ソウル・イーター

 助手席にも、後部座席にも、誰もいない。
 今この車の中にいるのは、自分1人である。
 ハンドルを転がしながら、フェイトはしかし声をかけた。
「……アデドラ、いるんだろ?」
 いるわけがなかった。アデドラ・ドールは今、アメリカにいる。
 ここにいるはずのない少女が、しかし返事をした。
「魂が、完全に根付いたみたいね」
 呆れ果てたような口調である。
「……無茶をするフェイトが、蘇ってしまったわ」
「俺の無茶に協力してくれてるんだろ? アデドラは」
 ちらりと、フェイトは視線を動かした。
「力が、戻ってる。気力も体力も、使い果たしたはずなんだけどな」
「貴方を死なせるわけにはいかない。ただ、それだけよ」
 助手席に、1人の少女が座っていた。
 ゴシック・ロリータ調の衣装をまとう、小柄な細身。表情に乏しい、人形のような美貌。
 さらりと揺れる髪は、いくらかウェーブのかかったブルネット。瞳は、氷河を思わせるアイスブルー。
「貴方の命も魂も、あたしのもの……それを忘れないでね、フェイト」
 フロントガラス越しの夜景を見つめながら、アデドラ・ドールは言った。
 自分にしか聞こえない声だ、とフェイトは感じた。バックミラーには、誰も映っていない。
「魂が完全に根付いても、アデドラから逃げられるわけじゃあないんだよな」 
 フェイトが運転席で独り言を漏らす、その様が映っているだけだ。
「ま、何にしても助かったよ。これから、もう一仕事しなきゃいけない」
 消耗しきっていた気力が、体力が、すっかり回復している。
 魂を介して繋がった少女が、その魂を通じて、力を注ぎ込んでくれたのだ。
 その少女が、言った。
「……あいつらが、日本で蘇ったのね?」
「アデドラが感じられるって事は、いよいよ間違いないな」
 フェイトはついに、名を口にした。
「……錬金、生命体」
「あたしが日本にいれば、まとめて狩りに行ってあげるところだけど」
 アデドラには今、アメリカを離れられない理由があるのかも知れない、とフェイトは思った。
「狩りは、俺の仕事さ。あいつらは俺が、始末つけなきゃならない」
「あの女が、あたしを捕まえに来たわ。戦って、追い払ったけど」
 アデドラが、意味不明な事を言った。
「まだ狙われている。あたしがアメリカを離れられない理由は、それよ」
「あの女って……?」
「フェイトにそっくりな女の子よ。2人か3人、いるみたいだけど」
 3人、いるはずだった。フェイトのクローンとして生を受けた少女7人のうち、虚無の境界へと流れて行った者は。
 3人とも、かの組織の盟主たる女神官の分身として、いろいろと暗躍しているようである。
 あの女神官は、確かに言っていた。フェイトとアデドラを必ず捕え、自分のものにする……と。
「あの子たち、魂を植え付けられてるみたいね。あの女の、腐った花みたいな香りのする魂を」
 俺がアデドラから魂をもらったみたいにか、とフェイトは思ったが口には出さなかった。
 口に出さずとも、しかしアデドラには伝わってしまう。彼女とは、魂で否応なく繋がっているのだ。
「フェイトとは違うわ。貴方は、あたしが分けてあげた魂を完全に自分のものにしてしまった……無茶ばかりするフェイトという自分自身を、取り戻してしまった。そんな事、あの子たちには無理」
 22年間、フェイトとして培ってきた肉体には、どんな魂を入れてもフェイトにしかならない。あの女神官は、そう言っていた。
 今、彼女に支配されているのはしかし、生まれて間もない赤ん坊にも等しい少女たちだ。自分自身を培った経験など無いも同然の、クローン人間たちである。
「取り戻すべき自我を、あの子たち、そもそも最初から持ってない。一生、あの女の操り人形ね」
 アデドラなら、彼女らが自我を取り戻すために力を貸してやれるのではないか。虚無の境界の女盟主から、あの少女たちを解き放ってやれるのではないか。
 フェイトはそう思ったが、やはり口に出して頼める事ではなかった。口に出さずとも、伝わってはいるだろうが。
 その事にはもはや触れず、アデドラは言った。
「それよりフェイト。貴方一体、何を飼ってるの」
 またしても、意味不明な事をだ。
「こうやって魂を繋げてみて、初めてわかった事だけど……フェイトの心の奥に、わけのわからないものがいる。鎖に繋がれて、閉じ込められて、その閉じ込めた扉にはしっかりと鍵がかかってる」
「俺の中には化け物が棲んでるって話、したと思うけどな。アデドラと会ったばっかりの頃に」
 その化け物を先程、久しぶりに感じた。
 フェイトの中で、何かが爆ぜた。いや、爆ぜる寸前だった。
 あの清掃人たちが助っ人として現れてくれなかったら、本当に爆ぜていただろう。
 爆ぜた結果、今頃どうなっていたか。それはわからない。
 ただ、こんなふうに呑気に車の運転など、してはいられなかっただろうとフェイトは思う。
「鍵が……外れそうになってたわね、さっき」
 アデドラが言った。
「鍵が外れて、扉が開いて、鎖がちぎれて……わけのわからないものが、暴れ出しそうになっていたわ。せっかく根付いた魂が、吹っ飛んでしまいかねないくらいに」
「わけのわからないもの。か……確かにな」
 フェイトは思い返した。
 確かに自分は先程、わけのわからぬ状態に陥っていたのだ。
 そのきっかけは、相棒である隻眼の少女が、錬金生命体との戦いで命を失いかけた事である。
 君の兄弟あるいは姉妹が、死ぬ。その時、君は解放されるだろう。
 フェイトの記憶の中で、誰かが言った。
 聞くもおぞましい言葉。おぞましさのあまり、封印していた記憶。
 それが不意に、蘇ってきたのだ。
 君の力は、あまりにも強過ぎる。だからリミッターを仕掛けさせてもらうよ。
 そのリミッターが外れるのは、よほど強大な敵が出現した時だけだ。
 どれほど強大かと言うと……そうだな。君のクローンを倒してしまうほどの敵が、現れた時。その時のみ、君は本来の力で戦う事が出来る。そう設定しておこう。
 誰の声であるのか、フェイトはゆっくりと思い出した。
 自分を買い取り、実験動物として扱った、あの研究施設。
 そこの所長が、実験機器に拘束された工藤勇太に向かって、語った言葉だ。
 君の仲間あるいは部下として戦うクローン兵士を、これから何体か作ってあげよう。君と同じ遺伝子を持つ兵士。
 クローン兵士と言っても無論、雑兵の如く粗製濫造された怪物では駄目だ。正式な調整を受けた、生まれながらのエリートとも言うべき精鋭。それが1体でも倒された時、君の遺伝子に施されたリミッターが解除される。
(リミッター……俺に……?)
 封印されていた記憶が、連鎖的に蘇ってくる。
 所長は言葉通り、実験体A01すなわち工藤勇太のクローン作成を、幾度かは試みたようだ。
 だが結局、彼自身の言う「粗製濫造された怪物」の域を出るものを作り出す事は出来なかった。
 正式な調整を受けた、生まれながらの精鋭。そう呼べるものが完成したのは、所長の死後である。
 研究施設の壊滅から、何年も経った後である。
 あの隻眼の少女を含む、7人のIナンバー。
 彼女らと出会う前にフェイトは、自分の細胞から粗製濫造された怪物たちを大いに殺戮した。
 彼らとは違う、きちんとした調整を受けて生まれた、7人の精鋭クローン。
 あの7人の少女たちのうち、1人でも命を落とせば。所長の言う「リミッター」が解除される。
 解除された結果、何が起こるのかは、わからない。
「ま……別に、わかりたい事でもないし。な」
 フェイトは車を止めた。
 舗装された路面ではなくなっていた。すでに山道である。
 深夜の、山林であった。森と言ってもいいだろう。
 ここから先、車で行ける道はない。
 アデドラと初めて会ったのも、こんな森の中だった。フェイトはふと、そんな事を思い出した。
 ペンシルバニア州の森林地帯、であっただろうか。
 あの時は、その森の奥に、虚無の境界の下部組織が隠れ住んでいた。
 今回は、この森の奥に、虚無の境界から独立分派した組織が、本拠地を構えている。
 ドゥームズ・カルト。
 組織そのものを叩き潰さなければならないのは無論だが。
「ヴィクターチップのマスターシステムが……もしあるのなら、俺の手で破壊する。日本にあるって事は、アメリカで潰し損なったって事だからな」
「貴方が責任感じる事ないと思うわ。それより気をつけて、フェイト」
 アデドラが、フェイトを見つめた。冷たいほどに澄んだアイスブルーの瞳が、じっと向けられてくる。
「貴方がさっき戦った、黒い炎を操る女……あれは厄介な相手よ」
 この清冽なアイスブルーと好対照を成す、血のような炎のような赤い瞳の少女。
 ドゥームズ・カルトの本拠地において、決着をつける事になるのか。
「俺の魂を、こんがり焼いて食べる……みたいな事、言ってたな」
 フェイトは笑って見せた。
「アデドラと、同じじゃないか?」
「……一緒にしないで」
 アイスブルーの瞳が、いささか剣呑な鋭さを帯びる。
 フェイトは、咳払いをした。
「……ごめん」
「もう1度だけ言っておくわよフェイト。貴方の魂は、あたしのもの」
 言葉だけが、車内に残った。
「あんな女に、狩られたりしたら……許さないわよ」
 アデドラの姿は、助手席から消えていた。

カテゴリー: 02フェイト, season8(小湊WR), 小湊拓也WR(フェイト編) |

ハイ・プリースト

世賀平太のこよなく愛する月刊アトラスが、廃刊の危機を迎えている。
 事実を、ありのままに書き過ぎてしまったからだ。
 無理もない部分はある、と世賀としては思わなくもない。
 ニューヨークを蹂躙する、巨大な機械の怪物。それと戦う巨大ロボット。
 そんな記事で特集を組んでしまったものだから、話題と言うか大騒ぎになった。
 アトラスの公式サイトは大いに炎上し、編集長の解任要求が白王社には殺到した。
 世賀も、あの特集は熟読した。モバイル・アトラスで配信されていた動画も見た。アトラスの新人記者が現地に赴き、命懸けで撮影したものであるらしい。
 あれがフェイクならば、恐ろしく出来の良いフェイクであるとしか言いようがなかった。
 それならば、例えば昔の1999年騒動のように、作り物のエンターテインメントとして楽しめば良いものを、それすら出来ずに大騒ぎしてアトラス編集部を攻撃する輩が実に多い。
 だが、あの編集長は、そんなものに動じるようなか弱い女性ではなかった。
 炎上商法的な効果も、あったのだろう。雑誌そのものは大いに売れた。
 なのに廃刊の危機を迎えている。
 アメリカ政府が、動いたからだ。
「要するに……全て本物と、そういう事になるわけだ」
 苦笑しつつ世賀は、携帯端末を折り畳んだ。
 ドゥームズ・カルトの生体兵器工場。その中枢と言うべき場所である。
 工場のコンピューターから、抽出すべきデータは全て盗み取った。
「ヴィクターチップ……錬金生命体、か」
 世賀なりに、いろいろと調べられる事はあった。
 アメリカ政府が、日本政府に圧力をかけてまで、月刊アトラスを潰そうとしている。
 つまり、あの動画は、出来の良いフェイクなどではないという事だ。アメリカ政府としては絶対に隠し通さなければならない出来事の、本当の記録なのである。
 日本では、テロリストや大型ハリケーンによる災害としか報道されなかった。
 アメリカで起こった、その一連の出来事に関し、世賀の伝手で調べられる事は調べてみた。
 その結果、浮かび上がって来たものがある。
 混沌の海に浮かぶ、それは戦船の名であった。
 死者の魂を乗せて神々に戦を挑み、ラグナロクを引き起こす船。
 その禍々しき戦船の漕ぎ手とも言うべき怪物たちが、日本で再生産されている。ドゥームズ・カルトによってだ。
 工場が、揺れている。
 地震ではない。動力機関室が、IO2によって爆破されたところである。あと1時間も経たぬうちに、工場そのものが吹っ飛んで地上から消え失せる。
「お、おい! そこの貴様、何をしている!」
 逃げ惑う工場職員の1人が、詰問の声を投げてくる。
「貴様もIO2の工作員か! ならば生かしてはおかんぞ!」
「あ、いや……一応、ここの関係者なんだけどな」
 世賀が今、身にまとっているのは、いつものような清掃作業服ではなく純白の法衣である。偉大なる『実存の神』に仕える、僧侶の正装。
 その胸では、高位司祭の身分証たる神の紋章が輝いている。無論、偽物だが。
「は……し、失礼いたしました!」
 職員はそれを見抜く事なく、恐縮してくれた。
「も、申し訳ございません高僧殿! 我ら、この工場を守る事が出来ず」
「ああ、そのようだね。まあ、これも実存の神の思し召しというものさ」
 世賀は高僧らしく、聖人めいた事を言ってみた。
「工場など、人がいればいくらでも造り直せる。君たちは早くお逃げ」
 脱出したところで、この者たちに行くあてなどない。ドゥームズ・カルトの本拠地に逃げ戻っても、処刑されるだけだ。
 それはともかく、世賀自身もそろそろ逃げなければならないだろう。
 逃げ惑う職員たちを偉そうに避難誘導しながら、世賀は呟いた。
「日本は狭いんだ。怪獣や巨大ロボットが大暴れ出来るような場所なんてない……そういうのはさ、アニメの中とかだけにしておこうよ」

