■prologue
夏の宵。
花火にかこつけ、集うも一興。
ささやかな時を楽しむ為に。
…さぁ、皆で何をしようか。
■喫茶店『青い鳥』経営者夫妻の提案。
「そういえば、もうそんな時期なのね」
喫茶店、『青い鳥』の定休日。買い付けやら何やら普段はできない雑務を片付けて、夫婦揃って一息吐こうとしたところ。店にまで戻り、椅子に腰を掛けつつ ふと上がったそんな妻の声に、ヴィルヘルム・ハスロは、ん? と妻の――弥生・ハスロの顔を見、続けてその視線の先を見る。窓を隔てた向こうに見えるのは ――何かの場所取りと思しき人々。皆一様に心浮き立っているようでもあり、同時に使命感に駆られているようでもあり――人によっては既にして何やら疲れて いる様子の者までいる。…良く考えてみれば、買い付けの為、外出している最中にも同じような人たちを見かけはした。
「…ああ」
弥生に言われたことで、その光景と何が「そんな時期か」が頭の中で結び付き、ヴィルヘルムも気が付いた。
「今日は近くで花火大会があるんだったか」
要するに、皆、その為の場所取りに精を出している。
なかなか大きな花火大会だとかで、絶景見たさに場所取りをする人々が居ることは――そのこと自体がある意味で風物詩にもなっていることは知っていた。と は言え喫茶店『青い鳥』は本日は定休日。近所の花火大会の日を碌にチェックすらしておらず休むなど商売っ気がない、とか言われそうな気もしないでもない が…まぁある程度は事実である。妻と子供と。家族が健やかに過ごしていければそれでいい。そして今日は…その大事な家族の一員こと子供たちの方は弥生の実 家に泊まりがけで遊びに行っている。…近所の花火大会を失念していたことに少々後悔もするが、まぁそれはそれ。子供たちの方は子供たちの方で、楽しんで来 てくれればそれでいい。
ただ。
今は。
ここに居る弥生の方が…少々寂しそうなのが。
ヴィルヘルムとしては、余程気になっている。
…まぁ、そうなる理由と言えば…今の状況からして当たり前とも言える、単純明快極まりない話なのだが。
そう。
――――――いつもはすぐ傍にある、子供たちの賑やかな声がないから。
事実、今この場に居ないのだから何をどうしてもしかたない話なのだが、そのことで一抹の寂しさがあるのは弥生だけではなくヴィルヘルムも同じ。…だから こそ、すぐにそのことに気付ける。…妻が少しでも元気になってくれる方法はないものか。妻に寂しい思いはできる限りさせたくない――まぁ、寂しさと言って もこの場合は他愛もないことではあるのだけれど。でも、大切なことでもある。
ヴィルヘルムはつらつらと思案する。
ふと、この建物を契約する際のことを思い出した。以前の所有者が話していたこと――ちょうど本日開催される花火大会の花火が、屋上からよく見える、との話。
これだ、と思った。
「…弥生」
「ん、何?」
あなた。
「この建物の屋上から花火が見えるらしいんだ」
別に、場所取りに行かずとも。
だから、今日は。
「折角なら皆さんをお誘いしようか」
そう、ヴィルヘルムが提案した時点で。
弥生の貌が、嬉しそうにぱあっと明るくなった。
「素敵。楽しそう」
「そう言ってもらえると思ったよ」
弥生の顔が晴れれば、ヴィルヘルムの顔も自然と晴れる。弥生は一度大きく頷くと、よし、とばかりに腕捲り。
そうと決まれば、早速用意をしないと。
■01
エビフライにシシャモの南蛮、その他(お酒に合いそうな)おかず類に、おにぎりやサンドイッチ等の簡単な軽食。
屋上での花火見物の為に、と腕によりをかけて弥生が用意したのはそんなラインナップのメニュー。…いや、今日の場合はお酒は抜きでと考えてはいるのだけ れど、どうしてもお酒に合いそうな…と言う方向で料理を行ってしまうのはある意味弥生のサガであるのかもしれない。…下の店でも、ここは喫茶店だったよ な、と一歩立ち止まって疑問を持たれることは果たして何度あっただろうか。まぁ、仮に誰かがそう突っ込んだとしても、そうよ、であっさりと流されてしまう 話ではあるのだが。その疑問が意味を為すことはほぼ皆無と言っていい。
と言うか、今日の場合は――改めてそこに疑問を持つような無粋な人間はここには居ない。
殆ど身内と言っていいような、近しい人物しか招かれていない訳だし。…即ち、弥生の料理がこうなることを――それが元々彼女の料理の持ち味であることを元々承知しているような面子しか、ここには居ない訳で。
「……美味しそう」
屋上に設置された、アウトドア用の折り畳みのテーブル。その上に並べられた料理を見た時点で、誘われたひとりこと八瀬葵はぽつりとそう零している。そ う? だったら良かった、と嬉しそうに笑顔を返す弥生。冷めない内に食べてね、と付け加え、鼻歌交じりに取り分ける為の小皿を並べてもいる。
