猛獣使い

 サクラが持って来たものをまじまじと確認しながら、村人たちが仰天している。
「こ……こりゃ間違いねえ、あいつの糸だ……」
「あんた本当に、あの化け蜘蛛を退治して下すったんだなあ……」
「あっ、いや、あいつをやっつけたのはボクじゃなくて」
言いつつサクラ・アルオレは、きょろきょろと見回した。
大蜘蛛と戦っていたのは9割方、あの少年だ。自分はただ、最後に少し手を出しただけだ。
その少年は、少し離れた所で、猫と戯れている。
「わーい、猫ちゃん猫ちゃん」
「ちょっと前から、この役場に棲みついてる野良でしてねえ。ほんと図々しい奴で、仕方ないから村の皆で面倒見てるんですよ」
ハルフ村の、役場である。
大蜘蛛との戦いで服を失ってしまったサクラのために、親切な村人たちが、新しい服を無償で用意してくれた。
「うちの娘の、お下がりでよう」
村の老婦人が、申し訳なさそうに言った。
「こんなもんしかねえで、悪いなあ」
「いえそんな。本当に、ありがとうございます」
ひらひらとスカートを舞わせたりしながらサクラは、平凡な村娘のようになった己の全身を見下ろした。
「スカート穿くのなんて、ほんと久しぶりなんだけど……ねえアオイ、似合う?」
「可愛いよー」
アオイと呼ばれた少年が、サクラの方など見向きもせずに言った。猫を抱き、撫で回しながら。
「猫ちゃん、可愛いなあ猫ちゃん」
「あっはっは、とんだ彼氏だねえ」
老婦人が、たまらず笑い出した。
「この朴念仁っぷり、うちの旦那より上だあ」
「……こんな奴、彼氏じゃありませんからっ」
サクラは、ぷーっと頬を膨らませた。
「ねーサクラ、何怒ってんの?」
アオイが、猫を抱いたまま近付いて来た。
「ほらほら、猫ちゃん可愛いよー」
「……そうだね」
疲れを感じながらサクラは、猫ではなくアオイの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「動物だと思えば腹も立たない……かな」
「ぼ、ボクじゃなくて猫ちゃんを撫でてあげなよ」
「うるさい。動物が喋るな」
有無を言わさずサクラは、アオイの黒髪を撫で乱し続けた。

 

 

温泉は、ハルフ村の重要な収入源の1つである。
岩の地形で男湯と女湯が上手く分けられている露天風呂を、サクラもアオイも、目を輝かせて見渡した。
「うわぁー……温泉なんて久しぶりっ!」
「ボクは生まれて初めてだよー! さあ入ろう入ろう」
アオイが、本当に嬉しそうにしている。
微笑ましい気分になりながらもサクラは、少年の片耳を思いきり引っ張っていた。
「何でっ、キミはっ、ここでっ、普通に服脱いで女湯に入ろーとしてるのかなあああっ!?」
「いっ痛い痛い、痛いよサクラぁ……だって服着たまんまじゃ、お風呂入れないじゃん。ほらサクラも、脱いだ脱いだ」
「あのね……ボクはキミを、そこまで動物扱いするつもりはないから」
サクラは、溜め息をついた。
「とにかくキミはあっち、男湯の方へ行きなさい。男と女は基本、一緒にお風呂入っちゃいけないのっ」
「えーっ? 何で何で」
「特に理由はないけど、やっちゃいけない事ってのが、世の中にはいろいろあるの。そうでしょ?」

 

 

確かに、サクラの言う通りではあった。
明確な言葉で説明出来る理由はなくとも、してはならない事。それはこの世に、どうやら思いのほか数多く存在する。この世界へ来てからアオイが日々、学んでいる事である。
例えば、金を払わずに物を持ち去る事。みだりに人を傷付ける事。
魔術集団エインへリャルの先生方には、この2つを特に強く禁じられた。
前者はともかく後者の方は、ウィンショーの双塔において、すでに破ってしまったのだが。
「……だって、あいつら許せなかったんだもの」
1人、男湯に浸かりながら、アオイは頬を膨らませた。そうしてから、涙ぐんだ。
「サクラと一緒に……お風呂、入りたかったなー」
その時。悲鳴が聞こえた。
女湯の方から、サクラの悲鳴が。

 

 

「はぁ……疲れたぁ……ったく」
女湯の中で、サクラはゆったりと肢体を伸ばした。
大蜘蛛との戦いよりも、あの少年との会話の方が疲れた。
「ほんと、動物みたいな奴なんだから……」
「……まるで仔犬ちゃんと飼い主みたい、でしたわよ」
誰かが、笑っている。
湯煙の向こうで、女性客が1人、湯に浸かっていた。
先客がいるとも知らずにいたサクラは、慌てた。
「ご、ごめんなさい。聞こえてました? うるさかった、ですよね……」
「お気になさらずに。賑やかな子だという事は、存じ上げておりますわ」
「ええと……あいつの事、もしかして知ってるんですか?」
「ちょっとした競争を、ね」
競争。あの大蜘蛛との戦いの最中にも、アオイはそんな事を言っていた。
出会う者と、とにかく何かしら競争しないと気が済まない少年なのだろう。
この女性とあの少年は、サクラの知らない所で一体、どのような競争をしていたのか。
(……って、何でボクがそんな事! 気にしなきゃいけないのさっ)
サクラが思わず頭から湯に潜ってしまいそうになった、その時。
複数の、荒々しい足音が聞こえた。
明らかに女性客ではない集団が、女湯に踏み入って来たところである。
「あー飲んだ飲んだ。酔っ払っちまったーい」
「はっはっは。飲んだ後になんか風呂入ったらおめえ、血行良くなり過ぎて死んじまうぞう」
酒の入った、男性客の集団だった。
「およ? 何か、可愛い嬢ちゃんがいるぞう」
「いっけねぇー。おじさんたち、間違えて女湯に来ちまったぁい」
「うへへへへ、この際だから仲良く混浴といこーぜい」
赤ら顔の脂ぎった中年男たちが、遠慮なく湯に入って来てサクラを取り囲む。
自分が悲鳴を上げている事に、サクラは一瞬、気付かなかった。
「きゃあああああああああああ!」
その悲鳴に呼応したかの如く、岩の上に何者かが立った。
湯煙の向こうで、翡翠色の瞳が爛々と輝いている。
「何……やってんだよ……お前ら……」
アオイだった。
彼の来るのがあと一瞬でも遅かったら、自分は間違いなく炎精剣を召喚していただろう、とサクラは思う。
炎の剣で灼き砕かれる代わりに、男たちは宙に浮いていた。まるで目に見えぬ巨人の手で掴み上げられ、揺すられているかの如く、空中でじたばたと暴れている。
「ひっ……ひいぃ……何だよこれ……」
「たたたたた助けてくれえぇ……」
酔いなど吹っ飛んだ様子で、男たちは、湯気に満ちた空中で怯えている。
彼らが、何者によって何をされているのか、サクラはわからなかった。否、信じられなかった。
「アオイ……なの……?」
少年は何もしていない、ように見える。岩の上に立ち、ただ男たちを睨み据えているだけだ。
その両眼を、緑色に燃え上がらせているだけだ。
「いじめたな……サクラを、いじめたなぁ……っ!」
禍々しい、翡翠色の眼光。
それが男たちを捕え、宙に浮かせている。いや、浮かせているだけでは済まないだろう。
今から、もっと惨たらしい事が起こる。それをサクラは直感していた。
「駄目……!」
「おやめなさい、アオイさん」
湯煙の向こうで、女性が声を発した。
「温泉が、汚れて台無しになってしまいますわよ」
白い幕のように揺らめく湯気。そこに、凹凸のくっきりとした女の曲線が浮かび上がっている。
「……もしかして……お姉さん!?」
アオイの両眼から、禍々しく凶暴な輝きが、一瞬にして消え失せた。
男たちが湯の中に落下し、派手に飛沫を飛ばし、溺れそうになりながら怯えている。
アオイは彼らに、もはや何の関心も抱いていないようであった。
「お姉さんでしょ!? ねえねえ」
「お久しぶり……というほどでも、ありませんわね」
「わーい、みんなでお風呂!」
アオイが、岩の上からぴょーんと跳躍し、湯に飛び込んで来る。
お姉さん、と呼ばれた女性が、軽く片手を掲げた。
湯煙の中で、何かが白く輝いた。女性の全身に描かれた、何かが……刺青、であろうか。
風が吹いた。湯の中にいても一瞬、寒さを感じるほど、冷たい風。
「や、やっぱり……サクラ、ちっちゃいね……」
そんな事を言いながら、アオイは凍り付いていた。まるで棺桶のような氷に、閉じ込められていた。
そして、身を寄せ合う男たちの真っただ中へと落下する。
そちらへ、女性が声を投げた。
「10分ほど、お湯に浸してあげなさい……もちろん男湯でね?」
「へ、へい」
男たちが、氷詰めになった少年を担ぎ上げ、えっちらおっちらと男湯の方へ去って行く。
呆然と見送るサクラに、湯煙の向こうから、女性が声をかけてくる。
「……あまり恐がらずに、あの子と仲良くしてあげなさいな」
「えーと……まあ仲良くしてあげるのは別にいいけど」
動物どころか猛獣ではないのか、とサクラは思った。うっかり目を離すと誰かを噛み殺してしまいかねない、凶暴な獣。
口元の辺りまで湯に浸かりながら、サクラは呟くしかなかった。
「犬が人を噛んだら……飼い主の責任って事になっちゃうよねえ……」

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雷の少年と炎の少女

 【冒険者一覧】
3850/A01(アオイ)/冒険者
【助力探求者】
サクラ・アルオレ

 

 

ウィンショーの双塔で、いくらか悲しい思いをした。
気を取り直し、聖都エルザードへと向かう道中。
クーガ湿地帯に差し掛かった辺りで、アオイは珍妙なものを見た。
おかしな格好で寝ている少女がいる。
これは忠告しなければ、とアオイは思った。

 

 

アオイ:「ねー知ってる? 逆さでぶら下がってるとねえ、目とか耳とかから血がたくさん出て死んじゃうんだって」
少女:「……そうなる前に……助けてくれると、嬉しいなぁ……」

 

 

白っぽい寝袋のようなものに包まって、真っ逆さまにぶら下がっているその少女は、別に眠っているわけではないようだった。このまま放っておけば永眠する事になるのは、間違いなさそうだが。
湿地帯に生い茂る、ねじくれた木々。それらの間に、白い縄のようなものが広範囲に渡って張り巡らされている。
そこから少女は、その白い縄で全身ぐるぐる巻きにされ、真っ逆さまに吊り下げられていた。
縄ではない。とてつもなく太い、蜘蛛の糸だ。

 

 

少女:「ここに棲んでるバケモノ蜘蛛に、捕まっちゃって……あいつ、そこいらじゅうに獲物をこうやって糸に包んで吊るして、まあ保存してるつもりなんだろうけど……このまんまじゃボク、食べられるか頭破裂するかで死んじゃうからさ……ねえ助けて……って何やってんの」
アオイ:「あ、動いちゃ駄目だよー」

 


電光の弾丸を放つ2丁拳銃……閃雷銃サンダーブリットを、アオイは少女に向けていた。
樹木の高さから吊られている、人間大の物体。標的としては、ちょうど良い。

 


少女:「ち、ちょっと待っ……」

 

 

アオイは引き金を引いた。
湿地帯に、雷鳴が轟いた。
攻撃の念が、稲妻の弾丸と化し、左右2つの銃口から迸っていた。
白色の拘束衣と化して少女を捕える、白い蜘蛛糸。そのあちこちを、電光弾がかすめて奔る。
白い拘束衣が、灼けてちぎれた。
解放された少女の身体が、落下して来る。猫を思わせる、小柄な細身。

 

 

少女:「……っと……っ」

 

 

くるりと軽やかに一転し、少女は着地した。着地した足が、よろめいた。頭に血が昇ったのだろう。
そのまま少女は、大木の幹に激突した。

 

 

少女:「いったぁ~……」
アオイ:「ねー酔っ払ってるの? 子供がお酒飲んじゃいけないって、うちの先生たち言ってたよー」
少女:「飲んでないし子供じゃないし! ボク14歳だから! お酒はまだ飲めないけど充分、大人をやれる年齢だから!」

 


ウィンショーの双塔で出会った女性と比べて、まだ発達の余地があり過ぎると思われる身体に、勇ましい剣士の装束をまとっている。長剣を佩いてもいる。
今の着地を見る限り、身体能力はなかなかのものと思えるが、剣の技量まではわからない。
そんな少女が、咳払いをした。

 

 

少女:「……まあ、助けてくれてありがと。だけど凄いね、こいつの糸を切っちゃうなんて。これで新しい防具を作っても、キミと戦う事になったら何の役にも立たないって事だね」
アオイ:「防具? 蜘蛛さんの糸で?」
少女:「蜘蛛の糸ってね、すごく丈夫なんだよ。それを採りに来て、ちょっと不覚取っちゃったってわけ……ほんとに、助けてくれてありがとね。ボクはサクラ・アルオレ。キミは?」
アオイ:「みんなにはアオイって呼ばれてるよ。何かもう1つ名前があったような気がしたけど、忘れちゃった」
サクラ:「……じゃあアオイ君でいいね。見ての通り、ここには恐いお化け蜘蛛がいるから、早くお帰り」

