助手席にも、後部座席にも、誰もいない。
今この車の中にいるのは、自分1人である。
ハンドルを転がしながら、フェイトはしかし声をかけた。
「……アデドラ、いるんだろ?」
いるわけがなかった。アデドラ・ドールは今、アメリカにいる。
ここにいるはずのない少女が、しかし返事をした。
「魂が、完全に根付いたみたいね」
呆れ果てたような口調である。
「……無茶をするフェイトが、蘇ってしまったわ」
「俺の無茶に協力してくれてるんだろ? アデドラは」
ちらりと、フェイトは視線を動かした。
「力が、戻ってる。気力も体力も、使い果たしたはずなんだけどな」
「貴方を死なせるわけにはいかない。ただ、それだけよ」
助手席に、1人の少女が座っていた。
ゴシック・ロリータ調の衣装をまとう、小柄な細身。表情に乏しい、人形のような美貌。
さらりと揺れる髪は、いくらかウェーブのかかったブルネット。瞳は、氷河を思わせるアイスブルー。
「貴方の命も魂も、あたしのもの……それを忘れないでね、フェイト」
フロントガラス越しの夜景を見つめながら、アデドラ・ドールは言った。
自分にしか聞こえない声だ、とフェイトは感じた。バックミラーには、誰も映っていない。
「魂が完全に根付いても、アデドラから逃げられるわけじゃあないんだよな」
フェイトが運転席で独り言を漏らす、その様が映っているだけだ。
「ま、何にしても助かったよ。これから、もう一仕事しなきゃいけない」
消耗しきっていた気力が、体力が、すっかり回復している。
魂を介して繋がった少女が、その魂を通じて、力を注ぎ込んでくれたのだ。
その少女が、言った。
「……あいつらが、日本で蘇ったのね?」
「アデドラが感じられるって事は、いよいよ間違いないな」
フェイトはついに、名を口にした。
「……錬金、生命体」
「あたしが日本にいれば、まとめて狩りに行ってあげるところだけど」
アデドラには今、アメリカを離れられない理由があるのかも知れない、とフェイトは思った。
「狩りは、俺の仕事さ。あいつらは俺が、始末つけなきゃならない」
「あの女が、あたしを捕まえに来たわ。戦って、追い払ったけど」
アデドラが、意味不明な事を言った。
「まだ狙われている。あたしがアメリカを離れられない理由は、それよ」
「あの女って……?」
「フェイトにそっくりな女の子よ。2人か3人、いるみたいだけど」
3人、いるはずだった。フェイトのクローンとして生を受けた少女7人のうち、虚無の境界へと流れて行った者は。
3人とも、かの組織の盟主たる女神官の分身として、いろいろと暗躍しているようである。
あの女神官は、確かに言っていた。フェイトとアデドラを必ず捕え、自分のものにする……と。
「あの子たち、魂を植え付けられてるみたいね。あの女の、腐った花みたいな香りのする魂を」
俺がアデドラから魂をもらったみたいにか、とフェイトは思ったが口には出さなかった。
口に出さずとも、しかしアデドラには伝わってしまう。彼女とは、魂で否応なく繋がっているのだ。
「フェイトとは違うわ。貴方は、あたしが分けてあげた魂を完全に自分のものにしてしまった……無茶ばかりするフェイトという自分自身を、取り戻してしまった。そんな事、あの子たちには無理」
22年間、フェイトとして培ってきた肉体には、どんな魂を入れてもフェイトにしかならない。あの女神官は、そう言っていた。
今、彼女に支配されているのはしかし、生まれて間もない赤ん坊にも等しい少女たちだ。自分自身を培った経験など無いも同然の、クローン人間たちである。
「取り戻すべき自我を、あの子たち、そもそも最初から持ってない。一生、あの女の操り人形ね」
アデドラなら、彼女らが自我を取り戻すために力を貸してやれるのではないか。虚無の境界の女盟主から、あの少女たちを解き放ってやれるのではないか。
フェイトはそう思ったが、やはり口に出して頼める事ではなかった。口に出さずとも、伝わってはいるだろうが。
その事にはもはや触れず、アデドラは言った。
「それよりフェイト。貴方一体、何を飼ってるの」
またしても、意味不明な事をだ。
「こうやって魂を繋げてみて、初めてわかった事だけど……フェイトの心の奥に、わけのわからないものがいる。鎖に繋がれて、閉じ込められて、その閉じ込めた扉にはしっかりと鍵がかかってる」
「俺の中には化け物が棲んでるって話、したと思うけどな。アデドラと会ったばっかりの頃に」
その化け物を先程、久しぶりに感じた。
フェイトの中で、何かが爆ぜた。いや、爆ぜる寸前だった。
あの清掃人たちが助っ人として現れてくれなかったら、本当に爆ぜていただろう。
