世界警察、復活へ

受け身の練習というものは、簡単に見えて難しい。数ある武術の修練の中でも、特に困難を極めるのではないかと思えるほどだ。
 敵に投げ飛ばされた、あるいは吹っ飛ばされた状況を想定し、自ら床に転がってダメージを軽減する。
 この自ら転がる、という行動が厄介なのだ。
 大抵の人間は、本能的に、無意識に、痛みの少ない転がり方をしてしまう。
 だが実戦においては、痛みのない転がり方を自分で選ぶ事など出来はしない。
 敵の攻撃、衝撃、爆風……そういったものは、突然来る。受け身を取るための心の準備など、している暇はない。
 そういったものを頭の中で想定し、想定通りに身体を床に投げ出すのは、至難の業だ。
 効果的な受け身の練習をするには、想定外の攻撃を本当に喰らってみるのが、最も理想的とは言える。
 それには協力者が必要だ。が、今この練成場にいるのはフェイト1人である。
 自分で自分に、想定外の攻撃を喰らわせるしかない。
 フェイトは目を閉じた。
 その瞬間、周囲の風景が、無人の戦闘実技練成場内ではなく、ニューヨークの街並に変わった。
 その街の中で、爆発が起こった。
 様々な破片の混じった爆風が、フェイトを襲う。
 敵と精神を共有し、幻覚を見せる、サイコネクション能力。それを自身に応用したのだ。
 爆発の幻覚に騙された脳が、肉体に指示を下す。爆風を受けた、それに備えるように、と。
 結果、フェイトの身体は本当に吹っ飛んでいた。
「くっ……!」
 存在しないはずの爆風の中、フェイトは頭を抱えるように身を丸めた。後頭部だけは、何としても守らなければならない。
 背中から、床に激突した。衝撃で一瞬、呼吸が止まった。
 止まった呼吸を、ぜいぜいと回復させながら、フェイトは呻いた。
「駄目だな、俺……まだ自分を庇ってる」
 本物の爆風は、こんなものではない。
 道着を直しながら、フェイトは息をついた。
 とにかく、強くなる必要がある。下手をすると、IO2上層部を敵に回す事になるかも知れないのだ。
 虚無の境界よりホムンクルス関係の技術を接収したIO2が、それを応用して作り上げた錬金生命体。
 エージェントの戦闘訓練に使われている、あの怪物たちが、訓練以外の目的で使用されている。あるいは、使用を検討されている。
 例えば実戦投入。
 確かに、人間のエージェントに給料を払い続けるより安上がりである、とは言える。
 自分たちが現場で、作り物の怪物などには出来ない仕事をし続ければ、大した問題にはならない。フェイトは、そう思う。
 問題は、数日前のオンタリオ湖畔での出来事のように、一般人が危険に晒される事態がこれからも起こり得る、という事である。
 IO2が何らかの目的で作り上げた錬金生命体が、脱走あるいは暴走し、人々に危害を加える。
 そういった事が今頃、フェイトの知らぬ所で起こっていないとも限らないのだ。
 錬金生命体に関する全てを、探って調べ上げなければならない。が、フェイト1人の力では限界がある。
 IO2本部ビル中枢への、テレポートによる侵入。それを試みようかとも思ったが、断念した。
 本部中枢へは、幹部職員以外の立ち入りが禁止されている。無論フェイトも入った事はない。どのような内部構造になっているのか、全く知らない。
 行き先を想定出来ないテレポートは、危険なのだ。
「どっかのロープレじゃないけど……いしのなかにいる、なんて事にもなりかねないしな」
 それにテレポートは、尋常ではない量の気力と体力を消耗する。行き先で戦闘状態に陥る可能性を考えれば、おいそれと使える手段ではなかった。
「結局、俺1人じゃ何も……」
「いよう。1人で頑張ってるなあ、フェイト」
 何者かが、練成場に踏み入って来た。
 同僚の1人である。休暇を使って、日本へ遊びに行っていたはずだ。
 何やらいろいろと入った重そうな紙袋を、携えている。萌え絵柄の美少女が描かれた紙袋だ。
 休暇明けの、久しぶりに会う同僚に、フェイトは思わず挨拶ではない言葉を投げていた。
「おい、まさか……それ持って飛行機に乗って来たわけじゃないよな」
「乗って来たが、何か問題でも?」
 満面に笑みを浮かべて、同僚が言う。してやったり、といった表情である。
「……空港で、引っかかったんじゃないのか?」
「IO2のライセンス見せれば即パスよ。俺、税関に勝利したぜー」
 同僚のガッツポーズを見せられながら、フェイトは頭痛を覚えた。
 この組織にも色々な人材がいる、と思うしかなかった。
「というわけでお土産だよフェイト君。日本が世界に誇る文化の極み、ドージンシだぜ」
「誇ってない! 極めてもいない!」
「いやいや誇るべきだよ。俺、アキバへ行く度に思うんだよね。日本は、アメリカなんかよりずっと自由の国だって」
 言いつつ同僚が、男性向けの二次創作物を紙袋から大量に取り出し、フェイトに押し付けて来る。
「ほらほら、こんなのアメリカで出したら大変な事になるぞー」
「……持ってるだけでヤバいんじゃないのか? これ」
「なあに、資料で通るさ。いいから好きなの選べよ。ああ、ちなみにこの抱き枕カバーはやらないからなっ」
「そう言いながら広げて見せるなよ! いいからしまえ、片付けろ。誰か来る前に」
 こんな男でも、コードネームを持つエージェントである。
 もっとも、前線勤務のフェイトとは活躍の場が異なる。
 これまで虚無の境界他、数々の反社会的組織をハッキングして、彼らの悪しき計画を暴き立ててきた男だ。
 暴き立てられたものを潰すのは無論、フェイトたち戦闘要員の役目である。だが、この同僚のような人材がいなければ、潰す相手がどこにいるのかもわからないのだ。
 フェイト1人では、何かを調べるのにも限界がある。だが、この男の協力を得る事が出来れば。
 そう思いながらフェイトは、日本からの土産を1冊、手に取った。
 その表紙では、どこかで見たような美少女キャラクターが、触手を生やした怪物に襲われている。
「……こういう化け物が最近、うちの組織で大量生産されているよな」
「おお、されてるされてる。もっと触手ぬるぬるなヤツを作りゃいいのになあ」
「作ってどうするんだよ。この本じゃないけどさ、実際に人を襲うような事がこれから増えてくかも知れないんだぞ」
「あいつらが実戦投入されれば、お前ら戦闘要員も少し楽になるんじゃないか……とか、俺も最初は思ってたけどな」
 同僚が、少しだけ真面目な顔をした。そして声を潜めた。
「……例の議員さん、いるだろ? あの日本嫌いの」
「御子息に会った。お前によく似た奴だったよ」
「て事は、親父と違って親日派なわけだな。ただその親父の方がなあ……うちの組織に、ちょっと黒っぽいお金を流してくれてるらしい」
「そのお金で、何かしろと?」
「例の怪物どもを、もっとましな兵隊に仕上げて大量に作れと。そう言ってきてるらしい」
 政治家が資金を動かし、IO2に錬金生命体を開発させている。
 錬金生命体の開発に、国家権力が関わっている。
 この組織の上層部が、あの怪物たちの実戦投入を企んでいる……などという生易しい問題ではない、とフェイトは気付いた。
「軍事転用……」
 IO2の仕事に用いられる、だけではない。
 あの錬金生命体たちが、アメリカという国家の軍事力として使われようとしている。
「確かにな。上手くやりゃあ、給料のいらない兵隊を大量生産出来るわけだからな」
 同僚が言った。
「あの議員さんが、真珠湾のリベンジをやらかそうとしてる……そんな話も聞こえて来るんだ、これが」
「お前が集めた情報なら、間違いなさそうだな」
「噂だよ、単なる噂……ま、あんな出来損ないの化け物どもが日本に攻め込んだって、大した事ないとは思うけどな。フェイトみたいな奴、日本にだって大勢いるんだろ?」
「……まあ、ね」
 あの錬金生命体を問題なく倒せる力を持った者なら、フェイトの知り合いにも何人かいる。
「あー、でも触手だよ触手。こーいう奴らによぉフェイト、お前が襲われたりしたら、喜ぶ女大勢いるぜえIO2にも」
 同僚が再び、世迷い言を言い始めた。
「うちの組織にも腐が多いからなあ。ほんとリアルの女ってやだやだ……で、でもよぉフェイト。あの花嫁衣装の上から、お前の身体に触手がこうヌルヌルって、あぁん俺もちょっと興奮」
「組手やるぞ、組手」
 フェイトは同僚の身体を折り畳み、様々な関節を極め上げ、黙らせた。
「お、俺は戦闘要員じゃないからこんな訓練は必要ない、ぎゃああああああああ!」
 政府が関わっているとなれば、自分が勝手に動いていろいろ調べ上げるのは、控えた方がいいだろう。
 無論この同僚を巻き込むわけにもいかない。
 練成場に響き渡る悲鳴を聞きながら、フェイトはそう思った。

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凍り付いた闇

空になったシチュー皿に、フェイトはスプーンを放り込んだ。意外に大きな音が響いた。
「ごちそう様……美味いかどうかは微妙だけど、まあ腹は膨れたよ」
「お食事が不味くなるような話、しちゃったかしらね」
 人形のような美貌に、アデドラは有るか無きかの表情を浮かべた。微笑み、であろうか。
「いろんな奴が……いるんだよな、あんたの中には」
 アデドラの古傷を抉るような話になる、のを承知の上で、フェイトは訊いてみた。
「このアメリカって国を憎んでるのは、あんたじゃなくて、そいつらじゃないのか? だとしたら」
「あたしが、その連中の憎しみに引きずられてるだけ?」
 アイスブルーの瞳が、フェイトの心を見透かした。
「もう少し、自分を大切にして生きろと。そう言ってくれてるわけね」
「ま、まあ、そうかな」
 フェイトは咳払いをした。
 アデドラの中では、『賢者の石』の材料にされた大勢の人間が、常に悲鳴を上げ続けている。
「あたしは、この連中に生かされてるようなもの……」
 あまり豊かではない胸に片手を当てながら、アデドラは言った。
「あたしの、どこまでがアデドラ・ドールで、どこからがこの連中なのか……あたし自身にも正直、わかってないのよね。自分を大切にしたくても、どこからどこまでが自分なのか」
「軽々しく同情するような事……言うべきじゃないってのは、わかってるよ」
「同情してくれるのは一向に構わないわ。別に、被害者ぶるつもりはないから」
 アイスブルーの瞳が、じっとフェイトを見つめた。
「あたしは、人の魂を喰らう化け物……被害者って言うよりは、加害者よ。化け物として、あたしを退治しようとする人たちもいたわ」
 その人々がどのような目に遭ったのかは、考えるまでもない。
「残念ながら、あたしを殺してくれるような人はいなかったけど」
「……殺されたい、とか思ってるのか?」
 無意味な質問を、フェイトは口にした。
 アデドラが頷いたら、自分はどうするのか。彼女の命を奪う事など、出来るのか。
 この少女は、もしかしたら己の死に場所を探し求めているのかも知れない。そんな根拠のない思いが突然、フェイトの胸中に生じた。
「あたしの中で渦巻いてるのは、むしろ生きたいという願いだけ」
 アデドラは言った。
「みんな、生きたいと願いながら死んでいった……この連中の願いを、あたしは叶えてやらなきゃいけない? のかしらね」
 皆の分まで、生きるべきだ。
 などと、無責任に答えられる問いではなかった。

 サマーキャンプ最終日である。
 後片付けもあらかた終わったところで、1つ問題が生じた。
「生徒が何人か、後片付けをさぼってどこかへ行ったきり、帰って来てないんです」
 ボランティアスタッフの1人が、おろおろと言った。いくらか太り気味の、白人女性である。
「もう、あの子たちは問題ばかり起こして……」
「えーと、ちなみに誰と誰ですか?」
 フェイトは訊いてみた。女性が、いくつか名を挙げた。
 思った通りの連中である。嫌日で有名な上院議員の息子と、その取り巻きの不良少年たち。
「俺が捜してきます。まあ心配する事ないと思いますよ……あいつらが何やってるのか、だいたい想像つきますから」
 どうせ、どこかで自分を陥れるための悪だくみでもしているのだろう。
 そう思いながら捜しに出るフェイトを、アデドラがじっと見つめていた。