 


灼けちぎれた蜘蛛糸を、サクラは拾い集めて袋に詰めた。

 

 

サクラ:「これで良し、と……あとは蜘蛛を退治するだけ」
アオイ:「えー、蜘蛛さん殺しちゃうの? かわいそうだよー」
サクラ:「そうかも知れないけど、あの化け蜘蛛は人をたくさん食い殺してるの。この近くには村だってあるし、放っといたらこれからも大勢の人が襲われるし。ボクは人間だからね、やっぱり蜘蛛よりは人間を守る方向で動いちゃうよ」
アオイ:「じゃあボクも行くよ! お化け蜘蛛さんと戦ってみたーい」
サクラ:「……かわいそう、じゃなかったの?」
アオイ:「んー、もしキミが蜘蛛さんに食べられちゃったら、キミの方がかわいそうだし」
サクラ:「……まあ実際食べられそうになってたボクに、偉そうな事言えないんだけどさ」

 


うなだれたサクラが、即座に顔を上げた。

 


サクラ:「……伏せて!」

 

 

叫びつつアオイの腕を引き、自らも伏せる。
2人の頭上を、何かが凄まじい速度で通り過ぎた。
巨大な水滴、であろうか。
白い縄のような蜘蛛糸。その先端で、粘液が分銅のような塊を成している。大きさは、人の頭ほど。
それが、ヒュンヒュンと高速で振り回されていた。

 

 

サクラ:「あいつだ……!」

 

 

木々の間に張り巡らされた蜘蛛の巣から、その怪物はぶら下がっていた。
巨大な蜘蛛。大きく膨らんだ尻と言うか腹部に、いくつもの髑髏のような模様が浮かんでいる。
長く鋭利な8本足のうち1本が、粘液分銅の付いた糸を振り回しているのだ。

 

 

サクラ:「あれに当たったら最後! くっついて引きずり寄せられて、一瞬でぐるぐる巻きにされて、さっきのボクみたいになっちゃうから!」
アオイ:「へえ、面白い技使う蜘蛛さんだね」

 

 

分銅のような粘液の塊を、軽く後方に跳んでかわしながら、アオイは左右それぞれの手で引き金を引いた。
2丁のサンダーブリットが、雷鳴にも似た銃声を立て続けに轟かせる。
いくつもの稲妻の銃弾が、大蜘蛛に向かって宙を裂き、そして砕け散った。
糸が、粘液の分銅が、ちぎれて飛び散った。
大蜘蛛は、8本足の2本を使って巣からぶら下がり、2本を使って腹部から無数の糸を繰り出し選り分けている。残る4本の足が、それら糸を縦横無尽に振り回し、操っていた。
4本の糸が、4つの粘液分銅が、大蜘蛛を防護する形に渦巻いて宙を泳ぎ、稲妻の銃弾とぶつかり合って相殺され、ちぎれて砕け散る。
糸は、しかし大蜘蛛の腹部からいくらでも紡ぎ出されて来る。無尽蔵の、防具であり武器でもあった。
砕けた電光が、糸の切れ端が、粘液の飛沫が、大蜘蛛の周囲で際限なく飛び散り続けた。

 


アオイ:「あは……凄い凄い、蜘蛛さんすごーい!」

 

 

軽やかにマントをはためかせながら、アオイは粘液の塊をかわし続けた。
その回避の舞いに合わせて、左右2丁のサンダーブリットが雷鳴を発し、無数の稲妻を迸らせる。
迸った電撃の銃弾は、しかし蜘蛛糸と粘液による縦横無尽の防御によって、ことごとく弾け砕けた。

 

 

アオイ:「ねえねえサクラ、どっちが先にこの蜘蛛さんをやっつけられるか競争しようよ! 負けた方が白山羊亭で野苺タルトおごりって事で」
サクラ:「あのさ、いきなり呼び捨てなわけ? お子ちゃまのお遊びには付き合ってらんないっての……と言いたいとこだけど」

 

 

サクラの瞳が、燃え上がった。

 

 

サクラ:「白山羊亭のタルトと聞いて黙ってられるほど……悲しいけどボク、大人じゃないわけでえええッ!」

 


燃え上がったのは、少女の瞳だけではない。
サクラを取り巻くように、炎が生じていた。まるで何匹もの真紅の蛇の如く、うねりながら燃え盛っている。

 


サクラ:「サラマンダー! 野苺タルトのため、じゃなかった人々を脅かす怪物を討ち倒すため! ボクに力を!」

 


サクラは右手を掲げた。
その愛らしい五指に、掌に、炎の蛇たちが集束してゆく。
そして、巨大な剣と化した。轟音を立てて燃え猛る、炎の大剣。
それが、

 


サクラ:「必殺、炎精剣! いっけぇええええええええええ!」

 

 

少女の気合いと共に、激しく一閃した。
紅蓮の刃が、さらに巨大に燃え上がりながら、大蜘蛛を薙ぎ払った。
いくつもの髑髏模様に彩られた8本足の異形が、一瞬にして焦げ砕け、灰に変わってサラサラと降った。

 

 

アオイ:「へえぇー……凄い! 凄いじゃんサクラ! まあ、あのお姉さんの吹雪みたいにキラキラ綺麗じゃないけど」
サクラ:「熱っ! 熱い、熱いあつい! あちちちちちちち!」

 


少年の失礼な賛辞など、聞いている場合ではない様子だった。
巨大な炎の斬撃は、大蜘蛛のみならず、サクラ自身をも焼いていた。火だるまになりながら、少女はのたうち回っている。
湿地帯の濡れた地面が、ジュージューと炎を消してゆく。
大量に立ちのぼる白煙の中で、焼け焦げた衣服がぼろぼろと、少女の身体から剥がれ落ちていった。
熱に対する、何らかの魔法的な耐性でもあるのか、露わになりつつある肌は全くの無傷だ。
つるりと健康的な少女の柔肌に、しかしアオイは何の興味も持てなかった。
今の、とてつもない炎の斬撃。それ以外の何もかもが、今のアオイにとっては、どうでも良かった。

 

 

アオイ:「綺麗じゃないけど、凄かったよ今の!」
サクラ:「きっ、綺麗じゃなくて悪かったなああああ!」

 

 

怒りと羞恥で顔を真っ赤にしながら、サクラは泥の塊を投げつけた。
それが、アオイの顔面をビチャッと直撃した。

 

 

サクラ:「まだ14歳で、成長が充分じゃないだけだからな! あと1年も経てばボクだって、ボクだって!」
アオイ:「もー、何怒ってんのさ。14歳は大人だって、さっき言ってたじゃん」

 


泥を拭いながら、アオイは言った。

 


アオイ:「まあ確かに、あのお姉さんの方が大っきかったなあ。あそこまで大っきくなるのは、サクラじゃ無理かなあ」
サクラ:「お前も消し炭にしてやるぅうっ!」
アオイ:「ははは、怒らない怒らなーい。ほら、マント貸してあげるよ」

 

 

魔術集団の支給品であるマントを、アオイは少女の身体に被せてやった。

 

 

アオイ:「確か、この近くに村あったよね?」
サクラ:「……ハルフ村?」
アオイ:「そう。そこで服をゲットしたら、一緒にエルザードへ行こう。約束通り、野苺タルトおごるよ」

 


金で食べ物を購う、という事を覚えたのは、つい最近である。
魔術集団の先生たちが、辛抱強く教えてくれた。教わるまでは、甘い物でも何でも手当り次第に持ち去っていたものだ。
それは、どうやら、してはいけない事らしい。

 

サクラ:「……ボクがおごるよ。あいつを倒せたの、キミのおかげだし」

 

 

サクラは蜘蛛の巣を見上げた。大蜘蛛自体は跡形も残っていないが、巣は無傷で残っている。
この蜘蛛糸ならば、炎精剣を使っても燃えない服が作れるかも知れない。

 

 

サクラ:「キミ、本当に強いね……一体どこから来たの?」
アオイ:「んー、よくわかんない」
サクラ:「……もしかして、記憶喪失?」
アオイ:「先生たちは、そんな事言ってた。でもまあ、どうでもいいよ」

 


考えて、記憶が戻るわけではない。何かしら過去があるとして、それを変えられるわけでもない。

 

 

アオイ:「今とこれからが楽しければ、ボクはいいのさ……あのお姉さんとも、サクラとも、友達になれたしね」

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吹雪と雷鳴の塔

【冒険者一覧】
3850/A01(アオイ)/冒険者
【助力探求者】
エィージャ・ペリドリアス

 

 

生きてゆくには、金が要る。
金を得るための手段は色々ある。最も手っ取り早いのは、盗み奪う事だ。
だからと言って、泥棒や強盗に身を落とすつもりはない。喧嘩別れも同然に村を飛び出して来たとは言え、スノーリアス族の誇りまで捨ててしまったわけではないのだ。
だからエィージャ・ペリドリアスは、ウィンショーの双塔に来ていた。
少なくとも法的には所有者の決まっていない財宝類が、ここには大量に眠っている。塔内に住み着く魔物たちを実力で退けさえすれば、それらを持ち去ったところで誰も文句は言わない。
聖獣界ソーンには、このような場所がいくつかある。

 

 

エィージャ:「ありがたい、お話……ですわね。私のような風来坊にとっては」

 

 

寒冷地に住まう種族とは思えぬ、小麦色の瑞々しい肌を、可能な限り露わにした豊麗なる肢体。
その全身に、刺青の如く紋章が浮かび上がり、白く輝く。
塔内が、一気に冷え込んだ。冷気の嵐が、通路を駆け抜けた。
襲いかかって来たガーゴイルの群れが、一瞬にして白く凍り付き、砕け散った。氷の破片が、キラキラと冷風に舞う。
拍手が、聞こえた。
少年が、1人。通路脇に立つ巨大な石像の頭に腰掛け、興味深げにこちらを見下ろしながら手を叩いている。

 

 

少年:「すごい! すごいよ、お姉さん。冷たいのがキラキラしてて、とっても綺麗だねえ」

 

 

緑色の瞳が、無邪気な輝きを湛えている。
黒髪の一部から、黒さが抜け落ちているのは、精神的な何かの影響によるものであろうか。
それ以外には、外見的には特にどうという事もない、十代後半と思われる少年である。顔はそこそこ可愛らしいが、エィージャの趣味にはいささか合わない。
が、そんな事はどうでも良かった。

 

 

エィージャ:「貴方……いつから、そこに?」
少年:「ん? さっきからいたんだけど……お姉さん、気付かなかった?」
エィージャ:「……不覚にも、ね」

 

 

吹雪の日に雪豹の足音をも聞き分けるエィージャが、全く何の気配も感じなかったのだ。
初対面の少年である。が、彼の身につけているマントには、エィージャも見覚えがあった。
魔術集団【エインへリャル】の、支給装備品である。

 

 

エィージャ:「魔術師、ですの? 貴方」
少年:「んー、よくわかんない。みんなにはアオイって呼ばれてる」

 

 

少年が、ふわりと通路に降り立った。

 

 

アオイ:「それよりさ、お姉さんも宝探しに来たんでしょ? ボクと競争しようよ。お宝たくさんゲット出来た方が勝ち、負けた方が白山羊亭でスイーツセットおごりって事で! それじゃ、よーいドン!」
エィージャ:「あ、こら! お待ちなさい!」

 

 

仔犬の如く駆け出した少年を、エィージャが思わず追いかけようとした、その時。
不快な気配が多数、生じた。コウモリの群れを思わせる、羽音と共にだ。
コウモリではなく、ガーゴイルの大群だった。たった今、凍死して砕け散った者たちを、遥かに上回る数である。
無数の牙が、爪が、エィージャとアオイを一斉に襲った。

 

 

アオイ:「もーっ、邪魔すんなあっ」

 

 

エインへリャルの支給マントが、ふわりと翻った。
銃声と雷鳴が、同時に響き渡った。
10匹近いガーゴイルが、稲妻に打ち砕かれて灰に変わった。
2丁の回転式拳銃が、アオイの両手に握られている。
電光が弾丸となり、2つの銃口から間断なく迸った。
塔内の通路上で、少年の細身がふわふわと舞い踊り回転しながら、マントをはためかせる。はためきに合わせて左右の拳銃が雷鳴を発し、ガーゴイルたちをことごとく粉砕してゆく。

 

 

アオイ:「お姉さんお姉さん! こいつら、どっちが多くやっつけられるか競争しようよ。負けた方がフルーツパイおごりって事で、よーいドン! あ、ボクもう30匹くらいやっつけちゃったからねー!」

 

 

エィージャの姿は、しかしすでに消え失せていた。

 

 

初対面の少年にガーゴイルの大群を押し付ける事に成功したエィージャは、今、塔内で特に財宝の臭いが濃い一室にいる。

 

