■ born free ~後編~ ■

 

――俺には自由などない。

 

 

夜の公園で街灯の下、そう告げる銃口に。
俺はもっとショックに狼狽えたり、諦念に後退ったり、冷ややかに現実を傍観するものだと思っていた。
だけど、現実にはカーッと頭に血が昇って、全身の血液が沸騰するような感覚を覚えた。それは純然たる怒り。理不尽な束縛への憤りだ。
猫を抱いて間合いを詰めるように走り出す。躊躇いなくひかれた引き金は一歩を踏み出そうとした足下を穿った。俺は右手を翳す。公園の砂場の砂がごうっと音をたて自分を中心に砂塵が逆巻き渦を作った。
右手をゆっくりと握り込む。手の中には1本の槍。
砂塵の向こうから聞こえてきたのは彼の舌打ちだったか。
「ちっ…反抗期かよ」
なんだよ、それ!
地面を蹴った。

 

 

――なんだよ! それ!!

 

 

結論からいえば、IO2が探している猫がただの猫なわけがなかった。そんな単純な事にも気づけなかったのだ。それよりもIO2と草間さんに対する不審感の方が大きくて…いや、煽られてというべきか。
後になって落ち着いて考えてみれば、俺は工事現場でディテクターに出会った時から猫に囚われていたのかもしれないと思う。
負の感情を弄ぶ猫に。
ディテクターと草間さんが同一人物かもしれない…それは可能性でしかなかった筈なのに断定的になったのもそのせいだろう。
そうやって思考の選択肢を奪われ、怪我をしている猫の怪我の理由も考えず、ただ築き上げられたと勘違いした猫との友情に、俺はだからディテクターと対峙させられていた。
これは、自由を勝ち取るために必要な事なのだと何の疑いもなく拳を振り上げ、その思考自体が自由意志ではなく猫に操られたものだったという皮肉な話だ。
結果は怒り任せの俺に勝てる道理なんてなく。
薄れゆく意識の片隅で猫が別の何かに変貌する姿を見た。

 

 

 

 

次に目を覚ますとそこは病院のベッドの上だった。
傍の丸椅子で本を読んでいた草間さんが、目を覚ました俺に気付いて立ち上がと、こちらを覗き込むようにして言った。
「目を覚ましたか。心配したぞ」
本当に心から心配している顔と声だった。
「…はい、すみません」
俺は困惑げに応える。猫は…と聞こうとしてやめた。仮にもIO2のトップエージェントが仕損じるなんて事はあり得ない。
草間さんがホッとしたように再び椅子に腰をおろす。
俺は乳白色の天井をぼんやり見上げながら意識が途切れるまでの事を反芻していた。どれくらい間があったのか。実際には時計の秒針が1周もしてないだろう時間。
「驚いたぞ。救急車で運ばれたと聞いた時は…」
草間さんの呟きに俺は内心首を傾げる。草間さんがディテクターなら、自分でしておいて、聞いた時とはなるまい。
「草間さん…」
上体を起こして言い掛けた言葉を病室の扉が開いて飛び込んできた声がかき消した。
「勇太さん! 大丈夫ですか? 目を覚まされたんですね」
入ってきたのは、草間さんの妹で草間興信所の探偵見習いをしている草間零だった。
「あ、うん。ありがとう」
応えた俺に彼女は「よかった」と微笑んで、安堵の息を吐いた。
どうやら彼女にも相当心配をかけてしまったらしい。それどころか。
「手続きとお会計済ませてきました。目が覚めたら帰っても大丈夫だそうですよ」
などと草間さんに話している彼女に、俺はため息を漏らす。
いつも周りに心配かけるばかりか迷惑かけてばかりだ。他人を助ける力があると言って貰えたのに、結局、あの時も今回も助けられる側で。
ディテクターにも助けられてばかりだ…。
あの時『反抗期かよ』と彼は言った。俺の暴走を反抗期、と。
ああ、そうか。
俺は監視されているんだと思いこんでいた。
だけどその実、俺は――。
「はっ…」
これは失笑ものだ。
「どうしたんですか?」
「勇太?」
「はは…あはははははははっ」
笑いがこみ上げてくる。自分の傲慢っぷりに。自意識過剰も甚だしい。
俺は両目を片手で覆って天を仰ぐ。
俺はバカだ。
こうやってみんなに迷惑をかけて、助けられて、心配かけて。ようやく気付くなんて。
「あっはっはっ! はははははっ!」
笑いすぎて…泣けてくる…。
布団に顔を埋めて。俺は笑いが堪えきれない。
監視なんかじゃない。未熟で危なっかしい俺は草間さんにも、そしてたぶんIO2にも、ずっと【見守られて】いたんだ。
「はははははは…苦しい…笑いすぎて…」
それをうざいと感じて過干渉に反発して、勝手に自由を奪われたと憤って、あれが監視だったと?
違う。
暴走する俺が周囲を傷つけないように監視していたわけじゃない。暴走した俺が後悔しないように見守ってくれていたんだ。だって彼らなら、あの時も今回も俺が暴走する前に止められたじゃないか。何故、暴走を放置した? 簡単だ。俺の暴走は脅威ではなく反抗期だからだ!
「勇太さん、まだどこか痛むんですか?」
また、彼女に心配させているけど、俺は言葉も紡げず布団から顔もあげられないまま堪えるように拳を握るだけだった。
どうしようもなく可笑しくて、どうしようもなく涙が…。
「ははははははは…」

 

 

涙が…。

 

 

 

 

「さっき何か言いかけてただろ?」
草間さんがタクシー乗り場に並びながらそういえばと切り出した。病院からの帰り道。
言いかけの…って、彼女が病室に入ってきた時の事か。
「あぁ、えぇっと…草間さん、IO2に俺の宿題の事、話した?」
って聞こうとした。本当はどっちなんだろうと思ったからだ。草間さんはディテクターなのか。
「は? 宿題? 何のことだ?」
何の脈絡もなく飛び出した宿題という単語にしばし首を傾げて、草間さんは記憶を辿るように視線を泳がせた。
「…って、あれかな? 今日は手伝いはと聞かれて、宿題させてるとか話したけど…そういう話じゃなくて?」
「ううん…そっか…」
それで、何となくわかってしまった。つまり…なんて本当はどっちかなんて、もうどうでもいい事だった。俺にとってはどっちも…。くだらないことを勘ぐるのはやめよう。
頭の上に「?」をいくつも並べている草間さんを後目に俺はタクシーに乗り込んだ。彼女が助手席に座る。
タクシーが走り出した。
流れる車窓を見送りながら俺は漸く意を決する。それは晴れやかなすっきりとした気分で。
隣に座る草間さんにむけて決意表明。
「俺、IO2に入ります」
誰かを守るという以前にまずは自分を守れる力を身につけようと思った。考えなしに行動して心配かけたり助けられたり迷惑をかけたり誰かを危ない目に巻き込んだりはもう御免だ。だから、そういう力の使い方をちゃんと覚えたかった。それにはきっとIO2がいいのだと思う。
自分を守れるようになったら、残りの力で誰かを守れるようになれればいい。その力はあるってお墨付きは、もう貰っている。
「それは自分の意志か?」
「はい」
草間さんの問いにきっぱりと答えた。迷いはない。
俺はずっと自由だった。ただその事に気づけなかっただけだ。
「そうか。まぁ…頑張れ」
草間さんは複雑そうにエールをくれた。

 

 

IO2に入ったらいつか。
俺みたいに勝手に袋小路に迷い込んで不自由にも雁字搦めになっている誰かを。
ディテクターのように助け。
草間さんのようにその背を見守ってやれればいい。
なんて思う。

 

 

なんか悔しいけど、これは夢ではなく目標だ。

 

 

■End■

 

 

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【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】

【1122/工藤・勇太/男/17/超能力高校生】

【NPC/草間・武彦/男/30/草間興信所所長、探偵】
【NPC/ディテクター/男/30/IO2エージェント】
【NPC/草間・零/女/ /草間興信所の探偵見習い】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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born free…
他人の思惑なんて関係ない
それをどう感じどう受け止めるか
それこそは君の自由だ

という事で
敢えて草間さんやディテクターの真意には触れず
今回は勝手ながら一人称にしてみました

楽しんでいただけていれば幸いです
ありがとうございました

カテゴリー: 01工藤勇太, 斎藤晃WR |

Harvest of happiness

「トリック・オア・トリート!」
道を歩く子どもたちがそんな事を言いながら近所を回っている。
ハロウィンの恒例行事であった。
白い布を被りゴーストの仮装をしている子供を尻目に、クレイグは煙草を咥えて歩いている。
世間が季節イベントで盛り上がろうとも、IO2では仕事三昧だ。
「……はぁ」
今更ながらのため息が溢れる。
張り込みの調査依頼を終えて報告へと戻るところであったが、上司がさらなる追加案件を匂わせていたので歩みが鈍った。
どこかに寄り道するかとも思うが、近場は顔なじみで何かと声がかかる。
うまく交わせばいいのだが、今日はどうにも乗り気ではないようだ。
「疲れてんのかねぇ……」
紫煙混じりの独り言が漏れる。
オレンジに染まる街並みとは裏腹に、彼の心情はあまり穏やかではなかった。
「…………」
寒風がクレイグをすり抜けていく。
秋から冬へと移り変わろうとしているその冷たさが、いつも以上に身にしみた。
その風が、咥えたままの煙草を煽る。
そこでようやくクレイグは口元に手をやり、煙草を手に取った。
別段、何があったというわけではない。任務が失敗したわけでもなければ、人間関係が悪くなっているわけでもなく、ましてや生活が苦しいわけでもないのだ。
――ただ、自分の隣が寂しいだけ。
季節はめぐり、彼がいなくなってもう一年になると言うのに、未練がましいものだとクレイグは自嘲した。
少し前に、電話で声を確かめた。
それが、今に繋がっているのかもしれないとも思う。
心の奥で隠していた感情が、少しずつ漏れているかのような気分だ。
「あ~……」
どうにもならない思考回路を断ち切るかのごとく、クレイグはその場で立ち止まってそんな声を上げた。
行き交う人々がそれをチラチラと見てきたが、無視をする。
「……お仕事するかぁ」
しばらく木枯らしが吹く空を見上げて、諦めたような言葉が漏れた。
それから彼は、歩みを再開させて報告のために本部へと戻るのだった。

 

 