葵はそれを慌てて手伝おうとしつつ――けれど手伝うまでもなく済んだことで結局そのまま座り、代わりに弥生に向かって何となくぺこり。今日はお仕事じゃ ないんだし、気にしないで気にしないでー、と弥生からはすかさず返される。…姉のように慕わしいそのひとの気安い声が、葵には嬉しい。
出されている料理の方も、同じ。…弥生さんの手料理は、温かくて好き。…実際の料理の温度の話じゃなくて――いやそれもなくはないけれどそういう意味で だけじゃなく、気持ちの面での話。弥生さんだけじゃなく、旦那さんのヴィルさんもそう。ある意味で俺と同じで――自分自身の持つ性質で悩んでいて、なのに 他のひとにも優しくできて、立派に生きている先輩で、今の俺の上司で…すごく、尊敬できるひと。
優しくて温かい「音」のひとたちに囲まれて、心の底からほっとできる空間に居られる幸せ。それが今、ここにある。
…ふと、弥生さんの、ほんの少しだけ心配そうな声がした。
「花火、始まっちゃいそうね」
まだ勇太君来ないけど…確か、何か野暮用ができたとかって話なんだっけ。…そう確かめられ、葵は頷く。
そう。…誘われる時は勇太と――フェイトとは一緒だったのだけれど。それで、葵はひとりで先に来た。
「……それでも、すぐに片付けて花火が始まるまでには絶対来るとは……力一杯言ってたけど」
「十九時半からだから、まだ幾らか時間はあるよ。…まぁ、折角のエビフライが冷めてしまうかもしれないけれどね」
「?」
「ああ、葵君は知らないんだっけ。勇太君、エビフライ大好きなのよ」
「……そうなんですか」
「だからいっぱい作ったんだけどね」
…確かに、エビフライは大皿に山盛りで載っている。
が、揚げ物の類は…揚げたてが、温かい内が一番美味しいのは自明。…それは冷めても美味しいようにある程度の工夫もしてはあるけれど、やはりどうせなら揚げたてを食べてもらいたい。
そう言いたげな弥生の様子を見、さて、とヴィルヘルムは苦笑した。
「そうだね…じゃあ、冷めてももったいないから、先に頂いてようか」
「そうしましょうか」
「……頂きます」
と。
今居る皆で先に食べ始めようとしたそこで、遅れました済みませんッ! との元気な大声と共に屋上に駆け上ってくる姿があった。彼のその顔に浮かんでいる のは爽やかな笑顔。一瞬、誰だかわからない――それは今宵今晩この場合、遅れたなどと言ってここに来る相手は決まっているとは言え。
その格好が――久々の私服であったから。
皆の反応が、一拍遅れる。
「? …えっと…どうかしましたか?」
「…あ、勇太君、いらっしゃい。良かった、間に合ったわね。花火にも…エビフライの方にも」
「? エビフライの方って…ってあ、作ってくれてたんですか弥生さん!」
「勿論よ。勇太君が来るのがあと少し遅かったら皆で先に食べ始めちゃうところだったんだけど」
「ええっ、そんなっ!」
「…いいタイミングでしたね、勇太君」
「はい!」
「……調味料、どれがいい?」
「なしでもソースでも醤油でもタルタルソースでも!」
弥生さんのエビフライ、どうやって食べても美味しいですから!
【→NEXT 02(フェイト)】
■オフ直前のIO2エージェントの状況。
八瀬葵の携帯が鳴った時点で、IO2エージェントであるフェイトは少し警戒をした。着信――それは、今の葵が置かれている状況の場合、「見知らぬ歓迎で きない相手」からの通信である可能性も有り得るから。いや、ただの通信であるならまだいい。「通信自体が攻撃」である可能性すら否定できない――今、葵の 身柄を狙っているのは虚無の境界で、葵の持つ特殊な能力は歌声や音読み――即ち、「音」の力である。そして「音の世界で」と見るとなれば、携帯と言う端末 機械を介するとは言え「通話をする」と言うのは「相手と直接対峙しているも同然」となる訳で――同時に自分がすぐ側に居ても、不測の事態の際にすぐに手を 出せるかは微妙になる訳で――警戒するのは当然になる。
ただでさえ、今は葵を狙って虚無の境界が不穏な動きをしていると言う情報が入っているのだから、フェイトとしては余計にそんな方向に思考が動く。
が。
ひとまず、葵が通話相手に話している様子からして元々の知人友人の類であると判断が付いたので、通話相手に対する警戒は解いておく。…と言うか、訥々と話しているその内容からしても、まず相当に親しい相手。となるとかなり限られる。
…多分、フェイトの方でも知っている相手。
思いつつそれとなく様子を窺っていると、葵は何やら、はい、とばかりに通話中のその携帯端末をフェイトに差し出して来た。俺? と思わず自分の顔を指差 してジェスチャーで問うと、うん、とばかりに無言で頷かれる。さて何事かと思い携帯を借りて通話を受けると――相手はヴィルさんだった。ヴィルヘルム・ハ スロ――気を許している葵の態度が納得行く相手。葵の勤め先の店主であり、葵の能力面も承知。その上で、色々と助けになってくれているひとたち。…それこ そ、IO2などよりずっと先に。ずっと近くで。