 

エィージャ:「お子様の相手など、していられませんわ」

 

 

壁一面に、奇怪な魔物の姿が彫り込まれている。
この彫像をどうにかすれば、何かしら仕掛けが発動するのではないかと思われる。それが財宝への道となるか、死の罠となるかは、まだわからないのだが。

 

 

エィージャ:「でも……スイーツセットは、おごっていただこうかしら。ふふっ」

 

 

彫像にとりあえず触れてみようとした手を、エィージャは止めた。
室内が、急激に寒くなったからだ。
冷たい気配が、エィージャを囲むように降り立っていた。

 

 

エィージャ:「こんな所まで追いかけて来られるとは……お暇ですのね」

 

 

黒装束に身を包んだ、5人の男。全員、スノーリアス族である。
エィージャに比べて肌の露出が少ないのは、男であるから、ではない。
紋章魔術において、エィージャの足元にも及ばぬ者たちであるからだ。
だから5人とも、剣を抜き構えている。紋章魔術ではなく、刃物に頼ろうとしている。

 

 

エィージャ:「何もする事がない、あの村の人たちらしいですわ」
男A:「最後の警告だ……村へ戻れ、エィージャ・ペリドリアス」
男B:「紋章の力は門外不出、外界で振るう事はまかりならん」
エィージャ:「小さな村に閉じこもって、ただひたすら磨き上げてきた力を……使うな、とおっしゃる?」
男C:「みだりに使わぬための力。長老は、そうおっしゃった。忘れたのか貴様」
エィージャ:「忘れてはおりませんわ。よく覚えておりますとも……小さな村の中だけを世界になさっている、愚かな御老人の戯れ言葉としてね」
男D:「最後の警告だと言ったはずだ!」

 

 

男たちが、一斉に斬り掛かって来る。
いささか雑な連携である。1人が、突出したような形になってしまう。
その、最もエィージャに位置近く迫った1人が、いきなり後方へと吹っ飛んだ。
銃声と雷鳴が、同時に響いていた。

 

 

アオイ:「ボクとお姉さんの競争……おまえら邪魔するんだ? ふーん」

 

 

アオイが、いつの間にかそこにいた。彫像の傍らに佇みながら、男たちに銃口を向けている。

 

 

アオイ:「言っとくけど、おまえらなんか混ぜてやんないよ。だって、おまえらと遊んだって面白くなさそーだし……だから、死んでいいよ」

 

 

緑色の双眸が、男たちに向かって禍々しく輝く。まるで、邪悪な力を秘めた翡翠のように。
いかなる寒冷にも半裸で耐えられるエィージャの全身が、ぞっ……と悪寒に震えた。
撃たれた1人は、半ば灰に変わりながら、石畳の上にぶちまけられている。
恐らくは、念の力を稲妻の銃弾に変化させて発射する拳銃なのだろう。
だが、とエィージャは思う。そんな強力な武器も、このアオイという少年の真の力を隠す、ベールのようなものでしかないのではないか。

 

 

男E:「な、何だ貴様……」
エィージャ:「おやめなさい!」

 

 

愚かにもアオイに刃を向けようとした男を、エィージャは叱りつけた。
ただ村の掟に忠実なだけの同族を、これ以上、死なせるわけにはいかない。

 

 

エィージャ:「……さ、競争の続きをしましょう。アオイさん」

 

 

スノーリアスの男4人を背後に庇う格好で、エィージャは少年と対峙した。

 

 

エィージャ:「こんな方々は放っておいて。私、負けませんわよ?」
アオイ:「……そうはいかない! お宝もスイーツセットも、ボクがもらうよー!」

 

 

凶暴さを露わにしていた少年の表情が、ぱっと無邪気に輝いた。
遊び相手を見つけた子供の笑顔だ、とエィージャは思った。
その笑顔が、しかし即座に再び、険しく引き締まって禍々しく歪む。
緑の瞳に映っているものを見て、エィージャは息を呑んだ。
男の1人が、背後から自分に斬り掛かって来ている。

 

 

男A:「スノーリアスの掟に背く者、生かしてはおかぬ!」
アオイ:「おまえ……何やってんだああああああああ!」

 

 

少年が叫んだ。
叫んだだけで、男の全身は砕け散った。
アオイが引き金を引いたわけではない。
銃口からではなく、猛々しく禍々しく輝く翡翠色の両眼から、何か目に見えぬ力が放たれた。エィージャはそう感じた。

 

 

男B:「ひぃ……っ……」

 

 

残り3名となった男の1人が、へなへなと崩れ落ちながら壁にすがりつく。
その手が、壁の石組みの一部をガコンと押した。
巨大な彫像が、縦真っ二つになった。壁もろとも、左右に開いていた。
金銀財宝。そう表現するしかないものが大量に現れたが、それらに注意を払う余裕のある者が、この場には1人もいない。

 

 

アオイ:「おまえら、ほんとに面白くない……つまんない! つまんないよ、おまえらはぁああッッ!」

 

 

少年の両眼が、翡翠色の輝きを強めた。
スノーリアスの男が2人、破裂し飛び散った。

 

 

エィージャ:「……お逃げなさい、早く」

 

 

残り1名となった同族の男を、エィージャは背後に庇った。
庇われながら男はしかし、尻餅をつき壁にすがりついたまま動けずにいる。
顔は青ざめ引きつったまま硬直し、石畳には小便が広がっていた。
庇ったところで無駄だろう。それはエィージャにもわかっている。次の瞬間には2人まとめて、この少年に粉砕され、男女の判別すら不可能な屍を晒す事になるだろう。
それでもエィージャは、同郷の男を背後で失禁させたまま動かず、アオイと睨み合った。
翡翠色の双眸が、猛々しく禍々しく輝きながら、エィージャを見据える。
自分の紋章魔術が、この少年に通用するのか。
そんな事を考える余裕もないままエィージャもまた、全身の紋様を輝かせていた。豊麗な小麦色の半裸身が、白く冷たい光で彩られる。

 

 

エィージャ:「坊やのおイタを、止められそうにありませんわね。大人として情けない限り……だからと言って、退くわけには参りませんのよ」
アオイ:「…………」

 

 

緑色の瞳から、凶暴な輝きがフッ……と失せた。
代わりに、微かな儚げな煌めきが宿った。

 

 

アオイ:「……やめた。お姉さんと戦ったって、面白くないもん。ボク、お姉さんとは戦いたいワケじゃないもん」

 

 

涙だった。

 

 

アオイ:「競争……したかったな」

 

 

遊び仲間を失った子供の目が、一瞬だけエィージャに向けられる。

 

 

エィージャ:「貴方……」

 

 

声をかけようとした、その時には、アオイの姿は消えていた。
本来の目的であるはずの金銀財宝類が、傍らで空しい輝きを発している。エィージャは、ちらりと見つめた。

 

 

エィージャ:「白山羊亭のスイーツセット……いくらでも、おごって差し上げられますのに……」

カテゴリー: ソーン, 小湊拓也 |

Fate & destiny

阿修羅、と呼ばれている。複数の顔を持つ悪魔、という意味合いであるらしい。
確かに、変装はそこそこ得意だ。戦闘行為も、まあ得意な方ではある。
潜入・偵察任務を、そのまま破壊工作・殲滅任務へと移行させるのは、得意中の得意と言っていい。
斬撃用の大型クナイを右手に、独鈷杵を左手に握り構えたまま、俺は今、1人の男を追い詰めている。
「IO2の……飼い犬がっ……ネズミがぁ……ッ!」
白衣に身を包んだ、理系の老人である。ここは、言ってみれば彼の城だ。
虚無の境界配下の研究施設。
その所長である老人が、廊下に座り込み、柱にしがみつきながら虚勢を張る。
「我ら虚無の境界に刃向かう、身の程知らずが……!」
「虚無の境界はな、この研究所をとっくに切り捨ててる」
俺は告げた。
「見捨てられたんだよ、あんたは」
「戯れ言を……盟主様が、私をお見捨てになるものかあっ!」
所長の叫びに呼応するかの如く、その時。
轟音と共に、天井が崩落した。
それは、何か恐ろしいものの降臨を思わせる光景だった。
後方へ跳びながら俺は、瓦礫と共に降って来て廊下に着地した何者かを見据えてみる。
「近付くな……所長先生に、近付くなよ……」
立ち込める粉塵の中で、発光するエメラルドのような緑色の輝きが2つ、禍々しく点った。
眼光だった。
「所長先生を脅かすもの……虚無の境界に、刃向かうもの……俺が滅ぼす。新たなる霊的進化の道を、辿るがいい」
緑色に輝き燃え上がる両眼。
それ以外は、取り立てて特徴のない少年である。
必要最低限の栄養しか与えられていないのであろう細い身体は、肉体的な躍動感を全く感じさせない。戦闘訓練の類は全く受けた事がないのだろう。
そんなものを必要としないほどの能力を、容赦なく開発されてきた少年。確か、17歳になるはずだ。
「おお、来たかA01。やはり私を守る者は、お前しかいない」
所長が命じた。
「さ、さあ戦えA01。IO2のネズミどもを殲滅するのだ! そうすれば盟主様が、お前の力をお認め下さる」
「……お任せ下さい、所長先生」
「A01……虚無の境界が、そこそこの金を注ぎ込んで開発中の切り札。お前さんの事かい」
俺は、ひとまず会話を試みた。
「その金の流れが止まった。虚無の境界の盟主様にはな、お前さんをこれ以上育てる気がないって事だ。見捨てられたのか、それとも好きなようにやってみろと盟主様が言ってるのか、それはわからんが」
エメラルドグリーンの眼光が、少年の両目から迸り出て俺を襲う。
念動力の嵐。
独鈷杵を眼前に構えながら、俺は真言を叫んだ。
力と力のぶつかり合いに、俺は歯を食いしばって耐えるしかなかった。
「この先……1人で生きていけって事だぜ、坊や」

 

 