本部に戻ってからのクレイグに与えられた任務は、なぜか雑務であった。
「……俺は捜査官なんだが」
「私との仕事がそんなにつまらんか?」
「いーえ、別に。あんたと肩を並べて書類整理が出来るなんて光栄デス」
クレイグは一つの部屋にこもり、その場にいた老エージェントの隣でパソコンへのデータ入力をさせられていた。
ひたすら、老エージェントが目を通した書類をデータ化していくという、非常に地味な任務であった。
大ベテランがなぜこんな場所で地味な作業をこなしていて、その助手に自分が指名されたのかは、クレイグは尋ねないことにした。
「…………」
「…………」
室内は静かであった。
その中で、書類をめくる紙の音とキーボードを叩く音だけが響き渡っている。
クレイグはいつまでこの作業が続くのかと思いつつ、モニターを睨みながら入力作業を続けた。
「――そういえば」
老エージェントが書類に目を通しながら、そんな事を言いだした。
クレイグも手を休めることなく、黙って耳を傾ける。
「以前にお前たちと一緒に潜入した研究所だが、最近になってまた動きがあったようだ」
「……あの施設、もう機能してねぇだろ」
「だが、大もとは掴めずじまいだ。新たな拠点などいくらでも作れるだろう」
わずかに緊張が生まれた。
自分たちは『そのために』いるエージェントだ。暗躍が続く限りは調査し、排除していかなくてはならない。
「お前にも調べてもらうことになるかもしれん」
「へいへい。楽な案件で頼みますよ」
「そうか。では、今日はこの辺で終わりとしよう。――君も今日を楽しみたまえ」
そう言って、老エージェントは書類を手にしたままで立ち上がった。
そしてクレイグの反応を待たずに、彼は部屋を出ていってしまう。
だが、彼が残していったものがあった。小さなオレンジ色のラッピング袋だ。
クレイグはそれを徐に手に取った。あの老人がハロウィンに贈り物とは奇特なことがあるものだと思いながら。
「!」
裏を返すと、そこにはひとつの文字があった。
『From F.』
クレイグは慌てるようにしてその袋を開けた。中には色とりどりの飴とメッセージカードが入っている。『彼』の文字で『Good Halloween.Craig』と書いてあった。
「……なんだよ、直接送ってくれりゃいいだろ……」
遠回しなプレゼントだった。粋な事をすると心で思いつつも、クレイグの表情はいい具合に綻んでいる。
こちらで縁の深かったエージェント達へと送ってきたのだろう。
その中に、自分宛てのものがあったのだ。
「やられたなぁ……」
そんな独り言を漏らしながら、クレイグはその飴を一つ掴んで、唇へと持っていくのだった。
溢れ出る笑みは、しばらく治まりそうもなかった。

 

 

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【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】

【8746/クレイグ・ジョンソン/男性/23歳/IO2エージェント】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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この度はありがとうございました。
時期的に季節ものへと寄せてしまいましたがいかがでしたでしょうか。
少しでも楽しんでいただければ幸いです。
機会がありましたら、またよろしくお願い致します。

カテゴリー: 02フェイト, 紗生WR(フェイト編) |

虜囚フェイト

銃把から、空の弾倉が排出される。
コンクリート柱の陰に身を潜めながら、フェイトは予備の弾倉を懐から取り出し、拳銃に装填しようとした。
装填しようとして、手が滑った。弾倉が床に落下し、音を響かせる。
「そこか……IO2の犬!」
当然、敵に気付かれた。
容赦のない銃撃が、柱を粉砕した。コンクリートの破片や、折れちぎれた鉄骨が、超高速で飛散する。
「くっ……やっぱり、あれか。普段、念動力に頼り過ぎかーっ!」
それらをかわしながら、フェイトは敵の視界内に転がり出ていた。
取り壊すための予算が組めないのであろう。いつ崩壊してもおかしくはないまま放置された、廃ビルの中である。
ここに、敵を誘い込む事には成功した。あとは、誘い込んだ敵を仕留めるだけであった。
だが今は、フェイトの方が仕留められかねない状況である。
敵の巨大な姿が、そこにあった。金属質の巨体。機械の鎧に身を包んだ、大男。
いや違う。装甲の内部は、ほぼ全てが機械類だ。
右の前腕部が、何本もの回転銃身で構成されている。
その銃口をフェイトに向けながら、機械の大男は笑ったようだ。
「跡形もなく砕けて失せろ! だが案ずるな魂だけは残る。霊的進化の道を往くがいい!」
フェイトは会話に応じず、ただ見据えた。両の瞳が、エメラルドグリーンの眼光を燃やす。
機械の巨体が、硬直した。
「く……あぁ……お、お前たちは……捨てたはずの、俺の手足……俺の、目と鼻と耳……俺の身体、俺の心臓、俺のはらわた……よせ、やめろ近付くな……」
硬直した大男が、やがて後退りを始める。
「仕方がないんだ……お前たちがいたら俺は、何も出来ない無力な人間のままだ……もちろん、お前たちには感謝している。だけど駄目なんだ! お前たちとは一緒に行けない……わかってくれ、許してくれぇ……」
「……脳みそだけは人間のままか、おかげで助かったよ!」
サイコネクション。この大男の、心の奥底にあるものを探し出し、幻覚として再現する。
フェイトは床に落ちた弾倉を素早く拾い上げ、落ち着いて銃把に叩き込み、装填した。
そして拳銃を構え、引き金を引く。
轟音が、廃ビル内に雷鳴の如く響き渡った。念動力を宿す銃撃が、フルオートで迸ったのだ。
幻覚に怯んでいた大男が、光まとう銃弾の嵐に引き裂かれ、ズタズタに砕け散る。
虚無の境界の機械化テロリストは、死体と言うより残骸に変わっていた。
それを眺めながら、フェイトは壁に背中を預けた。この壁も、いつ崩落するかわからない。
「結局……この力に頼るしかないのか、俺は……」
念動力の使用を控えて気力の消耗を抑えよう、とすると先程のような失敗をする。
単独の任務で良かった、とフェイトは思った。例えば、あの隊長が一緒であったら、何を言われていたかわからない。
単独であるはずのフェイトに、しかし声をかける者がいた。
「相変わらず……無茶をするわね、フェイト」
「無茶をした方が、かえって生き延びられる場合が多くてね」
応えつつフェイトは、1人の少女が傍に佇んでいる、と感じた。
そちらを見ずに、微笑んでみる。
「……随分、久し振りじゃないか」
「あたしは、いつでもフェイトの傍にいる……つもりだったけれど」
少女が、ちらりと視線を向けてくる。
「あたしが分けてあげた魂、もうすっかりフェイトの身体に馴染んでしまったのね。その魂は、もう完全にフェイトのもの……だからと言って、忘れられては困るわ」
アイスブルーの眼差しを、フェイトは感じた。
「貴方の、命も魂も、あたしのもの……勝手に死ぬなんて許さない」
「死にはしないよ。俺は、そのつもり。だけどまあ相手もいる事だしな。死ぬつもりはない、と言って殺すのをやめてくれるような敵なんか、いないよ」
「戦いをやめれば、いいじゃない」
少女が言った。
「……やめられるわけ、ないわよね。フェイトだもの」
「どうなのかな。俺は、好きでこんな仕事をしているのかな」
戦いが嫌い、などと言う資格が自分にはない、とフェイトは思う。
そんな綺麗事を口にするには、自分は今まで戦い過ぎた。
「魂を育むためには、無茶をしたり戦ったりも必要なのかも知れないわね」
微かに溜め息をついたらしい少女の方を、フェイトはようやく見た。
「だけど忘れないでフェイト、死ぬ事は絶対に許さない……生きて、その魂を美味しく育み続けなさい。あたしに収穫される、その時までずっと……あたしの、ために」
少女の姿など、どこにもなかった。

 

 

登場人物一覧
【8636/フェイト/男/22歳/IO2エージェント】

カテゴリー: 02フェイト, アデドラ・ドール, 小湊拓也WR(フェイト編) |

Mind does not change.

朝が来た。
普段どおりの穏やかな朝であったが、フェイトにとっては慌ただしいものとなった。
「な、なんで目覚まし鳴らなかったんだ……っ」
目が覚めてスマートフォンへと手を伸ばし、画面で時刻を確認すると、笑えない時間であった。
慌てて飛び起きたフェイトは、身支度も適当にそんな独り言を漏らしながら部屋を出て、朝食なしの状態だ。
「……ああ、もう……っ アメリカに居た頃のほうが、ちゃんと起きれてたな……っ」
アパートの階段を駆け下り、その先も走りながら独り言を続ける。
途中で何かに気づいて、彼は視線をわずかに落とし口を噤んだ。

 

 

――ユウタ。起きろよ、朝だぞ。

 

 

そう言って、起こしてくれる存在がフェイトには居た。
テーブルの上には毎日必ず朝食が用意されていて、彼はそれを食べて出勤していた。
「恋しいなぁ……」
トーストと卵料理とベーコン。それからコーヒー。
シンプルながらも温かい朝食を作ってくれていた人物は、元同僚であり、恋人でもある一人の男性だ。
料理上手で顔が良くて――何から何まで良く出来た男であった。
そんな彼が、何よりの存在として選んでくれたのが自分だった。

 

 

――いつでも会えるさ。

 

 

そう言って、笑って送り出してくれた彼の顔を、忘れた日など無い。
あの言葉を笑顔が記憶に強く残ってるからこそ、寂しくともやっていけるのだ。
「……っと、まずい、遅刻しそうだったんだっ」
いつの間にか歩みが止まっていたフェイトは、再び走り出して職場へと向かった。

 

 

IO2日本支部は、本部に比べるとかなりの人手不足であった。
それ故に、フェイトに割り当てられる任務が多く、休暇も潰されてしまうことが多々ある。
「あぁ……流石に腹減った……」
職場について早々に任務を与えられたフェイトは、やはり今日も一人きりでそれをクリアした。
朝食抜きだったために、一息ついたところで腹の虫が鳴く。
「やっぱり何か食べておこうかな……午後も任務あるしな……」
そんな事を言いつつ、フェイトは腕時計に視線をやった。
午前11時過ぎ。朝食というには遅すぎるが、何も食べずに午後を迎えるよりは良いと判断した彼は、馴染みの喫茶店へと足を向けた。
「いらっしゃいませ」
ドアベルを鳴らして扉を開けると、奥から優しい声が出迎えてくれた。
長い付き合いになる知り合いは、この喫茶店のマスターを務めている。美形のマスターとして近所では有名だ。
「そろそろ、来てくれると思ってましたよ」
マスターがにこにこと笑いながら、フェイトが注文をする前にホットサンドとコーヒーが差し出された。
「妻が作っておいてくれたんです」
「今日、寝坊しちゃって朝抜きだったから嬉しいです! 早速ですけど、頂きます!」
フェイトは目の前の朝食に手を合わせ、元気よくそう言ってから温かいホットサンドを口にした。そしてコーヒーを飲んでから、大きなため息を吐いた。
「あ~……生き返る……」
「相変わらず、忙しそうですね」
カウンターごしに立つマスターがそう言った。その表情は心配顔だ。
「うん……最近、ちょっと色々立て込んでて……」
「勇太君は昔から頑張りすぎるところがありますから、無理はダメですよ」
マスターの言葉は、穏やかな声だった。
彼の優しさを頷きと共に受け入れて、再びカップに口をつける。
「……確かに、余裕なんてなかった気がする……。会いたい人にも会えないし」
「おや、それは初耳ですね」
「あ、いや……ええと、その……」
マスターの言葉に、フェイトは焦って言い繕おうとした。うまく纏まらずに、言葉の並びが悪くなってしまう。
対するマスターはそんな姿のフェイトを見ながら、楽しそうに微笑んでいた。
「あ、そうだ。……マスター、ごちそうさまでした。また改めて来ます!」
「ええ、待っていますよ」
マスターと話しているうちに、フェイトはとある事を思いついてしまった。
そして彼は慌てるようにして立ち上がり、テーブルの上にモーニング代をきちんと置いて、小走りで店を出ていく。
マスターは笑みを崩さず、そんな彼を見送ったのだった。