「ほらあ、もっと深く掘るんだよおお。あいつが上がって来れないくらいにさあ」
 豚のような少年が、指図をしている。
 指図を受けた不良少年たちが、ひたすら穴を掘っている。落とし穴である。
「……こんなのに引っかかんのかよ、あいつが」
 ざくざくとスコップを使いながら、不良少年たちがぼやいた。
 あいつ、というのはアデドラ・ドールが連れて来た日本人の事である。
「落とし穴はねえだろうよ、落とし穴は」
「まあそう言うなって。微笑ましいじゃねえか。あの坊ちゃまの、こうゆうとこ俺は嫌いじゃねえぜ」
 そんな事を言いながら落とし穴を掘り続ける彼らに、足音が近付いて来る。
 ボランティアスタッフの誰かが、自分らを連れ戻しに来たのか。
 少年たちは一瞬そう思ったが、しかし今回のサマーキャンプのスタッフに、こんな男はいない。
 恐らくは男であろう。ボロ布をまとった、浮浪者と思われる男である。
「何だ、てめえ……」
 少年の1人が、男に拳銃を向けた。
 銃口を恐れた様子もなく、男が歩み寄って来る。
 少年たちは、おかしな事に気付いた。
 この男の全身にまとわりついた、ボロ布のようなもの。それは実はボロ布ではなく、全身から剥がれて垂れ下がった皮膚なのではないか。
 剥離しかけた皮膚の内側で、肉が蠢いている。
 そして寄生虫が溢れ出したかの如く膨張して伸び、牙を剥き、ギシャアアアアアッ! と奇声を発した。

 銃声が聞こえた。
 誰かが、ひたすら引き金を引いている。殺意、と言うより恐怖に駆られ、拳銃をぶっ放している。
 フェイトは走った。
 少し走っただけで、その現場は視界に入った。
 少年たちが、泣き喚きながら発砲している。弾切れに気付かず、引き金を引いている者もいる。
 銃弾の豪雨を撃ち込まれているのは、辛うじて人の体型を保った、だが明らかに人間ではない生き物だった。凶暴な寄生虫のようなものを全身から生やした、おぞましい人型の肉塊。
 そんな怪物が、銃撃を浴びながら身を震わせている。突き刺さっていた無数の銃弾が、こぼれ落ちる。
 怪物が、全身から奇声を放った。寄生虫のようなものたちが牙を剥き、伸びうねり、少年たちを襲おうとする。
「逃げろ!」
 叫びながら、フェイトは場に駆け込んだ。
 駆け込んできた若者に、怪物が注意を向けた。その全身から生えた寄生虫あるいは深海魚のような肉塊たちが、フェイトに向かってギシャアッ! と凶暴に唸る。
「こいつ……!」
 同じような生き物を見た事がある、とフェイトは感じた。無論、異形の怪物など見慣れているのだが。
 拳銃は、持って来ていない。仕事ではないからだ。アメリカ人のように、銃器を肌身離さず携行するような習慣が、なかなか持てずにいる。
 少年たちが、フェイトの言葉に従って逃げ出した。
 いや1人だけ、逃げる事も出来ず尻餅をついている少年がいる。
「ひぃい……あぅわわわわ……」
 議員の息子。豚のような身体で座り込み、腰を抜かしている。
 そこへ、深海魚のような肉塊の群れが襲いかかった。
 まさに豚のような悲鳴を上げる少年の眼前に、フェイトは飛び込んで立ち塞がった。そして防御の形に両腕を掲げる。
 その両腕に、牙ある肉塊たちが食らいついて来る。
「ぐっ……!」
 激痛の悲鳴を、フェイトは噛み殺した。
 そうしながら、攻撃を念じた。怪物を睨む瞳が、翡翠色に激しく輝く。
 念動力が、目に見えぬ剣となって迸った。
 怪物が、ズタズタに裂けてちぎれて飛び散った。
 原型を失った屍が、あちこちに飛散しながら干涸び、ひび割れ、崩れてゆく。
「この……死に方……!」
 フェイトは呻いた。
 怪物は消え失せても、与えられた傷が消え失せるわけではない。両腕は血まみれで、激痛が熱を持って疼いている。
 フェイトは片膝をついた。傷の痛みよりも、気力の消耗の方が激しい。
 が、そんなものはどうでも良かった。
 議員の息子が、半ば失神しながら、うわ言を呟いている。それも、どうでも良かった。
 今の怪物が、何者であったのか。どこで生み出された存在であるのか。
 自分は恐らく知っている、とフェイトは思った。
「……いや、思い過ごしだ。そんなわけはない……あるもんかよ……っ」
「最悪の予想って案外、当たるものよ」
 ぞっとするほど涼やかな声が、耳を撫でる。ほっそりと綺麗な五指が、肩の辺りに触れてくる。
 両腕から痛みが失せてゆくのを、フェイトは感じた。
「アデドラ……」
「貴方にもらった生命力、少しだけ返してあげたわ。別に恩を着せる事じゃないけれど」
 いつの間にかそこに立っていた少女が、干涸びた怪物の肉片が散る様を、ちらりと見渡す。
「あたしの、弟みたいなもの……かしらね」
「だから、そんなわけないって……」
 呻きながらフェイトは、拳を握り、開いた。指は、問題なく動く。腕の傷が、完全に癒えている。
「……助かったよ、ありがとう」
「お礼を言わなきゃいけないのは、貴方よ」
 アイスブルーの瞳が、議員の息子に向けられる。
「フェイトに、ありがとうは……?」
「いいって」
 半ば失神している少年を庇うように、フェイトは言った。
 アデドラの両眼が、いささか剣呑なほど冷たい光を湛えている。まさに氷を思わせる、アイスブルーだ。
「あたし……やっぱり、この国の人間は好きになれない」
 その瞳が、ちらりとフェイトに向けられる。
「貴方の国に、行ってみたいわ」
「日本だって、大して違いはないよ。嫌な奴は、どこの国にもいる」
 言いつつも、フェイトは思う。アデドラがこの国を好きになれない理由。それは嫌な人間がいるから、ではないだろう。そんな軽いものではない。
 このアメリカという国に対する、憎しみよりも重く暗い感情。それがアイスブルーの瞳の奥で、冷たく凍り付きながらも溶ける事なく存在し続けているのを、フェイトは見て取った。
「あたし言ったわよね、フェイト……いつか貴方が自分の化け物を持て余した時、その時は、あたしが貴方を食べてあげるって」
 アデドラが言う。フェイトは、応えない。
「化け物を持て余すのは、あたしの方だったりしてね……もし、そうなったら?」
「俺が……」
 そこで、フェイトの言葉は詰まった。
 生きた「賢者の石」である少女を、死なせる事など出来るのか。
 いや。それ以前に、彼女と戦う事が自分に出来るのか。
 答えを促そうとはせずアデドラは、ふわりと背を向けた。
「戻りましょう。みんな、待ってるわよ」

「休暇終了の報告まで、わざわざ届けに来る事はないんだぞ」
 IO2の上司が、微笑みを浮かべて言った。機械のような微笑だ、とフェイトは感じた。
「報告じゃありませんよ。確認したい事がありましてね……何日か前、オンタリオ湖の近くで、IO2関係の車両がちょっとした事故を起こしたそうですね」
「何の話かな」
「ハッキングの類は、あんまり得意じゃないですけどね。隠蔽された情報を拾うくらいの事は出来ますよ」
 機械的な笑顔をじっと見据えたまま、フェイトは言った。
「一体何を運んでいた車両なのか、そこまでは調べられませんでした……何を、運んでたんですか」
「さて、君が何を言っているのかわからんな」
「俺たちの訓練に使われてる、あの作り物の怪物……あいつら、ちゃんと管理出来てるんでしょうね」
 テレパスで、この上司の頭の中を無理矢理に覗き込む。その衝動に、フェイトは懸命に耐えなければならなかった。
「……一般市民に、被害が及ぶところだったんですよ」
「休暇中に君が何を見聞きしたのであろうが、それは休暇中の出来事。IO2の任務に、関わりのある事ではない」
 機械のように、上司は言った。
「君に話す事は、何もない。君も、余計な事は話さないように」
「……失礼します」
 フェイトは背を向け、部屋を出た。
 上司の頭を覗いてみるまでもない。IO2上層部が、若干の腐臭が漂う暗黒を孕んでいる事は、今の会話だけで充分に理解出来た。
 虚無の境界より接収した技術で生み出された、ホムンクルスの応用品。
 あの怪物たちが、エージェントの戦闘訓練のみならず、実戦投入まで検討されているとしたら。
 実際、アデドラ・ドールのような相手もいる。IO2上層部は、彼女を危険視している。
 だが、とフェイトは思う。
「あんなもので、アデドラに勝てるわけないだろ……」
 もし、IO2の任務として彼女と戦わねばならなくなったら。
 それをフェイトは、考えない事にした。今から考えて、どうにかなる事ではないからだ。

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湖畔にて

「貴方、テントの張り方うまいねえ」
 ボランティアスタッフの1人が、声をかけてきた。いくらか年配の、白人男性である。
 他にも大勢の人々が、テントの設営やバーベキューの準備を、やけに楽しそうにこなしている。
 フェイトも今、そこに加わって黙々と作業を進めているところであった。
「キャンプ、慣れているの?」
「ええ、まあ……職業柄、と言いますか」
 フェイトは曖昧な答え方をした。
 IO2の訓練で、アウトドア系の技術は一通り叩き込まれている。テントの張り方、ロープやナイフの使い方、食料の確保手段その他諸々。
 もっとも実戦においては、のんびりとテントを張っていられる状況など、それほど多くはない。
 この間の仕事では、チベットの土漠でジープが立ち往生し、運転席で毛布にくるまって眠る羽目になったものだ。
「それにしても……随分と大勢の人が、来てるんですね」
 フェイトは尋ねてみた。
「皆さん、ボランティアの方ですか?」
「ええ。子供たちの役に立てるのは、良い事ですから」
 白人男性が、にこやかに答える。
 ハイスクールに通う年齢であれば、もう子供とは言えないだろう。
 テントの屋根を、支柱もろとも持ち上げて固定しながら、フェイトはそう思った。腕力だけでなく、手際の良さが必要となる作業だ。
 こういう作業も生徒たち自身にやらせるのが、サマーキャンプの意義ではないのか、とも思わない事はない。
 その生徒たちは、まるで海水浴場のような湖畔で、水着姿ではしゃいでいる。
 遥か彼方、海原のような水平線を、フェイトはじっと見やった。
 海ではない。これでも湖なのだ。
 オンタリオ湖。その面積は、四国とほぼ同等であるらしい。
 とあるハイスクールが、この湖畔でサマーキャンプを実施していた。
 高校生である。こういう時に羽目を外す者が多いのは、日米共通と言える。
「おーい、そこ! 何やってるんだ」
 フェイトは声をかけた。何名かの生徒が、近くを通り掛かったところである。
 男子生徒2人、女子生徒3人。男子の片方が、歩きながら煙草をくわえ、火を点けようとしている。
 フェイトはつかつかと歩み寄り、タバコとライターを取り上げた。
「アメリカじゃ未成年の喫煙が認められてるのか? そうじゃないだろ」
「な、何だよ日本人。自分だって未成年のくせによ、偉そうに……」
「あれー、知らないのォ? この人、アディのお兄さんで20歳超えちゃってるんだよお」
 女子生徒の1人が言った。
「お兄さん、ってワケじゃないんだっけ? とにかく、あの子の……えっと、お兄さんじゃなけりゃ何?」
「何なに、あいつ男連れでキャンプになんか来てるのぉ? やるじゃない」
 際どい水着姿の女子生徒3名が、フェイトに群がった。
「ね、ね、あの子とどーゆう関係?」
「関係ないんなら、あたしらと一緒に泳ごうよぉ」
「だ、駄目だって。仕事中なんだから」
 やんわりと彼女たちを振りほどきながら、フェイトは思う。
 あの少女も、アディなどという愛称を付けられ、友達に恵まれた学校生活を送っているのであろうか。
「あいつぅ、名前通りお人形みたいなくせに油断出来ないじゃないの、こんな可愛い彼氏さりげなく連れて来るなんて」
「ねえ日本人のお兄さん? どこがいいのよう、あんな無愛想で付き合い悪い奴の」
「でも話してみると、けっこう面白いわよ。あの子」
 アデドラと、仲良くしてやって欲しい。
 そんな保護者のような事を、フェイトはつい言ってしまいそうになった。