黒いスーツを一応は着こなしている若い男が、平日の昼間からこうして公園の芝生で寝転がっている。傍目には、どのように見えるだろう。
そんな事も、ぼんやり空を見つめているうちに気にならなくなってしまう。
「平和……なのかな」
フェイトは呟いてみた。
こう見えて勤務中である。
パトロールを名目にブラブラと外を出歩いているだけ、とも言う。
「IO2エージェントが暇っていうのは、まあ悪い事じゃないんだろうけど」
微かに苦笑しつつ、フェイトは上体を起こした。
どこか遠いところで、何かと何かがぶつかった。ふと、そんな気がしたのだ。
力と力の、ぶつかり合い。
珍しい事でもない、とフェイトは思った。能力者など今時どこにでもいる。
そのぶつかり合いの結果が、しかし今、目の前に現出しようとしていた。
「何だ……!」
フェイトは息を呑み、立ち上がった。
轟音と閃光が起こった。
まるで落雷である。エメラルドグリーンの稲妻が、眼前で激しく地面を穿つ。
公園に、クレーターが生じていた。
その中央で、細身の人影が1つ、ゆらりと身を起こす。
禍々しく輝く緑色の眼光が、フェイトに向けられた。言葉と共にだ。
「……誰だ……お前は……」
「それは、こっちの台詞だよ」
スーツの内側から、フェイトは拳銃を抜いていた。左右2丁、構えながら問いを返す。
「お前、誰だ……一体どこから来た」
答えてもらう必要はない、という気がした。
自分は、この少年が何者であるのかを知っている。
それはフェイトの、全く根拠のない思いであった。
「答えたくないなら別にいい。元いた場所に大人しく帰れ」
「お前……IO2か……」
「IO2のフェイト。お前、もしかして」
フェイトは訊いた。
「……虚無の境界の、関係者か?」
「我が名は、A01……生きとし生けるもの全てに、新たなる霊的進化をもたらす……破滅の、尖兵」
A01。
懐かしい単語ではある、と思いながらフェイトは言った。
「……虚無の境界の思想を、完全に刷り込まれてるな。俺も、あのままじゃそうなってただろうけど」
「所長先生は、どこだ……」
A01と名乗った少年が、緑色に輝く瞳で周囲を見回す。
「所長先生を……お前、どこに隠した?」
所長先生。そう呼ばれていた人物を、フェイトも知っている。自分も、そのように呼んでいたものだ。
「……死んだよ。その人は、とっくに」
「戯言を、吐くな……戯れ言を吐くなっ、世迷い言を吐くなああああああッッ!」
エメラルドグリーンの眼光が、A01の両目で涙の如く膨れ上がり、破裂しながら迸る。フェイトに向かってだ。
念動力の奔流が、真っ正面から押し寄せて来る。
見据えるフェイトの両眼が、緑色に輝いた。鋭く、静やかな発光。
襲い来る力の奔流が、フェイトの眼前で真っ二つに割れた。激しい水流が、岩に激突したかのように。
フェイトの左右で、凄まじい量の土が舞い上がった。公園が砕け散ったか、と思わせるほどに。
まるで、爆撃だった。
A01が、無傷のフェイトを睨み据えたまま硬直し、呻く。
「何……っ……!」
「その念動力……人間サイズの標的に当てたいなら、もう少し絞り込んだ方がいい」
フェイトは言った。
「今の、お前の攻撃……物凄い量の水を、でたらめにぶちまけたようなもんだ。ホースを使え、俺にぶつけるなら」
言葉と共に、片膝をついていた。
絞り込めていない力の奔流を、真っ二つに叩き斬る。それが精一杯だった。
まさしく大量の流水をホースで集束するが如き絞り込みに、A01が成功していたとしたら。自分など今頃、跡形も残ってはいないだろう。
そう思いながら、フェイトは左右を睨んだ。
「それが出来てないから……俺1人を斃すのに、こんな被害を出す……」
芝生が、広範囲に渡って消失し、抉れた土が剥き出しになっている。
疎らに公園を歩いていた人々が、悲鳴を上げたり息を呑んだり、腰を抜かしたり立ち竦んだりしている。
幸い、人死にも怪我人も出てはいない。今のところは、だ。
「お前……ここが、もっと人通りのある場所だったとしても今、たぶん同じ事をしてたよな。俺1人を殺すのに、大勢の人を巻き込んで……」
怒りが燃え上がり、緑の眼光が燃え盛るのを、フェイトは止められなかった。
「力の制御もろくに出来ない子供が……一丁前に、外を出歩くもんじゃない。家に帰れと言いたいとこだけど、家なんてないんだよな。お前」
「俺の帰るべき場所は虚無の境界だ」
A01が、口調強く即答する。
「お前たちIO2の犬どもを殺し尽くし、所長先生をお守りする! そうすれば盟主様に認めていただける、栄えある虚無の境界の戦士として!」
「お前、その盟主様に会った事は? いや、ないんだろうな。俺はあるぞ、会いたくもなかったけど」
暗緑色の髪、真紅の瞳、美しく禍々しい笑顔。フェイトの脳裏から、消え去ってくれない。
「彼女は、今のお前を……そうだな、高く評価する事だけはないだろうよ」
「黙れ!」
肉体的な戦闘訓練が施されていない少年の細身から、再び念動力の嵐が迸る。
ひとかたまりの嵐だった。力の集束に、先程よりは成功している。
若干ましになった、とフェイトは一瞬、戦闘教官になったような気分に陥った。アメリカでの日々が、胸中に甦る。
「それはともかくっ……まだ駄目だ、これじゃあ!」
攻撃を念じながら、フェイトは引き金を引いた。
念動力の宿った銃弾の嵐が、左右2つの銃口からフルオートで迸る。
正面から迫り来る、巨大な力の塊。それはしかし、凄まじい量の念動力を無理やりに寄せ集めてあるだけだ。力と力の継ぎ目が、合わせ目が、まるで亀裂の如く露わである。フェイトには見える。
それら亀裂に、無数の銃弾が突き刺さった。念動力を宿した銃弾。
亀裂だらけの力の塊に、フェイトの念動力が注入される。
念動力同士の、化学反応のようなものが起こった。
それは、そのまま爆発となった。
最初に感じた、力と力のぶつかり合い。あれと同質の現象が今、起ころうとしている。
その瞬間のみ、繋がった。
フェイトとA01、両者の心が。
「……まず、当たり前の事をはっきりさせておくぞ」
自分とA01のみが存在する、一瞬の世界。
フェイトの方から、会話を試みた。
「どこか途中まで、お前は俺だった。そこから先の、お前と俺は……同姓同名の、別人だ。何年経っても、お前が俺になる事は絶対にない」
「何を……わけの、わからない事を……っ!」
A01が、苦しげに激昂する。
あれだけの力を、立て続けに放ったのだ。消耗は、生半可なものではないだろう。
「俺は! 栄光ある虚無の境界の尖兵、A01だ! お前などであるものか!」
「違う」
エメラルドグリーンの眼光をぶつけ合ったまま、フェイトは断言した。
「お前とは今や赤の他人である俺だけど、これだけは言わせてもらうぞ。お前の、本当の名前は」
「やめろ!」
「……お前は、工藤勇太だ」
「今更、戻れるわけがないだろう! 工藤勇太になど!」
「……そこは、俺と同じだな。俺も、まず工藤勇太を取り戻すところから始めなきゃならなかった。それは……1人じゃ、無理だった」
「俺は……1人だ! 無理って事じゃないかあ!」
「1人。そう認めたな。いいぞ……お前は今、所長先生からも虚無の境界からも解放されたんだ」
フェイトは、にやりと笑って見せた。
「そうだよ、人間っていうのは1人なんだ。自分が揺るぎない1人だって事をまず受け入れた上での、仲間であり家族であり友達だ」
「……お前が何を言っているのか、わからない」
「当たり前だ、そう簡単にわかられてたまるか。俺がこの事に気付くまで一体、何年かかったと思ってる……」
一瞬の世界が、終わった。
爆発が、フェイトを吹っ飛ばしていた。
まだ工藤勇太を取り戻していない少年も、吹っ飛んで消え失せていた。
芝生の上で、フェイトは受け身を取って一転し、起き上がる。
「お見事」
声を、かけられた。
その男は、いつの間にか、そこにいる。
「俺と出会えなかったら、お前もあんなふうに捻くれてたわけだ。大人の役割の重さ、痛感するぜ。まったく」
「……遅いよ」
「助けが必要な戦いには、見えなかったがな」
「あんたは、俺を助けてくれたさ。俺が、5歳だか6歳の時にね」
少年の姿は、見えない。
今の爆発で、とてつもなく遠いところまで吹っ飛ばされてしまったのだ。
「向こう側の、あんたは……あいつが17歳になるまで一体、何をしていたのかと思ってね」

 

 

「色々と忙しくてな、まあ大目に見ておけ」
何やら訊かれたような気がしたので、俺は応えてみた。
そんな俺の足元に、あちら側から吹っ飛んで来た少年が横たわっている。今、目を覚ましたところだ。
「……う……っ……お前……ぇ……」
「おう、不思議の国から帰って来たな。アリスかドロシーの男版みたいな奴」
俺は手を貸してやろうとしたが少年は拒み、よろよろと自力で立ち上がった。
そして、一瞥する。
所長先生と呼び、崇め畏れていた男が、物言わぬ屍となって倒れている様を。
「仇を取ってみるかね?」
「……俺は、1人になった……それだけの事」
俺の方を振り向きもせず、少年は弱々しい足取りで歩み去って行く。
そして10歩も進まぬうちに膝を折り、崩れ倒れた。
否、俺が倒れさせなかった。
「放せ……」
無理やりに肩を貸す俺を、もはや拒絶する力もないまま、少年が呻く。
「俺は……1人で、生きていく……お前になんか……」
「そうだな、1人で生きる。人ってのは皆そうだ」
俺は言った。
「だけどなあ少年。今のお前は、まだ人ですらないんだよ。可愛くもない捨て犬か捨て猫みたいなもんだ。そんなお前を、難儀だが育て直さなきゃならん……工藤勇太という、1人の人間としてな」

ORDERMADECOM EVENT DATA

 

 

登場人物一覧
【8636/フェイト/男/22歳/IO2エージェント】
【1122/工藤・勇太/男/17歳/超能力高校生】

カテゴリー: 01工藤勇太, 02フェイト, その他(コラボ・小湊WR), 小湊拓也WR(フェイト編), 穂積・忍 |

I make nothing of it

彼は自分が迷っていたことに気付いていたのだと勇太は思う――。

 

 

普通に暮らしたいと強く願う一方で、自分の力が誰かの役に立つ事があるという現実に、やり甲斐みたいなものを、たぶん少なからず感じていたのだろう。
だから。
「別にこの仕事、手伝う必要はないんだからな」
と言いつつも、やめさせる事はしなかった。
ただ、そう言って草間興信所の所長は自分の頭をくしゃっと撫でるだけだ。
そういえば彼はことある毎に自分の頭を撫でてくる。最初は癖なのかと思ったけど、自分にしかしていない。高校生にもなって、身長だってそんなに変わらないのに、どうして子供扱いをするのだろうと思って聞いてみたら、彼は笑って『おまじないみたいなものだ』と答えた。
他者の体温に一度も触れる事なく育った子どもの歪な末路を彼が知っていたからだと気付いたのは、それからずっと後の事で。
この時はただ、彼の言ってる事がさっぱりわからなかった。
紆余曲折を経て高校生になれた。紆余曲折についてはあまり思い出したくない。ただ、年相応に高校に通って普通に友達を作って笑い合える、そんな当たり前の事が出来るようになったのは間違いなく彼のおかげだったから、感謝もしているし彼の仕事を手伝うのは至極当たり前だと思っていた。

 

 

 

 

放課後、授業中に熟睡して罰掃除をさせられた自分を待ってられない友人に置いてかれた帰り道。友人を追うように目抜き通りの雑踏を走っていた足が、ふと止まった。路地裏に視線を馳せる。誰もいない。だが、ビルの谷間の暗がりが夕方にしても深く濃い闇色をしているのが気になって誘われるように足がそちらへ動いた。
昨日の事件の事を思い出した。居眠りの原因だ。主因は片づいたが、まだ残党がいるらしい。大丈夫だからと言われて途中で帰されたのだが、気になって眠れなかった。
“奴ら”は自分の匂いを覚えていたと後に推測された。仕返しなのだとしたら、この邂逅は必然だったのかもしれない。
路地裏に殺気が満ちる。蒼く光る目がこちらを睨めつけていた。
いつしか背後の雑踏は耳に入らなくなっていた。草間に連絡をと思いながら、そんな余裕はどこにもなかった。“奴ら”が動く。
刹那。
まるでスローモーションのように赤い血が目の前を舞っているのを自分は呆けたように見つめていた。何が起こっているのか理解出来なかった。
鮮血をあげているのは、自分でもましてや“奴ら”でもない。
「なん…で…?」
恐る恐る訊ねた。
「友達だろ…」
まるで当たり前のように友人は答えた。
友人が勇太の存在に気付いたのだろう、そして勇太が路地裏に入っていくのを見て追いかけてきたのだ。いや、そんな事は今はどうでもいい。何を冷静にどうでもいい状況を分析しているんだ。珍しく高速で回転する頭は必死に現実から目を背けているようだった。
バカな事をと思う。特異な力を持つ自分が、邪悪な気を纏った明らかに人ではないもの達の攻撃を受けたところで大した事にはなるまい。にもかかわらず“奴ら”に抗する力を持たない友人は身を挺して自分を庇ったのだ。しかも。
「勇太…逃げ…ろ…」
なんて言ってくる。
友人の背からは鮮血が溢れ出し、その体は力なく自分の腕の中に倒れ込んできた。怒鳴りつけたい衝動を“奴ら”が待ってくれそうな気配はなくて、ぐっと飲み込むと友人の体を路上に横たえそれを背に庇うようにして立ち上がった。
「目を閉じてろ」
背中越しにそう言った。
「勇太…もしかして…泣いてる?」
茶化したような声が自分の背を叩いた。友人の精一杯の虚勢に違いない。
「んなわけねぇだろ。いいから閉じてろ!」
勇太は声をはりあげた。見られたくなかった。自分の中にあるこのバケモノみたいな力は異様で異質で大切な人たちでも簡単に傷つけてしまうような力で、今も現に巻き込んでて、だからきっと…。
そこからの記憶は殆どない。自分がどうやって“奴ら”を殲滅していったのか全く覚えていない。ただ、目の前の凄惨な有様を見れば、その暴走は明白だったのではないかと思う。
誰かの手が自分を制するように翳されていて、我に返った。
そこにIO2が誇るトップエージェントが立っていた。もう大丈夫なのだと彼が在るだけで知れた。彼はただ、こう言った。
「タイムリミットだ。彼を早く病院へ運んでやれ」
そう言われてハッとした。首がぐぎぎぎぎと音を立てそうなほど軋んでそちらを振り返る事を拒んだ。怖かった。そこに横たわる友人の自分を見る目がどんな風に変わったのかを確認する事が。
だが時は一刻を争う。
やっとの思いで振り返ると、友人と目があった。思いの外、その視線は変わっていないような気もした。希望的観測なのかもしれないけど。
「目を閉じてろって…言っただろ…」
絞り出したのは友人を思いやる言葉ではなく、自分を守る言葉だった。なのに。
「…勇太を…庇って正解だった…な」
息も絶え絶えで、なのに友人は笑顔で自信満々にそう言った。
「なっ…」
言葉に詰まる自分を余所に、そのまま友人は力なく目を閉じる。呼吸の仕方も忘れて駆け寄った。友人の手がひどく冷たい事に青ざめる。
いつも自分の頭を撫でてくれる草間の手の暖かさを思い出した。いや、違う。たぶんこの時、初めて人の体温というものを、その存在を自覚したのだと思う。知識ではなく実感として。生きているという事は暖かいという事。その温もりを知っていたからこそ、今のこの切迫した状況が知れたのだ。
息はある。鼓動も微弱だがまだある。急いで病院へ運べば。それだけを支えに友人を抱え上げて走った。
ただ。
友人の言葉の意味がさっぱりわからなかった。どう考えても庇い損のはずなのに理解出来なくて吐き捨てたんだ。
「何でだよ!」

 

 

見舞いに行ってもいいのか迷っていると草間が珍しく…この日を境に頭を撫でてくる事はなくなり、ただ背中を押してくれた。それで自分は友人の見舞いに行く事が出来た。
自分が友人を巻き込んだと思っていたのに友人は開口一番。
「ありがとう」
と言った。
何もしていないと思うのに。
「守ってくれたし、病院まで運んでくれたし、見舞いに来てくれただろ」
なんて笑ってくれる。
だから自分は意を決してあの時の言葉の意味を聞いた。
すると友人は。
「ああ、だってあの時の勇太の顔ったらっ…!!」
そのまま言葉を詰まらせ腹を両手でぐっと押さえたので、傷が痛み出したのかと慌てたのに、ただ必死で笑いを堪えてるだけで、いやむしろ全く堪え切れてないその姿に、なんだかムカついて「もういいよ!」なんて結局自分で話を終わらせてしまった。

 

 

―― 一体、俺はあの時どんな顔をしてたんだ?

