破滅の道、運命の道

買って来た物をテーブルに置いてから、フェイトは再び小屋を出た。
 アデドラ・ドールの姿が、見当たらないからだ。気になってしまう事に、理由はない。
 それほど探す事もなく、アデドラは見つかった。
 小屋から少し離れた場所で、森の奥の方を見つめながら立っている。
「お帰りなさい」
 フェイトの方を見ずに、アデドラは言った。
「とりあえず、そう言っておくわ。貴方が最終的に、どこへ帰るつもりなのかは知らないけれど」
「……まだ決めてない」
「決めるきっかけ、くらいには、なるかも知れないわね」
 森の奥に、アデドラは右手の人差し指を向けた。
「向こうから、悲鳴が聞こえる……」
「あんたの心の中から、じゃなくて?」
「生きている、子供たちの悲鳴よ」
 子供たち。
 その単語がフェイトに、先程の新聞記事を思い出させた。
 子供たちが、相次いで行方不明となっている事件。
「生きている、ってのは間違いないんだな」
 フェイトは、懐から拳銃を取り出した。
「助けられる……って事なんだよな」
「どうするの?」
 アデドラが、訊いてくる。
「別に、貴方が行く事ないと思うわ。だって休暇中なんでしょう?」
「だから、仕事で行くわけじゃあない」
 答えながらフェイトは、少女が指差す方向へと踏み出した。
 仕事でなければ、何なのか。それはフェイト自身にも、わかってはいない。
 わかっているような気はするが、言葉にはできない。
 言葉にした瞬間、とてつもなく陳腐でつまらないものになる。そんな気がした。

 初めてアデドラと出会った時のように、霧が濃くなってきた。
 その霧の奥に、アメリカと言うよりもヨーロッパ的な城館が建っている。
 子供たちの悲鳴が聞こえる、とアデドラは言っていた。
 確かに悲鳴としか表現しようのない悲痛な思念を、フェイトも感じる。
 それを被害者の思念とすれば。加害者の思念もある。
 悲鳴を上げる者たちに、さらなる責め苦を与え、己の欲望を満たそうとする。そんな悪意に満ちた思いが、城館全体から溢れ出しているのだ。
 IO2には一応、連絡を入れておいた。
 だが増援を待たず、フェイトは単身で、城館の敷地内へと踏み込んだ。増援を待っている間に、捕われた子供たちの身に取り返しのつかない事態が乗じるかも知れないのだ。
 霧は、ますます濃くなってゆく。
 まるで白煙のようでもある霧が、あちこちで渦巻いている。
 渦巻く霧のうねりが、何やら人の顔のようにも見えてしまう。
 フェイトは足を止めた。
 目の錯覚ではない。質量を感じさせるほど濃密な霧が、本当に人面の形を成している。うねり、揺らめきながら、微笑んでいる。
 邪悪な微笑み。
 そう感じながらフェイトは、拳銃をぶっ放した。
 霧の人面が1つ、ニコニコ笑いながら牙を剥き、襲いかかって来たのだ。
 フェイトの銃撃が、霧の人面を擦り抜けてゆく。
 普通の弾丸である。仕事ではないから、対霊銃弾の用意はない。
「くっ……!」
 フェイトは、城館の庭園に倒れ込んだ。
 霧の牙が、左肩の辺りをかすめてゆく。衣服が裂け、微かな血飛沫が飛んだ。
 霧ではあり得ない、物理的な衝撃と痛みを、フェイトは左肩に感じていた。
 単なる霧のうねりではない、凶悪な人面の形をした怪物たちが、あちこちでニヤニヤと牙を剥いている。
 実体を持たない、それでいて実体ある物理的な攻撃を仕掛けて来る怪物の群れ。
 こんなものを生み出す力と技術を持った組織を、フェイトは1つ知っている。
「虚無の境界……!」
 肯定も否定もせず、霧の人面たちが一斉に食らいついて来た。無数の牙が、様々な方向からフェイトを襲う。
 目を閉じ、攻撃を念ずる。フェイトに出来る事は、それしかなかった。
 念が、そのまま力となって迸った。
 霧の人面たちが、一瞬だけ断末魔の形相を浮かべてから潰れて飛び散り、単なる霧に変わって弱々しく漂った。
 フェイトは軽く頭を押さえ、よろめきながらも辛うじて倒れず、踏みとどまった。
 思念を、力に変換する能力。こんなものを使えるようになったのも、あの研究施設のおかげであるとは言える。感謝すべきなのかも知れない、と思う事はある。
 よろめく足取りでフェイトは庭園を横切り、城館の玄関扉に体当たりを喰らわせた。
 そのまま屋内に転がり込み、身を起こしながら拳銃を構える。
 広いエントランスホールのあちこちから、人影が殺到して来た。
 ほとんど刀剣と言ってもいい大型のナイフを手にした、人間の男たち。うわ言のようなものを口々に唱えながら、襲いかかって来る。
「古きものに滅びを……そして、新たなる霊的進化を!」
「それを妨げる者に死を!」
「古き者どもに死と滅びを!」
 何本ものナイフが、凶暴に閃きながら自分に向かって来る。
 フェイトは、手の中で拳銃をくるりと回転させ、銃身を握った。
 相手は人間である。問答無用で撃ち殺すわけにはいかない。
「銃の使い方、間違ってるよな俺……」
 ぼやきつつ、銃身を握ったまま拳銃を振るう。グリップ部分がハンマーのように振り回され、襲い来るナイフを片っ端から叩き落としてゆく。
 得物を失った男たちの顔面に、首筋や鳩尾に、フェイトは拳銃のグリップを叩き込んでいった。殴打の手応えが、銃身から立て続けに伝わって来る。
 倒れた仲間らを踏み越えるようにして、男たちは怯む事なくフェイトに斬りかかり突きかかった。
 拳銃を持った相手に、ナイフ1本で挑みかかる。恐怖を克服している、と言うより恐怖を感じなくなっている。洗脳同然の思想教育、あるいは薬物によって。
 虚無の境界という組織の、最も厄介な部分であった。
「何人かは撃ち殺す、しかないのか……!」
 フェイトが迷いかけた、その時。
「……どうして、殺さないの?」
 言葉と共に、軽やかな気配が降り立った。フェイトの視界の隅で、黒髪がサラリと揺れる。
 アデドラ・ドールが、そこに立っていた。
「人を殺した事、ないわけじゃないんでしょう?」
「……まあ、ね」
 フェイトは見回した。
 ナイフを手にした男たちが、1人残らず倒れている。
「……殺したのか?」
「あたし、人を殺した事はないわよ。魂は奪ってきたけど」
 殺す事と何が違うのか、をフェイトが訊いてみる前に、アデドラは言った。
「魂を奪われると、自分の意思では何か食べる事も出来なくなって、最終的には死んで腐っていくだけ……まあ、殺すのと大して違わないのだけど」
 自分が生ける屍に変えてしまった少年の事を、フェイトはふと思い出した。
 倒れ動けぬ男たちを一瞥し、アデドラはさらに言う。
「この人たちからは、生気をほんの少し吸い取っただけ。放っておけば、そのうち目を覚ますわ……こんな連中、生かしておいてどうするの、という気はするけれど」
 言い捨てて、アデドラはすたすたと歩き出した。
「お、おい……」
「こっちよ」
 歩調を変えず、振り向きもせずに、アデドラは言った。
「子供たちの悲鳴は、こっちから聞こえる……助けに行くなら、早い方がいいと思うわ」

 石造りの、大広間である。
 その中央で、子供たちが30人近く、小屋ほどの大きさの檻に閉じ込められていた。
 人種は様々で、男女の比率もほぼ半々。泣き叫んでいる男の子もいれば、虚ろな眼差しのまま膝を抱えている女の子もいる。恐怖のあまり、心を閉ざしてしまった様子だ。
 その檻の上で、男が1人、発狂した猿の如く喚いている。
「そうら泣け叫べ子供たち! お前たちの恐怖と絶望こそが、賢者の石を完成へと導く鍵となるのだ!」
「人類を滅ぼして霊的進化とやらを起こす……ってのが、あんたら虚無の境界のお題目だったよな確か」
 フェイトは、話しかけてみた。
「その妄想を実現するのに、賢者の石がどう役に立つのかな?」
「滅びるのは愚者のみで充分よ。我ら虚無の境界は永遠に存在し続けるのだ! 賢者の石の力でなあ!」
 男の叫びに呼応したかの如く、そこに何かが出現した。
 一言で表現するなら、巨大な蛸である。
 大型トラックほどの大きさの肉塊から生えているのは、しかし吸盤付きの8本足ではなく、十数匹もの大蛇だった。
 檻の鉄格子をくぐり抜けられる太さの蛇たちが、シャーッ! と凶暴に牙を剥き、子供たちを狙っている。
 そんな怪物を嬉しげに指差しながら、男は喚いた。
「そやつが今から子供たちを貪り食らう! 食われる者どもの命が、恐怖と絶望の念が、そやつの体内で凝縮・精製されて賢者の石となるのだ!」
「……賢者の石がどういうものなのか貴方、全然わかってないわね」
 男の傍らに、いつの間にかアデドラが立っている。
「永遠と言ったわね。それなら永遠に生き続けてみる? あたしの中で」
「な、何だ貴様……」
 うろたえ、よろめき、檻の上から落ちそうになった男に向かって、アデドラは細い片手を掲げた。そうしながら、答える。
「……賢者の石よ」
 アイスブルーの瞳が、仄かな輝きを発したように、フェイトには見えた。
 石造りの大広間。その内部の風景が、歪んだ。
 歪みが、いくつもの、人の顔のようなものを成した。先程の、霧の人面に似ている。
 ……否。あれらとは比べ物にならぬほど凶悪でおぞましい顔面たちが、音声なき絶叫を張り上げながら、錬金術かぶれの男に襲いかかった。多方向から噛み付いた。食らいついた。
 男の、手足が食いちぎられた。胴体が食い破られ、内容物がドバァーッと噴出した。
 噴出したものをガツガツと噛みちぎり咀嚼しながら、人面の群れが声もなく絶叫する……
 何かが、檻の上からドサッと落下して、石の床に横たわった。
 たった今、食い殺されたはずの男である。その身体には、1つの外傷も見当たらない。見開かれた目は虚ろで、一切の光を失っていた。
 まるで、あの少年のように。
 人面の群れは、最初から存在しなかったかの如く、消え失せていた。
「不味いわ……こんな魂は、もうお腹いっぱいだと言うのに」
 アデドラが、静かに呟く。
 フェイトは息を呑んだが、戦慄している場合ではなかった。
 何匹もの大蛇を生やした大蛸が、目の前で猛り狂っている。
 錬金術かぶれの男が、魂を奪われて廃人と化した。そのために制御を失ってしまったようである。
 放っておけば子供たちが食われてしまう状況に、何ら変化はない。
 大蛇の群れが凶暴に口を開き、襲いかかって来る。フェイトも、子供たちもアデドラも、まとめて食い尽くしてしまう勢いだ。
 迫り来る怪物を、フェイトは正面から見据えた。
 怪物を倒した事は、ある。
 まだ工藤勇太という、一介の高校生だった頃。錬金術ではなく陰陽道にかぶれた1人の男が、式鬼という怪物を繰り出してきた。
 化け物。あの男は、そう言っていた。
 この子供たちも、きっとフェイトの事を化け物だと思うだろう。
「化け物でいいよ、俺は……!」
 攻撃の念が燃え上がり、膨張し、あの時と同じ力となって、フェイトの全身から迸った。
「俺は、化け物だから戦える!」
 襲い来る大蛇たちが、その本体たる大蛸が、ズタズタに裂けちぎれて飛び散った。
 巨大な肉の残骸が、石の大広間にぶちまけられる。
 その凄惨な光景の真っただ中に、フェイトは弱々しく倒れ込んでいた。
 化け物だから、戦える。人を守る事も出来る。
 消耗しきった精神力で思考しながらも、フェイトはそれを口には出さなかった。
 誇らしげに口に出すような言葉、ではないのだ。
 複数の足音が聞こえた。
 IO2の捜査官たちが、大広間に踏み込んで来たところである。
 フェイトは力を使い果たした。子供たちの救出は、彼らに任せるしかないだろう。
 アデドラの姿は、いつの間にか消えていた。ただ、声だけが残っている。
「いつか貴方が、自分の化け物を持て余した時……その時は、あたしが貴方を食べてあげる。安心して、と言うのも変かしらね」
 幻聴かも知れないものを聞きながら、フェイトはゆっくりと意識を失っていった。