 アメリカで何か起こっていた、くらいのニュースは日本にも伝わっている。
 テロリストに、巨大ハリケーン。テレビも新聞も雑誌も、そのようにしか報道しない。
 報道されていない何かがある、という気配はあった。
「でも、だからって……巨大ロボット? ってのは、どうなのよ局長」
 この場にはいない局長に語りかけながら、森くるみは無造作にモップの柄を突き込んだ。
 襲いかかって来た怪物の、眉間の辺りにだ。
「何とかチップ? とにかくワケわかんねぇチート回路が頭ん中に埋まってんだってなぁ。なら、それごとブッ潰してやるっつうの」
 皮膚を剥がされた人間のような姿。剥き出しの筋肉はしかし、外皮同様の強靭さを有しているようである。
 そんな怪物が、眉間を穿たれ、崩れ落ちるように倒れて動かなくなった。
 別の1匹が、しかしすでに背後にいる。筋肉剥き出しの剛腕が、唸りを立ててくるみを襲う。剛腕の先端で、カギ爪が閃く。
「くっ……!」
 とっさに身を捻ったが、かわしきれなかった。くるみは悲鳴を噛み殺した。
 左肩の辺りに、鋭い激痛が走る。清掃作業服が裂け、微量の鮮血が飛び散った。
 歯を食いしばり煙草を噛み締めながら、くるみは相手の眉間を狙って反撃を突き込んだ。
 突き込まれたモップの柄を、しかし怪物が軽やかに回避する。まるで猿のような動きだ。
 戦闘経験を全員で共有し、戦いのさなか急速に成長してゆく怪物たち。1体が殺されれば、他の者たちはその場で、死をも経験した歴戦の勇士となるのだ。
 この難儀な怪物たちの名は、錬金生命体。
 彼らの頭部に埋め込まれた『ヴィクターチップ』とかいう装置が、そのような裏技を可能にしているらしい。
 清掃局局長・世賀平太が、そう説明してくれた。
 個々のヴィクターチップによって得られた戦闘経験データは、どこかにあるマスターシステムに蓄積される。
 そのマスターシステムを搭載した、言わば経験値の塊とも言うべき巨大ロボットが、アメリカで大活躍と言うか大暴れをしていたらしい。それも、世賀局長の話である。
 月刊アトラスの記事から、そこまで妄想を膨らませる事の出来る局長の童心が、くるみは羨ましくもあった。
 光が、一閃した。
 くるみの反撃を猿のようにかわした錬金生命体が、次の攻撃に移ろうとしながら硬直する。
 硬直した胴体から、頭部がころりと分離した。断ち切られた頸部に、ぞっとするほど滑らかな断面が残っている。
 1人の少女が、くるみの傍らに着地した。豊かなポニーテールが、ふんわりと揺れる。
 くるみと同じく、血まみれである。細い全身のあちこちで服が裂け、血が滲んでいる。
 たおやかな手には、抜き身の日本刀が握られていた。
 隻眼の美貌は、憔悴しきっている。もはや遠くから念動力の斬撃を飛ばすほどの気力もなく、こうして細い身体に鞭打って踏み込んで来るしかないようだ。
 くるみは声をかけた
「逃げた方が、いいんじゃねえのかい」
「工場の破壊。それが私の任務だ」
 生意気な事を言いながら、少女が抜き身を構える。
「この怪物どもが1匹でも逃げ出し、一般市民を殺傷するような事があれば……それは任務成功とは言えない。こやつらの殲滅を確認するまでが、工場破壊の任務だ」
「家に帰るまでが遠足です、みたいな?」
 そんな事を言いながら、くるみは少女と、いつの間にか背中を合わせていた。
 互いの背中を守りながら、くるみはモップを方天画戟か青龍偃月刀の如く構え、隻眼の少女は抜き身を鞘に収めて居合を狙う。
 そんな2人を、錬金生命体の群れが取り囲む。
 睨み、見回しながら、くるみは少女に訊いてみた。
「あんたの片目……もしかして、ものもらい? 部屋ぁ汚くしてるから、空気がバイキンだらけになっちまうんだぜ」
「私の部屋は、汚れてなどいない」
「今度行って、掃除してやろうか」
 言いつつ、くるみは傍らの清掃用カートから、大型のワックス缶を引っ張り出した。
 そして思い切り、ぶちまけた。
 一斉に襲いかかって来た錬金生命体たちが、ことごとく転倒する。
 そちらに向かって煙草を弾き飛ばしながら、くるみは言った。
「駄目だぜ? いらないものは片っ端から、こうやって燃えるゴミにしちまわねえと」
 轟音を立てて炎が生じ、渦巻いた。
 転倒した錬金生命体の群れが、起き上がる暇もなく紅蓮の渦に飲まれ、焦げ砕けてゆく。
「もったいない、何かに使えるかも、はNGなわけよ。まず間違いなく使わねえから。そーゆうものは、とにかく処分する。お片付けの基本だな」
「何故……私を、助けてくれた?」
 炎を迂回して来た錬金生命体を、居合の一閃で斬首しながら、少女が問う。
「私とて……まず間違いなく使えない、真っ先に処分すべきものの1つ、なのかも知れないのに」
「ゴミってさ、処分するとスッキリするよな。いい気分に、なるよな? お掃除ってのは、スッキリいい気分にならなきゃいけねえ」
 答えながら、くるみはモップの柄を思い切り突き上げた。
 炎を飛び越え、襲いかかって来た錬金生命体の眉間を、その柄が突き砕く。
「おめえを処分しても、あたしは多分スッキリしねえ。面白くねえ。つまんねえ思いしかしねえ。ねえねえ尽くしじゃんよ。だから、まあ……こんなとこで死ぬのは、やめとけよな」
「死なずに、いられるかな……」
 火勢が弱まり、遺灰が熱風に舞う。
 その向こうから、錬金生命体たちは際限なく押し寄せて来る。
 暴風が吹いた。咆哮と共にだ。
「おうおうおう、おめぇらだけでキバってんじゃねーぞう!? 俺にも遊ばせろやああああああ!」
 熊、いや巨大な狼か。
 とにかく獣が1頭、錬金生命体の群れに殴り込んだところである。
 獣毛をまとう剛腕が、人体模型のような怪物たちを薙ぎ払う。パンチか、手刀か張り手か、くるみの動体視力をもってしても判然としない。
 とにかく錬金生命体たちは、ことごとく潰れ散った。主に、首から上の原型を失っていた。
 道元ガンジ。普段は辛うじて人間に見えるスキンヘッドの大男だが、本格的な戦闘時には、このような獣人と化す。どちらを正体と呼ぶべきかは、わからない。
 獣毛をふさふさと生やした巨体に、錬金生命体たちが凶暴に群がって行く。
 無数の牙が、カギ爪が、ガンジの全身あちこちに突き刺さる。
 くるみを、あるいは隻眼の少女を狙っていた怪物たちが、標的をガンジに変更していた。
 少女が呻く。
「貴方は……また、私の楯に……?」
「勘違えすんな。俺ぁただ、こいつらと遊んでやってるだけよ」
 笑うガンジの全身から、鮮血がしぶき、赤い霧となった。
 その霧を蹴散らす勢いで、大量の肉片と体液が飛び散った。
 まとわりつく蜘蛛の巣でも払い落とすかのようにガンジは、錬金生命体たちを引きちぎっていた。
 狼と言うより熊のようでもある爪を生やした巨大な手が、怪物たちの強固な筋肉を掴み裂く。
 毛むくじゃらの巨木、とでも表現すべき足が、錬金生命体の頭蓋を踏み潰す。
 鼻面もろとも大きく迫り出した口が、食らいついてきた錬金生命体の1体を、逆に食い殺していた。白く強靭な牙が、怪物の太い首筋を切り裂いて噛み砕く。
「がふっ、うぐうぅ……不味い! 姐さん、こいつら不味いよー!」
「拾い食いは、ほどほどにしときな」
 くるみは言った。
「それとだ、あたしを姐さんと呼ぶんじゃねえ。あんたの方が年上だろうが」
「じゃ俺の事、お兄ちゃんって呼んでくれよう」
「……おめえなんざぁ、暴れ犬のガンジで充分だっ」
 そんな応え方をしながら、くるみはモップを突き込んだ。
 食らい付いて来た錬金生命体の、こめかみの辺りに、モップの柄尻がめり込んでいた。
 くるみにはガンジのような、豪快な殺戮を行うほどの馬鹿力はない。だがガンジと違って、このように外傷のない綺麗な死体を作り出す事が出来る。
 その死体を片足で踏み付けながら、くるみは周囲を見回した。
 群れる錬金生命体の数は、あまり減ったように見えない。
 だが全員、動きを止めていた。
 獣の如く敏捷に剽悍に動き回っていた怪物たちが突然、それこそ人体模型のような、人形に変わってしまった。そんな感じである。
 死んだ、わけではない。ただ一瞬にして、身体能力の全てを失ってしまった様子だ。
 戦闘経験を共有し、加速度的に向上させてきた身体能力の、一切をだ。
 人体模型の群れ、とでも言うべき状態になってしまった錬金生命体たちの間を、1人の男が悠然と歩いている。携帯端末を聖書の如く携えた、僧衣の男。
「間に合った、みたいだね……」
「局長……何だい、その格好は」
 問いかけながら、くるみは思わず吹き出してしまった。
「ロープレの僧侶か何かのコスプレみたい。魔法でも使ったの?」
「ヴィクターチップを、システムダウンさせただけさ。ちょっと時間がかかってしまって申し訳ない。ちなみに、これはドゥームズ・カルトのお偉いさんの制服だよ」
 清掃局局長・世賀平太が答えた。
「まあ何だ、ファンタジー世界の悪い僧侶なんかと大して変わらない連中なのは確かだ。悪い神様だの何だのっていうのは本当、アニメやゲームの中だけにして欲しいねえ」

カテゴリー: 02フェイト, season8(小湊WR), 小湊拓也WR(フェイト編) |

魔眼の封印

あの赤い瞳の少女は、確かに恐ろしい敵だった。恐ろしい敵を、フェイトが1人で引き受けていた。
 その間、イオナが楽をしていたわけではない。
 この敵たちを相手に戦い、切り抜け、力を消耗し続けてきたのだ。
 皮膚を剥ぎ取った人間、のように見える。剥き出しの筋肉はしかし、外皮同然の強靭さを有しているようだ。
 唇のない口元では、刃物のような牙が凶暴に輝いている。
 そんな怪物たちが、一目では数を把握出来ないほど群れているのだ。
 そして、あらゆる方向からフェイトに、イオナに、襲いかかる。
 襲い来る者たちを、イオナは隻眼で見据えた。
 フェイトと同じ、緑色の瞳。眼光を燃やしているのは、右側だけだ。左目は、黒いアイパッチで覆われている。
 この少女が左目を解放した時、恐ろしい事が起こる。IO2日本支部で囁かれる、噂の1つだ。
 今のところは左目を解放せず、イオナは左手で鞘を握り込んだ。
 刀身を内包した鞘。
 無銘の日本刀である。妖刀魔剣の類ではない、単なる数打ち物だ。
 その鞘から、光が走り出した。
 抜刀。
 たおやかな五指が、しっかりと柄に絡みついている。それが、フェイトには辛うじて見えた。
 少女の繊手が、細腕が、無銘とは言え重量のある日本刀を、軽々と抜き放ち、一閃させたのだ。
 腕力の不足を、念動力で補っている。
 フェイトがそんな分析をしている間に、怪物たちは薙ぎ払われていた。少なくとも12、3体が、真っ二つになっていた。
 腕力で振るわれる刃では有り得ない殺戮をもたらす、念動力の斬撃。
 上下に両断された怪物たちが、断面から様々なものをぶちまけ、倒れてゆく。
 その様を眺めながら、フェイトは弱々しく上体を起こした。
 立ち上がれぬフェイトを背後に庇いながら、イオナが剣を構える。優美な反り身の片刃は、目に見えぬ念動力の波動を帯びている。
「お兄様は……立てないのか? ならば這いずって逃げてもらうしかないな」
「何を……言ってる……!」
 呻きながら辛うじて、フェイトは立ち上がっていた。
「戦う余力があるうちに逃げろ! 俺を守るために力を消耗するな!」
「逃げなければならないのは、私ではなくお兄様の方だ。何故なら……お兄様は、1人しかいないのだから」
 豊かなポニーテールが、ふんわりと揺れる。
 たおやかな細腕が、重い抜き身を一閃させていた。
「私は、あと3人いる。1人目が、ここで失われるだけだ」
 一閃した刃から、念動力の波動が迸る。
 怪物たちが数体まとめて、斜めに裂けた。
「I02、03、06……彼女たちが、私の記憶も戦闘データも、全て受け継いでくれる。問題はない」
「あの3人が……」
 フェイトの妹たち、とも呼べる少女が7人いた。
 うちI01、04、05の3体は、虚無の境界へと走った。
 残る4名はIO2の管理下に置かれたわけだが、エージェントとして動いているのはI07……イオナのみである。
 他3人が現在どのような扱いを受けているのか、フェイトは知らない。知らされていない。
「3人とも、あれから意識が戻っていない。昏睡状態のまま、生命維持設備によって保存されている。私の、予備として」
「予備……だと……」
 殺意に近い怒りが、燃え上がった。
 それをフェイトは、辛うじて押さえ込んだ。
 彼女たちを昏睡状態に陥らせたのは、自分である。
 IO2日本支部は、非道な事など何もしていない。むしろ彼女たちの、生命を維持してくれているのだ。
 黒い影が複数、イオナを襲った。
 剥き出しの筋肉組織を躍動させながら、怪物が2体、いや3体。念動力の斬撃を、低く駆けてかいくぐり、あるいは跳躍して飛び越え、イオナに迫る。
 肉食の猿を思わせる、剽悍な動き。
 木偶人形のように斬殺されていた怪物たちの身体能力が、いきなり向上したとしか思えなかった。
(こいつら……!)
 フェイトは息を呑んだ。
 戦闘経験を全員で共有し、急速に能力を成長させてゆく怪物の群れ。
 同じようなものたちを、自分は知っている。
 だが、そんな事があるのか。否、あるはずがない。断じて、あってはならない。
 フェイトがそんな事を思っている間に、3体の怪物は牙を剥き、凶暴な勢いでイオナに群がっていた。
 様々なものが、飛び散った。
 少女の細身が、ズタズタに食いちぎられた。一瞬、そう見えた。
 飛び散ったのは、怪物たちの肉片だった。細切れにされている。その肉片1つ1つに、滑らかな断面が残っている。
「お兄様も知っての通り……私の斬撃は、銃弾の距離まで届く」
 念動力をまとう剣をゆらりと構えながら、イオナは微笑した。
 隻眼の美貌が、赤黒く汚れている。返り血か、自身の流血かは、判然としない。
 両方だ、とフェイトは思った。
「だからと言って、間合いを詰められたら何も出来ない……わけではないよ。あの師範殿に徹底的に叩き込まれたのは、むしろ接近戦の剣技でな」
 イオナの全身あちこちで、黒いスーツが裂けている。
 白い肌に痛々しく血の滲んでいる様が、二の腕で、脇腹や太股で、露わになっていた。
 怪物たちの、牙によるものか、爪によるものか。
 とにかく。念動力の斬撃をもかわすほどに敏捷性を上げた怪物の群れが、さほど減った様子もなく、周囲いたる所で牙を剥いている。
「要するに、この場は私1人で大丈夫という事さ」
「……俺にはそうは思えないんだよ、イオナ」
 フェイトは拳銃を構えた。辛うじて、構える事は出来る。撃つ事も出来る。残弾数には、まだ余裕がある。
 余裕がないのは、フェイトの力の残量だ。構えた拳銃が、重い。
 赤い瞳の少女との戦いで、全ての力を使い果たしてしまった。
 もはや逃げる力も残っていない、とフェイトは思った。
「1つ言っておくぞ、イオナ……お前に、2人目3人目なんていない」
 両眼が緑色に燃え上がるのを、フェイトは止められなかった。
「彼女たちは、彼女たちだ。お前の予備なんかじゃあない。あんまり失礼な事、言うなよな」
「…………」
 イオナが、何か呟いた。
 フェイトは耳を疑った。そして激昂した。
「おい、ふざけてるのか! こんな時に!」
「こういう危機的状況になると、つい口に出てしまうんだよ……ふふ、美味しくなるための呪文……」
 血まみれの美貌で微笑みながら、イオナは左手で顔面に触れた。
 顔の左半分を走るアイパッチに、綺麗な指先を引っ掛けた。
「それが、よく効いていたのかも知れないな……あのケーキセット、美味しかったよ」
「イオナ……何、しようとしてる?」
 訊くまでもない事だった。イオナは今、アイパッチを外そうとしている。
 左目を、解放しようとしている。
「これを外すと……私は、自分で自分を止められなくなる。実戦で、試した事はないんだが」
 血まみれの美貌が、激しいエメラルドグリーンに染まった。
 外れかけたアイパッチから、眼光が溢れ出している。
「やめろ……」
 フェイトは確信した。
 自分で自分を止められなくなる。それは、本当の事であろう。
 全ての力を振り絞りきるまで、イオナは止まらなくなる。気力のみならず、生命の力をも消耗し尽くすまで。
 死ぬまで、イオナは止まらなくなる。
「うっかり、お兄様を殺してしまうかも知れない……だから、どうしても逃げて欲しいんだが」
 やめろ、とフェイトが叫ぼうとした、その時。
 怪物たちが、一斉に襲いかかって来た。凶暴な、肉食の猿の動きで。
 この者たちを、やはり自分は知っている。
 そんな相手との戦いで、イオナが死に向かおうとしている。
 自分の中で、何かが爆ぜようとしているのを、フェイトは感じた。自覚しても、止められなかった。
 自分もまた、死ぬまで力を振り絞るしかない。
 戦いは、ここで終わりではないのだ。この後、ドゥームズ・カルト本拠地に攻撃を仕掛けなければならない。
 この後の戦いなど、しかしフェイトの頭からは綺麗に消えて失せた。
(こいつらとの、戦いで……イオナが……死ぬ……)
 それだけが、フェイトの頭に満ちた。
「ちぃーッス。お掃除、入りまーす」
 無愛想な、女の声が聞こえた。
 餓えた猿の如く疾駆し、跳躍しようとしていた怪物たちが、ことごとく転倒した。
 油のようなものが大量に、ぶちまけられていた。清掃用のワックス、であろうか。
 そこへ、吸い殻になりかけた煙草が放り込まれる。
 炎が、轟音を立てて生じ、渦巻いた。爆発にも等しい炎上。
 怪物たちが、片っ端から灰に変わってゆく。
 アイパッチを外そうとする動きを硬直させながら、イオナが呆然としている。
 呆然としているのは、フェイトも同じだ。
「あんた……」
「焼却炉まで運んでくの、めんどいからな」
 新しい煙草を咥えながら、その女性は言った。
 一見すると、この工場に勤める清掃作業員である。清掃用の作業服が、恐ろしく似合っている。
 以前、フェイトとは1度だけ、戦闘行動を共にした。それだけの間柄だ。
 なのに何故、助けに来てくれたのか。
 そんな事を訊いている場合では、なさそうであった。
 焼殺を免れた怪物たちが、爆炎を迂回し、襲いかかって来る。
 暴風のようなものが、飛び込んで来た。
 怪物たちが、砕け散った。叩き潰され、引き裂かれている。
 獣が1頭、暴れていた。
 熊、であろうか。毛むくじゃらの、人型に近い体格をした猛獣。
 その牙が、あるいは獣毛をまとう豪腕が、怪物たちを粉砕してゆく。
「貴方は……」
 イオナが、隻眼を見開いた。
 獣が、ニヤリと笑った。
「一撃喰らえば死んじまう身体で、無茶しやがんのは相変わらずみてえだな」
 熊と言うより、狼か。大柄な狼男。ライカンスロープの類、であろう。
 清掃員の女性が、ちらりとイオナを睨んだ。
「ははん、おめえだな? うちの研究所にカチ込んで来て殺しまくって、ハラワタやら死体やら大量にぶちまけて、片付けもしねえでコーヒー飲んで菓子食って帰っちまいやがったのは」
 フェイトが、無様にも氷漬けにされ捕われてしまった時の話であろう。
「ったく、殺りっぱなしで掃除も出来ねえお嬢ちゃんがよ。おめえアレだろ、片付けられねえ女って奴だな。部屋、死ぬほど汚ねえだろ?」
 そんな事を言いながら彼女は、軽くモップを動かした。
 その柄尻が、襲いかかって来た怪物の眉間を突いた。
 外傷のない怪物の屍が、1つ転がった。
 それを踏みつけながら、彼女はさらに言う。
「お掃除の手本、見せてやっからよ。そこで大人しくしてな、汚部屋女ちゃん」
「私の部屋は汚れてなど……汚れるほど、物はない」
 そんなイオナの言葉を聞かず、彼女は怪物たちに向かって踏み込み、一体のこめかみをモップの柄で突き砕いた。
 フェイトは背後から、イオナの肩に手を置いた。
「……死に損ねたな。まあ、もう少し生きてみろよ」
「私は……」
「何度でも言うぞ。イオナは、1人しかいないんだ。今ここにいる1人が死んだら、終わりなんだぞ」
「私は……終わる場所を、得られなかったのだな」
 ぽつりと、イオナが言う。そうしながら抜き身をゆらりと構え、助っ人2名が戦っている場へと、歩み入って行く。
「守られるのは性に合わない。私も戦う……生きて、この場を切り抜けるためにな」
「もっと美味しいケーキセット、食べさせてくれる店がある。変な呪文は必要ない」
 声をかけながら、フェイトは背を向けた。
「連れてってやる。だから……死ぬなよ」
「お兄様……?」
 怪訝そうな声を発しながら、イオナは抜き身を一閃させた。襲いかかった怪物たちが2体、3体、滑らかに切り刻まれて飛散する。
 この場に自分は必要ない、とフェイトは思った。あの助っ人たちがいればイオナも、命を捨てるような戦い方はしないだろう。そんな必要もなく、この場は片付く。
 フェイトが1人で片付けなければならない戦いがある。
 ここにいる怪物たちの正体が、自分の思ったとおりのものであるならば。
 ドゥームズ・カルト本拠地における戦いは、フェイトが誰の力も借りずに決着をつけねばならないものになるはずだ。
「こいつらを戦力として使うのは、許さないぞ……実存の神」