 

 

仕方なく自分は友人の事を彼に話してみた。彼は考える風に視線をさまよわせて。
「俺はその友人じゃないからわからないけど、彼が庇ったのは勇太の体じゃなく、心の方だったのかもしれないな」
なんて言った。

 

 

さっぱり意味がわからない。

 

 

世の中、わからない事だらけで、わかった事といえば。
“それ”に対抗する力を持たない者でさえ大切なものを守るために体を張って戦ってみせるのに“それ”に対抗できる力を持っている者が、何もしなかったらそれは怠慢かもしれないという事だ。

 

 

そして。
彼は自分の出す答えを知っていたのだと勇太は思う。

 

 

END

 

 

━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛

【1122/工藤・勇太/男/17/超能力高校生】
【NPC/草間・武彦/男/30/草間興信所所長、探偵】
【NPC/友人/男/17/高校生】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛

いつもありがとうございます。
楽しんでいただけていれば幸いです。

カテゴリー: 01工藤勇太, 斎藤晃WR |

エメラルドとアメジスト

「文明と呼ばれるものが発生する遥か以前から人類は、洞窟の岩肌に獣の姿や自然の有様を描いてきました。何故か? 描かずには、いられなかった。芸術に理由を付けるとしたら、今も昔もそれ以外には有り得ません」
とある洋館で開かれている、無料の絵画教室。
集まっているのは十数名。男ばかりで、フェイトと同じ20代の青年が大部分である。最年長者でも30歳は越えていないだろう。十代の少年もいる。
全員と目を合わせながら、その男は語り続けた。
「貴方たちもそう! アルタミラやラスコーに壁画を遺した石器時代の人々と、同じ心が今! 皆さんの胸の内で静かに燃え、解き放たれる日を待っているのです」
良い声だ、とフェイトは思った。煽動者の声だ、とも。
「遠い昔、人類の祖先は猿たちと袂を分かち、地球上で最も弱い種族として生きる道を選びました。彼らにとっては自然界のあらゆるものが、天敵であり、庇護者であり、恐怖と憎悪、畏敬と憧憬、様々な感情の対象であった事でしょう。そう、壁画として描かずにはいられないほどに」
左目が、キラキラと輝いている。アメジストを思わせる、紫色の瞳。右目は、黒髪で隠されていた。
顔立ちは秀麗で、均整の取れた長身にスーツがよく似合っている。
年齢は、フェイトよりもいくらか上。20代後半といったところであろう。外見通りの年齢であるならば、だが。
「石器時代から変わる事なく皆さんに受け継がれてきた、芸術の根源……さあ、解き放とうではありませんか」
絵画教室に集まった若者たちが、男の言葉に聞き入っている。
明智珠輝。男は、そう名乗った。この絵画教室の講師、なのであろうか。
集まった若者たちは、まず最初に、この洋館のオーナーから挨拶を受けた。
みすぼらしい、くたびれた感じの中年男性だった。
ようこそ、皆さん。彼は、それだけを言った。まるで誰かに言わされているかのような挨拶であった。
その後、集まった若者たちが、一言ずつ自己紹介をする流れになった。
だが、フェイトの番はどうやら来ない。
この明智という男が、一言では終わらぬ自己紹介を始めてしまったからだ。もはや自己紹介ではなく、演説である。
その演説に、全員が聞き入っている。
やがて演説だけでは済まなくなり、フェイトはつい声を発していた。
「おいちょっと待て! あんた一体、何を解き放とうとしている」
「貴方たちの内に眠る、芸術の根源を」
秀麗な顔を赤らめながら、明智は服を脱ぎ始めていた。
「私を描いて……目覚めて、いただきたいです……どうか、解き放って下さい……」

 

 

「主人が、いなくなってしまったんです」
一般の人々が、こんなふうに依頼を持ち込んで来る事もある。
IO2日本支部の応接ラウンジに、その母子は通されていた。20代の若い母親と、未就学児の女の子。
人手不足である。現場のエージェントであるフェイトが、対応をしなければならなかった。
「あの人が……家出や失踪なんて、するはずありません」
幼い娘の頭を撫でながら、母親は俯き加減に言った。
撫でられた女の子が、顔を上げてフェイトを見つめる。
「……パパ、どこいっちゃったの?」
「見つけるよ。俺が、必ず」
生きた状態で、と軽々しく約束出来る事ではなかった。
「ご主人は……お仕事先から、帰って来なかった? だとしたら、まずは何のお仕事をされているのか」
「……主人は、仕事をしていません。何と言うか、画家の卵でして。売れるわけでもない絵ばかり描いて」
「パパね、おえかき、とってもじょうずなの!」
母親は恥ずかしそうに、娘は誇らしげにしている。
「うちは私が働いていまして。主人は……いつか俺の絵で、お前らにセレブの生活をさせてやる、なんて言って……」
「絵で……ね」
フェイトは腕組みをした。
1つ、嫌な話がある。
若い男が何人も、行方不明になっているのだ。
1人の探偵が、その事件を調べていた。
フェイトの上司で、探偵というのは呼称だ。本名・正体を皆、知らないふりをしている。
とにかく彼が、1枚のビラを入手してきた。
『絵画教室へのお誘い。プロの画家による適切な指導が、貴方の画力を優しく高めてくれるでしょう』

その「適切な指導をしてくれるプロの画家」というのが明智珠輝であるのどうかは、わからない。
とにかくフェイトは今、イーゼルに固定されたスケッチブックを睨み、鉛筆を握っていた。
絵画教室である。絵を描いていなければ怪しまれる。絵心など欠片ほどもないにしてもだ。
他の若者たちは皆、真面目に絵を描いていた。
彼らの熱っぽい観察眼を全身に受けながら明智珠輝は、まるでミケランジェロのダビデ像のような姿を晒している。
美しい胸板に、スッキリと綺麗な腹筋に、引き締まりつつ隆起した尻に、得体の知れぬ自信が漲っている。
(俺は……こんなもの、描かなきゃいけないのか……)
心の中で、フェイトはぼやいた。
あの探偵が調べ上げた。行方不明となっている若者たちは全員、この洋館でこれまで幾度か開かれた絵画教室の参加者であるらしい。皆、あのビラを街頭で受け取り、その瞬間にまるで魂が抜けたようになってしまったという。
代わりに紛い物の魂でも注入されたかの如く一心不乱に、若者たちは明智を描いている。
この中にも、いるのであろうか。家族に迷惑をかけながら、芸術家を夢見ている青年が。
(奥さんと娘さんに、心配させてまで……打ち込むほどのものかよ……ッッ!)
フェイトの手の中で、鉛筆が折れた。
あの男も、そうだった。一発当てて、お前らにいい暮らしをさせてやる。そんな事を言いながら怪しげな事業に手を出しては失敗し、酒に溺れ、妻と息子に暴力を振るうようになった。
「うおおおおおおん!」
明智が突然、泣き出した。
若者たちは、無反応で鉛筆を動かし続ける。フェイト1人が顔を上げ、睨み、言葉を投げた。
「どうしたんだ突然……恥ずかしいなら、とっとと服を着なよ」
「辛い……本当に、辛い事があったのですね……」
泣きじゃくりながら、明智が言う。溢れる涙の中で、紫色の瞳が発光している。
フェイトの瞳も、緑色に燃え輝いていた。怒りの眼光だった。
「あんた……!」
「ごめんなさい。私、人の記憶を読み取る事が出来るのです。覗き見をするつもりはありませんでしたが、伝わって来てしまうのですよ……今は手元に絵筆もキャンバスもありませんが、私の心の中ではすでに描き上がってしまいました。貴方の……あまりにも、悲しい絵が」
「そうか。あんた、つまり……人間じゃあ、ないって事だな!」
エメラルドグリーンの眼光が、物理的な力となって迸る。
明智が吹っ飛び、錐揉み状に猛回転しながら床に激突した。大量の鼻血が、ぶちまけられた。
「おふ……ぅ……こ、この力は……」
「人間なら、これで死んでる」
フェイトは歩み寄った。
「何だ? 悪魔か妖怪か、道を踏み外した能力者の類か。吸血鬼にも見えない事ないけど」
「よ、よく言われます」
「……俺の知り合いに、吸血鬼系の人がいる。その人と比べたら、品性がちょっとアレだな」
言いつつフェイトは、明智の髪を掴んで引きずり立たせた。
「……さらった人たちを、どこに隠している?」
「な、何のお話でしょう……」
「若い男が何人も行方不明になっている。人間じゃない奴の仕業だろうってのが、俺の上司の見立てでね」
「若い……男の人たちを、何人も……さらい集めて、ははははハーレムを!? 何という背徳的な、ああでもその禁じられた悦楽が私の心を掻き乱さずにはおかないのです」
明智の腹に、フェイトは膝蹴りを叩き込んだ。
大量の鼻血を噴射しながら、明智が身を折ってのたうち回り、痙攣する。
「あふ……ぅっ……だ、駄目です……私、男なのに……貴方の子供を、身籠ってしまいますうぅ……」
「おふざけは無しでいこうか。俺も、拷問みたいな事はしたくない」
「……そんな事、言わないでぇん。拷問ってね、愉しいわよ?」
おぞましい声と共に、衝撃が全身に巻き付いて来た。
太い縄が、まるで大蛇の如く、フェイトの身体を絡め取って締め上げる。
「ぐっ!? ……こ、これは……ッ!」
フェイトの念動力が迸りかけ、だが巻き付く縄によって体内へと押し戻されてしまう。
単なる縄ではない。恐らくは、黒魔法の産物。
それを握っているのは、洋館のオーナーだった。
「ああん、いいわァ。若い子のカラダをねえ、こうやって縛って締めて骨とか内臓とかメキメキ言わせてあげる……この感触。悪魔やってて良かったと思う、至福のひと時よねぇー」
みすぼらしい中年男の肉体が、醜悪に膨れ上がってゆく。
巨大な肥満体が、翼を広げて角を生やしながら、そこに出現していた。
「アナタ、今までの子たちの中で……一番イイ反応よぉ。おいしーぃ精気が抽出できそう」
「今までの……だと……」
フェイトは血を吐いた。
「お前…………ッッ!」
「まーかせてぇん。男の子のカラダから精気を搾り出すテクニック! いろんな子で、いろんな事して、アタシ何百年もウデをみがいてきたのよん」
「……その割には、お粗末ですね」
明智の言葉と同時にフェイトは突然、解放され、血を吐きながら床に倒れた。
黒魔法の縄がほどけ、明智の片手に握られている。
肥満体の悪魔が、後退りをした。
「な……何よ、アンタ……」
「貴方からビラを受け取った者の1人ですよ。人間を特定の場所へと導く、黒魔法のビラ……私にも、その緑眼の彼にも効かなかったようですね」
明智が微笑み、軽く縄を動かした。フェイトには、そう見えた。
「大勢の少年たち若者たちに、私を描いてもらえるチャンス! 逃してはなるまじと思いましてね……ふふっ」
それだけで、黒魔法の縄が、悪魔の巨体を縛り上げていた。
巨大な肥満体が、締め上げられて破裂する。破裂した各所から、おぞましいものたちが溢れ出して悲鳴を上げる。
「あ……あああ……俺、就職なんてしたくない……ずっと絵を描いていたいよおぉ……」
「待ってろよ……俺の絵で、お前らにセレブな生活をぉ……」
「母さん待ってて……僕の絵で、もっと楽な暮らしを……」
フェイトは、よろりと起き上がった。そして呻いた。
「……何だ……それは……」
「あっあの子たちのねェ、カラダはたぁっぷり可愛がってあげたわ。ぐっちょんぐっちょんの肉塊に変わるまでねぇ」
締められ、破裂しながら、悪魔が苦しげに笑う。
「魂はねぇウッフフフフこんなふうに、アタシの中でみんな愉しそーにィ」
フェイトは吼えた。緑色の瞳が、激しく燃え上がった。
エメラルドグリーンの眼光が、潰れかけた悪魔の巨体を完全に粉砕していた。
悲鳴を上げていたものたちが、キラキラと消滅してゆく。
若者たちは全員イーゼルごと倒れ、気を失っていた。
彼らだけでも助けることができた。誰も守れなかった、などと思うのは自惚れだろう。
フェイトは、そう思う事にした。
「芸術が、許せない……そう思っていますか?」
明智が問いかけてくる。
「夢を見せて、人を狂わせる。破滅させる……それが芸術であると、まあ否定はいたしませんが」
「……明智さん、だったな。ごめんよ、あんたを疑って悪かった」
フェイトは行った。
「それはそれとして、服を着なよ」
「それは出来ません。だって私まだ、貴方に描いてもらっていませんから……」
顔を赤らめる明智を、殴って蹴って憂さを晴らす。
その欲望を、フェイトは懸命に抑えなければならなかった。