「仲良くしてもらってる……とは言わないよなぁ、これは」
 フェイトは、思わず呟いた。
 アデドラ・ドールが、何人もの男子生徒に取り囲まれている。彼女自身の言葉を借りるなら「魂の不味そうな」少年たちだ。
「ほらぁ……せ、せっかく泳ぎに来たんだからさぁ、こここコレを着なよおぉ」
 中でも特に不味そうな男子が、そんな事を言いながらアデドラに迫ろうとしている。
 海パンから大量にはみ出した贅肉が、目に痛々しい。
 そんな豚のような男子生徒が、見ただけでわかる不良少年たちを、取り巻きのように引き連れているのだ。
 家が金持ちなのだろう、とフェイトは思った。
 そんな集団に囲まれたまま、アデドラは無表情である。
 今、彼女が着用しているのは、大人しめで何の変哲もない白の水着だ。ほっそりとした体型が、清楚に引き立てられている感じである。
 この少女に、あまり派手な水着は似合わないだろう、とフェイトは思った。
 そんなアデドラに、豚のような少年が「コレを着ろ」などと言って差し出しているもの。
 それは濃紺の、いわゆるスクール水着であった。
「きっ君に着せるために、わざわざ日本から取り寄せたんだよぉアディ。本場アキハバラの逸品」
「何の本場だ! 何の!」
 フェイトは思わず怒鳴りながら、ずかずかと場に踏み入って行った。
 ここは日本人として、黙っているべきではなかった。
 不良少年たちが、ぎろりと剣呑な視線を向けて来る。
「おう日本人、恐いもの知らずな真似はやめた方がいいぜえ」
「こちらのお坊ちゃまに逆らっちゃいけねえよ。この人の親父さんはなあ、日本嫌いで有名な議員様なんだぜ? 怒らせたらおめえ、日本に核ミサイルが落っこっちまうぞう」
 嫌日で有名な議員と言えば、あの人物だろう。フェイトも名前だけは知っている。IO2中枢部とも関わりのある、上院の大物だ。
「恐いもの知らずは、あんたたちだよ。わからないのか? ……ま、わかんないだろうけど」
 言いつつフェイトは、ちらりとアデドラの方を見た。
 人形のような美貌には、相変わらず何の表情もない。アイスブルーの瞳が、少年たちに向かって冷たく輝いているだけだ。
「邪魔をするなよぉ、日本人」
 議員の息子が、丈の短いスクール水着を見せびらかしながら言った。
「コレだけじゃない、メイド服だってある! 体操服にブルマ、セーラー服! 全部ボクが、アディのためにアキハバラ通販で取り寄せたんだ! 日本人に文句を言う資格なんてあるか! お前ら、女の子にそーゆうもの着せて喜ぶ民族のくせに! ううううらやましーじゃんかよォオオオ!」
「……俺の職場にもな、そりゃ何人かいるよ。アメリカ人のくせに、アキバ萌えとか言ってる奴が。魔法少女とかロボットとか大好きな奴らが」
 頭痛を堪えながら、フェイトは言った。
「そういうものに給料注ぎ込むような大人には、ならない方がいいぞ。さ、とにかくここは退散退散。泳いで頭、冷やして来いよ」
「てめ、ガキみてえな顔してるくせに偉そうな口きくんじゃねえ!」
 不良少年の1人が、殴り掛かって来た。
 フェイトは、かわさなかった。勢いだけのパンチが、顔面に当たった。
 首を回して、フェイトはその勢いを殺した。傍目には、派手によろめいたように見える。
 このまま何発か殴られてやれば皆、気が済んで退散してくれるだろう。
 そう思いながらフェイトは、ちらりとアデドラの方を見た。相変わらずの無表情。
 だが彼女は今、怒り狂っている。それが、フェイトにはわかった。
 風景が、歪み始めたからだ。
 その歪みが、凶悪な人面の形を成す……前に、フェイトは仕方なく手を出した。足を、少しだけ動かした。
 殴り掛かって来た少年たちが、ことごとく拳を受け流され、足を引っかけられ、転倒してゆく。
「野郎……!」
 不良少年の1人が、武器を取り出し、構えた。
 拳銃だった。
「おい、ふざけるな!」
 怒声と共にフェイトは踏み込み、少年の右手を掴んで捻った。
 構えた拳銃を取り落としながら、少年が悲鳴を上げる。
 腕を折る、寸前まで捻り上げながらフェイトは、泣き喚く少年を睨み据えた。
「自分の命を、それに大切な人たちを守るため……お前らアメリカ人が銃を持つのは、それが理由のはずだよな。今は違うだろ? ええおい!」
 怒鳴りつつ、放り捨てるように少年を解放する。
「ふざけ半分に撃った銃で、どれだけ人が死んでるのか……まずは、この国の人間が考えなきゃ駄目だろうが」
 フェイトのその言葉には応えず、答える事も出来ず、少年たちが逃げ去って行く。
「お、覚えてろ日本人! ダディに頼んで、日本への輸出全部止めてやるからなぁー!」
 議員の息子も、たぷたぷと脂肪を揺らしながら逃げて行った。
 上院議員1人の意向で本当にそんな事態が起こるようなら、イギリス経済界の重鎮である彼に助力を乞うしかないか。
 少しだけそんな事を思いつつ、フェイトは言った。
「嫌嫌ながら、だったけど来て良かったよ、本当に」
「確かに、貴方がいなかったら……あいつら今頃、どうなっていたかしらね」
 アデドラが、ようやく言葉を発した。
 風景の歪みは、とりあえず無くなっている。
「食べなくて良かったじゃないか。あいつらの魂は、きっと不味いぞ」
「あたしもそう思うわ。でもね、不味い魂でもいいから仲間をよこせって……みんな、騒いでるから」
 言いつつアデドラが、ゆらりと歩み出した。少年たちが逃げて行った方向へと。
「お、おい。どこ行くんだよ」
「不味いものに慣れておくのも、悪くないと思うわ。いつか美味しい魂を、より美味しく味わうためにもね」
「駄目だって!」
「……それなら、貴方の魂をちょうだい」
 アイスブルーの瞳が、フェイトに向かってキラリと輝いた。
「少しだけ……ね」
「え……」
 フェイトは、その場にヘナヘナと膝から崩れ落ちた。
 何をされたのかは、わからない。
 何かを、吸われた。それだけを、フェイトは感じた。アイスブルーの瞳の中に、自分の何かが少しだけ吸い込まれて行くのを、フェイトは見た。
 人形のような美貌に、少しだけ表情が浮かんだ。
「貴方の魂は最高ね……でも、今日は少しだけにしておくわ」
「な……ななな……」
 何で、俺がこんな目に。
 そう言葉を紡ぐ気力も、フェイトには残っていなかった。
 溶けたように倒れ、立ち上がれずにいるフェイトの傍らを、アデドラがゆらりと通り過ぎて行く。
 ぞっとするほど涼やかな言葉を、残しながら。
「怒った貴方の魂、とても綺麗だったわ……」

 力の抜けた身体をのろのろと引きずって、フェイトがキャンプに戻って来た時。夕餉のバーベキューは、すでに終了していた。
「や、やっと飯が食えると……思ってたのに……」
「そう言うと思って、用意しておいたわ」
 アデドラが、テントで待っていてくれた。
 差し出された深皿を、フェイトはとりあえず受け取った。シチュー、らしきもので満たされている。
 一口、フェイトはスプーンで啜ってみた。
 牛肉が、良い感じに柔らかく煮込まれている。ただ、惜しむらくは。
「アデドラお嬢様……これ、味しないんですけど」
「余計な味が付いているより、ましだと思うのね」
 アデドラは言った。
「魂も同じ……人間は生きていると、魂におかしな味が付いていくものね」
「……そういうもんさ、美味い魂なんてない。だから、食べるのはやめとけよ」
 味のしないシチューを、フェイトはがつがつと腹に流し込んだ。腹は減っている。味がなかろうと、空腹に勝る調味料はない。
 その食いっぷりを眺めつつ、アデドラが言う。
「不味いものを、そんなふうに、やけ食いしたくなる時もあるわ……特に、この国で暮らしているとね」
 アイスブルーの瞳が、テントの中ではない、どこか遠くを見つめた。
「あたし、アメリカが嫌い。アメリカ人っていう人種が嫌い……あたしに、そんな事言う資格はないけれど」
 何か、辛い目に遭ったのか。
 その質問をフェイトは、シチューと一緒に呑み込んだ。
 この少女に対する、これ以上の愚問はない。
 遠くを見つめながら、アデドラは語った。
「この国が、どんなふうに出来ていったのか……あたし、少しだけ見た事があるわ。こんな国、滅びた方がいい。アメリカ人なんて、いなくなっちゃった方がいい……何度も、今でも、そう思うの」
 アメリカという国を、アメリカ人を、憎んでいる……わけでは、なさそうだった。
 憎しみよりも重く暗い何かを、フェイトは、アデドラの口調から確かに感じ取っていた。 

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再会は波乱の兆し

「いよう、フェイト。チベットは寒かったかい?」
 ニューヨーク本部へ戻るなり、IO2の同僚たちが絡んで来た。
「今夜は教官に、あっためてもらえよぉ」
「……アメリカンジョークか、おい」
 フェイトは、じろりと睨みつけた。
「お前らもな、馬鹿な画像いつまでも残しとくなよ。さっさと消せ」
「はっははは。お前も大変だなぁ。結婚生活楽しむ暇もなく、あっちこっち飛ばされて」
 フェイトの花嫁姿。あの画像は、知り合いのほぼ全員に出回っている。この先も、ずっと言われ続けるのだろう。
「……よーしわかった。お前らを、あっちこっち投げ飛ばしてやる。全員、練成場へ来い」
 ドスの利いた声が聞こえた。
 黒く力強い腕が、フェイトの同僚たちを背後からガッチリと捕まえ束ねる。
「げっ……き、教官!」
「それと、あの画像は即時削除するように。あれを持ってていいのは……俺だけだからな」
「だから教官、そういう冗談はやめて下さい!」
 フェイトは叫んでいた。
「だいたいですね、教官があんな作戦立てたりするから!」
「ああ言っておく、あの作戦を考えたのは俺じゃなくて女房の方だ。どうしても、お前に女装をさせたかったらしい」
 教官が言った。
「お前の事は、あいつも心配してたがな……まあチベットでの任務完了、おめでとうと言っておく。もう完全に立ち直った、と考えていいな?」
「大丈夫……だと思いますよ。自分で判断する事じゃないかも知れませんけど」
 生きて、任務を完了出来た。ならばきっと大丈夫なのだろう、とフェイトは思う事にした。

 日本人は勤勉であると言われるが、必ずしもそうではないとフェイトは思う。
 日本にも怠け者は多いし、いわゆる仕事人間は、アメリカにもいないわけではない。
 休日になると何をして良いかわからなくなる者が、フェイトの同僚にも何人かいる。
 自分もそうなりつつあるのか、とフェイトはぼんやり思った。
 ニューヨーク市内の、とあるコーヒーショップである。
 ブレンドコーヒーをちびちびと啜りながら、フェイトは買った新聞を広げていた。
 ボランティア募集、という欄が目に入った。
 とあるハイスクールが、サマーキャンプのための護衛スタッフを募集しているらしい。
 応募してみようか、とフェイトは少しだけ本気で思った。何しろ暇なのだ。
 休暇を、もらってしまった。
 見事なまでに、やる事がない。
 暇だ、などと感じる余裕があるだけ、少し前の長期休暇の時よりはマシなのか。
 そんな事を思いながらフェイトは、店内を見回した。
 見覚えのある人影が一瞬、視界をかすめたように思えたのだ。
 少し離れた席で、こちらに背を向けて座っている、1人の女性客。
 さらりと長い、東洋人風の黒髪。小柄な細身を包む、いくらかゴシック・ロリータ風の服。
 学生であろうか。教科書あるいは参考書と思われるものを広げ、さらさらとノートを取っている。
 似ている、とフェイトは思った。ペンシルバニアのとある森で出会った、1人の少女に。
「……まさか、ね」
 フェイトは否定し、新聞に目を戻した。彼女が、こんな所で勉強などしているはずがない。
 人間の顔を食べる人間。そんな記事が、視界に入った。
 昨年頃、似たような事件があった、とフェイトは思い出した。ゾンビ事件などと呼ばれ、騒がれたものだ。
「マイアミ、だったかな……流行ってるのか? まさか」
 IO2が動くような事件、かどうかは、まだわからない。
 人の顔を食いちぎる。その程度の事、怪物や魔物の類ではない普通の人間でも、やる者はやる。
 マイアミでその事件を起こした男は、マリファナ中毒者であったという。
 ゾンビ事件と言われてはいたが、犯人はゾンビでも何でもない、単なる人間の薬物中毒者だった。
 フェイトは、アジアの奥地で本物のゾンビと戦っていた。
「人間の薬中を相手にするより、マシだったのかな……おっと」
 フェイトは、思わず目を見張った。
 あの時、共に戦った男が、新聞に載っているのだ。
 眼鏡をかけた、褐色の肌の英国紳士。
 イギリス経済界の若き重鎮として、偉そうにインタビューなど受けている。
 あの後、彼は、亡き従兄弟の後任として、商会のアジア窓口を務めるようになったらしい。
 チベットや中国西部方面でしたら、当商会の名前がいくらかは通用します。私の力ではなく従兄弟の遺産ですけどね、と彼は笑っていた。IO2のお仕事で貴方がまたアジアに来られるような事があれば、多少はお役に立てるかも知れませんよ。そうも言っていた。
 欧州とアジアの経済的連携に関して、彼は新聞記事の中で大いに語っている。
 読みながら、フェイトは呟いた。
「へえ……あいつ、頑張ってるじゃないか」
「貴方も少し、頑張ってみたらどう?」
 いきなり声をかけられた。寒気がするほど涼やかな、女の子の声。
 少し離れた席で勉強をしていた女学生が、いつの間にか近くに立っていた。
 アイスブルーの瞳が、近くからフェイトをじっと見つめている。
「アデドラ……」
「暇そうね。だからって、ぼーっとし過ぎよ。貴方の綺麗な魂までぼやけてしまうわ。味が薄くなってしまうわ……あたし、そんなの嫌」
 人違いではなかった。紛れもなくアデドラ・ドールである。
 その青い瞳が、ちらりと新聞を覗き込んだ。見開きで経済を語る英国紳士を、一瞥した。
「お知り合い?」
「まあね。仕事でちょっと、付き合いが出来て」
「胡散臭い顔をしてるわね。この人の魂は、あんまり美味しくなさそう……きっと毒虫を噛み潰したみたいな味がするわ」
「うん、俺もそう思う……それはともかく、あんたが何でこんなとこに?」
「試験が近いから勉強してるの。あたし、今は学生だから」
 試験、勉強、学生。生ける賢者の石として永き時を生きる、この人外の少女が。
 フェイトは一瞬、わけがわからなくなった。
「記憶喪失で身寄りのない、かわいそうな女の子……って事にしてるの。そうするとね、里親になってくれる人たちが結構、出て来るものよ」
「……なるほど。養子大国アメリカらしい話だ」
 人の世の外にいた少女が、人の世に交わろうと努力をしている。そういう事なのか。自分としては応援するべきなのか、とフェイトは思った。
「それじゃ今は、ハイスクールに……日本で言うところの女子高生を、しているわけか」
 気をつけた方がいい、という言葉を、フェイトは呑み込んだ。
 IO2が、あんたに目をつけている。そう言ってしまいそうになった自分に、フェイトは気付いた。
 個人的な感情で守秘義務を放棄してしまいそうになった自分を、フェイトは自覚していた。
(俺は……IO2のエージェント、なんだぞ……)
 そんなフェイトの思いなど知らぬまま、アデドラは言う。
「学校のイベントで今度、サマーキャンプへ行く事になったの。貴方と一緒にね」
「……ごめん、順序立てて話してくんないかな」
 戸惑いつつも、フェイトは思う。
 この少女が、自分から進んでハイスクールのイベントに参加しようとしている。友達を作ろうとしている。ならば、やはり応援するべきなのだろう。
 だからと言って、自分がそのイベントに行ってしまうものなのか。
「あたしの養父母になってくれた人たちが、サマーキャンプへ行けとうるさいから……あの人たちとは、しばらく上手くやっていきたいから」
「なるほど。人間の世間へ出て来るなり、しがらみに縛られちゃったわけだな」
「そういう事。だから、貴方も一緒に行くのよ」
「いやだから、その辺がよくわかんないんだけど……何で俺が」
 アデドラが無言で、新聞をめくった。
 サマーキャンプのボランティア募集。その欄に彼女は、綺麗な人差し指を向けた。
「あ……これ、あんたの学校だったんだ」
「応募はしなくていいわ。あたしが連れてってあげるから……暇でしょ?」
「見てわかるくらい暇なんだろうなあ、俺」
「クラスの男子にね、あたしに付きまとう奴がいるの。とっても魂が不味そうな男。そいつもキャンプに来るんだけど、うざくって」
 男に付きまとわれる。そういう事もあるだろう、とフェイトは思った。見た目は、申し分のない美少女である。
 ただ、その男子生徒はあまりにも命知らずである、とは言わざるを得ない。
「だから、あたしのための護衛スタッフが必要なの」
「必要かなあ」
 その男子生徒を守ってやる必要はあるかも知れない、とフェイトは思った。