カテゴリー: 02フェイト, season8(小湊WR), 小湊拓也WR(フェイト編) |

ローリング・ダウン

ジャズなど聴く耳は持っていないし、酒が飲める年齢でもない。
 このジャズクラブは、だからエリィ・ルーにとって、あまり居心地の良い場所ではなかった。
 グランドピアノを中心に、ボックス席が散在している。
 今は営業時間ではない。客は1人もおらず、店内はしんと静まり返っている。
 その静けさの中に、音楽の余韻のようなものが残っている、のであろうか。
 ボックス席の1つに、エリィは腰を下ろしていた。
 このような居心地の良くない店を、しかも営業時間外に訪れた理由は、ただ1つ。
 店の経営者に、報告しなければならない事があるからだ。
「財閥の御曹司って人種……3人ばかり知ってるけどね。はっきり言って全員、ろくなもんじゃない」
 少し離れた席に、経営者は腰を下ろし、腕組みをしている。細腕で、豊かな胸を抱くように。
「1人は白人とインド人の混ざりもので、煮ても焼いても食えない若造さ」
「あたし知ってる。こないだテレビに出てたよねー」
 世界経済について、何人もの識者が討論する。そんな番組であった。
 討論の内容など、エリィの頭ではよくわからない。
 印象に残っているのは、各国経済界の大物たちを、穏やかに鮮やかに論破してゆく、1人の英国人若社長の弁舌と美貌である。それだけでエリィは結局、大して理解出来ないその番組を、最後まで見てしまった。
「頭良くて、イケメンで、しかもお金持ち! 王子様って、本当にいるのねえ」
「……憧れるだけにしときなよ。あれは本当、マフィアなんかよりタチ悪い男だから」
「現役のマフィアさんが、そういう事言っちゃうんだ」
 父親がマフィア組織の大物である、という事くらいしかエリィは、この女性に関しては知らない。いくら情報屋でも、安全に調べられる事とそうでないものがある。
 1つ明らかなのは、このリタ・アンヘルという女性が、父親の七光だけで現在の立場にある、わけではないという事だ。
 26歳。経営者としては、まだ小娘とも言える年齢である。
 長い黒髪が真っ二つに割れ、怜悧そのものの白い美貌が現れている。
 その美貌と、優美なる左右の繊手。肌の露出はその程度で、豊麗なる肢体のほぼ全てが、真紅のドレスで包み隠されていた。溢れんばかりの色香を無理矢理、閉じ込める感じにだ。
 彼女が経営しているのは、このジャズクラブだけではない。酒場やカジノや娯楽施設等、数軒の店を任されているようだ。
 ほとんどが、潰れかけていた店である。その全てをリタは立て直し、今では組織の資金源として機能させている。
 そして彼女は、エリィたち情報屋の、元締めと言うべき存在でもある。
「それでリタ姐。ろくでもない御曹司の、あとの2人は?」
「1人は、まあ見た目は可愛いお坊ちゃんだけどね。中身は海千山千の年寄りそのもの。人を油断させて足元すくうのが得意な、若作りの老いぼれさ。ただね、あの歌だけは……歌だけはねえ。本当、天使の歌声なんだけどねえ」
 この店を見ればわかる通り、ジャズに傾倒している女性である。
 そのリタに、ここまで言わせる。恐らく、稀有な音楽の才能を持った人物なのだろう。
「で……3人目が、これ」
 これ、と呼ばれた男が、ボックス席ではなく床に座らされている。
 若い、白人の男である。見事な金髪碧眼で顔立ちは整っており、背が高く体格もスリムだ。もう少し筋肉があっても良い、とエリィは思う。貧相な体つきが、一糸まとわぬ状態で丸見えなのだ。
 全裸ではない。股間に葉っぱが貼り付いている。エリィが貼り付けたものだ。
 そんなアダムのような姿のまま、彼は正座を強いられている。
 ウィスラー・オーリエ。
 この男に関する一連の事を、エリィはリタに報告した。
 報告を聞き終えたリタが、とりあえず言う。
「肝心な報告が1つ抜け落ちてるよエリィ……こいつ、何で服を着ていない?」
「だって、すぐ変身して破いちゃうんだもの」
「服もそうだが……私はいつまで、床に座っていれば良いのだ」
 ウィスラーが、辛そうな声を発した。
「見たところ、席がいくつも空いているようだが……」
「お客様に座っていただくための席だ」
 リタが、冷然と言い放つ。
「お前みたいなゴミを乗っけるための椅子はない。店に入れてやってるだけでも、ありがたいと思いな」
「……私は、ゴミではないのだよう……」
「正座ってのは、いいね。欧米人にとっちゃ、お手軽な拷問だ」
 ウィスラーはさめざめと泣きじゃくり、リタは楽しそうに嘲笑う。
「あんたんとこの財団はね、他2つと比べて格段に……あたしらマフィアが付き合いやすい相手だったのは確かだ。けど最近、様子がおかしい。御曹司が変な宗教にハマって、そっちに金が流れてる。おかげで、あたしらとの商売が少々おろそかになっちまってるようなんだが、その辺どうなの。ねえ、お坊ちゃん」
「へ、変な宗教とは何事か。私は、偉大なる実存の」
「ここで神様がどうのとか言ったら、殺すよ」
 リタの両眼が、ギロリと燃え上がった。ウィスラーが震え上がり、小さく悲鳴を上げる。
「あたしが知りたいのは、オーリエ財団が今どういう事になってるのか、ただそれだけ。正座じゃ済まない拷問を始められたくなかったら、ほらとっとと答えなよ」
「リタ姐、怒らないで」
 エリィは声をかけた。
「この人、いい金蔓になるんだから。それに、その……」
「エリィ、あんたは少し優しすぎる。そんなんじゃ情報屋なんて務まらないよ?」
「情報屋だからよ。この人からは、まだいろんな情報引き出せるかもしれないし」
「……どうだかねえ、それは」
 価値のないものを見下ろす目でリタは、泣き怯えるウィスラーを睨めつけている。
 エリィも詳しい事を知るわけではないが、話してみて、わかった事はある。
 このウィスラー・オーリエという男、どうやら記憶が曖昧な状態にあるらしい。
 EU経済の重鎮とも言える財閥の御曹司が、いかなる経緯でドゥームズ・カルトに入る事となったのかは不明だ。
 入る際に洗脳処理の類を受けたのではないか、とエリィは思っている。
 その後、ドゥームズ・カルトと敵対する何者かに捕えられ、あのような怪物に作り変えられた。そこでも、頭の中をいくらか弄られたのだろう。
 結果、自分の実家であるオーリエ財団の事すら、断片的にしか思い出せなくなってしまった。
 金になるような情報など、引き出せるわけがない。
 それがわかっていて何故、自分は、この役立たずな男の面倒を見ているのか。
 エリィ自身にも、説明出来る事ではなかった。
 リタが、溜め息をついた。
「……もういい。実家に帰って、ドゥームズ・カルトへの投資をやめさせなよ」
「無理だ……」
 めそめそと泣きながら、ウィスラーは応えた。
「誰も私の言う事など、聞いてはくれん……今、財団の実権を握っているのは、ドゥームズ・カルトが送り込んだ私のクローンだ。あんな姿形だけのクローンを、誰も偽物と見抜いてくれない……うむ、だんだん思い出してきたぞ」
 思い出せない方が、この男のためではないのか、とエリィは思った。
「我が財団は他2つの財閥と比べ、勢力的にいささか遅れをとっているのが現状でな。だからドゥームズ・カルトと結びついた。私が何を言ったところで、その方針が変わる事はない。財団にとっては私など、本物であろうが偽物であろうが関係ないのだ。元々、飾り物の御曹司であったからな……多額の捨て扶持を与えられ、そこそこの贅沢を許されていただけだ。私の周りに集まって来るのは、その贅沢のおこぼれにあずかろうという輩のみ。おっと勘違いするなよ、孤独を訴えているわけではないぞ。私はな、ドゥームズ・カルトの大幹部として能力と実績を示し、あの者どもを真の意味において平伏・拝跪させる! このウィスラー・オーリエの力と叡智をな、私を蔑ろにしてきた者ども全員が思い知る事にぶぎゃっ」
 ウィスラーが吹っ飛んだ。
 リタは何もしていない。ただ、その黒い瞳が一瞬だけ青白く燃え上がった、ようにエリィには見えた。
 青白い炎、のようなものが生じて渦を巻き、巨大なネズミ花火の如く猛回転して、ウィスラーを殴り飛ばしていた。
 情報屋であるエリィが完全には掴みきっていない、リタ・アンヘルの能力の1つである。凍れる炎。彼女自身は、以前そんな事を言っていた。
「あががががが熱い冷たい痛い! なっななななな何をするか」
「ここはな、夢を語る場所じゃあないんだよ。お客様には夢を見ていただく場所。お前みたいな奴には、現実を思い知らせる場所さ」
 悲鳴を上げてのたうち回るウィスラーに、リタが冷ややかな言葉を投げる。
「多めの小遣いで飼われていた、飾り物の御曹司……自分自身の現実ってものを、まあ思いのほか理解しているようじゃないか。それだけは褒めてやるよ」
「なっ何という無礼な! ドゥームズ・カルトの大幹部たる、この私に対し……あっ、いやその大幹部なのだからもう少し、丁重に扱ってはくれまいか……本当に、もう少しでいいからぁ……」
 ウィスラーが再び、しくしくと泣きじゃくる。
 溜め息混じりに、エリィは呟いた。
「……ここまで情けない男の人ってのも、そうはいないよねえ」
 組織の大幹部として実績を示したかった、というのは本音であろう。
 これまで飾り物の御曹司でしかなかった青年が、一念発起した。が、それだけで大幹部の仕事など務まるはずもなく、今はこのような様を晒している。
 それでもなお、大幹部の夢を捨てられずにいる男。
 哀れむ、以外にしてやれる事が、何かあるだろうか。
 何の事はない、とエリィは思った。自分がこの男の面倒を見てやっているのは、単純に哀れであるからだ。
 かわいそう、以外に、このウィスラー・オーリエという青年を表現する言葉は、どこにも存在しない。
「いい気になってたお坊っちゃんが、ものすごい勢いで坂道を転がり落ちてる。まあ面白い見せ物さ」
 リタが言った。
「これ以上、もう這い上がれない所まで転げ落ちる前に……踏みとどまってみようって気はあるのかい?」
「転がり落ちている……のかなぁ、やはり私は……」
「そりゃあもう、楽しいくらいにね」
 リタが微笑んだ。
 これほど美しく、そして邪悪な笑顔を、エリィは見た事がなかった。
「際限なく転げ落ちるのって楽しいだろ? 壊れたジェットコースターにでも乗っているみたいでさ……踏みとどまるのは楽しくない、はっきり言って辛いよ。辛い思いをして1からやり直そうって気が少しでもあるんなら、性根を叩き直すくらいの事はしてやる。ウェイターに空きがあるんでね」
「ウェイター……ここで働け、という事か?」
「このまま地獄まで転げ落ちた方が楽だってくらいに、こき使う。使い物になるようなら、食客として面倒見てやるよ。使い物にならなければ殺す。従業員は死ぬまで面倒見てやるってのが、この店のやり方でね」
「わかった……ここで、働かせてもらおう」
 リタの双眸が再び、青白く燃え上がった。
 ウィスラーが、床に身を投げ出すように平伏した。
「は、働かせて下さりませ! どうか、お願い申し上げる!」
「頭を下げられちゃあ仕方ないねえ」
 リタが、満足げに頷いている。
 命乞いの土下座に等しい、とは言えウィスラー・オーリエは今日、他人に頭を下げる事を覚えたのだ。
 大いなる進歩だ、とエリィは思った。
(ま、見てくれは悪くないし……ウェイターさんの制服びしっと着せれば、かっこ良くはなるかもね)  

カテゴリー: 02フェイト, season8(小湊WR), 小湊拓也WR(フェイト編) |

エメラルドの隻眼が見つめるもの

「良かったのか? 本当に」
 車のハンドルを小刻みに転がしながら、その青年は訊いてきた。
 黒いスーツに身を包んだ若者。瞳がエメラルドの如く緑色である事を除けば、何の変哲もない20代の日本人青年だ。
 フェイト。それが彼の、この仕事をする上での呼び名である。
 イオナにとっては兄、と言うか父あるいは母とも言えなくはない若者だ。
 彼の細胞から、この肉体は作り出された。
 改めてそれを思いながらイオナは助手席で、己の胸に片手を当てた。いささか起伏に乏しい胸。
 細い身体には、一見すると男物と大して違わない黒いスーツをまとっている。
 フェイトと、お揃いである。IO2の制服なのだから当然ではあるのだが。
「ドゥームズ・カルトって連中、確かに放っとけば色々やらかして被害が出る。潰すべきだとは、俺も思う」
 フェイトは言った。
 イオナは彼のクローンとして、この世に生を受けた。ただし性別は変えられ、外見年齢も低めに設定された。
 そのおかげで安定したのだ、などと得意げに語っていたのは父である。
 フェイトの細胞から、イオナを含む7体のクローン少女を作り上げた男。
 その時点で用済みと判断され、消されてしまった男。
「だけど潰さず残しておいて、『虚無の境界』本家と抗争させる。共倒れを狙う。上層部のその考えも、わからないわけじゃあない……イオナとしては、どうなのかな。復讐に利用できそうな連中、潰しちゃって本当にいいのか?」
 復讐。
 イオナは今のところ、そのためにだけ生きている。復讐のためだけに、IO2の過酷な戦闘訓練にも耐えてきた。
 父を、用済みの道具として処分した、あの女への復讐。そのためだけに。
 イオナは、フロントガラスを睨んだ。
 路上にあの女が立っていたら、フェイトからハンドルを奪い、轢き殺しているところである。
 右目が、フェイトと同じく緑色の眼光を燃やす。
 左目には、黒いアイパッチが被さっている。
 培養液による急激な成長の、副作用のようなものだ。左目には、ほとんど視力がない。
 この場にはいない女を、緑の隻眼で睨み据えながら、イオナは言った。
「複数の敵組織を戦わせ、共倒れを狙う。上層部の人々が本当にそんな事を考えているのだとしたら……彼らは、三国志か何かの読み過ぎだな。都合良く共食いをしてくれるような輩であると、まさかお兄様まで思っているわけではあるまい?」
「……まあ、な」
 フェイトが、むず痒そうな返事をする。
 お兄様などと呼ぶと、彼はこんな反応を見せるのだ。
 イオナとしては、お兄様と呼ぶしかない。父は、1人しかいないのだから。
 仇を討つ。
 イオナが娘として、あの哀れな男にしてやれる事があるとすれば、それしかない。
 復讐。自分には、それしかないのだ。
 フェイトは以前、言っていた。俺だって、昔は何もなかった。でも今はある……と。
 自分には復讐がある、とイオナは思った。
 復讐が済めば、何も無くなってしまう。
 そんな事を一瞬でも思ってしまった自分を、イオナは嘲笑った。
(あの女を……そう容易く倒せるつもりでいるのか? 私という愚か者は……)
「ドゥームズ・カルトの本拠地に乗り込む、前に潰しておきたい場所がある。ちょっと寄り道するぞ」
 フェイトが、車を右折させた。
「生体兵器の工場だ。俺も詳しい事は聞いてないんだけどな……ここが健在だと、本拠地で戦ってる最中に際限なく防衛戦力を送って来られる。だから先に潰しておけと、探偵さんからの御命令さ」
「なるほど、理にかなっている」
 イオナは、適当な返事をした。
 復讐ではない何かが、自分にも見つかるのであろうか。
 そんな愚かな事を、つい考えてしまうのだ。

