停職エージェントの冒険(5)

幼い頃から高校卒業まで、叔父が生活の面倒を見てくれた。
優しい叔父であった、とは思う。怒られた事はないし、彼が声を荒げて他人に何か言っているのも見た事はない。
声を荒げる事もなく叔父は、受話器に語りかけていた。お前を殺す、と。
姉貴や勇太の周りで、その顔を晒してみろ。僕は、お前を殺す。1度だけは言っておく、もう警告はしない。
叔父が普段通りの口調で、そんな電話をしているのを、幼い頃の工藤勇太は盗み見ていた。
この男なら、本当にやるだろう。何となく、そんな事を思いながらだ。
あの時、叔父が電話で誰と話していたのかは知らない。知りたくもない、とフェイトは思う。
あれから十数年。工藤勇太は22歳となり、フェイトなどと名乗って仕事をしているものの独断専行をやらかし、ペナルティとして停職処分を受けている真っ最中である。
何故、今頃になって、こんな記憶が蘇って来たのか。
峠道でバイクを走らせながらフェイトは、ヘルメットの内側で、脳裏にこびり付いたものを振り払う事がなかなか出来ずにいた。
先日、土蜘蛛から助け出した、あの男。
やっと死ねるはずだったのに。そんな事を言っていた男の、弱々しい表情を、フェイトは思い返していた。
思い返したくもない顔が、頭の中から消えてくれない。
「くそっ……何だって言うんだ」
何よりも、わけがわからないのは、あの男と叔父の電話相手に、いかなる関係があるのかという事だ。
わけのわからない思考を振り払うように、フェイトはスピードを上げようとした。
その時。背後から、ただならぬ気配が迫って来た。
バックミラーに、疾走する1台のバイクが映っている。フェイトの400ccよりも一回り大型で、ライダーの顔は見えない。厳つい仮面のような、フルフェイスヘルメットを被っている。
フェイトは身体を傾け、バイクを路肩に寄せた。別に公道レースをやろうという気はない。
後方の大型バイクは、しかし追い抜こうともせず同じ動きをした。
「何だ……俺、ひょっとして煽られてるのか?」
ヘルメットの中で、フェイトは苦笑した。
「暇人ってのは、俺だけじゃないんだな……」
公道レースをしてみようか、という気にフェイトはなっていた。

 

 

こんな峠の頂上に、自動販売機が設置してある。
飲み物を買う人間がいる、という事だ。
若者のバイク離れ、などと言われる事もあるようだが、峠を攻めるような輩が、いなくなったわけではないようである。
ディテクターは、自販機の傍にバイクを止めた。
ヘルメットを脱ぎ、振り返る。
もう1台のバイクが、ようやく追いついて来たところだ。ディテクターの愛車よりも一回り小型の、400ccである。
峠の公道レースは、ディテクターの快勝に終わった。
負けた400ccのライダーが、ヘルメットを脱ぐ。
「俺……何日か前にね、田舎のヤンキーと言うか珍走団みたいな連中に絡まれたんですよ」
フェイトだった。
「軽く追い抜いてやったら、そいつらブチ切れちゃいましてね。ちょっとしたトラブルになったんですけど」
「ふん、微笑ましい話じゃないか」
ディテクターが言っても、フェイトは微笑まない。仏頂面である。
「今ね、ほんの少しだけど……あいつらの気持ち、わかったような気がします。追い抜かれるのって、結構ムカつきますね」
「バイク乗りとしての年季が違う。お前、アメリカじゃ4輪しか転がしてなかっただろう」
言いつつディテクターは、傍の自販機で缶コーヒーを2本買った。片方を、フェイトに向かって放り投げる。
「4輪どころか、2本足のどえらい乗り物も動かしていたな。そう言えば」
「派手にぶっ壊しちゃいましたけどね」
受け取った缶コーヒーを一口飲んでから、フェイトは息をついた。
「煽ってくれた暇人が……まさか、ディテクター隊長だったとはね」
「隊長とは一体誰の事だ。俺は単なる、通りすがりの探偵だ」
「暇な探偵さんが、峠を攻めてる真っ最中と」
「仕事中だ。探偵として、な」
ディテクターは、缶コーヒーを一気に干した。
「この近くの山奥に1人、埋めてあるのさ」
「……そう言えば、IO2ジャパンの上層部で何人か行方不明になってるんですよね」
「ちょうどいい感じに白骨化している頃だ。掘り出して、まあ海にでも散骨をな」
「散骨という名の、証拠隠滅ですか」
フェイトが言った。
ディテクターは聞こえないふりをしながら煙草をくわえ、火を点けた。
「ディテクター隊長……じゃなくて探偵さんは、もしかして汚れ仕事の方が多いんじゃないですか? 差し出がましいようですけど、少しくらい俺に回してくれても」
「お前も、ずいぶんと自分の手を汚してきたものな」
言葉と共に、ディテクターは煙を吹いた。
自分やフェイトなど問題にならないほど、数多くの汚れ仕事をしていた人がいる。
IO2ジャパンにおいては、知る人ぞ知る存在だ。
ディテクターなどという大層な名で呼ばれ、伝説の男扱いされている自分など、その人に比べれば新米エージェントに毛が生えたようなものである。
その人の甥に当たる、幼い男の子を1人、かつてIO2ジャパンのNINJA部隊が救出した。虚無の境界の研究施設で、実験動物にされていたのだ。
救出作戦を指揮したのは一応、ディテクターという事になっている。
実際に仕事をしたのはNINJA部隊で、現場を支配していたのは、あの曲者の部隊長である。
「あれから、もう……15年は経つのか」
「あれ、って?」
自販機横のゴミ箱に空き缶を放り込みながら、フェイトが訊いてくる。
それには答えずディテクターは煙草を吹かし、灰を空き缶の中に落とした。
「なあフェイト……これは、俺の知り合いの探偵が話してた事なんだが」
「知り合いのね」
「昔そいつの事務所に、割と頻繁に顔を出す高校生のガキがいた。悪い奴じゃないんだが、いろいろ巻き込まれやすい体質でな。事務所には大抵、厄介事を持ち込んで来たらしい」
「ははは。迷惑な奴がいたもんだ」
「ある日から、そいつが事務所に来なくなった。連絡も取れなくなった。その探偵は馬鹿みたいに心配してな、仕事でもないのに調べて回った結果……そいつは何と、アメリカへ行っちまったらしい。何をトチ狂ってかIO2に就職して、だけど日本支部じゃ使い物にならなくて飛ばされたと。そういう話だった」
「そうですか……心配させちゃったんですね、その探偵さんに」
「この間、俺はその探偵に教えてやった。そいつは今、俺の部下で……独断専行ばかりやらかして大いに上司を困らせている、とな」
「その探偵さん、何て言ってました?」
「生きていたのなら連絡くらいよこせと、いくらか御立腹だったな」
「それは悪い事しました。さっそく謝りに行かないと」
フェイトは微笑んだ。
「で、その探偵さん……今、どこで何やってるんですか?」
ディテクターは息を呑んだ。フェイトの笑顔が、記憶の中で、誰かと重なった。
あの人が、今ここにいる。
ディテクターは一瞬、本気でそう思った。
その思いを振り払いながら、空き缶に吸い殻を突っ込んだ。
「……さあな。どこで生きているやら、死んでいるやら」
「一人前のエージェントになるまで、合わせる顔がなかった……だから、連絡も取らなかったんだと思いますよ。そいつ、尊敬してましたから。その探偵さんの事」
「……読んでおけ」
ディテクターは、1通の封筒をフェイトに手渡した。
停職処分解除の通知である。
読まなくともわかる、とでも言いたげな顔を、フェイトはしている。
ディテクターはバイクにまたがり、ヘルメットをかぶった。
馬鹿げた会話を、これ以上していたくなかった。

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停職エージェントの冒険(4)

『良い実戦データが採れましたよフェイトさん。改良型を装着しての初戦闘、お疲れ様でした』
電話の向こうで、御曹司が嬉々としている。
正直な男だ、とフェイトは思った。
「なあ御曹司。あんた、俺がデータ採取用の実験台だって事……隠そうとも、しないんだな」
『私、商売人ですからね』
今はバイクの荷台に固定してある、大型のトランク。
その中身の開発責任者でもある若社長が、電話の向こうで不敵に笑っている。
『あの強化スーツは、改良型とは言ってもまだまだ試作段階です。フェイトさんには、大いにデータを集めていただかなければ』
「商売人って割に、あんまり商売しようって意図を感じないんだけどな。こいつからは」
左手でスマートフォンを保持したまま、フェイトは右手でトランクを叩いた。そんな事をしても、相手には見えないのだが。
「念動力者にしか扱えない道具なんて、一体どこの誰に売りつけるつもりなんだ」
『もちろん最終的には、念動力をお持ちではない普通の方々にもお使いいただけるものを目指しております。今フェイトさんがお持ちの改良型は、あく まで貴方の専用品という事で……そうですねえ。強化スーツとか改良型とか味気ない呼び方ではなく、そろそろ正式名称のようなものが欲しいとは思いません か?』
「……それはまあ、そっちで勝手に決めてくれ。俺は、こいつを使わせてもらうだけだ」
フェイトは苦笑した。
「あって助かってるのは、事実だからな……まあ、データでも何でも採ってくれよ」

 

 

一応は舗装されている山道で、フェイトはバイクを止めた。
大型のワゴン車が、どうやら立ち往生をしている。
「どうかしましたか?」
「あ、いえね、エンジンがトラブっちゃったみたいで」
運転手と思われる太り気味の男が、ボンネットを開けて悪戦苦闘している。
「困ったなあ。明るいうちに、こいつらを現場まで送らないといけないのに……」
こいつら、と呼ばれた男たちが、ワゴン車内に詰め込まれている。
作業服を着せられた男が、ざっと数えて10人近く。いくら大型ワゴンでも詰め込み過ぎだ、とフェイトはまず思った。
日雇いの派遣労働者たちを、山奥の工事現場へでも運んでいる最中なのであろう。
「カーレス呼ぶしかないかなあ。いくら取られるかなあ」
「ちょっと……見せてもらって、いいですか」
フェイトは、開けっ放しのボンネットを覗き込んだ。そして太り気味の男から工具を借りた。
以前いたアメリカは、とにかく車がなければ話にならない国であった。ちょっとしたエンジントラブルなど、自力で解決出来て当然。そんな国であったのだ。
「お……おおっ、エンジンかかったかかった! 凄いな、あんた」
太り気味の男が、運転席に戻り、喜んでいる。
工具を返しながら、フェイトは言った。
「この車、明らかに定員オーバーだと思いますよ。それが原因じゃないんですか」
「いやあ、その通りなんですがね。こいつらに、一刻も早く仕事させてやんないと」
こいつら、と呼ばれた男たちを、フェイトはもう1度、観察した。
年齢は、20代から50代まで、といったところか。
中でも特に年嵩の男と一瞬、目が合った。
その男は、即座に目を伏せた。
他人と目を合わせるのが苦手なのだろう、とフェイトは思った。
「じゃ、どうもありがと。助かりましたよ!」
太り気味の男が、そう言ってワゴン車を発進させた。
遠ざかって行く車の中で、年嵩の男は、いつまでも目を伏せていた。

 

 

味がしない。
自動販売機で買った、うどんである。だからと言って格別に不味いわけでもないだろう。
思い出すだけで、何を食べても味がしなくなる。そんな男がフェイトには1人いる。
「まさか……な」
ワゴン車の中で目を伏せていた、年嵩の男。
その顔が、なかなか脳裏から消えてくれないまま、フェイトはうどんを掻き込んでいた。
ドライブインで、軽い昼飯を済ませているところである。
いくつもの自販機が立ち並ぶ、無人の食堂と言うか休憩所。
近くの席では、トラックの運転手らしき2人の男が、カップラーメンや菓子を食べながら雑談している。
「絶対おかしいべ? ダムやトンネル造るような所でもねえのに、あんなに人集めてよぉ」
「一体、何の工事やってんスかねえ」
「それがよォ、そもそも工事なんかやってねえって話だぜ。食い詰めた日雇いやら派遣やら、そうゆう奴らを騙して集めてよ……殺してスナッフビデオ撮ってるって話あんだけど、聞いた事ねえ?」
「宇宙人に拉致られてるって話、聞いた事あるッスよ俺。内臓とか取られて、あとは捨てられちゃうの」
「それよぉ、ずっと前のアトラスの記事だべ?」
そんな話を聞きながらフェイトは、味のしないうどんを完食した。

 

 

洞窟の前に、あのワゴン車が止められている。
中には誰もいない。太り気味の運転手も、荷物のように詰め込まれていた労働者たちも。
目を伏せていた、あの年嵩の男もだ。
バイクの荷台にあった大型トランクを携え、フェイトは洞窟へと足を踏み入れた。
発破工事で掘られたものではない。自然に出来た洞窟、のようである。
少し歩いた所で、フェイトは立ち止まった。気配が、ゆらりと近づいて来たからだ。
「……見逃して、くんねえかなあ」
前方の岩陰から、太り気味の人影が現れ、声をかけてくる。
ワゴン車を運転していた男だった。
「この先で、俺のおふくろがさ……今、食事中なんだよ。行ったら、あんたまで食われちまうぜ」
「余計なお世話だろうけど訊いておきたい。あんたのお母さん、一体何を食べてるのかな」
フェイトの問いに、男は答えない。
太り気味の身体を、ただ震わせているだけだ。
「あんた、親孝行してたんだな……ここから出られないお母さんのために食べ物、運んでたんだろう?」
男は、やはり答えない。
太り気味の身体が突然、破裂した。そのように見えた。
衣服がちぎれ飛び、皮膚と筋肉が、変異しながら盛り上がって蠢く。
人間ではないものに変わりながら、男が襲いかかって来る。
牙か大顎か判然としないものが、凶暴に蠢いてフェイトの喉元を狙う。鉤爪を生やした6本の腕が広がり、フェイトを捕えんとする。
2本足で直立・歩行・跳躍し、6本の腕で敵を襲う。その姿は、言うならば人型の蜘蛛であった。
攻撃を念じながら、フェイトは踏み込んだ。身を捻り、左右の拳を叩き込む。続いて、左足を高速離陸させる。
念動力を宿した拳が、蹴りが、人型蜘蛛の巨体を粉砕していた。体液が噴出し、様々なものが飛散する。
それらをビチャビチャッと全身に浴びながら、フェイトは洞窟の奥へと進んだ。
さほど深い洞窟ではない。洞窟の奥に潜むものの姿は、間もなく視界に入った。
強いて表現するならば、蜘蛛に似ている。
そんな巨大な生き物が、男の言っていた通り、食事をしている。
ワゴン車で運ばれて来た労働者たちは、洞窟の片隅にいた。全員、蜘蛛の糸と同質と思われる白いもので縛り上げられ、意識を失っている。
10人近くいたはずだが、今は4人しかいない。
「俺が、最初から気付いていれば……なんてのは思い上がりなんだろうけど」
フェイトは小さく、溜め息をついた。
あやかし荘の座敷童に、話を聞いた事がある。土蜘蛛という妖怪が、これであろう。
もともと日本土着の神であったが、高天原の神々との戦いに敗れ、人を喰らう怪物に堕したという。
「チュトサインの同類……か」
フェイトは、携えてきたトランクを地面に置いた。
土蜘蛛が、食事をしながら排泄をしている。
否、排泄ではなく出産であった。
その巨体から大量に噴出し、垂れ流されたものたちが、蠢きながら起き上がって牙を剥く。6本の腕を、揺らめかせる。
人型蜘蛛の、大群であった。
一斉に群がり襲いかかって来る彼らを見据えながら、フェイトはトランクに片手を当てた。
「装着……!」
黒色の強化スーツが、フェイトの全身を覆い尽くす。
黒く武装したフェイトの拳が、フック気味に弧を描き、あるいは正拳付きの形に直進し、人型蜘蛛をことごとく粉砕した。
装甲ブーツで固められた蹴りが一閃し、数匹の人型蜘蛛を一まとめに叩き潰す。
蹴り終えた足を着地させながら、フェイトは大型ハンドガンを腰から引き抜いた。
念動力が吸い取られ、銃内に装填されてゆく。
フェイトは一瞬、気が遠くなった。それに耐え、引き金を引いた。
銃声が轟き、巨大な土蜘蛛は砕け散った。

 

 

白い蜘蛛糸で縛り上げられていた労働者4名は、意識は失っているものの命に別条はないようであった。
うち1人が、目を覚ました。
「……何だ……あんた、助けてくれたのか……」
目を伏せていた、年嵩の男である。
今は弱々しくもまっすぐに、フェイトの方を見つめている。黒い機械装甲に身を包んだ、人型甲虫の姿をだ。
装甲マスクで顔を隠した相手となら、目を合わせて会話が出来るのだろう。
「ありがたいが……余計な事、してくれたな……やっと、死ねるはずだったのに……」
「……死にたければ勝手に死ね。生きたければ、勝手に生きろ」
それだけを言って、フェイトは背を向けた。
この男が何者であれ、死にたがっている人間に軽々しくかけてやれる言葉など、あるわけがなかった。

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停職エージェントの冒険(3)