ある意味ではフェイトの予想通りの相手でもあったのだが、それで今、『フェイト』の方にまで用があるとなると――何だろう? と少々首を傾げたくもな る。確かにフェイトは――いや、『工藤勇太』は、ヴィルヘルムとは――彼だけではなく彼の妻である弥生の方とも、以前から親しい間柄ではある。あるが―― 今葵の携帯を通してまで、彼らから特に話を振られるような心当たりはない。
ヴィルヘルムはフェイトの『仕事』もある程度承知。そして、葵を通してのわざわざの連絡となると、もしやまさかそちら絡みで何か伝えておきたい話が、とも考えられる。
よって、ある程度心の準備をしてから通話を替わる。
と。
…杞憂も杞憂で、ごく普通に花火見物に誘われた。
曰く、今夜開催される花火大会の花火が、ヴィルさんの店の屋上からよく見えるとのことで。
葵君には今了解の返事をもらったところなんですが、勇太君が今一緒に居ると言うのなら、都合がいいから替わってもらった…とも。…いや、電話口での様子を窺う限り、ヴィルヘルムがと言うより葵の方でフェイトに電話を替わることを申し出たような雰囲気ではあったのだが。
ともあれ、そんな話を振られれば、嬉しいのは当たり前。
勿論行きます、お誘い有難う御座います! とにこやかに『工藤勇太』の態度で了解の返事を伝えておく。
…伝えておくが。
そうなると、とフェイトの頭の中では別の思考が廻っている。当然全く表に出してはいないが、頭にあるのは不穏な動きを見せる虚無の境界のこと。葵さんにもハスロ夫妻にも勿論こんなことを知らせる訳には行かない。折角の楽しいイベントをぶち壊す訳には行かない…!
だから。
フェイトは葵に携帯を返すと、そうと決まれば残ってる野暮用の方片付けないとな、とか何とか適当に――本当に「テキトー」に聞こえそうな――「暇人さ ん」らしい茶化した理由を付けて葵の元から離れる。ひとり残された葵はと言うと、いつも通りに特に感慨もなく――少なくとも傍からはそう見える様子で ――、その姿を見送る。
と。
程無く、何やらフェイトが消えて行った先の方から…それこそ打上花火の如く、数名の「ひと」らしい「何か」がどーんとばかりに空へと派手に吹っ飛ばされて行ったのが見えた気が、した。
その「フライング気味の美しくない打上花火」が当の虚無の境界の工作員だったことを、葵は知らない。
■02
…野暮用を片付ける為、と理由を付けて八瀬葵と別れた後に、密かにかつ速攻で虚無の境界の工作員を「フライング気味の美しくない打上花火」の如く打ち上げてから。
フェイトはすかさずIO2に状況を報告し、暫しの休みを獲得する。…オフとなれば喪服の如き黒スーツのままでいるのも味気ないし無粋である。と言うか単 純に、今の気候で幾ら夜とは言えそんな格好で出歩くのは普通に暑いとも言う。よって当然、仕事でない以上は私服に着替えてから皆の元へ向かおう、とフェイ トは――いや、工藤勇太はごくごく自然に思う。
時間帯からして葵はフェイトと別れたその足で喫茶店『青い鳥』に向かっている筈で、そこにこれから着替えて向かうと考えると、追い付くのに多少時間がか かってしまうことはわかっている。が、そこは止むを得ない。可能な限り早く、頭だけではなく服装もオフモードに切り替えて、皆の元へと駆け付ける。その一 念で「フェイト」は一時帰宅し、すぐさま「工藤勇太」に戻って喫茶店『青い鳥』に向かう。
ちなみに選んだ私服は、飾り気のないTシャツに青のデニムパンツと適当なもの。動き易そうでスーツよりは涼しそうな格好を、と、急ぎ手近にあったものの 中から選んだらこうなった。元々、自分は服装に気を遣うような洒落た性質でもないし、誘ってくれたハスロ夫妻もそんな面で余計な気を遣わなければならない 相手でもない。ただ、相手への礼儀として清潔感のある格好ができていれば、それでいい。
そう思って、実際にそうして来た。
それだけ…の筈なのだが。
それで皆と合流したら、自分を見た皆からちょっとびっくりされたような気がして逆にこちらが何事かと驚いた。が、特に説明はされない…と言うか、説明の前にエビフライの方が先になっただけとも言うのだが。
「…で、ホントにどうかしたんですか?」
幾つかエビフライを頬張り、人心地付いてから勇太は改めて皆に訊いてみる。自分がここに着いた時の、一瞬だけ動きを止めたような――驚いたような皆の 姿。と、その時点で何やら皆は顔を見合わせている――まるで、どう言ったものかとでも俄かに悩むような反応。とは言え、特に深刻な話のようでもなく。
その反応に、勇太はまた不思議そうに小首を傾げる。
と。