 皮膚を剥ぎ取った人間、のように見える。
 剥き出しの筋肉はしかし、外皮同然の強靭さを有しているようであった。
 唇のない口元では、鋭い牙が刃物のような輝きを発している。
 そんな怪物たちが続々と、培養液のプールから這い上がって来る様を、黒蝙蝠スザクは壁際から見物していた。
「あのゴミ御曹司のクローンよりは、使い物になるかも……ね」
 少なくとも弾除けくらいには使えそうな怪物たちが、整然と並んでいる。
 天井から伸びた何本ものマニュピレーターが、彼らの頭にザクザクと突き刺さる。脳に、何かを埋め込んでいるようだ。
「かの製薬会社が量産している者どもとは違いますぞ。これらは錬金術を基とする本家本元、正真正銘のホムンクルス……見ての通り、いくらでも補充のきく戦力です」
 工場長が、誇らしげに説明をしている。
 傍らに立つ、いかにも企業重役といった風情の、初老の男に向かってだ。
「少し前にアメリカで起こった騒ぎに関しては、貴方がたIO2ジャパンも大方の情報は掴んでおられるでしょう。あの騒乱の、主役とも呼べる怪物たちですよ。我らドゥームズ・カルトの技術をもってすれば、この者どもを再現するなど容易い事……否、再現ではありませんな。かつてIO2アメリカ本部が粗製乱造したものよりも、遥かに優れた性能を持って、こやつらは蘇ったのです」
「今、頭に埋め込まれているのは」
 初老の男が、興味深げな声を発する。
「……ヴィクターチップ、でしたかな? 確か」
「いかにも。こやつらに戦闘経験を蓄積そして共有させるための回路です。今ここにいる者たちの中から1個部隊を編成し、中東やアフリカの戦場にでも送り込んでご覧なさい。その部隊が仮に全滅したとしても、他の者たちは日本国内に居ながらにして、死をも経験し乗り越えた精鋭と化すのです」
「歴戦の兵士を大量生産出来るシステム、というわけですな……」
「我らドゥームズ・カルトは残念ながら反社会的組織。ですが貴方がたIO2ならば、日本政府との太いパイプをお持ちでしょう。日本が、大手を振って国際貢献をする。与党の先生方も、お喜びになると思いますが」
「自衛隊を派遣するわけではないから、法にも触れない。9条を変える事なく、最強の軍団を作り上げる……ものづくり日本の、新たなるステージですな」
 初老の男が、キラキラと目を輝かせる。欲望の輝きだった。
 最強の軍団を、日本政府に売りつける。その利権を、IO2日本支部が握る事になる。
 スザクは欠伸をした。実につまらない話であった。
 いくらか面白い話もある。
 IO2日本支部で、上層部の人間が何人も行方不明になっているのだ。
 ドゥームズ・カルトや虚無の境界が刺客を放っている、気配はない。
 どうやら内部粛清のような事が、密かに行われている。
 欲望に目を輝かせている男を眺めながら、スザクは思う。恐らく、このような輩が消されているのだろう。
「コクサイコーケンなら、あたしがやってあげるよー」
 スザクは声を投げた。
「外国へ行って、悪いテロリストをいっぱい殺せばいいんでしょ? 簡単簡単」
「貴様は黙っておれ! 汚れ仕事しか務まらぬ低脳の小娘が、そもそも何故こんな所にいる!」
「そりゃあ汚れ仕事やるためなんだけど……ふぅん、そーゆう事言うんだ?」
 スザクは、ゆらりと壁際から離れた。真紅の瞳が、工場長に向かって燃え上がる。
 次の瞬間。侵入者を告げる警報が鳴り響き、工場長は命拾いをした。

 皮膚を剥ぎ取った人間、のような怪物たちが、あらゆる方向から襲い掛かって来る。
 フェイトはひたすらに、左右2丁の拳銃をぶっ放した。
 銃撃の嵐がフルオートで吹きすさび、怪物たちを粉砕してゆく。
 大して強力な敵ではない。数だけの雑魚、と言っていいだろう。
 そんな怪物たちに対してフェイトはしかし、禍々しい違和感のようなものを感じていた。
 違和感と言うより……既視感、であろうか。
「何だ……俺、こいつらを……知ってる? のか……?」
 そんな事を呟いている場合ではなくなった。
 黒い疾風が、吹いたのだ。
 横合いからの襲撃だった。
 フェイトは飛び退り、かわした。疾風の先端部分が、脇腹の辺りをかすめる。
 黒いスーツが、裂けていた。
「ようこそ! IO2の人でしょ? まさか真っ正面からカチ込んで来るなんてねえ」
 楽しげな少女の声に合わせ、黒いものが、ウサギの垂れ耳の如く揺らめく。
 ツインテールの形に束ねられた、黒髪。
 髪だけではなく、衣服も黒い。しなやかな細身を包む、ゴシック・ロリータ調のワンピース。
 瞳は赤い。可憐な白い美貌の中で、眼光だけが赤く燃えている。
 あの情報屋の少女が、言っていた通りの容貌である。
「正々堂々、男らしくって超ステキ! そのイケメン生首、うちの神様に捧げてあげる」
 黒いゴスロリ衣装が、言葉に合わせてフワリとはためき翻る。
 鋭利なものが、閃光の雨となって立て続けにフェイトを襲った。
 閉じた状態の、傘である。少女はそれを剣のように持ち、振るい、繰り出して来る。
 傘の先端が、フェイトの全身を幾度もかすめた。黒いスーツが、ズタズタに裂けてゆく。
「くっ……!」
 フェイトは後方に跳び、間合いを開きながら、引き金を引いた。射殺を躊躇うべき相手ではない。
 左右2つの銃口が、火を噴いた。
 その時には、少女は傘を開いていた。
 巨大な蝙蝠が翼を広げ、少女を覆い隠した。そんなふうに見えた。
 蝙蝠のような傘が猛回転し、フェイトの銃弾を全て跳ね返す。
 回転する傘の向こう側から、黒いものが伸びて来た。
 ツインテールの黒髪。そこから黒色そのものが溢れ出し、燃え上がりながら傘を迂回し、フェイトを襲う。
 黒い炎。
 迫り来るそれらを睨み据えるフェイトの瞳が、緑色に輝いた。エメラルドグリーンの眼光が、燃え上がった。
 念動力の波動が迸り、不可視の防壁と化す。
 そこに黒い炎が激突し、砕け散り、暗黒の飛沫となって消滅する。
「へえ……やるじゃない。そんな力まで、持ってるなんて」
 開いた傘を、優雅に担ぎ掲げながら、少女は微笑んだ。
「その力……何だろ、なぁんか懐かしい感じがするのよねー。あなた名前は? あたしは黒蝙蝠スザク」
「……フェイト。格好つけたエージェントネームだってのは、自覚してるよ」
 誰かに似ている。名乗りながらフェイトは、そんな事を思った。
 この少女の瞳は、ルビーを思わせる真紅。
 今フェイトがふと思い出した、あの少女の瞳は、冷たく澄んだアイスブルー。
 間違いなく、彼女に劣らぬ怪物である。この黒蝙蝠スザクという少女は。
「じゃあフェイトさん。あなたの心臓、うちの神様に捧げてあげる。生首の方は、あたしがもらうね? プラスティネーションして棚にでも飾ってあげる。時々、寝ながら抱っこしてあげるからっ」
 スザクが、傘を閉じながら、軽やかに踏み込んで来る。
 その時、工場全体が揺れた。
 地震ではない。爆発による震動。それは、スザクも感じ取ったようである。
「な……何? 一体……」
「お兄様の生首は渡せない。これで我慢してもらおう」
 応えたのはイオナだった。いつの間にか、そこに立っている。そして、携えて来たものを放り捨てる。
 サッカーボールのようなものが2つ、スザクの足元にごろりと転がった。ボールにしては重い。
 フェイトは息を呑んだ。
「そ、それは……?」
「片方は工場長だ。もう1人は知らないが、少なくとも善良なる一般市民ではなかろう。ついでに討ち取っておいた」
「俺……その人の顔、見た事あるぞ」
 IO2日本支部の、重役会議室の近辺で、何度か見かけたような気がする。
 他人の空似だ、とフェイトは思う事にした。IO2ジャパン上層部の人間が、こんな所にいるわけがない。
「……何やったのよ、あなた」
 足元に転がるものを蹴飛ばしながら、スザクが呻く。真紅の瞳が、怒りで燃え上がる。
 その眼光を、緑色の隻眼で受け止めながら、イオナは答えた。
「貴女のような厄介な敵をお兄様に押し付けて、別行動を取っていた。大した事はしていない……この工場の中枢部を、爆破しただけだ」
「やってくれるじゃないのよ……いいわ、2人まとめて生贄にしてやる! 心臓も生首も、偉大なる実存の神に捧げてやる!」
 スザクの髪から、ゴスロリ衣装から、黒色が凄まじい勢いで溢れ出した。
 そして燃え盛り、渦を巻き、フェイトとイオナを襲う。
「魂は、あたしがもらう! フェイトさん、あなたの魂……うっふふふ、そうねえ! この闇の炎でじっくり香ばしく炙って、美味しく美味しく食べてあげるわよ!」
 暗黒の炎が轟音を発し、黒い津波となって迫り来る。
 それを、フェイトは睨み据えた。イオナを背後に庇う格好となった。
「お兄様……」
 息を飲みながら、イオナがそんな声を発する。
 フェイトは応えなかった。ただ、むず痒さを感じただけだ。
 むず痒さを吹き飛ばすように、念を振り絞る。
 両眼が、エメラルドグリーンの光を燃やす。
 念動力が迸り、暗黒の炎とぶつかり合った。
 両方が砕け散り、爆発にも等しい衝撃が起こった。
「ぐっ……!」
 フェイトは、後方に吹っ飛んでいた。
 スザクも吹っ飛んでいる。ゴシック・ロリータ調の装いをした可憐な細身が、痛々しく床に激突しつつも、よろよろと立ち上がる。
「これは……この、力……やっぱり、そういう事なのね……」
 意味不明な呟きと共に、またしても闇の炎が生じた。ただし、今度は攻撃ではない。
「……あたしたちの本拠地にいらっしゃいな、フェイトさん……偉大なる実存の神が、あなたを待っておられる……」
 黒い炎がスザクを包み込み、渦を巻き、消えて失せる。
 スザクの姿も、消え失せていた。
 フェイトとイオナが残された。震動し、壊滅しつつある、工場の中にだ。
「任務完了だ……撤退しろ、イオナ」
 倒れ、立ち上がれぬまま、フェイトは命令した。
 気力の消耗が、肉体の力まで奪っている。
 そんなフェイトを、今度はイオナが庇っていた。
 命令を無視して佇みながら、左手で武器を掴んでいる。鞘を被ったままの、日本刀。
 右手はゆらりと脱力し、いつでも抜刀出来る構えを取っている。
 怪物たちが、群がりつつあった。フェイトが、禍々しい既視感のようなものを感じた生き物たち。
「おい、逃げろったら……! 俺なんか放っとけ、イオナ1人なら切り抜けられる」
「なるほど理にかなっている。が、今の私には無意味な言葉だ」
 露出した筋肉を震わせ、牙を剥き、あらゆる方向から迫り来る怪物たち。
 隻眼で見回し、見据えながら、イオナは言った。
「私自身……自分が今、何をしているのか、まるで理解していないのだから」  

カテゴリー: 02フェイト, season8(小湊WR), 小湊拓也WR(フェイト編) |

再戦・吹雪の刃

空いている席は、いくらでもある。
 だがその男は、店に入って来るなり迷う事なく、伊武木リョウの隣に腰を下ろした。
「1杯おごらせてもらいたいところなんだが、懐具合が寂しくてな」
 くたびれた中年サラリーマン、にしか見えない男である。こんなマティーニを飲ませる店よりも、ビールや油物を出す居酒屋の方が合っているのではないか、と伊武木は思わなくもなかった。
 体格も顔も普通、特徴と呼べるようなものを見出すのは困難極まる。
「あちらのお客様からです、ってやつ? 俺あれ1度やってみたいんだよ。だけど残念、金もないし時間もない。単刀直入に、話をさせてもらうぜ」
「残念だな。酔っ払いの真似、見てみたかったのに」
 伊武木は、マティーニのグラスをいささか気障ったらしく掲げて見せた。
 特徴に乏しい、見た瞬間に忘れてしまうような顔を、しかし伊武木は覚えている。
「俺がおごろうか? 穂積氏……って、そう言えば酒もタバコもやらないんだっけな。あんた」
「素面で話しておきたい事なんでな。ま、もしかしたら嫌ってほど酒の進む話になっちまうかも知れんが」
 言いつつ穂積忍は、伊武木の方を見ようとはしない。
「15、6年くらい昔になるかな……俺、人を殺した事あるんだよ」
「あんたなら何人殺してたって驚きはしないが」
 若い頃から、IO2で様々な汚れ仕事をこなしてきた男であるらしい。
「その人の息子さんがな、とある製薬会社に勤めている。会社のラボで、あんまり表沙汰に出来ない研究を任されてるって話だ」
「ほう。人体実験でも、やらされているのかな」
「人間じゃあない生き物を、わざわざ作って育てて色々と実験しているらしい」
 語りつつ穂積は、カウンターの奥に並んだ酒瓶の列を眺めている。
「人体実験をしてたのは、俺が殺した親父さんの方さ。身寄りのないガキどもを大勢、さらっては弄り回して死なせるような実験を繰り返した結果……とんでもない化け物が1匹、この世に生まれちまった」
「身寄りのない子供たちを一体、何人殺しちゃったんだろうなあ。その親父さんは」
 伊武木はマティーニを呷り、グラスを空にした。
「うん。確かに、酒が進む話だ」
「2杯目を注文するのは待ってくれ。あんたに酔い潰れられると困る」
「その息子ってのは、しかし最低な奴だよな。親父さんが人を殺すような研究をして儲けた金で、のうのうと育ってたんだろう?」
「のうのうと育って、いい大学からいい会社に入って、誰にも出来ない研究を任されている。立派なもんだと思うぜ」
 穂積がようやく伊武木に、ちらりとだけ視線を向けた。
「問題はな、そういう研究の結果として親父さんが作り上げちまった化け物よ。こいつの力ってのはとにかく半端じゃない、だから親父さんは、この化け物にリミッターを仕掛けたらしい。力を完全には発揮できない状態で……その化け物は、まだ生きてるよ。リミッターのおかげで、何とか人間の枠内に収まってる。そこはまあ親父さんに感謝だな」
「なるほどね。そのリミッターが解除されたら、ヤバい事になっちゃうと」
「解除手段は、親父さんが墓の中まで持ってっちまった。まあ殺したのは俺なんだが」
「自分が殺した人間の墓を今更、掘り返そうとでも?」
「はたから見れば、そうなっちまうのかな」
 穂積が苦笑した。
「自分の研究を、誰かに伝えてこの世に遺す。あの親父さんにも、その程度の人間味はあったんじゃないかと思ってな……今、息子さんを捜してるところさ」
「見つかったのかい?」
「優秀な探偵さんがいるんでな。まあ苗字は違うし、戸籍にも細工されてたりで、いろいろ苦労はしたらしいが」
「化け物のリミッターを解除する方法……そんなもの知って一体、どうするつもりなのかな穂積氏は」
「俺が知りたいわけじゃあない。ただ、知りたがってる連中がいる。心当たり、あると思うんだがな」
 ドゥームズ・カルト。
 伊武木の勤める研究施設が先日、彼らの襲撃を受けたばかりである。
「親父さんの研究成果である化け物のデータがな、いろんなところに出回ってる。それを元に化け物を複製しようって連中がいるんだよ。ま、そいつらがいくら頑張っても出来上がるのは、リミッターが組み込まれた状態の化け物なんだが」
「その連中にリミッターの解除手段が伝わらないようにする、にはどうすればいいのかって話だね」
 空になったグラスで、伊武木は軽く、乾杯の仕草をした。
「単刀直入って割に長い前置きだったけど、要するに穂積氏……あんた、俺を殺しに来たと」
「親父さんが遺したものを、あんたがそっくりそのまま俺に渡してくれればいい。そうすれば俺も、そんな事をしなくて済む」
 言いつつ穂積が、懐から小切手を取り出してカウンターに置いた。
「好きな金額、書き込んでくれよ。金欠病の俺に代わって、IO2が払ってくれる」
「悪いけど俺、お金にはそんなに困ってないんだ。うちの職場、たぶんIO2よりお給料いいから」
 伊武木は、席から立ち上がった。
「親父から受け継いだ、A01の研究資料……リミッター関連のデータも含めて丸ごと入ってるメモリが、俺の家の俺しか知らない場所に隠してある。ついて来るかい穂積氏。罠かも知れないけど」