爆ぜた結果、今頃どうなっていたか。それはわからない。
ただ、こんなふうに呑気に車の運転など、してはいられなかっただろうとフェイトは思う。
「鍵が……外れそうになってたわね、さっき」
アデドラが言った。
「鍵が外れて、扉が開いて、鎖がちぎれて……わけのわからないものが、暴れ出しそうになっていたわ。せっかく根付いた魂が、吹っ飛んでしまいかねないくらいに」
「わけのわからないもの。か……確かにな」
フェイトは思い返した。
確かに自分は先程、わけのわからぬ状態に陥っていたのだ。
そのきっかけは、相棒である隻眼の少女が、錬金生命体との戦いで命を失いかけた事である。
君の兄弟あるいは姉妹が、死ぬ。その時、君は解放されるだろう。
フェイトの記憶の中で、誰かが言った。
聞くもおぞましい言葉。おぞましさのあまり、封印していた記憶。
それが不意に、蘇ってきたのだ。
君の力は、あまりにも強過ぎる。だからリミッターを仕掛けさせてもらうよ。
そのリミッターが外れるのは、よほど強大な敵が出現した時だけだ。
どれほど強大かと言うと……そうだな。君のクローンを倒してしまうほどの敵が、現れた時。その時のみ、君は本来の力で戦う事が出来る。そう設定しておこう。
誰の声であるのか、フェイトはゆっくりと思い出した。
自分を買い取り、実験動物として扱った、あの研究施設。
そこの所長が、実験機器に拘束された工藤勇太に向かって、語った言葉だ。
君の仲間あるいは部下として戦うクローン兵士を、これから何体か作ってあげよう。君と同じ遺伝子を持つ兵士。
クローン兵士と言っても無論、雑兵の如く粗製濫造された怪物では駄目だ。正式な調整を受けた、生まれながらのエリートとも言うべき精鋭。それが1体でも倒された時、君の遺伝子に施されたリミッターが解除される。
(リミッター……俺に……?)
封印されていた記憶が、連鎖的に蘇ってくる。
所長は言葉通り、実験体A01すなわち工藤勇太のクローン作成を、幾度かは試みたようだ。
だが結局、彼自身の言う「粗製濫造された怪物」の域を出るものを作り出す事は出来なかった。
正式な調整を受けた、生まれながらの精鋭。そう呼べるものが完成したのは、所長の死後である。
研究施設の壊滅から、何年も経った後である。
あの隻眼の少女を含む、7人のIナンバー。
彼女らと出会う前にフェイトは、自分の細胞から粗製濫造された怪物たちを大いに殺戮した。
彼らとは違う、きちんとした調整を受けて生まれた、7人の精鋭クローン。
あの7人の少女たちのうち、1人でも命を落とせば。所長の言う「リミッター」が解除される。
解除された結果、何が起こるのかは、わからない。
「ま……別に、わかりたい事でもないし。な」
フェイトは車を止めた。
舗装された路面ではなくなっていた。すでに山道である。
深夜の、山林であった。森と言ってもいいだろう。
ここから先、車で行ける道はない。
アデドラと初めて会ったのも、こんな森の中だった。フェイトはふと、そんな事を思い出した。
ペンシルバニア州の森林地帯、であっただろうか。
あの時は、その森の奥に、虚無の境界の下部組織が隠れ住んでいた。
今回は、この森の奥に、虚無の境界から独立分派した組織が、本拠地を構えている。
ドゥームズ・カルト。
組織そのものを叩き潰さなければならないのは無論だが。
「ヴィクターチップのマスターシステムが……もしあるのなら、俺の手で破壊する。日本にあるって事は、アメリカで潰し損なったって事だからな」
「貴方が責任感じる事ないと思うわ。それより気をつけて、フェイト」
アデドラが、フェイトを見つめた。冷たいほどに澄んだアイスブルーの瞳が、じっと向けられてくる。
「貴方がさっき戦った、黒い炎を操る女……あれは厄介な相手よ」
この清冽なアイスブルーと好対照を成す、血のような炎のような赤い瞳の少女。
ドゥームズ・カルトの本拠地において、決着をつける事になるのか。
「俺の魂を、こんがり焼いて食べる……みたいな事、言ってたな」
フェイトは笑って見せた。
「アデドラと、同じじゃないか?」
「……一緒にしないで」
アイスブルーの瞳が、いささか剣呑な鋭さを帯びる。
フェイトは、咳払いをした。
「……ごめん」
「もう1度だけ言っておくわよフェイト。貴方の魂は、あたしのもの」
言葉だけが、車内に残った。
「あんな女に、狩られたりしたら……許さないわよ」
アデドラの姿は、助手席から消えていた。
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