……そうそれ。と葵からぽつりと呟かれた。
「それ?」
どれ。
「…葵さん?」
「……普段とあんまり違うから……ちょっとびっくりして」
「? 違うって? 何が?」
勇太、本気でわからない。
そんな様子に、堪え切れないとばかりに弥生とヴィルヘルムの二人がクスクス笑い出している。
「…ほら、皆最近スーツ姿の勇太君を見慣れていたじゃない」
「特に葵君は、今みたいな勇太君は初めてでしょうしね。私たちの場合は、完全に「フェイト」ではない年相応な勇太君を見るのは久々だなあ、と思っただけですよ」
…。
「…。…それって、本当に「年相応」だと思ってくれてます?」
「…どうでしょうね」
「…どうかしらね」
「……むしろ俺より」
「…どうせ幼く見えるって話なんですよね? 三人ともひどいなあ」
む、とむくれて見せる勇太。とはいえ勿論、本気ではない。気安い間柄であるが故の、充分に軽口の範疇。…三人からそこまで言われればさすがに、何の話で あるのか勇太にもわかる――勇太の方でも自分が童顔であると元から自覚はある。IO2エージェントとしての黒服でいる時はともかく、私服ともなれば――学 生、いや高校生程度に見られたっておかしくない。…そして高校生頃と言えば、ハスロ夫妻とは初めて会った時期にもなる。当時から殆ど変わっていないように 見られれば、それは懐かしがられもするかもしれないか…とは思う。
が、それでも改めて言われると、少々ヘコみはする。…二十歳を超えている成人男子としては、余計。
そんなちょっとばかりヘコんでいる中、不意に、どーん、と腹に響く音が辺りに響いた。ひゅるるると空に上る際の笛も鳴る。それらの音から一拍間を置いたかと思うと――夜に鮮やかな大輪の花が咲く。
すぐに気付いて、誰からともなく上がる歓声。
漸く、花火も始まった。
【→NEXT 03(千影)】
■夜の散歩の寄り道に。
黒い空、異形の列が夜を往く。鈴の音軽やかに笛吹き鳴らし、大小様々多種多様、数多の異形が列を為す。上空には自然の、地上には人工の星が色とりどりに煌いて。
そんな星々に挟まれた闇の狭間を、百鬼夜行が練り歩く。…最早そんなものは文明や科学に駆逐されたと思われがちだが、ところがどっこいまだまだ健在。今 ここで空を見上げたならば、きっと人々の目にもこの夜行は映ることだろう。奇妙で奇態で奇抜で奇麗で、ちょっぴり怖くて心に残る、そんな不思議な、夜行の ことが。
そんな中――夏の風物詩と言えば、お祭り、怪談、百鬼夜行♪ と、うきうきと湧き立つ気分で夜行に加わっている「人の子」がひとり居た。…否。浴衣を 纏った十代前半の少女――らしい姿をしてはいるが、それは「人の子」とは言えないか。大きなリボンで纏めた黒髪ツインテールの下、その背には可愛らしい小 さな黒い翼が一対。勿論、ツクリモノではなく、実際にパタパタとはためいており――それで滞空し、夜行を構成する異形を友として、楽しげに中空を練り歩い ているのが見て取れる。
彼女は見るものすべてに興味津々なようで、夜行を構成する他の異形もまたそんな彼女を微笑ましく感じているような――愛されているような。そんな気配ま で醸している。彼女のその頭にはロップイヤーの如き垂れ耳の――けれどよく見ればその耳の部分が翼になっている黒い兎が、当然のようにちょこんと乗っても いる。
千影と静夜。同じ主を持つZodiacBeast。彼らもまた百鬼夜行にお邪魔するに相応しい異形――魂の獣ではある。弟分である兎形の静夜を頭に乗せ ての夜の散歩は千影の日課。それも今の時期ともなれば――異形の皆と賑やかに歩んで行けるから。それに、今宵は空にまぁるい花火も上がり始めているのがと てもきれいで、面白くて。…人間もなかなか素敵なことをする。
そんな中を、異形の皆と一緒に練り歩いているだけでも、すごく楽しい。
…の、だが。
この日は、少し別の方向にも千影の興味が向いた。…何だか、すぐ近くに知り合いの気配がする。誰だったっけと考える。…弥生ちゃんと、ヴィルちゃんと。 あと…フェイトちゃんだっけ、勇太ちゃんだったっけ。…どっちだったか忘れちゃった。…それから他にもうひとり…知ってるような、知らないような。誰だっ け。ただ、桜の花と一緒に記憶があるかもしれないひと。
どこだろう? ときょろきょろ探す。気配の源。あっちかな、こっちかな。考えるより先に、感覚に従って足の方が動く――あっちだ、と心が先に確信する。 そんな己の心に従い、千影はそのまま迷うことなく夜行の列を離れる。猫科の獣を思わせる軽やかな動きで、とんっと中空を蹴り、ちりんと進む。
…うたかたからうつつへと、鈴の音と共にふわりと舞い降りる子猫。
舞い降りた先は、とある建物の屋上。
感じ取れた気配の持ち主である四人は、そこに居た。
■03
確かに、特等席。