日本は狭い国と言われるが、例えば陸続きで国々のひしめき合う欧州へ行けば、いわゆる大国として知られていながら国土面積そのものは日本より下という国がいくつかある。ドイツ、イギリス、オランダ、イタリア。全て日本より狭い。
アメリカ暮らしを経験したフェイトにとっても、日本という国は意外に広い。
その日本においては、人の住む領域よりも、人ではない者の住まう領域の方が、実はずっと広いのではないか。
バイクで旅などしていると、そんな事を思ってしまう。
山中か、原野か、判然としない場所に今、フェイトは佇んでいた。バイクを傍らに止め、周囲を見回す。
深夜である。冷たい夜風が木々をざわつかせ、草を波の如くうねらせる。
風の音に混ざる、奇怪な響きを、フェイトは辛うじて聞き逃さなかった。
足音、であろか。
いや。その音の主は、足だけではなく全身を鳴らしている。かたかた、あるいはカチカチと。
それは、骨の音であった。
「夜も遅いし、ここで野宿をしようと思ったんだけど……」
骨を鳴らし、近付いて来る何者かに、フェイトは語りかけた。
「ここが誰かの家の庭先か玄関先で、俺がうっかり入り込んじゃったのなら……謝るよ、ごめんなさい。すぐ出て行くから、見逃してくれないかな」
『出て行く事はない……遊んでゆけ……』
声がした。肉声か、テレパスの類であるのかは、判然としない。
『眠れぬ夜を、いくとせ過ごしたか……もはや、わからぬ……おぬしを潰し、喰うてみようか。腹くちくなれば、眠れるかも知れぬ』
「そんな事はない、と思うけどな」
夜闇の中、幻影の如く浮かび上がった巨大な姿を見上げながら、フェイトは言った。
「何をいくら食べたって、あんたが腹いっぱいになる事なんてあり得ない。だって胃袋がないんだから」
それは、骸骨であった。
巨大な、一揃いの人骨。まるで巨人の白骨死体である。
臓物も、筋肉もない巨体が、しかし動いていた。
『ならば、おぬし……眠れぬ夜の、慰みとなれ』
白骨化した巨人が、ゆらりと歩み寄って来る。
虚ろな眼窩の奥で、光が燃えていた。鬼火そのものの眼光が、上からフェイトを射竦める。
フェイトは睨み返した。
エメラルドグリーンの眼光と共に、念動力が迸る。
巨大な骸骨が、少しだけ揺らぎ、のけぞった。
『ほう、おぬし……験者か陰陽師の類か?』
表情筋のない顔面が、ニヤリと笑った、ように見えた。
『……面白い。この眠れぬ夜……良き手慰みとなろう』
「あんた……眠れなくて、暇なんだな」
フェイトは、さりげなく動いてバイクから離れた。戦闘の巻き添えで壊してしまったら、この人里離れた場所で足を失う事となる。
「眠れなくなるほど怨念を溜め込んだ、大骸骨……がしゃどくろ、か」
IO2日本支部のデータバンクに、交戦記録が残っている。
がしゃどくろ。野山に打ち棄てられた死者の、白骨化した屍の集合体。日本に、まだ野ざらしの死体が大量にあった頃から存在している妖怪だ。
『おぬしも死ね! 怨みの念を抱いて死ね! そして我が骨となり、共に眠れぬ夜を過ごそうぞ!』
巨大な骸骨の足が、フェイトを襲う。踏み潰す動きだ。
フェイトは後方に跳び、かわした。がしゃどくろの足が、大地を踏みつける。
地響きが起こった。
筋肉もなく動く、この巨大な骸骨には、それに見合った体重がある。質量が、すなわち実体がある。幻影でも、幽体・霊体でもないという事だ。
フェイトの念動力を受けても無傷で揺らぐだけの、恐ろしく強固な実体。
「頼る……しか、ないのか? あれに……」
もう1度、フェイトは跳躍した。
風を伴う巨大な一撃が、一瞬前までフェイトの身体があった空間を薙いでゆく。
がしゃどくろの右手。指先の骨が凶悪に尖り、鉤爪を成している。
「くそっ……わかったよ御曹司! あれを使ってやる。あんたの目論見通り、動いてやる!」
着地しながらフェイトは叫び、念じた。
直接攻撃のための念動力、ではない。
地響きで横転していたバイクから、黒っぽい何かが分離・浮遊し、フェイトの足元に落下する。
荷台に固定してあった、大型のトランク。とある人物からの、贈り物、と言っていいだろう。
それに右掌を押し当てながら、フェイトは叫んだ。
「装着!」
もう少し洒落た口上を考えてみてはどうです、と、このトランクの贈り主には言われたものだ。
それはともかく。破裂するように開いたトランクから、黒いものが溢れ出してフェイトの全身を覆ってゆく。
黒色のアメーバのような、アンダースーツ。それがフェイトの身体を容赦なく包んで締め付ける。鍛えていない者であれば圧死しかねない、強烈な密着である。
その上から、パーツ分割されていた機械装甲が貼りついて来る。
フェイトが、鎧を装着しているようでもあり、何か禍々しいものに呑み込まれてゆくようでもあった。
『ほう……これは』
がしゃどくろが、興味深げに嘲笑う。
『楽しげなる虚仮威しを、見せてくれるではないか』
「虚仮威しかどうか、今から試させてもらうよ」
ヘルメット状の装甲マスクの中で、フェイトは言った。スピーカーか何かで、声が外に出てはいるようだ。
人語を喋る、人型の甲虫。今のフェイトは、そんな姿をしている。
細く無駄なく鍛え込まれた身体は、黒色の機械装甲によって、一回りほどは力強さを増していた。
以前アメリカにおいて、ナグルファル搭乗時に装着したものと、何が違うのかはまだわからない。
……否。あの時にはなかったものを今、フェイトは発見した。
左右の腰に、それぞれ1つずつ取り付けられた、物騒な黒い塊。2丁の、大型ハンドガンである。
それらを、フェイトは手に取ってみた。武骨な装甲グローブの五指が、銃把を掴む。
左右それぞれの手で、フェイトは大型ハンドガン2丁を、腰から引きちぎるように取り外し構えた。
途端、力が抜けた。巨大な敵の面前で、よろめいてしまうところであった。
念動力が、吸い取られている。両手のハンドガンにだ。
念動力を、弾丸として射出する武器。それが、フェイトにはわかった。グリップを握った瞬間、念動力が勝手に銃内に装填されてしまうのだ。
つまりは、念動力者専用の銃である。
「おい御曹司……社長のくせに、商売しようって気が全然ないだろ……」
念動力者にしか扱えない道具など、売れるわけがなかった。
「100パーセント、金持ちの道楽かよ……まったく!」
迫り来る巨大骸骨に、フェイトは2つの銃口を向けた。そして引き金を引く。
銃声が、雷鳴の如く轟いた。
がしゃどくろの巨体が、砕け散った。
夜闇の中、白骨の欠片が粉雪のようにキラキラと飛散する。
美しい。が、見とれている場合ではなかった。
キラキラと舞い散るものが、フェイトの眼前で積み重なり、固まってゆく。人型にだ。
『……やるな、小僧』
巨人の骸骨、ではない。人間大の白骨死体が、そこに出現していた。
骨格標本そのものの身体が、筋肉もないのにユラリと動く。踏み込んで来る。己の肋骨を1本、右手でへし折り、握り構えながら。
その肋骨が、大型化しつつ鋭利に伸び、フェイトに向かって一閃した。
それは骨で出来た、抜き身の刀剣であった。
「ぐっ……!」
斬撃を、フェイトは胸の辺りに感じた。
機械装甲で分厚く固まった胸板から、血飛沫のような火花が散る。生身であれば斬殺されていたところだ。
よろめきながらもフェイトは倒れず、踏みとどまりつつ左右2丁のハンドガンを構えた。だが。
『遅い!』
両手に、衝撃が来た。火花が散った。
機械装甲のグローブは無傷だが、大型ハンドガンは2丁とも叩き落とされていた。
それにフェイトが気付いた時には、骨の剣が脳天に打ち込まれていた。
厳つい甲虫のような装甲マスクから、脳漿のように火花がしぶく。
生身であれば縦に真っ二つ、剣道の試合であれば面あり一本。
恐るべき剣技であった。がしゃどくろを構成している死者たちの中には、どうやら戦国時代の武者や剣客もいる。
叩き斬られずに済んだ頭蓋骨の中で、フェイトは懸命に意識を保った。
そうしながら右拳を握る。装甲グローブの五指が、ハンマーのような握り拳を形成する。
そこに猛烈な勢いで念動力が流れ込んで行くのを、フェイトは止めなかった。
正面から、がしゃどくろが踏み込んで来る。
まっすぐ襲いかかって来る骨の切っ先を見据えながら、フェイトも踏み込んだ。
そして、念動力を宿した拳を叩きつける。
馳せ違った。
機械の甲冑をまとう青年と、甲冑どころか皮膚も筋肉もまとわぬ白骨の剣士が、擦れ違ったところで静止する。
右拳に、フェイトはしっかりと手応えを握り締めていた。
『見事……』
がしゃどくろが呻いた。
『ようやく……眠れる……』
「……こっちも永眠するとこだったよ。金持ちの道楽のおかげで、助かった」
フェイトがそんな事を言っている間に、がしゃどくろは砕け崩れ、さらさらと夜風に舞っていた。
粉雪が煌めくようなその様を、フェイトは見つめた。脱いだ装甲マスクを片手に、じっと見つめた。
ここで野宿をするつもりであったが、しばらく眠れそうになかった。

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Root

「やぁ、おはよう二人共。いい朝だね」
眩しい金髪をパサリと手で払いつつそう言うのは、バルトロメオであった。
ここはホテルのロビーである。
彼に伝えてはいなかったはずなのだが、集合時間の十分前という所で、突然現れたのだ。
「お、おはよう……バルトロメオさん」
「キミたちは任務中は黒尽くめなのかい。ナイトウォーカーはともかく、フェイトはキュートにまとまっているね。とても良く似合っているよ」
「ど、どうも……」
フェイトを過度に褒める事をやめないバルトロメオは、やはり彼を気に入っているらしい。
真正面からそれを受け止める形となったフェイトは、引き気味に言葉を返していた。
「……アンタはいちいち一言多いんだよ。私服みてぇだが、良いモン着やがって」
クレイグが難色を示しながらの言葉を発すると、バルトロメオは自慢気にふふんと笑ってみせる。
「男はセクシーかつエレガントに飾るものだ。どうだい、この下ろしたてのスーツ。かのジェームズ・ボンドが愛用していたブランドだよ」
グレーの質の良さそうなそのスーツは、私服ではあるがシルク仕立てらしいということが作りからしても解る。
一般人では中々手に届きにくい値段の『一品』であった。
ちなみに、中に着ている藍色のシャツも、光沢を放ちつつ縦のストライプが細かく入りこんだ精巧かつ高級な作りのものであった。彼の言うセクシーさは開襟の襟が物語っているのだろうと思いつつ、それは敢えて口にはしない。
「そうだ、こうして巡り会えた縁に、フェイトにも特別に仕立ててあげてもいいんだよ?」
「え? い、いや……俺は別に……」
バルトロメオが名案と言わんばかりの表情でそんなことを言ってきた。
慌てて首を振って断りを入れるのはフェイトで、隣に立つクレイグの表情があからさまに嫌そうなものになる。
何かを言おうと口を開くも、今はそれどころではないと悟った彼は、ため息を吐き零してバルトロメオに通信機を手渡した。
「装備の方は大丈夫なのか?」
「その辺りの心配はいらないよ。ボクは私物をいくつか普段から持ち歩いているからね」
素直に通信機を受け取りそれを装着したバルトロメオは、クレイグの言葉に視線で誘導しつつの返事をする。
彼の足元にはアタッシュケースが一つ。中身は銃のようだが、支給品ではなく私物らしい。
バルセロナ家の紋章が何よりの証拠でもあった。
「貴族のお坊ちゃんの割には、護衛もつけねぇのか」
「ああ、その辺に紛れているとは思うよ。ただ、彼らもその道のプロだからね。そう簡単には気配は探れはしないだろう」
「まぁ、そっちが勝手に着いてくんだ。自分の身は自分で守ってくれなきゃ、俺達も困る」
クレイグとフェイトは『任務』だが、バルトロメオはあくまでも個人での行動である。本来ならば管轄外の人物を巻き込むのはタブーだが、彼自身が強く望んだこともあり今に至っているらしい。
「さて、どう動くか」
「ナイトが昨日撃ってくれた発信機はまだ生きてるね。このままそっちに行ってもいいけど、例の薬剤がどこから流れてるかも把握しておきたいかな……」
男三人がロビーで立ち話を続けるのも、と彼らは会話を続けつつホテルを出た。
フェイトは端末を片手に独り言のような言葉を発する。
「ではボクが、薬剤の件を追おう。実はすでに目処はついているんだ」
フェイトが見ている端末の画面を見ながら、バルトロメオがそう言った。
観光目的という名目上ではあったが、ある程度の事はやはり把握ができているようだ。
「……バルトロメオさんは随分とその……今回のクリプティッドの件に執着してるね」
「そのクリプティッドがあのような姿じゃなければ、ボクもここまで追っては来なかっただろうね。これは個人的なプライドが働かせているようなものだ」
「人狼……か。そういや、IO2にもアンタみたいなのがいるが……そうじゃねぇんだろ」
三人は歩きながらそんな会話を交わす。
数メートル先に見える公園を目指しているようだ。人目を避けるためなのだろう。
「ジーンキャリアだね。ボクの一族は人為的なそのモノの遺伝子を投与されたわけじゃない……生粋のライカンスロープだよ。遠い過去の話になるが、先祖が人狼と交わってね」
「さらっと言うけど、とんでもない話だよね……」
バルトロメオの言葉に、フェイトがそう返してくる。
人為的な投与で『そうなった』者達とは関わり合いがあるが、生粋の存在と出会いこうして会話をしている現実が、どこかおかしな気もするのだ。
「今時、珍しい話でもないだろう? ヴァンパイアだって実在するんだからね」
「まぁ、それは……知り合いにもいるから、そうなんだろうけど」
「アンタみたいな純粋な希少種ってのは、早々出会えるもんでもねぇと思うけどな」
バルトロメオの行動の意味は、そのルーツを聞けば何となく理解は出来た。今回の件で一族の名が汚されているという事が、許せないのだろう。
だが、純粋な存在である彼が、何故IO2に所属しているのだろうか。
そこにも興味が繋がっていくが、今はそれを聞いている時間もない。
公園に辿り着いた彼らは、周囲を見回した後、こくりと頷いてみせる。行動を開始するようだ。
「……俺らは発信機を追う。多分、そんなに離れてるわけでもねぇだろうから、アンタも何か見つけたら深追いしねぇで俺かフェイトに知らせてくれ」
「了解したよ。お互い、無理せずに行こう」
「気をつけて」
クレイグとフェイト、そしてバルトロメオが一気に駆け出す。二手に別れたそれは左右に綺麗に分かれていた。

 

 

一般人を襲う人狼がいる。
それを耳にしたのは、一週間ほど前の話だ。
長期休暇を取っていたバルトロメオは祖国イタリアから離れ、アメリカの各地を巡る旅行をしている最中でもあった。
「バルセロナ家の仕業では無いだろうな?」
そう囁かれた言葉は、身内から出たものだった。確か、分家にあたる遠い親戚の男だったように思える。
「過去はどうだったかは知らないが、現代に存在するボクらはそんな野蛮なことは滅多にしないよ」
バルトロメオはそう答えつつも、いつの間にか調査のために出歩くようになった。もちろん、名目上は観光である。
闇の眷属なれども、自我を失ったことはない。血脈に誇りも抱いているし、プライドだってある。
始祖たる狼は、バルセロナの娘と恋に落ちた際、ヒトと交わること自体を一度は躊躇ったという。静かに残される多くの子孫たちの行く末を考えれば、当たり前のことである。
自尊心を失わず、それでいて一族を出来る限りで大切に扱ってきた。ヒトよりよっぽど、誇らしい存在であったのだ。
その血が自分にも流れている。言葉には表し難い熱い何かが、いつでも心の奥で静かに滾っている。
だがそれは、無意味に人を襲うための感情ではない。
何よりそれを証明するのは、自分という存在である。
だからこそ彼は、自ら行動を起こしているのだ。一族の誇りをかけて。
「ボクの直感にアンラッキーの文字はない。……そう、信じるしか無いのさ」
ぼそり、と小さく呟きながら、バルトロメオはこの地で予め目星をつけていたポイントへと足を運んだ。
鼻を鳴らせば、ほんの微かに薬物の匂いがする。
郊外にある古びた廃屋は、人気のない長い路地の先に存在した。
辺りは静まり返っている。
壁に背中を預けつつ、私物の銃を手に収めたバルトロメオは、息を殺してその先へと視線をやった。
やはり、誰もいない。
「……僅かな気配は残っている。数分前にはここにいた……。少し、出遅れてしまったようだ」
廃屋の手前、敷き詰められた石畳が妙に凹んでいる部分がある。それは人が踏みしめていた何よりの証拠でもあった。バルトロメオは言葉なく膝を折 り、地面に手のひらをそっと充てた。微かにだが温もりがその場には残っている。そして、踏み潰された煙草の吸殻と小さなビニール袋の切れ端が無造作に目に ついて彼はそれを手にとった。もちろん、指紋をつけないように手袋を装着している。
「ナイトウォーカー……彼は視る専門のようだが、こういう物の霊視は可能なのだろうか」
そう呟いてから、バルトロメオは通信機に手をやった。
ジジと数秒の電子音の後、応答を示す声が聞こえたのはそれからすぐの事であった。

 

 