 罠、と呼べるほどのものではなかった。
 店の駐車場で、1人の少年が待ち受けていただけである。
 伊武木の車の傍らに立つ、ほっそりとした黒い人影。
 衣服は黒く、髪も黒く、肌は白く、そして瞳は青い。
 青い眼光が夜闇を貫き、穂積忍に向かって炯々と輝いている。
 名は確か、青霧ノゾミ。伊武木リョウの、言ってみれば作品である。
「なるほど……そういう事かい」
 隣を歩く伊武木に、穂積はニヤリと微笑みかけた。
「この機会に、親父さんの仇を討っちまおうと」
「まさか。親父は、あんたみたいな人に殺されて当然の事をしたんだ。ま、俺にとっては最高の父親だったけどね……何しろ、鬼畜な研究をいっぱいやって金を稼いで、俺を養ってくれたんだ」
 伊武木も微笑んだ。
 これほど陰惨な笑顔を、穂積は見た事がなかった。
「金を稼ぐ……父親ってものにはね、それ以上の期待をしちゃいけないんだ。その事を俺に教えてくれた、まさに理想の親父だったよ」
「そんな親父の形見なら、手放しても惜しくはないだろう。四の五の言わず、俺に渡してくれんかなあ」
「そうしたいのは山々なんだけど残念。A01の研究データが入ったメモリなんて、実はないんだよ」
 伊武木が言った。
「親父は確かに、データを遺してくれた。俺も興味はあったから全部、見て読んで覚えたよ。頭に叩き込んだ。A01リミッター解除の項目も含めてね」
「つまり、伊武木さんの頭の中にしかない……と?」
「そういう事。覚えた傍から全部、処分したよ。ハードディスクも残っていない。リミッター解除に関しては、だから俺の口から直接、引っ張り出すしかないね。そういう意味では、こないだ殴り込んで来たドゥームズ・カルトの連中……惜しい事したよなあ。あんな役立たずのメモリ血眼になって奪うよりも、俺1人を捕まえた方が手っ取り早く済んだのに。俺、痛いの嫌いだからさ。拷問でもされたら、すぐ喋っちゃうよ?」
 伊武木がドゥームズ・カルトに捕われ、尋問・拷問を受け、『実存の神』完成をもたらす情報を吐いてしまう。
 その事態を確実に防ぐ手段は、1つしかない。
 穂積がそう思った瞬間、風が吹いた。冷たい風だった。
「おっ……と……」
 風の正体を把握する前に、穂積は後方へと跳んでいた。
 冷たく、そして鋭利なものが、凄まじい速度で眼前を通過する。回避が一瞬でも遅れていたら、穂積の首は刎ねられていたところだ。
 氷の刃、であった。
 気温では溶けそうにないほど冷たく固まった氷が、大きめのナイフの形を成している。
 少女のようにたおやかな少年の手が、それを握り構えていた。
「あなた今、リョウ先生を……殺そうとした? よね……」
 青霧ノゾミが、そんな言葉と共に再び、踏み込んで来る。
 懐からクナイを取り出しながら、穂積は後退りをした。
 白兵戦用の、大型のクナイ。それが、氷のナイフをガッ! と受け流す。
 受け流された刃が、すぐさま別方向から突きかかって来る。
 かわしながら穂積は、会話を試みた。
「殺そうとしたわけじゃあない。ただ……伊武木先生がこの世からいなくなってくれた方が何かと面倒がなくて俺は楽出来るかな? なんて少しは思わない事もなかったかな。ああ少しだけだ少しだけ、そうムキになるなって」
「穂積忍……ボクはね、あなたを凍らせて切り刻んで綺麗なダイヤモンドダストに変える、それだけを考えていたんだ。あれから、ずっと」
 考えていた、だけでなく戦闘訓練を積んできたのだろう。恐らく、近接戦闘の実戦も経験している。
「驚いた。また氷柱でも飛ばしてくるかと思ってたんだが、いきなり白兵戦で突っかかって来るとはな……腕を上げたじゃないか、坊や」
 誉めてやったのに礼も言わず、ノゾミは斬りかかって来た。
 冷たい風が一閃、もう一閃。立て続けに穂積を襲う。
 氷のナイフが2本、ノゾミの左右それぞれの手に握られ、斬撃と刺突の形に走ったのだ。
「二刀流、だと……」
 穂積も同じく、2本のクナイを使わざるを得なくなった。
 生まれつき両手利きの人間でもない限り、二刀流の白兵戦技術など、そうそう身に付くものではない。
 なのに氷のナイフは2本とも、凄まじい速度と精度で穂積の首筋に、心臓に、向かって来る。
 それら攻撃を、左右2本のクナイで受け流し、弾き返しながら、穂積はぼやいた。
「おいおい……俺がそいつを身に付けるのに、一体何年かかったと思ってるんだ」
「知った事か……!」
 氷の刃を振るいながら、青霧ノゾミは返事をしてくれた。
 この少年は、あれから今までの僅かな期間で、これほどの二刀流を修得してしまったのだ。
 ホムンクルスである。
 超能力の類ばかりではない。肉体を用いた戦闘においても、人間など足元にも及ばぬセンスを持っていたとして不思議はない。
 一閃する氷の刃を左のクナイで受け流しながら、穂積は言った。
「なあ坊や、IO2に入ってみる気はないか? 俺は見ての通りロートルだし、若い連中はどいつもこいつも無茶ばっかりして、いつ死んでもおかしくない。優秀な人材は、いくらいても足りないんだよ」
「ボクが優秀なものか……!」
 呻きながらノゾミが、左右の氷刃を、ほぼ同時に閃かせる。
 穂積は片方の斬撃を右のクナイで弾いたが、もう片方は左腕をかすめた。
 スーツの袖が裂け、そこから冷気が流れ込んで来る。左腕が麻痺してしまいそうな冷気である。
「現に、あなたに負けた。あの緑色の目をした男、それに片目の女……あいつらと戦っても、勝てるかどうかわからない」
 この氷のナイフ、1度でも直撃を受ければ凍傷は免れない。
 そんな斬撃が、刺突が、間断なく穂積を襲う。ノゾミの叫びに合わせ、まるで猛吹雪のように。
「あなたと、それにあいつらが3人まとめてリョウ先生の敵に回ったとしても! 先生を守れるだけの強さを、僕は身に付けなきゃいけないんだ!」
 暴風雪を思わせる連続攻撃を、穂積はひたすらクナイで防ぎ、受け流し、回避した。
 ノゾミは今、意識の全てを攻撃のみに集中し、穂積を切り刻みにかかっている。
 防御を全く考えていない。穂積の反撃を、全く考慮に入れていない。恐れていない。
 自身が生き残ることを、全く考えていない。
 このような相手に対し、うかつに反撃を行えば、相打ちで命を持って行かれる。
 刺し違える覚悟でノゾミは今、2本の氷刃を振るっているのだ。
「俺を捕まえて拷問にかけるか、さもなきゃ首を刎ねて脳みそから直接、情報を引き出すか。A01のリミッターを解除する方法を知るには、それしかない」
 戦いの場に、伊武木が言葉を投げ込んでくる。
「それをさせないために、ノゾミは命を捨てるだろう。一方で穂積氏、あんたはどうだ? 俺の口を永遠に封じる事に、自分の命を捨てるほどの価値を見出しているのか?」
「わかった、わかったよ。刺し違えてまで伊武木さんの命を狙おうって気になるには……もう少し、あんたを嫌いになる必要がありそうだ」
 穂積は言った。降参の口調に、なってしまった。
「だけど厄介な事に、あんたにはどうも憎めないところがある。まったく……わかりやすい腐れ外道だった親父さんよりも、たちが悪いぜ」
「そこまでだノゾミ。穂積氏は、どうやら俺を見逃してくれるらしい」
 伊武木が言う。
 それだけで、猛吹雪のような攻撃は止まった。
 左右2本の氷刃を油断なく構えたまま、ノゾミがゆっくりと後退して行く。そして伊武木の盾となる形に立ち、穂積を睨み据える。
 そんな少年の肩に、ぽんと左手を置きながら、伊武木は言った。
「A01には、もちろん興味あるけどね。俺はそれ以上にノゾミの方が大事なんだ。刺し違えの戦いなんて、させるわけにはいかない……信じる信じないはともかく、一応は言っておこうか。俺はね穂積氏、A01関連のデータを今更、何かに使ったり頭の中から出したりするつもりはないんだよ。尋問や拷問で無理矢理、引っ張り出そうとする奴はいるかも知れない。だけどノゾミが、俺を守ってくれるし助けてくれる。それは、わかったろう?」
「……あんまり、坊やにプレッシャーをかけるなよ」
 言いつつ穂積は、2人に背を向けて歩き出した。
「あんたを守るためならノゾミ君、虚無の境界にだって魂を売りかねんぜ?」
 俺は常に、あんたを監視しているからな。
 それは言うまでもなかろう、と穂積は思った。

カテゴリー: 02フェイト, season8(小湊WR), 小湊拓也WR(フェイト編) |

チーム・ディテクター

ダイヤル式の黒電話。今の子供たちが見たら何だかわからないだろう、とフェイトは思う。
 部屋の隅では、奇妙な箱が、女性歌手の歌声を流している。手作りの鉱石ラジオである。
 壁際に放置されたテレビは当然、地デジ非対応だ。
 つぎはぎだらけのソファーに腰を下ろしたまま、フェイトは室内を見回した。
「俺……昔ここに来た事あるような気がするんですけど」
「気のせいだ」
 コーヒーをすすりながら、ディテクターが言った。
 古めかしいテーブルに、一皿のお茶菓子と4人分のコーヒーが置かれている。
 淹れてくれたのは、ディテクターの助手であるという1人の少女だった。少なくとも外見は、人間の美少女だ。
 その節は、どうも。そんなふうに彼女に言われて、フェイトは思い出したものだ。
 グランド・キャニオンの神殿型ピラミッドで、ディテクターが『虚無の境界』から救い出した少女。フェイトも、いくらかは手伝う事が出来たのか。
 そして、あの土偶の鎧を着た少女たちの、オリジナルでもある。
 フェイトに丁寧な礼を述べ、一礼し、少女は部屋を出て行った。
 残されたのはディテクターと、3名の客人。うち1人がフェイトである。
 ディテクターが個人的な活動拠点として使用している事務所、であるらしい。
 そこにIO2エージェントが3名、集められた。
 極秘任務を与えられるのだろう。それはそれとして、フェイトは落ち着かなかった。
「俺……ここに来たの、やっぱり初めてじゃないですよ」
「気のせいだ」
 ディテクターは、同じ事しか言わない。
 昔、一介の高校生・工藤勇太であった頃。フェイトは、いや勇太は、1人の探偵と知り合った。
 その探偵が開いていた興信所も、このような感じではなかったか。古めかしい黒電話、鉱石ラジオ。ブラウン管のテレビは、まだ辛うじて番組を映す事が出来た。
 その探偵には、妹がいた。
 先程の少女に、実によく似た妹。フェイトは今更ながら、思い出した。
「ディテクターさん。俺、初めてあんたに会った時から、どうも気になってしょうがない事があるんですよ」
「気のせいだ」
「いや、そんな事はない。あんた草」
「そこまでにしておけ、フェイト」
 言葉を挟んできたのは、穂積忍である。
 コーヒーを、気障ったらしく香りを堪能しつつ味わっている。そうしながら、真面目くさった口調で言う。
「みんな、突っ込みたくてしょうがないのに我慢してるんだ。お前も、そこまでにしておいてやれよ」
「……みんなって、誰」
「お前たちが何を言っているのかわからん。それより本題に入るぞ」
 ディテクターが、一気にコーヒーを飲み干した。
「お前たちには、ドゥームズ・カルトを潰してもらう」
 ドゥームズ・カルト。
 虚無の境界からの分派独立を、どうやらほぼ成功させてしまったらしい新組織の名である。
「そのような重要任務を、IO2司令部ではなく、ここで拝命しなければならない理由を確認したい」
 この場にいるエージェント4名の、紅一点である少女が言った。
 外見は15、6歳の美少女。だが、この世に存在してきた時間は、もっと短い。培養液槽の中から解放されたのは、本当につい最近である。
 顔立ちは、どこかフェイトに似ている。
 緑色の瞳も、フェイトと同じものだ。
 その目が、しかし片方しかない。左目は、黒いアイパッチで覆い隠されている。
 エメラルドグリーンの隻眼が、じっとディテクターに向けられる。
「ここは、言ってみれば貴方の私的空間だろう。つまりこれはIO2の正式な任務ではなく、ディテクター隊長個人からの命令……そう解釈するが、間違いはなかろうな?」
 彼女のコーヒーカップは、とうの昔に空になっていた。お茶菓子も、綺麗に4分の1が平らげられている。相変わらず、飲食が恐ろしく速い。
 イオナ。それが彼女の、エージェントネームであり本名でもある。
「隊長はよせ……まあ確かに、お前の言う通りだ」
 ディテクターは、いくらか苦笑したようである。
「ドゥームズ・カルトは潰さずに存続させ、虚無の境界・本家と派手に抗争を繰り広げてもらう。それで共倒れをしてくれれば良し、最低でも虚無の境界の弱体化くらいは期待出来る……そういう意見が、上層部では根強くてな」
「頷けない意見ではないな。私も、利用出来るものは利用すべきだと思う……あの女を、滅ぼすために」
 復讐。それがイオナの、戦う理由だ。
「では、やめるか?」
 別段、責めるふうでもなく、ディテクターは言った。
「俺の個人的な命令を拒んだところで、ペナルティは何もないぞ」
「私以外の2名は、この正式ならざる任務を受けるつもりでいるのだろう?」
 イオナの隻眼がフェイトに、続いて穂積に、向けられる。
「ならば私も行く。そうすれば両名とも、無きに等しい生還の可能性が……多少は、高くなる。その程度の戦力としては期待されているのだろう? 私は」
「大いに期待している。お前さんの力は、よく知ってるつもりだ」
 言ったのは、ディテクターではなく穂積である。
「俺もフェイトも2人がかりで、あんた1人に殺されかけてるからな」
「……1人ではない。あの時、私たちは7人がかりだった。なのに貴方がた2人を相手に」
 不覚を取った。そして、父と言うべき研究者を死なせる事となった。
 イオナは俯き、微かに唇を噛んでいる。
「私は、父を守ってやれなかった……仇など、討つ資格はないのかも知れない。私が非力であった、というだけの事なのかも知れない。だが、あの女は必ず倒す。それはそれとして、ドゥームズ・カルトという者たちも放置してはおけない」
「いいのか?」
 ディテクターが、確認を取った。
「虚無の境界・本家筋と、共食いをしてくれるかも知れない……結果として、お前の復讐の役に立ってくれるかも知れない連中だぞ」
「その共食いに巻き込まれて、被害を出している所がある」
「……例の、研究施設か」
 フェイトの言葉に、イオナは俯くように頷いた。
「何人ものホムンクルスが、命を落とした……かつて彼らを散々に殺戮した私が、言える事ではないけれど」
 その殺戮はイオナが、フェイトを救出するために行ったものだ。
 あの研究施設とは、そろそろ腐れ縁に近い関係が築かれつつある。
 数日前、あそこがドゥームズ・カルトによる襲撃を受けた際には、防衛のためにIO2からも人員が割かれた。フェイトとイオナが、派遣された。
 イオナの任務は施設正門の防衛戦で、そこでは大勢のホムンクルスが楯代わりに使われていたらしい。
 フェイトに割り当てられたのは、大勢が決した後の残敵掃討である。頼りになる掃除屋がいた事もあり、まあ楽なものではあった。
「他者を巻き込むような戦いを、私は自分の復讐に利用したくない」
「わかった、では改めて命令しよう。エージェントネーム・アシュラ、フェイト、イオナ。以上3名に反社会的組織『ドゥームズ・カルト』殲滅の任務を与える」
「拝命します……って、立って敬礼でもした方がいいのかな」
「要らんだろ。格式張った正式の任務というわけでもなし」
 フェイトの言葉にそう応えてから、穂積はコーヒーを啜った。
「で……この3人で直接の殴り込みを?」
「いや。穂積さん、あんた1人には別行動を取ってもらう」
 ディテクターは言った。
「ドゥームズ・カルトの本拠地は判明している。脱走者から、情報を得る事が出来たのでな」
「あの、人間じゃなくなった財閥御曹司?」
 自分に対してはやたらと尊大な、あの白人青年の事を、フェイトは思い出していた。
 彼は今、とある民間の情報屋に匿われている。
 その情報屋とも、このディテクターという男は、繋がりを持っているらしい。
 ドゥームズ・カルトの本拠地。そのような重要機密を、あの御曹司からどのようにして聞き出したのか、フェイトとしては気にならない事もなかった。脱走して命を狙われているとは言え、彼はドゥームズ・カルトへの忠誠心は失っていない。いや正確には、かの組織が擁立している『実存の神』への忠誠心だ。
「まさか、拷問でもしたんですか?」
「俺は知らん。聞き出してくれたのは、あの情報屋だ」
 駆け出しの情報屋、を名乗る1人の少女。
 また清掃員の格好をして、脅し恐がらせつつ情報を吐かせたのかも知れない。
 そんな事をせずとも、少しおだてれば、訊きもしない事まで饒舌に喋ってくれそうな軽薄さが、あの白人青年には確かにあった。
 何にせよ、ドゥームズ・カルトの本拠地の所在は判明しているようだ。
 とある地名を、ディテクターは口にした。
「そこへの直接攻撃はフェイト、イオナ、お前たち2人に実行してもらう事になる。ドゥームズ・カルトの拠り所である『実存の神』の抹殺排除。それが両名の任務だ」
「ありがたいね。若い連中には荒っぽい仕事、俺みたいなロートルには楽な仕事を割り当ててもらえると」
 ニヤリと笑う穂積を、ディテクターはサングラス越しに軽く睨んだ。
「経験豊富なエージェントに、ふさわしい仕事をしてもらう……この『実存の神』はな、実はまだ完全な状態ではない。完全なものにするためには、とある研究データが必要となる」
「ドゥームズ・カルトは、それを狙って……あの研究施設を、襲撃したと?」
 イオナが言った。
 つまりその研究データとやらは、あの施設の研究員たちが保有している、という事になるのか。
「お前たちの働きのおかげで、その襲撃は失敗に終わった。だがドゥームズ・カルトは、データを狙って何度でも行動を起こすだろう。データそのものを、この世から消してしまう必要がある……穂積さん、それがあんたの仕事だ」
「おいおい、その研究データって奴が本当はどこにあるのか……探すところから、始めろってのかい」
 穂積の文句を無視して、ディテクターはフェイトの方を向いた。
「『実存の神』が完全体に成れば、もはや日本支部のエージェントが束になっても手の施しようがなくなる。そうなる前に仕留めるのが、お前たちの仕事だ。不完全体でも、あれが恐ろしい怪物である事に変わりはない……油断するなよフェイト、イオナ」
「貴方は……その『実存の神』とやらの正体を、実は知っているのではないのか」
 イオナの隻眼が、ディテクターを睨み据える。
「それを私たちに対しては隠蔽しておく、何かしら戦術的な理由があるのか?」
「よせよ、イオナ」
 フェイトは言った。
「正体なんか知ったところで、有効な対応策を立てられるわけでもない……要は俺たちの徹底的な力押しでしか始末出来ない化け物だと、そういう事ですよね? ディテクターさん」
「……そういう事だ」
 ディテクターは、それだけを言った。