喫茶店の屋上、そこで花火見物に興じている四人――ヴィルヘルム・ハスロに弥生・ハスロ、八瀬葵に、フェイト――もとい本名工藤勇太――は誰からともな くそう納得する。打ち上げている場所から近過ぎず離れ過ぎず、ちょうど良い距離間で――花火の全容が、大きく、美しく見える位置関係。偶然そうなったのか 誰か気を遣って考えてでもいたのかはわからないが、地上のイルミネーションがあまり気にならない程度に抑えられているのもまた悪くない。
一回一回それぞれ違う、様々な花火が夜空に展開する。その一瞬にすべてを懸ける、儚くも力強い――潔い美の競演。…単純に、火力の派手さだけで言うなら ばそれは劣る場合もあるかもしれないが、これ程色とりどりの趣向を凝らした、手の込んだ花火がごく普通に打ち上げられるのは日本独特。日本ならではの景色 と言える。
皆、目を奪われてしまって、折角弥生に用意してもらった料理に伸びる手の方が、ついつい止まってしまう程。
そんな中、どん、と再び花火が上がったところで――皆が花火を観る為に空を見上げたところで――視界の中に、ふわっと舞い降りる影があった。背景の花火 と相俟って、何処か夢幻的な印象を与えるその黒く小さな人影。体重を感じさせない軽やかさで、とん、と危なげなく皆の目前、同じ高さに着地する。浴衣姿の ――背に小さな黒い翼を生やして、頭に黒い垂れ耳兎を乗せた、十代前半程度に見える黒いツインテールの少女がひとり。
…ここは「屋上」の筈である。
まるで空から気まぐれに舞い降りて来た幻獣のような、現実感の薄いその姿――と思えば、そもそもある意味で「その通り」の存在で。
屋上に居た四人に自分の姿を認められたかと思うと、「彼女」はにっこり笑って、御挨拶。
「こんばんわ!」
「…って、チカちゃんじゃない!」
チカ――千影。
「うん♪ お久しぶりなんだよ弥生ちゃん」
ヴィルちゃんも。
「…ああ、お久し振りですね。まさか空からいらっしゃるとは」
驚きました。
「うん。百鬼夜行の途中でヴィルちゃんたちの気配があるのに気付いたの。だから来てみたんだよ♪」
うにゃん。
「…って浴衣なんか着るんだな、あんたも」
「ふふー。だって夏なんだよ♪ 浴衣でおめかし、チカもするんだよ♪ 可愛いお兄ちゃんもお久しぶりなんだよ♪」
「…可愛いって」
「ところでお兄ちゃんてフェイトちゃんと勇太ちゃん、どっちなんだったっけ?」
「…可愛いって…。…いや、今は勇太でいいけど」
「じゃあ勇太ちゃんなんだね、あとこっちのお兄ちゃんは…」
「……葵」
「葵ちゃんなんだね。…えっと、はじめまして、あたしチカ」
「……。……初めまして、だっけ」
「じゃなかったっけ??」
「……一応、何度か顔合わせたことあったと思うけど……まぁいいか。初めまして。俺は八瀬葵。チカって言ったっけ。宜しく」
「うん、よろしくなんだよ」
にっこり。
で。
「みんなは何してるの? パーティ、お祝いごと? チカも、お邪魔しても大丈夫??」
「勿論。飛び入り参加も歓迎しますよ。私たちは誘い合わせて花火見物をしていたところなのですが、こういうことは、人が多い方が楽しいですからね。…弥生。ちょうどシシャモの南蛮もあったよね」
「ええ。こうなると何だかチカちゃんも来るのがわかってたみたいね。魔女の直感かしら♪」
「ししゃもあるの! 食べていいの? やったぁ♪」
わーい、と千影は嬉しそうに万歳。目を輝かせつつ、皆の元へと――料理が並べられている折り畳みテーブルへと駆け寄る。はい、とばかりに弥生がシシャモ の南蛮を載せた皿を、テーブル上から千影の手の届くところに差し出したのが殆ど同時。ありがとうなのー♪ と千影はすぐにその皿に飛び付く。と言っても、 勿論お行儀が悪いのはダメダメなので――今は浴衣姿と言う通りに人化中でもあるので、おはしも借りてつたないながらも確り使ってもくもくもく。ただ焼いた だけとはちょっと違う南蛮漬けの味だけど、それもまたちょっと新鮮でししゃもの新たな魅力、と千影は御満悦。
「これ美味しいよ弥生ちゃん!」
「ふふ。有難うチカちゃん。いっぱいあるからたくさん食べてね」
シシャモだけじゃなく、他にも色々あるし。
「他にも? わ、ホントだいっぱいあるの。サンドイッチとかも色んな具が挟んであるし。見てるだけでもわくわくするね♪」
「……うん」
「だよね! 葵ちゃんもすごーく美味しそうに食べてる」
「……そう、見える?」
「うん。美味しいもの食べてるとみんないい顔するから。勇太ちゃんもすごーくいい顔してる」
「…ああ、弥生さんのエビフライ、絶品だからね」
「エビフライも絶品なの? チカももらうのー」
どん。
食い物だけじゃなくこっちも見ろ。とでも言いたげなタイミングで、次の花火の音がそこでまた鳴る。つられるようにして皆の視線が夜空に向く。色の違う小 さな花火が幾つも連続して広範囲に上がる形の仕掛け花火。それぞれ確りと花開いた後、パラパラと火花が散る音が余韻に残る。