同時刻――それより数分前。
発信機を追っていたクレイグとフェイトは、その道先がどんどん治安が良くない場所に繋がっているとそれぞれに自覚していた。
「フェイト」
「わかってる」
移動を続けながら、短く言葉を交わす。
流れる視界の端では、怪しい目つきをした若者同士が秘密の取引などが行われていた。
汚れた金が普通に流れる場所。
そんなところに彼らは紛れ込んでいる。
そして、当然のごとく異質の目を向けられていた。
数秒後、クレイグがふと足を止めた。同じように、フェイトも足を止める。
「俺のすぐ後ろにいろ」
クレイグはそう言いながら、一人の若者に足を向けた。そして「よぅ」と気さくな笑顔を向けて、彼に声をかける。
フェイトは言われたとおりに周囲を警戒しつつ、クレイグの後に続いた。
「兄さん、薬買わねぇか。色んなのあるぜ。ハイになれたり、美人と一緒に天国行くやつとか」
キャップ帽子を目深く被った若者は、ニヤニヤしながらクレイグにそう言ってきた。
明らかに違法な事柄に足を突っ込んでいる風だ。
「そっち系のはこいつで間に合ってる。それよりもっと、ヤバイの無ぇか? 例えば、すげぇ強くなれるとかさ」
「ちょ、ちょっと、クレイ……」
クレイグは放った言葉は少しだけ刺激的は響きであった。それと同時に、背後にいたフェイトを抱き寄せてわざとらしく見せつける。
その直前に、フェイトに言い寄ろうとしていた別の存在がありそれを見越してのことであったのだが、あまりの突飛さにさすがのフェイトも動揺を隠せなかった。
「兄さんそっちの趣味かよぉ。でも、だったら余計にヤバイの必要かもな? 丁度いいのがこの奥にあるぜ」
若者はさらにニヤリと笑みを深めつつ、自分の肩越しに親指を向けた。
狭い路地の先に、それがあるらしい。
「おっと、タダじゃ通れねぇよ?」
「解ってる。……あんまアブねぇ事には首突っ込みすぎんなよ」
しっかりと通行料をせがんでくる若者に、クレイグはポケットマネーを握らせた。
その際、少しの苦言も忘れずにだ。
それが彼に伝わるかどうかは解らないが。言葉は言霊として残る。
耳元でそんな彼の言葉を聞いたフェイトは、小さな笑みを作っていた。
そして二人は、路地の先へと足を踏み入れた。
奥では重低音がよく響く音楽が流れている。
「一般的なヤツに混じって流れ込んでやがるな」
「集まってる人も多いみたいだね」
路地の先は広場になっており、その場には若者たちが多く集っていた。
音楽と共にに盛り上がっている様子だが、それぞれの視線が怪しい。
「――――」
何かを感じ取って、クレイグもフェイトも頬を引きつらせた。
直後に、まずい、と感じる。
<……ナイトウォーカー、そちらはどうだい?>
クレイグの耳元にそんな声が聞こえてきた。電子を通したそれは、バルトロメオのものであった。
「あー……、そうだな。取りあえずは潜入は出来た。だが、どうにも嵌められたっぽいなぁ」
集っていた若者たちがその動きを止めて、一斉にこちらへと向き直る。
目が赤く光り、その身体は見る間に変容していった。
フェイトが銃を構える。
クレイグはそんな彼に背中を預けつつ、バルトロメオに応答していた。
――嫌な記憶が甦る。
まさに『あの時』と同じ状況ではないのか。
「アンタはこっちにすぐ来られるか?」
<了解した、すぐに向かおう。3分ほど耐えてくれたまえよ>
バルトロメオはそれだけを言い切ると、通信を切った。
彼はこちらの状況が良くわかっているかのようであった。
たが、たかが3分は、されど3分でもある。それを踏まえて、クレイグはIO2へと応援要請を即座に出した。
任務を開始する前に、予め用意してもらっていた要員である。
「フェイト、行けそうか」
「……殺さないように努力はするよ。ナイトも俺だけ逃がそうとか、もう考えないでよね!」
「そりゃ、状況にもよるけどなぁ!」
二人同時に、左右に銃を放つ。
若者たちは奇声を上げて彼らに飛びかかってきた。
その姿は、昨日見かけた人狼のような形。筋肉強化剤を服用した証だ。
急所を外して一人ひとりを相手にする。その場で円を書くようにして背中合わせで戦う二人は、武器が銃である分の不利があった。纏めて仕留めることが出来ないからだ。
爆発を起こすブラスト系の球もあるが、それも良くて二人程度しか巻き込むことは出来ない。
この状況を長く続かせるわけにもいかず、クレイグは透視を応用した退路を見る体制に入った。
「ナイト、それはオススメしない!」
クレイグの能力を傍で察知したフェイトが、そう言ってきた。
以外にも彼は、冷静だ。
「あの時の俺とは違うから! 大丈夫だよ!」
背中から伝わる彼のしっかりとした声。
それを体で感じて、クレイグは浅く笑った。
「……それなら、もう少しだけ頑張らねぇとなぁ!」
危機的状況にも関わらず、彼はそう言ってまた銃を放つ。その表情は、笑みを浮かべたままだ。
そうだ、あの時とは違うのだ。
心でそれを繰り返すと、安心感が広がっていく。
フェイトも自分も、目に見えない成長がそこにはあるのだろう。
――そして。
「やぁ、待たせたね二人とも!」
やけに明るい声が頭上から響いてきた。
出で立ちも軽やかにかつ華麗に姿を見せたのはバルトロメオで、彼は銃を空中で数発放ちながら地上へと降りてくる。4、5人ほどが地面に沈んだ。だが、殺したわけではない。
「命を軽んじるのはボクの美意識にも反するからね」
いつも通りの彼である。
だが今は、それがとても有り難いとも思えた。クレイグにとっても、フェイトにとっても。
その後、数人の応援要員も駆けつけてくれて、その場は一気に終息を迎えた。
若者たちを拘束後、詳細を問い質すためにコンタクトを取ったが、変容してしまった彼らには言葉が通じないようであった。
「どうやら本元には完全に逃げられてしまったようだね。ボクのほうも気配は残っていたんだが、もぬけの殻だったよ。例の薬剤はそこからこちらに運び込まれていたようだ。遺留品らしきものは回収してある」
「しょうがない……俺がテレパス使ってみるよ」
フェイトがそう言いながら、一人の若者の前に進み出た。拘束されているにもかかわらず、彼らは犬のように噛み付こうとする仕草を見せる。それを見たクレイグが、フェイトの傍へと寄り、彼の背に手を置いた。
「無茶はすんなよ」
「うん」
それだけの会話を交わしてから、フェイトは能力を発動させた。緑色の目が淡く光る。

 

 

――コレを飲むと、望んだ通りの強さが手に入る。欲しくはないかい?

 

 

「……ッ!」
ビクリ、と身体が震えた。
聞き覚えのある声のような気がしたのだ。
「ユウタ」
クレイグが耳元で名前を呼ぶ。
その声があるから、彼は何とか平静を保つことが出来た。
だが、次の瞬間。

 

 

――いい子だね。もっとその力を見せておくれ。

 

 

自分の記憶と、若者の記憶がブレて再生される。
強い目眩とともに脳内を横切った影は、かつての『勇太』が監禁されていた施設にいた、研究員の姿であった。

カテゴリー: 02フェイト, season3(紗生WR), 未分類, 紗生WR(フェイト編) |

怪談と、夏と花火と喫茶店

■prologue

 

 

夏の宵。
花火にかこつけ、集うも一興。
ささやかな時を楽しむ為に。

…さぁ、皆で何をしようか。

 

 

■喫茶店『青い鳥』経営者夫妻の提案。

 

「そういえば、もうそんな時期なのね」
喫茶店、『青い鳥』の定休日。買い付けやら何やら普段はできない雑務を片付けて、夫婦揃って一息吐こうとしたところ。店にまで戻り、椅子に腰を掛けつつ ふと上がったそんな妻の声に、ヴィルヘルム・ハスロは、ん? と妻の――弥生・ハスロの顔を見、続けてその視線の先を見る。窓を隔てた向こうに見えるのは ――何かの場所取りと思しき人々。皆一様に心浮き立っているようでもあり、同時に使命感に駆られているようでもあり――人によっては既にして何やら疲れて いる様子の者までいる。…良く考えてみれば、買い付けの為、外出している最中にも同じような人たちを見かけはした。
「…ああ」
弥生に言われたことで、その光景と何が「そんな時期か」が頭の中で結び付き、ヴィルヘルムも気が付いた。
「今日は近くで花火大会があるんだったか」
要するに、皆、その為の場所取りに精を出している。
なかなか大きな花火大会だとかで、絶景見たさに場所取りをする人々が居ることは――そのこと自体がある意味で風物詩にもなっていることは知っていた。と は言え喫茶店『青い鳥』は本日は定休日。近所の花火大会の日を碌にチェックすらしておらず休むなど商売っ気がない、とか言われそうな気もしないでもない が…まぁある程度は事実である。妻と子供と。家族が健やかに過ごしていければそれでいい。そして今日は…その大事な家族の一員こと子供たちの方は弥生の実 家に泊まりがけで遊びに行っている。…近所の花火大会を失念していたことに少々後悔もするが、まぁそれはそれ。子供たちの方は子供たちの方で、楽しんで来 てくれればそれでいい。

ただ。
今は。

ここに居る弥生の方が…少々寂しそうなのが。
ヴィルヘルムとしては、余程気になっている。
…まぁ、そうなる理由と言えば…今の状況からして当たり前とも言える、単純明快極まりない話なのだが。

そう。

――――――いつもはすぐ傍にある、子供たちの賑やかな声がないから。

事実、今この場に居ないのだから何をどうしてもしかたない話なのだが、そのことで一抹の寂しさがあるのは弥生だけではなくヴィルヘルムも同じ。…だから こそ、すぐにそのことに気付ける。…妻が少しでも元気になってくれる方法はないものか。妻に寂しい思いはできる限りさせたくない――まぁ、寂しさと言って もこの場合は他愛もないことではあるのだけれど。でも、大切なことでもある。
ヴィルヘルムはつらつらと思案する。
ふと、この建物を契約する際のことを思い出した。以前の所有者が話していたこと――ちょうど本日開催される花火大会の花火が、屋上からよく見える、との話。

これだ、と思った。

「…弥生」
「ん、何?」
あなた。
「この建物の屋上から花火が見えるらしいんだ」
別に、場所取りに行かずとも。
だから、今日は。
「折角なら皆さんをお誘いしようか」
そう、ヴィルヘルムが提案した時点で。
弥生の貌が、嬉しそうにぱあっと明るくなった。
「素敵。楽しそう」
「そう言ってもらえると思ったよ」
弥生の顔が晴れれば、ヴィルヘルムの顔も自然と晴れる。弥生は一度大きく頷くと、よし、とばかりに腕捲り。

そうと決まれば、早速用意をしないと。

 

 

■01

 

エビフライにシシャモの南蛮、その他(お酒に合いそうな)おかず類に、おにぎりやサンドイッチ等の簡単な軽食。
屋上での花火見物の為に、と腕によりをかけて弥生が用意したのはそんなラインナップのメニュー。…いや、今日の場合はお酒は抜きでと考えてはいるのだけ れど、どうしてもお酒に合いそうな…と言う方向で料理を行ってしまうのはある意味弥生のサガであるのかもしれない。…下の店でも、ここは喫茶店だったよ な、と一歩立ち止まって疑問を持たれることは果たして何度あっただろうか。まぁ、仮に誰かがそう突っ込んだとしても、そうよ、であっさりと流されてしまう 話ではあるのだが。その疑問が意味を為すことはほぼ皆無と言っていい。

と言うか、今日の場合は――改めてそこに疑問を持つような無粋な人間はここには居ない。
殆ど身内と言っていいような、近しい人物しか招かれていない訳だし。…即ち、弥生の料理がこうなることを――それが元々彼女の料理の持ち味であることを元々承知しているような面子しか、ここには居ない訳で。

「……美味しそう」

屋上に設置された、アウトドア用の折り畳みのテーブル。その上に並べられた料理を見た時点で、誘われたひとりこと八瀬葵はぽつりとそう零している。そ う? だったら良かった、と嬉しそうに笑顔を返す弥生。冷めない内に食べてね、と付け加え、鼻歌交じりに取り分ける為の小皿を並べてもいる。
葵はそれを慌てて手伝おうとしつつ――けれど手伝うまでもなく済んだことで結局そのまま座り、代わりに弥生に向かって何となくぺこり。今日はお仕事じゃ ないんだし、気にしないで気にしないでー、と弥生からはすかさず返される。…姉のように慕わしいそのひとの気安い声が、葵には嬉しい。
出されている料理の方も、同じ。…弥生さんの手料理は、温かくて好き。…実際の料理の温度の話じゃなくて――いやそれもなくはないけれどそういう意味で だけじゃなく、気持ちの面での話。弥生さんだけじゃなく、旦那さんのヴィルさんもそう。ある意味で俺と同じで――自分自身の持つ性質で悩んでいて、なのに 他のひとにも優しくできて、立派に生きている先輩で、今の俺の上司で…すごく、尊敬できるひと。
優しくて温かい「音」のひとたちに囲まれて、心の底からほっとできる空間に居られる幸せ。それが今、ここにある。
…ふと、弥生さんの、ほんの少しだけ心配そうな声がした。

「花火、始まっちゃいそうね」
まだ勇太君来ないけど…確か、何か野暮用ができたとかって話なんだっけ。…そう確かめられ、葵は頷く。
そう。…誘われる時は勇太と――フェイトとは一緒だったのだけれど。それで、葵はひとりで先に来た。
「……それでも、すぐに片付けて花火が始まるまでには絶対来るとは……力一杯言ってたけど」
「十九時半からだから、まだ幾らか時間はあるよ。…まぁ、折角のエビフライが冷めてしまうかもしれないけれどね」
「?」
「ああ、葵君は知らないんだっけ。勇太君、エビフライ大好きなのよ」
「……そうなんですか」
「だからいっぱい作ったんだけどね」
…確かに、エビフライは大皿に山盛りで載っている。
が、揚げ物の類は…揚げたてが、温かい内が一番美味しいのは自明。…それは冷めても美味しいようにある程度の工夫もしてはあるけれど、やはりどうせなら揚げたてを食べてもらいたい。
そう言いたげな弥生の様子を見、さて、とヴィルヘルムは苦笑した。
「そうだね…じゃあ、冷めてももったいないから、先に頂いてようか」
「そうしましょうか」
「……頂きます」

と。

今居る皆で先に食べ始めようとしたそこで、遅れました済みませんッ! との元気な大声と共に屋上に駆け上ってくる姿があった。彼のその顔に浮かんでいる のは爽やかな笑顔。一瞬、誰だかわからない――それは今宵今晩この場合、遅れたなどと言ってここに来る相手は決まっているとは言え。
その格好が――久々の私服であったから。
皆の反応が、一拍遅れる。

「? …えっと…どうかしましたか?」
「…あ、勇太君、いらっしゃい。良かった、間に合ったわね。花火にも…エビフライの方にも」
「? エビフライの方って…ってあ、作ってくれてたんですか弥生さん!」
「勿論よ。勇太君が来るのがあと少し遅かったら皆で先に食べ始めちゃうところだったんだけど」
「ええっ、そんなっ!」
「…いいタイミングでしたね、勇太君」
「はい!」
「……調味料、どれがいい?」
「なしでもソースでも醤油でもタルタルソースでも!」

弥生さんのエビフライ、どうやって食べても美味しいですから!

【→NEXT 02(フェイト)】

 

 

 

■オフ直前のIO2エージェントの状況。

 

八瀬葵の携帯が鳴った時点で、IO2エージェントであるフェイトは少し警戒をした。着信――それは、今の葵が置かれている状況の場合、「見知らぬ歓迎で きない相手」からの通信である可能性も有り得るから。いや、ただの通信であるならまだいい。「通信自体が攻撃」である可能性すら否定できない――今、葵の 身柄を狙っているのは虚無の境界で、葵の持つ特殊な能力は歌声や音読み――即ち、「音」の力である。そして「音の世界で」と見るとなれば、携帯と言う端末 機械を介するとは言え「通話をする」と言うのは「相手と直接対峙しているも同然」となる訳で――同時に自分がすぐ側に居ても、不測の事態の際にすぐに手を 出せるかは微妙になる訳で――警戒するのは当然になる。
ただでさえ、今は葵を狙って虚無の境界が不穏な動きをしていると言う情報が入っているのだから、フェイトとしては余計にそんな方向に思考が動く。

が。

ひとまず、葵が通話相手に話している様子からして元々の知人友人の類であると判断が付いたので、通話相手に対する警戒は解いておく。…と言うか、訥々と話しているその内容からしても、まず相当に親しい相手。となるとかなり限られる。
…多分、フェイトの方でも知っている相手。
思いつつそれとなく様子を窺っていると、葵は何やら、はい、とばかりに通話中のその携帯端末をフェイトに差し出して来た。俺? と思わず自分の顔を指差 してジェスチャーで問うと、うん、とばかりに無言で頷かれる。さて何事かと思い携帯を借りて通話を受けると――相手はヴィルさんだった。ヴィルヘルム・ハ スロ――気を許している葵の態度が納得行く相手。葵の勤め先の店主であり、葵の能力面も承知。その上で、色々と助けになってくれているひとたち。…それこ そ、IO2などよりずっと先に。ずっと近くで。
ある意味ではフェイトの予想通りの相手でもあったのだが、それで今、『フェイト』の方にまで用があるとなると――何だろう? と少々首を傾げたくもな る。確かにフェイトは――いや、『工藤勇太』は、ヴィルヘルムとは――彼だけではなく彼の妻である弥生の方とも、以前から親しい間柄ではある。あるが―― 今葵の携帯を通してまで、彼らから特に話を振られるような心当たりはない。
ヴィルヘルムはフェイトの『仕事』もある程度承知。そして、葵を通してのわざわざの連絡となると、もしやまさかそちら絡みで何か伝えておきたい話が、とも考えられる。
よって、ある程度心の準備をしてから通話を替わる。

と。

…杞憂も杞憂で、ごく普通に花火見物に誘われた。
曰く、今夜開催される花火大会の花火が、ヴィルさんの店の屋上からよく見えるとのことで。
葵君には今了解の返事をもらったところなんですが、勇太君が今一緒に居ると言うのなら、都合がいいから替わってもらった…とも。…いや、電話口での様子を窺う限り、ヴィルヘルムがと言うより葵の方でフェイトに電話を替わることを申し出たような雰囲気ではあったのだが。

ともあれ、そんな話を振られれば、嬉しいのは当たり前。
勿論行きます、お誘い有難う御座います! とにこやかに『工藤勇太』の態度で了解の返事を伝えておく。

…伝えておくが。

そうなると、とフェイトの頭の中では別の思考が廻っている。当然全く表に出してはいないが、頭にあるのは不穏な動きを見せる虚無の境界のこと。葵さんにもハスロ夫妻にも勿論こんなことを知らせる訳には行かない。折角の楽しいイベントをぶち壊す訳には行かない…!