 

 

23時過ぎ。午後からの任務がようやく終了した。
「つ、疲れた……」
アパートの部屋に戻ってこられたのは、それから更に30分が過ぎた頃だった。
さすがのフェイトにも、疲労が見える。
上着を脱いで椅子の背もたれにそれを置くと、内ポケットから何かがするりと滑り落ちてきた。
「あ、と……こっちに入れてたんだっけ……」
フェイトは床に落ちたそれを慌てて拾い上げ、そのまま傍のベッドへと倒れ込んだ。
思っている以上に、疲れが出ているらしい。
「……シャワー……浴びなくちゃ……」
言葉が既にたどたどしい。見る間に瞼が重くなっていき、フェイトはそのまま眠り込んでしまう。
そこから時間は流れ、やがて朝になった。
窓の外から、鳥のさえずりが聞こえてくる。
それをぼんやりとしながら聞いていたフェイトが、ゆっくりと意識を覚醒させていた。
――ピピピピ……。
スマートフォンが鳴った。
その音が合図になったかのように、フェイトは体を起こしてそれを手にする。
「!」
画面に浮かんでいる文字を見て一気に覚醒した彼は、慌てて通話ボタンを押して耳にそれを持っていく。
『モーニン、ハニー』
何ヶ月ぶりになるのか。
耳に心地よい声があった。すぐには聞くことが出来なくなってしまったその声の主は、ニューヨークから電話を掛けてくれていた。
「おはよう。そっち、まだ夜でしょ?」
時計を確認しつつ、フェイトはそう言った。もちろん、嬉しいという感情は抑えつつだ。
向こうとは13時間も時差がある。相手側は当然、夜の時間帯だ。それでも、夕方の任務がちょうど終わったくらいかと考えていると、だいたいそんな時間帯だと返事があった。
『そっち、どうだ?』
「うん、昨日はちょっと苦労したかな。でも、そっちにいた頃とあんまり変わらないよ」
何気ない会話であっても、こんなにも嬉しいと感じる。
そう思いながら、相手の声に張りがないような気がして、フェイトは顔を上げた。
「なんか、元気ない?」
『いや?』
問いかければ、即答であった。
逆に取れば、こういう時の『彼』は、嘘をついている。
「何かあったんじゃないのか」
『……そうだなぁ。お前が居ないからな』
「!」
そう返されて、フェイトは瞠目した。
彼もまた、もどかしいと感じているのかもしれない。
当たり前なのだ。嫌いになって別れたわけではないのだから。
「俺だって……寂しいよ」
『わかってる』
元々、研修期間としての本部配置だった。
その決められた時間が終わりを告げたために、本部から日本支部へと異動してきた。それだけの事だったのに、あちらで得たものは、フェイトが思っていた以上のモノであったのだ。
『なぁ、ユウタ』
彼がフェイトを呼ぶ。プライベートの時は、いつも本名を呼んでくれた。彼が呼ぶその響きが何より好きだと思いながら短い返事をする。
『好きだよ』
「……うん」
――俺もだよ。と心で続けながらの返事だ。
どんなに離れていても、自分の気持は変わらない。
相手もきっと、同じだろうから。
『会いに行くからな』
そんな言葉に、フェイトは小さく笑った。
彼が会いに来てくれる前に、自分からのサプライズを用意した。当日までは明かさないつもりだ。
そして彼は、寝落ちる直前に床から拾い上げてそのままでいた、あるものへと指を伸ばした。
昨日、喫茶店で思いついた事のそのものでもある。
彼の指先にあるものは、一枚の航空チケットであった。

 

 

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お久しぶりです。この度はご依頼ありがとうございました。
視点違い的なお話を書かせて頂けて大変嬉しかったです!
少しでもお楽しみ頂けましたら幸いです。
また機会がございましたら、よろしくお願いいたします。

カテゴリー: 未分類 |

born free ~前編~

学校帰り、いつものように草間興信所に顔を出すと所長の草間さんに猫を見なかったかと尋ねられた。
興信所が猫捜しなんてやるのかと少し驚く。こう言うと怒られそうだが俺はてっきり草間さんは怪奇現象専門の探偵なのかと思っていたからだ。壁に貼られた『怪奇ノ類 禁止!!』は今流行りのツンデレというやつなのかと…。
冗談はさておき珍しいですねと言ったら「平和が一番なんだけど、毎日家賃は発生するからな」なんて返ってくる。世知辛い世の中だ。
妹泣かせのゴミ山みたいな事務机から面倒くさそうに立ち上がり、事務所を出て行こうとする草間さんに、手伝いますよと声をかけたら「宿題が優先だ」と返されて留守番を言い渡された。
「受験するにしてもしないにしても勉強はしておけ高校生」
なんて言われたら引き下がる他ない。工藤勇太はしがない高校生でしかないのだ。憧れていた普通の…とかいう湿っぽい話は横に置こう。
とにもかくにも俺は草間さんを見送ると申し訳程度の応接セットに腰を下ろして宿題の教科書を開いた。並ぶ文字は音読出来るが意味はさっぱりわからない。古文なんてこの先の人生にどれほど有用なのかと考えたら…俺は反射的に教科書を閉じていた。
「…やっぱり猫捜しに行こう!」
気分転換は大事だよな、と誰にともなく言い訳して俺は事務所を出た。
草間さんの話だと探しているのは首に白い三日月の模様がある濃灰色の猫という事だ。学校からここまでの道でそんな猫は見なかったから、逆方向へと歩き出す。
夕暮れ間近の雑踏は帰宅ラッシュで喧騒としていた。警戒心の強い猫なら人混みにはいないだろう、人気のない路地に入る…その前にコンビニで猫缶などを調達してみた。逃げ出した猫ならお腹をすかしているかもしれない。もちろん無駄になる可能性のが高いけど。
特に当てはない。ただ人の少なそうな道を選んで歩くだけだ。力を使えば多少は楽に見つけられるかもしれないが、反動とかあれやこれやを考えると今は緊急を要するわけでもなさそうだし普通に足で探そうという気分になった。
路地裏を赤く染めていた陽は西の地平に最後の光を放ち、東の空には月が顔を出す。解体工事中のビルを見つけて俺はこっそり忍び込むことに。こういう所に隠れてそうだよな、なんて。
「何をしている?」
突然背後から肩を掴まれ俺は一瞬全身が強ばった。だけどどこか聞いたことのある声だったから脅かすなよと内心で悪態を吐きながら振り返る。
そこにはIO2が誇るトップエージェントが立っていた。
「宿題は終わったのか?」
ディテクターの問いに。
「まだ…ですけど…」
答える内容に自然視線が泳いでしまう。終わったと誤魔化すことも出来ただろうに俺はまたなんてバカ正直に…とセルフ突っ込み。
それからふと疑問が過ぎる。「あれ?」と内心で首を傾げたのは何故彼が宿題の事を知っていたのか、という事だ。普通は勉強と言わないか? たまたま…なのか?
「なら、さっさと帰れ」
彼は俺を追い払うように手を振った。
「…何をしているんですか?」
俺は聞いてみた。あの人と同じ煙草の匂いを纏ったこの男に。
「仕事だ」
答えた彼のサングラスの向こうに隠された視線がどちらを向いたかは伺い知れない。俺をじっと見下ろしているだけなのかもしれない。
「猫を探す?」
俺はまっすぐ彼のサングラスを見返して重ねて聞いた。さっき草間さんはそう言って出かけたんだ。
「帰れ」
彼はその問いに答えてはくれなかった。ただ、帰れと言って背を向けただけだった。
「……」
俺は踵を返して逃げ出すみたいに走り出していた。水面に投じられた一石によって波紋が広がるようにささやかな疑念が俺の中に静かに染み渡っていくのを感じながら。
夜道をただ闇雲に走って息が切れて立ち止まった公園の街灯の下。荒い息を吐いていると、その合間に葉擦れの音がして俺は一瞬ドキッとしてそちらを振り返った。
嗅ぎ慣れた煙草の匂いはなく人影もない。
ただ低木の陰に猫の姿を見つけた。探している猫だとすぐにわかって俺はその場に膝をつく。両手も地面について猫と同じ高さまで目線をさげ、優しく声をかけた。
「大丈夫。何もしないよ」
猫は警戒するようにこちらを睨みつけていたが、一向に動き出さない俺に安堵したのか、やがてその場にうずくまった。
「怪我…してるのか?」
前足が赤く濡れているのに気づく。だが、まだ完全に警戒を解いたわけではない猫はなかなか俺を近づかせてはくれない。
「手当してやるよ」
もちろん言葉が通じるわけはないのだが、少しでもこちらの気持ちが伝わればいいと思って静かに優しく声をかけ続けた。びっくりさせないように、そろりそろりと手を伸ばし間合いを詰めていく。
猫は最初は威嚇するようにこちらを睨みつけていたが、長い攻防と俺の説得の甲斐あってか、最後には伸ばした俺の指をぺろりと舐めるまでに至った。
ようやく猫と打ち解けて傷の手当てをさせてもらう。水で洗って持っていたハンカチを巻くだけの手当と呼べるかも怪しいしろものだったが。
公園の土管型の遊具の中で猫缶を開けた。膝を抱えて座り、餌を食べる猫の背を優しく撫でているとそれだけで癒される気がする。
「お前はなんで逃げてきたんだ?」
俺は猫に話しかけた。猫は夢中で餌を食べている。当たり前の話だが猫の返事はないから俺は勝手に想像を膨らませるだけだった。
自由に歩き回れず飼い主の手の中で窮屈な思いをしていたのだろうか。それで逃げてきたのだろうか、と。
俺は勝手に猫に自分を重ねていた。自由はなく、窮屈な生活に。
俺を捕らえていた研究施設から俺を助け出してくれたのはIO2だ。その件については感謝している。だがその一方でIO2は何かと俺を監視しようとした。余りある力を人は畏れるからだ。そこに自由はなく人目を気にした窮屈な生活。
だけど。
草間さんは違うと思っていた。好きにしていいと言ってくれた。今普通に高校に通って普通に友達を作って普通の生活が送れているのは草間さんのおかげだ。だからこそ、この普通じゃない力を人助けに使えるならと前向きに考えられるようにまでなったのに。
それは。
草間さんとディテクターは同一人物なのか、という疑心。
俺はずっと自由にと言われながら結局IO2に監視されていたのか、という暗鬼。
それは確信へと変わる。
「信じてたのに…」
選択権は自分にあると勘違いさせられて、本当はそこに誘導されていただけだったんだ。
俺は泣きたい気持ちになった。
ずっと騙されていたんだ。
「一緒に…どこか行こうか」
誰も俺たちを知らない場所へ。自由になれる場所へ。
餌を食べ終えた猫を抱き上げ土管の外へ出た。猫の頭を撫でながら、猫を届ける気にはなれなくて、ひとまずは家にでも連れて帰ろうと歩き出す。
夜風がヘビースモーカーの煙草の匂いを運んできた。
土を踏む音に顔をあげる。
刹那、俺は限界まで目を見開いた。