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爆炎の鎮魂歌

眼鏡も、一種の仮面である事に違いはない。
 恐らく川で流されてしまったのだろう。眼鏡を失ったダグラス・タッカーの素顔を見て、フェイトはそんな事を思った。
 この若き英国紳士が、今まで黒縁眼鏡の内側に隠していた眼差し。それが、露わになっている。
(俺も、こんな……泣きそうな子供みたいな目を、してたんだろうな……)
 少し前の、強制的に休暇を与えられるほど思い悩んでいた自分と、今のダグは、恐らく同じような目をしている。フェイトは、そう感じた。
 あの時の自分に、立ち直るきっかけをくれたのは、1人の少女だった。
 アイスブルーの瞳が、今でも記憶の中から、フェイトの心を見つめている。
 彼女が自分にしてくれた事を、自分がダグにしてやる……そこまで自惚れるつもりは、フェイトにはない。
 ただ、言葉をかける事くらいは出来る。
「無様な迷い、ね……別に、いいんじゃないかな」
 馬鹿は無様よりはまし、とダグは言った。本当にそうであるかどうかは、わからない。
 とにかくフェイトは馬鹿を晒し、ダグは無様な迷いを見せた。
「俺が馬鹿で、あんたが無様。お互い1失点ずつってところで、前半終了だ……後半戦。気を取り直して、いこうじゃないか」
「フェイトさん……」
「大事な人を、楽にしてやりたいんだろ? 別に今回の任務と矛盾する事でもなし、俺も手伝うよ……って言うか、ダグが撃てないなら俺が撃つ。たとえ、あんたに恨まれてもな」
 ダグの従兄弟であったという、あの褐色の肌をした死者。
 あれが再び出現し、またしてもダグが迷うようであれば、フェイトが撃つしかない。
「……別に、貴方を恨みはしませんがね」
 ダグは言った。フェイトではなく、傍らに生えた大木に向かって。
「ただ、私はもう迷いません。次は、必ず撃ちますよ……出来なかった人間が、次は出来るなどと言ったところで、信じていただけるとは思いませんが」
「信じるよ。ところでダグ……それ、俺じゃないんだけど」
 眼鏡がないと、どうやら何も見えないようである。
(そんな奴に注射してもらったのか、俺……)
 フェイトは冷や汗を流した。
 近眼の英国紳士に注射してもらった解毒薬は、しかし問題なく効いてはいる。
 手足は、ほぼ問題なく動く。
 とは言え、あの毒ガスは厄介であった。戦闘中に、いちいち注射をしてもらう暇があるとは思えない。

 朝になって判明した事だが、どうやら村のかなり近くまで流されてしまったようであった。
 川に流されたついでに、というわけでもないが一旦、村に戻る事にした。態勢を立て直す必要もある。
 元凶が何者であるのかは、まだわからない。
 その何者かが兵隊として使っている冬虫夏草もどきの死者たちが、予想外に多勢であった。拳銃用の爆薬弾頭だけでは心もとない。
 そう判断したダグが、いつの間に手を回していたのか。
 村に、荷物が届いていた。IO2の支給品ではない、ダグラス・タッカーの私物である。
「死者が相手であるとわかっていれば、最初からこれを用意して来たのですがね」
 言いつつダグが、いくらか重そうにバックパックを背負った。
 火炎放射器である。
 その銃部を、ダグは小銃のように構えた。
「相手は死体と菌類です……まとめて火葬する。それに勝る手段はありません」
「まあ何でもいいけど眼鏡かけろよ。俺まで火葬されちゃたまらない」
「そうでした」
 火炎放射器と一緒に届けられた、と思しき眼鏡をかけながら、ダグは言った。
「黒縁眼鏡は、商会でもいささか評判が悪かったのでね。この機会に、こちらにしてみました」
 フレームのない眼鏡である。
 黒縁眼鏡よりも、知的な感じは遥かに上だ。
「……似合うよ、ダグ。世界をまたにかける悪徳商人って感じがする」
「タッカー商会は、それほど違法な商売はしておりませんよ……私の知る限りでは、ね」
 自分の知らない闇を、商会はいくらでも抱えている。そう言いたげなダグの口調である。
 空気が、震えた。
 轟音のような羽音を響かせ、蜂の群れが空中で渦巻いている。
「ああ……そう言えば、このお姉さんたちが何か見つけたんだっけ? 元凶の、手がかりみたいなものを」
「手がかり……と言うより、元凶そのものを見つけたようですね」
 蜂たちと言葉のない会話をしながら、ダグが片手を顎に当てた。
「……いけませんね、この村に迫って来ているようです」
「元凶が?」
「大勢の死者を、引き連れてね」
 新しい眼鏡の下で、ダグの両眼がぎらりと光る。
 決意の、輝きだった。
「ありがたい事です……どうやら私たちを、早急に排除しなければならないほどの脅威と見なしてくれているようですよ」
「村の外で、迎え撃つしかないな」
 村の中で、火炎放射器など使わせるわけにはいかない。
「フェイトさん、これを」
 ダグが、ずしりと重いものを手渡してきた。
 拳銃用の、マガジンポーチである。中身の入った弾倉がいくつか、ぎっしりと詰め込まれている。
「IO2の規格品と同じものです。貴方の拳銃にも、合うはずですよ」
「……お金持ちの知り合いが出来てラッキー、と思うべきなのかな」
「金持ちは貧乏人を、労働力として利用しています。それと同じように貧乏人の方々も、金持ちを大いに利用するべきなのですよ」
 貧乏人というのは俺の事か、などとフェイトが確認するよりも早く、ダグは言った。
「さあ行きましょうフェイトさん……後半戦です」

 一言で表現するならば、茸の巨人である。
 これまで嫌になるほど目にしてきた、茸を生やした屍ではない。
 茸のみが大量に固まって、直立した象ほどの巨体を形成しているのだ。
 そんな怪物が、ズン……ッと地響きにも似た足音を発し、歩み迫って来る。
 最初は、屍に付着した単なる菌類であったのだろう。
 その屍は、恐らく冬虫夏草の違法採取人であったに違いない。
 山中で人知れず命を落とした彼だか彼女だかの怨念が、死体を養分とする茸を、このような化け物に変えたのだ。
 すでに発生源である死体からは独立し、自力で歩き回る怪物と化した茸の塊。
 それが、大勢の死者に護衛されながら、ゆったりと土漠を歩み進んで来る。
 茸を植え付けられた、歩く屍の軍勢。
 そんなものを、フェイトとダグは2人で迎え撃つ事となった。背後には村がある。ここで食い止めなければならない。
「せっかくの差し入れだ……遠慮なく使わせてもらうよ、英国紳士!」
 茸を生やした死者の軍勢に向かって、フェイトは左右2丁の拳銃をぶっ放した。
 爆発が起こった。
 2つの銃口からフルオートで吐き出された銃弾の嵐が、そのまま爆炎の火柱に変わり、死者たちを打ち砕いていた。大量の死肉が、茸が、一緒くたに灰と化して熱風に舞う。
「爆薬弾頭……」
 フェイトは、呆然と呟いた。
「IO2の規格品と……どこが同じだって?」
「言ったでしょう。お金持ちの知り合いは、利用するものです」
 ダグが笑った。
「おわかりと思いますが私、子供の時から、いじめられっ子でして。いじめられる度に、お金の力で解決していたものです。具体的に言いますと、例えば学校内で一番ケンカが強い人に金品をプレゼント」
「……もういい黙れ」
 金品で買収されたガキ大将、と同じ扱いを受けたまま、フェイトは駆け出した。
 熱風に渦巻く遺灰を蹴散らしながら、間合いを詰めて行く。
 茸の巨人が、拳銃の射程に入った。
 フェイトは引き金を引いた。左右2つの銃口から、爆薬弾の嵐が噴出する。
 無数の茸で組成された、象並みの巨体。そのあちこちで、爆発が起こった。
 象皮の如く隆起した大量の茸が、全体の4分の1程度は砕け散ったようである。
 スリムになった茸の巨人が、よろめきながら、しかし膨張してゆく。灼き砕かれた茸が、再生してゆく。
「何……」
 空になった弾倉2つを、それぞれ左右のグリップから脱落させつつ、フェイトは息を呑んだ。
 茸を生やした死体が、まだ大量に残っている。その何体かが、何やら煙のようなものを噴出させながら倒れていた。
 胞子である。
 死体に生えていた茸が、胞子と化して流れ出し、煙のようになりながら、茸の巨人に注入されてゆく。
 生えていた茸を全て失った死体がいくつか、倒れながら干涸びて砕け、粉末状に崩壊していった。
 一方、茸の巨人は再生を終え、再び象の如く膨れ上がった巨体を震わせた。
 その全身からブシュッ、ぷしゅー……と霧のようなものが噴出し、フェイトに向かって漂った。
 毒ガス。フェイトが昨夜、不覚にも吸引させられてしまったものである。
 その不覚が、繰り返された。
「しまった……」
 口と鼻を押さえても、もう遅い。
 手足から、力が抜けてゆく。毒に萎えた両手から、拳銃がこぼれ落ちそうになる。
 朦朧とする意識の中でフェイトは、空気が振動する音を聞いたような気がした。
 轟音とも言うべき、羽音である。
 次の瞬間。電流にも似た衝撃が、フェイトの全身を走り抜けた。
 昨夜のアドレナリン注射など問題にならないほどの、まさに衝撃と言うべき激痛である。
 無数の蜂が、フェイトの全身をめった刺しにしていた。
「毒をもって毒を制す……私が一番好きな、日本の諺です」
 ダグが言った。
 フェイトは何も応えられない。激痛が、声帯を凍り付かせている。悲鳴すら上げられなかった。
 その激痛が、毒ガスの成分を体内から駆逐してゆく。
 それを感じながらフェイトは、力が戻りつつある両手で拳銃を握り込み、念じた。
 マガジンポーチから弾倉が飛び出し、宙を舞い、左右2つのグリップに吸い込まれてゆく。
 思わずダグに向けてしまいそうになった2丁拳銃を、フェイトは茸の巨人に向かって、思いきりぶっ放した。
 爆発が起こり、茸の巨人が激しく揺らぐ。その全身から、大量の灰がこぼれ落ちる。
 象の如き巨体を構成する茸が、今度は3分の1近く、灼き砕かれていた。
 こんな事をしても、軍勢を成す茸死体たちから胞子が供給され、茸の巨人はいくらでも再生する。
 その再生が起こる前にダグが、火炎放射器の銃部を構えていた。
「何と言いましたか、こういう時、日本では……」
 そんな言葉と共に、炎の筋が土漠を奔る。
 茸を生やした死体たちが、再生のための胞子を噴出する暇もなく炎に包まれ、焦げ崩れていった。
「そうそう。汚物は消毒、でしたか?」
「……どこで、そんな知識を仕入れてくるんだよ」
 フェイトは、ようやく言葉を発する事が出来た。
「まったく、ほんとに……死ぬかと思ったぞっ」
 引き金を引きながら、攻撃の念を拳銃に流し込む。
 スリムになったままの茸の巨人に向かって、左右2丁の拳銃が火を噴いた。
 念動力を内包した爆薬弾の嵐が、再生前の巨体を直撃する。
 火薬と念動力が、融合しながら爆発し、巨大な爆炎の渦と化した。
 茸の巨人は灰に変わり、舞い散った……否。舞い散った灰の中に、灰ではないものがキラキラと混ざっているのを、フェイトは見逃さなかった。
 僅かな、胞子である。
 それが、茸を生やした死体の1つに流れ込む。
 腐り干涸びた皮膚に、ダグと同じ褐色の名残をとどめた死者。
 その身体が、僅かな胞子を吸収した瞬間、痙攣・膨張した。
 新たなる茸の巨人と、化しつつある。
「フェイトさん、私が……」
 ダグが、火炎放射器ではなく拳銃を構えていた。
 ほんの一瞬くらいは、迷ったのかも知れない。迷ったのではなく、心の中で別れを告げたのか。
 とにかく、ダグは引き金を引いた。
 発射、着弾、そして爆発。
 新たなる茸の巨人は、誕生する前に灰と化した。
「ダグ……」
「何も言わないで下さい、フェイトさん」
 ダグは再び火炎放射器をぶっ放し、残っていた死者の軍勢を灼き払った。
「彼女たちに刺された恨み言くらいなら、お聞きしますけどね」
「あれは助かった。死ぬほど痛かったけど、助かったよ」
 フェイトは苦笑した。
 かける言葉など、あるはずがなかった。