だから。

フェイトは葵に携帯を返すと、そうと決まれば残ってる野暮用の方片付けないとな、とか何とか適当に――本当に「テキトー」に聞こえそうな――「暇人さ ん」らしい茶化した理由を付けて葵の元から離れる。ひとり残された葵はと言うと、いつも通りに特に感慨もなく――少なくとも傍からはそう見える様子で ――、その姿を見送る。

と。

程無く、何やらフェイトが消えて行った先の方から…それこそ打上花火の如く、数名の「ひと」らしい「何か」がどーんとばかりに空へと派手に吹っ飛ばされて行ったのが見えた気が、した。

その「フライング気味の美しくない打上花火」が当の虚無の境界の工作員だったことを、葵は知らない。

 

 

■02

 

…野暮用を片付ける為、と理由を付けて八瀬葵と別れた後に、密かにかつ速攻で虚無の境界の工作員を「フライング気味の美しくない打上花火」の如く打ち上げてから。

フェイトはすかさずIO2に状況を報告し、暫しの休みを獲得する。…オフとなれば喪服の如き黒スーツのままでいるのも味気ないし無粋である。と言うか単 純に、今の気候で幾ら夜とは言えそんな格好で出歩くのは普通に暑いとも言う。よって当然、仕事でない以上は私服に着替えてから皆の元へ向かおう、とフェイ トは――いや、工藤勇太はごくごく自然に思う。
時間帯からして葵はフェイトと別れたその足で喫茶店『青い鳥』に向かっている筈で、そこにこれから着替えて向かうと考えると、追い付くのに多少時間がか かってしまうことはわかっている。が、そこは止むを得ない。可能な限り早く、頭だけではなく服装もオフモードに切り替えて、皆の元へと駆け付ける。その一 念で「フェイト」は一時帰宅し、すぐさま「工藤勇太」に戻って喫茶店『青い鳥』に向かう。
ちなみに選んだ私服は、飾り気のないTシャツに青のデニムパンツと適当なもの。動き易そうでスーツよりは涼しそうな格好を、と、急ぎ手近にあったものの 中から選んだらこうなった。元々、自分は服装に気を遣うような洒落た性質でもないし、誘ってくれたハスロ夫妻もそんな面で余計な気を遣わなければならない 相手でもない。ただ、相手への礼儀として清潔感のある格好ができていれば、それでいい。
そう思って、実際にそうして来た。

それだけ…の筈なのだが。
それで皆と合流したら、自分を見た皆からちょっとびっくりされたような気がして逆にこちらが何事かと驚いた。が、特に説明はされない…と言うか、説明の前にエビフライの方が先になっただけとも言うのだが。

「…で、ホントにどうかしたんですか?」

幾つかエビフライを頬張り、人心地付いてから勇太は改めて皆に訊いてみる。自分がここに着いた時の、一瞬だけ動きを止めたような――驚いたような皆の 姿。と、その時点で何やら皆は顔を見合わせている――まるで、どう言ったものかとでも俄かに悩むような反応。とは言え、特に深刻な話のようでもなく。
その反応に、勇太はまた不思議そうに小首を傾げる。
と。

……そうそれ。と葵からぽつりと呟かれた。

「それ?」
どれ。
「…葵さん?」
「……普段とあんまり違うから……ちょっとびっくりして」
「? 違うって? 何が?」
勇太、本気でわからない。
そんな様子に、堪え切れないとばかりに弥生とヴィルヘルムの二人がクスクス笑い出している。
「…ほら、皆最近スーツ姿の勇太君を見慣れていたじゃない」
「特に葵君は、今みたいな勇太君は初めてでしょうしね。私たちの場合は、完全に「フェイト」ではない年相応な勇太君を見るのは久々だなあ、と思っただけですよ」

…。

「…。…それって、本当に「年相応」だと思ってくれてます?」
「…どうでしょうね」
「…どうかしらね」
「……むしろ俺より」
「…どうせ幼く見えるって話なんですよね? 三人ともひどいなあ」
む、とむくれて見せる勇太。とはいえ勿論、本気ではない。気安い間柄であるが故の、充分に軽口の範疇。…三人からそこまで言われればさすがに、何の話で あるのか勇太にもわかる――勇太の方でも自分が童顔であると元から自覚はある。IO2エージェントとしての黒服でいる時はともかく、私服ともなれば――学 生、いや高校生程度に見られたっておかしくない。…そして高校生頃と言えば、ハスロ夫妻とは初めて会った時期にもなる。当時から殆ど変わっていないように 見られれば、それは懐かしがられもするかもしれないか…とは思う。
が、それでも改めて言われると、少々ヘコみはする。…二十歳を超えている成人男子としては、余計。

そんなちょっとばかりヘコんでいる中、不意に、どーん、と腹に響く音が辺りに響いた。ひゅるるると空に上る際の笛も鳴る。それらの音から一拍間を置いたかと思うと――夜に鮮やかな大輪の花が咲く。
すぐに気付いて、誰からともなく上がる歓声。

漸く、花火も始まった。

【→NEXT 03(千影)】

 

 

■夜の散歩の寄り道に。

 

黒い空、異形の列が夜を往く。鈴の音軽やかに笛吹き鳴らし、大小様々多種多様、数多の異形が列を為す。上空には自然の、地上には人工の星が色とりどりに煌いて。
そんな星々に挟まれた闇の狭間を、百鬼夜行が練り歩く。…最早そんなものは文明や科学に駆逐されたと思われがちだが、ところがどっこいまだまだ健在。今 ここで空を見上げたならば、きっと人々の目にもこの夜行は映ることだろう。奇妙で奇態で奇抜で奇麗で、ちょっぴり怖くて心に残る、そんな不思議な、夜行の ことが。

そんな中――夏の風物詩と言えば、お祭り、怪談、百鬼夜行♪ と、うきうきと湧き立つ気分で夜行に加わっている「人の子」がひとり居た。…否。浴衣を 纏った十代前半の少女――らしい姿をしてはいるが、それは「人の子」とは言えないか。大きなリボンで纏めた黒髪ツインテールの下、その背には可愛らしい小 さな黒い翼が一対。勿論、ツクリモノではなく、実際にパタパタとはためいており――それで滞空し、夜行を構成する異形を友として、楽しげに中空を練り歩い ているのが見て取れる。
彼女は見るものすべてに興味津々なようで、夜行を構成する他の異形もまたそんな彼女を微笑ましく感じているような――愛されているような。そんな気配ま で醸している。彼女のその頭にはロップイヤーの如き垂れ耳の――けれどよく見ればその耳の部分が翼になっている黒い兎が、当然のようにちょこんと乗っても いる。
千影と静夜。同じ主を持つZodiacBeast。彼らもまた百鬼夜行にお邪魔するに相応しい異形――魂の獣ではある。弟分である兎形の静夜を頭に乗せ ての夜の散歩は千影の日課。それも今の時期ともなれば――異形の皆と賑やかに歩んで行けるから。それに、今宵は空にまぁるい花火も上がり始めているのがと てもきれいで、面白くて。…人間もなかなか素敵なことをする。
そんな中を、異形の皆と一緒に練り歩いているだけでも、すごく楽しい。

…の、だが。

この日は、少し別の方向にも千影の興味が向いた。…何だか、すぐ近くに知り合いの気配がする。誰だったっけと考える。…弥生ちゃんと、ヴィルちゃんと。 あと…フェイトちゃんだっけ、勇太ちゃんだったっけ。…どっちだったか忘れちゃった。…それから他にもうひとり…知ってるような、知らないような。誰だっ け。ただ、桜の花と一緒に記憶があるかもしれないひと。
どこだろう? ときょろきょろ探す。気配の源。あっちかな、こっちかな。考えるより先に、感覚に従って足の方が動く――あっちだ、と心が先に確信する。 そんな己の心に従い、千影はそのまま迷うことなく夜行の列を離れる。猫科の獣を思わせる軽やかな動きで、とんっと中空を蹴り、ちりんと進む。

…うたかたからうつつへと、鈴の音と共にふわりと舞い降りる子猫。

舞い降りた先は、とある建物の屋上。
感じ取れた気配の持ち主である四人は、そこに居た。

 

 

■03

 

確かに、特等席。
喫茶店の屋上、そこで花火見物に興じている四人――ヴィルヘルム・ハスロに弥生・ハスロ、八瀬葵に、フェイト――もとい本名工藤勇太――は誰からともな くそう納得する。打ち上げている場所から近過ぎず離れ過ぎず、ちょうど良い距離間で――花火の全容が、大きく、美しく見える位置関係。偶然そうなったのか 誰か気を遣って考えてでもいたのかはわからないが、地上のイルミネーションがあまり気にならない程度に抑えられているのもまた悪くない。
一回一回それぞれ違う、様々な花火が夜空に展開する。その一瞬にすべてを懸ける、儚くも力強い――潔い美の競演。…単純に、火力の派手さだけで言うなら ばそれは劣る場合もあるかもしれないが、これ程色とりどりの趣向を凝らした、手の込んだ花火がごく普通に打ち上げられるのは日本独特。日本ならではの景色 と言える。
皆、目を奪われてしまって、折角弥生に用意してもらった料理に伸びる手の方が、ついつい止まってしまう程。

そんな中、どん、と再び花火が上がったところで――皆が花火を観る為に空を見上げたところで――視界の中に、ふわっと舞い降りる影があった。背景の花火 と相俟って、何処か夢幻的な印象を与えるその黒く小さな人影。体重を感じさせない軽やかさで、とん、と危なげなく皆の目前、同じ高さに着地する。浴衣姿の ――背に小さな黒い翼を生やして、頭に黒い垂れ耳兎を乗せた、十代前半程度に見える黒いツインテールの少女がひとり。

…ここは「屋上」の筈である。
まるで空から気まぐれに舞い降りて来た幻獣のような、現実感の薄いその姿――と思えば、そもそもある意味で「その通り」の存在で。
屋上に居た四人に自分の姿を認められたかと思うと、「彼女」はにっこり笑って、御挨拶。

「こんばんわ!」
「…って、チカちゃんじゃない!」
チカ――千影。
「うん♪ お久しぶりなんだよ弥生ちゃん」
ヴィルちゃんも。
「…ああ、お久し振りですね。まさか空からいらっしゃるとは」
驚きました。
「うん。百鬼夜行の途中でヴィルちゃんたちの気配があるのに気付いたの。だから来てみたんだよ♪」
うにゃん。
「…って浴衣なんか着るんだな、あんたも」
「ふふー。だって夏なんだよ♪ 浴衣でおめかし、チカもするんだよ♪ 可愛いお兄ちゃんもお久しぶりなんだよ♪」
「…可愛いって」
「ところでお兄ちゃんてフェイトちゃんと勇太ちゃん、どっちなんだったっけ?」
「…可愛いって…。…いや、今は勇太でいいけど」
「じゃあ勇太ちゃんなんだね、あとこっちのお兄ちゃんは…」
「……葵」
「葵ちゃんなんだね。…えっと、はじめまして、あたしチカ」
「……。……初めまして、だっけ」
「じゃなかったっけ??」
「……一応、何度か顔合わせたことあったと思うけど……まぁいいか。初めまして。俺は八瀬葵。チカって言ったっけ。宜しく」
「うん、よろしくなんだよ」
にっこり。

で。

「みんなは何してるの? パーティ、お祝いごと? チカも、お邪魔しても大丈夫??」
「勿論。飛び入り参加も歓迎しますよ。私たちは誘い合わせて花火見物をしていたところなのですが、こういうことは、人が多い方が楽しいですからね。…弥生。ちょうどシシャモの南蛮もあったよね」
「ええ。こうなると何だかチカちゃんも来るのがわかってたみたいね。魔女の直感かしら♪」
「ししゃもあるの! 食べていいの? やったぁ♪」
わーい、と千影は嬉しそうに万歳。目を輝かせつつ、皆の元へと――料理が並べられている折り畳みテーブルへと駆け寄る。はい、とばかりに弥生がシシャモ の南蛮を載せた皿を、テーブル上から千影の手の届くところに差し出したのが殆ど同時。ありがとうなのー♪ と千影はすぐにその皿に飛び付く。と言っても、 勿論お行儀が悪いのはダメダメなので――今は浴衣姿と言う通りに人化中でもあるので、おはしも借りてつたないながらも確り使ってもくもくもく。ただ焼いた だけとはちょっと違う南蛮漬けの味だけど、それもまたちょっと新鮮でししゃもの新たな魅力、と千影は御満悦。
「これ美味しいよ弥生ちゃん!」
「ふふ。有難うチカちゃん。いっぱいあるからたくさん食べてね」
シシャモだけじゃなく、他にも色々あるし。
「他にも? わ、ホントだいっぱいあるの。サンドイッチとかも色んな具が挟んであるし。見てるだけでもわくわくするね♪」
「……うん」
「だよね! 葵ちゃんもすごーく美味しそうに食べてる」
「……そう、見える?」
「うん。美味しいもの食べてるとみんないい顔するから。勇太ちゃんもすごーくいい顔してる」
「…ああ、弥生さんのエビフライ、絶品だからね」
「エビフライも絶品なの? チカももらうのー」

どん。

食い物だけじゃなくこっちも見ろ。とでも言いたげなタイミングで、次の花火の音がそこでまた鳴る。つられるようにして皆の視線が夜空に向く。色の違う小 さな花火が幾つも連続して広範囲に上がる形の仕掛け花火。それぞれ確りと花開いた後、パラパラと火花が散る音が余韻に残る。
わああ、と誰からともなく感嘆の声が上がる。花火綺麗だね♪ と心底嬉しそうなチカの声。感激してか、うん、と短く肯定するしかできない葵。今の凄かっ たわねー、と弥生も感心している。そろそろ凝った花火が上がり始めてるみたいですよね、と勇太も視線はばっちり夜空の方に。
ええ、そろそろ花火大会もクライマックスみたいですよ――花火が上がるその合間、時計を確かめつつヴィルヘルムが勇太に同意。そろそろ大会の目玉になる 花火が打ち上がりそうな頃合いだとも皆に伝えておく。…屋上で花火見物をと決めた時点で、ヴィルヘルムはざっとながら大会の方の予定を確かめて来てはあ る。

折角の特等席なのだから、見逃す手はない。

【→NEXT 04(ヴィルヘルム・ハスロ)】

 

 

■04

 

皆で弥生の用意した食事と、夜空に咲く花火大会の花火を特等席で楽しんで、暫し。

やがて、夜空に連続して大輪の花が開き始めた。スプレー状の花火もそこに重なり、やや不規則にくるくると散る幾つかの火花も彩りを添える。クライマックスを飾る花火。惜しげもなく次々と打ち上げられるそれは確かに圧巻で。
全ての花火が終わった後には、少し寂しさすら感じてしまう程。

元々、子供たちが不在である寂しさを紛らわせることから思い付いた今日の「これ」だったのに、とヴィルヘルムは少し可笑しい気分にもなる。が、今の寂し さは、この集まりを思い付いた時とは少し違う。満たされた気分も同時にあるから、紛らわす必要があることだとは思わない。むしろ、暫く余韻に浸っていたく なるような。そんな心持ちにもなる。
…それは、ヴィルヘルムだけではなく。

「んー、子供たちにも見せてあげたかったわー。何だか私たちだけでズルしちゃったみたいな気分かも。子供たちに秘密にして花火見物しちゃった…みたいな罪悪感がちらっと」
「言われてみれば。確かにそんな気もするか。…子供たちには来年まで勘弁してもらおう」
「そうね。もうしょうがないもの――だからこそ! 来年はまた腕によりをかけて!」
「あっ、その時はまたチカも来ていい?」
「勿論よ! あ、勿論チカちゃんだけじゃなく勇太君も葵君もよ?」
「わ、有難う御座います。何を押しても来年もこの日は空けときます!」
「……って。できるの?」

勇太さん。
…それは元々、葵の方でも勇太に――フェイトに対して「IO2の暇人さん」とはよく軽口を叩いている。いるが、実際そうでもないんだろうことは葵にも 薄々感じ取れている。例えば、今日もそう。…多分、何か、俺の為にと『野暮用を片付けて』くれた。その上で合流してここに居る――つまりはIO2のエー ジェントと言うのは予定の立たない仕事なんじゃないのかな、と言う気がする。…そうなると、一年後の休暇の予定を作ることなんてできるのか。
そんな風にもちらりと思うが、当の勇太の方は――何やら、フッ、と不敵な貌を見せている。

「…できるかどうかじゃない、するんだよ。弥生さんのエビフライが心行くまで食べられる機会なんて滅多にないんだし」
「あら、それなら店に来てくれればいつでも作るけど?」
「だったらチカもししゃものなんばん?だっけ?? とにかくまた食べたいんだよ!」
「ん、それも同じよ。作ってあげる」
「やったぁ♪ 弥生ちゃん大好き!」
「ふふ。おねーさんもチカちゃんのすっごく美味しそーな食べっぷり見てるの好きよ?」
「わーい、褒められたんだよ。勇太ちゃんも一緒に食べに来よ?」
あたしはししゃもで、勇太ちゃんはエビフライ。
「う。…それは」
「?? だめなの?」
「と、言うか…弥生さんやチカさんがそう言って下さるのはとても有難い話なんですけど。ただ、のんびりしてられないことが多い『仕事』だから…「ここは休 みを取る」って決め打ちしてその日に入って来そうな仕事を極力外せるようにひたすら日々頑張る方が、狙った当日ちゃんと休める可能性が上がると言うか…」
「……てことは、来年の花火大会の日、休みにできるかどうかは結局わからないってことだよね」
極力外せるように、とか、可能性が上がる、とか言ってる以上。
「…まあ、そうなっちゃうんだけど」
「しかたないですよ。勇太君は『フェイトさん』なんですから。でも、来年も同じ日にお会いできれば――来年もまた、こうして皆と花火を見ることができたなら。私も嬉しいですね」
「…努力します」

と。
そこまで他愛のない雑談が続いたところで、弥生が、パンッ、と手を合わせて鳴らす。はい皆さんちゅーもーく、と続け、折り畳みのテーブルの下に置いてあった袋を取り出した。
「なになに弥生ちゃん?」
「? ……何ですか、弥生さん?」

「んふふ。実はズルついでに、線香花火とかこっそり用意しちゃってるんだけど」

やる?