 

 

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登場人物一覧
【8636/フェイト/男/22歳/IO2エージェント】
【8906/明智・珠輝/男/801歳/自称アーティスト】

カテゴリー: 02フェイト, その他(コラボ・小湊WR), 小湊拓也WR(フェイト編) |

サイコモンスター

私の父が殺された。何年も前の事だ。
刑事で、良くも悪くも体育会系の人物だった。警察柔道選手権で優勝経験があり、薬物中毒者を思いきり路面に叩き付けて問題になった事もある。
家でも、しょっちゅう酔っ払っては下ネタを披露し、娘の私を辟易させてくれたものだ。
そんな父が、殺された。
片腕のサイクロプス。
未だに捕まっていない犯人が、ネット上ではそう呼ばれている。私の父親以外にも、大勢の人を殺しているという。
ホームレスの男性が、公園で殺されていた事もある。
都内の交差点に、女性の生首が転がっていた事もある。
小学生の女の子が行方不明となり、一部分ずつホルマリン漬けとなって家族に送りつけられた事もある。
そんな事件が起こる度に、片腕のサイクロプスが芝居がかった犯行声明を出し、世間を大いに騒がせた。
捕まっていない犯人ではあるが、その容姿に関しては何故だか、ある程度の情報が噂として流れている。
まず、30歳前後の男である事。右目と右腕が無く、そのために『片腕のサイクロプス』と呼ばれている事。
殺人鬼を英雄視する輩が、世の中には一定数いる。
そういった連中に崇拝されている男が今、私の眼の前で笑っている。
「あん時のメスガキがよぉ、今は食べ頃のJK? たまんねーなぁあ」
年齢は20代後半。右目にはアイパッチが被さり、右腕は金属製の義手。
噂通りの姿をした『片腕のサイクロプス』が、私に迫り寄って来る。
父がこの男に殺された時、私も実は現場に居合わせた。
幼かった私には、犯人の姿が、得体の知れぬ怪物にしか見えなかったものだ。
長らく、悪夢のような幻影であった怪物が今、私の目の前で醜悪な実体となっている。
「小学生のメスをよぉ、バラして漬けた事もあるけどよォー。今日はもうちっと美味しそーにぃ育ったカラダをよおぉギへへへへ、ああああオメーの親父も手足ちょん切るくれえで生かしときゃ良かったぜえ! 動けねえ親父の目の前でよ、おめえをよおおおお!」
「嫌……やめて……」
私は怯えるしかなかった。手足を縛られ、動けない。弱々しく罵るのが精一杯だ。
「悪魔……ひ、人殺し……」
「殺すだけで済むわきゃあねーだろぉがあああああ!?」
殺人鬼の絶叫と、私の悲鳴とが、ビルの中に寒々しく反響した。

 

 

念動力で、空を飛ぶ事は出来ない。落下速度を軽減するのが関の山だ。
15階建のビルの屋上から、4階建の雑居ビルの屋上へと、フェイトは飛び降りて着地していた。冬の夜風が黒のコートをはためかせ、まるでカラスかコウモリの翼のようではある。
雑居ビルと言っても、今は誰も入っていない。ほぼ廃屋だ。
連続殺人犯『片腕のサイクロプス』が、ここを根城にしているらしいという事を突き止めたのは、フェイトの上司である1人の『探偵』だ。この探偵というのは『片腕のサイクロプス』と同じく、呼び名でしかない。それは『フェイト』も同様ではあるが。
屋上からの侵入は、その探偵の指示である。ビル正面からの突入は殺人犯に気付かれる、というのが理由だ。
「だからって、屋上からか……」
フェイトは苦笑したが、笑っている場合でもない。高校生の女の子が1人、このビルの近辺で行方不明になった、という情報もある。
殺人鬼『片腕のサイクロプス』が、このビル内のどこに潜んでいるのか。まずは、それを探り出す必要があった。
サングラスの内側で、フェイトは両眼を緑色に発光させた。この目は、精神あるものの存在を見抜く事が出来る。
サイコネクション。本来は、対象と精神を同調させる能力だ。使い方次第では、洗脳に近い事も不可能ではない。
だが直後。フェイトの方が、洗脳に近い状態に陥っていた。
「ぐっ……な、何だ……これは……ッ!」
ビルの屋上が、ビル街の夜景が、ぐにゃりと変化してゆく。
そこは砂漠、深海、宇宙空間のようでもあった。宗教画に描かれる地獄の光景、にも見える。
恐ろしい怪物が、いつの間にかフェイトの傍にいた。囁きかけてくる。
「俺の心の中なんざぁ……うっかり覗き見るから、こうなるんだぜ?」
恐ろしい、おぞましい、禍々しい。そんなふうにしか表現出来ない、よくわからぬ姿をした怪物が、襲いかかって来た。
鉤爪か、牙か、触手か、あるいは手持ちの刃物か。判然としないものを、フェイトは辛うじてかわした。
かわしながら、左右2丁の拳銃を構える。
「あんたが……片腕の、サイクロプス……?」
「さぁてなあ!」
名乗りもせずに怪物が、フェイトに斬りかかる。あるいは食らいつこうとする。
触手による殴打のようでもある一撃を、フェイトは拳銃で受け流した。
左右の拳銃を粉砕してしまいかねない、凄まじく重い手応えが、立て続けにフェイトの両手を襲う。
「このっ……」
それに耐えて、フェイトは引き金を引いた。
銃弾の嵐が、怪物のおぞましい姿を粉砕した。
粉砕されたはずの怪物がしかし次の瞬間、フェイトの背後にいた。いや右か、それとも左か。
目視・判別し難い攻撃が、あらゆる方向から襲いかかって来る。
「ほらぁこっちこっち! 手の鳴る方へってヤツだあ!」
愉しげな怪物の声に合わせて、フェイトの全身が裂けた。黒いスーツがちぎれ、血飛沫が舞い散る。
致命傷を、フェイトは辛うじて避けていた。血まみれの身体が、暴風に煽られる木の葉のように頼りなく翻り続ける。弱々しい、回避の舞い。
「……やるなぁ、てめえ。身体が勝手に動くレベルに達してやがる」
牙か爪か触手か武器か、よくわからぬものでフェイトを切り刻みにかかりながら、怪物が笑う。
「殺し合いの中で、生きてきた奴の動きだ。おめえよぉ、今まで一体何人殺してきた?」
「数えちゃいない……あんたほどじゃないと思うよ」
フェイトの顔面で、サングラスが砕け散った。眉間の辺りが薄く裂け、微量の鮮血が散った。
「一体……どれだけ人を殺せば、心が……こんなふうに……ッ!」
もはや表記・形容の不可能な光景が、周囲に広がっている。
そんな世界でフェイトは今、よくわからぬ姿をした怪物と戦っているのだ。
悲鳴が、聞こえた。
「やめて……やめて! やめてええええええっ!」
女の子の悲鳴だった。いや、悲鳴と言うより。
「助けてくれたの! その人は、私を助けてくれたのよ!」
「何を……うっ」
サイコネクションが、ようやく解除されつつある。
よくわからぬ世界が、ビル街の夜景に戻ってゆく。
屋上の出入り口に半ば身を隠したまま、その少女は叫んでいた。怪物に向かってだ。
「あなたは、私を助けてくれた……でも、だけど……」
「……おめえの親父は強かったぜ。あんなクソゴミに、殺せるワケがねえだろ」
フェイトの目に、血が流れ込んだ。いまや謎めいた怪物ではない『片腕のサイクロプス』の姿が、よく見えない。
「IO2の坊や、おめえも……強ぇな。だから俺が殺す。それまで死ぬなよ? じゃあな!」
「おい、待て……」
「そうはいかねえ。実は俺も今、おめえに撃たれて死にかけてるからよ……」
フェイトが流血を拭った時、『片腕のサイクロプス』の姿は、そこにはなかった。
屋上フェンスの近くに、血痕が残っている。
死にかけているはずの男がしかし屋上から飛び降り、逃げ去ったようであった。

 

 

ビルの2階の一室で、その男は死んでいた。腹を裂かれ、中身を引きずり出されている。
別に潰れているわけでもない右目をアイパッチで覆い、右腕には針金やら金属片やらを巻き付けて義手に見せかけた男。
「あの男は、私を助けてくれました……だけど、私の父を殺したんです……」
少女が呻く。
「私……やっぱり、許せません……! でも、私を助けてくれて……」
「……あいつは、あんたを助けたわけじゃあないよ」
フェイトは言った。軽々しい仇討ちの約束など出来るわけはないが、はっきり言える事はある。
「片腕のサイクロプスは、ただ偽物が許せなかっただけだ」

 

 

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【8636/フェイト/男/22歳/IO2エージェント】

カテゴリー: 02フェイト, 小湊拓也WR(フェイト編) |

捨て子たちの物語

アメリカにいた頃から自分は何も変わっていない、とフェイトは思う。
休日になると、やる事がなくなってしまうのだ。
とりあえず今は、バイクを走らせている。以前、長期停職処分をもらった時に購入した400ccだ。
あの時と違って今日は、余計なトランクを積んでいるわけでもない。
1人気ままなバイク旅行であった。
「趣味を訊かれたら……ツーリングです、と。そう答えられるのかな俺」
ヘルメットの中で呟きながら、フェイトはバイクを止めた。
某県の、町か村か判然としない区域である。
舗装された道の周囲に、人家があり、田畑があった。
そんな風景の中に1つ、小さな神社を見つけたのだ。
鳥居の前でフェイトがバイクを止めたのは、その神社が『本物』だったからである。
本物の神を、祀っている。
明らかに人ではないものの気配が、鳥居の外にまで伝わって来る。
それがわかるのは、フェイトのような能力者だけであろうが。
ヘルメットを脱ぎ、境内に足を踏み入れる。
その足を、フェイトは止めた。御神体を確認したりする必要はなかった。
賽銭箱の前で、よくわからない姿をした生き物たちが踊っている。歌っている。
いや聞こえるわけではないが、何やら楽しげな音楽の調べや歌声が聞こえて来そうな踊りであった。
「見えなさるのかね」
声をかけられ、フェイトは振り向いた。
神主とおぼしき老人が、社務所の方から歩いて来たところである。
「見える、って……」
無音で歌い踊る、謎めいたものたちを、フェイトはまじまじと観察した。
「もしかして普通、見えないんですか? この……」
「うちの神社でお祀りしている神様たちだよ。見える人には、見える」
神々しさよりも珍妙さが遥かに勝ってしまう神々を、フェイトはじっと見つめた。見ても、よくわからない。
何という名前の神様なのか、フェイトが訊く前に神主が説明をしてくれた。
「今の若い人たちは、この国の神話ってものを少しは知っていなさるのかな……国生みをした夫婦神の間に、最初に生まれ、だけど醜さのあまり捨てられてしまった子供。それが、この出来損ないの神様どもさ。かわいそうだから、うちで祀ってやっている」
この神主は、祭神をあまり有り難がってはいないようである。
「この世の理が定まる前に捨てられてしまった、だからこの世に存在出来ない。ほとんど幽霊みたいな連中で、普通の人間の目には見えないんだが……こいつらが見えるようじゃお前さん、失礼ながらあんまりいい育ち方してないね」
「……まったくもって、その通り」
ふわふわと踊り揺れる珍妙な神々に向かって、フェイトは両手を合わせ、軽く頭を下げた。
ご利益を求めての事ではない。この神に、そんなものを期待出来るとは思えない。
両親に捨てられた、という境遇に、親近感のようなものを抱いただけだ。

 

 

 