カテゴリー: 02フェイト, season1(小湊WR), 小湊拓也WR(フェイト編) |

戦う働き蟻

包囲されるまで気付かなかったのは、相手が生きた人間ではないからだ。
 死んだ人間でも、敵意や憎悪を持ちながら存在し続ける事はある。それを察知するのは、不可能ではない。
 だがこの者たちは、敵意や憎悪どころか、精神そのものを保有していないようであった。
「脳みそまで、茸の養分にされちゃってると……そういう事かな」
 フェイトは、懐から拳銃を取り出した。
 ダグとは自然に、背中合わせで立つ格好となった。
「フェイトさん、貴方は死者の尊厳を気にする方ですか?」
 同じように拳銃を握り構えながら、ダグラス・タッカーが言う。
「もしそうでしたら、いささか辛い作業になるでしょうが……ためらわずに撃ちましょう。彼らは今や、茸の操り人形です。解放して差し上げる手段は、1つしかありません」
「生きてる人間を撃つよりはマシ……と思うしかないかな」
 死者たちであった。
 腐敗しながら乾燥した、屍の群れ。皆、全身から茸を生やしている。
 そんな死体たちが、地中から這い出して直立歩行し、今やフェイトとダグを幾重にも包囲しているのだ。
 何体いるのか、一目では数えられない。
 あの村の、冬虫夏草採取人だけではないだろう。土漠をうろつく強盗団や、人民解放軍の地方部隊兵士なども混ざっている。と言うより、そういった輩の方が圧倒的多数だ。
 麻薬並みに値が高騰した冬虫夏草を狙って山に押し入り、そのまま行方知れずとなってしまった者たちであろう。
 そんな彼らが、腐りかけた指をカギ爪の形に曲げ、のたのたと全方向から掴み掛かって来る。
 のたのたとした襲撃、に見えて意外に素早い。
 自身の言葉通り、ダグは躊躇いもなく引き金を引いた。
 銃声と、爆発の轟音とが、ほぼ同時に響き渡った。
 死者の1体が、砕け散っていた。乾燥した腐肉が、大量の茸もろとも、灰に変わってサラサラと舞う。
「爆薬弾頭か……」
 フェイトは呻いた。
「それ、IO2の支給品じゃないよな?」
「ええ、私が自分のお小遣いで用意したものです」
 いくらか自嘲気味に、ダグは微笑んだ。
「……私、お金持ちですから」
 微笑に合わせて、ダグは立て続けに拳銃をぶっ放した。
 死者たちの上半身が爆散し、遺灰に変わり、チベットの夜風に舞った。
 爆薬弾頭の破壊力もさる事ながら、ダグ自身の射撃の技量も、なかなかのものではある。
「負けてられない、か」
 右手だけでなく左手にも拳銃を持ちながら、フェイトは身を翻した。
 茸を生やした死者たちの腕が、あらゆる方向から襲いかかって来る。
 それら腕を、フェイトは左右2丁の拳銃で打ち払い、受け流した。
 そうしながら、引き金を引く。
 2つの銃口が、振り回されながら火を吹いた。
 茸を生やした腐乱死体たちがビシッ、ビシビシッ! と痙攣し、揺らぐ。
 フルオートで掃射された無数の銃弾が、彼らの全身に撃ち込まれていた。
 爆薬弾頭などではない、普通の銃弾である。
 死者たちが、蜂の巣と化した身体を、しかし何事もなくのたのたとフェイトに迫らせる。
 迫り来る敵を見据えるフェイトの両眼が、光を発した。
 翡翠色の、いささか禍々しい輝き。
 茸を生やした腐乱死体たちが、硬直しながらズタズタに裂け、飛び散った。
 彼らの体内にとどまっていた無数の銃弾が、フェイトの念動力を受けて猛回転し、腐肉も茸も一緒くたに抉りちぎってゆく。
 純粋に念動力だけで敵の肉体を破壊するよりも、気力の消耗は遥かに軽く済む戦い方である。
 気力の消耗を抑える事は出来ても、しかし銃弾の消耗を抑える事は出来ない。
 のたのたと群がって来る死者たちの数は、あまり減ったようには見えなかった。
「これは……考えたくないけど」
 一時退却という選択肢も、念頭に置くべきではないか。
 そう言いかけて、フェイトは口をつぐんだ。
 ダグが、まるで黒縁眼鏡を内側から吹っ飛ばしてしまいそうな眼光を、死者たちの一部に向けているからだ。
 茸を生やした腐乱死体の群れ。その中の1体を、ダグは見据えている。睨んでいる。
 人種も、性別すらも判然としない状態の屍ばかりである。が、ダグの視線の先にいるその1体は、どうやら褐色の肌をしていた。腐り干涸びた皮膚に、ダグと同じ体色の名残が、辛うじて見て取れる。
 その1体に拳銃を向けながら、ダグは何事か呟いた。
 よく聞き取れないが、恐らくは人名であろう。
 その拳銃が、褐色の名残をとどめている死者に向かって、火を噴いた。
 狙いを定めて引き金を引く、ダグのその動きに、しかし一瞬の迷いが表れたのを、フェイトは見逃さなかった。
 茸を生やした屍が1体、爆散して灰と化した。
 褐色の死者、ではない。その傍らで腕を振りかざしていた、別の1体である。
 射撃の技量そのものはフェイトよりも上ではないか、と思われるダグが、狙いを誤ったのだ。
 褐色の死者は、荒波のように群れる他の死者たち紛れ込み、見えなくなった。
「逃がしませんよ……!」
 ダグが、それを追って駆け出そうとする。
 フェイトは、慌てて止めた。
「おい、無茶はするなよ。その爆薬弾頭だって、無限にあるわけじゃないんだろう?」
「残りの弾数で出来るだけの事は、私がやっておきます」
 ダグの言葉に合わせて、空気が振動した。
 蜂の群れが、激しく翅を震わせながら、上空で待機している。
「この死者たちを冬虫夏草もどきの怪物に変えた、元凶と言うべき存在……その手がかりを、彼女たちが見つけたようです。フェイトさんは行って下さい」
「あんたを、ここに残して……か?」
「せっかく2人もいるんです。ここは分業といきましょう」
 迫り来る死者たちを見回し、ダグは言った。
「私はここで、彼らを食い止める。その間、貴方は彼女たちと共に元凶を突き止め、これを排除する……どちらが危険な任務であるのかは、やってみなければわかりません」
「俺さ……人の心ってやつを、ある程度は読めるんだよね」
 フェイトは言った。
「そんな能力、もちろん積極的に使ってるわけじゃあない……そんなもの使わなくてもダグ、あんたが1つ隠し事してるってのは、わかるよ」
 左右2丁の拳銃を、それぞれ別方向にぶっ放しながら、フェイトは言った。
「ここで何か、個人的な決着をつけようとしてるだろ?」
 先程の褐色の死者が、今はどこにいるのかは見えない。
 あれ以外の茸死体たちが複数、フルオートの銃撃を受けて揺らぎ、のけ反った。
「それさえ済めば死んでもいい、とか思ってるだろ? けど俺的には、それは困るんだよっ」
 フェイトは、攻撃を念じた。翡翠色の瞳が、荒々しく輝いた。
 死者たちの体内で、無数の銃弾が、念動力を受けて猛回転を開始する。
 茸を生やした腐肉が、大量にちぎれて飛び散った。
「パートナーを死なせて任務失敗……なぁんて傷が、俺の経歴についちゃうからな」
「……だから、私を守ってくれようとでも?」
 眼鏡越しにダグが、ちらりとフェイトを睨む。
 眼鏡をかけた、一癖ありそうながら整った顔立ち。
 すでに失われてしまった面影が1つ、フェイトの脳裏に甦った。
 守ってやれなかった、死なせてしまった、などと考えてしまうのは思い上がりであろう。それは、フェイトにもわかっている。
 死んだ人間の幻影を重ねられたところで、ダグにとっては迷惑にしかならない。
「……虫と心を通じ合えるくせに、わかってないみたいだな。あの子たちの気持ちが」
 物騒な羽音を発している蜂の群れを、フェイトは1度だけ見上げた。
「あんたを見殺しにしたら俺、殺されちゃうよ。めった刺しにされる」
「人の悪口は言いたくありませんが……馬鹿ですか? 貴方は」
「学校の成績は、そこそこだったぞ。IO2の筆記試験は、及第点ギリギリだったけどなっ」
 馬鹿げた会話をしながら、フェイトは引き金を引いた。
 左右2つの銃口が激しく火を吹き、死者たちをビシビシッと痙攣させる。
 撃ち込んだ銃弾に念動力を送ろうとして、フェイトは一瞬、気が遠くなりかけた。
 気力の消耗……いや違う。思考が、麻痺しかけている。
 おかしな霧が出ている事に、フェイトは今更ながら気付いた。茸を生やした死者たちで満たされた夜景が、うっすらと白く霞んでいる。
 否、どうやら霧ではない。
「毒ガス……!」
 フェイトは口と鼻を押さえたが、すでに遅い。
 意識は混濁し、手足は痺れ、足元も覚束ない。
 揺らぎ、倒れそうになったフェイトの身体を、何者かが抱き支えた。
「覚悟して下さい……チベットの川は、冷たいですよ」
 ダグだった。
 次の瞬間、フェイトは宙に浮いていた。
 フェイトを横抱きに捕えたまま、ダグは谷底へと身を投げていた。男2人の心中、という形である。
 谷底を流れる川の音が、ゆっくりと近付いて来る。
 冷たさを感じる前に、フェイトは気を失っていた。