【→NEXT 05(八瀬葵)】

 

 

■優しい音のひとたちの中で。

 

八瀬葵の携帯に、不意の着信が届く。その時、フェイトも葵と共に居るところだった――葵に掛かってくる電話となると、ある程度限られる。…葵の交友関係は、あまり広くない――広くは、持てない。

持ち得た能力による、不自由さがあるから。

…そもそもだからこそ、今、彼はフェイトと共に行動していることになる。曰く、葵の能力――歌う声に意図せず籠ってしまう精神破壊や癒しの力――が虚無 の境界に付け狙われているのだとか。それで、『フェイト』と名乗るIO2のエージェントが、葵のその身を守る為と近付いて来た――当初はそんなやや剣呑な 成り行きの筈だったのだが。
その『フェイト』が、葵がとても世話になっている勤め先の喫茶店『青い鳥』経営者――ハスロ夫妻と、プライベートでは以前から親しい友人であると言うこ とがひょんなことから明らかになり、葵の方でもこの『フェイト』――工藤勇太とは仕事を越えた関係性、仄かな友情…のようなものが育まれつつある、と言っ たところ。
まぁそもそも、そこまで至らずとも彼のその呼吸や心音が――とても真摯で温かく、優しいことには葵もとっくに気付いていたのだけれど。…まぁ、特に表には出さずとも。

何にしても、今は携帯に掛かって来た着信への対応が先。液晶画面を見る――と。
ヴィルさん――ヴィルヘルム・ハスロの名があった。
図らずも、今挙げた当の喫茶店経営者。即ち、フェイトと共通の知人。…今日は店は定休日だった筈。思いつつ葵は通話に出る。
と。

受話口から伝えられたのは、今夜開催される花火大会を、うちに観に来ませんか、と言う誘い。
曰く、店の屋上が特等席になるから…そうそう、勇太君も一緒にどうかと考えています、とも。

そこまで聞いた時点で、葵は何となく「勇太君」を――フェイトを見る。確かに、この「暇人さん」とは何だかんだで共に居ることが多い。今、俺向けに話に 出されるのもわかる。…ハスロ夫妻は俺たちがよく共に居る細かい事情は知らない筈だが、俺の能力のこともあるし、フェイトの『仕事』も薄々知っている様子 がある――即ち、何か察している可能性もある。
フェイトの方はと言うと、俺? とでも言いたげに自分の顔を指で差し小首を傾げている。…にしても黒尽くめのスーツと言ういかにもな格好の割にやけに子供染みた仕草で、到底俺より年上には見えない。
その様子を見てから、今ちょうど一緒に居るから本人に替わる旨伝え、フェイトに携帯を貸す。…勿論、その前に自分の方は有難くお誘いに乗る旨のことは伝 えてある。フェイトの方はいきなり自分に振られたからか、やや訝しげながらも葵から電話を替わる――が、相手がわかるなりすぐさま表情が和らぎ、花火観覧 の誘いを聞くなり、二つ返事で勿論OK。お誘い有難う御座います! と笑顔になってお礼まで言っている。…そんな風にふと見せる無邪気な様子はやっぱり俺 より年上には見えないなあ、と葵は思ったりするが…あまり上手く感情が表に出せない身にすると、少し、羨ましい気もする。
携帯を返してもらい、ヴィルさんにきちんと御挨拶をしてから改めて通話を切る。…屋上なんて学生だった頃以来、立ち入ったこともない。…何だかわくわくする。

楽しみだ。

 

 

■05

 

「……線香花火。やりたいです」

弥生に提案された時点で、葵の口から自然とそう言葉が零れる。…珍しく、真っ先に。夜空に上がる大きな花火が終わって、用意してもらえた食事も済んで。皆で花火の感想を交えた雑談をしつつ、和やかに余韻に浸る中。

このちょっとしたサプライズは、葵の好奇心を刺激した。実は手持ち系の花火は殆どやったことがないので、興味がある。真っ先に出されたのが葵の科白だっ たことで、他の面子からは軽く驚かれた節もあったが…一拍置いて理解されたら何やら温かい感情が周囲に満ち満ちた気がした。
…よし、やろう。誰が一番長持ちするか競争だ。せんこうはなびってなに? きれいなの? 綺麗よー。チカちゃんには初めにやって見せてあげようか。葵君 も一回見てからにする? ……線香花火って、そんなに難しい花火なの? いやそんなことないけど。うーん、難しいかどうかは各人の性格にもよるんじゃない かな? ……そんなものなんですか? ああ、そういう面で言うなら、葵さんならすぐコツ掴めそうな気がするけど? ……じゃあ、やるだけやってみる。
頷いて、葵は線香花火を一本分けてもらう。…花火自体が、何だか細くてやわらかくて、頼りない。ヴィルさんが蝋燭に火を付けて準備している。蝋燭の芯に 揺らめく小さな炎にそっと寄せるようにして、葵は線香花火に着火する。着火する間にも、紙で作った紙縒りみたいなやわらかい花火がふらふらと揺れる。自分 の手で揺らしてしまっているのか、風に吹かれてしまっているのか。どちらともつかないような、どちらでもあるような。
なるべく動かさないように気を付けて、火の玉を落とさないように。線香花火ならではの注意を聞きつつ、じっと待つ。ちりちりと小さな音を立て、着火した ところが小さな玉状になって膨らむ。その火の玉の周囲に、小さな火花が散り始めた。少し幾何学めいた花のように――繊細な火花が火の玉の周囲に、ささやか な音と共に瞬き始める。
小さな小さな火の花なのに、何だか目が離せない。やがてその繊細な火花は、玉の外側に向かって頼りなく流れるような更に儚い小さな火花になり、その数も 減っていき――最後には火花を散らさない小さな火の玉だけに戻っていく――そしてそのまま萎むようにして、音もなく消えてしまう。
…何だか、息を詰めてずっと見ていてしまったような気がした。

「葵君、上手いじゃない」
「……線香花火って、きれいですね」
「でしょう。私なんか、つい見惚れてしまいます」
この、儚い小さな火の花の美しさに。
「むぅ…火の玉落っこちちゃった」
「あー、チカさんにはちょっと難しかったか」
「じゃあ、こっちをやってはみませんか?」
「あ、持ち手が棒になってる線香花火と似た感じの奴ですね。なんて名前の花火だったっけ…う、袋に書いてない。…えーと、これも線香花火は線香花火でいいんでしたっけ?」
「…考えてみれば花火の名前って、線香花火とねずみ花火くらいしか意外とすぐに出て来ないわよね。目の前に出されると、ああ、あれねってわかるけど…特に 袋とか花火本体に名称書いてないこともあるし…確かにこれって何だったっけ。線香花火じゃなくて別に名前聞いたことある気もするんだけど私もど忘れし ちゃった」
「…それだと火の玉落ちない?」
「落ち難かったとは思いますよ」
「じゃあそれやってみるんだよ! 今度こそっ!」
「頑張れー。って勇太君それもうさすがに無理じゃない?」
「…もうちょっと行けると思うんだけど…ほら、少しだけどまだ」
「あ、ホントだ」
「……凄く長持ちするのもあるんだね」
「コツもあるけど運もある。火薬の量とか紙の巻き方とかが微妙に違ったりしてるんじゃないかなーって場合もあるから」
「……そうなんだ」
「火の玉が大きくできるとちょっと期待しちゃうけど、そういうのって同時に落っこち易くもあるし難しい。…他愛もないことなんだけど、落っこちると何だか結構ショックなんだよね」
「…うん。でも今度のはきれいなの。落ちないの♪ ほら!」
「おおー。よかったねチカちゃん♪」
「うにゃん♪」
「楽しんで頂けて何よりですよ。…用意した甲斐がありました」

線香花火をこっそり用意する。…本当に、ちょっとしたことなのだけれど。そこまで喜んでもらえるなら、用意した方としても嬉しくなるもので。ヴィルヘル ムは弥生と目配せをし、微笑み合う。葵もまた改めて次に火を付け、線香花火の儚い瞬きをまた体感。慣れた様子の勇太や弥生も勿論、どうにも最後まで線香花 火を持たせられなかった千影もまた、何とか上手く楽しむ方法を見付けられて。
勿論、ヴィルヘルムもまた、日本ならではのこの繊細な花火を、楽しむことができている。花火をと言うだけではなく、花火を囲んでの、今のこの状況にも。
皆でそんなささやかな時間を共有しつつ、夏の夜は静かに更けていく。

そして、線香花火の後始末も、食事の片付けも確りと皆で手伝ってから。
葵は改めて、誘ってくれたハスロ夫妻に礼を言う。
今日は、楽しい思い出になりました。

…それは、葵だけのことではなく。
きっと、皆の思いも同じであって。

 

 

■epilogue

 

集う中、さざめく笑いとこの日の火花。
築かれるのは夏の思い出。
…ささやかな時を、いつかまた。

 

 

カテゴリー: 02フェイト, 深海残月WR |

紅の記憶~偽りの抱擁

「珍しいお客さんね。あなたたちってお家柄、私達みたいな仕事って嫌っているんじゃなかった?」
編集部に現れた二人の少女に、碇・麗香は意地悪そうに微笑んだ。対する少女――対になったような双子の少女達のうち髪の短い方、斎・瑠璃が負けず劣らず大人びた口調で。
「鳴絡銀行頭取の突然死、平坂学園校長の突然死、佐久間議員の突然死、これらの情報を渡すわ。だから手伝って欲しいの」
「その三件は全部心筋梗塞だの脳梗塞だのって発表されているけど……あなた達が情報を掴んでいるという事は『違う』のね?」
麗香の言葉に頷く瑠璃。彼女達の家系は退魔師であり陰陽師である。とすれば――
「私達の仕事を先取りした人がいるんだよ」
口を開いたのは長い銀髪に軽いウェーブをかけているもう一人の少女、斎・緋穂。この二人は二人で一人前だが、二人揃ったその力は一族のどの術者をも凌駕するという。
「霊障の調査に……大きな声じゃいえないけど呪殺の依頼。どれも大物からの、大物に対する依頼だったけれど、うちが対処する前に『やられた』の」
「ふふ。それが本当だとすればまるで宣戦布告ね」
瑠璃の言葉を受けて、足を組み替えながら口元を歪ませる麗香。
「そう、宣戦布告としか思えないのよ。次に狙われる人物は分かっているわ」
「若手俳優の壬生・龍司さんだよー。女性の霊にとりつかれているっぽいの……遊ぶだけ遊んで酷く振っちゃった感じがするから、私はその霊に同情しちゃうけど」
緋穂が差し出したのは芸能雑誌の切り抜き。いかにも遊んでますといった感じの軽薄そうな男が一人、写っていた。
「今までの傾向からいくと、私達が浄霊に行く前に彼は殺されちゃうわ。だから手を貸して欲しいの」
「霊障の取材って事で申し込んでみるわ。ホテルにでも確保しておけばいいわね?」
瑠璃の言葉に麗香は受話器を取る。

はたして彼を殺しに現れるのは――。

 

 


アトラス編集部のあるビルの前に佇むのは、全身黒尽くめの男。ある意味目立ってもおかしくない格好ではあるが、彼に視線を向ける者は少ない。それは都会の人々が急いでいるからだけではないようだ。彼が仕事柄、無闇に目立たぬような佇まいを修得しているからであろう。
「……」
彼が視線を向けずに、けれども注視しているのはアトラス編集部の入っているビルの入口。そのドアが開かれて『ある人物たち』が出てくるのを――。
「瑠璃ちゃん歩くの早いよー」
「緋穂こそ、もう少しキビキビと歩きなさい」
ビル内から出てきたのはそっくりの顔をした少女二人連れ。双子の彼女たちは声もそっくりのはずなのに、歳相応の甘ったるい声と少し大人びた声に聞こえるから不思議だ。
「……」
黒尽くめの男――フェイトは素早く反応し、ふたりがビルから離れる前にその前に立ちふさがった。ふたりが目的の人物たちであるに違いなかったからだ。
「ひゃっ」
「あなたは……」
髪の長い少女――斎・緋穂の方は突然のことに驚いたのだろう、小さく声を上げたが、肩口で髪を切りそろえた方の少女――斎・瑠璃は瞳に驚きを宿さず、むしろ眉をしかめてみせた。
「あなたは『そこ』の人間ね?」
「ああ」
瑠璃は『IO2』の名を言葉にしない。どこで誰が聞いているかわからない往来でのことというのもあるのたろう。フェイトにしてみれば賢明な判断を下したように見えた。片手でサングラスに手をかけ、それを取り去る。
「フェイトだ」
サングラスの下から覗いた優しさを隠しきれぬ瞳に安心したのか、一人事情を飲み込めていない様子の緋穂が少しほっとしたような表情を見せる。
「ねえ瑠璃ちゃん、『そこ』って……」
「もう……」
妹の理解の様子に呆れたようにため息を付き、瑠璃は緋穂の耳元で囁いてみせた。緋穂の目が大きく見開かれる。けれども次の瞬間彼女が表したのは――。
「フェイトさんってすごいんだね!」
まるで一般人や幼子のような無邪気な反応。その笑顔に思わずフェイトもつられそうになる。それを自制して、彼は口を開いた。
「今回の件ではこちらも動いています」
IO2でも斎家の術者は要注意人物としてマークしている。当然、斎家側もIO2のことはよく思ってはいないだろうが……それでもあえて。
「今回の事件では利害が一致しているのはわかりますよね? ですから、協力体制を取りたいのです」
「……協力体制、ですって?」
「待って、瑠璃ちゃん」
更に眉を吊り上げて何事か(きっとあまり良くないことだろう)を言いかけた瑠璃を制したのは意外にも緋穂だった。彼女は柔らかい口調で姉へと告げる。
「私たちは協力者を探していたよね。それが『そこ』の人ってことは実力もお墨付きだし、悠長に構えていられる案件じゃないことは確かなんだから、ここは協力するべきだと思うよ」
「でも」
向かい合った彼女たちは、髪型こそ違うがまるで合わせ鏡のようで。フェイトは第一印象で瑠璃のほうがすべてを判断して緋穂を動かしているのかと思ったが、それは違うようである。きっと彼女たちは彼女たちの均衡で成り立っているんだろう。
「目的達成を一番とする瑠璃ちゃんなのに、しがらみにこだわって最良のチャンスを逃してもいいの?」
「っ、それは……」
「というわけで、よろしく、フェイトさん!」
「ああ」
苦虫を噛み潰したような顔の瑠璃の一歩前に出て緋穂が差し出した右手を、フェイトは優しく握り返した。

 

 


麗香の手配によって壬生・龍司は都内の高級ホテルのスイートルームへと隔離されていた。当の本人にはストーカーから殺害予告が来たとでも伝えてあるのだ ろう。顔立ちは整っていて、その甘いマスクで女性ファンを増やしている彼は共演者食いやファンのつまみ食いという噂が時折囁かれていることを、フェイトも 資料で知っていた。
「なあ、俺はいつまでここにいればいいわけ?」
ルームサービスの高級料理を食べながら不満そうにこぼす龍司には全く危機感がなく、むしろプライベートの予定を潰されたことが気に食わないようだ。
「今のところ暫くの間、としか言いようがありません」
「つかえねーな、早くストーカーとやらを捕まえろよ!」
壁際に立ったまま答えたフェイトは、資料として見た彼のインタビュー映像を思い出していた。絵に描いたような好青年として支持を得ている彼は『演技』だったということなのだろう。おそらく業界では視聴者の望む像を演じるのは珍しくないのではないか。
「つーか、そんなガキ二人が役立つわけ? もう少し色気があるなら楽しめるんだけど」
「……」
フェイトとはやや離れた壁際に立つ双子にかけられたその言葉。この男は双子がもう少し歳を重ねていたら、退屈しのぎの遊び相手にでもするつもりだったのだろうか?
そんなことを言われても瑠璃と緋穂は別段反応を見せずに警戒と結界形成を続けているが、その見えない部分が傷ついているのではないかと思うとフェイトは浮かび上がってくる怒りを拳に握りしめた。
その時――。

「来たよ!」

緋穂の鋭い声が飛んだ。一般人の龍司や知覚能力に乏しい瑠璃にはわからないかもしれないが、フェイトにはわかった。緋穂が部屋に張った結界の外に、非常に強い恨みの念が近づいてきている。

ガッ……音にして表せばそんな感じだろう。恨みの塊となった霊魂は結界に思い切りぶつかって動きを止めた。

――……うじ……りゅ、じ……いるんでしょ……ねぇ、また……私を追い返すの……?

伝わってくるのは女性の声。念を向けられた龍司には声だけは聞こえるのだろう、絵に描いたように取り乱した彼は、怯えながらキョロキョロと声の主を探している。
フェイトは結界越しに女性の霊を見つめた。そしてテレパスで交信を試みる。

――あんたをけしかけたのは誰だ?
――私、動けなかったのよ……ずっと。でもね、動かせるようにしてくれたの。
――あんたを動かせるようにしてくれたのは誰だ?

恐らく恨みの念を増幅させられ差し向けられたのだろう。霊の殆どは恨みで占められていて、まともな会話が成立しない。やり方を変えたほういいかもしれない、フェイトがそう思案した時。

――……ふふ、私だけじゃないのよ……。

ぶわっ……!

総毛立つ感覚に霊の向こうを見れば、向かってくるのは大量の女性の霊。中には生霊も混ざっているようだ。
「ちょっと待って、この人こんなに女の人から恨まれるようなことしてたの!?」
緋穂が驚きの声を上げるのも無理は無い。部屋に張られた結界を取り囲むように集まった無数の女性霊――中には水子を連れたものもいる――が思い思いに恨みつらみを龍司へと語りかけ始めた。
「うわぁぁぁぁぁぁっ!? やめてくれ、やめてくれぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
心当たりがありすぎるからだろうか、怯え果てた彼はベッドに登り、布団の中に身を縮めた。そんなことをしても、逃れられるわけはないのに。
(でも、これだけいるならきっと)
フェイトは意識を集中させ、女性霊達の間に意識を飛ばして回る。会話が成立しなくても、彼女たちの中には彼女たちを使役した人物の残滓が必ず残されているはずだ。
(見えた!)
フェイトが知覚したのは和服の男女数人の姿。数人がかりで龍司に恨みを持つ霊や生霊を操っているようだ。ということは術者たちを操っている黒幕がいるはず。そこまで辿れるだろうか。
「――!?」
その先へと意識を進めようとしてフェイトが見たものは――、一面の紫色。
「紫……?」
「紫、ですって? 一体何を見たの?」
呟きに近いフェイトの言葉に反応したのは瑠璃だった。彼女に問われ、フェイトは見えた光景を話して聞かせた。これ以上辿っても紫色のヴィジョンを超えることができなそうだと判断したからだ。
「何か心当たりでもあるのですか?」
「……確実ではないけれど。私達に敵対している術者たちにいてもおかしくないわ」
瑠璃の言葉のすべての意味はわからない。けれども彼女が何かを知っているのは確かなようだ。
「――……。とにかく彼女たちをななんとかしましょう。緋穂さん、結界はまだ持ちますか?」
「うん。それはぜんぜん大丈夫だけれど……この状態じゃ払うしかないよね……」
少し悲しそうな緋穂。霊となった彼女たちはむしろ被害者なのだろう。フェイトとてできれば龍司を襲わぬように諭すことで場を収めたいと考えていたが、術者の干渉で恨みを増幅させられて暴走状態の彼女たちを諭すことはできなそうだ。
「ふたりとも、いけますか?」
「愚問よ」
符を取り出して臨戦態勢の瑠璃を見て頷き、フェイトも対霊用の弾丸を込めた拳銃を構えた。

 

 



緋穂がわざと一箇所だけ緩めた結界から、我先にと霊たちが入り込んでくる。フェイトと瑠璃は龍司が隠れているベッドの前に立ち、引き金を引き、または浄 霊用の符を投げる。霊からの攻撃に対しては緋穂がふたりに張った防護の結界が全て防いでくれていた。相手の数が多いだけに、攻撃に専念できることはありが たい。フェイトは素早く、しかし確実に弾丸で霊達を射抜いてく。
「意外とやるのね」
「これでも一応、エージェントなので」
瑠璃と軽口を交わし合う余裕もあった。生霊の鎮静と還魂は瑠璃に任せ、フェイトは暴走霊を撃ち抜き続ける。
(いったいあいつはどれだけの女の人を!)
その数の多さ、恨みの念の多さには驚きを通り越して怒りが湧いてくる。死しても静かに眠れないほど酷いことをした龍司を許せそうにない。

しばらくして、場に完全な沈黙が降りた。それが『終わった』証。
「あ……終わったのか?」
沈黙を破ったのは、もぞもぞととベッドから出てきた龍司だった。瑠璃と緋穂が何かを言う前に、フェイトは動く。

 

 

ドンッ!