わああ、と誰からともなく感嘆の声が上がる。花火綺麗だね♪ と心底嬉しそうなチカの声。感激してか、うん、と短く肯定するしかできない葵。今の凄かっ たわねー、と弥生も感心している。そろそろ凝った花火が上がり始めてるみたいですよね、と勇太も視線はばっちり夜空の方に。
ええ、そろそろ花火大会もクライマックスみたいですよ――花火が上がるその合間、時計を確かめつつヴィルヘルムが勇太に同意。そろそろ大会の目玉になる 花火が打ち上がりそうな頃合いだとも皆に伝えておく。…屋上で花火見物をと決めた時点で、ヴィルヘルムはざっとながら大会の方の予定を確かめて来てはあ る。
折角の特等席なのだから、見逃す手はない。
【→NEXT 04(ヴィルヘルム・ハスロ)】
■04
皆で弥生の用意した食事と、夜空に咲く花火大会の花火を特等席で楽しんで、暫し。
やがて、夜空に連続して大輪の花が開き始めた。スプレー状の花火もそこに重なり、やや不規則にくるくると散る幾つかの火花も彩りを添える。クライマックスを飾る花火。惜しげもなく次々と打ち上げられるそれは確かに圧巻で。
全ての花火が終わった後には、少し寂しさすら感じてしまう程。
元々、子供たちが不在である寂しさを紛らわせることから思い付いた今日の「これ」だったのに、とヴィルヘルムは少し可笑しい気分にもなる。が、今の寂し さは、この集まりを思い付いた時とは少し違う。満たされた気分も同時にあるから、紛らわす必要があることだとは思わない。むしろ、暫く余韻に浸っていたく なるような。そんな心持ちにもなる。
…それは、ヴィルヘルムだけではなく。
「んー、子供たちにも見せてあげたかったわー。何だか私たちだけでズルしちゃったみたいな気分かも。子供たちに秘密にして花火見物しちゃった…みたいな罪悪感がちらっと」
「言われてみれば。確かにそんな気もするか。…子供たちには来年まで勘弁してもらおう」
「そうね。もうしょうがないもの――だからこそ! 来年はまた腕によりをかけて!」
「あっ、その時はまたチカも来ていい?」
「勿論よ! あ、勿論チカちゃんだけじゃなく勇太君も葵君もよ?」
「わ、有難う御座います。何を押しても来年もこの日は空けときます!」
「……って。できるの?」
勇太さん。
…それは元々、葵の方でも勇太に――フェイトに対して「IO2の暇人さん」とはよく軽口を叩いている。いるが、実際そうでもないんだろうことは葵にも 薄々感じ取れている。例えば、今日もそう。…多分、何か、俺の為にと『野暮用を片付けて』くれた。その上で合流してここに居る――つまりはIO2のエー ジェントと言うのは予定の立たない仕事なんじゃないのかな、と言う気がする。…そうなると、一年後の休暇の予定を作ることなんてできるのか。
そんな風にもちらりと思うが、当の勇太の方は――何やら、フッ、と不敵な貌を見せている。
「…できるかどうかじゃない、するんだよ。弥生さんのエビフライが心行くまで食べられる機会なんて滅多にないんだし」
「あら、それなら店に来てくれればいつでも作るけど?」
「だったらチカもししゃものなんばん?だっけ?? とにかくまた食べたいんだよ!」
「ん、それも同じよ。作ってあげる」
「やったぁ♪ 弥生ちゃん大好き!」
「ふふ。おねーさんもチカちゃんのすっごく美味しそーな食べっぷり見てるの好きよ?」
「わーい、褒められたんだよ。勇太ちゃんも一緒に食べに来よ?」
あたしはししゃもで、勇太ちゃんはエビフライ。
「う。…それは」
「?? だめなの?」
「と、言うか…弥生さんやチカさんがそう言って下さるのはとても有難い話なんですけど。ただ、のんびりしてられないことが多い『仕事』だから…「ここは休 みを取る」って決め打ちしてその日に入って来そうな仕事を極力外せるようにひたすら日々頑張る方が、狙った当日ちゃんと休める可能性が上がると言うか…」
「……てことは、来年の花火大会の日、休みにできるかどうかは結局わからないってことだよね」
極力外せるように、とか、可能性が上がる、とか言ってる以上。
「…まあ、そうなっちゃうんだけど」
「しかたないですよ。勇太君は『フェイトさん』なんですから。でも、来年も同じ日にお会いできれば――来年もまた、こうして皆と花火を見ることができたなら。私も嬉しいですね」
「…努力します」
と。
そこまで他愛のない雑談が続いたところで、弥生が、パンッ、と手を合わせて鳴らす。はい皆さんちゅーもーく、と続け、折り畳みのテーブルの下に置いてあった袋を取り出した。
「なになに弥生ちゃん?」
「? ……何ですか、弥生さん?」
「んふふ。実はズルついでに、線香花火とかこっそり用意しちゃってるんだけど」
やる?