 激痛で、フェイトは目を覚ました。
「いっ……て……ッッ」
「虫だけではなく、お注射も苦手のようですねえ。貴方は」
 ダグが呆れている。
 その手にあるのは、少し大きめの注射器だ。
 恐る恐る、フェイトは訊いてみた。
「……それは、一体?」
「アドレナリンですよ。蜂毒の薬にも用いられるものですが……お注射ではなく、口移しにでも飲ませてあげた方が良かったですか?」
「……冗談でもやめてくれ、そういう事言うのは」
 溜め息をつきながら、フェイトは見回した。
 轟音を立てて、谷川が流れている。その河岸の岩場に、2人は打ち上げられていた。
 意識はまだ、いくらかは朦朧としている。手足にも若干、痺れが残っているようだ。
「じっとして。毒が抜けるまで、大人しくしていましょう」
 同じ毒ガスを吸っているはずなのに、ダグは平然としていた。
 フェイトを抱えて激流を泳ぎ渡る、などという荒業もやってのけた。
 虫毒に慣れるだけで、あらゆる毒物への耐性を身に付けたというのは、どうやら本当のようである。
「パートナーに死なれて任務失敗……などという傷が、私の経歴についてしまうところでしたよ」
「……ごめん」
 フェイトは頭を下げた、他に、出来る事などなかった。
「助かったよダグ、ありがとう」
「これからは働き蟻の如く、私に尽くしていただきましょう……と言いたいところですがね」
 ダグが、チベットの夜空を見上げた。
「私もね、フェイトさんに助けていただいたんですよ。貴方がいてくれなかったら、私は間違いなく死んでいました。己のか弱さも顧みず、馬鹿げた無茶をするところでしたよ」
 あの褐色の死者を見た瞬間、ダグは明らかに冷静さを失っていた。
 いかなる事情があるのか、何となく想像はつく。それでも、フェイトは問いかけていた。
「なあダグ。1つ、訊きたい事があるんだけど」
「お答えしましょう。働き蟻は、100匹いれば100匹全てがよく働くわけではなく、怠けて働かない個体が必ず20匹程度はいるそうです。よく働く蟻だけを人為的に集めてみても、その中の2割ほどは、やがて働かなくなってしまう。働き蟻の集団を何度作ってみても、そうなってしまうのです。これを人間社会に当てはめてみますと、いわゆるニート問題というものがですね」
「それは、とりあえずどうでもいいや。まあ無理に答えてくれる必要はないんだけど……あの冬虫夏草もどきの中に、もしかして知り合いでもいる?」
「……私の、母方の従兄弟ですよ」
 ダグの母方。すなわち、純粋なインド人という事か。
「私にとっては、実の兄のような人でした。身分は使用人に等しいものでしたが、差別に負けず努力する人でしてね。今ではタッカー商会の正社員として、冬虫夏草をはじめとするアジア商品の仕入れを担当していたのですが……まさか自分が、冬虫夏草のようなものに成り果てていたとは」
 ダグは、拳銃を握り締めた。
「御覧になった通り、もはや助ける事など出来ません。せめて楽にして差し上げる、つもりでいたのですがね……私、フェイトさんを馬鹿と言いましたが、馬鹿は無様よりずっとましです」
 拳銃に語りかけるように、ダグは呻いていた。
「私は無様でした……無様な、迷いを……!」

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蟲神の末裔

耳がおかしくなりそうな、空気の振動である。
 それが、山の奥の方へと流れて行った。
 蜂の大群。まるで、羽音を発する暴風の塊である。
 呆然と見送りながら、フェイトは呟いた。
「虫を使う……それが、あんたの能力か」
「私には、能力と呼べるようなものなどありませんよ。非力な私に、彼ら彼女らが力を貸してくれている……それだけの事です」
 言いながら、ダグラス・タッカーは遠くを見つめた。
 ここチベットの山中ではない、どこか遠くを。
「何も出来ない子供だった私に、母がプレゼントしてくれた……友達ですよ」
 母。
 その単語を耳にした瞬間、フェイトにも遠くが見えた。ここではない場所の風景が、脳裏に浮かんだ。
 日本、某県山中の療養地に建てられた病院。
 工藤勇太の母親は、今もそこで心を病んだまま暮らしている。
 入院費用は、勇太自身が稼ぎ出した。あの地獄のような研究施設に、売られる事によって。
 それで、母を捨てたという後ろめたさや罪悪感のようなものを、いくらかでも軽減する事が出来ているのだろうか。
 そんな事を思いながらフェイトは、とりあえず相槌を打った。
「へえ……あんたの、お母さんが?」
「今から20年と少し前、おとぎ話のような出来事がありましてね」
 遠くを見つめながら、ダグは語った。
「イギリス経済界の重鎮・タッカー商会の御曹司が、使用人であるインド人の女性と恋に落ち、結婚に至ったのです。人種と身分を越えたラブロマンスとして、それは大々的に報道されました。イギリス全土はお祭り騒ぎ、確か日本の新聞にも載ったと思いますよ」
 憂鬱な話が始まる、とフェイトは思った。
「外から見れば、無責任に騒ぐ事の出来る無害なロマンス……ですがタッカー商会内部では、お祭り騒ぎとは別な意味の大騒動が起こっていました。何しろイギリス人とインド人ですからね。少なくとも、関係者に祝福される結婚ではありませんでした」
 そのインド人女性が、嫁入り先でどのような目に遭っていたのかは、想像に難くない。
「そして、2人の間に生まれた子供もまた……親族全てに祝福される赤ん坊では、ありませんでした」
「だから、少しばかりひねくれて育っちゃったと。そういうわけかな」
「皆に愛されて温室植物のように育つよりは、ましだったと思いますよ」
 ダグは微笑んだ。
「母親だけが、その子の味方でした。父親はタッカー商会の跡取りとして、忙し過ぎる日々を送っていましたからね」
 工藤勇太の父親は、全く多忙ではなかった。働きもせず酒を飲み、酔っ払っては暴力を振るう、最低な男だった。
「商会の関係者たちは、本家に植民地人の血が入る事を極度に嫌っていました……フェイトさん、想像出来ますか? その母子はね、命を狙われていたのですよ」
「殺されそうに、なったわけだ?」
「何度もね」
 笑顔のまま、ダグは続けた。
「殺人罪にならぬよう人を殺す手段としては、どのようなものがあると思いますか?」
「事故を装うとか……毒殺して、病気とか食中毒に見せかけるとか? よっぽど上手くやらなきゃだけど」
「まさにそれ。母親も子供も、常に毒殺の危機に晒されていたのです」
 ダグの笑顔が、何とも言えぬ陰惨な歪み方をした。黙らせるべきか、とフェイトは思った。
「母親は子供を守るため、ある事をしました。インドの古代王朝時代から伝わる対毒手段、らしいのですが私はよく知りません……とにかく彼女が、物心つくかつかないかの幼い息子に、まずやらせた事。それは素手で毛虫に触れる事でした。毒蛾の幼虫です。子供は、柔らかな手を痛々しく腫れ上がらせて泣き喚きました。泣き喚く息子を黙らせるように、母親は」
 己の唇に、ダグは軽く指を触れた。
「口移しに、様々なものを飲ませました……蜂、蜘蛛、百足に蠍、その他ありとあらゆる毒虫の毒を、水で薄めたものです。子供は苦しみ、のたうち回りながら、しかし耐えました。何故なら、母親にキスをしてもらえるからです……そのご褒美があれば、大抵の事には耐えられましたよ」
 自分の母親は、キスどころか手を握ってもくれなくなった。息子の姿を見ると、発狂したかの如く泣き喚くようになってしまった。だから、見舞いに行く事も出来ない。
 そんな、そうでも良い事を、ふとフェイトは思ってしまった。
「子供はやがて、毒蛾の幼虫だけでなく、蠍や毒蜘蛛の成虫を掌に載せるようになりました。咬まれても刺されても平気になりましたよ。慣れれば、可愛いものです……薄められていない毒を、飲まされるだけでなく注射器で投与されるようにもなりました」
「でも平気になっちゃったと」
「少年と呼べる年齢になった頃には、その子供はすでに、あらゆる毒物への耐性を身に付けていました……叔父が1度、豪勢な食事を振る舞ってくれた事がありましてね。私は良い子でしたから、残さず平らげましたよ。その2日後に改めて叔父に会い、お礼を言いました。丁寧に、感謝を込めて……あの時の叔父上の表情は、見物でしたねえ」
 何故まだ生きている、というような顔をしていたのだろう。
「少年は喜びましたよ。母を守るために強くなる、その最初の第1歩にはなったのですからね……でも結局、彼は母親を守る事が出来ませんでした」
「……もういい。それ以上、聞きたくない」
 フェイトの言葉を、ダグは無視した。
「少年の前から母親は突然いなくなり、その翌日、ロンドン市内の路上で発見されました。様々なものを飛び散らせた、惨たらしい姿でね……ビルの屋上から、身を投げたようです。少なくとも警察の見解では、そのようになっています」
 自殺ではないのかも知れない、とダグは疑っているのか。
 もしかしたら、母親の死の真相を探るため、実家を敵に回しての戦いに身を投じている最中ではないのか。
 フェイトはそう思ったが、仮にそうであるとしても、何か手助けをしてやれるわけではない。
「少年に残されたのは、母親が用いた毒虫たちだけ……母の代わり、とするには無理がありますよね。何しろ虫ですから。けれど少年には、その虫たちしかいなかったのです」
「結果、こうして立派な虫使いが誕生したと。そういうわけか」
 言いつつフェイトは、ある事がふと気になった。
 その少年の父親……タッカー商会の御曹司という人物は、何の力にもなってくれなかったのだろうか。自分の妻と息子を守るために。いくら忙しいとは言っても。
 それは、しかし口に出して訊ける事ではなかった。出会ったばかりの他人の、家の事情である。
 別の事を、フェイトは訊いた。
「……何で、こんな事を俺に話す?」
「貴方を試すような事をしてしまいましたからね……お詫び、というわけではありませんが」
「まったくだ、こんなお詫びはいらないよ」
 父親が、妻や子供を守るための力になどなってくれるはずがない。フェイトは、そう思い直した。
 父親とは、家族に暴力を振るう者。子供にとっては、まず真っ先に排除しなければならない存在なのだ。
「……行きましょうかフェイトさん。もうしばらくは普通に歩いて進んでも、大丈夫です」
 言いながら、ダグが歩き出した。
「至って静かな山ですよ。人間は我々だけ、敵意ある生き物はいません、今のところはね。冬虫夏草も、例年通り自生しているようです。ただ、ずっと山奥の方に……何やらおかしなものが、あるにはあるようですね」
「……何で、そんな事がわかる?」
「彼女たちが見聞きしているものは、同時に私も見たり聞いたりしているのですよ」
「彼女たち、ね」
 先に飛ばした、あの蜂の大群の事であろう。
 母に与えられた、虫使いの能力。
 自分の能力も、そう言えば母を助けるために覚醒したものだった。母が、引き金となったのだ。
 フェイトはふとそれを思い出したが、まあ、どうでも良い事ではあった。

 冬虫夏草の自生地は先程、通過した。地中の芋虫から生えた茸の群れ。
 あれらを何倍も大きくしたものが、群生している。
「この大きさ……相当でっかい芋虫から生えてるって事だよな」
 言いつつフェイトは、村で借りたシャベルを地面に突き刺してみた。
「ゾッとしないな……ところで、これ勝手に掘っちゃっていいのかな?」
「冬虫夏草はこんな大きさにはなりませんし、大きければ高く売れるというわけでもありませんよ」
 説明しながらダグは、遠慮容赦なく地面を掘り返している。
「大事なのは品質です。私の見たところ、これらは大きいだけで売り物にはなりません。どんどん掘ってしまいましょう……おや、思った通りのものが出て来ましたよ」
 ダグが、シャベルを止めた。
 彼が掘り出したものを、フェイトは覗き込んでみた。
「……冬虫夏草って言わないよな、これは」
 つい、そんな事を呟いてしまう。
 地中に埋まっていたのは芋虫ではなく、人間だった。
 腐敗しかけた人間の頭部から、大型の茸がいくつも生え、地上に伸びていたのである。
「行方不明の、採取人の方でしょうね……かわいそうに」
「じゃ、これ全部……」
 群生する大型の茸を見回し、フェイトは絶句した。
「……なあダグ、ちょっと訊きたい事があるんだけど」
「お答えしましょう。蜘蛛は、ただ巣を張って獲物を待つだけ、という受動的なイメージの強い生き物ですが、能動的に動き回って狩りをするものも多いのですよ。ハエトリグモなどは、自身の体長の何十倍もの距離を跳躍して」
「そんな事は訊いてない。あんた、思った通りのものが出て来た、とか言ってたよな」
 茸の発生源となっている腐乱死体を見下ろし、フェイトは言った。
「これをやらかした奴の正体に……何か、心当たりがあるんじゃないのか?」
「さあ? どうでしょう。虚無の境界あたりの仕業でしたら、話は早いのですけどね」
 茸の群生地を見回しながら、ダグはさらりと話題を変えた。
「犠牲者の方々を掘り出して差し上げたいところですが……そろそろ日も暮れてきました。テントを張って、夜明けを待ちましょう」
「死体がたくさん埋まってる所で1泊と、そういうわけだな」
 ぼやきながらもフェイトは、ダグと手分けをしてキャンプの準備を始めた。
「日本では、桜の木の下に死体が埋まっていると聞きました。本当ですか?」
「桜の下にも茸の下にも、死体なんか埋まってないよ。普通はね」
 雑談に興じる2人の背後で、もごっ……と土を押しのけ、動くものがある。
 茸を生やした腐乱死体が、穴から這い出そうとしている。
 茸の群生地そのものが、同じようにもごっ、もぞっ……と蠢き、盛り上がり始めていた。