 

 

龍司の襟首を掴んで壁にその身体を押しつけ、まっすぐにその瞳を睨みつける。フェイトの瞳に宿るのは、静かな怒りの炎。
「あんたは殺されても文句言えないことをしてきたんだ。それだけの人を傷付けてきた。二度とこんな目にあいたくなければ……生き方を改めるんだな」
掴んでいた手を離せば、龍司は咳き込みながら床に崩れ落ちた。彼に背を向け、フェイトは告げる。
「次も守ってもらえるなんて都合のいい考えは捨てておくんだな」
行こう――瑠璃と緋穂に声をかけて、フェイトはホテルの部屋を後にした。

 

 



スイートルーム専用のエレベーターが一階へと向かう。沈黙の中、エレベーターの駆動音だけが響いていた。
「わかっていると思うが、これからもあまり目立ったことをしてくれるな」
「そんなこと、あなたに言われる筋合いは――」

「――IO2エージェントとして、君らと対峙したくないんだ」

文句を紡ごうとした瑠璃の言葉を遮り、フェイトは1階へ到着したエレベーターから踏み出した。
「また一緒にお仕事したいな」
緋穂の無邪気な声が、黒いスーツの背中にかけられた。彼女が自分の背中に手を降っている姿が容易に想像できて、フェイトは前を向いたまま少し困ったように笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■

【8636/フェイト・-様/男性/22歳/IO2エージェント】

■         ライター通信          ■

この度はご依頼ありがとうございました。
初めて書かせていただくということで、大変緊張いたしましたが、少しでもご希望に沿うものになっていたらと願うばかりです。
詳細おまかせということでこのような形にさせていただきましたが、いかがでしたでしょうか。
この度は書かせていただき、ありがとうございました。

カテゴリー: 02フェイト, みゆWR |

停職エージェントの冒険(2)

給油を終えたところで、フェイトは思った。
やけにカラスの多い町である、と。
表記不能な、不気味な鳴き声を発しながら、上空を飛び回る黒っぽい鳥の群れ。
「カラス……なのか? あれ」
「不気味っすよねー。ここ1ヶ月くらい、こんな感じなんスよ」
ガソリンスタンドの従業員が、話しかけてきた。
「変な鳥どもが、変な声で鳴きながら飛び回りやがって。まったく気味悪いったら……俺もねぇお客さん、ありゃカラスとは違うんじゃねえかって思うんスよ」
「何で?」
「だってゴミ荒らしたりしねえもの。そりゃまあ、ありがたいっちゃありがたいんだけど」
「なるほど。変な声出しながら、ただ飛び回ってるだけ?」
「そう、飛び回ってるだけ。昼も夜も」
従業員が、声を潜めた。
「木とか塀とかに止まってるとこ、見た奴もいないんす。だから、どうゆう形した鳥なのかもよくわかんねえ」
「1ヶ月近くずっと、鳴きながら飛び回ってるだけか……」
1度も地上に降りる事なく、飛び続けていられる。そんな生き物は存在しない。
いたとしたら、それは鳥ではない。少なくとも、まっとうな生物ではない。
(また……妖怪絡み、か?)
停職処分である。
その間、日本各地を旅して妖怪を倒して回れなどと、命令されたわけではない。旅に出たのは、フェイト自身の意思によってだ。
アメリカにいた時にも、同じような事があった。何となくフェイトは、それを思い出していた。

 

奇怪な鳥たちは、町の上空全域を、渦巻くように飛んでいる。
その渦の中心に1軒、あまり綺麗ではない民家が建っていた。
気のせい、であろうか。次第に、その渦が狭まってきているように見える。
つまり、その民家の屋根に、鳥たちが集中し始めている。
奇怪な声を発して飛び回る、奇怪な生き物たちが、本当に鳥であるならばだ。
その家の前で、フェイトはバイクを止めた。
庭のある一軒家である。
あまり広くない、その庭が、ほとんど物置と化していた。ゴミ捨て場も同然、と言っていい。屋内のゴミが、溢れ出しているのだ。
中がどれほど汚れているか、外から見ただけでもわかる家。
その窓が開き、家主と思われる中年男が顔を出した。
血色の良くない顔が、じろりとフェイトに向けられる。
「……何か用かね。人んちの前、うろうろしてるみたいだけど」
「あ、いや……ええと、そのう」
IO2で習得したのは、ほとんどが戦闘技術である。怪しい人間を平和的に尋問する手法など、教わってはいない。
とりあえずフェイトは、愛想笑いを浮かべた。
「……庭、少し片付けた方がいいですよ?」
「あんた、この町の人間じゃないな? だったら出てけ! 用もないのに、俺んちに近づくなああああ!」
思いきり、窓を閉められた。窓ガラスが割れるのではないかと思われるほどの勢いだ。
フェイトは、頭を掻くしかなかった。
「やれやれ……」
「駄目よお、あの人に話しかけたりしちゃあ」
ご近所の主婦、と思われる中年女性が、話しかけてきた。
「この町でも、1番の有名人なんだから」
「ええと、それは……ちょっと問題のある人として、ですか?」
「はっきり言って、その通り。この1ヶ月で、いよいよひどくなっちゃってねえ。見ての通りのゴミ屋敷だけど、これでも片付いたのよ? 前は道の方までゴミが溢れ出してたんだから」
話し好きな中年女性から、フェイトは少し情報をもらう事にした。
「お仕事は、何をやってらっしゃる人なんですか?」
「さあ……勤めては辞めての繰り返しで、ここ何年かは奥さんに養ってもらってたみたいだけど」
「奥さんが」
「ええ。旦那さんは見ての通りだけど、奥さんはちゃんとした人でねえ。私たちとも普通に話してくれるし。あら、でもそう言えば……ここ1ヶ月くらい、顔見てないわねえ」
「1ヶ月ですか……」
表記不能な鳴き声を発しているものたちを、フェイトは見上げた。
この奇怪な鳥たちが、町の上空を飛び回るようになったのも、1ヶ月前からであるという。
「まあ、しっかり者で綺麗な奥さんだったし。きっと旦那に愛想尽かして、出てっちゃったのね」
中年女性が、能天気な事を言いながら、同じく空を見上げた。
「……やっぱり気になる? 本当に、気味悪い鳥さんよねえ」
「鳥……なんでしょうか、本当に……」
表記不能な鳴き声に、フェイトはじっと聞き入ってみた。
いつまで、いつまで……そう叫んでいる、ようでもあった。
 
鍵のかかった扉を、フェイトは蹴り破った。
様々なゴミを押しのけ踏みつけ、無理矢理に上がり込む。
「な、何だお前! 勝手に」
言おうとする中年男の胸ぐらを、フェイトは掴んだ。
「……あんたの奥さん、どこにいる?」
「な、何言ってやがる! 関係ねえだろ……」
胸ぐらを掴み、引きずりながら、フェイトは歩いた。
どこにいるのか、この男に口を割らせるまでもない。
ごまかしようのない死臭が、漂って来ているのだ。
「不法侵入だぞ!」
わめく男の身体を、フェイトは部屋の1つに押し込んだ。
寝室、と思われる部屋。
その中央に、かつてこの男の奥方であったと思われるものが横たえられている。
「不法侵入か……なら、警察呼びなよ」
尻餅をつき、青ざている男に、フェイトは微笑みかけた。身を屈めて目の高さを合わせながらだ。
「どうした? 110番って、電話代払ってなくても繋がるんじゃなかったっけ。そんな事ない? まあいいや、俺のスマホ貸してやるからさ。ほら、警察呼びなよ」
「お……俺は、悪くない……」
男が、うわ言のように呻いた。
「この女が、悪いんだ……稼いでるからって、偉そうに」
呻く男の口元に、フェイトは蹴りを叩き込んでいた。
この夫婦には、子供はいないようである。
化け物じみた能力を使って、父親の暴虐から母親を守る。そんな子供は、そうそういないという事だ。
「お前……ここが日本で、良かったな」
のたうち回る男の顔面を、フェイトは思いきり踏みつけた。
「俺、昔インドでさ。お前みたいな奴を」
殺した事がある。そこまでは口に出さず、フェイトは踏みにじった。
男の絶叫が、無様に潰れたまま響き渡る。
自分の父親も、こんな悲鳴を発していた。そんな事を、フェイトは思い出した。
突然、天井に穴が空いた。
鋭利な刃物のようなものが一瞬、見えた。
刃物ではない。巨大な生物の、爪である。
その爪が、天井と屋根を、一緒くたに剥ぎ取っていた。
フェイトは見上げた。
翼ある巨大な怪物が、そこにいた。凶悪に歪んだ人面が、こちらを見下ろしている。
人面を有する鳥。いや鳥と言うより、始祖鳥に近いか。巨大過ぎて視界に入りきらないのだが、どうやら大蛇の如くうねる尻尾があるようだ。
同じような姿をした、しかしずっと小さな飛行生物たちが、巨大な人面始祖鳥の頭上に、背中に、翼の上に、雀のように降り立って止まる。そして吸い込まれ、融合してゆく。
この1ヶ月、奇声を発しながら町の上空を飛び回っていた生き物たちが、集合・融合し、人面始祖鳥の巨体を成しているのだ。
その人面が、フェイトに踏まれている男を、ゴミの中に横たわる屍を、燃え盛るような両眼で見据えている。見据えながら、吼える。叫ぶ。
いつまで、いつまで。フェイトには、やはりそう聞こえた。
「以津真天……か」
IO2日本支部に、出現・戦闘記録が残っている。
死んだ人間を、弔いもせずに放置しておくと現れる妖怪。
「いつまで……だそうだ。おい、聞いてるか?」
潰れた悲鳴を漏らす男の顔面から、フェイトは足をどけてやった。
「お前、自分の奥さんを……いつまで、このまま放っとくつもりだ」
男は答えない。いや何か答えたのかも知れないが、聞き取れない。聞き取れぬ泣き言を垂れ流しながら、弱々しくのたうち回るだけだ。
フェイトは舌打ちをした。そして以津真天を見上げ、語りかける。
「旦那さんは、警察に突き出しておく。あんたのご親族にも連絡して、ちゃんとお葬式をやってもらう。そんな事で、あんたの無念が晴らせるとは思っちゃいないけど……」
のたうち回る男の身体を、フェイトは無理矢理に引きずり起こした。
「何なら、もう2、30発……死なない程度にだけど、ぶん殴っておくからさ。それで勘弁してやれない? かな……駄目かな」
以津真天の巨大な爪が、襲いかかって来た。男を、フェイトもろとも掴み裂く勢いだ。
フェイトは念じた。
本来ならば、この男に叩きつけるべきものが、念に籠もった。
人面始祖鳥の巨体を見上げる両眼が、緑色に輝き燃え上がる。エメラルドグリーンの眼光が、念動力を宿して迸る。
以津真天は、砕け散った。
巨大な人面始祖鳥の異形が、まるで幻影であったかのように消えて失せた。
幻影などではなかった事はしかし、屋根も天井も剥ぎ取られた、この家の有様を見れば明らかである。
男はまだ、何やら聞き取れぬ事を呟いている。その目は、妻の屍を見つめていながら、何も見てはいない。
もしかしたら正気を失っているのかも知れない。このまま警察に突き出しても、心神喪失という事で無罪になってしまうかも知れない。
「2、30発ぶん殴っても、許してくれないってさ」
言いつつフェイトは、思いきり膝を叩き込んだ。
男の身体が前屈みにズドッ! とへし曲がり、倒れ、ゴミの中で痙攣する。死んではいない、はずであった。
「だから、1発だけで勘弁してやる……頭がおかしくなったまま、無様に生き続けろ」
あの男も、こんなふうに無様に生き続けているのかも知れない。
それだけを、フェイトは思った。

カテゴリー: 02フェイト, 停職シリーズ, 小湊拓也WR(フェイト編) |

停職エージェントの冒険(1)

田舎の人間は素朴で人情がある、なんて思ってる連中が東京にはいるようだが、とんでもない話だ。
狭い場所で足を引っ張り合い、陰口を叩き合う。それが田舎者という人種である。
いわゆる村社会というやつだ。
こんな山に囲まれた場所に引きこもって生きていると、どうしても、そういう人間になってしまうのだろう。
本当に、そういう連中ばっかりだった。
誰も、兄貴を助けようとしてくれない。
俺の兄貴は、村の近くの工場で働いていた。
そこで彼女を作り、毎日のように部屋でイチャイチャしていた。
俺の部屋と兄貴の部屋は同じく2階にあり、隣り合っていて、しかも壁があまり厚くない。
弟としては正直、勘弁してくれと思わない事もなかったが、とにかくあの日も兄貴は彼女と、部屋でよろしくやっていた。
そこを、高女様に覗かれた。
高女様に目をつけられた。その噂は、あっと言う間に村じゅうに広がった。
俺の家は、孤立した。
村の連中は、俺の親父ともお袋とも口をきかなくなった。当然、兄貴や俺ともだ。
兄貴の彼女だった女も、家に寄り付かなくなった。
今日、駅前で見かけた。別の男とイチャイチャしていた。
兄貴は今、1人きりで部屋に引きこもっている。
家の中の空気が最悪なので、俺は今、この連中と一緒にいる。
「心配すんなって。高女様なんてのぁ、ただの都市伝説だろ? 都市っつーか、ここは田舎だけどなあ」
「何女様だか知らねーけどよォ、女には違ぇねえべ。ひん剥いて撮るっきゃねえよ」
東京の人間には『田舎のヤンキー』と一括りにされてしまうような輩である。村のはみ出し者と言うか鼻つまみ者の集団で、俺もまあその一員だ。
ろくな事をしない一団ではあるが、学校で誰も口をきいてくれなくなった俺と、こんなふうに普通に話してくれる連中でもある。
深夜。村でただ1軒のコンビニの前に、俺たちはバイクを止めて溜まっていた。国道を、特に意味もなく一走りしてきたところである。
「俺、おめえの兄貴にゃ世話んなった事あっからよ。高女様なんての、どうせストーカーか何かだべ? そんなん俺が追っ払ってやんから」
「……ま、そんな女の事ぁどーでもいいけどよお」
いくらか照れ臭くなったので、俺は話題を変えた。
「許せねえのは、あの野郎だよ。ナメくさったまんま逃げやがって」
「さっきのアレか。明らかによォ、俺らの事バカにしながら走ってやがったよなああ」
国道で、1台のバイクに追い抜かれた。
ただそれだけの事が許せない。そこが、俺たちという人種の救い難いところである。俺も頭ではわかっているのだ。
「今度会ったらよぉ、みんなで囲んでボコるっきゃねえべ。ま、くれるモンくれたら許してやってもいいけどな」
「けどよぉ、ありゃあんまり金持ってなさそうじゃね?」
俺たちの会話がそこで止まったのは、バイクが1台、駐車場に突っ込んで来て止まったからだ。
俺たちが転がしているものと大して違わない、恐らくは400cc。
黒ずくめの男が、ひらりと片脚を上げ、降りて来る。その動きは、まあ様になっている。
黒のツナギに、黒のフルフェイス。
登山者のような大きめの荷物を背負っているのが、ダサいと言えばダサい。
間違いなかった。
国道で、颯爽と俺たちを追い抜いて行った男である。
「おう! おうおうおう! 待てや兄ちゃん!」
俺たちの中で最も血の気の多い奴が、さっそく絡んでいった。
「さっきはよォ、『俺は風』ってな感じのスカした走りで俺らをバカにしやがってよぉおお! わざわざブチのめされに戻って来たんかオイごるぁあ!」
「……ああ、さっきの」
コンビニ店内に入ろうとしていた黒ずくめが、ヘルメットを脱ぎながら言う。
若い、と言うよりガキっぽい素顔が現れた。高校生の俺たちの方が、下手をすると老けて見える。
「あんなフラフラした走り方じゃ事故るぞ。気を付けろよ」
言いつつ店に入ろうとする、そいつの目の前に、俺は回り込んだ。
「……オシャレなカラコンしてんじゃねえの、兄ちゃんよォ」
「カラコンじゃないんだけどなあ」
カラーコンタクトとしか思えない緑色の瞳で、困ったように俺たちを見回しながら、そいつは苦笑している。
「ブチのめされに戻って来たわけじゃないよ。ちょっと気になるものが視界に入っちゃったんでね……この近くにさ、お札を大量に貼った家があるよな? 壁とか窓とか屋根にもベタベタと。あれって」
「悪かったな、俺んちだよ!」
叫びながら、俺はそいつに殴りかかっていた。
あっさりと、かわされた。
「お、おい待てって……」
何か言おうとするそいつに、全員が襲いかかる。
あらゆる方向から殴りつけ蹴りつけ、だが逆に殴られ蹴られ、1人また1人と倒れてゆく。
そいつが、ふわりと動きを止めた。空手の、残心というやつに似ている。
「ごめん、ちょっとやり過ぎた……と思うんだけど、まだやる?」
「い、いえ……すびばせんでじたあぁ……」
俺以外の全員が、そいつの足元で土下座をした。ボコボコに腫れ上がった顔を、涙でぐしゃぐしゃにしながらだ。
そいつが、軽く溜め息をついたようだ。
「俺も割とキレやすい方だから、偉そうな事は言えないけど……程々にしとけよ」
緑色の目が、ちらりと俺の方を向いた。
「……で、何があった? 話してみろよ」
「な……何で、テメエなんかに」
「警察に頼れないような事なんだろう?」
ガキっぽい顔で、そいつはニヤリと笑った。
「あんなお札で退散してくれる妖怪なんて、この国にはいないぞ」

 

 

