった。上司の顔が、恐怖で青ざめた。
「お、お前! 何という口のきき方をしているか、わかっているのか!」
「うるせえぞクソ上司、てめえもわかれ。誰に向かって口きいてんのか……俺ぁなあ、今すぐコイツら使って、てめえら皆殺しにする事だって出来るんだぜ!? 例の内戦への介入も決まった事だしよぉ、くだらねえ戦争なんかやる奴ぁ俺が殺しまくってやるっつぅうううの!」
 殴るしかない、とフェイトは思った。殴ってでも、この同僚を止めなければ。
『飽きちゃった……』
 誰かが言った。フェイトにしか聞こえない声。
 暗黒の海が一瞬、見えた。
 その奥に潜む巨大な怪物が、おぞましくうねった。フェイトは、そう感じた。
『こんなとこにいても、面白くない……次は、どこへ行こうかなあ』
 カプセルが、一斉に砕け散った。
 培養液が飛散し、そして漬けられていた怪物たちが凶暴に躍動した。
 SPたちが、慌てて拳銃を構えながら、次々と倒れてゆく。吹っ飛んでゆく。
 錬金生命体の群れが、彼らをへし折り、引きちぎっていた。
 上院議員が、滑稽な悲鳴を上げながら尻餅をついた。そこへ錬金生命体たちが、猛然と襲いかかる。
「おい、止めろ!」
 叫びながらフェイトは左右2丁の拳銃を抜き、念じつつ引き金を引いた。
 爆薬弾頭に、念動力が宿る。その銃弾が、フルオートで銃口から奔り出す。
 念動力を上乗せされた爆発が、錬金生命体の群れを粉砕した。爆炎と爆風が、フェイトの念で方向を制御され、議員を避けつつ吹き荒れる。
 守られながら、議員は気を失っていた。
「止まらねえ……止まらねえよう……ヴィクターチップが、効いてねえ……」
 同僚が、叩くように機械を操作しつつ泣きじゃくる。
「何だよ……こいつら、俺の思い通りに動くんじゃなかったのかよぉ……」
 まだ大量に生き残っている怪物たちが、SPや技術官たちに襲いかかる。泣きじゃくる同僚、腰を抜かした上司、気絶している議員……この場にいる全員に、襲いかかっている。無論、フェイトにも。
「くそっ、俺1人の力じゃ……」
 全員を助ける事は出来ない。
 そんな絶望的な思いがフェイトを支配しかけた、その時。
 錬金生命体たちが、ことごとく倒れた。まるで糸の切れた人形のように。
『魂の連結が……切られた?』
 またしても、誰かが言った。
『へえ、君みたいな子がいるなんて……面白いねえ……』
 それきり、声は聞こえなくなった。
「助かった……ようだな……」
 技術官の1人が言った。あの実験で、フェイトの担当をした人物だ。
「原因は不明だが、オリジナルとの連結が切断された……フェイト君の力か?」
「俺は何もしてません。それより何です、オリジナルって」
 フェイトは詰め寄った。
「話して下さい。一体うちの組織は……虚無の境界から、何を接収したんですか」
「……人間、だよ」
 技術官は言った。
「人間のDNAとしか思えないものが組み込まれた、オリジナル……我々は、それを元に、有機的な操り人形を作っていたに過ぎない」
「そのオリジナルってのは?」
「本部ビルの奥深くに、保管されている。私も実は、直に見た事はないのだが」
 オリジナル。そう呼ばれる何かが、錬金生命体たちを操っている。ヴィクターチップをも無効にしてしまうほどの、強力な操縦。
 それが今、断ち切られた。魂の連結を切る。そう呼ぶにふさわしい切断。
 誰の仕業であるのかは考えるまでもない、とフェイトは思った。
 ほっそりとした少女の姿が、一瞬だけ見えたからだ。
 艶やかな黒髪が、ふわりと揺れた。
 アイスブルーの瞳が、一瞬だけフェイトを見つめた。
 そう思えた時には、少女の姿はすでに消えていた。

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深淵より来たる軍団

給料が、少しだけ上がった。
「口止め料、って奴なのかな……」
 自室のベッドに倒れ込みながら、フェイトは呻いた。
 割と良い部屋に住んでいる、と自分では思っている。日本ならば「マンション」と呼んでも良いくらいの一室だが、ここアメリカでは、集合型の賃貸住宅は「アパートメント」で一括りにされているようだ。