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虫愛ずる貴公子

地元の者たちなのであろう。夜目が利く。地面に転がり込んだフェイトを、銃撃が正確に追って来る。
 小銃の、銃撃だった。強盗にしては装備が良い。
 着弾の火花が、土や小石を弾き飛ばしながら自分に迫って来る。それを感じつつ、フェイトは地面を転がり、引き金を引いた。手の中の拳銃に、攻撃の念を送り込みながらだ。
 敵の姿は見えない。が、敵意の塊は感じられる。夜闇のあちこちに散在している。
 それらに向かって、フェイトの拳銃が火を吹いた。
 火薬の爆発に念動力を上乗せされた銃弾が、通常の何倍もの速度でライフリングを擦り、何倍もの加速を得て銃口から飛び出して行く。それが、嵐の如く連続する。
 念動力に後押しされた銃撃が、フルオートで夜気を切り裂いた。爆炎のようなマズルフラッシュが迸り、消えた。
 夜の土漠のあちこちで、強盗たちがことごとく倒れてゆく。
 死んではいない。全員、防弾着を着用しているようだ。その上から、念動力の銃撃を叩き付けられたのである。肋骨の2、3本は折れているだろう。
「野良強盗が、小銃に防弾チョッキとはね……」
 人民解放軍あたりから武器が流れているのは、間違いなさそうである。
「……お国柄、って奴かなっ」
 おかげで1人も殺さずに済みそうだ、と苦笑しながら、フェイトは跳躍した。
 その身体が、空中で竜巻の如く回転する。毛皮の外套が、螺旋状に捻れる。
 そこへ、残り数名となった強盗たちが慌てて銃口を向ける。
 その時にはフェイトは、彼らの真っただ中へと着地していた。
 右手の中で、拳銃がくるりと持ち直される。
 銃身部を握ったまま、フェイトは身を翻した。
 拳銃のグリップ部分がハンマーの如く振るわれ、強盗たちの顔面をグシャッばきっ! と殴打してゆく。
 折れた歯が、何本も飛び散った。
 歯や肋骨を折られ、倒れ呻いている強盗たちを、フェイトはロープで縛り上げた。
「さてと……あんまり拷問みたいな真似はしたくないんだ。正直に、答えて欲しい」
 動けなくなった強盗たちに銃口を向けながら、フェイトは訊いた。
「あんたたち、通りすがりの物盗り……じゃあないよな? 明らかに俺の事、狙ってたよな」
「たすけて……」
 強盗の1人が、声を発した。
「おれたち、命令されただけ……たすけて……」
「誰に?」
 フェイトの問いに、強盗が何事かを答えた。
 人名のようである。それも、恐らくは漢族の名前だ。日本人の口では、いささか発音しにくい。
 ただでさえ不作の冬虫夏草を、こうして強奪する事によって、さらに値を上げる。要するに、そういう事だ。
 そういう事を企む者によって、この強盗たちは雇われたのだろう。
 間違いなく、人死ににも加担している。とは言え、貧困のせいで強盗をやるしかなくなった男たちである。ここでフェイトが手を下すような事はせず、朝になったら地元の官憲に引き渡すべきであろう。
 その前にもう1つ、確認しておかなければならない事がある。
 冬虫夏草のサンプルが入ったトランクを、フェイトは軽く掲げて見せた。
「土漠の真ん中で立ち往生してる間抜けな日本人が、こんな値打ち物を持っている……なんて話、誰に聞いたのかな?」
「情報、流れて来た……」
 強盗が、怯えながら答える。
「日本人が、1人だけ……だけど、こんなに強いなんて聞いてなかった……たすけて……」
「情報、ね……」
 これ以上の訊問は必要ない、とフェイトは思った。
 誰が流した情報なのかは、どうやら考えるまでもない。

 フェイトが目的地に着いたのは、昼過ぎだった。
 冬虫夏草の生産地である村。
 その村はずれの広い場所にテーブルと椅子を置き、雄大なチベット高原を背景に、ティータイムを満喫している男がいる。
 ダグラス・タッカーである。
 目が合った瞬間、彼は微笑んだ。小麦色の肌と白い歯の色合いが、胡散臭いほど健康的である。
「やあフェイトさん、お疲れ様」
「……本当に疲れたよ。誰かさんのおかげでね」
 フェイトも微笑みながら、睨みつけてみた。自分が睨んでもあまり恐い顔にならないのは、まあ承知の上だ。
 黒縁眼鏡でその眼光を受け止めつつ、ダグは相変わらずニコニコと笑っている。
「アフタヌーンティーには、いささか早い時間ですが、御一緒にいかがです? 貴方のティーカップ、温めてありますよ。さぞ寒かったでしょう」
「それほどでもない。身体、動かしてたからな」
 ダグとテーブルを挟んで、フェイトは少し荒々しく椅子に座った。
「それより英国紳士、あんたに訊きたい事があるんだよ」
「わかりました、お答えしましょう。そう、蜂の社会というものは大部分がメスによって構成されているのです。いわゆる働き蜂は全てメス。オスの役割は生殖のみ。何年前でしたか、『女性は子供を産む機械』などと発言して大問題を引き起こしたお馬鹿な政治家さんが日本におられましたねえ。蜂の世界はその真逆。男性の方が、まさに産ませるための機械と」
「そんな事は訊いてない」
 フェイトは思わず、テーブルを思いきり叩いてしまうところだった。
「俺が訊きたいのは、ピンポイントで俺を襲って来た連中についてだよ。そいつらに情報流した奴がいるらしいんだよね……か弱い日本人が、値打ち物のサンプル持って、土漠で立ち往生してるって」
「か弱い日本人だなどと、私は一言も言っておりませんよ?」
 笑顔のまま、ダグは言った。
「か弱く見えてもIO2の腕利きエージェント、いくらか多めに人数を集めた方がよろしいですよ……と、忠告はいたしましたけどねぇ」
「ああ、確かにちょっと人数は多かったかな」
 うっかり拳銃を抜いてしまいそうになった右手を、フェイトは左手で押さえた。
「……やっぱり、あんたか。俺に何か恨みでもあるんなら、まず口で言ってみてくれないかな」
「そう、全ては対話から始まるもの。ですが対話ではわからない事も、確かにあるのですよ……例えば、貴方の実力」
 ダグが、優雅に紅茶をすすった。
「アメリカに有能なエージェントがいる、というお話は聞いていました。ですが私は、人づての評判というものを信用しません」
「だから試した、ってわけか……」
 俺が強盗に殺されていたら、どうするつもりだったんだ。
 その質問を、フェイトは呑み込んだ。そうなったら、代わりのエージェントが派遣されてくるだけの話だ。
「代わりなんて、いくらでもいる……そういう仕事だってのは、わかってるつもりだよ」
 テーブル上に置いてある、パンのようなビスケットのような茶菓子を、フェイトは掴み取って齧った。
「わかってても俺、あんたと上手くやってく自信ないな……これ、味ついてないんだけど」
「ああ、いけませんよ。スコーンには、ジャムとクロテッドクリームを載せなければ」
 言いつつダグは、温めたティーカップに紅茶を注ぎ、フェイトに差し出した。
「……貴方には感謝していますよ、フェイトさん。おかげ様で、我がタッカー商会の邪魔をして下さっている方を炙り出す事も出来ました」
「ああ、冬虫夏草の値段を吊り上げてる奴がいるんだってね」
 強盗たちから聞き出した漢族の人名を、フェイトは思い出した。
「これで警察の手が入って一掃、という事になれば最良なのですが」
「そうもいかない?」
「四川省の、地方軍閥の方ですよ。この辺りの警察の力では、なかなか……ね」
 ダグが苦笑している。
「まあ今回は、貴方の力を試す事が出来ただけで良しとしましょう」
 自分など、この男の目には、そこそこ優秀な働き蜂か働き蟻にしか見えていないのではないか。
 そう思いつつフェイトは、スコーンにジャムとクリームを盛って齧り付き、紅茶で流し込んだ。

 村人たちへの事情聴取は、ダグが担当してくれた。フェイトがいささか苦手とするテレパシーに頼らぬ、語学力でだ。
「私、フェイトさんと違って腕っ節が全然駄目ですからね。肉体労働以外は、任せていただきますよ」
「……脳筋扱いされてるのか俺、もしかして」
 ぼやきながらフェイトは今、ダグと共に山道を歩いている。
 村人たちは毎年、この時季にこの山に登り、冬虫夏草を採取している。
 だが今年は、採取人が山に入ったまま1人も戻って来ていないという。
 誰も山に近付けない。村人たちは、そう嘆いていた。
「この先は……少し、偵察をした方が良いかも知れませんね」
「そうだな。テレパシーは苦手だけど、敵意のある奴がいるかどうかくらいは」
「いえ、フェイトさんは力を温存して下さい。私の苦手な荒っぽい事を、貴方にお任せしなければならなくなるでしょうからね」
 ダグの言葉と共に、空気が震えた。
 無数の、羽音だった。
 蜂の大群。
 ダグを、そのついでにフェイトを護衛するかのように、飛行・滞空している。機械のような羽音を、禍々しく響かせながらだ。
「ここは、私の出番です……私と、この娘たちのね」
 黒縁眼鏡の奥で、ダグの両眼が熱っぽく輝いた。
 この男は、人間よりも虫を信用している。フェイトは、そう確信した。

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土漠の国にて

いきなり、声をかけられた。
「そこの貴方。そう、マフィアみたいな服装が今一つ似合っていない、童顔の貴方」
「……余計なお世話だ」
 サングラス越しに、フェイトは睨みつけた。
 そこに立っていたのは、フェイトと年齢のさほど違わない、1人の若い男だった。
 ひょろりと頼りない長身を、ゆったりとしたチベット民族衣装に包んでいる。その下に、ブリティッシュスーツを着用しているようだ。
 髪も瞳も黒いが、東洋人ではない。肌は小麦色で、チベット民族と言うよりは、南アジアの人種に近い。ただ整った顔立ちには、欧米人らしい彫りの深さが見られる。
 そんな顔に黒縁のメガネが掛かっており、うさん臭さを醸し出していた。
「貴方、景気の悪い顔してますね~。まるで今の日本のよう」
「だから余計なお世話だって言ってるんだよ」
 無視するのが一番、と思いつつもフェイトは、つい会話の相手をしてしまっていた。
「悪いけど、俺は観光客じゃないんだ。物売りなら、他を当たってくれよ」
「いえいえ、お金を取ろうという気はありません。貴方があまり稼いでいないのは見ればわかります。IO2、お給料安いですからねえ」
 言いつつ黒縁眼鏡の若者は、携えている保温水筒を開け、中身をマグカップに注いだ。
「まあ、どうぞ。お近付きのしるしです」
「……今、IO2って言ったよな」
 差し出されたマグカップを、フェイトはとりあえず受け取った。ふんわりと良い匂いが漂う。ハーブティー、のようである。
「まさか、あんたが……」
「ロンドンIO2所属、ダグラス・タッカーと申します」
 黒縁眼鏡の若者が、にこやかに名乗った。
「どうぞ、ダグとお呼び下さい」
「IO2アメリカ所属……フェイトだよ」
 名乗りつつ、ハーブティーを一口すすってみる。
 ジンジャーの風味が、心地良い。他にハッカ、シナモンなども入っているようだ。
「……これ、美味いね?」
「そうでしょう。せめて気分だけでも景気良くいきませんと」
 ダグが微笑んだ。一癖も二癖もありそうな笑顔だった。
「先程はああ言いましたけど私、日本の景気はまだマシな方だと思いますよ? 例えばこの中国なんて酷いものです。まあ我が大英帝国も、あまり大きな事は言えませんがね」
「……うちの会社は、不景気には強い方だよな」
 言いつつフェイトは、ハーブティーを一気に飲み干した。
「景気悪くて人の心がすさんでくほど、IO2の仕事ってのは増えてくような気がするよ……ああ、ごちそう様」
 空になったマグカップを、フェイトは返した。
「美味かったよ。で、これって何のお茶?」
「ふふふ。英国淑女紳士のティータイムを優雅に彩るタッカー商会の新製品、冬虫夏草ハーブティーの試供品ですよ」
「とうちゅう……かそう……? って何だっけ」
 何やら不吉な響きを持つその単語に、フェイトは聞き覚えがあるような気がした。
「それでは今回の主役をご紹介いたしましょう!」
 そんな言葉と共にダグが、懐から自慢げに取り出したもの。
 それを見てフェイトは、自分の顔からサァーッと血の気が引いてゆく音を、確かに聞いた。
 小さなビニール袋の中で、芋虫が1匹、干涸びている。
 それが、まるで露出した臓物か何かのように、茸らしきものを生やしているのだ。
「うぐっぷ……」
 フェイトは口を押さえた。
 口内に残るジンジャーやシナモンの仄かな後味が、この上なくおぞましい不味さに変わった。
「健肺、強壮、抗癌効果……冬虫夏草の薬効には計り知れないものがあります。そこに生姜やシナモンをブレンドする事によって口当たり良く仕上げ、美味しさと健康の二兎をひたすら追い求めてみました。当商会自慢の逸品ですよ? フェイトさん」
 ダグの説明を聞いてなどいられず、フェイトは、ラサ市の路面に突っ伏していた。