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翡翠の瞳と蒼玉の瞳

いくらか霧が出て来たようである。
 濃霧というほどではない。湿気を孕む白い薄闇の中に、生い茂る木々の形が朧げに見て取れる。
 その霧の中に、少女は佇んでいた。
 フェイトの視覚をまず強烈に刺激したのは、瞳の青さである。幻想的なアイスブルーが、薄膜のような霧の中で妖しく輝いている。
 長い黒髪が風に揺れ、ゴシック・ロリータ風の衣装に包まれた細身をサラリと撫でる。
 その黒髪と鮮烈な対象を成す、白い顔。人間ではあり得ない美しさだ、とフェイトは思った。精巧な人形に、命が宿ったかのようである。
 アイスブルーの瞳が、じっとフェイトを見つめた。
(…………読めない……?)
 翡翠の色の瞳で、ぼんやりと眼差しを返しながら、フェイトはそう感じた。
 自分の能力をもってしても、この少女の瞳から、心を読み取る事が出来ない。
(むしろ、俺の方が……読まれてる……?)
「読めないわ……何も、見えない」
 少女が、声を発した。
「暗く、汚く、濁っていて……何も、見えないわ」
「汚く濁ってる、か……そりゃそうだ。俺、バケモノだから」
 フェイトは苦笑した。
「だから、俺なんかには近付かない方がいい……家へ帰りなよ、お嬢さん」
「帰るわ。貴方と一緒に」
 少女が、フェイトの傍らで屈み込んだ。
 アイスブルーの瞳が、翡翠色の瞳を、じっと覗き込んだ。
「暗く、汚らしく、濁ったものが……貴方の魂を、隠してしまっている」
 人形のような美貌に、ほんの少しだけ、表情らしきものが浮かんだ。
「……あたしに見せてよ、貴方の魂を」

 ここがペンシルバニア州、デラウェア川流域に広がる森林地帯である事はわかった。
 アデドラ・ドールと名乗ったこの少女は、その森の奥深くに、1人で小屋を建てて住んでいる。
 女の子が1人暮らしをしている小屋に、アデドラは構わずフェイトを招き入れ、食事を振る舞ってくれた。
 シチューかスープか判然としないものが一皿、粗末なテーブルに置かれている。
 それをフェイトは、スプーンで一口だけ、すすってみた。
 味がしない。もともと味付けがなっていないのか、それとも今の自分では何を食べても味がわからないのか。
「お口に合わなくても、食べておきなさい。生きるために」
「……俺の命なんて、気遣ってくれるのかい?」
 フェイトは訊いてみた。
「見ず知らずのあんたが、どうして?」
「言ったはずよ。あたし、貴方の魂を見てみたいの」
 テーブルの向こう側から、アデドラが眼差しを向けてくる。
 アイスブルーの瞳が、フェイトをじっと観察している。
 観察されるのには慣れている、と思いながらフェイトは言った。
「それなら、俺を殺してみればいいんじゃないかな……」
「今の貴方を殺しても、美味しい魂は獲れないから」
 冗談とも思えぬ口調である。
「知らないの? 死んだ人間の魂なんかより、生きてる人の魂の方が、ずっと綺麗なのよ」
「それは……知らなかったな」
「お願い。綺麗な魂を、あたしに見せてよ」
 この少女が何者なのかは、やはりフェイトにはわからない。アイスブルーの瞳からは、相変わらず何も読み取れない。
 ただ、何となくわかった事が1つだけある。
「あんたも……バケモノを飼ってるんだな、自分の中に」
(俺と同じ……か)
 シチューかスープかわからぬものを、フェイトはもう一口、舌の上に流し込んだ。
 味らしきものが、少しだけ感じられた。

 悲鳴が聞こえた。断末魔の、絶叫だった。
 死にゆく人間たちの、最期の叫びが、おぞましく悲痛に渦巻いている。
(……何だ……これ……)
 フェイトは呻いた。いや、呻いたつもりだが言葉にはならない。
 声は全て悲鳴となって喉の奥から迸り、響き渡る。
 フェイト自身も今、悲痛な絶叫を響かせて死んでゆく人間たちの1人だった。
 断末魔の悲鳴、ではない声も聞こえる。
『いいぞ、これだけの人間の命を使えば……』
『出来る。今度こそ、完成する』
『我らの手で、作り上げる事が出来る……賢者の石を!』
 熱を帯びた、狂人たちの声。
 同じだ、とフェイトは思った。あの研究施設にいた男たちと同じような輩が、ここにもいる。そして今、おぞましい実験を行っている。
 死にゆく人々の叫びが、フェイト1人に集中した。
 死への恐怖、絶望、死にたくないという思い、生きたいという願い……その全てが、あらゆる方向からフェイトに群がり、ぶつかって来る。入り込んでくる。
 フェイトは悲鳴を上げた。

 自分の悲鳴で、フェイトは目を覚ました。
「はあ、はぁ……はあっ……」
 息をつき、寝汗を拭う。
 粗末なベッドの上だった。
 同じようなベッドがもう1つ、いくらか距離を隔てて置かれ、その上ではアデドラがぼんやりと上体を起こしていた。
 窓から降り注ぐ月光の中で、彼女はどこかを見つめている。この小屋の中ではない、この森の中でもない、このアメリカという広い国ですらない、とてつもなく遠いどこかに、アイスブルーの瞳が向けられている。
 フェイトは、とりあえず声をかけてみた。
「ごめん……俺が、起こしちゃったのかな。変な寝言で」
「気にしないで。悲鳴が聞こえるのは、いつもの事だから」
 アデドラが答える。
 悲鳴。それは今フェイトが夢の中で聞いていたものと同じなのか。
 いや、今のはそもそも本当に自分が見ていた夢なのか。
 そう思いつつ、フェイトは訊いてみた。
「……賢者の石って、何?」
「…………」
 アデドラは答えない。
 彼女の傷を抉るような問いであるかも知れないのは、フェイトも承知の上だ。
「あんたの夢を、覗き見するつもりはなかったよ。けど伝わって来ちまったからさ」
「……あたしも別に、隠すつもりはなかったから」
 ここではない、どこか遠くを見つめたまま、アデドラは言った。
「今、貴方の目の前にあるのが、賢者の石よ」
「……俺、IO2ってとこに勤めてるんだけど。平たく言うと、オカルトっぽい事件を専門に扱ってる職場でさ」
 フェイトは、語ってみた。
「黒魔術とか錬金術とか、そういったものに関しては最初に一通りレクチャー受けさせられたよ。で、賢者の石ってのは……錬金術の世界では究極のアイテムなんだって? 屑鉄を金塊に変えてみたり、どんな怪我でも病気でも治したり。あれば不老不死も夢じゃないっていう、あの賢者の石の事? でいいのかな」
「そのレクチャーでは、肝心な事を教えてないみたいね」
 アデドラがようやく、フェイトの方を向いた。
「賢者の石を、どうやって作るのか……っていう」
「……教わってるよ。そういう事件も、過去に何回かあったみたいだしな」
 大勢の人間の命。それが賢者の石の材料であるという。
 本当かどうかはわからない。ただ、錬金術にかぶれた犯罪者が、賢者の石を求めて大量殺人事件を起こした事例もある。IO2のデータファイルに残っている。
「それじゃ、今の夢は……!」
 フェイトは息を呑んだ。
「そういう事、なのか……?」
「賢者の石は完成したわ。あの錬金術師たちが期待していたものとは、ずいぶん違った形でね」
 淡々と、アデドラは語る。
「不老不死をもたらすもの……と言うより賢者の石そのものが、不老不死の化け物なのよ。たくさんの魂を取り込んで、出来上がった怪物……」
 己の胸に、アデドラは小さな片手を当てた。
「みんな、まだ悲鳴を上げてるわ。あたしの中で……ね」
 夢の中で、痛々しくおぞましく渦巻いていた絶叫を、フェイトは思い返した。
 死への恐怖、絶望、死にたくないという思い、生きたいという願い……そんなものに満ちた悲鳴が、アデドラの中では、常に渦巻いているのだ。
(俺は……)
 自分の中には、化け物が棲んでいる。それを抑えられずにいる。
 だから何なのだ、とフェイトは思った。
(俺は、何……自分1人が、地獄を見てるような気になって……!)
 このアデドラという少女が己の内に閉じ込めてしまったものと比べれば、ずっとましではないのか。
 フェイトには、悲鳴は聞こえない。
 だがアデドラは、もはや何をしても助からぬ者たちの悲鳴を、絶望の叫びを、常に聞いているのだ。
「みんなが言うのよね。自分たちばっかり苦しむのは、嫌だって……一緒に苦しむ、仲間が欲しいって」
 アデドラが再び、遠くを見つめた。
 もしかしたら、己の内で悲鳴を上げ続けている者たちを、見つめているのかも知れない。
「だから、あたし今まで、たくさんの魂を狩り獲って食べたわ。最初に狩ってあげたのは、あの錬金術師の人たち。その後も……まあ、死んでも誰も文句言わないような人だけを選んできたつもりよ」
 少女の可憐な唇が、少しだけ歪んだ。微笑んだ、のであろうか。
「でも、そういう人たちの魂って不味いのよね。ドロドロと汚らしく濁った魂は、もうお腹いっぱい……綺麗な魂を、食べてみたいわ」
「……俺、自分の中にバケモノ飼ってて、それで苦しんでるつもりになってたよ」
 フェイトは言った。
「けど、俺のバケモノなんて……あんたに比べりゃ可愛いもんだって気がする」
「褒め言葉だと思っておくわ」
 会話に飽きたかのように、アデドラは寝転んで毛布を被った。
「お休みなさい……また変な夢見たら、遠慮なく悲鳴上げていいわよ」

 長居をするつもりはなかった。ただ、一宿一飯の恩義というものがある。
 それを返す事になるかどうかはわからないが、とにかくフェイトは、森の近くのとある町に出て来ていた。
 食料品等の、買い出しである。
 アデドラ・ドールの料理の腕前は、自分とさほど違わない、とフェイトは見ていた。
「じゃ、まあ俺が何か作っても、不味いとは言われないよな」
 こう見えても自炊派である。一通りのものは作れる、つもりでいる。
 IO2の仲間たちにも、何度か振る舞った事がある。評価は、まあまあだった。
 親日家を自称する教官が1度「ミソシル」を作ってくれた事がある。
 味は悪くなかったが、どう味わってみても「味噌汁」ではなく「かき玉汁」だった。キクラゲが入っていたので、恐らく中華料理と混同している。
「みんな今頃、仕事してるんだろうな……」
 公園のベンチに座ったまま、フェイトは空を見上げた。
 そろそろ、休暇が終わる。
 教官に言われた通り、自分を見つめ直す事が出来ているのかどうかは、わからない。
 ただ、己の中に化け物を抱え込んでいるのが自分1人ではない、という事はわかった。あのアデドラという少女が、教えてくれた。
 買い込んだものを傍らに置いたままフェイトは、ついでに買っておいた新聞を広げた。
 全米を騒がせた、というほどではないが凶悪殺人犯が1人、逮捕されたらしい。
 有色人種ばかりを狙って犯行を繰り返していた白人の男で、両手両足が折れた状態で道端に倒れていたという。化け物に襲われた、などと口走っており、精神鑑定で無罪を勝ち取ろうという魂胆ではないかと思われる。
 そんな記事が、まず目に入った。
 その近くに「LOST CHILD」という欄がある。行方不明中の、子供たちだ。
 多い、とフェイトは思った。嫌な予感もする。
 人間の犯罪者の仕業なら無論、警察の出番なのだが。
「……何やってんだ、俺は」
 フェイトは呻いた。思わず、新聞を握り締めていた。
 子供が大勢、行方不明になっている。
 その子たちは今、どんな恐怖を味わっているのか。親たちは今どんな思いで、我が子のいない日々を過ごしているのか。
 それに比べて、自分は。
「自分の中に、バケモノがいる? そいつを飼い馴らせないから苦しい? だから仕事が出来ない……? お前、何甘ったれてんだよフェイト……!」