 とにかく久しぶりに、自分の部屋へ帰って来た。
 ここ数日間、激務が続いた。様々な州で、様々な敵と戦わされた。
 錬金生命体の事など、考えている余裕もなくなるほどの激戦が続いた。
「まさか……それが狙い、ってわけじゃあないと思いたいけどな……」
 呻きつつフェイトは、テレビのリモコンを手探りで捜した。
 錬金生命体をテレパスで制御する実験は結局、失敗に終わった。
 IO2上層部の思惑がどうあれ、失敗したのは自分自身である。何らかのペナルティを課せられたとしても、受け入れなければならない。
 フェイトは、そう思っていた。
 ペナルティと呼べるようなものは与えられなかった。その代わりに給料が少しだけ上がり、そして仕事が増えた。
 あの実験の事は、忘れて欲しい。最初から無かった事にして欲しい。
 上層部からの、そんなメッセージを、フェイトは勝手に感じ取ってしまったものだ。
 リモコンがようやく見つかったので、テレビを点けた。
 某国の、内戦の様子が映し出された。
 アメリカが、軍事介入するべきか否か。今や国内世論は真っ二つに割れている、とキャスターが語っている。
 画面が切り替わった。例の嫌日派議員が、積極的に介入すべし、と熱弁を振るっている。
 理性的に反対意見を述べている政治家や識者が、何人か映し出された。だが嫌日上院議員の積極的口上に比べると、いささか力強さに欠けると言わざるを得ない。
 軍事介入が、正式に決定したとしたら。
 そして、あの錬金生命体たちが、米軍の戦力として投入される事になったとしたら。
 例の実験に、自分が成功していたら。
「俺が……戦場で、あいつらを率いて戦う……なんて事に、なってたかも知れないのか」
 失われた面影が1つ、フェイトの脳裏に甦った。
 眼鏡をかけた、白人の青年。今でも微笑んでいる。
 テレパス系の能力に限って言えば、フェイトよりも格段に優れた同僚だった。
 彼ならば、あの実験を成功させていたかも知れない。
 そして、戦場に行かされていたかも知れない。
「俺がやって、失敗して……良かった……のかな……」
 テレビを点けっ放しのまま、フェイトは眠りに落ちていった。

 ここテネシー州は、とある組織の発祥の地である。
 その組織が今、復活しようとしていた。
「アメリカ……美しき純白の国……」
「その清き白さを穢す、黒に滅びを! 黄色に死を!」
 白いローブに、頭の尖った白覆面。
 そんな格好をした人々が、寂れた田舎町を占拠していた。
 白装束の、集団。あるいは軍団と呼ぶべきか。
 白さを讃え、黒や黄色を罵倒しながら、彼らは様々な銃火器を携え、行進している。小銃、拳銃、サブマシンガンにロケットランチャー、火炎放射器。その白装束も、恐らくは防弾仕様であろう。
「遠慮なく撃っちゃっても構わない、と。そういう事なんだよな?」
 建物の陰に潜んだままフェイトは、口元のインカムに話しかけた。
『生かして捕まえる必要もねえと、そう聞いてる……俺もな、はっきり言って、こいつらに手加減なんてさせられるかどうか』
 町の近くで待機している、IO2車両からの通信である。
 その車両内部では、あの日本帰りの同僚が、フェイトと同じく作戦開始の時を待っている。
 彼が「こいつら」と呼んだ者たちもまた、町のあちこちに身を潜めているはずであった。
 そんな事を知る由もなく白装束の軍団は、口々に呪いと排斥の言葉を吐きながら、行軍を続けている。
「黒に、滅びを……」
「黄色に死を!」
(……って事は、俺も駄目なのか)
 フェイトは、苦笑するしかなかった。
 この白装束の組織の、起源を知ろうと思うのならば、南北戦争時代まで遡らなければならなくなる。
 フェイトも、詳しい事は知らない。
 わかっているのは、ただ1つ。彼らの手にしている銃火器が、全て本物であるという事だ。
『使う気満々、って事だな……』
 同僚が言った。