 フェイトとイオナは早速、任務に就いた。
「働きもんだな、あいつらは。まったく」
 フェイトが、イオナを車に乗せ、自身も運転席に入る。
 その車が、走り去って行く。
 それを部屋の窓越しに見送りながら、穂積は呟いた。
「最近の若い者は、なんてのはどの時代でも言われてきたんだろうが……今の若い連中ってのは、少なくとも俺たちなんかよりはずっと真面目にやってる。手抜き息抜きを教えてやるのも、俺らの世代の役目なのかねえ」
「する事が見つかりさえすれば、脇目も振らずまっすぐに進む。あの工藤勇太って奴は、昔からそうだった」
 いくらか懐かしむような口調で、ディテクターが言う。
「まあ、そんな事はどうでもいい……穂積さん、あんたなら探すまでもなく知っているはずだ。例の研究データが、本当はどこにあるのか」
「……まあ、な。あの研究施設にあったのは、余り物みたいなデータだけだろう」
 穂積はソファーに身を沈め、天井を仰いだ。
「本物を持っているのは、虚無の境界……本家筋の、女王様だ。随分とフェイトの奴に御執心らしいからな」
「そう、彼女が保有しているデータこそが本物だ。本物だが……不完全だ」
「……そいつは一体、どういう事かな」
 ディテクター。その名の通り、様々な事を探り出すのが、この男の本領である。
「今度は一体、何を探り出したのかな? この探偵さんは」
「彼女が持っているA01のデータには、少しばかり問題がある」
「リミッター、か?」
「……穂積さんなら、知っているかも知れないとは思っていたよ」
「あそこに忍び込んで、研究員に化けていた事もあるんでな」
 幼い工藤勇太を、実験体『A01』として扱っていた研究施設。
 そこを壊滅させたのは当時、穂積が率いていたNINJA部隊である。施設所長を始末したのは、穂積自身だ。
 その所長が、最強の実験体『A01』に施したリミッター。
 それはA01の強大な力を、普段は標準的な能力者のレベルに抑え込んでおくためのものだ。
 封印を、自在に施し、自在に解除する。そしてA01を便利な道具として操り制御する。そのためのリミッターである。
「仮に今、彼女が持っている研究データを『実存の神』に組み込んだ場合……実存の神は、確かに強大な力を得る。リミッターが施された状態の、力をな」
「そのリミッターを、解除する方法は……」
「穂積さんが始末した、あの所長しか知らない。つまり永遠に、闇に葬られた……とは断言出来ない部分があってな」
 ディテクターが、いくらか声を潜めた。
「あの所長の息子が、例の製薬会社に勤務している。そして付属の研究施設に、主任の1人として配属されている。父親から、A01のリミッター解除手段を伝えられている……かどうかは定かではない。穂積さんには、それを確認するところから始めてもらいたい」
「伝えられていたら……消せ、と?」
「どうするかは任せる。とにかくリミッター解除手段が、虚無の境界にもドゥームズ・カルトにも伝わらないよう手を打ってもらう。それが、あんたの任務だ」
 消せ、という事だろう。
「若い連中には任せられない、汚れ仕事……お互い、大変だよな?」
 穂積が、ニヤリと微笑みかける。ディテクターは、何食わぬ顔をした。
「ほう。俺も、汚れ仕事を?」
「うちの上層部で何人か、行方不明者が出てるよな」
「……経費を横領して、温泉旅行にでも行っているんだろう。どうせ、いても役に立たん連中だ」
「温泉じゃなくて、東京湾にでも沈んでいるんじゃないのかい」
 それだけを言って、穂積はソファーから立ち上がった。自分も、そろそろ任務に取りかからなければならない。
「浮気調査や幽霊騒ぎくらいしか仕事の来ない探偵さんに……いつか、戻れるといいな?」
 ディテクターは、聞こえないふりをしたようである。

カテゴリー: 02フェイト, season8(小湊WR), 小湊拓也WR(フェイト編) |

清掃人たち

見覚えのある生き物だった。
 太く不格好な四肢を伸ばし、一応は人間の体型をしている。
 力士の如く肥満した、その巨体の、ある部分は獣毛を生やし、ある部分は鱗に覆われ、ある部分は甲殻状に固まっている。そんな全身から、百足のような触手を大量に生やし、うねらせているのだ。
 そんな怪物が、大量にいる。山林の中を、猪のように走っている。走り辛そうな巨体ではあるが、逃げ足は速い。
 そう。彼らは、逃げているのだ。
 研究施設の襲撃が失敗に終わった、という事である。
「……頑張りやがったみてえだなぁ、どいつもこいつも」
 森くるみは、煙草をくわえたままニヤリと唇を歪めた。
 この山林の奥に、某製薬会社の研究施設がある。くるみは清掃員として、そこに勤めている。
 勤務内容は当然、清掃である。が、清掃範囲は研究施設内だけにとどまらない。
 上司である清掃局局長によって『掃除が必要』と判断された場所へと出張し、清掃を行い、時には大きめの生ゴミを回収する。
 それが、くるみの主な仕事だ。
 今日も、そんな出張清掃のため、都内まで出向いていた。
 その間に、研究施設が襲撃を受けた。
 急いで清掃任務を終わらせ、戻って来たところ、戦いはあらかた終わっていた。撃退された襲撃者たちが今、敗走しているところである。
「残敵掃討……ま、お掃除屋さんらしい仕事だよな」
 くるみは呟きながら、木陰からユラリと歩み出し、敗走中の怪物たちの眼前に立ち塞がった。
 竹箒を、手にしたままだ。
「な、何だ貴様!」
「どけ! 今は貴様などに関わっている暇はない!」
「偉大なる実存の神の、御もとへ! 我らは帰還せねばならんのだ!」
「それを妨げる者は殺す! ちぎり潰す! 砕き散らす!」
 怪物たちが、一斉に触手を伸ばし放つ。
 百足のような触手の群れが牙を剥き、あらゆる方向からくるみを襲う。
「ん~、やっぱなぁ……おめえら、どっかで見た事あんだけど」
 思い出す努力を一応はしながら、くるみは身を翻した。赤色のポニーテールが、三角巾から溢れ出すように舞う。
 地味な清掃作業服では隠しきれないボディラインが、竜巻のように捻転しつつ躍動する。猛々しい色香が、煙草の煙と一緒にまき散らされる。
 それと共に竹箒が唸り、幾重にも弧を描いていた。まるで三国志の武将が振り回す、方天画戟や青龍堰月刀のように。
「やっぱ思い出せねえ。ごめんな? 処分したゴミの事なんて、いちいち覚えてらんねえし」
 おぞましく牙を剥く触手の群れで満たされていた空中が、綺麗に掃き清められていた。
 触手も、それらの発生源である怪物たちの巨体も、木っ端微塵に切り刻まれていた。
 竹箒に見えるが、竹ではない。くるみが給料を注ぎ込んで特注した、特殊素材の箒である。
 普通の人間が振り回しても、単なる竹箒でしかない。だが「清掃」の技量に長けた者が振るえば、その先端は無数の細かな刃と化し、敵を微塵切りにする。
「はい、こっちは燃えるゴミ……っと」
 その箒で、くるみは微塵切りの肉片を手早く掃き集め、ちり取りで回収した。
 そうしながら、とっさに木陰へと身を隠す。
 その木が、粉々に砕け散った。
 銃撃だった。
 人間の体型をした機械の群れが、研究施設の方角から、こちらへ向かって来たところである。今の怪物たちと同じく、撃退されて逃走中……とは言え、戦闘能力は充分に残しているようだ。
 機械兵器化された、人間たち。左手は長銃身ガトリング砲、右手はチェーンソーあるいはドリル。
 そんな兵器人間たちが、チェーンソーで木々を薙ぎ倒しながら、くるみにガトリング砲を向けてくる。
 銃撃の嵐が、山中に吹き荒れた。
「ちっ……燃えないゴミどもまで、来やがった」
 ちり取りと箒を持ったまま、くるみは山林の野生動物の如く疾駆・後退し、草むらに身を潜めた。
 愛用の清掃カートが、隠してある。
 そこに積まれた大型のワックス缶に片手を置きつつ、くるみは呻いた。
「山ん中じゃなきゃな……こいつをぶちまけて火ぃつけて、不燃ゴミを無理矢理に燃やしちまうとこなんだが」
「ナパーム、みたいな成分が混ざったワックスか」
 若い男が1人、そんな事を言いながら突然、目の前に立った。
「恐いもの持ち歩いてるね。一体、何をお掃除してるんだか」
 生意気にも、くるみを背後に庇う格好である。
 銃弾に耐える戦闘用ホムンクルスが1人、知り合いにいるが、彼ではない。
 頼りない細身を黒いスーツに包んだ、人間の青年である。外見に反して相当、鍛えてはいるようだが、銃撃を受ければ死ぬ身体だ。
「おい馬鹿、何やってんだ……」
 くるみの言葉を、銃声が掻き消した。嵐のような銃声。
 黒スーツの青年が、左右の手にそれぞれ拳銃を握り、引き金を引いていた。
 フルオートの銃撃が、破壊の暴風となって吹きすさび、兵器人間たちを引きちぎる。打ち砕く。叩き潰す。
 ただの射撃ではない。恐らくは念動力の類が、銃弾に上乗せされている。
 青年が、くるみの方を振り向いた。
 少年、にも見えない事はない。顔立ちは整ってはいるが、くるみの好みではなかった。
 その両眼が、淡く、緑色に発光している。
「ホムンクルス……? じゃあ、ねえよな。やっぱ人間か」
 くるみは、とりあえず言った。
「ま、何にしても助かったぜ。ありがとよ」
「仕事だから」
 青年が微笑んだ。笑うと可愛い、だがやはり自分の好みではない、とくるみは感じた。
「あんた……もしかしてIO2?」
「……何で、そう思う?」
「ちっと前に、あそこのエージェントさんと仕事先でカチ合っちまってな……変装の上手い、見た目は冴えないオッサンだったけど。あんた、何となく感じが似てるから」
「勘弁してよ。俺、あの人と似てるのか……」
 青年は頭を掻いた。
「エージェントネーム・フェイト。お察しの通り、IO2の下っ端だよ」
「あたしは森くるみ。見ての通り、お掃除屋さんだよ。下っ端なのは、お互い様さ」
「下っ端ではないよ森クン。君にはいずれ私の後任として、局長を務めてもらわなければ」
 声がした。だが、姿は見えない。
 フェイトと名乗った青年が、拳銃を構えたまま見回した。
「誰だ……どこにいる!?」
「落ち着けって、敵じゃあないよ。うちの局長さ」
 くるみは苦笑した。
「久しぶりに、現場仕事ってわけ?」
「後手に回ってしまったからね。ドゥームズ・カルトの存在……事前に、察知していたと言うのに」
 山林のどこかに身を潜めて姿を見せぬまま、局長は言った。
「加えて、この人手不足だ。安心して現場を任せられるのは森クン1人……人を育てるのは本当に難しいねえ。さっさと定年退職して、パートの清掃員に戻りたいんだが」
「辛気臭い事、言ってんじゃないよ。あたしは嫌だからね、後任の局長なんて」
「まあ、この場は後始末を頼む。逃げて来る敵を、大掃除して欲しい」
「煙草も値上がりしちまったし、ボーナスはずんでよね」
「私の一存ではなあ……ああ、それよりIO2の君」
 局長が、姿を隠したままフェイトに話しかける。
「君も森クンと同じく現場の人材のようだから、あまり詳しい事は聞かされていないと思うけれど……IO2は何故、我々を助けてくれるのかな?」
「さあね。俺も、上司に言われて来ただけだから」
 局長が姿を現したら、即座に拳銃を突き付けかねない口調で、フェイトが言う。
「あんたの、声は聞こえるのに気配は感じられない……こちらの森さんもそうだけど、ただのお掃除屋さんじゃないだろう? あんたたち一体、何者なんだ」
「ただのお掃除屋さんだよ」
 くるみは答えた。
「今の世の中、お掃除しなきゃいけないもんが多過ぎるだろ?」
「……確かに、ね」
 言葉に合わせて、フェイトの両手から何かがガチャリと落下した。
 空になったカートリッジが、拳銃から排出されたのだ。
「大掃除、手伝わせてもらうよ」
 フェイトの両眼が、エメラルドグリーンの光を発した。
 黒いスーツの内側から、小さな箱形の物体が2つ、飛び出して来て宙を舞う。
 新しいカートリッジである。それらが、フェイトの2丁拳銃に吸い込まれ、装填された。
「俺、清掃の仕事はまるっきり素人だけど」
「そんな事ぁない。あんた、立派な掃除人だよ」
 ちり取りの中身を、カートに取り付けられたゴミ袋へと流し入れながら、くるみは言った。
 そうしてから、竹箒をブンッ! と振るい構える。
「IO2なんか辞めて、うちで働きなよ。局長も言ってたけど人手不足でさあ」
「人手不足は、IO2も同じでね」
 エメラルドグリーンの瞳が、山林の一角を睨み据える。
 百足のような触手の群れが蠢きうねり、チェーンソーやドリルが猛回転して凶暴な音を響かせる。
 掃除しなければならないものたちが、研究施設の方角から続々と押し寄せて来ていた。