 

 

「帰れと言わなかったか?」

 

 

ディテクターの、彼の手に握られた古いリボルバーの銃口が俺の胸に向けられていた。

 

 

――やっぱり俺に自由なんてなかったんだ。

 

 

■To be continued…■

━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛

【1122/工藤・勇太/男/17/超能力高校生】
【NPC/草間・武彦/男/30/草間興信所所長、探偵】
【NPC/ディテクター/男/30/IO2エージェント】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛

born free…
それは主張か願いか無い物ねだりか諦念か――。

いつもありがとうございます。
楽しんでいただけていれば幸いです。

カテゴリー: 01工藤勇太, 斎藤晃WR |

蠱毒の船

親父は船乗りだった、らしい。俺は顔を知らない。
船乗りなら、いろんな国の港町で、女とよろしくやっていたのだろう。俺のおふくろも、そんな女の1人に過ぎないのだろう。世界中に、俺の兄弟がいるに違いない。
というのはまあ、俺の勝手な思い込みだ。
親父に対しては、特に思うところはない。恨んでいるわけでもない。自分では、そのつもりだ。
ガキの頃の俺が、警察の世話になりっぱなしの暴れ者だったのは、俺自身が救いようのない大バカだったからだ。親父がいなかった事とは何の関係もない。
とにかく俺も18歳になり、俺でも入れるような高校を卒業し、大学になど行けるわけがないから就職した。
IO2エージェントという、俺のようなバカでも出来る体力仕事だ。
仕事である以上、上司という奴と付き合わなければならない。
俺は、文化系の中坊みたいな男の下に配属された。
ある時、そいつと模擬戦闘をやる事になった。
小中高と俺は喧嘩に明け暮れ、負けた事がない。半グレを10人ほど、1人で叩きのめした事もある。
イジメだけは、した事がない。
正直、気が進まなかったが、模擬戦ならば仕方がない。
俺より3つも4つも年上とは思えない、その男は、常に緑色のカラーコンタクトを付けていた。オシャレのつもりであろうか。
とにかく、顔は殴らないでおいてやろう。模擬戦が始まる前は、俺はそう思っていた。
開始の合図から数十秒後には、そんな考えは消え失せていた。
俺はそいつの、顔を殴りにいった。金的を潰しにいった。噛みつきにいった。
何も出来ず、俺は叩きのめされていた。
フェイト。
俺の初めての上司は、そう名乗った。もちろん本名ではない、エージェントネームというやつだ。
俺にはまだ、そんなものは許可されていない。今の俺は本名を名乗る資格すらない、単なる見習いエージェント68号だ。
それでいい、と俺は思う。
格好を付けるのは、このフェイトとかいう弱そうな男の顔面に一発ぶち込めるようになってからだ。

 

 

鼠が、まるで熊のようになっていた。
腐敗しながら巨大化し、毛むくじゃらの獣皮が所々で破けて、腐った肉や臓物が露出している。
そんな、かつて鼠であった死せる獣の群れが、牙を剥いて全方向から襲いかかって来る。
フェイトは跳躍した。身にまとう黒のスーツが、激しくはためいた。まるで烏か蝙蝠の翼のように。
それと共に、銃撃が迸る。左右2丁の拳銃。空中からのフルオート掃射。
死せる獣たちが、銃弾の嵐に薙ぎ払われて砕け散る。
大量の腐肉が飛散する光景の真っただ中に、フェイトは着地した。左右それぞれの手で、拳銃が空の弾倉を排出する。
フェイトの懐、黒いスーツの内ポケットから、新たな弾倉が飛び出して左右の銃把に吸い込まれ、装填された。
念動力の使用は、気力の消耗をもたらす。最小限に抑えたいのが正直なところではあるが。
「面倒臭がらずに、手で装填した方がいいのかな……おっ、と」
床が揺れた。
地震、ではない。ここは海の上である。
日本国籍の、大型貨物船。
20年近く前に遭難し、行方が分からなくなっていたものであるらしい。
それが突然、太平洋上で発見され、日本へ向かっている。
海保の依頼を受けたIO2が、こうしてエージェントを派遣したというわけだ。
IO2の特殊能力者による事前調査では、この船に関してはとにかく『正常な状態ではない』という事しかわからなかった。
だから、こうして輸送ヘリから甲板上に着地し、調査を開始した。
調査が、そのまま戦闘任務へと移行した。IO2で働いていれば、よくある事だ。
ともかく、船が揺れた。
体勢を崩したフェイトに、死せる獣たちが襲いかかる。
「させねえ!」
大柄な人影が、猛然と踏み込んで来た。
速度と重量を兼ね備えた右ストレートが、左ロングフックが、死せる獣たちを粉砕してゆく。
装甲グローブをまとう、左右の拳。
いや拳だけではない。筋骨たくましい全身が、機械の甲冑に包まれている。顔面も、今は厳つい装甲マスクの中である。
以前、一時期、フェイトが装着使用していたものの、改良品と言うべきか。
「誰が、あれをIO2の技術部に持ち込んだのか……は、まあ考えないでおくとして」
フェイトは咳払いをした。
「助かったよ、見習い68号。だけど張り切りすぎるなよ。お前、それの実験台にされているんだからな」
「モルモットでも何でも、やってやりますよ」
襲い来る死獣たちを、装甲の拳で片っ端から叩き潰しながら、見習いエージェント68号は笑う。
この男の、少なくとも体力だけはフェイトよりも上だ。装着型新兵器の実験台としては適任であろう。
「フェイト隊長、あんたの目……カラコンじゃ、なかったんすね」
「……隊長はやめろ」
「思いっきりパンチ入れても、大丈夫って事っすよね。ま、手加減はしますけど」
「帰ったら、また戦闘訓練で絞り上げてやる……生きて、帰るぞ」
「はい……!」
フェイトと68号は、背中合わせの体勢を取っていた。
まだ大量に生き残っている死獣たちが、あらゆる方向で牙を剥いている。
腐臭を発する包囲網の一角が、さっと開いた。モーゼに開かれた海の如く。
だが現れたのは、大勢のヘブライ人を率いる聖者などではない。
1人の、すでに生きてはいない男であった。
白骨死体が、かつて衣服であったボロ布を全身にこびりつかせたまま、よたよたと歩いている。
そのボロ布に、ネームプレートが引っかかっていた。フェイトは目を凝らした。辛うじて読み取れる。船長の肩書きと、人名。
「なるほど、ね……とっくの昔に燃料の切れた船を、こんなふうに動かしているのは、あんたの力か」
死せる船長に、フェイトは声を投げた。
「死んで、人外のものに成り果ててまで……帰りたいんだな、日本に。だけど申し訳ない、あんたを含めて化け物ばかり満載した船、日本へ近付けるわけにはいかない」
フェイトは、船長に拳銃を向けた。
「ここで、沈んでもらう……」
「待って隊長、骸骨相手に拳銃って相性あんま良くないっしょ。だから俺が!」
68号が、殴りかかって行く。
待て、とフェイトが言う暇もなく、船長の攻撃が来た。
白骨化した全身から、この船を動かしている力が迸る。
怨念の力、とでも言うべきか。フェイトの念動力と、広義では同質の力か。
ともかく68号もろとも、フェイトは吹っ飛んでいた。
甲板に激突し、辛うじて受け身を取り、立ち上がる。
68号は、倒れたままだ。装甲マスクが破損し、血まみれの素顔が露わになっている。
「ぐっ……てめ……ッ!」
歯を食いしばる苦痛の形相を見て、船長が動きを止めた。フェイトには、そのように見えた。
力の、第2撃目が、放たれて来ない。
船長は、震えているようでもあった。
「あんたは……日本へ帰りたかった、って言うよりも……」
届かぬ言葉をかけながら、フェイトは引き金を引いた。
「……家族の所へ、帰りたかったんだな」
念動力を宿した銃弾が、船長の頭蓋骨を粉砕した。
頭蓋骨のみならず全身をサラサラと崩壊させながら、船長は消滅してゆく。
死獣たちが、単なる鼠の死骸へと戻ってゆく。
この船で一体、何が起こったのかは、これから調べる事になるだろう。とりあえず障害は排除した。
68号が、倒れたまま呟く。
「隊長、言いましたっけ前……俺の親父、船乗りだったんすよ……」
「……隊長はよせ」
他に、言える事はなかった。

 

 