フェイトより1つ2つ年下と思われる若者が、部屋の片隅で膝を抱えている。そして、よく聞き取れない何事かを呟いている。
虚ろな目は、ぼんやりと窓を見つめていた。
窓の向こうにいる何者かと、会話をしている。そんな感じだ。
当然、窓の外には誰もいない。ここは2階である。
「兄貴……」
コンビニの前で出会った少年が、声をかける。
若者は、何も応えない。弟がそこにいる事にさえ気付いていない。
「何とか、なんのかよ……」
少年がフェイトに、泣きそうな顔を向けた。
「あんたがバカ強えのは、わかったよ……だからって兄貴を助けられんのかよおお!」
フェイトは何も言わず、ただ念じた。
両眼が、淡く緑色に輝く。
精神共有。サイコネクション。
まずは、この若者が見ているものを、しっかり確認する必要がある。
「……あんたが高女様か」
フェイトは、とりあえず声をかけた。
若者がぶつぶつと会話をしている、その相手が、窓の向こうにいる。
ひび割れたように血走った、巨大な目。鼻梁の一部も見える。
とてつもなく巨大な、そして醜悪な顔面が、この部屋を覗き込んでいるのだ。
少年が、不安げな声を発する。
「え……高女様、って……まさか……」
「ああ、そこにいる。見えないんなら無理に見る事もない!」
叫びに合わせ、フェイトの両眼がエメラルドグリーンの光を燃やす。
窓ガラスが、砕け散った。
念動力の波動が、高女様の眼球を直撃していた。
少年が、悲鳴を上げる。
「なな何だ、何なんだよぉおおお!」
「ごめん、ガラスは弁償するから」
言い残し、フェイトは壊れた窓から身を躍らせた。
そして深夜の路上に着地しつつ、前方を見据える。
高女様が、倒れていた。
先程までは2階の部屋を覗き込むほどに巨大であった姿が、今は細く小さく見すぼらしい。
辛うじて女性とわかる体型をした、白い人影。少女のようでもあり、老婆のようでもある。
それが、よろよろと立ち上がった。
弱々しい片手で、重そうな鉈を頼りなく構えている。
「……あやかし荘に、物知りな座敷童がいてさ。俺、いろいろと教えてもらったんだけど」
フェイトは言った。
「高女っていうのは、男と縁がないまま死んじゃった女の人の……成れの果て、なんだって?」
返答代わりに鉈を振り上げ、白い人影が襲いかかって来る。
フェイトは避けず、構えず、ただ見据えた。
緑色の眼光が、念動力を宿しながら激しく迸る。
「そんなに、男が欲しいのかよ!」
白い人影は砕け散り、消えて失せた。
「そんな気持ちだけで、男と一緒になったってな……嫌な事にしか、ならないんだぞ……」
もはや、届かぬ声であった。
異形のものと成り果てた女の魂は、砕け散って消滅し、ようやく平安を得たのだ。
泣き声が、聞こえた。
2階の部屋で、若者が泣きじゃくっている。
「兄貴がよ、正気に戻っちまった……助かった、って事だべ?」
弟である少年が、いつの間にかそこにいた。
「ま、あんがとよ……何かよくわかんねーけど」
「わかる必要はないさ。じゃ、俺はこれで……っと、ガラス弁償しないとな」
「いいって、そんなん。助けてもらった代金だと思えばよ」
「そうはいかない。仕事でやったわけじゃないからな、代金は受け取れないんだよ」
仕事は現在、停職中である。
独断専行のペナルティとしては、まあ軽いものであった。

カテゴリー: 02フェイト, 停職シリーズ, 小湊拓也WR(フェイト編) |

幕間

たった数日前のことでも増えていく日常にどんどん上書きされ記憶は薄らいでいく。当事者ならともかく何があったのか詳細も知らされず知りようもない人々の 無責任な憶測が飛び交うだけの事件なら尚更、個人の中での重要度が増すべくもなく埋没してしまうのは致し方のない事なのだろう。
あの日、東京13地区第6エリアに突如現れた謎の塔。それがトップニュースで報じられたのも最初の1週間ほどで、1ヶ月も過ぎた今となっては思い出す人も殆どなく東京の街は今日も人ごみでごった返していた。
東京11地区第2エリア――通称原宿で、神無月真衣は行き交う人々にもみくちゃにされながら改札を抜ける。
「はわわ~っ」
あれから毎日とんでもなく忙しかった。所員の半数が入院していたこともあって人手不足のところに、事件の後処理という膨大な仕事が横たわり、中でもマスメディアへの対応が最も負担と精神的疲労を強いられた。
日が経つにつれ退院した者達が順次仕事に復帰した事で、ようやく平常に戻り、晴れて3週間ぶりに真衣は休暇を取ることに成功したのである。
20日間連続勤務なんてどこのブラック企業か。
とはいえ、状況が状況だっただけに仕方がない。
今日はそんな日頃のストレスをまとめて発散すべくショッピングに訪れた真衣だった…のだが。
目の前に広がる極彩色に真衣は無意識に道の端に寄っていた。若い子がいっぱい過ぎる。この場違い感が如何ともしがたい。
思い切ってやってきたのはいいが、早速、怖じ気気味の彼女であった。怪しにもここまで怖じ気付く事はないのに、エネルギッシュな町並みに圧倒さ れると真衣は、当初の爆買いしてやる! という意気込みが空気の抜けていく風船のように瞬く間にしぼんでいくのを感じながら人の少ない裏通りへと足を進め ていた。
「……」
当初の目論見から外れつつあるが、こんな休日もいいだろう、と自分に言い聞かせる。
喧噪も少なく静かな通り。それでもここが都会だと感じるのは、雑居ビルの合間に洒落た店が点々とあるせいかもしれない。
ビビットカラーの輸入雑貨が並ぶ店、可愛く落ち着きのあるアンティークショップ。
可愛い小物達に足を止める。そこにあるお弁当箱に目を止めて真衣はテントウムシの描かれたその蓋をそっと撫でた。
だが、脳裏に浮かんでいるのは別のものだ。
フェイトのお見舞いにお弁当を届けた。
事件の後、フェイトは『ありがとう、真衣』と名前で呼んでくれたのだが、結局、お見舞いに行った時には神無月に戻ってた事を思い出す。
もう一度呼んでくれないかな、と思って想像して頬を赤らめる。火照った頬をクールダウンさせるべくぺちぺちと叩いていると、他の客から変な顔をされた。
しかし。
フェイトのお見舞いも結局最初の日にお弁当を届けに行けたあの1回こっきりだけである。その後、多忙の目を盗んで1度、病院に行った時は既に退院していて、後で人伝に彼が通常任務に戻っている事を知らされた。
もちろん、彼が今担当している任務が何であるのかなど聞いたところで教えてもらえるべくもなく、目の前の仕事に埋もれる他なかったのである。
「フェイトさん今頃…どうしてるんだろう…」
任務中だろうか。怪異と戦っているのかもしれない。この東京のどこかで。
見上げた空は澄んだように青い。
柔らかな風にどこか誘われるようにして、そこで真衣は振り返った。
「!?」

 

▼▼▼

 

「ったく、俺にどうしろってんだよ」
観葉植物の緑に囲まれたオープンカフェのカフェテラスで、運ばれてきたコーヒーカップから立ち上る湯気を見つめながらフェイトは珍しく悪態を吐いた。
いや、どうしろと誰かが命令したり強要するものではない。自分がどうするのか、どうしたいのか、が問題だった。
フェイトはぼんやり上官との会話を思い出す。

 

 

「知ってたんですよね?」
そう切り出したら何故か胸を張ってフェイトの上官は答えてみせた。
「ああ、もちろん」
「……!!」
予測していた答えの筈なのに思わずカッとなる。このまんまとはめられた感をどうしてくれようか。
「だが、使ったのはお前らだろ?」
フェイトの内心の憤りを知ってか知らずか、上官はシレッと言ってみせた。
「あの時は仕方なかったんです」
フェイトはどこか吐き捨てるような口調で言った。そうだ、仕方がなかった。あの力を借りる他に恐らくあれを止める事など出来なかったろう。あの13地区第6エリアで起こった小さくも大きな覚醒劇。
真衣が神殺しの剣を内包していたこと。そしてそれを使わざるを得なかったこと。
「ああ、そうだな」
上官は手にした紙コップの少なくなったコーヒーを手持ちぶさたなのかくるくると回しながら、あの日の事を思い出すようにしみじみと頷いた。
「……」
上官もわかっているのだ。ならば、自分のこれは八つ当たりなのだろう。フェイトは自嘲気味に俯く。
やがて。上官がゆっくりと口を開いた。
「だが、これで神殺しの剣の存在は日本中に知れ渡る事になった」
「そうですね」
一般には伏せられようとも蛇の道は蛇、という事だろう。
「これから、その力を欲するあらゆる組織が、人、妖、関係なく集ってくるだろうな」
上官の重苦しい物言い。わかっている。わかっているからこそ、フェイトは今回の件について憤りのようなものを感じていたのだ。だけど。
一つため息を吐くとフェイトは窘めるような、それでいてどこか明るい声で返していた。
「他人事みたいに言わないでください」
IO2という組織は世界の怪異から人々を守るために作られた組織だ。
フェイトの言に顔をあげて上官が微笑む。
「他人事なんかじゃないさ」
それから、きっぱりとした口調ではっきりと宣言するみたいに続けた。
「うち(IO2)は手放すつもりはない」
上官がフェイトを見据える。
その後に続く言葉に気づいてフェイトは咄嗟に言葉を飲み込んだ。
「賛同してくれると思ったんだが」
無言を返したフェイトに上官は大仰に驚いた顔をしてみせる。フェイトはまた、ハメられた事に気づいて盛大にため息を吐いた。
「はぁーっ…、だから俺なんですか?」
「そうだ。だからお前さんだ」
神殺しの剣に関するサポートをIO2全体で行う、というのではなく、フェイト1人で、という事だ。後に続く言葉はこうだろう、“手放すつもりはないから、よろしく頼んだぞ”。
「それにお前さんも放っておけないだろ? 何せ、彼女に弁当作らせて病院まで運ばせてたって話じゃないか」
「なっ…!?」
別に作らせたわけではない。あれはお礼にと彼女の方が…。言い訳を考えながら睨みつけると上官は小さくホールドアップして言った。
「そんな怖い顔するなよ、冗談だ」
それから小さく息を吐いて続けた。
「まぁ、今すぐ結論を出す必要はないさ。正直、お前さんに頼みたい案件は他にも山のようにあるからな。だから、まぁ…一応、考えといてくれ」
「……」
フェイトは目を伏せる。いっそ命令してくれた方が楽なのに、選択権を委ねられてしまった。
「俺としては神無月を頼みたい」
「それは神無月を、ですか? それとも神殺しの剣を、ですか?」
「どっちも、だ」
上官はふと、娘を案じる父親のような顔をして続けた。
「彼女の力は諸刃の剣だからな」
「……」

 

 

珍しくあの上官が、「全ての責任は俺が負う」と言った。どちらを選択しようとも。否、神殺しの剣に関連してどんな事件が起きようとも、というべきか。だから、好きにしていい、と。
フェイトはゆっくりと息を吐きだした。
そうしてコーヒーを一口、喉の奥へ流し込む。今日は久しぶりの休暇だ。ゆっくり考えよう。
心地よい風に身を委ねてちょっと遅いモーニングトーストにかぶりつく。その時だ。
「フェイト…さん?」
ベンジャミンの向こう側、通りの方から聞き知った声がして振り返った。慌ててトーストを飲み込んだせいで若干咽せそうになりながらフェイトはその名を口にする。
「神無月…」
▼▼▼

 

「あ、おはようございます。仕事ですか?」
真衣は小さく頭を下げながら尋ねた。頭を下げたところで視界に飛び込んできたコットンパンツに、もっとお洒落してくるんだったーと内心で絶叫す る。一応、原宿に出かけるという事で普段着よりはそれなりの恰好をしているわけだが、さすがにこれはない。フェイトと会えるとわかっていたら…。いっそ声 をかけない方がよかったかしら、などとと脳内は若干パニックだ。
「いや、今日は休暇なんだ。神無月もか?」
「あ、はい」
頷く真衣にフェイトが「そうか」と返す。
「……」
このまま別れてしまうのは勿体ない。聞きたいことも山のようにある。しかし、いきなり質問責めもどうなんだ、と思うと切り出す言葉が見つからなくて、微妙な空気と共に沈黙が横たわった。
「あの…えっと…」
必死に言葉を探して何とか場を繋ごうと頭をフル回転させていると、同じように沈黙に耐えられなかったのかフェイトの方から声をかけてくれた。
「よかったら、座らないか?」
「あ、はい!」
フェイトに促されるまま向かいの席に着く。朝食は食べていたので真衣はコーヒーだけを頼んだ。しかし、もう11時を回っているのに朝食なのか。
真衣はフェイトがトーストを頬張っているのを眺めながらコーヒーを啜った。男らしくトーストの4分の1を一口で平らげる。お弁当も気持ちいいほど豪快に綺麗に食べてくれてたな、などと思い出した。
「あれから、どうだ?」
フェイトが尋ねた。
「毎日、仕事が忙しく、ずっと仕事していました」
「そうか」
「今ようやく休暇が取れたんです。それで、たくさん買い物しようと思って出てきたんですけど、人混みの中を歩くの、あまり得意じゃなかったみたいで…」
「ははは、人を避けてる内に何もないところで転びそうだな」
「あ、酷いです! 今日はまだ、転んでないですよ」
「まだ、なんだ?」
「ま、まだです…」
それから真衣は、雑貨屋などの話から弁当箱の話まであれこれ話した。
もしかしたら、フェイトは神殺しの剣の事を聞きたいのかもしれない。真衣もいろいろ聞きたいと思っている。消えてしまった神殺しの剣がどうなっ たのか自分でもよくわからない。自分の中にあった時から感じる事も出来なかったのだから、自分の中に戻っていたとしても気づける自信はなかった。フェイト はあの剣の事をどこまで知っているのだろう。そもそも知っていたのだろうか。剣に誘われていただけなのか。あの13地区で起こった事件はもしかしてあの剣 のせいなのでは。
考えれば考えるほどわからなくなって、どこから話せばいいのかわからないまま、気づけば世間話を夢中で話していた。
「何もなかったなら、いい」
真衣の話にどこか考える風で聞いていたフェイトが最後の一口をコーヒーで流し込みながらそう言った。
「何か、あるんですか?」
不安げに尋ねた真衣にフェイトは柔らかい笑みを返す。
「何もないよ」
「……」
フェイトが何を考えているのかわからない。恐らく聞いても答えてはくれない。それを寂しく感じながら真衣は思い切って立ち上がった。
「今日、フェイトさんもお休みなんですよね?」
「ああ、そうだけど」
「だったら、買い物に付き合ってください!」
この後のフェイトの予定も確認せずに尋ねて、内心で失敗したかなと思った真衣にフェイトは自分の顔を指差しながら「え? 俺?」と聞き返した。
「はい!!」
元気よく応えた真衣に、フェイトはしょうがないな、という顔を少しだけして頷いた。
「…わかったよ」
▼▼▼
「う…嘘でしょ!?」
真衣は全身の血の気が引いていくのを感じた。無意識に生唾を飲み込む。深呼吸すると人工的なキンモクセイの香りが肺いっぱいに広がって複雑な気分になったが、そんなことを気にしている場合ではない。焦る気持ちを落ち着けて真衣はファスナーに手をかけた。
……。
――ダメだ。上にも下にも動かない。
真衣はトイレの個室で泣きそうになる。
せっかくこの広い東京でたまたま出会い、たまたまお互い休暇中で、一緒に買い物が出来る事になったという、この奇跡が起こったというのに。よりにもよって、何故、今日、今、この時にズボンのファスナーが壊れるのか。
トイレの蓋を閉じ蓋の上に座りこんだ。
――どうしよう。
まさかファスナー全開でトイレを出るわけにもいかない。女子トイレでフェイトに助けを求められるべくもないが、そもそも恥ずかしすぎてこんな事言えるわけがない。何か前を隠せるものがあればいいのだが、こんな日に限ってカーディガンやショールなども持ってきていない。
そして、女性の嗜みソーイングセットが鞄に入っていない!!
自分のドジっこぶりをもう少し考慮しておくべきだった。よもやこんな事になろうとは。
だが、こうしていても拉致があかない。何とかファスナーを閉めなければ。噛み合わせを一つづつ丁寧に……。
――ビクともしないんだけどー!!
内心で絶叫。

 

そうして真衣がトイレでファスナーと格闘している頃、当然の事ながらトイレの前のベンチで真衣を待っていたフェイトは、時計を見ながら首を傾げていた。
――ちょっと遅くないか?
真衣の後から入った女性が次々に先に出てくるのだ。それを5人まで数えてさすがに不審に感じる。
女性の事にはそれほど詳しくないし、時間のかかる事もあるかもしれないし、あまり急くのもよくないとはわかっているが、体調を崩していたら心配 だし、それ以上に彼女には神殺しの剣の一件もあって、それを狙う者達に襲われる可能性があるのだ。正直、神殺しの剣がどうなったかはわかっていない。だ が、彼女の中にあろうがなかろうが大した問題ではないだろう。あると思った奴らが彼女を狙う。
今までは、仕事が忙しくてと話していた。ずっと結界の張られているIO2ビルの中にいたのだろう、それで何事もなく日々を送っていただけかもしれない。
もっといろいろ聞いておけば良かったか。しかし楽しそうにショッピングの話や弁当の話をしていた真衣のせっかくの休日に水を差すのもはばかられたのだ。
男子トイレの広さや店の間取りから考えて個室は3つぐらいある感じか。常に列があるし、人の目もある。大丈夫だと信じたい。とはいえ、個室の中は一人きりだ。
やはり何かあった可能性も…。
意を決して立ち上がる。
だが、中を伺おうにも、女子トイレの入口に近づいただけで飛来する女性の視線に踵を返すのが精一杯だった。中を覗くなんて無理過ぎる。
――困った…。
ベンチに戻ってスマホを取り出す。そうして気づいた。彼女の番号がわからない。逆に言えば、彼女もまた、フェイトに連絡を取る手段を持っていないという事だ。休暇中に仕事用の無線を持ち歩く奴もそうはあるまい。
――何か方法は…。