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運命の旅路

命以外のものを全て失った少年が、ベッドに横たわっている。
 フェイトが助けてやれなかった少年。
 ……否。助けてやれなかった、などという消極的な言い方をするべきではない。フェイトは、そう思う。
 この少年の精神を粉砕してしまったのは、自分なのだから。
 あの戦いの最中、少年は叫んだ。
 お前だって僕と同じだ、化け物を心の中で飼っているんだ、と。
「……今になって、響いてきてるよ。あの言葉」
 物言わぬ少年に、フェイトは語りかけていた。
 フェイト。運命。それを受け入れ、戦ってゆく。そんな意味を、エージェントネームに込めてみた。
「格好付けてた……だけだよな、俺」
 今は、そう思う。
 運命を受け入れる。それがどれほど過酷な事なのか、あの時は全くわかっていなかった。
 何の覚悟も決めずに、フェイトなどという大層な名前を申請してしまったのだ。
 長期休暇をもらった。命じられた、と言っても良い。
 仕事上のミスが、目立つようになってきたからだ。
 自分を見つめ直して来い。
 戦闘実技練成場でフェイトを投げ飛ばしながら、教官は言った。
 自分を見つめるってのは、嫌なもんだ。見たくもねえ、一生隠しときてぇもんばっかり見えやがる。けど、そいつとは一生付き合ってかなきゃならねえ。出来の悪い相棒みてえなもんだ。無理矢理にでも何かいいとこ見つけて、受け入れてやれ。それが出来りゃ、運命を受け入れるなんて楽なもんだ。
 そう言いながら教官は、フェイトを何度も床に叩き付け、締め上げた。
 自分を見つめ直せ。
 そう言われてフェイトが真っ先に思いついた場所が、この病院だった。
 自分が生ける屍に変えてしまった少年。どこかで何か1つ間違っていたら、今頃の工藤勇太であったかも知れない少年。
 ほぼ脳死にも等しい状態で眠り続ける少年に、フェイトは言葉をかけた。
「……気楽なもんだよな、あんた」
 何も考えず、眠っていられる。
 今の自分よりも遥かにましだ、とフェイトは思った。

 病院の駐車場に停めてあった車が、盗まれていた。
 被害届を出すのも面倒なので、フェイトは歩いた。車があったところで、どこか行きたい場所があるわけでもない。
 気楽に入院している人間が、もう1人いる。
 ぼんやりと道を歩きながら、フェイトはふと、そんな事を思い出した。
「母さん……」
 あの少年のように、植物人間になっているわけではない。ただ心が壊れているという点においては、フェイトの母も同様であった。
 今は、日本のとある精神病院で暮らしている。
 入院費用は、フェイトがずっと負担していた。あの頃から、ずっとだ。
「よう」
 声をかけられた。
 車が1台、すぐ近くに停まっていた。運転席から、髭面の白人男性が顔を出している。
「どこ行くんだい、兄ちゃん。乗っけてってやろうか?」
「……行くあてが、あるわけじゃないんですよ」
「ワケありみたいだな……ま、何にしても乗ってけよ。もうすぐ暗くなる、日本人の坊やが無防備で出歩く所じゃねえぜ」
「どうも……」
 深く考える事もなくフェイトは、男に導かれるまま助手席に乗った。
「兄ちゃん、もしかして車盗まれたのかい?」
「ええ、まあ……」
「災難だったなあ。この国は、日本と違って無駄に広いからな。車がなきゃ、どこにも行けねえぜ」
 車を走らせながら、男が愛想良く話しかけてくる。
 適当に相槌を打ちながらフェイトは、思い出したくもない記憶を甦らせていた。
 母が、心を病んだ。
 その原因は父である。酒に溺れて暴力を振るう、最低な男だった。
 そんな父が、ある時、馬乗りになって妻を殴っていた。
 母を助けなければ。当時5歳の工藤勇太は、強くそう思った。
 その思いが、全ての始まりだった。
 気が付いたら父が、壊れた人形のように倒れていた。辛うじて生きてはいたが、全身あちこちで骨が折れていたらしい。
 何が起こったのかはともかく、妻に暴力を振るう事など出来なくなったのは事実だった。
 夫の暴力から救われたはずの母は、しかし全く安堵した様子もなく、5歳の息子を呆然と見つめていた。
 化け物を見る目だった。
(親父のせい、じゃない……母さんがああなったのは、単に俺が化け物だったから。だよな)
 フェイトは苦笑した。
 化け物を産み落として平然としていられる女性など、いるわけがないのだ。
 車が、いつの間にか止まっていた。
 運転していた男が、フェイトに拳銃を突き付けている。
「大人しくしな……俺の家まで連れてこうと思ったけどよォ、もう我慢出来ねええ」
 愛想の良かった髭面が、凶悪に歪んでいた。
「こ、ここでヤッちまう事にする……」
「……何を?」
 フェイトは、とりあえず訊いた。
「俺……何をヤられちゃうのかな」
「色付きが! 生意気なクチきいてんじゃねえええ!」
 男が喚いた。いつ引き金が引かれても、おかしくはない。
「俺ぁ特にてめえら黄色い連中が許せなくてよォー。白人の女より綺麗な肌しやがっ」
 言い終えぬうちに、男は吹っ飛んだ。運転席のドアもろとも、車外に吹っ飛んでいた。
 フェイトは何もしていない。ただ念じただけである。あの時のように。
「アメリカってのは最低な国だ……なぁんて思うつもりはないよ」
 フェイトも車の外に出て、男を追い詰めるように立った。
「あんたみたいな奴、日本にだって、いくらでもいるからな」
「ひっ……!」
 髭面の白人男が、ひしゃげたドアと一緒に倒れたまま、立ち上がろうとして立てずにいる。
 立たせてやろう、とフェイトは思った。
 思っただけで、男は立ち上がった。立ち上がった身体がメキッ、ボキッ! と鈍い音を鳴らす。悲鳴が上がった。
「あっぎっ! ぎゃあああああああ」
「懐かしいな。俺の親父も、そんな声出してたよ」
 自分の顔が歪んでゆくのを、フェイトは止められなかった。怒りの形相か、あるいは笑顔か。
「……踊れよ」
 男の身体が痙攣し、跳ねた。その両足が、凄惨な音を立てながら、おかしな方向に曲がった。
 表記不能な悲鳴を発しながら、白人男は倒れ、両腕両脚を壊れた人形の如く路上に投げ出した。まるで、あの時の父親のように。
「……止まらない……俺の、バケモノが……!」
 見下ろしながらフェイトは呻き、そして叫んだ。
「お前の、せいだぞ……お前が! 死んだりするからぁあああああ!」

 辛うじて一命を取り留めた父は、しかしその後、勇太の前にも妻の前にも姿を現さなくなった。
 母はそのまま心を病み続け、日常生活もままならなくなった。
 患者を人間扱いしてくれる精神病院に母を入院させるには、金がかかる。
 だから工藤勇太は、あの研究施設に買われる事となった。
 当時5歳の勇太に、あの男たちは連日、わけのわからぬ薬を投与し続けた。虐待同然の実験も続いた。
 その実験で、満足のゆく結果が出なかったのだろう。男たちは勇太に罵声を浴びせ、暴力を振るった。
 悲鳴を上げる勇太の口に、おぞましいものを突っ込んできた。
 自分が何をされているのかわからぬまま、勇太はただ恐怖を感じていた。
 その恐怖が、弾けた。
 気が付いたら、男たちは倒れていた。と言うより、ぶちまけられていた。全員、原形をとどめていなかった。
 それでいい。研究施設の所長が、言った。
 それで良いのだよ勇太君。やっと、素晴らしい結果を見せてくれたね。君は、やれば出来る子なんだよ……
 何が出来るのかを勇太が理解する前に、研究施設はIO2によって潰された。
 勇太は救出され、今に至る。あの時に目覚めた凶暴なものを、体内に棲まわせたまま。

 教官の言う通り、見たくないものばかりが見えてくる。見たくない夢ばかり見てしまう。
 そう思いながら、フェイトは目を覚ました。
 森の中だった。大木の根元に、フェイトは横たわっている。
 超能力と呼ばれる技能の中でも、特に難度の高いのがテレポートである。感情が昂った時に使用すると、このように見知らぬ場所へと飛ばされてしまう。
 ここはどこなのか。アメリカ国内であるのは、間違いなさそうだが。
 そんな事はどうでも良い、とフェイトは思い直した。どこか行きたい場所があるわけでもない。
「俺……何やってんだろうなあ……」
 フェイトは己を嘲笑おうとしたが、笑えなかった。
 心の中で化け物を飼い、持て余しながら、自分は何をしているのか。どこへ行こうとしているのか。
 IO2に入って、その答えを見つけたつもりだった。が、それは錯覚だった。
 自分は、何も出来ていない。どこへも行けていない。
 あの監獄のような研究施設の中から、自分は1歩も外に出てはいなかったのだ。
「お前が……連れ出してくれたんじゃ、なかったのかよ……」
 失われてしまった面影に、フェイトは呆然と語りかけた。
 応えなど、返って来ない。
 その代わり、足音が聞こえた。木の葉を踏む、微かな足音。
 小さな人影が、フェイトの傍らで立ち止まった。

カテゴリー: 02フェイト, season1(小湊WR), 小湊拓也WR(フェイト編) |

ナイン・フィンガー

拳1つで貧民街から這い上がり、巨万の富を築いた男である。
私生活はいささかスキャンダルにまみれていたようだが、リング上の彼は紛れもなくヒーローだった。アメリカン・ドリームの体現者だった。
そんな最強のヘビー級ボクサーが、失踪した。
「失踪……ってレベルじゃないな、これは」
豪奢な部屋の全体にぶちまけられた血の汚れを見回しつつ、IO2捜査員の1人が呟いた。
眼鏡をかけた、白人の青年。フェイトの同僚である。
失踪したボクサーの豪邸に今、2人はいる。調査と言うか、現場検証である。
数日前の「黒い花嫁」事件と同じく、人間ではないものの気配が濃厚な事件なので、IO2に仕事が回って来たというわけだ。
「まったく……犠牲者がここまで増える前に、回してくれればいいのにな」
フェイトはぼやいた。
ここ数日、アメリカ全土で失踪者が続出しているのだ。
もちろん行方不明者など年間何万人にも上るわけだが、それらはほとんど警察の領分である。
警察の管轄外と思われる失踪事件が、続いているのだ。
有名人が多かった。
スポーツ選手、政治家、ミュージシャン、ハリウッド俳優……そういった人々が、このような大量の血痕を残し、姿を消しているのである。
「仕方ないさ。警察やFBIだって、メンツってもんがあるからな」
ソファに染み付いた血の汚れを調べながら、同僚が言った。
「手に負えないから他人に任せるってわけには、なかなかいかないだろうさ……うーん、こりゃどう見ても致死量だよなあ」
「でも死体は見つからない、と……」
他の失踪者たちも同様であった。
現場に残された血の量から考えて十中八九、生きてはいない。だが死体はどうしても見つからない。
「まあ見つからないだろうな。何しろ食われてるし」
フェイトは耳を疑った。この同僚は今、さらりと何を言ったのか。
「何……だって?」
「だから、食われてるんだよ死体が。髪の毛1本も残らずにな」
殺人犯が、被害者の死体を己の胃袋に隠してしまった。
馬鹿げた話のようだが、死体が発見出来ない理由としては、これしかないという気もする。
そう思いつつ、フェイトは訊いてみた。
「……そんな事まで、わかるのか?」
「残留思念、って奴かな。血を調べれば、そのくらいはわかるさ」
この同僚は、フェイトと同じ力を持っている。
否、同じではない。他者の記憶を読み取るサイコハック能力に関しては、フェイトよりも上だ。
血痕に残った僅かな残留念から、殺人状況を全て読み取ってしまうのだから。
「全て読み取るってわけにはいかないが、まあ犯人が人間じゃない事だけはわかった……人を食う、化け物だな」
「化け物か……」
そう呼ばれた事もある、とフェイトは思い返した。
自分をバケモノと呼びながら、死んでいった男もいる。
バケモノなら、いっぱいいるよ。そう言って工藤勇太を励ましてくれた少女もいる。あれは恐らく、励ましてくれたのだろう。
(自分がバケモノだって事くらい……あの時から受け入れてる、はずなんだけどな俺……)
「ところで話は変わるんだがな」
言いながら同僚が、スマートフォンを取り出して見せた。
画面の中で、ウエディングドレス姿のフェイトが拳銃をぶっ放している。
「……綺麗だぜ、フェイト」
「お前! 何撮ってるんだよ!」
「みんな撮ってるぜー。はっははは、どうだい若奥さん? 教官との新婚生活は」
「……冗談でもそういう事言うなよ、頼むから」
あの少女と同じく、この同僚も、もしかしたらフェイトを励ましてくれている……つもり、なのかも知れなかった。

 

 

 

その同僚が、行方知れずとなった。
例の失踪事件と同一犯の仕業、であるのかどうかは不明である。
ただ彼の部屋には、大量の血痕が残されていた。

 

 

 