登場人物一覧
【8636/フェイト/男/22歳/IO2エージェント】

カテゴリー: 小湊拓也WR(フェイト編) |

探偵、捨て子を拾う

人を外見で判断してはいけない、とは言われる。
だが探偵は、人を外見で判断するのが仕事のようなものだ。
今回の依頼人は一見、まっとうな勤め人のようだった。堅い会社の営業サラリーマンで、きっちりとスーツを着こなしている。
妻が誘拐された。警察に知らせたら殺す、と言われている。
どうか妻を助けて欲しい。取り戻して欲しい。
そう語る依頼人の口調は真剣かつ深刻で、眼差しも真摯そのものだった。
自分の妻を、本気で心配し、愛している。その思いに嘘はない、と俺は判断した。
だから依頼を受け、誘拐されたという妻君の行方を探った。
結果を今日、報告しなければならない。
雇われた立場の俺が本来は出向くべきなのだが、依頼人はわざわざ当興信所まで足を運んでくれた。
こちらも誠実な対応をしなければならない。だから俺は、はっきりと言った。
「あんた、俺に嘘をついたね」
ソファーの上で、依頼人の身体が硬直した。きっちりとスーツを着こなした全身から、怯えに近いものが滲み出てくる。
「奥さんは誘拐されたんじゃない……駆け落ちだよ。あんたにしてみりゃ、まあ同じようなものか」
「……どこに……いるんです……」
依頼人の声が、顔が、痙攣している。
取り澄ました営業サラリーマンの仮面の下から、本当の顔が現れようとしている。
「妻は……どこに……それも調べてくれたんでしょう……?」
「あんた、奥さんを刺し殺して自分も死ぬつもりだろう」
依頼人が、俺を睨んだ。
見開かれた両眼に、隠しようもない凶暴性が漲っている。見てわかるほどにだ。
やはり、と俺は思う。人は、外見で判断出来るものだ。
「あんたが常日頃、奥さんにどんな仕打ちをしていたのか……その目を見れば、わかるな」
俺は言った。
「家庭の崩壊ってのは、そのうち絶対、仕事に響いてくる。あんたは、だから家庭なんてもの最初から持たない方がいい。正式に離婚してバツイチの独身貴族を通しなよ。その方が向いてるぜ」
「……誰が……俺の事を、調べろと言った……ぁああ? このクソ探偵があああああああああッッ!」
依頼人が、殴りかかって来た。
この男は本当に、自分の妻を愛している。所有物として、だ。
それを奪われたのだから、哀れと言えば哀れである。
1発くらい殴られてやってもいいか、と俺は思ったが、男は吹っ飛んで壁に激突していた。
俺は、何もしていない。
俺の近くに、いつの間にか勇太が立っていた。
「……何故……こんな奴が、いる……?」
緑色の両眼が、燃え上がるように発光している。
「こんな奴が、のうのうと生きていられる世の中……どうして、まだ滅びていない……?」
「……引っ込んでろ、勇太」
俺は溜め息をついた。
「最初に言ったぞ。俺の事なんて、別に守らなくていい」
「あんたなんて誰が守るかよ。俺は、そいつが許せないだけだ」
知り合いから預かった、居候である。
工藤勇太、17歳。だが高校へは行っていない。義務教育も一切、受けていない。
「許せない……救いようがない……だから、殺す。新たなる霊的進化への道を、歩ませてやるのさ」
学校へ行く代わりに、虚無の境界の思想を植え付けられてきた少年である。
「おい勇太。お前が本当に殺したいのは、こんなつまらん奴じゃあないだろう」
俺は言った。
「大物がいるんだろう。そいつを思い浮かべろ。そいつを、頭の中で何回でも殺せ」
「あいつ……!」
勇太の瞳が、緑色に燃え上がる。
「俺と、同じ顔をした……あいつ!」
「今のうちに逃げろ、ぐずぐずするな」
俺は、依頼人に声を投げた。
「……あんたの奥さんはな、今は幸せに暮らしてる。男なら、それを祝福してやれ。陰でな」
「も、もうテメエになんざぁ頼らねえよ。あの女ぁ俺が自力で捜してやる。見つけて、ぶっ殺す!」
黙って逃げればいいものを、男が余計な事を喚いたせいで、勇太がいよいよ止まらなくなった。
咆哮と共に、エメラルドグリーンの眼光が迸る。
念動力の塊が、依頼人を直撃した。
否。依頼人の眼前に飛び込んだ細身の人影を、直撃していた。
様々なものが、応接室全域にぶちまけられた。
辛うじて原形をとどめた生首が、俺の足元に転がり、微笑む。
「ごめんなさい所長……お部屋が、汚れてしまいました……すぐに、お掃除しますから……」
「……うん、まあ出来れば、そうしてくれ」
人のいる所では、俺を所長と呼ぶ。
当興信所で俺の助手のような事をしている娘だが、実は俺の妹である。そういう戸籍を作ったのが、つい最近だ。
勇太が、へなへなと床に座り込んで呆然とする。
依頼人は、尻餅をついて泣きじゃくっている。
2人の視界の中、部屋中にぶちまけられたものが、無数のナメクジの如く蠢き這い、1カ所に集まって融合し、優美な細身の人型を取り戻してゆく。そして生首を拾い上げる。
まあ、こういう妹なのだ。
「奥さんを殺して、自分も死ぬ……そんな事をしたら私、貴方を取り込みますよ」
泣きじゃくる依頼人に向かって、妹が冷たく言い放つ。
「天国へも地獄へも行けないまま、貴方は永遠に存在し続けるんです。私の道具である、怨霊として……ね。死んで逃げようなんて甘いですよ」
泣きじゃくりながら、男は泡を吹いて気絶していた。
座り込んだ勇太が、同じように泣き出している。
「あ……あぁう……あぐっう……」
「泣かないで勇太君、私は大丈夫……私は、ね」
全身をグジュグジュと再生復元しながら、妹は微笑みかけた。
「ね、勇太君。貴方の力を人にぶつけると、こうなります。ほとんどの人は、私と違って元には戻れません。泣いても怒っても絶対、元には戻れないんです。忘れないで」
「うあああ……ひぐぅ、うわぁああああん……」
泣き叫ぶ勇太の頭を撫でようとして、妹は躊躇った。手が、血まみれなのだ。
仕方がないので、俺が撫でてやった。

 

 

『君には面倒をかけて申し訳ない、と思ってる』
「本当ですよ、まったく。あんたの頼みでなけりゃ、引き受けたりしなかった」
受話器に向かって、俺は苦笑した。
「あんたが忙しくてガキの面倒見るどころじゃないのは、わかりますけどね。何だって俺が」
『いつまでもIO2の施設に居させておいたら、間違いなく実験動物にされるからね。君もIO2関係者なら、わかるだろう?』
「……俺は、しがない私立探偵ですよ。IO2なんて恐い人たちとは何の関わりもない」
俺は咳払いをした。
「まさか、とは思いますけどね。これから先も」
『確かに君には、まず彼女の身元引受人になってもらった。だからと言って、これから先なし崩しに危険人物を押しつけていこうという気はないよ。少なくとも僕には、ね』
「……俺は、子育てに関しちゃ全くの素人です。色々こじれた17歳の小僧を真人間に作り直す、なんて事は出来ませんよ」
『君を、近くで見ている。それだけで、あいつにとっては学びになるさ』
「あんたの役目じゃないんですか、それは。まあ今も言った通り、忙しいんでしょうけど……1度くらい、会いに来てやったらどうです」
いくらか無責任な事を、俺は言った。
「口で言うほど、あいつはあんたを嫌っちゃいないと思いますよ」
『……僕に、その資格はない。だから君に押し付けたんだ。勇太の事、これからも頼むよ』
「色々こじらせてるのは……あんたの方、かも知れませんね」
電話は、すでに切れていた。

ORDERMADECOM EVENT DATA

登場人物一覧
【1122/工藤・勇太/男/17歳/超能力高校生】

カテゴリー: 01工藤勇太, 小湊拓也WR(勇太編), 工藤弦也 |

小さな雷神

 いくらか時給が低めで残業手当も付かず、社会保険完備でもない点を除けば、あのコンビニは最高の職場であった。
オーナーも店長も先輩や同僚たちも、本当に良くしてくれた。
自分が、とうの昔に解雇されているのは間違いない。ここまで無断欠勤が続いてしまったのだ。
「ばっくれた……って思われてるわよねえ、きっと」
それが、いささか残念ではある。
まあ、こちらの世界へ来てしまったものは仕方がなかった。
「こっちの世界で楽しさ極めないと……ね? ヒム」
「楽しむのは結構ですが」
絡み付こうとする夢見月の細腕を、さりげなく回避しながら、ヨアヒムは苦笑した。
「仕事の方も、しっかりと……お願いしますよ?」
「わかってるわよ。時給安くたって残業付かなくなって私、仕事だけは本当きっちりこなしてたんだから」
ソーン某所。『封印の塔』ヘと向かって、2人は荒野を歩いている。
20代半ばの若い女と、いくらか年上の男。仲の良い夫婦、に見えない事もない。
実際は夫婦でも恋人同士でもなく、単なる仕事仲間である。
「ねえヒム……私って、厨二病だと思う?」
「チュウニ病? どんな病気ですか、それは。私から見た貴女は、いたって健康。病気と縁のある女性とは思えませんが」
「それがね、結構こじらせてたのよ私。色々とね」
厨二病とは何か。それを正しく説明出来る者など、元の世界にもソーンにもいないだろう。
だが、と夢見月は思う。
夢見がちになる。それが厨二病の主な症状であるとしたら、自分は紛れもなく重度の厨二病患者である。
「異世界へ飛んで、イケメンと出会う……夢、って言うか妄想の極みよねえ。それを叶えちゃったんだから、私ってば」
だから、夢見月などと名乗ってみた。
「夢もいいですけど、そろそろ現実に戻りましょう……ほら、見えてきましたよ」
ヨアヒムの言う通り、封印の塔が視界に入っていた。
地に突き立った巨大な槍のような、禍々しい建造物。
「仕事です。気を引き締めて下さいよ」
「封印の塔……曰く付きのお宝が、いっぱいあるって聞いたけど」
「変な気は起こさないように。我々は、宝探しに来たわけではないのですからね」
「わかってるわよ。魔物退治、でしょ? 今回のお仕事は」
封印の塔に、魔物が棲み付いているという。
封印された宝物を守る衛兵として、ゴーレムの類が大量に塔内を巡回している、という話は夢見月も聞いている。
それとは違う、純然たる魔物であるらしい。
先日、1人の魔導師が「エインへリャル」に助けを求めてきた。
とある魔法の物品を塔に封印しようとしていたところ、その魔物が突然現れ、暴れた。そんな話であった。
その後、塔近辺の村々からも被害報告が届くようになった。
「食料が盗まれたとか、そんなのばっかりでしょ? 魔物って言うより、ただのコソ泥だと思うんだけど」
「こそ泥なら、それで良し。捕えて官憲に引き渡すだけです」
「エインへリャルって……要するに、何でも屋さん?」
その何でも屋に、夢見月は拾われた。
魔術集団エインへリャル。地球の北欧神話に登場する、死せる戦士団と同じ名を有する組織。
夢見月は今、その一員として働いている。
ヨアヒムは、エインへリャルにおける先輩である。ソーンに飛ばされて来たばかりの夢見月を、いろいろと指導してくれた。
「本当に魔物の類であれば、討伐する事になります。命懸けの何でも屋、であるのは確かでしょうね。あの魔導師の話が真実であれば、容易い相手ではありません」
「命懸け、ね……とんでもない所に就職しちゃったってのが最近、わかってきたわ」
「暇な時は本当に平和なものですよ? エインへリャルという職場は」
ヨアヒムが、微笑んだ。
「ですが最近、そんな平和と無縁であるのは確かですね。妙な出来事が、本当に多い……貴女のような、異世界からの来訪者も増えているようです」
「それはまあ、妙な出来事だったでしょうねえ。あれは」
財布を忘れた。取りに戻るべく走り出した。転んだ。
起き上がったら、そこは異世界だった。
夢見月がソーンにやって来た経緯を説明すると、そのようにしかならない。
「せっかく来たんだもの……この世界の事、もっともっと知らないとね」
視界の中で少しずつ大きくなってゆく『封印の塔』を、夢見月は見据えた。
あそこに棲み付いているのが魔物であれ何であれ、戦いになるのは恐らく間違いない。
戦いは、初めてではなかった。エインへリャルの一員として夢見月は、今まで何度も実戦を経験している。
負ければ命を落とす戦いを、繰り返してきた。
(どんな戦いでも……駅前のコンビニの通勤通学時間帯よりは、ずっとマシよね)
そんな事を、自分に言い聞かせながらだ。

 

 