「日本人は腐った豆を食べるのでしょう? トウフ、でしたか。あのネバネバと糸を引く汚らしい物体。あれより遥かにマシだと思いますがねえ」
 ダグが呆れている。
 間違いを指摘してやる気力もなく、フェイトは口直しのモモに齧り付いていた。
 ヤク肉と野菜を小麦粉の皮で包んで加熱した、チベット風の小龍包とも言うべき食べ物である。
 ラサ市内の道端で、IO2の若きエージェント2名は今、屋台に座っていた。
「……新製品とか言ってたよな。あんなもの、物流に乗せて売りさばくつもりなのか」
 10個目のモモをがつがつと食らいながら、フェイトは訊いた。
「やばい薬を広めるのと、大して変わらないんじゃないのか?」
「失敬な。冬虫夏草は、昔から正当な漢方薬・薬膳料理にも使われているのですよ。どこへ出しても恥ずかしくない、チベット地方の立派な特産品……なのですが最近は少々、不作でしてねえ」
 語りながらダグが、マグカップではなく瀟洒なティーカップを優雅に傾け、紅茶を飲んでいる。
 自前のティーセットを、この男は常に持ち歩いているようであった。
「お値段が、それこそ貴方の言う『やばいお薬』並みに高騰しているのですよ。たちの悪い偽物も出回っています。生産地でもトラブルが絶えません……人死にも、出ています」
「みんな、そこまでして欲しいのか。あんなものが」
 今はダグの懐に入っている、あのグロテスクな物体を思い出しながら、フェイトは言った。
 人が死んでいると聞いても、あまり心が動じない。そんな自分に、ぼんやりと気付きもした。この仕事にも慣れてきた、という事か。
「そのトラブルの原因究明そして解決が、今回の任務なのですよ」
「地元の官憲とかインターポールとかじゃなくて、IO2に回って来た。それなりの何かが、あるって事か」
「まあ私個人としてもね、実家のために、冬虫夏草の取引ルートは守らなければなりませんから……ちょっと公私混同ですか?」
「公私混同は別にいいけど、それを懐から出すなよ! せっかくのモモが不味くなる」
「フェイトさん貴方……もしかして、虫がお嫌いですか? いけませんねえ」
 黒縁眼鏡の下で、ダグの瞳がキラキラと輝き始める。
「例えば蜂をごらんなさい。カマキリを、蜘蛛をごらんなさい。余分なものを一切排除して、ただ獲物を捕らえる能力のみを追求しながら進化してきた、彼らはこの地球上で最も機能美に溢れた捕食者です。蝶々をごらんなさい。醜いものから美しい姿へと羽化してゆく、あの様式美! 蟻をごらんなさい。内輪もめもなく皆で働いて皆で子を育てる完璧な労働社会、資本主義的にも共産主義的にも見習うべきところは多いと思いませんか。ゴキブリを御覧なさい。彼らは人類などよりもずっと古い時代からムグムグ」
 ダグの口に、フェイトはモモを押し込んで黙らせた。

 ダグラス・タッカーが、IO2エージェントとして、いかなる能力を持っているのか。それは、まだ明らかではない。
 少なくとも、車の運転が上手い事はわかった。
「……いや、俺が下手過ぎるのかな」
 ぼやきながらフェイトは、ジープの運転席で毛布にくるまっていた。
 チベットの土漠で、夜を迎える事になってしまった。
 トラブルが起こっているという冬虫夏草の生産地までは、ラサからジープで7、8時間という距離であるらしい。フェイトとダグとでジープ2台に分乗し、向かう事になったわけであるが。
 アメリカの舗装道路に慣れきった自分の運転技術が、アジアの奥地では全く通用しない事を、フェイトは認めざるを得なかった。
 土漠の悪路をものともせずに駆けて行くダグのジープに、フェイトはついて行けなかった。
 無理矢理について行こうとした結果が、これである。自分のジープを、フェイトはものの見事にパンクさせ、修理に悪戦苦闘しているうちに夜を迎えてしまったのだ。
 お手伝いしましょうか? と言うダグを、フェイトは先に行かせた。つまらぬ意地を張ったものだ、と今は思う。
 ダグは今頃、すでに目的地に到着しているだろう。
 修理はどうにか終わった。明日、追い付くしかない。夜間にこの悪路を進むのは自殺行為だ。
 それよりも、気になる事が1つある。
 そう思いながらフェイトは、助手席に置いてあるトランクを、ちらりと見やった。
 サンプルの冬虫夏草が、何本か入っている。
 このような大事なものを自分に預けて、ダグは先に行ってしまった。
 彼の話では、麻薬並みに値段が高騰しているらしい。人が死ぬほど苛烈な奪い合いが、行われているらしい。
 そんな品物が、自分の手元にある。そして今は夜。決して治安が良いとは言えない、土漠の真ん中。
 案の定であった。
 複数の敵意が、近付いて来ている。
 敵意ある者たちが、周囲の岩陰に潜んでいる。
 犯罪組織。強盗団。そういった輩であるのは間違いない。
「……これが、狙いか? だとしたら、ちょうどいいな」
 通じるかどうかわからぬ日本語を発しながらフェイトは、毛布の下で拳銃を握った。
「ダグの奴、どうも何か知ってるくせに隠してるっぽいからな……あんたたちに、いろいろ訊いてみるとしようか」  

カテゴリー: 02フェイト, season1(小湊WR), 小湊拓也WR(フェイト編) |

共闘指令

視界の隅で、何かが動いた。
 フェイトは躊躇わず、そちらに拳銃を向けて引き金を引いた。
 閑静な住宅街に、銃声が轟く。
 民家の塀の陰で、1人の男が倒れた。
 拳銃を手にした、黒服の男。ピクリとも動かない。心臓を撃ち抜いたのだ。生きているはずがない。人間ならば。
 生きているはずのない男が、しかしムクリと起き上がった。
 その左胸には、確かに銃痕が穿たれている。が、血は一滴も流れていない。
 痛みすら感じていない様子で、男がフェイトに拳銃を向ける。
 その銃口が火を噴く前に、フェイトは立て続けに引き金を引いていた。
 銃声が連続し、黒服の男の身体が何度も揺らぐ。
 揺らいだ全身に、いくつもの銃痕が生じた。
 穴だらけになって、よたよたと揺らぎながらも、男は拳銃を手放さない。
 その拳銃が、グシャリと潰れた。男の右手が、グリップも弾倉も引き金も一緒くたに握り潰していた。
 バラバラと銃の残骸を払い落としながら、その右手がメキメキと巨大化してゆく。五指が太さを増し、カギ爪を伸ばす。
 男の全身から黒服がちぎれ飛び、大量の筋肉と獣毛が盛り上がって来る。
 人間の姿を脱ぎ捨てながら、男が牙を剥き、カギ爪を振り立て、フェイトに襲いかかった。
 もはや拳銃をぶっ放すような事はせず、目の前の怪物をじっと見据えながら、フェイトは念じた。
 怪物と化す事によって、男の肉体に穿たれたいくつもの銃痕は塞がり消え失せた。が、体内に埋め込まれた弾丸が消滅したわけではない。
 いくつもの銃弾が、怪物の分厚い胸板の奥で、腹の内部で、フェイトの念動力を受けて猛回転を開始する。
 カギ爪を備えた剛腕でフェイトを叩き殺す、寸前の姿勢のまま、怪物は硬直した。
 硬直した巨体が、破裂したように飛び散った。内側から、ズタズタに切り裂かれていた。猛回転しながら荒れ狂う、銃弾たちによってだ。
 大量の肉片を、さらに穿ち切り裂きながら、いくつもの弾丸がギュルギュルと回転し、あちこちに飛ぶ。
 背後に、気配が生じた。
 とっさに、フェイトは振り向いて拳銃を構えた。
 その銃口が、1人の黒人男性の厳つい顔面に突き付けられる。IO2における、フェイトの上司であり教官でもある人物。
 彼の握る拳銃も、フェイトの顔面に突き付けられていた。
 黒人男性の太い腕と、日本人の若造の細腕とが、銃を握ったまま交差している。
 眼前の銃口を意に介さず、教官がニヤリと笑った。
「あっちゃならねえ事だが……相討ち、ってとこかな」
「いえ……」
 目の前の銃口をじっと覗き込みながら、フェイトは呻いた。その銃口の奥には、実弾が装填されている。
 フェイトの右手の中で、グリップ内の弾倉は、すでに空っぽであった。怪物を相手に、撃ち尽くしてしまったのだ。
「何も考えずに撃ちまくってた……俺の、負けです」
「……ま、70点ってとこだな」
 銃を下ろしながら、教官が採点をしてくれた。
 住宅街を模した、IO2の野外訓練施設である。
 長期休暇明けのフェイトに対する、実戦形式のテストだった。
「70点の奴を、100点になるまで育て直してやれる余裕が、今のIO2にはねえからな。あとの30点は、おめえ自身、実戦で取り戻すしかねえぞ」
「わかってますよ……こいつらに出番、盗られたくないですからね」
 応えつつフェイトは、ちぎれて飛び散った怪物の屍を、ちらりと観察した。
 ぶちまけられた肉片が、干涸び、ひび割れ始めている。
 訓練用の疑似生命体、とわかっていても、あまり気分の良いものではなかった。
「錬金術で言う、ホムンクルスってやつの応用らしいな」
 先日フェイトが、とある少女と組んで叩き潰した、虚無の境界の支部。そこから接収した技術で、IO2はこのような怪物を生み出してしまったのだ。
 こんなふうに訓練に使われる、だけではいずれ済まなくなるだろう。実戦投入のプランは、すでに立案されているはずだ。
 やっている事は、虚無の境界と大して違わないのではないか。
 そう感じているのは、フェイト1人ではないだろう。教官の口調にも、同じような思いが滲み出ている。
「……見ての通りさ。うちの組織の方が、おめえ個人よりもずっと化け物じみた事をやってると、そういうわけだ」
 干涸びた肉の残骸を眺めながら、教官はさらに言った。
「なあフェイト。俺たちはな、おめえが化け物でも一向に構わねえ。が……こいつらみてえには、なるなよ」

 さらりと長い黒髪。人形のような美貌に、アイスブルーの瞳。ゴシック・ロリータ風の、黒っぽい衣装。
 どこかで見た事のある少女の顔写真に、フェイトはじっと見入った。
「……何に見える?」
 IO2の上司が、そんな事を訊いてくる。どれほど偉い上司なのか、フェイトはよく知らない。
 あの教官より高い地位なのは間違いないであろう上司の質問に、フェイトはとりあえず答えた。
「……普通の、可愛い女の子に見えます」
「まあ、そうだろうな」
 IO2本部の一室に、フェイトは呼び出されていた。
「その少女の周囲で、大勢の人間が死んでいる……いや、死んでいるというのとは少し違うかな」
 魂を喰われ、廃人と化しているのだろう。
「とにかく、そのような事件が……確認されている限りでも、100年近く前から続いているのだ」
「100年ですか。じゃあ、この子もいい加減おばあちゃんに」
「そうではないから問題なのだよ。100年前から、その少女……と呼んで良いものかどうか、とにかくその姿は全く変わっていない。少女の姿をした、紛れもない怪物なのだ」
 やはり、とフェイトは思った。あのような力を持った少女に、この組織が目をつけていないはずはないのだ。
「最近、その怪物がペンシルバニア州で目撃された……君が虚無の境界の支部を潰したのも、ペンシルバニアだったな」
 見かけなかったか? と、この上司はフェイトに訊いているのだ。
 行動を共にしていた、と正直に言うべきであろう。IO2職員として、報告は義務である。秘匿は重罪となる。
 そんな事を考える前に、フェイトは言っていた。
「……知りません。ペンシルバニアと言っても広いですから。用件は、それだけでしょうか?」
「いや、ここからが本題だ」
 上司の口調が、改まった。
「復帰後、初の任務である。君には、チベットへ飛んでもらう」
「チベット……ですか」
「イギリス支部のエージェントが1名、先行・現地入りしている。即出立し、合流するように」
(復帰早々、飛ばされるもんだなあ……)
 ぶつくさと漏れそうになった文句を、フェイトは辛うじて呑み込んだ。

 正規の航空便で中国まで飛んだ後、チャーター機に乗せられた。
 ラサ市に降り立ったフェイトがまず感じたのは、チベット自治区という場所が、意外に都会であるという事だ。民族衣装らしいものを着た人々と、カジュアルな格好をした若者たちが、同じ区域を行き交っている。
 そのような場所でも、黒いスーツの上下にサングラスという姿をした日本人の若者は、やはり目立つ。
「……まあ、どこでも目立つかな。この格好は」
 ぼやきながら、フェイトはラサ市内を見回した。
 IO2が動くほどの何がチベットで起こっているのか、詳しい事は知らされていない。合流予定のイギリス支部エージェントに訊いてみるしかない。
 通行人たちが時折じろじろと、あまり友好的ではない視線を向けてくる。
 こんな格好である。もしかしたら中国政府の公安関係者とでも思われているかも知れない。
 愛想笑いを浮かべるしかないフェイトに、足音が1つ、近付いて来た。

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