その男は、彗星の如くハリウッドに現れ、並み居るアカデミー賞俳優も顔負けの芝居で鮮烈なデビューを果たした。
走れば世界記録を更新し、歌えばヒットチャート首位を独占し、メジャーリーガーを相手にホームランを乱発し、今や政界にまで進出しようというこの男に、全米が熱狂している。
そんな男からIO2に、依頼が来た。妻と娘を捜して欲しい、と。
しかも、フェイトを名指しである。
「……どうして、俺を?」
「貴方のお名前は聞いていますよ、フェイトさん。IO2で最も優秀なエージェントとして、ね」
テーブルの向こうで、男が微笑む。
先日のボクサー宅をも上回る豪邸だ。テーブルに並んでいるのも、豪勢としか表現しようのない料理である。
「……どうか妻と娘を、よろしくお願いしますよ」
男の口調と表情が、沈痛なものになった。
彼の妻も娘も、大量の血痕を残して姿を消したのだという。
(化け物に食われた……なんて、今は言うべきじゃないよなあ)
フェイトは頭痛を覚えた。
本当に、頭が痛い。先程、食前酒を飲んでから、どうも体調がおかしいような気がする。確かに酒はあまり強い方ではないが……
「あんた……!」
テーブルの向こうにいる男を睨みながら、フェイトは椅子もろとも床に倒れていた。
すぐに起き上がった。泥酔者のような足取りで立ち上がるのが、精一杯だった。
「おや、まだ動けるとは……」
意外そうな声を発しつつ、男が立ち上がり、こちらに歩み寄って来る。
沈痛な表情は、邪悪な笑顔に変わっていた。
「さすがはIO2最強のエージェント、という事なのかな?」
「……投薬には、慣れているんだ」
フェイトは無理矢理、微笑んで見せた。
「あんた、自分の奥さんと娘さんを……食って……人の道を、踏み外したんだな……?」
「今は、新しい道を歩んでいる」
言葉と共に、凄まじい衝撃が来た。
フェイトは物のように吹っ飛んで壁に激突し、ずり落ちた。
右のストレート。顔面に残った拳の感触で、辛うじてそれがわかる。
ヘビー級ボクサーのパンチだった。薬で麻痺しかけた身体で、かわせるものではない。
舞うようなフットワークを披露しながら、男が語る。
「ありふれた夫婦喧嘩で、うっかり妻を殺してしまった……その時、私の身体に何かが降りて来たのさ」
悪魔・悪霊の類か。あるいは元々この男が、人間ではなくなる因子のようなものを持っていたのか。
「死体を食したのは、最初は証拠隠滅のためだった……そのうち私は、食べた相手の能力と記憶を、自分のものに出来るようになった。このようになあ!」
高速の踏み込みが来た。
辛うじて立ち上がったフェイトに、機関銃のようなパンチの連打が叩き込まれる。
飛びそうになった意識を、フェイトは辛うじて繋ぎ止めた。
だが、よろめく足を踏みとどまらせる事は出来なかった。
「君の力も、私のものになる!」
倒れゆくフェイトの胸ぐらを、男が荒々しく掴む。
服がちぎれた。フェイトの細い身体から、シャツとジャケットとネクタイが一緒くたに引きちぎられていた。
目立った筋肉のない、しなやかに柔軟に鍛え込まれた裸の上半身を露わにしながら、フェイトは倒れた。
「ある時、私の事を調べ回っていたIO2のエージェントに出会った」
語りに合わせて男の頬が裂け、凶悪なほどに鋭い牙の列が現れた。舌が、禍々しく嫌らしく伸びた。
「彼の記憶から、私は君の事を知ったのさ……フェイト君」
男が、フェイトの半裸身に覆い被さって来た。
綺麗に引き締まった首筋や胸板に、牙が迫る。舌が這い寄る。
「IO2最強のエージェント……私のような存在を、これまで多数、葬り去ってきたのだろう? その力……今、私のものに……!」
「……そうか……やっぱり、あんたが……あいつを殺したんだな……そして、食った……」
迫り来る男の顔面を、フェイトは右手で掴んだ。
どうだい若奥さん? 教官との新婚生活は。
そう言っておどける友の笑顔が、脳裏に浮かぶ。
「俺、少しだけ……バケモノになるぞ……お前のせいだぞ……お前が、死んだりするからあああああ!」
フェイトの絶叫に合わせ、五指の先端から男の頭蓋骨の中へと、念動力が激しく流れ込んだ。
様々なものが、花火のように飛び散った。
首から上の消し飛んだ屍が、布団の如くのしかかって来る。
それを押しのけ、フェイトは上体を起こした。
破砕の感触が残る右掌を、じっと見つめる。
人間ではなくなる因子なら自分も持っている、とフェイトは思う。
おぞましく凶悪な化け物が、自分の中には棲んでいる。
それを上手く飼い馴らすために渡米し、IO2に入った。
「飼い馴らす自信、なくなっちまったよ……どうして、くれるんだよ……」
眼鏡をかけた白人の青年が、脳裏で微笑んでいる。
永遠に失われてしまった面影に、フェイトは語りかけた。声が震えた。
「お前のせいだぞ……お前が、死んだりするから……」
翡翠の色の瞳から、とめどなく涙が流れ落ちた。

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ブラッド・ブライド

バージンロードというのは和製英語で、米国ではウエディングロード、ウエディングアイルなどと呼んでいるらしい。
 とにかく通路上に敷かれた赤い布の上を、純白のウエディングドレスに身を包んだ花嫁が、父親にエスコートされながら歩み進んで行く。祭壇の近くで待つ、花婿のもとへと向かって。
 布が赤色なのは、ここがカトリックの教会だからだ。プロテスタントの教会では、白い布を敷く事が多いという。
 ……どうでも良い知識を、フェイトはひたすら反芻し続けた。そうしていないと、大きな声で笑い出してしまいそうだった。
 ワシントンDC市内の、とある教会。
 一組のカップルが、式を挙げている最中である。
 父親と腕を組んで歩く新婦は、ほっそりと美しい白人女性。
 祭壇の傍らに立つ新郎は、筋骨たくましい黒人男性。
 フェイトの教官である。
 がっしりと力強い身体に、タキシードがまあまあ似合ってはいる。
 厳つい顔面は、震えるほどに緊張し引きつって、滑稽極まる形相のまま硬直している。
(まったく、まるでIO2に入ったばかりの頃の俺じゃないですか……いやまあ、俺はそこまで面白い顔はしてませんでしたけど)
 正視出来ずに俯き、笑いを噛み殺しながら、フェイトは思い返した。
 あの頃の工藤勇太は、この教官に、ただ可愛がられるだけの日々を送っていた。それはもう、可愛がってもらった。叩きのめされ、投げ飛ばされ、絞め落とされた。弱ければどういう目に遭うのか、という事を身体で教えてもらう毎日だった。
 あの鬼教官と、この滑稽なほどに緊張しているタキシード姿の男が、同一人物。
 その事実だけでも、フェイトは懸命に笑いを堪えなければならなかった。
 身を震わせるフェイトに、教官が緊張・硬直しながらギロリと視線を向けてくる。
 フェイトは音を立てずに咳払いをしつつ、ちらりと目を逸らせた。
 その際、黒いものが一瞬、視界の隅をかすめた。
 ひらひらと舞う衣服、のように見えた。
 続いて、刃の閃きのようなものが見えた。
 考える事もなく、フェイトは床を蹴った。跳躍に近い疾駆。
 黒い花嫁が、白い花嫁に襲いかかっている。視界に飛び込んで来たのは、そんな光景だ。
 どす黒いウエディングドレスに身を包んだ人影が、刃物を振りかざしている。そして、新婦とその父親を一まとめに叩き斬ろうとしている。
 否、刃物ではない。大型のナイフにも似た、鋭利なカギ爪である。
 フェイトとほぼ同時に、新郎が動いていた。
 大柄でたくましいタキシード姿が、花嫁とその父親をまとめて庇い、襲い来るカギ爪に背を向ける。
 その広い背中が切り裂かれる……寸前でフェイトは、カギ爪を生やした何者かの腕を、横合いから掴んでいた。
 信じられないほど、冷たい腕だった。
 五指と掌を麻痺させるほどの冷たさに耐え、フェイトはその腕を捻り上げる。
 捻り上げられた黒衣の花嫁の細身が、裏返るように回転した。
 もう片方の手のカギ爪が、とんでもない方向から閃いてフェイトを襲う。
 人間の動き、ではなかった。獣じみた動き、とも違う。正常な骨格を持つ生物の動きではない。
 一閃したカギ爪を、フェイトは跳び退ってかわした。当然、掴んでいた腕は解放する事になってしまう。
 その時には教官が、花嫁と義父を、まとめて抱き運ぶようにして遠ざけ、避難させていた。
 参列客たちが恐慌に陥り、逃げ惑っている。
 新郎の友人として招かれていたIO2隊員たちが、手際良く避難誘導を行っている。
 そんな状況の中、フェイトは黒衣の花嫁と対峙していた。
 黒いウエディングドレスを着ている。それだけは、わかる。
 そのドレスの中に、いかなる身体が入っているのか。それがしかし、こうして正面から睨み合っていても判然としないのだ。
 黒い花嫁衣装の中で、影のようなものが蠢き揺らめき、細身の人型を形成しているようにも見える。それが左右のカギ爪を生やし、眼光をギラギラと燃やしている。
 憎しみの、眼光だった。
「あんた……」
 明らかに人間ではないものを相手に、フェイトは会話を試みた。
 その時にはしかし、黒衣の花嫁の姿は消え失せていた。
 憎悪の眼差しだけが、そこに残っているように、フェイトは感じた。

 同じような事件が、どうやら連続して起こっているらしい。
 黒いウエディングドレスに身を包んだ何者かが、結婚式場に乱入しては新婦を殺害する。
 すでにメリーランド州で3名、ヴァージニア州で5名もの女性が犠牲となっており、東海岸の『黒い花嫁』事件などと呼ばれて合衆国全土を騒がせているようだ。無論、面白半分に騒いでいる輩もいるであろうが。
 犠牲者が8名に上るに及んで、ようやく1つの事実が判明した。
 それは犯人が人間ではない、という事である。
 警察でもFBIでもなく、IO2が管轄すべき事件であるという事が、ようやく判明したのだ。

 ワシントンDC市内の、とある教会。
 一組のカップルが、式を挙げている最中である。
 通路上に敷かれた赤い布の上を、純白の衣装に身を包んだ花嫁が、父親にエスコートされながら歩み進んで行く。
 それを花婿が、祭壇の近くで待ち受けている。がっしりと力強いタキシード姿を、緊張させながらだ。
 筋骨たくましい、黒人男性である。
 花嫁は対照的に、ほっそりと華奢な美女であった。純白のウエディングドレスが、優美な細身を包んでいる。ベールを目深に被って俯いているが、うっすらと透けて見える顔の輪郭は端正で、たおやかな美貌を容易に想像させる。
 新郎と同じく緊張した足取りで、バージンロードを歩む花嫁。
 その傍らで、黒い影が揺らめいた。
 どす黒いウエディングドレス。肉体か霊体かも判然としない、暗黒そのものの姿。
 それが、純白の花嫁に襲いかかる。
 カギ爪が、刃物の如く閃いた。
 花嫁の美貌を覆う純白のベールが、無惨に切り裂かれる。
 その下から、黒髪が現れた。白い肌が現れた。が、それは欧米人の白色ではない。
 東洋人の、黒髪と肌であった。
 ドレスから露出した両肩や二の腕は、ほっそりと華奢、に見えて無駄なく鍛え込まれ、柔軟な筋肉がしっかりと引き締まっている。
 疑いようもなく、男の体格であった。
 露わになった顔立ちは、可愛らしく整って、化け方次第では女性にも見える。
「だからって……何で俺が、こんな事っ!」
 ウエディングドレスを着せられたフェイトが、ぶつくさと文句を呟きながら拳銃を構え、引き金を引いた。
 対霊処理を施されたマグナム弾が、黒い花嫁を撃ち抜いた。
 音声にならぬ悲鳴を、フェイトは確かに聞いた。
 黒いウエディングドレスがちぎれ、人型を成す黒い影が崩れてゆく。
 そんな状態のまま、しかし黒衣の花嫁は猛然とカギ爪を振るった。憎悪を宿した一撃が、フェイトを襲う。
 もう1度、銃声が轟いた。
 崩れかけていた黒い影が、完全に崩れ散り、消え失せてゆく。2発目の対霊銃弾。だが、フェイトが放ったものではない。
 硝煙立ちのぼる拳銃を握っているのは、新郎であった。
「危ないとこだったな」
「本当……大ピンチでしたよ、教官」
 花嫁姿のまま、フェイトは言った。
「バージンロード歩き終わる前に出て来てくれて、本当に助かりました……誓いのキスまでに出て来てくれなかったら、どうしようかと思いましたよ」
「舌まで入れてやろうと思ってたんだがなあ」
 ニヤニヤと笑っていた教官の顔が、いくらか沈痛に引き締まった。
「……さっき連絡があった。お前が言ってた通りの場所で、死体が見つかったらしい」
「やっぱりね……」
 ズタズタにちぎれた黒いウエディングドレスを、フェイトはそっと拾い上げた。
 その黒さは、血の色だった。
 これを着ていた女性は、着衣がどす黒く染まるほどの血を流したのだ。
 先日、少しだけ触れた、黒い花嫁の憎悪の思念。それをサイコハック能力で分析し、フェイトは全てを知った。
 ウエディングドレスを着て、結婚式場へ向かう途中。まさに幸せの絶頂へと至る途中で、彼女は死んだのだ。
 事故に遭い、崖下へと転落したのである。
 呪いの念が血染めのドレスに宿り、怪物『黒い花嫁』となって、殺人を繰り返した。
 そのような真相が今更、明らかになったところで、殺された女性たちが生き返るわけではなかった。