俺の親父は、最低な人間だった。そんな男に引っかかった、おふくろも大概なのだが。
おふくろの父ちゃん、つまりは俺の祖父さんが資産家で、親父はその金を目当てにおふくろと結婚した。
生まれたのが、俺である。
俺が物心ついた頃には、親父はまだ優しかった。が、やがて暴力を振るうようになった。
資産家である義父に見放され、経済援助を打ち切られたからだ。
親父は毎日、おふくろを殴り、俺を殴った。
おふくろは親父に媚びへつらって、やはり同じように俺を殴ったものだ。
そんな環境から俺を救い出してくれたのが、金持ちの祖父である。まあ感謝はしなければならないだろう。
この爺いが若い頃、どんな荒稼ぎをしていたのか俺は知らない。とにかく今は引退し、町はずれの小さな神社で神主をやっている。老後の道楽みたいなものだろう。
俺は今、そこの社務所兼自宅で、この祖父と2人で暮らしていた。
資産家のくせに、俺にたくさん小遣いをくれたりするわけではない祖父さんだが、まあそんな事で文句を言ってはバチが当たるというものだ。
親父は、どこかの路地裏で刺されて死んだ。元々その筋の連中と金銭トラブルを起こしていたようだが、実はうちの金持ち爺いが密かに手を回したのではないかと俺は疑っている。
おふくろは今もまだ入院中だが、俺は見舞いに行った事はないし、行こうとも思わない。
今は、それどころではないのだ。
駅前の商店街を、俺は走っている。時折、人にぶつかりながら。
通行人たちが、迷惑そうに俺を睨む。
こいつらには見えていないのだ。俺を追いかけ回してる、化け物の姿が。
言っておくが、俺は薬物の類は一切やっていない。
「何だ……何だよ、何なんだよォ……」
涙と鼻水をどばどば垂れ流しながら俺は走り、顔だけを振り向かせた。
俺にしか見えない化け物が、まだ追って来る。
そいつは、わけのわからない姿をしていた。走っているのか這いずっているのか、飛び跳ねているのか、それすら定かではない。
通行人は皆、そいつの身体を擦り抜けているように見える。
この化け物はしかし、俺を擦り抜けさせてはくれないだろう。
何故なら、そいつは俺を、俺1人を、しっかりと認識しているからだ。
その眼球は、俺だけをギラリと睨み据えている。その牙と爪は、俺を引き裂くためにだけ生えている。
俺が何故、そんな事を確信出来たのか。特に根拠も理由もない。ただ俺は、この化け物からハッキリと感じたのだ。
憎しみの、念を。
それは俺がかつて、親父とおふくろに対して抱いたものと同じだった。
憎しみで出来た怪物に俺は今、追われているのだ。
「勘弁してくれ……俺なんか殺したって、しょうがねーだろうがよおぉ……」
走りながら、俺は泣きじゃくった。
わかる。感じる。かつての俺と同じく、そいつは自分の父親と母親を憎んでいるのだ。
八つ当たりで、俺を殺そうとしている。
八つ当たりの対象に俺が選ばれたのは、俺がそいつを認識出来るからだろう。
あいつらに似ている。俺はふと、そう思った。
うちの神社に住み着いている、あの変てこな連中と、この化け物は、どこか感じが似ているのだ。
あいつらの親類、なのかも知れない。
俺にあいつらが見えるようになったのは、つい最近である。
お前にも見えるようになってしまったのか、と爺いは何やらショックを受けていたようだ。
「じいちゃんよォ……こいつの事、何か知ってんなら助けに来てくれぇえええ!」
泣き叫びながら、俺は通行人の1人とぶつかった。
若い男である。
細いくせに、頑丈な身体をしていた。ぶつかって俺は尻餅をついたのに、その男は微動だにしない。
「……厄介なのに目、つけられちゃったな」
俺を見下ろしながら、その若い男は言った。
鮮やかな、緑色の瞳をしている。
淡く輝くエメラルドグリーンの両眼が、やがて、俺を狩り殺そうとする化け物に向けられた。
化け物が、立ち止まる。
そいつを、緑眼の若い男は見据えている。
「……見えてんの、かよ……あんた……」
初対面の男に、俺はすがりついていた。
「見えてんなら、教えろよ……何なんだよ、あいつはよおぉ……」
「……まあ、俺の同類みたいなもんだ」
男が、意味不明な事を言っている。
「責任持って、俺が何とかするよ」

 

 

 

フェイトは両親に、捨てられた、わけではない。
あれを「捨てられた」と言うのであれば、その原因を作ったのは自分自身である。
あんな両親はむしろ自分の方から捨ててやったのだ、と内心で強がっていた時期が、過去になかったわけではない。
強がりながら、荒れていた。周囲に迷惑と言うより災厄を振りまき、面倒を見てくれている叔父を大いに困らせた。
あの頃の自分にそっくりな怪物が、牙を剥いている。
「気持ちはわかる、なんて言うつもりはないよ。とにかく、他人に迷惑をかけるのはやめた方がいい」
言葉など通じるわけがない、とわかっていてもフェイトは言わずにはいられなかった。
「後で絶対、惨めな気分になるから……」
案の定、会話になどなるわけもなく、怪物が襲いかかって来る。
「ひいっ、ひぃいいいいいいッ!」
少年が、フェイトの足にすがりつきながら悲鳴を上げた。
中学生、であろうか。どこにでもいるような少年だが、彼にはどうやら見えている。
憎悪の念で組成されたような、この怪物の姿が。
あの神主は言っていた。こいつが見えるようじゃ、お前さん、あんまりいい育ち方してないね……と。
襲い来る怪物と、襲われていた少年、そして通りすがりのフェイト。
この三者に共通する物事は、何か。
「親に……」
言いかけて、フェイトは黙った。言ったところで意味はない。
この怪物に対して今、必要なもの。それは言葉ではなく、力だ。
フェイトの両眼が、緑色に燃え上がる。
エメラルドグリーンの眼光が迸り、怪物を直撃した。
フェイトそれにこの少年にしか視認する事の出来ない奇怪な姿が、潰れたようにへし曲がり、路面に激突する。
通行人たちは気付かず、倒れた怪物を踏みにじるように通り過ぎて行く。
誰の目にも見えない。誰かに、顧みられる事もない。この世の誰にも、気付いてもらえない存在。
この世の理が成立する前に、この世から捨てられてしまった子供たち。その名を、フェイトは呟いた。
「ヒルコ神……」
創世の夫婦神・伊邪那岐命と伊邪那美命との間に最初に生まれた、出来損ないの生命体。
その醜悪さゆえに捨てられた彼らの、ある者たちはその運命を受け入れ、ただ神社の境内で歌い躍るだけの無害な存在として落ち着いた。
ある者たちはその運命を憤り、こうして凶行に走っている。
「す、すげえ……」
少年が、声を震わせた。
「あんた……何、やったの? 今……え、もしかして超能力とか!?」
「……さあ、な」
化け物がいる。超能力の類が実在しても、おかしくはない。
そんな事を、この少年は思っているのかも知れなかった。
その化け物が、よろよろと起き上がって来る。
並の悪鬼悪霊であれば跡形もなくなるほどの念動力をぶつけたのだが、この怪物は、曲がりなりにも神である。
伊邪那美命がこの世で最初の死者となる前に、世の理から外されてしまった捨て子の神。つまりは不死身である、という事だ。
戦闘能力はしかし、フェイトから見れば微々たるものである。
粉々にズタズタに切り刻んで打ち砕き、活動を停止させる事は不可能ではない。
そこまでやるのか、とフェイトが思った、その時。
視界の隅で、何かが跳ねた。ぴょこぴょこと踊っている。
あの神社に祀られている、ヒルコ神たちであった。
「あ、お前ら……」
少年が、そんな声を発している。
あの神主は、孫がいると言っていた。この少年が、そうなのか。
音を発する事なく、だが楽しげな歌が聞こえてきそうな踊りを、ヒルコ神たちは披露している。
その踊りの輪の中に、新たな仲間を誘っている。
少年を殺そうとしていた怪物が、うなだれた。
少しの間うなだれていた怪物が、やがて誘いに応じ、無音の歌と踊りに加わっていった。
呆気に取られている少年の肩を、フェイトは軽く叩いた。
「大変な目に遭ったな。だけど、まあ……許してやって、くれないか」
「それはいいけどよ。あ、あんたは一体」
少年の目が、フェイトを見つめながらキラキラと輝き始める。
「すげえ、すげえよ。あんな化け物、ひと睨みでブッ飛ばすなんて……あんた、もしかして能力者ってやつ? 漫画やゲームに出て来るアレ! 悪い化け物とか退治してる人たち!」
この少年は、その手の漫画やアニメやゲームが大好きなのかも知れない。
「漫画やゲームに憧れる、だけにしておけよ」
少しばかり偉そうに言い残し、フェイトは少年に背を向けた。そして、さっさと歩き出す。
「あっ、おい待って……」
追いすがろうとする少年を、ヒルコ神たちが踊りながら取り囲む。
「な、何だよお前ら……化け物のくせによ、楽しそうに踊ってんじゃねーよ。俺まで身体が勝手に動いちまうだろうがよ」
珍妙なヒルコ神たちと一緒になって踊り跳ねる少年を、通行人が薄気味悪そうに一瞥し、あるいは見て見ぬ振りをする。
彼ら彼女らには、少年が1人で踊っているようにしか見えないのだ。
いずれ通報されるかも知れない少年を、フェイトはちらりと一瞬だけ見やった。
自分を殺そうとしていたヒルコ神と一緒になって、楽しそうに、本当に楽しそうに、少年は踊っている。
人間の友達がいない、のだとしたら、まさしく中学生の頃の自分と同じだ。
フェイトは、それだけを思った。

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Even if far away

朝が来た。
普段通り、穏やかな朝だ。
「……ん、朝か……」
スマートフォンに設定している目覚まし音をトン、と指で押し止めて、クレイグは体をゆっくりと起こした。
まだ無意識に、もう此処にはいない存在の温もりを、探してしまう。
それを自覚して、彼は苦笑しつつ軽く首を振った。
そして、徐にベッドから出る。
昨日は久しぶりに同僚と飲んだ。彼女に振られたというその相手を慰めるためのものであったので、彼に付き合うだけ付き合い、最終的に酔いつぶれてしまったその同僚を、家まで送り届けた頃には日付が変わっていた。
やれやれと言いつつ、彼はそれでも嫌な顔さえ作らずに、自分のアパートまで気ままに歩いて戻った。然程距離が開いていないからという理由もあったが、夜風が心地よいからという気持ちのほうが強かった。
そんなこんなで、帰った頃には25時を過ぎていたので、そのままベッドに沈み込んで眠ったのだ。
コーヒーメーカーをセットして、彼はそのままシャワールームへと移動した。
くすみのある金髪が、数秒後には雫に触れて一瞬の輝きを見せる。
「…………」
俯きがちに口を開き、何かを言おうとした唇は、そのまま何も音を生み出さなかった。
いや、水音でかき消されたのかもしれない。
誰にも届かない響き、自分ではない存在の名前を、彼は一日に数回は繰り返している。
悔いているわけではない。いつかは、という話は随分前にしていた。
だから自分は、笑って彼を送り出した。
――いつでも会えるさ。
そう、言ったのはいつだったか。
距離など関係ないのだ。会いたいと強く思えばいつだって、会いに行ける。
だからクレイグは、悲しまない。哀情を抱かない。
「……さて、スイッチ切り替えるか」
シャワーの中でバシャ、と音を立てて両頬を叩く。
そして顔を上げた彼は、いつも通りの表情を作り、一日の行動を開始した。

 

 

 

 

今日の任務は郊外の一軒家の探索と目標の殲滅というものであった。
無人となり数年放置されたその家に、一週間前から人影を見たという報告があり、その後近所の子供が行方不明となる事件が数件起きた。
地元警察でも探すことが出来ずに巡り巡ってIO2に案件が回ってきたのだが、割り当てられたのがクレイグと昨日酔いつぶれた同僚であったために、スムーズな進行が出来ずにいた。原因は彼の二日酔いであった。
『う~……頭ガンガンする……』
「なんで現場に来たんだよ。医務室で休んでおけって言っただろ」
『いや、だってさ、新しい上司が……それを許しくてくれない雰囲気だったじゃん?』
「あ~……そうだったな」
IO2本部では時期的なものもあり、春に大きな異動があった。その流れで彼らの上司も変わり、どう見ても堅物でしかない印象の大男が配属されたのだった。
その人物の厳しさは瞬く間に本部内全てに行き渡り、戦々恐々としているメンバーも少なくない。
クレイグはというと、大しての影響もなく上手くやり過ごせているようであった。
彼にとっての大きな異動は、去年の秋に起こった。それに比べれば、何てことはないのだ。
秋の異動で、それまで一緒であった彼にとっての一番の相棒で同僚は、遠い異国へと行ってしまった。
それが、恋人でもある存在であった。
「おい、動けそうか」
『ああ、何とか』
「そんじゃさっさと終わらせようぜ」
『了解』
通信機越しにそんな会話を交わしつつ、クレイグと二日酔いを引き摺る同僚は、任務を遂行させた。
廃屋となっている一軒家には、当然のように人の気配はい。
だが、異常を全く感じないわけではない。
それは、IO2である自分たちにしか解らないものなのだろうと思う。
「そっちからの目視は?」
『なんかモヤっとしたのがいる。白いやつ。その中心に、件の子供らしいのが倒れてる。バイタルは感じるから多分大丈夫だ』
クレイグが物陰からそう言うと、反対側に回り込んでいる同僚がそう言ってきた。
その言葉を受けて、彼は自身の能力を使った。透視と弱点を探るためのものだ。
白いモヤっとしたものというのはおそらく亡霊の類なのだろう。
それが子供を誘い、監禁していると見て間違いなさそうだ。
「くたびれた感じだな。地縛霊なんだろうが、ああいうのはさっさと天に登ってもらったほうがよさそうだ。そんなわけで、対霊弾を使うから、そっちからグレネード投げてくれ」
『分かった。いくぞ……3、2、1。ゴー!』
カッ、と強い光がその場を照らした。
ヒトには大して影響がないが、霊の類には強くダメージを与える。そんな閃光弾であった。
その光が収束する前に、クレイグが飛び出し銃を構えていた。そして言葉無く引き金を引き、対象へと撃ち込む。
白い亡霊は、あっという間に消えていった。断末魔の声さえ与えられない状態であった。
「ミッションコンプリート」
『……はぁ、お前と組むと早く済んで助かるよ、ナイトウォーカー』
同僚は自分の体勢を整えつつ、しみじみとそう言った。
クレイグはそれに、小さな苦笑で応えるのみであった。
――とだったら、もっと早くに片付いてたさ。
そう、言いかけて口を噤んだのだ。
彼はそれを誤魔化すために、懐から煙草を取り出し、口へと咥えた。
数秒後、静かに浮かぶ紫煙は、少しだけ寂しさを醸し出しているような気がした。