食料盗難被害に遭った村々で聞き込みを行ったところ、魔物の正体を判断するのに有益と思われる情報が、1つだけ手に入った。
「人死にが出てない、って事よ」
「……それが、有益な情報ですか?」
ヨアヒムが、少しだけ呆れている。
夢見月は、しかし自信満々であった。
「人を襲って食べてるとかじゃなくて、人間の食べ物を、人を殺さずに盗んでるわけでしょ? 魔物なんかじゃなくて人間の仕業、じゃないかって思うのよねー」
「話し合いでどうにかなる相手、などと思っているわけではないでしょうね」
ヨアヒムが、ちらりと睨んでくる。
「もちろん、むやみな殺戮を行うつもりはありませんが……生かして捕縛するのが困難となった場合、私は対話の努力を放棄しますよ。相手が魔物であろうと人間であろうと」
「……私だって、躊躇うつもりはないわ。この力、はっきり言ってあんまり好きじゃないけど」
魔術集団に雇ってもらえただけの力が、夢見月にはある。
元の世界にいた時から、密かに疎んじていた力。
「使うわよ……ヒムが、危険な目に遭ったら」
「……私よりも、自分の身を守る事を考えなさい」
言いつつヨアヒムが、さっさと歩き出した。
封印の塔、1階の通路である。
「己の身を顧みずに他者を助ける、それが美徳であるというのは幻想です。実戦においては各々が、自分の身の安全を自力で確保しなければなりません。他者を気遣うあまり、それをおろそかにしたのでは結局のところ、助かるはずの自分も助からず犠牲者が増えるだけ、という事になってしまいますよ」
「そ、それはわかったから、ちょっと待ってってば」
夢見月は、慌てて追った。
「まったく、ヒムは仕事人間なんだから……まるで日本人みたい」
「ニホン……それが貴女の、元いた世界ですか?」
ヨアヒムが、興味を持ってくれた。
「帰りたい、と思った事は?」
「まあ、ない事もないわね。あの世界が嫌いで、こっちへ来たってわけでもないし」
「良い思い出、のようなものはありますか?」
その質問に対しても夢見月は、
「ない……事もない、わね」
としか、答えようがなかった。
両親は、普通に自分を慈しんで育ててくれた。
小中高と、それなりに楽しい学校生活を送ってもいた。別に、いじめられていたわけでもない。厨二病などと言われる事はあったが。
本当に、普通としか言いようのない思い出ばかりである。
そんなものでも、失ってしまえば恋しくなるのだろうか。
それをヨアヒムに訊いてみる事は、出来なかった。
しばしの沈黙の後、突然ヨアヒムが立ち止まった。
その広い背中に、夢見月はぶつかりそうになった。
「ど、どうしたの……」
「……来ますよ、夢見月さん」
来る、と言うよりも、すでにいた。
歩く2人を見下ろすように立ち並ぶ、奇怪な石像。いくつかはゴーレムかも知れないから、夢見月は警戒していた。
そんな石像の1つを、椅子代わりにしている者がいる。
猫を思わせる、小柄な人影。石像の頭上に、ちょこんと腰掛けていた。
そして、声をかけてくる。
「ねえ……泥棒?」
少年だった。
衣服とも言えないボロ布を、細い身体に巻き付けた少年。12、3歳であろうか。
いや、15歳には達しているか。
幼く見えるのは、身体が小さく、痩せているせいだ。
栄養が足りていない、と夢見月は思った。だから、食べ物を盗んでいるのだ。
まるで野良猫のような少年。こちらを見下ろす瞳は、塔内の薄暗闇の中で、緑色に輝いている。
「ボクんちに、勝手に入って来るなんて……泥棒?」
「泥棒は、そちらでしょう」
ヨアヒムが、まずは会話に応じた。
「食料の窃盗は、多くの人々が思っているよりも、ずっと重い罪なのですよ」
「ボク……泥棒じゃないもん」
言葉と共に少年が、石像の頭上から降って来た。
そして、ふわりと着地する。ボロ布が、軽やかにはためく。
黒っぽいものが一瞬、見えた。少年の左右それぞれの手に握られた、恐らくは武器。
(……拳銃!?)
夢見月は、息を呑んだ。ここソーンは剣と魔法の世界、と思っていたが、科学技術のようなものが全く存在しないわけではないようだ。
「お腹空いたから、食べた……だけだもん」
「空腹は理由になりませんよ。他人の食べ物を勝手に食べてしまったら、それは泥棒です」
ヨアヒムが、説教を始めた。
「それに、ここは貴方の家ではないでしょう。勝手に住み着くのも泥棒ですよ」
「……じゃあ、どこがボクんち?」
「それを私たちが知りたいのよね」
会話に加わりながら夢見月は、携行食の包みを掲げて見せた。
「貴方、一体どこから来たの? 食べ物なら分けてあげるから、教えてくれないかな。こんな所で、何をしてるの?」
「……競争!」
幼さの残る少年の表情が、パッと輝いた。
「ボクはここで、競争をしてるんだよ!」
重い足音が響いた。
石像のいくつかが、動き出している。
ゴーレムだった。
石造りの巨大な手足が、少年に、ヨアヒムと夢見月に、襲いかかる。
ボロ布をひらりと舞わせながら、少年は叫んだ。
「こいつらを、たくさんやっつけた方が勝ちだよぉ! よーい、ドン!」
雷鳴が、轟いた。
少年の両手で、2丁の拳銃が光を発していた。
銃口から迸るのは、鉛の弾丸ではなく電光である。
稲妻があちこちに乱射され、ゴーレムたちを打ち砕く。
石の破片が、大量に飛び散った。
特に大型のゴーレムが1体、夢見月の近くで電撃に打たれ、崩落する。
巨大な石の生首が、落下して来る。
下敷きになる寸前、夢見月はヨアヒムに突き飛ばされていた。
無様に尻餅をつき、悲鳴を漏らしながら、夢見月は目の当たりにした。
自分を直撃するはずだったゴーレムの頭部が、ヨアヒムの身体を押し潰している、その様を。
「ちょっと……! 何やってんのよ、ヒム……」
夢見月の声が、おかしな感じに震え、かすれた。
「他人を助けるのが美徳、なんてのは幻想なんでしょ……ねえ、ちょっと……」
ヨアヒムは応えない。動いてもくれない。
石造りの巨大な生首に背中一面を圧迫されたまま、うつ伏せに倒れている。ひび割れた石の床に、赤い汚れが広がってゆく。
「ほらほら早く! ボクが一等賞になっちゃうよお!」
自分のした事に気付かぬまま少年は、雷撃の銃をあちこちにぶっ放し、ゴーレムを粉砕し続けている。
「……よくも……ヒムを……!」
夢見月の心から、一切の躊躇いが消え失せた。
この忌まわしい力を行使する、その事への躊躇いが。
少年を睨み据える赤い瞳が、淡く燃え上がる。
雷神の如く暴れる少年の姿を、夢見月はもう見てはいない。
見ているのは少年の、姿ではなく心だ。
幻覚を見せる。それが魔術集団エインへリャルに見込まれた、夢見月の力である。
相手の、目に見せるのではなく、心に送り込む幻覚。
その相手に対し、いかなる幻覚が最も効果的であるか。それを知るために、心を見る。覗く。調べる。
それが、夢見月の能力であった。
「……これね」
1人の女性の姿が、見えてきた。
少年自身、その存在を忘れている、だが心の奥底から消し去る事は出来ずにいる女性。
彼女は、怯えていた。まるで化け物を見るような目を、こちらに向けている。
何に対して怯えているのか、そんな事はどうでも良い。
夢見月の両眼が、炎の色に激しく輝いた。
怯える女性の姿が今、少年の心の中に、はっきりとした幻覚となって生じたのだ。
電光をまき散らしていた少年の動きが、凍り付いたように停止した。
幼い顔が、青ざめている。小柄な細身が、弱々しく座り込んでしまう。
楽しげに発光していた緑色の瞳が、輝きを失いながら震えている。
涙が凍り付いているのだ、と夢見月は思った。
「……ま……ま……ぁ……」
少年が、微かな声を発した。
「……どうして……そんなかお、するの……? ママ……」
あの女性が、何に対して怯えていたのか、夢見月はようやく理解した。
「……お見事です、夢見月さん。貴女自身は、嫌な思いをなさっているでしょうが」
ヨアヒムが、ゴーレムの生首を押しのけながら、苦しげに身を起こしていた。
「ヒム……大丈夫なの……?」
「この程度で死にはしませんよ。肋が折れて、変な所に刺さっている感覚はありますけどね」
口元の血を拭いながらヨアヒムは、少年に歩み寄った。
「ママ……ぁ……」
それ以外の言葉を忘れてしまったかのように、少年は呟いている。
夢見月は理解した。自分は、してはならない事をしてしまったのだ。
「何かを、思い出してしまったようですね……忘れなさい」
ヨアヒムは片膝をつき、少年の肩に手を置いた。
「忘れても、人は生きてゆけます」
「……とりあえず、ごはん食べよう?」
少年の目の前で、夢見月は携行食の包みを開いた。
いくつかの、穀物の塊が現れた。夢見月が元いた世界では、ごくありふれた食べ物である。
ぼんやりと見つめていた少年が、それを手に取って口に運んだ。
「……何……中に、何か入ってる……」
「おにぎりよ……シャケも昆布も手に入らなかったから、それっぽい干し魚とか海藻とか入れてみたんだけど」
「おいしい……」
食べながら少年は、周囲を見回した。
「おいしいよ、ママ……あれ? ママはどこ……ママって、何……?」
「さ、何かしらね」
夢見月は思わず、少年を抱き締めた。真紅の瞳から、涙が溢れる。
声が震え、詰まった。
「ごめんね……」