 だからと言って、IO2の職員が幸せな結婚をしてはならないという事ではない。
 教官の結婚式は後日、滞りなく行われた。
 その披露宴の場でフェイトは、
「や、やめて下さい! この国の自由に、そこまで染まる気はないですからっ!」
 悲鳴を上げながら、逃げ回っていた。
 花束やプレゼントを抱えて追い迫って来る、IO2の先輩職員たちからである。ちなみに全員、男性だ。
「なあフェイト坊や。このワシントンDCってとこはよォー、同性婚が認められてんだぜぇえ」
「お、おめえの花嫁姿が! 忘れられねーんだよォオオオオ!」
「結婚しようフェイト君! 幸せにする! 絶対、幸せにするから!」
「お、俺のために! またウエディングドレスを着てくれー!」
「冗談じゃない! ちょっと教官、助けて下さいよ! あんたが立てた作戦のせいで、こんな事に!」
 教官も花嫁も、笑って見ているだけで助けてはくれなかった。

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運命は十字架を背負う

公園と言っても、日本のそれとは桁が違う。何しろ世界遺産である。
 フロリダ半島南端部。先日、事件のあったマイアミ市に近い、某国立公園。
 歩きながらフェイトは、貰い物の菓子をもりもりと齧っていた。
 手作りの、マフィンである。
 マイアミ市内の事件で助け出した女の子から、感謝のメッセージと共に送られて来たものだ。
 IO2は非公開組織のはずだが、こういう贈り物の類は、しっかりと届けてくれる仕組みが出来ているらしい。
「俺が……人から感謝される身分になるなんて、ね」
 呟きながらフェイトは、いくらか固めのマフィンを咀嚼するのに少々手間取っていた。
 子供の手作りである。申し分なく美味い、とは言えない。
 固いのは、恐らく小麦粉を練り過ぎたからだろう。感謝の気持ちを込めて、丁寧に丹念に練り混ぜてくれたに違いない。
 マフィンを作る時の小麦粉の混ぜ具合というものは、いくらか粉っぽさが残るくらいでちょうど良いのだ。それで、ふっくらとしたマフィンが出来上がる。あまり丁寧に練っては、このように固くなってしまう。
 あの女の子には返事の手紙を出さないといけないが、ただ美味しかったよとお世辞を書くべきか、このような偉そうなアドバイスを書いてみるべきなのか、フェイトは迷った。
 あの年齢の女の子だと、そろそろ男のお世辞など見透かしてしまいそうである。味の正直な感想を、知りたがっているかも知れないのだ。
 鳥の声が複数、聞こえて来た。近付いて来た。
 公園でくつろいでいる時に、寄って来る鳥。日本では大抵、鳩である。
 だが今、フェイトの足元に群がって来ているのは、アオサギとペリカンであった。大きなクチバシで、何か狙っていそうな様子である。
 手作りマフィンの入った包みを抱き寄せながら、フェイトはとりあえず会話を試みた。
「……やらないからな。これは俺が、労働の対価として正当に得た報酬なんだ」
 日本語が通じたとも思えないが、とにかく鳥たちが騒ぎ始めた。
 アオサギの鋭いクチバシが、ペリカンの大きなクチバシが、フェイトの足をつついたり挟んだりし始める。
「よ、よせってば。公園の生き物に餌やっちゃいけないっての、日本でもアメリカでも同じじゃないのかっ」
 鳥の群れから逃げ回るフェイトを、子供たちが指差して笑っている。親たちが、それをたしなめている。
 いや、一緒になって笑っている親の方が多いようにも見える。
 アメリカ人らしいおおらかさだ、とフェイトは無理矢理、思う事にした。

 休暇である。
 正直、何をしたらいいのかわからなかったので、国立公園に来てみた。
「ふう……やれやれ、まいった」
 マフィンの最後の一切れを紅茶で流し込みながら、フェイトは息をついた。鳥たちは、公園の職員が上手く追い払ってくれた。
 少しは落ち着いた気分になりつつフェイトは、マフィンと一緒に送られて来た手紙を開いてみた。
 あの女の子の、少したどたどしい感謝の言葉が綴られている。
「人助けが出来た……なんて思うのは、自惚れかな。やっぱり」
 お前、正義の味方かよ。他の奴は助けても、僕の事だけは助けてくれない正義の味方。
 先日の銃乱射事件の元凶となった少年は、そんな事を叫んでいた。
 誰にも助けてもらえないまま彼は、己の精神を肉体から分離させる能力を身に付け、あのような事件を引き起こしたのだ。
 その精神のみを、フェイトは破壊した。
 肉体の方は現在、とある大病院で、植物人間として扱われている。
 女の子は助かった。あの少年を助ける事は、出来なかった。
 フェイトとて理解はしている。この世の全ての人間を助ける事など、出来はしない。
「出来るわけ、ないよな……俺の力で、人助けなんて……」
 この世で最も忌まわしい力。
 あの少年と同じものを、自分は間違いなく持っているのだ。
 子供の泣き声が聞こえた。女性の悲鳴も聞こえた。他の客たちの、どよめきもだ。
 幼い白人の男の子が1人、湿地帯にぐっしょりと座り込んで泣いていた。
 そこへ、何匹ものワニが迫り寄って行く。
 男の子の母親であろう女性が、いくらか離れた所で悲鳴を上げていた。少し目を離している間に、子供が湿地帯にはまり込んでしまったのだろう。
「普通にワニがいるんだよな、この国は……」
 ぼやきつつ、フェイトは湿地帯に歩み入っていた。
 ワニたちを刺激しないよう足取り静かに、靴とズボン裾を濡らしながら、男の子に近付いて行く。
 そんなフェイトに、何匹ものワニが、ぎろりと視線を向けてきた。
「や、やあ。はっはははは、まあまあ」
 フェイトは、とりあえず愛想笑いを返した。
「理性的に、冷静にいこうよ。爬虫類ってのはクールな生き物なんだろう? 冷血動物だけに……ああ、別にアメリカンジョークじゃないからな」
 自分で何を言っているのか今一つわからぬまま、フェイトは身を屈め、男の子を抱き上げた。
 そのまま、睨んでくるワニたちの間を、ゆっくりと歩き抜ける。
 この公園の生き物たちとて、人間を襲わなければならないほど飢えているわけではない。
 まるでフェイトの冗談に呆れ果てたかの如くワニたちは、湿地の奥へと這い去って行った。
「……やれやれ、受けなかったな」
 苦笑しつつフェイトは、抱き運んで来た男の子の身体を、母親の近くに下ろした。
「あ……ありがとうございます、日本人の方!」
 泣きじゃくる息子を抱き締めながら、女性が礼を言ってくれた。
 頭を掻いて曖昧な返事をしつつ、フェイトは空を仰いだ。
(人助け……出来てる、のかな? 俺……)
 忌まわしい、あの力は使わなかった。それでも、子供を1人助ける事は出来た。
 忌まわしい、あの力を使った。それでも、あの少年を助ける事は出来なかった。
 力など、あろうとなかろうと、出来る事と出来ない事がある。
 考えてみるまでもなく、当然の事であった。

 植物人間、と言うよりも、本物の植物だった。
 鉢に入れられ、水と養分を与えられる。ただそれだけの存在。
 ベッドの上で眠り続けている少年を、フェイトはじっと見つめた。
 彼の精神を破壊し、覚める事のない眠りにつかせてしまったのは、フェイト自身である。
 目を逸らせる事は、許されない。
「俺は、あんたを助けられなかった。それは忘れないよ」
 フェイトは声をかけた。
 応えなど、返って来るわけがない。構わず、語りかけた。
「これから先、何人も……助けられない相手が、出て来るだろう。それでも俺は」
 戦い続けるしかない。人を、助けるために。守るために。
 それをフェイトは、口には出さなかった。
 はっきり言葉にした瞬間、何やら陳腐で安っぽいものになってしまう。そんな気がしたからだ。 

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もう1つのフェイト

工藤勇太の知る限り、「運命」を意味する英単語は2つ存在する。「destiny」と「fate」である。
 意味するところはほぼ同じようだが、後者には「死」「破滅」といった、いささか縁起の良くない意味も含まれているらしい。
 知った上で、勇太は敢えて、こちらを選択した。
 死。破滅。下手をすると自分が辿っていたかも知れない、あるいはこれからの選択次第では辿りかねない運命である。
「戒め、ってわけか?」
 筋骨たくましい身体を軍服に包んだ、黒人の大男が言った。IO2で、勇太の教官を務めている人物である。
「まあ、そんなとこです……それにしても、よく生きてましたね教官」
 よく見ると、いくらか火傷の跡らしきものが残っている教官の厳つい顔に、勇太はまじまじと見入った。
「普通死ぬでしょ、あれ」
「死んでたら、おめえんとこに化けて出てるとこだがなあ」
 化けて出るとは、また日本的な言い回しではあった。
「それにしても……うちの組織はあれだ、験を担ぐ奴が多くてな。死だの破滅だのネガティブな名前付ける奴ぁ、そうそういねえぞ。まあデスティニーじゃ語呂が今ひとつだしな」
「験を担ぐなんて言葉、この国にもあるんですか?」
「日本で教わったのよ。俺ぁ、こう見ても親日家だからな」
 教官が、ニヤリと白い歯を見せた。
「日本のコトワザ、いろいろ知ってるんだぜ。『焼け石に水』とか『糠に釘』とか『四面楚歌』とかな」
「……何でそんなネガティブなのばっかりなんですか。これから戦いに行くって時に」
「はっはっは、細けえ事ぁ気にしねえで頑張って来いや」
 教官が、勇太の肩を力強く叩いた。
「名前に負けるんじゃねえぜ……フェイト」