 兵士は、使い捨てるものである。戦場で惜しみなく投入し、死なせるものである。
 勝利を収めさえすれば、彼らの犠牲も無駄にはならない。
「彼らは一足先に、霊的進化への道を歩み始めたのだ。祈ろうではないか」
 男は目を閉じ、祈りを捧げた。祈りは無料である。
 かつて大幹部であった男のクローン体、それに兵器人間の群れ。
 ドゥームズ・カルトの兵士が数多く、犠牲となった。
 結果、目的の物を手に入れる事が出来たのだ。
「A01の研究データだ。全て、ここに入っている」
 白衣を着た男が5名。その代表者が、1本のUSBメモリを差し出してくる。
「これを手に入れるには骨が折れたぞ。それに見合っただけの待遇を、期待しても良かろうな?」
「無論だ。我らドゥームズ・カルトは貴公らを、主任研究員として迎え入れる」
 男は、決して嘘ではない事を言った。
 5人とも、かの研究施設で、Aナンバーの研究員として、それなりの事をしていた者たちである。その技術も知識も、いくらかは利用出来るだろう。偉大なる『実存の神』のために。
 山中の、いくらか開けた場所である。もう間もなく、ドゥームズ・カルト本部から迎えのヘリが来るはずであった。
 研究員5名、それにA01の研究データ。これらと共に、帰還する。
「凱旋、と言って良かろうな……ふふ、ふっふふふふ」
 男は笑った。
 ドゥームズ・カルト大幹部の地位は、これで自分のものである。
 笑いながら男は、おかしな事に気付いた。
 研究員5人の表情が、引きつっている。驚愕し、怯えている。
「どうした貴公ら……待遇に関して、不安があるのか? 我らドゥームズ・カルトは、功労者を蔑ろにするような事はせんよ。安心するがいい」
「肝心な事を1つ、教えてあげよう」
 耳元で、声がした。
 背後に、何者かが立っている。
 それに気付いた瞬間、男は回転していた。
 どんなふうに回転しているのかは、よくわからない。とにかく視界が、おかしな感じに回っている。
「うちは確かに、虚無の境界・本家筋とはいささか縁がある。色々なものが、流れて来ているよ。だけどA01に関しては……研究データの大半は、本家筋がしっかりと握っている。盟主殿が、なかなか手放そうとしないのでね」
 USBメモリが、背後から奪い取られた。
 男はもはや、それを取り返す事も出来なくなっていた。
「うちにあるのは……この中に入っているのは、本家の研究のおこぼれみたいなデータだけだよ。それもわからない君のような人間ばかり、だとしたら」
 これが、男が耳にする最後の言葉となった。
「ドゥームズ・カルトにおいても人手不足は深刻と、そういう事になるなあ」

 首の折れた男の屍を、世賀平太は、ひょいとまたいで越えた。
 そして、研究員5名に歩み寄る。
「世賀……き、貴様! 掃除屋風情が我らに何の用だ!」
 わめく1人に向かって世賀は、手にしたUSBメモリを差し出した。
「そう、私は掃除屋だからね。お掃除を、しに来たのさ」
 メモリが、その研究員の顔面……鼻と口の間、すなわち人中を突く。
 研究員は倒れた。死んでいた。
 他の4名が恐慌に陥り、逃げ惑おうとする。
 世賀はただ、すたすたと歩み寄った。
「混乱に乗じて逃走を企てる研究員がいる、かも知れないとは思っていた」
 語りつつ、様々な方向にUSBメモリを突き出す。
「対ホムンクルス用の武器を所持している可能性も想定したんだが、持ち出す暇はなかったようだね。この役立たずのデータを盗むので精一杯、だったのかな?」
 メモリが、研究員たちの眉間やこめかみを突いてゆく。
「何にしても申し訳ない、生かしての捕縛は考えていないんだ。何しろ掃除屋だからね」
 世賀が歩みを止めた、その時には、研究員たちは全員、屍に変わっていた。
「まあ何と言うか……いろいろな意味で気の毒だよ、君たちは」
 右手の中で、USBメモリをくるくると回転させながら、世賀は呟いた。
「気付いていなかったとは思うけど、A01の研究データ……どころではないチャンスを、君たちは掴めるところだったんだよ?」
 森くるみの援護に現れたIO2エージェント。エメラルドグリーンの瞳をした若者。
 その勇姿を思い起こしながら、世賀は苦笑した。
「彼を捕えるなんて、君たちには無理だろうけどね」
 右手の親指に、世賀は微かな力を込めた。
 回転していたUSBメモリが、粉々に砕け散った。
 こんなものを手に入れるために、ドゥームズ・カルトが動いている。
 そこまでして彼らは、A01の研究データを欲しがっている。
 彼らの崇める『実存の神』の正体が何であるのかは、もはや考えるまでもなかった。
「フェイト君……だったね。これは、どうやら君自身でやらなければならない大掃除になりそうだよ」
 山林のどこかで、くるみと一緒に戦っているであろう若者に、世賀は語りかけた。
「我々も、出来る限りのお手伝いはさせてもらう。何しろ、お掃除屋さんだからね」 

カテゴリー: 02フェイト, season7(小湊WR), 小湊拓也WR(フェイト編) |

異形の軍団を率いる者

「おお奈義さん。俺あんたの事、見直したよ」
 A7研究室を訪れた奈義紘一郎を、伊武木リョウが嬉しそうに出迎えた。
「冷血漢を気取ってるくせに、優しい所あるんじゃないか」
「何の話だ」
「偉い人たちに、かけ合ってくれたんだろ? 彼を処罰しないようにって……彼、あいつの友達だからね。守ってやりたいんだよ、俺としても」
 B8研究室のホムンクルスが、A1研究室のホムンクルスを殺害した。
 これが逆であれば、何の問題にもならない。Aナンバーのホムンクルスはエリート、Bナンバーのホムンクルスは使い捨ての雑兵あるいは実験動物。そういう序列が、出来上がってしまっているのだ。
 使い捨ての雑兵が、エリートに刃向かい、命を奪うほどの力量差を見せてしまう。
 序列にしか価値を見出せない研究者たちにとって、あってはならない事件である。
「B8研の獣人か……あれはな、生体兵器としての完成度はここでも1、2を争う貴重な怪物だ。廃棄処分など、させるわけにはいかん」
 自分の両目が、眼鏡の下でギラリと輝くのを、奈義は止められなかった。
「俺が、ああいうものを造りたかった。B8研に先を越されてしまったが……いや、そんな事はどうでもいい。伊武木よ、貴様にはそろそろ決めてもらわねばならん」
「わかってる。はっきりしなきゃいけない、とは思っているんだよ。いや本当にさ」
 伊武木が腕組みをした。38歳という年齢の割に若々しい顔が、苦渋の表情を浮かべる。
 奈義は、41歳という年齢の割に老けた顔をしている、と陰口をきかれている。銀色の髪のせいで、老人に見られる事も多い。
「浮気は良くない。どっちか1人に決めなきゃ駄目だよなあ。あいつか、カナエか……」
 名を呼ばれた少年の顔に一瞬、微かな歪みが生じた。
 人形のような少年が、ほんの一瞬だけ、不快感を露わにしたのだ。
 奈義が伴って来た、1人の少年。こうして並んでいると、老人と孫のようでもある。
 青霧カナエ。16歳。
 まるで学校の制服のような黒衣をきっちりと着こなした身体は、細い。女装させれば、そのまま美少女になってしまうであろう。
 いくらか長めの黒髪は、後頭部で束ねられている。
 顔立ちは、美しい、以外には何の特徴もない。まさしく人形だ、と伊武木は思っている。
 青い瞳は、まるで滅菌された水だ。綺麗過ぎて微生物も棲めない。
 そんな少年に、伊武木がちらりと視線を向ける。
 その眼差しを遮るように、奈義は立った。
「カナエはな、すでに貴様の手を離れて今は俺の研究室に所属している……いい加減にしろ。俺は、そんな話をしに来たのではない。貴様がはっきりさせねばならんのはな、俺たちの敵か味方か、という事だ」
「穏やかじゃないね。俺は、この研究所に関わりある人たち皆と仲良くしたいと思ってるんだけど……あんたや、もちろんカナエともね」
「あのドゥームズ・カルトとかいう連中ともか」
 この研究施設とも関わり深い大組織『虚無の境界』が今、真っ二つに割れている。
 同組織の盟主たる女神官に引き続き忠誠を尽くす本家筋と、それに叛旗を翻して『ドゥームズ・カルト』などと名乗り、分派独立せんとしている者たち。
 この研究施設も、それに合わせて2つに割れようとしている。有能な研究者には『ドゥームズ・カルト』側から誘いの手が伸びており、奈義の見たところ、密かにそれに乗ってしまった者が何人かいる。
 そういった者たちが『ドゥームズ・カルト』に、様々な研究データを流している。
「俺は、何も流してはいないよ」
 伊武木が言った。
「研究成果は共有しなければならない、という建て前はあるにしても……俺の研究データは、俺だけのものさ。そう簡単に、外へ流したりはしないよ。まあ、流してる奴はいるみたいだけど。A1とかA3とか、そのあたりにはね」
 伊武木にしても奈義にしても、ドゥームズ・カルトに与しようとする研究員の存在は、かなり前から掴んではいた。
 そういった者たちが、いつ、どう動くか。そこまでは、さすがに読み切れない。
 だから泳がせておいた。泳がせておいてもさして実害のない小物ばかりだからだ。
 だが万一、この伊武木リョウがドゥームズ・カルトに味方しようとしているのであれば、話は別だ。
「あの者どもは、貴様にも声をかけてきたのだろう?」
「気の毒だけど、振ってあげたよ。俺、神様には興味ないから」
 言いつつ伊武木が、またしてもカナエに視線を向ける。
 光彩の乏しい、黒い瞳が、少年をじっと見つめる。
「俺が興味あるのは、ホムンクルスだけだから……」
 カナエの眉間に、皺が生じた。不快そのものの表情。
 この少年が、何かしら表情を浮かべているのを、奈義はあまり見た事がない。
「……貴様がドゥームズ・カルトに与しようと言うのであれば、俺はこの場で迷わずカナエに命ずるだろう。伊武木リョウを殺せ、とな。ここへ連れて来たのは、そのためだ」
「奈義さんは……お嫌い、なのかな? あのドゥームズ・カルトって連中が。あんたにも、お誘いが来たと思うんだけど」
「神には興味がない、とお前は言った。俺は、興味がないと言うより気に入らん。神などという概念も、神の存在を捏造せねば何も出来ん連中もだ」
 神は、存在しない。
 その現実を受け入れられない者たちが、この世には多過ぎるのだ。
 あまつさえ、存在しないはずの神を人工的に造り上げ、悪事を正当化する根拠として擁立し、組織的犯罪を実行せんとしている者たちがいる。
 それが、ドゥームズ・カルトだ。
「なるほど。気に入らないから、あんな事をしたのかな?」
 伊武木が笑った。
「ほう……俺が、何をしたと」
「お客さんを1人、魔改造して送り返したんだろう? そのお客さん、おかげで今では立派な反乱分子として、ドゥームズ・カルトを内側から潰しにかかってるって話じゃないか」
「……内から潰す、などという大層な働きはしていない。裏切り者として命を狙われ、辛うじてまだ生き残っているというだけの話だ」
 屑のような素材、と最初は思っていたが、思った以上の怪物に仕上がってくれた。そしてドゥームズ・カルトの刺客を幾度か撃退し、まだ生きている。
「まあ、そんな事より伊武木リョウ。要するに貴様はドゥームズ・カルトに与するつもりはないと、そう判断しても良いのだな?」
「どうしようかなあ」
 伊武木が、思い悩み始めた。
「カナエが殺しに来てくれるんなら、俺……ドゥームズ・カルトに、行っちゃおうかなあ」
「……貴様、ふざけているのか」
「ふざけちゃいない。俺、けっこう本気で悩んでるんだよ? だってカナエ、俺に冷たいんだもの。だけど殺すっていうのは、愛情や好意なんかよりもずっと本気の感情だからね……カナエが本気で、俺に殺意をぶつけてくれるんなら」
「1つ、言っておく」
 青霧カナエが、ようやく言葉を発した。
「伊武木リョウ……貴方には、殺す価値もない」
「ほらあ、やっぱり冷たい」
 傷付いた様子もなく、伊武木は笑っている。
「奈義さん、あんたカナエの事あんまり可愛がってないだろう? 愛情不足で、すっかり拗ねちゃってるじゃないか。本当は優しい子なのに」
「ホムンクルスは、可愛がるための人形ではない。敵を滅ぼすための兵器だ。暴力を行使させるための、怪物なのだ。貴様も、そろそろ自覚した方がいい……我々がここで造っているのはな、無害な人形ではなく危険な怪物なのだぞ」
「あんた……カナエのいる所で、そういう事を言うのかよ」
 伊武木の目が、カナエを離れて奈義に向けられる。
 光彩の乏しい暗黒色の瞳が、いささか剣呑な光を孕んだ。
「俺、研究者として奈義さんの事は尊敬してる。だけど……そういう所は、あんまり良くないな」
「伊武木よ。まさかとは思うが貴様、ホムンクルスと人間が対等な信頼関係の類を築ける……などと思っているわけではあるまいな?」
 眼鏡越しに睨み返しながら奈義は、カナエに親指を向けた。
「こやつらがその気になれば、我々など為す術もなく皆殺しにされる。痛快な話ではないか。俺たちはな、人間を遥かに超えた怪物どもを創造しているのだぞ」
「人間を超えられるのは、人間だけ……俺は、そう思ってるよ。俺たちは、人間の枠から踏み出すべきじゃあない」
 すでに造物主の領域に踏み込んでしまっている男が、世迷い言を口にした。
「可愛いホムンクルスと、一緒にコーヒー飲んだりどっか出かけたり……そういうのが人間の枠内だと、俺は思ってる。あんたもさ、ゲテモノばっかり造ってないで美少年とか美少女を」
 カナエに命じて、伊武木を永遠に黙らせるべきか。奈義がそう思いかけた、その時。
 微かな震動が来た。
 地震、ではない。不穏な気配が、足元から、床下から、這い上って来る。
「敵襲……地下からです」
 カナエが言った。
 青い瞳が、鬼火の如く仄かに発光しながら、人間では視認出来ないものを見据えている。
「いえ、正門からも……これは陽動部隊。すでに施設内に入り込んだ敵もいるようです」
「キメラどもを出撃させろ。指揮権は、お前に与える」
 奈義は、カナエに命じた。
「1匹たりとも逃すな。全ての敵を、粉砕してこい」
「了解。奈義先生は、安全な場所へ避難して下さい……僕が、先生をお守りします」
「俺の事も守ってくれるのかな? カナエは」
 伊武木の顔に、ふざけた微笑が戻った。
 カナエが、一瞥もせずに言い放つ。
「貴方には、殺す価値もない……だから、ついでに守ってあげる」
「そりゃひどい」
 相変わらず笑っている伊武木に、カナエが青い瞳を向けた。
 微生物も棲まぬ水の色が、冷たく燃えている。憎悪に近いほどの、侮蔑の眼光だった。
「貴方のような無価値な人間でも守る力が、僕にはある……僕は、兵器だから。怪物だから。貴方のところにいる、あの人形とは違うから」