 

 

 

 

 

「ナイト、今夜時間ある?」
本部に戻って早々に、そんな声が背中に飛んできた。
受付の女性のものであった。
最近何かと声をかけられることが増えた。それの意味は良く解ってはいたが、クレイグは受け止めることはしなかった。
「今日もパーティーか?」
「そうなの、友達がいっぱい来るから、あなたもどうかしらって」
「お誘い嬉しいが、先約があってな。ごめんな」
申し分のない美人であった。それでも彼は、私事では靡かない。
女性は残念そうな表情を見せていた。
それを目にして、クレイグは少しだけ体を傾けて彼女の額に唇を落としてやる。
「……これで勘弁してくれ。次は必ず行くからさ」
「絶対よ?」
「ああ」
女性たちが黙っていないのは、彼のこうした仕草から来るのだが、クレイグはそれ以上を行うことは決して無かった。
――浮気者。
そんな声が、脳裏に浮かぶ。
少し前には隣で、背後で、そんな声を掛けてくれる存在があった。
その声を思い出して、小さく笑う。
悲しんでいるわけではない。自分が想う限りは、相手と繋がっていられるのだから。
そう思い返して、彼は携帯を片手に本部の非常階段へと移動した。

 

 

「モーニン、ハニー」
『おはよう、クレイ。……そっち、まだ夜でしょ?』
「そうだな、もう少しで19時半ってとこだな」
電話をかけた先は、日本であった。こちらとは13時間の時差があるために何かと気を遣うが、クレイグはその辺りはきちんと時間を読んでから通信を行う男であった。
「そっちはどうだ?」
『うん、昨日はちょっと苦労したかな。でも、そっちにいた頃とあんまり変わらないよ。クレイはどう?』
「そうだな、俺もいつも通り……かな」
耳に伝わる声が心地よい。
それを味わいつつ、クレイグは言葉を返していた。相手はかつての相棒であり、今でも変わらない恋人だ。
『なんか、元気ない?』
「いや?」
『嘘だ。何かあったんじゃないのか』
「……そうだなぁ、お前が居ないからな」
相変わらず鋭いなと思いながら、クレイグは思わずの言葉を口にした。こう言えば相手を困らせると解りきっているのに、つい零してしまった。
『クレイ』
「んー、悪かった。今のはナシ。俺はいつだって元気だぞ」
『俺だって……寂しいよ』
「わかってる」
クレイグの表情は今にも崩れそうであった。
それを何とか保ち、声を明るくする。相手もそうしてくれているのだから、応え無くてはならないのだ。
「なぁ、――」
相手の名を呼んだ。
口にする度に切なくなる音。それでいて、直後には気持ちが安定する音でもあった。
『なに?』
返事は短い。次の言葉を待っているという証だ。
それを耳にしつつ、クレイグは唇を開いた。
「好きだよ」
『……うん』
幾度も交わされた言葉であった。
何度も何度も繰り返して、相手に植え付けるようにしてその音を聞かせた。
「会いに行くからな、絶対」
『うん、待ってるよ』
そう言って、会話は終了した。
触れたい気持ちはいつでもある。だが今は、これだけで十分であった。
「……さて」
小さく呟きを残して、彼はその場を後にする。
立ち止まらないために。
いつか再び、会うために。

 

 

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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】

【8746/クレイグ・ジョンソン/男性/23歳/IO2エージェント】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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お久しぶりです。この度はご依頼ありがとうございました。
受け取りました時にあまりの意外性にとても驚きましたが
それと同じくらい嬉しかったです。書かせて頂き有難うございました。
楽しんで頂けましたら幸いです。

機会がありましたら、またよろしくお願いいたします。

紗生

カテゴリー: 02フェイト, 番外編(紗生WR), 紗生WR(フェイト編) |

アパートの隣人が、何かに憑りつかれているかもしれない件

学校の帰り道。
高校生の工藤勇太は、母校の近くのコンビニで顔見知りの老人に声をかけられた。
「ちょうどいいところで会った。実は、勇太くんに頼みたいことがあったんだよ」
言って、彼はコンビニのイートインコーナーの一画に腰を下ろすと話し始めた。
なんでも、アパート住まいの彼の隣の部屋に最近、二十歳前後の青年が越して来たのだという。
青年は一人暮らしで、越して来て一月近くになるが、友人などが訪ねて来ることもないらしい。
ところが最近、毎晩のように大勢の話し声や笑い声が聞こえて来るのだという。
ただ、奇妙なことに、誰かが訪ねて来ている様子はないというのだ。
「それって、テレビの音とかじゃないんですか?」
勇太が問うと、老人はかぶりをふった。
「いやいや、そうではない。明らかに、彼と会話しているふうなんだよ。それも、一人や二人ではない。時には、十人以上いるのではないかと思う時もある」
答えて老人は続ける。
「あんまり毎日続くのでな。苦情を言ってやろうと、自室の玄関で様子を伺ったことがあったんだがな――」
結局、誰も隣人を訪ねては来ないまま、また話し声や笑い声が始まって、彼は気味が悪くなったのだという。
「翌朝、顔を合わせたら随分と疲れた顔をしていてな。……それで思ったんだよ。彼は幽霊に憑りつかれているんじゃないか、とね」
「幽霊……ですか」
勇太は、慎重に問い返した。
「ほれ、『牡丹灯籠』とかあるだろう? そんな感じなんじゃないかと思ってね」
老人はうなずいて言うと、ひたと勇太を見やる。
「それでぜひ、真相を勇太くんに調べてもらいたいんだ」
「わかりました」
勇太は、大きくうなずいた。
彼は、もともと困っている人を放っておけないところがある上、老人には以前、このコンビニでひったくりを捕まえた時に協力してもらった恩がある。
「俺に、任せて下さい」
言って、彼は自分の胸を力強く叩いたのだった。

 

 

翌日の夜。
勇太は、アパートの二階にある老人の部屋にいた。
時刻は九時を回っている。
と、たしかに隣室から賑やかな笑い声や話し声が聞こえて来始めた。
ただ、老人が言っていたとおり、誰かが訪ねて来た様子はない。
(う~ん、これは、できれば中の様子を見た方がいいかも……)
しばらく隣室の物音に耳を澄ませたあと、勇太は考える。
アパートは廊下側に玄関ドアが並び、裏手に面した側に窓と小さなベランダがある作りだ。
勇太は老人に断って、窓を開けてそこから顔を出した。
見れば、隣室の窓も開いている。
(超能力を使えば、あの窓から中の様子を見られるかも)
勇太は胸にうなずくと、老人には隣室の様子を見て来ると告げて部屋を出た。
アパートの裏手に回る。そこはちょうどアパートの駐輪場になっていて、街灯がついているおかげで、あたりは明るい。
彼は、サイコキネシスを使って自分の体を持ち上げた。
ふわりと体が浮き上がり、ゆっくりと青年の部屋の窓辺へと近づく。
そのまま、中を覗き込もうとした時だ。
「お兄ちゃん、すごい! お空が飛べるの?」
下から、頓狂な声が聞こえて彼はギョッとして動きを止める。
小学生ぐらいの男の子が一人、びっくりまなこで彼の方に手をふっているのが見えた。
「どうしたの? そんな大声出して」
アパートの一階の部屋から男の子に呼びかける声がした。おそらく、子供の母親だろう。
(ま、まずい……!)
勇太は大慌てで左右を見回し、隠れる所を探した。
下には降りられないし、周囲には飛び込めるような物陰もない。
結局、上しかないと判断して、彼は更に体を上へと移動させてアパートの屋上へと上がり、手すりの影に身を潜めた。
「何かあったの?」
「ママ、すごいんだよ。今ね、知らないお兄ちゃんが、空を飛んでたの。屋上の方へ、すいって浮かんで消えたんだよ!」
下からは、さっきの男の子と母親の会話が聞こえる。
「人が空を飛ぶなんて、あるはずないでしょ」
「その子の言ってることは、本当よ。私も見たもの。今、たしかに、人が空を飛んでたわ!」
まったく信じていない母親の言葉に、新たな人物が加わる声が聞こえた。
勇太はそっと、屋上から下を覗き見る。
いつの間にか、人数が増えていた。男の子とその母親に、女子高生らしい少女、それに犬を連れた年配の男性もいる。
「わしも、たしかに見たぞ」
年配の男性の声が聞こえた。
と、何か輝くものがこちらに向けられて、勇太は慌てて身を伏せる。
少女が、スマホのライトでこちらを照らしているのが見えた。
「うわ~、まずいぞ。なんか騒ぎになって来た……」
呟く傍から、少女が屋上を調べようと言っている声が聞こえる。
どうやら、ここにとどまっているのも危険なようだと判断して、勇太はなんとか老人の部屋に戻ろうと考えた。
(……けど、ここからフツーに階段使って下へ降りるのも、あの人たちと鉢合わせしそうだし……。テレポートするか)
小さくうなずいて、彼は老人の部屋を頭に思い浮かべてテレポートした。
……はずだった。
が。焦っていたせいだろうか。
「きゃあっ~! 痴漢!」
突然上がった悲鳴に目をまたたけば、そこはアパートのどこかの部屋の脱衣場で、女性が一人、下着姿で立っている。
「え? あ……! わ~っ! ご、ごめんなさい!」
イマイチ状況がよくわからないままに謝って、とにかく彼は再びテレポートする。
だが、次に到着したのはアパートの階段の途中で、ちょうど上がって来たあの男の子たちと出くわすはめになった。
「さっきのお兄ちゃんだ!」
「そうよ、この人だわ!」
男の子と少女の声に、「げっ!」と体をのけぞらせつつ、勇太はみたびテレポートする。
(お、落ち着け、俺。……いつもなら、テレポートに失敗するとか、あり得ないだろ!)
自分に言い聞かせ深呼吸などして挑むも、今夜はどういうわけか、なかなか調子が戻らない。
更に何度か別の場所に現れたあげく……ようやく彼は老人の部屋の前へと到着した。
深い安堵の息をついて、彼は思わずその場に座り込む。
と、隣室のドアが開いて、住人の青年が出て来た。
「なんか、ずいぶんうるさいんだけど、何かあったの?」
問うて来るその手に、ヘッドセットが握られていることに、勇太は気づいて目を見張る。
(もしかしたら……)
閃くものがあって、彼は問いには答えず尋ねた。
「あの……もしかして、パソコンで音声通話やってます?」
「え? ああ。地方にいる友人たちと、毎晩話してるけど、それがどうかした?」
怪訝そうな顔でうなずく青年に、やっぱりと勇太は内心にうなずく。そして言った。
「そのヘッドセットが壊れているのか、それともジャックがちゃんとはまってないのかはわからないけど、声が外に漏れてるみたいですよ? 周辺の人が、あんたの部屋からは、訪問者もないようなのに、毎晩大勢の話し声や笑い声が聞こえるって、気味悪がっているみたいです」
「え? そうなんだ。……そいつは、気をつけるよ」
青年は、驚いたように目を見張って言うと、頭を掻きながら部屋の中へと戻って行く。
それを見送って、勇太は「これで一件落着かな」と小さく吐息をついた。

 

 

数日後。
勇太は例のコンビニで会った老人から、隣室の声が止んだことを教えられた。
「――いったい、何をどうやったんだい?」
「何も、特別なことは……。ただ、近隣住民が迷惑しているみたいだよって、話しただけです」
問われて答え、勇太は一人笑みを漏らしたのだった――。

 

 

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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【1122/工藤勇太/男性/17歳/超能力高校生】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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注文いただき、ありがとうございます。
ライターの織人文です。

こんな形にしてみましたが、いかがだったでしょうか。
少しでも楽しんでいただければ、幸いです。

それでは、またの機会がありましたら、よろしくお願いします。

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