 自分の仕事ぶりの、一体どこを評価されたのかは不明である。
 とにかくIO2上層部からは、エージェントネームの使用を許可された。
 新人・工藤勇太ではなく、捜査官フェイトとしての、初仕事である。
 マイアミ市内で、銃の乱射事件が起こった。
 犯人は警官に射殺され、事件は終息したかに見えた。
 だが直後、その警官が同じく街中で銃をぶっ放し、子供を含む大勢の一般市民を死傷させた挙げ句、別の警官に射殺された。
 すると射殺した警官が、同様に銃を乱射し始めた。
 それが繰り返され、すでに警官だけでも十数名は死亡しているという。
 その十数名に、何か悪しきものが伝染していったとしか思えない事態である。
 市内の路地裏で、フェイトは足を止めた。
 1人の、白人の警官が、よたよたと後退りをしている。
 ヒスパニック系と思われる幼い女の子が1人、その警官に捕えられ、拳銃を突き付けられ、泣き怯えていた。
「お前……」
 血走った眼球でフェイトを睨み据え、警官は呻いた。
「僕を、追いかけて来たな……しつこいくらい、正確に……」
「まあ、何となく……わかっちゃったからね、あんたの事」
 フェイトは苦笑した。
 あの研究施設で開発されてしまった、能力の1つである。
 この警官が今、警官自身の意思で動いているわけではない事も、わかってしまう。
「とにかく、その子を放しなよ。出来れば拳銃も捨てて欲しいな」
 言いつつフェイトは、サングラスを外してスーツの内ポケットにしまい込んだ。翡翠色の瞳を露わにして、微笑みかけてみる。
 警官に、ではなく、泣きじゃくっている女の子にだ。
 このままでは子供の心に、恐怖と不安の後遺症が残ってしまう。まずは、安心させる事だった。
「お前……正義の味方かよ……」
 警官の顔面がヒクヒクと、危険な感じに痙攣した。
「他の奴は助けても、僕の事だけは助けてくれない正義の味方! お前みたいなのがいるせいで、僕は!」
「まずは、そこから出て来なよ。出て来て、話をしよう」
 フェイトは、穏やかに声をかけた。
 助けなければならないのは、幼い女の子だけではない。この警官もだ。
「お前……本当にわかるのか、僕の事が……」
 警官が……否。警官の体内にいる何者かが、言った。
 まだ姿を現していないものを、翡翠色の瞳でじっと見据えながら、フェイトは応えた。
「あんたも……人間として、扱ってもらえなかったんだな」
「そ、そうさ! あいつら僕の事、皮が剥けるまで殴ったり! ガスレンジで腕ぇ焼いたり! 食事だって、まともにさせてもらえなかった!」
 自分も、あの研究施設にいた連中に、人間ではないものとして扱われた。
「だから僕は思ったんだ。こんな酷い目に遭ってる僕は、本当の僕じゃないってね。本当の僕は、もっと自由で、幸せで」
「もう1人の自分を作り出すくらいに心を病んでた時期なら、俺にもあったよ」
「そんなのとは違う! 僕はある時、本当に自由になれたんだ! 風みたいに、空を飛べるようになれたんだよ! あいつらにゴミみたく扱われてる自分を、上から見下ろせるようにね!」
 教官から聞いた話を、フェイトは思い出していた。
 最初に乱射事件を起こして警官に射殺された男は、まず初めに自宅で自分の妻を殺害してから大通りに飛び出し、拳銃をぶっ放し始めたのだという。
「自由になって、僕は気付いたんだ。世の中には僕を助けてもくれなかった、そのくせ僕よりもずっと幸せな連中が、大手を振って歩いてるってね! だから、みんな殺してやるんだ!」
 相手が喋りに熱中している間、フェイトは音もなく踏み込んでいた。
 警官の、拳銃を持つ右手を捻り上げる。そうしながら、片足を高速離陸させる。
 膝蹴りが、警官の腹にズドッと叩き込まれていた。
「ごめん……」
 倒れゆく警官の腕から、女の子の小さな身体を奪い取りつつ、フェイトは謝罪を口にした。警官に対する謝罪だ。
「……って言っても、あんたに謝ったわけじゃあないからな」
「ぐっ……お、お前ぇえええ……」
 倒れた警官の身体から、何かがユラリと浮かび上がって来た。
 実体のない、おぞましい幻影のようなもの。悪夢をそのまま抽出したかのような、醜悪極まる霊体。
 だが、人間であった。
 胸が悪くなるほど醜い姿のどこかに、見間違いようもない人間の原形が、確かに残っているのだ。
「わかるぞ……お前だって、僕と同じだろぉお……」
「……そうだな。まるで、自分を見てるような気分だよ」
 泣きじゃくる女の子の目を片手で覆いながら、フェイトは言った。人間の心そのものが剥き出しとなった、醜悪なるもの。子供に見せるべきではない。
 だがフェイトが目を逸らす事は、許されない。
 この醜悪さを、自分はしっかりと見据えなければならない。
「俺だって、あの研究所の連中だけじゃない……世の中の何もかもが憎くなって、あんたと同じ事をしてたかも知れない。これから先、やらないとも限らない」
「そうさ! 偉そうに正義の味方をやってるみたいだけど、お前だって僕と同じなんだ! 化け物を、心の中で飼ってるんだよ!」
「あんたも……フェイト、だな。死と破滅の方の……」
 翡翠色の瞳で、フェイトはじっと霊体を見つめた。
 その翡翠色が一瞬、輝くように強まった。
 強力なテレパス……精神感応能力が、迸った。
 今や精神のみとなった人間。十数人もの警官たちに取り憑き、殺戮を行った霊体。
 その醜悪な姿が、砕けて飛び散り、消滅してゆく。
 断末魔の思念を、フェイトは一瞬だけ感じた。
 警官は、気を失って倒れている。放っておけば目を覚ますだろう。
 幼い女の子は、まだ泣きじゃくっている。
 そっと頭を撫でながらフェイトは、名前に負けるな、という教官の言葉を思い出していた。
「俺は……どっちのフェイトで、いられるかな……」

 自分の妻を撃ち殺し、大通りに飛び出して拳銃を乱射し、警官に射殺された男。
 その自宅の地下室で、1人の少年が発見された。
 ほとんど監禁状態で、両親から酷い虐待を受けていたらしい。
 虐待のせいか、少年は廃人も同然で、もはや一生、意識は戻らないだろうと言われている。
 IO2が関与するべき問題では、なかった。

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解き放たれた運命

過酷な目に遭うという覚悟はしていた、つもりである。
 そんな覚悟など、あっさりと粉砕された。
 全身で、関節がガクガクと笑っている。乏しい筋肉が、熱を持って痙攣している。
 外傷はない。だが、あちこちで内出血が起こっている。
 準備運動だけで、工藤勇太の肉体は徹底的に破壊されていた。
「立てよ、黄色いの」
 まるで壊れた人形のようになった少年の細身を、教官が容赦なく引きずり起こす。
 大柄な黒人の男である。筋骨たくましいその身体に、空手着が柔道着か判然としない道着をまとい、黒帯を締めている。
 勇太も今は、同じような道着を着ているが、腰に巻かれているのは弱々しい白帯だ。
 IO2アメリカ本部の、戦闘実技練成場。そこで工藤勇太は今、猫に捕われた鼠のような扱いを受けている。
 教官の黒く力強い片手が、勇太の道着を掴んだ。
 片手の力だけで、勇太の身体は物のように宙を舞い、練成場の床に叩き付けられていた。
 背中を強打し、呼吸が詰まった。
 まだ受け身も取れない少年の身体を、教官は巧みに背中から落としていた。
「いくらかアレンジされちゃあいるが……ベースになってるのは、お前さんの国の武道だぜ?」
 息も出来ずにいる勇太を、やはり片手だけで引きずり起こしながら、教官がニヤニヤと笑う。
「もうちょっと、しっかりやってみろや……なあっ」
 よたよたと立つ勇太の両脛を、教官の痛烈な足払いが襲う。
 転倒し、床に全身を打ち付けながらも、勇太は思う。
 この教官は、弱い者いじめを楽しむ最低な男だ。が、あの研究施設にいた者たちよりは遥かにましである。
「俺を、ぶちのめしてえんだろう。やってみろよ」
 勇太を引きずり起こしながら、教官が言った。口元は相変わらずニヤニヤと歪んでいるが、目は笑っていない。
「本気出してみろ……おめえさんの本当の力、見せてみろって言ってんだ」
「……何の……話ですか……」
 ぜいぜいと、ようやく呼吸を回復させながら、勇太は呻いた。
「本気も、何も……これが、俺の全力……」
「この組織を何だと思ってやがる? ええおい」
 教官の片手が、勇太の道着の襟を容赦なく締め上げる。
 この黒人の力加減1つで、自分は容易く窒息死を遂げる。それを勇太は感じ取った。
「超常能力者ってぇ連中を、年がら年中相手にしてる組織だぜ……わかるかい黄色の坊や。おめえがIO2に入って来るってのはなぁ、犯罪者が警察に就職しちまうようなもんなんだよ」
 自分の過去を、何もかも調べ上げられている。
 考えてみるまでもなく、当然の事か。薄れゆく意識の中で、勇太はぼんやりと、そう思った。
 頸動脈を締め上げられ、頭に酸素が行かなくなっている。勇太は、失神寸前だった。
「自分の、本当の力……恐いのかい、受け入れられねえのかい」
 勇太の耳元で、教官が囁く。獣の唸りのような、囁きだった。
 受け入れられない。こんな力を、受け入れられるわけがない。
 この禍々しい力を否定するために、勇太はIO2を志願したのだ。こんな力に頼らずに済む強さを、手に入れるために。
「力は、力だろうが……何で使おうとしねえ? 活かそうとしねえ?」
 教官の囁きが、怒声に変わっていった。
「ヒヨッ子の分際で力の出し惜しみなんざぁ、100年早ぇんだよッ!」
(あんた……なんかに、何がわかる……)
 容赦なく圧迫される喉の奥で、勇太は呻いた。
(こんな、力のせいで……俺が今まで、どんな目に遭ってきたか……誰が、わかるってんだよぉ……っ……)
 そのまま勇太は、意識を失っていった。

 そんなふうに扱われているうちに、少なくとも受け身くらいは取れるようになった。
 爆風に吹っ飛ばされた勇太の身体が、くるりと丸まりながら路面に激突する。
 背中を強打し、呼吸が詰まった。
 慣れない頃であれば、後頭部を打って即死していたところである。
「ぐっ……ぶ……ッ」
 呼吸の回復と共に、喉の奥から血の味が込み上げて来る。
 げほっ、と真紅の飛沫を飛び散らせながら、勇太はよろよろと身を起こした。
 ロス市内の一角である。
 幸い、住民の避難は完了しているようであった。路上に倒れているのは、IO2の隊員ばかりである。
 道路に、大穴が生じていた。爆発によって穿たれた穴だ。
 その爆発を引き起こした張本人が、ゆったりと歩いて来る。
 鎧を着ていた。重厚な、西洋騎士の全身甲冑。その中身が人間の肉体であるのかどうかは、定かではない。
 がちゃ、ガチャッ……と重々しく鎧を鳴らしながら、その男は言った。
「無駄な抵抗はやめよ。滅びの運命を、拒んではならぬ」
 面頬の奥で、真紅の眼光が爛々と輝く。
「生きとし生けるものは全て滅び、霊的なる進化を遂げる……滅亡を経て、新たなる段階へと達するのだ」
 BOUNDARY OF NOTHINGNESS。虚無の境界。
 1999年の終末騒ぎの頃から存在を確認されている、テロ組織である。生体兵器の類を作り出す技術力を有し、このような破壊行為を世界各地で行っているという。
 倒れていたIO2隊員たちの中から、1人が立ち上がって小銃を構えた。
「このっ……カルト野郎が!」
 教官だった。
 怒声に合わせて小銃が火を吹き、甲冑騎士の全身で火花が散る。
 鎧が、銃撃を全て跳ね返していた。
「滅びゆく者どもの力など、その程度のもの……」
 甲冑騎士が、嘲笑う。面頬の奥で、赤い眼光がカッ! と激しさを増す。
 またしても爆発が起こり、教官の身体が吹っ飛んで宙を舞った。
 自分と同じだ、と勇太は思った。
 先天的に有していたものか後天的に与えられたものか、とにかく邪悪な力を開発されて怪物と化した男。
 甲冑などを着せられ、嬉々として破壊殺傷を行うその姿を、勇太は血を吐きながら凝視した。
(俺と……こいつ……一体、何が違うって言うんだ……)
「おい……ヒヨッ子……」
 声がした。
 高々と吹っ飛んでいた教官が、いつの間にか勇太の近くに落下し、路上で無惨な姿を晒していた。
 爆発の直撃は、辛うじて避けたのだろう。だがその全身は焼けただれ血まみれで、一刻を争う状態である。
「これで、わかったろ……力の出し惜しみなんざぁ、してられる仕事じゃねえって事……」
 甲冑騎士が、こちらに歩み寄って来る。
 その真紅の眼光が輝いた時、勇太も教官も、もろともに爆死する。
「まだ、わかんねえのか……! おめえにはな、力があるんだ……」
 教官が、勇太の腕を掴んだ。
「戦いたくても力のねえ奴が、大勢いるんだぜ……俺みてえになぁ……」
「くっ……!」
 恨み重なる教官を背後に庇う格好で、勇太は立ち上がっていた。
 そして、甲冑騎士に向かって拳銃を構える。
「ふん、まだ無駄な抵抗をしようと言うのか……」
 などという甲冑騎士の言葉を最後まで聞かず、勇太は引き金を引いていた。
 そうしながら、力を開放する。一生、封印しておくつもりであった力を。
 薬室内における火薬の爆発に、念動力が加わった。
 爆発と念動。2つの力で押し出されたマグナム弾が、通常の何倍もの速度で銃身内のライフリングを擦り、凄まじい加速を与えられて銃口から奔り出す。2発、3発。
 甲冑騎士の胸板に、銃声と同じ数だけ、穴が生じた。
 念動力を上乗せされた銃撃が、小銃弾をも跳ね返す鎧を貫通していた。
 面頬の奥で、真紅の眼光が苦しげに輝き、薄れ、消えてゆく。
 甲冑騎士は倒れ、動かなくなった。
「……やりゃあ、出来るじゃねえか……」
 教官が、死にそうな顔でニヤリと笑う。
「それでいい……力がある奴ってのは結局、戦うしかねえんだ……運命ってやつさ」
「運命、ですか……」
 ヘリの爆音が、上空から近付いて来る。
 IO2の、救護班のヘリコプターだった。
 この教官を含め、倒れている隊員たち全員が助かるかどうかは、わからない。
 1人でも死んでいたら、それは勇太が殺したという事になる。最初から力を使って甲冑騎士を早々に仕留めていれば、彼らが負傷する事はなかったのだから。
 力がある者は、戦うしかない。それが運命。
 教官の言葉を、勇太は反芻していた。
「運命、か……」
 1つ、名前が思い浮かんだ。
 エージェントネームをもらえる身分になったら、その名前を申請してみよう、と勇太は思った。