【→NEXT 05(八瀬葵)】
■優しい音のひとたちの中で。
八瀬葵の携帯に、不意の着信が届く。その時、フェイトも葵と共に居るところだった――葵に掛かってくる電話となると、ある程度限られる。…葵の交友関係は、あまり広くない――広くは、持てない。
持ち得た能力による、不自由さがあるから。
…そもそもだからこそ、今、彼はフェイトと共に行動していることになる。曰く、葵の能力――歌う声に意図せず籠ってしまう精神破壊や癒しの力――が虚無 の境界に付け狙われているのだとか。それで、『フェイト』と名乗るIO2のエージェントが、葵のその身を守る為と近付いて来た――当初はそんなやや剣呑な 成り行きの筈だったのだが。
その『フェイト』が、葵がとても世話になっている勤め先の喫茶店『青い鳥』経営者――ハスロ夫妻と、プライベートでは以前から親しい友人であると言うこ とがひょんなことから明らかになり、葵の方でもこの『フェイト』――工藤勇太とは仕事を越えた関係性、仄かな友情…のようなものが育まれつつある、と言っ たところ。
まぁそもそも、そこまで至らずとも彼のその呼吸や心音が――とても真摯で温かく、優しいことには葵もとっくに気付いていたのだけれど。…まぁ、特に表には出さずとも。
何にしても、今は携帯に掛かって来た着信への対応が先。液晶画面を見る――と。
ヴィルさん――ヴィルヘルム・ハスロの名があった。
図らずも、今挙げた当の喫茶店経営者。即ち、フェイトと共通の知人。…今日は店は定休日だった筈。思いつつ葵は通話に出る。
と。
受話口から伝えられたのは、今夜開催される花火大会を、うちに観に来ませんか、と言う誘い。
曰く、店の屋上が特等席になるから…そうそう、勇太君も一緒にどうかと考えています、とも。
そこまで聞いた時点で、葵は何となく「勇太君」を――フェイトを見る。確かに、この「暇人さん」とは何だかんだで共に居ることが多い。今、俺向けに話に 出されるのもわかる。…ハスロ夫妻は俺たちがよく共に居る細かい事情は知らない筈だが、俺の能力のこともあるし、フェイトの『仕事』も薄々知っている様子 がある――即ち、何か察している可能性もある。
フェイトの方はと言うと、俺? とでも言いたげに自分の顔を指で差し小首を傾げている。…にしても黒尽くめのスーツと言ういかにもな格好の割にやけに子供染みた仕草で、到底俺より年上には見えない。
その様子を見てから、今ちょうど一緒に居るから本人に替わる旨伝え、フェイトに携帯を貸す。…勿論、その前に自分の方は有難くお誘いに乗る旨のことは伝 えてある。フェイトの方はいきなり自分に振られたからか、やや訝しげながらも葵から電話を替わる――が、相手がわかるなりすぐさま表情が和らぎ、花火観覧 の誘いを聞くなり、二つ返事で勿論OK。お誘い有難う御座います! と笑顔になってお礼まで言っている。…そんな風にふと見せる無邪気な様子はやっぱり俺 より年上には見えないなあ、と葵は思ったりするが…あまり上手く感情が表に出せない身にすると、少し、羨ましい気もする。
携帯を返してもらい、ヴィルさんにきちんと御挨拶をしてから改めて通話を切る。…屋上なんて学生だった頃以来、立ち入ったこともない。…何だかわくわくする。
楽しみだ。
■05
「……線香花火。やりたいです」
弥生に提案された時点で、葵の口から自然とそう言葉が零れる。…珍しく、真っ先に。夜空に上がる大きな花火が終わって、用意してもらえた食事も済んで。皆で花火の感想を交えた雑談をしつつ、和やかに余韻に浸る中。
このちょっとしたサプライズは、葵の好奇心を刺激した。実は手持ち系の花火は殆どやったことがないので、興味がある。真っ先に出されたのが葵の科白だっ たことで、他の面子からは軽く驚かれた節もあったが…一拍置いて理解されたら何やら温かい感情が周囲に満ち満ちた気がした。
…よし、やろう。誰が一番長持ちするか競争だ。せんこうはなびってなに? きれいなの? 綺麗よー。チカちゃんには初めにやって見せてあげようか。葵君 も一回見てからにする? ……線香花火って、そんなに難しい花火なの? いやそんなことないけど。うーん、難しいかどうかは各人の性格にもよるんじゃない かな? ……そんなものなんですか? ああ、そういう面で言うなら、葵さんならすぐコツ掴めそうな気がするけど? ……じゃあ、やるだけやってみる。