『日本でさ、ヘイトスピーチって奴が問題になったよな……けど俺らアメリカ人に言わせりゃ、あんなの全然甘っちょろいぜ。何しろスピーチじゃ済まねえからな、この連中は』
 黒に滅びを、黄色に死を。
 その言葉通りの事を、この白装束たちは実行しようとしている。否、すでにこの町で実行している。
「町の人たちの避難は?」
『完了してる……生き残ってる人たちはな』
 生き残る事が出来なかった人々も、いるという事だ。
 白装束たちの中には、点々と赤黒い汚れを帯びている者もいる。返り血、である。
 町の住民から、人死にが出ている。
 全て、有色人種の人々であるという。
『こいつらだけは許せねえ……アメリカの、恥さらしだ』
 この同僚が、ここまで怒りを露わにするのは珍しい。
『このクソどもに比べりゃ、虚無の境界の方が100倍ましだぜ。俺は、手加減なんかさせるつもりねえからな。お前も本気で戦えよ、フェイト……じゃねえと冗談抜きで、殺されるぞ』
「わかってる……」
 この白い軍団を、町から1歩も外に出してはならない。たとえ、命を奪う事になってもだ。
 今更、躊躇う資格など自分にはない。
 己に言い聞かせながらフェイトは、建物の陰から飛び出した。
 白装束の行軍、その真っただ中に着地する。
「むっ、何だこいつは……」
「黄色だ! 東洋の猿だ!」
「汚らわしいモンゴロイドが、この国で息をするなッ!」
「戦争で負けたくせに!」
 拳銃が、小銃が、その他様々な銃器が、一斉にフェイトに向けられ、火を噴いた。
 同士討ちも辞さない、凶暴な銃撃だった。
 剥き出しの敵意が、全方向から伝わって来る。それを分析すれば、火線を見切るのは難しい事ではない。
 フェイトは身を翻した。その背中や脇腹をかすめるように、銃弾の嵐が吹き荒れる。
 紙一重の回避を披露しながら、フェイトは引き金を引いた。左右2丁の拳銃。両の銃口が、爆炎のようなマズルフラッシュを輝かせる。
 爆発が、フェイトの周囲を薙ぎ払っていた。
 爆薬弾頭。チベットで知り合った某友人から、贈られたものである。
 防弾仕様の白装束をまとった男たちが、物のように吹っ飛んで建物や路面に激突した。そして動かなくなる。
「殺した……のか? 俺……」
 殺人を躊躇う資格など自分にはない、などと覚悟を決めたつもりでも、ついそんな事を呻いてしまう。
 致命的な隙であった。
 まだ大量に残っている白装束の男たちが、もはや表記不能な憎悪の絶叫を吐き出しながら、フェイトに銃口を向ける。
 そうしながらも引き金を引く事なく、倒れてゆく。
 何かの群れが、彼らに襲いかかっていた。凶暴な猿を思わせる、超高速の襲撃。
 それらは一見、人間のようではある。迷彩の戦闘服に身を包んだ、特殊部隊のような男たち。顔には昆虫を思わせる仮面が貼り付き、複眼にも似たゴーグルを冷たく輝かせている。
 そんな兵士たちが、白装束の男たちを、叩きのめし、へし曲げ、引き裂いてゆく。徒手空拳でだ。
 明らかに、性能が上がっている。
 慄然と、フェイトはそう感じた。
『ヴィクターチップの調子は上々だぜ……俺も、ここまで絶好調だとは思わなかったけどな』
 車両の中から彼らを機械制御しながら、同僚がいささか興奮している。
『手加減の機能なんて、こいつら最初っから付いてねえや……』
「……助かったよ」
『しょうがねえよフェイト。手ぇ汚すのは……こいつらに、任しとこうぜ』
 同僚が、車両内でいかなる操縦を行っているのかは、よくわからない。
 とにかく仮面の兵士たち……ヴィクターチップを埋め込まれた錬金生命体の軍団は、白装束の群れを、片っ端から粉砕してゆく。拳で、手刀で、蹴りで、様々な技を繰り出しながら。
『おりゃ、竜巻昇竜波動コマンド! 乱舞とか出来ねえのかな、こいつら』
「実験はようやく成功、ってわけだな……あんまり遊ぶなよ」
 そんな事しか言えぬままフェイトは、一方的な戦いの有り様を、半ば呆然と見物した。
 失敗に終わってしまった実験が、どうしても脳裏に甦ってしまう。暗黒の海、その中に潜む怪物。
 あの醜悪なるものの分身とも言うべき仮面の兵団が、人種差別主義者の人間たちを、ことごとく始末してゆく。