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魔像奇譚「陰陽竜」

古代中国の玉彫工芸品、と思われる置物である。
 祭壇のような横長の台座の上で、2匹の竜が向かい合っている。それが本来の形であるらしい。
 だが今は、右側の竜が失われている。左側の竜が、1匹だけで鎌首をもたげ牙を剥いている。
「この右の竜ってのが、ちょいと難儀な代物でね……」
 碧摩蓮が言った。
「その難儀な力を、こっちの左の竜で封じてあったんだ。けど、どういう経緯でか左右バラバラになって、あたしが仕入れたのは見ての通り左側だけ。右側のは、この街のとある大富豪が落札しちまったらしい。そう、暴力団まがいの用心棒を飼ってる、あそこのお屋敷だよ。もちろん話が通じる相手なら金で買い取る交渉はするけど、たぶん今頃はもう話が通じない状態になっちまってるだろうから……ちょいと強引にでも失敬して来て欲しいのさ。人死にが出る前に、ね」

「とは聞いてたけど……まさか、ここまで話が通じないとは」
 黒い青年が苦笑しながら、左右2丁のマグナムをぶっ放した。
 ロングコートは黒、その下に着用しているスーツも黒。サングラスも黒。髪も黒。それら黒色の中で、端正な顔の白さが際立っている。
 名は、フェイト。仕事をする時の名前である。
 仕事の一環として今、銃の引き金を引いている。
 ぶっ放されたマグナム弾が、しかし片っ端からパチパチと跳ね返った。
 銃弾を跳ね返しながら、のしのしと歩み迫る、1人の男。
 人間ではなかった。
 力士並みの巨体は強固な外皮で覆われ、四肢は象のように太く、首は大蛇の如く長い。その長い頸部の先端で、頭部が眼球をぎらつかせて歯を剥いている。
 言うならば、人型のアパトサウルスであった。
 そんな怪物が、力強い両手で大型銃器を携えている。
 通常であれば三脚を必要とする、重機関銃である。怪物はそれを、腕力のみで安定させ、ぶっ放した。
 庭園のあちこちで、いくつもの石灯籠が、庭石が、砕け散った。
 その時には、しかしフェイトの姿は空中にあった。跳躍。カラスかコウモリを思わせる黒いコート姿が、軽やかに宙を舞う。長い脚が天空を向き、白く秀麗な顔がサングラス越しに地上を見据える。アパトサウルス男が、ぎろりと見上げてくる。
 重機関銃が向けられる前に、フェイトは空中で、左右2丁のマグナムを構えた。そして引き金を引きながら、念じた。
 薬室内における火薬の爆発に、フェイトの念の力が加わった。
 念動力、である。
 爆発と念動。2つの力によって押し出されたマグナム弾が、通常の倍の速度でライフリングを擦り、猛加速され、2つの銃口から奔り出す。
 それが3発、4発と続いた。重機関銃に比べると大人しめな銃声が、何度も響いた。
 ロングコートをふわりと舞わせて、フェイトは着地した。
「人間じゃなくなってて、助かるよ。撃っても、殺さずに済むもんな」
「……が……ぁ……」
 アパトサウルス男は、硬直している。巨大な全身あちこちに、マグナム弾がめり込んでいる。
 その巨体が、地響きを立てて倒れた。そして苦痛の呻きを漏らす。
「いっ痛え……痛ぇよう……」
「自分が人間だったって事、思い出したかい?」
 フェイトは微笑みかけた。
「ま、しばらく痛がってなよ。すぐ人間に戻してやるから……ごめん、すぐには無理かな」
 庭園を見回しながら、フェイトは訂正した。
 広大な日本家屋の、庭園である。
 そこに、人間ではなくなった男たちがいた。計4人。
 1人は直立したトリケラトプスであり、1人は人型のステゴサウルスだった。残る2人は、日本刀を持ったヴェロキラプトルと、小銃を構えたアンキロサウルスである。
 倒れたアパトサウルス男と合わせて、この屋敷の用心棒であった男たちだ。
 フェイトの黒いロングコート。その内ポケットの中で、何者かが喋った。
「見事な変わりぶりよ……まるで、在りし日の我々のようだ」
 碧摩蓮から借りて来た、竜の置物。本来ならば左右一対でなければならない竜の、左の片割れである。
 それが、ポケットの中で言葉を発しているのだ。
「おぬしら人間の肉体と、我らの魂……どうやら、よほど相性が良いらしい」
「つまり、あんたらの魂とやらの仕業だと」
 ふわりと身を翻しながら、フェイトは言った。
 2丁拳銃を手にしたステゴサウルスが、小銃を構えたアンキロサウルスが、容赦なく銃撃を開始したのだ。
 吹き荒れる銃弾の嵐を、フェイトは身を翻し、ステップを踏んで、軽やかに回避し続ける。黒いコートが、銃撃をいなすように舞いはためく。
「あんたの片割れが変な力を垂れ流してるせいで、こいつら人間じゃなくなっちゃってると。そうゆう解釈でいいわけ?」
「面目ない……あれは我々の、言ってみれば怨念の集合体でな。我々に代わって地球生物の頂点に立った人間という種族を、とにかく憎んでおる」
 はためくコートの内ポケットの中で、玉彫の竜が言う。
「一方、我々の理性の集合体と言うべきものも存在する。それが私だ。理性の力で、怨念を長らく封じていたのだが」
 それが即ち、1つの台座の上で左右一対の竜が揃った状態なのであろう。
「それが、何故かバラバラになっちゃったと……それにしても」
 回避と同時にフェイトは、左右2丁のマグナムを乱射した。乱射に見えるが、狙いはしっかりと定めている。
「……いや、何でもない」
 火薬の爆発と、念動力。2つの力によって加速と貫通力を高められたマグナム弾の雨が、銃器を持った怪物たちに集中して降り注ぐ。
 2丁拳銃のステゴサウルスが、小銃を持ったアンキロサウルスが、立て続けに倒れた。そして地響きを立ててのたうち回り、激痛の悲鳴を上げる。
 その間、別方向から、トリケラトプス男が猛然と突進して来ていた。
 突き込まれて来た3本の角を、フェイトはゆらりと回避した。黒いロングコートが、まるで闘牛士のケープの如く舞う。
 その内ポケットの中で、竜が笑った。
「わかるぞ。我らに理性などあったのかと、そう言いたいのであろう?」
「言えないって、そんな事」
 フェイトの苦笑に合わせて、別の内ポケットの中から何かが飛び出し、宙を舞った。
 予備の弾倉である。2つのそれが、念動力によって飛翔旋回している。
「地球の生物としての理性は……きっと俺たち人間なんかより、あんたらの方がずっと上だもんな」
 呟きながら、フェイトは軽く身を反らせた。刃の一閃が、眼前を通過して行く。
 日本刀を持ったヴェロキラプトルが、斬り掛かって来ていた。
 縦横無尽の斬撃が、嵐のようにフェイトを襲う。その嵐に煽られるかのように、黒衣の青年の細身が揺れる。揺らめくような回避をしながら、フェイトは両手の拳銃を掲げた。空になった弾倉が、排出されて落下する。
 宙を旋回していた予備弾倉が、代わって銃把へと吸い込まれ収納された。
「おぬしら人間は、まだ若い。発達の余地は、いくらでもある……あり過ぎる」
 コートの内ポケットで、竜が笑う。
「我々から見れば、ようやく卵を破って這い出して来たばかりというところだ。まだまだ、これからであろう」
「先輩からの、ありがたい激励……って事にしとくよ」
 応えつつ、フェイトは跳んだ。日本刀の斬撃に続いて、蹴りが来たのだ。ヴェロキラプトルの左足。鋭利な大型のカギ爪が、後ろ回し蹴りの形に一閃する。
 それを跳躍してかわしながら、フェイトは空中で錐揉み状に身を捻った。黒色のロングコートが、螺旋を成してはためいた。まるで黒い竜巻のように。
 その竜巻が、銃声を発した。左右のマグナムが、それぞれ別方向に銃撃の雨を降らせた。
 日本刀を持ったヴェロキラプトルが、悲鳴を上げて倒れた。
 だがトリケラトプス男は、巨大な頭を小刻みに振るい、3本の角でマグナム弾を跳ね返していた。
 そして、着地した黒衣の青年に向かって突進する。
 その体当たりを、フェイトは地面に転がり込んでかわした。
 トリケラトプス男が、大量の土を舞い上げながら急停止し、敏捷に振り向く。
 巨大な頭部が、小刻みに動いた。3本の角が、手持ちの武器のような動きで、フェイトを襲う。
 振り下ろされ、突き込まれて来る角を、フェイトはかわし、あるいは左の拳銃で受け流した。
 そうしながら、右の拳銃をぶっ放す。念動力の後押しを得たマグナム弾の嵐が、至近距離からトリケラトプス男の全身に打ち込まれる。
 巨体が倒れ、激痛にのたうち回った。
 フェイトは見回し、次なる敵の姿を探し求めた。
 探すまでもなく、轟音と咆哮が響き渡った。
 巨大なものが1体、屋敷の一部を破壊しながら、庭園に降り立ったところである。
「哺乳類ども……その中でも特に下劣なる人間ども!」
 大きく裂けた口が、牙を剥いて叫ぶ。
「我らの卵を盗み、食らい、栄えた者どもの末裔……1匹たりとも、生かしてはおかぬ!」
 用心棒たちは、ある程度は人間の原形を保っていた。
 が、この屋敷の主であろうこの男は、完全なティラノサウルスと化していた。
「今この地上に、再び我らの時代が来るのだ!」
 太い尻尾が地面を打ち、敷地全体を揺るがす。
 巨体と比べて異様に小さな前肢が、カギ爪で挟み込むように何かを保持している。
 フェイトの内ポケットにあるものと同じ型だが向きの違う、玉彫の竜だった。
 それが禍々しい光を発し、この屋敷の主及び用心棒たちを、人間ではないものに変異させているのだ。
「まったく、お金持ちってのは……わけわかんないものを好奇心だけで落札するから、こんな事になっちゃうんだよ」
 ぼやきつつ、フェイトは引き金を引いた。
 左右2丁のマグナムが火を吹き、ティラノサウルスの体表面でパチパチと火花が弾ける。念動力を混ぜ込んだ銃撃が、まるで豆鉄砲だった。
「……まずいな。こんな化け物が、街にでも暴れ出したら」
 呻くフェイトの、ロングコートの内側で、竜が言った。
「おぬし、確か相手の心に語りかける事が出来たな?」
「テレパシーの事? ちょっと苦手だったけどね。最近、少しはマシになった」
「それで、私の思念を増幅させる事は出来るだろうか」
「……やってみようか」
 猛り狂うティラノサウルスの眼前で、フェイトは目を閉じた。
『……聞こえるか、我が魂よ』
 竜の思念が、フェイトのテレパシーによって巨大化し、ティラノサウルスにぶつけられる。
『我らは、すでに滅びたのだ。それは自然の摂理、受け入れようではないか。他の生物に憎しみをぶつけてはならぬ』
『滅びを……受け入れよと言うのか……』
『……俺たち人間も、そのうち滅びるよ。あんたたちほど長くないと思う』
 フェイトは思念で、会話に加わった。
『あんたたちよりも、ずっと惨めな滅び方をすると思う。せいぜい、笑いながら見守っててくれないかな』
『…………』
 ティラノサウルスが、倒れるようにうずくまった。その巨体が、縮んでゆく。
 前肢で保持されていた玉彫の竜が、落下した。フェイトは慌てて、受け止めた。
 その時には、ティラノサウルスだった男は人間に戻り、肥満した裸体を晒し、気絶していた。
 用心棒たちも、人間に戻っていった。異形化していた肉体が縮み、めり込んでいた銃弾がこぼれ落ちる。
 それでも、激痛は残っているようだった。
「い……痛えよう……あんた、救急車呼んでくれよう……」
「今まで荒っぽい事さんざんやってきたんだろう。そのくらい我慢しろよ」
 言いながらフェイトは、ようやく揃った左右一対の竜を見つめた。
 右の竜は、沈黙している。左の竜が、言葉を発する。
「面倒をかけた……申し訳ない」
「それよりさ、あんたたちが滅びた理由って何? 隕石とか地球寒冷化とか、いろいろ言われてるけど」
「自然の理、と言うしかないな。おぬしらも気をつけるが良い」
「気をつけて防げるもんなら、いいけどね」
 滅びる時は滅びるのだろう、とフェイトは思うしかなかった。