頷いて、葵は線香花火を一本分けてもらう。…花火自体が、何だか細くてやわらかくて、頼りない。ヴィルさんが蝋燭に火を付けて準備している。蝋燭の芯に 揺らめく小さな炎にそっと寄せるようにして、葵は線香花火に着火する。着火する間にも、紙で作った紙縒りみたいなやわらかい花火がふらふらと揺れる。自分 の手で揺らしてしまっているのか、風に吹かれてしまっているのか。どちらともつかないような、どちらでもあるような。
なるべく動かさないように気を付けて、火の玉を落とさないように。線香花火ならではの注意を聞きつつ、じっと待つ。ちりちりと小さな音を立て、着火した ところが小さな玉状になって膨らむ。その火の玉の周囲に、小さな火花が散り始めた。少し幾何学めいた花のように――繊細な火花が火の玉の周囲に、ささやか な音と共に瞬き始める。
小さな小さな火の花なのに、何だか目が離せない。やがてその繊細な火花は、玉の外側に向かって頼りなく流れるような更に儚い小さな火花になり、その数も 減っていき――最後には火花を散らさない小さな火の玉だけに戻っていく――そしてそのまま萎むようにして、音もなく消えてしまう。
…何だか、息を詰めてずっと見ていてしまったような気がした。
「葵君、上手いじゃない」
「……線香花火って、きれいですね」
「でしょう。私なんか、つい見惚れてしまいます」
この、儚い小さな火の花の美しさに。
「むぅ…火の玉落っこちちゃった」
「あー、チカさんにはちょっと難しかったか」
「じゃあ、こっちをやってはみませんか?」
「あ、持ち手が棒になってる線香花火と似た感じの奴ですね。なんて名前の花火だったっけ…う、袋に書いてない。…えーと、これも線香花火は線香花火でいいんでしたっけ?」
「…考えてみれば花火の名前って、線香花火とねずみ花火くらいしか意外とすぐに出て来ないわよね。目の前に出されると、ああ、あれねってわかるけど…特に 袋とか花火本体に名称書いてないこともあるし…確かにこれって何だったっけ。線香花火じゃなくて別に名前聞いたことある気もするんだけど私もど忘れし ちゃった」
「…それだと火の玉落ちない?」
「落ち難かったとは思いますよ」
「じゃあそれやってみるんだよ! 今度こそっ!」
「頑張れー。って勇太君それもうさすがに無理じゃない?」
「…もうちょっと行けると思うんだけど…ほら、少しだけどまだ」
「あ、ホントだ」
「……凄く長持ちするのもあるんだね」
「コツもあるけど運もある。火薬の量とか紙の巻き方とかが微妙に違ったりしてるんじゃないかなーって場合もあるから」
「……そうなんだ」
「火の玉が大きくできるとちょっと期待しちゃうけど、そういうのって同時に落っこち易くもあるし難しい。…他愛もないことなんだけど、落っこちると何だか結構ショックなんだよね」
「…うん。でも今度のはきれいなの。落ちないの♪ ほら!」
「おおー。よかったねチカちゃん♪」
「うにゃん♪」
「楽しんで頂けて何よりですよ。…用意した甲斐がありました」
線香花火をこっそり用意する。…本当に、ちょっとしたことなのだけれど。そこまで喜んでもらえるなら、用意した方としても嬉しくなるもので。ヴィルヘル ムは弥生と目配せをし、微笑み合う。葵もまた改めて次に火を付け、線香花火の儚い瞬きをまた体感。慣れた様子の勇太や弥生も勿論、どうにも最後まで線香花 火を持たせられなかった千影もまた、何とか上手く楽しむ方法を見付けられて。
勿論、ヴィルヘルムもまた、日本ならではのこの繊細な花火を、楽しむことができている。花火をと言うだけではなく、花火を囲んでの、今のこの状況にも。
皆でそんなささやかな時間を共有しつつ、夏の夜は静かに更けていく。
そして、線香花火の後始末も、食事の片付けも確りと皆で手伝ってから。
葵は改めて、誘ってくれたハスロ夫妻に礼を言う。
今日は、楽しい思い出になりました。
…それは、葵だけのことではなく。
きっと、皆の思いも同じであって。
■epilogue
集う中、さざめく笑いとこの日の火花。
築かれるのは夏の思い出。
…ささやかな時を、いつかまた。