非常ボタン? この恰好で? 恥ずかし過ぎる!!
――さ、さすがに、そろそろ出ないと心配されるよね。
まさか、呆れて帰ってしまっていたら、と思うと寂しくもあるが、こんな事に付き合わせるくらいなら、いっそその方がいいかも、などとネガティブな思考に惑いながら真衣は打開案を模索する。
お尻にフィットしたパンツはボタンを閉めても全開で真衣は鞄の中をかき回した。何かないものか。いっそトイレットペーパーでも巻き付けようかとバカな事も考えた。最終手段としてまだ候補に残っている。
スカートのように脇だったら良かったのだが。ハンカチでは小さすぎるし、髪留めでは留まらないし、やっぱりトイレットペーパー…と思っている時だ。
「あのー、神無月真衣さんですか?」
ノックの音と共に女性の声がした。落ち着いた雰囲気の声だ。
「あ、はい!」
名前を呼ばれて返事をする。
「外で待たれてる方に頼まれたんだけど。何か、ありましたか?」
どうやら、フェイトが心配して通りすがりの女性に声をかけたらしい。
「あ…あの…その…パンツのファスナーが…壊れ…て…」
真衣は恥ずかしさに段々声を小さくしながらそれでも頑張って答えた。
「あら、それは大変ね。ちょっと待って」
女性の声と共にガサゴソと紙が擦れるような音がする。
「さっき買った安物だけど、上から入れるわね」
言葉通りにトイレのドアの上から袋が見える。
「すみません、ありがとうございます」
真衣が受け取った袋を開いてみると中にはモスグリーンのカーディガンが入っていた。
「ごめんなさいね、おばさん臭い色で。横に巻いたらどうかしら」
「いえ、そんな、すみません! ありがとうございます!」
真衣はカーディガンを腰に巻くと横で結んで右半分から前が隠れるようにして、ようやくトイレの個室を出た。
そこに、40代半ばくらいの女性が立っている。
「本当にありがとうございます! 助かりました。あの、これ、いくらですか?」
素早く手を洗い財布を開きながら尋ねると、女性は優しい笑みを返して真衣をトイレの外へと促した。
「いいのよ、いいのよ、本当に安物だし。それより早く待たせている彼に顔を見せてあげたら? 心配していたわよ」
「あ…でも、せめて…」
フェイトを待たせている事も心配させていることも重々にわかっている。真衣はとりあえずお札を数枚に名刺を添えて女性に渡した。
「貰ってください!」
半ば押しつけるように渡すと、女性は困惑げにそれでもそれらを受け取ってくれた。
「ありがとう」
「いえ、本当、それはこちらの台詞です。ありがとうございました!」
そうして真衣はようやくトイレを出た。
「フェイトさん! ごめんなさい…私…」
そうして。
駆け寄った真衣を。
フェイトが抱きしめた。
「!?」

 

 

「良かった…無事で…」

 

 

真衣の顔を見て安堵して気が抜けて、駆けてくる彼女の元気な姿にホッとして、気づいたらフェイトは彼女を抱きしめていた。放っておけるわけがない。答えはとっくに出ていた事を自覚する。頼まれてやる、と。
「…すみません」
耳元で彼女の声がして慌てて手を離す。
「何が、あった?」
尋ねると、真衣は俯いて顔を赤らめた。
「?」
首を傾げて彼女の顔をのぞき込む。彼女はしどろもどろとトイレの中での悪戦苦闘を話し始めた。

「…………」

全身の力が抜けるのを感じたのと同時に、笑いがこみあげてくる。
「なんだ、そっか」
襲われたのではなくてよかった。
「あ、あの…それで、スカートを買いたいんですけど…一緒に選んでくれませんか?」
真衣が尋ねる。
フェイトの答えは当然決まっているだろう。
「ああ。今度はファスナーの付いてないやつにしてくれよ」

 

 

■大団円■

カテゴリー: 02フェイト, 斎藤晃WR, 神無月真衣 |

時間軸の向う側~いつかの場所で

コードネーム”フェイト”へIO2からくだされた通達は当然と言えば当然のものであり、当事者すらも反発を見せず素直に従った。減給三か月、および1週間の自宅謹慎処分。むしろクビにされなかっただけマシと言えばそうかもしれない。
独断で事件の主犯格と接触し、その人物を見逃すような真似をした訳だから、処分の甘さはむしろ温情とさえ言えただろうが、IO2という組織の都合上、そのエージェントを容易にクビには出来ない――という事情もあったかもしれない。
どちらにせよ、”フェイト”というコードネームを名乗る青年、本名・工藤勇太は、その日、暇を持て余して自宅でもある職員宿舎、自室のソファに身を預け ている所だった。律儀で真面目な彼は外出する、という考えが浮かばなかったものらしい。否、先の事件のことを想えば、外出して気晴らし、という発想も浮か ばないのかもしれなかった。

 


事件のあらましを語れば、ものの三行で報告書は終了する。
時間干渉が可能な魔道具を、未完成ながら作ってしまった魔導錬金術師の響名。
その響名の夫であり、そして魔道具を完成させるための「最後のパーツ」の持ち主でもあった藤代鈴生。
結局、響名はその魔道具を完成させることは叶わず、魔道具――「ルンペルシュテルツキン」という童話の悪魔から名を取ったそれは、勇太の手によって破壊されるに至った。
それだけだ。起きた事実は、ただそれだけ。

 


それでも勇太はソファの上で、天井をぼんやりと見上げながら思う。自分の成したことは、果たして正しかったのだろうか。響名は、自分が作ってしまった魔 道具が招いた悲劇を――過去に遡って鈴生の眼球の片方を奪い、その結果として彼の才能を歪めたことを悔い、それを「無かったこと」にするために魔道具を完 成させようとしていた。
痛みを得た過去を。悔いを残した「いつか」を。否定し、無かったことにしようとする。その行いを否定した勇太は、否定をしたことそのものは悔いてはいないし、魔道具を破壊したことについても、後悔はしていない積りだ。
だがやはり、不安はある。他に選択肢があったのではないか。彼らが悩まず、傷まず、響名の後悔をそのままにしないような、そんな言葉や行動があったのではないかと。
(駄目だな。…そういう人間の感情が、響名さんのあの『魔道具』みたいなものを生んでしまうんだ)
首を横に振った丁度その折だった。彼の、私用の情報端末に通知が表示される。
メッセージ機能のみの簡素な交流用アプリケーションに、「東雲名鳴」の名前が表示されていた。

 

 

<勇太、謹慎喰らったって聞いたけど暇してるんなら酒でも飲もうぜ。スズも一緒だ>

 

 

しばらく勇太はメッセージを書いては消し、書いては消し、悩んでから、一行送信をする。

 

<また昼間から飲んでるの、藤代さんは>

 

我ながらくだらない文面だとは思ったが、他にどう言葉を綴りようもなかったのだ。すぐに返信が届く。
<相変わらず硬いな、いいじゃねーか。付き合えよ>
文面から察するに、横から鈴生が入力しているのだろうか。
<どうせ男しかいねぇし遠慮するなって>
<男だけって…。響名さんは>
<あれ? 話してなかったか? 愛弟子なら、今頃オーストリアに着いた頃だぞ>
オーストリア。
思わず勇太はその単語を見直し、先日の事件を思い返し、それから、
<え? あの、藤代さんの所に帰って来たんじゃなかったんですか?>
――先日の事件の直後。残念と安堵の入り混じった声をあげ、破壊された「ルンペルシュテルツキン」の破片を抱き締めて泣き崩れる響名の下へ、煙草をくわ えて鈴生がやってきて、その身体を抱き締めた所までしっかり勇太は見ている。良かった、一先ずこの夫婦は、どこかに悔いを抱えながら前を向いて歩きだすん だろうな、と何となくそう思い込んでいたのだが、
<…オーストリア?>
<おう。俺の魔道具がウィーンで見つかってなぁ。人間の生命力を燃料に使う”劇場”って、大物な上にロクでもねぇ代物だ。それ聞いた愛弟子が『あたしが行って壊してくるわ』って引き受けてくれたんで、任せた>
勇太は額を抑え、一度端末を机に置き、天井を仰いで深呼吸をしてから言葉を選ぶ。
<いいんですか>
折角再会できたのに。あるいは、また彼女を手放していいのか。そんな色々な感情を織り込んだそのひとことが、どれだけ画面越しに相手に伝わったものやら分からない。ただ、多分今頃、鈴生が肩を竦めているんだろうなと、そんなことを想った。
<いいんだよ。一所で大人しくしてるなんて、俺の嫁のガラじゃねーや>
俺はそういうとこに惚れたんだからなぁ、と。
付け加えられた一文の惚気に、勇太は嘆息した。徹頭徹尾、在り方の理解できない夫婦ではあるが、そこに確かな絆があることを理解できないほどに、勇太は鈍感では無かった。

 

結局、昼日中からの飲酒に抵抗を示した勇太に、鈴生と名鳴が妥協する格好で、夕方にでも顔を合わせよう、と会話はそこで終わる。端末を閉じてアプリケー ションを終了し、勇太はソファにまた背を預け、天井を見上げた。先程まで渦巻いていた感情は霧散したが、代わりに奇妙な徒労感があった。とはいえ。響名と 鈴生は、まるで当たり前のように、二人なりの形での夫婦生活を続けていくようだった。未来へ向けて。過去の諸々を超えて。そこには悔いが残り続けるのだろ うが、だが――
(先に在る物を、とっくに見据えてるんだなぁ)
――二人揃ってあの性格だ。人を食ったような言動の鈴生と、トラブルをまき散らすのが趣味の様な顔をした響名と。傍目に見ている限り彼らの神経は太いん だろうな、と、諦めを込めて勇太は首を横に振る――あの調子で何れ、IO2を相手にまた何かやらかさなければいいのだが。現場で彼らを取り押さえる立場に は、勇太はなりたいとは思わない。
まだ待ち合わせの時間までは随分な余裕がある。部屋の掃除は謹慎の一日目に終えてしまっていて、暇潰しになることも思いつかない。
そうすると自然と、勇太の瞼は重たくなる。
(うーん)
常であれば、あれをやらねば、これを片づけなければと思案する彼の思考は、しかしこの日ばかりは「ま、いいか」とゆるりと眠りに溶けて行った。

 

 

 

ふ、と意識が目覚めたのは、耳に入った声が契機であった。女が啜り泣いているような声。勇太は瞼を押し開け、ゆっくりと身を起こす。見渡すと、目の前には見慣れぬ風景が広がっていた。
それが、血だ、と気が付いて、一息に目が覚める。
壁に飛び散っているのは、模様と見えたが、よくよく見れば乾いた血痕だ。それも多量の。これだけの血を流せば人が死ぬだろうと確信できる程のものだ。慌てて辺りを見渡す。
自室ではなかった。それは確かだ。素朴、とさえいえるような丸太づくりの質素な小屋の中であろうと知れる。ただ人が生活していた気配だけはあって、彼の視線の先には薬缶の置かれた小さなコンロ、流し台、何度も洗われた形跡のある傷のあるまな板が並ぶキッチンがあった。
それから視線を動かし、部屋の中央、女の鳴き声が聞こえてくる方へと目線を動かす。そして微かに目を瞠った。
人影は二つあった。ひとつは幼い子供。そしてその子供をかき抱くようにして泣くのは女だ。勇太には見覚えがあった。小柄な体躯、これといって目を惹く容姿ではないが、平凡な茶色の髪を肩のあたりで切り揃えた女。
「響名さん…!?」
今の彼女より幾らかは若いようにも、思える。勇太が愕然としてその名を呼ぶが、女は反応を返さず、代わりに彼女の隣にあったモノが面を上げた。それまで 勇太の視界には入っていなかった「それ」に今更気が付いて、いよいよ勇太は驚愕に立ち尽くす。のっぺりとした顔立ち、感情を窺わせない無機質な姿。
「…ルンペルシュテルツキン――」
それは数日前に壊した魔道具、その筈だった。
壊れた筈のヒトガタの魔道具は、そこにぽつねんと立ち、片側だけの眼球を勇太に向けている。勇太を認識していない響名と違い、どうやらその魔道具だけ が、時間へ干渉する能力ゆえにか、勇太の存在を感知している様子だった。とはいえ、何を語るでもなく、何を訴えるでもなく、ただそこにぼんやりと立つだけ の魔道具は、すぐに視線を逸らしたが。
そしてようよう、彼も気付いた。
(ここは…過去か)
然程の驚きは、無かった。
IO2にも報告はしていないし、勇太自身も制御できないため、普段意識に昇らせることは無かったのだが、彼には、「時間転移」の能力がある。否、「あった」と言うべきかもしれない。
(随分長いこと発動してなかったからなぁ。能力(ちから)自体、消えたのかと思ってた)
複数の能力を抱えていると、そういうこともある。他の能力に統合されたりして、発現しなくなる能力、というのが無いではない。頭をかいて、勇太は改めて辺りを見渡す。
部屋の中央で、響名が抱き締めていた少年が、解放されて彼女を見上げている。その片目がガーゼで覆われていることに気付き、勇太は得心した。あれは、鈴生か。とすれば、ここは。
(…響名さんの、後悔の中心…)
己の造った魔道具が時間を超えて、過去の鈴生から眼球を奪った――その直後か。
静かにはらはらと涙を零す響名を、今はまだ幼い鈴生は、片側だけの眼球で見上げている。
「どうして泣いてるの」
声は子供らしからぬ、感情の揺れをおよそ見せぬものであった。彼がどんな境遇で育ったのかを、勇太は知らない。ただ、
(…両親は彼を生贄にしようとして…でも、逆に彼が助かって、両親が死んだ、って)
彼が昼日中からワインを傾けつつ、教えてくれた話だ。

 

 

――ルンペルシュテルツキンは。彼の眼球を奪った悪魔は。彼と一年、共に過ごし、彼に知識を与えて去って行ったのだと勇太は知っていた。

 

 


(じゃあ、ここは…その時間軸の風景、なのか…)
どうやら勇太はこの時間に対して干渉は出来ないらしい。半端な形で力が発現したものだ、と思いつつ、二人を見守る。どうして泣いているのかと問われた響名が、口を開くところだった。
「…あなたに謝らないといけないから…色々」
この先、彼の、鈴生の才能は歪んだ形で発露することになる。勇太は知っているし、ここにいる響名も恐らく時間を超えて来たから知っているのだろう。あ あ、彼女の後悔はそこにもあるのか、と、今更ながら勇太は思い知って、俯いた。その後悔を打ち消すチャンスを、砕いたのはほかならぬ自分であった。
泣く女を前に、何を言われているのか彼は理解していないのだろう。鈴生はしばらく彼女を見上げ、それから、片側だけの眼球を細めた。小さな、異様に細い 手。生贄として育てられたのならば、まともな育てられ方をしていなかったとしてもおかしくはない。骨の目立つ小さな手を伸ばして、彼は、響名におずおずと 触れる。
「…ありがとう」
「どうして」
「わからないけど。…うれしかった、から?」
語彙は豊富ではないらしく、それ以上は言葉に出来ない様子で彼は首を傾げる。響名は目線を落としてから、もう一度、彼を軽く抱きしめた。
その姿が、ゆっくりと霞みはじめる。
――時間干渉の限度を迎えたのだろう。現代時間軸へと帰還が始まったのだ。その隣のルンペルシュテルツキンだけが、ただ当たり前のように、そこにあった。その姿を、感情の薄い片目で見遣りながら、子供姿の鈴生が問う。
「また、会える?」
響名は、答えなかったが、首を横に振った。歯を食いしばってから、唸るように告げる。顔を覆って、嗚咽の隙から絞り出すように。
「会うべきじゃなかったんだわ…!」
その声を残して、響名の姿は消えた。それを見送り、鈴生はしばらくぼんやりと虚空を見上げ、それから隣のルンペルシュテルツキンに顔を向ける。それが魔 道具であり、ヒトではないことを、彼は彼なりに理解しているのだろう。応えが無いことを察している風に、独白のように問うた。
「どうすれば、また、会えるの?」
ルンペルシュテルツキンは。道具であるそれは、少年の言葉を、己に対する命令として受け取ったのかもしれなかった。無言のままその場に座り、それから 「それ」は指先で床に文字列を刻み始める。それがどういう内容を示している物か、勇太には理解が出来なかったし、この頃の鈴生にも恐らく理解は出来なかっ ただろう。ただ、彼はそれをじっと、食い入るように眺め続けた。

 

 

――いずれの未来で、彼は大成する。
絶大な効果を誇る、魔道具の作成者として。ただし代償に多くの命を吸い上げ、無数の悲劇を生み出す錬金術師として。

 

 

そこまで見守ったところで、不意に勇太は眩暈を覚えて目を閉じた。瞼を開くと、そこは見慣れた天井だ。壁掛けの時計を見遣るとどうやら数時間、寝入っていたらしい。
待ち合わせの時間が近いことに気が付いて慌てて立ち上がり、彼はその拍子に落ちたものに気が付いた。
数日前、彼が「ルンペルシュテルツキン」を壊したあの現場で、鈴生に手渡された眼鏡だ。人間の認識能力では感知できない筈の、複数の時間軸を視認できる ようにする、という代物で、そして鈴生が作る物が全てそうであるように、絶大な代償を要求する魔道具である。それが何か大きな力を加えられたかのようにひ しゃげ、潰れて、勇太の目の前に転がっていた。拾い上げてグラス越しに部屋を見遣るが、最早、そこには何も重なっては見えなかった。

 


代償は――未来か、過去か、どこかで得る、自分の可能性。あるいは能力(ちから)。鈴生はそう説明していたか。

 

 

胸中に、その言葉がストン、と落ちたのを勇太は自覚する。さっきの幻視にも似た過去の映像は、恐らく、最後の最後、代償として失われていく勇太の「時間転移」の力が発現した残滓であったのかもしれなかった。
(まぁ、そうだなぁ――当然、か)
代償としては大きい、が。一度、過去の改変で後悔を消すという、響名の行為を、自分は否定したのだ。当然の代償と言えば、そうなのかもしれなかった。勇 太は苦笑だけを落として、壊れたそれを、机の上にそっと置いた。最早ただの壊れた道具で、ゴミ箱に放らなかったのはただの感傷だった。
それを自覚しながら、まずは着替えを取りにクローゼットへ向かう。端末には新しい通知が数件届いているのが見えた。
(そうだね)
後悔を抱えて、それでもこうして、知己を得た人とお酒を飲もうと走り回る程度には、今、自分は未来を見ているのだ。
そして、多くの人がそうであるように。そうやって時間は巡っていくのだろう。
勇太は目を閉じ、垣間見た夢のような過去の影を振り払った。いずれ酒の席ででも、鈴生に問うことはあるかもしれないが、最早それは酒の肴以上のものにはなるまいと、そんな確信だけが残っていた。

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