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来訪者は落雷と共に

 ドラゴンスレイヤー・ダークネス。
古の時代、竜をも倒す力を秘めた最強の聖剣として、鍛造された武器である。
とある勇者が、これを振るって悪しき竜を討伐した。
その際、竜の怨念を吸収し、持つ者に絶大な力と身の破滅をもたらす魔剣と化したのだ。
魔性の鏡。
高名な魔法工芸家が晩年に発狂し、死の直前に作り上げた鏡である、と言われる。
見た者の、憎悪・恐怖心・悲哀といった負の感情を、おぞましい姿として映し出す。時にはそれが実体化し、怪物となって出現する事もあるという。
バンシーの像。
ある時代の無名彫刻家が、自分を捨てた女性への愛憎を込めて彫り上げた作品である。
掌に乗る大きさの、泣き叫ぶ美女の彫像。
これを所持した女性は、金持ちの男と結ばれるが、最終的には捨てられたり、遺産争いに巻き込まれたり、その金持ちが没落したりで、必ず不幸な最期を迎えるという。
まだまだある。この塔に封印された、呪われた品々。
それら1つ1つを簡潔に紹介してゆくだけで、本が1冊、出来上がってしまうほどだ。
そして今日。それら封印の品々に、魔銃サンダーブリットが加わる事となる。
持ち主の魔力を、電光の弾丸に変換して射出し、あらゆるものを灼き尽くす。
これを使用出来るのは、消耗に耐え得る魔力を持つ者のみ。
だがいずれ、この魔銃を研究解析し、魔力を持たぬ一般人でも乱射出来るような銃を作り上げる者が出て来るだろう。
「銃などというものは……この世界に、在ってはならんのだ」
魔導師は呟いた。
背後には、弟子である大勢の魔法使いたちが控えている。
ソーン某所に、巨大な墓標の如くそびえ立つ、封印の塔。
各階に、様々な呪いの品が封印秘匿されている。
塔の1階中央。床一面に魔法陣が描かれた大広間に、魔法使いたちは集っていた。
魔法陣の中央に、魔銃サンダーブリットを収めた宝箱が置かれている。
今から行われるのは、封印の儀式だ。これが無事に済めば、サンダーブリットは塔の何階かに転送され、様々な罠の内側に秘蔵される。
「始めよう……銃とは、呪われし武具の最たるもの。存在しては、ならぬのだ」
魔導師が杖を掲げ、儀式の開始を告げた、その時。
塔全体が、微かに揺れた。
大広間に一瞬、轟音と閃光が満ちた。
落雷。集う魔法使いの誰もが、そう感じた。
壁に亀裂が走り、天井の一部が崩落して来る。
「な、何事……!」
恐慌に陥る弟子たちを、宥める事も出来ぬまま、魔導師は見据えた。
魔法陣の中に、何者かが倒れている。白い、華奢な細身。
少年、のようである。
閃光と轟音を伴って現れた、1人の少年。
その白く細い肢体が、ゆらりと立ち上がる。
黒い、だが一部だけが白い前髪。その下で、左右の瞳が淡く緑色に輝く。
翡翠色の眼光が、魔法使いたちに向けられる。
一見、単なる細身の少年である。
だが魔導師は思った。直感した。殺される、と。
いくつもの何かが、降って来た。
あちこち崩落し、穴だらけになった天井。それら大穴を通って、階上から降下して来た者たちがいる。
石の鎧を身にまとった甲冑騎士。そんな姿をした、何体もの怪物。
封印された呪いの品々を守る、ゴーレムたちである。塔内いたる所に、衛兵として配備されている。
その一部隊が、大広間の全域に着地していた。重そうな足音が、連続して響く。
少年の、緑色の瞳が、彼らに向けられた。
幼さの残る、愛らしいとも言える顔立ちには、何の表情も浮かんでいない……いや。ゴーレムたちを見つけた瞬間、微かに動いた。
興味の対象となりうるものを認識した、赤ん坊の表情だった。
封印の儀式のため、正式な認可を受けて塔内に入った魔法使いたちとは違う、突然の来訪者である少年。
彼を不法侵入者と認めたゴーレムたちが、一斉に動いた。
石造りとは思えぬ素早い動きで、少年に襲いかかる。殴り掛かる。
いくつもの石の拳が、唸りを立てて風を起こし、空を切った。
少年の白い細身が、その風に煽られるが如くゆらゆらと翻りながら、ゴーレム部隊の真っただ中を歩き抜けて行く。かわしている、と言うよりも、石の拳が来ない位置をあらかじめ選んでいる。
予知の魔法、のようなものが、ごく自然に発動しているようであった。
そんな少年が、しかしゴーレムの拳を1つユラリと回避しながら、転倒していた。
いや違う。床に転がる何かを、拾い上げたのだ。
宝箱が、崩落した天井の破片に押し潰されていた。
その中身……左右2丁の魔銃サンダーブリットが今、少年の両手それぞれに握られている。
雷鳴が轟いた。
少年が、引き金を引いたのだ。
左右2つの銃口から、電光が迸る。それはまるで、横向きの落雷であった。
稲妻の嵐が、ゴーレムたちを薙ぎ払い、打ち砕いてゆく。
石の破片が無数、飛び散った。
「…………ボクが……」
無表情だった少年の顔が、にっこりと歪んでいる。
玩具を見つけた、子供の笑顔だった。
「……ボクが一番、いっぱい……やっつけてる……ボクが1等賞だよぉ……」
ゴーレムたちが片っ端から雷撃に粉砕されてゆく、その様を見つめながら、魔導師は思う。
このゴーレム部隊が現れなかったら、少年の興味は自分たちに向けられていただろう。自分たちが、こんなふうに撃ち砕かれていたはずである。
少年に気付かれぬよう今のうち、ひっそりと立ち去る。出来る事は、それしかない。
「エインへリャルの方々に、お任せするしかあるまい……」
怯え逃げ惑う弟子たちを、大広間の外へと導きながら、魔導師は1度だけ振り向いた。
ゴーレムの群れを楽しそうに粉砕しながら、少年は笑っている。
「誰か……競争しようよ……1等賞、ボクだけになっちゃうよぉ……」
泣いている、ようでもあった。

 

 

「じゃあ最初は、封印の塔に住んでたんだ?」
白山羊亭。季節のフルーツタルトを堪能しながら、サクラ・アルオレは言った。
「つまり何と言うか、あれだね……キミってとにかく、競争さえ出来れば他はどうでもいいと。最初っから、そんな感じだったんだねえ」
「1等賞、サクラに獲られちゃったなー。悔しいなあ」
そんな事を言いながら、アオイは嬉しそうだ。
あの蜘蛛を倒したのはサクラであると、彼は言って譲らなかった。
サクラの方が折れて結局、この少年に奢らせる事となってしまった。
「今度は負けないよ、サクラ」
「……ま、ボクだって、わざと負けてあげるつもりはないけどね」
封印の塔に、恐ろしい魔物が棲んでいる。
そんな噂を、サクラも聞いた事はあった。
その魔物が、今は目の前で、無邪気に美味そうにタルトを頬張っている。
野放しには出来ない、とサクラは思った。
(今のところボクが、ひたすら競争相手になってあげるしかない……と。やれやれ、だね

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旅籠屋―幻―へようこそ~A01と仲間たちのある日~

 夕暮れ時。
閉店を前に慌てて買い物をする客で賑わう市場や、飲食店の呼び込みで騒がしい表通りから、1つ通りを中へと入る静かな裏通り。
そこに佇む旅籠屋兼食堂の名は、幻(まほろば)。
ひっそりと佇むが故に、表通り構えられた店と違って、訪れるのは常連たちか、彼らから紹介された者たちか、偶然見つけた者たちか。
今日もその店を訪れたのは、クエスト帰りに偶然、店の前へと辿り着いた、3人組であった。

 

 

「……いらっしゃい。お好きな席に」
3人組を出迎えたのは、店主らしき女性――闇月夜だ。
まだ夕食には早い時間のためか、客は少なく、カウンター席に座るもテーブル席に座るも自由のようだ。
「あの辺りにでも座りましょうか?」
長身の男性――ヨアヒム(3849)が、連れの2人へと訊ねる。
「私は何処の席でも構わないから、お任せするわ」
3人組の中、唯一の女性――夢見月(3851)が微笑みながら応える。
「ボクも何処でもいいよ」
店内を物珍しげに見回していたもう1人の男性、A01(3850)――アオイも頷いて応えた。
2人の返答に、ヨアヒムはカウンターに程近いテーブル席へと先立って向かう。
「今日のオススメの品でもいただけますか?」
「……3人とも?」
ヨアヒムの注文に、夜が訊ね返すと、夢見月もアオイも「同じものを」と頷いた。
「……少々お待ちを」
夜も頷き返して、早速用意をし始める。
「いらっしゃい。お客さんたちは、ギルド仲間か何か?」
いつもであれば店の片隅で、店内の監視に勤しむ少年とも見間違いそうな用心棒――如月誠が、冷水を運んで来ながら、訊ねた。
「ええ、そうよ」
歩き通しで乾いていた喉を、出された冷水で潤した夢見月が頷く。
「へぇ、一緒に食事するくらいだし、仲が良いんだね。付き合いは長いんだ?」
面白い話でも聞けないだろうか、とワクワク顔の誠が更に突っ込んで訊く。
「長いような、短いような……」
2人とそれぞれ出会い、どれくらい経っただろうか。
ヨアヒムはそう思いながら、昔語りでも……と話し始めた。

 

 

***

 


目覚めたのは、見知らぬ廃墟であった。
「私は一体……?」
己がレプリス――中世でいう所の錬金術によるホムンクルスを参考に、科学技術の飛躍的な進歩により生み出された、人間的な思考能力をもった人工生命体であること以外、一切の記憶がない。
廃墟から出て、少し歩くと小さな町へと辿り着いた。
寝泊りするには宿屋へ。ただ、そのための持ち合わせがなかったので、まずは何かしら仕事でも請けて、金銭を得ねば……。
そうした、この世界で生きていくための知識はあるというのに、自分が何者であるのか、という記憶だけはいくら考えても出てこない、不思議な状態であった。
旅人のように、一所に長く留まることなく、記憶を求めて探し回る日々もあった。
けれども、どれだけ探し回ろうとも、己の記憶の手がかりとなる情報はなく、思い出せず。何も分からないまま、ただ時は過ぎた。
いつまでも存在不確かな過去に捕らわれているわけにはいかない。
そう思ったヨアヒムは、街へと辿り着くと、冒険者ギルドへと足を運んだ。この地で定住し、職を求めるために。
「……これはこれは……」
冒険者ギルドに一歩踏み入れたヨアヒムは、その賑わいに圧倒された。
ある者は仲間たちとの集合の場にしていたり、ある者は依頼を求めて受付へと話しかけていたり……。
周りの様子を物珍しげに眺めていたヨアヒムは、ふいに肩を叩かれ、振り返る。そこには20代前半くらいの2人の男女が居て、男の方が彼の方を叩いていた。
「お兄さん、冒険者ギルドを訪れるのは初めて? 何処か、所属したいギルドとかあったり?」
女の方が訊ねてくる。
「ええ、初めてです。ギルドには所属した方がいいのでしょうか?」
頷きながら、問い返すと、男も女も「もちろん!」と大きく頷いて見せた。
「まあ、1人でどうこう出来るような術があるっていうなら、話は別だろうけどね」
「そうでないなら、所属した方が、助け合うことが出来るわよ」
2人の応えに、ヨアヒムは思案する。
何処かギルドに所属しようにも、事前に何も調べていないため、まずはそこからだ。
「これといって決めてないなら、うちの――【エインヘリャル】に入らないかい?」
「【エインヘリャル】……ですか?」
聞き慣れない言葉に、訊ね返す。
「私たちが所属するギルド……というほど大きなものではないのだけれど、グループね。魔術師たちが集っているわ」
女の応えに、ヨアヒムは暫し考え込む。
ここで出会ったのも何かの縁か――。
そう考えた彼は、その勧誘を了承し、魔術師集団【エインヘリャル】の一員となった。

 


***

 

 

ヨアヒムがそこまで語り終えたところで、「……料理を運んで」と、夜が誠を呼ぶ。
お膳に載せられ運ばれてきたのは、魚の煮付けをメインに、野菜の和え物などの小鉢が数点、白ご飯に汁物、漬物といったものたちであった。
「本日のオススメ、日替わり定食お魚コースだよ。肉や野菜メインのセットもあるけれど、新鮮な魚が入った日はこれがオススメ」
そう告げてから、それぞれの料理についても誠は説明しようとするが。
「冷めちゃうし、食べながら聞いても良い?」
アオイがそう訊ね、誠が頷く。
「「「いただきます」」」
3人の声が重なり、それぞれは早速、魚の煮付けや和え物などから手を付け始めた。
その傍らで、誠がそれぞれの料理の説明をし、終えると「さっきの続き、聞きたいな?」と、ヨアヒムを窺う。
「そうですね……それからは、暫く【エインヘリャル】の仲間たちと行動を共にしていて、あるとき、夢見月と出会ったのです」
ヨアヒムの言葉に、夢見月が頷き、「私が話すわ」と続ける。

 


***

 


――この世界に来るまでは、まるで夢を見ているかのように毎日を過ごしていた。
家族のことは大好きだったし、友だちも多くはないけれど居た。
しかし、自分の生きる世界は此処ではないような……。
常にそんな気持ちで、日々を過ごしていた。