 研究施設の地下通路に、敵が侵入して来たところである。
 敵は、行儀よく通路を歩いて来たわけではない。
 地中から、床を粉砕しながら這い上がって来る。壁を破壊しながら、押し入って来る。
 土やコンクリートの破片を飛び散らせ、ドリルを猛回転させながら荒れ狂う、異形の者たち。
 右手は大型のドリル。左手は、同じく回転する長銃身ガトリング砲。
 そんな人型の機械たちが部隊を成し、研究施設を地下から破壊しようとしているのだ。
「させない……」
 彼らの進行方向に細身を佇ませながら、青霧カナエは片手を掲げた。
 まるで美少女のように優美・繊細な五指が、凶猛な人型機械たちに向けられる。
 相手は、ガトリング砲を向けてくる。
 無数の銃身が回転し、カナエに向かって火を噴き始める……よりも早く、地下通路全域に霧が立ちこめた。
 霧と言うより、雲である。黒みを帯びた、雨雲だ。
 人型機械たちが、雨に濡れながら崩れ落ちてゆく。
 ガトリング砲が、ドリルが、それらを両腕として生やした機械の胴体が、ぐずぐずと溶け崩れてゆく。
 強酸の雨が、降り注いでいた。
「奈義先生の研究を邪魔する者は、許さない……」
 判決朗読の如く告げながら、カナエは前方を見据えた。
「奈義先生の命を狙う者……生かして、返さない」
 溶け崩れた残骸たちを踏みにじりながら、巨体が1つ、こちらへ向かって来る。
「なかなかの性能だな、小僧」
 一応は、人間の体型をしている。力士を思わせる、巨大な人型。
 ある部分では獣毛を盛り上げ、ある部分では鱗を生やし、ある部分は甲殻に覆われた、異形の巨体。醜い顔面が、荒い鼻息を噴射しながら喋っている。
「だが、その程度で我らドゥームズ・カルトに刃向かおうとは……その無謀を恥じ、跪いて頭を垂れるのであれば、私の部下に組み入れてやっても良い」
 強酸の雨を浴びながらも全く無傷のまま、その怪物は世迷い言を吐いた。
「A01に関する研究データの全てを差し出せ。そうすれば命を助け、私の部下に組み入れてやっても良い」
 言葉と共に、何匹もの蛇のようなものが牙を剥き、うねった。
 蛇ではなく、百足か。節くれ立った甲殻に覆われ、先端に牙を備えた何本もの触手が、怪物の全身から生え伸びている。
「拒むとあらば殺す……その美しい顔と身体をグフフフフ、生きたまま切り裂き食らいちぎってくれようぞ!」
 甲殻の触手たちが、凶暴に牙を蠢かせながら一斉に伸びた。
 片手を掲げたまま、カナエはただ見据えた。
 青い瞳が、光を発する。
 次の瞬間、生じたのはしかし、光ではなく闇だった。
 暗黒そのものが発生し、怪物の全身を包んでいた。
「ぎゃ……あ……がッ……!」
 触手の群れが、カナエに届く事なく硬直・痙攣し、その暗黒の中へと引き戻されてゆく。
 闇が、まるで黒い大蛇の如く、怪物の巨体を締め上げ、押し潰しにかかっていた。
「重力制御……マイクロ・ブラックホール生成」
 歪み、潰れてゆく怪物に向かって、カナエは告げた。
「奈義先生の敵……暗黒の中で、朽ちて失せろ」
「まままま待て、私の部下に組み入れてやる! いや私の上司として推薦して差し上げる、だだだだだだからぐぎゃあああああああ」
 命乞いをしながら怪物は原形を失い、暗黒の中へと消えていった。
 戦いは、だが終わってはいない。
 壁から、床から、人型機械の群れが続々と押し入って来る。ドリルを、ガトリング砲を、猛回転させながら。
 だが、カナエが戦う必要はなくなっていた。
「やるじゃねえか……おめえはどうやら、お人形じゃあねえようだなあ」
 キメラ。奈義紘一郎がそう呼んでいる、A2研究室のホムンクルスたち。
「だがよ、あんまりでけえ面するんじゃねえぜ」
「奈義先生のために戦ってんのぁテメーだけじゃねええ!」
 キメラの名が示す通り皆、人間型の肉体に、複数の生物の特性を発現させている。ある者はカニとコウモリ、ある者はサソリとトカゲ。
 そんな生物兵器たちが、群れを成す人型機械を片っ端から引きちぎり、叩き潰してゆく。
 戦いぶりを見つめながら、カナエは言葉をかけた。
「成果を見せ続ける事だな……そうすれば、奈義先生は認めて下さる」
 兵器として、怪物として。戦う力を、持つ者としてだ。
 美少年ばかり造ろうとする上位研究者たちの中にあって奈義紘一郎は、ホムンクルスの戦闘能力のみを追求し、醜悪だが強力な生体兵器を開発し続けている。
 そんな奈義が、カナエの、美貌ではなく力を認めてくれている。
 愛玩動物として愛でるのではなく、猟犬として使ってくれている。
 ホムンクルスに人形としての価値しか見出そうとしない、あの伊武木リョウとは違うのだ。

カテゴリー: 02フェイト, season7(小湊WR), 小湊拓也WR(フェイト編) |

生体兵器の休日

5年間、アメリカで暮らした。
 だからと言って食生活が完全にアメリカナイズされてしまったわけではなく、焼き魚と味噌汁と白米ご飯がメニューにあれば、普通にそれを選んでしまう自分がここにいる。
「甘味と油の量が……冗談抜きで一桁違うからなあ、あっちは」
 IO2日本支部の、第2食堂である。昼食時で混雑はしているが、座る場所がないほどではない。
 それでも、のんびり選んでいる余裕があるほどでもなかった。相席は、覚悟しなければならない。
「あの……ここ、いいですか?」
「どうぞ……」
 答えながら、その女性職員が、ちらりと顔を上げる。
 隻眼の少女だった。繊細な美貌の左半分に、無骨な黒いアイパッチが貼り付いている。
「……あんたか」
 焼き魚定食のトレーを卓上に置きながら、フェイトは少女と向かい合って着席した。
「薬と注射で栄養補給してるって話だけど……普通にご飯、食べられるんだな」
「栄養摂取の手段としては、極めて非効率的だ。錠剤やカプセルの方が良い」
 そんな事を言いながら少女は、微量の穀物を箸で口に運び、もそもそと美味そうでもなく咀嚼している。
 白米ではなく、玄米だ。その他には、漬け物の小皿と水が1杯。他には何もない。
「だが……消化器官を正常に活動させろと命令が出ている」
「そうだな。まあ、これも食べなよ」
 フェイトは、まだ口をつけていない箸で焼き魚を2つに分割し、その片方を玄米ご飯の上に乗せた。
「他人の施しは、受けたくない……」
「いいから食べなさい。先輩として命令する」
 この少女に対して自分は、全くの無責任ではいられない。何となく、フェイトはそんな気分になっていた。
 イオナ。それが、この少女のエージェントネームなのか本名なのかは、フェイトには判断がつかない。そう名付けられる以前の彼女は、そもそも名前を持っていなかったのだ。
「体力仕事なんだし、もっと食べないと駄目だよ。お金、ないわけじゃないんだろう? 俺と同じくらいの給料は貰っているはずだし、何か食費を切り詰める理由があるんなら話は別だけど」
「そんなものはない……お兄様も知っているはずだ。私には、何もない」
「そう思ってるだけさ。本当に何にもない奴なんて、そんなにはいないよ」
 偉そうな事を言っている、とフェイトは自覚はしていた。
「俺だって、昔は何にもなかった。いや、そう思ってた」
「……何かが、実はあったのか? お兄様には」
「あった。それが何かは、口で説明出来る事じゃあない」
 昔の自分でも見ている気分になっているのか、とフェイトは思った。
 自分には何もない。そう思い込んで馬鹿な事を大いにやらかしていた、あの頃の工藤勇太を。
 焼き魚と白米を、フェイトは味噌汁で流し込んだ。
 あの頃の事を思い出すと、何を食べても味がしなくなる。
(……あの頃の俺に比べれば、全然ましだよな。イオナは)
「……私に何かあるとしたら、復讐だ。今は、それだけでいい」
 言いながらイオナは、小刻みに箸を動かし、もそもそと唇を動かし、食事を続けた。
 小食、に見えて凄まじい速度である事に、フェイトは気付いた。
 玄米も焼き魚も漬け物も全て平らげたイオナが、隻眼を閉じて軽く両手を合わせる。
「ごちそう様……」
「早いな、おい」
 まだ飯が半分ほど残っている茶碗を片手に、フェイトはいささか呆気に取られていた。
「まだお腹減ってるんじゃないのか。食後のスイーツとか、何ならおごるよ? 女の子だからスイーツってのは偏見かも知れないけど」
「すいー……つ……?」
「甘い物、だけど……もしかして食べた事ない?」
 この世に生を受けてから数ヶ月目。年頃の少女の姿をした赤ん坊、とも言える存在である。それを、フェイトはようやく思い出した。
「糖分錠剤なら、常に適量を摂取しているが」
「そういうのじゃなくて」
 自分はこの少女の、親のようなものだ。フェイトはそう思った。お兄様と思われているなら、兄でも良い。
 兄らしい事を、しなければならない。
「……今度の休暇、一緒に街ヘ行こう」
「市街地へ……? 何か任務があるのか? 何も聞いてはいないが」
「休暇の日だって言ったろ。普通の人間の生活ってものを、少しは覚えなさい。先輩として、いや兄として命令する」
「……了解した」
 この少女が相手なら、間違ってもデートにはならないだろう、とフェイトは思った。

 シャツにズボン、としか表現しようのない格好で、イオナは待ち合わせ場所に現れた。
 女の子ならもう少し、などとフェイトは言いかけて黙った。自分の服装も、安物のジーンズに英字新聞柄のシャツである。地味さでは負けていない。
 そして今、服装の良し悪しなど問題にならないほどの事態が生じていた。
「あの、イオナさん……そ、それは……?」
「それ、とはこれの事か?」
 細長い手荷物を、イオナは軽く掲げて見せた。袋に包まれた、棒状の物体。
 中学・高校の剣道部員が竹刀を持ち歩いている、ように見えなくもない。が、袋の中身が竹刀などではない事を、フェイトは即座に確信した。
「刀、持って来ちゃったのかよ!」
「当然だ。これから任務なのだろう? 内容は聞かされていないが」
 言いつつイオナは、じろりと隻眼を鋭くした。
「お兄様は……まさか拳銃を持って来ていないのか? 敵の襲撃があったらどうする」
「いや、まあ……あるわけないとは、確かに断言出来ないんだけどさ」
 ここは日本。任務外の銃器携行は当然、禁止されている。刀剣類も同様のはずなのだが。
「敵は……あそこか」
 イオナが、ある1軒の建物を睨み据えた。
 古めかしい造りの、喫茶店である。経営者も従業員も、フェイトの知り合いだ。
 明日が開店と聞いている。今日、開いていれば、店内を待ち合わせ場所に指定しても良かった。経営者と従業員に、一応は妹という扱いの少女を紹介する事も出来た。
 それは次の機会に、とフェイトは思うのだが、
「あの店……尋常ならざる能力者の気配を感じる。それも複数だ」
 イオナは、店に入る気満々である。
「虚無の境界の前線基地か? 強行偵察、場合によっては殲滅……それが今回の任務か。了解した」
「了解しなくていいから」
 フェイトは、イオナの細腕を掴み、店とは逆方向に歩き出した。
 この少女の視界に、あの店を入れておいてはならない。
「何でもかんでも殲滅で問題解決しようとする癖、直した方がいいと思うぞ。俺も人の事は言えないけど」
「能力者をことごとく叩き斬れば、あらゆる問題が解決する。私の戦闘師範は、そう言っていたが」
「……あの人の言う事は、半分くらいしか聞いちゃ駄目だ」
 IO2日本支部きっての危険人物と言われる男と、いずれ徹底的に話をつけておく必要があるかも知れない、とフェイトは思った。

 女の子だから、とりあえずスイーツ。
 確かに偏見ではあるかも知れない。何か甘い物を食べさせてやったところで、このイオナという少女が、年頃の女の子らしく喜びはしゃいでくれるとは思えない。
 だがフェイトとしては、とりあえずスイーツだった。
 女の子が喜ぶものと言えば、甘物かショッピング。フェイトの知識など、そんなものだ。
 地味な服装で街を歩く、若い男と美少女。デート、に見えているのかも知れない。
 周囲では、もっと華やかな服装の若い男女が何組も、仲睦まじく楽しそうに歩いている。
 そんな華やいだ街の様子を、イオナは隻眼でちらりと見回した。任務遂行時と全く変わらない、冷静で無感情な眼差しである。
「お兄様の言う、普通の人間の生活……とは、この事か?」
「これが全て、ってわけじゃないけどな」
 フェイトは頭を掻いた。
 自分は一体何をしているのだ、という気分だった。
 女の子を連れ回して、楽しい思いをさせる。自分に、そんな技能はない。
 これまで女性と親しくなった経験が、全くないわけではないのだが。
(人間の女の子は、1人もいない……ような気がするなあ)
 数百年を生きる美少女や、成長の止まった三十路の女性ジーンキャリア。
 彼女たちとの親交は、しかしこういう場合、何の参考にもならない。
 黄色い声を、かけられた。
「お安くなってまぁす。よろしくどうぞ~」
 チラシを、手渡された。
 いわゆるメイド服を着た娘たちが、道行く人々に配っているものである。
「わあ……そっくりですねえ、双子さんですかぁ?」
 メイド姿のチラシ配布員が、地味な格好の若い男女をまじまじと見つめてくる。
「ま、まあ、そんなようなものかな」
 曖昧な答え方をしながら、フェイトはチラシに見入った。
 メイド喫茶の宣伝物である。それ以上でも、それ以下でもない。このチラシを持って行くと、いくつかのメニューが割引になるようである。
「……行ってみよう、お兄様」
 イオナが言った。
「私たちは今、勧誘を受けたのだろう? 誘われたのなら、言ってみるべきだ。何かの罠という気配もない」
「いや、でもメイド喫茶だぞ? 男女の2人連れが入るのは、何か違うんじゃないか」
「あら。女性の御主人様、じゃなくてお嬢様も結構いらっしゃいますよお?」
 チラシ配布員たちが、そんな事を言いながらいつの間にか、フェイトとイオナを取り囲んでいる。
「というわけでぇ、御主人様&お嬢様、ご案なぁ~い」
 何か言う暇もなくフェイトもイオナも、連行されていた。

「なるほど、ここがお兄様の自宅か」
 イオナが、物珍しげに店内を見回している。
「変わった所に、住んでいるのだな」
「そんなわけないだろ……」
「お帰りなさいませ、と言っていたぞ?」
「真に受けなくていいから」
 疲れたので、フェイトはコーヒーを啜った。いくらか、ほっとした。
 イオナもコーヒーを飲み、ケーキを食べている。フォークの使い方も、カップを口に運ぶ仕種も、上品なものだ。まさにお嬢様だ、とフェイトは思った。
 思っている間にイオナは、ケーキセット1人前を完食していた。
「食べるの早いな! 本当に」
「そうか? まあ、お兄様はゆっくり食べるといい」
 この少女、実はとてつもない大食いなのではないか、とフェイトは思わない事もなかった。
「……黙々と食べてたけど、美味かったか?」
「私の味覚が正常であれば、まあ美味ではあったと思う」
 イオナが言った。
「店員たちの、あの謎の儀式が功を奏したのかも知れないな。美味しくなるための呪文? だったか」
「やめてくれ。思い出したくない」
 フェイトは頭を抱えた。思い出すと、恥ずかしさで頭が熱くなる。ケーキの味もコーヒーの味も、わからなくなる。
「私は理解したぞ。お兄様の言う、普通の人間の生活を」
 イオナの綺麗な唇が、少しだけ歪んだ。笑った、のかも知れない。
「無駄なもの、だ。こういう無駄なものに満ち溢れている。それが、普通の人間の生活なのだな」
「…………まあ間違っちゃいない、って事にしとくか」
 曖昧な答え方をしつつフェイトは、ちらりと背後に視線を投げた。
 何やら、不穏な呟き声が聞こえたからだ。
「どいつも、こいつも……私を何だと思っている……」
 日本語である。が、喋っているのはどうやら外人だ。
 純白のスーツを着た、若い白人の男。
 少し離れた席で、大盛りの餡蜜パフェをがつがつと食らいながら、流暢な日本語で文句を言っている。
「世の愚物ども、今に見ておれ……我ら『ドゥームズ・カルト』の力を……そして選ばれた聖戦士たる私の力を……貴様らは、嫌でも思い知る事になる……」
 あまり差別はしたくないが、こういう店に来る客というのは、こういうものか。
 そんな事をフェイトは、つい思ってしまった。

カテゴリー: 02フェイト, season7(小湊WR), 小湊拓也WR(フェイト編) |