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緑の瞳の破壊神

己の身体の大半を機械化し、もはや怪物としか呼べぬものと成り果てた男。
その右手で、金属のカギ爪が、ドリルが、丸ノコギリが、凶暴な音を発して蠢いている。
左目では人工眼球がギラギラと輝き、全身の白衣の下では、金属骨格で補強された筋肉が獰猛に盛り上がり痙攣している。
元々は、IO2日本支部の科学技術長官であった男。今は、虚無の境界に飼われている怪物だ。
その怪物と、穂積忍は対峙していた。
背後では、肥り気味の青年が呆然と固まっている。
松葉杖がなければ立つ事も出来ない白髪の男が、弱々しく上体だけを起こしている。
非戦闘員2名を、守って戦うような格好になってしまった。
格好だけだ、と穂積は思った。
「1つ言っておく……自力で逃げろよ」
右手に握ったクナイを、微かに揺らめかせながら、穂積は言った。
「見ての通り、化け物相手の命懸けの戦いになる。お前さん方を守ってやれる余裕はないぞ」
「戦いだと……愚か者め。貴様ごときドブネズミを相手に、戦いになどなるか!」
元長官の右腕が、巨大化した。機械関節がジャキジャキッ! と伸長し、まるで金属の大蛇のようになった。
カギ爪が、ドリルが、丸ノコギリが、穂積を襲う。
「貴様はただ、一方的に潰れるだけよ! ゴミのようになあアアア!」
もはや会話の相手をしてやる気になれず、かわしもせず、穂積は右手を一閃させた。
光が飛んだ。
機械の大蛇が、穂積を切り裂き粉砕する、その寸前で停止した。
「ぐっ……ぬ……」
元長官が、よろめいている。
その右腕、伸長した機械関節の隙間に、投擲されたクナイが深々と突き刺さっていた。切断された配線が、血飛沫のように火花を噴く。
「そういう、ちょっとした故障や不具合でな、機械ってのは動かなくなっちまうもんだ」
淡々と説明しながら穂積は、左手で、もう一種の武器を構えた。
独鈷杵である。
「あんたみたいなのは、死んでも成仏はしてくれんだろうなあ……中途半端に仏法をかじった俺が、まあ出来るだけの供養はしてやるよ」
まるで読経のように、穂積は帝釈天の真言を呟いた。
独鈷杵から一筋の電光が走り出し、元長官の右腕に刺さったクナイを直撃する。
雷鳴が轟いた。機械化した怪物の体内に、電撃が流し込まれたのだ。
元長官の全身あちこちで、爆発が起こった。細胞強化された筋肉が裂けちぎれ、折れた金属骨格が飛び出して来る。
表記不可能な悲鳴を発しながら、元長官は牙を剥いた。
頬が裂けた。顔面そのものが、裂けていた。
半ば機械化した頭蓋骨が、まるでミミズのような脊柱を引きずりながら飛び出し、金属製の牙を剥き、食らい付いて来る。
それを、穂積はかわした。
かわされた牙が、頭蓋骨が、ミミズのような脊柱が、穂積の傍らを通過して行く。
「動くな!」
頭蓋骨の形をした頭部を有するミミズ。そんな姿に成り果てた元長官が、悲鳴のような脅し言葉を発した。
松葉杖がなければ立つ事も出来ぬ、白髪の男。片腕片足がまともに動かぬらしいその身体に、機械化した脊柱が蛇の如く巻き付いている。金属の牙が、男の細い首筋に触れている。
「動くなよ、穂積……一歩でも動けば、この男の首を噛みちぎる」
「何度も同じ事を言わせないで欲しいんだがな……」
油断無く独鈷杵を構えたまま、穂積は溜め息をついた。
「俺はそいつらに、自力で逃げろと言ったんだ。逃げられない奴の面倒までは見きれんよ」
「貴様、人質を見捨てるのか……!」
「人質は、出来るだけ助けるようにとは言われてる。出来るだけ、な」
「……構わんよ、見殺しにしてくれて」
白髪の男が、弱々しい声を発する。
「ここで助けてもらって、生き延びたとしても……この先、俺に出来る事なんて何にもないんだ……勇太のために、してやれる事なんて……」
勇太という名前、珍しいものではない。穂積はまず、そう思った。
工藤勇太以外の勇太など、いくらでもいる。
そんな事を穂積が思っている間に、元長官は次の動きに入っていた。
「この男……心の内に、素晴らしい虚無を抱えておる。だが手足がまともに動かぬのでは、即席の戦力には成り得んな」
ミミズのような脊柱が、白髪の男の身体から高速でほどけ、別の標的へと向かった。
「貴様の方が、いくらかは……ましで、あろうな」
肥り気味の青年。美少女キャラクターのシャツをまとった肥満体に、脊柱が巻き付いてゆく。
巻き付かれた青年が、滑稽な悲鳴を上げた。
弛みきった腹部に、脊柱の末端部分が突き刺さっていた。
美少女キャラクターのシャツが、ちぎれ飛んだ。
肥満体が、翼を広げていた。弛んだ肉が、脂ぎった皮膚が、翼の形に広がりながら金属化している。
突き刺さった脊柱から、何か得体の知れぬものを注入されたのは間違いない。
「見たか穂積よ! このような屑も同然の素材を、たちどころに強力な兵器へと造り変える! これが私の力よ!」
肥り気味の青年が、笑い叫んだ。それは元長官の声であった。
「この力をもって、あの少年を! 究極の兵器へと造り変えて……否! 最強の破壊神へと生まれ変わらせて見せよう! 私は神を造るのだぁああああ!」
金属の翼が、激しく羽ばたく。
怪物と化した肥満体が、飛翔し、天井に激突した。
その天井が、裂けて破けた。
新たなる身体を得た元長官が、おぞましい笑い声を引きずりながら部屋を、いや研究施設そのものを飛び出し、上空へと去って行く。
「逃がしちまったか……」
裂けた天井を見上げ、穂積は頭を掻いた。
「やれやれ、こいつは……何を言われるか、わからんなあ」
アメリカ本部から来た、あの女性。かなり容赦のない事を言ってくれるであろう。
「俺なんか……助けようと、するからだぞ……」
白髪の男が呻いた。
「言っただろう……俺は、酒で何もかも駄目にしちまったクズ野郎だ……助ける価値なんて、ないんだよ……」
「助けちゃいないさ。俺がもたついてる間に、お前さんが勝手に助かっちまった。悪運、いや御仏のお導きってわけだ」
穂積は、ニヤリと微笑んで見せた。
「あんたには、虫ケラみたく無様に生きながらでも、この世でやらなきゃいけない事がある……仏様が、そう言ってるのさ」

 

 

普通に廊下を歩いていた。
上級生と思われる男子生徒が数名、向こう側から歩いて来た。
勇太は道を空けた、つもりだったが、ぶつかってしまった。
勇太は謝った、つもりだったが、上級生たちは許してくれなかった。謝り方が良くなかったのかも知れない。
とにかく激昂した上級生たちが、工藤勇太をこんな所まで連れ出して暴力を振るった。
結果が、この有り様である。
「あーあ……また、やっちゃったよ俺」
学校の中庭の、あまり目立たない一角。
上級生たちが、まるで死体のように散らばり倒れている。
死体ではない。だが全員、骨の1本くらいは折れているかも知れない。
「ひぃっ……な、何だ……何なんだよ、てめえはよォ……」
そのうち1人が、泣きそうな声を発している。
勇太は、暗く笑った。
(親父みたいだな、まるで……)
自分の父親もあの時、こんなふうに痛がり、泣きじゃくっていたものだ。
それまで高圧的に暴力を振るっていた男が、血まみれになりながら無様にのたうち回り、泣き喚く。
快感だった。
母を助けるため、などという言い訳は出来ない。あの時、自分は確かに、悦楽に近いものを感じていた。
あれから、そろそろ10年が経つ。
その10年間で、勇太は1つだけ理解した。
「俺が……最低の人間だって事さ」
これで、この学校にも居られなくなった。
これまで我慢強く勇太を育ててくれた叔父も、今度こそ許さないだろう。
「追い出される……よな。ま、別にいいけど」
勇太の独り言に、何者かが応えた。
「それなら、私と共に来い!」
地響きが起こった。
巨大なものが、重々しく着地したところである。
力士のような肥満体。その弛んだ肉と皮膚のあちこちが金属化し、一部が左右に広がって翼を成している。
そんな怪物が、何やら奇天烈な事を言っているのだ。
「破壊神としての素質を、開花させつつあるようだな」
「……何? お前」
怪物なら自分と同じだ、と勇太は思った。
「私は、お前を導く者……」
わけのわからぬ事を言いながら、怪物が近付いて来る。おぞましい姿。だが、ここにいる工藤勇太という怪物は、もっとおぞましく禍々しい。
「私の手によって、お前はこの世で最強・至高の存在となるのだ。さあ……」
この肥満した金属の怪物が何者なのか、勇太は何となく理解した。
あの研究施設にいた連中と、同じような何者かだ。
(俺に、あそこへ戻れと……そういう事か)
それもいい。そんな気分に、勇太は陥っていた。
(俺……どうせ化け物だし、な……)
全身に、何かが巻き付いて来た。
ミミズのような、金属製の脊柱。怪物の肥満体の、あちこちから生えている。
それらが勇太の手足を拘束し、胴体を、首を、締め上げる。頸動脈を、圧迫する。
「しばし眠るが良い……たっぷり時間と手間をかけて、お前を造り変えてやろう……」
怪物が、耳元で囁いている。耳元の声だが、遠い。
脳への血流を止められ、勇太は意識を失いつつあった。
幻聴、であろうか。
薄れゆく意識の中、勇太は足音を聞いたように感じた。声も聞こえた、ような気がする。
(また……あんたかよ……)
勇太は、舌打ちをしたくなった。
穂積忍に違いない。
勇太が何かしでかす度に、あの男は嫌味たっぷりに拍手をしながら現れて皮肉を言う。
今回は、この肥満した金属怪物と何やら言い争っているようだ。その内容までは、もはや聞き取れない。
怪物が、どうやら狼狽しているらしい事は伝わって来る。
穂積が、怪物と戦って勇太を救い出そうとしている。そんな状況だ。
(余計な事……なんだよ……)
悪態を口から出せぬまま、勇太は意識を失った。

 

 

急いで来る必要もなかった、と穂積忍は後悔した。
すでに、事は終わっている。
工藤勇太が通っている学校の、中庭である。
何人か、倒れていた。負傷した男子生徒と、肥満した全裸の若者。
「救急車は、呼んでおいたよ」
そう言ったのは、穂積の親友である1人の男だ。
その両腕で抱き上げられたまま意識を失っているのは、勇太である。
穂積は、頭を掻くしかなかった。
「やれやれ。まさか、引退した奴に尻拭いをしてもらう事になるとは……俺もそろそろ引退と、そういう事かな」
「冗談だろう。穂積君は、きっと死ぬまで現場の人間だよ」
甥の細い身体を抱き上げたまま、男は笑った。笑いながら、何かを踏みにじっている。
金属製の頭蓋骨。半ば潰れ、中身が飛び散っていた。
「あの時……半殺しで済まさず、きっちり始末しておくべきだったよ」
「……お前、IO2に戻る気はないか?」
この男を退職させてしまったのは、IO2にとって損失以外の何物でもない。穂積は本気で、そう思う。
「上の連中は、俺が弱みを握って言う事を聞かせる。だから」
「僕はもう、いない人間さ」
言いながら男が、勇太の身体を穂積に押し付けてきた。
「勇太を助けたのは、僕ではなく穂積君だ……勇太も、そう思ってる。そういう事にしておこう」
「余計な事を、としか思ってないだろうけどな。こいつは」
押し付けられたものを仕方なく受け取り、抱き上げながら、穂積はぼやいた。
叔父に助けられた事も知らぬまま、勇太は安らかに意識を失っている。
寝顔は、まあ可愛くない事もない。穂積は、そう思った。

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