 どちらが、より忌むべき存在であるのか、フェイトにはわからなかった。

カテゴリー: 02フェイト, season2(小湊WR), 小湊拓也WR(フェイト編) |

暗黒の海の底に

あまり詳しくない日本神話を、フェイトは思い出していた。
 創世の神であるイザナギ・イザナミ夫妻の最初の子は、ヒルコという出来損ないの怪物で、出来損ないゆえに捨てられてしまったのだと言う。
 この夫婦神の身勝手さに比べれば、IO2の所業は、いくらかはマシであるのか。自分らが生み出してしまった出来損ないの怪物たちを、廃棄処分せず、どうにか活用しようと懸命に知恵を絞っているのだから。
 フェイトは、そう思わない事もなかった。
 だから、というわけでもないが即答した。
「やります。上手く出来るかどうか、ちょっと自信ありませんけど」
「まあ我々も、君1人に過度の期待を抱いているわけではない。無理をせず、気負わずに、やってくれたまえ」
 数日前「君に話す事は何もない」などと言っていた上司が、そんな事を言っていた。
 虚無の境界から接収した、錬金術関連の技術。それを用いてIO2が開発した、ホムンクルスの応用品……錬金生命体、と呼ばれている人造の怪物たち。
 彼らを制御する技術の開発が、どうやら難航しているようであった。
 そこでIO2上層部が、フェイトに協力を求めてきたのである。
 思念能力者のテレパスで、錬金生命体の脳を支配し、これを自在に操る実験。
 実戦投入、だけではない。明らかに軍事転用を視界に入れての実験である。
 そんな実験にフェイトが協力をする気になったのは、錬金生命体が、すでに存在している怪物たちであるからだ。
(ここで非協力的になるくらいなら……こいつらが作られる前に、もっと本腰入れて反対するべきだよな)
 思いつつフェイトは、研究施設内を見回した。
 柱状のカプセルが無数、まるで墓石の如く立ち並んでいる。
 それらの内部では、様々な姿をした怪物たちが培養液に漬けられ、目覚めの時を待っている。
 錬金生命体の群れ。
 この生き物たちの開発・実用化は、IO2が組織として決定してしまったものなのだ。末端のエージェントが、どう非協力的になろうが今更、覆るものではない。
 ならば、とフェイトは思う。自分がこの実験に協力し、開発に介入する事で、錬金生命体の軍事転用などという事態は防げるかも知れないのだ。
「この実験が上手くゆけば、彼ら全員が君の思い通りに動くようになる……君1人の、兵隊だ」
 白衣を着たIO2技術官の1人が、そんな事を言いながら、フェイトの頭に機械の塊をかぶせた。
 カプセル内の怪物たちに思念を送り込むための、テレパス増幅装置である。
「IO2を、乗っ取る事も滅ぼす事も不可能ではないよ」
「……もちろん冗談で言ってるんですよね?」
 言いつつフェイトは、かつて同じようなものをかぶせられた事がある、と思い出していた。
 思い出したくもない記憶が、否応無しに甦って来る。幼い頃の、実験動物として扱われた日々。
 思い出したくもない、だがフェイトがこの先一生、抱えてゆかねばならない記憶でもある。
(過去から逃げる事なんて、出来ないんだよな……)
「君でなくとも誰かがそうするかも知れない、という事だよ」
 技術官が言った。
「虚無の境界の技術で戦力増強を図るなど、我々は反対だった。が、作り上げてしまった怪物は安全に制御しなければならない。嫌であろうが協力を頼むよ、フェイト君」
「出来る限りの事はしますよ。テレパス系は苦手なんで、あんまり自信はありませんが」
 拘束台のような椅子に腰を下ろしたまま、フェイトは答えた。
 そして目を閉じる。
 ヘルメット状のテレパス増幅装置が、音もなく起動した。
 フェイトは念じた。テレパシーによる、錬金生命体たちとの思念接触。
 自分の意識が、海のように広がってゆくのを、フェイトは感じた。
 思念の海。その真ん中に今、フェイトはいる。漂っている。
 暗い。そして何もない。
(これが……あんたたちの意識の中、なのか……?)