(いい歳なんだから、もう夢ばかり見てないで、現実に目を向けなきゃ……)
夢見月は、バイトを終えての帰り道、そんなことを考えながら、歩いていた。
寒さの厳しい季節――、早く帰り着きたいと、帰路に着く足は自然と駆け足気味になる。
(あ。買って帰らないといけないものが……ん?)
帰り道、買い物をしようと思っていたのを思い出したところで、財布を置いてきてしまったことに気付いた。
このままでは買い物もできないし、あってはならないことだが盗られないとも限らない。
(あぁ、もうっ!)
慌てて、身体を反転させ、元来た道を取って返す。
先ほどより更に駆け足になりながら、幾らか進んだところで、小石があったらしく躓いてしまった。
身体が傾ぎ、転んでしまうと思ったところで、反射的に目を閉じた。

「……うん?」
目を開けて最初に飛び込んだのは、木目張りの天井であった。
身体は、硬いベッドにでも横たえられているようで、身じろぐとギシリとベッドが軋む。
「ああ、起きた?」
その音で、傍に居た者が気付いたらしい。
「ここは……?」
夢見月は視線を巡らせる。病院の一室にしては壁や天井の雰囲気が違うようだ。
「うちのギルドが拠点にしてる建物の一室よ。出かけようと思って外に出たら、玄関の目の前に倒れてるんだもん、ビックリしたわ~」
起きれる? と訊ねてくるその女性の手を借りながら、夢見月はベッドの上で身体を起こす。
「ぎるど、って?」
「仕事とかを共にするような、グループのことよ? 知らない?」
本やゲームの中の世界でしか聞かないような単語に、首を傾げると、その女性もやや首を傾げながら応えた。
「そう……」
俯きながら応える夢見月の様子に、女性は「もう少し休んだら?」と声を掛けながら、ベッドの上に半身起こしている夢見月に横になるよう促す。
促されるまま夢見月は横になり、混乱する頭を整頓するべく、そっと目を閉じれば、数分と経たぬうちに、意識を手放した。
そうして再び目覚めたとき、夢見月はやはりこの世界に居た。

「初めまして、夢見月さん。ヨアヒムと言います」
数日後、行く充てがないと告げた彼女の前に、このギルド【エインヘリャル】に居ればいいと言ってくれた面倒を見てくれていた女性が、世話役として連れて来たのはヨアヒムであった。
(うわぁ……)
長身な彼の見た目、そして纏う雰囲気に、夢見月は一目で恋に落ちてしまったのを感じた。彼の姿は、夢見月が描いていた理想の王子様そのものなのだ。
それから、ギルドのメンバーの中でもヨアヒムと行動を共にし、その度に彼のことを知っていく。知れば知るほど好きになるのに、そう時間は掛からなかった。

 


***

 

 

「……っとまあ、そんな感じで、私は【エインヘリャル】で保護されたことで、ヨアヒムと出会って、この世界に落ち着くことが出来たんだけど……」
話の流れのままにポロリと、、胸に秘めた想いを口に出してしまいそうになり、夢見月は取り繕って纏めた。
「へぇ。じゃあ、おねえさんはこの世界の住人ではないんだね」
さほど珍しいものではないけれど、改めて話を聞いて、誠はやや驚きの声で夢見月に返した。
「そうなるわ。それから、大分経って……のこと、かしら。アオイと出会ったのは」
1つ頷いてから、夢見月が言葉を続ける。
「それじゃ、今度はボクが」
話を聞きつつ、すっかり料理を食べきっていたアオイが手を挙げた。

 


***

 


――A01。
それが、幼い頃から過ごしてきた研究施設での、ボクの呼び名だった。
幼いが故に、そう呼ばれているうちに、本当の名前は忘れてしまっていた。

『では、実験を開始する』
今日はテレポートの実験だと言っていたか。
似たような装置が複数並び、そのうちの1つから、別の1つへと瞬時に移動する、そんな実験をしようとしていると、説明された気がする。
装置の中でぼんやりとそんなことを思っていたアオイは、不意に生じた時空の歪みに気付かない。
「……うわっ!?」
その歪みの狭間に急に引き込まれてしまった。
『A01!? 応答せよッ!!』
装置の中に、隣室からガラス越し、そして装置内のカメラ越しにしか様子を窺っていなかった、研究者の声が響いたが、それに応答する者は居なかった。

目覚めたとき、研究施設でないのは明らかだった。
更に言えば、幼い頃より施設に隔離されて過ごしてきたアオイは一般常識すら知らない。そのため、犯罪意識もないので、空腹を訴える身体を満たすべく取った行動は、通りの店先に並ぶ果物を買わずにそのまま食べてしまうことであった。
「泥棒ッ!」
気付いて声を上げる店主に驚き、アオイはそのまま走って逃げていく。
宿に泊まるお金などなく、それを稼ぐ術も知らない。
アオイは日々、裏通りの廃墟などで寝泊りし、暮らすに必要なものは盗みを働き、身なりも酷くなっていく一方であった。
そうした生活が続く中、街の人たちの間でもアオイのことは噂になっていて、困っているから対処して欲しい、という依頼が冒険者ギルドへと舞い込む。
その依頼を請け、訪れたのは夢見月とヨアヒムであった。
2人が街の人たちから話を聞いているとき――、
「また着やがったか、この泥棒ッ!」
数軒先の店主の声が響く。
その声のした方に注目すると、丁度、少年がパンを手に駆けて来た。
「あいつだっ!」
ヨアヒムたちと話をしていた街の人もまた、声を上げる。
「やべっ」
呟きつつ、脱兎の如く逃げるアオイをヨアヒムと夢見月は追いかけた。
「何なんだよ、あの、赤いのとでかいの……」
街の人たちとは違う2人が追いかけてくることにアオイは焦り、入る通りを1つ間違えてしまった。
行く先は袋小路になっており、高い壁に囲まれているために、上に逃げることも出来ない。
「もう逃げ場はありませんよ」
狭い通路の出口に2人、並ばれているために、横を擦り抜けることも難しそうだ。
思わず、アオイは舌打ちする。
「ねえ、あなたがしているのは悪いことだって、分かってる?」
「悪いこと? 生きるためには食べなきゃいけないし、あれだけ食べ物並べてんだから、持っていけって言っているようなものだろう? 何でか、いつも声上げて、追いかけてくるけど」
夢見月の問い掛けに、アオイは首を傾げた。
「悪いこと、という認識がないのですね」
彼の応えとその様子に、ヨアヒムがぽつりと呟く。
「確かに、食べることは生きていく上では必要です。ですが、自然の中と違い、ここのような街で食べ物を手に入れるには、それに対する対価が必要なんです。店先に並べているのは持っていっていいと言っているわけではないんですよ」
アオイの言葉を受け、ヨアヒムは説明するものの、当人はその中身についてピンと来ないらしく、理解できないといった顔を浮かべた。
「ねえ、まずはあなたのこと、話してくれない? お腹が空いてるなら、食べさせてあげるから、うちのギルドにでも行って」
ぽん、と1つ手を叩いてから夢見月がそう提案する。ヨアヒムもそれはいい、と頷いた。
一先ず街の人たちにはアオイを保護し、連れ帰ることを告げ、先ほど彼が盗みを働いたお店には代金を支払ってから、3人は【エインへリャル】が拠点としている建物へと帰る。
帰り着いた後、夢見月が料理を作っている間に、アオイはバスルームへと案内され、身体を清潔にした後、ギルド仲間の中で背格好が似た者の服を借りて、着替えた。
「あ……」
ヨアヒムに案内されて、食堂としている部屋に入ったアオイは、温かなご飯の匂いを感じ取る。
「さあ、召し上がれ。もちろん、あなたのことも聞かせてね?」
夢見月が、手料理を並べたテーブルへとアオイを促す。
「い、いただきますっ!」
テーブルに着いたアオイは早速、温かな料理の数々を貪るように食べた。
ある程度食べたところで、向かい側に座って、彼の様子を眺めている2人のことを思い出す。
アオイは水を飲んで一息置いてから、幼い頃からの暮らしと、この世界に来た理由を2人へと話した。
今まで受けたことのない優しい対応を2人から受けたことも含めて、話しているうちにアオイの瞳に涙が浮かぶ。
「分かりました。先ほどの悪いことの認識がないのも、そういう理由から、だったのですね」
ヨアヒムは納得し、先ほど口頭で説明したことを図も交えて再び話す。
「何となく分かった気がする……けど、やっぱ難しい」
眉間に皺を寄せつつ、アオイはぼやく。
「分からないことはどんどん聞いて、覚えていけばいいのです。行くところがないのでしたら、このギルド【エインへリャル】に入ってもいいわけですし」
「ここに居ていい、てことか?」
ヨアヒムの言葉に、アオイが問い返すと、2人ともが頷いた。
「よろしくね、えっと……」
「ああ。A01、だ」
名前を呼ぼうとして詰まった夢見月に、アオイは研究施設で呼ばれていた名を告げる。
「エーゼロワン?」
「こう」
広げられていた羊皮紙に、アオイはそのまま『A01』と書いた。
「名前というより、コード、よね。……あ、『アオイ』って呼ぶのはどう?」
書かれた文字を見た夢見月が、そう読み替えることを提案する。
「アオイ?」
繰り返すアオイに、彼女は1つ頷いて見せると、理由を話した。アオイもヨアヒムもその理由に納得し、この少年の名は『アオイ』ということになった」

 


***

 

 

「そんな感じで、【エインへリャル】に世話になってるんだ」
話し終えたアオイは、残る料理を食べてしまう。
「そうだったんだ。話聞かせてくれてありがとう。デザート運んでくるよ」
話を聞いていた誠は礼を告げてから、丁度カウンターにデザートが用意されたことに気付いて、それを受け取りに行く。
「これは、サービスね」
そして運んできたデザートを3人の前に並べると、改めて「ありがとう。ごゆっくり」と告げて、話を聞いている間に増えてきた客へと対応すべく、誠は店内をあちこちへと移動し始める。
その様子を見てから、ヨアヒムはすっかり長居していることに気付いた。
「まあ、お言葉に甘えて、ゆっくりしてきましょ」
「デザートも美味しいな!」
夢見月とアオイの言葉に、ヨアヒムは微笑み頷いて、彼らは今しばらく、食事の時間を楽しんだのだった。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

PC
【3850 / A01 / 男性 / 17歳 / 冒険者】
【3849 / ヨアヒム / 男性 / 33歳 / 賞金稼ぎ】
【3851 / 夢見月 / 女性 / 24歳 / 幻影師】

NPC
【闇月 夜 / 女性 / 23歳 / 女将】
【如月 誠 / 女性 / 18歳 / 用心棒】

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■         ライター通信          ■
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A01(アオイ)さん、初めまして!
この度は、『旅籠屋―幻―』で過ごしてくださり、ありがとうございました。
納期、ギリギリになってしまいまして……大変お待たせしました。

ヨアヒムさん、夢見月さんとのひと時を楽しく過ごしていただけたなら、幸いです。

また機会がありましたら、『旅籠屋―幻―』へお寄りくださいね。

カテゴリー: ソーン, 暁ゆか |