 錬金生命体に、フェイトは問いかけてみた。
 返答はない。
 この生き物たちに、そもそも会話を出来るような意識があるのかどうか、それもわかってはいないのだ。
 ないのであれば、フェイトの思念を疑似複製して植え付ける事が、この増幅装置があれば不可能ではない。
 ……否。何もないわけではない事を、フェイトはぼんやりと感じ始めていた。
 何もないと思えるほどの、圧倒的な闇。
 何もないのではなく、闇が在る。
 その暗黒が、周囲に広がる思念の海に溶け込んでゆく。
 フェイトの意識の海が、闇に侵蝕されてゆく。
 暗黒の海が、そこに出現していた。
 その暗い水中で、大量の何かが凶暴にうねっている。海蛇か、あるいは蛸の足か。
 それらが、一斉に襲いかかって来る。
 悲鳴を上げる暇もなく、フェイトは口を塞がれていた。
 海蛇あるいは蛸足のようなものが、唇と上下の歯を一緒くたに押し開け、舌と喉を圧迫する。
 凶暴にうねるものたちが、手足に、全身に、絡み付いて来る。
 暗黒の海の底に、フェイトは引きずり込まれて行った。

 海の底から、いきなり浮上したような気分だった。
「あ……目ぇ開きましたよ、教官」
 同僚の1人が、そんな事を言いながら、フェイトの顔を覗き込んでくる。昨日、いろいろと偏った日本土産を持って来てくれた同僚である。
 病室だった。
 同僚の他にもう1人、見舞客が来てくれていた。筋骨たくましい、黒人男性。
「教官……」
「おう、記憶は大丈夫だな」
 教官が、気遣わしげな言葉と視線を向けてくる。
 ベッドの上で、フェイトは弱々しく上体を起こした。
 何故、自分がこんな所にいるのかは、考えるまでもない。
「俺……失敗した、みたいですね……」
「気にするな。もともと、くだらねえ実験だったんだ」
 牙を剥くように、教官は言った。
「上の連中も、あんな出来損ないどもを実戦投入たあ……よっぽど俺たちに給料払いたくねえと見えるな」
 出来損ないの怪物。フェイトも最初は、そう思っていた。
 出来損ないであるはずの彼らの、意識の奥底に、しかし本物の怪物が潜んでいる。
 それがフェイトを、暗黒の中へと引きずり込んだ。
 完全に引きずり込まれてしまう前に、あの技術官たちが実験を中止してくれたのだろう。
(あれは……一体……)
 醜悪な錬金生命体たちの、在るか無きかの精神の中に、彼らの外見を遥かに上回る程おぞましい何かが潜んでいる。
 あれの正体を解明出来ない限り、錬金生命体をテレパスで制御するなど不可能であろう。
「少なくとも、俺には無理……」
「だから気にするなって、フェイト」
 同僚が言った。
「あのバケモノどもは結局、頭の中に機械埋め込んで操作する事に決まったらしいぜ。コストはかかるけどな」
 人間のエージェントに給料を払うよりは安上がり、という事になるのだろうか。
『第二次世界大戦を終結に導いたのも、アメリカの力です!』
 勇壮な演説が聞こえた。
 テレビが、点けっぱなしになっていた。
 嫌日派の大物として知られる、かの上院議員が、画面の中で熱弁を振るっている。
『我が国には、力があるのです! 地球上全ての紛争を終わらせる力が、そして平和と希望をもたらす力が! 親愛なる合衆国国民の皆さん、軍事力を持つ事は恥ではありません。力があってこそ、あらゆる戦争を止める事が出来るのです。未然に防ぐ事が出来るのです。アメリカは世界で唯一、それが出来る国なのです!』
「世の中、行き詰まってくるとさ。どこの国でも大抵みんな、愛国に走るよな」
 同僚が、冷めた声を発した。
「ネトウヨって連中いるよな? 日本に。俺あいつらの事バカにしてたけど……アメリカにも、こんなのがいるんじゃなあ。偉そうな事、言えねえよなあ」
「こんなのでも一応、うちの組織と繋がりのあるお偉い様だ。そうやって陰口きくだけにしておけ」
 教官が言った。視線は、フェイトに向けられている。
「陰口たたく、以上の事をやらかすなら……一声かけろよフェイト、俺にな」
「何にもやりませんよ」
 フェイトは苦笑しつつ、無言で付け加えた。
(……やるにしたって、新婚の人を巻き込めるわけないでしょう)
「オンタリオ湖の近くに、工場が建ったらしい。この議員さんが流してくれた、お金でな」
 テレビの中では、反戦・平和系の市民団体が、議員に対する抗議デモを行っている。
 それを眺めつつ、同僚が言う。
「頭にヴィクターチップ埋め込まれたバケモノが、そこで大量生産されてるって話だ。世界警察、復活の日は近いって感じかな」
 ヴィクターチップ。それが錬金生命体たちの頭に埋め込まれるという、制御用機器の名称なのだろう。
「ヴィクターってのは……誰かの名前?」
「あれだよ。世界で初めて、人造人間の開発に成功した博士。バケモノ製造の大先輩。読んだ事あるだろ?」
 言われて、フェイトは思い出した。
 あの博士は結局、自身が作り出した怪物を制御出来ず、背かれて死んだはずだ。
「ヴィクター・フランケンシュタインか……」 

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